【日本史32】古墳時代〔用明紀〕−蘇我氏 VS 物部氏(丁未の乱)-
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- เผยแพร่เมื่อ 31 มี.ค. 2024
- 今回は、西暦585年〜587年、第31代用明天皇の即位から、その没後に起こった物部守屋と蘇我馬子の戦いである「丁未の乱」までの歴史解説をしています。仏教受容問題と政治的な覇権争いで対立する蘇我氏と物部氏がついに全面戦争を始めます。そこに至るまでの流れを詳しく解説しておりますのでぜひご視聴ください。
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#歴史 #日本史 #蘇我馬子 #物部守屋 #丁未の乱
複雑だった対立関係が整理できました、ありがとうございます。
正妻と別に12人の巫女が当てられると言いますから、かなりの側室になりますね
アップお待ちしてました!
おもしろいですね。ただ、自分の考えでは、この辺りの日本書紀の記述は、創作でしょう。どうにもドラマチックすぎる。
アップされるのを楽しみに待っていました。じっくり聞いてみますね。ありがとうございます。
もう動画出さないんじゃないかと心配してました😂
母、娘の中継ぎ、中継ぎあったから、ある意味でどの様に皇位継承するか、男系でいい。
待ちくたびれたよー。今はベトナムから聴いてます。
めちゃくちゃわかり易くオモロイ! 次回も楽しみ!👍
女性も含めた系図をみるとこの時代の解像度が上がるなあ
私もアップをお待ちしていました。これから聞くのですが、まずはありがとうございます。
配信を、ありがとうございます。
めっちゃ面白い
この辺りの第一次資料はなんなのでしょうか? 日本書紀とかでしょうか?
いいですね!
動画の初めに表示された系図で、直系と傍系の説明側有ります。
秦氏の系譜に連なる物部氏が出雲の系譜の蘇我氏に滅ぼされるという違和感は存在しないのでしょうか?出雲口伝では蘇我氏がやったのではないと伝わっているそうですが。
この辺の話は、まあ。なんだけど、そもそも蘇我氏ってどこから湧いてきたんですかね?
(物部、天孫、道教、中国) VS (蘇我、出雲、仏教、インド)の勢力争いだったのかな?
皇太后に交わり迫る皇子は禁忌を犯してますね