@@akihiko-ozaki 재미있는 의견이다. 신라2대왕의 여동생이 왜국의 왕과 결혼했다는 출처는 어디에 있는가? 섭정의 대부분이 왜인이라는 근거는? 百済新羅任那の三国部は元々倭人の勢力下=>근거 없다. 中原や北から流入=>야요이~고분시대 일본으로 유입된 집단은 대부분 한반도에서 건너갔다. 神功皇后의 한반도 남부 정벌은 신화적 성격의 허구이다. 神武東遷の半島バージョンwと見るのは無理か?=>네 무리입니다.
I think that your opinion is delusion. I think that modern Koreans are descendants of Silla, not Goguryeo. It is too ignorant for ordinary Koreans to learn only the history created from a modern perspective in Korea.
How could the Chinese have a long history they claim to be 4,000 years old and have a large territory? The reason is as follows . First, a small number of Chinese immigrants immigrate. They are culturally separated from the country while creating Chinatown. Second, it encourages continuous immigration to the country. At the same time, historically, it is argued that the country and China are blood related. This is the process experienced by immigrant countries that have already emerged in China. Third, in the early days, the claim that the country and China were blood related was ignored. However, due to continuous immigration, Chinese immigrants become a major group in the country and receive gaslighting from Chinese immigrants for more than 1,000 years. Now the country truly believes that it is blood-related to China. The Manchurians have experienced this history. The Qing Dynasty believes that they are descendants of Yue Fei (岳飛), the Song Dynasty of China. And now all Northeast Asian countries are experiencing these problems. Both Korea and Japan are experiencing this situation. And Chinese immigrants continuously acting in Southeast Asia. Through this, you can see how Chinese immigrants will behave in Southeast Asia in the future. So, what will finally look like in a country where Chinese terraforming has been completed? Look at the events in Xinjiang Uighur and Tibet. And look at those who claim that they are 56 ethnic groups inside China. Real minor ethnic will be extinct and Chinese people who claim to be minor ethnic will sell tourism products. And real minor ethnic descendants will suffer from forced labor, sell organs, and infertility surgery. I hope the Chinese want to be Chinese and the Japanese want to be Japanese, Koreans want to be Koreans themselves. In fact, those who claim that Koreans are northern people are not real Koreans. Those who are presumed as Korean nationalists are actually descendants of Chinese immigrants who migrated to Korea in the past. In fact, Koreans originally have only a small connection with Gojoseon, not a big connection with Gojoseon. Nevertheless, due to the continued influence of China, modern Koreans prefer Gojoseon. As can be seen from the distribution of surnames and genes, almost half of Koreans are already become Chinese. Why do Koreans ignore Southeast Asians? Why do Koreans cause historical disputes with the Japanese? Why did Japan invest in Korea, and then Korea actively invested the money in China? In fact, the Joseon Dynasty was almost being integrated into China. In addition, in the history book, it is recorded that the Joseon royal family was migrated from the Tang Dynasty of China. This is why Korea prefer on neutrality between the United States and China. In fact, the expression that Korea cannot attack China is correct. I'm angry at this process of history, and I'm angry at China trying to apply it also to Japan. And I wrote this article because I do not doubt that the world to which China's dream was applied is dystopia. Koreans are welcome to all foreigners and dislike racism. However, only Chinese are excluded. As shown in genetic analysis results and historical records, about half of Koreans are already originated from China, and the more Chinese immigrants in Korea, the more Confucian the country has changed. During the Joseon Dynasty, about 40% of people lived as slaves. They used their own ethnic(they claimed) as slaves for a reason. As the number of Chinese immigrants increased, many countries in East Asia were absorbed by China. Likewise, as time goes by, the country becomes friendly to China and slowly falls. Chinese immigrants who have already immigrated in the history cannot be avoided, but Chinese immigrants should no longer immigrate to Korea. Korea is not racist country. However, as long as the Chinese use historical propaganda, population, and Chinatown as weapons, country have no choice but to dislike the China.
深い内容が明瞭に語られていて大変分かりやすいです!派手な脚色がないのがとてもよいと思います。ありがとうございます!
歴史の工夫に役に立ちました。 ありがとうございます。
喜界島”7300年前の噴火”で「倭人」が朝鮮半島南部に移住・・加羅は「倭人」が住んでいた。
百済、新羅は王子を日本に人質に出しているので、フィクションというのはどうだろう
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しいからといって碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
核心に触れており、良かったですね。お疲れ様でした。
広開土王碑には、倭国が百済を臣下としたと書いてあるので同盟関係ではないですよね?
日本書記と合致しますけどスルーですか?
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
このころの時代背景や国際関係に興味があるので、とても勉強になりました!
朝鮮半島南部には縄文土器、勾玉、前方後円墳などが見つかっており、伽耶韓国には倭人が住んでいたのは確実である。その関係性は全く語っていない。又、公開土王碑に書かれている倭国に記述には推測されたものが事実であるかのように言っている。実際その通りであるとするには推測を証明する必要があり、しない限り不確実である。
韓国南部に倭人が住んでいた?倭人の出自は?倭人の成り立ちは?あのね歴史は民族主義で語ると歪曲と捏造されやすい
@@Ross6437-k2w じゃ、逆に聞こう。なぜ韓国で縄文土器、勾玉、前方後円墳が出土しているのか。縄文土器は日本発祥である。勾玉はヒスイと言う堅い鉱物で作られており、加工には高度な技術がいる。ましてやヒスイは日本の糸魚川で採れる。前方後円墳は誰が作った?まさか百済人とか言うまいね。他民族が他民族の墓を作るなどありえない。魏志倭人伝をみよ、海を渡る前に倭国に至ると書いてある。左翼は事実を無視し民族主義とか言いたがる。事実なんだよ倭国発祥のものが韓国から出土したのは。
@@tosiy.26 韓国に縄文土器?初耳です、勾玉は古代韓国の文化ですけど、前方後円墳?これも古代韓国の文化です、何が問題ですか?
天皇の三種の神器は縄文文化ですか?
倭の五王は縄文人?
日本人は本当に不思議ですね
最近まで縄文人は日本人の祖先では無いと否定したのに歴史に関しては縄文文化です!歴史の勉強すればすぐばれますよ!
前方後円墳より倭人は一体何族であるのかが重要です、倭人は渡来人で東夷族のことです、聖徳太子の師である惠慈は高句麗人、和邇博士は百済人です、意味わかります?だから倭人の文化は全て現在中国の東北部から南下し朝鮮半島を経て日本にまで到達した訳です、なんで古代日本史に韓国人の祖先が出てくる訳ですか?不思議だね、日本の前方後円墳が古いから古代韓国を支配した?ならば何故日本の天皇は韓国人の子孫ですか?結局倭人と百済、新羅、伽耶、高句麗皆んな東夷族のことです、日本列島のネイティブは縄文人でしょ?なのに何故日本人は韓国人とそっくりですか?何故日本列島に古代韓国の地名、遺物、遺跡があるんですか?
長崎の対馬には「対州馬」という地元産の馬がおりまして、性格はおとなしく小柄な体格にも関わらず働きモノで力持ちです。私が子供の頃(1980年代)でも、トラックの入れない路地や坂道を建築資材を運搬していました。
もちろん、原種が4世紀の朝鮮半島のものか、元寇の時代のものかは分かりませんが、日本の歴史を支えた馬であることは間違いないでしょう。最近は馬を育てる方々の高齢化もあり、その数は減少しております。
ぜひ、長崎県対馬市にお越しの際は見学されるのも良いかなと思います。ずんぐりしてますが、素敵な馬ですよ。
日本の古代を考察するうえで紀元を明らかにすることは必須です。
日本の紀記は、初代神武天皇が橿原神宮で紀元前60年に即位されたことを押さえれば大丈夫です。
広開土王碑に関しまして、
さまざまな意見がある中で、武田幸男説を取り上げたのはなぜでしょうか?
もちろん虚構では? と疑問を持つのは良いのですが『不都合な真実』から目をそらそうとしてはいけませんよ。
丁寧な解説ありがとうございます。興味深く聞かせていただきました。
好太王碑文に関しては、息子の長寿王が作ったので、当時のことを知る人も大勢いた事でしょう。あからさまな嘘は書けないでしょうから、臣民とまでは行かなくとも、倭国が百済や伽耶の一部と手を組んで、数年間三韓支配していたぐらいのことはあったと思います。
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しいからといって碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
この人、任那日本府について一切触れていない。それはそれとして、新羅に攻め入るにはカヤ国を通過する必要がある。
当時の倭国が海を渡り何度も攻めるには無理がある。やはりカヤ国に倭国の勢力があったとみるのが自然。
同意です。百済の脇にカナ国が存在してた。
空白の4世紀の東アジアと倭国、わかりやすい書物も少なかったので、大変興味深く参考になりました。つづきも楽しみにしています。
最近の日本人のDNA調査から、古墳時代4-7世紀に東アジアから日本に大量の移民流入があって、現代日本人の4割が古墳時代流入人だと言われていますが正しいでしょうか。10万人くらい流入してきたらしいです。
古代の華夏族(漢人)は大和民族と南方に逃げた客家だと思う。山東省付近に住んでいた大和民族が3世紀頃から鮮卑の侵略で日本列島に渡来し、土着の弥生人と混血していき日本人になっていった。
弥生人は紀元前1500年ごろに遼東付近から朝鮮半島南西部に渡来し日本列島にもきた水田稲作農耕民で、恐らく百済人と似たような民族だったと思う。
韓国人は紀元前3500年ごろに遼河流域から半島東部に渡来し、後の新羅を建国した雑穀農耕民族。
なので日本人は基本的に黄河下流から亡命した大和族と百済系の弥生人の混血です。中国にすらない漢委奴国王印がそれを証明する1つであり、新羅を征伐や百済の難民を受け入れたのもそういう要因があります。
東北地方の蝦夷や九州の熊襲とかは縄文系血統で恐らくアイヌ民族やオーストロネシア系の民族だったと思います。
今の中国では愛国教育で中華思想みたいなのを植え付けてるけど、中華思想の北狄と呼ばれた蛮族が現在の華北に住んでる民族で彼らは漢人ではない。
また南方に逃げた華夏族(漢人)は長江の農耕民と混血していった。
結論からいうと百済は日本史であり、現在の韓国人とは関係がなく、高句麗も中国東北部の民族であり韓国史ではない。
今年4月に発表された理研の解析でも、関西をピークとするグループが確認されているので、3系統説(縄文、弥生、古墳)はほぼ確定ではないでしょうか? ではいつ古墳時代の渡来人は入ってきたのかについては、金沢大学の発表では約1500年まえの古墳中期の人(3個体)の比率が現代人(古墳人比率が1割高いだけ)と同様としているので、その数百年前の弥生末期/古墳初期の時代までには、中国南部から直接畿内に入ってきていることになります。魏志倭人伝にそのことが書かれていないのは、九州地方の勢力のことしか書いてないからでしょう。何もなかった纏向に、突然前方後円墳が築造され始めるのも、この人たちの影響が大きいと考えます。
全体としては詳しくわかりやすいですが、任那に触れないのは良くないと思います。それは歴史の抹殺につながると思います。任那はチャイナの史書にも出てくる事実ですから。
韓国歴史よりですね。
貴重な映像ありがとうございます。客観的な内容で非常に興味深く全 エピソードを見させていただいております。
ところで、七支刀を与えたことを「同盟」の印とみる根拠が知りたいですね。中国例、日本国内例で見たら「下賜」とも思われるのですが、、、例えば刀の授与を同盟、返って下から上に貢ぐ例があったら教えていただければありがたいと思います。
よろしくお願いします。
前半の中国史は非常に分かりやすかったです。ただ好太王の碑文は、素直に読まなければだめでしょう。一般に公開されるものだから。一部の学者のように、朝鮮の官僚や将軍が中国に提出した成果誇張の報告書は素直に読んで、碑文だけ裏読みするのは逆のような気がします。
新羅の初代国王は日本人と言われているし、後の話だが百済は皇太子を日本に人質として送っていた。どちらが上とか言う気はさらさら無いが、4世紀から日本が半島に相当影響を持っていたのは事実でしょう。
"新羅の初代国王は日本人と言われているし"
=>누가 그래요??
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しいからといって碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
新羅2代王の妹と婚姻したのが倭人の4代王。摂政は倭人が大半。印象としては、百済新羅任那の三国部は元々倭人の勢力下であり、国と言う概念が紀元前の倭人になかった為中原や北から流入した異民族を受け入れた様に思える。
だから神功皇后も゙ほぼ戦闘せず百済新羅を臣下に出来たと考える。
神武東遷の半島バージョンwと見るのは無理か?
@@akihiko-ozaki
재미있는 의견이다.
신라2대왕의 여동생이 왜국의 왕과 결혼했다는 출처는 어디에 있는가?
섭정의 대부분이 왜인이라는 근거는?
百済新羅任那の三国部は元々倭人の勢力下=>근거 없다.
中原や北から流入=>야요이~고분시대 일본으로 유입된 집단은 대부분 한반도에서 건너갔다.
神功皇后의 한반도 남부 정벌은 신화적 성격의 허구이다.
神武東遷の半島バージョンwと見るのは無理か?=>네 무리입니다.
大変勉強に なりました。
"4世紀の 東アジアと倭" と言うテーマでは 一番納得できる内容です。
現代政治と絡めて ゴチャゴチャ言う人が いるようですが、気にせず 進めてください。
大体 枕詞のように
"神の加護が" と書いてある
300年後の二次資料を 100%
信用する方が どうかしている
と 私は 思います。
動画ありがとうございます!
個人的には、266年壱与?の朝貢の後、何年頃、九州倭?が奈良日本に滅ぼされたのか、卑弥呼の墓は何処?に興味を持っています!
異なる二国の文献と石碑の記述が一致しているのに、それを嘘だというのは結構大胆な説になるのではないでしょうか?
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しいからといって碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
まったく同感です。朝鮮側の資料だけを採用して、広開土王碑を曲解する意味が不明。朝鮮半島から文化がやってきたとする、異常な歴史感です。
韓国に洗脳されていますね。
面白かったです。東アジア情勢をなぞりながら日本の古代史を解釈するのは、高校までのレベルではあまり扱わない方法なので、非常に新鮮に感じました。
😊
😊
😊😊
😊
😊
日本の史書は信用できないが、中国大陸の史書は信用しますというのは、明らかにおかしい。
それは違うな。
日本の史書は天皇の威厳を最大化し脚色する必要があるが、中国の史書に書かれた日本をそうする必要性はない。
それに記述を読んでも、中国の史書の方が合理的で矛盾が少ないのが事実だぞ。
作者不明の資料と、誰が書いたかはっきりするものでは、差がついても仕方がないのでは?これはワールドスタンダードな見方ですけど、どのようにその信頼性をみるといいと考えているのでしょうか?そもそもまじめに考えたことがあるのかも謎なこと言ってますけどw
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
たいへん勉強になりますが、日本書記の記載、とくに朝鮮半島においては倭国が重要な拠点、影響力を有していたことを頭からフィクションとする見方には疑問を感じます。
그 거점이 어디입니까?
일제시대에 마구마구 발굴했지만 찾지못하였습니다
그리고 유물만 잔뜩 도굴해서 가버린
부끄럽지않습까?
@@wiroarero
朝鮮半島の先住民は倭人です。
これは揺るぎない歴史的事実です。
@@yoshitome6648 그럼 왜 '조선반도'라고 부릅니까?
@@wiroarero
???
当時、朝鮮半島の南部は倭人の国と
書いてあり、完全な歴史的事実です
からね。
700年後に書かれた朝鮮の文献は信じるのか?www
歴史というのは記す側によって内容も変わりますので
願望や希望を排除し多角的に見ないといけないとは思います
一方の国ではこう記されているが、もう一方の国ではこう記されているといったものは
どちらが正しいという観念よりもどちらも見方によっては正しい部分もあり、また誤った部分もあると見ていく必要があると思います
そこに現代社会での常識や希望、願望などを当てはめて推測するのはナンセンスです
このチャンネルのシリーズは非常に淡々と様々な史書などの見方を扱って良いとは思いますが
今回の動画に関しては非常にナンセンスです
まず朝鮮半島南部に広がる前方後円墳をこのチャンネルでは無視していますが、これをどうお考えでしょう?
更に、広開土王碑文、中国の歴史書、三国史記、古事記、日本書紀
そういった資料での合致点から考えて、現代社会での希望、願望を取り払った時に
果たして、どの資料を見ても共通して記されている事を
現代の価値観で判断して、歴史的資料が存在しない妄想を喧伝するのはいかがな事でしょう?と思った次第です
重ねて言いますが
現代社会での希望、願望を取り除いて複数の歴史的資料および考古学的資料に基づいて考えた時に
資料の合致点を無視して、別の希望的憶測を事実であるかのように宣伝するのは
後世の為に歴史を記す観点で正しい事なのか今一度考えて貰いたいと思いました
前方後円墳が半島南部のどこに何機が分布しているのか、どの時期に作られて、どの時期に消えるのか、墓の中に副装品たちはどんなものがあるのかよく知っていますか?
前方後円墳が南部の特定地域にあるというだけで倭か半島南部を支配したと主張したいのでしょうか?
日本列島にある朝鮮半島式墓が数百倍多いのに無知な日本右翼たちが知らないだけです
@@wiroarero いわゆる加羅諸国と呼ばれている付近に分布しているのでそこだけを支配していると思いますけど、何か間違っているのでしょうか?百済や新羅は支配していないと思いますが、特に新羅とは敵対関係にあり、あるいは敵対しあるいは朝貢国となり、時によって関係性は変わっているかと思いますが支配をした事実は無いかと思います。百済に関しても対等な時期もあったでしょうが朝貢国として服属させていた時期もあったかと思います。どちらにしても新羅や百済は直接支配はしていないと思いますが?
@@だいぢん
百済は倭に人質を出して外交し(新羅本記)、新羅は倭に属していたこともあった(梁書)。倭人の軍事行動は新羅本記、高句麗の広開土王碑、日本書紀にも書かれています。だから倭王は5世紀に宋王に百済、新羅の支配権を求めた、これは事実と思いますよ。
古墳時代の墓式は日本は圧倒的に葺石の前方後円墳であり、高句麗の積石方墳、百済や新羅の円墳とは大きく異なります。朝鮮半島の影響は横穴室石室にはみられますが、最も重要な点である見た目、外観はほとんど前方後円墳です。もし埋葬者が仮にすべて渡来人とすれば、円墳や積石式方墳が多くなるはずです。横穴式石室の拡散は少数の渡来人の墓を作った倭人が、新しい大陸文化ということで珍しがり、畿内から全国の豪族に広がったのでしょう。
@@だいぢん 感情的な部分があるからでは?例えば製作者自身の背景とか。
細かくたんたんとした説明ですが、上手なしゃべり方で退屈せずに聞けました。
非常に分かりやすく勉強になりました。一つ思ったことは、朝鮮半島というところは、こんな早い時代から、半島外の対立する勢力(前秦と東晋)が半島内の勢力のそれぞれのバックについて争うという今日まで続くパターンが始まっていたんだということです。もう宿命というほかないのかもしれません。それと、倭と百済・新羅と高句麗の関係ですが、もし当時百済と国交を持った倭国とは大和朝廷のことであったとしたら、大和朝廷下の倭の国力は恐らく百済や新羅よりかなり上だったのではないかと思います。半島に兵を送るというのは日本の国力がかなりあるときであって半島地域の国の国力を日本の国力がかなり上回っているときでないと起きません。それは歴史上日本が半島に兵力を送った時というのが後の豊臣政権や明治以降の日本に限られることを見れば明らかです。したがって、この時代も相対的に倭の国力が百済や新羅をかなり上回っていたのではないでしょうか。だからこそ百済も倭を頼ったということではないでしょうか。とすれば明確な朝貢関係はなかったとしても、自然に両者の間には上下関係はあったように思われます。それを高句麗から見れば百済が倭に臣従していると映ったとしても不思議はないように思われます。あまりに無知な素人考えでしょうか。
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しいからといって碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
5世紀の倭の五王、
珍、済などは明らかに九州の地名、韓国南端でも散見される。
☆珍(MEZURA, MATSUURA(松浦) MOJI(門司)珍敷塚古墳(福岡県)。
珍島(朝鮮半島西南端)、珍原県(朝鮮半島西南部)、蔚珍郡(朝鮮半島東南 新羅)
☆済 西都(宮崎県)済州島(韓国最南端)巨済島(加羅)
☆武、宋帝に半島南部の軍事的支配権を承認してくれるよう繰り返し上申し承認される。
「使持節 都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」
*宋書倭国伝『東征毛人五十五國,西服眾夷六十六國,渡平海北九十五國』
朝鮮半島南部まで支配していたと言っていますね。
これは北部九州を中心とした地理感で、
5世紀に倭国はまだ畿内中心ではなかったと考えるべきでしょう。
加羅地域からは北部九州産の弥生土器、縄文土器が出土しています。
新羅にもたびたび倭人の侵入が書かれています。(新羅本記)
小国分裂の加羅の中に倭人(九州)の勢力があって
朝鮮半島で軍事活動をしていたと考えるほうが自然でしょう。
倭の五王である讃、珍、済、興、武は百済王です、
宋書に記された倭の五王(わのごおう)とは、5世紀に、南朝の東晋や宋に朝貢して「倭国王」と叙授された倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武を指します。「倭の五王」の遣使の記録が『古事記』、『日本書紀』に見られないことや、ヤマト王権の大王が、「倭の五王」のような讃、珍、済、興、武など一字の中国風の名を名乗ったという記録は存在しないため、「倭の五王」は近畿主体のヤマト王権の大王ではないとする説も江戸時代からありました。「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇・・・倭の五王の遣使は413年から477年までに少なくとも9回が確認されますが、このうち421年の倭王讃による遣使は東晋に対してですが、425年から477年までの倭王珍・倭王済・倭王興は、いずれも南宋に対するもので、479年倭王武の遣使は南斉対するものです。五王の朝貢年は中国史書からは明らかですが、記紀には(東晋・南宋・南斉の首都・建康(南京市の古称)への)朝獻記録がまったくありません。このため遣使年に在位していた天皇名を推定することで終わっています。具体的なきめてに欠けているのです。
井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』中央公論社〈中公文庫〉、1973年10月。ISBN 4-12-200041-6。
佐伯有清 編『雄略天皇とその時代』吉川弘文館、1988年2月。ISBN 978-4-642-02145-6。
安本美典『倭の五王の謎』廣済堂出版〈廣済堂文庫〉、1992年9月。ISBN 4-331-65153-3。
安本美典『大和朝廷の起源』勉誠出版、2005年7月。ISBN 978-4-585-05324-8。
直木孝次郎『直木孝次郎古代を語る6 古代国家の形成―雄略朝から継体・欽明朝へ』吉川弘文館、2009年3月。ISBN 978-4-642-07887-0。
森公章『倭の五王 5世紀の東アジアと倭王群像』山川出版社〈日本史リブレット 人 002〉、2010年4月。ISBN 978-4-634-54802-2。
上田正昭『私の日本古代史 上 天皇とは何ものか−縄文から倭の五王まで』新潮社〈新潮選書〉、2012年12月。ISBN 978-4-106-03720-7。
河内春人『倭の五王−王位継承と五世紀の東アジア』中央公論社〈中公新書〉、2018年1月。ISBN 978-4-121-02470-1。
瀧音能之『「日本書紀」と「宋書」で読み解く!謎の四世紀と倭の五王』青春出版社〈青春新書INTELLIGENCE〉、2018年8月。これらは今やみな骨董品 です。
私は梁書と三国史記を対比して、王名とその遣使年に一致があることを遂につきとめました。双方の資料に集中して分析してみました。
「賛」→須=第14代・近仇首王(餘須):[貴須王]
「珍」→余映=第18代腆支王(餘映):[直支王]
「済」→餘慶=第21代・蓋鹵王(餘慶):[加須利君]
「興」→牟都:=第22代・文周王(餘都):[汶洲王]
「武」→牟太;牟大:=第24代・東城王(牟大):[末多王]
と、をみましたので公開することにしました。[---]の中は日本書紀に出現する王名
JKB6437
>倭の五王である讃、珍、済、興、武は百済王
↑
5世紀にまだ存在していた百済の王が倭王と名乗る理由がありません。
珍、済の地名は九州にあります。
倭の五王は天皇家と関係のない九州の王が含まれていたので
記紀で全く取り上げなかったのでしょう。
@@カモンセンス 5世紀前の倭国の王朝は?つまり珍と済前は?
論破されて逃げた?弥生土器?縄文土器?呆れる
JKB6437
讃は畿内、応神天皇の可能性。
応神天皇は別名、譽田天皇(ほむたのすめらみこと)
讃と譽、意味が近い。
さらに香川県には誉田八幡神社があり、
香川県小豆島町馬木(うまき)地区に第十五代天皇「応神天皇」が御手植えされたと伝わる
姥目樫(ウバメガシ)があります。
香川県は別名讃岐。
漢の楽浪郡(紀元前108年ー西暦313年)の地理でわかると思いますが
ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%BD%E6%B5%AA%E9%83%A1
漢が朝鮮半島全域を勢力下に置くためには、
出雲と親交を結んで
朝鮮半島南東部の新羅地域を攻める戦略がベストと思います。
出雲の銅剣のなかには漢様式のものがありますが
何か関連があるのではないでしょうか。
この挟み撃ち戦法は周辺が異民族に囲まれた中国古代王朝の外交上の特徴で
後の魏や唐にも見られます。
魏は地理的に離れた国に金印を送っています。
ライバルの呉を攻め中国を統一するため邪馬台国に
シルクロードの交易を守り西域諸国をけん制するためにクシュナー国に送ったと考えられます。
邪馬台国の位置を頓珍漢に伝えた魏の使者は
そのねつ造した場所に邪馬台国があって、呉を挟み撃ちたいということです。
唐が新羅を使って高句麗と百済を滅ぼしたことは言うまでもありません。
記紀に対する考察が、浅すぎませんか?
謎の多い、4世紀の史実に基づく、解説に、驚きまた、感謝いたします。わたしは、白村江の戦いぐらいしか知りません。謎が、分かる解説でした❣️
倭王旨は九州の宗像氏の祖と考えます。
倭国は九州の倭で、卑弥呼の邪馬台国も九州にあったと思います。
4世紀を境に加羅地域の出土品が、北部九州産から畿内産に変わりますが
日本列島のパワーハウスが北部九州から畿内に本格的に移動し始めたのでしょう。
日本書紀、古事記には邪馬台国の記述が1言も記されていませんが
理由は魏をはじめ諸外国に認知された最初の日本は九州の倭で、
九州の倭人の邪馬台国と
畿内のヤマトは別物だったからではないでしょうか。
魏志倭人伝の邪馬台国の所在地の記述は
邪馬台国が呉からあまりにも離れた地域にあっては困る魏の使者のねつ造。
ライバルの呉を挟み撃ちしたいので。
魏はクシャナ―国にも金印を送ってますね。
周辺国(西域)を挟み撃ちしたい意図を感じますね。
邪馬台国を考えるなら中国の史書をすべて見れば解決しますよ。
魏志だけ読んで、曲解しようとするから迷走するんですよ。
漢委奴国王の金印。これは後漢書に倭奴国と記述されていることから、倭奴国は写本時の誤写で正しくは委奴国のことになります。物的証拠ですね。
これを倭の奴国と解釈し、魏志に出てくる奴国にしてしまうと迷宮入りします。
隋書などにも倭国とは古の倭奴国なり。と記述され、国号を倭奴国と明記してます。
それで魏志に戻り、伊都国には代々王がいて一大率を置いて諸国を検察していた。
っと書かれていますから伊都国が委奴国なわけです。「✕わのなこく」「〇いどこく」
これで日本書紀の伊都国が大和王権に服属したエピソードにつながり、何も疑う余地はありません。
邪馬台国というのは卑弥呼が住んでいただけで魏志では伊都国が政治の中枢だったことも記されていますので女王国=伊都国なのですよ。当然、邪馬台国なんて日本書紀に出てくわけありません。
そしてそれを裏付ける史書が旧唐書。日本国と倭国は別種なり。すわなち倭奴国(伊都国)とは関係ないですよ!っと言ってるわけです。
倭の5王では「東は毛人〇〇ケ国、西は衆夷〇〇ケ国を平定した・・・」とも宋書に記述されているので、日本書紀とも整合性がとれますよね。
そして邪馬台国への行程の水行については、隋書で裏付けできます。
隋書には「南に黒歯国、裸国があり、倭を去ること四千余里、船で行くこと一年ほどで着く」とあります。4千里=水行1年です。投馬と邪馬台を合わせても水行30日です。
水行30日であれば、四百里程度の距離であっても不思議ではないということです。
呉がどうとかではなく、難しく考えなくても、そのまま書かかれていたのですよ。
その通りと思います。当時は西日本は統一されておらず、北九州政権、畿内政権が並立していた。畿内に西日本を治める軍事力や官僚機構があったとは到底考えられない。
この動画は、かつてNHKで放送された「日本と朝鮮半島2000年」で韓国の歴史学者が披露されてた学説と同じ印象を受けます。韓国人の都合の良い内容となっていてかなり違和感を持ち、歴史的事実よりも韓国人の気持ちの良い物語を重視する事を目の当たりにしました。内容に関してはあまりさんこうになりませんでした。
全くですね。
そう感じるのはあなたが歪んだ愛国心を持つネトウヨで、歴史を直視できないからですよ。
古代日本における大陸・朝鮮半島の影響力は想像以上に大きく、高度な文明が多く持ち込まれた。
文明的に、技術的に、古代日本が遅れていたのは間違いありませんからね。
同じ事 思った
私も同感です。
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
20分過ぎの「百済が海の向こうの倭国との」表現には違和感があります。広開土王の碑の話もしてるのに…
私も 強く 願望、希望の排除を検討する必要があると思う。
わかりやすい。年表を利用して説明してほしい。そうすればなんかわかりそう。
この頃の詳しい解説は勉強になりました。日本史でもこの時代は大陸や半島との関わりがどうであったのか、あまり知ることができない。
ありがとう😃
魏志東夷伝倭人の条で、朝鮮半島の南岸が倭の北岸と記述されています。
安羅とか伽耶、加羅のことになると思います。半島南部からは前方後円墳などが見つかっており、韓国の学者が中に入ったとき九州にある彩色古墳と酷似していたと言っていたので、半島経営の拠点であり百済、新羅を臣民にしていたのは事実でしょう!
まず、韓国の前方後円墳は栄山江流域(半島南西部)に十数基しか認められていません。(日本は約5、000基) 時代も5世紀後半から6世紀半ばの50年程度に限られていて、その間も半島式の王墓が建造され続けています。
日本との関係が深かったのは確実ですが、たった十数基で支配していたというのは無理があります。さらにいうと、日本にも大阪の高井田山古墳など半島式の王墓があります。
そもそも、横穴式石室自体が半島の影響ですね。日本本来の形は竪穴式石室ですから。
皆さん半島南部が日本の支配下であってほしいという気持ちが強すぎて、断定が入ってしまっているように感じます。
小国は八方美人で生き残る必要があるので、複数の大国に同時に「支配」されていても不思議ではないし、実際は自治権を保って対等な立場で外交があったかもしれません。
日本の古墳で朝鮮半島系の装飾品が出たりする訳ですから、少なくとも双方向で文化の往来があったように思います。
中国の歴史書で新羅について建国年代 建国地については不明新羅になる前の国名も不明 朝鮮の三国史記の新羅本記には卑弥呼の記述はあるが時代が合わないので無視されている
伽耶が倭国ではないかとする説あり。
歴史を学ぶ時に難しいのが、現代や分かっている時の常識が邪魔になる事。。。
国籍意識が低い時代は部族意識が強いものの、倭人と韓人は交流が濃く一族単位で移民が特殊では無かったと思います。
その例は伝わるもの以上だった思いますが、現代の日本人対半島人という眼鏡で考えがちな人のコメントが目立ちますねえ。。。
日本と半島が何故中国と文法が違うのか?っていう単純な事実さえ忘れ去っているのかな?
広開土王碑の写真はご自身で撮影したものですか?
好太王碑文は一次資料として重要ですね。小さな国の集合体の国家が倭であれば百済国もその集合体に属していたと考えればわかりやすよね。
高句麗としては裏で暗躍する倭を敵として見ていて多く記した。
好太王碑文はそのまま素直に読めば良いのではないでしょうか。学問なら無理な解釈を重ねておかしな想像を飛躍させず、史料を第一に解釈すべきです。それに何故、高麗正史である「三国史記」は参考にされないのですか?編纂は後年ですが、第一次資料からの引用も考えられます。内容は参考にすべきです。
釈迦に説法ではないかと。
もし好太王碑文をそのまま素直に読んだら、朝鮮王は卵から産まれたことになってしまいます。『晋書』『資治通鑑』『日本書紀』、考古資料などと明らかに矛盾する箇所は、「偽」である可能性が高いです。
それと『三国史記』は参考にされておられますよ(動画にも出ています)。例えば、371年百済に返り討ちにされた高句麗の故国原王は、『三国史記』に出てくる名前です。
@@shou-sho お釈迦様とはつゆ知らず失礼しました。それでは倭と百済が対等な同盟関係であったことを示す資料をお教えください。
@@Myasuoka さん
例えば、七支刀(369年)の裏面には「百済王」「倭王」の文字があります。どちらも「王」で特に敬称をつけていないことから、お互いが同格だと考えていたとみることができます。
『三国史記』によると、百済は371年に高句麗王を討ち取りました。その後も375、376、377、386、389、390年と高句麗と戦っています。好太王碑にあるように、396年以前に高句麗の属民だった記録はありません。このことは372、386年に百済が東晋に朝貢したことによって、裏付けられます。(高句麗もまた377、395年に後燕に朝貢しています。)倭国から中国への遣使が途絶えていること自体が、倭国が半島を支配していないことを意味しているんです。
好太王碑はあくまで大王の功績を顕彰するものであって、文面のまま理解して良いものではありません。
@@shou-sho さん 華夷秩序では当然「王」ですよね。私が言っているのは三国の資料に基づく当時の共通した東アジアの情勢です。そもそも隣接する国家の対等な同盟関係とは何ですか。互いに人質を交換しているのですか?国境を不可侵としているのですか?互いに貢物を交換しているのですか?北から高句麗、南から倭の侵攻を受け圧倒的な地政学的不利な状況でどんな奇跡的な外交をすれば対等な同盟が組めるのでしょうか。古代であれ中世であれ現代であれ、そんな同盟はあり得ないと言っているのです。同盟は往々にして主従関係なのです。両国の同盟を対等とする根拠はなんでしょう。
@@Myasuoka さんが言っておられるのは、390年代の事ですよね。
とりあえず、年表を見てみましょうか。
368 百済が新羅に使いを送る(三国史記)
369 百済が倭国に七支刀を送る(日本書紀では372年?)
371 百済が平壌を攻め、高句麗王を戦死させる(三国史記)
372 百済が東晋に朝貢する(晋書)
377 高句麗が新羅を伴って、前秦に朝貢する(資治通鑑)
391 高句麗の好太王(広開土王)が即位(三国史記)
395 高句麗の好太王が百済を大いに破る(三国史記)
397 百済が倭国に太子を人質として送る(三国史記)
最初は[北の高句麗+前秦]と[南の百済+新羅+東晋(+倭国)]で争っていたのが、377年に新羅が南から北のラインに離脱しますね。
その後も百済と高句麗は一進一退の攻防を繰り広げますが、好太王が即位した頃から半島内の軍事バランスが崩れます。
この間の倭国はというと、364年に新羅に侵攻した後、393年まで侵攻の記録はないんです。この間の倭国と百済は友好国であり、どちらが上とかではなく対等な関係にあったと考えてよいのではないでしょうか。
新羅と倭 史跡と梁の資料から
☆最古(503年)の新羅碑 『迎日冷水碑』から倭人系の在地権力の名前が。
迎日冷水碑ー臾支yuki干支 須支suki壹今智
日本書紀ー齋忌 此云踰既yuki 次 此云須伎suki
大嘗祭において、
新穀を奉る地方(斎田)を悠紀国(ゆきこく=斎紀(斎み清まる)斎城(聖域))と
主基国(すきこく=次(ユキに次ぐ))という。
肩書の、臾支yuki、須支suki は新羅語には無く、
日本書紀にペアで現れる語彙。
*「大嘗祭 -天皇制と日本文化の源流- 」 中公新書
このペアで使われるユキ、スキやニヒナメは、
東南アジアから伝播した稲作儀礼がルーツと云われる大嘗祭と同じの、
南方系の古い倭語。
新天皇即位の践祚大嘗祭では、
神話・呪術面の継承者としての天皇になる儀式(秘儀)が行われる大嘗殿は、
ユキ殿、スキ殿から成っている。
☆梁(502-557年 中国江南地域)の職貢図
新羅国、或るとき韓に属し、あるときは倭国に属したため国王は使者を派遣できなかった。
普通2年(521年)に募秦王(法興王)が百済に随伴して初めて朝貢した。無文字。
斯羅國,本東夷辰韓之小國也。魏時曰新羅,宋時曰斯羅,其實一也。或屬韓或屬倭,國王不能自通使聘。
普通二年,其王名募秦,始使隨百濟奉表献方物。
其國有城,號曰健年。其俗與高麗相類。無文字,刻木為範,言語待百濟而後通焉
ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%B7%E8%B2%A2%E5%9B%B3
広開土王碑が正しいとした解釈ですが、広開土王碑が正しいと言える根拠はなんでしょうか。
七支刀を保有する石上神宮は物部氏の氏神ですよね。 七支刀を貰ったのは物部氏ではないですかね?!
其れも未だ畿内を拠点としてはいない物部氏に! 其の後四世紀後半か五世紀前半に、畿内に拠点を移し、
ヤマト王権の中枢勢力になっていったのではないかとも思いますがね。
12:25 任那의 위치는 한반도 서남부가 아니라 현재 한국의 경상남도 서부 지역입니다. 무슨 근거로 임나의 지역을 크게 그리신 것인지??
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
古代の華夏族(漢人)は大和民族と南方に逃げた客家だと思う。山東省付近に住んでいた大和民族が3世紀頃から鮮卑の侵略で日本列島に渡来し、土着の弥生人と混血していき日本人になっていった。
弥生人は紀元前1500年ごろに遼東付近から朝鮮半島南西部に渡来し日本列島にもきた水田稲作農耕民で、恐らく百済人と似たような民族だったと思う。
韓国人は紀元前3500年ごろに遼河流域から半島東部に渡来し、後の新羅を建国した雑穀農耕民族。
なので日本人は基本的に黄河下流から亡命した大和族と百済系の弥生人の混血です。中国にすらない漢委奴国王印がそれを証明する1つであり、新羅を征伐や百済の難民を受け入れたのもそういう要因があります。
東北地方の蝦夷や九州の熊襲とかは縄文系血統で恐らくアイヌ民族やオーストロネシア系の民族だったと思います。
今の中国では愛国教育で中華思想みたいなのを植え付けてるけど、中華思想の北狄と呼ばれた蛮族が現在の華北に住んでる民族で彼らは漢人ではない。
また南方に逃げた華夏族(漢人)は長江の農耕民と混血していった。
結論からいうと百済は日本史であり、現在の韓国人とは関係がなく、高句麗も中国東北部の民族であり韓国史ではない。
百済の前身と言われる「馬韓」は当時54か国の小国の連合国であり、「養蚕」と「穀物(稲?)」による定住生活であったと記されており、「養蚕」による機織り技術は中国でも門外不出のものであった。その起源は「浙江省」。稲といい、養蚕といい長江周辺の文化を持った集団であった。
日本では、京都の現在の亀岡市は「桑田」であり、京都の絹織物の原料を支えていた。ちなみに泰織物ともいい、泰氏のと関係を言われているものである。
七支刀も205年に当時の呉が公孫氏に贈っている。内容は「遼東太守に任ずる」的なもので、同盟を結ぶ手段に用いたものと思われる。これもまた、中国南方の文化の影響を受けているのではないか。
その後の日本と百済の関係から、少なくとも、「北九州」「壱岐」「対馬」半島の「伽耶」は百濟系同盟を結んでいたと思われる。
自説では、ヤマトと「倭」は別物とも捉えられる。朝貢の折「倭」と同じ国かと問われている。
よって、3世紀4世紀に中国や朝鮮半島と関係があったのは主に「倭」であり、そう記されている。
次に、神功皇后、仲哀天皇、景行天皇、ヤマトタケルと南九州の征伐の物語が続いている。
この勢力は「熊国」熊本県「襲国」宮崎県「土蜘蛛」大分県南部であり、何度も反乱を起こしたことになっている。そして、ここには鹿児島県の「隼人国」が入っていない。
神功皇后の三韓征伐の話によると、百濟との同盟というよりも、「百済そのものも征伐した」ことになっている。女性が来たという記録は半島の三国志には記されていない。
それよりも「倭の五王」の話の方が信ぴょう性があると思われる。
270年~371年の約100年間の歴史についての説明がない。全国の前方後円墳の造られた年代を追うと一つの広がりの歴史を追えると思うのだが・・・・。
やはり広開土王碑の記述から
倭、日本が新羅、百済を
制圧していたというのはあり得ない話ということになりますね。
高句麗にとって都合のよい話に仕立てるためだったのですね。
中々いいね~と、遡って拝見させて頂きましたが。
ん、今回は…
近隣諸国条項? 憶測が…ヒドイ
声がとても聞きやすく、楽しく歴史の勉強をさせてもらってます。
一つお願いしたいのですが、冒頭の「コンコン」という音をもう少し小さくして頂けないでしょうか。不満があるとしたらそれくらいで、質の高い、素晴らしいチャンネルだと思います。今後も頑張って下さい。次の動画を楽しみにしております。
伽耶諸国は倭人の国で無ければわざわざ列島から戦争に参加できない。兵站の調達を現地確保できたので度々の戦いが可能だったと考えられる。
論理性がない。
経済の道、略奪と交易、戦闘と貨幣経済、文字の創設から日本人の動きは読めそうだ。
確かに中国の歴史書に載ってるからこの時代に注目しますが、それ以前の方が遥かに長いし謎ですので余り此の時代だけに集中しないで欲しいですね。今は中国人も相当いい加減で無責任で残虐だと分って来てますので、中国の歴史書にも眉唾物と思った方が良いと思いますが、古墳をドンドン作ってたり国際デビューの初の記録でも有りますので研究は必要でしょうが其れ以前の研究が進んで欲しいですね。
神功皇后は、卑弥呼の事績を塗り替えたものと見る。第一、卑弥呼に当たるようになぞらえて書いてある。
解釈が偏っているね中華の歴史が真実であるかのように語り書紀は創作と断じる姿勢はどうなんだw
そもそも中華の漢民族がでてくるは漢という国家ができたことにゆらいするがその実態は
北の異民族である部族の集合体の抗争のくりかえしでしかなかったわけで
だからこそ高句麗も力を盛ってたわけ
疑問点を指摘してもらっているコメントにハート♥️マークを付けない解説を、俄かに信じる事は難しいかな。
記紀もそうですが、古史古伝がありますので、そちらが先でしょう。
邪馬台国から中国に行ってましたが、6.5世期になると直接中国と交易し仏教、茶道、都、律令制でその後の飛鳥、奈良につづく。
朝鮮半島の古墳の存在や様々な史跡、文献から朝鮮半島に倭の支配地域がないと考える方が不自然だろ。
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
非常に勉強になります。ありがとうございます。ただ国家感的見方は少々無理があるような…
百済が強かったのはクンチョゴワンの時だけですね。七支刀が作られたのは369年ですか。クンチョゴワンの息子の世子が作らせたとか。それで、製造年が東晋の年号を使っている。ある学者が言ってましたが、東晋の難民が百済にはたくさんいて、文化的な貢献をしたとか。でも返還要求があり送り返したとかでした。古代には帰化人の影響が大きいですね。いえ、人の影響が大きいと言うべきでしょうね。
クンチョゴワン亡き後は高句麗の広開土王の活躍です。国の強弱は王様次第というところです。
倭軍が高句麗の騎馬兵にやられたとありましたが、さもありなんです。でも局地戦だったと思いますよ。日本国内の対応は緩かったんじゃないですか。その後ずっと後の白村江の戦いの敗北後、太宰府とか西日本各地に皇后石か何かの防衛施設を慌てて作りました。これと比較するとどうなんでしょうか。高句麗軍に敗北しても日本国内は大して騒いでいないなら、やはり局地戦では?
騎馬兵にやられて、その後馬を輸入したんですかね。馬の調教は難しいそうですね。そういえば、九州の郷土史愛好家でしたか、騎馬民族征服説を唱えている人は、もっと前から馬がいたとか、日向が馬の生育に向いているとかからとか言ってましたが、どうも騎馬民族説はムリっぽい感じじゃないでしょうか。確か、500年代に入って朝廷が百済に馬100頭送ったとかあったと思いますが、贈り物にするには100頭が限度だったということでしょう。
いつも見てくださってありがとうございます(^^)
騎馬民族征服説は無理がある。何故なら日本では明治まで去勢をしてなかったから。騎馬民族の基本
大陸と半島の歴史がよろしく解りました。 「倭」との関係について再考します。
ここで高句麗が倭に上陸してきたのかか疑問。
私だけかも知れませんが、たびたびこの動画中断してしまいます。
ONE PIECEの空白の100年みたいですね。
I think that your opinion is delusion. I think that modern Koreans are descendants of Silla, not Goguryeo. It is too ignorant for ordinary Koreans to learn only the history created from a modern perspective in Korea.
まず初めに日本に文字が無かったとする下り。「無かったとされる」のが正しい。私的にはあったと思う。中国から見た東アジア説ですね。一つの説として見ておきます。
素晴らしい教材です。これから拝見していきたいと思っています。ひとつ気になるのが、ご自分でされているナレーション
についてなんですが「言葉を細かく区切りすぎている」のが、少々聞きづらく感じます。言葉を区切るのは文章にした時に
句読点を打つのと同じである必要は全くありませんが、基本的に頻度としては同程度でよいところです。腹式呼吸など研究
されると、息が長くなってもう少し言葉を区切らずにお話になれるかと存じます。0,5秒から1秒以内に区切られている
のが現状のようですが、これだとかなり細かいです。区切る回数としては現状の三分の一から四分の一で十分かと。
大変僭越ながら、内容的には申し分のないものだけに、お伝えさせていただきました。今後も楽しみに致します。
ご指摘ありがとうございます。
以後気をつけたいと思います。
百済と同盟下の「倭国」とは実際は伽耶国(任那)諸国ではなかっただろうか?百済とて海の向こうの海のものとも山のものとも分からない倭国本国なぞ戦争の役には立たない筈だ、だから百済の言う倭国とは隣国伽耶国であったに違いない。韓国側の歴史書は真実でないことが非常に多い、それを信じて当時の朝鮮半島南部情勢を判断してはいけない。大陸からは最遠の半島先端部で活力ある民族集団が存在した事実を考察すべきである。8世紀に編纂された古事記の神功皇后記は誰もが作り話だと思っている、同じように朝鮮の記録も良いように作り替えられている。支那の歴史書のように歴史の資料にはならないが参考として類推の情報に資すべきものだ。
日本書紀に百済官人の使者が大和に来たことが書かれてるから、超巨大前方後円墳なんかを船の上から見て、倭国の国力の高さも見てると思う
世界の民族大移動の時代ですよね。それまで東シナ海を囲む海岸部に広がっていた、倭人=海人、の生存領域にも、大変動が起きたわけですよね。ローマ帝国と漢帝国によって維持されていた世界の秩序は、ズタズタに崩れ、三国志から五胡十六国の時代へ。へ
任那に触れてませんね。広開土王碑に記されている、倭国が百済、新羅を臣民にしたという記述を無視して、「臣民にしていない」という解釈は、左側の方ですかね、何か都合が悪いのですかね?信じられませんよ。
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
ぼくは部員です🤭
時の征服王朝が太古から有った「カタカムナ・オシテ・出雲」文字などを封書したのだろう。
ーー古い神社の周辺には「石や銅板」に書いた「文字が有る」
空白の4世紀は東アジア全体として包括的に語るべきなのか
けっこう勝手な解釈ですね、書いてあるとうりに読んで無いやんけ
自虐史観もほどほどに。
自虐史観なる歴史学は、存在しない。歴史は事実をありのままに直視して向き合う学門です。自国にとって不都合な事実を自虐と言って拒絶するなら、歴史学は成立しません、。
倭王旨は、武内宿禰ですよ。
万葉集にある水沼に皇都を置く
現在の久留米市三瀦。近くに
高良大社の玉垂命「武内宿禰」
倭の五王の祖であります。
七支刀は、最初は高良大社→
倭済「物部=阿毎」から
物部磯上神社→奈良の石上神宮
に渡っています。装飾古墳の分布
を詳しく調べると倭の五王動きが
分かりますよ。
この21世紀にあってもかの国には千に一つも真がない。何故に1700年前に書かれたかの国の書を信じる事が出来ようか!
わるいけど、全部仮説じゃん。ね、七支刀の所も、諸説ある。日本書紀の記述を切り捨てる根拠に欠けるよね。言い切るのはまずいと思うよ。
国境を接しない高句麗と頻繁に戦争していたということは、当然その足場となる新羅・百済の地は服属させていたということだ。でなければ高句麗まで軍が行けないわけで、増して戦う必要もない。弱小国が一方の臣下となりながら生き延びるため他方へも同時に人質を送ることはいくらでもあることだ、増して半島人ならば。
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
日本に文字がなかった?
漢字は伝わっていますよ、書物が残っていないだけ、卑弥呼の20年前から中国に使者を送っています、中国に使者を送っていた事は文字も使っていたのは当然ですよ
解説しているひとは、韓国よりでは?
How could the Chinese have a long history they claim to be 4,000 years old and have a large territory? The reason is as follows . First, a small number of Chinese immigrants immigrate. They are culturally separated from the country while creating Chinatown. Second, it encourages continuous immigration to the country. At the same time, historically, it is argued that the country and China are blood related. This is the process experienced by immigrant countries that have already emerged in China. Third, in the early days, the claim that the country and China were blood related was ignored. However, due to continuous immigration, Chinese immigrants become a major group in the country and receive gaslighting from Chinese immigrants for more than 1,000 years. Now the country truly believes that it is blood-related to China. The Manchurians have experienced this history. The Qing Dynasty believes that they are descendants of Yue Fei (岳飛), the Song Dynasty of China.
And now all Northeast Asian countries are experiencing these problems.
Both Korea and Japan are experiencing this situation. And Chinese immigrants continuously acting in Southeast Asia. Through this, you can see how Chinese immigrants will behave in Southeast Asia in the future.
So, what will finally look like in a country where Chinese terraforming has been completed?
Look at the events in Xinjiang Uighur and Tibet. And look at those who claim that they are 56 ethnic groups inside China. Real minor ethnic will be extinct and Chinese people who claim to be minor ethnic will sell tourism products. And real minor ethnic descendants will suffer from forced labor, sell organs, and infertility surgery.
I hope the Chinese want to be Chinese and the Japanese want to be Japanese, Koreans want to be Koreans themselves. In fact, those who claim that Koreans are northern people are not real Koreans. Those who are presumed as Korean nationalists are actually descendants of Chinese immigrants who migrated to Korea in the past. In fact, Koreans originally have only a small connection with Gojoseon, not a big connection with Gojoseon. Nevertheless, due to the continued influence of China, modern Koreans prefer Gojoseon. As can be seen from the distribution of surnames and genes, almost half of Koreans are already become Chinese. Why do Koreans ignore Southeast Asians? Why do Koreans cause historical disputes with the Japanese? Why did Japan invest in Korea, and then Korea actively invested the money in China? In fact, the Joseon Dynasty was almost being integrated into China. In addition, in the history book, it is recorded that the Joseon royal family was migrated from the Tang Dynasty of China. This is why Korea prefer on neutrality between the United States and China. In fact, the expression that Korea cannot attack China is correct. I'm angry at this process of history, and I'm angry at China trying to apply it also to Japan. And I wrote this article because I do not doubt that the world to which China's dream was applied is dystopia.
Koreans are welcome to all foreigners and dislike racism. However, only Chinese are excluded. As shown in genetic analysis results and historical records, about half of Koreans are already originated from China, and the more Chinese immigrants in Korea, the more Confucian the country has changed. During the Joseon Dynasty, about 40% of people lived as slaves. They used their own ethnic(they claimed) as slaves for a reason. As the number of Chinese immigrants increased, many countries in East Asia were absorbed by China. Likewise, as time goes by, the country becomes friendly to China and slowly falls. Chinese immigrants who have already immigrated in the history cannot be avoided, but Chinese immigrants should no longer immigrate to Korea. Korea is not racist country. However, as long as the Chinese use historical propaganda, population, and Chinatown as weapons, country have no choice but to dislike the China.
韓国人です。日本人は何か大きく勘違いしているようだ。 今、韓国人は中国と中国人を韓国の最大の主敵と考えており、日本人が想像する以上に敵意心と憎悪心を持っていることを知らなければならない。 特に、韓国の若い世代は古代から中国に受けた被害に対する敵意が大きい。 甚だしくは中国人に対する暴行も最近発生している。 日本人は韓国に対するアップデートが遅れたようだ。w
なお、韓国人のDNAの中で日系は20~25%であり、中国系は15~20%と推定されている。 韓国の姓氏は中国から来たと勘違いしているが、一部の韓国の姓氏は権威を認められるために捏造された中国系姓氏と偽造するケースが多かった。 そのため、韓国の苗字の多くが中国に由来しているということは事実ではありません。
武田騎馬軍 VS 徳川歩兵軍 ですか これなら負けた訳が解ります
高句麗と南韓諸国との関係は、現代のプーチンロシアとウクライナなどの周辺諸国との関係をも思わせますね。
強国が侵略の口実を作ろうとするのは古今東西を問わないのだなとつくづく感じます。
にしても兵器で劣っているはずの倭国が大陸諸国と戦争していたのは、倭国もそこそこ戦闘能力があったのですね。
何かそのあたりに関する確かな証拠でも発見されないものですかね。
4世纪时候中国一直忙着内战。。。而且当时内政也非常乱,属于大家族共治的阶段。。未来如果挖到了当时的士族墓讲不定能找到些交流的史料。另外高句丽的存在感太强了,建立高句丽的扶余人真就安稳成长了几百年。。有了稳定的政权结构,思想,文字,并且疆土也不断扩大。。隋和唐如果不是拼尽全力灭种,未来必成大患。。这时候不得不说,明朝太菜了,怎么就没把女真灭了。。
石碑がフィクション?
4世紀だけではなくて、空白と言うのは中国の史書に記載が無いだけであって、600年以前の日本史が全て空白です。それよりは日本書紀の嘘だらけを検証するのが大事ですね
中国で書かれたものに、日本のことを良く書くとは思えないが?
日本書紀、古事記より中国の物を優先するのは可笑しいのでわ?
国名ですらわざと賤しい字を当てられている
いくら朝鮮が日本の臣下だったことが悔しくて認めたくないからといって、碑文を勝手に捻じ曲げてしまうのはいただけない。
まるで岸田総理の様に「切って」話されるのですね
覇権」です。
強引な決めつけがところどころ見られる残念なチャンネル
宋が倭に朝鮮半島南部の領有を百済以外は認めていた事にも敢えて触れていない
検証を装いながら、結論ありきの物語を語っているという印象
昔の朝鮮語でしか読めないんでしょ。読める人は朝鮮にいなかったとか。古すぎて。
過ぎたことで思い悩むのはもうよそう。
誰にもわからない。
参考にならなかった。
推測が多過ぎる、偏重してますね。
慕容仁は不用心だなぁ。
訥々と妄想を語る異常な歴史観には、あきれるしかない。
同感、自分に都合のいい史料は事実で都合の悪い史料は捏造と断じる年は若いが古いタイプのパヨ学者。
七枝刀は救いの神、イエス キリストの民族のメノーラーと似ていると思います。
イスラエルの一部が新羅、百済などを通して日本に着きました気がするんです。
カタカナ、君が代もヘブライ語と似ているし。