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あまり知られてないですが、画期的な列車ですね
寝台急行に使う列車名がこのあたりで尽きた感がある。
ヒトデなんて持ち出した時点で深刻さを物語るんだよな
まだアンドロメダ号がある。片道だが
ちなみに、海星と明星は同じ星を指してるんです。ついでに言うと金星の別名でもあります。さらに言うと学校名で海星とか明星とか明の星とかいろいろありますが、金星が航海や旅人の守り神だったりするのが理由で列車名にもふさわしいかと。
@@NaruoKusugawa長崎と三重に海星高校がありますね。甲子園出た時は区別する為か学校名を言う時は「三重海星高校」と言ったりします。
@@587qfpcb さま長崎海星と三重海星は甲子園で対戦してましたね.
05:44 この部分だけ少々間違っております急行「海星」に連結していた一等寝台車はマロネ40とマロネ41型マロネ41型は一等寝台Bですべてが開放寝台でオロネ10とほとんど同じ内装しかし、マロネ40型は「1両丸々個室ではない」のです1両の半分は開放寝台で、半分(3部屋)が2人用個室で一等寝台Aと言われる車両でした手元に昭和39年4月の時刻表があり、其処に寝台車案内が掲載されているので添付してお見せしたいくらいですしかし、この個室は個室なんだけど扱いは個室じゃなく、見ず知らずの方と同じ部屋になる事も有ります以前一等寝台C扱いでスロネ30型という車両が有り、この車両は二段ベットが2つ向かい合わせになり4人部屋でコンパートメントになった車両が有りましたが、この車両同様に現在のツインやデュエットの様な部屋単位での販売は行っていなかったのです上記に記載した寝台車案内を見ると、あさかぜに連結していたナロネ20型を見ると、1人用個室は「個室」明記が有ったものの二人用個室は「個室」明記されておらず、一等寝台A扱いでしたこの、相部屋状態はナロネ20が運用を外れるまで続き、「ゆうづる」に二人用A寝台個室が連結されるときに部屋単位での販売になりました
この区間、後の快速ムーンライト九州が9時間くらいなのが時代を感じる…
月光号は一旦廃止になった後で英名化、ムーンライト号に生まれ変わり日本中の夜を彩ったとさ🌛
「海星」って全然知りませんでした😮現代でも、新幹線の最終乗り遅れ客の救済列車みたいにして欲しいな(笑)
海星高校のイメージで長崎行きかと思ったわ。
2等寝台車の一部はスハネ30だったようです。戦前の3等寝台車→運行停止による3等座席車→寝台車に再改造したものでした。連結されていた10系寝台車共々冷房はなかったものの横になって休める空間は貴重だったものと思います。
戦後のスハネ30は、10系寝台車製造が間に合わないところを新設が相次いだ夜行急行列車用に振り向けるために、戦時座席車(オハ34)に改装されていたものをスハネ30に復旧したものですが、10系寝台車の代打なので設備的には10系と同じ接客設備を装備していたらしいですよ。冷改が出来ず10系が揃った頃に退役したみたいですが😢
「戦前製」と言っても実際海星に使われたスハネ30は戦後に改造(戦時中オハ34に改造)で内装はナハネ11やナハネ20と変わらなかった、でもすぐに冷房改造されて間もないスハネ16&オハネフ12に置き換えられたと・・・ちなみにその10系寝台車は海星の月光への格上げ後に急行瀬戸の増発便に転用されました。
急行ヒトデ...明星、北星などの○星シリーズは知ってたけどこれは知らなかった
そんな野心的な急行も存在していたことを記憶に留めたいと思う。
@@アリゾノヒロシ 野心ってより月光型ができるまでの中継ぎかと思う
名列車「月光」の影に隠れてしまっていたけどそもそも急行「海星」がその基盤を作って実績を上げていたからこその「月光」誕生だったのですねもっと深掘りしたくなりました。ありがとうございます✨✨☺️
一旦士月光になったがヨンサントウダイヤ改正で寝台急行つくし3号として復活している。
福岡出身関東在住ですが、できれば新幹線のほうがいいです。移動も遅延も非常に少ないですし、快適に寝て起きたら到着しているし。起きっぱなしでも、車窓を眺めるのが楽しいですし、乗り継ぎなどを挟んでも楽しいです。
唐九の移動間は寝台特急 激突王を使ってました!!!!!
海星………何故か、一発ではないが…候補にあって変換されたのが、驚きです……海星号なきあとも、不定期で走ったムーンライト九州号、懐かしいなぁ………ガチであの頃に戻りたいです😢
この列車寝台急行海星は寝台急行ひのくにの博多回転車で誕生した経緯があります。1等寝台車にはマロネ40型とマロネ41型があり、マロネ40型は二人用個室と開放2段寝台の組み合わせで、寝台急行銀河上下1号にヨンゴウトウダイヤ改正まで使用されていた。
フランスの場合、高速鉄道がある区間への航空便運行hし禁止されており、むしろ高速鉄道利用を航空会社が推奨している。実際TGVの一部はエールフランスと、タリスの一部はKLM及びエールフランスとコードシュアしていてKLMやエールフランスの便名もある。ドイツもICEの一部がルフトハンザ便のコードを持っている。昔はルフトハンザ航空便が鉄道線路を使ったり、KLMの社長がオランダ国鉄総裁も兼ねていた(TEEの食事サービスはKLMで行われていたサービスを応用したもの)りもしたからね。
上りのダイヤいいね!今でも普通にこんな電車欲しい!12号全て寝台という事は、食堂車はなかったのね。「月光」て知名度は高いけど、案外情報少ないよね。
月光という愛称は昭和40年10月ダイヤ改正で東京・大阪間の寝台急行が廃止になり、昭和42年10月ダイヤ改正で世界初の寝台電車特急として昼行特急みどりの新大阪・大分間度ともに南福岡電車区に配置された581系電車で新大阪・博多間を結んだ。最初は1等車(現グリーン車)は連結されておらず昼行みどりで不評だったので583系とともにサロ581型を新製投入された。このときに月光は季節列車が1往復加わり、ヨンナナサンダイヤ改正で岡山発着の西鹿児島(現鹿児島中央駅)と新の・岡山間を廃止された博多までの季節列車が運行されたがこの季節列車はヨンハチトウダイヤ改正で定義になった。そうしてゴウマルサンダイヤ改正で廃止された。なお昭和45年,10月にはクハネ583型が誕生していて、青森運転所に配置されクハネ581型は南福岡電車区へ転属になった。後に南福岡電車区にもクハネ583型が配置されるが少数だった。なお583系最終増備はヨンナナサンダイヤ改正のときでこれ以降増備されていない。ちなみに大阪万博の頃までに食堂車は営業休止になっている。長文失礼しました。
583系ではなくて581系です。583系は翌年よんダイヤ改正で3電源対応で誕生している。月光が岡山発揮になったのは新幹線博多延伸時には夜行新幹線が計画されていて月光の愛称がその夜行新幹線に使用予定だったようだ。それと新大阪発着の月光はヨンナナサンダイヤ改正で明星に統合されただけで筋は残った。ただし季節列車の月光は新大阪・岡山間が廃止されている。
6:17 一応投稿者は583系列と言っていて583系とは断言していないんだな。投稿者は581系である事はわかっていそうなんだけど、何故583系列としたのかは謎である。
@@ぶじん-v2w 対応している交流電源周波数が違うだけで、見た目や内装は同じだからでしょう。
@@山形祐介-e5l 581系は運転室後方に大きな機械室がある。583系にはなく、その分寝台の数が増えている。
車両が古くても一晩座ったままよりはマシ、というか寝られればOKという感じだったかも。3:04 後に北九州線に転用される561形578。6:02 そのほぼ1年前は151系+サヤ420形の運用が終了した。6:45 下段は幅だけは広かったけどね。
そういう名前の高校も長崎にあるなあ。新大阪乗り継ぎ時代が国鉄の黄金期だったのかな。その後は並行在来線が赤字に以下略。
海星号は知らなかった。なんせ東海道新幹線が開通するまでの在来線特急は有名な「こだま」「はと」「月光」など除いて知名度ないからマイナー列車は記憶になかったから知れて良かった。
夜行急行で全車寝台車でA寝台が2両でその内1両が個室とはのちの581系特急月光よりも豪華ですね。当時の583系列でA寝台がなかったのは昼夜兼行という特性の為技術上の問題から実現しなかったがのちにきたぐにでサハネ581を2段化することでA寝台が実現した。
はやとも号は1959年~1960年の年末年始の臨時急行列車(3042・3043列車)として登場しました。当時の時刻表では、東京2300→翌日の博多2133・博多727→東京翌日の615でした。1960年の夏季シーズンには、東京~岡山で宇野駅発着の臨時急行第二瀬戸号を併結するようになりました。その後しばらくは大きな変化はなく、1960年~1961年の年末年始や1961年の夏季シーズンにも設定されましたが、1961年~1962年の年末年始では、運行区間が東京~下関(もしくは広島)に短縮された上で、愛称がはやとも号から関門号に変更されました。また当時の時刻表では、東京2237→下関翌日の2045・下関840→東京翌日の626でした。また東京~岡山では第二瀬戸号を引き続き併結しました。一方はやとも号は動画内の列車に加えて、名古屋(もしくは熱田発)~博多の第二はやとも号(3603・3604列車)と大阪→門司の第三はやとも号(3207列車)でも使用されました。※大阪方面の第三はやとも号は、下関→大阪の臨時準急厳流号(3304列車)が担ったと思われます。また当時の時刻表では、熱田2342→名古屋2349・2354→博多翌日の1615・博多1235→名古屋翌日の602と大阪2325→門司翌日の1114・下関1720→大阪翌日の510でした。その後1962年~1963年の年末年始(この時には熱田駅発の第二はやとも号がなくなり、すべて名古屋発着に統一されました。)にも設定されましたが、これ以降第二はやとも号・第三はやとも号の設定はなくなってしまいました。1963年~1964年の年末年始の時刻表から推測するに、名古屋駅発着の二はやとも号は臨時急行第二西海号(名古屋行きのみ鳥栖→名古屋で臨時急行第二さつま号を併結しました。)に、大阪発の第三はやとも号は準急厳流号にそれぞれ変更されたのだと思います。
そして[はやとも]の愛称は475系による九州~山陽西部(広島~博多間)の急行に受け継がれ50-3で引退。
ひとで呼びしている人が多いけどクリスチャンにとって「海の星」は聖母マリアの異称なんだよね。航海中の船を港に導く北極星を船旅を見守る聖母になぞらえたんだとか。
そういえば高校野球にも出場した長崎の海星高校もフランスの宣教師が創立したカトリック校なので校名の由来もそれなのですね
マロネ40(3等級制時代のマイネ40)だと2人用区分室コンパートメント寝台室があった筈。車軸式発電装置と冷房装置も設置されていた筈なので、開放型のプルマン式寝台席も含めて、そんなに悪くはない列車だったと愚考します。もっとも2等寝台車や座席車はそれなりに古さは否めず、食堂車連結が無かったのは当時の長距離運転普通急行のサービスとしては陳腐化していたのでしょう。なお細かい話ですが画像12の博多駅前の風景。現在の博多区役所周辺に存在した1963年移転前の旧博多駅だと思われるので、1965年66年運転の普通急行海星号の説明には不適切かと愚考します。
一瞬、新潟を走る「海里」かと思った。
そりゃヒトデ号じゃなあ
当時の客車けん引で大阪-三宮33分って早いな!!
路盤が固まってないのは東北新幹線や上越新幹線もそうだった
東北、上越はスラブだから関係ない気もします.
ひかり号と海星号の乗り継ぎだったら所要時間が1時間程度しか違わなくて乗り換え無しで行けたあさかぜ号のほうがいいと思いました。
@@坂田智彦 あさかぜは人気列車だったゆえ、なかなかチケット取れなかったようなので、その救済かと思われます
せめて20系くらい使えなかったのか😂
この頃は特急用と急行用で明確な区別がありました。それに20系は新設のあかつき号でさらに九州でも奥の方に向かうために作られた列車に起用。大阪~福岡は昼間は特急でも夜行は急行でと考えていたのでしょう。この列車の利用が好調だったこと、さらには車両が古かったことから世界初の寝台電車の登場と相成ったものと考えます。
飛行機一択...新幹線で帰ってますが何か?(名古屋↔鹿児島間ですがwww)
いつか東京から長崎を新幹線だけで行けるようになってほしいですね。
自分も博多に旅行するときは新幹線一択です。
岡山駅にあんな駅舎あったっけ?
東京~博多間を[あさかぜ]などのブルトレで直通するより遅く出て早く着ける(特に下り)のはメリットが大きかったことだろうね。ただ、乗り換えを厭う人には直通列車の方が良かっただろう。東京発着のブルトレ群が1964/昭和39年時点では削減どころか更なる増発もあったほどだから(^^);新幹線接続を意識した列車と言えば[あかつき]もその一つ。新大阪~西鹿児島で登場。後に長崎行きも登場。そして鹿児島・長崎・佐世保線系統の客レは[あかつき]、583系が[月光][金星][明星]、日豊本線系統の客レが[彗星]、583系が[きりしま]となったけれど、50-3で車種別ではなく系統別に愛称が整理され、鹿児島本線系統が客レ・583系関わらず[明星]、日豊本線系も[彗星]、長崎・佐世保線系統が[あかつき]に整理された。尚その時本来なら[月光]・[金星]共々[明星]に集約されるべき[なは]が単独愛称で残ったが、これは同改正で廃止された昼行特急[なは]がその愛称の由来が沖縄県那覇市に因んでいてその存続を希望されたため明星系統の中に[なは]が制定された。晩年敢えて583系から24系へと、電車から客車に変わった稀有な列車だった(他には[はくつる]が20系→583系→24系25型の変遷を経ている)。50-3以前の夜の山陽本線はブルトレ群や583系夜行は元よりその合間に多種多様な客車を連ねた夜行急行が雁行していて更には貨物列車も多数走っていてひっきりなしに列車が走っていたという印象だった。また50-3以降もしばらくはブルトレ群が多少数は減らすも存続し深夜未明にはカニ車の発電Engineが奏でる低周波振動が踏切警報機が鳴る前から響いてきて寝ていてもそれと分かったものだった(^^);(田舎の安普請のあばら家故に僅かな振動も感知してしまうのだった)
大阪までリニア新幹線が開業する?頃には、自分は生きてないと思う
新幹線ですよ
北星や新星は知ってるが海星は知らない
新幹線って5年で作ったの?!
かいせい号なの?うみほし号どっちなの?
東京ー鹿児島中央間に夜行新幹線を運転したら人気爆発は間違いないと思うが
保守の時間は??
@@y--sizukiさん深夜は大きい駅に停車させて運行する方法があります。また新幹線の車両なら座席車でも夜行で使用は可能。但し夜行専用車両だと昼間が問題になる。
大きい駅に午前0~6時まで運転停車するなら九州新幹線が8両ですので、東京↔博多間がいいかもしれません。最終や朝イチのぞみ(みずほ)とのダイヤ上の両立も必要になりますね
間違いとは言えないが「転移」ってのは主に癌が他の部位に移って増殖する時に使う言葉なのでこの場合は「移行」という言葉を使った方がいい。癌と宣告された身としては甚だ不快である。
養生なさって下さい...
@ ありがとうございます😭おかげさまでまだしばらくは生きられそう。頑張る💪
あまり知られてないですが、画期的な列車ですね
寝台急行に使う列車名がこのあたりで尽きた感がある。
ヒトデなんて持ち出した時点で深刻さを物語るんだよな
まだアンドロメダ号がある。
片道だが
ちなみに、海星と明星は同じ星を指してるんです。
ついでに言うと金星の別名でもあります。
さらに言うと学校名で海星とか明星とか明の星とかいろいろありますが、
金星が航海や旅人の守り神だったりするのが理由で列車名にもふさわしいかと。
@@NaruoKusugawa
長崎と三重に海星高校がありますね。甲子園出た時は区別する為か
学校名を言う時は「三重海星高校」と言ったりします。
@@587qfpcb さま
長崎海星と三重海星は甲子園で対戦してましたね.
05:44 この部分だけ少々間違っております
急行「海星」に連結していた一等寝台車はマロネ40とマロネ41型
マロネ41型は一等寝台Bですべてが開放寝台でオロネ10とほとんど同じ内装
しかし、マロネ40型は「1両丸々個室ではない」のです
1両の半分は開放寝台で、半分(3部屋)が2人用個室で一等寝台Aと言われる車両でした
手元に昭和39年4月の時刻表があり、其処に寝台車案内が掲載されているので添付してお見せしたいくらいです
しかし、この個室は個室なんだけど扱いは個室じゃなく、見ず知らずの方と同じ部屋になる事も有ります
以前一等寝台C扱いでスロネ30型という車両が有り、この車両は二段ベットが2つ向かい合わせになり4人部屋でコンパートメントになった車両が有りましたが、この車両同様に現在のツインやデュエットの様な部屋単位での販売は行っていなかったのです
上記に記載した寝台車案内を見ると、あさかぜに連結していたナロネ20型を見ると、1人用個室は「個室」明記が有ったものの二人用個室は「個室」明記されておらず、一等寝台A扱いでした
この、相部屋状態はナロネ20が運用を外れるまで続き、「ゆうづる」に二人用A寝台個室が連結されるときに部屋単位での販売になりました
この区間、後の快速ムーンライト九州が9時間くらいなのが時代を感じる…
月光号は一旦廃止になった後で英名化、ムーンライト号に生まれ変わり日本中の夜を彩ったとさ🌛
「海星」って全然知りませんでした😮
現代でも、新幹線の最終乗り遅れ客の救済列車みたいにして欲しいな(笑)
海星高校のイメージで長崎行きかと思ったわ。
2等寝台車の一部はスハネ30だったようです。
戦前の3等寝台車→運行停止による3等座席車→寝台車に再改造したものでした。
連結されていた10系寝台車共々冷房はなかったものの横になって休める空間は貴重だったものと思います。
戦後のスハネ30は、10系寝台車製造が間に合わないところを新設が相次いだ夜行急行列車用に振り向けるために、戦時座席車(オハ34)に改装されていたものをスハネ30に復旧したものですが、10系寝台車の代打なので設備的には10系と同じ接客設備を装備していたらしいですよ。冷改が出来ず10系が揃った頃に退役したみたいですが😢
「戦前製」と言っても実際海星に使われたスハネ30は戦後に改造(戦時中オハ34に改造)で内装はナハネ11やナハネ20と変わらなかった、でもすぐに冷房改造されて間もないスハネ16&オハネフ12に置き換えられたと・・・ちなみにその10系寝台車は海星の月光への格上げ後に急行瀬戸の増発便に転用されました。
急行ヒトデ...
明星、北星などの○星シリーズは知ってたけどこれは知らなかった
そんな野心的な急行も存在していたことを記憶に留めたいと思う。
@@アリゾノヒロシ
野心ってより月光型ができるまでの中継ぎかと思う
名列車「月光」の影に隠れて
しまっていたけど
そもそも急行「海星」が
その基盤を作って
実績を上げていたから
こその「月光」誕生だったのですね
もっと深掘りしたくなりました。
ありがとうございます✨✨☺️
一旦士月光になったがヨンサントウダイヤ改正で寝台急行つくし3号として復活している。
福岡出身関東在住ですが、できれば新幹線のほうがいいです。
移動も遅延も非常に少ないですし、快適に寝て起きたら到着しているし。
起きっぱなしでも、車窓を眺めるのが楽しいですし、乗り継ぎなどを挟んでも楽しいです。
唐九の移動間は寝台特急 激突王を使ってました!!!!!
海星………何故か、一発ではないが…候補にあって変換されたのが、驚きです……
海星号なきあとも、
不定期で走ったムーンライト九州号、懐かしいなぁ………
ガチであの頃に戻りたいです😢
この列車寝台急行海星は寝台急行ひのくにの博多回転車で誕生した経緯があります。1等寝台車にはマロネ40型とマロネ41型があり、マロネ40型は二人用個室と開放2段寝台の組み合わせで、寝台急行銀河上下1号にヨンゴウトウダイヤ改正まで使用されていた。
フランスの場合、高速鉄道がある区間への航空便運行hし禁止されており、むしろ高速鉄道利用を航空会社が推奨している。
実際TGVの一部はエールフランスと、タリスの一部はKLM及びエールフランスとコードシュアしていてKLMやエールフランスの便名もある。
ドイツもICEの一部がルフトハンザ便のコードを持っている。
昔はルフトハンザ航空便が鉄道線路を使ったり、KLMの社長がオランダ国鉄総裁も兼ねていた(TEEの食事サービスはKLMで行われていたサービスを応用したもの)りもしたからね。
上りのダイヤいいね!今でも普通にこんな電車欲しい!
12号全て寝台という事は、食堂車はなかったのね。
「月光」て知名度は高いけど、案外情報少ないよね。
月光という愛称は昭和40年10月ダイヤ改正で東京・大阪間の寝台急行が廃止になり、昭和42年10月ダイヤ改正で世界初の寝台電車特急として昼行特急みどりの新大阪・大分間度ともに南福岡電車区に配置された581系電車で新大阪・博多間を結んだ。最初は1等車(現グリーン車)は連結されておらず昼行みどりで不評だったので583系とともにサロ581型を新製投入された。このときに月光は季節列車が1往復加わり、ヨンナナサンダイヤ改正で岡山発着の西鹿児島(現鹿児島中央駅)と新の・岡山間を廃止された博多までの季節列車が運行されたがこの季節列車はヨンハチトウダイヤ改正で定義になった。そうしてゴウマルサンダイヤ改正で廃止された。なお昭和45年,10月にはクハネ583型が誕生していて、青森運転所に配置されクハネ581型は南福岡電車区へ転属になった。後に南福岡電車区にもクハネ583型が配置されるが少数だった。なお583系最終増備はヨンナナサンダイヤ改正のときでこれ以降増備されていない。ちなみに大阪万博の頃までに食堂車は営業休止になっている。長文失礼しました。
583系ではなくて581系です。583系は翌年よんダイヤ改正で3電源対応で誕生している。月光が岡山発揮になったのは新幹線博多延伸時には夜行新幹線が計画されていて月光の愛称がその夜行新幹線に使用予定だったようだ。それと新大阪発着の月光はヨンナナサンダイヤ改正で明星に統合されただけで筋は残った。ただし季節列車の月光は新大阪・岡山間が廃止されている。
6:17
一応投稿者は583系列と言っていて583系とは断言していないんだな。
投稿者は581系である事はわかっていそうなんだけど、何故583系列としたのかは謎である。
@@ぶじん-v2w 対応している交流電源周波数が違うだけで、見た目や内装は同じだからでしょう。
@@山形祐介-e5l 581系は運転室後方に大きな機械室がある。583系にはなく、その分寝台の数が増えている。
車両が古くても一晩座ったままよりはマシ、というか寝られればOKという感じだったかも。
3:04 後に北九州線に転用される561形578。
6:02 そのほぼ1年前は151系+サヤ420形の運用が終了した。
6:45 下段は幅だけは広かったけどね。
そういう名前の高校も長崎にあるなあ。
新大阪乗り継ぎ時代が国鉄の黄金期だったのかな。
その後は並行在来線が赤字に以下略。
海星号は知らなかった。なんせ東海道新幹線が開通するまでの在来線特急は有名な「こだま」「はと」「月光」など除いて知名度ないからマイナー列車は記憶になかったから知れて良かった。
夜行急行で全車寝台車でA寝台が2両でその内1両が個室とはのちの581系特急月光よりも豪華ですね。当時の583系列でA寝台がなかったのは昼夜兼行という特性の為技術上の問題から実現しなかったがのちにきたぐにでサハネ581を2段化することでA寝台が実現した。
はやとも号は1959年~1960年の年末年始の臨時急行列車(3042・3043列車)として登場しました。当時の時刻表では、東京2300→翌日の博多2133・博多727→東京翌日の615でした。1960年の夏季シーズンには、東京~岡山で宇野駅発着の臨時急行第二瀬戸号を併結するようになりました。その後しばらくは大きな変化はなく、1960年~1961年の年末年始や1961年の夏季シーズンにも設定されましたが、1961年~1962年の年末年始では、運行区間が東京~下関(もしくは広島)に短縮された上で、愛称がはやとも号から関門号に変更されました。また当時の時刻表では、東京2237→下関翌日の2045・下関840→東京翌日の626でした。また東京~岡山では第二瀬戸号を引き続き併結しました。一方はやとも号は動画内の列車に加えて、名古屋(もしくは熱田発)~博多の第二はやとも号(3603・3604列車)と大阪→門司の第三はやとも号(3207列車)でも使用されました。※大阪方面の第三はやとも号は、下関→大阪の臨時準急厳流号(3304列車)が担ったと思われます。また当時の時刻表では、熱田2342→名古屋2349・2354→博多翌日の1615・博多1235→名古屋翌日の602と大阪2325→門司翌日の1114・下関1720→大阪翌日の510でした。その後1962年~1963年の年末年始(この時には熱田駅発の第二はやとも号がなくなり、すべて名古屋発着に統一されました。)にも設定されましたが、これ以降第二はやとも号・第三はやとも号の設定はなくなってしまいました。1963年~1964年の年末年始の時刻表から推測するに、名古屋駅発着の二はやとも号は臨時急行第二西海号(名古屋行きのみ鳥栖→名古屋で臨時急行第二さつま号を併結しました。)に、大阪発の第三はやとも号は準急厳流号にそれぞれ変更されたのだと思います。
そして[はやとも]の愛称は475系による九州~山陽西部(広島~博多間)の急行に受け継がれ50-3で引退。
ひとで呼びしている人が多いけど
クリスチャンにとって「海の星」は聖母マリアの異称なんだよね。
航海中の船を港に導く北極星を船旅を見守る聖母になぞらえたんだとか。
そういえば高校野球にも出場した長崎の海星高校もフランスの宣教師が創立したカトリック校なので校名の由来もそれなのですね
マロネ40(3等級制時代のマイネ40)だと2人用区分室コンパートメント寝台室があった筈。車軸式発電装置と冷房装置も設置されていた筈なので、開放型のプルマン式寝台席も含めて、そんなに悪くはない列車だったと愚考します。もっとも2等寝台車や座席車はそれなりに古さは否めず、食堂車連結が無かったのは当時の長距離運転普通急行のサービスとしては陳腐化していたのでしょう。
なお細かい話ですが画像12の博多駅前の風景。現在の博多区役所周辺に存在した1963年移転前の旧博多駅だと思われるので、1965年66年運転の普通急行海星号の説明には不適切かと愚考します。
一瞬、新潟を走る「海里」かと思った。
そりゃヒトデ号じゃなあ
当時の客車けん引で大阪-三宮33分って早いな!!
路盤が固まってないのは東北新幹線や上越新幹線もそうだった
東北、上越はスラブだから関係ない気もします.
ひかり号と海星号の乗り継ぎだったら所要時間が1時間程度しか違わなくて乗り換え無しで行けたあさかぜ号のほうがいいと思いました。
@@坂田智彦
あさかぜは人気列車だったゆえ、なかなかチケット取れなかったようなので、
その救済かと思われます
せめて20系くらい使えなかったのか😂
この頃は特急用と急行用で明確な区別がありました。
それに20系は新設のあかつき号でさらに九州でも奥の方に向かうために作られた列車に起用。大阪~福岡は昼間は特急でも夜行は急行でと考えていたのでしょう。
この列車の利用が好調だったこと、さらには車両が古かったことから世界初の寝台電車の登場と相成ったものと考えます。
飛行機一択...新幹線で帰ってますが
何か?(名古屋↔鹿児島間ですがwww)
いつか東京から長崎を新幹線だけで行けるようになってほしいですね。
自分も博多に旅行するときは新幹線一択です。
岡山駅にあんな駅舎あったっけ?
東京~博多間を[あさかぜ]などのブルトレで直通するより遅く出て早く着ける(特に下り)のはメリットが大きかったことだろうね。ただ、乗り換えを厭う人には直通列車の方が良かっただろう。東京発着のブルトレ群が1964/昭和39年時点では削減どころか更なる増発もあったほどだから(^^);
新幹線接続を意識した列車と言えば[あかつき]もその一つ。新大阪~西鹿児島で登場。後に長崎行きも登場。そして鹿児島・長崎・佐世保線系統の客レは[あかつき]、583系が[月光][金星][明星]、日豊本線系統の客レが[彗星]、583系が[きりしま]となったけれど、50-3で車種別ではなく系統別に愛称が整理され、鹿児島本線系統が客レ・583系関わらず[明星]、日豊本線系も[彗星]、長崎・佐世保線系統が[あかつき]に整理された。尚その時本来なら[月光]・[金星]共々[明星]に集約されるべき[なは]が単独愛称で残ったが、これは同改正で廃止された昼行特急[なは]がその愛称の由来が沖縄県那覇市に因んでいてその存続を希望されたため明星系統の中に[なは]が制定された。晩年敢えて583系から24系へと、電車から客車に変わった稀有な列車だった(他には[はくつる]が20系→583系→24系25型の変遷を経ている)。
50-3以前の夜の山陽本線はブルトレ群や583系夜行は元よりその合間に多種多様な客車を連ねた夜行急行が雁行していて更には貨物列車も多数走っていてひっきりなしに列車が走っていたという印象だった。また50-3以降もしばらくはブルトレ群が多少数は減らすも存続し深夜未明にはカニ車の発電Engineが奏でる低周波振動が踏切警報機が鳴る前から響いてきて寝ていてもそれと分かったものだった(^^);
(田舎の安普請のあばら家故に僅かな振動も感知してしまうのだった)
大阪までリニア新幹線が開業する?頃には、自分は生きてないと思う
新幹線ですよ
北星や新星は知ってるが海星は知らない
新幹線って5年で作ったの?!
かいせい号なの?
うみほし号どっちなの?
東京ー鹿児島中央間に夜行新幹線を運転したら人気爆発は間違いないと思うが
保守の時間は??
@@y--sizukiさん
深夜は大きい駅に停車させて運行する方法があります。
また新幹線の車両なら座席車でも夜行で使用は可能。
但し夜行専用車両だと昼間が問題になる。
大きい駅に午前0~6時まで運転停車するなら九州新幹線が8両ですので、東京↔博多間がいいかもしれません。最終や朝イチのぞみ(みずほ)とのダイヤ上の両立も必要になりますね
間違いとは言えないが「転移」ってのは主に癌が他の部位に移って増殖する時に使う言葉なのでこの場合は「移行」という言葉を使った方がいい。癌と宣告された身としては甚だ不快である。
養生なさって下さい...
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ありがとうございます😭おかげさまでまだしばらくは生きられそう。頑張る💪