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南海電車ユーザーですが本当になんば線出来て便利になりました。甲子園まで乗り換え一回になったのありがたすぎます
2031年にはなにわ筋線が開業します。南海沿線の方は待ち遠しいですね!新大阪までラピートが行きますから。
昔御影も芦屋も止まらん西大阪特急に憧れて、子供の頃梅田駅で待っとったん思い出します😊来るわけない🤣
なんば線の開通は三宮ー奈良間の需要を創造し、関西経済にも貢献している路線です。阪神西大阪線の延伸工事を固辞していた九条商店街の人々でしたが、商店街の高齢化とともに、京セラドームの来場客を誘致したい思いも相まって、延伸が実現しましたね。
後は京阪中之島線の九条若しくは西九条への延伸ですね これが実現したら枚方や門真からでも1回の乗り換えで神戸に行けるから潜在需要の掘り起こしに大貢献!
西大阪線特急廃止後の西九条駅を知っている者です。阪神なんば線計画の存在は知っていたので、立派な駅の造りだったのに使われない駅舎部分がどんどん朽ちてくすんでいく様が哀れだった記憶があります。今の西九条駅を見ると、「ここ、朽ちてたよね~」と、一人ニンマリと思い起こしています。
まだ西九条駅には、ホームの神戸側に開かずの扉というか階段というか通路のトマソンが残っていますね。外から見るとよく分かるやつですが、あれはいったいどうなるんでしょうね?このまま朽ちてしまう?
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN あの出入口は、当時あった大阪市電との連絡を目的に用意されていたのですが、出入口の整備にかかる前に肝心の大阪市電が廃止されてしまい、出入口を作る意味がなくなったので、放棄されました。地上付近のコンクリート階段は長年の雨ざらしで劣化し、出入口にするには全面的に作り直しが必要で、費用がかさみます。このまま最低限の管理で、限界が来たら解体撤去でしょう。
神戸からUSJ、奈良、名古屋、南海線方面へ行く時にとても重宝している路線あとは近鉄特急が三宮に来てさえくれれば…
料金の精算問題や阪神線の種別との整合性なんかがあったのですが、最近クレカ決済が始まってきているので、もしやがあるかも
僕もそう思います。近鉄にはJR西日本のまほろばが新しい車両で近鉄に掛かってきています。松井山手にも北陸新幹線が来ます士、将来、片奈線も開業する事から、阪神は近鉄を助ける意味でそろそろそろ乗り入れを認めるべきです。山陽電車の特急を阪急神戸線に回せば、ダイヤは過密にならないと思います。
天理発神戸三宮行の快急も誕生しましたね(天理大和西大寺間は急行)
まるで人の一生のような(?)路線史ですね。困難に直面して挫折しても、やがては日の目を見て最後に花を咲かせる、なーんて。それにしても、もし阪神が狭軌を採用していたら難波での相互乗り入れのお相手は、南海だったのでしょうかね? 難波の地下事情は知りませんが…。
西大阪特急と京阪中之島線開業当初に設定されてた快速急行が重なる。
北摂の阪急沿線に住んでいた子供の頃、ヘッドマークを2枚さげた阪急特急には無縁で、1枚の急行に乗りながら地元駅を通過する特急に憧れた。その反動からか、母の実家に行くと西九条駅から特急に乗れる!のでよく叔母に元町まで連れて行ってもらったことを思い出す。リドリー・スコット監督の猫写に出てきそうだった西九条駅も、今では天下のUSJへの乗換駅。出世したなぁ。笑あと、西九条からの延伸に時間を要した原因のひとつは、隣の九条駅との間にある安治川。軟弱地盤のためかつては技術的に架橋が難かったようで、実際なんば線横には安治川隧道があり川底の下をエレベーターとトンネルで自動車、自転車、人共に渡っている(自動車トンネルは廃止された)。
子どもの時に西九条~三宮の西大阪特急に何度か乗りました。今も三宮に行くのはほぼ阪神です。大阪市南部からは非常に便利です。
こんばんは!阪神の難波乗り入れの経緯の詳細ありがとうございました。難波延長がなかなか実現しないのは阪神側の都合とぼやかして当時はいいわけされていました。近鉄は乗り気のようでした。西大阪特急の停車駅が少ないのは発進停止の加減速を繰り返す必要がないからかと勘繰っています。笑
15:29 大事なことなので二度言いました
運転台にある列車種別選別装置は回・A・N・E・K・S・LLがあり、西大阪線特急にはNが当てられていました。西大阪線特急廃止後、Nは長らく未使用でしたが、快速急行の登場により空いていたNが快速急行に当てられました。その快速急行が阪神なんば線の開業で近鉄奈良線との相互直通運転により、快速急行が西大阪線特急の生まれ変わりではないでしょうか。
私は最近から電車でDにハマりすぎていて、その影響か近鉄・阪神にものすごく興味を持つようになりました。もし西大阪…阪神なんば線に競技列車を走らせるとしたら、ダウンヒル(下り、奈良~三宮)担当は阪神1000系が、ヒルクライム(上り、三宮~奈良)担当は近鉄5820系or9020系になるでしょうね。もしアーケード版が出たらの話ですが。
いやぁ知らなかったなんば線のルーツたる伝法線が実は梅田へのバイパス計画だったこと 神戸高速鉄道開通以前は元町発着だったことetc俺も1968年4月その高速鉄道開業日に家族揃って西九条から2両編成の特急に乗ったけど凄く早いのに驚いたな 3年後にも同じく乗ったけどこの時は両運転台の3301形増結そして36年後の春近鉄奈良から同社の1233系快速急行で三宮まで試乗 梅田乗り換えの煩わしさから解放される喜びに浸りながら現在に至る😄
『待たず乗れる』とはいうものの、実際には駅で待たずに乗れたためしはない😤
JR神戸線の西明石以西の新快速通過駅だと待っても待っても電車が来ない事が良くあります。(1時間に1〜2本しか本数が無い!)それに比べたら特急通過駅でも阪神は本数多いですよ。
@@大和西大寺行き区間準 さま。余談になりますが、子供の頃は自宅の最寄り駅、国鉄福知山線中山寺駅は、時間6本の列車があるにも関わらず停車するのはそのうち1本だけでした。気動車編成はすべて通過。いまはもうそんな事はありませんけど。
千鳥橋駅では、大阪市電に乗り換えが出来ました。昭和49年の西大阪線特急廃止直前には、ダイヤ乱れの為か尼崎で三宮に折り返していました。
西大阪線特急は、西大阪線の普通が完全線内折り返しで尼崎から先に続いている線路へ行くことが(入庫回送を除き)なかったので、そこに乗れる貴重な列車でした。なので、廃止になった時は本当に残念でした。西大阪線時代の尼崎駅西大阪線のりばは5・6番線でしたが、ふだん走っていた4連と西大阪線特急は必ず6番線でした。というのも、5番線は6番線の大物寄りの切り欠きホームで、長さ2連分の行き止まり。早朝や深夜など、線内折り返しも2連になった時に使われていました。後に西大阪線が終日4連での運行となって5番線は使われなくなり、しばらくは放置されていましたが、3061形が全廃・引退になった時に2連のお別れ展示に使われたのを最後に廃止されて、まず番線表示が消され、次いで線路が撤去されて姿を消しました。
千鳥橋駅では、昭和44年まで大阪市電が走っていたので、他線との接続が無かったというのは間違い。千鳥橋で乗り換えて、春日出や桜島方面へ通う人も多かったと思います。
当初の難波延長計画では、全線高架で国鉄湊町駅あたりに高架線で乗り入れる計画でした。近鉄との延伸計画の統合が行われたのはその後です。のちに近鉄側から大阪市側に路線の共有が持ちかけられたが、当然他社線乗り入れになるのでその分運賃が上乗せになってしまい地下鉄を使った市内ネットワークの支障になることと、将来的にお互いの運行本数が増加した場合に捌ききれなくなる可能性があったために、別々の路線を建設することになった経緯があります。
基本西大阪線特急は赤胴車だったけど、子供の頃に見た2両編成のジェットカーでの西大阪線特急を見た記憶は忘れられない。
阪神は普通車と急行車で車を使い分けていて、それは今も本線で続いているけど、なんば線だと全車が普通・急行兼任になっていて、阪神の路線としては車両繰りの面から見て異質な路線よね
新機軸の車両は、かならず試運転を西大阪線ですることが定例になっていました。運転本数が少なかったので途中で故障してもダイヤを乱すことがなかったですし、まっすぐ尼崎車庫に帰れますし。(ジェットカー5001-5002の愛称がアマガエルだったのはそういうことです。尼帰る。)
なんば線はジェットカー走ってないぞ
@fal-bj8im だからそういうふうに書いてますやん
西大阪線時代(西九条までだった頃)はジェットカーも西大阪線の運用に入っていた時もありました。(当時は2両=後に4両に増強)
西大阪線時代、1990年代ごろの話ですが大物駅近くにあった親戚の家の屋上から観察していたことがありますが、その時は数本に1本はジェットカーが走っていた記憶がありますよ。ただし本線のような急加速急減速はなかった印象があります。
なんば線は南海と大阪メトロにも多大な恩恵を齎したからなー。
昔の大阪市の自己中姿勢のせいで…今となっては千日前線が下位互換に成り下がった。せめて堺筋線と同じ架線式だったら弥刀まで伸ばして大阪線と直通できたはず
九条駅のNTT側の出口は、工事中断前の昭和40年代に建設されたもので、約40年間もシャッターが下りたままでした。18:03 この分岐器は、西九条が終点だったころはクロスでした。今は、近鉄奈良線内で事故が発生した場合に、西九条折り返しとするために 使用されています。
この神戸側のホーム両端には、建設中途で放置されている開かずの通路があります。外から見ればよくわかります。
上り普通、西宮で地獄の3本待ち 本線特急―支線特急―急行
中間の各駅停車のみが停車する駅ではもっと悲惨。ひたすら通過列車をやり過ごすだけ。
昭和恐慌で潰れた路線計画は、第二阪神線に限らずかなりありますよね.......神戸市内で言えば、神戸姫路電鉄=山電の高速新線だった「神明急行」を筆頭に(垂水区中部の、今で言う第二神明沿いを通るはずでした)。それをいくつか挙げてくのも、動画としていけるのではないかと。
ぼくはまだ姫路~奈良&賢島直通特急の実現を諦めてません。早く直通運転用の新車両を導入させて欲しいです。
西大阪特急を難波~三宮で復活させて欲しいな。停車駅4駅ほど増えたとはいえ、快速急行でかえって8分も遅くなってるから。問題は西九条~難波間無停車にできるかやけど努力次第では5分、難波~尼崎11分で行ければ。西九条駅か途中で待避しないといけませんね。😅
こんばんは。西大阪特急を難波ー三宮で復活させてほしいと書いてあったけどそれは配線の関係で難しいですね。なぜかというと大阪難波駅の奈良寄りに引上げ線がないので西大阪特急を難波〜三宮で運転するとなると難波到着後車両を近鉄東花園検車区或いは高安検車区へ回送しないと折り返しが不可能だからですよ。
とにかく停車駅が多い野球無いときは西ノ宮だけでいいある時ドーム甲子園時間かかるし間隔も空いてる
これで、在る点で合点がいきました。阪神尼崎駅が、戦後の相次ぐ拡張と高架化を経て広大になっていた件。そして、阪神本線御影駅が大阪方に向けて戦前の高架化工事で広くなっていた件。実際に、上り線ホームの向こう側に小さな上屋のついたホームが残されています。これらも、「幻の第2阪神本線構想」の一環だったんですね。
阪神の場合、他に貨物営業をしていた時の遺構も多数残っていますので、件のホームに昔は貯水槽があったり構内踏切のようなものがあったりしていた記憶がありますね。ちなみに第二阪神国道(国道43号線)拡幅のときに、高架新線に移設した石屋川駅〜西灘駅間は第二阪神線の用地の上に建設されています。
阪神間に在住当時,西大阪特急に乗車体験あり(ガラガラ)阪神なんば線とJR東西線は大阪市を東西に繋ぐ立役者.
先見性があれば、早くに難波まで延伸しただろう。延伸を反対した方々は後悔しているだろう。
阪神西大阪線は今の阪神なんば線ですね。
なんば線住民への騒音対策はしているが、九条から桜川近辺での車内放送も聞こえないくらいのカーブの走行音は騒音を超え苦痛レベル何とかして欲しい
千鳥橋駅には、将来待避線を増設できる設計になっています。これが実現すればさらなるスピードアップが期待できます。
千鳥橋駅に現状待避線は無理だと思います。用地としていたところはマックスバリュができたので待避線入れるのは不可能だと思われます。
阪急の影響を受けた阪神が都心の駅前一等地を遊ばしておくわけもなく仮にこれが阪神の借地に建っているのだったら・・・ひょっとして一札はいっているかもしれぬ故。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN現状なんば線の利用客も増えてない今後減る時点でありえない。
不可能→可能にした路線
関係ないコメントですが、阪神なんば線のように大阪梅田を目指して再起を掛ける意味で残していた汐見橋線は逆に見捨てられた。
晩年の3両編成は、冷房の為では?
『単に運用の都合です』と雑誌には書いてありました。例の川島さんが。
南海電車ユーザーですが本当になんば線出来て便利になりました。
甲子園まで乗り換え一回になったのありがたすぎます
2031年にはなにわ筋線が開業します。南海沿線の方は待ち遠しいですね!新大阪までラピートが行きますから。
昔御影も芦屋も止まらん西大阪特急に憧れて、子供の頃梅田駅で待っとったん思い出します😊来るわけない🤣
なんば線の開通は三宮ー奈良間の需要を創造し、関西経済にも貢献している路線です。
阪神西大阪線の延伸工事を固辞していた九条商店街の人々でしたが、商店街の高齢化とともに、京セラドームの来場客を誘致したい思いも相まって、延伸が実現しましたね。
後は京阪中之島線の九条若しくは西九条への延伸ですね これが実現したら枚方や門真からでも1回の乗り換えで神戸に行けるから潜在需要の掘り起こしに大貢献!
西大阪線特急廃止後の西九条駅を知っている者です。阪神なんば線計画の存在は知っていたので、立派な駅の造りだったのに使われない駅舎部分がどんどん朽ちてくすんでいく様が哀れだった記憶があります。
今の西九条駅を見ると、「ここ、朽ちてたよね~」と、一人ニンマリと思い起こしています。
まだ西九条駅には、ホームの神戸側に開かずの扉というか階段というか通路のトマソンが残っていますね。外から見るとよく分かるやつですが、あれはいったいどうなるんでしょうね?このまま朽ちてしまう?
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN
あの出入口は、当時あった大阪市電との連絡を目的に用意されていたのですが、出入口の整備にかかる前に肝心の大阪市電が廃止されてしまい、出入口を作る意味がなくなったので、放棄されました。
地上付近のコンクリート階段は長年の雨ざらしで劣化し、出入口にするには全面的に作り直しが必要で、費用がかさみます。このまま最低限の管理で、限界が来たら解体撤去でしょう。
神戸からUSJ、奈良、名古屋、南海線方面へ行く時にとても重宝している路線
あとは近鉄特急が三宮に来てさえくれれば…
料金の精算問題や阪神線の種別との整合性なんかがあったのですが、最近クレカ決済が始まってきているので、もしやがあるかも
僕もそう思います。近鉄にはJR西日本のまほろばが新しい車両で近鉄に掛かってきています。松井山手にも北陸新幹線が来ます士、将来、片奈線も開業する事から、阪神は近鉄を助ける意味でそろそろそろ乗り入れを認めるべきです。山陽電車の特急を阪急神戸線に回せば、ダイヤは過密にならないと思います。
天理発神戸三宮行の快急も誕生しましたね(天理大和西大寺間は急行)
まるで人の一生のような(?)路線史ですね。
困難に直面して挫折しても、やがては日の目を見て最後に花を咲かせる、
なーんて。
それにしても、もし阪神が狭軌を採用していたら難波での相互乗り入れのお相手は、南海だったのでしょうかね? 難波の地下事情は知りませんが…。
西大阪特急と京阪中之島線開業当初に設定されてた快速急行が重なる。
北摂の阪急沿線に住んでいた子供の頃、ヘッドマークを2枚さげた阪急特急には無縁で、1枚の急行に乗りながら地元駅を通過する特急に憧れた。その反動からか、母の実家に行くと西九条駅から特急に乗れる!のでよく叔母に元町まで連れて行ってもらったことを思い出す。リドリー・スコット監督の猫写に出てきそうだった西九条駅も、今では天下のUSJへの乗換駅。出世したなぁ。笑
あと、西九条からの延伸に時間を要した原因のひとつは、隣の九条駅との間にある安治川。軟弱地盤のためかつては技術的に架橋が難かったようで、実際なんば線横には安治川隧道があり川底の下をエレベーターとトンネルで自動車、自転車、人共に渡っている(自動車トンネルは廃止された)。
子どもの時に西九条~三宮の西大阪特急に何度か乗りました。今も三宮に行くのはほぼ阪神です。大阪市南部からは非常に便利です。
こんばんは!阪神の難波乗り入れの経緯の詳細ありがとうございました。難波延長がなかなか実現しないのは阪神側の都合とぼやかして当時はいいわけされていました。近鉄は乗り気のようでした。西大阪特急の停車駅が少ないのは発進停止の加減速を繰り返す必要がないからかと勘繰っています。笑
15:29 大事なことなので二度言いました
運転台にある列車種別選別装置は回・A・N・E・K・S・LLがあり、西大阪線特急にはNが当てられていました。
西大阪線特急廃止後、Nは長らく未使用でしたが、快速急行の登場により空いていたNが快速急行に当てられました。
その快速急行が阪神なんば線の開業で近鉄奈良線との相互直通運転により、快速急行が西大阪線特急の生まれ変わりではないでしょうか。
私は最近から電車でDにハマりすぎていて、その影響か近鉄・阪神にものすごく興味を持つようになりました。もし西大阪…阪神なんば線に競技列車を走らせるとしたら、ダウンヒル(下り、奈良~三宮)担当は阪神1000系が、ヒルクライム(上り、三宮~奈良)担当は近鉄5820系or9020系になるでしょうね。もしアーケード版が出たらの話ですが。
いやぁ知らなかった
なんば線のルーツたる伝法線が実は梅田へのバイパス計画だったこと 神戸高速鉄道開通以前は元町発着だったことetc
俺も1968年4月その高速鉄道開業日に家族揃って西九条から2両編成の特急に乗ったけど凄く早いのに驚いたな 3年後にも同じく乗ったけどこの時は両運転台の3301形増結
そして36年後の春
近鉄奈良から同社の1233系快速急行で三宮まで試乗 梅田乗り換えの煩わしさから解放される喜びに浸りながら現在に至る😄
『待たず乗れる』とはいうものの、実際には駅で待たずに乗れたためしはない😤
JR神戸線の西明石以西の新快速通過駅だと待っても待っても電車が来ない事が良くあります。
(1時間に1〜2本しか本数が無い!)
それに比べたら特急通過駅でも阪神は本数多いですよ。
@@大和西大寺行き区間準 さま。余談になりますが、子供の頃は自宅の最寄り駅、国鉄福知山線中山寺駅は、時間6本の列車があるにも関わらず停車するのはそのうち1本だけでした。気動車編成はすべて通過。いまはもうそんな事はありませんけど。
千鳥橋駅では、大阪市電に乗り換えが出来ました。昭和49年の西大阪線特急廃止直前には、ダイヤ乱れの為か尼崎で三宮に折り返していました。
西大阪線特急は、西大阪線の普通が完全線内折り返しで尼崎から先に続いている線路へ行くことが(入庫回送を除き)なかったので、そこに乗れる貴重な列車でした。なので、廃止になった時は本当に残念でした。
西大阪線時代の尼崎駅西大阪線のりばは5・6番線でしたが、ふだん走っていた4連と西大阪線特急は必ず6番線でした。
というのも、5番線は6番線の大物寄りの切り欠きホームで、長さ2連分の行き止まり。早朝や深夜など、線内折り返しも2連になった時に使われていました。
後に西大阪線が終日4連での運行となって5番線は使われなくなり、しばらくは放置されていましたが、3061形が全廃・引退になった時に2連のお別れ展示に使われたのを最後に廃止されて、まず番線表示が消され、次いで線路が撤去されて姿を消しました。
千鳥橋駅では、昭和44年まで大阪市電が走っていたので、他線との接続が無かったというのは間違い。
千鳥橋で乗り換えて、春日出や桜島方面へ通う人も多かったと思います。
当初の難波延長計画では、全線高架で国鉄湊町駅あたりに高架線で乗り入れる計画でした。近鉄との延伸計画の統合が行われたのはその後です。
のちに近鉄側から大阪市側に路線の共有が持ちかけられたが、当然他社線乗り入れになるのでその分運賃が上乗せになってしまい地下鉄を使った市内ネットワークの支障になることと、将来的にお互いの運行本数が増加した場合に捌ききれなくなる可能性があったために、別々の路線を建設することになった経緯があります。
基本西大阪線特急は赤胴車だったけど、子供の頃に見た2両編成のジェットカーでの西大阪線特急を見た記憶は忘れられない。
阪神は普通車と急行車で車を使い分けていて、それは今も本線で続いているけど、なんば線だと全車が普通・急行兼任になっていて、阪神の路線としては車両繰りの面から見て異質な路線よね
新機軸の車両は、かならず試運転を西大阪線ですることが定例になっていました。運転本数が少なかったので途中で故障してもダイヤを乱すことがなかったですし、まっすぐ尼崎車庫に帰れますし。(ジェットカー5001-5002の愛称がアマガエルだったのはそういうことです。尼帰る。)
なんば線はジェットカー走ってないぞ
@fal-bj8im
だからそういうふうに書いてますやん
西大阪線時代(西九条までだった頃)はジェットカーも西大阪線の運用に入っていた時もありました。(当時は2両=後に4両に増強)
西大阪線時代、1990年代ごろの話ですが大物駅近くにあった親戚の家の屋上から観察していたことがありますが、その時は数本に1本はジェットカーが走っていた記憶がありますよ。ただし本線のような急加速急減速はなかった印象があります。
なんば線は南海と大阪メトロにも多大な恩恵を齎したからなー。
昔の大阪市の自己中姿勢のせいで…今となっては千日前線が下位互換に成り下がった。せめて堺筋線と同じ架線式だったら弥刀まで伸ばして大阪線と直通できたはず
九条駅のNTT側の出口は、工事中断前の昭和40年代に建設されたもので、約40年間もシャッターが下りたままでした。
18:03 この分岐器は、西九条が終点だったころはクロスでした。今は、近鉄奈良線内で事故が発生した場合に、西九条折り返しとするために 使用されています。
この神戸側のホーム両端には、建設中途で放置されている開かずの通路があります。外から見ればよくわかります。
上り普通、西宮で地獄の3本待ち 本線特急―支線特急―急行
中間の各駅停車のみが停車する駅ではもっと悲惨。ひたすら通過列車をやり過ごすだけ。
昭和恐慌で潰れた路線計画は、第二阪神線に限らずかなりありますよね.......神戸市内で言えば、神戸姫路電鉄=山電の高速新線だった「神明急行」を筆頭に(垂水区中部の、今で言う第二神明沿いを通るはずでした)。
それをいくつか挙げてくのも、動画としていけるのではないかと。
ぼくはまだ姫路~奈良&賢島直通特急の実現を諦めてません。早く直通運転用の新車両を導入させて欲しいです。
西大阪特急を難波~三宮で復活させて欲しいな。
停車駅4駅ほど増えたとはいえ、快速急行でかえって8分も遅くなってるから。
問題は西九条~難波間無停車にできるかやけど努力次第では5分、難波~尼崎11分で行ければ。
西九条駅か途中で待避しないといけませんね。😅
こんばんは。西大阪特急を難波ー三宮で復活させてほしいと書いてあったけどそれは配線の関係で難しいですね。なぜかというと大阪難波駅の奈良寄りに引上げ線がないので西大阪特急を難波〜三宮で運転するとなると難波到着後車両を近鉄東花園検車区或いは高安検車区へ回送しないと折り返しが不可能だからですよ。
とにかく停車駅が多い
野球無いときは西ノ宮だけでいいある時ドーム甲子園
時間かかるし間隔も空いてる
これで、在る点で合点がいきました。
阪神尼崎駅が、戦後の相次ぐ拡張と高架化を経て広大になっていた件。
そして、阪神本線御影駅が大阪方に向けて戦前の高架化工事で広くなっていた件。
実際に、上り線ホームの向こう側に小さな上屋のついたホームが残されています。
これらも、「幻の第2阪神本線構想」の一環だったんですね。
阪神の場合、他に貨物営業をしていた時の遺構も多数残っていますので、件のホームに昔は貯水槽があったり構内踏切のようなものがあったりしていた記憶がありますね。
ちなみに第二阪神国道(国道43号線)拡幅のときに、高架新線に移設した石屋川駅〜西灘駅間は第二阪神線の用地の上に建設されています。
阪神間に在住当時,西大阪特急に乗車体験あり(ガラガラ)阪神なんば線とJR東西線は大阪市を東西に繋ぐ立役者.
先見性があれば、早くに
難波まで延伸しただろう。
延伸を反対した方々は
後悔しているだろう。
阪神西大阪線は今の阪神なんば線ですね。
なんば線住民への騒音対策はしているが、九条から桜川近辺での
車内放送も聞こえないくらいの
カーブの走行音は騒音を超え
苦痛レベル何とかして欲しい
千鳥橋駅には、将来待避線を増設できる設計になっています。これが実現すればさらなるスピードアップが期待できます。
千鳥橋駅に現状待避線は無理だと思います。用地としていたところはマックスバリュができたので待避線入れるのは不可能だと思われます。
阪急の影響を受けた阪神が都心の駅前一等地を遊ばしておくわけもなく
仮にこれが阪神の借地に建っているのだったら・・・ひょっとして一札はいっているかもしれぬ故。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN現状なんば線の利用客も増えてない今後減る時点でありえない。
不可能→可能にした路線
関係ないコメントですが、阪神なんば線のように大阪梅田を目指して再起を掛ける意味で残していた汐見橋線は逆に見捨てられた。
晩年の3両編成は、冷房の為では?
『単に運用の都合です』と雑誌には書いてありました。例の川島さんが。