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真冬の快速「海峡」は函館運転所所属の14系客車は暖房が効き過ぎて暑くて、青函トンネル区間では冷房を入れてまたね、蟹田から東日本車掌に交代したらすぐに冷房が切られてまた暑くてたまりませんでした。
快速海峡の14系500番台は札幌運転所所属で急行はまなすの間合い運用で寝台車だけ外していた。
海峡が運行開始された頃、東北地方の電化区間(一ノ関、山形、村上以北)の普通列車には50系客車が多く運用についていましたが、真夏でも今のような猛暑ではなく扇風機&窓を開けることで暑さをしのぐことができ、特に朝晩はTシャツ1枚では肌寒かったほどです。ただ、青春18きっぷ旅行をしていて東北の主要駅で乗り換える度に「またこれ(50系)か、もう飽きたよ😵」と思いましたが、数年後には701系に対して同じことをぼやくばかりか「50系カムバック❗」と心で叫ぶ羽目に。
海峡で「ゾーン539」指定券で 海底駅見学した事が思い出です。乗ってきた1本あとの海峡に乗って帰ってくるコースでした。その時買った「吉岡海底駅」の駅名柄のオレンジカードは 宝物です。
私は1990年夏に竜飛海底駅を見学しました。そして旅行から帰って数日後に偶然にもテレビで映画「海峡」が放送されて再学習ができました。
当時一番人気は寝台電車特急はくつるでこの行程だと函館市からは釧路・網走・稚内まで乗り換えなしで行くことができた。ちなみに特急北斗旭川行きは後におおぞら2号となり、釧路行きと旭川行きが併結されるようになった。夜行急行すずらん6号の他にも函館本線山線経由の夜行普通列車もあった。この列車は荷物車主体列車でおまけのような感じで普通座席車も連結されていていた。快速海峡は50系5000番台を主体で足らなくなり50系51型が改装されて最初は非冷房車だったが、後にインバータクーラーと座席の転換クロスシートへと再改装された。なお14系500番台は北海道仕様のために暖房装置が強化されていた。後に14系500番台には急行まりもから移転したドリームカーが連結されていて、その後にはカーペットカーも連結されるようになった。また50系にもカラオケカーなる車両も連結された。青函トンネル開業当初の人気で、臨時海峡では12系座席車も運用についています。
夏期休暇に東北ドライブ旅行で津軽半島を一周しました。青函トンネル入り口で貨物列車と新幹線を眺めてから龍飛崎に向かい青函トンネル記念館を見物、快速海峡や夜行列車で青函トンネルを通った時の思い出に耽りました。
暫定で非冷房だったのは50系51形ですね、後から冷房化(インバータ式2台)と座席交換されました。
室内は手付かずということは トイレは落下式?
@彰篠原 調べてみましたが、1988年の暫定使用はオハ51が4両でトイレ無しのようです。
当時は青函トンネル開業と青函連絡船廃止が同じ日であったため、1日だけ青森から青森までというきっぷが買えた。また開業直後は開業フィーバーで12系も運用されたり、急行八甲田の間合いで臨時海峡やモトトレイン連結もありました。
ドラえもん列車ですね!夏休みに乗りました。青森から乗った車輌は50系。そんなに鉄道の旅が出来なかった自分は乗る前は奮えましたが車内は暑く、ちょっと閉口した記憶が有ります。帰りも覚悟してましたが、帰りは14系で冷房が効いていて快適でした。あの時乗れて良かったな、としみじみ思います。長旅の疲れで、乗ってからの事はあんまり覚えて無いけど。
八甲田が名称だけ海峡に変えてそのまま函館まで行きましたよね?
青春18切符で海峡→ミッドナイト乗り継ぎで青森-札幌とか乗ったりしました。ミッドナイトは指定はリクライニングシートで快適でしたが、繁忙期のみ連結される自由席は、狭いボックスシートにすし詰めで全く寝られませんでした。海峡のほうは青函トンネル内がやたらうるさかったです。非冷房車にはあたったことはありませんでした。
函館に行く時は青函トンネルを通らず新青森で下車してフェリーのスイートルームで函館に行きます
快速海峡は基本50系でしたが、急行はまなすの間合いで14系も入ってました。簡易リクライニングだが位置表示器がなく、敢えてパスする人もいたようです。他には多客期限定で14系急行八甲田がそのまま臨時海峡になり、座っていてもOK正し定期海峡が先に出ますで、乗換早着組と直通のんびり組とで別れてました。
急行はまなすの間合いで快速海峡に使用される14系は簡易リクライニングシート(グリーン車のシートを使用のドリームカーのこともあり)だったので、50系よりも14系を使用する編成を選んで乗るようにしていました。
快速海峡は結構、利用しました。木古内側の入口から30km地点が海面下240mだったのにビックリでした。
快速海峡1度だけでも乗って見たかったな〜
何度か快速「海峡」にお世話になったが、冷房面等の空調云々で不便な印象はあまり無かったけど。むしろ冬季の暖房が効きすぎて、思いのほか暑かったなあと。これは同じ青函連絡の客車列車たる「はまなす」も同じだったけど。
快速海峡良く宿代わりに利用したあ青森発はまなすで函館まで行き始発の海峡で青森まで戻っていましたね
その当時、青森〜函館の乗車券が2850円だったかなぁ。東日本フェリー(現在の津軽海峡フェリー)の二等が1470円だった記憶が。青森在住なので函館まで往路は始発の快速海峡で、復路はゆっくりフェリーでと日帰りで遊びに行きやすくなったですね。現在は北海道新幹線であっという間に行けてしまうので「函館に来たぁ」という感動は薄れましたけどw
34年前、修学旅行の往路でつかった快速海峡で改造前のオハ51(36か37だったか)に当たってガッカリした思い出だったけど、青函トンネル内を窓を全開にして乗れたのは、今考えたら貴重な体験だったわけだ(´・ω・`)
快速海峡には何度か乗りました50系なのでトンネル通過時の音はかなりのものでした青函トンネルに入る時、最後尾の車両で暫くかぶりつきを楽しんでいましたよ所要時間は長かったですが、やはり客レは良かった。
海峡に乗る際は一本遅らせてでも14系のドリームシートを利用してました。カーペットカーも何回か利用しましたし、一番最初は50系の自由席でしたが、椅子が普通の転換クロスでしかも真ん中に肘掛け有でリラックスして乗る様な代物では無かったので、それ以降は少し払ってドリームシートを取るようにしてました。
青函連絡船を27航路、3航路と説明していますが1975年~1987年に発行された全国版国鉄監修時刻表や国鉄監修道内時刻表には27便、3便と表記があります。更に船内放送や青函連絡船に接続する優等列車の車内放送でも〇便と放送していました。因みに宇高連絡船や仁堀連絡船(1982年7月航路廃止)も同様。
海峡号、一度だけ往復で乗りました!後、北斗星で通っただけです!
北斗星も良かったけど今は羽田〜新千歳から札幌だよな
当時はドラえもんとコラボしてたのかな?
所々出て来るドラえもんが逆に気になってしまう…😅
ドラえもん海底列車に起因するコラボですね
冬なら、冷房はいらないけど、夏の北海道と本州では、湿度が物凄く違うので、体力が追い付かない時がありますね。一つの事しか考えられない人が設計するから、失敗するんですよ😁
1分45秒・・「青函トンネルの開業と同時に・・青函トンネルの代替」・・理解できないので解説をお願いします。
幼い頃、カラオケボックスに改造された客車の個室に乗ったことがあります。世界一深い場所でカラオケを歌える…といった謳い文句で、面白そうだと思ったものの、よく考えると青函トンネル内じゃ真っ暗で普通のカラオケ屋と変わらない…(汗)料金も複数名での利用できっぷが発行されたため割高で、それほど歌える曲もなかったため、一回きりの乗車でしたが、客車独特の揺れとか懐かしいですね⁺o(⁎˃ᴗ˂⁎)o⁺‧
リクエストです。昔の列車のことを調べて貰えるならば、東北本線の快速「フェアウェイ」を詳しく知りたいです。古いグリーン車を普通指定席として運行していました。
この快速フェアウェイは夜行快速ムーンライト(当初はえちごは入らず後にムーンライトながらが誕生したためにつけられた)ノ間合い運用で設定当初は臨時でゴルファーのためだったようです。躯幹新宿と黒磯間で165系通常は3両でグリーン車発生の座席で後に小改造されてムーンライト専用車両になった。元の車両は急行赤倉や越後線経由の快速やひこに使用された。一時は定期列車になったフェアウェイだったが、また臨時列車に格下げされてやがて廃止された。なおフェアウェイは全車指定席だった。以上がだいたいの概要です。長文になってすみませんでした。
@@もりわききくお お返事ご丁寧にありがとうございます。私が乗った時は、定期列車でした。いろいろあったんですね。
新幹線と共に去りぬ😢じゃない?学生時代お世話になりますた😅
甥っ子がなーもんでんちゃって呼んでたドラえもんがなーもんらしいそんな甥っ子も汗くさい不思議ちゃんなおばさんです
快速”海峡”には乗ったことはありませんでしたが、急行”はまなす”に乗っている時は全裸待機で青函トンネルに備えていましたねまあ、その間はカーテンを閉め切って寝台からは出られませんでしたが
ヤケクソ北会社「ええぃ、乗車券だけで海を渡らせるなんてとんでもない!青函列車は吊り上げられるだけ値上げしてやる」西の島会社「こっちは新幹線が無いし高速もあるから同じことできないんだよぉ」
真冬の快速「海峡」は函館運転所所属の14系客車は暖房が効き過ぎて暑くて、青函トンネル区間では冷房を入れてまたね、蟹田から東日本車掌に交代したらすぐに冷房が切られてまた暑くてたまりませんでした。
快速海峡の14系500番台は札幌運転所所属で急行はまなすの間合い運用で寝台車だけ外していた。
海峡が運行開始された頃、東北地方の電化区間(一ノ関、山形、村上以北)の普通列車には50系客車が多く運用についていましたが、真夏でも今のような猛暑ではなく扇風機&窓を開けることで暑さをしのぐことができ、特に朝晩はTシャツ1枚では肌寒かったほどです。
ただ、青春18きっぷ旅行をしていて東北の主要駅で乗り換える度に「またこれ(50系)か、もう飽きたよ😵」と思いましたが、数年後には701系に対して同じことをぼやくばかりか「50系カムバック❗」と心で叫ぶ羽目に。
海峡で「ゾーン539」指定券で 海底駅見学した事が思い出です。
乗ってきた1本あとの海峡に乗って帰ってくるコースでした。
その時買った「吉岡海底駅」の駅名柄のオレンジカードは 宝物です。
私は1990年夏に竜飛海底駅を見学しました。
そして旅行から帰って数日後に偶然にもテレビで映画「海峡」が放送されて再学習ができました。
当時一番人気は寝台電車特急はくつるでこの行程だと函館市からは釧路・網走・稚内まで乗り換えなしで行くことができた。ちなみに特急北斗旭川行きは後におおぞら2号となり、釧路行きと旭川行きが併結されるようになった。夜行急行すずらん6号の他にも函館本線山線経由の夜行普通列車もあった。この列車は荷物車主体列車でおまけのような感じで普通座席車も連結されていていた。快速海峡は50系5000番台を主体で足らなくなり50系51型が改装されて最初は非冷房車だったが、後にインバータクーラーと座席の転換クロスシートへと再改装された。なお14系500番台は北海道仕様のために暖房装置が強化されていた。後に14系500番台には急行まりもから移転したドリームカーが連結されていて、その後にはカーペットカーも連結されるようになった。また50系にもカラオケカーなる車両も連結された。青函トンネル開業当初の人気で、臨時海峡では12系座席車も運用についています。
夏期休暇に東北ドライブ旅行で津軽半島を一周しました。
青函トンネル入り口で貨物列車と新幹線を眺めてから龍飛崎に向かい青函トンネル記念館を見物、快速海峡や夜行列車で青函トンネルを通った時の思い出に耽りました。
暫定で非冷房だったのは50系51形ですね、後から冷房化(インバータ式2台)と座席交換されました。
室内は手付かずということは トイレは落下式?
@彰篠原 調べてみましたが、1988年の暫定使用はオハ51が4両でトイレ無しのようです。
当時は青函トンネル開業と青函連絡船廃止が同じ日であったため、1日だけ青森から青森までというきっぷが買えた。
また開業直後は開業フィーバーで12系も運用されたり、急行八甲田の間合いで臨時海峡やモトトレイン連結もありました。
ドラえもん列車ですね!夏休みに乗りました。青森から乗った車輌は50系。そんなに鉄道の旅が出来なかった自分は乗る前は奮えましたが車内は暑く、ちょっと閉口した記憶が有ります。帰りも覚悟してましたが、帰りは14系で冷房が効いていて快適でした。
あの時乗れて良かったな、としみじみ思います。
長旅の疲れで、乗ってからの事はあんまり覚えて無いけど。
八甲田が名称だけ海峡に変えてそのまま函館まで行きましたよね?
青春18切符で海峡→ミッドナイト乗り継ぎで青森-札幌とか乗ったりしました。ミッドナイトは指定はリクライニングシートで快適でしたが、繁忙期のみ連結される自由席は、狭いボックスシートにすし詰めで全く寝られませんでした。海峡のほうは青函トンネル内がやたらうるさかったです。非冷房車にはあたったことはありませんでした。
函館に行く時は青函トンネルを通らず新青森で下車してフェリーのスイートルームで函館に行きます
快速海峡は基本50系でしたが、急行はまなすの間合いで14系も入ってました。
簡易リクライニングだが位置表示器がなく、敢えてパスする人もいたようです。
他には多客期限定で14系急行八甲田がそのまま臨時海峡になり、座っていてもOK
正し定期海峡が先に出ますで、
乗換早着組と直通のんびり組とで別れてました。
急行はまなすの間合いで快速海峡に使用される14系は簡易リクライニングシート(グリーン車のシートを使用のドリームカーのこともあり)だったので、50系よりも14系を使用する編成を選んで乗るようにしていました。
快速海峡は結構、利用しました。木古内側の入口から30km地点が海面下240mだったのにビックリでした。
快速海峡1度だけでも乗って見たかったな〜
何度か快速「海峡」にお世話になったが、冷房面等の空調云々で不便な印象はあまり無かったけど。
むしろ冬季の暖房が効きすぎて、思いのほか暑かったなあと。
これは同じ青函連絡の客車列車たる「はまなす」も同じだったけど。
快速海峡良く宿代わりに利用したあ
青森発はまなすで函館まで行き始発の海峡で青森まで戻っていましたね
その当時、青森〜函館の乗車券が2850円だったかなぁ。
東日本フェリー(現在の津軽海峡フェリー)の二等が1470円だった記憶が。
青森在住なので函館まで往路は始発の快速海峡で、復路はゆっくりフェリーでと日帰りで遊びに行きやすくなったですね。
現在は北海道新幹線であっという間に行けてしまうので「函館に来たぁ」という感動は薄れましたけどw
34年前、修学旅行の往路でつかった快速海峡で改造前のオハ51(36か37だったか)に当たってガッカリした思い出だったけど、青函トンネル内を窓を全開にして乗れたのは、今考えたら貴重な体験だったわけだ(´・ω・`)
快速海峡には何度か乗りました
50系なのでトンネル通過時の音はかなりのものでした
青函トンネルに入る時、最後尾の車両で暫くかぶりつきを楽しんでいましたよ
所要時間は長かったですが、やはり客レは良かった。
海峡に乗る際は一本遅らせてでも14系のドリームシートを利用してました。カーペットカーも何回か利用しましたし、一番最初は50系の自由席でしたが、椅子が普通の転換クロスでしかも真ん中に肘掛け有でリラックスして乗る様な代物では無かったので、それ以降は少し払ってドリームシートを取るようにしてました。
青函連絡船を27航路、3航路と説明していますが1975年~1987年に発行された
全国版国鉄監修時刻表や国鉄監修道内時刻表には27便、3便と表記があります。
更に船内放送や青函連絡船に接続する優等列車の車内放送でも〇便と放送して
いました。因みに宇高連絡船や仁堀連絡船(1982年7月航路廃止)も同様。
海峡号、一度だけ往復で乗りました!
後、北斗星で通っただけです!
北斗星も良かったけど今は羽田〜新千歳から札幌だよな
当時はドラえもんとコラボしてたのかな?
所々出て来るドラえもんが逆に気になってしまう…😅
ドラえもん海底列車に起因するコラボですね
冬なら、冷房はいらないけど、夏の北海道と本州では、湿度が物凄く違うので、体力が追い付かない時がありますね。一つの事しか考えられない人が設計するから、失敗するんですよ😁
1分45秒・・「青函トンネルの開業と同時に・・青函トンネルの代替」・・理解できないので解説をお願いします。
幼い頃、カラオケボックスに改造された客車の個室に乗ったことがあります。世界一深い場所でカラオケを歌える…といった謳い文句で、面白そうだと思ったものの、よく考えると青函トンネル内じゃ真っ暗で普通のカラオケ屋と変わらない…(汗)
料金も複数名での利用できっぷが発行されたため割高で、それほど歌える曲もなかったため、一回きりの乗車でしたが、客車独特の揺れとか懐かしいですね⁺o(⁎˃ᴗ˂⁎)o⁺‧
リクエストです。昔の列車のことを調べて貰えるならば、東北本線の快速「フェアウェイ」を詳しく知りたいです。古いグリーン車を普通指定席として運行していました。
この快速フェアウェイは夜行快速ムーンライト(当初はえちごは入らず後にムーンライトながらが誕生したためにつけられた)ノ間合い運用で設定当初は臨時でゴルファーのためだったようです。躯幹新宿と黒磯間で165系通常は3両でグリーン車発生の座席で後に小改造されてムーンライト専用車両になった。元の車両は急行赤倉や越後線経由の快速やひこに使用された。一時は定期列車になったフェアウェイだったが、また臨時列車に格下げされてやがて廃止された。なおフェアウェイは全車指定席だった。以上がだいたいの概要です。長文になってすみませんでした。
@@もりわききくお お返事ご丁寧にありがとうございます。私が乗った時は、定期列車でした。いろいろあったんですね。
新幹線と共に去りぬ😢じゃない?学生時代お世話になりますた😅
甥っ子がなーもんでんちゃって呼んでた
ドラえもんがなーもんらしい
そんな甥っ子も汗くさい不思議ちゃんなおばさんです
快速”海峡”には乗ったことはありませんでしたが、急行”はまなす”に乗っている時は全裸待機で青函トンネルに備えていましたね
まあ、その間はカーテンを閉め切って寝台からは出られませんでしたが
ヤケクソ北会社「ええぃ、乗車券だけで海を渡らせるなんてとんでもない!青函列車は吊り上げられるだけ値上げしてやる」
西の島会社「こっちは新幹線が無いし高速もあるから同じことできないんだよぉ」