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「貧しさを忘れず恩を忘れぬ」ための雑煮をいきなりブチ撒けてしまう家康公w
食べ物は大切にしないといけないですよね。
良い話しがだいなしだよ!!!!
言った傍から^^w
山岡荘八の家康は説教っぽいけど、260年間太平の世を築き覇道ではなく王道を貫いた偉人として山岡風の表現だと思う。原作を忠実に演じたこの作品は、俳優スタッフの力量を評価すべき良い大河でした。
有り得ない家康像!
…&”恨み”も忘れず。
大阪の陣を扱うドラマで家康も秀忠も千姫が可愛い必ず救うという設定は絶対無理があると毎回思っている
方広寺の鐘の文言で難癖をつけ、豊臣家を滅ぼした家康がこんな人情家だったであろうか。国松も探し出して処刑しており、豊臣家を完全消滅させる気だったことが分かる。ただ、そのおかげで徳川300年の平和を築いたことは間違いない。足利尊氏のようなお人よしでは、平和を築くことはできないはずだ。
当時の朝廷も坊主達の見解も豊臣側が悪いと言ってるけどな
一応、降伏勧告や移動の提案したし!夏の陣だって台所に逃げ込んでも、話し合いに応じてるから。聖人でしょう
そもそも幕府樹立から10年以上経つのに豊臣方が臣従の姿勢すら見せなかったのもアカンよ。
当然でしょう。家康に逆らえるはずがない
@@gokurakuhh 平清盛が情をかけて、頼朝を助けたことが、後に平家滅亡を招いたから、家康はそれを教訓に非情に徹したのかも
織田家ほどではないにしても豊臣家の構造的な不安定さは治世に不向きであり、徳川の政治力は抜きん出ていたのも事実。治乱の理を政権交代の前提とした以上、幕末騒乱を収めきれなくなった時点で大政奉還しなければ論理矛盾に陥る。まぁ、島津・毛利を滅ぼしきれなかった時点で爆弾は抱えたままだったけど、起爆さえしなければただの置き物、くらいだったんでしょうね。
綺麗な家康だなあ。
性豪はどこいった?だよね~
豊臣を懐柔しようとする動きが意外に多いことから,秀吉の遺児「秀頼」に対する家康の感情は,この動画の通りだったかもしれない,と感じた.しかし,天下が「豊臣」から「徳川」に移ることを善しとしない人達や,泰平となり職を失って浪人となった武士たちが,「秀頼」を担ぎ上げることで,やはり討たねばならない,となったのだろう.
秀吉の天下だと理解しても、秀吉の妹と結婚しても上洛に応じず、秀吉の母親が三河へ送られるや間髪入れず上洛して、秀吉に平伏をみせた家康。家康自身の価値を豊臣政権内で最大限高めつつ、秀吉との戦を巧みに避けるしたたかな瀬戸際外交だった。豊臣秀頼や淀殿にそのしたたかさがあれば、家康にいったんは下っても、家康死後に天下奪還のチャンスがあったかもしれない。
豊臣秀次を側室含め徹底的に潰して家臣団や世間が荒んだ様子を知ってるからこそ、潰すのでなく懐柔してなお懐柔することで世間の批判を避けたかったのでしょう
この頃は、長福丸を「ちょうふくまる」と呼んでいたのですね。ちなみに『八代将軍吉宗』では「ながとみまる」です。
徳川だってとくがわと言ったりとくせんと言ったり呼ぶ人によって様々だよ
まだ豊臣家があるときやな。
00:01 英語字幕に間違いあり。「慶長20年」は、字幕表示の「1620年」❌ではなく→「1615年」⭕ (この慶長20年の正月から五ヶ月後に「大阪夏の陣」とあいなる。)
秀頼の正室の千姫を御台所と呼んでいたけどおかしいよね!? 御台所は征夷大将軍の正室を指す言葉であって、秀頼の豊臣家は関白職、つまり公家の最高位であり、秀頼が関白になれば、その正室は北政所と称されるものの、まだこの段階では右大臣でしかない為、その妻は単なるお方様と呼ばれていたはずなんだけど・・・。違うかな? まあ、いずれにしても、豊臣秀吉も汚い手を使って天下を手中に収めただけに、奪われるときもひどい仕打ちで奪われることになった。戦国時代(戦争)とはそういうものなんだろうけど、たとえ天下人になれたとしても、その座に永遠に居座ることなどできないというのに、それでも人はその座も魅了され、地獄行きのチケットを手にしてしまう。人間の欲は尽きることがなく、今の時代でも戦争を仕掛け、罪なき大勢の人々を殺害してでも、自分の地位と権力を必死に守ろうとする悪魔がいるから。
これが本当に実現して居たらなあ。
う〜〜〜ん、この時の家康の本心は豊臣家が邪魔で仕方が無かったのでは?🤔だから豊国寺の鐘の文言に難癖をつけて豊臣家を滅ぼしたのでは?🤔
いまだに鐘に難癖つけたのが事実だと思ってる人間がいるのか創作で推察しても意味がない
@@lattehoji1492 さんへ 鐘は現在も残っていますが?何をもって創作だと?🤔
自分の孫娘を嫁に出すのだから本来お家取り潰しに相当する扱いではなかったはずなんだけど豊臣家はどこで対応間違えたのやら…
逆に家康も、実質手中にしていた大坂城西の丸を関ヶ原合戦後に豊臣に返還したのは悪手だったと思う。秀吉は賤ヶ岳合戦の際に織田三法師の身柄を「保護」してからは、手放さなかった。秀吉が関白となり天下が確定してから、三法師(秀信)に岐阜城を与えた。
とくがわと聞いたら、徳川が有名ですが実は群馬に得川があり、この家系を買ったと言うでっちあげが、後の葵~徳川三代で紹介されていたような🤔
まあそこんとこは新興の家なんでね家系図をつくっちゃうのは徳川に限った話じゃないです
常陸徳川(得川)氏(佐竹家臣)「得川です!名前変えたほうがいいすか?」家康「名乗りを許す!」(やべまだ残ってたのかよ…否定したら家系図否定になっちゃう!)
やはり今川とか武田とかが征夷大将軍にならないとね
@@ソニー株主 源氏が征夷大将軍にならなきゃというのは後世の俗説で鎌倉には藤氏将軍 皇族将軍もいた決定的なのは朝廷自ら織田信長に征夷大将軍を勧めていますつまり源氏かどうかは気にされてないんです
時系列ごとに並べていただけるとうれしいです…
大坂衆の維持ですな。
家康こんな善人じゃないってみんな知ってる
其れ歴史上の偉人ほぼ全てに当て嵌まるヤツ😅
@@究極の救連皇 おっしゃる通り。善人に偉業は無理
司馬遼太郎は家康を人間妖怪とこき下ろしていた。秀吉がいた頃は律儀者を装い、秀吉が死ぬと権謀術策を駆使して、豊臣家を潰しにかかったと。その他、独りの時は、腹黒い笑みを絶やさず、人前では好々爺を演じたとか、ボロクソに酷評していたが、多分司馬遼太郎の見方が正しい気がする
@@薩摩白波-e6v 家康は当初は豊臣を潰す存念は無かったと思うよ。秀吉が曾ての主家の織田家を自身に臣従させた様に豊臣を臣従させるつもりだったんじゃないかな。
@@究極の救連皇 えーマジで!
家康を美化しすぎ
まあ、原作が原作ですから、許して。今見返すと滝田栄演ずる晩年の家康って、ちょっと無理があるな~。
原作読んでなさそう
@@えいじ英ちゃん ほむ そも演技がねぇw
聖人君子じゃ日の本なんて統一できないことはわかっているし権謀術数をやりながら政治してんだもん。ドラマはドラマと割りきって観ないとね。まぁそれでも家康は好きな人物だけどね。
時系列順にしていただけるとありがたいです
豊臣秀頼が生き残る手段はあったのか、、、関ヶ原時点ですべての所領を召し上げて高野山に放逐して蟄居させつつ、時期をみて旗本数千五くらいで召し出すくらいかなと思います、 ほかの足利や旧名族とおなじく、その程度の扱いなれば秀頼の存命は許されたのかなと思いますね。
高家として残すつもりだったようです。
無理です。関ヶ原時点では家康はあくまで豊臣家臣。毛利や上杉の大減封も豊臣家当主秀頼の後見人として天下を預かる五大老筆頭として行ったもの。諸大名に預けられていた蔵入地を西軍大名処分にあわせて没収するぐらいしかできない。
大河ドラマは昔から歴史を歪める。これからも茶番を作り続けるんだろうね。国民から搾り取った受信料で
歴史If やって欲しい。
使者の木村重成は結局討ち死にします
しかし家康役になんでこんな偉丈夫選んだ??でかすぎるだろ。家康が座ってる場面がやたら多い気がして仕方ない、このドラマ。
家康性善説が過ぎる気がする。金八先生の小山内美江子氏の脚本ならば、さもありなん!
徳川氏は群馬県の出なんだね、それは知らなかった。
偽装です。
愛知県だよ信長も秀吉も家康も愛知県
徳川(松平)の祖先は他国から流れてきたらしいけど系図をいじって新田源氏系に繋げたから祖先が群馬県出身となってるような
@@ぐで-f9v 厳密に言えば徳川氏の祖先の得川氏が群馬県の発祥らしいです。
「貧しさを忘れず恩を忘れぬ」ための雑煮をいきなりブチ撒けてしまう家康公w
食べ物は大切にしないといけないですよね。
良い話しがだいなしだよ!!!!
言った傍から^^w
山岡荘八の家康は説教っぽいけど、260年間太平の世を築き覇道ではなく王道を貫いた偉人として山岡風の表現だと思う。原作を忠実に演じたこの作品は、俳優スタッフの力量を評価すべき良い大河でした。
有り得ない家康像!
…&”恨み”も忘れず。
大阪の陣を扱うドラマで家康も秀忠も千姫が可愛い必ず救うという設定は絶対無理があると毎回思っている
方広寺の鐘の文言で難癖をつけ、豊臣家を滅ぼした家康がこんな人情家だったであろうか。国松も探し出して処刑しており、豊臣家を完全消滅させる気だったことが分かる。
ただ、そのおかげで徳川300年の平和を築いたことは間違いない。足利尊氏のようなお人よしでは、平和を築くことはできないはずだ。
当時の朝廷も坊主達の見解も豊臣側が悪いと言ってるけどな
一応、降伏勧告や移動の提案したし!夏の陣だって台所に逃げ込んでも、話し合いに応じてるから。聖人でしょう
そもそも幕府樹立から10年以上経つのに豊臣方が臣従の姿勢すら見せなかったのもアカンよ。
当然でしょう。家康に逆らえるはずがない
@@gokurakuhh 平清盛が情をかけて、頼朝を助けたことが、後に平家滅亡を招いたから、家康はそれを教訓に非情に徹したのかも
織田家ほどではないにしても豊臣家の構造的な不安定さは治世に不向きであり、徳川の政治力は抜きん出ていたのも事実。
治乱の理を政権交代の前提とした以上、幕末騒乱を収めきれなくなった時点で大政奉還しなければ論理矛盾に陥る。
まぁ、島津・毛利を滅ぼしきれなかった時点で爆弾は抱えたままだったけど、起爆さえしなければただの置き物、くらいだったんでしょうね。
綺麗な家康だなあ。
性豪はどこいった?だよね~
豊臣を懐柔しようとする動きが意外に多いことから,秀吉の遺児「秀頼」に対する家康の感情は,この動画の通りだったかもしれない,と感じた.
しかし,天下が「豊臣」から「徳川」に移ることを善しとしない人達や,泰平となり職を失って浪人となった武士たちが,「秀頼」を担ぎ上げることで,やはり討たねばならない,となったのだろう.
秀吉の天下だと理解しても、秀吉の妹と結婚しても上洛に応じず、秀吉の母親が三河へ送られるや間髪入れず上洛して、秀吉に平伏をみせた家康。家康自身の価値を豊臣政権内で最大限高めつつ、秀吉との戦を巧みに避けるしたたかな瀬戸際外交だった。豊臣秀頼や淀殿にそのしたたかさがあれば、家康にいったんは下っても、家康死後に天下奪還のチャンスがあったかもしれない。
豊臣秀次を側室含め徹底的に潰して家臣団や世間が荒んだ様子を知ってるからこそ、潰すのでなく懐柔してなお懐柔することで世間の批判を避けたかったのでしょう
この頃は、長福丸を「ちょうふくまる」と呼んでいたのですね。
ちなみに『八代将軍吉宗』では「ながとみまる」です。
徳川だってとくがわと言ったりとくせんと言ったり呼ぶ人によって様々だよ
まだ豊臣家があるときやな。
00:01 英語字幕に間違いあり。「慶長20年」は、字幕表示の「1620年」❌ではなく→「1615年」⭕ (この慶長20年の正月から五ヶ月後に「大阪夏の陣」とあいなる。)
秀頼の正室の千姫を御台所と呼んでいたけどおかしいよね!? 御台所は征夷大将軍の正室を指す言葉であって、秀頼の豊臣家は関白職、つまり公家の最高位であり、秀頼が関白になれば、その正室は北政所と称されるものの、まだこの段階では右大臣でしかない為、その妻は単なるお方様と呼ばれていたはずなんだけど・・・。違うかな? まあ、いずれにしても、豊臣秀吉も汚い手を使って天下を手中に収めただけに、奪われるときもひどい仕打ちで奪われることになった。戦国時代(戦争)とはそういうものなんだろうけど、たとえ天下人になれたとしても、その座に永遠に居座ることなどできないというのに、それでも人はその座も魅了され、地獄行きのチケットを手にしてしまう。人間の欲は尽きることがなく、今の時代でも戦争を仕掛け、罪なき大勢の人々を殺害してでも、自分の地位と権力を必死に守ろうとする悪魔がいるから。
これが本当に実現して居たらなあ。
う〜〜〜ん、この時の家康の本心は豊臣家が邪魔で仕方が無かったのでは?🤔だから豊国寺の鐘の文言に難癖をつけて豊臣家を滅ぼしたのでは?🤔
いまだに鐘に難癖つけたのが事実だと思ってる人間がいるのか
創作で推察しても意味がない
@@lattehoji1492 さんへ 鐘は現在も残っていますが?何をもって創作だと?🤔
自分の孫娘を嫁に出すのだから本来お家取り潰しに相当する扱いではなかったはずなんだけど豊臣家はどこで対応間違えたのやら…
逆に家康も、実質手中にしていた大坂城西の丸を関ヶ原合戦後に豊臣に返還したのは悪手だったと思う。
秀吉は賤ヶ岳合戦の際に織田三法師の身柄を「保護」してからは、手放さなかった。秀吉が関白となり天下が確定してから、三法師(秀信)に岐阜城を与えた。
とくがわと聞いたら、徳川が有名ですが実は群馬に得川があり、この家系を買ったと言うでっちあげが、後の葵~徳川三代で紹介されていたような🤔
まあそこんとこは新興の家なんでね
家系図をつくっちゃうのは徳川に限った話じゃないです
常陸徳川(得川)氏(佐竹家臣)「得川です!名前変えたほうがいいすか?」
家康「名乗りを許す!」(やべまだ残ってたのかよ…否定したら家系図否定になっちゃう!)
やはり今川とか武田とかが征夷大将軍にならないとね
@@ソニー株主 源氏が征夷大将軍にならなきゃというのは後世の俗説で鎌倉には藤氏将軍 皇族将軍もいた
決定的なのは朝廷自ら織田信長に征夷大将軍を勧めています
つまり源氏かどうかは気にされてないんです
時系列ごとに並べていただけるとうれしいです…
大坂衆の維持ですな。
家康こんな善人じゃないってみんな知ってる
其れ歴史上の偉人ほぼ全てに当て嵌まるヤツ😅
@@究極の救連皇 おっしゃる通り。善人に偉業は無理
司馬遼太郎は家康を人間妖怪とこき下ろしていた。
秀吉がいた頃は律儀者を装い、秀吉が死ぬと権謀術策を駆使して、豊臣家を潰しにかかったと。その他、独りの時は、腹黒い笑みを絶やさず、人前では好々爺を演じたとか、ボロクソに酷評していたが、多分司馬遼太郎の見方が正しい気がする
@@薩摩白波-e6v 家康は当初は豊臣を潰す存念は無かったと思うよ。秀吉が曾ての主家の織田家を自身に臣従させた様に豊臣を臣従させるつもりだったんじゃないかな。
@@究極の救連皇
えーマジで!
家康を美化しすぎ
まあ、原作が原作ですから、許して。
今見返すと滝田栄演ずる晩年の家康って、ちょっと無理があるな~。
原作読んでなさそう
@@えいじ英ちゃん ほむ そも演技がねぇw
聖人君子じゃ日の本なんて統一できないことはわかっているし
権謀術数をやりながら政治してんだもん。ドラマはドラマと
割りきって観ないとね。まぁそれでも家康は好きな人物だけどね。
時系列順にしていただけるとありがたいです
豊臣秀頼が生き残る手段はあったのか、、、関ヶ原時点ですべての所領を召し上げて高野山に放逐して蟄居させつつ、時期をみて旗本数千五くらいで召し出すくらいかなと思います、 ほかの足利や旧名族とおなじく、その程度の扱いなれば秀頼の存命は許されたのかなと思いますね。
高家として残すつもりだったようです。
無理です。関ヶ原時点では家康はあくまで豊臣家臣。毛利や上杉の大減封も豊臣家当主秀頼の後見人として天下を預かる五大老筆頭として行ったもの。諸大名に預けられていた蔵入地を西軍大名処分にあわせて没収するぐらいしかできない。
大河ドラマは昔から歴史を歪める。これからも茶番を作り続けるんだろうね。国民から搾り取った受信料で
歴史If やって欲しい。
使者の木村重成は結局
討ち死にします
しかし家康役になんでこんな偉丈夫選んだ??でかすぎるだろ。家康が座ってる場面がやたら多い気がして仕方ない、このドラマ。
家康性善説が過ぎる気がする。金八先生の小山内美江子氏の脚本ならば、さもありなん!
徳川氏は群馬県の出なんだね、それは知らなかった。
偽装です。
愛知県だよ
信長も秀吉も家康も愛知県
徳川(松平)の祖先は
他国から流れてきたらしいけど
系図をいじって新田源氏系に繋げたから
祖先が群馬県出身となってるような
@@ぐで-f9v 厳密に言えば徳川氏の祖先の得川氏が群馬県の発祥らしいです。
とくがわと聞いたら、徳川が有名ですが実は群馬に得川があり、この家系を買ったと言うでっちあげが、後の葵~徳川三代で紹介されていたような🤔