邪馬台国は100%畿内です。 根拠は3つ。 ① 九州は男尊女卑の国なので女が王になることなどまずありえない。 ② 九州は中国・朝鮮にもらった物を大切にしない(なんといっても金印をポイ捨てした)ので、物を見せびらかしても効果がない。邪馬台国の見せびらかし作戦が通じるのは大陸の物をありがたがる俗物=畿内人あってこそ。 ③ 九州人は野蛮なので、中国(漢)に対しても牙を向いた過去がある。そんな奴らに邪馬台国のハッタリ(「ウチら、魏から認めてもらってますねん!まさか逆らおうとは思いまへんなあ?」)が通じるわけない。権威に弱い畿内人=関西人にしか通じないやり口や。
素朴な疑問。邪馬台国が近畿にあったのなら、何故魏国の船は近畿地方の港まで行っていないの?
道路も整備されていない古代日本で、九州で船を下りて、近畿まで移動をするなんて愚かとしか言えない。
答えは簡単です。邪馬台国は近畿ではなく九州だったということです。また、魏の使者は自分たちの船で来たとはどこにも書いてありません。おそらくは地元の船乗りが案内したのでしょう。そして、その勢力圏外には行くことができなかったと思います。
行政、交易を采配し近隣諸国が畏怖していた一大卒は敦賀辺り、邪馬台国を脅かすほどの鉄器生産力を持つ句奴国は熊野にあり、日本書紀にも書かれている四世紀初頭から中頃の崇神天皇の大叔母のやまとととそ姫の墓が箸墓古墳、祭司場所には古墳時代の円筒形埴輪が有るにも関わらず箸墓古墳の外周壕の土塁から炭素14年代測定で250~350年代の炭化物が発見され、同時期に神奈川でも発掘された巨大木造建築物より小さな建造物跡が灌壕も城柵も楼閣もない巻向から発見され、吉備の古墳より遥かに少ない祭司用の桃の種が発見されたことが邪馬台国国大和説の根拠のようです。遺跡遺物地政学的には全く不合理ですが、メディアを巻き込むプロパガンダは得手のようですね。文化庁の予算が数十年に渡り奈良県に集中してます。既得権益を手放したく無いのかも知れませんね。
@@蘇我林臣太郎
マキヤベッリ
民衆は無知だが、真実を見抜く力はある
どれだけ何十年にも渡り、奈良県に桁外れの考古学の「血税」の投入されても、この程度なら、
マトモな国民は誰もそんなものは評価しない、し
オーナーたる、国民の極めて低い評価を無視して、しょぼい成果であるにも関わらず、
湯水のように税金を何十年にも渡り投入するのは、
オーナーの意向を無視した、
ある意味「暴政」である。
世界からも、
そのような非論理的かつ、
非科学的な態度かつ、
長年に渡りそのような事に大量の税金による資金を費やすのは、
そのようなものは考古学ではないと
批判されている。
直ちに、
纏向・奈良を見切り
国民がどれだけステルス情報操作にも動じす、そこにあると考える、
北部九州などに、
今までの奈良県以上の割当の予算を投入し活発に考古学的調査を行うべきだ
それが、民主主義のオーナーたる「国民」の過半数以上の要望であり、
支持であり、(主権者の)指示だ
@@user-Godai_Yoshio
邪馬台国の時代に辰砂(水銀朱)を採掘して制作遺跡していた遺跡は徳島の若杉山遺跡しかないんだよなぁ
@@ラッキー純-h2x 魏志倭人伝には辰砂とは書かれていません。「その山には丹あり」と書いてあり、辰砂の可能性もありますが、赤土(酸化鉄)、酸化鉛の可能性もあります。それをどう解釈するかで、範囲は大きく広がります。
邪馬台国の場所を考えるには、距離・方位、飛鳥・奈良時代以降の地名との関連、遺物(鏡、勾玉、鉄鏃、絹)があるか、遺構(楼観、城柵、「棺あって槨なし」など)の記述が合うかなどを総合的に考える必要があります。
関西人だけど九州説ですね。同時期の纏向遺跡がいくら大きくても卑弥呼と結びつくような痕跡は何もない。大きい遺跡だから邪馬台国だって言ってるに過ぎないと思う。
九州説だと丹の説明がつかない。邪馬台国の時代に辰砂(水銀朱)を採掘して制作遺跡していた遺跡は徳島の若杉山遺跡しかないんだよなぁ
@@ラッキー純-h2x そもそも日本産じゃないのでは?中国や朝鮮半島からの輸入品とか。あとは丹に見えただけで原料は全く別の顔料で本物の丹もあったけど貴重だから特別な日にしか使わなかったとか色々考えられる
@@爆弾鬼斬り
九州でも、
中央構造線上の
大村湾北岸の虚空蔵山などから普通に取れるのです
虚空蔵山を源にする、塩田川の古くの名称は丹生川と呼ばれていた
川の水中の窪みに溜まった丹を掬うほうが、坑道を造るより、明らかに簡単に資源の取得が出来る
わざわざ坑道を掘るほうが古代としては資源としては魅力的とは言い難いのである
現在も発展途上国では、露頭しているものや、河川から掬う原始的な方法はいくらでもある。
だから、邪馬台国時代、採掘場が在るからそこ以外あり得ないと言うのは説得力が皆無であり、意味がない
また、大村湾からは邪馬台国時代も大きな真珠が取れたし、翡翠も少し取れる
阿波は、緑色片岩とか
真珠ではない、丹である
とか言っているが、
他の説で、そのような戯言を言ってるのは皆無ですね
森浩一教授を中心とする学派は、邪馬台国が魏の意向で九州から近畿に遷都した説を唱えてます
いささか大胆な仮説に思えますが、魏の使者が邪馬台国に滞在した理由と遺跡との関連性、そして当時魏の国が北方民族との争いに悩んでいたのが根拠とされます
考古学と中国史書があるから、何とか記紀が正ではないと言える状況ではあるが、それでも日本の誇る歴史学者の90%以上が邪馬臺国は機内と断言しているのが、怖ろしすぎます。闇過ぎる
箸墓古墳は考古学者が科学的証拠もなしに卑弥呼と同年代と言っているだけです。
魏志倭人伝では石室はないと書かれていますが箸墓古墳には石室があります。
また埴輪が出土していることから魏志倭人伝に書かれている殉職の風習が無くなっている時代のものだと推測できます。
〇〇県だ〇〇市だというのは現代の行政区分であり、邪馬台国の大きさ(約七万余戸)に見合わない気がする。奴国(2万余戸)を博多平野と比定すれば、その近くで3倍以上の人が住めそうなのは、筑紫平野(筑後平野・佐賀平野)ぐらいしかない。近くでと限定したのは、外交都市である伊都国で何かあれば出撃できる場所、異変を察知できる場所。もしかしたら、怡土城→大野城→基肄城と通信網が有ったのではないかと思う(狼煙やかがり火)。基肄城の南を見下ろせば筑紫平野。曹操の鏡と同じ?と騒がれた日田で出土された鉄鏡も、筑後川という共通点が。
よほど信憑性のある新しい発見でもない限り誰にもわからないことだ
邪馬台国問題って歴史書に道順の書かれた国の地理的な地点を求める問題だと思うんです。だから、今の考古学って問題の本質からズレてるように見えるんですよね。魏志倭人伝に書かれた国で現時点でおおよその地点が分かってるのって全て北九州なんです。だから根拠となる書物から分かる要素だけで考えたら、少なくとも、検討は九州から始めましょう、ってなるのが自然でしょう。だから近畿説というのを見ると、なぜそんな遠い地点から調べるのか?って思います。考古学は、不明点を地道に1つ1つ潰していくアプローチを採らないのか?8割9割ぐらい解明できてる時点でようやく近畿説が出るなら分かるけど
ベイズ統計は仰る通り誤った答えを出すこともあるけど、新しい情報が出るたびに精度は向上していくので有望かもしれないです
台湾の文献学者が、基本的に古代中国の道のりの記述は信用できないといってましたね。別の文献に書いてある日本に関する道のりをそのまま受け取ると、メキシコぐらいの位置に日本があると書いてあると。
@千賀-f4b
そうですね
日本列島の地図なんて無い時代なので書いてあるのは位置じゃなく道順なんですよね。あとは使節が送られた目的や背景も考慮に入れる必要があります
気になっているのが場所が邪馬台国に近づくにつれて、距離じゃなく日数(所要時間)が書かれるようになるんですよね。例えば「水行20日」とか。これは距離に換算して考えて良いのか。例えば道に迷って必要以上の日数がかかることもあるはず。地図なんて無いから距離はわからず時間だけ記録した、ってこともあるのでは
安本美典氏は、三角縁神獣鏡を卑弥呼の鏡だなんて全く言っていません。中国では1面も出土しない三角縁神獣鏡は(他の理由も含めて)明らかに国産鏡で、魏からもらった鏡ではないと主張していますし私もそう思います。
三角縁神獣鏡は大半が国産でしょう、だからそれが卑弥呼は鬼道を使う、の証明になるのですが。鬼道=神仙思想が基本にある道教とする三国志には記述があります。黄巾党の乱は有名ですからね。
安本氏のロジックは色々ミスリードが多いし認識が間違いです。
博多港は昔から大陸との玄関で、大宰府あたりに偉い人が複数いて、米作りに適した筑後川、矢部川の下流に首都があったのではないだろうか。その後、争いがあり、畿内に移った一部の人が新しい国を創ったような気がする。
身近な所を上空で見たいーっ‼️と思った事が有りましたーっ‼️もしかしてが有るかな?ありがとうございましたーっ‼️
卑弥呼の墓ですが、宇佐神宮の立っている小高い丘がそうだと言われてます。
明治末期と昭和の初頭に式年遷宮をやろうとして宮大工が二度にわたり地中を掘ると二度とも石棺が出てきました。
恐れ多いという事ですぐに埋め戻されたそうです。
宇佐神宮の主神は比売大神(ヒメオオカミ)という女神ですから、間違いないでしょう。
だいたい魏志倭人伝では卑弥呼の墓は「径百余歩」と表現されており、明らかに円墳です。
箸墓古墳のような前方後円墳ではないのです。
前方後円墳はあくまでも古墳時代の墓であり、前方後円墳は四世紀以降の墓なのです。
弥生時代に前方後円墳なんかあるワケがない。
そして邪馬台国の中心地は1990年に福岡県朝倉市で発見された平塚川添遺跡とみて間違いありません。
平塚川添遺跡から真東に宇佐神宮があり、そこが卑弥呼の墓だとすると太陽の昇る方向で卑弥呼のイメージとピッタリ合います。
宇佐神宮のある半島は昔から国東(くにさき)半島と呼ばれており、邪馬台国中心地の平塚川添遺跡からまさに国の東の先っぽにあるからそう言われているのです。
邪馬台国の中心地を福岡県朝倉市とすれば、すべてが合理的に説明できます。
伊都国(糸島)、奴国(福岡市)、不弥国(宇美町)までは九州説も畿内説も確定、直列式では南(→東に読み替え)に水行20日+10日、陸行1月で畿内に到達らしいが、宇美町は内陸なのでそこから水行は南も東も無理なんだよね。険しい九州山地に向かって水行なんて無理。なので伊都国から放射式で読み解くのが妥当。つまり糸島から南に20日で投馬国(つまこく、薩摩?)、同じく糸島から水行10日(長崎廻り)又は陸行1月で山門郡付近の女王の所在するところ。そもそも「女王国の北の伊都国に一大率を置いた」「奴国が女王国の領土の境界」とばっちり答えが書いてあるので福岡から本州にさえ出ることは出来ない。
南→東の読み替えなら、邪馬台国の南にあったとされる狗奴国も、
関西や瀬戸内沿岸だったかもしれませんね。
んで、強い狗奴国が邪馬台国を滅ぼしたなら、
邪馬台国内に卑弥呼の墓が無くても不思議じゃないです。
日本の中枢が九州じゃなく関西なのも当然になります。
ま、なんの証拠もない私の妄想ですが。
不弥国までの旅程記事と、その後の投馬国の日数記事をつなげて読んでしまうから混乱の元になっています。旅程記事は不弥国で終わりで、邪馬台国は不弥国の隣にあるのです。次の日数記事は、投馬国まで帯方郡から水行20日、邪馬臺国は帯方郡から水行10日、陸行一月で行くことを示しています。当時はまともな道がなかったので、陸上を歩くのは非常に日数のかかったのです。
@@user-Godai_Yoshio
そもそも「帯方郡から女王国まで12000里」と答が書いていて、九州上陸時点で10500里を消費しているのでどうやっても北部九州からは出ることすら出来ないのですが、そのあたりのことは畿内説支持者は見てみぬフリをしますね。「纏向は卑弥呼の墓で決まり!」の1点張りです。
@@user-Godai_Yoshio そもそも帯方郡(ソウル)から女王国まで12000里と答えが書いていて、九州上陸時点で10500里を消費しているので女王国の場所を推定するのは簡単な話です。
@@kinkin0421 帯方郡から不弥国までの距離は11400里です。残り600里しかありませんから、現在の距離で40km程度でしょう。
久留米の高良大社、そこにある祇園山古墳は卑弥呼の墓ではないかと言われてます
築造年代、規模ともに一致してます
佐賀がわずかに残っているということは、筑後地方の山門郡あたりか
山門郡かはとにかくとして筑後ってのは割とありそうだよね。
もっと後の話だけど筑紫君磐井なんかは山門郡のすぐそばの上妻郡が本拠だった訳だし、邪馬台国が今の大和朝廷と直接にはつながってないと考えたらこのあたりが一番の候補になるような気がする。つながっていると考えるから大和になるような印象。
卑弥呼は山門郡の田油津媛だと思ってます。ヤマトと敵対する土蜘蛛ですから大陸の後ろ盾欲しさに朝貢してたんだと思います
凄く面白かったです!!知的好奇心が刺激されてやばいです。
古代人の墓って生まれ故郷に作るんですかね?邪馬台国が九州でも卑弥呼の生まれが九州じゃなかったらどうやって卑弥呼の墓って証明すれば良いんだろ!
確かに女王連合国の中心地は福岡だと思うが、それは伊都国なんじゃないかな。
倭人伝にも書かれているように、邪馬台国は力で連合国を統べたのではなく、争い疲れた諸国がカリスマ性のあった卑弥呼を擁立しただけであり、男王なら従わない程度の国でしかない。
南に敵対する狗奴国と接し、東に海を渡れば別の国があることを考えれば、連合国はおそらく九州山地以北の北九州連合ぐらいの規模であった可能性が高く、その南部にあった邪馬台国は熊本じゃないかなと個人的には思うが、それはさておき邪馬台国を出土品から最も栄えていたであろう地域に推定すると誤った結果になるのではないかと思う。
邪馬台国はもちろん有力国ではあったと思うが、偶々卑弥呼というカリスマが生まれただけの国であり、最も栄えた国であった可能性は高くない。
レイさんの動画更新待ちに待っておりました〜😊🎉😊🎉😊🎉😊🎉😊
卑弥呼自体名前もわかって無いのにどう調べろと😅
卑弥呼は魏の国での呼び名だからね😅
卑弥呼は結婚して無かったって言われてるから、箸墓古墳は卑弥呼には合わないし、蜘蛛塚国津神の土蜘蛛を祀った所だし。
それに墓は征服された時に壊されてるかもしれないからね😢
昔の海岸線って今と全然違うし 東へ海は筑後川のことだと思う(使者はここまでしかきてない)でその先なら卑弥呼の国は熊本(大牟田〜熊本)あたりじゃね派です
伊都国が糸島なのがほぼ確実だからこの周辺なのが普通の考察になるんよな
糸島で紀元前の使用済み石硯が見つかっても考古学会で定説が1ミリも動かないのは不自然極まりないしな
九州説の学者が、学習データに九州説寄りのデータばかり使えば、九州説が有利となるという手法ですね。
学習データを、第三者がランダムに選択したりするようにすれば、客観的になるかもしれないですね。
誤字を発見しました。
3:35 藤森新一氏でなく、藤村新一氏が正しいです。
私も、北九州説ですが、しかし、ここで 問題なのは、考古学会の 主流の説が 客観的な データと ずれており、多くの人が 合理的な 疑問を 提案している点です。冷静で 客観的な 判断が できているか?自浄作用が 働いて いるのか? 落ちついて 考えて 見るべき ですね。とくに 鉄が 気になります。
そもそも邪馬台国に鉄が豊富にある、なんて記述は何処にもないです。骨鏃と並んで鉄鏃とあるだけです。しかもこれは倭の記述であり邪馬台国の独自の話ではない。
邪馬台国を特定する条件は戸数と卑弥呼が使う鬼道の痕跡だけですからね。
この2点をクリア出来ない北部九州では魏志倭人伝の条件には全く当てはまらないですよ。
鉄云々は別として。
考古学界が旧態依然なのが問題、ということでしょう。
なにせ、古事記、日本書紀の解読が、本居宣長のものから進んでいない。
ベイス統計はおろか
現代的な解析手法が全く使われてない、
ことが問題。
私的には
記紀をフィールドワーク的に読み解けば
邪馬台国は、北部九州となります。
弥生時代の日本では鉄器の多くが大陸との交流由来だってのはお分かりですよね?そして邪馬台国は中国の史書にて朝貢の樹立が明言されている当時日本唯一の王朝。とすると鉄器の大量出土は遺跡が邪馬台国由来の物と同定するための前提条件の一つとするのは非常に論理的でしょう。
しかし弥生期の近畿地方では鉄器の出土が非常に少なく、土器など出土品の形式が東国由来の物がほぼすべてを占めていて、少なくとも当時の奈良京都あたりの豪族が大陸と国交を結んでいた可能性は非常に低い。邪馬台国近畿説は後世の天皇神話に引きづられた歴史歪曲と解釈した方が合点がいきます。
ちなみに魏志倭人伝の戸数を引き合いに出されますが、この数字は司馬家の権勢を高めるための誇張でしょう。中国史によくあること。
大月氏国10数万戸を朝貢させた曹家よりも、邪馬台国総計14万戸を朝貢させた司馬家の方がスゲーよね??って印象に持ってくために盛った数字。
鉄が豊富なんて記述が無い以上は邪馬台国の必須条件にはならないですよ。そもそも三世紀なら畿内周辺の淡路島や近江方面に鉄に関する施設が発見されておりますから。戸数を盛っている、なんて昔からある説はあくまでも推測、九州説を補強したいが為の詭弁に過ぎないと思いますよ。そもそも虚数を張る意図、理由にあまりに弱いです。
私は戸数を朝鮮半島の情勢、つまり東夷伝の中の一つとして考察しています。馬韓国十万戸や辰韓国の四、五万戸と比較していますので。
もっとも七万戸なら畿内だけでも足りない、九州なら絶対あり得ないというのが正直な感想です。
あくまでも邪馬台国の特色に拘るなら私は鬼道しかないと思いますけどね。三世紀、七万戸もの広い国で鬼道の痕跡というと、道教思想が伺える神獣鏡しかないでしょう。
魏史の記述がどうであろうが、日本の鉄器の浸透史を考慮すると大陸と国交を持つ豪族が鉄器を多量に持っていないというのはあり得ませんよ。
纏向遺跡の出土品の傾向を見るに、当時の奈良京都の豪族は製鉄の浸透した大陸や西方よりも、東方との文化・交易的結びつきが強かったことが強く示されています。当時の近畿にそれなりの人口と文明があったことは頷けますが、少なくとも"邪馬台国とは関係ない国家"だったとするのが最も中立的な判断でしょう。
いずれにしてもどっちも決定的な証拠ないやん
決定的な証拠とは何ですか?
訳の判らない事を言ってないで、
何が決定的証明なのか位定義して下さい。
それでは具体的に何も示さず、腐してしてるだけの妄言でしかありません。
私も 本当に邪馬台国や卑弥呼が実在するなら 福岡県だと思います🤔
邪馬台国は100%畿内です。
根拠は3つ。
① 九州は男尊女卑の国なので女が王になることなどまずありえない。
② 九州は中国・朝鮮にもらった物を大切にしない(なんといっても金印をポイ捨てした)ので、物を見せびらかしても効果がない。邪馬台国の見せびらかし作戦が通じるのは大陸の物をありがたがる俗物=畿内人あってこそ。
③ 九州人は野蛮なので、中国(漢)に対しても牙を向いた過去がある。そんな奴らに邪馬台国のハッタリ(「ウチら、魏から認めてもらってますねん!まさか逆らおうとは思いまへんなあ?」)が通じるわけない。権威に弱い畿内人=関西人にしか通じないやり口や。
北部九州だとは思うけど、水行陸行の長さと方角を考えると福岡より南、東に海の記述を考えると九州の東側な気はする。
魏志倭人伝、記紀を読み込むことが大事。統計は参考になるが、決定打にはならない。
近畿説は七万っていう数字に縋り付いて強引に成り立ってる説なので、史書の数字誇張を指摘するとファビョる近畿論者が多くて凄く面白い。
毎回反応が楽しみ 笑
まず魏史をはじめとした三国志の周辺国の数字だけど、これらって完全に伝聞をもとに書かれてるんだよね。例えば匈奴40万戸、百越100万戸、クチャ7万戸etc… これらの数字は現地の考古学的調査などからそれだけ膨大な市民人口を維持できる農業基盤や統治機構が整っていないってことで怪しまれている。
そもそも百越も匈奴もクチャも古代中国における戸数に依存していない社会だったというのもあって、その点からも中国史書における外国の数万戸っていう数字には信憑性がない。
だのになぜ邪馬台国や奴国の数字だけ見て"真実だ!"などと断定できるのか?
だいいち魏国の外交官が外国の詳細な現地調査なんて出来るはずが無く、どう好意的に見ても自称でしょう。ましてや弥生期日本の場合は詳細な人口調査が出来るほどの統治機構があった痕跡すら一切見つかっていない。
まぁ十中八九"おらが国を強く見せてやる!!"っていうアレ。
ちなみに丹は九州に存在しないとか言うおバカな事を宣う方がいらっしゃいますが、吉野ヶ里遺跡と板村遺跡にも大量に出土してますしぃ
ましてや辰砂の国内埋蔵と採掘は九州南部に集中している。その点からも九州説は有力なんですよねぇ
ネットのお陰で畿内説の矛盾点が国民にバレて来てますから。公式発表でも無いのに畿内説で決まったことだと無理矢理に議論を封鎖しようとするのは相当な焦りがあるのでしょう。
纏向関係は国の税金を使ってますから何かしらの成果を発表しなければならない。
苦し紛れで桃の種などを邪馬台国に毎回関連付けてますが魏志倭人伝には其竹篠簳桃支桃という竹のことしか書いてありません。
最近だと畿内説ではもう無理筋なので九州まで含めた広域の連合国家にしたいようです本当に恥ずかしいですね。
@@diopresario様、
五斗長垣内遺跡の淡路を畿内に含めるのを咎めたら、「近畿」だとか言い出しました〜
纏向→畿内→近畿→九州を始めした勢力の共立とか
旧帝国陸海軍のやうに「転進」だ!
勝った!勝った!と言ってるのと一緒のファナティックさが、
きっつー
そして、マスコミ等を利用したロシアや支那の様な、情報操作してのプロパガンダといい
戦前の無敵皇軍と戦後のアカの悪魔合体がまた
きもちわる
アカなら、説を、コロコロ転進した不定見さを、得意の「総括」してほしいものだ
そうなると、自己批判したのちジェット式で吊し上げかな?!
出土数を比較対象とするのは結構なのですが、発掘の回数と範囲が出土数に大きな差が出てしまう気がする。
福岡をはじめ、九州各地では高速道路ができるとか工場団地ができるところでないと発掘調査がされていません。奈良では、そういう事に関係なく非常に広い範囲で発掘がされています。それでも福岡県の方が鉄製品の出土がはるかに多いのです。
@@ウッチー-z9r 全国でも似たような条件で発掘調査が行われていると思いますが、弥生時代における鉄鏃の出土は九州に多く、特に福岡県が全国一です。これは他の地域で発掘が進んでも簡単には覆りません。99.9%というのはベイズ統計学による計算によるのであって、適当に数字を使っているのではありません。yamataikokunokai.com/katudou/kiroku234.htm
@@user-Godai_Yoshio 纏向遺跡はわずか3%くらいしか発掘されていないそうです。
@@地球寒冷化 纏向遺跡では200回の発掘調査があったそうですが、平塚川添遺跡は1回だけの発掘調査です。また、長田大塚古墳は一度も発掘調査されていません。
佐賀はともかく、熊本北部は可能性あると思う。て言うか、邪馬台国の時代に県とか意識してるわけ無いし、佐賀熊本福岡に近い辺りのどっかじゃね?
あと九州説での卑弥呼の墓だと、宇佐八幡宮な。ただ、宇佐近辺に邪馬台国があったかはわからんけど
面白かった、統計を勉強したいなと思いました。😊でもサジェストとかリコメンド機能とかは自分的にはエコーチェンバー化してつまらないから、まだこれからなんだと思う。
丹は出てる?
文明が大陸から伝播しているのだから、普通に地理的に近い方が発展するでしょうね。頼みの綱だから個人的には佐賀にあってほしいけど。
纏向を時代で最大の権力の遺跡とするのには賛成でも
それって邪馬台の遺跡だとするポイントは何処にも無いんだよな、結びつけんナって話
纏向が邪馬台国時代最大の遺跡というのも怪しいのです
まずそもそも、纏向はそれまであった遺跡を無理やり一つの遺跡としたものである
そして、大宰府の水城の基層、
ならびに筑紫コリドーの反対側の前畑遺跡の何百メートルも続く版築の土塁も100年〜300年、
築年西暦240年±が尤も蓋然性がある
なので、大宰府を取り巻く形の羅城が邪馬台国時代最大の土木建造物であり、
最大の遺跡の可能性も浮上する
現状の状況証拠で類推すると福岡県の八女市当たりが邪馬台国だと私は考えている。
安本美典氏の意見は面白いものもあるが、都合のいい解釈であたかも科学的のようにみせるレトリックを使った解釈もあり、全面的には支持はできないですね。例えば皇統が1600年とか、市井の好事家程度の私でも反証出来てしまうような稚拙な類推も多い。何が言いたいかといと、肩書きのある方の意見は一聴の価値はあっても無思考的に鵜呑みにせず、自考が大事ということ。
面白い。
金印を授かるほどですから、邪馬台国は日本で一番大きな勢力を誇ったと思います。邪馬台国は単純に弥生時代日本で一番の先進地域で一番人口も多くかつ出土物が魏志倭人伝と一致する場所だと思います。須玖岡本遺跡にある奴国の丘歴史資料館に弥生時代の遺跡・古墳の分布図があるのですが、比恵・那珂遺跡-須玖岡本遺跡-安徳台遺跡にかけてが圧倒的で相当な人口密度であったことがうかがえます。レイさんはこの辺りを邪馬台国に比定されていますが、凄く説得力があると思います。
確か安本氏は、古代史の 「古田武彦」氏の マネ将棋と記憶しています。
古田氏の「邪馬台国はなかった」のパロディ本「邪馬壱国はなかった」を出してた "あやしい人" ですよね。
安本も古田も怪しさという点では同レベルでしょ
安本は九州王朝説や東日流外三郡誌支持は流石に唱えてない分古田の方が怪しいか
卑弥呼=天照大神説
そして邪馬台国東遷説が好き
で、中国からの渡来人って説になる。そうなるのが嫌で自説を曲げない人が実は多くいる。
近畿と違って九州は都市化が進んでないから、まだ掘ったことも無い平地が無数にある。
まぁー、下手に掘ると遺跡が出てきて、工事がストップするし、発掘する財源が無いから都市化が進まないんだけど、、、
データ分析は万能ではないですよ。 必要なデータが十分に集まっているかどうかの検証から必要だと思いますが
卑弥呼のお墓が宇佐八幡だったらいいなって思います。
鏡の作製について、前に直方の博物館に行った時、直方辺りで、百済からきた人たちが作っていたのでは?というお話を聞いたことがあります。それを宇佐八幡にも献上していたのではと思っています。
魏志に書いてあるのは女王国連合の話で、女王の都(邪馬台国)は水行10日陸行一月離れた場所と書いてある。
北九州ならなぜ里数で書かん
まだ土中に眠ってる遺物がある
日本全土が調査しつくされてすべての遺物を対象にしたものならわかる
自治体によっては発掘調査をしてないところもある
出土した遺物だけを対象にしてるのでこの手法では確度の高い事は言えない
最初の方の霊夢の言い草とか聞いてると、「近畿説」「箸墓古墳」でもう一般的にもキマリ!!・・・かのような風潮になってるキライを感じるが、実際には「九州説」が妥当と思ってる人が優勢だと思う。強引に近畿説を有力視する歴史家やマスコミとかは自重してほしいな。
マキヤベッリ
民衆は無知だが、真実を見抜く力はある
どれだけ何十年にも渡り、奈良県に桁外れの考古学の「血税」の投入されても、この程度なら、
マトモな国民は誰もそんなものは評価しない、し
オーナーたる、国民の極めて低い評価を無視して、しょぼい成果であるにも関わらず、
湯水のように税金を何十年にも渡り投入するのは、
オーナーの意向を無視した、
ある意味「暴政」である。
世界からも、
そのような非論理的かつ、
非科学的な態度かつ、
長年に渡りそのような事に大量の税金による資金を費やすのは、
そのようなものは考古学ではないと
批判されている。
直ちに、
纏向・奈良を見切り
国民がどれだけステルス情報操作にも動じす、そこにあると考える、
北部九州などに、
今までの奈良県以上の割当の予算を投入し活発に考古学的調査を行うべきだ
それが、民主主義のオーナーたる「国民」の過半数以上の要望であり、
支持であり、(主権者の)指示だ
異物の数なんていうのは当てにならない。
日本全国を均一的に調査発掘した場合のみこそ、その多さが意味を持つだけ。
どれほど優れたデータサイエンスコースであっても入力の源に誤りがあれば寧ろ危険。
動画内でも言われてるけど、日本の考古学って多く調査した場所から多くの遺物が出てくる物で、探してない場所からは何も出ないから、今の資料だけ見ればそりゃそうなるなって気はする。ただ、九州説って歴史的な流れが一切見えない。説明聞いても九州上陸したらあと少しの距離だから九州しかありえないって、そこだけに縋ってて、その他の文章はデタラメだの無視だので誤魔化してる印象強いんですよね。個人的にはこじ付けだろうと何だろうと、阿波説とか見てて面白かったです。
邪馬台国では水銀採掘されてたはずなのに、九州じゃ水銀採掘跡は発見されて無いなぁ
唯一水銀採掘されていたのが阿波なんだよなぁ。
普通に大村湾北岸の虚空蔵山などの中央構造線から取れる
虚空蔵山を源にする、塩田川の古くの名称は丹生川と呼ばれていた
川の水中の窪みに溜まった丹を掬うほうが、坑道を造るより、明らかに簡単に資源の取得が出来る
わざわざ坑道を掘るほうが古代としては資源としては魅力的とは言い難いのである
現在も発展途上国では、露頭しているものや、河川から掬う原始的な方法はいくらでもある。
だから、邪馬台国時代、採掘場が在るからそこ以外あり得ないと言うのは説得力が皆無である
また、大村湾からは邪馬台国時代も大きな真珠が取れたし、翡翠も少し取れる
阿波は、緑色片岩とか
真珠ではない、丹である
とか言うのがいるけど
あなたもその口?
@@あいう工夫 その口です。
別に水銀だけが理由で阿波を推すわけではないですが。
長々書くのは面倒なので省きます、すいません。
専門家では無いのでディベートはできません。
自分の意見を述べたいのであれば他でどうぞ。
@@mian908
あなたが、「データサイエンスで解明!?卑弥呼は99.9%福岡県」というチャンネルで、
わざわざ阿波であるという自分の、意見を言っているのだろ
他人に他でどうぞと言うのは、
自己言及系の矛盾である。
そのようなことでは
他の阿波説の方にも、
そんな矛盾した事をいったら
阿波説のイメージが悪くなるだろ
と思われ、
迷惑ではないですかね
@@あいう工夫 面倒なやつだな、Skypeの垢載せるから直接話そうぜ?
そんで俺をちゃんと論破してくれや。
もう論破されてるだろ
そんな事も判らないの?
なぜ私がわざわざSkypeをしなければならないの?
よほどそっちのほうがめんどくさいわ
あばよ
自己解読では、福岡市内になったんだけどなー、、、
アタシもそう思うんだが
少なくとも九州 上半分
五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)は、畿内における鉄器製造使用の可能性を拡げるブラックスワン現象の引き金になり得ると思いますよ。少なくとも福岡の99.9%はなくなるのでは?それと、安本氏のデータの取り方も北九州と近畿地方に偏重していて、他の地方については無視、しているように見受けられるのは私の偏見でしょうか。
ごっさかいと、とは淡路島の?
畿内でさえ無いのだか、、、
畿内の範囲も判らないの?
そうやって、当初のモノから主張を変えて
だんだん範囲を広げていき「転進」を旧帝国陸海軍のやうに
正当化するのが、纏向・畿内説の定番ですね~
そのような、「大東亜共栄圏」よろしく風呂敷の如く版図を拡げても
元がダメなら、どうしようもないのです
そう、淡路島です。近畿か北九州かでいえば近畿、畿内でないにせよ近畿でしょう。人間の手によってどこへでも持ち運べる鉄器鉄製品の出土より、人の手で移動できない史跡の方が鉄の存在を確実にしますし。厭らしい考え方をすれば、近畿の勢力が淡路島で鉄生産を行い北九州へ持ち込んで使用した、という論説も可能ですよね。なお、五斗長垣内遺跡は1世紀ごろの150年間に亘り存在したとみられていて、卑弥呼(共立の直前?)の時代だそうです。
畿内を拡大解釈してはいけません
ちゃんと調べてね
ほんま、そのうち淡路・近江
更に丹後・丹波・若狭・阿波
越前・播磨・伊勢・尾張あたりまで、含めそうな面の皮の厚さですね
淡路には阿波のほうが近いし、
纏向と吉備では淡路への距離がほぼ同じ
吉備の穴海や阿波の屋島などから見ても、操船能力・また船舶数もそちらのほうが上の可能性がある、その場合どちらのテリトリーになるかね
そして、全く思わないが、仮に百歩譲って兵庫県を纏向勢力に含めたとしても、邪馬台国時代の鉄製品の出土数なりを、九州等と比べて見てね
どちらしろ、隔絶した差がありますね
どうしても畿内から鉄なども含め、
広めたとしたいようですね
まあ、言論の自由はありますので好きにしてください
論理の飛躍が大きく、
事象発生の確率的にも、そのような
可能性は極めて低いと判断しますので、
ではこれで
畿内の拡大解釈ではありません。近畿プラスアルファで考察しています。魏志倭人伝で「遠絕不可得詳(遠絶にして詳かにし得るべからず)」と記された「其余旁国(その余の旁国)」も、女王の境界の中なのです。なにせ、21か国列記の後に「女王境界所盡(女王の境界の盡きる所)」とあるのですから。その列挙国の冒頭にある「斯馬国」が淡路島と考えていますので「女王の境界」内から製鉄跡が見つかった、と言いたいのです。(なお畿内説は無いかな、とは思っていますが💦)
北九州は大陸との貿易の玄関口として栄えたとは思いますが、同時に侵略のリスクの高い危険な場所であり、国のトップが居住するには適さないと思いますがどうでしょうか?
邪馬台国時代
東シナ海を倭舟以外で渡るのは自殺行為
呉の国の孫権が台湾遠征を司令したが、
結果は壊滅的損害であった。
中華文明で最も造船・操船技術が高度であったと考えられる呉の軍船でもこうである。
他は推し量れよう
安本美典に興味はないが ベイズ統計額学で 4つの出土品から 福岡説 というのは納得がいきます 但し 鏡は 圧倒的に畿内が多い 箸墓古墳は 埴輪からも 炭素14年代測定法(最近では誤差が生じることが分かってきた)からも 4世紀初めといわれている 私は福岡県でなくても九州説しかないと思っている
4つの出土品があればそこが邪馬台国というのは結論を先に置く循環論法ですよ
そんな前提自体安本ら九州説論者以外誰も共有していません
@@kei.suzuki 4つの出土品というのは、4個ということではなく、鉄鏃、鏡、勾玉、絹ということです。鉄製品、絹の出土は福岡県が中心で、奈良県は福岡県の1/100しかありません。循環論法ではなく、魏志倭人伝に記載のある遺物があるかどうかは重要です。
@@user-Godai_Yoshio
いや循環論法そのものですよ
「邪馬台国の産物」なんてどこにも書いてないですよね
それらの遺物が出土した地域なんてのは安本が勝手に決めた定義に過ぎない
@@kei.suzuki
いや
魏志倭人伝にバッチリ記述してあるだろ
何考えてるの?
@@あいう工夫
どこ?
魏志倭人伝はネットで拾えるから引用できるよ
福岡って都道府県の中で唯一の人口増都市で若者が多い街だから、もういっそ都にして東京の人口密度減らさないか?これを機に
😗卑弥呼が九州から近畿に遷都したんじゃない?
まぁお互い地元愛とか色々あるんだろうけど、最終的に答えを出すのは考古学者が発見したブツ
相沢忠洋 「・・・・」
ゴッドハンド「・・・・」
@@あいう工夫 ゴッドハンドって今どうしてるんやろなぁ
三角縁神獣鏡は300枚以上出ているので倭人伝の記述銅鏡100枚に符合しないし、中国では出土されていない。卑弥呼の宋女台与(トヨ)であるが豊姫を祀る神社は福岡県にある。
邪馬台国は豊国(豊前、豊後)現在の福岡県東部と大分県に比定される。箸墓古墳では埴輪が出ている。卑弥呼の墓は殉葬墓だから埴輪は出ない。
天皇陵を発掘調査できればかなり解明が進みそうなんだが、あいにく現皇統の墳墓だからねえ‥‥
個人的に卑弥呼がいたのは
福岡じゃなくて大分じゃないかなと思ってますけど
福岡にも関連してる土地はあるので
否定はしません🙂
@@1w523 豊の国って言うのが色々妄想しちゃいますよね。記紀にも“豊”は頻出しますし
宇佐八幡と神託事件と色々関係してそう。次の天皇を決める神社が宇佐なのは絶対何かありそうなんだよね。
こないだ親富孝通り歩いてたで
ずっと昔は、邪馬台国なんて近畿だろ?と思ってましたが、今は九州説を覆す方が難しいように感じますね。山の中に発見された前方後円墳らしきものが、卑弥呼の墓かどうかまではわかりませんが、そのうち調査が入れば新発見もあるかもしれませんね。
列島に張政が来た時には「 卑弥呼以死」と247年に死んでいます。伊都国で最後に作られた平原古墳から三種の神器である素環頭の刀、内行花文鏡、玉の耳飾り出土しています。被葬者が女性だったら卑弥呼の墓かも、この時期から難升米も登場しないので、どちらの墓か判りません。卑弥呼は東倭、狗奴国連合に敗れてるので近畿には行ってないと思います。
AIに卑弥呼の国家場所を問い合わせなさい。
残念だけど天皇由良の墳墓は重要な古墳は許可降りてないので未発掘のままで・・・現在天皇由良の古墳以外が九州説と畿内説で東大京大で争ってコイツらアホ?と見ている四国説が冷たい目で見ている。
魏志倭人伝に一文があるだけで存在したかも怪しいけど、あったとしたら九州北半分以外の場所にないだろうな。近畿なんて大陸から遠すぎて、使節を出す意味がない。使節が語ったどこにあるのかなんて半分デタラメでしょ。詳しく語ったら揉めた時に攻められる危険があるだから😅
魏志倭人伝が、日本の歴史とリンクしていること、
一次資料である証明の一例を挙げる。
魏志倭人伝の、伊都國の爾支と一大率ならび持衰の関係は
物部氏の祖先を記述している事の証明
魏志倭人伝には、
一大率は女王国以北の諸國を監察。
持衰は、航海の際、随行する。
厳しく見張られており、航海が不首尾なら、宗教的/祭祀的な価値観から殺されることも有る掟もある、と記述されている。
現代で言うと、
一大率とは、警察権・検察権と、神官として宗教的/祭祀的な事も司る事をマージした役割なり働きといえる。
そして、その役割なり働きは、大和朝廷での物部氏の役割なり働きと同じくし、
その為、邪馬台国時代に既にそのプロトタイプが有った事を強く示唆しています。
曹魏や西晋が、未来の大和朝廷の物部氏や、その役割を知る筈が無いし、
大和朝廷の物部氏がニギハヤヒを祖先としていることも、
曹魏なり西晋は、当然、未来の事なので知る訳が無い。
つまり、魏志倭人伝における、
大和朝廷の物部氏の祖先と目される伊都國の長官 爾支、
ならびに物部氏と、一大率・持衰の役割の記述の一致することの発生確率として思考したなら、
簡単なモデルで説明すると、
抽象概念となるが
極めて多い面を持つサイコロが2つあり、2個のサイコロ共に3回続けて任意の面(数)が出る確率と同じと言える。
①爾支 ↔ニギハヤヒ(名前の一致)
AND
②一大率↔警察権・検察権(役割の一致 その1)
AND
③持衰から↔祭祀的・宗教的関わり(役割の一致 その2)
確率の最大値/上限値(必然に起きる事)の数を1とするなら、
AND(〜で且つ)で、物事が一致する事象が3重であり、3回続けて
2つの超多面体(巨大数のサイコロ)の同じ任意の面(数)が出る事なので
1÷(①の確率 ✕ ②の確率 ✕ ③の確率)
で表され、
事象の発生の確率は、極めて小さくなり、明らかに
偶然一致は考えづらく
私の概算より、客観的場合の数を求める為、
人口知能におおよそを
求めてもらった所、
P(確率)= 1/100 ✕ 1/50 ✕ 1/30
(名前の一致x役割の一致1x役割の一致2)
=1/150000
の発生確率となりました。
逆に言えば、必然に起こる事の数1に対して
逆数の150000倍、偶然の一致は考えづらいと言えます。
1/150000の発生確率でも否定的な意見とかあるかもしれないが、
偶然の一致は、非常に考えづらい確率だと言え、
よって、客観的事実の蓋然性に足ると考えます。
そのため、魏志倭人伝の爾支や一大率と持衰の関係の記述は
逆説的に、当事者にしか知り得ない秘密の暴露となっており、
その記述の、客観的証明になってしまっています。
採用しなかった他の例として、
投馬國の官 彌彌も天忍穂耳尊と名前から同一人物の可能性が考えられますが、
物事が一致する事象が、幾つか重なっていない事象は、確度が下がるので、確定的との判断はとどまるべきとの考えからです。
ぶっちゃけどこでもいいけど中国の高名な学者が揃って北部九州って言ってるならそうなんだろな。日本の畿内派も彼らには反論できないと思う。
畿内説は近畿地方の人が、畿内にあって欲しいという思いだけで、こじつけているだけですからね。不都合な情報はなかったことにしているし。ちょっと話にならない。
孝霊天皇の時に九州山門郡から畿内大和に移って、倭迹迹日百襲姫は台与ではないでしょうか。
ぷっ!(笑)
出土数を比較して国内統治の中枢拠点と貿易の中枢拠点を同一視しても全く意味がないと思うんだが?そもそも北九州は古来より半島からの脅威に対する「防人」の拠点であったとも言われているので武具や交易品の出土数が多いのは当然だと思うんだが?国政中枢拠点に関する出土品で重要なのは「数」よりも当時重要視されていた祭祀に関わる品物の出土が決め手になるのでは?
アメリカは首都はニューヨークではない、
オーストラリアはシドニーが首都ではない
等、馬鹿じゃないの?
それはそのような地域を支配しているから出来るだけだ
邪馬台国時代、北部九州を他の地域が支配していた形跡は無い
詰まり、咄嗟の言い訳と同レベルの
たわごとである
福岡の志賀島
ここが卑弥呼の墓で有る可能性は?
海の中道もある事だし
怪しく思うのは,私だけ?
金印に関しては江戸時代に糸島の神社から盗まれたという言い伝えがとある神社に伝わってるらしい。
どっかのブログ書いて有ったけど、そのサイトを見つけられないだなぁ。
犯罪心理学の人だよね
自分も九州説ですが、安本先生の手法は非常に妥当な根拠と推論で正しいと思いますが、本来のベイズ統計学とは方向性が違うし、データサイエンスのデータマイニングや深層学習とも違いますので、あまりデータサイエンスという言葉を使わないほうが良いかもしれません。
阿波説に一票。
卑弥呼とむいうのは、台風とか自然環境の立地条件を感じないそんなバカだったんですね。
糸島一択。平原遺跡が卑弥呼の墓。
邪馬壹国や卑弥呼の事が、古事記や日本書紀には当時の権力者により、
故意に掲載されていない可能性があります。そして、その記紀の内容
を正当化するために、地名や遺物まで移されている可能性もあり、卑弥呼
の墓は簡単には見つからないようにしてあるようです。データを扱う場合は、
これらの事を考慮する必要がありそうです。
天皇家と邪馬台国が別物だったら、天皇家の歴史に邪馬台国や卑弥呼のことを記入することはない。
また、中国から攻め込まれないように邪馬台国への経路を嘘で言ったか、魏志倭人伝に書くときに間違って記入したか。
う〜ん魏志倭人伝に「邪馬台国はこういう国である」と書いてあるのだから
それを無視して遺物だけで特定しようとするのはやはり的外れなのではないか?
魏志倭人伝を無視しているのではなく、魏志倭人伝に書いてある倭国の特徴である、鏡、鉄鏃、勾玉、絹の全国の出土数を比較して、例えば鉄鏃は奈良県から4個出土しているのに対して、福岡県からは398個出土しています。つまり100倍の開きがあるのです。それを全て計算すると邪馬台国が福岡県にあった可能性が99.9%となります。
@@user-Godai_Yoshio
そりゃおかしいよ、だって他の条件を外してたら意味ないでしょ
「邪馬台国とはこういう国である」と幾つかの条件があって、該当しない条件が多いけど出土数多いから邪馬台国だよね?って話になる訳がないじゃない
さらにこの時代は記録に残っていないけど邪馬台国以外にも国家があって、そっちの国も同様の工芸品があってもおかしくない
出土品の条件だけに絞るなら邪馬台国と一致することもあり得る
この手法で言えるのは何か強力な国家がそこにあった、くらいまでよ
@@minanoneko8956 ここに書かれている出土品なら、各地で専門家が調査していますので、かなり信用できると思います。また、この4つの出土品は全国で調査されていますので、元の資料にはすべての県の個数が書いてあります。
@@minanoneko8956他の条件で言えば植生は九州や四国くらいしか当てはまりませんし、卑弥呼の都の特徴に一致するのは佐賀の吉野ヶ里しかありませんが、そこは筑後平野で北部九州になりますし、書かれている特徴に一致するかを当てはめれば北部九州にくらいは絞れます。
卑弥呼がばってんとかばりとか言ってたってマジ?
帯方郡から女王国まで直接船で行けば一万二千里12日の距離 末慮国から陸行ならば一月かかる所 北部九州ではあり得ない
しかも東南の方位としっかり書かれてるしね
北九州は帯方郡から見れば南の方位
真南というわけではないけど東南の方位とはとても言えない
@@minanoneko8956 当時は方位磁石がないので、方角を決めるのは朝日の上る方向を東としたのです。魏からの使者は夏に来た可能性が高いのですが、そうすると方角の判断が大きく反時計方向にずれることになります。
魏志倭人伝には「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」と書かれています。しかし、魏志倭人伝の元になった「魏略」にはこの文章の前に「又」の一字があります。また、「自郡至女王國萬二千餘里」とあります。これをあわせて読めば、帯方郡から女王国まで12000里あり、水行10日で10000里となり、残り2000里を陸行で一月かかったということでしょう。他の部分で、倭の道は草が生い茂り、前に行く人の姿が見えないとあります。現代人が考えるより、陸行には非常に時間がかかったようです。
@@user-Godai_Yoshio それは古代人の測量技術を舐めすぎでしょ
方位磁石がなくても天体観測で東西南北はビシッと決まるしこの時代に作られた地図を見れば現代とも遜色ない精度で作られたものもある
例えば10月3日の北京における日の出の方位を記録しておく、南北線は北極星の方位で確定
それを例えば福岡で日の出の方位を観測すると福岡の方が北京より南にあるから日の出の方位は北側にずれる、わかるよね?
この角度のずれで北京と福岡の南北間の距離が計算できる
東西方向も同様に日の出の時に水平線ギリギリに見える一等星が西側にずれてるから東西方向の距離がわかる
あとは三角定理で地球上の2点間の距離が計算できるという寸法
@@minanoneko8956 当時の一部の人がそういう測量ができたとしても、倭国に来た使者がそれだけの知識があったかどうかわからないでしょう。又、そういうことができる状況があったかも疑わしいと思います。隋書に、倭人は里数を知らず、ただ日数をもって計ったとあるので、長ささえ測ることができなかったということです。
今だに安本美典氏や古田武彦氏をありがたがっている時点で九州説は終わってる。
都合のいい部分だけ切り取っても意味がないですよ。セールスマンや詐欺師と同じ。
九州王朝説も東遷説も考古学では完全否定証明されたといっていい。
なんで大和朝廷は、自分達が九州から来た征服者だって自称してるんですかね?ずーっと不思議だったんですけど、竹田恒泰さんがどストレートに邪馬台国は九州のローカル勢力で大和朝廷は宮崎からの征服王朝だって言われてて、すっと腑に落ちましたけど
福岡県朝倉市に基底部を入れると、140m の円墳があると聞きました。これが、卑弥呼の墓として怪しいのでは。近畿の箸墓勢力は同時期の、大和王権の祖となる勢力と考えるのが自然な気がします。
卑弥呼は宇佐の大元神社に眠ってるよ
あっそう
宜保愛子さん、頑張ってね 😊
歴史を浪漫や空想で語るのも好きなんですが学問(サイエンス)的に考えれば魏書にはデタラメな記述も多くあるので『実在しなかった』の確率がもっとあると思えます
その上で実在したとするなら北九州が一番確率が高いのではとも考えますが
これは対馬の小国が大げさに伝わったなどを含めてのことです
また中国地方の確率も低く考えられがちだとも思います
魏志倭人伝が、日本の歴史とリンクしていること、
一次資料である証明の一例を挙げる。
魏志倭人伝の、伊都國の爾支と一大率ならび持衰の関係は
物部氏の祖先を記述している事の証明
魏志倭人伝には、
一大率は女王国以北の諸國を監察。
持衰は、航海の際、随行する。
厳しく見張られており、航海が不首尾なら、宗教的/祭祀的な価値観から殺されることも有る掟もある、と記述されている。
現代で言うと、
一大率とは、警察権・検察権と、神官として宗教的/祭祀的な事も司る事をマージした役割なり働きといえる。
そして、その役割なり働きは、大和朝廷での物部氏の役割なり働きと同じくし、
その為、邪馬台国時代に既にそのプロトタイプが有った事を強く示唆しています。
曹魏や西晋が、未来の大和朝廷の物部氏や、その役割を知る筈が無いし、
大和朝廷の物部氏がニギハヤヒを祖先としていることも、
曹魏なり西晋は、当然、未来の事なので知る訳が無い。
つまり、魏志倭人伝における、
大和朝廷の物部氏の祖先と目される伊都國の長官 爾支、
ならびに物部氏と、一大率・持衰の役割の記述の一致することの発生確率として思考したなら、
簡単なモデルで説明すると、
抽象概念となるが
極めて多い面を持つサイコロが2つあり、2個のサイコロ共に3回続けて任意の面(数)が出る確率と同じと言える。
①爾支 ↔ニギハヤヒ(名前の一致)
AND
②一大率↔警察権・検察権(役割の一致 その1)
AND
③持衰から↔祭祀的・宗教的関わり(役割の一致 その2)
確率の最大値/上限値(必然に起きる事)の数を1とするなら、
AND(〜で且つ)で、物事が一致する事象が3重であり、3回続けて
2つの超多面体(巨大数のサイコロ)の同じ任意の面(数)が出る事なので
1÷(①の確率 ✕ ②の確率 ✕ ③の確率)
で表され、
事象の発生の確率は、極めて小さくなり、明らかに
偶然一致は考えづらく
私の概算より、客観的場合の数を求める為、
人口知能におおよそを
求めてもらった所、
P(確率)= 1/100 ✕ 1/50 ✕ 1/30
(名前の一致x役割の一致1x役割の一致2)
=1/150000
の発生確率となりました。
逆に言えば、必然に起こる事の数1に対して
逆数の150000倍、偶然の一致は考えづらいと言えます。
1/150000の発生確率でも否定的な意見とかあるかもしれないが、
偶然の一致は、非常に考えづらい確率だと言え、
よって、客観的事実の蓋然性に足ると考えます。
そのため、魏志倭人伝の爾支や一大率と持衰の関係の記述は
逆説的に、当事者にしか知り得ない秘密の暴露となっており、
その記述の、客観的証明になってしまっています。
採用しなかった他の例として、
投馬國の官 彌彌も天忍穂耳尊と名前から同一人物の可能性が考えられますが、
物事が一致する事象が、幾つか重なっていない事象は、確度が下がるので、確定的との判断はとどまるべきとの考えからです。
1200年代はイタリアのある刑務所に収監されていたマルコポーロの体験談を別の囚人が口述筆記し書いたのが東方見聞録。その中のジパングという国が果たして日本の事なのかどうか確定的ですらないし、マルコも魏志倭人伝の作者も直接現地に赴いたわけでもない。噂や伝聞を掻き集めて作った架空の国の可能性もありますね。
@@千賀-f4b様、
確率的証明なり、蓋然性を語っています。
当然貴方のいう、フェイクの可能性を含めた上でのデタラメではなく蓋然性があるという事です。
日本の考古学なり歴史研究は
確率的な蓋然性を用いない事が多い
諸外国からも、
それは遅れているよ、
確率的蓋然性によるモノもあるよ、と言われている状況
数学や論理学ではない問題は、
確率的証明が基本となります
何かしらの絶対的証明が有るとでも?(笑) 😂
データサイエンスとやらで、2000年後の荒野となったオーストラリアを考古学者調べれば、首都はキャンベラでなくシドニーになるだろうな。魏の使者が多くの場所を経由して来たのは、残念ながら奈良なんだよ。北九州や筑紫は邪馬台国勢力の故地であると同時に重要な外交防衛拠点なので、出土品が素晴らしいのは当然のことなんよ。大陸に近いしね。
安本氏の説は、魏志倭人伝に記載のある遺物についての出土数を統計で調べたもので、魏志倭人伝に記載のないものがいくら出土しても統計には関係ありません。そういう意味で奈良からは関係あるものの出土が少ないという事です。鏡は多く出土していますが、それは三国志の時代ではなく、4世紀以後の古墳時代のものが多いのです。奈良からは魏と関係のある遺物が出ていません。
@@user-Godai_Yoshio
だからさ、そういう発想自体に意味がない。北九州は大陸との玄関口であり交易が盛んだったから外国の影響が強いのは当然。統計の悪用としか言いようがない。大体、邪馬台国が福岡にあるなら、一大率が伊都国に置かれる意味がない。
@@user-Godai_Yoshio
北九州は交易の最前線なんだから、そんなの当り前。大体、邪馬台国が福岡なら経路の説明なんぞ必要ないし、一大率もいらんだろ。
@@ナスカの天上絵 奈良県からは魏志倭人伝に記載のある遺物はほとんどないので、そもそも交易などしていないのでしょう。また、邪馬台国がどこであろうとも経路を書くことは重要でしょう。一大率については、あまり遠距離となるほうが不自然です。奈良に政権があった時代は難波(大阪)に同様の役所があったはずです。
都合がよい事しか語らないのは
纏向・畿内説だ
世界からもそのようなモノは
考古学ではないと批判されている
邪馬台国時代鉄器の出土が極めて少ない事を、
まだ出ていないだけ
該当土層が悪く鉄が残りにくい
等、
恥ずかしくないの?
そんな事を反例にするとか(なって無いが)
他にある?
より条件が悪い関東ローム層でもそんな事は言わないし、
世界でもそんな事を言っているのを聞いたことが無い
纏向・畿内説はそれを認識し
如何に考古学の規範から逸脱しているか、
猛省し、
非論理的かつ非科学的な
たわごとを言わないように 😊
卑弥呼は存在しない。
否定による「悪魔の証明」を用いるのは、
証明しようが無いのです
あなたの主張は低レベル過ぎて
このチャンネルにはそぐわない
畿内のわけがない。
妄想以外の何物でもない。
あったとすれば九州北部以外考えられない。
あった証拠はないが笑
無かった確率を計算した方がいいのでは?????
それ以前に「邪馬台国はなかった」に一票って言ったらw。「臺」か「壹」かも曖昧だし、魏志倭人伝を倭人の為に書いていないし、誇張も多々あるし。。。とにかくわからんw。
壹の字は壱の旧字だからヤマイ国だという説を竹田恒泰氏なんかが主張してるけど、豆が含まれてるからヤマトウ ヤマトゥだと思う。
そもそも魏志倭人伝自体が怪しいんだが
配信を、ありがとうございます。
邪馬台国、九州説で納得しました。
この動画によって、邪馬台国論争に終止符が、打たれました。 めでたし。めでたし。 万歳三唱。
ピンポン!福岡県南部です。詳しくはキンドル版[誰も書かなかった邪馬台国探し]を読むと納得します。
普通に考えみればわかりますが、卑弥呼は鬼道使いですよ?三国志の時代鬼道といえば神仙思想がベースの初期道教です。つまり三世紀に神獣鏡が多数出土する場所が一番の候補なんですよ。考古学の見地からみると七万戸という大国でもある邪馬台国の候補は畿内辺りしかあり得ないのです。
魏志倭人伝を読めばわかりますが、倭人の国には儒教思想が入ってきていません
2〜3世紀の中国の思想の影響を受けるのに儒教の影響を受けずして神仙思想のみ伝わるなどというのは非現実的です
7万戸の件ですが、中国の史書というのは人戸に関してはかなり大袈裟です
「秦人十万人を坑す(あなうめ)」とか普通に表現します
魏志倭人伝の本伝「三国志」の赤壁の戦いを読んで実際に赤壁に行けばよくわかるハナシです
邪馬台国 卑弥呼など露骨な差別言葉 こんな差別用語を日本人が使うとはなさけない やまとのくに ひのみこというべき またあの時代日本で一番おおきな国は大和だ
やまとのくにも中国からみて東南にあるとかいて有るのだが
私は なんとしてでも邪馬台国 卑弥呼などいう 差別言葉を容認するよな事してほしくない 変えていきたい
邪馬台国はヤマト国と発音して現在の奈良県を指しています。
魏志倭人伝の時代に奈良県には大和政権があり第10代崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。
その後都が京都に遷都されるまでの間長く歴代天皇がいらっしゃいました。
又、初代邪馬台国女王卑弥呼は第7代孝霊天皇の皇女の倭母母曽毘売命です。
倭母母曽毘売命は紀元115年に生まれ198年に84歳で崩御され箸墓古墳に葬られました。
従って邪馬台国は奈良県にほかなりません。
畿内大和は九州山門の邪馬台国が移って来たと思われます。孝霊天皇は九州山門から畿内に移って来たのではないでしょうか。
神武東遷が正しいとするなら九州の邪馬台国が関西へ進出、もしくは皇統から別れた分家が関西へ移住。その後、本家より分家が力を持ち、首都が移転する形になった。継体天皇の例を見ても、他の例を見てもそういった事は多々あって、そういう権力の移動が起こったのかなと。関西と北部九州で同じ発音の地名が多いし。また、道鏡の神託事件を見ても、やはり元々皇統の本家は福岡大分にあった様に見える。
99.9%福岡県と言うのはあり得ません。。
99.9%九州説には同意出来る。
魏志倭人伝に「女王国の東に海あり。
その先に別の倭人の国あり。」
西九州の可能性はほぼ0%です。
東九州説99.9%です。
そのようなモノで、確率が99.9%にはなりません
確率的に何%だから、歴史的事実に認めるに足る蓋然性があると示すことが全く判ってないですね
あなたがが同意するから99.9%とか、
あなたの主観や山勘を排除してから確率的蓋然性に付いて語って下さい
魏志倭人伝を根拠に確率的証明を行う者としては
そのようなオカルトとんでも確率論は
非常に迷惑です
違うと言うなら、
どんな事象が、どれだけの場合の数か位示すべき。
と言うか単に出来ないだけだけど
己の能力の無さを鑑み、「確率」とか言った気になって背伸びしないほうが良いですよ
その様な目茶苦茶な主張は恥ずかしいことだと気付いて下さい
そんなオカルト計算なら
AIにでも計算させたほうが、
断然 良い 😂
邪馬台国 卑弥呼など露骨な差別言葉 こんな差別用語を日本人が使うとはなさけない
やまとのくに ひのみこというべき これだけでも 近畿説だろう
またあの時代日本で一番おおきな国は大和だろう 九州から近畿に遷都したなどあえない また痕跡もない
やまとのくにも中国からみて東南にあるとかいてあるのだが
なぜ奈良が一番大きな国と言えるのか?
それ自体全く論理的では無いし非科学的であり、
ただのあなたの願望を言っているだけの
戯言である
少なくとも歴史教科書で倭という侮蔑漢字で国を言う表現は変える方向性みたいだ
考古学ってくだらない学問だよね!