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福島隊は吹雪で田代への道がわからなくなると、休憩もさせずに案内人の一人を人質にして、案内人に田代を探させてる間に兵隊は雪壕で休憩したり、5連隊が遭難する程の吹雪の中で八甲田山系の最難関を案内してくれた案内人も疲労困憊で助けが必要なのに、小峠付近で案内人を見捨てて町へ向かった為に、見捨てられた案内人は7人全てが酷い凍傷を負い、その中の一人は廃人になって回復することなく十数年後に亡くなり、頬に酷い凍傷を負った案内人は頬に穴があいた状態になり水を飲むのすら苦労する等の後遺症を負った案内人もいたのに、兵隊と違って僅かな案内料以外に保証等は無かった。こんな事をされれば、被害者や被害者の子孫、関係者等の地元民が映画や小説に怒りを感じて当然ですね。
映画も小説も脚色はあるものなんでしょうけども、そういう事実を無かったことにするような内容はそりゃあ許せないですよね...知れてよかったです。
それも名誉欲や出世欲に駆られたもので地元民を犠牲にして成功しただけだからな もちろん隊を全滅させるよりはだいぶマシだが
映画は失敗した部隊の対比で福島隊を英雄的に描いてるからリアルを知ると興ざめだね。とはいえ福島隊も民間人を犠牲にする糞部隊として描くと軍隊批判映画になるから史実を加工してしまったんだね。困ったもんだ。
あ
最後にちゃんと福島隊の褒められた部分ではないところをちゃんと紹介しているのがいいですねフラットな目線で事実認識をしようとする目線が大事だと思います
もしかすると左翼マスコミにそそのかされてそう証言したのかもしれないけどね。
福島大尉の非人道的な部分に、触れらて良かったです。
素晴らしいドキュメンタリーでした。歴史の裏側を知るという大切さが伝わりました。編集だけでなく、調査にも時間を割いたのでしょう。ありがとう!
最後の福島隊の負の功績を、伝えてくれたのは、良かったです。小説、それに増して映画が、作品としてよく出来すぎていたため、福島隊が余りに美化されすぎ、それが史実に近いと認識されている部分に、若干不満がありました。
八甲田山の動画は解りやすくて良い動画
その福島隊も最終行程にあった青森から弘前の間にある梵珠山越えは「凍傷者多数、疲労著しく強行すれば遭難確実。」としてこれを断念、途中浪岡で一白して平坦な今の国道沿いにゆっくり行軍する日程に変更してます。
弘前側の話って滅多に聞けないからいい動画です
当時の時代背景から説明して頂きとてもわかり易いです、確かに31連隊は余り取り上げられていないですね、福島中隊長のストーリーも含めて良い勉強となりました、ありがとうございました。
八甲田山20万回再生おめでとうございます。うぷ主さんの努力と研鑽の賜物です。これからも、応援しています。これからも宜しくお願いします。
行軍に記者が随行したと解説にありましたが、無理なのではとご指摘あって調べてみました。たしか参考にした資料に事前発表時で37名と記者一名とありましたのでそう解説に入れましたが、別な資料では参加を取りやめたとありました(編成には写真師とあります)。取りやめた理由は随行に耐えないからという事なので、多分それが正解だと思います。どの本も行軍隊の様子は地元新聞の記事を一級資料としているようですので、ある程度のところまでの随行か後日福島らに対する詳細な取材が行われて書かれたものと思われますが、普通に考えれば訓練を積んでいない記者は無理ですよね・・。ただ、福島は上層部へのアピールのために記録に残すことは熱心だったらしいので、最初は過酷な行軍にマジで記者を連れて行こうとしていたというのは不思議ではない様です。
zerosenさんの動画見て八甲田山に興味をもちました!福島隊の動画も楽しみにしてたので見られてよかったです!
おおお!待ってました
映画ではよく分からなかった全体像が分かり感謝しています。
ただし青森からは当初梵珠山越えで弘前に向かう予定でしたが、全員が極度に疲労(風呂にも入らず中には宿の玄関先で倒れてそのまま寝た隊員まで居た。その為汽車で帰営する事さえ検討された)し遭難の恐れさえあった為これを断念、奥羽本線沿いの平坦路を途中浪岡泊で徒歩帰還してます。
昭和52年の映写でした。その後、遭難死した兵隊たちの亡霊が夜な夜な連隊隊舎に隊列を組んで帰還してきたそうです。生還した徳島隊は、日露戦争で全員戦死しました。
福島大尉を取り上げて頂きありがとうございます。この人が正当な評価を受けられていないのが不思議でした。この動画で色々納得しました。福島大尉そのものが決して誉められる人格でなかったことは知っていましたが、評価されないと言うのはおかしいと思っていました。
まぁ雪中行軍を成功させたことだけはねぇ。
八甲田山😊20万回再生おめでとうございます
昔、「コーチング」という企業リーダー研修の教材に成っていました。。AチームとBチームのリーダーのとった判断でもたらした結果は大きく違ったという話。リーダーの判断次第でチームに大きな災難が襲い掛かる。リーダーはどう在るべきかを考えさせられた。
どんなことでもそうですが、事前の下調べと段取り、準備ができてるかで結果が大きく変わるという好例だと思います。
こちらの話も決して褒められた内容ではない。あっちの全滅した隊に比べたらマシというだけの話。
八甲田山20万回再生おめでとうございます
20万再生おめでとうございます! わかりやすく、かつ緩急の付いた面白い解説でとても参考になります。日清で散々寒中での戦闘がきびしいのを知っていたのに(そもそも日本の北国だって十二分に寒く厳しい)そのあたりの用意をしないというとんでもない軍隊だったのは周知ですが、軍人、特に仕官はエリートなのですからもうちょっとなんとかならなかったのかと常々思います。(まぁ目端の効く人らも上から潰されたのでしょうね、、)福島大尉の生い立ちは今回初めて詳しく知りましたが民間からの出世であればもうちょっと民間人にやさしくあってほしかったですね、、。
45年くらい前、十和田湖に住んでいましたが小学校の体育館で八甲田山の映画の上映会がありました、10歳前後でしたがショッキングな映画と記憶しています
湖に住んでたのか。半魚人?
@田中一郎 ワロタ お疲れ様でした
地元民を苦しめたという点では逆にいえば地元民を遠ざけて勝手に犬死した軍のほうが…となんともいえない気持ちになる話だった。
DQNの川流れ、玄倉川水難事故と同じ。
なんというか、どちらの側も地元民からしたら「軍人はロクな奴らじゃない」って感想になりそうですね(゜д;;:...
これを見て、ずっと敬遠していた原作小説を読んでみようかなぁと思えました。
福島隊を案内した民間人が凍傷で脚を失ったが軍からの保証は何もなかった、とかあったような。
なかば強制でしょう。
「もう用はねぇってわけかね」。『八甲田山死の彷徨』では若ママ案内人が吐き捨てるように言いますけれど、映画版では真逆に描いていますね。
いつも楽しみにしてます!動画作成頑張ってください!
嗚呼…。とりあえず、upありがとうございます。20万再生おめでとうございます。広告付帯おめでとうございます。
八甲田山の動画20万再生おめでとうございます。これからもこの動画を応援していきたいと思います。
福島泰蔵大尉については、後年甥の高木勉氏(福島大尉戦死後の1913年生まれ)が「われ、八甲田より生還す」「八甲田山から還ってきた男」など数冊の本を発表しています。
確かに最近の福島大尉に対する評価や再研究、再検討が行われ、案内人を酷使した挙句、村を通りかかる時は映画のように先頭に立たせたのではなく、最後尾に行かせて、案内人が負傷すると置き去りにしようとした場面もあったそうですね。現在で言えば、軍人の風上にも置けないとか、国民をなんだと思っているのかと思うようにもなることがありますね。また余談ですが、福島大尉が日露戦争時に所属していた山形歩兵第32連隊は後に沖縄戦で活躍する伊東孝一大尉(歩兵第32連隊第1大隊大隊長)と同じ連隊ですね。これもなんらかの縁なのですかね、
立川シネマシティの映画を見に行くきっかけになった動画をありがとうございました。上映は終わってしまいましたが、自身の教養になりました。これを機会に映画業界や子孫の教養に役立つ動画をよろしくお願いします
動画更新楽しみにしていました。
映画、小説などで知り雪中行軍資料館、銅像にも行きました。資料館横の陸軍墓地も参拝しました。
🎊(祝)八甲田山20万回再生👏👏👏😉
弘前31連隊は映画では美化して描かれてますが?実在には地元案内人には酷い事をしていたんですね!宿として宿泊された民家にとっては災難以外の何物でも無かったのですね。
新田次郎小説設定では徳島(福島、高倉健)大尉⇒士族出身、神田(神成、北大路欣也)大尉⇒平民出身 だったけれども、違うんだ、、、
映画では、いち、に、さん、し、と歩数で距離を測ってたのが印象的でしたよねぇ
それにしても、この映画の秋吉久美子は、可愛かったなぁ。
映画は観ました、過酷な条件下でよく撮影できたものだと驚嘆したのを憶えてます。ZERO SENさんのおっしゃる通リ映画、小説とは実際は異なるものでしょう、美醜は表裏一体。現実はいにしえの時代から権力側の威光で不都合な真実は葬られ書き換えられたのが日本史でしょうね、理不尽な仕打ちは現代でも溢れてますが声を届ける事も出来ない、聞いてもくれない硬直した時代だけにはなってほしくないですね。
小笠原孤酒氏のドキュメント『陸奥の惨劇』を読まれたかたは、ここにはおられますかしらね?新田次郎が自らの小説の終盤で、この遭難事件を「陸軍首脳部が生み出した人間実験の結果」と総括したことに対して、小笠原氏はものすごいショックを受けたそうです。
旅団副官とは、いわば旅団長の秘書。なので決して閑職ではありませぬ。更に日露開戦直前のため、平時に増して忙しかったことでしょう。軍は、福島大尉の功績に報いたのです。ただ、持ち前の反骨精神ゆえに旅団長とは上手く行ってなかったとは聞いて〼。
映画八甲田山で高倉健さんが演じていた陸軍大尉が道案内をしてくれた少女が、道案内が終わって実家のある集落に帰ろうとした時に指揮下にある兵を整列させて『かしらぁ・・・なかぁ!』と下令し兵士が敬礼した時は痺れました。
映画だといい話だが現実は・・・・・
勉強になりました。
この頃からすでに隠蔽体質だったんだな
いまなお八甲田山行軍の犠牲者である兵士達の怪談話が地元では囁かれてるらしい。福島大尉も経験で準備はしていたが犠牲者を出したら作戦は失敗と言う概念が無かったのは今も変わらず組織上層の思考次第だと思われる。
まぁ。保障出したくても軍上層部が握りつぶしんてじゃなあ・・・
映画の福島隊と言ったら大尉役の高倉健と案内人の秋吉久美子(カワイイ)ですね。それと軍歌「雪の進軍」!!後にガルパンで歌われるとは夢にも思いませんでした。
そうそう!あったあった!ガルパンで「雪の進軍」
@@Mark-ft2kf 「天は我々を見放した!」の台詞もね。
実際の案内役の人は、凍傷で置き去りにされ半死半生ですね。人質にとられる形で、道探しに、こき使われたり。映画とは違いますね。
福島隊の闇て言うより当時の軍の闇だからなぁ
陸軍の最初の反乱と言われる「竹橋事件」も、一般国民に広く知られるようになったのは、戦後になって陸軍が廃止になってからだもんなぁ❗
納豆せんべい 海軍もやな神重徳とか
@@yasushis19720210神さんは別格だが、海軍もそう褒められたものではないしな
今見れば酷い人間かもしれないけど当時はある意味で軍人の鑑だったのかも…と思いました
八甲田山。小説も映画も名作です。でも、日露戦争で亡くなったんですね。元々、戦争のためだから、運命と言えばそうなのですが、切ないですね。
もし今映画のリメイクをしたら福島大尉の案内人たちへの横暴さを描くか?描かないでしょうね。本題は福島隊じゃないしそもそも事件後に脚光を浴びたわけでもなく逆に隠蔽され結局日露戦争で戦死している。神成隊の遺体や遭難を見つけた時、福島大尉らは何を思ったのだろう。(自隊も遭難寸前で、救助不可能なことは別として)
映画と小説の違いにびっくりしたもんです。
ヤスヒン どんな感じ?
@@halumi2002 映画→八甲田山の最難関前に案内人を送り返すシーンがあり、高倉健以下総員敬礼でお見送り。現実→案内人は目的地まで案内させられて、1人あたり2円(現在の貨幣価値で4万円前後)渡されたのみで、凍傷の後遺症への保証などは一切なし
マア・・・明治、という時代は・・・まだまだ江戸時代の身分制のなごりがあったからなあ・・・軍隊=武士階級・・・
続編お待ちしてました。当時小学生だった私でも映画「八甲田山」はインパクト受けました。といいますかあの名曲の方が・・今でも脳裏に響きます。地元青森ですが歴史から学ばない(現代でいえば代表取締かな)が多いですよ特に青森市には!(他市町村もあるかな?)上司・部下が連携取れてる企業ってあるのかなあ~~・・・・・・・・・・・・・・・・
企業にはトップダウンのほうが短い期間での生産性の向上が知られています、つまりその社長一代だけであればトップダウンのほうが企業の発展としては効率がよいのです、加えて時代に会わせて変化を加えるよりも昔から決まったルーチンで動く企業のほうが長続きすることも知られています、更に社員の給与を上げたところで生産性に変化はないことも知られていますつまり純粋に利益をもとめる企業としては平社員は使えるだけ使って食い潰すことは利にかなっていることでこれに対して政府が規制を行わないのは企業の利益は政府の利益にも大きく繋がるので当然の行為なのです、今の現状SNSで文句を言うだけで実際に行動を起こすと首になるかもしれないからと何も行動しない国民をほぼ奴隷同然に扱うことは利にかなっていると言えます
歴史を見ても力を持つ相手に対してリスクを負わないで自分たちの不利益を覆したということはほぼありません、結局は不利益を被っている本人たちが実際に行動を起こすことでしかこの問題は解決することはありません
兵卒や民間人をないがしろにするような国は戦争をしてはいけないな・・。
事前に調べて旅行に行く人と、行き当たりばったりで行く人のちがい、上に立つ次第です。
福島様が士官に至るまでの説明でようやく納得出来ました。お爺様方が「あの方は士官だから私たちのような思いはしておりませんよ」って意味がわかりませんでした。同じように大学を出てらしたのに。出自が根底にあったのですね…。
八甲田山系ユーチューバーときいて
秋吉久美子さん、感動しました。
八甲田山麓にある とある旅館の壁に当時の写真が飾られていた昔 私の中学の修学両行で訪れた所で 何故か壁一面にカーテンで隠されていためくって見ると トラウマ級の写真がたくさん並べられてて・・・・怖かった記憶がある名前も覚えていない旅館 まだあるのかな?
まあ故高倉健に「史実、または原作小説の通り」に演じてもらうわけにはいかなかっただろう。実際、案内人(演:秋吉久美子)と別れるくだりがああなったのは健さんのパブリックイメージに配慮してのことだし。
福島大尉が上層部から遠ざけられらたのも、差別というより、上昇志向を嫌う人が多かったのかも。人柄が良ければ、才を惜しんで引き立てる人もいたかもしれない。
前回の動画見ましたよー今回の背景は熱帯魚ですかねー毎回楽しませて頂いております。次回も楽しみです。モグタン(^ω^)
来る対露線に備え、寒地研究を目的とした周到な計画と準備、加えて案内人を立てる無理のない行程と食料·宿泊所の確保、精鋭小隊編成。当時としては万全の態勢で雪中行軍に臨んだ結果、未曾有の大暴風雪の難を逃れたのでしょう。なお弘前から出発して、増沢から田代経由で青森に向かうにはこのコースしか無く、標高1,000mを超える白地山をよく越えたものだと思います。ちなみに、恐いのは雪や寒さだけでなく、雪中行軍経路の田代平で、訓練中の自衛隊員が火山ガスによって死亡する事故が、三十年前にありましたね。
取り上げて欲しい題材が。英国の南極探検家「シャクルトン」、書籍「そして奇跡は起こった」に、めっちゃ感動してます。ゆっくりさん、いつも素晴らしい動画を、ありがとうございます‼️
調査が凄い
福島大尉の功績が認められなかったのは残念に思いますが、この行軍で被害に遭った村人達への保証が無かった事には怒りしか有りませんね。しかも、映画で高倉健さんが演じた福島大尉にとても良い印象を持っていたので残念でなりません。せめて、軍部に掛け合うなりして何らかの保証に尽力して欲しかったです。
映画のなかで徳島隊の案内人が 50銭か1円程度の銀貨を受け取っていたけど、その硬貨に目を瞠りながら複雑な表情であったのは、それを表現していたんだね。
マリサの男言葉が可愛い
八甲田山の行軍って里山みたいな所の進軍でしょう。でもね、大正生まれの母親の話では子供の頃に、福島県の田舎で、吹雪の中の数百メートル離れた隣家に行こうとして遭難する人がいたとのこと。里山を舐めてはいけません。遭難、隠蔽、そして、大本営発表。。大東亜戦争でも同じです。
初コメです。福島泰蔵大尉の生き様解説。大阪、東京の国立国会図書館などに資料として残っていないのか?気がかりではありますが、明治時代、当時の新聞記者たちが撮影された表に出ない不許可な写真が、資料として、白日の下にさらされる事があってもいいと思いますが、違う目線としての「八甲田山」のドラマ作ってほしいかな?無理を承知で。
ここまでたくさんのコメントがあって、この事件の遭難経験者のうち最高年齢の証言者であった小原元伍長(1970年逝去)のことが、全く出てこないところが不思議。このかたは、駒込川の峡谷にはまり込んで身動きが取れなくなった山口少佐・倉石大尉ら、計9名の生存者のうちの一人です。新田次郎の小説では、(比較的元気な将校2名が履いているゴム長靴を見て)自分もゴム長靴を履けば「黄色い雪」の上を跳ねるように歩いて連隊まで報告に帰れるだろうと妄想したり、峡谷の崖の上から自分たちを覗き込む「カラス」の姿(実際には救助隊の姿)を発見したりします。
映画見ましたが雪崩のシーンのシーンがどうやって撮影したのだろうか?
大変勉強になりました。平民ゆえのコンプレックスが、優秀な人材を育てたにもかかわらず最期は切ないですね。論点がずれてますが、日露戦争というと、秋山兄弟思わずにいれませんが、福島に比べれば、スタートが根本的に違うのを、教えて頂きました。最近士農工商はなかったと言う説があるらしいですが、とんでもないですね。
作り話が事実として本当にあったかのように歴史として語られる。
映画や小説とごっちゃになっています。正しくは・連隊から同時に出たけど対抗演習ではない・山口少佐は自殺ではない(凍傷で指が動かせない)・食料とかは事前に確保してありいきなりの徴発でない
福島隊は案内人がいても遭難しかかって、運良く進路を発見して生還したのだから、「福島隊は準備万端だから助かった」という評価には違和感があります。もっとも、いざとなったら案内人を徹底的に酷使して使い捨てることで隊の消耗を最小限にする、という事も含めて準備と言う意味なら、福島隊は準備万端だったと言えますね。
まってました!福島さんは福島県出身だと思ってました(∀`*ゞ)テヘッ最後は切ないですね。映画はツタヤでレンタルあるかな?
福島大尉の子孫が書いた本も出てるのよね
村人を、隊の安全と目標達成のために酷使する。結果として作戦達成してるし軍人としては正しいんだろうな。
幸畑の行軍者墓地を見ると、死んでも尚階級社会を写し出したような配置に何とも虚しさを感じます
…辟易と言う単語がしっくりきます。
八甲田山で、亡くなった199人の英霊墓地の祠があまりにも貧弱なのは、当時の案内人等への手当金が薄かったせいなのか?銅像だけしっかりしていて他の場所は、素通りしそうに質素なのも気になっていましたが、この動画で納得しましたが。亡くなった英霊には、もう少し心を寄せて欲しかった。
今も昔も家柄金が物を言うなんも変わらんな
こういう明治30年にあっても氏族華族優先という背景があったから教育勅語明治23年五箇条のご誓文明治元年等があったんだろうな
八甲田山とは無関係なので恐縮ですが、北海道で昔塘路の逓信(駅逓)~厚岸間を徒歩で重要な届け物する道中、猛吹雪に倒れた井上先生のお話は動画には難しいですよね…雪国でも特に悪天の時、人はあまりに無力だと共通点を感じたもので…無理申してすみません。
伊藤博文とて出自は貧農。欧州留学では見習い水夫までしていたのに、「解放令」とやらで却って身分差別が酷くなった。
名将の足元には、死屍累々
映画や小説は両連帯で対になっててわかり易い。しかし、成功した方もアレだったとわかってショックだった。勿論、比較的マシではありますが。健さん違いすぎる。
アルピニストの野口さんはどういう評価するか気になる。
何にせよ、起こりうる、あるいは過去に起こった最悪のケースに対する対応というか備えは欠かしてはならない、当たり前のことですが肝に刻んでおきます。ただちと問題なのは、過去に起こった最悪のケースは調べればいいですが、起こりうるケースとなると?です。専門家2~3人の意見はきくべきかな。日帰りの登山に最近凝ってますが、そのくらいの低レベルでも少し進めば別世界へ突入となり道がわからなくなるなど、山の怖さはひしひし感じます。登山アプリがなければひどい目に会っていましたよ。ましてや雪山となると~。せいぜい半日で登山・下山できる低い山をお勧めします。
今もだけど、平民出身なのに軍人(公務員)に成ると平民に威張り散らす様に為るのが悲しいね。自衛官も防大出身で大本営勤務組だとメッチャ威張ってるもんね。ただし、前の戦争で負けてるから公の場では威張らないけどね。でも、警官は今でも威張ってるよね。
動画の前半は、結局は徳川幕府から薩摩長州幕府に変わって、薩摩長州が政治や軍を牛耳っていた。と言う印象ですね。つい最近、映画を見たので、史実と脚色された部分の違いが解ります。
この計画が立てられた時、青森連隊と弘前連隊の二つの連隊にやらせたことから当然競争心を煽った。青森五連隊の下士官が勢いに任せて天候が急変しても強行したのが一番の原因。指揮官も部下から強行進言されて断れなかった。下士官は冬の八甲田山を知らない。この時爆弾低気圧が襲った不運が重なった。ただ亡くなられた方々に冥福。
谷啓「んんっ!?」
福島大尉の偉業について。詳しく書かれている書籍「指揮官の決断」を是非興味のある方に購読してほしいですね!より詳しく当時の指揮官としての立ち振る舞い、リーダーシップとはどういう事を指すのか。現代にも通ずる事が書いてあります。改めてこの動画に感謝します。
事故が起こったのが1902年、映画が公開されたのが1977年、当時の案内人が異を唱えたっていうけど、さすがにご本人ってことはないよね。ご子息とかかなぁ
太平洋戦争前に南方で密林行軍訓練もしておけば良かった。
行軍はできたんやで!!でもごはんが・・・・・
@@nattousenbei 現地調達しろと、勉強だけしてきた優秀な人が、机の上だけで作戦をたてる。
新田次郎の原作を読んでから映画(DVD)を見てほしい、感激が2倍3倍になりますね。
というか、先に読んでおかないと、細かい展開が理解できないと思います。と申す当方も、実は「観てから読んだ」クチです (^_^;)ゞ 当時はまだ中学生で、新田次郎の作品は読むには難しかった次第。ほぼ同じ頃に公開された『聖職の碑』のほうは、事件発生地の地元を除き、あまり目立たなかったようですね。『八甲田山』はリマスターバージョンがブルーレイディスクに収録されましたけれど、『~碑』のほうは未だぼろぼろのDVDのみ。そろそろ『~碑』のほうもリマスター化してほしい。
福島隊は吹雪で田代への道がわからなくなると、休憩もさせずに案内人の一人を人質にして、案内人に田代を探させてる間に兵隊は雪壕で休憩したり、5連隊が遭難する程の吹雪の中で八甲田山系の最難関を案内してくれた案内人も疲労困憊で助けが必要なのに、小峠付近で案内人を見捨てて町へ向かった為に、見捨てられた案内人は7人全てが酷い凍傷を負い、その中の一人は廃人になって回復することなく十数年後に亡くなり、頬に酷い凍傷を負った案内人は頬に穴があいた状態になり水を飲むのすら苦労する等の後遺症を負った案内人もいたのに、兵隊と違って僅かな案内料以外に保証等は無かった。
こんな事をされれば、被害者や被害者の子孫、関係者等の地元民が映画や小説に怒りを感じて当然ですね。
映画も小説も脚色はあるものなんでしょうけども、そういう事実を無かったことにするような内容はそりゃあ許せないですよね...知れてよかったです。
それも名誉欲や出世欲に駆られたもので地元民を犠牲にして成功しただけだからな もちろん隊を全滅させるよりはだいぶマシだが
映画は失敗した部隊の対比で福島隊を英雄的に描いてるからリアルを知ると興ざめだね。とはいえ福島隊も民間人を犠牲にする糞部隊として描くと軍隊批判映画になるから史実を加工してしまったんだね。困ったもんだ。
あ
最後にちゃんと福島隊の褒められた部分ではないところをちゃんと紹介しているのがいいですね
フラットな目線で事実認識をしようとする目線が大事だと思います
もしかすると左翼マスコミにそそのかされてそう証言したのかもしれないけどね。
福島大尉の非人道的な部分に、触れらて良かったです。
素晴らしいドキュメンタリーでした。歴史の裏側を知るという大切さが伝わりました。
編集だけでなく、調査にも時間を割いたのでしょう。ありがとう!
最後の福島隊の負の功績を、伝えてくれたのは、良かったです。
小説、それに増して映画が、作品としてよく出来すぎていたため、福島隊が余りに美化されすぎ、それが史実に近いと認識されている部分に、若干不満がありました。
八甲田山の動画は解りやすくて良い動画
その福島隊も最終行程にあった青森から弘前の間にある梵珠山越えは「凍傷者多数、疲労著しく強行すれば遭難確実。」としてこれを断念、途中浪岡で一白して平坦な今の国道沿いにゆっくり行軍する日程に変更してます。
弘前側の話って滅多に聞けないからいい動画です
当時の時代背景から説明して頂きとてもわかり易いです、確かに31連隊は余り取り上げられていないですね、福島中隊長のストーリーも含めて良い勉強となりました、ありがとうございました。
八甲田山20万回再生おめでとうございます。
うぷ主さんの努力と研鑽の賜物です。
これからも、応援しています。これからも宜しくお願いします。
行軍に記者が随行したと解説にありましたが、無理なのではとご指摘あって調べてみました。
たしか参考にした資料に事前発表時で37名と記者一名とありましたのでそう解説に入れましたが、別な資料では参加を取りやめたとありました(編成には写真師とあります)。
取りやめた理由は随行に耐えないからという事なので、多分それが正解だと思います。どの本も行軍隊の様子は地元新聞の記事を一級資料としているようですので、ある程度のところまでの随行か後日福島らに対する詳細な取材が行われて書かれたものと思われますが、普通に考えれば訓練を積んでいない記者は無理ですよね・・。
ただ、福島は上層部へのアピールのために記録に残すことは熱心だったらしいので、最初は過酷な行軍にマジで記者を連れて行こうとしていたというのは不思議ではない様です。
zerosenさんの動画見て八甲田山に興味をもちました!
福島隊の動画も楽しみにしてたので見られてよかったです!
おおお!待ってました
映画ではよく分からなかった全体像が分かり感謝しています。
ただし青森からは当初梵珠山越えで弘前に向かう予定でしたが、全員が極度に疲労(風呂にも入らず中には宿の玄関先で倒れてそのまま寝た隊員まで居た。その為汽車で帰営する事さえ検討された)し遭難の恐れさえあった為これを断念、奥羽本線沿いの平坦路を途中浪岡泊で徒歩帰還してます。
昭和52年の映写でした。
その後、遭難死した兵隊たちの亡霊が夜な夜な連隊隊舎に隊列を組んで帰還してきたそうです。
生還した徳島隊は、日露戦争で全員戦死しました。
福島大尉を取り上げて頂きありがとうございます。この人が正当な評価を受けられていないのが不思議でした。この動画で色々納得しました。福島大尉そのものが決して誉められる人格でなかったことは知っていましたが、評価されないと言うのはおかしいと思っていました。
まぁ雪中行軍を成功させたことだけはねぇ。
八甲田山😊20万回再生おめでとうございます
昔、「コーチング」という企業リーダー研修の教材に成っていました。。AチームとBチームのリーダーのとった判断でもたらした結果は大きく違ったという話。リーダーの判断次第でチームに大きな災難が襲い掛かる。リーダーはどう在るべきかを考えさせられた。
どんなことでもそうですが、事前の下調べと段取り、準備ができてるかで結果が大きく変わるという好例だと思います。
こちらの話も決して褒められた内容ではない。
あっちの全滅した隊に比べたらマシというだけの話。
八甲田山20万回再生おめでとうございます
20万再生おめでとうございます! わかりやすく、かつ緩急の付いた面白い解説でとても参考になります。
日清で散々寒中での戦闘がきびしいのを知っていたのに(そもそも日本の北国だって十二分に寒く厳しい)
そのあたりの用意をしないというとんでもない軍隊だったのは周知ですが、軍人、特に仕官はエリートなのですから
もうちょっとなんとかならなかったのかと常々思います。(まぁ目端の効く人らも上から潰されたのでしょうね、、)
福島大尉の生い立ちは今回初めて詳しく知りましたが民間からの出世であればもうちょっと民間人にやさしくあってほしかったですね、、。
45年くらい前、十和田湖に住んでいましたが小学校の体育館で八甲田山の映画の上映会がありました、10歳前後でしたがショッキングな映画と記憶しています
湖に住んでたのか。半魚人?
@田中一郎
ワロタ お疲れ様でした
地元民を苦しめたという点では逆にいえば地元民を遠ざけて勝手に犬死した軍のほうが…となんともいえない気持ちになる話だった。
DQNの川流れ、玄倉川水難事故と同じ。
なんというか、どちらの側も地元民からしたら「軍人はロクな奴らじゃない」って感想になりそうですね(゜д;;:...
これを見て、ずっと敬遠していた原作小説を読んでみようかなぁと思えました。
福島隊を案内した民間人が凍傷で脚を失ったが軍からの保証は何もなかった、とかあったような。
なかば強制でしょう。
「もう用はねぇってわけかね」。『八甲田山死の彷徨』では若ママ案内人が吐き捨てるように言いますけれど、映画版では真逆に描いていますね。
いつも楽しみにしてます!動画作成頑張ってください!
嗚呼…。
とりあえず、upありがとうございます。
20万再生おめでとうございます。
広告付帯おめでとうございます。
八甲田山の動画20万再生おめでとうございます。これからもこの動画を応援していきたいと思います。
福島泰蔵大尉については、後年甥の高木勉氏(福島大尉戦死後の1913年生まれ)が「われ、八甲田より生還す」「八甲田山から還ってきた男」など数冊の本を発表しています。
確かに最近の福島大尉に対する評価や再研究、再検討が行われ、案内人を酷使した挙句、村を通りかかる時は映画のように先頭に立たせたのではなく、最後尾に行かせて、案内人が負傷すると置き去りにしようとした場面もあったそうですね。現在で言えば、軍人の風上にも置けないとか、国民をなんだと思っているのかと思うようにもなることがありますね。
また余談ですが、福島大尉が日露戦争時に所属していた山形歩兵第32連隊は後に沖縄戦で活躍する伊東孝一大尉(歩兵第32連隊第1大隊大隊長)と同じ連隊ですね。これもなんらかの縁なのですかね、
立川シネマシティの映画を見に行くきっかけになった動画をありがとうございました。
上映は終わってしまいましたが、自身の教養になりました。
これを機会に映画業界や子孫の教養に役立つ動画をよろしくお願いします
動画更新楽しみにしていました。
映画、小説などで知り雪中行軍資料館、銅像にも行きました。資料館横の陸軍墓地も参拝しました。
🎊(祝)八甲田山20万回再生👏👏👏😉
弘前31連隊は映画では美化して描かれてますが?実在には地元案内人には酷い事をしていたんですね!宿として宿泊された民家にとっては災難以外の何物でも無かったのですね。
新田次郎小説設定では徳島(福島、高倉健)大尉⇒士族出身、神田(神成、北大路欣也)大尉⇒平民出身 だったけれども、違うんだ、、、
映画では、いち、に、さん、し、と歩数で距離を測ってたのが印象的でしたよねぇ
それにしても、この映画の秋吉久美子は、可愛かったなぁ。
映画は観ました、過酷な条件下でよく撮影できたものだと驚嘆したのを憶えてます。ZERO SENさんのおっしゃる通リ映画、小説とは実際は異なるものでしょう、美醜は表裏一体。現実はいにしえの時代から権力側の威光で不都合な真実は葬られ書き換えられたのが日本史でしょうね、理不尽な仕打ちは現代でも溢れてますが声を届ける事も出来ない、聞いてもくれない硬直した時代だけにはなってほしくないですね。
小笠原孤酒氏のドキュメント『陸奥の惨劇』を読まれたかたは、ここにはおられますかしらね?
新田次郎が自らの小説の終盤で、この遭難事件を「陸軍首脳部が生み出した人間実験の結果」と総括したことに対して、小笠原氏はものすごいショックを受けたそうです。
旅団副官とは、いわば旅団長の秘書。なので決して閑職ではありませぬ。更に日露開戦直前のため、平時に増して忙しかったことでしょう。軍は、福島大尉の功績に報いたのです。ただ、持ち前の反骨精神ゆえに旅団長とは上手く行ってなかったとは聞いて〼。
映画八甲田山で高倉健さんが演じていた陸軍大尉が道案内をしてくれた少女が、道案内が終わって実家のある集落に帰ろうとした時に指揮下にある兵を整列させて『かしらぁ・・・なかぁ!』と下令し兵士が敬礼した時は痺れました。
映画だといい話だが現実は・・・・・
勉強になりました。
この頃からすでに隠蔽体質だったんだな
いまなお八甲田山行軍の犠牲者である兵士達の怪談話が地元では囁かれてるらしい。福島大尉も経験で準備はしていたが犠牲者を出したら作戦は失敗と言う概念が無かったのは今も変わらず組織上層の思考次第だと思われる。
まぁ。保障出したくても軍上層部が握りつぶしんてじゃなあ・・・
映画の福島隊と言ったら大尉役の高倉健と
案内人の秋吉久美子(カワイイ)ですね。
それと軍歌「雪の進軍」!!
後にガルパンで歌われるとは夢にも思いませんでした。
そうそう!あったあった!ガルパンで「雪の進軍」
@@Mark-ft2kf 「天は我々を見放した!」の台詞もね。
実際の案内役の人は、凍傷で置き去りにされ半死半生ですね。人質にとられる形で、道探しに、こき使われたり。映画とは違いますね。
福島隊の闇て言うより当時の軍の闇だからなぁ
陸軍の最初の反乱と言われる「竹橋事件」も、一般国民に広く知られるようになったのは、戦後になって陸軍が廃止になってからだもんなぁ❗
納豆せんべい 海軍もやな神重徳とか
@@yasushis19720210神さんは別格だが、海軍もそう褒められたものではないしな
今見れば酷い人間かもしれないけど当時はある意味で軍人の鑑だったのかも…と思いました
八甲田山。小説も映画も名作です。でも、日露戦争で亡くなったんですね。元々、戦争のためだから、運命と言えばそうなのですが、切ないですね。
もし今映画のリメイクをしたら
福島大尉の案内人たちへの横暴さを描くか?
描かないでしょうね。
本題は福島隊じゃないし
そもそも事件後に脚光を浴びたわけでもなく逆に隠蔽され
結局日露戦争で戦死している。
神成隊の遺体や遭難を見つけた時、
福島大尉らは何を思ったのだろう。
(自隊も遭難寸前で、救助不可能なことは別として)
映画と小説の違いにびっくりしたもんです。
ヤスヒン どんな感じ?
@@halumi2002
映画→八甲田山の最難関前に案内人を送り返すシーンがあり、高倉健以下総員敬礼でお見送り。
現実→案内人は目的地まで案内させられて、1人あたり2円(現在の貨幣価値で4万円前後)渡されたのみで、凍傷の後遺症への保証などは一切なし
マア・・・明治、という時代は・・・まだまだ江戸時代の身分制のなごりがあったからなあ・・・軍隊=武士階級・・・
続編お待ちしてました。
当時小学生だった私でも映画「八甲田山」はインパクト受けました。といいますかあの名曲の方が・・今でも脳裏に響きます。
地元青森ですが歴史から学ばない(現代でいえば代表取締かな)が多いですよ特に青森市には!(他市町村もあるかな?)
上司・部下が連携取れてる企業ってあるのかなあ~~・・・・・・・・・・・・・・・・
企業にはトップダウンのほうが短い期間での生産性の向上が知られています、つまりその社長一代だけであればトップダウンのほうが企業の発展としては効率がよいのです、加えて時代に会わせて変化を加えるよりも昔から決まったルーチンで動く企業のほうが長続きすることも知られています、更に社員の給与を上げたところで生産性に変化はないことも知られています
つまり純粋に利益をもとめる企業としては平社員は使えるだけ使って食い潰すことは利にかなっていることでこれに対して政府が規制を行わないのは企業の利益は政府の利益にも大きく繋がるので当然の行為なのです、今の現状SNSで文句を言うだけで実際に行動を起こすと首になるかもしれないからと何も行動しない国民をほぼ奴隷同然に扱うことは利にかなっていると言えます
歴史を見ても力を持つ相手に対してリスクを負わないで自分たちの不利益を覆したということはほぼありません、結局は不利益を被っている本人たちが実際に行動を起こすことでしかこの問題は解決することはありません
兵卒や民間人をないがしろにするような国は戦争をしてはいけないな・・。
事前に調べて旅行に行く人と、行き当たりばったりで行く人のちがい、上に立つ次第です。
福島様が士官に至るまでの説明でようやく納得出来ました。お爺様方が「あの方は士官だから私たちのような思いはしておりませんよ」って意味がわかりませんでした。同じように大学を出てらしたのに。出自が根底にあったのですね…。
八甲田山系ユーチューバーときいて
秋吉久美子さん、感動しました。
八甲田山麓にある とある旅館の壁に当時の写真が飾られていた
昔 私の中学の修学両行で訪れた所で 何故か壁一面にカーテンで隠されていた
めくって見ると トラウマ級の写真がたくさん並べられてて・・・・怖かった記憶がある
名前も覚えていない旅館 まだあるのかな?
まあ
故高倉健に
「史実、または原作小説の通り」
に演じてもらうわけにはいかなかっただろう。
実際、案内人(演:秋吉久美子)と別れるくだりがああなったのは健さんのパブリックイメージに配慮してのことだし。
福島大尉が上層部から遠ざけられらたのも、差別というより、上昇志向を嫌う人が多かったのかも。
人柄が良ければ、才を惜しんで引き立てる人もいたかもしれない。
前回の動画見ましたよー
今回の背景は熱帯魚ですかねー
毎回楽しませて頂いております。
次回も楽しみです。
モグタン(^ω^)
来る対露線に備え、寒地研究を目的とした周到な計画と準備、加えて案内人を立てる無理のない行程と食料·宿泊所の確保、精鋭小隊編成。当時としては万全の態勢で雪中行軍に臨んだ結果、未曾有の
大暴風雪の難を逃れたのでしょう。なお弘前から出発して、増沢から田代経由で青森に向かうにはこのコースしか無く、標高1,000mを超える白地山をよく越えたものだと思います。ちなみに、恐いのは雪や寒さだけでなく、雪中行軍経路の田代平で、訓練中の自衛隊員が火山ガスによって死亡する事故が、三十年前にありましたね。
取り上げて欲しい題材が。英国の南極探検家「シャクルトン」、書籍「そして奇跡は起こった」に、めっちゃ感動してます。
ゆっくりさん、いつも素晴らしい動画を、ありがとうございます‼️
調査が凄い
福島大尉の功績が認められなかったのは残念に思いますが、この行軍で被害に遭った村人達への
保証が無かった事には怒りしか有りませんね。
しかも、映画で高倉健さんが演じた福島大尉にとても良い印象を持っていたので残念でなりません。
せめて、軍部に掛け合うなりして何らかの保証に尽力して欲しかったです。
映画のなかで徳島隊の案内人が 50銭か1円程度の銀貨を受け取っていたけど、その硬貨に目を瞠りながら
複雑な表情であったのは、それを表現していたんだね。
マリサの男言葉が可愛い
八甲田山の行軍って里山みたいな所の進軍でしょう。
でもね、大正生まれの母親の話では子供の頃に、福島県の田舎で、
吹雪の中の数百メートル離れた隣家に行こうとして遭難する人がいたとのこと。
里山を舐めてはいけません。
遭難、隠蔽、そして、大本営発表。。大東亜戦争でも同じです。
初コメです。福島泰蔵大尉の生き様解説。大阪、東京の国立国会図書館などに資料として残っていないのか?
気がかりではありますが、明治時代、当時の新聞記者たちが撮影された表に出ない不許可な写真が、
資料として、白日の下にさらされる事があってもいいと思いますが、違う目線としての「八甲田山」のドラマ
作ってほしいかな?無理を承知で。
ここまでたくさんのコメントがあって、この事件の遭難経験者のうち最高年齢の証言者であった小原元伍長(1970年逝去)のことが、全く出てこないところが不思議。このかたは、駒込川の峡谷にはまり込んで身動きが取れなくなった山口少佐・倉石大尉ら、計9名の生存者のうちの一人です。新田次郎の小説では、(比較的元気な将校2名が履いているゴム長靴を見て)自分もゴム長靴を履けば「黄色い雪」の上を跳ねるように歩いて連隊まで報告に帰れるだろうと妄想したり、峡谷の崖の上から自分たちを覗き込む「カラス」の姿(実際には救助隊の姿)を発見したりします。
映画見ましたが雪崩のシーンのシーンがどうやって撮影したのだろうか?
大変勉強になりました。平民ゆえのコンプレックスが、優秀な人材を育てたにもかかわらず最期は切ないですね。論点がずれてますが、日露戦争というと、秋山兄弟思わずにいれませんが、福島に比べれば、スタートが根本的に違うのを、教えて頂きました。最近士農工商はなかったと言う説があるらしいですが、とんでもないですね。
作り話が事実として本当にあったかのように歴史として語られる。
映画や小説とごっちゃになっています。
正しくは
・連隊から同時に出たけど対抗演習ではない
・山口少佐は自殺ではない(凍傷で指が動かせない)
・食料とかは事前に確保してあり
いきなりの徴発でない
福島隊は案内人がいても遭難しかかって、運良く進路を発見して生還したのだから、「福島隊は準備万端だから助かった」という評価には違和感があります。
もっとも、いざとなったら案内人を徹底的に酷使して使い捨てることで隊の消耗を最小限にする、という事も含めて準備と言う意味なら、福島隊は準備万端だったと言えますね。
まってました!
福島さんは福島県出身だと思ってました(∀`*ゞ)テヘッ
最後は切ないですね。
映画はツタヤでレンタルあるかな?
福島大尉の子孫が書いた本も出てるのよね
村人を、隊の安全と目標達成のために酷使する。結果として作戦達成してるし軍人としては正しいんだろうな。
幸畑の行軍者墓地を見ると、死んでも尚階級社会を写し出したような配置に何とも虚しさを感じます
…辟易と言う単語がしっくりきます。
八甲田山で、亡くなった199人の英霊墓地の祠があまりにも貧弱なのは、当時の案内人等への手当金が薄かったせいなのか?銅像だけしっかりしていて他の場所は、素通りしそうに質素なのも気になっていましたが、この動画で納得しましたが。亡くなった英霊には、もう少し心を寄せて欲しかった。
今も昔も家柄金が物を言う
なんも変わらんな
こういう明治30年にあっても氏族華族優先という背景があったから
教育勅語明治23年
五箇条のご誓文明治元年
等があったんだろうな
八甲田山とは無関係なので恐縮ですが、北海道で昔塘路の逓信(駅逓)~厚岸間を徒歩で重要な届け物する道中、猛吹雪に倒れた井上先生のお話は動画には難しいですよね…雪国でも特に悪天の時、人はあまりに無力だと共通点を感じたもので…無理申してすみません。
伊藤博文とて出自は貧農。欧州留学では見習い水夫までしていたのに、「解放令」とやらで却って身分差別が酷くなった。
名将の足元には、死屍累々
映画や小説は両連帯で対になっててわかり易い。しかし、成功した方もアレだったとわかってショックだった。勿論、比較的マシではありますが。健さん違いすぎる。
アルピニストの野口さんはどういう評価するか気になる。
何にせよ、起こりうる、あるいは過去に起こった最悪のケースに対する対応というか備えは欠かしてはならない、当たり前のことですが肝に刻んでおきます。ただちと問題なのは、過去に起こった最悪のケースは調べればいいですが、起こりうるケースとなると?です。専門家2~3人の意見はきくべきかな。日帰りの登山に最近凝ってますが、そのくらいの低レベルでも少し進めば別世界へ突入となり道がわからなくなるなど、山の怖さはひしひし感じます。登山アプリがなければひどい目に会っていましたよ。ましてや雪山となると~。せいぜい半日で登山・下山できる低い山をお勧めします。
今もだけど、平民出身なのに軍人(公務員)に成ると平民に威張り散らす様に為るのが悲しいね。自衛官も防大出身で大本営勤務組だとメッチャ威張ってるもんね。ただし、前の戦争で負けてるから公の場では威張らないけどね。でも、警官は今でも威張ってるよね。
動画の前半は、結局は徳川幕府から薩摩長州幕府に変わって、薩摩長州が政治や軍を牛耳っていた。と言う印象ですね。
つい最近、映画を見たので、史実と脚色された部分の違いが解ります。
この計画が立てられた時、青森連隊と弘前連隊の二つの連隊にやらせたことから当然競争心を煽った。青森五連隊の下士官が勢いに任せて天候が急変しても強行したのが一番の原因。指揮官も部下から強行進言されて断れなかった。下士官は冬の八甲田山を知らない。この時爆弾低気圧が襲った不運が重なった。ただ亡くなられた方々に冥福。
谷啓「んんっ!?」
福島大尉の偉業について。
詳しく書かれている書籍「指揮官の決断」を是非興味のある方に購読してほしいですね!
より詳しく当時の指揮官としての立ち振る舞い、リーダーシップとはどういう事を指すのか。
現代にも通ずる事が書いてあります。
改めてこの動画に感謝します。
事故が起こったのが1902年、映画が公開されたのが1977年、当時の案内人
が異を唱えたっていうけど、さすがにご本人ってことはないよね。ご子息とかかなぁ
太平洋戦争前に南方で密林行軍訓練もしておけば良かった。
行軍はできたんやで!!でもごはんが・・・・・
@@nattousenbei 現地調達しろと、勉強だけしてきた優秀な人が、机の上だけで作戦をたてる。
新田次郎の原作を読んでから映画(DVD)を見てほしい、感激が2倍3倍になりますね。
というか、先に読んでおかないと、細かい展開が理解できないと思います。と申す当方も、実は「観てから読んだ」クチです (^_^;)ゞ 当時はまだ中学生で、新田次郎の作品は読むには難しかった次第。
ほぼ同じ頃に公開された『聖職の碑』のほうは、事件発生地の地元を除き、あまり目立たなかったようですね。『八甲田山』はリマスターバージョンがブルーレイディスクに収録されましたけれど、『~碑』のほうは未だぼろぼろのDVDのみ。そろそろ『~碑』のほうもリマスター化してほしい。