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映画でも描写されていたけど、雪中行軍前に行なった予行演習が、晴天に恵まれて非常に楽だった事も、冬山の恐ろしさを侮る大きい要因になったんだよね。
実話なんですけど、26年前の夏休みに八甲田山行きました。ただの観光で行って、山の入り口に小さな掘っ立て小屋があって、中には生きて帰ったものの両手両足を切った人と亡くなった人達の白黒写真が飾ってあった。そして凄い晴れていたのに銅像に行ったら濃霧に巻き込まれて寒くて動けなくなった、八月ですよ!濃霧の中で人の気配凄いし怖くて銅像の側から離れずじっとしていました。霧が晴れて降りて小屋で本気で手を合わせました。
Luke 気のせいかどうかはその人にしかわからん。8月なのにという認識のズレは確かにあると思うけどね
トムラウシっていう山だと夏でも凍死した人とかいてるし山はほんと怖いよ。
八甲田山の霊体験は珍しくない。
青森市民です。雪中行軍に興味がある方は青森市幸畑の墓地にある資料館以外に、青森第九師団駐屯地内にも資料館があります。建屋自体が第五連隊の建屋を移設したもので内部には貴重な当時の写真や検死記録、神成大尉の遺品などが展示されています。
数年間十和田市に住んだことがあり、八甲田山も車で何度か行きました。夏の夜に山を越えた時には、山中の道端に不自然に車があったり、同乗した友人が「今 立ってた人何してたんだ?」と真剣に言い出したりしてある意味夏でも涼しかった思い出です(自分は人には気付きませんでした)冬の酸ヶ湯は流石の豪雪。行った時も3mはありました。春夏も昼間の風景は美しく、秋は紅葉が綺麗、また名湯が複数あるので行く価値はありますよ。冬は雪で通行止めの道もあるので気を付けてください。
この映画が公開された当時、修学旅行に行ったときに寝ようとすると「寝るんじゃなーい」って眠らせないやつが続出。間接的な人災。
そういうの嫌いではない
ワロタ‼️
田代はこっちです→→教師の部屋
いい光景
不謹慎かよ(建前)仲良しかよ(本音)
教訓:雪山を甘く見るな過去に地元民がマジでヤバいからやめとけ引き留めたに大丈夫だからと言って雪山に入り結局遭難し、救助することになった某大学登山部もいましたわ。
本当にこの映画は絶対に見るべき作品ですね。そして教訓とすべき実話です。
シャベルが20人あたり1本ってことは200人で10本か……10本!!一体何を訓練するんだよ……
通常でも分隊に1本さらに余分として50本は必須やろなあ。hoiでいうたら塹壕掘れないレベルの開発水準。汗かくまでの三交代として60本欲しいね。
直接原因は防寒装備が貧弱なところに吹雪で道に迷って迷走した、だけど根本原因は事前計画がお粗末でリサーチ不足なんだよな。野営予定の山奥温泉には住人がいるはずだったが冬季は無人になることを知らなかったとか。迷わずに予定コースを進んでも犠牲は避けられなかったかも。
遭難事故の大半は主発する前に失敗してるよなぁ
無能な者でも上司になれる、上司の命令が間違っているのに部下は従わなければならないのは現在も変わっていない。こういう事件は今後も起こり得る。
その最もたる例ミッドウェイの南雲だな。
@@ひろくんい ミッドウェイは作戦が戦略と戦術で作戦が大間違いだった。南雲は与えられた環境で最善を尽くしたのでパイロットは比較的保存された。護衛機付けずに送っていたら4ヶ月早く南太平洋海戦を派手に演じて空母が残っても1年間機動部隊は出動できなくなるよ。
@@ひろくんい より上層の判断を疑おうね。南雲さんは行軍での中隊長並みの現場指揮官。うしろから連合艦隊司令長官がついてきて、情報もくれなかったの。艦隊編成みて看破できないようではなあ
インパール作戦の牟田口廉也もそう。
@@白いカラス-c7w なお牟田口以上にヤバいのが毛沢東とスターリンwww死守命令を連発して全滅したり罪のない自国民を殺しり無謀な突撃に従わなければ督戦隊に撃ち殺されるか軍法会議^^
この事件は映画・小説で知った人が多いだろうけど、その小説も先に自費出版されてた元本をネタに書いたもの。踏破した連隊を道案内した地元民(マタギ衆)の扱いも酷く、事件後は脅されて口封じされてた。その後、生き残ったマタギ衆から話を聞いた記者?が資料集めして事件の内容を自費出版(複数巻で出す予定だったとか)で第一集を出してる(小説の元ネタにされたのはコレ)ここらの経緯は話を扱ってる書籍でちょっと違う(特に小説と元ネタ、小説家と元ネタを書いた記者の関係とか)この事件に関わった人らは皆んな酷い目に合ってる
“もっと”評価されるべき動画。
冬山なめちゃあかんよ。そこはもはや神の領域。
今でも軽装で登山をしている観光客をたまに見かけるが「アンタら登山舐めてんの?」と思うときがある。
@@MrREX893 でも、そう云った舐めた人のお蔭で貴重なデータが取れるんだよね。富士山の登山でも、ミニスカートにハイヒールの人が居るよね。
@@yonaoimete 貴重なデータとは具体的にどのようなデータの事を言うのでしょうか?
@@MrREX893 あんたアホ?俺は「貴重なデータ」と言ったんだぞ。「重要なデータ」なんて一言も言ってない。
@@yonaoimete ご指摘ありがとうございます。修正しました。で、貴重なデータって何ですか?
この「防寒訓練」って防寒具の機能確認や具体的な寒気への対抗策を訓練するんじゃなくて多分兵士を寒地に送り込んで軽装でも耐えられる根性を身に着けさせるみたいな典型的な精神論だよね..
いや、もっと違う。師団内では、師団と連隊が押し付けあってこうなった。現在の自衛隊でもあります。
Q.装備も訓練も十分であるはずの軍隊という組織で、なぜこんな事故が起こってしまったのかA.装備も訓練も十分ではなかったから。
こういった解説動画好きです!動画の更新楽しみにしてます!
小説も映画も名作。そしてこの解説も秀逸。
成功した31連隊は「万が一全滅しても批判が出にくい様に」見習士官や下士官と言った志願して軍に入った連中中心で編成していて、兵卒は4名、しかも指揮官の福島大尉以外は従卒の参加さえ認めず、福島大尉の従卒とラッパ卒案内人として行軍ルート上の集落出身で地理に明るい者2名以外少数の士官除き全て下士官と見習士官中心に編成し、万が一遭難しても志願兵中心なので批判が出にくい様にし、しかも長期勤務伍長や上等兵勤務伍長、特務曹長は高齢と指揮系統および統率云々を理由(5連隊は長期伍長や長期勤務特務曹長らの勝手な行動や彼らの無謀な意見具申が遭難の真因。ただし長谷川特務曹長は凍傷への対処法を独自に研究していたので部下に徹底させた為炭焼き小屋で半数の部下を生き残らせた)に募集対象から外してます。
何か起きてからじゃないと対策しないのは今も一緒だなぁ…😭
>天は我々を見放した。いや、こんだけ【冬山を馬鹿に】すれば、天も山も怒って天罰を下すよw。
小鳥遊聖 むしろ来るな帰れって意味で天が悪天候にしたのかも
神成「天は我々を見放した!!」天「いや知らんがな。お前らのせいだろ。」
できるなら日本ではなく、キチンとした外国の軍隊、指揮官の元で訓練したい!どうも日本軍の指揮では生命が危ない。
@@acountgmail8354 お前は自衛隊かどっかの関係者なんか?よく日本軍が人命軽視だったとか言われるがソ連軍やドイツ軍、中国軍、イギリス軍なんかもなかなかにヤバいからな?情弱がイキんなよw日本軍(自衛隊)の指揮が危ないと思うなら日本から出ていけ
山岳遭難はリーダーのまずさがあるというのはこの時からずっと変わってない。 殆どが低体温症、以外に夏でも起こり、夏山でも起きている。 山に 限らず、最近はゲリラ豪雨で濡れた時など、そのままでいると起こす事もあるので注意が必要。
指揮官が無能だと組織は潰れる
@@admiral_0306 当たり前ができていないからこそでは?
上官に馬鹿と害悪が多いのは何故?
@@梅の花サルトリイバラ ゴマすりも才能の一つだけど戦場では全く役に立たなくなる。
柴犬神 本当にそうですねぇ…orz
@ヨシフスターリン ジンギスカン作戦
思いつきと慢心と無能と見栄で199人を殺した男
牟田口 廉也と無能さではいい勝負
しかも凍傷を患ったけど自分は生きてるんだぜ、最悪っ!ww
謎ガン! 戦時中に特攻指揮した人間も大部分は生き残ってるというね。日本の責任者は悉く自分から責任を取ろうとしない。
@@2990117 失礼しますが、昔から「旅の恥はかき捨て」というのがありますが、今思うと責任転嫁の正当化かなと思います。
@@nanasi-momiji 「旅の恥はかき捨て」という諺も、本来は「見ず知らずの土地では誰でも失敗するものだから、それを恥じる必要はない」という意味だったらしい。それがいつの間にか「旅先なら知ってる奴も居ないから好き勝手してしまえ」みたいな意味に変わってしまった事を考えると、すぐ責任転嫁の方向に走るのは日本人の性なのかね…
平成3年まで北海道にいた元陸自なんだけど冬の演習ではそうなんだよな、糧食は懐に入れとかないと。戦闘服に内ポケットを付けるってアイデアが真面目に装備改善提案に出されていたね。円匙(えんぴ、スコップ)はせめて2人に1つは無いとね。それでも動かずに雪穴掘って休んでればねえ。無知は恐ろしい。
人は失敗から学ぶとは言えこれみたいに中には「もうちょっと調べなかったのか」とか思うこともあったりしますね
陸自の携帯円ぴは冬期に使用するには機能性に劣るので、スノーショベル(アヴァランチショベル)を背嚢に、アキオに角スコやアルミスコを積載したりしますね。(1人/1本+予備分)正直冬山で飯を捨てるなんてのは、命を捨てるのと同義だな。むしろずっとなんかしらは少しずつ食い続ける位じゃないと体温が保てん。
そもそも、地元の方が「今日は入山してはいけない!」と言われたのに、一部下士官が面子にこだわったから。しかし、この雪中行軍の生き残り(凍傷で手足を失った兵を除く)が日露戦争で全員戦死するとは…
@@hothidebonnbonn まるでファイナルデスティネーションシリーズですな!
自分は平成7年まで北海道にいたけど。冬山はかんじきでも大変だった。歩けるスキーでも危なかった。199人が死ぬのもわかります。
冬山は計画と装備が大切という今にも通じる教訓
八甲田山の映画を見ました、実際とは少し違うみたいですが本当に自然を軽く見た酷い話でしたね。沢山の犠牲者に対してご冥福を祈りいたします。
長谷川特務曹長は「田代といっても僅かに5里ばかりで、湯に入りに行くつもりで、たった手ぬぐい1本を持っただけだった」と語っていましたが、実際には1、マッチや蝋燭のほか予備の足袋を持参していた。2、凍傷についての知識があり、⚫︎予備の足袋を手袋代わりに使用⚫︎常に手の摩擦を怠らない⚫︎軍銃の革と毛皮の外套の襟を剥がして足に巻き⚫︎足先に唐辛子をふって凍傷を防いでいたと言う用意周到ぶりでした。またマタギや炭焼き出身者の多くは⚫︎握り飯を油紙に巻き、風呂敷に包んで腹巻の下に入れていた⚫︎握り飯を油紙に巻いた後外套の下に入れて下に古新聞を着込んでその中に入れて身体に密着させていた為に喫食できた者も居ました。因みに神成大尉達士官連中は握り飯では無く水分の少ないパンを携行していた為凍結はして居なかったそうです。成功した31連隊も食糧凍結には悩まされ、⚫︎握り飯を油紙に巻き、風呂敷に包んで腹巻の下に入れていた方法でも喫食中に凍結した事もありましたが、田代温泉での露営時、案内人が⚫︎餅や握り飯を真っ黒に焼いて油紙に巻くなどして腹巻の下に入れて懐炉替わりにもするのを見て実践させて難を逃れてます。それでも喫食時には表面は冷えていましたが、割ったら中はまだ暖かかったそうです。
14:10 キスカ島撤退作戦で、目的地前で霧が晴れたので引き返す決断をした木村昌福少将の度量はすごいと思う。
其の用心深さが弱腰と言われて、閑職に追い込まれましたね。しかし、其れが正しいのですが、日本には何度も遣り直す国力が無かったので気合しか無かったのも又真実ですね。
帰ろう、帰ればまた来られる……
実際にはキスカの作戦の結果「木村なら何とかしてくれる」とどう見ても失敗する作戦に投入されて尽く勝利してます。
当時の日本軍なんて、少しでも慎重論を唱えれば臆病者呼ばわりされ、無謀でも積極的なら称賛されるというアホな風潮がはびこってましたね。だからこそ、作戦はことごとく失敗ばかりだったと思いますが。
@@Kei-zh9fh さん田中頼三中将もそれで解任されてます。
素晴らしい動画ありがとうございます
小説なのに背筋の震えが止まらない…発狂した隊員のページなんかすごい怖かった
これ見て一番鬱になるのが、現代日本でも似たような組織問題や責任転嫁が普通に繰り返されてるとこ。
日本に限らないだろ
@@gwdapwd16766人は身勝手で他者を批判することでしか自分を誇示することしか出来ないからね
こおったおにぎり捨てたり、ガイド断ったりして雪山なめてたよな
岩手と宮城出身者でもわからないものなのかねぇ。
納豆せんべい 軍隊組織で隊長の命令が絶対だから分かっても簡単には言えなかったかと
26c62626yamashita 雪山でなくても山をナメてるのは結構居るね今も軽装で行く奴も居るし
雪深いとこの出身者は助かってなった?
山行ったら疲れたから迎えに来てって馬鹿げた事件があったな
大尉「天は我々を見放した・・・」天「はぁ?俺のせいにすんなし」
天「ていうか全部俺任せの計画じゃん大将」
視聴者「あ、あの、天下の名言が台無し。」
時代も人数も行程も全く違うけど吾妻山遭難事故の生還者も「悪いことが重なった」と言ってた。真相はあなた方の準備や判断が楽観的過ぎただけだというのに。あの事故は参加者全員の責任という珍しいケース。(冬山を登るのに誰一人事前の天気予報も知らずラジオも持参せず、ビバーク明けは猛吹雪なのに天気予報を入手できないことを誰も全く気にしていない)
ヨシフスターリン ひふみん
八甲田「あと半年待ってから来てよ」
生き残りの兵士も最初英雄扱いされていたらしいけど…後にアル中患者に成り、終いには周囲から毛嫌いされてしまったらしいよね…
豚姫 後は日露戦争から復員した兵の方に関心が移って忘れられて鬱屈したのも大きい。軍人は自らへの称賛と特権で生きる人種ですからね。
一瞬熱狂的に英雄扱いされてもその後の邪魔者扱いは避けられず無力さを感じる日々でしょうね
軍神とか言われてもちっとも嬉しくなかったんじゃないかな…と、現代の感覚で思ってしまいました。
雪山行く前に八甲田山見てから言った方が良い
あの映画見てから、スキー場で吹雪になるだけで、恐怖になります(笑)
細かいことだけど「収録が過酷」より「撮影が過酷」っていう方が合ってる気がする
映画の八甲田山で「最初に死ぬ役をもらった、俺の黒歴史だ!」と大竹まことがぼやいていると言っていた
ロケ中に立ちションしている人がいて、冗談半分に後ろからドツイたら、それが大俳優緒形拳だったらしい。すぐに逃げたので大竹まことだとバレずに済んだらしいがw
早く死ぬ役もらった方が撮影離脱できるお!
最初の雪壕から出発直前に整列した隊員の側をわめきながら雪山に突っ込んだ役だっけ。
リーダーシップを学ぶ場が極端に少ないのが、日本の教育における致命的な欠陥かと。
天才のリーダーシップの執り方を、理想にしてしまっているから、凡才でもそれをしちゃってるイメージ。
日本では、誰かがリーダーやるだろう、やりたいやつにやらせよう、と思ってる人が多いと思います。クラス委員とか生徒会長とか、昔は全員引っ込み思案で、よさげな人をみんなで推薦とかが主流だったけど、現在は「やりたい人」が結構いるらしい。で、やらせると、トンデモ!非常識!顰蹙!本人自信満々!になるらしい。でも、昔から自薦者は役立たずヘタレだった記憶がある、、、もしや、政治もそうなってる?シン・ゴジラで言ってたように、日本は直ぐにトップのすげ替えがきくのが強みの体制なんだから、義務教育でリーダーシップの勉強をやるべきだと思います。
@@ozmari554 現在でも本当に幹部は責任の押し付けしあって更に途中からいちゃもんつける幹部いて、、、ふざけるなーーーーーーーーーー)))ーー)))ーーーーーーーーー)ー!!!!!!!!!!わしらゴミやないんやぞーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!演習場整備終わったら、普通一週間後に訓練するかー!!!!災害派遣終わったら、訓練するか!普通!検閲するか!普通!うちらゴミやないんやぞーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!
ゆっくりが透けてらっしゃる・・・お前らひょっとしてまだ雪山に・・・
八甲田山は戦後にも硫化水素による事故が発生しています総じて危険度の高い山であることが伺えます
暑いのはなんとか凌げるけど寒いのは本当に厳しいからな…
そういえば原作は、成功と失敗の対比を面白く見せるために31連隊をそれはまあすんばらしい隊&隊長だったことにしています実際の31連隊の鬼畜っぷりはググれば出てきます
更に言えば「案内人殿にかしらァ~右ッ‼️👮」と秋吉久美子さんに敬礼するシーンにいたっては、映画だけのシーンでした(史実は女性の案内人など、仮にも帝国軍人が受けられるか‼️と却下したとか何とか)。
ググったことを真に受けるのは、なぜなんだぜ?
@@TheBikkuri ググる以外でも現代の知識はほとんど他人からの知識の伝達だろうに……完全にヤバい奴だから他の人みたいに無視すれば良かったかな?w
@@SAW-2012 そういうケンカ腰もよくないぞ。
@@isobeferrero9778 草
『天は我々を見放した!!』のではなく『天(自然からの情報)を我々がちゃんと見て無い!!』
映画は観た。キャストが今からすると半端ない。北大路欣也、高倉健、緒形拳、三國連太郎、大滝秀二、加山雄三、秋吉久美子、加賀まりこ、栗原小巻、等々と凄えメンバー。夏に観たのに、帰りは寒い感じがするくらい過酷な内容。発狂して裸になって雪に転げ回る兵の役をした人は、身体にワセリンを塗り家族に身の危険を覚悟するようにと連絡した上で撮影に臨んだとか。映画の内容の解説は動画の通りで、改めて書く事は無い。tutayaで見かけたら、一度は借りて見るべき作品ですな。兎に角、キャストが豪華!
いつの時代にも当てはまる言葉ですね。キャストが凄いw
あ、関係ないけどTSUTAYAですね
一番最初に雪豪から飛び出して凍死する橇隊の隊員は若き下隅時代の大竹まことさんです。
秋吉久美子 かわいかったw「案内人殿にー、かしらー、右!!」
先日「午前10時の映画祭」で観ました。
戦場で重要なのはミエやメンツではない・・・生き残ることだ
「計画が現実に合致しているか、合致していないならどうするか、中止すべきか」といった経験を蓄積するのも「訓練」の一つの目的だと思うんだけどなぁ。軍隊だとそうもいかんのかなぁ。
前半のくだりが面白かったです
「八甲田山」は今の若い人に見てもらいたい。信じられないくらい豪華な役者さん達が集まってる。北大路欣也はイケメンだし、栗原小巻や加賀まりこは美人、秋吉久美子はかわいい。役者観るだけでも価値ある作品です。
当時無名の大竹まことがこのロケに参加しててボロクソ叩いてたのを思い出した
三國連太郎の憎まれ役っぷりも凄いです。みんなで埋めて口裏合わせて帰ってしまえばいいのに…と見ながら思いました。
@@環境破壊ちゃん-d7lさん後年夕ニャンで曲がったまま伸びない指を見せながらおニャンコに迫る姿は狂気すら漂わせてましたね。
最初の雪山が現実で、この解説動画が死の間際に魔理沙たちが見ている夢っていうオチかと思ってみてたらそうでもなかった。なんか半透明だし
動画アップ有難うございます。そうそう!俺は当時、映画館で観た、真夏だった、夏なんだけどこの映画見てると寒くて寒くて震えたのを覚えてる、何故かマジに寒かった、夏なんで半そで半ズボン、汗拭きタオルで防寒した。前席の女性は頭からタオルをかぶっていたっけ笑。
とても入り込みやすくていい解説なんですけど、魔理沙の「オレ」っていうのだけ気になっちゃう
地元のばあちゃん達オレ!とかオラ!とか言うよ?気にすんなし!
そういうことだったんですね!ありがとうございます。
八甲田行軍訓練は寒地訓練の他に「ロシア海軍に制海権を奪われ東北太平洋沿岸部の道路が火力制圧下に置かれた場合に山地を抜けて人員、物資を輸送できないか」という検証目的も含まれてました
ゴム靴を履いていたのは倉石大尉という方のようです。行軍前の休暇の時に東京に行っておりたまたま靴屋でゴム靴を見つけて雪の中でならこの靴で行った方がいいか?みたいな感じで購入した模様それのおかげでこの人はほぼ無傷で生還できましたなお日露戦争で戦死された模様
同時のゴム靴は舶来品だったと聞いたことがあります。ちなみに、映画ではこの方をモデルとした倉田大尉を、加山雄三さんが演じています。
小説で読んで無事踏破した31連隊の福島大尉も結局日露戦争で戦死したって知ってすごく虚しい気持ちになったのを覚えてる
日本人の根性!努力!思考の悪い例とでもいいましょうか‥ホントこういうところは未だに残ってると思います‥
失礼しますが、それを否定すると年配者程キレる傾向がありますね。そこまでして気合や根性論や村社会を否定されたら、日本が滅びるんかよと。
それは良い悪いというよりただの特徴だから良い方に出ることも悪い方に出ることもある努力・根性があって助かる場面もあるでしょうよ悪い面だけ見ると公平さを失う
日本人は列島人種です
でも、そうは言っても最後モノ言うのは精神力の差、みたいなところはあるからなぁ。精神力第一!は絶対違うけど、精神力を軽んじるのもまた絶対違うのよ。
非科学的で非論理的な根性論・精神論が未だにはびこる日本。昔はそれが通用したけど、今は違う。先進国一貧しい国に落ちぶれたのも納得だな。
重度の凍傷を負いながら生き残った兵卒は東北(秋田山形)の元マタギ・猟師が多かったと聞いたなぁ個人で雪山対策し、素足に凍傷予防に血行促進の唐辛子を塗って、靴下重ね、その上から防水用に油紙を巻いたんだとか(それでも凍傷になってしまった)。一日目の宿泊地が”温泉”と聞き、「ひとっ風呂浴びてきてやるwwww」と、素足で草履に薄着でタオル(手拭い)肩に掛け出かけた人が居たとか居ないとか。発見された凍死体は完全に凍りついていて、下手に動かすとポキポキ折れたそうで、湯を沸かし桶に浸け解凍しないと運べなかったそうな。
炭火に鉄板で直火焼きにしたとも聞いた
これ八甲田山の里山で迷子になっただけです。ただし、旭川で日本観測史上最低気温-41度の悪天のときでした。
天は関係ないなこれ 遭難するべくして遭難してるように見える
昔見た映画を思い出しました。良い解説でした。
夏場に馬立場、第二露営値、第三露営地、田代温泉といったあたりをハイキングしました。確かに夏場ならなんでこんなところで???というほどの風景の素晴らしいところでしたね。
八甲田山リアルタイムで観ました。北大路欣也さんや健さんも素晴らしかったけどあの芥川 也寸志さんのスコアが良かったなあー。今でも耳に残ってるもん。
音楽、映像、そして実写映像そのものの演技。邦画の最高傑作だと思っています。原作の小説より良いです。軍隊の描き方も、監督や製作者の方が長じている感じです。「永遠の0」でも同じように感じました。さては軍隊の感覚が実社会より映画界によく保存されていたと考えます。小説ほど読み手側によらなくても良いのです。
これどこかのサイトで見た。脳ミソが堅物の上司だと見殺しにする。味方、身内の数を自滅で減らしてどうするんだよな。
青森行ったときこの雪中行軍の記念碑見に行ったけど、あんな山奥で遭難とか絶望だっただろうな〜って感じた。
「先達はあらまほしきことなり」とはよく言ったものだよなあ・・・
さすが吉田兼好ニキやで
あら あほらしきことなりと読んでしまった
しかもこれ雪中行軍した部隊?が地元民ではなくほとんどが都会の人だったからこうなって、さらに途中で案内してあげるといった地元民の誘いも断ったからもありますby超絶地元民
「帝国軍人が現地の田舎者の案内など受けられるか!!」とか酷い断り方をしたと言う話もありますね。
@@尹龍虎 私の知識だったらお金欲しいから案内を申し出たと思われたらしいです
国民軽視の姿勢は解体の日まで続く
豪雪地帯ではない太平洋側(岩手・宮城)出身者で構成された部隊だから、兵隊も雪に対する知識が乏しかったと原作には書いてありました。
@@さんぱち-n2rそれ新田次郎の小説。
自衛隊の雪山登山訓練でカチカチに凍った二型糧食を食べた事を思い出してしまう。
訓練の理由ってロシアが青森に上陸して鉄道を抑えられた時、内陸で通行・輸送が可能か検証するってのが切っ掛けだったかと思ってました
おそらくそれも行軍の理由のひとつにはなっていたのではないでしょうか❔
津軽がロシアに内通、南部へ救援求めるためかも。そうで無いと成立しない。
彼等の魂は今も終着点を目指して彷徨っているのか南無・・・・
あぁこれか!パッケージが出た瞬間思い出したわ,,,めっちゃ小さい頃に父が家で見てたから一緒に鑑賞した思い出
まさに指揮官が悪ければ部隊は全滅するの例だな
牟 田 口 大 将
無能指揮官と言えば 辻
管直人
minmi 指揮官次第なのは事実‼️戦闘局面においても、一匹の羊に率いられた100頭のオオカミの群れは、一頭のオオカミに率いられた、100匹の羊の群れに劣る‼️軍事の基本である‼️
新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」は各所に脚色がある。後の検証で明らかになった史実は「八甲田山 消された真実」に書かれている。
投稿主へ、山口少佐が朝二時に出発を判断したのは下の兵士たちが寒くて朝四時出発まで待てないと熱望があったからです。とちゅうで田代に行くのも、帰り道は18キロ、田代は1.8キロならば近い田代に行こうと判断したわけですよ
某アニメに「悪い軍隊なんてものはない・・・あるのは悪い指揮官だけだってね」なんてセリフがありまして・・・
教訓と言うには大きすぎる被害ですが、この事件をきっかけに冬季対策が大改善されたのも事実。(装備から凍傷対策まで)この対策がなければ、日露戦争では万単位の日本兵の凍死凍傷者が出ていたのは間違いないと思います。(途中で気が付いて、装備を旅順や満州まで追加で送るには補給線が長いし)
でも補給線伸び切ってるのに根性で何とかせえとかいう無茶を太平洋戦争でやりまくるしなんというか日本には大丈夫だろ精神があると思ってしまう
@@自由主義と君主主義 日本人は精神論好きだから。。。
日露戦争と言えば、福島大尉をはじめ生還した方々も、この後皆ロシアの地で命を落とされているんですよね…
@@自由主義と君主主義 別にこういうことはドイツ軍やソ連軍、イギリス軍でも見られたことだから日本に限った話ではないけどな^^
@@blackheart7568 満州はいつからロシアのものになったのか?
軍はどこでもそうですが、『命令』を発すれば当然、武器・弾薬・人員など様々な設備が必要なため受領した命令のために『予算』を要求できる。この為、軍は命令ではなく、部隊が自主的に訓練を実施したと言うことにしたかった。予算を出さずに訓練をさせたい・・・という何とも『忖度』した。何とも日本は昔から変らないなと感じる話ですね。
定期的に見たくなる動画です。
この事件の”その後”も、かなり後味悪い
健常者のほとんどが後の日露戦争で戦死。
兵卒「大尉殿、スマフォでグーグルマップを見れば帰り道が解ります!」(ガサゴソ)兵卒「大尉殿!スマフォが低気温すぎて放電してしまいましたぁあっ!!」大尉「天は・・・我々を・・・・見放した・・・・」
凄く現代的な悲劇でワロタ
-10℃以下だと、30秒もすると正常に作動しません…
ほぼほぼ圏外だったなぁ八甲田山…酸ヶ湯で我慢して…
@@tita6818 ら
スマフォww緊迫した中でスマフォって言ったらめちゃ和みそう
何て言うか、行き当たりばったりの行軍だったんだな。本当に人災だ。
高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処しただけだぞ
@@nattousenbei 強烈な皮肉な
雪山登山経験者が見たら草も生えない地獄・・まさに人災
何がアレだって、こういうのをやらかす様な輩ほど自分は大丈夫って思ってる。教訓が必要な奴ほど自分に教訓が必要ないと思ってるという意味不明な事が起こる。
こんなのマタギの言う事を聞かない司令官が悪いんだろ、船頭なしに船を漕ぐようなもんだっ!ww
笑うな
毎年冬になると、この映画を見ています。あぁ、あの時ああしていれば・・・と、見るたびに思ってしまいますね。あと、203高地。
sarome888 見えまぁぁ〜〜〜〜すぅっっっ……!!一望のもとに収めることができまぁ〜す😭😭😭😭😭
祝日というとNHKが朝の連続テレビ小説の後に映画を放送していたころの、数十年も昔の話。当時、成人の日は一月十五日に固定。そのいつだったかの成人の日にNHKが放送した映画が、「八甲田山」だった!
@@tomoyukiikeda4984 中学生の頃(1990年)に雪国を放送していたのを、今でも覚えています。
最近は夏にこの映画の地上波&BS放送を見るような気がするんだけど?…(あと、三国連太郎の「熊嵐」とか…)まさか納涼番組のつもりだったら洒落にならない…クソ暑い中冷えるのは心の方だからやめてw。
八甲田の冬は未だに雪中行軍の未帰還者たちが迷っている。2018年の冬、消防に助けを求める電話がかかり八甲田山にむかうと無地の別荘から救難の電話が掛けられた事がわかった。しかし、電話線は切れて使えない。電話の前に数十人の軍靴の足跡があったそうだ。遺骸は収容されたがその精神はいまだ雪の中に歩いている。
中学の時、八甲田山で映画八甲田山を見たなぁ。小便で凍死してたのが印象的でした。
映画の神田大尉は大隊本部の横槍による被害者的に描かれてるけど、実在人物の神成大尉はナオキです…
まあかろうじて遺族もまだいた時代だったろうしな。
2020/03/23、お勧めに出て来たので拝見致しました。田代温泉、テレビで見た事がありますが、本当に小さな温泉で、びっくりした事を思い出しました。畳一畳あるかないかの浴槽で本当に掘っ立て小屋。確か、今は水の底に沈みましたが、八甲田山の映画を観ていたのでとても複雑な思いになった事が蘇りました。冬山舐めたらいけませんよね。そして日本人の悪い面が出てしまった人災でした。今でも八甲田山では色々起こるそうですが、確かに報われませんよね。新しい動画楽しみにしております。ありがとうございました。
上官が道案内人を小バカにして拒否して、我が道を行って悲惨な遭難事故を起こした人災です❗映画八甲田山で見てわかる
上田和哉 万が一遭難したら民間人で有る案内人まで巻き込んでもっと騒動になる、と考え、又寒い異国のロシアで地元民の協力を得るのはそれこそ当時海外に逃れていたレーニンの口添えでもなければ不可能、故に自力で進む事も訓練、と考えて断ったそうです。むしろ民間人で有る案内人を小バカにし消耗品扱いしたのは成功した31連隊です。31連隊が小編成、それも見習士官や下士官中心に隊を編成したのは「もし遭難しても志願兵である彼等なら世間にも天皇陛下にも申し訳が立つし、特務曹長や長期伍長、長期上等兵が居ないので人間関係も良好で統率が取りやすい」と言う一点からです。実際長期下士官や古参兵による陰湿ないじめに耐えかねて怒りを爆発させて戦場でどさくさ紛れに彼等を殺害(映画「プラトーン」に出てきます)した例はたくさん有るし、「生きて俘囚の辱め」の戦陣訓も「現地で一部士官や下士官、古参兵の横暴が余りに酷く新兵の中には自ら捕虜になって地獄の内務班生活からおさらばして逆に敵側にハンバーグ一切れで情報を売る」例が続出した為です。辻政信参謀は戦陣訓を広めつつ「綱紀粛正無くして勝利無し!」と説いて回り、実際にも私的制裁の酷かった部隊の本人と体調を軍事裁判で軍籍剥奪処分にしてますし、インパールでは牟田口の余りにも乱れた生活を見て「この戦は負け」と確信したそうです。海軍も同じで、戦艦陸奥の沈没事故も「古参兵の酷いいじめに耐えかねた新兵が主砲火薬庫に放火して自殺した」のが原因です。
一週間でロクな登山計画(しかも雪山)が建てられるとは思えない…山登りはマズいと思ったらすぐ諦めましょう
もう一隊も雪中行軍があったけど、そちらは地元の人を案内人で雇って無事に帰順出来たって話があったね。
嫌がる地元民を脅して無理やり案内人にし、目的地が見えたらそこで置き去りにして使い捨て。弘前隊員は無事でも、案内人には一生のダメージを負った人や、亡くなった人もいたんじゃなかったっけ?そしてその時渡した案内賃以外、一切の補償をしてなかったと思う。結局、弘前隊も鬼畜。
ちぇるりら そうなの!?確か遭難した隊は案内人無しで行ったんだと思った。理由は同じで、この時期に山に入るのはキチガイしかいないって断られたって。弘前隊の案内人って酒貰ったんじゃなかったかな?いや只働きみたいなもんだ。…ネットで見る限り、えらい豪勢な資料館になってる!!驚いた!本当にぼろぼろ木造10畳くらいの小屋だった、思い出すと涙出そうになる。
@@ちぇるりら か
50年前と5年前の2回10月の八甲田に行った。季節は冬山ではないが相棒が肩の骨を外し救助隊のお世話になってしまった。 山の危険は冬だけに非ず、平時でも文化果てる人民の居なくなった山も、電気は勿論水も食料も無くなったら東京都雲取山山頂でも遭難する。1泊でも日帰りでも山を侮るなかれ。
青森県民です。子供の頃、八甲田の後藤伍長の像がある所に行った時「昔の人はエライね。捜索隊に発見されやすくする為にこの人は倒れないよう銃剣で体を支えて凍ったまま立ってたんだって。」と、教えられ「(いまで言う)サムライだなぁ〜」と思い。てっきり…そのままお亡くなりになったのだと勝手に思っておりました。生存されていたとは!良かったです…😭
将校間の指揮系統の乱れが遭難の大きな要因とされているが、それは事実ではないとされる。何より遭難の最大の原因は、準備不足。それと、八甲田山の雪質を理解していた者が、少なかったことも影響していると言われている。
加山雄三演ずる倉田大尉は東京で買ったゴム長靴を履いていたため助かったんやで。あと、弘前31連隊の案内人の秋吉久美子がかわいらしいので映画版は必見やわ
大隊本部の倉石一(くらいしはじめ)大尉がモデルになっています。
時代も国も違い実戦だけど、冬の天候と地理を甘く見たという点ではナポレオンのロシア遠征やナチスドイツのソ連侵攻も思い出す。
ハンニバルも入れてあげて
大尉「天は我々を見放した」神「すまん吹雪で見失ってた」
原作(映画も)は話を面白くするために演出入っていて、特に大隊長が何もかも悪かったようにされてます。実際には、・指揮官(神成大尉)は代役で急遽任命された・大隊本部は元々付いて行く計画だった(という説もある)・田茂木野で制止&案内人を断わったという話は新聞記事の記録しか無い (↑当時も軍に批判的なメディアはあって、あることないこと書く場合もあったらしい)・大隊長と神成大尉の関係は悪くなく、特に大隊長は神成大尉を高く評価していた・深夜3時の出発は、寒すぎて動きたいとの声が多かったため。大隊長は朝まで待てと言っていた。・大隊長が、道がわかったのでやっぱり田代にしようと決めたのは本当らしい・田代はこっちだと言った人(佐藤特務曹長だという説)が指した方向は正しかった(最初だけ)・最後の大隊長の自殺は、自殺出来るような状態、体調ではなかった説がある等々、明治の話なので何が正しいのか断言は出来ないわけだけど、現代なら山口少佐の遺族は原作者を名誉毀損で訴えても良いレベルかもしらん
ここでもまた間違いの八甲田山の動画があるよ
映画は長時間の大作だけど小説はビックリするほど薄い本。中に遭難の工程図があるけど同じところぐるぐる回っていただけだという。
映画でも描写されていたけど、
雪中行軍前に行なった予行演習が、晴天に恵まれて非常に楽だった事も、
冬山の恐ろしさを侮る大きい要因になったんだよね。
実話なんですけど、26年前の夏休みに八甲田山行きました。
ただの観光で行って、山の入り口に小さな掘っ立て小屋があって、中には生きて帰ったものの
両手両足を切った人と亡くなった人達の白黒写真が飾ってあった。
そして凄い晴れていたのに銅像に行ったら濃霧に巻き込まれて
寒くて動けなくなった、八月ですよ!濃霧の中で人の気配凄いし
怖くて銅像の側から離れずじっとしていました。
霧が晴れて降りて小屋で本気で手を合わせました。
Luke 気のせいかどうかはその人にしかわからん。
8月なのにという認識のズレは確かにあると思うけどね
トムラウシっていう山だと夏でも凍死した人とかいてるし山はほんと怖いよ。
八甲田山の霊体験は珍しくない。
青森市民です。雪中行軍に興味がある方は青森市幸畑の墓地にある資料館以外に、青森第九師団駐屯地内にも資料館があります。建屋自体が第五連隊の建屋を移設したもので内部には貴重な当時の写真や検死記録、神成大尉の遺品などが展示されています。
数年間十和田市に住んだことがあり、八甲田山も車で何度か行きました。
夏の夜に山を越えた時には、山中の道端に不自然に車があったり、同乗した友人が「今 立ってた人何してたんだ?」と真剣に言い出したりしてある意味夏でも涼しかった思い出です(自分は人には気付きませんでした)
冬の酸ヶ湯は流石の豪雪。行った時も3mはありました。
春夏も昼間の風景は美しく、秋は紅葉が綺麗、また名湯が複数あるので行く価値はありますよ。冬は雪で通行止めの道もあるので気を付けてください。
この映画が公開された当時、修学旅行に行ったときに寝ようとすると「寝るんじゃなーい」って眠らせないやつが続出。
間接的な人災。
そういうの嫌いではない
ワロタ‼️
田代はこっちです→→教師の部屋
いい光景
不謹慎かよ(建前)仲良しかよ(本音)
教訓:雪山を甘く見るな
過去に地元民がマジでヤバいからやめとけ引き留めたに大丈夫だからと言って雪山に入り結局遭難し、救助することになった某大学登山部もいましたわ。
本当にこの映画は絶対に見るべき作品ですね。そして教訓とすべき実話です。
シャベルが20人あたり1本ってことは200人で10本か……10本!!
一体何を訓練するんだよ……
通常でも分隊に1本さらに余分として50本は必須やろなあ。hoiでいうたら塹壕掘れないレベルの開発水準。汗かくまでの三交代として60本欲しいね。
直接原因は防寒装備が貧弱なところに吹雪で道に迷って迷走した、だけど
根本原因は事前計画がお粗末でリサーチ不足なんだよな。
野営予定の山奥温泉には住人がいるはずだったが冬季は無人になることを知らなかったとか。
迷わずに予定コースを進んでも犠牲は避けられなかったかも。
遭難事故の大半は主発する前に失敗してるよなぁ
無能な者でも上司になれる、上司の命令が間違っているのに部下は従わなければならないのは現在も変わっていない。こういう事件は今後も起こり得る。
その最もたる例ミッドウェイの南雲だな。
@@ひろくんい ミッドウェイは作戦が戦略と戦術で作戦が大間違いだった。南雲は与えられた環境で最善を尽くしたのでパイロットは比較的保存された。護衛機付けずに送っていたら4ヶ月早く南太平洋海戦を派手に演じて空母が残っても1年間機動部隊は出動できなくなるよ。
@@ひろくんい より上層の判断を疑おうね。南雲さんは行軍での中隊長並みの現場指揮官。うしろから連合艦隊司令長官がついてきて、情報もくれなかったの。艦隊編成みて看破できないようではなあ
インパール作戦の牟田口廉也もそう。
@@白いカラス-c7w なお牟田口以上にヤバいのが毛沢東とスターリンwww死守命令を連発して全滅したり罪のない自国民を殺しり無謀な突撃に従わなければ督戦隊に撃ち殺されるか軍法会議^^
この事件は映画・小説で知った人が多いだろうけど、その小説も先に自費出版されてた元本をネタに書いたもの。
踏破した連隊を道案内した地元民(マタギ衆)の扱いも酷く、事件後は脅されて口封じされてた。
その後、生き残ったマタギ衆から話を聞いた記者?が資料集めして事件の内容を自費出版(複数巻で出す予定だったとか)で第一集を出してる(小説の元ネタにされたのはコレ)
ここらの経緯は話を扱ってる書籍でちょっと違う(特に小説と元ネタ、小説家と元ネタを書いた記者の関係とか)
この事件に関わった人らは皆んな酷い目に合ってる
“もっと”評価されるべき動画。
冬山なめちゃあかんよ。そこはもはや神の領域。
今でも軽装で登山をしている観光客をたまに見かけるが「アンタら登山舐めてんの?」と思うときがある。
@@MrREX893
でも、そう云った舐めた人のお蔭で貴重なデータが取れるんだよね。
富士山の登山でも、ミニスカートにハイヒールの人が居るよね。
@@yonaoimete
貴重なデータとは具体的にどのようなデータの事を言うのでしょうか?
@@MrREX893
あんたアホ?
俺は「貴重なデータ」と言ったんだぞ。
「重要なデータ」なんて一言も言ってない。
@@yonaoimete
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
で、貴重なデータって何ですか?
この「防寒訓練」って防寒具の機能確認や具体的な寒気への対抗策を訓練するんじゃなくて多分兵士を寒地に送り込んで軽装でも耐えられる根性を身に着けさせるみたいな典型的な精神論だよね..
いや、もっと違う。
師団内では、師団と連隊が押し付けあってこうなった。
現在の自衛隊でもあります。
Q.装備も訓練も十分であるはずの軍隊という組織で、なぜこんな事故が起こってしまったのか
A.装備も訓練も十分ではなかったから。
こういった解説動画好きです!動画の更新楽しみにしてます!
小説も映画も名作。そしてこの解説も秀逸。
成功した31連隊は
「万が一全滅しても批判が出にくい様に」
見習士官や下士官と言った志願して軍に入った連中中心で編成していて、
兵卒は4名、しかも指揮官の福島大尉以外は従卒の参加さえ認めず、
福島大尉の従卒とラッパ卒
案内人として行軍ルート上の集落出身で地理に明るい者2名
以外少数の士官除き全て下士官と見習士官中心に編成し、万が一遭難しても志願兵中心なので批判が出にくい様にし、しかも長期勤務伍長や上等兵勤務伍長、特務曹長は高齢と指揮系統および統率云々を理由(5連隊は長期伍長や長期勤務特務曹長らの勝手な行動や彼らの無謀な意見具申が遭難の真因。ただし長谷川特務曹長は凍傷への対処法を独自に研究していたので部下に徹底させた為炭焼き小屋で半数の部下を生き残らせた)に募集対象から外してます。
何か起きてからじゃないと対策しないのは今も一緒だなぁ…😭
>天は我々を見放した。
いや、こんだけ【冬山を馬鹿に】すれば、天も山も怒って天罰を下すよw。
小鳥遊聖 むしろ来るな帰れって意味で天が悪天候にしたのかも
神成「天は我々を見放した!!」
天「いや知らんがな。お前らのせいだろ。」
できるなら日本ではなく、キチンとした外国の軍隊、指揮官の元で訓練したい!どうも日本軍の指揮では生命が危ない。
@@acountgmail8354 お前は自衛隊かどっかの関係者なんか?よく日本軍が人命軽視だったとか言われるがソ連軍やドイツ軍、中国軍、イギリス軍なんかもなかなかにヤバいからな?情弱がイキんなよw
日本軍(自衛隊)の指揮が危ないと思うなら日本から出ていけ
山岳遭難はリーダーのまずさがあるというのはこの時からずっと変わってない。
殆どが低体温症、以外に夏でも起こり、夏山でも起きている。
山に 限らず、最近はゲリラ豪雨で濡れた時など、そのままでいると起こす事もあるので注意が必要。
指揮官が無能だと組織は潰れる
@@admiral_0306 当たり前ができていないからこそでは?
上官に馬鹿と害悪が多いのは何故?
@@梅の花サルトリイバラ ゴマすりも才能の一つだけど戦場では全く役に立たなくなる。
柴犬神
本当にそうですねぇ…orz
@ヨシフスターリン ジンギスカン作戦
思いつきと慢心と無能と見栄で199人を殺した男
牟田口 廉也と無能さではいい勝負
しかも凍傷を患ったけど自分は生きてるんだぜ、最悪っ!ww
謎ガン! 戦時中に特攻指揮した人間も大部分は生き残ってるというね。
日本の責任者は悉く自分から責任を取ろうとしない。
@@2990117
失礼しますが、昔から「旅の恥はかき捨て」というのがありますが、今思うと責任転嫁の正当化かなと思います。
@@nanasi-momiji 「旅の恥はかき捨て」という諺も、本来は「見ず知らずの土地では誰でも失敗するものだから、それを恥じる必要はない」という意味だったらしい。
それがいつの間にか「旅先なら知ってる奴も居ないから好き勝手してしまえ」みたいな意味に変わってしまった事を考えると、すぐ責任転嫁の方向に走るのは日本人の性なのかね…
平成3年まで北海道にいた元陸自なんだけど冬の演習ではそうなんだよな、糧食は懐に入れとかないと。戦闘服に内ポケットを付けるってアイデアが真面目に装備改善提案に出されていたね。円匙(えんぴ、スコップ)はせめて2人に1つは無いとね。それでも動かずに雪穴掘って休んでればねえ。無知は恐ろしい。
人は失敗から学ぶとは言えこれみたいに中には「もうちょっと調べなかったのか」
とか思うこともあったりしますね
陸自の携帯円ぴは冬期に使用するには機能性に劣るので、スノーショベル(アヴァランチショベル)を背嚢に、アキオに角スコやアルミスコを積載したりしますね。(1人/1本+予備分)
正直冬山で飯を捨てるなんてのは、命を捨てるのと同義だな。
むしろずっとなんかしらは少しずつ食い続ける位じゃないと体温が保てん。
そもそも、地元の方が「今日は入山してはいけない!」と言われたのに、一部下士官が面子にこだわったから。
しかし、この雪中行軍の生き残り(凍傷で手足を失った兵を除く)が日露戦争で全員戦死するとは…
@@hothidebonnbonn
まるで
ファイナルデスティネーションシリーズですな!
自分は平成7年まで北海道にいたけど。冬山はかんじきでも大変だった。歩けるスキーでも危なかった。
199人が死ぬのもわかります。
冬山は計画と装備が大切という今にも通じる教訓
八甲田山の映画を見ました、実際とは少し違うみたいですが本当に自然を軽く見た酷い話でしたね。
沢山の犠牲者に対してご冥福を祈りいたします。
長谷川特務曹長は
「田代といっても僅かに5里ばかりで、湯に入りに行くつもりで、たった手ぬぐい1本を持っただけだった」
と語っていましたが、実際には
1、マッチや蝋燭のほか予備の足袋を持参していた。
2、凍傷についての知識があり、
⚫︎予備の足袋を手袋代わりに使用
⚫︎常に手の摩擦を怠らない
⚫︎軍銃の革と毛皮の外套の襟を剥がして足に巻き
⚫︎足先に唐辛子をふって
凍傷を防いでいたと言う用意周到ぶりでした。
またマタギや炭焼き出身者の多くは
⚫︎握り飯を油紙に巻き、風呂敷に包んで腹巻の下に入れていた
⚫︎握り飯を油紙に巻いた後外套の下に入れて下に古新聞を着込んでその中に入れて身体に密着させていた
為に喫食できた者も居ました。
因みに神成大尉達士官連中は握り飯では無く水分の少ないパンを携行していた為凍結はして居なかったそうです。
成功した31連隊も食糧凍結には悩まされ、
⚫︎握り飯を油紙に巻き、風呂敷に包んで腹巻の下に入れていた
方法でも喫食中に凍結した事もありましたが、
田代温泉での露営時、案内人が
⚫︎餅や握り飯を真っ黒に焼いて油紙に巻くなどして腹巻の下に入れて懐炉替わりにもする
のを見て実践させて難を逃れてます。
それでも喫食時には表面は冷えていましたが、割ったら中はまだ暖かかったそうです。
14:10 キスカ島撤退作戦で、目的地前で霧が晴れたので引き返す決断をした木村昌福少将の度量はすごいと思う。
其の用心深さが弱腰と言われて、閑職に追い込まれましたね。しかし、其れが正しいのですが、日本には何度も遣り直す国力が無かったので気合しか無かったのも又真実ですね。
帰ろう、帰ればまた来られる……
実際にはキスカの作戦の結果
「木村なら何とかしてくれる」とどう見ても失敗する作戦に投入されて尽く勝利してます。
当時の日本軍なんて、少しでも慎重論を唱えれば臆病者呼ばわりされ、
無謀でも積極的なら称賛されるというアホな風潮がはびこってましたね。
だからこそ、作戦はことごとく失敗ばかりだったと思いますが。
@@Kei-zh9fh さん
田中頼三中将もそれで解任されてます。
素晴らしい動画ありがとうございます
小説なのに背筋の震えが止まらない…発狂した隊員のページなんかすごい怖かった
これ見て一番鬱になるのが、現代日本でも似たような組織問題や責任転嫁が普通に繰り返されてるとこ。
日本に限らないだろ
@@gwdapwd16766人は身勝手で他者を批判することでしか自分を誇示することしか出来ないからね
こおったおにぎり捨てたり、ガイド断ったりして雪山なめてたよな
岩手と宮城出身者でもわからないものなのかねぇ。
納豆せんべい
軍隊組織で
隊長の命令が絶対だから
分かっても
簡単には言えなかったかと
26c62626yamashita
雪山でなくても
山をナメてるのは結構居るね
今も
軽装で行く奴も居るし
雪深いとこの出身者は助かってなった?
山行ったら疲れたから迎えに来てって馬鹿げた事件があったな
大尉「天は我々を見放した・・・」
天「はぁ?俺のせいにすんなし」
天「ていうか全部俺任せの計画じゃん大将」
視聴者「あ、あの、天下の名言が台無し。」
時代も人数も行程も全く違うけど
吾妻山遭難事故の生還者も
「悪いことが重なった」
と言ってた。
真相はあなた方の準備や判断が楽観的過ぎただけだというのに。
あの事故は参加者全員の責任という珍しいケース。
(冬山を登るのに誰一人事前の天気予報も知らずラジオも持参せず、
ビバーク明けは猛吹雪なのに天気予報を入手できないことを
誰も全く気にしていない)
ヨシフスターリン ひふみん
八甲田「あと半年待ってから来てよ」
生き残りの兵士も最初英雄扱いされていたらしいけど…後にアル中患者に成り、終いには周囲から毛嫌いされてしまったらしいよね…
豚姫 後は日露戦争から復員した兵の方に関心が移って忘れられて鬱屈したのも大きい。
軍人は自らへの称賛と特権で生きる人種ですからね。
一瞬熱狂的に英雄扱いされてもその後の邪魔者扱いは避けられず無力さを感じる日々でしょうね
軍神とか言われてもちっとも嬉しくなかったんじゃないかな…と、現代の感覚で思ってしまいました。
雪山行く前に八甲田山見てから言った方が良い
あの映画見てから、スキー場で吹雪になるだけで、恐怖になります(笑)
細かいことだけど「収録が過酷」より「撮影が過酷」っていう方が合ってる気がする
映画の八甲田山で「最初に死ぬ役をもらった、俺の黒歴史だ!」
と大竹まことがぼやいていると言っていた
ロケ中に立ちションしている人がいて、冗談半分に後ろからドツイたら、それが大俳優緒形拳だったらしい。すぐに逃げたので大竹まことだとバレずに済んだらしいがw
早く死ぬ役もらった方が撮影離脱できるお!
最初の雪壕から出発直前に整列した隊員の側をわめきながら雪山に突っ込んだ役だっけ。
リーダーシップを学ぶ場が極端に少ないのが、日本の教育における致命的な欠陥かと。
天才のリーダーシップの執り方を、理想にしてしまっているから、凡才でもそれをしちゃってるイメージ。
日本では、誰かがリーダーやるだろう、やりたいやつにやらせよう、と思ってる人が多いと思います。
クラス委員とか生徒会長とか、昔は全員引っ込み思案で、よさげな人をみんなで推薦とかが主流だったけど、現在は「やりたい人」が結構いるらしい。
で、やらせると、トンデモ!非常識!顰蹙!本人自信満々!になるらしい。
でも、昔から自薦者は役立たずヘタレだった記憶がある、、、
もしや、政治もそうなってる?
シン・ゴジラで言ってたように、日本は直ぐにトップのすげ替えがきくのが強みの体制なんだから、義務教育でリーダーシップの勉強をやるべきだと思います。
@@ozmari554
現在でも本当に幹部は責任の押し付けしあって更に途中からいちゃもんつける幹部いて、、、
ふざけるなーーーーーーーーーー)))ーー)))ーーーーーーーーー)ー!!!!!!!!!!
わしらゴミやないんやぞーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!
演習場整備終わったら、普通一週間後に訓練するかー!!!!
災害派遣終わったら、訓練するか!普通!検閲するか!普通!
うちらゴミやないんやぞーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!
ゆっくりが透けてらっしゃる・・・お前らひょっとしてまだ雪山に・・・
八甲田山は戦後にも硫化水素による事故が発生しています
総じて危険度の高い山であることが伺えます
暑いのはなんとか凌げるけど寒いのは本当に厳しいからな…
そういえば原作は、成功と失敗の対比を面白く見せるために
31連隊をそれはまあすんばらしい隊&隊長だったことにしています
実際の31連隊の鬼畜っぷりはググれば出てきます
更に言えば「案内人殿にかしらァ~右ッ‼️👮」と秋吉久美子さんに敬礼するシーンにいたっては、映画だけのシーンでした(史実は女性の案内人など、仮にも帝国軍人が受けられるか‼️と却下したとか何とか)。
ググったことを真に受けるのは、なぜなんだぜ?
@@TheBikkuri
ググる以外でも現代の知識はほとんど他人からの知識の伝達だろうに……
完全にヤバい奴だから他の人みたいに無視すれば良かったかな?w
@@SAW-2012
そういうケンカ腰もよくないぞ。
@@isobeferrero9778
草
『天は我々を見放した!!』のではなく
『天(自然からの情報)を我々がちゃんと見て無い!!』
映画は観た。
キャストが今からすると半端ない。
北大路欣也、高倉健、緒形拳、三國連太郎、大滝秀二、加山雄三、秋吉久美子、加賀まりこ、栗原小巻、等々と凄えメンバー。
夏に観たのに、帰りは寒い感じがするくらい過酷な内容。
発狂して裸になって雪に転げ回る兵の役をした人は、身体にワセリンを塗り家族に身の危険を覚悟するようにと連絡した上で撮影に臨んだとか。
映画の内容の解説は動画の通りで、改めて書く事は無い。
tutayaで見かけたら、一度は借りて見るべき作品ですな。
兎に角、キャストが豪華!
いつの時代にも当てはまる言葉ですね。
キャストが凄いw
あ、関係ないけどTSUTAYAですね
一番最初に雪豪から飛び出して凍死する橇隊の隊員は若き下隅時代の大竹まことさんです。
秋吉久美子 かわいかったw
「案内人殿にー、かしらー、右!!」
先日「午前10時の映画祭」で観ました。
戦場で重要なのはミエやメンツではない・・・
生き残ることだ
「計画が現実に合致しているか、合致していないならどうするか、中止すべきか」といった経験を蓄積するのも「訓練」の一つの目的だと思うんだけどなぁ。
軍隊だとそうもいかんのかなぁ。
前半のくだりが面白かったです
「八甲田山」は今の若い人に見てもらいたい。
信じられないくらい豪華な役者さん達が集まってる。
北大路欣也はイケメンだし、栗原小巻や加賀まりこは美人、秋吉久美子はかわいい。
役者観るだけでも価値ある作品です。
当時無名の大竹まことがこのロケに参加しててボロクソ叩いてたのを思い出した
三國連太郎の憎まれ役っぷりも凄いです。みんなで埋めて口裏合わせて帰ってしまえばいいのに…と見ながら思いました。
@@環境破壊ちゃん-d7lさん
後年夕ニャンで曲がったまま伸びない指を見せながらおニャンコに迫る姿は狂気すら漂わせてましたね。
最初の雪山が現実で、この解説動画が死の間際に魔理沙たちが見ている夢っていうオチかと思ってみてたらそうでもなかった。なんか半透明だし
動画アップ有難うございます。
そうそう!俺は当時、映画館で観た、真夏だった、
夏なんだけどこの映画見てると寒くて寒くて震えたのを覚えてる、
何故かマジに寒かった、夏なんで半そで半ズボン、汗拭きタオルで防寒した。
前席の女性は頭からタオルをかぶっていたっけ笑。
とても入り込みやすくていい解説なんですけど、魔理沙の「オレ」っていうのだけ気になっちゃう
地元のばあちゃん達
オレ!とかオラ!とか言うよ?
気にすんなし!
そういうことだったんですね!ありがとうございます。
八甲田行軍訓練は寒地訓練の他に「ロシア海軍に制海権を奪われ東北太平洋沿岸部の道路が火力制圧下に置かれた場合に山地を抜けて人員、物資を輸送できないか」という検証目的も含まれてました
ゴム靴を履いていたのは倉石大尉という方のようです。行軍前の休暇の時に東京に行っておりたまたま靴屋でゴム靴を見つけて雪の中でならこの靴で行った方がいいか?みたいな感じで購入した模様それのおかげでこの人はほぼ無傷で生還できましたなお日露戦争で戦死された模様
同時のゴム靴は舶来品だったと聞いたことがあります。ちなみに、映画ではこの方をモデルとした倉田大尉を、加山雄三さんが演じています。
小説で読んで無事踏破した31連隊の福島大尉も結局日露戦争で戦死したって知ってすごく虚しい気持ちになったのを覚えてる
日本人の
根性!努力!思考の悪い例とでもいいましょうか‥
ホントこういうところは未だに残ってると思います‥
失礼しますが、それを否定すると年配者程キレる傾向がありますね。
そこまでして気合や根性論や村社会を否定されたら、日本が滅びるんかよと。
それは良い悪いというよりただの特徴だから
良い方に出ることも悪い方に出ることもある
努力・根性があって助かる場面もあるでしょうよ
悪い面だけ見ると公平さを失う
日本人は列島人種です
でも、そうは言っても最後モノ言うのは精神力の差、みたいなところはあるからなぁ。
精神力第一!は絶対違うけど、精神力を軽んじるのもまた絶対違うのよ。
非科学的で非論理的な根性論・精神論が未だにはびこる日本。
昔はそれが通用したけど、今は違う。
先進国一貧しい国に落ちぶれたのも納得だな。
重度の凍傷を負いながら生き残った兵卒は東北(秋田山形)の元マタギ・猟師が多かったと聞いたなぁ
個人で雪山対策し、素足に凍傷予防に血行促進の唐辛子を塗って、靴下重ね、その上から防水用に油紙を巻いたんだとか(それでも凍傷になってしまった)。
一日目の宿泊地が”温泉”と聞き、「ひとっ風呂浴びてきてやるwwww」と、素足で草履に薄着でタオル(手拭い)肩に掛け出かけた人が居たとか居ないとか。
発見された凍死体は完全に凍りついていて、下手に動かすとポキポキ折れたそうで、湯を沸かし桶に浸け解凍しないと運べなかったそうな。
炭火に鉄板で直火焼きにしたとも聞いた
これ八甲田山の里山で迷子になっただけです。
ただし、旭川で日本観測史上最低気温-41度の悪天のときでした。
天は関係ないなこれ 遭難するべくして遭難してるように見える
昔見た映画を思い出しました。
良い解説でした。
夏場に馬立場、第二露営値、第三露営地、田代温泉といったあたりをハイキングしました。
確かに夏場ならなんでこんなところで???というほどの風景の素晴らしいところでしたね。
八甲田山リアルタイムで観ました。北大路欣也さんや健さんも素晴らしかったけどあの芥川 也寸志さんのスコアが良かったなあー。今でも耳に残ってるもん。
音楽、映像、そして実写映像そのものの演技。邦画の最高傑作だと思っています。原作の小説より良いです。軍隊の描き方も、監督や製作者の方が長じている感じです。「永遠の0」でも同じように感じました。さては軍隊の感覚が実社会より映画界によく保存されていたと考えます。小説ほど読み手側によらなくても良いのです。
これどこかのサイトで見た。
脳ミソが堅物の上司だと見殺しにする。味方、身内の数を自滅で減らしてどうするんだよな。
青森行ったときこの雪中行軍の記念碑見に行ったけど、あんな山奥で遭難とか絶望だっただろうな〜って感じた。
「先達はあらまほしきことなり」とはよく言ったものだよなあ・・・
さすが吉田兼好ニキやで
あら あほらしきことなり
と読んでしまった
しかもこれ雪中行軍した部隊?が地元民ではなくほとんどが都会の人だったからこうなって、さらに途中で案内してあげるといった地元民の誘いも断ったからもありますby超絶地元民
「帝国軍人が現地の田舎者の案内など受けられるか!!」とか酷い断り方をしたと言う話もありますね。
@@尹龍虎 私の知識だったらお金欲しいから案内を申し出たと思われたらしいです
国民軽視の姿勢は解体の日まで続く
豪雪地帯ではない太平洋側(岩手・宮城)出身者で構成された部隊だから、兵隊も雪に対する知識が乏しかったと原作には書いてありました。
@@さんぱち-n2rそれ新田次郎の小説。
自衛隊の雪山登山訓練でカチカチに凍った二型糧食を食べた事を思い出してしまう。
訓練の理由ってロシアが青森に上陸して鉄道を抑えられた時、内陸で通行・輸送が可能か検証するってのが切っ掛けだったかと思ってました
おそらくそれも行軍の理由のひとつにはなっていたのではないでしょうか❔
津軽がロシアに内通、南部へ救援求めるためかも。そうで無いと成立しない。
彼等の魂は今も終着点を
目指して彷徨っているのか
南無・・・・
あぁこれか!パッケージが出た瞬間思い出したわ,,,
めっちゃ小さい頃に父が家で見てたから一緒に鑑賞した思い出
まさに指揮官が悪ければ部隊は全滅するの例だな
牟 田 口 大 将
無能指揮官と言えば 辻
管直人
minmi 指揮官次第なのは事実‼️
戦闘局面においても、一匹の羊に率いられた100頭のオオカミの群れは、一頭のオオカミに率いられた、100匹の羊の群れに劣る‼️
軍事の基本である‼️
新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」は各所に脚色がある。後の検証で明らかになった史実は「八甲田山 消された真実」に書かれている。
投稿主へ、山口少佐が朝二時に出発を判断したのは下の兵士たちが寒くて朝四時出発まで待てないと熱望があったからです。
とちゅうで田代に行くのも、帰り道は18キロ、田代は1.8キロならば近い田代に行こうと判断したわけですよ
某アニメに
「悪い軍隊なんてものはない・・・あるのは悪い指揮官だけだってね」
なんてセリフがありまして・・・
教訓と言うには大きすぎる被害ですが、この事件をきっかけに冬季対策が大改善されたのも事実。(装備から凍傷対策まで)
この対策がなければ、日露戦争では万単位の日本兵の凍死凍傷者が出ていたのは間違いないと思います。
(途中で気が付いて、装備を旅順や満州まで追加で送るには補給線が長いし)
でも補給線伸び切ってるのに根性で何とかせえとかいう無茶を
太平洋戦争でやりまくるし
なんというか日本には大丈夫だろ精神があると思ってしまう
@@自由主義と君主主義 日本人は精神論好きだから。。。
日露戦争と言えば、福島大尉をはじめ生還した方々も、この後皆ロシアの地で命を落とされているんですよね…
@@自由主義と君主主義 別にこういうことはドイツ軍やソ連軍、イギリス軍でも見られたことだから日本に限った話ではないけどな^^
@@blackheart7568 満州はいつからロシアのものになったのか?
軍はどこでもそうですが、『命令』を発すれば当然、武器・弾薬・人員など様々な設備が必要なため受領した命令のために『予算』を要求できる。この為、軍は命令ではなく、部隊が自主的に訓練を実施したと言うことにしたかった。予算を出さずに訓練をさせたい・・・という何とも『忖度』した。何とも日本は昔から変らないなと感じる話ですね。
定期的に見たくなる動画です。
この事件の”その後”も、かなり後味悪い
健常者のほとんどが後の日露戦争で戦死。
兵卒「大尉殿、スマフォでグーグルマップを見れば帰り道が解ります!」
(ガサゴソ)
兵卒「大尉殿!スマフォが低気温すぎて放電してしまいましたぁあっ!!」
大尉「天は・・・我々を・・・・見放した・・・・」
凄く現代的な悲劇でワロタ
-10℃以下だと、30秒もすると正常に作動しません…
ほぼほぼ圏外だったなぁ八甲田山…
酸ヶ湯で我慢して…
@@tita6818 ら
スマフォww
緊迫した中でスマフォって言ったらめちゃ和みそう
何て言うか、行き当たりばったりの行軍だったんだな。本当に人災だ。
高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対処しただけだぞ
@@nattousenbei 強烈な皮肉な
雪山登山経験者が見たら草も生えない地獄・・まさに人災
何がアレだって、こういうのをやらかす様な輩ほど自分は大丈夫って思ってる。教訓が必要な奴ほど自分に教訓が必要ないと思ってるという意味不明な事が起こる。
こんなのマタギの言う事を聞かない司令官が悪いんだろ、船頭なしに船を漕ぐようなもんだっ!ww
笑うな
毎年冬になると、この映画を見ています。あぁ、あの時ああしていれば・・・と、見るたびに思ってしまいますね。あと、203高地。
sarome888 見えまぁぁ〜〜〜〜すぅっっっ……!!
一望のもとに収めることができまぁ〜す😭😭😭😭😭
祝日というとNHKが朝の連続テレビ小説の後に映画を放送していたころの、数十年も昔の話。
当時、成人の日は一月十五日に固定。そのいつだったかの成人の日にNHKが放送した映画が、「八甲田山」だった!
@@tomoyukiikeda4984
中学生の頃(1990年)に雪国を放送していたのを、今でも覚えています。
最近は夏にこの映画の地上波&BS放送を見るような気がするんだけど?
…(あと、三国連太郎の「熊嵐」とか…)
まさか納涼番組のつもりだったら洒落にならない…クソ暑い中冷えるのは心の方だからやめてw。
八甲田の冬は未だに雪中行軍の未帰還者たちが迷っている。
2018年の冬、消防に助けを求める電話がかかり八甲田山にむかうと無地の別荘から救難の電話が掛けられた事がわかった。
しかし、電話線は切れて使えない。
電話の前に数十人の軍靴の足跡があったそうだ。
遺骸は収容されたがその精神はいまだ雪の中に歩いている。
中学の時、八甲田山で映画八甲田山を見たなぁ。
小便で凍死してたのが印象的でした。
映画の神田大尉は大隊本部の横槍による被害者的に描かれてるけど、実在人物の神成大尉はナオキです…
まあかろうじて遺族もまだいた時代だったろうしな。
2020/03/23、お勧めに出て来たので拝見致しました。
田代温泉、テレビで見た事がありますが、本当に小さな温泉で、びっくりした事を思い出しました。畳一畳あるかないかの浴槽で本当に掘っ立て小屋。
確か、今は水の底に沈みましたが、八甲田山の映画を観ていたのでとても複雑な思いになった事が蘇りました。
冬山舐めたらいけませんよね。そして日本人の悪い面が出てしまった人災でした。
今でも八甲田山では色々起こるそうですが、確かに報われませんよね。
新しい動画楽しみにしております。
ありがとうございました。
上官が道案内人を小バカにして拒否して、我が道を行って悲惨な遭難事故を起こした人災です❗映画八甲田山で見てわかる
上田和哉
万が一遭難したら民間人で有る案内人まで巻き込んでもっと騒動になる、と考え、又寒い異国のロシアで地元民の協力を得るのはそれこそ当時海外に逃れていたレーニンの口添えでもなければ不可能、故に自力で進む事も訓練、と考えて断ったそうです。
むしろ民間人で有る案内人を小バカにし消耗品扱いしたのは成功した31連隊です。
31連隊が小編成、それも見習士官や下士官中心に隊を編成したのは「もし遭難しても志願兵である彼等なら世間にも天皇陛下にも申し訳が立つし、特務曹長や長期伍長、長期上等兵が居ないので人間関係も良好で統率が取りやすい」と言う一点からです。
実際長期下士官や古参兵による陰湿ないじめに耐えかねて怒りを爆発させて戦場でどさくさ紛れに彼等を殺害(映画「プラトーン」に出てきます)した例はたくさん有るし、「生きて俘囚の辱め」の戦陣訓も「現地で一部士官や下士官、古参兵の横暴が余りに酷く新兵の中には自ら捕虜になって地獄の内務班生活からおさらばして逆に敵側にハンバーグ一切れで情報を売る」例が続出した為です。辻政信参謀は戦陣訓を広めつつ「綱紀粛正無くして勝利無し!」と説いて回り、実際にも私的制裁の酷かった部隊の本人と体調を軍事裁判で軍籍剥奪処分にしてますし、インパールでは牟田口の余りにも乱れた生活を見て「この戦は負け」と確信したそうです。
海軍も同じで、戦艦陸奥の沈没事故も「古参兵の酷いいじめに耐えかねた新兵が主砲火薬庫に放火して自殺した」のが原因です。
一週間でロクな登山計画(しかも雪山)が建てられるとは思えない…
山登りはマズいと思ったらすぐ諦めましょう
もう一隊も雪中行軍があったけど、そちらは地元の人を案内人で雇って
無事に帰順出来たって話があったね。
嫌がる地元民を脅して無理やり案内人にし、目的地が見えたらそこで置き去りにして使い捨て。
弘前隊員は無事でも、案内人には一生のダメージを負った人や、亡くなった人もいたんじゃなかったっけ?
そしてその時渡した案内賃以外、一切の補償をしてなかったと思う。
結局、弘前隊も鬼畜。
ちぇるりら
そうなの!?確か遭難した隊は案内人無しで行ったんだと思った。
理由は同じで、この時期に山に入るのはキチガイしかいないって断られたって。
弘前隊の案内人って酒貰ったんじゃなかったかな?いや只働きみたいなもんだ。
…ネットで見る限り、えらい豪勢な資料館になってる!!驚いた!
本当にぼろぼろ木造10畳くらいの小屋だった、思い出すと涙出そうになる。
@@ちぇるりら か
50年前と5年前の2回10月の八甲田に行った。季節は冬山ではないが相棒が肩の骨を外し救助隊のお世話になってしまった。 山の危険は冬だけに非ず、平時でも文化果てる人民の居なくなった山も、電気は勿論水も食料も無くなったら東京都雲取山山頂でも遭難する。1泊でも日帰りでも山を侮るなかれ。
青森県民です。
子供の頃、八甲田の後藤伍長の像がある所に行った時「昔の人はエライね。捜索隊に発見されやすくする為にこの人は倒れないよう銃剣で体を支えて凍ったまま立ってたんだって。」
と、教えられ「(いまで言う)サムライだなぁ〜」と思い。てっきり…そのままお亡くなりになったのだと勝手に思っておりました。
生存されていたとは!良かったです…😭
将校間の指揮系統の乱れが遭難の大きな要因とされているが、それは事実ではないとされる。
何より遭難の最大の原因は、準備不足。それと、八甲田山の雪質を理解していた者が、少なかったことも影響していると言われている。
加山雄三演ずる倉田大尉は東京で買ったゴム長靴を履いていたため助かったんやで。あと、弘前31連隊の案内人の秋吉久美子がかわいらしいので映画版は必見やわ
大隊本部の倉石一(くらいしはじめ)大尉がモデルになっています。
時代も国も違い実戦だけど、冬の天候と地理を甘く見たという点では
ナポレオンのロシア遠征やナチスドイツのソ連侵攻も思い出す。
ハンニバルも入れてあげて
大尉「天は我々を見放した」
神「すまん吹雪で見失ってた」
原作(映画も)は話を面白くするために演出入っていて、
特に大隊長が何もかも悪かったようにされてます。
実際には、
・指揮官(神成大尉)は代役で急遽任命された
・大隊本部は元々付いて行く計画だった(という説もある)
・田茂木野で制止&案内人を断わったという話は新聞記事の記録しか無い
(↑当時も軍に批判的なメディアはあって、あることないこと書く場合もあったらしい)
・大隊長と神成大尉の関係は悪くなく、特に大隊長は神成大尉を高く評価していた
・深夜3時の出発は、寒すぎて動きたいとの声が多かったため。大隊長は朝まで待てと言っていた。
・大隊長が、道がわかったのでやっぱり田代にしようと決めたのは本当らしい
・田代はこっちだと言った人(佐藤特務曹長だという説)が指した方向は正しかった(最初だけ)
・最後の大隊長の自殺は、自殺出来るような状態、体調ではなかった説がある
等々、明治の話なので何が正しいのか断言は出来ないわけだけど、
現代なら山口少佐の遺族は原作者を名誉毀損で訴えても良いレベルかもしらん
ここでもまた間違いの八甲田山の動画があるよ
映画は長時間の大作だけど小説はビックリするほど薄い本。中に遭難の工程図があるけど同じところぐるぐる回っていただけだという。