【ゆっくり解説】実はアメリカよりも先に日本を空襲していた中国軍!爆弾を落とさない空襲「紙片爆撃行」とは?
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 8 ก.พ. 2025
- 今回紹介するのは、中国空軍による日本本土初空襲です。
第二次大戦での日本本土への空襲というと、米軍のB-29によるものをイメージする人が多いかもしれません。
しかし、実は、アメリカ軍による日本本土初空襲といわれる1942年4月のドーリットル空襲以前に日本本土への空襲を実現させていた国がありました。
それが、当時、日中戦争で日本と戦っていた中国です。1938年5月、中国空軍は日本本土への初めてとなる空襲を成功させました。しかし、現在、中国軍機が日本本土上空へ来ていた事実はほとんど知られていません。
理由として、中国軍による日本本土空襲が1回限りで終わってしまったこと、そして、この空襲で中国空軍が日本に爆弾を投下しなかったことがあげられます。
中国は爆弾を落とさない人道的な空襲として、日本本土空襲を「人道遠征」と呼びました。空襲なのに、爆弾を落とさない――では、一体何を投下したのでしょうか?
今回は、中国空軍の日本本土初空襲とは、どのようなものだったかを解説していきます。
●注意事項
・動画作成者は東方に詳しくないため、魔理沙と霊夢の口調がおかしい場合があります。
・個人が収集した資料に基づき製作しているため、内容に誤りが含まれる場合があります。
・使用している画像等はキャプションがないものについては、時期や所属部隊、兵器の型式などを考慮しておらず、動画内容と無関係のものやイメージ画像・映像などが含まれます。
・当チャンネルの動画には、特定の国や組織、個人を貶める意図はありません。
●主要参考文献
「第二次大戦航空史話 上」秦郁彦 中公文庫 1996年
「中国抗日軍事史」菊池一隆 有志舎 2009年
「中国的天空」中山雅洋 大日本絵画 2007年
「中国空軍の対日戦略―日本爆撃計画を中心に」萩原充 『日中戦争の国際共同研究2 日中戦争の軍事的展開』慶應義塾大学出版会 2006年
「昭和特高弾圧史5」明石博隆・松浦総三編 太平出版社 1975年
「戦史分析 日中航空戦」佐藤俊之 歴史群像2006年6月号 学研
「戦史叢書第79巻 中国方面海軍作戦<2>昭和十三年四月以降」
「戦史叢書第19巻 本土防空作戦」
「台湾空襲機帰還ー支那側報道」アジア歴史資料センター Ref.A03024304600
「敵機・台湾に来襲 爆弾投下・島内は平穏」朝日新聞1938年2月24日
「敵機、突如台湾に現れ 台北、新築で爆弾投下す」朝日新聞1938年2月24日
「敵機台湾に現る 台北、新竹で爆弾投下」読売新聞1938年2月24日
「九州へ敵飛行機 反戦ビラを散布して逃ぐ」朝日新聞1938年5月21日
「怪飛行機 九州に現はる 反戦ビラを撒き遁走」朝日新聞1938年5月21日
「昨夜敵機現る 九州・朝鮮に警報とぶ」朝日新聞1938年5月31日
「昨夜九州上空に敵飛行機現はる 各地に警戒と空襲警報」読売新聞1938年5月31日
「帰途行方不明か 九州平井の怪飛行機」読売新聞1938年6月1日
「初期本土空襲から見る日本の防空体制における問題と限界 -1938年の九州への中国軍機来襲を中心に-」小谷怜央
meiji.repo.nii...
「多くの人が知らない「幻の空襲」の実態…日本初空襲は中国軍によるものだった!」高井ホアン 講談社 現代ビジネス 2021年8月
gendai.media/a...
「日本本土初空襲はどこの国から? 「人道爆撃」を成功させたB-10」関賢太郎 乗りものニュース 2018年5月 trafficnews.jp...
●音楽
魔王魂様、甘茶の音楽工房様
#ゆっくり解説#第二次世界大戦#日中戦争#太平洋戦争#中国空軍#日本本土空襲
貴重な情報ありがとうございます。手持ちの駒だけで、出来る限りの抵抗を試みたことがよくわかりました。駒が揃わないことを言い訳にして「何もしない」という対応が如何に
愚策であるか ということが良く分かる話だと思いました。
日本もこんな訓練を行うべきです。
宮崎駿の雑草ノートの『九州上空の重轟炸機』ですね。
雑想ノートですね
草の臭いがしそう
これは知らなかった。
昔読んだ、宮崎駿の短いマンガ。それに、このビラ空襲が描かれていました。そこでは、任務後に帰還できなかったとなっていました。しかし、実際には帰還。知りませんでした。日本の民間会社が、投下された紙を分析。製造元や製造時期まで特定。高度な技術力に驚きました。
日中戦争の軍事的展開!私も大学で読みました。勝手ですけどすごい親近感を感じました。代わりにうぷ主には明治期国土防衛史を名著ですからおすすめしたい。
中国軍というと逃げ惑うだけのイメージだったけど認識を少し改めた。凄いじゃん。
米英が扶植した しかも 米英についてきただろう ソ連のパイロットもいた(漢口陥落)
これからは自衛隊から逃げ惑う中国軍😂
鹵獲した兵器等を駆使して奮戦している印象、中国軍の強さは欧米の歴史マニアからはかなり高く評価されている
なお、逃げ惑った中国軍を追い続けた日本軍はこの後...
@@肝心な時に浮けなかった男流石 自画自賛するのが大好きな某国
15:48 日本本土の通過コースは、なんとか長崎を見つけてフィートドライ、そこから北北東に長崎→佐賀→福岡と航過できてれば満点でしたがねぇ。あと、日時表記はたぶんAM/PM表記より24時間制表記の方がぱっと見わかりやすい気がする。
初耳‼
人道爆撃。これは、もっと知られても良いですね。
何か人道 米英の下僕
@@無-p2u重慶...
一方日本は重慶爆撃を実行するのであった…
世界初はゲルニカに譲るが
堂々たる本格的な都市爆撃攻撃だ
迎撃できてればかっこよかったけどねえ
日本側が、この“空襲”をもっと重要視して対策(防空戦)に注力していれば、ドゥリットル空襲もルメイ無差別爆撃も原爆も・・・等としたり顔で言ったところで所詮後知恵かな
人道爆撃って言い方変だよ
ハッキリ言えば…結果的にそれしかできなかったわけでね
でっちあげされたものみたい
いや、結果的に人道的なんだから人道的だろ。
逆になんていうの?
爆撃では、ないし遊覧飛行でもないわけで。
人道爆撃かビラ撒きで良いだろ(結局人道的)
難癖付けたいだけやろ
宣伝ビラを撒いたんでしょ。敵国への空からの侵入であって、それを空襲とは言いません。「人が死なないキレイな爆撃」なんて無いから。
なお日本は重慶を普通に爆撃した模様
人が死なないならばそれだけでいいじゃないか
爆撃でもビラ撒きでもどっちでも良いけど、アメリカと違って中国軍が結果的に人道に反さなかったことが重要。
その後日本軍は毒ガスを使用していた...
😂😂無能力者の人道攻撃。。
そもそも日本に影響がないのは、東京とかではなく九州だったからね、あんまり影響ないのは、当たり前だね。東京にばら撒いてたら話は別だと思うけど。その時代の中国人達は、現代の中国を見てどう思うかねww
そもそも何で共産党に乗っ取られてんだよって思ってるよ
@@タカハギ えーっと確か共産党となんかの党と戦って、毛沢東が勝利してもう1人の党の人は、確か今の台湾に逃げて中国と台湾が対立してるんだっけなー