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ご指摘頂いている通り、485機というのは「喪失数」であって「撃墜数」ではありません。なので動画の中でも「485機撃墜した」とは一言も言っていませんし、サムネも「喪失」となっています。ご視聴の際はご注意ください。この485機の中には事故による喪失も含まれていますが、ただ逆に言うと500機近いB-29が事故なり戦闘なりで失われたのです。また、延べ出撃機数33,401機と比較すると、喪失率は1.5%ほどとなり、これが「B-29に手も足も出なかった」と言われる所以になったと思われます。この損害をどう受けとめるかは人しだいですが、これらの比較については以下の動画でも述べているのでご参照下さい。【実在したB-29 vs ジェット戦闘機の対決】th-cam.com/video/myNsmdU7MIk/w-d-xo.htmlご指摘頂いた方々にこの場を借りて感謝申し上げます。私の知識と腕前では未熟な動画しか作れないため、皆さまのご指摘や議論があって初めて動画が完成すると考えております。本チャンネルの場合、動画とコメント欄の2つを合わせて1本の作品になるのであり、そういった意味では視聴者の皆さまも作成者の一人であると思います。今後も末永くご指導のほどよろしくお願いいたします。(なるべく優しい言葉でコメントくださると助かります…!)なお、この固定コメントに返信を付けるのはご遠慮下さい。通常のコメント欄にお願いします。
日本を叩いた結果的に今 C国に悩まされている米国 中華思想って弱肉強食の強い者には逆らえないから 今 日本人を舐めてるんでしょう だって領空侵犯しても撃たれないって思ってるから安心してるよ 漁船で体当りしても許してくれるんだもん 日本本土にミサイル打っても自衛官の皆さんがレーダーで見つけていても撃墜しても?って防衛省に聞いても、それから国会、立憲皆さんと志位委員長の反対に火の海だろうね そこまでなってもデニー辺りは米軍基地があるからミサイルが飛んで来るって言いそう
これ 述べ3万機でたった数百機やないかー❗️微々たるもんや❗️という奴多いですよね😃💦 述べ3万機ですが生産機数は4000機弱ですし 戦死も3000名強だけとかも言う割には 日本の特攻隊戦死には大袈裟になる傾向の自虐さん多数居ますよねB29戦死者3000人の一人一人に物語があり、彼等にも家族や友人が居たであろうのに自称平和主義者の自虐評論は痛いですよね。
当時、祖母が赤ん坊の俺の父親を背負って空襲警報がなるたびに焼夷弾から逃れる毎日、「もう戦争は嫌だと」だとたまにやってた戦争ドキュメンタリー番組を見てよく涙を浮かべて嘆いてました 父親を守ってくれた今は亡き祖母に日本を必死に守ってくれた日本兵の皆様に感謝しています。
日本の空を命がけで守ってくれた先人たちに感謝
敬礼
守れてないんだが
@@ネトウヨウヨ 守りきれはしなかったが、その命をかけて守ろうとした行動には最大の敬意を払うべきです。
太平洋戦争が開戦する前にアメリカはすでに中国の米軍基地からB-29で東京に急襲爆撃するつもりでしたよ。
@ponhazan narita 歴史史観には様々角度があり、一つの事象も見る側によって事実が何通りもあるので、一解釈は、一解釈にしか過ぎません。色んな角度で見ましょう。
B29が名古屋を空襲する時伊勢湾側から侵入し爆撃が終了すると右に旋回し瀬戸市の上空をかすめて太平洋へと抜けて行きました。私は瀬戸市に住んでた。日本の戦闘機の体当たりも、高射砲弾を被弾し煙を噴きながら編隊から離脱していく姿も目に焼き付いています。夜間空襲の時はサーチライトに写っし出される機影、地上と敵機から打ち出される曳光弾、9歳の私にとって刺激的な出来事でした。
立川飛行場の対空砲で撃墜されたB29がお爺ちゃんの山(青梅)に落っこちてきた話を聞いたことがあります。
空自小牧基地には当時、飛燕戦闘機を格納してた掩体壕が現存してます。小牧から出撃した飛燕が岐阜~名古屋上空で体当たりしてたとも。掩体壕上部には当時の高角砲の台座が残されて往時を示してます。
@@零戦太郎-h7v 名鉄の笠寺駅の近くに「見晴台」と言う場所があり、戦時中は高射砲の陣地があったときいています。この陣地から発射された高射砲によって撃墜されたB-29の一部が残っているみたいですね。
@user-mc1nr2pf3r 様日本語を学んでください
作り話で草
日系アメリカ人だけど、今となってはだけど、米軍が戦勝国と言ってるが、完全にジュネーブ条約を無視した無差別殺戮だった事は、まぎれもない事実ですよ。
条約など勝った方がどうとでもする。敗者を守る何物もないし、主張も空気同然。
まぁ、日本も重慶爆撃をやってるわけですし、日本のお友達のナチスドイツもゲルニカ爆撃やってるわけですし。そんなアメリカに尻尾ふりふりするのが、戦後日本人なわけですから
同意です!米国の歴史を見る限り、トコトン汚い手を使った【血みどろの歴史】ですよね。また米国は、在米日本人の協力なくして、あの戦争に勝てなかったと思う。それに米国で一番勲章をもらっているのは『日系人部隊』だと聞きました。ずっと前に「442部隊」の存在を知った。当時「テキサス部隊221人」が、独仏国境で、ドイツに包囲され、身動きが取れなかった。そこで、日系人部隊が出動し「全員救出」したんだよね❓それを知ってから、結局、アメリカ人は、差別している日本人に助けられてたくせに、いまだに偉そうに【人種差別】しまくっていて「ジャップ」・「イエローモンキー」とか言って、恥を知れ!と思ったよ。
同意です。かってアメリカ人は、インディアンとの300以上の契約を【反故】にし、黒人を数百年間、奴隷としてこき使ってきた【血みどろの歴史】がありますので、条約無視など当たり前なのでしょう。また、日系アメリカ人がいなければ、あの大戦も勝てなかったと思う。かってドイツ軍に包囲されていた「テキサス部隊221人」は、日系アメリカ人の「442部隊」が命がけで救出し、全員助け出されました。その事実を見ても、日本人の力無しに、アメリカは勝利を収める事は出来なかったでしょう。それに「空の戦車」と呼ばれたアメリカの戦闘機を数時間で撃墜した日本のゼロ戦は、超優秀な戦闘機だったと言わざるおえませんね。
同意です!そして、日系人の協力なくして、アメリカは絶対に日本に勝てなかったですよ。
日本人は一生懸命に戦った。 米軍は民間人を狙って無差別爆撃を行った。 終戦に近くなって、B29に多くの護衛戦闘機が付いてきて、撃墜するのが難しくなったと父が言っていた。 地上から反撃すると、直ぐに戦闘機が群がって来て、滅茶苦茶にやられたと言っていた。 戦闘機でB29に体当たりして、それでもB29が体当たりした戦闘機の残骸を乗せたまま飛んでいたそうだ。 悔しかったと言っていた。 亡くなった父の灰は川に流され、今頃は南の海で戦死した戦友達に合流しているだろう。
父上が安らかに眠って頂きますよう………
@@panthertiger4883 有難うございます。 自分だけ生き残ったので長い間、自責の念を持ちながら生きていた様です。 あの頃の若者には、青春なんて無かったと言ってました。 亡くなる数か月前に、戦友の所に行った夢を見たそうです。 そこで戦友に、お前はまだ早いと言われて戻って来たそうです。 そこは言葉に表せない程きれいな場所だったそうです。 その3か月後に、ソファーに座ったまま静かに息を引き取りました。 90歳でした。 今頃はそのきれいな世界で戦友たちと楽しく暮らしていると思います。
貴重なお話しありがとうございます祖先への敬意を忘れがちな、この今の社会こそ、若い方々に聞いてもらいたいです。戦時中、命をかけて戦ってくれた雄士に敬礼。いまの豊かな日本があるのは、彼らのおかげだと思っています。
@@alexoda8489 命をかけて戦った先人達のお陰で、私達は平和に暮らすことができますね。 戦時中の人は、人を殺す事を習った。 殺さなければ殺されると。 私達はそれを忘れてはいけませんね。
カーチス ルメイは戦時国際法を犯した戦争犯罪人。
おじいちゃんがB29を高射砲で撃墜してたと父から聞いたことがありました。その時はへーと思ってただけなのですがシベリアに送られたりなんだかんだ生きて帰ってきたおじいちゃん凄いなーと思ってます
th-cam.com/video/MC8oN9iZT50/w-d-xo.htmlおじいちゃん 御苦労されました 生きて帰れた
その発言はシベリアで亡くなった人達はお前のじいちゃんのように凄くなかったから死んだって言ってんのと同じだぞ。その発言はシベリアで亡くなったたくさんの同胞に失礼極まりない発言だ😡分かって言ってんのか?
@@marimokittiri 何言うとんやコイツ読解力いうんは大切やと思うわ(死ぬほど大爆笑)
@@aresama5942 は?どこがどう違うのか具体的に指摘してから言えよ。読解力って言葉の意味分かってんのか?分かってねーからこんな頭の悪いコメントするんだろうがな。噛み付いてくるなら意味の分かるように具体的に言うてこい。お前の頭じゃ無理そうだがな
@@aresama5942 シベリアから生きて帰って来られなかった人に対して失礼な発言だという事が理解出来ないのは読解力の前に人として腐ってるわ。
叔父が、死んだのは、もう25年以上前になるが、その叔父は、陸軍航空隊に所属していた。終戦時22才で、父島の陸軍の航空基地に配属されていた。父島に赴任する前は、関東上空で、米軍の艦載機と空中戦を何度か経験したと言っていたが、それ以外にも、B29の夜間爆撃に対する迎撃にも出撃していたと言っていた。その迎撃での話だが、戦闘機は、飛燕ではなかったかと思う。機種までは、話に出なかったが、写真があり、それに写っていたのが飛燕だった。その戦闘機に、誘導装置が装備されていたと言っていた。この動画でもレーダーが全国に配備されていたといされているが、叔父はいうには、関東の防空に際して、まず、2か所のレーダー基地が、B29の飛来を探知する。レーダー波(反射波)の延長線の交わるところにB29の編隊がいることになる。その交点を目指して、戦闘機が迎撃に出撃する。夜間爆撃に対する迎撃であることから、基地からの指示に従って、目標地点に向かう。真っ暗闇の中、基地からの指示の地点に到達すると、誘導装置のスイッチを入れる。(今なら「ON」と言うところだろう。そうすると、丸い画面(オシロスコープの画面を丸くしたような画面で背景は濃いグリーン)の外側に光の点が、現れる。その光の点は、ぐるぐる回りながら、次第に中心に向かって、収束するように移動する。そして、丸い画面の中心に達したところで、ポカーットより明るく光って消灯する。その時、戦闘機のサーチライトを一挙に点灯する。(叔父は、サーチライトの光で、B29の後部銃座の狙撃手は目がくらむ、と言っていた。)すると、前方200mの距離にB29の機影を発見する。そこで、直ちに機関砲(20mm)を連射する。(通常は、曳光弾の間隔毎に3発ないし4発ごとに区切って発射するが、この時は、とにかく打ちまくる。)そうすると、ぱっと提灯をともしたような炎が、点火する。つまり、20mm機関砲が命中したということだ。その光を視認するやいなや直ちに離脱する。これが、叔父から聞いたB29のに対する迎撃の戦闘の様子だ。 これとは別に母親が、言っていた話だか、終戦まじかの九州上空、大分県(竹田市)と熊本県の県境(ほぼ阿蘇山上空)での戦闘の話。恐らく小倉を爆撃した帰りのB29の編隊(何機かはよくわからないが、10機以上と思われる。)が、飛行していた。その編隊に向かって、下から戦闘機が1機、突っ込んでいった。B29の編隊から一斉に機銃が掃射されて、瞬く間にその戦闘機は、煙を吐きながら、墜落していったと言っていた。この話と同様のことを、高校の物理の教師も話していた。同じ戦闘の話かどうかも定かではないが、当時、小学生の母親やその高校の教師、また、中学生の父親は、実際に日本の戦闘機が撃墜されるところを見ていたということだ。撃墜された戦闘機に搭乗していたパイロットは、どこどこのだれだれさんだったそうだ。などとも話していた。 父親は、また、別の戦闘を見たと言っていた。それは、編隊からはくれたB29の1機が、やはり九州山地(阿蘇山上空)で、日本の戦闘機3機の攻撃を受けて、墜落していったと言っていた。3機の戦闘機は、そのB29に対して、上からなだれ込むように突っ込んでいって、B29を撃墜した、とい言っていた。 母親やその兄弟(叔父や叔母)達は、もうほとんど死んでしまって、話をしてくれる者(戦争体験者)がいなくなったが、彼らは、盛んに「B29の爆音は、ちがうんよね(大分弁)。なんか、ブォーン、ブォーンというか、唸るような低い音がして、怖かったなー。」< 空襲警報発令 > 北九州(小倉)などへの爆撃に向かうB29の編隊を大分や熊本(阿蘇)の山岳地域に疎開していた当時の子供たち(私の親たち)は、目撃していた。 先に話した陸軍航空隊に所属していた叔父については、手記がある。貴重な体験談なので、出版すべきだと言ったが、「まだ、生きている人もいるので、公表はしないでくれ。」とのことだった。しかし、その叔父も死んで20年以上になる。いつか、ネットで公表したいと思っている。 その叔父は、関東を中心にいたらしく、ある時は、テストパイロットとして、ジェット戦闘機も操縦したことがあると言っていた。「戦闘機と言っても、今のようなかっこいい機体ではなかったよ。翼のしたにエンジンがあって、旅客機を小さくしたような機体だったよ。」といって、その機体が写っている当時の写真を見せてくれたことがあった。Me262の機体だった。操縦した感想を尋ねたら、「これは、いままでの戦闘機とは、全然違うと思った。」離陸のためスロットルを目いっぱい引くと、みるみる滑走路の端が近づいてきた。すると、ふわっと浮いた。」と言っていた。 その叔父は、昭和20年3月に沖縄に特攻で2回出撃していた。特攻に行った人間が、目の前に居て、話をしていくれている。しかも2回も出撃したと言っている。この叔父の沖縄特攻の話や、名古屋上空でF6Fとの空中戦で1機撃墜したものの、自分も撃墜さて、名古屋近郊に不時着したことや、富士山上空でも撃墜された話がある。手記に記載されているので、いつの日にか公表したい。
国産初のジェット戦闘機の操縦体験記の書籍はまだ出版されていないので、貴重な戦記本になると思いますよ
B29とヘルキャットも撃墜していて橘花もテストしていたなんて、エース中のエースだったんですね。
こう言う話は初めて聞きました。参考になります。
貴重なお話をありがとうございます。
お願いします。私の祖父も帝国海軍です。
文字通り、命を賭して守ることの尊さを知れる良い動画です。もっと日本人に知って欲しい。
「命を賭して守っ」たんじゃない。そうしないとならない時代だった。命の価値はそれほどまでに軽んじられていた。
そんなに犠牲者が居たとは知りませんでした。敵味方を問わず祖国のために勇敢に戦われた兵士の皆さんに畏敬の念を抱きます。どうか魂が安らかであらん事をお祈り申し上げます。
戦争とは、敵味方共に正何だよね、国を、親を、妻を、愛する人を、子供達を守る為に、そして国土守る為に。誰も誰しも、愛する人を戦場に行かせたい分け無い、されど、戦争になれば、戦わざるをえない。勝っても負けても、悲しいかな、傷、負の遺産は残る。旨く書けなくて(/o\)
good
そもそも爆撃隊って常に敵地で行動するから損失ものすごいんだよ
ルーズベルトに煽られたこともあったけど日本もそれに乗ってしまったことに原因があるよな
民間人の家や人に爆撃している事についてどう思う?勿論核も兵器工場でも軍施設でも無い。
体当たりしてまで、自分たちの先祖を守ってくれた兵隊さんたち。いま自分たちの住んでる街を他国が爆撃にきて、体当たりしてまで頑張ってくれる方がいたら、感謝してもしきれないだろう。実際に昔の日本には、人のために自己犠牲できる方たちがたくさんいたのだから、ほんと凄い国だと思う。
感謝じゃなくて、君が体当たりしなよ。
今の日本、命とまではいかずとも損得踏み越えて手を差しのべられる人がいるか、といわれたら即答しがたい。少しでも誰かを助け、支えるのを心がけることで先人たちへの感謝に変えたいですね。
軍部と政府に命令されて特攻しただけ。どんだけ馬鹿なの?
いや、ほんとに狂ってた時代だよ。
現在、こんな屑みたいな子孫が育つのなら、あの時頑張るんじゃなかったと思ってるだろう。気の毒過ぎるな。
亡くなった父は都内の高射砲部隊に居ました。片耳が殆ど聞こえず。戦争の名残りだとよく言っておりました。低空飛行してきたB29から下を覗き込む金髪のパイロットを見た話とか、臭いと爆撃音は時々思い出していたのか、朝ご飯食べながら、今は天国だと話していました。今、またウクライナで悲劇が繰り返されていますが。命がけで戦ってくれた先人に、本当に感謝しています。
最新鋭のB-29から日本を守るため必死に戦い、多くの損害を与えてくれた先人達に感謝し、同じ日本人としての誇りを持っていきたいと思います
多くの損害を与えてくれた、、スポーツじゃないんだから。
気持ち悪
実際日本の抵抗の激しさから戦後遠慮した部分もあるから、それも重要な事なんだよ。
先人の皆様、亡くなられた方々が御苦労されて必死に戦われた様を、やはり、私達が少しでも知ろうとしなければ申し訳ないと思っていました。感謝致します。改めて先人の方々への感謝の念と頭が下がる思いが募ります。
忝さに泪こぼるる!小生長崎街道黒崎宿一里塚地蔵堂の掃き目清掃しています。納経しながら、身内、友人の月命日を祈っています。
?
@@RT-qq3jj 尊い行いとご認識に、頭が下がります。お元気でお過ごし下さい。
日本の先人が強くてとても嬉しくなりました。戦ってくれた皆様に感謝を捧げます‼️
??????
私も1万メートル上空から、ただやられていたと思ってました。とても勉強になりますね。日本の為に戦ってくださった先人達には感謝しかありません。
@@jkmmjk3407 命を張ってみんなを守るために戦ってくれたじゃん
@@jkmmjk3407 様 次は勝ちましょう❗️❗️❗️❗️
@@jkmmjk3407 これだけ頑強に戦ったから、以後、日本を敵にしないように異例の厚遇で占領政策を行った。食料援助、経済援助、武器の供与。こんな占領は歴史上無い。だから勘違いして、「早く降伏するべきだ」などとほざく文化人がいるのだが。負けると分かったゲームを最後までやり通すのも紳士の証明。この戦争に負けることで、日本は本当の先進国の仲間入りが出来た。
@@jkmmjk3407 長年に渡ってケンカを売り続けて日本を攻撃していたのはアメリカのほうですよ。自分より強い相手と戦争をするのは愚かだと言うのは、ウクライナの人々は愚かに戦争をしていると言うのと同じです。もしウクライナがロシアに敗れたとしたら、ウクライナの人々を愚かだとバカに出来ますか?
3/10東京大空襲は、聖マリアンナ医科大学を無傷に済ます大空襲でした。高度500mかな!
八幡上空で体当たりし墜落した場所は今は公園となりモニュメントも残されています。また宇佐上空で交戦し山に墜落したB29搭乗員を慰める石碑もあり、戦死した兵士に敵味方は無いと丁重に葬った日本人もいました。
日本人ならではですね。ソロモン群島でも両軍で多くの犠牲者が出て戦後両方を弔う日本人僧侶がいてアメリカは驚いたそうです。ちなみに911事件の犠牲者として毎年の式典で全員の名前が読み上げられていますが弔われているのはアメリカ人のみです。
高射砲部隊指揮官だった祖父が生前言っていましたが、高射砲射撃はライフル銃の様なピンポイントを狙い撃ちするのではなく、広範囲に弾幕を展開し敵機を包み込み被弾撃墜させるから、数が揃わないと当然撃墜率が下がる。祖父の部隊にも射高10,000m以上の高射砲は数門配備されていたが、操作が電動式で手動式より動作が遅く高速で移動する航空機を狙い撃ちは無理。数があれば想定空域に弾幕を展開し撃墜率を稼げたが数門しかないから弾幕展開もできない。まして戦争末期頃の大規模空襲になると低中高度で進入してくるから、数がある手動の高射砲の方が使い勝手がよく活躍したそうです。
江田島にいました。工廠の周辺に高射砲が配置されてましたが、砲身が長くはありませんでした。時計メーカーの人がまだ高射砲弾用の時限信管があるよと。計算機がなっくてどうして至近弾を打てるのか、復員してきた人が「あれでは当たるわけがない」と。
@@hokutotelecom9517 君は90歳ぐらいの設定か?
ブライト艦長の「弾幕なにやってんの!」も適当セリフではないのですね。
@@ダンドレジーラウール 本当の宇宙空間なら適当なセリフ。
資料をよくまとめてくださいました。通説を覆していただきました。一般に日本の高射砲は届かなかったとよく聞きますが母親や高齢者の話では燃えながら落ちていくのを何度も見たとききます。また各地の高射砲連隊の記録には撃墜されたB29の写真が出ていますし当時のニュース映画でもよく見ることができます。日本の防空戦隊は決して無力ではなかったと確信しています。この動画でその気持ちを強くしました。ありがとうございました。先人の奮戦と貴殿の努力に感謝します。
通説というのは たいていの場合、つくられたもの、つまり最も力のあるものによるプロパガンダです。この場合 戦争の勝者ですね。そして日本国内には大量の売国奴がいた(今もいる)ことを意味します。とくに役所と 教育とメディアの関係者、あと在日,童話,共産などの反日組織のみなさんですね
先日欠陥だらけだったB-29の開発~出撃の動画を観たばかりでした。どうしても反戦ムードの強い時期には本当の話が出てきにくいですが、仰る通り資料に差はあれど双方を確認した上で事実を伝えていくことはとても大事だと思います。ありがとうございました。
本土防衛、日本国民防衛のために命がけ命を捨てて戦って下さった戦闘機搭乗員の方々ありがとうございます。この事を忘れてはいけません。
勉強になりました。日本を護るために命を賭して戦って頂いた英霊の多くの御柱や日本帝国陸海軍そして銃後を支えて頂いた当時の全ての日本人の祖先の皆さまに御礼申し上げます。
ドーリットル空襲のように戦争初期はアメリカ軍も無茶な作戦を強いられていた。戦争後半は余裕が出てきて殆どワンサイドゲームだったけど海を跨いだ戦略爆撃はハイリスクな作戦に変わりないしアメリカ軍も大変だったと思う。
生命をかけて日本を守ってくれた先人達(軍民問わず)に感謝。同時に同じ失敗を繰り返さないための分析が必要。
祖国の為に戦った英雄に感謝します子供、孫達にも事実を伝える事が私の責務
正直、自分もB29に対して手も足も出なかったイメージを持っていました…ですが実際はB29側の損害率も高い、ハイリスクな中の戦いだったんですねこのことを知れて本当に良かったです。ありがとうございました
戦闘機、急降下爆撃機の操縦士と水平爆撃機の搭乗員の命の価値は全然違うからなぁ。戦時においては
frag-sさん、まぁ米国上層部も、B29は博打だったと戦後言ったからね
被害数だけ見るとハイリスクに見えるけど通しての出撃機数に対する損失率だと1.5%程度、そりゃ手も足も出ないイメージにもなるわなってぐらいに出撃回数が多いのも見落としてはいけないとこよ。
@@祭文 さんまさにそれが「国力」の差ですね。
@@祭文 圧倒的で草
本土防空戦で日本が相当な戦果を挙げてたのは、戦記本など読んである程度知ってましたが、動画の解説は更に分かり易くてとても感慨深いものがありました。ただ、日本の奮戦とは裏腹に本土爆撃による一般の方々の犠牲者の数や被害の内容を見るとやり切れない気持ちになります😞
子供の疎開はそれなりに実施したが、可住面積の少ない日本で全員疎開など行き先がないので民間人の犠牲者は増えた。戦前の予測でもt都市部は30機の焼夷弾攻撃でも被害甚大の結果となっていた。
要するに一矢報いたってことだ
一般国民の生死など、大日本帝国のみ国体に比べればごみのようなもの。
戦記本の多くは自己弁護実際には良いところ200機、それも高射砲と合同でです。何しろ性能もですが、腕の良いパイロットをフィリピンで犬死させた結果内地には半人前のヒヨッコしか居らず黒江保彦大尉が鹵獲したPー51に乗った際檜与平中尉に今の連中じゃあ俺がヒヨッコに見えるベテランばかりの敵にはカモだよ。例え疾風に乗っても同じだ!せめてお前ぐらい腕の立つパイロットが何人かいて、キー100に乗せれば何とかなるが。とぼやいたのが実情
日本も被害者面ばっかせず反省しろよ
アップ、有り難う。当時文字通り命をかけて日本を守って下さった全ての我々の先輩方を熱涙をもって讃えたい。
貴重な動画をありがとうございます。大変勉強になりました。日本の各地を焼け野原にしたB-29が実は大きな損害を出していた事実は衝撃的です。また多くのコメントの中には当時の戦闘の話もありとても貴重なものに感じます。今ようやくあの時の戦争の本当の話が出てくるようになっている感じになってきています。この国と世界が大きく変わろうとしているのではと思います。
護衛も無かったB29が、撃墜されたのがたったの2割とは負けて当然の戦争とはいえ、情けないですね。戦争は年寄りが始めて若者が大勢死ぬ。年寄りのバカが特攻するべきでした!
@@peace_peace_z32 もう少し言いたいことまとめてから文章作りましょう。
@@peace_peace_z32 途中までは同意ですが最後の意見だけは理解しかねます、いかなる理由があろうと命を捨てるべきでしたというのはどうかと…
@@RE_KUN 理解出来ないのは解ったが、多くの国民がそう思っているのでは?勿論、今でも戦争推進の輩もいるし、人生いろいろ人の考えもいろいろだ俺は若者に命を捨てさせるより、戦争したい年寄りが特攻すれば良いと思っている。人の命の価値が安い我が国だが
@@peace_peace_z32 まぁ要するに若者よりジジイを特攻させたほうがマシってことであってますかね?。コレはあくまで個人の意見なのですが、若者よりジジイを特攻させたほうがマシという考えには、少し賛成しかねます。コレは例え話なのと諸説ありますが、歴史を振り返りますと、戦国時代には朝倉家という、大名家がおり、その朝倉家には朝倉宗滴という、老将がおりまして、彼の死後、朝倉家は没落の道を辿ることになります。まぁ何が言いたいのかと申しますと、若者は未来あるからといって老人を軽んじてただ使い捨ててはいけないと思うのです。コレは完全に私が思っていること…なのですが、若者、老人云々より、無能なやつを特攻させた方がマシだと思っております。ナポレオンも無能な働き者は殺せと言っておりますから。まぁ尤も特攻をそもそもやらなくちゃ国体を維持できない状況にするなという話ですが…。
対B-29防空戦には樫出中尉の異業しか知らなかったのですが、この動画によりレーダー、進歩した高射砲等により非常に多くの成果を上げていたことを知りました。その果敢な戦いにより、多くの国民が私たちの父母が守られたことを思うと深い感謝の念が沸き起こります。さすがは日本人であります。我が国には世界に誇る偉大な科学者、文人、芸術家はおりますがこの野蛮世界を相手に戦った歴史の栄光こそは人類が存在する限り不滅の輝きを失うことはありません。ありがとうございました。
私の父親から、戦争中墜落したB-29の機体をすぐ傍で見てきた、という話を聞いたことはありましたが、全体像が掴めずピンときませんでしたが、初めて実感の持てるお話をありがとうございました。如何なる理由があろうとも戦争は絶対に避けるべきですが、一方的に侵略を目論む外国に対しては戦わざるを得ません。でも今の日本の体制・情勢・能力では不安だらけです。
この事実は予想外でした。日本の教科書に載ってる日本史はほぼすべて嘘だし、この真実も今までまったく知りませんでした。450機ものB-29を撃墜していたとは…この戦果は凄いと思います。こういう新しい事実を知ることができて、ただ日本はやられっぱなしじゃなかったんだと思うと胸がスッとしました。
おっしゃる通りです。しかし「事実」を知られたくない勢力が居るのです。
有難うございます。こんなに魂が奮い立つ動画を見たのは、初めてです。本当に有難うございます。この動画でどれほどの日本の子どもたちが、強く生きられるようになるでしょう。あなたのおかげで戦後教育の時代、支配教育の時代は終わりました。本当に有難うございます。
無敵だと思われてた爆撃機が、こんなにも落とされていたなんて。先人達は、凄い。戦争は悲惨だけど、戦えない人達の為に戦った人達の事も学ぶべきだな。
85歳入院中の親父は戦時中にB29の姿を何度か見たらしく、親父が言うには高射砲も戦闘機も手も足も出なかったと語ってました。でも実際は沢山撃墜してるんですね、親父が退院してきたらその事を伝えますね、良い報告ができます、素晴らしい動画ありがとう。
うちの祖父91歳没は徴兵で都内で高射砲撃ってたそうです。届かないのが分かってるけど、命令だからバンバン撃ってたと笑ってました。
大阪中心部や堺を空爆する際に奈良と大阪の境にある金剛山を超え、ジェラルミンボディのピカピカに輝いたB29の編隊が頭上を通過、格納されてる戦闘機隼がスクランブル発進。残念な事に隼は帰還しなかったみたいです。
B29は当時の最先端技術で作られた爆撃機で、10,000メートルの高度を飛行して 本来なら そこから軍事施設を正確に攻撃する能力が有りました。ですから お父さんが言われた様に高射砲も戦闘機も余り歯が立たなかったと思います。ただ、日本の上空 約10,000メートル前後にはジェット気流が流れています。時速になおすと 軽く300km/hを超えるそうです。特に東京空襲(工業施設への爆撃)は 全く成果が上がりませんでした。その為、低空飛行による無差別攻撃に切り替えたものです。
文字通り「手も足も出なかった」というわけではありませんが、比喩表現としては決して間違ってはいません。結果として、大都市どころか、地方都市まで数多く焼き払われてしまうほど出撃できたわけですから、日本側の迎撃はB29に対して十分な抑止力を発揮できなかったと言えるでしょう。特に防空体制が整っていない地方都市では、それこそ悠然と飛行していました。米軍の戦略爆撃調査団の報告書を読んでみても、日本軍の高射砲による反撃について、散発的で不正確だったという記述が多く見られます。
お父さんがどこにいたかにもよりますが東京大空襲の時なんかは多くの対空砲火が浴びせられ米軍記録だけでもかなりの被害数が出てたりしますね。実際に出撃した搭乗員もこの時ばかりはかなり恐れていたそうです。
B-29なんて化物を何千機も作れるアメリカの国力は凄まじい。さらに他の航空機、陸軍の機甲車両、海軍の戦艦・空母・護衛艦。今も昔も地上最強の軍隊というわけか。
@有識者 何言ってるんだ?戦争なんだから民間人だろうと根絶やしに決まってんだろ、ただでさえ日本人は民間人も農具やら竹槍やらで抵抗してくるんだから。
GDP の差は5倍(現在)かもしれないが、資源や穀物の産出力は 百倍くらい? 国際金融資本をバックにした資金力は 無限大。さらに日本国内には敵側のエージェント(売国奴)が昔も今もたくさんいる。海軍中枢とか、財務省や外務省、メディアも、政治家にも財界にも. . . . これでは勝負にならないね 日本の売国奴なし、国際金融資本の支援なしなら、当時はケッコウ戦えていたろう 6-4とか 勝てなくとも負けなかったかもしれない。. . . . カレラもそう考えたろう、だから戦後 徹底的に日本弱体化,敵視の政策が採られた 特に米が民主党政権の場合ね . . . . 憲法その他法律、在日,童話,共産党の存在、海外資産の強奪、メディア、教育、労組、在日米軍、政策の決定権は米国にあって日本にはない、周辺国を反日,侵略国にしたプロパガンダ
でもアメリカはベトナムにもアフガニスタンにも勝てなかった。
@@awizcd6472 侵略戦争は負けることが多いよ
第一次大戦頃のアメリカ軍は…
動画を見るだけで楽しくまた、勉強になって本当につくっている人に感謝しかないですコメントにもうありましたが日本を命懸けで守ってくれた人にも感謝しかない
すごい戦いだったんですね。あの恐怖のB29に。すごく勇気をもらえました。先人の方々、ありがとうございます。
なにかの動画でこういった大型爆撃機の死角の無さ、攻撃の難しさを解説していたのがありましたが、確かに恐怖ですね。しかし、団体さんで来ると同士討ちが発生しそう・・・そういう意味でも「喪失」なんでしょうかね。
初めてこのチャンネル見ました。衝撃でした。日本はやられっぱなしではなく、きちんと戦って戦果もあげていた。B29の米軍も楽に高空で爆撃してたわけでもなく勇敢に低空で戦っていた事を知り胸が熱くなりました。こういった人達が存在した事実は広まって欲しい。今まで戦時中の事はあまり知っちゃいけないと思ってましたが、今は先人に感謝しかありません。もっと勉強したいと思います。貴重な事に気付かせて頂きありがとうございました。
悪いけどほぼほぼやられっぱなしです
逆を言えばそんな数を撃墜していたのに次々と来るB29、、アメリカの物量が圧倒的すぎる
あの人命尊重の米国が??信じられません。
@@RT-qq3jj 別に当時の米国もそこまで人命尊重ではなかったと思うよw当時の技術力では今よりもずっと多くの犠牲が伴ってしまうだろうし、決して良くはないけど致し方ないって判断じゃないかな
実際には高射砲と合わせて200機ぐらいしか撃墜出来ませんでした。
やはり物量の多い国には敵わない。こんな国とは戦争をしない頭の柔らかいトップが必要
戦争始まる前からアメリカの物量を日本は知っていたんだけどね。当時日本のスパイはかなり優秀。それでも戦わなければならない状況を察して欲しいね!「窮鼠猫を噛む」をアメリカは学んだ😅
B29に着目した解説勉強になりました。なんでも、日本兵の飛行技術は優秀だったと何かで知った記憶が有ります。日本兵の犠牲の元で今の豊かな日本が有る事に感謝しかありません。ご冥福を祈りながら、ありがとうございます
良い動画を発信していただき、ありがとうございました。ご指摘の通り、幼い頃からB29には手も足も出なかったと教え込まれていました。いやそうではなく、日本軍は善戦していたこと、日本にもレーダーがあり早期警戒網が存在していたことを知りました。そして、必死に日本を守ろうと戦い抜いた沢山の勇士がいたことを知り、有難いことだと改めて認識しました。
むしろ手も足も出なかったのは朝鮮戦争の方ジェット機まで使って碌な戦果上げてない
@@呑龍ハルカ ???日本と関係ないし🤔米軍が戦果をあげてないと?・北や🀄の被害はとても大きかった。・米軍は、勝ってはいけないという命令を受けていたようだ。マッカーサーが勝つための戦略を本国に進言するとすべて却下された。 たぶん戦争はヤラセで、目的は 戦争で金儲けをすること、分断国家をつくること、それぞれの国で反対派を大量に処分すること にあったのではないか?
@@nomadkyoto5431 あなたは こくご できますか?話の流れから言ってB-29に手も足も出なかったのは日本ではなく中国・朝鮮側だって話なんだが・・・勝ってはいけないならなぜ仁川上陸作戦なんてやったの?ようだ~とか、ないか~とか妄想で語るのもいい加減にしろ
善戦(損失率1.45%)
@@ビワイチー 本土決戦に備え迎撃を渋って稼働率30%のB-29を余剰機なしまで追い込んだんだけれどまだ足りんとかいやしんぼめw一方で限界まで迎撃し88高射砲にマ式を使って相手は白昼堂々攻めこんでるのに同じ損耗率しか出せなかったナチスドイツって国が…
近所に高射砲部隊だった焼酎好きなじいさんが居ましたが「俺はB29落としたことがある」という事を絶対嘘だと思っていましたが、この映像を見て疑って悪かったと今頃ですが感じています。じいさん、有難う。本当に日本を守ってくれていたんだね。そのじいさんのお墓も近いので、墓前に線香をあげてきたいと思います。
4発爆撃機は、機体が大きいため、高射砲で落とされた例は多いです。
故・水木しげる先生のお兄さんが、海軍高射砲隊勤務でBを墜とした事が原因で巣鴨プリズンに収容されたエピソードが在りますね。
先人の方々が当時、必死に頑張っておられた一端が感じられました。よく調べ、また公正な見方で作られた良い動画に出会えて感謝です。
撃墜数だけ見ると少なくないように見えますが、実際はB-29の出撃機数、出撃回数に対しての撃墜率で言うと僅か1.5%程です。それに対して、日本側は30万人以上の死傷者数と6大都市、地方都市のほぼ全てが焼け野原と化しました。同じ日本人として悔しいですが、これらの結果を見ると殆ど一方的に本土空襲を受けていたと言わざるを得ません…
和歌山県田辺市龍神でもB29撃墜され、村人が戦中からひっそりと乗務員の供養しているのを最近知られるようになって、アメリカ軍や大使が供養に訪れるようになった。
文章の勉強したら?
@@栄二一型 事実ですよ。 NHKの番組で、つい最近放映されましたけど。。
@@masacat55 様へ。ひっそりと行われたから、歴史に埋もれそうになったのですね。当時の人も複雑だったと思います。番組の中で、事情を伝え聞いてる人の証言はありましたか?覚えていたら、投稿して下さい。大局的にみれば、埋もれてしまう出来事も、丁寧に救い上げて残していく。戦史を勉強・研究する上で、大事です。満州国で敗戦を経験し、集落を守る為、ソ連の将校の相手をさせられ、命からがら帰国した女性が、死ぬ前に伝えたい、と講演する姿は、戦争の別の視点をみせてくれます。私は、告白したSさんの映像を見ながら、又、ひとつ戦争を知ることが出来た、ありがとう御座います、と思いました。Sさんは、2年後旅立たれます。 又の投稿まってます。
あの番組の中で、処刑された搭乗員が大阪の真田山陸軍墓地のはずれに「(埋葬ではなく物として)埋められた」という部分があり、その中で真田山陸軍墓地と背後の大阪市街が映った白黒写真があります。その写真の背景の大阪市街の様子が衝撃的で、、、モノの見事に焼き尽くされて何もありません。大阪市街が、、本来家屋がぎっちり密集しているべきところが何もなく、、一面焼け跡のまっさらになって、背後の山が下の方まで見えていました。戦争をするとどうなるか、保守はぜひ見て知るべきでしょう。 衝撃的な写真でしたね。
@@masacat55 様へ。知らない事実なので、私も衝撃です。戦争は、丁寧に知ろうとすれば、するほど悲しい事実が明らかになります。読んでて一瞬目がとまりました。この項目で、地震にかん口令が、取り上げられてましたが、その事により、救助活動が遅れに遅れ、被災者を見殺しにした事実にふれた人は、いませんでした。米の航空機で、バッチリ写真が撮られてたのに。おまけに低空で。視野が狭くなると人間は、まともではない例のひとつです。早速の投稿有難う御座います。 本日、有給です。ちなみに、親父の実家は、空襲で焼かれてます。
殺すか、殺されるか、それが戦争。とばかりは言えない。一人一人の犠牲者のご冥福をお祈り致します。1936(昭和11)年生まれで現在86歳の私は、このビデオの事実を知りませんでした。ただ、私が小学校4年生の時、「アメリカ兵がいるぞ」と叫ぶ声につられて毎日通っていた小学校の裏門に行ったら、門前に人だかりがしていて、その輪の中に、一人の手足の長いアメリカ兵らしき男性が、タオルで目隠しされて、両腕を後ろに縛られた状態で座らされていました。上下とも白い服で、まるで病院から抜け出した患者のような恰好をしていました。多分撃ち落とされたB-29の搭乗員の一人なんでしょうね。すぐそばには、一人の若い日本兵が立って見守っていました。私たちは、石を投げたりツバを吐いたりする者もおらず、誰も一言も発せず、ジーーッと見守り続けました。この時のシーンは、今でも脳裏にはっきりと残っています。この数か月前には、実は、私は、B-29爆撃機に体当たりして真っ逆さまに落ちてくる戦闘機を見ました。空襲警報が鳴ったので庭に急造りした防空壕に入ったものの、中は蒸し風呂状態で居心地が悪かったので、防空壕の入り口付近に腰掛けて空襲が収まるのを待っていた時の事でした。突然「ピカッ」と見たことのない閃光が走り、続いて「キーキーキーキー」とうなり声をあげて真っ逆さまに落ちてくる黒い飛行機が見え、そのさらに上の方では、B-29爆撃機が白い煙を吐きながら悠然と飛行を続けている姿を見ました。ずっと後になって、これが「特攻」だと知らされました。がしかし、肝心なことですが、この時果敢に特攻して尊い命を失くされたパイロットのお名前や出自の詳しいことが何一つ発表されていない、という事実です。靖国神社へ行けば分かるかな、と思って「遊就館」で展示品の数々をくまなく見ましたが、なんの情報も得られませんでした。先のアメリカ兵がその後無事に祖国に変えることができたのかどうもわからず、そして、1944の盛夏に特攻で私たち日本国民を守った勇者のことも一切わからずじまいです。これは大変残念なことです。戦争は、終わってすべてお終い、ではないのです。
貴重なお話ありがとうございます。
「騙り」は駄目。その年齢の人が話す言葉や中身ではないことは分かってしまいます。
貴重な体験談ありがとうございます。
@@通りすがり通りすがり-b9h 何を言ってるんですか。私は1936(昭和11)年1月21日東京は足立区で生まれ、26歳までここで暮らしました。戦時中の数ケ月疎開先の岩手県で暮らした以外は。因みに、私の職業は「ゴルフルール研究家」で、「マイク青木」というペンネームで仕事をしています。FACEBOOKゃINSTAGRAMもやってます。これらの発言はすべて、正真正銘満86歳のものです。何ひとつ偽りや誇張がありません。正直に出来る限り正確につづったものです。因みに、私は認知症を患っておりません。
?😭
井上和彦著「撃墜王は生きている」にて帝都防空の話はあらかた知っていましたが如何に我々が捻じ曲がった戦争教育を受けてきたかこの何年かで痛感しています。
いまもそうですね😄メディア(テレビ新聞、出版社、NHK、映画 )、総務省、憲法、教育関係者、大学、文科省、日教組、作家、評論家、弁護士、法務省、裁判所、財務省、外務省、労組、反日活動組織(在日、共産、童話)みなさん いまも嘘-捏造プロパガンダ頑張ってますよね
別に捻じ曲がってなどいない。君らが経典を読んで歓喜してるだけだ。おお怖。
日本政府が戦後ルメイに勲章を授与した事は未だに許せません。
天皇陛下も勲章を授けるには反対していたのですが戦後航空自衛隊の発展に寄与したとうい内閣により渋々出した経緯があります
奴は晩年「無差別爆撃は間違ってない」と周囲の人間に何度も言っていたそうです。要するに本心では罪悪感を持っていたということを裏付けていて子気味良いです。トルーマン共々地獄の底で永遠に苦悩するがいいと思います
昭和天皇が授与式を固辞したにもかかわらず。天安門事件後の陛下訪中など。いったい我が国の政府は、何を考えているのやら。昨今の状況と似ているような。
真珠湾攻撃を立案した源田実がアメリカの勲章を受勲することのバーターらしいけど真珠湾攻撃と東京大空襲は対にならんと日本人は思うわな。
裕仁が一番悪い。こいつのためにどれだけ無辜の人が死んだか。!
陸軍の双発戦闘機「屠龍」は37mm戦車砲を搭載し、北九州を警備していた樫出勇陸軍大尉は一人で26機のB-29を撃墜した。B-29はテニアンから2300kmの距離を5時間以上も掛けて飛んで来た。搭乗員は一機当たり9人から指揮官機は11人が搭乗していた。操縦室は気密室になっていた。屠龍は二人乗り。操縦者は一人。1万メートルの高高度を飛んで来たと吹聴されるが、実際に爆撃をする際は、雨風の状況により4000m付近で爆弾投下する事が多かった。特に冬は季節風が吹くので爆弾が風に流され目標の場所には命中しにくい。4~6千メートルは日本の戦闘機も十分活躍が出来た。屠龍のバリエーションが多く、機種により37mm戦車砲は操縦席の右下だったり正面だったりする。樫出勇大尉の愛機は右下だった。37mm戦車砲の威力は凄まじく、操縦席か主翼の付根に当たればほぼ確実に撃墜出来た。
四戦隊の樫出氏や木村定光氏の戦果はだいぶ盛っているとのことです。(渡部洋二 戦果の裏側)
ただしたった15発しかなくルーデル閣下のスツーカの半分も搭載していなかった。あと37ミリ機関砲は対Bー29だとションベン弾故に効果は意外となくむしろ対戦車機関砲として満州で関東軍高級将校が逃げる為の時間稼ぎとしてのソ連軍戦車攻撃や南方での魚雷艇狩り、潜水艦攻撃で威力を発揮している。Bー29相手にそこそこ有効だったのは斜め銃
対B29用の屠龍は無線機等を外して軽量化されていたそうですね。
37mm戦車砲搭載の屠龍でB-29を撃墜した祖父の話では「急降下で射程距離に居る間に撃てる弾は1~2発。速度で劣る屠龍で攻撃のチャンスは2回。エンジン付近に命中させた後退避しながら確認すると白い煙が出た後炎上し墜落した。」との事でした。昭和20年6月23日の中部日本新聞に記載されている飛行第五戦隊の戦闘です。
日本と先人は、永遠に我らの誇りです。
世界の植民地と世界の奴隷を解放した日本の先人たちは、人類史の誇りです。
何百万も死んだのに(死なせたのに)?
@@moaijapan6705「 死なせた」?
@@moaijapan6705 戦争はお互い様。双方に正義がある。
インドシナではフランス植民地庁を残して現地民を200万人も餓死させておいてアジアの解放とかよう言うわ
恥ずかしながら初めてこの史実を知りました。大変素晴らしい内容です。ありがとう御座いました。
勇敢に戦った戦員に感謝し誇りに思います 歴史は正しく知りたいです
「勇敢」と「無謀な命令に従った」のは違うよ。
残念ながらこの内小林照彦少佐は空自練習機の事故で死亡、黒江安彦大佐も海難事故で死亡した。
常に1万メートル上空という固定概念がありましたが、東京大空襲では従来の高射砲が届くような低空で侵入してるから、どうだったのかと以前から不思議に思っていました。的が大きいので狙いやすかったでしょうね。
カーチス・ルメイが高度下げて爆撃したからでしょ?😆
@@内藤勘解由-u8j 木コメの人高度下げて爆撃してる事言及してるのにわざわざカーチス・ルメイがーとかわざわざ指摘する必要あったか?
@@Soimito 国際法違反の無差別爆撃に、搭乗員軽視の低高度爆撃だからねぇ。
@@tita6818 軽視してるわけじゃない。ルメイが日本上空を偵察した時に、日本は高角砲、夜間戦闘機の性能、レーダーの性能が低いと判断したため、夜間低空絨毯爆撃が効率的かつ、安全だと考えたためです。ちなみに偵察は17回行われたが、1機撃墜に留まりました。
@@tita6818 当時市街地爆撃なんて日本含めてどこもやってるからあれがWW2のスタンダードやアメリカの場合スケールがデカイから目立つってだけで搭乗員軽視なら中途半端にダメージ負った機体で着陸するのがリスキー&爆撃コースの海面上飛行艇が常に巡回してるからかえって飛べる機体でも乗り捨てて海面に着水した方が安全だからバンバン高価なB29機体乗り捨てて脱出する様な事は横行しないでしょ()
本当に無敵なB‐29だったら、ゼロ戦に乗って私達国民達の為に死を覚悟して戦ってくれた日本軍に感謝です。このことは、戦争を経験していない私でも戦ってくれた方々の事を忘れません!
戦時中両親に黙って、屋根に上りB29の梯団を見ました。大地を圧する如くの見事な編隊と金属美でした。
本当に無敵じゃないから感謝してないんだな
生家は福岡県築城基地仲津村でした今でも基地の7割は仲津村です。生家は納屋、蚕小屋が兵舎に提供されていました。1945/08/07に艦載機で兵舎の家だけが全焼しました。共産党の密告によるものでした。日共は1991年までソ連から革命資金を貰いながら、野坂参三個人でしただそうです。
と同時に美化するのではなく実態を受け入れていかに当時の日本と日本人が馬鹿で無能な猿だったかを認める事も大事
@@RT-qq3jj コミンテルンの工作や密告以前に野坂はコミンテルンルートで既に日本が負ける事を知っていましたからね。ちなみに創価学会初代会長牧口常三郎先生や出口和仁三郎氏もこの戦争に勝ち目は無い。それどころか日本は滅亡して消滅するとまで言い切って死んでいきましたからね。牧口常三郎先生は神道に屈した宗門に絶望して日蓮正宗衆徒からの離脱を言ってましたので旧統一教会に屈服した公明党を見たら邪宗に屈した公明党は切り捨てる!創価学会も解散させて俺は共産党に入れると言い切っているでしょうね。
祖父が茨城で本土防空部隊のレーダー員をしていました。祖父がこの戦果の一翼を担っていたと思うと本当に誇らしいです。
この国を守ってくれた人々に感謝と共に何があっても この日本を永遠に守り抜きます。
欧米の技術は世界一🎉
当時の技術力からしたら雲泥の性能差があったB-29を相手に、首都の上空でさえ敵機の3割ほどの機数しか迎撃に上げることしかできないほど疲弊していたのか。。。その中で必死に戦ってくれた人たちがいたことを忘れてはいけない。いまの平和がこの人たちのおかげで成り立っていることに感謝。
占領すると、男を幽閉し、ミンジョク浄化を図ったスターリン、図るSK書記です。マリウポリの降伏兵2000名行へ不明だそうです。
その雲泥の技術力の差を知ってたはずなのに、なぜ戦争をしたのか。
@@niko3263知っているのと理解しているのは別だからね。
@@niko3263なぜそんなことすら調べないのか。東條などの当時の上層部はみんな勝てる戦とは思ってなかったと手記に記してるが、石油禁輸をされたから一か八かで戦うしか無かった。みんな絶望的な戦だって理解した上でやるしかなかった。石油が切れたら戦争すらもできず無条件降伏なわけだし、餓死するか戦うかしか選択肢がなかった。
秋田県人です。終戦後間もなくに、秋田県男鹿半島で、B29が墜落事故を起こし尾部機銃座員1名以外死亡奇跡的に生存した機銃員が、地元住民に救出保護されアメリカに帰国し後に、救出してくれた地元住民と再会した話しをご存知でしょうか。
戦後に捕虜になった米兵が虐待されたとかいう記事もりました。空襲が始まった頃はまだ米国も軍事施設を標的にしていました。その頃の撃墜された米軍機の捕虜は手厚く保護されていたそうです。それが民間施設や街を標的にした無差別爆撃以後は捕虜となった米兵の扱いは民間人の間でも苛烈になったと聞きます。軍同士の戦闘であれば戦争だから軍人は命令に従うしかないからと米兵を憎む気持ちが少なかったらしいです。ですが街や民間施設が攻撃対象になれば話は違います。国同士、軍人だからという割り切りはできなくなり当然捕虜に対する扱いも民衆の間でも変わっていったのは当然かも知れません。まあ米兵の間には敵兵(日本兵など)の頭骸骨を土産にするくらいの民度でしたから果たして彼らのメンタリティーは先進国と言えたのだろうか。頭蓋骨の件はググれます(はだしのゲンにも描かれてますね)。
良いお話、ありがとうございます。さて、奈良県の吉野でも墜落したB29がありました。当時50歳ぐらいの地元民で予備役将校だった私の祖父が生存者の逮捕に向かったそうです。自宅に帰ってから、「持ち物検査の時に家族の写真があった。目隠しをされて連れていかれた」とうなだれていたそうです。その頃は、空襲後、大阪の方を見たら空が真っ赤に染まるほどだったそうです。でも、これはこれで、気持ち的にはまた別の気持ちもあったようです。
@@kuzurac 頭蓋骨て…プレデターか
@@くにに 当時の米軍の残虐行為はあまり知られていないだけで結構ある。ヘミングウェイが書いた内容ではすでに戦闘行為が出来ない日本兵への機銃掃射だったり。教化した食人習慣のある民族に日本兵なら喰ってもいいと言って襲わせていたり、まあいろいろね。ノルマンディ上陸戦後の米兵が街中で女食い散らかしてたというのもある。当然合意などしているはずもないが。そういうスネ傷だらけのくせに自分たちが正義だという傲慢さが米国という国の側面でもある。米国は移民国家だから国民をまとめるためにはわかりやすいスローガンが必要とされている。それがアメリカの正義ということ。アメリカの利益こそが正義だから自分たちで作った法も自分たちの利益のために捻じ曲げるのは帝国主義と何ら変わらない。あっちこっちで紛争や戦争に首を突っ込むのもそういうところから来ている。
@@kuzurac さまダンピールでは輸送船が沈んで、海面を漂う兵を、戦闘機が毎日飛んで来て、丁寧に撃ち○していました。
僕はある時、日本で言えばブックオフの様な所で"B29日本爆撃30回の実録、実は米兵もギリギリだった"と言う、チェスター・マーシャル氏の著書の日本語版を見つけました。此処、オレゴン州ポートランドは日本人が多いので日本語の古本も出てくるのです。その本に、著者の友人、ハップ・ハローラン氏が経験した興味深い話しが載っていました。撃墜されたB29を脱出して千葉県上空に浮かんでいると、3機の日本軍の練習機に囲まれたと言います。パイロット達は笑顔で手を振って居た様な気がしたのですが、まさかと思ったそうです。所が、2機が飛び去り、最後に残った1機が近付いて来ると、そのパイロットはハローラン氏に敬礼をしたそうです。そしてハローラン氏は戦後数十年後にこの日本兵パイロットを見つけ出しお礼を言う事が出来たそうです。読み終わり、ふと裏表紙を見ると、英語で書かれた蔵書サインが有りました。"ハップ・ハローランカリフォルニア州、メンローパーク"
よくここまで調べられた。また、解説も数字をもとに 大変理解できました。ありがとうございます。今後の御活躍を祈っております。
すばらしい動画をありがとうございます! B29の損失数は聞いたことがあるのですが、こちらの動画で日本軍がどのように戦ったのか詳しく知ることができました。動画最後のコメント(16:25~)がとてもよかったです!その通りだと思います。
自分の祖父が関わっていたレーダーがB29迎撃に大活躍していたのに感動!素晴らしい動画をありがとうございます。
日本の通信設備はどう贔屓目に見ても欧米より10年は遅れていて太平洋戦争末期日本は通信線がやられて部隊が孤立して各個撃破されて文字通りしらみ潰しに殺される一方アメリカ陸軍や海兵隊は携帯無線機を持っていて、敵襲を喰らったらすぐ上空の戦闘爆撃機隊に連絡して敵を100倍返しですからね。一応日本にも八木アンテナやマグネトロン真空管と言ったレーダー開発に必要な基本技術「だけ」は一応あったのですがそれを組み合わせてまとめ上げる総合デザイナー的な人間が全くおらず、これが日本のレーダー開発が失敗し、更に「レーダーの様なオモチャ」しか作れなかった原因です。更に運用面でもダメダメで、ドイツみたいに地下に広域防空センター作ってリアルタイムで戦闘機隊を機動的に運用する事の初歩さえ出来てませんからね。
命懸けで日本の空を護ってくださった防空戦闘隊のパイロットの方々には心より感謝の念でいっぱいです!
誰が悪いとか関係なく、なんか襲来した米軍爆撃機を日本軍が察知し、迎撃に飛び立つというのが胸熱展開すぎる。
陸軍パイロットだった祖父に「性能で劣る戦闘機で出撃する際は無力感とか絶望感がありましたか?」と尋ねたら「そんな風に思った事は一度も無かった・・・。自分が行かねば誰が行く?という使命感と闘志しかなかったよ。」と答えてくれました。
大型機になればなるほど翼の損傷は洒落にならなくなるからなぁ…特に翼が大きいB-29などは損傷して強度が下がってると折れやすい。
燃料もギリギリだからその場では墜落しなくても早々に諦めつけて潜水艦のお世話になるケースも…
@@呑龍ハルカ ああ見えてエンジンの信頼性も低くて大型機ゆえの鈍重さと巨大な翼もバランスを一旦崩すとバランス保つのに手一杯どころか必死で維持し続ける様なヤバさが…着水できれば良い方で一旦バランス崩したら脱出できるのを祈るレベル
@@norapon9535 当時稼働率30%だから動画の数が出せるギリギリだったという事実
A10サンダーボルトが大好きです。烏に10機供与するとプーチンは核に手を出す。
@@norapon9535 様 ですよね 機体が回転し出すと壁に押し付けられて脱出もままならんとか(^o^;) B29搭乗員、戦死約3000人、は 述べ3万機で たったそれだけ ❗️とか言う反日輩が 命を大事にしない神風は数千人も❗️日本けしからん❗とか 言うやつこそ 命を大事に思ってないのかもですね。
防空戦闘に関し、レーダーサイトを構築して迎撃に備えていたとは知りませんでした。旧日本軍も奮闘していたのですね。今の平和も先人たちのお陰だと思います。
本土手前の島々に部隊を配置し目と耳で早期警戒していたのが事実じゃない?トラック諸島にしても反応できず30分程度で制空権とられとるし
@@キツネリス-x4g ド素人め、セルモーターのない日本機がエンジン回るまでどれだけ必要だと思ってんのw(その分重量は軽い)センチ波が間に合わなかったのも事実ではある
レーダーサイトを構築するくらいで称賛されるのか…機体自体にレーダー装備し夜間でもレーダーで地形を把握して爆弾を投下していたB29はどんな評価を下せば良いのか。
確か徴用した民間船も通報による早期警戒網として活用されていたような。さすがに何も手を打たない軍ではなかったと思います。
@@yoshihiko3234 真空管しかなかった当時のアメリカが合成開口レーダーを装備してたとは知らなかったよw
国の為に祖国を出て敵地に行ってハイリスクの爆撃をしたB29の乗組員もそれを国民を守る為に国土を守るためにB29の迎撃を行った日本兵もみんな国のために戦ったのだ。彼らは皆英雄だ。
@@jkmmjk3407 負けたからと言ってお前みたいに何言われても仕方ないと思うのも異常
666聖書のなかに666があるけど、、、1つ6が多いか⁉️
英雄には変わりねえわw
レーダーの元になった八木アンテナは日本人が発明したのに、日本軍はその重要性に気付かなかった・・・。文系偏差値馬鹿が威張っていたのは今も昔も同じ。頑張った技術者や、パイロット達に感謝。
陸軍は対空レーダーの開発に熱心だったが海軍は夜戦を重視していたから自ら電波を出すレーダーに対し「闇夜の提灯」と嗤って嫌がり開発の妨害すらした。
レーダーに関しては軽視して居た様ですね。理由は電波を出す等、こちらの位置を知らせているようなものと無線電波と同じ様に考えて居た様です。シンガポール陥落後、イギリス軍のレーダーを鹵獲した日本軍はアンテナに貼られていた表示版のYAGIの文字を(ヤジ)と読んでイギリス軍を尋問したところ貴方の国の科学者だと言われ驚愕したと言われます。その後研究が進み日本でもレーダーが造られる様に成って行きますが優秀な真空管が中々造れず製作は難航したそうです。
まず、採用できたとしてもそれに見合う真空管がない。6J6を大量生産に見合うよう製造法を簡素化して誰でも作れるようにしたソラという真空管はあったけどそれでは八木宇田アンテナは宝の持ち腐れにしかならない。(大量生産に見合うように改造する技術力と努力は凄いのだが、6BX6や6AK5はなかった)もう真空管のピンすら廃止(VT信管に入っていたのは金属コートされたサブミニチュア管)できてたアメリカとの違いってそこだと思う。
たとえ重要性に気づいてたとしてもその後の開発の難航と挫折見れば技術的に無理なのは明白先行してた米英でさえ軍事用には不向きって評価だからね戦時中はそれに文系偏差値馬鹿だなんだ書いてるけど他の人も書いてるようにどちらかといえば理系重視の海軍のほうがレーダーへの理解が浅いこれは通信や暗号機なんかも同じで重要な局面で海軍が失敗する要因になってますね
鳩山総理みたいな理系が好きってこと?今はむしろ謎にテレビを薄型にすることに固執して中国や韓国企業にあっさりとテレビのシェアを奪われたり、東芝しかりシャープしかり技術はあるのに使い所を間違えて凋落してる企業ばっかだし、理系より経営者の文系脳が足りてない気がするけどね。理系だろうが文系だろうがバカはバカだし、そもそも理系や文系のどちらかの知識しかない時点で上に立つべき人材じゃない。
「日本を守りたい」。この気持ちだけで戦った我々の誇れる先輩方がいた事実が分かり始めたことに感動しかありません。一部の馬鹿げた低能軍部も知ってますが、我々が恥じる必要が無い事実もまた知っておきたいです。
13:43 愛機に対して礼をするのは如何にも日本人らしい
醜翼 B29に対して我が防空隊はかなり善戦した事は何故かあまり知られていませんね。技術力と物量で圧倒的に劣勢な中でこれだけの損害を与えた方々の努力に感謝します。
@@akibanokitune ただ、本来の性能通りの高度から爆撃したら命中率が激悪で成果が出せなかった。仕方ないので攻撃目標を変えて、点ではなく面で爆撃する夜間無差別絨毯爆撃に変更された。その結果、人類史上稀にみる正規軍による無差別大量虐殺がおこなわれたわけ。(おそらく、1時間あたりの虐殺能力ではギネス認定は間違いない。)B29は戦略爆撃という極めて稚拙な用兵思想に基づき開発され、当初の目的では使えず、人道的に問題を残す運用しかできなかった。当時の技術力ではまともに使いこなせる兵器ではなかった。核兵器を搭載するまでは。そのため、戦後は5大国を除き戦略爆撃機は運用されず、米国ですら50年前に開発されたB52を未だに使いつづけている。極めて費用対効果の悪い兵器だった。瞑目
圧倒的に差があったと子供に教えるのはワンチャン勝てんじゃね?戦争やっちまえ!みたいな人を出にくくするためなのかなとか思ったりさします、!
@@cuibapsano1043 人道的に問題のない爆撃があるの?
@@awizcd6472 軍事施設を攻撃するのは戦争として当然だけど、当時の爆撃は武器のない民間人(ゲリラ兵ですらない)を数十万人殺したのが問題点。ナチスのユダヤ人を絶滅させようとしていたホロコーストは散々叩かれているけど、実はアメリカも同様に日本人をほぼ絶滅させようとしていた(ダウンフォール作戦等)。ナチスがあそこまで忌避されているのに同じく大勢の民間人を虐殺したこの作戦が黙認されるのは明らかにおかしい。そもそも戦争は軍人同士が行うもので民間人を殺すのは戦争犯罪でしかないのに、この案件はその規模が尋常ではない。(どうしてアメリカは批判されないのだろうか)
@@そすんさー-w7c 軍隊が活動するためには様々なものが必要。軍事物資、燃料、食料、軍人の給料など。これらを生産しているのは民間人。軍隊を支えているのは民間人。だから民間人を攻撃するのは当然。補給部隊を攻撃するのと同じ。
落っことしても落っことしてもそれを補充しまくるアメリカの国力こそが無敵なんだよなぁ…恐るべし
兵站が最も重要だということですね。
B29が一つ飛行するのに使用する、零戦数千飛ぶ燃料が同じ。異世界から攻められてるレベル、本来なら戦いにもならない差がある。頑張って落としてたけど、終戦近くだとB29.30分で組み立て出来たので、落とされるとすぐ作って補充してた。
旧日本軍のレーダー基地についてわかりやすい解説大変ありがたいです。そのノウハウは自衛隊の監視能力で発揮されているんですね。工場狙われるのは仕方ないことだが、民間無差別は国際法違反行為で絶対に許してはならない!そんな卑劣な攻撃から命がけで守ろうとした英雄達に感謝を!
当時の国際法は、今とは違うと思いますよ。 ま、今の国際法についてもよくわかりませんけど。 戦争なんて、勝てばなんでもいいと思うんですけど。 国際法ですか?そんなくだらないもの守らなくていいから、国を守ってほしいですよね。 国際ルールなんか守って国が滅ぶんですかね? 日本より北朝鮮のほうが何千倍もまともな国ですよ。 核兵器だろうがなんだろうが、自分達を守れればいいと思うんです。 くだらないルール守っても滅んだら単なるアホですよね。
米軍が八幡製鉄所から住宅目標としたのは、サンパンのバンザイクリフ、ベリュリュー島の抵抗で、日本国民皆兵士とした。日本も南京城占領時、北京語しか喋れない便衣服兵を裁判の上処分しました。軍人が軍服捨てたら、ジュネーブ条約保護外、スパイと見做されます。
国を護るために闘った先人たちに感謝。
私の祖父(平成直前に逝去)は昭和初期 大陸に砲兵で初陣(38式野砲)。その後、入退営を繰り返して終戦前に大森の高射砲部隊に配属されたそうです。地元住民からは「兵隊さん 兵隊さん!」と大変尊敬されたそうです。が、いざ空襲の時に攻撃しても当たらない・堕ちない。その後は、「さすが『後』射砲」と少し蔑まれたそうです。その話しが常識と受け止めていた自分には、この動画は少し胸のすく気持にさせてくれました。ありがとうございます。
墜落したB29を見に行った青年が、精巧な部品の数々に感動し、その後カシオの創業メンバーになるという話を聞いたことあります。
アメリカの国力・工業力の圧倒的差を知るには、出撃機数(回数)に対して撃墜された機数(率)も重要かと思います。
動画投稿者は意図的にいろいろと日本にとって不都合なところを無視しているよね
B-29喪失の理由で最も多かったのはエンジントラブルと燃料切れですね。損失機450機のすべてが被撃墜というわけではありません。本土に墜落した機体は120機です。
480機のうち、日本が「撃墜」できたのはどれくらいなのか?日米の生産能力、戦力の差から考えてどれほどの損害だったのか知りたいです。
@@Aaaaaaabske23 チャンネル名を出すのはあれだからB29って調べてサムネが炎上してるB29のゆっくり解説で細かく説明されてるよ
それを知識としてる方が……………(゜ロ゜)
@@日下おーじ 参考程度にはなるんとちゃう?
@@日下おーじ 素人が調べあげたのを動画にしてんだから、鵜呑みには出来かねるけど、参考にはなりますよ?今は、ある程度ネットで調べ上げられますし、そんなコメントするなら正確なとこをご自身で、とことん調査したらど~ですか?
坂井三郎さんの自伝で、B29を何機か撃墜したのは知ってた。余りにも機体が大きく、日本側パイロットは勘違いして離れた所から撃ってた。しかし、B29のボディーは頑丈で有り、内側には分厚いゴムが設置されて中々撃墜出来なかった。充分に至近まで近付かないと駄目だったそうです。
戦人たちの思いも込めてこれからも日本を守っていきたいですね。
私の恩師は戦時中レーダー照準の高射砲を研究していたと退職祝いの席で語ってくれた。八幡空襲の時学生の高射砲部隊が直上空を通る敵機だけを打てと訓練されていてそこの進路だけは空襲を免れたと古老に聞いたことがある。迎撃機の戦果かもしれないが。当時を知っている人と今の戦後教育を受けた人の考えはまったく違う。当時の一般人がどう思っていたのかは知る必要がある。
最後の一言に共感しました。命を散らして逝った先人への敬意は忘れてはならない。どんな思いで体も命も張って大切なものを守ったか、ということに思いを馳せることをやって欲しいです。
アメリカと まっすぐ向かい合って最後まで戦ったのは日本だけ だから、日本人は誇りをもって堂々と生きるべき!そして、国の為に命をかけて戦ってくれた祖父達に心から感謝!今を生きる自分たちは、また国難が起きた時には 同じように、家族や仲間、守るべきものの為に戦うだけ!人は最後には死ぬんだから、生き様が本当に大事だと思う!
レーダーで探知する以前にB29がサイパン島を発進するときに行う各機への点呼無線を日本軍は傍受していて、その時点で迎撃の準備を始めたと聞いたことがあります。B29をレーダーで探知してから日本本土へはすぐに到達してしまうので、そうしないと迎撃が間に合わないそうです。
原爆を落とした部隊は 特殊なコールサインであったので 何か特殊なことをする部隊じゃないか? までは掴んでいたようですね
こういう動画を、待ってました!素晴らしい。
命をかけて戦ってくれた方々に感謝です!
「B-29は軍艦と同じように考えるべきである」…今となっては、B-2スピリットが「(前世紀の)航空母艦が艦隊主力となる前の、戦艦」に限りなく近い存在となった
素晴らしいまとめを有難うございます。おっしゃるように教科書で子供たちに教えるべき歴史だと思います。また仮に教科書に掲載されなくても何らかの形でこの国の将来を担う人々に知ってほしいと思います。
B29の損失率20%(出撃数比だと2.2%)、GPSの前身のLORANあり、弾道補正計算装置あり、与圧あり、レーダーで夜間でも地形把握(灯火管制無効化)零戦の損失率85%以上、戦争中期以降はまともに戦えず、統帥の邪道たる体当たり攻撃にて、戦史に「必死隊」刻む。幼少期の頃、スミソニアン博物館で、鹵獲された零戦とエノラゲイ(B29)が隣同士の部屋で展示されているのを見たが、B29に比べると零戦がオモチャにしか見えなかった。無謀な戦争をしたんだなと子供ながらに感じた。
@@yoshihiko3234 損失率は分母が多いと低くなるんであんま参考にしない方が良いですよ
ガンダムと同じで物量の多い連邦軍には敵わなかった。ジオンのモデルはドイツで日本では無いが富野さんはこういう事を言いたかったのだろうと思う。
日本軍もB29相手に結構奮戦してたんですね。ただ、ドイツ軍もP51が護衛に付くようになると迎撃が困難になり、自軍の被害が増え敗色が濃くなったらしいです。P51は戦闘機として、航続距離、速度、運動性能のどれをとっても、優秀な機体だったんですね。
運動性能はゼロ戦のほうが勝っていたようですがいかんせん装甲が硬かったP51
@@ダンドレジーラウール どちらかというと高高度性能の差ですね。P-51はP-47などとくらべると装甲はそれほどでもなく液冷エンジンのため被弾にも弱い機体です。機械式過給機(スーパーチャージャー)よりも効率の良い排気タービン式過給機(ターボチャージャー)を装備していたため、日本機が息切れをおこす高高度でも高速で動き回れたのです
@@コメントマン-g1n ドイツも日本も追いつけ無かった高高度の性能差。やっぱり、そこは大きいですね。そのうえガソリンの精製が悪い、オクタン価の低い燃料では尚更、性能差がますます開くばかり。技術的にも、物資にも貧弱さが否めない日本が惨め。トータルでの国力差が戦局を決めますね。
@@コメントマン-g1n P51はスーパーチャージャー装着エンジンの航空機でした。設計上のバランスが良かったのと、機体の大きさに対するエンジン出力が十分あったから高空性能が高かったのです。
@@伊達孔明 確かにP-51は二段二速式のスーパーチャージャー搭載機でした。他の機体や大型爆撃機と混合して覚え間違っていたみたいです。ご指摘ありがとうございました
めちゃくちゃ知れてよかったです!毎回楽しみにしてるので次回も楽しみです!
B-29は高高度飛行の為に機内に与圧掛けてたのも喪失の原因となっております。その区画に穴が空いた場合風船のような破裂をしてしまうので。この教訓から現在でも戦闘機等の戦闘の矢面に立つ航空機は与圧は掛けていません。
b29は後継機から完全不採用となったマグネシウム合金や与圧室と色々とヤラカシてはいる。高高度の為の装備を色々と備えたのに、ジェット気流の影響でその試みが仇となって低高度爆撃に切り替えたね。この失敗のせいで日本の軍需工場が壊滅したのは1945年8月になった。ヒィリピン航空決戦や沖縄特攻作戦をアメリカは防ぐ事が出来なかった。まあ時間はかかっても目的は達成できたわけだけど。
@@lako6875 日本語でおk
戦闘機も与圧は掛けてるよ、旅客機みたいにパンパンにはしてないけどね。
ああ負圧状態になってるとそれはそれで危険なのか、被弾したり脱出する時に今度は機内に破片が吸い込まれてしまうもんね。
@@electricalmachine6660 そもそも航空機組み立て場以外の軍需工場はさほど狙われていません。堺市にはアルミ製航空機部材、弾火薬、薬莢及び潜水艦用冷房機の工場がありましたが一切目標となっていませんでした。大阪砲兵工廠が終戦直前に空襲を受けたのは「水圧利用機械」という情報の為で、米国は油圧機器を利用することは出来たのですが水圧利用機器は利用できないと評価されたのです。日本の工場の徹底破壊されなかったのは某将軍がアジアの国(当然フィリピンのこと)へ移転するとして爆撃させなかったからです。
敵味方を問わず祖国の為に、そして愛する人や故郷の為に戦って散っていった勇敢な兵士達に哀悼の意を表します天国では敵も味方も関係なく笑いあってて欲しいです
何処の国でも犠牲者は軍人を含めた国民。平然としているのはトップの政治家
@@akibanokitune 間違いないですね、政治家たちで血を流さない勝負で決めたらいいのに思います…血を流すとしても領土を広げたいとか他の国占領したいとか言ってる政治家たちだけにして欲しいですね、
おもしろい動画でした!485機という損失数は、生産された3970機のB29が戦時中にそれぞれ10回近く出撃した総計です多い時には数百機単位でB29が飛んでくる爆撃が全国合計で200回近くあって、その結果が損失485機、戦死3041名です。1回出撃したらほぼ確実に戦死の特攻と10回出撃してようやく2割損失になるかならないかのB29では比較になりませんアメリカは3041名の損失で、日本に30万人近い非戦闘員の犠牲を作りました。ほとんどゲームの世界です。日本軍は努力はしていたのでしょうが、まっとうな防空が機能していたなどとはお世辞にも言えないです。
冷静な分析ですね。実は、親父の実家は、空襲で焼かれてます。当時の空気感のない投稿が多いのは、じだいの流れですね。でも、パイロットに関する投稿は、貴重ですね。
分かりやすく書き直すと、日本に攻撃のために投入されたB29が、全部で3900機程度あり、日本への爆撃での出撃で、大都市への無差別攻撃で、(10回に届かない程度)数100機単位で出撃、また地方都市には、せいぜい20機程度で出撃、軍事工場にも数10機程度で出撃していた。 以上から、総出撃回数は10000回を上回る程度です。その中で、損失=撃墜(搭乗員にとって)485機は、4%程度の損失です。それ以外の出撃機にもかなりの機銃弾や、対空砲弾破片を受けているでしょう。搭乗員にとっては悪夢です。出撃=25分の1のロシアンルーレットみたいなものです。これでも通期での計算ですから、前半の1944年中の出撃は、地獄みたいなものだったでしょう。 ヨーロッパ戦線でのB24搭乗員は、25回出撃し帰還(ほぼ同じくらいの未帰還率だった)すれば兵役免除で帰国出来ると鼓舞しないと戦意が出なかったくらい。(だからメンフィスベルの実話があるくらいで、4%程度の損害=迎撃率 は同じです。)この当時の日本の防空が、まっとうな防空でないとおっしゃられるならば、tossie watanabeさんの考える「何がまっとうなのか」のレベルを詳しく知りたいですね。
@@伊達孔明 私は軍事の専門家じゃありませんので「まっとうな防空」のなんたるかを説明することはできませんただ、建前とは言え覚悟を決めた兵士の死者3000人で、相手側の国民30万人を無差別に殺せる状態を、動画のような印象論と計算のマジックで「日本軍はよく戦った。実はちゃんと防空していた」と言いきれるなら、いったい防空とは何ですか?相手のパイロット1人を殺すためならこちらの国民100人が犠牲になっても良いというのがあなたやこの動画の作者の防空なんですか?話題は変わりますが、メンフィスベルのような実話に基づいたアメリカ視点の戦争映画や小説は嫌いです戦地に赴いてる間に恋人を取られるかもとか価値観が変容してしまった自分を受け入れられないとか、青臭い高校生のような話ばかりあなたのいう当時のアメリカ人にとっての「悪夢」「地獄みたいなもの」のレベルが、当時の日本人のそれに比べて圧倒的に低いんですよこんな余裕しゃくしゃくの青二才どもが青春してる裏で自分につながる親類たちが阿鼻叫喚だったと思うとやるせません
@@tossiewatanabe9859 様へ。ご意見凄くまともで読みごたえありました。戦争の悲劇は、語り尽くせないものです。 ただ、悲劇は、日本人にだけ起こっていたのではありません。ただ悲劇の重さにより、日本人は被害者ということを、海外に向けて主張してしまいます。パイロットのご主人をうしなった女性が、アメリカの人に、自分の主人はアメリカさんに殺された、といってました。でも真珠湾で今も乗組員と一緒に沈んでいるアリゾナをみて、言葉を失ってました。又、空襲を逃れて高いところからみた空襲の様子を子供ながら、綺麗だったと振り返った証言も残ってます。NHKの小野アナの祖父が、フィリピンで住民虐殺のあった作戦に参加していた事実に、もしかしたらじぶんの祖父も、と複雑な思いを語ってます。 私は、戦史に関しては、自分の都合よく切り取った意見には、絶対組みしません。大局・個人関係なく、ひとつ又ひとつと史実を拾い集めていきます。歴史が好きなので、戦史だけではないですが。ただ戦史は知れば知るほど、目を塞ぎ・耳を覆いたくなることが増えてきます。小学生時代、零戦が戦艦大和がいってた頃が良かった。これからも、真実・より真実の近くに、で歴史に向き合います。貴重な意見、読みごたえありました。又、他の投稿での意見楽しみにしてます。
夜間の東京大空襲に出撃した相当数のB-29でしたが、低空飛行と焼夷弾搭載量を増やした為に武装を外した結果迎撃に来た陸軍機に無抵抗だったそうです
アメリカが武装外すなんて、相当被害与えたかったんだね。
ですね、大量の焼夷弾であれだけの被害者が出たのでアメリカ陸軍航空隊の思惑通りだったと思います。
戦時中、渋谷の富ヶ谷に母が住んでおり、夜間空襲のB29が燃えながら墜落していくのを何度か見たと話していました。怖い体験だったようですが、不謹慎ながらとても綺麗だったとも言っていました。子供の頃に聞かされた話ですが、この動画を見て急に思い出しました。
ひょっとして、挺身女子隊のお歳では?私の彼女が挺身女子隊で松下電器、当時息子の正治が上司だった。あまり賢くなかったそうです。
ありがとうございます!
11:29~ 低高度から人口密集地への夜間無差別爆撃…一体どちらが「人道への罪」で裁かれるべきだったのか。
そういうと大体左側の人とかが『重慶ガー』っていうけど…あれ中国軍が爆撃に耐えかねて高射砲とか軍需関係を市街地に移転させたのが原因とかいう話もあるらしいですね…。
@@まる-s3o いや、米軍と同じ事情で軍事目標への精密爆撃が効果が薄いので、市街地無差別絨毯爆撃に切り替えた。「人道への罪」と言われればどちらもです。
ありがとうございます、ご多分に漏れず自身も日本はB-29による空襲にても足も出なかったと思っていた一人です。今回の動画により、当時の日本もアメリカに勝つことは出来ないまでも精一杯足掻き抵抗し、そしてそれが蟷螂の斧に過ぎなかった訳ではないということを知ることが出来ました。ましてや、当時、あれだけのレーダー防空網を敷けていたとは驚嘆の限りです。
残念ながら日本のレーダー防空網は英国やドイツと比べるとかなり低レベルです。そもそも日本軍の本土防空に対する姿勢が他国と比べて相当低かったので。
思った以上に被害出てたから、オレも驚きました。 レーダーも実用化してた事に驚き。
B29の搭乗員の慰霊碑の費用を一般市民がお金を出し合って建てたという話も忘れてはならない事実です👊🥺
亡くなった叔父の話では、軍需工場の休みの日に(当時14歳)、淀川河口で、B29の編隊に遭遇し、六甲山からの高射砲射撃でB29が撃墜されるのを見て、みんなで手を叩いて喜んだそうです。地上からの射撃はなかなか当たらないが、六甲山からの射撃が良く命中したそうです。大阪では民家は木造のため焼夷弾で焼けてしまい、港区から大阪駅が見えたそうです。
その先人達の後を継いで仕事をしていた事を誇りに思う。(元航空自衛官)
ご指摘頂いている通り、485機というのは「喪失数」であって「撃墜数」ではありません。なので動画の中でも「485機撃墜した」とは一言も言っていませんし、サムネも「喪失」となっています。ご視聴の際はご注意ください。
この485機の中には事故による喪失も含まれていますが、ただ逆に言うと500機近いB-29が事故なり戦闘なりで失われたのです。
また、延べ出撃機数33,401機と比較すると、喪失率は1.5%ほどとなり、これが「B-29に手も足も出なかった」と言われる所以になったと思われます。この損害をどう受けとめるかは人しだいですが、これらの比較については以下の動画でも述べているのでご参照下さい。
【実在したB-29 vs ジェット戦闘機の対決】
th-cam.com/video/myNsmdU7MIk/w-d-xo.html
ご指摘頂いた方々にこの場を借りて感謝申し上げます。私の知識と腕前では未熟な動画しか作れないため、皆さまのご指摘や議論があって初めて動画が完成すると考えております。本チャンネルの場合、動画とコメント欄の2つを合わせて1本の作品になるのであり、そういった意味では視聴者の皆さまも作成者の一人であると思います。今後も末永くご指導のほどよろしくお願いいたします。(なるべく優しい言葉でコメントくださると助かります…!)
なお、この固定コメントに返信を付けるのはご遠慮下さい。通常のコメント欄にお願いします。
日本を叩いた結果的に今 C国に悩まされている米国 中華思想って弱肉強食の強い者には逆らえないから 今 日本人を舐めてるんでしょう だって領空侵犯しても撃たれないって思ってるから安心してるよ 漁船で体当りしても許してくれるんだもん 日本本土にミサイル打っても自衛官の皆さんがレーダーで見つけていても撃墜しても?って防衛省に聞いても、それから国会、立憲皆さんと志位委員長の反対に火の海だろうね そこまでなってもデニー辺りは米軍基地があるからミサイルが飛んで来るって言いそう
これ 述べ3万機でたった数百機やないかー❗️微々たるもんや❗️という奴多いですよね😃💦 述べ3万機ですが生産機数は4000機弱ですし 戦死も3000名強だけとかも言う割には 日本の特攻隊戦死には大袈裟になる傾向の自虐さん多数居ますよねB29戦死者3000人の一人一人に物語があり、彼等にも家族や友人が居たであろうのに自称平和主義者の自虐評論は痛いですよね。
当時、祖母が赤ん坊の俺の父親を背負って空襲警報がなるたびに焼夷弾から逃れる毎日、「もう戦争は嫌だと」だとたまにやってた戦争ドキュメンタリー番組を見てよく涙を浮かべて嘆いてました 父親を守ってくれた今は亡き祖母に日本を必死に守ってくれた日本兵の皆様に感謝しています。
日本の空を命がけで守ってくれた先人たちに感謝
敬礼
守れてないんだが
@@ネトウヨウヨ 守りきれはしなかったが、その命をかけて守ろうとした行動には最大の敬意を払うべきです。
太平洋戦争が開戦する前にアメリカはすでに中国の米軍基地からB-29で東京に急襲爆撃するつもりでしたよ。
@ponhazan narita 歴史史観には様々角度があり、一つの事象も見る側によって事実が何通りもあるので、一解釈は、一解釈にしか過ぎません。色んな角度で見ましょう。
B29が名古屋を空襲する時伊勢湾側から侵入し爆撃が終了すると右に旋回し瀬戸市の上空をかすめて太平洋へと抜けて行きました。私は瀬戸市に住んでた。日本の戦闘機の体当たりも、高射砲弾を被弾し煙を噴きながら編隊から離脱していく姿も目に焼き付いています。夜間空襲の時はサーチライトに写っし出される機影、地上と敵機から打ち出される曳光弾、9歳の私にとって刺激的な出来事でした。
立川飛行場の対空砲で撃墜されたB29がお爺ちゃんの山(青梅)に
落っこちてきた話を聞いたことがあります。
空自小牧基地には当時、飛燕戦闘機を格納してた掩体壕が現存してます。
小牧から出撃した飛燕が岐阜~名古屋上空で体当たりしてたとも。
掩体壕上部には当時の高角砲の台座が残されて往時を示してます。
@@零戦太郎-h7v 名鉄の笠寺駅の近くに「見晴台」と言う場所があり、戦時中は高射砲の陣地があったときいています。この陣地から発射された高射砲によって撃墜された
B-29の一部が残っているみたいですね。
@user-mc1nr2pf3r 様
日本語を学んでください
作り話で草
日系アメリカ人だけど、今となってはだけど、米軍が戦勝国と言ってるが、完全にジュネーブ条約を無視した無差別殺戮だった事は、まぎれもない事実ですよ。
条約など勝った方がどうとでもする。
敗者を守る何物もないし、主張も空気同然。
まぁ、日本も重慶爆撃をやってるわけですし、日本のお友達のナチスドイツもゲルニカ爆撃やってるわけですし。そんなアメリカに尻尾ふりふりするのが、戦後日本人なわけですから
同意です!米国の歴史を見る限り、トコトン汚い手を使った【血みどろの歴史】ですよね。また米国は、在米日本人の協力なくして、あの戦争に勝てなかったと思う。それに米国で一番勲章をもらっているのは『日系人部隊』だと聞きました。ずっと前に「442部隊」の存在を知った。当時「テキサス部隊221人」が、独仏国境で、ドイツに包囲され、身動きが取れなかった。そこで、日系人部隊が出動し「全員救出」したんだよね❓それを知ってから、結局、アメリカ人は、差別している日本人に助けられてたくせに、いまだに偉そうに【人種差別】しまくっていて「ジャップ」・「イエローモンキー」とか言って、恥を知れ!と思ったよ。
同意です。かってアメリカ人は、インディアンとの300以上の契約を【反故】にし、黒人を数百年間、奴隷としてこき使ってきた【血みどろの歴史】がありますので、条約無視など当たり前なのでしょう。また、日系アメリカ人がいなければ、あの大戦も勝てなかったと思う。かってドイツ軍に包囲されていた「テキサス部隊221人」は、日系アメリカ人の「442部隊」が命がけで救出し、全員助け出されました。その事実を見ても、日本人の力無しに、アメリカは勝利を収める事は出来なかったでしょう。それに「空の戦車」と呼ばれたアメリカの戦闘機を数時間で撃墜した日本のゼロ戦は、超優秀な戦闘機だったと言わざるおえませんね。
同意です!そして、日系人の協力なくして、アメリカは絶対に日本に勝てなかったですよ。
日本人は一生懸命に戦った。 米軍は民間人を狙って無差別爆撃を行った。 終戦に近くなって、B29に多くの護衛戦闘機が付いてきて、撃墜するのが難しくなったと父が言っていた。 地上から反撃すると、直ぐに戦闘機が群がって来て、滅茶苦茶にやられたと言っていた。 戦闘機でB29に体当たりして、それでもB29が体当たりした戦闘機の残骸を乗せたまま飛んでいたそうだ。 悔しかったと言っていた。 亡くなった父の灰は川に流され、今頃は南の海で戦死した戦友達に合流しているだろう。
父上が安らかに眠って頂きますよう………
@@panthertiger4883 有難うございます。 自分だけ生き残ったので長い間、自責の念を持ちながら生きていた様です。 あの頃の若者には、青春なんて無かったと言ってました。 亡くなる数か月前に、戦友の所に行った夢を見たそうです。 そこで戦友に、お前はまだ早いと言われて戻って来たそうです。 そこは言葉に表せない程きれいな場所だったそうです。 その3か月後に、ソファーに座ったまま静かに息を引き取りました。 90歳でした。 今頃はそのきれいな世界で戦友たちと楽しく暮らしていると思います。
貴重なお話しありがとうございます
祖先への敬意を忘れがちな、この今の社会こそ、若い方々に聞いてもらいたいです。戦時中、命をかけて戦ってくれた雄士に敬礼。
いまの豊かな日本があるのは、彼らのおかげだと思っています。
@@alexoda8489 命をかけて戦った先人達のお陰で、私達は平和に暮らすことができますね。 戦時中の人は、人を殺す事を習った。 殺さなければ殺されると。 私達はそれを忘れてはいけませんね。
カーチス ルメイは戦時国際法を犯した戦争犯罪人。
おじいちゃんがB29を高射砲で撃墜してたと父から聞いたことがありました。その時はへーと思ってただけなのですがシベリアに送られたりなんだかんだ生きて帰ってきたおじいちゃん凄いなーと思ってます
th-cam.com/video/MC8oN9iZT50/w-d-xo.html
おじいちゃん 御苦労されました 生きて帰れた
その発言はシベリアで亡くなった人達はお前のじいちゃんのように凄くなかったから死んだって言ってんのと同じだぞ。
その発言はシベリアで亡くなったたくさんの同胞に失礼極まりない発言だ😡
分かって言ってんのか?
@@marimokittiri
何言うとんやコイツ
読解力いうんは大切やと思うわ(死ぬほど大爆笑)
@@aresama5942 は?どこがどう違うのか具体的に指摘してから言えよ。読解力って言葉の意味分かってんのか?分かってねーからこんな頭の悪いコメントするんだろうがな。噛み付いてくるなら意味の分かるように具体的に言うてこい。お前の頭じゃ無理そうだがな
@@aresama5942 シベリアから生きて帰って来られなかった人に対して失礼な発言だという事が理解出来ないのは読解力の前に人として腐ってるわ。
叔父が、死んだのは、もう25年以上前になるが、その叔父は、陸軍航空隊に所属していた。終戦時22才で、父島の陸軍の航空基地に配属されていた。父島に赴任する前は、関東上空で、米軍の艦載機と空中戦を何度か経験したと言っていたが、それ以外にも、B29の夜間爆撃に対する迎撃にも出撃していたと言っていた。その迎撃での話だが、戦闘機は、飛燕ではなかったかと思う。機種までは、話に出なかったが、写真があり、それに写っていたのが飛燕だった。その戦闘機に、誘導装置が装備されていたと言っていた。この動画でもレーダーが全国に配備されていたといされているが、叔父はいうには、関東の防空に際して、まず、2か所のレーダー基地が、B29の飛来を探知する。レーダー波(反射波)の延長線の交わるところにB29の編隊がいることになる。その交点を目指して、戦闘機が迎撃に出撃する。夜間爆撃に対する迎撃であることから、基地からの指示に従って、目標地点に向かう。真っ暗闇の中、基地からの指示の地点に到達すると、誘導装置のスイッチを入れる。(今なら「ON」と言うところだろう。そうすると、丸い画面(オシロスコープの画面を丸くしたような画面で背景は濃いグリーン)の外側に光の点が、現れる。その光の点は、ぐるぐる回りながら、次第に中心に向かって、収束するように移動する。そして、丸い画面の中心に達したところで、ポカーットより明るく光って消灯する。その時、戦闘機のサーチライトを一挙に点灯する。(叔父は、サーチライトの光で、B29の後部銃座の狙撃手は目がくらむ、と言っていた。)すると、前方200mの距離にB29の機影を発見する。そこで、直ちに機関砲(20mm)を連射する。(通常は、曳光弾の間隔毎に3発ないし4発ごとに区切って発射するが、この時は、とにかく打ちまくる。)そうすると、ぱっと提灯をともしたような炎が、点火する。つまり、20mm機関砲が命中したということだ。その光を視認するやいなや直ちに離脱する。これが、叔父から聞いたB29のに対する迎撃の戦闘の様子だ。
これとは別に母親が、言っていた話だか、終戦まじかの九州上空、大分県(竹田市)と熊本県の県境(ほぼ阿蘇山上空)での戦闘の話。恐らく小倉を爆撃した帰りのB29の編隊(何機かはよくわからないが、10機以上と思われる。)が、飛行していた。その編隊に向かって、下から戦闘機が1機、突っ込んでいった。B29の編隊から一斉に機銃が掃射されて、瞬く間にその戦闘機は、煙を吐きながら、墜落していったと言っていた。この話と同様のことを、高校の物理の教師も話していた。同じ戦闘の話かどうかも定かではないが、当時、小学生の母親やその高校の教師、また、中学生の父親は、実際に日本の戦闘機が撃墜されるところを見ていたということだ。撃墜された戦闘機に搭乗していたパイロットは、どこどこのだれだれさんだったそうだ。などとも話していた。
父親は、また、別の戦闘を見たと言っていた。それは、編隊からはくれたB29の1機が、やはり九州山地(阿蘇山上空)で、日本の戦闘機3機の攻撃を受けて、墜落していったと言っていた。3機の戦闘機は、そのB29に対して、上からなだれ込むように突っ込んでいって、B29を撃墜した、とい言っていた。
母親やその兄弟(叔父や叔母)達は、もうほとんど死んでしまって、話をしてくれる者(戦争体験者)がいなくなったが、彼らは、盛んに「B29の爆音は、ちがうんよね(大分弁)。なんか、ブォーン、ブォーンというか、唸るような低い音がして、怖かったなー。」< 空襲警報発令 > 北九州(小倉)などへの爆撃に向かうB29の編隊を大分や熊本(阿蘇)の山岳地域に疎開していた当時の子供たち(私の親たち)は、目撃していた。
先に話した陸軍航空隊に所属していた叔父については、手記がある。貴重な体験談なので、出版すべきだと言ったが、「まだ、生きている人もいるので、公表はしないでくれ。」とのことだった。しかし、その叔父も死んで20年以上になる。いつか、ネットで公表したいと思っている。
その叔父は、関東を中心にいたらしく、ある時は、テストパイロットとして、ジェット戦闘機も操縦したことがあると言っていた。「戦闘機と言っても、今のようなかっこいい機体ではなかったよ。翼のしたにエンジンがあって、旅客機を小さくしたような機体だったよ。」といって、その機体が写っている当時の写真を見せてくれたことがあった。Me262の機体だった。操縦した感想を尋ねたら、「これは、いままでの戦闘機とは、全然違うと思った。」離陸のためスロットルを目いっぱい引くと、みるみる滑走路の端が近づいてきた。すると、ふわっと浮いた。」と言っていた。
その叔父は、昭和20年3月に沖縄に特攻で2回出撃していた。特攻に行った人間が、目の前に居て、話をしていくれている。しかも2回も出撃したと言っている。この叔父の沖縄特攻の話や、名古屋上空でF6Fとの空中戦で1機撃墜したものの、自分も撃墜さて、名古屋近郊に不時着したことや、富士山上空でも撃墜された話がある。手記に記載されているので、いつの日にか公表したい。
国産初のジェット戦闘機の操縦体験記の書籍はまだ出版されていないので、貴重な戦記本になると思いますよ
B29とヘルキャットも撃墜していて橘花もテストしていたなんて、エース中のエースだったんですね。
こう言う話は初めて聞きました。参考になります。
貴重なお話をありがとうございます。
お願いします。
私の祖父も帝国海軍です。
文字通り、命を賭して守ることの尊さを知れる良い動画です。
もっと日本人に知って欲しい。
「命を賭して守っ」たんじゃない。そうしないとならない時代だった。命の価値はそれほどまでに軽んじられていた。
そんなに犠牲者が居たとは知りませんでした。
敵味方を問わず祖国のために勇敢に戦われた兵士の皆さんに畏敬の念を抱きます。
どうか魂が安らかであらん事をお祈り申し上げます。
戦争とは、敵味方共に正何だよね、国を、親を、妻を、愛する人を、子供達を守る為に、そして国土守る為に。誰も誰しも、愛する人を戦場に行かせたい分け無い、されど、戦争になれば、戦わざるをえない。勝っても負けても、悲しいかな、傷、負の遺産は残る。旨く書けなくて(/o\)
good
そもそも爆撃隊って常に敵地で行動するから損失ものすごいんだよ
ルーズベルトに煽られたこともあったけど日本もそれに乗ってしまったことに原因があるよな
民間人の家や人に爆撃している事についてどう思う?勿論核も兵器工場でも軍施設でも無い。
体当たりしてまで、自分たちの先祖を守ってくれた兵隊さんたち。いま自分たちの住んでる街を他国が爆撃にきて、体当たりしてまで頑張ってくれる方がいたら、感謝してもしきれないだろう。実際に昔の日本には、人のために自己犠牲できる方たちがたくさんいたのだから、ほんと凄い国だと思う。
感謝じゃなくて、君が体当たりしなよ。
今の日本、命とまではいかずとも損得踏み越えて手を差しのべられる人がいるか、といわれたら即答しがたい。少しでも誰かを助け、支えるのを心がけることで先人たちへの感謝に変えたいですね。
軍部と政府に命令されて特攻しただけ。どんだけ馬鹿なの?
いや、ほんとに狂ってた時代だよ。
現在、こんな屑みたいな子孫が育つのなら、
あの時頑張るんじゃなかったと思ってるだろう。気の毒過ぎるな。
亡くなった父は都内の高射砲部隊に居ました。片耳が殆ど聞こえず。戦争の名残りだとよく言っておりました。低空飛行してきたB29から下を覗き込む金髪のパイロットを見た話とか、臭いと爆撃音は時々思い出していたのか、朝ご飯食べながら、今は天国だと話していました。今、またウクライナで悲劇が繰り返されていますが。命がけで戦ってくれた先人に、本当に感謝しています。
最新鋭のB-29から日本を守るため必死に戦い、多くの損害を与えてくれた先人達に感謝し、同じ日本人としての誇りを持っていきたいと思います
多くの損害を与えてくれた、、スポーツじゃないんだから。
気持ち悪
実際日本の抵抗の激しさから戦後遠慮した部分もあるから、それも重要な事なんだよ。
気持ち悪
先人の皆様、亡くなられた方々が御苦労されて必死に戦われた様を、やはり、私達が少しでも知ろうとしなければ申し訳ないと思っていました。感謝致します。
改めて先人の方々への感謝の念と
頭が下がる思いが募ります。
忝さに泪こぼるる!小生長崎街道黒崎宿一里塚地蔵堂の掃き目清掃しています。納経しながら、身内、友人の月命日を祈っています。
?
@@RT-qq3jj 尊い行いとご認識に、頭が下がります。お元気でお過ごし下さい。
日本の先人が強くてとても嬉しくなりました。
戦ってくれた皆様に感謝を捧げます‼️
??????
私も1万メートル上空から、ただやられていたと思ってました。
とても勉強になりますね。
日本の為に戦ってくださった先人達には感謝しかありません。
@@jkmmjk3407 命を張ってみんなを守るために戦ってくれたじゃん
@@jkmmjk3407 様 次は勝ちましょう❗️❗️❗️❗️
@@jkmmjk3407
これだけ頑強に戦ったから、以後、日本を敵にしないように異例の厚遇で占領政策を行った。
食料援助、経済援助、武器の供与。
こんな占領は歴史上無い。
だから勘違いして、「早く降伏するべきだ」などとほざく文化人がいるのだが。
負けると分かったゲームを最後までやり通すのも紳士の証明。
この戦争に負けることで、日本は本当の先進国の仲間入りが出来た。
@@jkmmjk3407 長年に渡ってケンカを売り続けて日本を攻撃していたのはアメリカのほうですよ。
自分より強い相手と戦争をするのは愚かだと言うのは、ウクライナの人々は愚かに戦争をしていると言うのと同じです。
もしウクライナがロシアに敗れたとしたら、ウクライナの人々を愚かだとバカに出来ますか?
3/10東京大空襲は、聖マリアンナ医科大学を無傷に済ます大空襲でした。高度500mかな!
八幡上空で体当たりし墜落した場所は今は公園となりモニュメントも残されています。また宇佐上空で交戦し山に墜落したB29搭乗員を慰める石碑もあり、戦死した兵士に敵味方は無いと丁重に葬った日本人もいました。
日本人ならではですね。ソロモン群島でも両軍で多くの犠牲者が出て戦後
両方を弔う日本人僧侶がいてアメリカは驚いたそうです。
ちなみに911事件の犠牲者として毎年の式典で全員の名前が読み上げられて
いますが弔われているのはアメリカ人のみです。
高射砲部隊指揮官だった祖父が生前言っていましたが、高射砲射撃はライフル銃の様なピンポイントを狙い撃ちするのではなく、広範囲に弾幕を展開し敵機を包み込み被弾撃墜させるから、数が揃わないと当然撃墜率が下がる。祖父の部隊にも射高10,000m以上の高射砲は数門配備されていたが、操作が電動式で手動式より動作が遅く高速で移動する航空機を狙い撃ちは無理。数があれば想定空域に弾幕を展開し撃墜率を稼げたが数門しかないから弾幕展開もできない。まして戦争末期頃の大規模空襲になると低中高度で進入してくるから、数がある手動の高射砲の方が使い勝手がよく活躍したそうです。
江田島にいました。工廠の周辺に高射砲が配置されてましたが、砲身が長くはありませんでした。時計メーカーの人がまだ高射砲弾用の時限信管があるよと。計算機がなっくてどうして至近弾を打てるのか、復員してきた人が「あれでは当たるわけがない」と。
@@hokutotelecom9517
君は90歳ぐらいの設定か?
ブライト艦長の「弾幕なにやってんの!」も適当セリフではないのですね。
@@ダンドレジーラウール 本当の宇宙空間なら適当なセリフ。
資料をよくまとめてくださいました。通説を覆していただきました。一般に日本の高射砲は届かなかったとよく聞きますが母親や高齢者の話では燃えながら落ちていくのを何度も見たとききます。また各地の高射砲連隊の記録には撃墜されたB29の写真が出ていますし当時のニュース映画でもよく見ることができます。日本の防空戦隊は決して無力ではなかったと確信しています。この動画でその気持ちを強くしました。ありがとうございました。先人の奮戦と貴殿の努力に感謝します。
通説というのは たいていの場合、つくられたもの、つまり最も力のあるものによるプロパガンダです。この場合 戦争の勝者ですね。そして日本国内には大量の売国奴がいた(今もいる)ことを意味します。とくに役所と 教育とメディアの関係者、あと在日,童話,共産などの反日組織のみなさんですね
先日欠陥だらけだったB-29の開発~出撃の動画を観たばかりでした。
どうしても反戦ムードの強い時期には本当の話が出てきにくいですが、
仰る通り資料に差はあれど双方を確認した上で事実を伝えていくことは
とても大事だと思います。ありがとうございました。
本土防衛、日本国民防衛のために命がけ命を捨てて戦って下さった戦闘機搭乗員
の方々ありがとうございます。
この事を忘れてはいけません。
勉強になりました。日本を護るために命を賭して戦って頂いた英霊の多くの御柱や日本帝国陸海軍そして銃後を支えて頂いた当時の全ての日本人の祖先の皆さまに御礼申し上げます。
ドーリットル空襲のように戦争初期はアメリカ軍も無茶な作戦を強いられていた。
戦争後半は余裕が出てきて殆どワンサイドゲームだったけど海を跨いだ戦略爆撃はハイリスクな作戦に変わりないしアメリカ軍も大変だったと思う。
生命をかけて日本を守ってくれた先人達(軍民問わず)に感謝。同時に同じ失敗を繰り返さないための分析が必要。
祖国の為に戦った英雄に感謝します
子供、孫達にも事実を伝える事が私の責務
正直、自分もB29に対して手も足も出なかったイメージを持っていました…
ですが実際はB29側の損害率も高い、ハイリスクな中の戦いだったんですね
このことを知れて本当に良かったです。ありがとうございました
戦闘機、急降下爆撃機の操縦士と水平爆撃機の搭乗員の命の価値は全然違うからなぁ。戦時においては
frag-sさん、まぁ米国上層部も、B29は博打だったと戦後言ったからね
被害数だけ見るとハイリスクに見えるけど通しての出撃機数に対する損失率だと1.5%程度、
そりゃ手も足も出ないイメージにもなるわなってぐらいに出撃回数が多いのも見落としてはいけないとこよ。
@@祭文 さん
まさにそれが「国力」の差ですね。
@@祭文 圧倒的で草
本土防空戦で日本が相当な戦果を挙げてたのは、戦記本など読んである程度知ってましたが、動画の解説は更に分かり易くて
とても感慨深いものがありました。
ただ、日本の奮戦とは裏腹に本土爆撃による一般の方々の犠牲者の数や被害の内容を見るとやり切れない気持ちになります😞
子供の疎開はそれなりに実施したが、可住面積の少ない日本で全員疎開など行き先がないので民間人の犠牲者は増えた。
戦前の予測でもt都市部は30機の焼夷弾攻撃でも被害甚大の結果となっていた。
要するに一矢報いたってことだ
一般国民の生死など、大日本帝国のみ国体に比べればごみのようなもの。
戦記本の多くは自己弁護
実際には良いところ200機、それも高射砲と合同でです。
何しろ性能もですが、腕の良いパイロットをフィリピンで犬死させた結果
内地には半人前のヒヨッコしか居らず
黒江保彦大尉が鹵獲したPー51に乗った際檜与平中尉に
今の連中じゃあ俺がヒヨッコに見えるベテランばかりの敵にはカモだよ。
例え疾風に乗っても同じだ!
せめてお前ぐらい腕の立つパイロットが何人かいて、キー100に乗せれば何とかなるが。
とぼやいたのが実情
日本も被害者面ばっかせず反省しろよ
アップ、有り難う。当時文字通り命をかけて日本を守って下さった全ての我々の先輩方を熱涙をもって讃えたい。
貴重な動画をありがとうございます。大変勉強になりました。日本の各地を焼け野原にしたB-29が実は大きな損害を出していた事実は衝撃的です。また多くのコメントの中には当時の戦闘の話もありとても貴重なものに感じます。今ようやくあの時の戦争の本当の話が出てくるようになっている感じになってきています。この国と世界が大きく変わろうとしているのではと思います。
護衛も無かったB29が、撃墜されたのがたったの2割とは負けて当然の戦争とはいえ、情けないですね。
戦争は年寄りが始めて若者が大勢死ぬ。
年寄りのバカが特攻するべきでした!
@@peace_peace_z32 もう少し言いたいことまとめてから文章作りましょう。
@@peace_peace_z32 途中までは同意ですが最後の意見だけは理解しかねます、いかなる理由があろうと命を捨てるべきでしたというのはどうかと…
@@RE_KUN
理解出来ないのは解ったが、多くの国民がそう思っているのでは?
勿論、今でも戦争推進の輩もいるし、
人生いろいろ
人の考えもいろいろだ
俺は若者に命を捨てさせるより、戦争したい年寄りが特攻すれば良いと思っている。
人の命の価値が安い我が国だが
@@peace_peace_z32 まぁ要するに若者よりジジイを特攻させたほうがマシってことであってますかね?。コレはあくまで個人の意見なのですが、若者よりジジイを特攻させたほうがマシという考えには、少し賛成しかねます。コレは例え話なのと諸説ありますが、歴史を振り返りますと、戦国時代には朝倉家という、大名家がおり、その朝倉家には朝倉宗滴という、老将がおりまして、彼の死後、朝倉家は没落の道を辿ることになります。まぁ何が言いたいのかと申しますと、若者は未来あるからといって老人を軽んじてただ使い捨ててはいけないと思うのです。コレは完全に私が思っていること…なのですが、若者、老人云々より、無能なやつを特攻させた方がマシだと思っております。ナポレオンも無能な働き者は殺せと言っておりますから。まぁ尤も特攻をそもそもやらなくちゃ国体を維持できない状況にするなという話ですが…。
対B-29防空戦には樫出中尉の異業しか知らなかったのですが、この動画によりレーダー、進歩した高射砲等により非常に多くの成果を上げていたことを知りました。その果敢な戦いにより、多くの国民が私たちの父母が守られたことを思うと深い感謝の念が沸き起こります。さすがは日本人であります。我が国には世界に誇る偉大な科学者、文人、芸術家はおりますがこの野蛮世界を相手に戦った歴史の栄光こそは人類が存在する限り不滅の輝きを失うことはありません。ありがとうございました。
私の父親から、戦争中墜落したB-29の機体をすぐ傍で見てきた、という話を聞いたことはありましたが、全体像が掴めずピンときませんでしたが、初めて実感の持てるお話をありがとうございました。
如何なる理由があろうとも戦争は絶対に避けるべきですが、一方的に侵略を目論む外国に対しては戦わざるを得ません。
でも今の日本の体制・情勢・能力では不安だらけです。
この事実は予想外でした。
日本の教科書に載ってる日本史はほぼすべて嘘だし、この真実も今までまったく知りませんでした。
450機ものB-29を撃墜していたとは…
この戦果は凄いと思います。
こういう新しい事実を知ることができて、ただ日本はやられっぱなしじゃなかったんだと思うと胸がスッとしました。
おっしゃる通りです。しかし「事実」を知られたくない勢力が居るのです。
有難うございます。
こんなに魂が奮い立つ動画を見たのは、初めてです。
本当に有難うございます。
この動画でどれほどの日本の子どもたちが、強く生きられるようになるでしょう。
あなたのおかげで戦後教育の時代、支配教育の時代は終わりました。
本当に有難うございます。
無敵だと思われてた爆撃機が、こんなにも落とされていたなんて。
先人達は、凄い。
戦争は悲惨だけど、戦えない人達の為に戦った人達の事も学ぶべきだな。
85歳入院中の親父は戦時中にB29の姿を何度か見たらしく、親父が言うには高射砲も戦闘機も手も足も出なかったと語ってました。でも実際は沢山撃墜してるんですね、親父が退院してきたらその事を伝えますね、良い報告ができます、素晴らしい動画ありがとう。
うちの祖父91歳没は徴兵で都内で高射砲撃ってたそうです。届かないのが分かってるけど、命令だからバンバン撃ってたと笑ってました。
大阪中心部や堺を空爆する際に奈良と大阪の境にある金剛山を超え、ジェラルミンボディのピカピカに輝いたB29の編隊が頭上を通過、格納されてる戦闘機隼がスクランブル発進。残念な事に隼は帰還しなかったみたいです。
B29は当時の最先端技術で作られた爆撃機で、10,000メートルの高度を飛行して 本来なら そこから軍事施設を正確に攻撃する能力が有りました。
ですから お父さんが言われた様に高射砲も戦闘機も余り歯が立たなかったと思います。
ただ、日本の上空 約10,000メートル前後にはジェット気流が流れています。
時速になおすと 軽く300km/hを超えるそうです。
特に東京空襲(工業施設への爆撃)は 全く成果が上がりませんでした。
その為、低空飛行による無差別攻撃に切り替えたものです。
文字通り「手も足も出なかった」というわけではありませんが、比喩表現としては決して間違ってはいません。結果として、大都市どころか、地方都市まで数多く焼き払われてしまうほど出撃できたわけですから、日本側の迎撃はB29に対して十分な抑止力を発揮できなかったと言えるでしょう。特に防空体制が整っていない地方都市では、それこそ悠然と飛行していました。米軍の戦略爆撃調査団の報告書を読んでみても、日本軍の高射砲による反撃について、散発的で不正確だったという記述が多く見られます。
お父さんがどこにいたかにもよりますが東京大空襲の時なんかは多くの対空砲火が浴びせられ米軍記録だけでもかなりの被害数が出てたりしますね。実際に出撃した搭乗員もこの時ばかりはかなり恐れていたそうです。
B-29なんて化物を何千機も作れるアメリカの国力は凄まじい。
さらに他の航空機、陸軍の機甲車両、海軍の戦艦・空母・護衛艦。
今も昔も地上最強の軍隊というわけか。
@有識者 何言ってるんだ?
戦争なんだから民間人だろうと根絶やしに決まってんだろ、ただでさえ日本人は民間人も農具やら竹槍やらで抵抗してくるんだから。
GDP の差は5倍(現在)かもしれないが、資源や穀物の産出力は 百倍くらい? 国際金融資本をバックにした資金力は 無限大。
さらに日本国内には敵側のエージェント(売国奴)が昔も今もたくさんいる。
海軍中枢とか、財務省や外務省、メディアも、政治家にも財界にも. . . .
これでは勝負にならないね
日本の売国奴なし、国際金融資本の支援なしなら、当時はケッコウ戦えていたろう 6-4とか 勝てなくとも負けなかったかもしれない。
. . . . カレラもそう考えたろう、だから戦後 徹底的に日本弱体化,敵視の政策が採られた 特に米が民主党政権の場合ね . . . . 憲法その他法律、在日,童話,共産党の存在、海外資産の強奪、メディア、教育、労組、在日米軍、政策の決定権は米国にあって日本にはない、周辺国を反日,侵略国にしたプロパガンダ
でもアメリカはベトナムにもアフガニスタンにも勝てなかった。
@@awizcd6472 侵略戦争は負けることが多いよ
第一次大戦頃のアメリカ軍は…
動画を見るだけで楽しくまた、勉強になって本当につくっている人に感謝しかないです
コメントにもうありましたが日本を命懸けで守ってくれた人にも感謝しかない
すごい戦いだったんですね。
あの恐怖のB29に。
すごく勇気をもらえました。
先人の方々、ありがとうございます。
なにかの動画でこういった大型爆撃機の死角の無さ、攻撃の難しさを解説していたのがありましたが、確かに恐怖ですね。
しかし、団体さんで来ると同士討ちが発生しそう・・・そういう意味でも「喪失」なんでしょうかね。
初めてこのチャンネル見ました。衝撃でした。日本はやられっぱなしではなく、きちんと戦って戦果もあげていた。B29の米軍も楽に高空で爆撃してたわけでもなく勇敢に低空で戦っていた事を知り胸が熱くなりました。こういった人達が存在した事実は広まって欲しい。今まで戦時中の事はあまり知っちゃいけないと思ってましたが、今は先人に感謝しかありません。もっと勉強したいと思います。貴重な事に気付かせて頂きありがとうございました。
悪いけど
ほぼほぼやられっぱなしです
逆を言えばそんな数を撃墜していたのに次々と来るB29、、
アメリカの物量が圧倒的すぎる
あの人命尊重の米国が??信じられません。
@@RT-qq3jj 別に当時の米国もそこまで人命尊重ではなかったと思うよw
当時の技術力では今よりもずっと多くの犠牲が伴ってしまうだろうし、決して良くはないけど致し方ないって判断じゃないかな
実際には高射砲と合わせて200機ぐらいしか撃墜出来ませんでした。
やはり物量の多い国には敵わない。こんな国とは戦争をしない頭の柔らかいトップが必要
戦争始まる前からアメリカの物量を日本は知っていたんだけどね。当時日本のスパイはかなり優秀。それでも戦わなければならない状況を察して欲しいね!「窮鼠猫を噛む」をアメリカは学んだ😅
B29に着目した解説勉強になりました。
なんでも、日本兵の飛行技術は優秀だったと
何かで知った記憶が有ります。
日本兵の犠牲の元で今の豊かな日本が有る事に
感謝しかありません。
ご冥福を祈りながら、ありがとうございます
良い動画を発信していただき、ありがとうございました。
ご指摘の通り、幼い頃からB29には手も足も出なかったと教え込まれていました。
いやそうではなく、日本軍は善戦していたこと、日本にもレーダーがあり早期警戒網が存在していたことを知りました。
そして、必死に日本を守ろうと戦い抜いた沢山の勇士がいたことを知り、有難いことだと改めて認識しました。
むしろ手も足も出なかったのは朝鮮戦争の方
ジェット機まで使って碌な戦果上げてない
@@呑龍ハルカ ???日本と関係ないし🤔
米軍が戦果をあげてないと?
・北や🀄の被害はとても大きかった。
・米軍は、勝ってはいけないという命令を受けていたようだ。マッカーサーが勝つための戦略を本国に進言するとすべて却下された。
たぶん戦争はヤラセで、目的は 戦争で金儲けをすること、分断国家をつくること、それぞれの国で反対派を大量に処分すること にあったのではないか?
@@nomadkyoto5431
あなたは こくご できますか?
話の流れから言って
B-29に手も足も出なかったのは日本ではなく
中国・朝鮮側だって話なんだが・・・
勝ってはいけないならなぜ仁川上陸作戦なんてやったの?
ようだ~とか、ないか~とか妄想で語るのもいい加減にしろ
善戦(損失率1.45%)
@@ビワイチー
本土決戦に備え迎撃を渋って
稼働率30%のB-29を余剰機なしまで追い込んだんだけれどまだ足りんとかいやしんぼめw
一方で限界まで迎撃し88高射砲にマ式を使って
相手は白昼堂々攻めこんでるのに
同じ損耗率しか出せなかったナチスドイツって国が…
近所に高射砲部隊だった焼酎好きなじいさんが居ましたが
「俺はB29落としたことがある」
という事を絶対嘘だと思っていましたが、この映像を見て疑って悪かったと今頃ですが感じています。
じいさん、有難う。
本当に日本を守ってくれていたんだね。
そのじいさんのお墓も近いので、墓前に線香をあげてきたいと思います。
4発爆撃機は、機体が大きいため、高射砲で落とされた例は多いです。
故・水木しげる先生のお兄さんが、海軍高射砲隊勤務でBを墜とした事が原因で巣鴨プリズンに収容されたエピソードが在りますね。
先人の方々が当時、必死に頑張っておられた一端が感じられました。よく調べ、また公正な見方で作られた良い動画に出会えて感謝です。
撃墜数だけ見ると少なくないように見えますが、実際はB-29の出撃機数、出撃回数に対しての撃墜率で言うと僅か1.5%程です。
それに対して、日本側は30万人以上の死傷者数と6大都市、地方都市のほぼ全てが焼け野原と化しました。
同じ日本人として悔しいですが、これらの結果を見ると殆ど一方的に本土空襲を受けていたと言わざるを得ません…
和歌山県田辺市龍神でもB29撃墜され、村人が戦中からひっそりと乗務員の供養しているのを最近知られるようになって、アメリカ軍や大使が供養に訪れるようになった。
文章の勉強したら?
@@栄二一型 事実ですよ。 NHKの番組で、つい最近放映されましたけど。。
@@masacat55 様へ。
ひっそりと行われたから、歴史に埋もれそうになったのですね。当時の人も複雑だったと思います。番組の中で、事情を伝え聞いてる人の証言はありましたか?覚えていたら、投稿して下さい。大局的にみれば、埋もれてしまう出来事も、丁寧に救い上げて残していく。戦史を勉強・研究する上で、大事です。満州国で敗戦を経験し、集落を守る為、ソ連の将校の相手をさせられ、命からがら帰国した女性が、死ぬ前に伝えたい、と講演する姿は、戦争の別の視点をみせてくれます。私は、告白したSさんの映像を見ながら、又、ひとつ戦争を知ることが出来た、ありがとう御座います、と思いました。Sさんは、2年後旅立たれます。
又の投稿まってます。
あの番組の中で、処刑された搭乗員が大阪の真田山陸軍墓地のはずれに「(埋葬ではなく物として)埋められた」という部分があり、
その中で真田山陸軍墓地と背後の大阪市街が映った白黒写真があります。
その写真の背景の大阪市街の様子が衝撃的で、、、モノの見事に焼き尽くされて何もありません。大阪市街が、、本来家屋がぎっちり密集しているべきところが何もなく、、一面焼け跡のまっさらになって、背後の山が下の方まで見えていました。
戦争をするとどうなるか、保守はぜひ見て知るべきでしょう。 衝撃的な写真でしたね。
@@masacat55 様へ。
知らない事実なので、私も衝撃です。戦争は、丁寧に知ろうとすれば、するほど悲しい事実が明らかになります。読んでて一瞬目がとまりました。この項目で、地震にかん口令が、取り上げられてましたが、その事により、救助活動が遅れに遅れ、被災者を見殺しにした事実にふれた人は、いませんでした。米の航空機で、バッチリ写真が撮られてたのに。おまけに低空で。視野が狭くなると人間は、まともではない例のひとつです。早速の投稿有難う御座います。
本日、有給です。ちなみに、親父の実家は、空襲で焼かれてます。
殺すか、殺されるか、それが戦争。とばかりは言えない。一人一人の犠牲者のご冥福をお祈り致します。1936(昭和11)年生まれで現在86歳の私は、このビデオの事実を知りませんでした。ただ、私が小学校4年生の時、「アメリカ兵がいるぞ」と叫ぶ声につられて毎日通っていた小学校の裏門に行ったら、門前に人だかりがしていて、その輪の中に、一人の手足の長いアメリカ兵らしき男性が、タオルで目隠しされて、両腕を後ろに縛られた状態で座らされていました。上下とも白い服で、まるで病院から抜け出した患者のような恰好をしていました。多分撃ち落とされたB-29の搭乗員の一人なんでしょうね。すぐそばには、一人の若い日本兵が立って見守っていました。私たちは、石を投げたりツバを吐いたりする者もおらず、誰も一言も発せず、ジーーッと見守り続けました。この時のシーンは、今でも脳裏にはっきりと残っています。この数か月前には、実は、私は、B-29爆撃機に体当たりして真っ逆さまに落ちてくる戦闘機を見ました。空襲警報が鳴ったので庭に急造りした防空壕に入ったものの、中は蒸し風呂状態で居心地が悪かったので、防空壕の入り口付近に腰掛けて空襲が収まるのを待っていた時の事でした。突然「ピカッ」と見たことのない閃光が走り、続いて「キーキーキーキー」とうなり声をあげて真っ逆さまに落ちてくる黒い飛行機が見え、そのさらに上の方では、B-29爆撃機が白い煙を吐きながら悠然と飛行を続けている姿を見ました。ずっと後になって、これが「特攻」だと知らされました。がしかし、肝心なことですが、この時果敢に特攻して尊い命を失くされたパイロットのお名前や出自の詳しいことが何一つ発表されていない、という事実です。靖国神社へ行けば分かるかな、と思って「遊就館」で展示品の数々をくまなく見ましたが、なんの情報も得られませんでした。先のアメリカ兵がその後無事に祖国に変えることができたのかどうもわからず、そして、1944の盛夏に特攻で私たち日本国民を守った勇者のことも一切わからずじまいです。これは大変残念なことです。戦争は、終わってすべてお終い、ではないのです。
貴重なお話ありがとうございます。
「騙り」は駄目。
その年齢の人が話す言葉や中身ではないことは分かってしまいます。
貴重な体験談ありがとうございます。
@@通りすがり通りすがり-b9h 何を言ってるんですか。私は1936(昭和11)年1月21日東京は足立区で生まれ、26歳までここで暮らしました。戦時中の数ケ月疎開先の岩手県で暮らした以外は。因みに、私の職業は「ゴルフルール研究家」で、「マイク青木」というペンネームで仕事をしています。FACEBOOKゃINSTAGRAMもやってます。これらの発言はすべて、正真正銘満86歳のもの
です。何ひとつ偽りや誇張がありません。正直に出来る限り正確につづったものです。因みに、私は認知症を患っておりません。
?😭
井上和彦著「撃墜王は生きている」にて帝都防空の話はあらかた知っていましたが如何に我々が捻じ曲がった戦争教育を受けてきたかこの何年かで痛感しています。
いまもそうですね😄
メディア(テレビ新聞、出版社、NHK、映画 )、総務省、憲法、教育関係者、大学、文科省、日教組、作家、評論家、弁護士、法務省、裁判所、財務省、外務省、労組、反日活動組織(在日、共産、童話)
みなさん いまも嘘-捏造プロパガンダ頑張ってますよね
別に捻じ曲がってなどいない。君らが経典を読んで歓喜してるだけだ。おお怖。
日本政府が戦後ルメイに勲章を授与した事は未だに許せません。
天皇陛下も勲章を授けるには反対していたのですが戦後航空自衛隊の発展に寄与したとうい内閣により渋々出した経緯があります
奴は晩年「無差別爆撃は間違ってない」と周囲の人間に何度も言っていたそうです。要するに本心では罪悪感を持っていたということを裏付けていて子気味良いです。トルーマン共々地獄の底で永遠に苦悩するがいいと思います
昭和天皇が授与式を固辞したにもかかわらず。天安門事件後の陛下訪中など。いったい我が国の政府は、何を考えているのやら。昨今の状況と似ているような。
真珠湾攻撃を立案した源田実がアメリカの勲章を受勲することのバーターらしいけど真珠湾攻撃と東京大空襲は対にならんと日本人は思うわな。
裕仁が一番悪い。こいつのためにどれだけ無辜の人が死んだか。!
陸軍の双発戦闘機「屠龍」は37mm戦車砲を搭載し、北九州を警備していた樫出勇陸軍大尉
は一人で26機のB-29を撃墜した。
B-29はテニアンから2300kmの距離を5時間以上も掛けて飛んで来た。
搭乗員は一機当たり9人から指揮官機は11人が搭乗していた。操縦室は気密室になっていた。
屠龍は二人乗り。操縦者は一人。
1万メートルの高高度を飛んで来たと吹聴されるが、実際に爆撃をする際は、雨風の状況により
4000m付近で爆弾投下する事が多かった。
特に冬は季節風が吹くので爆弾が風に流され目標の場所には命中しにくい。
4~6千メートルは日本の戦闘機も十分活躍が出来た。
屠龍のバリエーションが多く、機種により37mm戦車砲は操縦席の右下だったり正面だったりする。
樫出勇大尉の愛機は右下だった。
37mm戦車砲の威力は凄まじく、操縦席か主翼の付根に当たればほぼ確実に撃墜出来た。
四戦隊の樫出氏や木村定光氏の戦果はだいぶ盛っているとのことです。(渡部洋二 戦果の裏側)
ただしたった15発しかなく
ルーデル閣下のスツーカの半分も搭載していなかった。
あと37ミリ機関砲は
対Bー29だとションベン弾故に効果は意外となく
むしろ対戦車機関砲として満州で関東軍高級将校が逃げる為の時間稼ぎとしてのソ連軍戦車攻撃や南方での魚雷艇狩り、潜水艦攻撃で威力を発揮している。
Bー29相手にそこそこ有効だったのは斜め銃
対B29用の屠龍は無線機等を外して軽量化されていたそうですね。
37mm戦車砲搭載の屠龍でB-29を撃墜した祖父の話では「急降下で射程距離に居る間に撃てる弾は1~2発。速度で劣る屠龍で攻撃のチャンスは2回。エンジン付近に命中させた後退避しながら確認すると白い煙が出た後炎上し墜落した。」との事でした。昭和20年6月23日の中部日本新聞に記載されている飛行第五戦隊の戦闘です。
日本と先人は、永遠に我らの誇りです。
世界の植民地と世界の奴隷を解放した日本の先人たちは、人類史の誇りです。
何百万も死んだのに(死なせたのに)?
@@moaijapan6705「 死なせた」?
@@moaijapan6705 戦争はお互い様。双方に正義がある。
インドシナではフランス植民地庁を残して現地民を200万人も餓死させておいてアジアの解放とかよう言うわ
恥ずかしながら初めてこの史実を知りました。大変素晴らしい内容です。ありがとう御座いました。
勇敢に戦った戦員に感謝し誇りに思います 歴史は正しく知りたいです
「勇敢」と「無謀な命令に従った」のは違うよ。
残念ながらこの内小林照彦少佐は空自練習機の事故で死亡、黒江安彦大佐も海難事故で死亡した。
常に1万メートル上空という固定概念がありましたが、東京大空襲では従来の高射砲が届くような低空で侵入してるから、どうだったのかと以前から不思議に思っていました。的が大きいので狙いやすかったでしょうね。
カーチス・ルメイが高度下げて爆撃したからでしょ?😆
@@内藤勘解由-u8j 木コメの人高度下げて爆撃してる事言及してるのにわざわざカーチス・ルメイがーとかわざわざ指摘する必要あったか?
@@Soimito 国際法違反の無差別爆撃に、搭乗員軽視の低高度爆撃だからねぇ。
@@tita6818 軽視してるわけじゃない。ルメイが日本上空を偵察した時に、日本は高角砲、夜間戦闘機の性能、レーダーの性能が低いと判断したため、夜間低空絨毯爆撃が効率的かつ、安全だと考えたためです。ちなみに偵察は17回行われたが、1機撃墜に留まりました。
@@tita6818 当時市街地爆撃なんて日本含めてどこもやってるからあれがWW2のスタンダードやアメリカの場合スケールがデカイから目立つってだけで搭乗員軽視なら中途半端にダメージ負った機体で着陸するのがリスキー&爆撃コースの海面上飛行艇が常に巡回してるからかえって飛べる機体でも乗り捨てて海面に着水した方が安全だからバンバン高価なB29機体乗り捨てて脱出する様な事は横行しないでしょ()
本当に無敵なB‐29だったら、ゼロ戦に乗って私達国民達の為に死を覚悟して戦ってくれた日本軍に感謝です。
このことは、戦争を経験していない私でも戦ってくれた方々の事を忘れません!
戦時中両親に黙って、屋根に上りB29の梯団を見ました。大地を圧する如くの見事な編隊と金属美でした。
本当に無敵じゃないから感謝してないんだな
生家は福岡県築城基地仲津村でした今でも基地の7割は仲津村です。生家は納屋、蚕小屋が兵舎に提供されていました。1945/08/07に艦載機で兵舎の家だけが全焼しました。共産党の密告によるものでした。日共は1991年までソ連から革命資金を貰いながら、野坂参三個人でしただそうです。
と同時に美化するのではなく
実態を受け入れて
いかに当時の日本と日本人が馬鹿で無能な猿だったか
を認める事も大事
@@RT-qq3jj
コミンテルンの工作や密告以前に
野坂はコミンテルンルートで既に日本が負ける事を知っていましたからね。
ちなみに創価学会初代会長牧口常三郎先生や出口和仁三郎氏も
この戦争に勝ち目は無い。それどころか日本は滅亡して消滅する
とまで言い切って死んでいきましたからね。
牧口常三郎先生は神道に屈した宗門に絶望して
日蓮正宗衆徒からの離脱
を言ってましたので
旧統一教会に屈服した公明党を見たら
邪宗に屈した公明党は切り捨てる!創価学会も解散させて俺は共産党に入れる
と言い切っているでしょうね。
祖父が茨城で本土防空部隊のレーダー員をしていました。祖父がこの戦果の一翼を担っていたと思うと本当に誇らしいです。
この国を守ってくれた人々に感謝と共に何があっても この日本を永遠に守り抜きます。
欧米の技術は世界一🎉
当時の技術力からしたら雲泥の性能差があったB-29を相手に、首都の上空でさえ敵機の3割ほどの機数しか迎撃に上げることしかできないほど疲弊していたのか。。。その中で必死に戦ってくれた人たちがいたことを忘れてはいけない。いまの平和がこの人たちのおかげで成り立っていることに感謝。
占領すると、男を幽閉し、ミンジョク浄化を図ったスターリン、図るSK書記です。マリウポリの降伏兵2000名行へ不明だそうです。
その雲泥の技術力の差を知ってたはずなのに、なぜ戦争をしたのか。
@@niko3263
知っているのと理解しているのは別だからね。
@@niko3263なぜそんなことすら調べないのか。東條などの当時の上層部はみんな勝てる戦とは思ってなかったと手記に記してるが、石油禁輸をされたから一か八かで戦うしか無かった。みんな絶望的な戦だって理解した上でやるしかなかった。石油が切れたら戦争すらもできず無条件降伏なわけだし、餓死するか戦うかしか選択肢がなかった。
秋田県人です。終戦後間もなくに、秋田県男鹿半島で、B29が墜落事故を起こし尾部機銃座員1名以外死亡奇跡的に生存した機銃員が、地元住民に救出保護されアメリカに帰国し後に、救出してくれた地元住民と再会した話しをご存知でしょうか。
戦後に捕虜になった米兵が虐待されたとかいう記事もりました。
空襲が始まった頃はまだ米国も軍事施設を標的にしていました。その頃の撃墜された米軍機の捕虜は手厚く保護されていたそうです。
それが民間施設や街を標的にした無差別爆撃以後は捕虜となった米兵の扱いは民間人の間でも苛烈になったと聞きます。
軍同士の戦闘であれば戦争だから軍人は命令に従うしかないからと米兵を憎む気持ちが少なかったらしいです。
ですが街や民間施設が攻撃対象になれば話は違います。国同士、軍人だからという割り切りはできなくなり当然捕虜に対する扱いも
民衆の間でも変わっていったのは当然かも知れません。
まあ米兵の間には敵兵(日本兵など)の頭骸骨を土産にするくらいの民度でしたから果たして彼らのメンタリティーは先進国と言えたのだろうか。
頭蓋骨の件はググれます(はだしのゲンにも描かれてますね)。
良いお話、ありがとうございます。
さて、奈良県の吉野でも墜落したB29がありました。当時50歳ぐらいの地元民で予備役将校だった私の祖父が生存者の逮捕に向かったそうです。自宅に帰ってから、「持ち物検査の時に家族の写真があった。目隠しをされて連れていかれた」とうなだれていたそうです。その頃は、空襲後、大阪の方を見たら空が真っ赤に染まるほどだったそうです。でも、これはこれで、気持ち的にはまた別の気持ちもあったようです。
@@kuzurac 頭蓋骨て…プレデターか
@@くにに
当時の米軍の残虐行為はあまり知られていないだけで結構ある。
ヘミングウェイが書いた内容ではすでに戦闘行為が出来ない日本兵への機銃掃射だったり。
教化した食人習慣のある民族に日本兵なら喰ってもいいと言って襲わせていたり、まあいろいろね。
ノルマンディ上陸戦後の米兵が街中で女食い散らかしてたというのもある。当然合意などしているはずもないが。
そういうスネ傷だらけのくせに自分たちが正義だという傲慢さが米国という国の側面でもある。
米国は移民国家だから国民をまとめるためにはわかりやすいスローガンが必要とされている。
それがアメリカの正義ということ。
アメリカの利益こそが正義だから自分たちで作った法も自分たちの利益のために捻じ曲げるのは帝国主義と何ら変わらない。
あっちこっちで紛争や戦争に首を突っ込むのもそういうところから来ている。
@@kuzurac さま
ダンピールでは輸送船が沈んで、海面を漂う兵を、戦闘機が毎日飛んで来て、丁寧に撃ち○していました。
僕はある時、日本で言えばブックオフの様な所で"B29日本爆撃30回の実録、実は米兵もギリギリだった"と言う、チェスター・マーシャル氏の著書の日本語版を見つけました。此処、オレゴン州ポートランドは日本人が多いので日本語の古本も出てくるのです。
その本に、著者の友人、ハップ・ハローラン氏が経験した興味深い話しが載っていました。撃墜されたB29を脱出して千葉県上空に浮かんでいると、3機の日本軍の練習機に囲まれたと言います。パイロット達は笑顔で手を振って居た様な気がしたのですが、まさかと思ったそうです。所が、2機が飛び去り、最後に残った1機が近付いて来ると、そのパイロットはハローラン氏に敬礼をしたそうです。そしてハローラン氏は戦後数十年後にこの日本兵パイロットを見つけ出しお礼を言う事が出来たそうです。
読み終わり、ふと裏表紙を見ると、英語で書かれた蔵書サインが有りました。
"ハップ・ハローラン
カリフォルニア州、メンローパーク"
よくここまで調べられた。また、解説も数字をもとに 大変理解できました。ありがとうございます。今後の御活躍を祈っております。
すばらしい動画をありがとうございます! B29の損失数は聞いたことがあるのですが、こちらの動画で日本軍がどのように戦ったのか詳しく知ることができました。動画最後のコメント(16:25~)がとてもよかったです!その通りだと思います。
自分の祖父が関わっていたレーダーがB29迎撃に大活躍していたのに感動!
素晴らしい動画をありがとうございます。
日本の通信設備はどう贔屓目に見ても欧米より10年は遅れていて
太平洋戦争末期日本は通信線がやられて部隊が孤立して各個撃破されて文字通りしらみ潰しに殺される一方
アメリカ陸軍や海兵隊は携帯無線機を持っていて、敵襲を喰らったらすぐ上空の戦闘爆撃機隊に連絡して敵を100倍返し
ですからね。
一応日本にも八木アンテナやマグネトロン真空管
と言ったレーダー開発に必要な基本技術「だけ」は一応あったのですが
それを組み合わせてまとめ上げる総合デザイナー的な人間が全くおらず、これが日本のレーダー開発が失敗し、更に「レーダーの様なオモチャ」しか作れなかった原因です。
更に運用面でもダメダメで、ドイツみたいに地下に広域防空センター作ってリアルタイムで戦闘機隊を機動的に運用する事の初歩さえ出来てませんからね。
命懸けで日本の空を護ってくださった防空戦闘隊のパイロットの方々には心より感謝の念でいっぱいです!
誰が悪いとか関係なく、
なんか襲来した米軍爆撃機を日本軍が察知し、迎撃に飛び立つというのが胸熱展開すぎる。
陸軍パイロットだった祖父に「性能で劣る戦闘機で出撃する際は無力感とか絶望感がありましたか?」と尋ねたら「そんな風に思った事は一度も無かった・・・。自分が行かねば誰が行く?という使命感と闘志しかなかったよ。」と答えてくれました。
大型機になればなるほど翼の損傷は洒落にならなくなるからなぁ…
特に翼が大きいB-29などは損傷して強度が下がってると折れやすい。
燃料もギリギリだからその場では墜落しなくても
早々に諦めつけて潜水艦のお世話になるケースも…
@@呑龍ハルカ ああ見えてエンジンの信頼性も低くて
大型機ゆえの鈍重さと巨大な翼もバランスを一旦崩すとバランス保つのに手一杯どころか必死で維持し続ける様なヤバさが…
着水できれば良い方で一旦バランス崩したら脱出できるのを祈るレベル
@@norapon9535
当時稼働率30%だから
動画の数が出せるギリギリだったという事実
A10サンダーボルトが大好きです。烏に10機供与するとプーチンは核に手を出す。
@@norapon9535 様 ですよね 機体が回転し出すと壁に押し付けられて脱出もままならんとか(^o^;) B29搭乗員、戦死約3000人、は 述べ3万機で たったそれだけ ❗️とか言う反日輩が 命を大事にしない神風は数千人も❗️日本けしからん❗とか 言うやつこそ 命を大事に思ってないのかもですね。
防空戦闘に関し、レーダーサイトを構築して迎撃に備えていたとは知りませんでした。
旧日本軍も奮闘していたのですね。
今の平和も先人たちのお陰だと思います。
本土手前の島々に部隊を配置し目と耳で早期警戒していたのが事実じゃない?トラック諸島にしても反応できず
30分程度で制空権とられとるし
@@キツネリス-x4g
ド素人め、セルモーターのない日本機がエンジン回るまで
どれだけ必要だと思ってんのw(その分重量は軽い)
センチ波が間に合わなかったのも事実ではある
レーダーサイトを構築するくらいで称賛されるのか…
機体自体にレーダー装備し夜間でもレーダーで地形を把握して爆弾を投下していたB29はどんな評価を下せば良いのか。
確か徴用した民間船も通報による早期警戒網として活用されていたような。
さすがに何も手を打たない軍ではなかったと思います。
@@yoshihiko3234
真空管しかなかった当時のアメリカが合成開口レーダーを装備してたとは知らなかったよw
国の為に祖国を出て敵地に行ってハイリスクの爆撃をしたB29の乗組員もそれを国民を守る為に国土を守るためにB29の迎撃を行った日本兵もみんな国のために戦ったのだ。彼らは皆英雄だ。
@@jkmmjk3407 負けたからと言ってお前みたいに何言われても仕方ないと思うのも異常
666聖書のなかに666があるけど、、、1つ6が多いか⁉️
英雄には変わりねえわw
レーダーの元になった八木アンテナは日本人が発明したのに、日本軍はその重要性に気付かなかった・・・。文系偏差値馬鹿が威張っていたのは今も昔も同じ。頑張った技術者や、パイロット達に感謝。
陸軍は対空レーダーの開発に熱心だったが海軍は夜戦を重視していたから自ら電波を出すレーダーに対し「闇夜の提灯」と
嗤って嫌がり開発の妨害すらした。
レーダーに関しては軽視して居た様ですね。理由は電波を出す等、こちらの位置を知らせているようなものと無線電波と同じ様に考えて居た様です。
シンガポール陥落後、イギリス軍のレーダーを鹵獲した日本軍はアンテナに貼られていた表示版のYAGIの文字を(ヤジ)と読んでイギリス軍を尋問したところ
貴方の国の科学者だと言われ驚愕したと言われます。
その後研究が進み日本でもレーダーが造られる様に成って行きますが優秀な真空管が
中々造れず製作は難航したそうです。
まず、採用できたとしてもそれに見合う真空管がない。
6J6を大量生産に見合うよう製造法を簡素化して誰でも作れるようにしたソラという真空管はあったけど
それでは八木宇田アンテナは宝の持ち腐れにしかならない。(大量生産に見合うように改造する技術力と努力は凄いのだが、6BX6や6AK5はなかった)
もう真空管のピンすら廃止(VT信管に入っていたのは金属コートされたサブミニチュア管)できてたアメリカとの違いってそこだと思う。
たとえ重要性に気づいてたとしてもその後の開発の難航と挫折見れば技術的に無理なのは明白
先行してた米英でさえ軍事用には不向きって評価だからね戦時中は
それに文系偏差値馬鹿だなんだ書いてるけど他の人も書いてるようにどちらかといえば理系重視の海軍のほうがレーダーへの理解が浅い
これは通信や暗号機なんかも同じで重要な局面で海軍が失敗する要因になってますね
鳩山総理みたいな理系が好きってこと?今はむしろ謎にテレビを薄型にすることに固執して中国や韓国企業にあっさりとテレビのシェアを奪われたり、東芝しかりシャープしかり技術はあるのに使い所を間違えて凋落してる企業ばっかだし、理系より経営者の文系脳が足りてない気がするけどね。理系だろうが文系だろうがバカはバカだし、そもそも理系や文系のどちらかの知識しかない時点で上に立つべき人材じゃない。
「日本を守りたい」。この気持ちだけで戦った我々の誇れる先輩方がいた事実が分かり始めたことに感動しかありません。一部の馬鹿げた低能軍部も知ってますが、我々が恥じる必要が無い事実もまた知っておきたいです。
13:43 愛機に対して礼をするのは如何にも日本人らしい
醜翼 B29に対して我が防空隊はかなり善戦した事は何故かあまり知られていませんね。技術力と物量で圧倒的に劣勢な中でこれだけの損害を与えた方々の努力に感謝します。
@@akibanokitune ただ、本来の性能通りの高度から爆撃したら命中率が激悪で成果が出せなかった。
仕方ないので攻撃目標を変えて、点ではなく面で爆撃する夜間無差別絨毯爆撃に変更された。
その結果、人類史上稀にみる正規軍による無差別大量虐殺がおこなわれたわけ。(おそらく、1時間あたりの虐殺能力ではギネス認定は間違いない。)
B29は戦略爆撃という極めて稚拙な用兵思想に基づき開発され、当初の目的では使えず、人道的に問題を残す運用しかできなかった。当時の技術力ではまともに使いこなせる兵器ではなかった。核兵器を搭載するまでは。
そのため、戦後は5大国を除き戦略爆撃機は運用されず、米国ですら50年前に開発されたB52を未だに使いつづけている。極めて費用対効果の悪い兵器だった。
瞑目
圧倒的に差があったと子供に教えるのはワンチャン勝てんじゃね?戦争やっちまえ!みたいな人を出にくくするためなのかなとか思ったりさします、!
@@cuibapsano1043 人道的に問題のない爆撃があるの?
@@awizcd6472 軍事施設を攻撃するのは戦争として当然だけど、当時の爆撃は武器のない民間人(ゲリラ兵ですらない)を数十万人殺したのが問題点。ナチスのユダヤ人を絶滅させようとしていたホロコーストは散々叩かれているけど、実はアメリカも同様に日本人をほぼ絶滅させようとしていた(ダウンフォール作戦等)。ナチスがあそこまで忌避されているのに同じく大勢の民間人を虐殺したこの作戦が黙認されるのは明らかにおかしい。そもそも戦争は軍人同士が行うもので民間人を殺すのは戦争犯罪でしかないのに、この案件はその規模が尋常ではない。(どうしてアメリカは批判されないのだろうか)
@@そすんさー-w7c 軍隊が活動するためには様々なものが必要。軍事物資、燃料、食料、軍人の給料など。これらを生産しているのは民間人。
軍隊を支えているのは民間人。だから民間人を攻撃するのは当然。補給部隊を攻撃するのと同じ。
落っことしても落っことしてもそれを補充しまくるアメリカの国力こそが無敵なんだよなぁ…恐るべし
兵站が最も重要だということですね。
B29が一つ飛行するのに使用する、零戦数千飛ぶ燃料が同じ。異世界から攻められてるレベル、本来なら戦いにもならない差がある。
頑張って落としてたけど、終戦近くだとB29.30分で組み立て出来たので、落とされるとすぐ作って補充してた。
旧日本軍のレーダー基地についてわかりやすい解説大変ありがたいです。そのノウハウは自衛隊の監視能力で発揮されているんですね。工場狙われるのは仕方ないことだが、民間無差別は国際法違反行為で絶対に許してはならない!そんな卑劣な攻撃から命がけで守ろうとした英雄達に感謝を!
当時の国際法は、今とは違うと思いますよ。
ま、今の国際法についてもよくわかりませんけど。
戦争なんて、勝てばなんでもいいと思うんですけど。
国際法ですか?そんなくだらないもの守らなくていいから、国を守ってほしいですよね。
国際ルールなんか守って国が滅ぶんですかね?
日本より北朝鮮のほうが何千倍もまともな国ですよ。
核兵器だろうがなんだろうが、自分達を守れればいいと思うんです。
くだらないルール守っても滅んだら単なるアホですよね。
米軍が八幡製鉄所から住宅目標としたのは、サンパンのバンザイクリフ、ベリュリュー島の抵抗で、日本国民皆兵士とした。日本も南京城占領時、北京語しか喋れない便衣服兵を裁判の上処分しました。軍人が軍服捨てたら、ジュネーブ条約保護外、スパイと見做されます。
国を護るために闘った先人たちに感謝。
私の祖父(平成直前に逝去)は昭和初期 大陸に砲兵で初陣(38式野砲)。
その後、入退営を繰り返して終戦前に大森の高射砲部隊に配属されたそうです。
地元住民からは「兵隊さん 兵隊さん!」と大変尊敬されたそうです。が、いざ空襲の時に攻撃しても当たらない・堕ちない。その後は、「さすが『後』射砲」と少し蔑まれたそうです。
その話しが常識と受け止めていた自分には、この動画は少し胸のすく気持にさせてくれました。
ありがとうございます。
墜落したB29を見に行った青年が、精巧な部品の数々に感動し、その後カシオの創業メンバーになるという話を聞いたことあります。
アメリカの国力・工業力の圧倒的差を知るには、出撃機数(回数)に対して撃墜された機数(率)も重要かと思います。
動画投稿者は意図的にいろいろと日本にとって不都合なところを無視しているよね
B-29喪失の理由で最も多かったのはエンジントラブルと燃料切れですね。損失機450機のすべてが被撃墜というわけではありません。本土に墜落した機体は120機です。
480機のうち、日本が「撃墜」できたのはどれくらいなのか?日米の生産能力、戦力の差から考えてどれほどの損害だったのか知りたいです。
@@Aaaaaaabske23
チャンネル名を出すのはあれだからB29って調べてサムネが炎上してるB29のゆっくり解説で細かく説明されてるよ
それを知識としてる方が……………(゜ロ゜)
@@日下おーじ 参考程度にはなるんとちゃう?
@@日下おーじ 素人が調べあげたのを動画にしてんだから、鵜呑みには出来かねるけど、参考にはなりますよ?
今は、ある程度ネットで調べ上げられますし、そんなコメントするなら正確なとこをご自身で、とことん調査したらど~ですか?
坂井三郎さんの自伝で、B29を何機か撃墜したのは知ってた。余りにも機体が大きく、日本側パイロットは勘違いして離れた所から撃ってた。しかし、B29のボディーは頑丈で有り、内側には分厚いゴムが設置されて中々撃墜出来なかった。充分に至近まで近付かないと駄目だったそうです。
戦人たちの思いも込めてこれからも日本を守っていきたいですね。
私の恩師は戦時中レーダー照準の高射砲を研究していたと退職祝いの席で語ってくれた。
八幡空襲の時学生の高射砲部隊が直上空を通る敵機だけを打てと訓練されていてそこの進路だけは空襲を免れたと古老に聞いたことがある。迎撃機の戦果かもしれないが。
当時を知っている人と今の戦後教育を受けた人の考えはまったく違う。当時の一般人がどう思っていたのかは知る必要がある。
最後の一言に共感しました。
命を散らして逝った先人への敬意は忘れてはならない。どんな思いで体も命も張って大切なものを守ったか、ということに思いを馳せることをやって欲しいです。
アメリカと まっすぐ向かい合って最後まで戦ったのは日本だけ だから、日本人は誇りをもって堂々と生きるべき!
そして、国の為に命をかけて戦ってくれた祖父達に心から感謝!
今を生きる自分たちは、また国難が起きた時には 同じように、家族や仲間、守るべきものの為に戦うだけ!
人は最後には死ぬんだから、生き様が本当に大事だと思う!
レーダーで探知する以前にB29がサイパン島を発進するときに行う各機への点呼無線を日本軍は傍受していて、その時点で迎撃の準備を始めたと聞いたことがあります。
B29をレーダーで探知してから日本本土へはすぐに到達してしまうので、そうしないと迎撃が間に合わないそうです。
原爆を落とした部隊は 特殊なコールサインであったので 何か特殊なことをする部隊じゃないか? までは掴んでいたようですね
こういう動画を、待ってました!素晴らしい。
命をかけて戦ってくれた方々に感謝です!
「B-29は軍艦と同じように考えるべきである」…今となっては、B-2スピリットが「(前世紀の)航空母艦が艦隊主力となる前の、戦艦」に限りなく近い存在となった
素晴らしいまとめを有難うございます。おっしゃるように教科書で子供たちに教えるべき歴史だと思います。また仮に教科書に掲載されなくても何らかの形でこの国の将来を担う人々に知ってほしいと思います。
B29の損失率20%(出撃数比だと2.2%)、GPSの前身のLORANあり、弾道補正計算装置あり、与圧あり、レーダーで夜間でも地形把握(灯火管制無効化)
零戦の損失率85%以上、戦争中期以降はまともに戦えず、統帥の邪道たる体当たり攻撃にて、戦史に「必死隊」刻む。
幼少期の頃、スミソニアン博物館で、鹵獲された零戦とエノラゲイ(B29)が隣同士の部屋で展示されているのを見たが、B29に比べると零戦がオモチャにしか見えなかった。
無謀な戦争をしたんだなと子供ながらに感じた。
@@yoshihiko3234 損失率は分母が多いと低くなるんであんま参考にしない方が良いですよ
ガンダムと同じで物量の多い連邦軍には敵わなかった。ジオンのモデルはドイツで日本では無いが富野さんはこういう事を言いたかったのだろうと思う。
日本軍もB29相手に結構奮戦してたんですね。
ただ、ドイツ軍もP51が護衛に付くようになると迎撃が困難になり、自軍の被害が増え敗色が濃くなったらしいです。
P51は戦闘機として、航続距離、速度、運動性能のどれをとっても、優秀な機体だったんですね。
運動性能はゼロ戦のほうが勝っていたようですがいかんせん装甲が硬かったP51
@@ダンドレジーラウール
どちらかというと高高度性能の差ですね。P-51はP-47などとくらべると装甲はそれほどでもなく液冷エンジンのため被弾にも弱い機体です。機械式過給機(スーパーチャージャー)よりも効率の良い排気タービン式過給機(ターボチャージャー)を装備していたため、日本機が息切れをおこす高高度でも高速で動き回れたのです
@@コメントマン-g1n ドイツも日本も追いつけ無かった高高度の性能差。やっぱり、そこは大きいですね。
そのうえガソリンの精製が悪い、オクタン価の低い燃料では尚更、性能差がますます開くばかり。
技術的にも、物資にも貧弱さが否めない日本が惨め。
トータルでの国力差が戦局を決めますね。
@@コメントマン-g1n P51はスーパーチャージャー装着エンジンの航空機でした。設計上のバランスが良かったのと、機体の大きさに対するエンジン出力が十分あったから高空性能が高かったのです。
@@伊達孔明 確かにP-51は二段二速式のスーパーチャージャー搭載機でした。他の機体や大型爆撃機と混合して覚え間違っていたみたいです。ご指摘ありがとうございました
めちゃくちゃ知れてよかったです!毎回楽しみにしてるので次回も楽しみです!
B-29は高高度飛行の為に機内に与圧掛けてたのも喪失の原因となっております。
その区画に穴が空いた場合風船のような破裂をしてしまうので。
この教訓から現在でも戦闘機等の戦闘の矢面に立つ航空機は与圧は掛けていません。
b29は後継機から完全不採用となったマグネシウム合金や与圧室と色々とヤラカシてはいる。高高度の為の装備を色々と備えたのに、ジェット気流の影響でその試みが仇となって低高度爆撃に切り替えたね。この失敗のせいで日本の軍需工場が壊滅したのは1945年8月になった。ヒィリピン航空決戦や沖縄特攻作戦をアメリカは防ぐ事が出来なかった。まあ時間はかかっても目的は達成できたわけだけど。
@@lako6875 日本語でおk
戦闘機も与圧は掛けてるよ、旅客機みたいにパンパンにはしてないけどね。
ああ負圧状態になってるとそれはそれで危険なのか、
被弾したり脱出する時に今度は機内に破片が吸い込まれてしまうもんね。
@@electricalmachine6660 そもそも航空機組み立て場以外の軍需工場はさほど狙われていません。堺市にはアルミ製航空機部材、弾火薬、薬莢及び潜水艦用冷房機の工場がありましたが一切目標となっていませんでした。大阪砲兵工廠が終戦直前に空襲を受けたのは「水圧利用機械」という情報の為で、米国は油圧機器を利用することは出来たのですが水圧利用機器は利用できないと評価されたのです。日本の工場の徹底破壊されなかったのは某将軍がアジアの国(当然フィリピンのこと)へ移転するとして爆撃させなかったからです。
敵味方を問わず祖国の為に、そして愛する人や故郷の為に戦って散っていった勇敢な兵士達に哀悼の意を表します
天国では敵も味方も関係なく笑いあってて欲しいです
何処の国でも犠牲者は軍人を含めた国民。
平然としているのはトップの政治家
@@akibanokitune 間違いないですね、政治家たちで血を流さない勝負で決めたらいいのに思います…血を流すとしても領土を広げたいとか他の国占領したいとか言ってる政治家たちだけにして欲しいですね、
おもしろい動画でした!
485機という損失数は、生産された3970機のB29が戦時中にそれぞれ10回近く出撃した総計です
多い時には数百機単位でB29が飛んでくる爆撃が全国合計で200回近くあって、その結果が損失485機、戦死3041名です。
1回出撃したらほぼ確実に戦死の特攻と10回出撃してようやく2割損失になるかならないかのB29では比較になりません
アメリカは3041名の損失で、日本に30万人近い非戦闘員の犠牲を作りました。ほとんどゲームの世界です。
日本軍は努力はしていたのでしょうが、まっとうな防空が機能していたなどとはお世辞にも言えないです。
冷静な分析ですね。実は、親父の実家は、空襲で焼かれてます。当時の空気感のない投稿が多いのは、じだいの流れですね。でも、パイロットに関する投稿は、貴重ですね。
分かりやすく書き直すと、
日本に攻撃のために投入されたB29が、全部で3900機程度あり、
日本への爆撃での出撃で、
大都市への無差別攻撃で、(10回に届かない程度)数100機単位で出撃、
また地方都市には、せいぜい20機程度で出撃、
軍事工場にも数10機程度で出撃していた。
以上から、総出撃回数は10000回を上回る程度です。
その中で、損失=撃墜(搭乗員にとって)485機は、4%程度の損失です。
それ以外の出撃機にもかなりの機銃弾や、対空砲弾破片を受けているでしょう。
搭乗員にとっては悪夢です。出撃=25分の1のロシアンルーレットみたいなものです。
これでも通期での計算ですから、前半の1944年中の出撃は、地獄みたいなものだったでしょう。
ヨーロッパ戦線でのB24搭乗員は、25回出撃し帰還(ほぼ同じくらいの未帰還率だった)すれば
兵役免除で帰国出来ると鼓舞しないと戦意が出なかったくらい。
(だからメンフィスベルの実話があるくらいで、4%程度の損害=迎撃率 は同じです。)
この当時の日本の防空が、まっとうな防空でないとおっしゃられるならば、tossie watanabeさんの考える「何がまっとうなのか」のレベルを詳しく知りたいですね。
@@伊達孔明
私は軍事の専門家じゃありませんので「まっとうな防空」のなんたるかを説明することはできません
ただ、建前とは言え覚悟を決めた兵士の死者3000人で、相手側の国民30万人を無差別に殺せる状態を、動画のような印象論と計算のマジックで「日本軍はよく戦った。実はちゃんと防空していた」と言いきれるなら、いったい防空とは何ですか?
相手のパイロット1人を殺すためならこちらの国民100人が犠牲になっても良いというのがあなたやこの動画の作者の防空なんですか?
話題は変わりますが、メンフィスベルのような実話に基づいたアメリカ視点の戦争映画や小説は嫌いです
戦地に赴いてる間に恋人を取られるかもとか価値観が変容してしまった自分を受け入れられないとか、青臭い高校生のような話ばかり
あなたのいう当時のアメリカ人にとっての「悪夢」「地獄みたいなもの」のレベルが、当時の日本人のそれに比べて圧倒的に低いんですよ
こんな余裕しゃくしゃくの青二才どもが青春してる裏で自分につながる親類たちが阿鼻叫喚だったと思うとやるせません
@@tossiewatanabe9859 様へ。
ご意見凄くまともで読みごたえありました。戦争の悲劇は、語り尽くせないものです。
ただ、悲劇は、日本人にだけ起こっていたのではありません。ただ悲劇の重さにより、日本人は被害者ということを、海外に向けて主張してしまいます。パイロットのご主人をうしなった女性が、アメリカの人に、自分の主人はアメリカさんに殺された、といってました。でも真珠湾で今も乗組員と一緒に沈んでいるアリゾナをみて、言葉を失ってました。又、空襲を逃れて高いところからみた空襲の様子を子供ながら、綺麗だったと振り返った証言も残ってます。NHKの小野アナの祖父が、フィリピンで住民虐殺のあった作戦に参加していた事実に、もしかしたらじぶんの祖父も、と複雑な思いを語ってます。
私は、戦史に関しては、自分の都合よく切り取った意見には、絶対組みしません。大局・個人関係なく、ひとつ又ひとつと史実を拾い集めていきます。歴史が好きなので、戦史だけではないですが。ただ戦史は知れば知るほど、目を塞ぎ・耳を覆いたくなることが増えてきます。小学生時代、零戦が戦艦大和がいってた頃が良かった。これからも、真実・より真実の近くに、で歴史に向き合います。貴重な意見、読みごたえありました。又、他の投稿での意見楽しみにしてます。
夜間の東京大空襲に出撃した相当数のB-29でしたが、低空飛行と焼夷弾搭載量を増やした為に武装を外した結果迎撃に来た陸軍機に無抵抗だったそうです
アメリカが武装外すなんて、相当被害与えたかったんだね。
ですね、大量の焼夷弾であれだけの被害者が出たのでアメリカ陸軍航空隊の思惑通りだったと思います。
戦時中、渋谷の富ヶ谷に母が住んでおり、夜間空襲のB29が燃えながら墜落していくのを何度か見たと話していました。怖い体験だったようですが、不謹慎ながらとても綺麗だったとも言っていました。子供の頃に聞かされた話ですが、この動画を見て急に思い出しました。
ひょっとして、挺身女子隊のお歳では?私の彼女が挺身女子隊で松下電器、当時息子の正治が上司だった。あまり賢くなかったそうです。
ありがとうございます!
ありがとうございます!
11:29~ 低高度から人口密集地への夜間無差別爆撃…
一体どちらが「人道への罪」で裁かれるべきだったのか。
そういうと大体左側の人とかが
『重慶ガー』っていうけど…
あれ中国軍が爆撃に耐えかねて高射砲とか軍需関係を市街地に移転させたのが原因とかいう話もあるらしいですね…。
@@まる-s3o
いや、米軍と同じ事情で軍事目標への精密爆撃が効果が薄いので、
市街地無差別絨毯爆撃に切り替えた。
「人道への罪」と言われればどちらもです。
ありがとうございます、ご多分に漏れず自身も日本はB-29による空襲にても足も出なかったと思っていた一人です。
今回の動画により、当時の日本もアメリカに勝つことは出来ないまでも精一杯足掻き抵抗し、そしてそれが蟷螂の斧に過ぎなかった訳ではないということを知ることが出来ました。
ましてや、当時、あれだけのレーダー防空網を敷けていたとは驚嘆の限りです。
残念ながら日本のレーダー防空網は英国やドイツと比べるとかなり低レベルです。そもそも日本軍の本土防空に対する姿勢が他国と比べて相当低かったので。
思った以上に被害出てたから、オレも驚きました。 レーダーも実用化してた事に驚き。
B29の搭乗員の慰霊碑の費用を
一般市民がお金を出し合って建てたという
話も忘れてはならない事実です👊🥺
亡くなった叔父の話では、軍需工場の休みの日に(当時14歳)、淀川河口で、B29の編隊に遭遇し、六甲山からの高射砲射撃でB29が撃墜されるのを見て、みんなで手を叩いて喜んだそうです。地上からの射撃はなかなか当たらないが、六甲山からの射撃が良く命中したそうです。大阪では民家は木造のため焼夷弾で焼けてしまい、港区から大阪駅が見えたそうです。
その先人達の後を継いで仕事をしていた事を誇りに思う。(元航空自衛官)