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もしも特急北アルプスが存続できていたら中部国際空港発着になっていたかも
あわよくばひだみたく新型車両も出ていたかもですね。
間合い運用として常滑までは行っていたらしいのですよね…時代が時代ならもしかして?
それはない、東海北陸道が出来た今は バスのほうが確実に安く おそらく速いそういう高速バスも 名古屋BC発着しかないけど
あるかも
セントレアに関して色んな意見が聞けて嬉しい
中学の時に富山地鉄内だけ何度か乗りました。富山地鉄で切符を買うと「乗り場は国鉄ホームへ行って下さい!」と 地鉄駅員が国鉄富山駅ホームへ誘導してました。
北アルプス号を知ったのは故西村京太郎先生のトラベルミステリー「特急北アルプス殺人事件」を読んでからで、今でもこの本を持っていてたまに読みますが、このアリバイトリックが迷要素満載でそんなありえないでしょと思わせてくれるアリバイトリックなので結構面白かったりします。一度乗ってみたかったですね。
お疲れ様です。8000系は間合い運用で名古屋→津島の1日0.5本の特急がありました。たまに使っていたことを思い出しました。新名古屋駅をディーゼルの排気煙もうもうとして出発するのが鉄オタとしてはニンマリとしていたものです。
他にも神宮前→新鵜沼、新名古屋→豊橋の間合運用もありました。小ぶりな18mがメインの名鉄に対し国鉄規格の20m車が7両で狭いホームをギリギリまで使って滑り込む姿は圧巻の一言でした。
南海の直通急行「きのくに」みたいな流れで廃止になったのですね。モータリゼーション著しい中京圏で、21世紀初年まで残ったのは。むしろ大健闘といえるのかもしれません。
北アルプスは当初は指定券が地元でしか買えない□マークがついてましたね
12歳最後の夏に名古屋に初めて行き、名鉄車両を見ました。キハ8000はもちろん、パノラマカー、主力の車両も見る事ができたのは今でも覚えてます。瀬戸線が近かったので毎日見に行きたまに来る貨物列車に驚きました。北アルプス、ひだ、立山等懐かしい列車が国鉄線と私鉄線に乗入れる良き時代でした。キハ8000が路面軌道を走る所は写真でしか見る事がなかったですが、国鉄と相互乗入れしていたのは意外と多かったと記憶してます。
使用車両そのままに、準急→急行→特急へと格上げされた唯一の例が、名鉄キハ8000型気動車です。
準急・急行時代の8000・8200系は国鉄準急・急行の55系・58系がボックスシートで一等車ですら非冷房だったのに対し冷房、転換クロスシートと豪華な設備を持っていた。当時、母の実家に行くのにのりくらを利用していたが下車駅の白川口で上りたかやまが対向待ちをしていて幼かった私は何たる豪華な!と瞠目しそれを眺めるのが楽しみだったな。58系もまだ新しかったのに8000系はまさに掃き溜めに鶴と言った印象だった。
急行時代の「たかやま」に乗った事があります。途中駅で交換した急行(おそらく『のりくら』)がキハ55だったと記憶しています。車内設備がこっちの方が上なのに、同じ「急行」?と思いました。😮
高山本線。他社車両が乗り入れた輝かしい時代がありましたね富山地鉄まで乗り入れしていた状況は、もう体験できないのでしょうか
キハ8200の転換クロスシートは、すっごく楽でした!
キハ8200は「豊橋」駅で見ることのできた貴重な特急型気動車でした(他には二俣線から直通のキハ17くらいしか気動車は入線しなかった)。朝7時10分頃発の「知立」通過の「新名古屋」行。当時、自分は「知立」から三河線に乗り換えて通学していたため、利用することが出来ませんでした。
知立駅通過は東岡崎で既に満席状態で、乗降させる意味が無いからだったのです。因みに当時のダイヤでは名古屋方面の特急、その30 分後の蒲郡始発の6両の特急も同様の理由で知立駅通過でした。休日の豊橋駅発着8000系特急は停車していた記憶があります。
キハ8000には1等車もあったね、等級制度廃止で超短期間グリーン車になったけど即格下げで。
今もあれば名鉄版のHC85系が走ってたのかなぁ
見たかったですね。
意外にJR東海と名鉄は仲いい。まるで青春のようだ。
4:11子供の頃の📖で見た時、何か違和感が有った車輌だった。
北アルプスがまだ残っていたら所要時間が早くなり運賃も安くなっているのに廃止はなんかもったいない気がしました。東海北陸道は強敵ですね。
後年行われたひだとの併結が逆に停車時間の増加、ひいては表定速度の低下を招きバスとの差を広げる原因になってしまった印象が、JR側からダイヤや賃金計算が面倒でひだの邪魔になったり貨物が無くなって経費的に鵜沼直通線設備を維持したくないと言う理由も重なったかも。
☆ 4:04「ひだ」ってキハ55の準急時代からあった由緒ある名称なんだなぁ(Wikipedia:高山本線では1958年3月よりキハ55系による準急「ひだ」が名古屋 - 富山間で運行を開始し、「日光」に次ぐ2番目のキハ55系準急となった)。
キハ8000系北アルプス車両で平日早朝に新名古屋~豊橋間往復と夜間に新名古屋~津島間(こちらは、片道だったと思う)の間合い仕様があった事を思い出しました。懐かしいです。
確か初期の名称は連絡準急(急行)だったかな? 走行性能はキハ58だから 名鉄線内でのスジは苦労したみたいですね。実際電Goでもちっとも加速しなかったものなぁ。
2:45 750形は仲間が名岐→瀬戸線→揖斐・谷汲線と転用されて、最後に末端区間での区間運用として単行で活躍したが同線廃止と共に運命を共にした。その仲間は谷汲駅跡にて保存。
仲間と言うより当時の車両が残っていて谷汲線と運命を共にしたけどその最終日が北アルプスの最終日でもあったと言う偶然。
名鉄名古屋(当時、新名古屋)駅は地下駅。北アルプス号はディーゼル車なので、さぞや煙たかったろう。ディーゼル車の排ガスは耐えられんからね💦
キハ85という化け物気動車が北アルプスの運命を決めてしまった。高山本線には電化計画もあったので、電化されていれば名鉄1000系を使用出来たのになぁ…
そんなキハ85も過去帳入りになりました…
電化された場合振り子車両の383系が投入された可能性もあるので結局名鉄には不利だったかと。
@@eagle404s電化計画は80年代初頭なので実現していた場合381系だったでしょう。ブルーリボン賞を受賞した名車8800系投入という手があったかもしれませんよ。383系は後年にローレル賞を受賞してますがローレル賞よりブルーリボン賞の方が格上ですから。
@@レールスターひかり おもてなしで決まる賞など意味無し😂😂😂
キハ8500がフィリピンで活躍してるのは不思議な感じです
マレーシア(ボルネオ)のサバ州立鉄道ですよ
西村京太郎氏の作品にも登場した迷列車
北アルプス号が名鉄名古屋駅(新名古屋駅)へ乗り込んだ物だから地下にある名鉄名古屋駅は気動車だから駅の天井が煤で真っ黒になってしまった😭
追伸。1980年代は新名古屋駅の換気設備は十分で無く、北アルプス発車直後は隣の近鉄名古屋駅ホームまで排ガス臭してました。😅
新名古屋駅構内は地下にあり排気をやる環境じゃなかったから気動車の排煙で天井などが煤で真っ黒になってしまった
でも、キハ8500系導入後には改善されたという声もありますが。
西村京太郎の「特急「北アルプス」殺人事件」で彼女は特急「アルプス」に乗っていたと言っていたが、実は特急「ひだ6号」に乗っていたと彼女は言った。
立山まで5時間半なら、結構速い気がする。
名鉄は8000系を国鉄に急行りんどうとして貸し出す気前の良さ。
8000系気動車は、幅が狭く、しかもジクバネがコイルバネで1976年10月改正では特急化されてからは利用率が落ちてきていた。
軸バネだけではなくて、肝心の枕バネもコイルバネでした!
8000系を国鉄が借りて臨時夜行急行に使ったり、7000系パノラマカーのDC版も計画されていたようです
北アルプスと特急ひだの連結もあったのになぁ
またJR直通できるなら豊橋から飯田線に行けるくらいか...?
そしてキハ8500系は新しい労働力としてカリマンタン島へ送られた。
BGMは、もっと脇役でいい。
ええと、気動車が名鉄名古屋駅に停車してたってことですよね… 客から苦情でなかったんだろうか?
5:07お局。
特急北アルプス…新名古屋で乗らない客にとって最悪の列車ですね。あの列車が入線・出発するたびに目をチカチカさせて、口を手で覆ってました。あの狭い地下駅にディーゼル特急走らせるのは土台無茶なんですよ。新名古屋駅の他の名鉄利用客には嫌われてましたね。私も高山方面に行くときは「のりくら」か「ひだ」を使ってました。名鉄もよく2000年代まで使ってましたよ。カオスなトンネル排ガス列車ですよ😢。
もしも特急北アルプスが存続できていたら中部国際空港発着になっていたかも
あわよくばひだみたく新型車両も出ていたかもですね。
間合い運用として常滑までは行っていたらしいのですよね…
時代が時代ならもしかして?
それはない、東海北陸道が出来た今は バスのほうが確実に安く おそらく速い
そういう高速バスも 名古屋BC発着しかないけど
あるかも
セントレアに関して色んな意見が聞けて嬉しい
中学の時に富山地鉄内だけ何度か乗りました。
富山地鉄で切符を買うと「乗り場は国鉄ホームへ行って下さい!」と 地鉄駅員が国鉄富山駅ホームへ誘導してました。
北アルプス号を知ったのは故西村京太郎先生のトラベルミステリー「特急北アルプス殺人事件」を読んでからで、今でもこの本を持っていてたまに読みますが、このアリバイトリックが迷要素満載でそんなありえないでしょと思わせてくれるアリバイトリックなので結構面白かったりします。
一度乗ってみたかったですね。
お疲れ様です。8000系は間合い運用で名古屋→津島の1日0.5本の特急がありました。たまに使っていたことを思い出しました。新名古屋駅をディーゼルの排気煙もうもうとして出発するのが鉄オタとしてはニンマリとしていたものです。
他にも神宮前→新鵜沼、新名古屋→豊橋の間合運用もありました。
小ぶりな18mがメインの名鉄に対し国鉄規格の20m車が7両で狭いホームをギリギリまで使って滑り込む姿は圧巻の一言でした。
南海の直通急行「きのくに」みたいな流れで廃止になったのですね。
モータリゼーション著しい中京圏で、21世紀初年まで残ったのは。むしろ
大健闘といえるのかもしれません。
北アルプスは当初は指定券が地元でしか買えない
□マークがついてましたね
12歳最後の夏に名古屋に初めて行き、名鉄車両を見ました。
キハ8000はもちろん、パノラマカー、主力の車両も見る事ができたのは今でも覚えてます。
瀬戸線が近かったので毎日見に行きたまに来る貨物列車に驚きました。
北アルプス、ひだ、立山等懐かしい列車が国鉄線と私鉄線に乗入れる良き時代でした。
キハ8000が路面軌道を走る所は写真でしか見る事がなかったですが、国鉄と相互乗入れしていたのは意外と多かったと記憶してます。
使用車両そのままに、準急→急行→特急へと格上げされた唯一の例が、名鉄キハ8000型気動車です。
準急・急行時代の8000・8200系は国鉄準急・急行の55系・58系がボックスシートで一等車ですら非冷房だったのに対し冷房、転換クロスシート
と豪華な設備を持っていた。当時、母の実家に行くのにのりくらを利用していたが下車駅の白川口で上りたかやまが対向待ちをしていて幼かった
私は何たる豪華な!と瞠目しそれを眺めるのが楽しみだったな。58系もまだ新しかったのに8000系はまさに掃き溜めに鶴と言った印象だった。
急行時代の「たかやま」に乗った事があります。途中駅で交換した急行(おそらく『のりくら』)がキハ55だったと記憶しています。車内設備がこっちの方が上なのに、同じ「急行」?と思いました。😮
高山本線。他社車両が乗り入れた輝かしい時代がありましたね
富山地鉄まで乗り入れしていた状況は、もう体験できないのでしょうか
キハ8200の転換クロスシートは、すっごく楽でした!
キハ8200は「豊橋」駅で見ることのできた貴重な特急型気動車でした(他には二俣線から直通のキハ17くらいしか気動車は入線しなかった)。
朝7時10分頃発の「知立」通過の「新名古屋」行。当時、自分は「知立」から三河線に乗り換えて通学していたため、利用することが出来ませんでした。
知立駅通過は東岡崎で既に満席状態で、乗降させる意味が無いからだったのです。因みに当時のダイヤでは名古屋方面の特急、その30 分後の蒲郡始発の6両の特急も同様の理由で知立駅通過でした。休日の豊橋駅発着8000系特急は停車していた記憶があります。
キハ8000には1等車もあったね、等級制度廃止で超短期間グリーン車になったけど即格下げで。
今もあれば名鉄版のHC85系が走ってたのかなぁ
見たかったですね。
意外にJR東海と名鉄は仲いい。まるで青春のようだ。
4:11子供の頃の📖で見た時、何か違和感が有った車輌だった。
北アルプスがまだ残っていたら所要時間が早くなり運賃も安くなっているのに廃止はなんかもったいない気がしました。東海北陸道は強敵ですね。
後年行われたひだとの併結が逆に停車時間の増加、ひいては表定速度の低下を招きバスとの差を広げる原因になってしまった印象が、
JR側からダイヤや賃金計算が面倒でひだの邪魔になったり貨物が無くなって経費的に鵜沼直通線設備を維持したくないと言う理由も重なったかも。
☆ 4:04「ひだ」ってキハ55の準急時代からあった由緒ある名称なんだなぁ(Wikipedia:高山本線では1958年3月よりキハ55系による準急「ひだ」が名古屋 - 富山間で運行を開始し、「日光」に次ぐ2番目のキハ55系準急となった)。
キハ8000系北アルプス車両で平日早朝に新名古屋~豊橋間往復と夜間に新名古屋~津島間(こちらは、片道だったと思う)の間合い仕様があった事を思い出しました。懐かしいです。
確か初期の名称は連絡準急(急行)だったかな? 走行性能はキハ58だから 名鉄線内でのスジは苦労したみたいですね。実際電Goでもちっとも加速しなかったものなぁ。
2:45 750形は仲間が名岐→瀬戸線→揖斐・谷汲線と転用されて、最後に末端区間での区間運用として単行で活躍したが同線廃止と共に運命を共にした。その仲間は谷汲駅跡にて保存。
仲間と言うより当時の車両が残っていて谷汲線と運命を共にしたけどその最終日が北アルプスの最終日でもあったと言う偶然。
名鉄名古屋(当時、新名古屋)駅は地下駅。北アルプス号はディーゼル車なので、さぞや煙たかったろう。ディーゼル車の排ガスは耐えられんからね💦
キハ85という化け物気動車が北アルプスの運命を決めてしまった。
高山本線には電化計画もあったので、電化されていれば名鉄1000系を使用出来たのになぁ…
そんなキハ85も過去帳入りになりました…
電化された場合振り子車両の383系が投入された可能性もあるので結局名鉄には不利だったかと。
@@eagle404s
電化計画は80年代初頭なので実現していた場合381系だったでしょう。ブルーリボン賞を受賞した名車8800系投入という手があったかもしれませんよ。383系は後年にローレル賞を受賞してますがローレル賞よりブルーリボン賞の方が格上ですから。
@@レールスターひかり
おもてなしで決まる賞など意味無し😂😂😂
キハ8500がフィリピンで活躍してるのは不思議な感じです
マレーシア(ボルネオ)のサバ州立鉄道ですよ
西村京太郎氏の作品にも登場した迷列車
北アルプス号が名鉄名古屋駅(新名古屋駅)へ乗り込んだ物だから地下にある名鉄名古屋駅は気動車だから駅の天井が煤で真っ黒になってしまった😭
追伸。1980年代は新名古屋駅の換気設備は十分で無く、北アルプス発車直後は隣の近鉄名古屋駅ホームまで排ガス臭してました。😅
新名古屋駅構内は地下にあり排気をやる環境じゃなかったから気動車の排煙で天井などが煤で真っ黒になってしまった
でも、キハ8500系導入後には改善されたという声もありますが。
西村京太郎の「特急「北アルプス」殺人事件」で彼女は特急「アルプス」に乗っていたと言っていたが、実は特急「ひだ6号」に乗っていたと彼女は言った。
立山まで5時間半なら、結構速い気がする。
名鉄は8000系を国鉄に急行りんどうとして貸し出す気前の良さ。
8000系気動車は、幅が狭く、しかもジクバネがコイルバネで1976年10月改正では特急化されてからは利用率が落ちてきていた。
軸バネだけではなくて、肝心の枕バネもコイルバネでした!
8000系を国鉄が借りて
臨時夜行急行に使ったり、7000系パノラマカーのDC版も計画されていたようです
北アルプスと特急ひだの連結もあったのになぁ
またJR直通できるなら豊橋から飯田線に行けるくらいか...?
そしてキハ8500系は新しい労働力としてカリマンタン島へ送られた。
BGMは、もっと脇役でいい。
ええと、気動車が名鉄名古屋駅に停車してたってことですよね… 客から苦情でなかったんだろうか?
5:07お局。
特急北アルプス…新名古屋で乗らない客にとって最悪の列車ですね。あの列車が入線・出発するたびに目をチカチカさせて、口を手で覆ってました。あの狭い地下駅にディーゼル特急走らせるのは土台無茶なんですよ。新名古屋駅の他の名鉄利用客には嫌われてましたね。私も高山方面に行くときは「のりくら」か「ひだ」を使ってました。名鉄もよく2000年代まで使ってましたよ。カオスなトンネル排ガス列車ですよ😢。