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今でも札幌ー稚内だと羽幌経由の方が早いようで高速バスはこのルートに
急行「天北」が幌延を通らないためそこを補完する目的もあったのかもしれない
あー、そう言う観点なんですかね考えもしなかったです
急行はぼろは、どちらかというと羽幌までの列車で羽幌を過ぎると空気を運ぶ列車だと当時の鉄道ジャーナルのルポに載っていました。だからはぼろ号は、羽幌線内の札幌へのビジネス列車で宗谷地方は、あてにしていなかったと思う。それに、はぼろで幌延に着いても稚内方面へは行けず幌延で一泊しなければならなかった。
つか動画内で羽幌炭鉱の廃止に言及してないことに特定の意図を感じずにはいられないあれで築別からの石炭+旅客輸送が期待できなくなったから、まだ需要のある宗谷線メインの輸送にシフトせざるを得なかったのが実情で、地元の事情もろくに知らんと時刻表だけを見て幌延いじめとかを勝手に語る方がどうかと思う
ご視聴ありがとうございます。今回は主に当時の時刻表、各市町村史を参考に動画を制作しました。羽幌炭鉱閉山により羽幌線の需要が大幅に減ったのは承知していましたが、それによる同線への影響は鈍行の本数減など量的な側面が大きく、急行はぼろの鈍足化は国鉄の羽幌線への熱意の無さが原因だと考えたため、このような動画構成となりました。しかし、直接的に関係がないとは言え、同線の重要性低下に繋がった炭鉱閉山に全く触れなかったのはご指摘のように問題だと考えているため、今後の動画制作に反映させて参ります。
末期の急行はぼろの下りにのりましたが、留萌から先ガラガラだったように記憶しています。
現在のバスのはぼろ号に乗りましたが冬場にしては珍しくずっと晴れていて、雪の利尻富士がずっと見えてて最高だったなあ
1986国鉄時代、夏休とか羽幌ー滝川行きとか10両編成の臨時海水浴列車がありました。人は10人程度、物凄い贅沢感でした。築別駅に小さい石炭ストーブがありましたな。鬼鹿、天塩栄、懐かしい腕木信号機、タブレット閉塞。
丁度特急はぼろ号に乗車する機会があるので羽幌線急行はぼろについて動画で触れてくれるのはありがたい
私が初めて羽幌線に乗った時が急行はぼろだった。始発の幌延から乗ったけど、ガラガラだった。その後同じルートを通ったのは、羽幌線廃止後で宗谷バスの特急わっかない号だった。
1970年に沿線最大級の街だった築別が文字通り消滅してしまったのが大きいんですよねえこの時点で国鉄にとっては宗谷号とはぼろ号を並行して走らせる意味を失ってしまったんですからサボタージュしてでも統合しようとした背景は理解できなくもないですし、路線自体は沿岸バスがちゃんと引き継いでいるので決して悪い話ではないんですが、宗谷線の維持が危うくなっている今から考えるともったいないことをした気が
晩年の急行はぼろ号は羽幌線を北上していくと、途中でどんどん降車していき、終点の幌延に着く時には乗客がいるほうが珍しかったと言います。
81年の夏にはぼろ号の下りに乗りました。留萌線で増毛へ行った後に留萌→幌延乗車。混雑で羽幌までデッキに立ってました。グリーン?かお座敷?の車両も組み込まれていて、意外にも?活況を呈していました。
沿線に旭川ぐらいの都市があれば羽幌線も廃止を免れて対稚内の主力輸送幹線になってたかもな
そりゃどんな場所どんな路線にも同じことが言えてしまうがな
かつての「宗谷」「オホーツク」「摩周」の併結が無くなった後の3階建急行が「大雪」「紋別」とこの「羽幌」。しかしこのパターンも「大雪」は特急「オホーツク」に格上げ、「紋別」も廃止後、路線(名寄本線)が廃止。北海道では早々に見限られたローカル線だったが、その根元というべき留萌本線も風前の灯だから現実は厳しかったのか。
炭鉱閉山や漁業衰退のため羽幌線は衰退して廃止してしまいましたね。もし高速化してたら、今も留萌線は生き残っていたかも
恐らく鉄道も同じだと思いますが、札幌から稚内までクルマで走ろうとすると、道央道〜名寄美深道路〜幌富・豊富バイパス経由よりも、北一条・雁来通〜R275〜北竜町〜R233〜留萌市〜R232経由の方が所要時間は20分程度長くなりますが、無料でカーブも少なく、夕方の日本海夕陽ラインは絶景です。休憩できる道の駅やコンビニもありますよ。初山別には温泉もあります。冬場は横風が強いので、内陸を走った方が安全ですが。羽幌町は、人口統計をインチキしてまで、市制施行しようとしてましたね。炭鉱があった頃は、3万人弱人口がありました。
元地元民ですがかなり違うのでまず、深川ー留萌はノンストップではなく石狩沼田が停車駅ですし単線なので運転停車はあります。後、豊岬と書いてとよさきと書きますが急行はぼろは止まりません。廃止何年前に遅くなったのは羽幌ー幌延間普通列車になってからですねー。後、留萌又は土日祭日は羽幌で3両ー→2両になります。当時の指定席は壁直しだけで100円から300円に最後は値上げしてましたね。古丹別出身
はぼろ号に限らず本当当時の国鉄ってやり方が汚ねえよな
朝早くから夜遅くまでハードな運用だわね。青森のはつかりか白鳥みたいな感じ。そうか、本線急行より早かったというのは今になって認識しました😊。
羽幌線自体残って欲しかったなぁ、😂
稚内の親戚の所に車で行くんだけど、札幌から330㎞(留萌廻り)東京~新潟並み、遠い!
同じ国鉄なのに片方の路線の急行を不便にして集約するとかあるのかな~?よくわからないけど、当時の国鉄は貨物列車がまだ多く残ってた時代ですから、時刻表だけではわからない対向列車待ちもあったかもしれません。
多分、稚内まで3つもルートは要らない、1つあれば十分というスタンスだったんだと思います。そうなると、旭川を通らないルートと、独立路線名がついている路線の命運は尽きたと言えるでしょうね。
繁忙期だけでも 幌延から稚内までの延長が要望された
宗谷本線経由より早く札幌に行けたのに国策により潰されてもったいない話ですね。
沿線人口が少なすぎるのに同じ目的地の路線は2本もいらないもったいなくはないなあ
国鉄は何故こう無くすようなことをするのか?乗車率は羽幌線の方が国鉄全盛期はよかった。天北線だって宗谷本線よりも乗車率が国鉄全盛期はよかった。これが国鉄の方針転換でわざわざ変えた。現在のJR北海道にも言えるでしょう!
6:51関係ないけど扇風機カバーのコカコーラ広告懐かしい。「そう、あった、あった」という感じ
ハッキリ言うと、国鉄って姑息なことして廃止にしたかったんだなって思った。今もそうか‼️
交通インフラは選択と集中した方が利用者に利益を還元できる足を引っ張る路線が多ければ安全性を担保できない乗らないのが悪い
意図的に不便にして乗客を減らそうという姑息な振る舞いは、今も昔も変わらない。
いわゆる政治的理論やね。弱い者は切り捨てるという、こういうの1番ムカつくわ❗🤬
それはしょうがない金や資源に限りがある以上人を集約した方が効率がいいのだから
違うよ鉄道を時計代わりにしたツケ乗らなくても動いて当たり前は甘え
急行用気動車(画像2)の先頭車はキハ58に見えますけど、気のせいでしたらごめんなさい_(._.)_
一日 1往復 は厳しかった😢
今は国内になきエルポヨロコが札幌駅前にある!!
3:39この地図を先に見たかった
急行はぼろ号には昔のお盆に利用して、母親の故郷である羽幌に遊びにいつて居ましたね‼️旭川から深川迄急行カムイに乗り、札幌初のはぼろ号をまつて空いている席の確保を良くしていましたね❗そうですよね、羽幌線に特別急行を走らせて居れば今も存続していたかもですよね❤️羽幌線は、国鉄によつて廃線去れたの(*´・ω・`)bよね‼️海沿いの直線は眺めが最高でしたね‼️
宗谷北線が沿線状況もボロボロなことを考えると何てことをしてくれたんだ!
北海道は海岸部より内陸のほうが発展してるから
急行はボロ…
歯ァボロボロや
札幌発札沼線の石狩沼田、留萌本線、羽幌線経由の稚内行の優等列車があればなぁ...
昔は稚内発旭川行き臨時快速もあったらしいでです。
豊岬→とよみさき✕ とよさき○読み方はしっかりしてください。地元の人は気分悪いです❗
確かにその通り後石狩沼田が停車駅でぬけてますよ!元古丹別民!急行はぽろは乗ってます。
今でも札幌ー稚内だと
羽幌経由の方が早いようで
高速バスはこのルートに
急行「天北」が幌延を通らないためそこを補完する目的もあったのかもしれない
あー、そう言う観点なんですかね
考えもしなかったです
急行はぼろは、どちらかというと羽幌までの列車で羽幌を過ぎると空気を運ぶ列車だと当時の鉄道ジャーナルのルポに載っていました。だからはぼろ号は、羽幌線内の札幌へのビジネス列車で宗谷地方は、あてにしていなかったと思う。それに、はぼろで幌延に着いても稚内方面へは行けず幌延で一泊しなければならなかった。
つか動画内で羽幌炭鉱の廃止に言及してないことに特定の意図を感じずにはいられない
あれで築別からの石炭+旅客輸送が期待できなくなったから、まだ需要のある宗谷線メインの輸送にシフトせざるを得なかったのが実情で、地元の事情もろくに知らんと時刻表だけを見て幌延いじめとかを勝手に語る方がどうかと思う
ご視聴ありがとうございます。今回は主に当時の時刻表、各市町村史を参考に動画を制作しました。羽幌炭鉱閉山により羽幌線の需要が大幅に減ったのは承知していましたが、それによる同線への影響は鈍行の本数減など量的な側面が大きく、急行はぼろの鈍足化は国鉄の羽幌線への熱意の無さが原因だと考えたため、このような動画構成となりました。しかし、直接的に関係がないとは言え、同線の重要性低下に繋がった炭鉱閉山に全く触れなかったのはご指摘のように問題だと考えているため、今後の動画制作に反映させて参ります。
末期の急行はぼろの下りにのりましたが、留萌から先ガラガラだったように記憶しています。
現在のバスのはぼろ号に乗りましたが冬場にしては珍しくずっと晴れていて、雪の利尻富士がずっと見えてて最高だったなあ
1986国鉄時代、夏休とか羽幌ー滝川行きとか10両編成の臨時海水浴列車がありました。人は10人程度、物凄い贅沢感でした。築別駅に小さい石炭ストーブがありましたな。鬼鹿、天塩栄、懐かしい腕木信号機、タブレット閉塞。
丁度特急はぼろ号に乗車する機会があるので羽幌線急行はぼろについて動画で触れてくれるのはありがたい
私が初めて羽幌線に乗った時が急行はぼろだった。始発の幌延から乗ったけど、ガラガラだった。その後同じルートを通ったのは、羽幌線廃止後で宗谷バスの特急わっかない号だった。
1970年に沿線最大級の街だった築別が文字通り消滅してしまったのが大きいんですよねえ
この時点で国鉄にとっては宗谷号とはぼろ号を並行して走らせる意味を失ってしまったんですからサボタージュしてでも統合しようとした背景は理解できなくもないですし、路線自体は沿岸バスがちゃんと引き継いでいるので決して悪い話ではないんですが、宗谷線の維持が危うくなっている今から考えるともったいないことをした気が
晩年の急行はぼろ号は羽幌線を北上していくと、途中でどんどん降車していき、終点の幌延に着く時には乗客がいるほうが珍しかったと言います。
81年の夏にはぼろ号の下りに乗りました。留萌線で増毛へ行った後に留萌→幌延乗車。混雑で羽幌までデッキに立ってました。グリーン?かお座敷?の車両も組み込まれていて、意外にも?活況を呈していました。
沿線に旭川ぐらいの都市があれば羽幌線も廃止を免れて対稚内の主力輸送幹線になってたかもな
そりゃどんな場所どんな路線にも同じことが言えてしまうがな
かつての「宗谷」「オホーツク」「摩周」の併結が無くなった後の3階建急行が「大雪」「紋別」とこの「羽幌」。しかしこのパターンも「大雪」は特急「オホーツク」に格上げ、「紋別」も廃止後、路線(名寄本線)が廃止。北海道では早々に見限られたローカル線だったが、その根元というべき留萌本線も風前の灯だから現実は厳しかったのか。
炭鉱閉山や漁業衰退のため羽幌線は衰退して廃止してしまいましたね。もし高速化してたら、今も留萌線は生き残っていたかも
恐らく鉄道も同じだと思いますが、札幌から稚内までクルマで走ろうとすると、道央道〜名寄美深道路〜幌富・豊富バイパス経由よりも、北一条・雁来通〜R275〜北竜町〜R233〜留萌市〜R232経由の方が所要時間は20分程度長くなりますが、無料でカーブも少なく、夕方の日本海夕陽ラインは絶景です。休憩できる道の駅やコンビニもありますよ。初山別には温泉もあります。
冬場は横風が強いので、内陸を走った方が安全ですが。
羽幌町は、人口統計をインチキしてまで、市制施行しようとしてましたね。炭鉱があった頃は、3万人弱人口がありました。
元地元民ですがかなり違うので
まず、深川ー留萌はノンストップではなく石狩沼田が停車駅ですし単線なので
運転停車はあります。後、豊岬と書いてとよさきと書きますが急行はぼろは止まりません。廃止何年前に遅くなったのは羽幌ー幌延間普通列車になってからですねー。後、留萌又は土日祭日は羽幌で3両ー→2両になります。当時の指定席は壁直しだけで100円から
300円に最後は値上げしてましたね。古丹別出身
はぼろ号に限らず本当当時の国鉄ってやり方が汚ねえよな
朝早くから夜遅くまでハードな運用だわね。青森のはつかりか白鳥みたいな感じ。そうか、本線急行より早かったというのは今になって認識しました😊。
羽幌線自体残って欲しかったなぁ、😂
稚内の親戚の所に車で行くんだけど、札幌から330㎞(留萌廻り)東京~新潟並み、遠い!
同じ国鉄なのに片方の路線の急行を不便にして集約するとかあるのかな~?よくわからないけど、当時の国鉄は貨物列車がまだ多く残ってた時代ですから、時刻表だけではわからない対向列車待ちもあったかもしれません。
多分、稚内まで3つもルートは要らない、1つあれば十分というスタンスだったんだと思います。そうなると、旭川を通らないルートと、独立路線名がついている路線の命運は尽きたと言えるでしょうね。
繁忙期だけでも 幌延から稚内までの
延長が要望された
宗谷本線経由より早く札幌に行けたのに国策により潰されてもったいない話ですね。
沿線人口が少なすぎるのに同じ目的地の路線は2本もいらない
もったいなくはないなあ
国鉄は何故こう無くすようなことをするのか?乗車率は羽幌線の方が国鉄全盛期はよかった。天北線だって宗谷本線よりも乗車率が国鉄全盛期はよかった。これが国鉄の方針転換でわざわざ変えた。現在のJR北海道にも言えるでしょう!
6:51関係ないけど扇風機カバーのコカコーラ広告懐かしい。「そう、あった、あった」という感じ
ハッキリ言うと、国鉄って姑息なことして廃止にしたかったんだなって思った。
今もそうか‼️
交通インフラは選択と集中した方が利用者に利益を還元できる
足を引っ張る路線が多ければ安全性を担保できない
乗らないのが悪い
意図的に不便にして乗客を減らそうという姑息な振る舞いは、今も昔も変わらない。
いわゆる政治的理論やね。弱い者は切り捨てるという、こういうの1番ムカつくわ❗🤬
それはしょうがない
金や資源に限りがある以上人を集約した方が効率がいいのだから
違うよ
鉄道を時計代わりにしたツケ
乗らなくても動いて当たり前は甘え
急行用気動車(画像2)の先頭車はキハ58に見えますけど、気のせいでしたらごめんなさい_(._.)_
一日 1往復 は厳しかった😢
今は国内になきエルポヨロコが札幌駅前にある!!
3:39
この地図を先に見たかった
急行はぼろ号には昔のお盆に利用して、母親の故郷である羽幌に遊びにいつて居ましたね‼️
旭川から深川迄急行カムイに乗り、札幌初のはぼろ号をまつて空いている席の確保を良くしていましたね❗
そうですよね、羽幌線に特別急行を走らせて居れば今も存続していたかもですよね❤️
羽幌線は、国鉄によつて廃線去れたの(*´・ω・`)bよね‼️海沿いの直線は眺めが最高でしたね‼️
宗谷北線が沿線状況もボロボロなことを考えると何てことをしてくれたんだ!
北海道は海岸部より内陸のほうが発展してるから
急行はボロ…
歯ァボロボロや
札幌発札沼線の石狩沼田、留萌本線、羽幌線経由の稚内行の優等列車があればなぁ...
昔は稚内発旭川行き臨時快速もあったらしいでです。
豊岬→とよみさき✕
とよさき○
読み方はしっかりしてください。
地元の人は気分悪いです❗
確かにその通り後石狩沼田が停車駅でぬけてますよ!元古丹別民!急行はぽろは乗ってます。