「迷列車コレクション#34」20系なのか?24系なのか?国鉄決死の秘策カニ25型電源車のお話「迷列車で行こう#34」
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- เผยแพร่เมื่อ 6 ก.พ. 2025
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/ @watagasi583tv
画像素材 ワタガシ「投稿者」 Wikipedia 裏辺研究所様 フォト蔵 様
音源 甘茶の音楽工房 様
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訂正。読み上げバグで
むこうちょう→むこうまちです。
3:25~ 誤:むこうちょう⇒正:むこうまち
カニ22が重量オーバーで甲線規格の線路上でしか使えなかったのは、島秀雄が強引にパンタグラフとMGをカニ21に積んだから。(島秀雄は父:安次郎から電気車両についての薫陶を多大に受けていた。他にもD51の設計で軸重問題もやらかしていて、カニ22も秀雄が国鉄を退社した途端にパンタとMGを撤去されている。)🤔
どうせなら動力用モーターも積んで自走できるようにすれば機関車要らなくなったのにw
走行区間のほとんどが直流電化区間だから、そこだけパンタから電源取って、MG回してサービス電源にするアイデアは先進的だったかと思うのだ。
電源車なら、14系14型登場前に20系の分割運用のため、旧型客車から改造されたマヤ20がいますね。これはこれで外観が異常というか、編成美もあったものじゃなかったです。
あれはあくまで付属編成用短区間のみの車輛ということで、遊休保留車の有効活用の意味もあったのでは?
(丁度国鉄財政が赤字になり繰越利益も食いつぶし始めた頃合いだったので…)
@@SleeperExpressJNR 初期の運用区間は小倉大分間でしたね。これが短区間か否かは個人の主観ですが、距離は100キロを超えてます。あとマヤ20の誕生は1963年、以降も若干の改造車がありますが、国鉄が単年度赤字となったのは1964年度決算からなので、遊休車の有効活用と一概には言えないと思いますが。。
50系の車体の荷物車を改造したのが北斗星やカシオペアで使われていたと思います。
スシ24「せやな」
@@JunichiAkimoto-h8u当初はあさかぜ・さくら・はやぶさの3往復だけで考えていた20系特急。然しあまりの需要の多さと日豊本線系の滋養も鑑み、試験的に[みずほ]の下関回転車を大分まで延長運転することになり間に合わせのマヤ20だったのでは?思いのほか需要が高く独立した列車[富士]の誕生に繋がったのは嬉しい誤算。
その後[さくら]佐世保発着の需要が無視出来ず博多回転車を肥前山口迄切り離さずそこで長崎本線と佐世保線に分ける様になったのでマヤ20は[人事異動]に。
こういった多世代の車両を態々改造編入する所が国鉄らしいです
他には足りない先頭車を確保する為に101系を103系化させたりとかね
国鉄末期には中間車の先頭車化も盛んでしたね。
@@By-Gaeshi 特急用グリーン車の113系化はインパクトあったわw
あけぼのの電源車は東北の小坂駅で見たな。外部電源にされていたが、宿泊した。A寝台車。
他にも32系から20系のマヤ20・50系から24系のマヤ24・24系からE26系のカヤ27。電源車は魔改造の宝庫。
12系から25系のスハ25も…と書こうとしたらコメ主本人に先に書かれてしまった。😅
重量記号の語源は、色々諸説ありますが...
【カ】は
(格別大型)の他に
(勘弁してくれ)って、のが...ほ..本当か?😅
私は『オ 重い。 ス 凄く重い。 カ かなり重い。』と 聞いたことがあります。
マ マジ重い
@@まめG さま
それどうやら意味的には本当のようで 私は『まさに重い。』と聞きました。
@@toriri-service さん、これ本当に色々有って。
【マ】は
(maximum)
(未だ未だ大型)
(増す増す重い)
等々😅
ちなみにオ級の下のナの由来は?
2世代編入……
車体更新とか挟めば72系970番台→103系3000番台もそうかな……
JRだとまあ、サハE235系4600番台か。
機関車だったら EF60から改造された『EF67 基本番台』も挙げられますかね?
2世代かはともかく 戦前形オハシ30改造の20系客車の簡易電源車『マヤ20』も それっぽい。
@@toriri-service さん
EF67は改造車のみで構成されてるから2世代以上前の「編入」とは違うかも。
簡易電源車マヤ20は元の用途が違うとはいえ、上をいく「編入」ですね。
カニ25は実車が少数派であった為長らくNゲージ化されていなかったけど、近年TOMIXから念願の完成品として製品化されてます。因みにTOMIXでは初めて20系ベース車でもあります。
ギミックもカニ24では光らない配電盤も光る等してかなりハイグレードです。
昔は無い車両は改造して作るのが基本だったんだけどね。
ナハネフ22とかも製品化されてなかった頃はナハフの端ぶった切ってナハネくっつけたりとかやってたよ。
テールランプさえ付いてなかったから他からすっこ抜いて付けたり、テールマークの行灯化とかも。
カニ22は難易度高めだけど製品化前から見たな。
マイクロエースが好きそうな題材です。
分割後の電源車として、そして旧世代車からの改造編入車としてはマヤ20って[先輩]がいてこれは在来一般型客車であるオハシ30やスハ32から改造された。ただあくまで簡易電源車の扱いだったため給電能力はマニ20・カニ21の半分程度だった。
一方カニ25はフル編成への給電可能な仕様だった為、稀にはフル編成のしんがりを務めたこともあった(実際深夜の山陽本線を走っていたのを見たことがある)。
カニ22はその発想自体は良かったのだが当時の技術水準では軽量化が難しく、積車重量59.5t、換算6両。軸重15tとあっては最高速度で走行できるのは東海道・山陽・鹿児島(但し門司~八代間)・長崎本線位。[はやぶさ]用に登場するも同列車には殆ど運用されず[さくら][みずほ]など軸重16t許容路線のみの列車に充当されていた。
後年スハ25が登場しこの時は42.5t未満に収まったので苦労は無かったが、許されるならついでに変圧器・整流器も積んで交流電化区間でも架線集電出来る様になっていればもっと増備されていただろうに…(^^);
わたしは、KATOの初代カニ21を改造した、カニ25を所持しています。それは、TOMIXの24系25型0番台と組みためなのです。
カニ22カッコイイんだよなぁ〜、大好きな車両だよ
カニ25は写真でしか見た事無かった。
まさか、似たようなスハ25が
出て来るとはカニ25廃車からは
想像出来なかった。
カニ25はなぜかトミックスから発売されていて、カニ22はカトーから発売されているのでコンプするには両方買う必要があるという
カニ22に、前照灯を取り付け電気機関車とする自由型をい付いてました。
当時でもNゲージの電気機関車の価格は高く、止むを得ず電源車を電気機関車に改造しました。 多分、GMの動力ユニットを使ったと記憶しています。
運転会とかに持っていって走らせたら笑いを取れたでしょう
前照灯は時代的にいってEF58みたいにおでこに大型のを一灯でしょうか?w
テールマークがそのまま前照灯とかだったら斬新w
電気の事さっぱり知らないんだけど、パンタで取った電気を使ってサービス電源用発電モーター回すって驚くほど非効率に思えるけど、なんとか整流器みたいなので変電してサービス電源化する、みたいな事できなかったのでしょうか?
当時の電車はサービス電源どうしていたのでしょう?
昭和30年代当時は直流を交流に変換する方法が発電機を回すくらいしかなかったのです。
直流のままでは車内で使うサービス電源(三相交流)としては使えないので直流モーターを使い交流発電機を回して各車両に給電してました。
コンプレッサーなどのモーター系は三相交流が扱いやすいのです。
三相交流作れば単相交流(蛍光灯など)は簡単に取り出せますし。
1990年代になって半導体素子で大容量の直流>交流変換が容易になった事でSIV(静止型インバーター)を使ったスハ25型が作られるようになりました。
多分以前から205系辺りで実績を積んでいたと思います。
国鉄の電車は長らくMG(モーターで発電機回すやつ)でしたがJR以降はSIVが主流です。
当時冬場にスハ25のシャワー使った経験ありますが温度調節が難しくて泣けました。
あらかじめシャワーカード2枚買っといて事なきを得ましたw
90年代になるまで直流で発電モーター回していたのですね。そう言えば発車待ちの電車も色々音出していましたっけ。
十数量もの寝台車のサービス電源を一手に賄うカニ22の発電モーターが運用に制限をきたすほどの重量になったのも頷けます
わしトミックスのカニ25をもっておる
もう一個あった。12系にパンタ載せたスハ25。
カニ22→カニ25
「結局俺は 扱いづらい厄介者だったのカニ?」
どうもすいません🙇💦
当時はモータージェネレーターだから確かに重いし。
パンタを撤去した『カニ22』は アイスラッガーを飛ばした『ウルトラセブン』のようで なんとなく間が抜けた印象。
国鉄形で 異端車として生まれると その後は数奇な車生を送る例は この車にも当てはまりますね。
ところで『乙女の祈り』がお好きなんですか?
当時の国鉄は金欠で、寝てる車があれば活用しろという方針だったからなぁ。
カニ22の頃は使いにくくて運用が少なく、走行距離が短くてまだまだ使える車だったんだろうね。24系のカニやカヤを新製するより、これの改造でやれ、ということになったんだろう。
20系は優美な丸テールが魅力だったんだが、カニ22はパンタ取り付けのため低屋根で、電源車なのに丸テールでないという残念車両だった。それも、現場で嫌われた理由かも。
カニ25はカシオペア用26系の電源車に出来ないか妄想した事がある。
私はモハネ582形をブルトレの電源車にできないか妄想した事があります。
(電化区間限定ですが😅)
E26系はカニ24からの改造車を予備車に持ってるくらいだからカニ25でもできそうな気がしますね。ただ車齢的な問題はあるかも
14系の2段寝台改良型「15型」が登場して、あかつき運用に入ったのが致命的だった。
凄いクルマ(電源車)が、いたんだな。
車両の改造技術が凄いなぁ。
待ってました!ワタガシさんの動画!!
20系もどきの24系ですね😅
なぜ設計の段階で重量計算をしないのか
アホみたいな話に聞こえますよね。
もしかしたら最初は甲線でのみ運用される仕様での設計だった筈が、いつの間にか乙線以下にも入線するような話に...
現代のシステム屋の苦悩に通じるものが。
20系にも、「さくら」等の長崎編成・佐世保編成の分割運転のために、旧型客車を改造した「マヤ20」という“簡易電源車”が存在していました。
ちなみにこの車両は、KATO製品の「20系さくら 佐世保編成」に収録されています。
その無理やりな運用が14系誕生の理由になったのでしょうね。キハネフwの存在はエレガントなコンセプトの20系からは遠ざかりましたが。
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