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他の方も指摘されてますが80系は通勤型ではないですよ。2扉デッキ付きの中距離客車列車の置換え目的です。3扉の70系ならともかくですが。ちなみにはりま用は基本的に準急比叡、姫路電化用に作られた300番台使用が基本でしたので当時のナハ10と同レベルの居住性です。また前年に同じく夜行運用した80系300番代修学旅行臨の実績を買われての抜擢ですね。
80系の夜行列車に対してはクハ・サロ・サハにしか無いトイレの数の少なさと、洗面所が無い事以外での苦情は無かったらしいです。当時の逼迫する輸送力の状況では「乗せてくれるだけでも有り難い」と言う事だった模様です。
洗面所を゙死守した60系客車のありがたみがわかる。
@@太田拓也-z9y 60系客車は他形式より居住性を犠牲にした分、座席定員が多いので修学旅行臨や団体臨で旅行代理店から好まれていたそうです。
E231系で急行はりまリバイバルで走らせて欲しい(無理)
お尻が爆発
付随車両のみで運転?
103系(が現役のうちに)でやって欲しかった・・・・・
120km/h運転が存分に楽しめるなら急行料金どころかA特急料金を支払ってもいい。E231系の熱い走りを楽しみたい。
行きが東日本のE231、帰りが西日本の227系で臨時運用すれば面白いかもねwただ、どっちもどうせ直線は130キロ運用だろうし、かの「くりこま」がひざまづく表定を叩き出すんだろうけどw
吊りかけモーターの音聞きながら眠るなんて、最高。
吊り掛け駆動でかつ一部ロングシートの夜行急行とは通勤特急「らくラクはりま」とは正反対の列車やな。
今やったら、酷はりまかも?
「しんドイはりま」やな?😂😂😂
80系はデッキ付近だけを二人掛のロング化改造した近郊タイプの455系と同じ配置ですから、遜色はないです。
座席が60系客車レベルだから遜色大アリだわさw
@@masayuki1974 60系客車を使った夜行急行が走っていたからなんの問題でもない、
@@masayuki1974さん急行には極力300番台を投入していたそうです。
@@masayuki1974 様、初期のモハ80系(サロ85を除く)は座席間隔も幅も窮屈で、しかも登場当時は背もたれの上半分は垂直板張り、それこそオハ60・61系と大差はありませんでした。1956年のマイナーチェンジで座席幅は狭いものの間隔は当時のオハ46等と同等になり、翌1957年の全金属車体300番代になって、クロスシート部分は幅、間隔とも準急、急行らしくなりました。
そもそも80系は湘南地区の通勤輸送と湘南地区の温泉客を始めとした観光輸送という誰が見ても思い切り矛盾する役割を持たされたんだからどうにもならない。文句あるなら特急か寝台急行か使えと言われておしまい。
国鉄時代には結構こういう運用が有って…■定期の優等列車:居住性も高く新型車両が使われる→すなわち混雑が激しい■不定期列車:定期運用離れた旧型車両や近郊型等の居住性に難あり→比較的空いている事が多い例えば「霧島」は10系客車等当時としては居住性が良かったが、「桜島」は旧型車両だわ食堂車も無いわ車内販売も無かったわ…で、「霧島」で行きたかったら数時間前に並んでも座れない可能性があったのに対し、「桜島」は1時間前に並んでも場所のこだわりが無ければ座れると、「乗客の好きな方に乗ってね」ってスタンス80系では無かったけど、東京~静岡(最盛期は浜松迄延長)に運行していた不定期急行「日本平」は運転日がほぼほぼ土日メインだったので、比較的運用が楽だった111系で運行していました此れこそ今で言うE231系のボックスシートが有る車両のみで最長浜松迄「急行」として運行していたのです今回の「はりま」も遜色かどうかって言ったら、遜色だと個人的には思うし、当時のシートの乗り心地じゃ長距離は耐えられないと思いますね~、床でも良いし立っても良いなら、当時なら「金星」使うけど、快適じゃないけど座れるなら…って感じなデッドオアライブ状態(笑)
現代の紀勢本線で、オールロングシートの25形気動車を使用した花火大会臨時の夜行列車が運転されたりしてます。これこそホントの通勤形夜行列車やな。
私の親の実家が新潟県北部の羽越線沿線だったのですが、70年代初め頃羽越線でよく80系電車が走っているのを見ました。東海道線を走っていたのが、地方の路線に回されてきたんですね。🚃😊
羽越線の直流区間ですね。村上までですね。
そうです。村上以遠は交流電化ですので、羽越線を直通する普通列車は、客車か気動車でした。
@@佐藤孝一-h2z 山形〜秋田は今はハイブリッドディーゼルで普通電車は走ってませんね。
ただ、それでも準急運用を考慮していた80系300番台が使われていたので0番台を使っていた上越急行「弥彦」「佐渡」よりはマシだと言われていたそうです。
80系電車は、151系こだま(食堂車なしの時代)の代走を努めた実績もありましたね。しかも特急料金払い戻しなしで。モーター音も凄かったでしょうが気動車夜行といい勝負では。いかに当時車両のやりくりが厳しかったか垣間見得る列車ですね。
153系はこだまの代走したことは有名ですが、80系も? 間違いなく同様には走れないので、相当遅延すると思うが
@@SAKUSAKU226 当時は6時間50分走行で、なんとかなったのでは。遅延の話は見受けられませんでした。
上諏訪夜行で115系に乗った事のある身としては大した問題じゃないと言えるね。座れるだけマシ。なんたって床に座っている人すらいたのだから。
昔は新聞紙敷いて座る人いましたね。モラルが緩かった。
@@hiroshia5789網棚で寝る猛者も
俺は大垣夜行の床で寝たよ
80は通勤型じゃないでしょう
確かに「通勤型」ではないですが、通勤用(急行型・特急型・寝台ではない)という点においては間違いはないでしょう(80系が9時間半も走るなんて、いいネタじゃないですか)。6:28でもフォローされていますし、もう少し広い心で見られたらいかがですか。
@@急行フィット そもそも東海道線長距離運行を主目的に作られた電車を「ロングシートの通勤型」と言い張ってるのはコッペパンだけだと思うが?
「近郊型」だろうね。
近郊型でも通勤に使われる。通勤型と明記したわけでもなく断りを入れているのだから重箱の隅をつつかなくたっていい。通勤と近郊輸送の違いなんてあやふや。厳密な定義にうるさいのはオタクの悪癖。
80系は2ドアでサロもあり準急用通勤用ではないこうして憶測だけで作ったものが間違った情報として広まっていくんだね
満員のボックスシートよりかは足が延ばせる分ロングシートの方が快適な気がします…w
ミニスカ女性の向えに座る😁
80系でも都市圏運用車両は東京(田町?)と大阪(明石? 高槻?)で編成両数が違ったはずですが…?「東海」「比叡」用の編成を用いたのでは…?
80系での長距離夜行急行列車での運用は全車寝台の急行銀河のことを思えば凄すぎます。
80系の湘南顔がどこにも残ってないのは残全過ぎる。
1962年~1963年の年末年始には、臨時の急行第二はりま号(東京1940→神戸548・神戸911→品川1759)が運転されました。又この列車の運行期間は、1月1日を除き東京発は12月25日~1月9日・神戸発は12月30日~1月9日で、1月2日から食堂車の営業が行われました。※この列車は1962年の夏季に東京~大阪で運行されていた臨時急行第二六甲号の運行区間を神戸まで延長した時に、列車名を変更したことで誕生しました。しかし1963年の夏季以降は、急行第二はりま号から再び急行第二六甲号に変更されました。
臨時ムーンライトながら、中央線長野(上諏方)夜行、上越長岡夜行など、113形115形運行されたのはあったが、あくまで普通快速扱いでしたから、通勤型で夜行急行運用はこれくらいでしたでしょうね。
飯田線運用もギリギリ間に合わず乗れなかったのが言うのもなんですが。80系電車をその後の種別で区分は難しい形式な気がしますね。急行用準急用でもないし。300番代は準急用でいいのかな。70系は後の近郊形のプロトタイプと言えるでしょうけど。4人掛けボックスシートの前後間も横幅も43系などの急行用客車や後の153系より全然狭いですよね。背中上部にモケットないし、長距離はかなり難行苦行なのは間違いなかったかな。
恐らくフルで乗る人は少なかったと思うけど、時間帯いい感じやん!食堂車はないにしろ、駅弁の車内販売ぐらいはあったのかな?
そもそも吊りかけ式でモーター音がうるさいし、80系の300番台なら153系に迫る居住性とつくりだけど初期型ともなればシートの背ズリが木製でこれだけの長距離には向かなかったでしょうね。。😅
こんなもん言い出したらとりあえず設定当時80系で運転された急行越後はどうなるんだ。更に急行せっつなんかも設定当時は「急行のくせに食堂車も特ロもないんかアホかただ速いだけやんけバーロー」って(当時の急行なにわは大阪東京8時間30分、せっつは7時間45分)思い切り叩かれたんだけどな。
新幹線が開通するまでのストップギャップの役割をしたわけですから大車輪の活躍でしたね。
70系、80系の頃はクロスシートの幅も狭かったので、大変だっただろうな…
急行「はりま」消滅から約3年後、80系電車が一往復だけ特急を代走する珍事が。東静岡付近(長沼陸橋下)で起きた151系衝突脱線事故を受けての緊急登板でした。
当時の臨時急行は予備車の寄せ集めでオハ60やオハ41が混ざる事もあったらしい。それに比べれば遥かにマシ。
583系みたいなことしてんなぁ…
む..無理したよ😣💦(80系)
昭和30年代一時期夏の内房線の臨時準急(当時乗車に準急料金必要)で80系が使用していて当時は内房線が非電化で千葉以降がディーゼル機関車にけん引されて運転していたが80系編成の中1両だけモハ72系(4ドアロングシートの吊りかけ)が組み込まれて運転していた編成の写真を見たことがあります 詳しい内容が書かれていなかったので詳細は不明です
当時の技術で、長距離走らせることが出来たのですね。😮
大阪鉄管が新快速の先駆けとして検討してたとされる快速ハリマオー(コレホントなんだろか)
東海とサンライズとながら号を足して3で割ったような停車駅。
今で言えば、東海道線のE231系で優等料金取って、サンライズのスジで走らせてる感じですね。
ボックス席の夜行って今の高速バスより過酷だろうな
混雑している時はより過酷だった
大阪姫路間でみると、阪神山陽直通特急くらいの時間ですね。😌🎁🎂
まぁロングシートはガラガラなら横になって寝れるし…と言っても当時の混雑じゃ無理だな
豊橋の本駅…なつかし
日勤と夜勤をする過酷な労働車両でしたね。当時の国鉄の効率的な運用らしいです。
はりま王だな。
おそらく準急編成を使ったのでは無いかと思いますね。300番代ならシートピッチも広くなってるますね。東チタと大ミハでは編成両数も違いますね。
鬱之雅東口駅!
他の方も指摘されてますが80系は通勤型ではないですよ。2扉デッキ付きの中距離客車列車の置換え目的です。3扉の70系ならともかくですが。
ちなみにはりま用は基本的に準急比叡、姫路電化用に作られた300番台使用が基本でしたので当時のナハ10と同レベルの居住性です。
また前年に同じく夜行運用した80系300番代修学旅行臨の実績を買われての抜擢ですね。
80系の夜行列車に対してはクハ・サロ・サハにしか無いトイレの数の少なさと、洗面所が無い事以外での苦情は無かったらしいです。
当時の逼迫する輸送力の状況では「乗せてくれるだけでも有り難い」と言う事だった模様です。
洗面所を゙死守した60系客車のありがたみがわかる。
@@太田拓也-z9y
60系客車は他形式より居住性を犠牲にした分、座席定員が多いので修学旅行臨や団体臨で旅行代理店から好まれていたそうです。
E231系で急行はりまリバイバルで走らせて欲しい(無理)
お尻が爆発
付随車両のみで運転?
103系(が現役のうちに)でやって欲しかった・・・・・
120km/h運転が存分に楽しめるなら急行料金どころかA特急料金を支払ってもいい。
E231系の熱い走りを楽しみたい。
行きが東日本のE231、帰りが西日本の227系で臨時運用すれば面白いかもねw
ただ、どっちもどうせ直線は130キロ運用だろうし、かの「くりこま」がひざまづく表定を叩き出すんだろうけどw
吊りかけモーターの音聞きながら眠るなんて、最高。
吊り掛け駆動でかつ一部ロングシートの夜行急行とは通勤特急「らくラクはりま」とは正反対の列車やな。
今やったら、酷はりまかも?
「しんドイはりま」やな?😂😂😂
80系はデッキ付近だけを二人掛のロング化改造した近郊タイプの455系と同じ配置ですから、遜色はないです。
座席が60系客車レベルだから遜色大アリだわさw
@@masayuki1974 60系客車を使った夜行急行が走っていたからなんの問題でもない、
@@masayuki1974さん
急行には極力300番台を投入していたそうです。
@@masayuki1974 様、初期のモハ80系(サロ85を除く)は座席間隔も幅も窮屈で、しかも登場当時は背もたれの上半分は垂直板張り、それこそオハ60・61系と大差はありませんでした。1956年のマイナーチェンジで座席幅は狭いものの間隔は当時のオハ46等と同等になり、翌1957年の全金属車体300番代になって、クロスシート部分は幅、間隔とも準急、急行らしくなりました。
そもそも80系は湘南地区の通勤輸送と湘南地区の温泉客を始めとした観光輸送という誰が見ても思い切り矛盾する役割を持たされたんだからどうにもならない。文句あるなら特急か寝台急行か使えと言われておしまい。
国鉄時代には結構こういう運用が有って…
■定期の優等列車:居住性も高く新型車両が使われる→すなわち混雑が激しい
■不定期列車:定期運用離れた旧型車両や近郊型等の居住性に難あり→比較的空いている事が多い
例えば「霧島」は10系客車等当時としては居住性が良かったが、「桜島」は旧型車両だわ食堂車も無いわ車内販売も無かったわ…で、「霧島」で行きたかったら数時間前に並んでも座れない可能性があったのに対し、「桜島」は1時間前に並んでも場所のこだわりが無ければ座れると、「乗客の好きな方に乗ってね」ってスタンス
80系では無かったけど、東京~静岡(最盛期は浜松迄延長)に運行していた不定期急行「日本平」は運転日がほぼほぼ土日メインだったので、比較的運用が楽だった111系で運行していました
此れこそ今で言うE231系のボックスシートが有る車両のみで最長浜松迄「急行」として運行していたのです
今回の「はりま」も遜色かどうかって言ったら、遜色だと個人的には思うし、当時のシートの乗り心地じゃ長距離は耐えられないと思いますね~、床でも良いし立っても良いなら、当時なら「金星」使うけど、快適じゃないけど座れるなら…って感じなデッドオアライブ状態(笑)
現代の紀勢本線で、オールロングシートの25形気動車を使用した花火大会臨時の夜行列車が運転されたりしてます。これこそホントの通勤形夜行列車やな。
私の親の実家が新潟県北部の羽越線沿線だったのですが、70年代初め頃羽越線でよく80系電車が走っているのを見ました。東海道線を走っていたのが、地方の路線に回されてきたんですね。🚃😊
羽越線の直流区間ですね。村上までですね。
そうです。村上以遠は交流電化ですので、羽越線を直通する普通列車は、客車か気動車でした。
@@佐藤孝一-h2z 山形〜秋田は今はハイブリッドディーゼルで普通電車は走ってませんね。
ただ、それでも準急運用を考慮していた80系300番台が使われていたので0番台を使っていた上越急行「弥彦」「佐渡」よりはマシだと言われていたそうです。
80系電車は、151系こだま(食堂車なしの時代)の代走を努めた実績もありましたね。しかも特急料金払い戻しなしで。
モーター音も凄かったでしょうが気動車夜行といい勝負では。
いかに当時車両のやりくりが厳しかったか垣間見得る列車ですね。
153系はこだまの代走したことは有名ですが、80系も? 間違いなく同様には走れないので、相当遅延すると思うが
@@SAKUSAKU226
当時は6時間50分走行で、なんとかなったのでは。遅延の話は見受けられませんでした。
上諏訪夜行で115系に乗った事のある身としては大した問題じゃないと言えるね。
座れるだけマシ。なんたって床に座っている人すらいたのだから。
昔は新聞紙敷いて座る人いましたね。モラルが緩かった。
@@hiroshia5789網棚で寝る猛者も
俺は大垣夜行の床で寝たよ
80は通勤型じゃないでしょう
確かに「通勤型」ではないですが、通勤用(急行型・特急型・寝台ではない)という点においては間違いはないでしょう(80系が9時間半も走るなんて、いいネタじゃないですか)。6:28でもフォローされていますし、もう少し広い心で見られたらいかがですか。
@@急行フィット そもそも東海道線長距離運行を主目的に作られた電車を「ロングシートの通勤型」と言い張ってるのはコッペパンだけだと思うが?
「近郊型」だろうね。
近郊型でも通勤に使われる。通勤型と明記したわけでもなく断りを入れているのだから重箱の隅をつつかなくたっていい。
通勤と近郊輸送の違いなんてあやふや。厳密な定義にうるさいのはオタクの悪癖。
80系は2ドアでサロもあり準急用
通勤用ではない
こうして憶測だけで作ったものが間違った情報として広まっていくんだね
満員のボックスシートよりかは
足が延ばせる分ロングシートの方が快適な気がします…w
ミニスカ女性の向えに座る😁
80系でも都市圏運用車両は東京(田町?)と大阪(明石? 高槻?)で編成両数が違ったはずですが…?
「東海」「比叡」用の編成を用いたのでは…?
80系での長距離夜行急行列車での運用は全車寝台の急行銀河のことを思えば凄すぎます。
80系の湘南顔がどこにも残ってないのは残全過ぎる。
1962年~1963年の年末年始には、臨時の急行第二はりま号(東京1940→神戸548・神戸911→品川1759)が運転されました。又この列車の運行期間は、1月1日を除き東京発は12月25日~1月9日・神戸発は12月30日~1月9日で、1月2日から食堂車の営業が行われました。※この列車は1962年の夏季に東京~大阪で運行されていた臨時急行第二六甲号の運行区間を神戸まで延長した時に、列車名を変更したことで誕生しました。しかし1963年の夏季以降は、急行第二はりま号から再び急行第二六甲号に変更されました。
臨時ムーンライトながら、中央線長野(上諏方)夜行、上越長岡夜行など、113形115形運行されたのはあったが、あくまで普通快速扱いでしたから、
通勤型で夜行急行運用はこれくらいでしたでしょうね。
飯田線運用もギリギリ間に合わず乗れなかったのが言うのもなんですが。80系電車をその後の種別で区分は難しい形式な気がしますね。急行用準急用でもないし。300番代は準急用でいいのかな。70系は後の近郊形のプロトタイプと言えるでしょうけど。4人掛けボックスシートの前後間も横幅も43系などの急行用客車や後の153系より全然狭いですよね。背中上部にモケットないし、長距離はかなり難行苦行なのは間違いなかったかな。
恐らくフルで乗る人は少なかったと思うけど、時間帯いい感じやん!
食堂車はないにしろ、駅弁の車内販売ぐらいはあったのかな?
そもそも吊りかけ式でモーター音がうるさいし、80系の300番台なら153系に迫る居住性とつくりだけど初期型ともなればシートの背ズリが木製でこれだけの長距離には向かなかったでしょうね。。😅
こんなもん言い出したらとりあえず設定当時80系で運転された急行越後はどうなるんだ。
更に急行せっつなんかも設定当時は「急行のくせに食堂車も特ロもないんかアホかただ速いだけやんけバーロー」って(当時の急行なにわは大阪東京8時間30分、せっつは7時間45分)思い切り叩かれたんだけどな。
新幹線が開通するまでのストップギャップの役割をしたわけですから大車輪の活躍でしたね。
70系、80系の頃はクロスシートの幅も狭かったので、大変だっただろうな…
急行「はりま」消滅から約3年後、80系電車が一往復だけ特急を代走する珍事が。東静岡付近(長沼陸橋下)で起きた151系衝突脱線事故を受けての緊急登板でした。
当時の臨時急行は予備車の寄せ集めでオハ60やオハ41が混ざる事もあったらしい。
それに比べれば遥かにマシ。
583系みたいなことしてんなぁ…
む..無理したよ😣💦
(80系)
昭和30年代一時期夏の内房線の臨時準急(当時乗車に準急料金必要)で80系が使用していて当時は内房線が非電化で千葉以降がディーゼル機関車にけん引されて運転していたが80系編成の中1両だけモハ72系(4ドアロングシートの吊りかけ)が組み込まれて運転していた編成の写真を見たことがあります 詳しい内容が書かれていなかったので詳細は不明です
当時の技術で、長距離走らせることが出来たのですね。😮
大阪鉄管が新快速の先駆けとして検討してたとされる快速ハリマオー(コレホントなんだろか)
東海とサンライズとながら号を足して3で割ったような停車駅。
今で言えば、東海道線のE231系で優等料金取って、
サンライズのスジで走らせてる感じですね。
ボックス席の夜行って今の高速バスより過酷だろうな
混雑している時はより過酷だった
大阪姫路間でみると、阪神山陽直通特急くらいの時間ですね。😌🎁🎂
まぁロングシートはガラガラなら横になって寝れるし…と言っても当時の混雑じゃ無理だな
豊橋の本駅…なつかし
日勤と夜勤をする過酷な労働車両でしたね。当時の国鉄の効率的な運用らしいです。
はりま王だな。
おそらく準急編成を使ったのでは無いかと思いますね。300番代ならシートピッチも広くなってるますね。東チタと大ミハでは編成両数も違いますね。
鬱之雅東口駅!