ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
東北に石油届けたヒーローとして歴史に刻まれたDD51
28 TARTHERZEALさん、ご視聴頂きありがとうございます。その美談、武勇伝良く聞きます。私はあまり関心なかったのですが、後年聞いてなるほどと感心しました。
消えゆく老兵、漢の花道!
DC8や707をエアバス機に駆逐されたので気持ちはとても解ります。それはそうと清水港線はDD13牽引でした。
航空奉行所さん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。DC8は乗ったことありますが、707はないですね。727はアメリカで良く乗りました。私はDC10とIL96が好きです。清水港線のDD13牽引は、前回のDLのときに視聴者様に教えて頂きました。SGがないから寒いのでしょうか?静岡だから大丈夫なのかな?
1982年に三保から清水に乗った時にはDD13で、貨車混結はありませんでした。対抗する連絡船は双胴船のはごろも丸とさくら丸でした。
@@Yukkuri-Lab 727はANAにいたのでよく乗りました。DC10は人気がありますが、IL96とはマイナーな存在ですね。旧名古屋〜ハバロフスク経由モスクワのSU592便の最終日に一度だけ来ました。それまでの機材はIL62でした。
私も浜松に住んでいたのでバイクでツーリングでよく三保の松原行きました。
@@Yukkuri-Lab 親戚が清水にいたので三保や久能山、2つ繋がった銀座等によく連れて行かれました。名古屋から清水までは急行高千穂で。
蒸気好きにはDD51は敵以外の何者でもないですが、今やあの重低音で走るDD51は希少種。DD54は乗れた年齢ですが、阪急沿線なので国鉄には乗ることがなかったのが残念でなりません
DCT1000さん、ご視聴頂きありがとうございます。SLブーム当時でも、本当の鉄道ファンは蒸機だけでなくまんべんなくDL/ELそして客車、私鉄も撮影していました。(そしてピクトリアルを愛読)私は鐡道は風景写真から入って、昭和41年頃から蒸機の撮影に出かけるようになった方で、特段蒸機以外のRollingstockには興味はなかったです。ですから偏狭な当時の言葉で言うSLマニアなんですね。よってDD51は仇敵なんです。今でも大嫌いですが、高崎の最終日に出かけ留飲を下げました。
わかりますよ。ウチの元上司もSL限定で撮り鉄です。それこそ雪の銀山にニセコを取りに行った写真を見せてくれました。面白いのは乗る方には全く興味が無いようで、東武の大樹が走ってるから日光に行こうと言われて、てっきり乗れるものだと思ったら、車で現地に行って撮ることに徹してました…。たまたま切符が手に入ったので、私一人で乗りましたが。
私も蒸機に乗るのは別に関心がないのですが、移動で蒸機、途中で蒸機に交代となると熱くなりました。やはりイベントではなく日常というところが良かったところです。
DD13含め、赤い凸型のDLは大嫌いでした。何より蒸気機関車を駆逐した張本人で、どこでも走れ客車も貨車も曳ける性能は素晴らしいが、鉄道車両というより、建設系重機の様な色と形が嫌いで、箱型のDD50やDD54の方が好みでした。僅かにDD51を見直したのは東日本大震災の迂回輸送。あの逞しさは好き嫌いを超えた魅力を感じました。そのDD51も引退とは時の流れは恐ろしいモノです
蒸機時代にはほぼ間に合わなかったのですが、学生時代は田舎の鉄道が好きであちこち旅行しました。電化区間は旧型国電、非電化区間はキハ10系20系と言った初期の気動車も多くいましたが、赤いDL牽引の列車には乗ったことがありません。非電化幹線に乗らなかっただけもしれませんが、そんなこともあり赤い凸型DLにはあまり思い入れがありません
DE10やDE11は非対称なのでまだかわいいです。
DF50は良いなぁと思います。
・・・とするとDD16はまだ許せる?まあでもC56やC11を駆逐したしなあ;
DD16は非力ですが、小海線のC56を追い出したので嫌いな方です。
寝台特急あかつきが好きですよ。
ご視聴いただきありがとうございます。関西の方々にはあかつきのほうが、さくらより馴染み深いだろうと思いますよ。
筑豊本線を走る寝台特急あかつきです。自分は福岡県飯塚市出身ですので
特急さくらの動画を是非ご覧ください。筑豊本線を前段に出してます。飯塚はでませんが、直方と原田と沿線風景もあります。th-cam.com/video/uGuH4J05G9I/w-d-xo.html
昔、近くの機関区のイベントの翌日。DD51が五稜郭のD52を貨物列車に繋げていたのを思い出しました。
堺さん、ご視聴いただき有難うございます。機関車があるうちはあれこれ変わったイベントをやってくれましたね。今はすっかり機関車も無くなって趣味の面からは残念です。
結局昭和48年には篠ノ井線も電化しちゃってDD51も他所へ引っ越してしまったんですよね。
toshさん、ご視聴いただき有難うございます。篠ノ井線は昭和45年電化で、48年ですと中央西線ですね。電化でDD51が余剰になるわけですが、DD51作りすぎましたね。
SLが現役だった頃を知らないためか、機関車というとEF65とDD51が一番に頭に浮かぶ。
仮名前さん、ご視聴頂きありがとうございます。DLは架線やポールが無いので、写真対象としてELよりずっと良いと思います。
🟩碓氷峠と、🟥山陰本線…今も昔も、撮り鉄・眺鉄の、おすすめスポットです❗🟥DD51出雲号🟦…懐かしい❗👀‼️←自分の実家が、南丹市なので、幼少期、よく見ていました❗🚇️石破茂大臣も、よく利用されていたそうです❗
秀記さん、こちらもご覧いただきありがとうございます。蒸気がなくなって何年もの間同じような情景がDLに引き継がれたんですね。今のJRはそのような思い出が全部ぶっ飛んでいるので、愛着がないんです。
5:36の電源車…かの迷車マヤ20ですね(しかもはやぶさ運用とは珍しい)カラー写真は見たことないので凄く貴重じゃないですかね。(昔、20系の電源車が脱線事故で不足時に数回のみ九州からわざわざ東京まで持ってきて臨時あさかぜに就いたことがあったらしいです)今の時代はディーゼル機関車すら国鉄型は人気ですが、無煙化進展時代の蒸気からDLに変わり始めた頃は嫌われもの扱いのDD51だったんですね。
LocalE233さん、ご視聴頂きありがとうございます。マヤ20ですね。さくら以外の運用のことについてはあまり知らないのですが。カラーはAIで着色したものでオリジナルはBWです。DD51は蒸気ファンには目の上のたんこぶというか、悪の権化でした。
「赤い悪魔……!」確かに一部の人はそう言っていましたね。うぷ主さんの動画では、昔の写真がたくさん見れていいですねぇ~!まだまだ古い写真がありそうですねぇ~!3年ぐらい前に80代の方とお話しする機会があったので、「あの当時のSLはどうでしたか?」なんて聞いてみたら「いやああ~嫌だったね!乗っていると顔は真っ黒になるし、新しいシャツもすぐ黒くなる。早くどうにかしてくれという感じだったですよ!みんなそう言っていました。」なんて言っていました。当時は多くの駅には顔や手を洗うために、ほぼ必ず蛇口がついていました。上野駅などにはずらりと蛇口が並んでいました。当時の国鉄も無煙化達成を目標にしていました。昭和32~33年頃、まず入れ換え用の単純構造のDD13が造られると、ほぼ同時期にDF50も造られました。DD13は入れ換え用機関車としてまずは成功しましたが、DF50は本線用の機関車としてはパワーが低く(DD51の片肺分の出力でこの約10年後の昭和41年にできる入れ換え用のDE10に相当。101系電車の1ユニット分にも満たない出力。)、パワー以外では電気式で欠陥はありませんでしたので、これを増備せざるを得ませんでした。当時の利用者からの無煙化の要請も強かったそうです。その数年後、1000馬力クラスの出力を吸収できる液体変速機が実用化します。明治以来急速に輸送力をつけるために安く建設された日本の線路は貧弱なところが多く、特に非電化のローカル線においては、装備品の多い電気式よりも、その数の少ない液体式の方が軸重等を軽量化できるので、液体式のDLの増備がどうしても必用でした。そこで昭和37年に登場したのがDD51です。DD51はDF50の重連以上の性能があったので、SLを本格的に置き換えることが可能になりました。そこでDD51はこの動画にもあるように、日本全国に配置されて、無煙化に貢献しました。SLマニアからすると、DD51は確かにSLを駆逐した「赤い悪魔!」でした。製造も急激にできない面もあったので、やむを得ざるDLとSL補機等の連結など、昭和50年にSL駆逐を達成できるまでの間の戦いの様子もありました。DLの出力アップはどこの国でも課題になっており、ELのようにモーターの出力や送電量を単に上げれば済むというわけにもいかず、大出力エンジンをつくるにもスペース的に限界もあるため、80年代以降くらいからは、世界的に、いくつものDLをつなぐ方法で編成全体の出力を上げることになってきています。
権三郎平衛さん、ご視聴頂きありがとうございました。詳細なコメントも感謝いたします。私も蒸気列車に乗るのは嫌いです。汚くなるし。目は痛いし。未電化部分はDCやDL牽引に限ります。それでもトンネルが多いところでは前に蒸気が走ったので、トンネルでは窓を閉めてくれと車掌さんに言われますから、殆どの乗客は蒸気の廃止を望んでいたんでしょう。その意味でもDD51は素晴らしい活躍をしたわけで、国鉄としては正しい素晴らしい事をしたのではありますが、蒸気ファンとしてはあの色、うるさい音、そして不格好な凸型スタイルはどうしても受け入れられませんでした。今でもそれは同じで、DD51が無くなるので清々しい気持ちでいっぱいの今日です。
@@Yukkuri-Lab さんうぷ主さんは、何かどこかに、幼少期のトラウマのようなものがあるのかもしれませんね。自動車の場合はその抵抗感はどうでしょうか?ワンボックスカーよりも、3ボックスカーつまり凸型の方を買う人が多いと思います。私はSLもDLも好きです。特に好き嫌いの差はありません。また、DLだと箱型、凸型の好き嫌いもありません。いろいろなデータを見ると、製造価格、重量、軸重、メインテナンス、点検、デッキ付き、入れ換えなどの作業効率、乗務員の安全等で言うとおおかた凸型の方が優れています。アメリカなどのDLは、ボンネットが屋根の高さまであるだけで凸型の一種です。日本だとDD14がこれに近いです。SLのように脇が切り欠いてあり、そこから前を見ます。SLの名残です。現在、特に日本の本州以南では、従来の本線用のDLの需要はほとんどありません。名古屋のDLも、本来ならば「本線用入れ換え形DL」つまり凸型の方が箱型よりも適切です。まあ、所要8両のためにわざわざ新形式は造らないでしょうが、東海道線、関西線で重量貨物引っ張り高速移動をし、貨物線、引き込み線に入って入れ替え作業をするからです。私はある時期から、専用線や引き込み線に興味を持つようになってしまいました。特にそこで使われるDLや移動機等(ほぼすべてが凸型、L字型)に興味を持つ「ゲテモノマニア」になっていたのでした。
権三郎平衛さん、幼少期は吊りかけ電車と都電と、旅行に行く時の上野駅のうるさい音の蒸気機関車という感覚でしょうか。昭和40年頃まで蒸気目的に撮影に行くことは殆どなかったです。色々旅行は行きましたので、写真とカメラが好きなので駅撮りはしていました。DD51/DE10の急展開は、丁度蒸気撮影を始めたときに被っているので、DF50のような上品な機関車と違って見たくもない機関車でした。それがトラウマでしょう。車は数えきれないくらい乗り換えてきましたが、基本的にスタイル以前にエンジンが好きだったので、エンジンから選ぶと、ハードトップとかクーペになりますね。ワンボックスやトラックも持っていましたが、二輪のレース車を運ぶ目的ですので、いまでも乗用として選択肢に入ることはありません。車はもう一応極めたので次の高みに行くためには到底お金がありませんので、軽自動車で満足しています。
僕のところDE10走っていますよ。貨物運用に使われてます
愛さん、ご視聴いただき有り難うございます。そうですか。楽しいでしょうね。どちらの線路ですか?
主さん🎵詳しい歴史 ありがとう👍🎵 エネルギー問題や無煙化 国産エンジン開発は、現在新型車輌に(DC DL)に受け継がれましたネ👍🎵
7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございました。当時の雰囲気が少しでもご理解いただけたら嬉しいです。
僕は小さい頃からdd51とde10大好きなのに…dd51とde10のプラレールやnゲージを破壊する動画が上げられそう……
ご視聴頂きありがとうございます。お気を悪くさせてごめんなさい。DE10は非対称なので良きですね。
故郷の石炭列車も蒸気(9600)からDL(DE10かな)になり、ダンプ輸送、そして閉山になりました。個人的にもDLは「蒸気を追いやった存在」のイメージが強いですね。
819 manさん、ご視聴頂きありがとうございます。秩父鉄道は近くに高速もありますが、今でも石灰岩輸送は健在です。この貨物輸送が無ければ秩父鉄道は観光と地元の足だけでは成り立たないでしょう。貨物鉄道輸送って大事なんですね。
「デラックスデゴイチ]、[ダメデゴイチ]等とSLファンに嫌みを言われて、とどめは[赤ブタ🐖]と罵られたDD51が今では貴重な存在になっていますので、時代の移り変わりを感じざるを得ないですね。因みにDD16は[赤ブタ🐖]に引っ掛けて[子ブタ🐖]と言われていた模様です。
特急日本海さん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51が数少なり殆どレギュラーの仕業が無くなったようですね。やっと恨みが張らせた感じですw。DD16も作りましたが、本当に必要だったのでしょうか?
DD51形は、D51などの蒸気機関車を駆逐しただけでなく、亜幹線の近代化を進めた。さらには、DE10形は、操車場や貨物機ターミナルの入れ換えだけではなく、貨物列車の牽引までやっている。非電化路線の近代化に貢献したDD51形とDE10形。
大坂さん、今回も登場させようと思ってやめたのですが、伯備線の真ん中にDE10が入ったD51の三台連結は面白いです。
@@Yukkuri-Lab 様、こんな牽引列車があったの❕❔
回送含んでいると思います。定期列車でこれはなかった筈です。
💟昔は、猫娘(ゲゲゲ)や目暮警部・閻魔大王、火野レイちゃんなどが、🟥dd51のイメージでした(いずれも、山陰ゆかりの少年・少女漫画のキャラクター)。💟貧乳(シンデレラバスト)といえば、橘百合愛ちゃん(ぬ~ベ~)ですね、今は。(💟猫娘は、キハ58の方が似てる。←ラッピング無しの赤・クリーム色版。)
ご視聴頂きありがとうございます。楽しい表現で面白い!
蒸気好きから見れば味気ない赤ボディ。磐越東線に入線して、D60が消えた頃は残念すぎて子供の夢奪われました。それから十数年後、八高線でDD51の貨物列車を偶然に撮影。思えばフィルム撮影時代の掉尾になりました。
HMS Hoodさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。蒸気から見ればそうなんですが、DD51の気にいらないところは四角い立方体でないところです。DF50や試作機のような形状していて大活躍していたならば、気にならない存在だったかもしれません。
昔は赤豚やらなんやら言われてたのに今では貨物からも外れ一部残るのみでみんな珍しい珍しいと言って写真を撮るなんかすごい悲しいなぁ、この前DLやまぐち号乗ったけど何も知らずとった切符の号車が二号車でエンジン付き、最高だった。新潟トランシスの割と新しい車両だけど外見は,クーラーを除きまんま旧客でよかった車内にコンセントがあるのが少し残念だったけど、なんだかんだ現役のDD51をみるのは、初めてだったからいい思い出になりました。
ティバゴンさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51もDE10もそれを目的に撮影に出かけたことは保存機含めて一度もありません。別に義理立てするのではないのですが、いまでも大嫌いだからです。コメントには本音を言わせていただきありがとうございます。ただ、旅行での移動ではDLが良いですね。蒸気は汚れるから乗るのは嫌でした。
@@Yukkuri-Lab 自分は平成生まれなので蒸気は、あまりわからないのですが、今の国鉄機関車がEH500やらの新型に淘汰されていくのが悔しい自分の気持ちと似たようなものなんでしょうか?
ティバゴンさん、そうなんですね。私は車輛の回転が二回りするぐらい古いのですが、今は逆に新しい機関車のほうがすきです。EH300はきらいですが。Twitterでも国鉄色とか国鉄型って人気ですよね。私にはちょっと感覚がずれているのですが、DLに駆逐される蒸気のイメージだということでしたら良く分かります。
こんにちは👋😃DD51は力強く勾配でも小雨でも空転しませんでした😃
谷口さん、ご視聴頂きありがとうございます。軸重を運転席で変える機構を持つらしいですね。C62も大がかりですが、軸重は可変でしたね。
ディーゼル機関車は、芸備線でも走ってました。時々、バラストを運ぶ為に走る事があります。
機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございました。そのDLを撮影されてアップするときに、トーマスのディーゼルの声を入れてください。
@@Yukkuri-Lab ディーゼルは、おしゃべりシリーズがないのでできません……。ごめんなさい。
昔函館に5年ほど住んでいたので、DD51は身近な存在でした。惜しむらくは、そのころ鉄道趣味から離れていたことですね。最後の北斗星の写真は長万部~旭浜又は 中ノ沢~長万部かと思いますが、今はこのアングルでも立ち入り禁止?の噂があります。JRや保線の人とも線路沿いで仲良くやっていたのですが、残念なことですね。
51 Ts さん、ご視聴頂きありがとうございます。最近も昔も撮り鉄の数は同じぐらいだと思うのですが、社会が変わったからなんでしょうか?
個人的におもうんですが、DD51と20系客車って、デザインがあんまり合わないですね。DF50やDD54なら、似合うんですが🎉
たまさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51+客車はどんな形でも合いませんよね。貨物ですね。だから凸は!と思います。
昭和59年辺りに、釧路の半重連型が余りまくってたのを思い出しました。
ご視聴頂きありがとうございました。余ってJRの前に廃車されたのですよね。
函館本線沿線の道南の方はDD51は単機→重連→DF200と移り替わりDD51は北斗星の北斗星カラーの重連が最後かなぁ・・・貨物も重連からいつの間にかDF200へ。更新車もあったけどあっという間にDF200になってしまった。印象的なのはDD51の急行ニセコかな。
まちやきさん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。私はDD51の悪者イメージが無い分、DF200のほうが安心して見ていられるかな?と思います。
@@Yukkuri-Lab DF200のほうが違和感ありありですよ?生まれてこの方DD51がマストだったんで。幼少期から森駅近くの自宅の近所から駒ケ岳を背に走り去るDD51やキハ82かキハ183系しか見たことしかありませんから。ここで一つ、仁山駅を登坂線に一旦退避する客車列車するのも面白かったですね。亡くなったバーサンが気動車苦手で幼少期は客車列車しか乗らなかったのでよく乗ってましたね。
そうなんですね。私もC62急行ニセコは何度か撮影に行きましたが、それ以前からファンだと北海道行ってあんなの(C62)撮って何が面白いの?北海道は古典期の宝庫じゃない!とたしなめられたのを思い出しました。
@@Yukkuri-Lab どうしても生まれた年が昭和49年生まれなんで・・・多分、鉄道写真で有名な箇所で見てましたから(森駅から少し北側のS字カーブのところ)3つライトのDD51を見たことありますよ。(末期は新潟のほうに行ってしまったけど)
車運搬のユーロライナーも引っ張った名機のDD51 好きです!!!
SLもDLも大好きな俺にとっては共存して欲しい気持ちがあったよ、SLとDLの重連はかなりの萌えポイントだね
0721さん、ご視聴頂きありがとうございました。そうなんです。バランスよく共存していたら良かったんですよ。DF50と蒸気みたいに。
理想郷だよね〜、共存と使い分けが出来てたらなぁ〜
模型をやられている方は共存させている方多いですね。DLは蒸気より数少なくして。やっぱりそれが理想郷なんですね。
だよね〜、それが完全なる共存だよね〜
旧型国電と新性能電車は共存できませんでしたが、なぜ?
蒸気機関車をそんな駆け足で全廃する必要あったのかとは思いますね。確かに蒸気機関車運用に機関士と機関助手2人が必要な事実を考えれば人件費だけでもバカにはならないのですが…
Mr.Yattsunさん、無煙化のスピードをゆっくりしてDLへの投資を抑えた方が結局安くついたはずだというシミュレーションを見たことがありました。最近はそれを検索できないのですが。
NHKの急行ニセコのドキュメンタリーで「うちの親は蒸気機関車の機関士だったが仕事がハード過ぎて退職後間もなく癌で亡くなった。鉄道ファンよ感傷に浸るな」と言う新聞投稿記事を紹介していました。我々ファンにとっては蒸気機関車は楽しいものですが実際携わっておられた方々の事を思うと複雑な気持ちになりますね。
国鉄の現場は過酷でした。定年が55歳で、長生きされる方が少なかったと聞きました。北海道はその頃労使関係が荒れに荒れていて、その面からもソフトランディングした方が良かったのでは思う次第です。
@@Yukkuri-Lab 何がなんでも昭和50年に全廃と言うのが国策として絶対だったのでしょうね。リアルタイム世代ではないので恐縮ですが、国鉄はその割に蒸気機関車全廃をイベントとして最大限利用していた気もしますね。SL亡き後すかさずブルトレブーム、999人気に合わせたかのように山口号復活、チャレンジ20000キロなど、赤字とか親方日の丸などと言う割には商魂たくましかったように思うのはわたしだけでしょうか…?
何もしないよりは増収の掛け声の元あれこれやりましたが、みんな焼け石に水ということはわかっていたと思います。山口線の復活は梅小路の大都市運転では安全が保証できないから地方に持っていったのが現実のようです。
始めの方のコメ主サンも書いておられましたが、少年期に父親と毎週のように山陰だ筑豊だと出掛けていた私には、当時の撮り鉄の人たちが言っていた「赤ブタ」って呼称が忘れられません。そりゃぁ何時間もかけて来て、何時間も三脚立てて待ち続けて、来たのがDE10だった時の暗鬱たる心持ちたるや…(笑)、しかし今となっては貴重な経験であったと思います。
kohjinさん、ご視聴頂きありがとうございました。筑豊本線だと列車本数も多いですが、山陰線ではちょっとがっかりするでしょうね。例えば吹雪の上目名で急行ニセコの前補機にDD51が来たら(D51はありましたが、DD51は無かった)凍死してしまうファンも多かったでしょうね。
凍死(笑)。後で思い出したんですが、年末年始だったか、田川線の油須原のカーブでセキの96重連+後補ってのを大勢が待ち構えていたんですが、どう云う配車繰りの都合だったのか、DE10三重連の単機(…単機って言うんですかねぇ…笑)が来たコトがあって、その時ばかりは、みんな喜んで写真を撮ってました。実家を家探しすれば写真だか8mm動画だかあるんぢゃぁないかなぁ?
みんな三重連って好きですから、楽しかったでことでしょう。
正直なところDF50やDD51は登場時と同じマルーン(茶色?)塗装を踏襲してくれたら文句は無かった。1963年ごろにお馴染みの朱色にホワイトラインが入った塗色に変更されたが、SL煤煙対策で地味な塗色で塗られた既存の一般型客車や貨車には絶望的に合っていない。SL補機や重連で入ると悪目立ちした。赤豚と揶揄されても仕方がない。煤煙もSLほどではないが付着するので折角の明るい塗色はすぐに煤まみれになった。一方で箱型ボディでも流麗な欧州機関車の薫りがするDD53やDD54にはあの明るい塗色が似合っていたとは思う。
金澤華さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。全くおっしゃる通りですね。新しい時代の到来をイメージしたのでしょうが、風景を絶望的に破壊しましたね。北斗星のブルーはいい色だと思いますが形状が好きになれません。
小学生、中学生の時に「ゆうづる」「はくつる」に乗った時はまだ蒸機だったのかな。社会人になって乗った「北斗星」はカラー変更の過渡期か北斗星カラーと朱色の国鉄カラーの重連でした。私はここの動画に出てくるモノクロ写真が懐かしさもあって大好きです。。。
Keiさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。今回はDLなので、白黒をできるだけカラー化しました。元からカラーのもあるのですが、AIで着色した方が綺麗になりますね。とはいっても一枚2-3時間はかかるので、全部はできませんでした。
ディーゼル機関車の増備を5年くらい遅らせていれば民営化前のディーゼル機関車大量廃車はなかったでしょうね もう少し蒸気機関車を残して欲しかった気持ちがよく伝わって来ます
まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございました。もうすこしソフトランディングできれば、特に北海道の労組の先鋭化なども避けられたかと。
11:04 はやぶさ牽引機、キャブ上部がグレーのようです。初期車以外の重連型にもこの塗り分けの時期があったんですね。マヤ20との組み合わせも貴重。72、73年頃ですか?
futon_hosuさん、ご視聴頂きありがとうございます。これはAIで色を出したもので、キャブ上部は朱4号だと思います。がっかりさせてすみません。昭和45年の写真です。
@@Yukkuri-Lab お返事ありがとうございます。いずれにせよ、当時の鉄道趣味誌には取り上げられることのなかった被写体。SNSの時代に感謝です。
私がやらないと埋もれてしまいものとか、出来るだけ古い鉄道をご紹介していこうと思ってます。不適切な内容があれば忌憚なくお知らせください。
赤い悪魔で嫌いな割にはちゃんと写真残してるところが凄いですね
すさぬさん、ご視聴頂きありがとうございます。蒸気に比べたら、DLの写真は殆どないに等しいですよ。
SLは市役所前や公園に鎮座したものしか見たことがない世代ですが(今はそれもありませんね)、子供の頃はDD51はただの貨物機だと思っていました。しかも、いつもすすで汚くて、ダンプカーのようなエンジン音をたてて、時折黒い煙を吐く、スマートとは言えない形をした機関車の印象でしたね。ブルートレインブームのまっただ中でしたので、ELがすべてでした。
RAさん、ご視聴頂きありがとうございました。DD51はおっしゃる通り汚くてうるさい機関車で、不格好ですよね。なんで昨今もてはやされるのか?やはりレアというのでしょうね。
北海道なので、よく利用した『急行はまなす』のブルーDD51が力強く、カッコよく大好きでした(^_-)-☆引退残念です・・・。
田中KKさん、ご視聴頂きありがとうございます。やはりはまなすは青函連絡船より快適で便利でしたでしょうか?
@@Yukkuri-Lab さん!!函館、午前1時30に方向転換&機関車付け替え連絡船も良さがありましたが、夜行急行の14系客車の雰囲気も旅情たっぷりでしたよ\(^o^)/
ディーゼル機関車はかっこいいなぁ
TakPonさん、ご視聴頂きありがとうございます。かっこいいと思っていただき嬉しいです。
SL一筋だったのでDLが来たらカメラを向けなかったが今思えば少しは写しておけばよかったかも知れない。以前は地元でたまに見かけることもあったが今はもうない、と思ってたら昨年DD51が単機でやって来てびっくり!
SKTさん、ご視聴いただきありがとうございます。私はほとんどDD51やDE10は撮らなかったのですが、それでも結構ありました。今でも撮影に行こうとは全く思いません。迫力あるのは認めますけど。特に旧型客車+DD51/DE10の組み合わせは、当時を思い出して写真でも今でも見たくないんです。
DD51といえば新潟で1台だけ北海道仕様の三つ目がいましたね745号機でしたっけ?つらら切りに前面窓のプロテクターに旋回窓といった重装備が好きでした
TatsunaIikaseさん、ご視聴頂きありがとうございます。ごめんなさい、私はDLは全く興味が無いので、仕様違い全然分からないです。DD51に旋回窓つくと変な顔だなぁと言う印象は強く持っています。
@@Yukkuri-Lab 確かに動画内でも全然興味なさそうでしたねwww言われてみると旋回窓って船で使われてるあたり変顔になるかも…SLだとC57-180の門鉄デフ(波とかもめ)にスノープラウ、D51-498の重装備とか好きでした
蒸気の旋回窓は北や雪国の装備みたいで好きです。
わたしは東北奥羽方面電化後の世代なので、DD51の世話になったのは北海道方面に旅行したときかな。DLは五能線でも客車列車を牽いていたかもしれませんが、奥羽本線のED75のほうが印象が強いです。清水港線はDD13牽引でしたね。教室に暖房のない土地でしたから、列車の暖房も必要なかったのではと思います。
Motohisaさん、ご視聴頂きありがとうございました。長距離の客車に乗ると、途中で蒸気になると煙が入ってきて夏は本当に大変ですから、DLだとホッとしました。蒸気は撮るもので乗るものではないです。DLは撮影するもので無いですが、構図を決める時とかカラ送りで構えたりしたのが残っています。
いつも貴重な記録をありがとうございます。DD51も試行錯誤を経て、東と西に現在残る車輌は完成形ですね。いわゆる馬鹿力の持ち主ではないものの、中間エアサス台車で軸重可変機構を持たせたことは蒸機では果たし得なかった夢でしょう。だいぶ前に西日本のDD+12系客車で山陰〜山陽の周回ツアーを走らせた際、エア圧を下げてセノハチの上りを走破したとの記事を読みなるほどと感心した記憶があります。
三丁目分隊員 さん、ご視聴頂きありがとうございます。今回DD51/DE10をやるにあたり、真岡鉄道の蒸気走る日の夕方のDE10牽引14系普通客車列車をレポートしようかと思いましたが、やっぱり嫌だなぁと止めました。私の頭には悪者イメージ強すぎてどうしてもだめです。
産まれた頃には、北陸線は複線電化+北陸トンネルが開通されていたから、SLの時代を知らない。敦賀~今庄間の山中越えも記録を見るに過ぎないですが、SLの場合に煤煙が酷かったようです。快適な旅が出来たのもDD51などのお陰です。
Thunder Bird1さん、ご視聴頂きありがとうございます。平坦なところをゆっくり走る分には蒸気でも乗客はあまり不都合は感じないでしょうが、峠道などではそれは乗っている方も、乗務員さんも必死だったと思います。
北陸線の急行列車は1960年代に475系によって全て蒸気は下ろされたと記憶してますが、間違いないでしょうか?
@@asokai2346 そうだと思います。ただ越美北線、小浜線、七尾線など支線にはSLが残っており、福井駅敦賀駅でたまに見かけた覚えはあります。それと電化が遅れていた富山から北でSLに付け替えて走っていた話も覚えています。田村同様に糸魚川手前のデッドセクションの急行客車の通過にSLの最期の活躍の場が残っていたとも思われます。
DD51とDE10は英雄です!東日本大震災の時に臨時貨物列車を磐越西線を重連で走ってタキ100を連れて被災地までガソリンを運んだことがあります!あっ! ちなみに3月20日ぐらいに発車したらしいですよ!
和鉄D51 498さん、ご視聴頂きありがとうございます。そのような救援列車があったのは記憶にありますが、DD51とは思いませんでした。災害時には電気をつかう機関車、列車はだめですね。危機管理上もDLは残してもらいたいですね。蒸気ならばもっと嬉しいですが。
@@Yukkuri-Lab さん確か磐越西線は新型がとおれなかったらしいですよ!
あっ!そうなんですね。
自分もDF50のほうが断然好きですね。DD51は凸型だからか本線用っぽさがないというかどうしても蒸気機関車に比べて垢抜けない感じがあって微妙な印象ですね。特に優等列車の先頭に立ってるのはなんか違う感がある。凸型だからかな?四角い形のほうが牽引機って感じで個人的にはすきですね。凸型だと入換機のイメージがあるからかもしれません。まぁ優秀な機関車なのは間違いないでしょうけども
ChannelKuwarinさん、ご視聴頂きありがとうございます。凸だとなんか業務用車両のような感じで。DD13の成功が決め手だったのでしょうか。機関車らしくないし、世界に誇れないという感覚でしたね。
東映アニメきかんしゃやえもんに出てきたDLがちょっといけ好かないキャラだったのでDDは嫌いでした。まさに当時はSL終焉の時期で、真っ先に電化された函館本線ではほとんどの貨物がDD51に置換されていて、「何だよ!」と悔しい思いをしました。でも室蘭本線なんてまだまだSLの巣窟だったのはずっと後から知った話。小学生には見に行く行動力はありませんでした。それから半世紀。。「たまにはDDでも見ておくか」と思い立ったら今度はDFの天下。何気ない日常も後年貴重になると知った次第です。
ご視聴頂きありがとうございます。そうですね、函館本線は室蘭本線に比べてDLが多かったですね。DF200って人気ないんでしょうか?
SLが廃止されDD51に置き換わっていった1970年代頃、鉄道誌にDD51のことをデラックスD51と書いてあったのを覚えています。
正和 今中さん、ご視聴頂きありがとうございました。DD51を好きな人って当時いたのでしょうが、私はどうしてもダメでした。悪口は言いませんでしたけど。まず赤い色が今でもなじめません。凸型もです。
103系や115系を旧型国電の敵みたいな言われ方するのと同じことなんですかね。DLと蒸気じゃ性能がハッキリしすぎて、末期の頃は蒸気が転がされていたので一緒に走らせるのは正直アカンかったって言えばそれまでですかね。蒸気が可哀想すぎて。
蒸気機関車は意外と力あります。DD51以上に。でも走らせるためのリソースが莫大にかかるんですね。公害にもなります。でもその時は多くの職員の糧となっていたわけで、進歩が労働者のためにバストだったのかは分かりません。
私の身近を走るローカル線、そこにはDE10の活躍がありました旧客を10両以上連ねた通学列車、数本の貨物、小学生の頃友人達と連日の様に見に行っていました当たり前に見られた活躍も先が見えて来た感がありますね…
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございました。DE10だと保存蒸気とペアで残るでしょうね。
ひんぬーの霊夢には嫌なタイトルですね。DD51も残り少ないですよね…。向日町に駐機してあるのをよく見るのであまりそうは思わないのですが…。
駿さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。タイトル意味深なのを分かっていただき嬉しいです。DD51と言えばJRで動いているのを最後に見たのは2014年頃じゃないかなと思います。以前は名古屋で新幹線を待っていると重連でガーっと走ってきて、うるさい機関車でしたが、いつの間にか無くなって結構なことだとか思っていました。本当にDD51とDE10は好きではないです。コメントだから言うのですけど。
@@Yukkuri-Lab 2014年の名古屋ですか。貨物ですかね。デッカくて朱色が明るくて好きなデザインですね。やはりSLを駆逐したのが憎いのですか?
赤くて、うるさくて、凸型なところですね。見ていて安っぽい感じがして。今のEH300のような工場入換機だけど強力とかわけわからん機関車と同じです。と勝手なこと言ってすみません。
@@Yukkuri-Lab 凸型嫌いなんですね。DF50は好きと動画でおっしゃったので箱型が好きなのですね。
そうです。赤くて凸型なところですね。旋回窓つける北のは特に顔まで間抜けです。DF50は蒸気と共存していた非力な機関車ですし立方体で好きな方です。それでも無煙化後に写真を取りには行きませんでした。
かつてはSLを駆逐したせいか赤い文鎮とか赤鬼とか呼ばれたDD51も、もはや姿を見ることも難しくなってきました都心ではすでにHD300に置き換わり、DE10を見ることも少なくなりましたし
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。HD300もつまらない形した機関車ですねぇ。DF200は意外と好きかもしれません。蒸気と全く関係ないこと、四角い形状からです。
追う側から追われる側へ人生はいつも廻り舞台…。
サムネの写真が撮影された時期はまだ札幌駅が地上駅でしたね。貨物の道内用DD51でも水色にオレンジ帯の試験塗装車もあって今思うとまだ勢いがあった時代だった気がします。C62ニセコも乗りましたがガラガラでビックリした思い出があります。運転日数が激減してから切符が取りにくくなりました。
北斗一裂拳さん、ご視聴頂きありがとうございます。札幌駅は高架になったのですね。私は古い時代のことしか知りません。C62ニセコは撮影だけで乗っていません。
長野県人ですが、信越本線でDD51走っていたことは知りませんでした。私が知っているころは、EF62の天下で客車牽引や貨物牽引で活躍しており、DLは篠ノ井駅の貨物ヤードでDE10が入れ替えで活躍していたことしか覚えていません。たまに都内に出るとき、特急あさまの車窓から高崎機関区に停車していたDD51を見ると、興奮していました。最初に買ったNゲージもDD51でした。DLが入れ替え用か、飯山線の客車気動車のキハしか見たことなく、幹線用のDD51は数年に1回くらいしか拝むことが出来なかったためかもしれません。
原さん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。ちょっと以前の動画で信越線の名門急行の白山のD50重連を追ったものをやりましたが、DD51が信越線を走っていたのでしょうか?電化でELかな?と思うのですが。長野機関区は信越線の窓から撮影したもので、とても車窓から良く見える機関区であることを知ってました。その前に長野工場のスクラップ置き場の蒸気が一杯置いてあるところを通りました。
信越本線なら80系とそれを追っ払った115系1000番台が一番有名ですね。115系1000番台は長野ではかなり凄い車両として崇め奉られてるみたいですが。
赤い凸、赤ブタ、散々な言われかたですね。赤いあんちくしょうは京急電車ですが...電気式は米国進駐軍が持ってきた機が最初で、米軍基地への「米タン」入れ替え等に使われて後に国鉄へ払い下げられ、DD12になりますね。もっとも、千葉県内国鉄線は、昭和40年代に木原、久留里線以外直流電化が完了していて、蒸気機関車もブドウ色の客車とも無縁で、DE10が木更津、君津、館山発着の貨物を牽引していたのが唯一でした。今現在も蘇我駅に行けばDD13の末裔に会えます。
いあさん、いつもご視聴頂きありがとうございました。千葉は8620とC58そしてC57のイメージです。昔潮干狩りで蒸気の列車に乗りました。DL化の後は昭和47年にC57-1が来たときDE10の旅客列車に乗ったような記憶があります。
💟ぬ~ベ~の橘百合愛ちゃんを思い出す…(貧乳、シンデレラバスト)。自分は、幼少期、🟥DD51は、猫娘(ゲゲゲ)、目暮警部・閻魔大王様、火野レイちゃん、のイメージでした(いずれも、🟩山陰ゆかりの少年・少女向け漫画のキャラクター)。自分の実家が、南丹市なので、🟦出雲号、よく見てました❗懐かしい👀‼️🚇️石破茂大臣も、お好きな列車だったそうです❗
撮り鉄議員さんや鉄の議員も多いと聞きますので、議員立法でボイラーの管理基準を緩和してもらいたいです。
DD51やDE10が無くなると緊急事態時の全国輸送対応がやりにくい事になるかと。何とか残して貰いたいですね。
内海さん、確かに国土安全保障上DLは何両かは残す必要はあるでしょう。
東日本大震災の時、緊急石油輸送で磐越西線で牽引したDD51の動画を時々観てます…
DD51の3重連は珍しいですね😀でもD 51三重連必要ならDD51も当然三重連でしょうね。DD51は速いですが、山口線のような過酷な峠越えはDD51より空転しにくいD60が有利だったのでしょうか。DD51は名機とはいえ当然D52 C62には敵わないのですが給水しなくて良いのは有利だったかもしれません。皮肉ですが今はDD51 1043号機が人気者ですね😂
Pu Poさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51は軸重が可変ですが、山口線では14tで走っても、タイヤも小さいのでうまくこなせるかと。DLのメリットは給水しなくて良いところですから、機関区の数は縮小しました。保守も蒸気独特な作業は必要ないので、合理化にぴったりだったわけですね。DD51 1043が人気なのは全く知りませんでした。何が良いのでしょうか?
今回は赤いDL感じ主役と成りましたね☺️このDD51もちょっと前まであちこちで見掛けましたが今ではめっきり数が減り寂しく成って着ましたね😣
塚越さん、DD50/DE10の赤い色は国鉄、JRの風景をダメにした張本人の一つだなと勝手に思っています。
さすがに特急だと、電化が近いと言っても優先で配置されるのでしょうね。DD51やDE10が重連制御対応されたのがとどめだったのでしょうね。そのDD51やDE10も絶滅寸前ですが・・・
Homareさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうですね、やはり特急は別格だったような。でも常磐線はDLは基本入線せず、老体のC62に特急を牽引させていたのは興味深いです。DD51やDE10は蒸気とイメージが被るので、見ていても全然楽しめないのです。
奥中山はSLやDLの補機運用で賑わっていたのでしょうね、IGRになって変わってしまいました。
すがさん、東北本線が通しで無くなってしまったので、長距離列車が無くなってしまいました。
これって昔長崎で寝台特急あかつきを牽引してなかったっけ?
Ryuさん、ご視聴頂きありがとうございます。特急あかつきは、さくら牽引無くなった後もC60がけん引していました。ですからDD51も牽引しています。大阪の列車なので全然身近ではなかったので、興味ありませんでした。
DD51はでーっかい入替え用機関車といった印象(個人の感想です)で好きにはなれませんでした。DD16なんかは可愛いと感じたものですが、これもローカル線で蒸気機関車を追い出したんですよね。
ねずみ色の猫さん、ご視聴頂き有難うございます。同じ様な感覚を持っていただいて嬉しいです。
蒸気機関車を駆逐したディーゼル機関車。客車列車を駆逐した気動車。非電化路線では、時代ごとに色々とある気がします。なんだかんだで色々と残っているのは、山陰本線は後藤総合車両所ですかね。あそこは給水塔の跡もあるし。
seijiro@FTO.DE2Aさん、ご視聴頂きありがとうございます。転車台は意外と残っているところも多いですし、現役で使っているところもありますね。Google Mapで暇なときは日本だけでなく、中国やタイのも探したりします。
DD51重連で、可能ならば…緊急輸送列車のアップを期待します!ちょっと本題とは、違う気がするケド…
ヨシユキさん、ご視聴頂きありがとうございます。せっかくのリクエストですがDD51を目的に写真撮影に行ったことないので、写真はないんです。蒸気があってのDD51やDE10の写真しか殆どないのです。
やっぱり蒸機のほうがメカメカしくて好きですなぁ…
ひだじ提督さん、ご視聴頂きありがとうございます。いやー、全然比べ物にならないです。
悔しいけどしっかりまとめられて、心中お察しします。でも模型で再現してみると、DD51カッコいいんですよね(笑)北斗星色のDD51がトワイライトエクスプレスを牽引するのがカッコよくて、DD51×2を売って蒸機を買うのを止めてしまいました。国鉄色の暖地型も持ってます。模型でも古い蒸機は不安定ですが、立ち往生した時や坂を登れない時DD51の救援や補機は重宝しますね(笑)模型の世界では安くてよく走って牽引列車を選ばないDD51は重宝します…って実物と同じかぁ(爆)この間381系やくもが雨か落ち葉でスリップして立ち往生した時もDD51が救援に行ってましたね。
832Buuchanさん、ご視聴頂きありがとうございました。以前スペインのお客さんが日本でDD51のNゲージを買って持ってきてくれと言われて求めたことがありました。何でDD51が良いのか全然わからないけど?と言いましたが、好きなんだよね!ということでとても喜んでいました。いまでも全然気持ちが分かりません。
SL好きにとっては、やっぱり赤い悪魔なのでしょうね。🙄その存在理由からしたら、SLの居場所を駆逐する存在であり、長期的な共存は有り得ませんからね。🧐(もちろん観光用は除いてです)そういう意味で、SLとDLが一緒に収まっている姿は本当に貴重な記録だと思います。🤔ぜひとも続編お願いします。🙏
あいうえおさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51・DE10はせっかく楽しく遊んでいるのに、おもちゃを取り上げる悪ガキのようなものでしょうか。機関区とか駅ではDLが写り込むことないように撮影していました。でもどうしようもない時はありますね。続編はしばらくしてからやりたいです。
ボンネット
DD51牽引のブルートレインには乗れずじまいでしたが、DE10は高校生時代の沼津駅でも、高校卒業後は新座貨物ターミナル駅などでも見かけていたので、いつの間にかハイブリッド機関車へ置き換えられていて、驚きと寂しさを感じました。HD300は凸型の車体と言ってしまえばDD51やDE10と変わらずとも、いよいよ機関車らしさ、鉄道車両っぽさが薄くなり工場の機械に近づきつつある感じがして好きになれないので、魔理沙の悔しさからしたら1%にもならないでしょうが、お気持ちお察ししますと申し上げたいです。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。HD300はおっしゃるように工機用車輛みたいですね。全く興味が湧きません。でもDF200ですか、嫌な思い出も無いうえ、四角い機関車なのでまぁ良いかなと思ってしまいます。
確かにD51やD52に比べると、パワーウエイトレシオでは負けてしまう。が、その汎用性の高さと何より無煙化に貢献した点では充分褒めれる存在。残念ながら昨今ではDDに至っては淘汰が急速に進み、東西旅客会社合わせて10両が残るのみ。DEも整備部品がそろそろ枯渇してくるであろう時期で、新世代DL等に置換えれる会社は置換えが進み、それ以外の会社は騙し騙し使用しているのが現状。運転士や整備要員の技術継承も今後の課題。当面は確実に運用し続けるのは目に見えてますから。特に2島会社はどうするんでしょうか?北は多分貨物の開発したHD300辺りをラッセル用/救援や入換用として何十両か導入するでしょう。四国はDEが1両だけ存在してますが、基地内の入換や故障時の救援車両はどうしてるんでしょうね?
山田さん、ご視聴頂きありがとうございます。南アやドイツのように無煙化を遅らせた国もありますが、結局損得勘定はどうだったのか調べてみたいです。蒸気がいつの日か無くなるのはみんな覚悟していましたが、あの赤いDLにやられたのはかなり残念に思っています。日本中で機関車が死語になりそうな気配で、電車や気動車がコンテナ運ぶようにでもなるのかもしれません。
幼い頃に東北へ連れて行ってもらった際、旧型客車の開きっぱなしの貫通扉から機関車が見えていたのを覚えています。それがDD51だったと知ったのはずっと後。SLを追い払った悪魔的存在ですが、SL時代を体験できなかった世代にはDLでも郷愁そのものですね。
abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。まだどこかに客車列車あるだろうと思っていましたが、完全に無くなってしまったのですね。
主さんには憎き敵でしょうが、1号機は落成後の性能試験で、上り勾配上の引き出し試験に失敗して救援用のSLに助けられるという屈辱を味わったり、追分機関庫火災に巻き込まれて全焼し、転倒防止のため線路脇にひっくり返されて放置されるという哀れ極まる末路をたどった車両もおります。幹線用DLの決定版としてエリートのような扱いをされがちですが、この地位を確立するまではメーカーの弛まぬ改善や受け入れ先の粘り強い努力もあったはずです。もっとも、凸型で赤い塗装はゆでダコのようでカッコいいかと聞かれると…😅
773Kuroさん、ご視聴頂きありがとうございます。追分機関区のことはよく覚えています。ところで9600とD51は3月25日か26日まで火は入っていたそうですね。4月の火災の直前の第一週まで火が入っていたとか写真を見たことあります。みな口には出しませんが、「ざ〇〇〇ろ」と思っていたでしょう。蒸気の呪いだとか。怪我人がいなかったので好きなこと言えますね。
あと20年もすればEF510 などが同じ扱いになりますね(^o^)
小江戸川越のらり蔵りさん、ご視聴頂きありがとうございました。20年後にJRが新幹線と大都市圏の通勤電車以外存在しないかもしれないですね。
凄まじい勢いで無煙化していた当時を思い出す動画でした。今では蒸気同様貴重となったDD51/DE10ですが残念ながら蒸気の様な楽しい思い出はありません。無煙化後DCはタラコ色になり50系客車をDLが引く国鉄末期の殺伐とした時代を思い出す機種です。この動画を機会に別の角度からDD51/DE10を見ていこうと思います。
Kwさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はいまだにこのDD51とDE10は好きになれません。
東北に石油届けたヒーローとして歴史に刻まれたDD51
28 TARTHERZEALさん、ご視聴頂きありがとうございます。
その美談、武勇伝良く聞きます。私はあまり関心なかったのですが、後年聞いてなるほどと感心しました。
消えゆく老兵、漢の花道!
DC8や707をエアバス機に駆逐されたので気持ちはとても解ります。
それはそうと清水港線はDD13牽引でした。
航空奉行所さん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。
DC8は乗ったことありますが、707はないですね。727はアメリカで良く乗りました。私はDC10とIL96が好きです。清水港線のDD13牽引は、前回のDLのときに視聴者様に教えて頂きました。SGがないから寒いのでしょうか?静岡だから大丈夫なのかな?
1982年に三保から清水に乗った時にはDD13で、貨車混結はありませんでした。
対抗する連絡船は双胴船のはごろも丸とさくら丸でした。
@@Yukkuri-Lab 727はANAにいたのでよく乗りました。
DC10は人気がありますが、IL96とはマイナーな存在ですね。
旧名古屋〜ハバロフスク経由モスクワのSU592便の最終日に一度だけ来ました。
それまでの機材はIL62でした。
私も浜松に住んでいたのでバイクでツーリングでよく三保の松原行きました。
@@Yukkuri-Lab 親戚が清水にいたので三保や久能山、2つ繋がった銀座等によく連れて行かれました。
名古屋から清水までは急行高千穂で。
蒸気好きにはDD51は敵以外の何者でもないですが、今やあの重低音で走るDD51は希少種。DD54は乗れた年齢ですが、阪急沿線なので国鉄には乗ることがなかったのが残念でなりません
DCT1000さん、ご視聴頂きありがとうございます。
SLブーム当時でも、本当の鉄道ファンは蒸機だけでなくまんべんなくDL/ELそして客車、私鉄も撮影していました。(そしてピクトリアルを愛読)私は鐡道は風景写真から入って、昭和41年頃から蒸機の撮影に出かけるようになった方で、特段蒸機以外のRollingstockには興味はなかったです。ですから偏狭な当時の言葉で言うSLマニアなんですね。よってDD51は仇敵なんです。今でも大嫌いですが、高崎の最終日に出かけ留飲を下げました。
わかりますよ。ウチの元上司もSL限定で撮り鉄です。それこそ雪の銀山にニセコを取りに行った写真を見せてくれました。面白いのは乗る方には全く興味が無いようで、東武の大樹が走ってるから日光に行こうと言われて、てっきり乗れるものだと思ったら、車で現地に行って撮ることに徹してました…。たまたま切符が手に入ったので、私一人で乗りましたが。
私も蒸機に乗るのは別に関心がないのですが、移動で蒸機、途中で蒸機に交代となると熱くなりました。やはりイベントではなく日常というところが良かったところです。
DD13含め、赤い凸型のDLは大嫌いでした。何より蒸気機関車を駆逐した張本人で、どこでも走れ客車も貨車も曳ける性能は素晴らしいが、鉄道車両というより、建設系重機の様な色と形が嫌いで、箱型のDD50やDD54の方が好みでした。僅かにDD51を見直したのは東日本大震災の迂回輸送。あの逞しさは好き嫌いを超えた魅力を感じました。そのDD51も引退とは時の流れは恐ろしいモノです
蒸機時代にはほぼ間に合わなかったのですが、学生時代は田舎の鉄道が好きであちこち旅行しました。電化区間は旧型国電、非電化区間はキハ10系20系と言った初期の気動車も多くいましたが、赤いDL牽引の列車には乗ったことがありません。非電化幹線に乗らなかっただけもしれませんが、そんなこともあり赤い凸型DLにはあまり思い入れがありません
DE10やDE11は非対称なのでまだかわいいです。
DF50は良いなぁと思います。
・・・とするとDD16はまだ許せる?まあでもC56やC11を駆逐したしなあ;
DD16は非力ですが、小海線のC56を追い出したので嫌いな方です。
寝台特急あかつきが好きですよ。
ご視聴いただきありがとうございます。関西の方々にはあかつきのほうが、さくらより馴染み深いだろうと思いますよ。
筑豊本線を走る寝台特急あかつきです。自分は福岡県飯塚市出身ですので
特急さくらの動画を是非ご覧ください。筑豊本線を前段に出してます。飯塚はでませんが、直方と原田と沿線風景もあります。
th-cam.com/video/uGuH4J05G9I/w-d-xo.html
昔、近くの機関区のイベントの翌日。DD51が五稜郭のD52を貨物列車に繋げていたのを思い出しました。
堺さん、ご視聴いただき有難うございます。
機関車があるうちはあれこれ変わったイベントをやってくれましたね。
今はすっかり機関車も無くなって趣味の面からは残念です。
結局昭和48年には篠ノ井線も電化しちゃってDD51も他所へ引っ越してしまったんですよね。
toshさん、ご視聴いただき有難うございます。
篠ノ井線は昭和45年電化で、48年ですと中央西線ですね。
電化でDD51が余剰になるわけですが、DD51作りすぎましたね。
SLが現役だった頃を知らないためか、機関車というとEF65とDD51が一番に頭に浮かぶ。
仮名前さん、ご視聴頂きありがとうございます。
DLは架線やポールが無いので、写真対象としてELよりずっと良いと思います。
🟩碓氷峠と、🟥山陰本線…今も昔も、撮り鉄・眺鉄の、おすすめスポットです❗🟥DD51出雲号🟦…懐かしい❗👀‼️←自分の実家が、南丹市なので、幼少期、よく見ていました❗🚇️石破茂大臣も、よく利用されていたそうです❗
秀記さん、こちらもご覧いただきありがとうございます。
蒸気がなくなって何年もの間同じような情景がDLに引き継がれたんですね。今のJRはそのような思い出が全部ぶっ飛んでいるので、愛着がないんです。
5:36の電源車…
かの迷車マヤ20ですね
(しかもはやぶさ運用とは珍しい)
カラー写真は見たことないので
凄く貴重じゃないですかね。
(昔、20系の電源車が脱線事故で
不足時に数回のみ
九州からわざわざ東京まで
持ってきて臨時あさかぜに
就いたことがあったらしいです)
今の時代はディーゼル機関車すら
国鉄型は人気ですが、
無煙化進展時代の蒸気からDLに
変わり始めた頃は嫌われもの扱いの
DD51だったんですね。
LocalE233さん、ご視聴頂きありがとうございます。マヤ20ですね。さくら以外の運用のことについてはあまり知らないのですが。カラーはAIで着色したものでオリジナルはBWです。DD51は蒸気ファンには目の上のたんこぶというか、悪の権化でした。
「赤い悪魔……!」確かに一部の人はそう言っていましたね。
うぷ主さんの動画では、昔の写真がたくさん見れていいですねぇ~!まだまだ古い写真がありそうですねぇ~!
3年ぐらい前に80代の方とお話しする機会があったので、「あの当時のSLはどうでしたか?」なんて聞いてみたら「いやああ~嫌だったね!乗っていると顔は真っ黒になるし、新しいシャツもすぐ黒くなる。早くどうにかしてくれという感じだったですよ!みんなそう言っていました。」
なんて言っていました。当時は多くの駅には顔や手を洗うために、ほぼ必ず蛇口がついていました。上野駅などにはずらりと蛇口が並んでいました。
当時の国鉄も無煙化達成を目標にしていました。昭和32~33年頃、まず入れ換え用の単純構造のDD13が造られると、ほぼ同時期にDF50も造られました。
DD13は入れ換え用機関車としてまずは成功しましたが、DF50は本線用の機関車としてはパワーが低く(DD51の片肺分の出力でこの約10年後の昭和41年にできる入れ換え用のDE10に相当。101系電車の1ユニット分にも満たない出力。)、パワー以外では電気式で欠陥はありませんでしたので、これを増備せざるを得ませんでした。当時の利用者からの無煙化の要請も強かったそうです。
その数年後、1000馬力クラスの出力を吸収できる液体変速機が実用化します。明治以来急速に輸送力をつけるために安く建設された日本の線路は貧弱なところが多く、特に非電化のローカル線においては、装備品の多い電気式よりも、その数の少ない液体式の方が軸重等を軽量化できるので、液体式のDLの増備がどうしても必用でした。
そこで昭和37年に登場したのがDD51です。
DD51はDF50の重連以上の性能があったので、SLを本格的に置き換えることが可能になりました。そこでDD51はこの動画にもあるように、日本全国に配置されて、無煙化に貢献しました。
SLマニアからすると、DD51は確かにSLを駆逐した「赤い悪魔!」でした。
製造も急激にできない面もあったので、やむを得ざるDLとSL補機等の連結など、昭和50年にSL駆逐を達成できるまでの間の戦いの様子もありました。
DLの出力アップはどこの国でも課題になっており、ELのようにモーターの出力や送電量を単に上げれば済むというわけにもいかず、大出力エンジンをつくるにもスペース的に限界もあるため、80年代以降くらいからは、世界的に、いくつものDLをつなぐ方法で編成全体の出力を上げることになってきています。
権三郎平衛さん、ご視聴頂きありがとうございました。詳細なコメントも感謝いたします。私も蒸気列車に乗るのは嫌いです。汚くなるし。目は痛いし。未電化部分はDCやDL牽引に限ります。それでもトンネルが多いところでは前に蒸気が走ったので、トンネルでは窓を閉めてくれと車掌さんに言われますから、殆どの乗客は蒸気の廃止を望んでいたんでしょう。
その意味でもDD51は素晴らしい活躍をしたわけで、国鉄としては正しい素晴らしい事をしたのではありますが、蒸気ファンとしてはあの色、うるさい音、そして不格好な凸型スタイルはどうしても受け入れられませんでした。今でもそれは同じで、DD51が無くなるので清々しい気持ちでいっぱいの今日です。
@@Yukkuri-Lab さん
うぷ主さんは、何かどこかに、幼少期のトラウマのようなものがあるのかもしれませんね。
自動車の場合はその抵抗感はどうでしょうか?ワンボックスカーよりも、3ボックスカーつまり凸型の方を買う人が多いと思います。
私はSLもDLも好きです。特に好き嫌いの差はありません。また、DLだと箱型、凸型の好き嫌いもありません。
いろいろなデータを見ると、製造価格、重量、軸重、メインテナンス、点検、デッキ付き、入れ換えなどの作業効率、乗務員の安全等で言うとおおかた凸型の方が優れています。
アメリカなどのDLは、ボンネットが屋根の高さまであるだけで凸型の一種です。日本だとDD14がこれに近いです。SLのように脇が切り欠いてあり、そこから前を見ます。SLの名残です。
現在、特に日本の本州以南では、従来の本線用のDLの需要はほとんどありません。
名古屋のDLも、本来ならば「本線用入れ換え形DL」つまり凸型の方が箱型よりも適切です。
まあ、所要8両のためにわざわざ新形式は造らないでしょうが、東海道線、関西線で重量貨物引っ張り高速移動をし、貨物線、引き込み線に入って入れ替え作業をするからです。
私はある時期から、専用線や引き込み線に興味を持つようになってしまいました。
特にそこで使われるDLや移動機等(ほぼすべてが凸型、L字型)に興味を持つ「ゲテモノマニア」になっていたのでした。
権三郎平衛さん、幼少期は吊りかけ電車と都電と、旅行に行く時の上野駅のうるさい音の蒸気機関車という感覚でしょうか。昭和40年頃まで蒸気目的に撮影に行くことは殆どなかったです。色々旅行は行きましたので、写真とカメラが好きなので駅撮りはしていました。
DD51/DE10の急展開は、丁度蒸気撮影を始めたときに被っているので、DF50のような上品な機関車と違って見たくもない機関車でした。それがトラウマでしょう。
車は数えきれないくらい乗り換えてきましたが、基本的にスタイル以前にエンジンが好きだったので、エンジンから選ぶと、ハードトップとかクーペになりますね。ワンボックスやトラックも持っていましたが、二輪のレース車を運ぶ目的ですので、いまでも乗用として選択肢に入ることはありません。車はもう一応極めたので次の高みに行くためには到底お金がありませんので、軽自動車で満足しています。
僕のところDE10走っていますよ。貨物運用に使われてます
愛さん、ご視聴いただき有り難うございます。
そうですか。楽しいでしょうね。どちらの線路ですか?
主さん🎵詳しい歴史 ありがとう👍🎵 エネルギー問題や無煙化 国産エンジン開発は、現在新型車輌に(DC DL)に受け継がれましたネ👍🎵
7 Tom,s7さん、ご視聴頂きありがとうございました。当時の雰囲気が少しでもご理解いただけたら嬉しいです。
僕は小さい頃からdd51とde10大好きなのに…
dd51とde10のプラレールやnゲージを破壊する動画が上げられそう……
ご視聴頂きありがとうございます。
お気を悪くさせてごめんなさい。
DE10は非対称なので良きですね。
故郷の石炭列車も蒸気(9600)からDL(DE10かな)になり、ダンプ輸送、そして閉山になりました。個人的にもDLは「蒸気を追いやった存在」のイメージが強いですね。
819 manさん、ご視聴頂きありがとうございます。
秩父鉄道は近くに高速もありますが、今でも石灰岩輸送は健在です。
この貨物輸送が無ければ秩父鉄道は観光と地元の足だけでは成り立たないでしょう。貨物鉄道輸送って大事なんですね。
「デラックスデゴイチ]、[ダメデゴイチ]等とSLファンに嫌みを言われて、とどめは[赤ブタ🐖]と罵られたDD51が今では貴重な存在になっていますので、時代の移り変わりを感じざるを得ないですね。
因みにDD16は[赤ブタ🐖]に引っ掛けて[子ブタ🐖]と言われていた模様です。
特急日本海さん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51が数少なり殆どレギュラーの仕業が無くなったようですね。やっと恨みが張らせた感じですw。
DD16も作りましたが、本当に必要だったのでしょうか?
DD51形は、D51などの蒸気機関車を駆逐しただけでなく、亜幹線の近代化を進めた。
さらには、DE10形は、操車場や貨物機ターミナルの入れ換えだけではなく、貨物列車の牽引までやっている。
非電化路線の近代化に貢献したDD51形とDE10形。
大坂さん、今回も登場させようと思ってやめたのですが、伯備線の真ん中にDE10が入ったD51の三台連結は面白いです。
@@Yukkuri-Lab 様、こんな牽引列車があったの❕❔
回送含んでいると思います。定期列車でこれはなかった筈です。
💟昔は、猫娘(ゲゲゲ)や目暮警部・閻魔大王、火野レイちゃんなどが、🟥dd51のイメージでした(いずれも、山陰ゆかりの少年・少女漫画のキャラクター)。💟貧乳(シンデレラバスト)といえば、橘百合愛ちゃん(ぬ~ベ~)ですね、今は。(💟猫娘は、キハ58の方が似てる。←ラッピング無しの赤・クリーム色版。)
ご視聴頂きありがとうございます。楽しい表現で面白い!
蒸気好きから見れば味気ない赤ボディ。磐越東線に入線して、D60が消えた頃は残念すぎて子供の夢奪われました。
それから十数年後、八高線でDD51の貨物列車を偶然に撮影。思えばフィルム撮影時代の掉尾になりました。
HMS Hoodさん、いつもご視聴頂きありがとうございます。蒸気から見ればそうなんですが、DD51の気にいらないところは四角い立方体でないところです。DF50や試作機のような形状していて大活躍していたならば、気にならない存在だったかもしれません。
昔は赤豚やらなんやら言われてたのに今では貨物からも外れ一部残るのみでみんな珍しい珍しいと言って写真を撮るなんかすごい悲しいなぁ、この前DLやまぐち号乗ったけど何も知らずとった切符の号車が二号車でエンジン付き、最高だった。新潟トランシスの割と新しい車両だけど外見は,クーラーを除きまんま旧客でよかった車内にコンセントがあるのが少し残念だったけど、なんだかんだ現役のDD51をみるのは、初めてだったからいい思い出になりました。
ティバゴンさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51もDE10もそれを目的に撮影に出かけたことは保存機含めて一度もありません。別に義理立てするのではないのですが、いまでも大嫌いだからです。コメントには本音を言わせていただきありがとうございます。
ただ、旅行での移動ではDLが良いですね。蒸気は汚れるから乗るのは嫌でした。
@@Yukkuri-Lab 自分は平成生まれなので蒸気は、あまりわからないのですが、今の国鉄機関車がEH500やらの新型に淘汰されていくのが悔しい自分の気持ちと似たようなものなんでしょうか?
ティバゴンさん、そうなんですね。私は車輛の回転が二回りするぐらい古いのですが、今は逆に新しい機関車のほうがすきです。EH300はきらいですが。Twitterでも国鉄色とか国鉄型って人気ですよね。私にはちょっと感覚がずれているのですが、DLに駆逐される蒸気のイメージだということでしたら良く分かります。
こんにちは👋😃DD51は力強く勾配でも小雨でも空転しませんでした😃
谷口さん、ご視聴頂きありがとうございます。軸重を運転席で変える機構を持つらしいですね。C62も大がかりですが、軸重は可変でしたね。
ディーゼル機関車は、芸備線でも走ってました。
時々、バラストを運ぶ為に走る事があります。
機関車ヒロさん、ご視聴頂きありがとうございました。
そのDLを撮影されてアップするときに、トーマスのディーゼルの声を入れてください。
@@Yukkuri-Lab
ディーゼルは、おしゃべりシリーズがないのでできません……。
ごめんなさい。
昔函館に5年ほど住んでいたので、DD51は身近な存在でした。
惜しむらくは、そのころ鉄道趣味から離れていたことですね。
最後の北斗星の写真は長万部~旭浜又は 中ノ沢~長万部かと思いますが、今はこのアングルでも立ち入り禁止?
の噂があります。JRや保線の人とも線路沿いで仲良くやっていたのですが、残念なことですね。
51 Ts さん、ご視聴頂きありがとうございます。
最近も昔も撮り鉄の数は同じぐらいだと思うのですが、社会が変わったからなんでしょうか?
個人的におもうんですが、DD51と20系客車って、デザインがあんまり合わないですね。
DF50やDD54なら、似合うんですが🎉
たまさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51+客車はどんな形でも合いませんよね。貨物ですね。だから凸は!と思います。
昭和59年辺りに、釧路の半重連型が余りまくってたのを思い出しました。
ご視聴頂きありがとうございました。余ってJRの前に廃車されたのですよね。
函館本線沿線の道南の方はDD51は単機→重連→DF200と移り替わりDD51は北斗星の北斗星カラーの重連が最後かなぁ・・・貨物も重連からいつの間にかDF200へ。
更新車もあったけどあっという間にDF200になってしまった。印象的なのはDD51の急行ニセコかな。
まちやきさん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。
私はDD51の悪者イメージが無い分、DF200のほうが安心して見ていられるかな?と思います。
@@Yukkuri-Lab DF200のほうが違和感ありありですよ?生まれてこの方DD51がマストだったんで。幼少期から森駅近くの自宅の近所から駒ケ岳を背に走り去るDD51やキハ82かキハ183系しか見たことしかありませんから。ここで一つ、仁山駅を登坂線に一旦退避する客車列車するのも面白かったですね。亡くなったバーサンが気動車苦手で幼少期は客車列車しか乗らなかったのでよく乗ってましたね。
そうなんですね。私もC62急行ニセコは何度か撮影に行きましたが、それ以前からファンだと北海道行ってあんなの(C62)撮って何が面白いの?北海道は古典期の宝庫じゃない!とたしなめられたのを思い出しました。
@@Yukkuri-Lab どうしても生まれた年が昭和49年生まれなんで・・・
多分、鉄道写真で有名な箇所で見てましたから(森駅から少し北側のS字カーブのところ)
3つライトのDD51を見たことありますよ。(末期は新潟のほうに行ってしまったけど)
車運搬のユーロライナーも引っ張った名機のDD51 好きです!!!
SLもDLも大好きな俺にとっては共存して欲しい気持ちがあったよ、SLとDLの重連はかなりの萌えポイントだね
0721さん、ご視聴頂きありがとうございました。そうなんです。バランスよく共存していたら良かったんですよ。DF50と蒸気みたいに。
理想郷だよね〜、共存と使い分けが出来てたらなぁ〜
模型をやられている方は共存させている方多いですね。DLは蒸気より数少なくして。やっぱりそれが理想郷なんですね。
だよね〜、それが完全なる共存だよね〜
旧型国電と新性能電車は共存できませんでしたが、なぜ?
蒸気機関車をそんな駆け足で全廃する必要あったのかとは思いますね。確かに蒸気機関車運用に機関士と機関助手2人が必要な事実を考えれば人件費だけでもバカにはならないのですが…
Mr.Yattsunさん、無煙化のスピードをゆっくりしてDLへの投資を抑えた方が結局安くついたはずだというシミュレーションを見たことがありました。最近はそれを検索できないのですが。
NHKの急行ニセコのドキュメンタリーで「うちの親は蒸気機関車の機関士だったが仕事がハード過ぎて退職後間もなく癌で亡くなった。鉄道ファンよ感傷に浸るな」と言う新聞投稿記事を紹介していました。
我々ファンにとっては蒸気機関車は楽しいものですが実際携わっておられた方々の事を思うと複雑な気持ちになりますね。
国鉄の現場は過酷でした。定年が55歳で、長生きされる方が少なかったと聞きました。北海道はその頃労使関係が荒れに荒れていて、その面からもソフトランディングした方が良かったのでは思う次第です。
@@Yukkuri-Lab 何がなんでも昭和50年に全廃と言うのが国策として絶対だったのでしょうね。リアルタイム世代ではないので恐縮ですが、国鉄はその割に蒸気機関車全廃をイベントとして最大限利用していた気もしますね。SL亡き後すかさずブルトレブーム、999人気に合わせたかのように山口号復活、チャレンジ20000キロなど、赤字とか親方日の丸などと言う割には商魂たくましかったように思うのはわたしだけでしょうか…?
何もしないよりは増収の掛け声の元あれこれやりましたが、みんな焼け石に水ということはわかっていたと思います。山口線の復活は梅小路の大都市運転では安全が保証できないから地方に持っていったのが現実のようです。
始めの方のコメ主サンも書いておられましたが、少年期に父親と毎週のように山陰だ筑豊だと出掛けていた私には、当時の撮り鉄の人たちが言っていた「赤ブタ」って呼称が忘れられません。そりゃぁ何時間もかけて来て、何時間も三脚立てて待ち続けて、来たのがDE10だった時の暗鬱たる心持ちたるや…(笑)、しかし今となっては貴重な経験であったと思います。
kohjinさん、ご視聴頂きありがとうございました。筑豊本線だと列車本数も多いですが、山陰線ではちょっとがっかりするでしょうね。
例えば吹雪の上目名で急行ニセコの前補機にDD51が来たら(D51はありましたが、DD51は無かった)凍死してしまうファンも多かったでしょうね。
凍死(笑)。後で思い出したんですが、年末年始だったか、田川線の油須原のカーブでセキの96重連+後補ってのを大勢が待ち構えていたんですが、どう云う配車繰りの都合だったのか、DE10三重連の単機(…単機って言うんですかねぇ…笑)が来たコトがあって、その時ばかりは、みんな喜んで写真を撮ってました。実家を家探しすれば写真だか8mm動画だかあるんぢゃぁないかなぁ?
みんな三重連って好きですから、楽しかったでことでしょう。
正直なところDF50やDD51は登場時と同じマルーン(茶色?)塗装を踏襲してくれたら文句は無かった。
1963年ごろにお馴染みの朱色にホワイトラインが入った塗色に変更されたが、
SL煤煙対策で地味な塗色で塗られた既存の一般型客車や貨車には絶望的に合っていない。
SL補機や重連で入ると悪目立ちした。
赤豚と揶揄されても仕方がない。
煤煙もSLほどではないが付着するので折角の明るい塗色はすぐに煤まみれになった。
一方で箱型ボディでも流麗な欧州機関車の薫りがするDD53やDD54にはあの明るい塗色が似合っていたとは思う。
金澤華さん、初めまして。ご視聴頂きありがとうございます。
全くおっしゃる通りですね。新しい時代の到来をイメージしたのでしょうが、風景を絶望的に破壊しましたね。北斗星のブルーはいい色だと思いますが形状が好きになれません。
小学生、中学生の時に「ゆうづる」「はくつる」に乗った時はまだ蒸機だったのかな。
社会人になって乗った「北斗星」はカラー変更の過渡期か北斗星カラーと朱色の国鉄カラーの重連でした。
私はここの動画に出てくるモノクロ写真が懐かしさもあって大好きです。。。
Keiさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
今回はDLなので、白黒をできるだけカラー化しました。元からカラーのもあるのですが、AIで着色した方が綺麗になりますね。とはいっても一枚2-3時間はかかるので、全部はできませんでした。
ディーゼル機関車の増備を5年くらい遅らせていれば民営化前のディーゼル機関車大量廃車はなかったでしょうね もう少し蒸気機関車を残して欲しかった気持ちがよく伝わって来ます
まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございました。
もうすこしソフトランディングできれば、特に北海道の労組の先鋭化なども避けられたかと。
11:04 はやぶさ牽引機、キャブ上部がグレーのようです。初期車以外の重連型にもこの塗り分けの時期があったんですね。マヤ20との組み合わせも貴重。72、73年頃ですか?
futon_hosuさん、ご視聴頂きありがとうございます。これはAIで色を出したもので、キャブ上部は朱4号だと思います。がっかりさせてすみません。昭和45年の写真です。
@@Yukkuri-Lab お返事ありがとうございます。いずれにせよ、当時の鉄道趣味誌には取り上げられることのなかった被写体。SNSの時代に感謝です。
私がやらないと埋もれてしまいものとか、出来るだけ古い鉄道をご紹介していこうと思ってます。不適切な内容があれば忌憚なくお知らせください。
赤い悪魔で嫌いな割にはちゃんと写真残してるところが凄いですね
すさぬさん、ご視聴頂きありがとうございます。
蒸気に比べたら、DLの写真は殆どないに等しいですよ。
SLは市役所前や公園に鎮座したものしか見たことがない世代ですが(今はそれもありませんね)、子供の頃はDD51はただの貨物機だと思っていました。しかも、いつもすすで汚くて、ダンプカーのようなエンジン音をたてて、時折黒い煙を吐く、スマートとは言えない形をした機関車の印象でしたね。ブルートレインブームのまっただ中でしたので、ELがすべてでした。
RAさん、ご視聴頂きありがとうございました。DD51はおっしゃる通り汚くてうるさい機関車で、不格好ですよね。なんで昨今もてはやされるのか?やはりレアというのでしょうね。
北海道なので、よく利用した『急行はまなす』のブルーDD51が力強く、カッコよく
大好きでした(^_-)-☆引退残念です・・・。
田中KKさん、ご視聴頂きありがとうございます。やはりはまなすは青函連絡船より快適で便利でしたでしょうか?
@@Yukkuri-Lab さん!!函館、午前1時30に方向転換&機関車付け替え
連絡船も良さがありましたが、夜行急行の14系客車の雰囲気も旅情たっぷりでしたよ\(^o^)/
ディーゼル機関車はかっこいいなぁ
TakPonさん、ご視聴頂きありがとうございます。
かっこいいと思っていただき嬉しいです。
SL一筋だったのでDLが来たらカメラを向けなかったが今思えば少しは写しておけばよかったかも知れない。以前は地元でたまに見かけることもあったが今はもうない、と思ってたら昨年DD51が単機でやって来てびっくり!
SKTさん、ご視聴いただきありがとうございます。私はほとんどDD51やDE10は撮らなかったのですが、それでも結構ありました。今でも撮影に行こうとは全く思いません。迫力あるのは認めますけど。特に旧型客車+DD51/DE10の組み合わせは、当時を思い出して写真でも今でも見たくないんです。
DD51といえば新潟で1台だけ北海道仕様の三つ目がいましたね
745号機でしたっけ?
つらら切りに前面窓のプロテクターに旋回窓といった重装備が好きでした
TatsunaIikaseさん、ご視聴頂きありがとうございます。ごめんなさい、私はDLは全く興味が無いので、仕様違い全然分からないです。
DD51に旋回窓つくと変な顔だなぁと言う印象は強く持っています。
@@Yukkuri-Lab 確かに動画内でも全然興味なさそうでしたねwww
言われてみると旋回窓って船で使われてるあたり変顔になるかも…
SLだとC57-180の門鉄デフ(波とかもめ)にスノープラウ、D51-498の重装備とか好きでした
蒸気の旋回窓は北や雪国の装備みたいで好きです。
わたしは東北奥羽方面電化後の世代なので、DD51の世話になったのは北海道方面に旅行したときかな。
DLは五能線でも客車列車を牽いていたかもしれませんが、奥羽本線のED75のほうが印象が強いです。
清水港線はDD13牽引でしたね。教室に暖房のない土地でしたから、列車の暖房も必要なかったのではと思います。
Motohisaさん、ご視聴頂きありがとうございました。
長距離の客車に乗ると、途中で蒸気になると煙が入ってきて夏は本当に大変ですから、DLだとホッとしました。蒸気は撮るもので乗るものではないです。DLは撮影するもので無いですが、構図を決める時とかカラ送りで構えたりしたのが残っています。
いつも貴重な記録をありがとうございます。
DD51も試行錯誤を経て、東と西に現在残る車輌は完成形ですね。
いわゆる馬鹿力の持ち主ではないものの、中間エアサス台車で軸重可変機構を持たせたことは蒸機では果たし得なかった夢でしょう。
だいぶ前に西日本のDD+12系客車で山陰〜山陽の周回ツアーを走らせた際、エア圧を下げてセノハチの上りを走破したとの記事を読みなるほどと感心した記憶があります。
三丁目分隊員 さん、ご視聴頂きありがとうございます。今回DD51/DE10をやるにあたり、真岡鉄道の蒸気走る日の夕方のDE10牽引14系普通客車列車をレポートしようかと思いましたが、やっぱり嫌だなぁと止めました。
私の頭には悪者イメージ強すぎてどうしてもだめです。
産まれた頃には、北陸線は複線電化+北陸トンネルが開通されていたから、SLの時代を知らない。敦賀~今庄間の山中越えも記録を見るに過ぎないですが、SLの場合に煤煙が酷かったようです。快適な旅が出来たのもDD51などのお陰です。
Thunder Bird1さん、ご視聴頂きありがとうございます。平坦なところをゆっくり走る分には蒸気でも乗客はあまり不都合は感じないでしょうが、峠道などではそれは乗っている方も、乗務員さんも必死だったと思います。
北陸線の急行列車は1960年代に475系によって全て蒸気は下ろされたと記憶してますが、間違いないでしょうか?
@@asokai2346 そうだと思います。ただ越美北線、小浜線、七尾線など支線にはSLが残っており、福井駅敦賀駅でたまに見かけた覚えはあります。それと電化が遅れていた富山から北でSLに付け替えて走っていた話も覚えています。田村同様に糸魚川手前のデッドセクションの急行客車の通過にSLの最期の活躍の場が残っていたとも思われます。
DD51とDE10は英雄です!
東日本大震災の時に
臨時貨物列車を
磐越西線を重連で走って
タキ100を連れて被災地まで
ガソリンを運んだことがあります!
あっ! ちなみに3月20日ぐらいに
発車したらしいですよ!
和鉄D51 498さん、ご視聴頂きありがとうございます。そのような救援列車があったのは記憶にありますが、DD51とは思いませんでした。災害時には電気をつかう機関車、列車はだめですね。危機管理上もDLは残してもらいたいですね。
蒸気ならばもっと嬉しいですが。
@@Yukkuri-Lab さん
確か磐越西線は
新型がとおれなかったらしいですよ!
あっ!そうなんですね。
自分もDF50のほうが断然好きですね。
DD51は凸型だからか本線用っぽさがないというかどうしても蒸気機関車に比べて垢抜けない感じがあって微妙な印象ですね。
特に優等列車の先頭に立ってるのはなんか違う感がある。凸型だからかな?
四角い形のほうが牽引機って感じで個人的にはすきですね。凸型だと入換機のイメージがあるからかもしれません。
まぁ優秀な機関車なのは間違いないでしょうけども
ChannelKuwarinさん、ご視聴頂きありがとうございます。凸だとなんか業務用車両のような感じで。DD13の成功が決め手だったのでしょうか。機関車らしくないし、世界に誇れないという感覚でしたね。
東映アニメきかんしゃやえもんに出てきたDLがちょっといけ好かないキャラだったのでDDは嫌いでした。まさに当時はSL終焉の時期で、真っ先に電化された函館本線ではほとんどの貨物がDD51に置換されていて、「何だよ!」と悔しい思いをしました。でも室蘭本線なんてまだまだSLの巣窟だったのはずっと後から知った話。小学生には見に行く行動力はありませんでした。それから半世紀。。「たまにはDDでも見ておくか」と思い立ったら今度はDFの天下。何気ない日常も後年貴重になると知った次第です。
ご視聴頂きありがとうございます。そうですね、函館本線は室蘭本線に比べてDLが多かったですね。
DF200って人気ないんでしょうか?
SLが廃止されDD51に置き換わっていった1970年代頃、鉄道誌にDD51のことをデラックスD51と書いてあったのを覚えています。
正和 今中さん、ご視聴頂きありがとうございました。DD51を好きな人って当時いたのでしょうが、私はどうしてもダメでした。悪口は言いませんでしたけど。まず赤い色が今でもなじめません。凸型もです。
103系や115系を旧型国電の敵みたいな言われ方するのと同じことなんですかね。DLと蒸気じゃ性能がハッキリしすぎて、末期の頃は蒸気が転がされていたので一緒に走らせるのは正直アカンかったって言えばそれまでですかね。蒸気が可哀想すぎて。
蒸気機関車は意外と力あります。DD51以上に。
でも走らせるためのリソースが莫大にかかるんですね。公害にもなります。でもその時は多くの職員の糧となっていたわけで、進歩が労働者のためにバストだったのかは分かりません。
私の身近を走るローカル線、そこにはDE10の活躍がありました
旧客を10両以上連ねた通学列車、数本の貨物、小学生の頃友人達と連日の様に見に行っていました
当たり前に見られた活躍も先が見えて来た感がありますね…
デカミツさん、ご視聴頂きありがとうございました。DE10だと保存蒸気とペアで残るでしょうね。
ひんぬーの霊夢には嫌なタイトルですね。
DD51も残り少ないですよね…。向日町に駐機してあるのをよく見るのであまりそうは思わないのですが…。
駿さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。タイトル意味深なのを分かっていただき嬉しいです。DD51と言えばJRで動いているのを最後に見たのは2014年頃じゃないかなと思います。以前は名古屋で新幹線を待っていると重連でガーっと走ってきて、うるさい機関車でしたが、いつの間にか無くなって結構なことだとか思っていました。本当にDD51とDE10は好きではないです。コメントだから言うのですけど。
@@Yukkuri-Lab 2014年の名古屋ですか。貨物ですかね。デッカくて朱色が明るくて好きなデザインですね。
やはりSLを駆逐したのが憎いのですか?
赤くて、うるさくて、凸型なところですね。見ていて安っぽい感じがして。今のEH300のような工場入換機だけど強力とかわけわからん機関車と同じです。と勝手なこと言ってすみません。
@@Yukkuri-Lab 凸型嫌いなんですね。DF50は好きと動画でおっしゃったので箱型が好きなのですね。
そうです。赤くて凸型なところですね。旋回窓つける北のは特に顔まで間抜けです。DF50は蒸気と共存していた非力な機関車ですし立方体で好きな方です。それでも無煙化後に写真を取りには行きませんでした。
かつてはSLを駆逐したせいか赤い文鎮とか赤鬼とか呼ばれたDD51も、もはや姿を見ることも難しくなってきました
都心ではすでにHD300に置き換わり、DE10を見ることも少なくなりましたし
電光刑事さん、いつもご視聴頂きありがとうございます。
HD300もつまらない形した機関車ですねぇ。DF200は意外と好きかもしれません。蒸気と全く関係ないこと、四角い形状からです。
追う側から追われる側へ
人生はいつも廻り舞台…。
サムネの写真が撮影された時期はまだ札幌駅が地上駅でしたね。貨物の道内用DD51でも水色にオレンジ帯の試験塗装車もあって今思うとまだ勢いがあった時代だった気がします。
C62ニセコも乗りましたがガラガラでビックリした思い出があります。運転日数が激減してから切符が取りにくくなりました。
北斗一裂拳さん、ご視聴頂きありがとうございます。札幌駅は高架になったのですね。私は古い時代のことしか知りません。
C62ニセコは撮影だけで乗っていません。
長野県人ですが、信越本線でDD51走っていたことは知りませんでした。
私が知っているころは、EF62の天下で客車牽引や貨物牽引で活躍しており、DLは篠ノ井駅の貨物ヤードでDE10が入れ替えで活躍していたことしか覚えていません。
たまに都内に出るとき、特急あさまの車窓から高崎機関区に停車していたDD51を見ると、興奮していました。
最初に買ったNゲージもDD51でした。
DLが入れ替え用か、飯山線の客車気動車のキハしか見たことなく、幹線用のDD51は数年に1回くらいしか拝むことが出来なかったためかもしれません。
原さん、はじめまして。ご視聴頂きありがとうございます。
ちょっと以前の動画で信越線の名門急行の白山のD50重連を追ったものをやりましたが、DD51が信越線を走っていたのでしょうか?電化でELかな?と思うのですが。長野機関区は信越線の窓から撮影したもので、とても車窓から良く見える機関区であることを知ってました。その前に長野工場のスクラップ置き場の蒸気が一杯置いてあるところを通りました。
信越本線なら80系とそれを追っ払った115系1000番台が一番有名ですね。115系1000番台は長野ではかなり凄い車両として崇め奉られてるみたいですが。
赤い凸、赤ブタ、散々な言われかたですね。赤いあんちくしょうは京急電車ですが...
電気式は米国進駐軍が持ってきた機が最初で、米軍基地への「米タン」入れ替え等に使われて後に国鉄へ払い下げられ、DD12になりますね。
もっとも、千葉県内国鉄線は、昭和40年代に木原、久留里線以外直流電化が完了していて、蒸気機関車もブドウ色の客車とも無縁で、DE10が木更津、君津、館山発着の貨物を牽引していたのが唯一でした。
今現在も蘇我駅に行けばDD13の末裔に会えます。
いあさん、いつもご視聴頂きありがとうございました。
千葉は8620とC58そしてC57のイメージです。昔潮干狩りで蒸気の列車に乗りました。DL化の後は昭和47年にC57-1が来たときDE10の旅客列車に乗ったような記憶があります。
💟ぬ~ベ~の橘百合愛ちゃんを思い出す…(貧乳、シンデレラバスト)。自分は、幼少期、🟥DD51は、猫娘(ゲゲゲ)、目暮警部・閻魔大王様、火野レイちゃん、のイメージでした(いずれも、🟩山陰ゆかりの少年・少女向け漫画のキャラクター)。自分の実家が、南丹市なので、🟦出雲号、よく見てました❗懐かしい👀‼️🚇️石破茂大臣も、お好きな列車だったそうです❗
撮り鉄議員さんや鉄の議員も多いと聞きますので、議員立法でボイラーの管理基準を緩和してもらいたいです。
DD51やDE10が無くなると緊急事態時の全国輸送対応がやりにくい事になるかと。
何とか残して貰いたいですね。
内海さん、確かに国土安全保障上DLは何両かは残す必要はあるでしょう。
東日本大震災の時、緊急石油輸送で磐越西線で牽引したDD51の動画を時々観てます…
DD51の3重連は珍しいですね😀でもD 51三重連必要ならDD51も当然三重連でしょうね。DD51は速いですが、山口線のような過酷な峠越えはDD51より空転しにくいD60が有利だったのでしょうか。DD51は名機とはいえ当然D52 C62には敵わないのですが給水しなくて良いのは有利だったかもしれません。皮肉ですが今はDD51 1043号機が人気者ですね😂
Pu Poさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51は軸重が可変ですが、山口線では14tで走っても、タイヤも小さいのでうまくこなせるかと。DLのメリットは給水しなくて良いところですから、機関区の数は縮小しました。保守も蒸気独特な作業は必要ないので、合理化にぴったりだったわけですね。DD51 1043が人気なのは全く知りませんでした。何が良いのでしょうか?
今回は赤いDL感じ主役と成りましたね☺️
このDD51もちょっと前まであちこちで見掛けましたが今ではめっきり数が減り寂しく成って着ましたね😣
塚越さん、DD50/DE10の赤い色は国鉄、JRの風景をダメにした張本人の一つだなと勝手に思っています。
さすがに特急だと、電化が近いと言っても優先で配置されるのでしょうね。
DD51やDE10が重連制御対応されたのがとどめだったのでしょうね。
そのDD51やDE10も絶滅寸前ですが・・・
Homareさん、ご視聴頂きありがとうございます。そうですね、やはり特急は別格だったような。でも常磐線はDLは基本入線せず、老体のC62に特急を牽引させていたのは興味深いです。DD51やDE10は蒸気とイメージが被るので、見ていても全然楽しめないのです。
奥中山はSLやDLの補機運用で賑わっていたのでしょうね、IGRになって変わってしまいました。
すがさん、東北本線が通しで無くなってしまったので、長距離列車が無くなってしまいました。
これって昔長崎で寝台特急あかつきを牽引してなかったっけ?
Ryuさん、ご視聴頂きありがとうございます。特急あかつきは、さくら牽引無くなった後もC60がけん引していました。ですからDD51も牽引しています。大阪の列車なので全然身近ではなかったので、興味ありませんでした。
DD51はでーっかい入替え用機関車といった印象(個人の感想です)で好きにはなれませんでした。
DD16なんかは可愛いと感じたものですが、これもローカル線で蒸気機関車を追い出したんですよね。
ねずみ色の猫さん、ご視聴頂き有難うございます。同じ様な感覚を持っていただいて嬉しいです。
蒸気機関車を駆逐したディーゼル機関車。
客車列車を駆逐した気動車。
非電化路線では、時代ごとに色々とある気がします。
なんだかんだで色々と残っているのは、
山陰本線は後藤総合車両所ですかね。
あそこは給水塔の跡もあるし。
seijiro@FTO.DE2Aさん、ご視聴頂きありがとうございます。
転車台は意外と残っているところも多いですし、現役で使っているところもありますね。Google Mapで暇なときは日本だけでなく、中国やタイのも探したりします。
DD51重連で、可能ならば…
緊急輸送列車のアップを期待します!
ちょっと本題とは、違う気がするケド…
ヨシユキさん、ご視聴頂きありがとうございます。せっかくのリクエストですがDD51を目的に写真撮影に行ったことないので、写真はないんです。蒸気があってのDD51やDE10の写真しか殆どないのです。
やっぱり蒸機のほうがメカメカしくて好きですなぁ…
ひだじ提督さん、ご視聴頂きありがとうございます。
いやー、全然比べ物にならないです。
悔しいけどしっかりまとめられて、心中お察しします。でも模型で再現してみると、DD51カッコいいんですよね(笑)北斗星色のDD51がトワイライトエクスプレスを牽引するのがカッコよくて、DD51×2を売って蒸機を買うのを止めてしまいました。国鉄色の暖地型も持ってます。模型でも古い蒸機は不安定ですが、立ち往生した時や坂を登れない時DD51の救援や補機は重宝しますね(笑)模型の世界では安くてよく走って牽引列車を選ばないDD51は重宝します…って実物と同じかぁ(爆)
この間381系やくもが雨か落ち葉でスリップして立ち往生した時もDD51が救援に行ってましたね。
832Buuchanさん、ご視聴頂きありがとうございました。以前スペインのお客さんが日本でDD51のNゲージを買って持ってきてくれと言われて求めたことがありました。何でDD51が良いのか全然わからないけど?と言いましたが、好きなんだよね!ということでとても喜んでいました。
いまでも全然気持ちが分かりません。
SL好きにとっては、やっぱり赤い悪魔なのでしょうね。🙄
その存在理由からしたら、SLの居場所を駆逐する存在であり、長期的な共存は有り得ませんからね。🧐
(もちろん観光用は除いてです)
そういう意味で、SLとDLが一緒に収まっている姿は本当に貴重な記録だと思います。🤔
ぜひとも続編お願いします。🙏
あいうえおさん、ご視聴頂きありがとうございます。DD51・DE10はせっかく楽しく遊んでいるのに、おもちゃを取り上げる悪ガキのようなものでしょうか。
機関区とか駅ではDLが写り込むことないように撮影していました。でもどうしようもない時はありますね。続編はしばらくしてからやりたいです。
ボンネット
DD51牽引のブルートレインには乗れずじまいでしたが、DE10は高校生時代の沼津駅でも、高校卒業後は新座貨物ターミナル駅などでも見かけていたので、いつの間にかハイブリッド機関車へ置き換えられていて、驚きと寂しさを感じました。
HD300は凸型の車体と言ってしまえばDD51やDE10と変わらずとも、いよいよ機関車らしさ、鉄道車両っぽさが薄くなり工場の機械に近づきつつある感じがして好きになれないので、魔理沙の悔しさからしたら1%にもならないでしょうが、お気持ちお察ししますと申し上げたいです。
成田さん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。
HD300はおっしゃるように工機用車輛みたいですね。全く興味が湧きません。でもDF200ですか、嫌な思い出も無いうえ、四角い機関車なのでまぁ良いかなと思ってしまいます。
確かにD51やD52に比べると、パワーウエイトレシオでは負けてしまう。
が、その汎用性の高さと何より無煙化に貢献した点では充分褒めれる存在。
残念ながら昨今ではDDに至っては淘汰が急速に進み、東西旅客会社合わせて10両が残るのみ。
DEも整備部品がそろそろ枯渇してくるであろう時期で、新世代DL等に置換えれる会社は
置換えが進み、それ以外の会社は騙し騙し使用しているのが現状。
運転士や整備要員の技術継承も今後の課題。当面は確実に運用し続けるのは目に見えてますから。
特に2島会社はどうするんでしょうか?北は多分貨物の開発したHD300辺りを
ラッセル用/救援や入換用として何十両か導入するでしょう。
四国はDEが1両だけ存在してますが、基地内の入換や故障時の救援車両はどうしてるんでしょうね?
山田さん、ご視聴頂きありがとうございます。南アやドイツのように無煙化を遅らせた国もありますが、結局損得勘定はどうだったのか調べてみたいです。蒸気がいつの日か無くなるのはみんな覚悟していましたが、あの赤いDLにやられたのはかなり残念に思っています。
日本中で機関車が死語になりそうな気配で、電車や気動車がコンテナ運ぶようにでもなるのかもしれません。
幼い頃に東北へ連れて行ってもらった際、旧型客車の開きっぱなしの貫通扉から機関車が見えていたのを覚えています。それがDD51だったと知ったのはずっと後。SLを追い払った悪魔的存在ですが、SL時代を体験できなかった世代にはDLでも郷愁そのものですね。
abbtk14さん、ご視聴頂きありがとうございます。まだどこかに客車列車あるだろうと思っていましたが、完全に無くなってしまったのですね。
主さんには憎き敵でしょうが、1号機は落成後の性能試験で、上り勾配上の引き出し試験に失敗して救援用のSLに助けられるという屈辱を味わったり、追分機関庫火災に巻き込まれて全焼し、転倒防止のため線路脇にひっくり返されて放置されるという哀れ極まる末路をたどった車両もおります。
幹線用DLの決定版としてエリートのような扱いをされがちですが、この地位を確立するまではメーカーの弛まぬ改善や受け入れ先の粘り強い努力もあったはずです。
もっとも、凸型で赤い塗装はゆでダコのようでカッコいいかと聞かれると…😅
773Kuroさん、ご視聴頂きありがとうございます。追分機関区のことはよく覚えています。ところで9600とD51は3月25日か26日まで火は入っていたそうですね。4月の火災の直前の第一週まで火が入っていたとか写真を見たことあります。みな口には出しませんが、「ざ〇〇〇ろ」と思っていたでしょう。蒸気の呪いだとか。怪我人がいなかったので好きなこと言えますね。
あと20年もすればEF510 などが同じ扱いになりますね(^o^)
小江戸川越のらり蔵りさん、ご視聴頂きありがとうございました。
20年後にJRが新幹線と大都市圏の通勤電車以外存在しないかもしれないですね。
凄まじい勢いで無煙化していた当時を思い出す動画でした。今では蒸気同様貴重となったDD51/DE10ですが残念ながら蒸気の様な楽しい思い出はありません。無煙化後DCはタラコ色になり50系客車をDLが引く国鉄末期の殺伐とした時代を思い出す機種です。この動画を機会に別の角度からDD51/DE10を見ていこうと思います。
Kwさん、ご視聴頂きありがとうございます。私はいまだにこのDD51とDE10は好きになれません。