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50代後半のオヤジですが、中学高校時代、交通公社の時刻表をボロボロになるまで読み込んで、夢馳せた数々の列車達。大人になって金稼いで乗るぞと思っていたが、国鉄が爆発し名物列車やブルートレインが次々無くなっていった。こちらのうp主さんの動画は乗りたかったけど乗れなかった列車の夢を思い起こさせてくれて、とても大好きなチャンネルです。
感動しました
「おとなになったら乗ろう」おとなになる前に無くなるの悲しいなぁ…
ほんとにそうですね!僕も乗ってみたかったです😢
今ある列車も乗れるうちに乗っておこう
↑同年代だけど家族旅行で乗ったオッサン😁
特急北海の全盛期は、飛行機がすごく贅沢な乗り物。千代の富士が親方に「飛行機に乗って東京見物しないか」と言われて大嫌いだった相撲界に入門したのは有名な話。その後、飛行機が鉄道より安くなる時代が訪れるとは、誰も想像しなかったに違いない。
かつて放送されたテレビドラマ「千代の富士物語」の中に、そのシーンが有りましたね。
特急北海は現代の鉄道ファンでも知らない人が多いので特急おおとりなどとともにもっと知られるべきだと思っていたから動画にとりあげられてうれしい
国鉄最末期に車内販売員のアルバイトしてました。北海は勿論、北斗、おおぞら、おおとり等まさに最期の北海道特急黄金期でしたね。キハ82系からキハ183系の転換期でもありました。若き日の楽しい思い出です✨
特急北海。若い頃帰省で旭川に戻るたびに利用してました。懐かしいです。
一度乗ってみたかった『北海 キハ80系』!!
山線は羊蹄山がきれいに見えて良いです
北海道新幹線ですと、長大なトンネルで抜けてしまう様ですから、そんな素敵な車窓は、おそらく期待できないでしょうね。
多分、高架の倶知安駅周辺からなら、見れるはず。
特急北海、急行宗谷、ニセコ、らいでん、いぶり、懐かしい。
札幌の大学入学のため乗った特急が北海。白銀の北海道の大自然の中を縫うように走った。山線は旧型客車や14系のニセコ、気動車の宗谷の楽しい思い出が詰まってる。国鉄にも地方にもあの頃は力が漲っていた。山線にもう一度乗りたくて時刻表見ても、長万部で2時間以上待ちとか殆ど列車が走ってない。寂しい限り。
もしや北大ですか...?不快に思われたら申し訳ございませんが
@@mothlla3000 そうです。1977年入学。入学に先駆けて送られてきた大学生協からのパンフレットに、是非とも山線で札幌に来いとのメッセージが有り、それに従いました。そんなことを言ってくる大学生協もどうかしてたんだと思います。ロマンがあった時代ですね。
そうでしたか。すごいですね。
北海華やかし頃に上野から旭川まで列車や連絡船を乗り継いで旅がしてみたかった。楽しそう。
1度は乗って見たかった北海。
高校出て勤めた会社の出張で札幌⇒網走をキハ80の特急の指定席に乗って出張。食堂車も付いていてカレーライスをいただきました。現代のキハ261全盛の列車に比べるとスピードは出ないのですがキハ80のエアサスの乗り心地は最高に良かったです。
特急北海号は特急おおとり号と共に、食堂車キシ80を1980年代半ばまで連結していたので、青函連絡船レストラン海峡とは違ったメニューを楽しめました。アキアジこと鮭フライ定食や羊ラム肉を使った北海焼肉定食が人気メニューだったそうです。
東京在住、1957年生まれのおっさん、1970年代に「北海道ワイド周遊券」で道内をあちこちまわりました、長万部~小樽間は、特急、急行が何本も走って、函館駅に青函連絡船が到着すると、走って函館発急行列車の自由席を確保したのを覚えています。近年、小樽~長万部間は、列車本数が少なく鉄道を使った移動は難しいです。
旭川駅を17:35発の特急北海で母の実家のある石川県羽咋郡に行くのが夏休みの恒例だったです(なぜかいまでも出発時間を覚えている)。北海道あたりの緯度だとすぐに暗くなるので景色の記憶はないけど、青函連絡船ではずっと父とデッキに出ていました。10歳の1970年にあった大阪万博でも乗りました(青森からは特急日本海だったと思います)なんだか思い出した・・・
40年前の昭和59年元旦に下り特急北海1号に乗りました。ちょうどニセコを過ぎた辺りで食堂車が開店し始めて早速食堂車で朝食をとりました。トーストとハムエッグの洋朝定食でしたが、正月のサービスでコーンポタージュスープがサービスでつきました。朝食が揃った頃合いがちょうど朝日に輝く白銀の後方羊蹄山の勇姿が車窓に広がってその車窓を眺めながらの朝食は今まで体験した事ないほどの贅沢な気分で朝食をいただきました。あれから40年経ちますがこれ以上の朝食は未だ体験した事ありません。
「食事の印象は、シチュエーション込み」の典型的な例を体験したのですね。味自体を客観的に評価すると不味いでしょうけど、楽しかった食事ってありますよね。私もあります。
特急北海1号の食堂車はもっと早くに営業していたはずです。ニセコ付近ですと1時間半で札幌に着いてしまいます。2号は183系気動車なので食堂車はつかないし!ひょっとすると駒ヶ岳付近の間違いでは?
昭和56年10月に特急「北海」で1往復をキハ183系を導入した、ちなみに特急「北斗」キハ183系は昭和58年からです。
函館から札幌接続で道東方面の「おおぞら」に乗り継ぐ場合、東室蘭経由の「北斗」に乗ろうが小樽経由の「北海」に乗ろうが、当時は途中下車しなければ運賃が倶知安・小樽経由での計算になる特例があったのを思い出した。でも道内の気動車特急が183系に置き換わる中、定期列車でも晩年まで82系気動車で運行されてた「北海」のほうを好んで乗ってました。80年代の話です。懐かしいな・・・
新幹線列車名には格式が求められる地名など具体性がありすぎるものではなく抽象名詞や自然事象(鳥名・花名、山名は含まず)がふさわしい地名山名は区間列車や支線系統が好ましいねだから北海の復活はないだろう
特急「北海」懐かしい。
北海号、S49の夏に美幌ー網走の一区間特定特急券で利用。急行大雪5往復含めかなりの乗車率でした。大雪を快速化とか聞きますが、50年間で何が?当時深夜に賑っていたのが上川、新得、名寄。当時の均一周遊券で夜行列車を宿にしていた若者が、上下列車を乗り換えて乗車駅に戻っていたからです。そして夜10時ごろからの駅前では寝袋の列、札幌も例外では無かったです。当時は今と違って平和でしたね、そして色んな方々が若者の行動に理解をしていただき、時には援助を。感謝!!!。
懐かしい遠軽→倶知安で乗った覚えある
北海道の特急は80系ですね。北海は183時代一度だけ乗りました。ニセコは旧客車時代のも乗っています。この頃が懐かしいです
小樽市民です。北海、懐かしいですね😄網走迄脚を伸ばしていたのは存じてましたが、夜行なんてのもあったんですね😄深夜にタブレット交換しながらの通過…一度見てみたかったです。
特急北海は残念ながら乗る事が出来ませんでしたが、急行ニセコには2度ほど小樽から函館まで乗った事があります。それ以前に乗った急行らいでん(そんな名前だったと思います。)はディーゼルカーで、客席は普通列車と変わらないボックスシートでしたが、急行ニセコは長いブルートレインの客車で、シートもリクライニングの優雅な趣のある列車でした。当時はまだ特急列車でもリクライニングシートの仕様でない車両もあったかと思います。余談ですが、子供の頃「からまつ」という名前の小樽発釧路行の夜行の普通列車がありましたが、なんと寝台車もありました。夜の小樽駅で見た事がありますが、普通列車なのになんか風格を感じたのを子供心にも思い出します。
流氷マークの網走行きオホーツクもありましたね。
70年代、親の実家が弘前だったから札幌から北海に乗車して連絡船でいっていましたね。 朝の出発便で行ってました。食堂車で食べる余裕はなく車販の冷凍ミカンで我慢させられていた子供の頃の記憶です。
昭和52年頃、倶知安町で小学生だったワタクシは、倶知安駅南側の跨線橋から21時発の上り12D特急北海を見るのが好きでした。当時の倶知安駅は胆振線も健在で引込線もたくさんあり、車両の入換等が頻繁に行われていて夜でも明るく活気がありました。当時は東京なんてテレビで見るくらいで未知の世界。でもこの特急北海に乗れば今日のうちに函館に着き、青函連絡船に乗り、朝には本州に着き、そこから特急に乗れば東京に着ける。倶知安から約1日で東京に着ける。憧れの特急列車でした。跨線橋の下をエンジン音を響かせながら加速していくキハ82。車窓から漏れる光が暗闇の中を突き進んでいく。高い特急料金を払って東京に行くなんてどんな人達が乗っているんだろう。というような内容を国語の宿題の詩に書いた記憶があります。あれから45年以上が経ちましたが、今でもあの跨線橋の上に立つと、あの時に見た眩い光を放つ夜の倶知安駅構内と12D上り特急北海を思い出すのです。残念なのは当時、写真等を1枚も撮ってないこと。でもこの記憶は、倶知安駅に新幹線が通りあの跨線橋がなくなっても、自分の中には永遠に残り続けるのです。
北海道新幹線が延伸したら新しい列車名は「ニセコ」「はまなす」「北海」などがいいですね
新幹線の名称ですが「おおぞら」が最も格が高いけど道東方面で使用中だから使えない。函館札幌は「北斗」が馴染んでるけど室蘭には行かないから使うかどうか。「北海」と「北海道」は混同しやすいので名称として使うなら「ニセコ」が一番可能性高いのでは?ただ特定の地名をつけると他の自治体が怒りそう。道内完結列車の愛称をどうするかは気になるところです。
北海道新幹線にふさわしい列車名、一般公募されては如何。 今思い浮かぶのは、「北海」「おおとり」「あおぞら」「大地」などは如何でしょうか。もっと独創性があって北海道にふさわしい名称があれば、皆さんもどしどし提案されては如何でしょうか。おもしろいし、楽しいと思います。
@@うおのめ-k9dさん釧路特急は「まりも」に変えてみてはいかがでしょう?かつて仙台〜新潟間を走っていた急行「あさひ」が上越新幹線の速達タイプの愛称に召し上げられ、「べにばな」に変わったように……
東京ー札幌直通/最速達:引き続き「はやぶさ」道内完結/各駅停車:既存の特急の役割を継承して「ほくと」と予想してみる。需要量と遠近分離の塩梅から本州から札幌まで行くのは最速達列車のみだろう(現になすのややまびこなど停車駅の多い便は盛岡や新青森まで行かない)。わかりやすさから継続使用、かつ「役割」にフォーカスし愛称をあてがうのが適切と考えます。在来線特急は基本廃止の上ですずらんを気動車特急に置き換えた上で一部長万部、または伊達紋別、洞爺まで延長運転が現実的なところでしょうな。
距離は短いが時間はかかる。コロタン文庫にもはっきり書かれているのは懐かしい。おおぞらやおおとりや北斗が海側を通り実質コチラが主流。
連絡船から降りると函館駅のホームに北海と北斗が並んでるんだよね。みんな走るのを横目に自分は荷レに旧客がくっ付いた2時間後の121レに乗って札幌まで9時間の行程が楽しみだったわ。
ワイは指定席💺だから歩いた😁
北海はおおぞらに比べ空いていたイメージがありました。とくに全車指定席の時代はおおぞらの指定席券が取れなかった時の代替列車で周遊券族は同じ函館本線経由の急行ニセコ1号に集中していました。そのために北海は長い間7両編成でした。(網走の車庫の関係で特急おおとりを除く)10両に増車の時も季節により3両減車もされていました。
北海道新幹線「札幌〜新函館北斗間」の区間運行なら、北海の愛称として復活してほしい感じです。
可能性はありますねあとはいしかり等
@@hiroshia5789 「いしかり」もいいね。
「おおぞら」もいいかもしれない🤔で、召し上げられた札幌〜釧路の特急は「まりも」奇跡の再復活!😆あくまで私の妄想ですが……😅
北斗が「ほくと」として引き継がれるかと格式としてあまり地域特有の具体的な地名は使われないのでは?他の線区から引っ張ってくるのも紛らわしい
特急北海は26分遅く札幌に着いたかもしれないが、そもそも5分遅く出ているから、最高速度100キロの80系ならそんなに時間差がないということだね。
北海道新幹線開業後のことについても触れていたが、ほぼ同じルートを通る以上、愛称は「北海」か「ニセコ」にしてほしい。ただ、愛称がひらがなありきという以上は現実的ではないかも。札幌発着の速達便は盛岡、新青森、新函館北斗を通過するくらいでないと飛行機には対抗できないのでは?
そして小樽周りの特急が新幹線として復活。但しいつになるかはわからない。
北海には乗れなかったけど、夏期に走る臨時特急「ニセコ」には乗れたな。北海と同じ時刻だったかは知らないけど、山線を走る特急を堪能出来てよかった。北海道新幹線の札幌開業まで走って欲しいな。
両親の実家が小樽でした。北海が登場した時に小樽に住んでいた親戚が喜んでいたのをよく覚えています。
楽しい配信ありがとうございます。40年ほど前に初めて北海道旅行した時にお世話になりました。周遊券を有効に使おうと始発で自宅を出発して急行を乗り継ぎ夜行急行の八甲田を有効期限の初日の夜に使うより半日早く青森へ着きました。0時の青函連絡船に乗って4時の北海に乗りました。確か千歳線経由の北斗もあったのですが北斗の方が出発時間が早かったため後発の北海の方がすいていたので利用しました。懐かしい思い出です。
通常旭川止まりの列車が、繁忙期中心とはいえ、網走まで延長運転するのは…今の感覚だとだいぶ行きますねーって思っちゃう。
最終日に倶知安まで乗って車内配布された乗車証明書をヤフオクで処分したら4万で落札された
特別急行おおぞらも14両編成だったことがあるのですね!13両が最高だと思っていました。勉強になります。
黒松内みたいなしょぼい駅にも停車してたんだよね、当時は今よりマシだったと思うけど。
特急「北海」カッコイイ愛称ですよね、如何にも北海道の優等列車に相応しいと思います。愛称だけでも復活しないかなあ。
北海道新幹線の最優等列車に相応しい名前だと思いますがどうなるのでしょうか
@@ウイスキーウォッカ 北海道新幹線の列車の愛称ならば、「ほっかい」ですかね。
いや相応しくない地名じゃ固有過ぎて他地域が心情的に納得しないだろう
北海は函館から札幌まで乗車して食堂車に行った事もあります。また昔添乗員をしていた頃、札幌から函館まで修学旅行の設定臨で82系の乗車した事もあります。修学旅行の設定臨の頃は既に山線よ特急はありませんでした。
特急北海 一度だけ乗った事があります。
山線には急行ていねっていうのもあったよね。
ヨンサントウダイヤ改正で食堂車マシ35型が外されて気動車急行ライラックや、アカシヤが統一されてニセコになった。
82年の夏、白鳥→連絡線深夜便→北海を利用しました。但し北海の車内では寝ていたので何も覚えていない
でも、青函連絡船が午前0時頃青森発で函館到着が午前4時頃。「北海」はそれに接続しての出発だから、車内のお客さん皆睡眠時間。多客期は旭川から網走への園長運転もあったと時刻表で見覚えがある。
朝早く起きて下り北海を見に自転車を漕いだ小3の夏休み。
「ほくと」と「ほっかい」で復活しますね。単純に東京から一本で札幌に行けるようになるのってすごいですね。
「はやぶさ」と「はやて」が、引き続き北の大地を駆ける事になるでしょう(笑)東京から札幌まで、東北+北海道新幹線を通しで乗られるのは、おそらく鉄ヲタさんくらいなものでしょうからね。
しないでしょ新しくできる愛称は道内完結運用のみでそれもおそらく「ほくと」が引き継がれるのみ
1981年10月改正で特急北海は急行宗谷の函館~札幌間を格上げして2往復に増発され当時最新のキハ183系も加わったものの函館本線全線走破していた1往復も札幌短縮され1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で廃止されるまでこの体制だった。この時山線から定期優等列車が消滅したのは残念だが沿線各都市の人口を考えると致し方ないかも…
沿線に小樽くらいしか代表的な都市が無い山線よりも、室蘭、苫小牧、千歳と言った都市が有る海線の方が重要視されるのは当然でしょう。
宗谷の系統分割されて増発した分とPCのニセコの分は現在も長万部以南は北斗して残っている
倶知安、小樽はその当時は無視できない程、力があったんでしょう。また一本は山線にも特急をという政治的配慮も国鉄時代はあったのだと推察されますね
かつては、日本銀行の支店が置かれたほどに栄えていた小樽が、勢いを失ってしまいましたからね。
@@カメイドイチロー さん小樽市は山が迫っていて広い後背地が無かったことまた、札幌市の急速な発展が小樽の地位を奪ってしまったみたいですね。大学も小樽商科大学と北海道大学との関係も大きく差をつけられた感がありますね。
倶知安は「支庁」あるし😉
山線ね。子供の頃C62重連に乗せて貰って良いにおいだった
不便って夢があって楽しいね♪
そうでしょう。よいことを言って下さいました。「不便」だからこそ、のりこえるたのしさ
続きです。不便やからこそ、それをのりこえる楽しさがあります。すべてが便利に出来ていたら乗り越えるおもしろさがないです。また苦心することも苦労することもない人生など楽しくない。人生は苦労があるから乗り越える為に一生懸命頑張ります。幸せというのも意外とそういうところにあるのではないかと思います。えらそうなことを言ってすみません。
贅沢だな不便さを解消してきたからこそそんな呑気なことを言ってられる生産活動の活発化には利便性の向上が欠かせない交通インフラとしての鉄道の目的を違えては経済が回らないよ
新幹線が札幌延伸した際には、現在の特急北斗は札幌-長万部間に区間を短縮して運行され続けるのでしょうか?もしご存じでしたらお教えください!
2000年有珠山噴火して室蘭線が普通になった際の山線特急がありましたがあれは臨時でしたね
新幹線全通後も愛称復活はなさそう
網走まで延長運転された『北海』に乗ったことがあります。札幌まででしたが、網走発がちょうどいい時間だったので旭川のあたりで夕日が沈んでゆくのを見てましたね。
あれ北海って青函連絡船廃止まであったよねw
いや、61-11まで😉
北海道の由緒正しき名門優等列車だが、新幹線の札幌延伸で大変木になるルートやろ✋🚃🚄
一時期旭川では下り北海到着の1分後に石北線下り普通列車が出発するダイヤとなっていたが、市販時刻表の石北線のページにはわざわざ北海から接続しませんと追記されていたのを想い出す。それだけ遅延が多かったのか、それとも札幌から先がガラガラだったのか、今をもって謎に感じている。
14両とはたまげたなぁ
「ニセコ」は現代でも、秋の観光シーズンに臨時運行されていますが、「北海」は、なかなか復活しないのが残念に思います。
北海ってネームバリューがねぇ。特急だしニセコよりふさわしいとは思うんだけどね
北海という言葉は馴染みがないからでは。北海という海は日本にはないですし。
北海道だから北海って安直すぎるのよ上越新幹線「とき」「たにがわ」が「にいがた」「ぐんま」だったらダサいでしょ
キハ80系かっこいい!やっぱり同じ道内でも札幌~函館は本州では東京~大阪の感覚やね!東京を札幌に例えると札幌~帯広は仙台、釧路は盛岡!網走は秋田!札幌~旭川が新潟、稚内が青森というイメージかな?方向がめちゃくちゃで申し訳ないですが・・・・。
乗車時、次の停車駅の都合で、姫川信号所で臨時停車した....😅
北海 一度乗ったコトがあります
多分こんな感じだったんかな?一コマ登場したとき(おおぞら)やべーよ、客がめっちゃいるわ、こりゃ困ったもんだわ!(国鉄北海道)よし、わかった、山線を活用してみよう!(北海)はじめまして、おおぞらさんの助っ人と山越え海越え谷越えの北海です!(おおぞら)おぉ、よろしくな!その後(北海)うっほー、一杯乗ってきたわ!(おおぞら)すげーw(おおとり)こりや負けたわ(北斗)そう?じゃぁ、覚悟しとけよ。クフフフフフフ(小声)9年後(石勝線)石勝線開通!!(おおぞら)これで近道できたわ!(北斗)キハ183系に変えました!これで110〜120キロ担ったよ!(北海)嘘やろお前、(ニセコ)いいな〜、1986年11月(北海)19年間ありがとうございました!今日、引退します!(ニセコ)ワシは急行列車はなくなるが、快速列車として復活する予定やからな(山線内各駅)(北斗)今度はこっちが動かさないとな、(おおぞら)だね、石勝線最高!(とかちとすずらん)今度は私の面倒をみてね!(おおぞらと北斗)\(^o^)/完
大学1年の夏休み、初めての北海道。夜行の青函連絡船を降りると、北斗と北海がディーゼルエンジン音を轟かせて待ってました。北海に乗ると間もなく、車窓にはそれまで見たことのない原生林が続きます。その後、何度か北海道に行ってますが、北の大地を感じた最高の思い出です。
宮脇の「汽車旅12ヶ月」みたいな体験をしたのですね、なるほど。ちなみに、私の知人で釧路出身の人が、昔、似たようなことを言っていました。「修学旅行で京都に行ったんだけど、朝起きたら(寝台特急日本海4号で石川県付近と思われる)、景色が凄くて感動して、窓に貼りつくようにして眺めてた。これが授業で出てくる広葉樹林か、これが水田か、って」
札幌延伸したら、北海復活してほしい、停車駅東京、上野、大宮、新青森、新函館北斗、そこから札幌まで何パータンかある
さすがに、東北随一の大都会である仙台には、全列車が停車するでしょうね。仙台から函館や札幌を目指す方も乗られるでしょうから。
盛岡も外せないでしょう。全部ではないとは思うけど、「こまち」との増解結のための盛岡停車は欠かせません。
上野は通過で良いのでは?
北海道内に限っては2パターンだよ各駅停車と道内は新函館北斗のみそれが効率的函館支線でもできりゃ別だが
愛称が北海は北海道と紛らわしいっすよ新函館北斗と札幌の間にノンストップ便と各駅停車以外に必要かね?
サラッと言ってたけどでキハ85で函館~網走って昼行にしては長すぎんか😅
特急「おおとり」号1964年10月に函館〜網走・釧路間(滝川駅で分割・併合)の特急列車として登場。1970年10月からは釧路発着編成が特急「おおぞら」号に分離されて、函館〜網走間の単独運行となった。1988年3月のダイヤ改正で、函館〜札幌間が特急「北斗」号に、札幌〜網走間が特急「オホーツク」号にそれぞれ分割されて、「おおとり」号と言う列車名は消滅した。なお、登場から廃止に至るまで、1日1往復体制を維持し続けた。使用車両は、当初はキハ82系が使用され、後にキハ183系に置き換えられた。函館〜札幌〜網走間660.8キロの走行距離を、10時間以上かけて運行されるロングラン運転で、札幌駅と遠軽駅の2か所で進行方向が変わるのも、「おおとり」号の特徴だった。
日本からロマンを無くすな!
ロマンだけで飯が食えたら誰も苦労しねえんだよ嫌ならスーツよろしくそれ相応の対価を払え
北海、全区間乗ったな
函館〜長万部〜倶知安〜小樽〜札幌
うらやましい
@@カメイドイチローワイが乗った時は旭川行き。しかも、お盆は網走延長。ワイは札幌下車😉
新幹線はひらがな列車名という不文律があるので…「ほっかい」でも「にせこ」でも間が抜けていて嫌だな現状存在しなくて重厚感だけで言ったら「おおとり」が妥当なような
ならば、「はやぶさ」のままでよろしいのでは…
@@カメイドイチロー あれ、これ道内完結タイプの話じゃなかったんですか?
いしかりもいいと思う
「北斗」は長万部ー東室蘭ー札幌で残るという前提でしたが、よく考えたら市名に転用された北斗市を通らなくなる在来線特急は「すずらん」に統合しちゃって、新幹線を「ほくと」でいいかもしれませんね。全く面白味はないですけどw
@@yasm3538 いや、それが正しいと思いますよはくたかみたいに役割がそのまま受け継がれるのがスッキリする
1:20この子って名鉄でも運用されていたあの子?
1:20顔は似ていますが違います。名鉄のやつは名鉄オリジナル。ただ国鉄車両を雛形としたので形は似ていますね。当時の高山本線は急行型が充当されていましたからキハ82ではなくキハ58系列が想起されている車両に近いかと。
@@user-ce4rpMOTHgj1ck なるほど、教えていただきありがとうございます。
JR化後に山線を改良しキハ283系で北海を走らせていれば、所要時間的にも北斗より速くなるかもしれないので面白かったかも。
沿線人口や旅客需要が、山線と海線とでは全く異なるので、「北海」号の運命は定まっていたのでは…
@@カメイドイチロー ご返答ありがとうございます。たしかにそうなんですよね、だから私もいいかもではなく面白かったかもと書いたんですよ。ただ需要的にはニセコや倶知安があるし小樽にも早く到着できそうなので、可能性は少しはあるかもと思っています、それでも厳しいとは思いますが。
山線は単線で海線は殆どが複線。山線は20‰の峠越えと急カーブが要所にあるのに対し海線は勾配もカーブも少ないです。この山線を改良するとなるとJR化直後だったとしてもそれだけで経営体力が無くなってしまったでしょう。
山線の特急は、今なら「ニセコ」の方がしっくり来るだろう。沿線が山岳地帯で実際夏に臨時特急が運転されたことがあるからだ。若い世代に「北海」と聞いたら、多くは高校野球名門校を思い浮かべるかもしれない。
列車にしろ学校にしろ「北海」という名前は、曖昧で極めてイメージ的な名づけかたで、独特の雰囲気を放っていて面白いですよね。地名ですらないので。
ヨンサントウダイヤ改正での函館発の時刻おかしくはないですか!たしか04時50分だったと思います。ナレーションでは食堂車が1981年10月ダイヤ改正で廃止されたように言っていて後で1985年3月ダイヤ改正で廃止といっている。それと急行ニセコは実質2往復で1往復は定期列車の番号を持った臨時列車です。列車番号も8000番台です。
宗谷を忘れるな😃
そうやね…😁
北海道新幹線が札幌まで開通したら愛称は「ほくと」になるよ北斗星の流れも汲んでるからね
「北斗」は、海線経由の在来線特急として、北海道新幹線の札幌延伸後も運行されるでしょう。北海道新幹線は、「はやぶさ」のままでよろしいのでは。
嘗て北海道で電車特急初のいしかりもいいと思います
日本の軸となる大幹線は最速達が特定の地域にしかゆかりのない地名では格式が感じられないわざわざ九州ブルトレから最速の鳥を引っ張ってきたんだから「はやぶさ」でいい北斗は在来線特急としては廃止され道内専用運用に充当、すずらんが気動車化の上代替が現実的なところだろうな
北海道新幹線東京直通列車は「ほくと」、道内区間連絡列車は「ニセコ」と予想。
「北斗」は、北海道新幹線の札幌延伸後も、海線経由の在来線特急として運行される筈です。なので、北海道新幹線の東京直通列車は、「はやぶさ」のままで、北海道新幹線(新青森〜札幌間)内の区間列車は「はやて」のままと予想。
いしかりも候補に上がるでしょうね
東京直通は最速達のみ、「はやぶさ」がそのまま延伸道内専用は各駅停車の「ほくと」が引き継がれるこれが今までのCOSMOS系統の新幹線列車名の規則性から予想できる格式高い新幹線列車名には地名など具体性がありすぎるものではなく抽象名詞や自然事物(鳥名・花名、山名は含まず)であるべきだね
大阪、岡山、博多、名古屋など地域の都心を中心に発達した地域と違い北海道は函館が起点であったのですね
かつての本州と北海道とのメインの連絡輸送が、東北本線・奥羽本線〜青函連絡船〜函館本線でしたからね。
特急おおぞらはこの当時12両編成で釧路行きが7両で食堂車を含む、旭川編成は5両です。おおぞらが14両になったことは一度もないです。13両が最長です。もう少し勉強しようね!
今一度特急北海復活を要望します。急行宗谷も函館と稚内の間を運転していた。再び函館本線山線を走る特急宗谷を見たいものです。特急ニセコも定期特急に格上げしてほしい。
山線の沿線人口の少なさや旅客需要を考慮すると、復活はあり得ないでしょう。観光シーズンの臨時列車として、運行される可能性はあるでしょうか。それに、山線は、北海道新幹線(新函館北斗〜長万部〜倶知安〜新小樽〜札幌間)の並行在来線になってしまいますからね…
経営の苦しい北海道には、利益が見込めるならともかく、ノスタルジーのためだけに列車を走らせる余力はないと思います
復活を要望するのはたやすいが、その赤字を補填するのは難しい。
無理です
私も函館本線山線に特急復活を希望します。長万部から倶知安、ニセコ、余市、小樽と人気の観光地が連なっており定期運転を期待したい。新幹線開業までの限定で運転を希望します。
50代後半のオヤジですが、中学高校時代、交通公社の時刻表をボロボロになるまで読み込んで、夢馳せた数々の列車達。大人になって金稼いで乗るぞと思っていたが、国鉄が爆発し名物列車やブルートレインが次々無くなっていった。こちらのうp主さんの動画は乗りたかったけど乗れなかった列車の夢を思い起こさせてくれて、とても大好きなチャンネルです。
感動しました
「おとなになったら乗ろう」
おとなになる前に無くなるの悲しいなぁ…
ほんとにそうですね!
僕も乗ってみたかったです😢
今ある列車も乗れるうちに乗っておこう
↑同年代だけど家族旅行で乗ったオッサン😁
特急北海の全盛期は、飛行機がすごく贅沢な乗り物。千代の富士が親方に「飛行機に乗って東京見物しないか」と言われて大嫌いだった相撲界に入門したのは有名な話。その後、飛行機が鉄道より安くなる時代が訪れるとは、誰も想像しなかったに違いない。
かつて放送されたテレビドラマ「千代の富士物語」の中に、そのシーンが有りましたね。
特急北海は現代の鉄道ファンでも知らない人が多いので
特急おおとりなどとともにもっと知られるべきだと思っていたから動画にとりあげられてうれしい
国鉄最末期に車内販売員のアルバイトしてました。北海は勿論、北斗、おおぞら、おおとり等まさに最期の北海道特急黄金期でしたね。キハ82系からキハ183系の転換期でもありました。
若き日の楽しい思い出です✨
特急北海。若い頃帰省で旭川に戻るたびに利用してました。懐かしいです。
一度乗ってみたかった『北海 キハ80系』!!
山線は羊蹄山がきれいに見えて良いです
北海道新幹線ですと、長大なトンネルで抜けてしまう様ですから、そんな素敵な車窓は、おそらく期待できないでしょうね。
多分、高架の倶知安駅周辺からなら、見れるはず。
特急北海、急行宗谷、ニセコ、らいでん、いぶり、懐かしい。
札幌の大学入学のため乗った特急が北海。白銀の北海道の大自然の中を縫うように走った。山線は旧型客車や14系のニセコ、気動車の宗谷の楽しい思い出が詰まってる。国鉄にも地方にもあの頃は力が漲っていた。山線にもう一度乗りたくて時刻表見ても、長万部で2時間以上待ちとか殆ど列車が走ってない。寂しい限り。
もしや北大ですか...?
不快に思われたら申し訳ございませんが
@@mothlla3000 そうです。1977年入学。入学に先駆けて送られてきた大学生協からのパンフレットに、是非とも山線で札幌に来いとのメッセージが有り、それに従いました。そんなことを言ってくる大学生協もどうかしてたんだと思います。ロマンがあった時代ですね。
そうでしたか。すごいですね。
北海華やかし頃に上野から旭川まで列車や連絡船を乗り継いで旅がしてみたかった。楽しそう。
1度は乗って見たかった北海。
高校出て勤めた会社の出張で札幌⇒網走をキハ80の特急の指定席に乗って出張。
食堂車も付いていてカレーライスをいただきました。
現代のキハ261全盛の列車に比べるとスピードは出ないのですがキハ80のエアサスの
乗り心地は最高に良かったです。
特急北海号は特急おおとり号と共に、食堂車キシ80を1980年代半ばまで連結していたので、青函連絡船レストラン海峡とは違ったメニューを楽しめました。アキアジこと鮭フライ定食や羊ラム肉を使った北海焼肉定食が人気メニューだったそうです。
東京在住、1957年生まれのおっさん、1970年代に「北海道ワイド周遊券」で道内をあちこちまわりました、長万部~小樽間は、特急、急行が何本も走って、函館駅に青函連絡船が到着すると、走って函館発急行列車の自由席を確保したのを覚えています。近年、小樽~長万部間は、列車本数が少なく鉄道を使った移動は難しいです。
旭川駅を17:35発の特急北海で母の実家のある石川県羽咋郡に行くのが夏休みの恒例だったです(なぜかいまでも出発時間を覚えている)。
北海道あたりの緯度だとすぐに暗くなるので景色の記憶はないけど、青函連絡船ではずっと父とデッキに出ていました。
10歳の1970年にあった大阪万博でも乗りました(青森からは特急日本海だったと思います)
なんだか思い出した・・・
40年前の昭和59年元旦に下り特急北海1号に乗りました。ちょうどニセコを過ぎた辺りで食堂車が開店し始めて早速食堂車で朝食をとりました。トーストとハムエッグの洋朝定食でしたが、正月のサービスでコーンポタージュスープがサービスでつきました。
朝食が揃った頃合いがちょうど朝日に輝く白銀の後方羊蹄山の勇姿が車窓に広がってその車窓を眺めながらの朝食は今まで体験した事ないほどの贅沢な気分で朝食をいただきました。
あれから40年経ちますがこれ以上の朝食は未だ体験した事ありません。
「食事の印象は、シチュエーション込み」の典型的な例を体験したのですね。
味自体を客観的に評価すると不味いでしょうけど、楽しかった食事ってありますよね。私もあります。
特急北海1号の食堂車はもっと早くに営業していたはずです。ニセコ付近ですと1時間半で札幌に着いてしまいます。2号は183系気動車なので食堂車はつかないし!ひょっとすると駒ヶ岳付近の間違いでは?
昭和56年10月に特急「北海」で1往復をキハ183系を導入した、ちなみに特急「北斗」キハ183系は昭和58年からです。
函館から札幌接続で道東方面の「おおぞら」に乗り継ぐ場合、東室蘭経由の「北斗」に乗ろうが小樽経由の「北海」に乗ろうが、当時は途中下車しなければ運賃が倶知安・小樽経由での計算になる特例があったのを思い出した。でも道内の気動車特急が183系に置き換わる中、定期列車でも晩年まで82系気動車で運行されてた「北海」のほうを好んで乗ってました。80年代の話です。懐かしいな・・・
新幹線列車名には格式が求められる
地名など具体性がありすぎるものではなく抽象名詞や自然事象(鳥名・花名、山名は含まず)がふさわしい
地名山名は区間列車や支線系統が好ましいね
だから北海の復活はないだろう
特急「北海」懐かしい。
北海号、S49の夏に美幌ー網走の一区間特定特急券で利用。急行大雪5往復含めかなりの乗車率でした。
大雪を快速化とか聞きますが、50年間で何が?
当時深夜に賑っていたのが上川、新得、名寄。当時の均一周遊券で夜行列車を宿にしていた若者が、上下列車を乗り換えて乗車駅に戻っていたからです。そして夜10時ごろからの駅前では寝袋の列、札幌も例外では無かったです。
当時は今と違って平和でしたね、そして色んな方々が若者の行動に理解をしていただき、時には援助を。感謝!!!。
懐かしい
遠軽→倶知安で乗った覚えある
北海道の特急は80系ですね。
北海は183時代一度だけ乗りました。
ニセコは旧客車時代のも乗っています。
この頃が懐かしいです
小樽市民です。北海、懐かしいですね😄
網走迄脚を伸ばしていたのは存じてましたが、夜行なんてのもあったんですね😄
深夜にタブレット交換しながらの通過…一度見てみたかったです。
特急北海は残念ながら乗る事が出来ませんでしたが、急行ニセコには2度ほど小樽から函館まで乗った事があります。
それ以前に乗った急行らいでん(そんな名前だったと思います。)はディーゼルカーで、客席は普通列車と変わらないボックスシートでしたが、急行ニセコは長いブルートレインの客車で、シートもリクライニングの優雅な趣のある列車でした。当時はまだ特急列車でもリクライニングシートの仕様でない車両もあったかと思います。
余談ですが、子供の頃「からまつ」という名前の小樽発釧路行の夜行の普通列車がありましたが、なんと寝台車もありました。夜の小樽駅で見た事がありますが、普通列車なのになんか風格を感じたのを子供心にも思い出します。
流氷マークの網走行きオホーツクもありましたね。
70年代、親の実家が弘前だったから札幌から北海に乗車して連絡船でいっていましたね。
朝の出発便で行ってました。
食堂車で食べる余裕はなく車販の冷凍ミカンで我慢させられていた子供の頃の記憶です。
昭和52年頃、倶知安町で小学生だったワタクシは、倶知安駅南側の跨線橋から21時発の上り12D特急北海を見るのが好きでした。
当時の倶知安駅は胆振線も健在で引込線もたくさんあり、車両の入換等が頻繁に行われていて夜でも明るく活気がありました。
当時は東京なんてテレビで見るくらいで未知の世界。でもこの特急北海に乗れば今日のうちに函館に着き、青函連絡船に乗り、朝には本州に着き、そこから特急に乗れば東京に着ける。倶知安から約1日で東京に着ける。憧れの特急列車でした。跨線橋の下をエンジン音を響かせながら加速していくキハ82。車窓から漏れる光が暗闇の中を突き進んでいく。高い特急料金を払って東京に行くなんてどんな人達が乗っているんだろう。
というような内容を国語の宿題の詩に書いた記憶があります。
あれから45年以上が経ちましたが、今でもあの跨線橋の上に立つと、あの時に見た眩い光を放つ夜の倶知安駅構内と12D上り特急北海を思い出すのです。
残念なのは当時、写真等を1枚も撮ってないこと。でもこの記憶は、倶知安駅に新幹線が通りあの跨線橋がなくなっても、自分の中には永遠に残り続けるのです。
北海道新幹線が延伸したら新しい列車名は「ニセコ」「はまなす」「北海」などがいいですね
新幹線の名称ですが「おおぞら」が最も格が高いけど道東方面で使用中だから使えない。函館札幌は「北斗」が馴染んでるけど室蘭には行かないから使うかどうか。「北海」と「北海道」は混同しやすいので名称として使うなら「ニセコ」が一番可能性高いのでは?ただ特定の地名をつけると他の自治体が怒りそう。道内完結列車の愛称をどうするかは気になるところです。
北海道新幹線にふさわしい列車名、一般公募されては如何。 今思い浮かぶのは、「北海」「おおとり」「あおぞら」「大地」などは如何でしょうか。もっと独創性があって北海道にふさわしい名称があれば、皆さんもどしどし提案されては如何でしょうか。おもしろいし、楽しいと思います。
@@うおのめ-k9dさん
釧路特急は「まりも」に変えてみてはいかがでしょう?
かつて仙台〜新潟間を走っていた急行「あさひ」が上越新幹線の速達タイプの愛称に召し上げられ、「べにばな」に変わったように……
東京ー札幌直通/最速達:引き続き「はやぶさ」
道内完結/各駅停車:既存の特急の役割を継承して「ほくと」
と予想してみる。
需要量と遠近分離の塩梅から本州から札幌まで行くのは最速達列車のみだろう(現になすのややまびこなど停車駅の多い便は盛岡や新青森まで行かない)。
わかりやすさから継続使用、かつ「役割」にフォーカスし愛称をあてがうのが適切と考えます。
在来線特急は基本廃止の上ですずらんを気動車特急に置き換えた上で一部長万部、または伊達紋別、洞爺まで延長運転が現実的なところでしょうな。
距離は短いが時間はかかる。コロタン文庫にもはっきり書かれているのは懐かしい。おおぞらやおおとりや北斗が海側を通り実質コチラが主流。
連絡船から降りると函館駅のホームに北海と北斗が並んでるんだよね。
みんな走るのを横目に自分は荷レに旧客がくっ付いた2時間後の121レに乗って
札幌まで9時間の行程が楽しみだったわ。
ワイは指定席💺だから歩いた😁
北海はおおぞらに比べ空いていたイメージがありました。とくに全車指定席の時代はおおぞらの指定席券が取れなかった時の代替列車で周遊券族は同じ函館本線経由の急行ニセコ1号に集中していました。そのために北海は長い間7両編成でした。(網走の車庫の関係で特急おおとりを除く)10両に増車の時も季節により3両減車もされていました。
北海道新幹線「札幌〜新函館北斗間」の区間運行なら、北海の愛称として復活してほしい感じです。
可能性はありますね
あとはいしかり等
@@hiroshia5789
「いしかり」もいいね。
「おおぞら」もいいかもしれない🤔
で、召し上げられた札幌〜釧路の特急は「まりも」奇跡の再復活!😆
あくまで私の妄想ですが……😅
北斗が「ほくと」として引き継がれるかと
格式としてあまり地域特有の具体的な地名は使われないのでは?
他の線区から引っ張ってくるのも紛らわしい
特急北海は26分遅く札幌に着いたかもしれないが、そもそも5分遅く出ているから、最高速度100キロの80系ならそんなに時間差がないということだね。
北海道新幹線開業後のことについても触れていたが、ほぼ同じルートを通る以上、愛称は「北海」か「ニセコ」にしてほしい。
ただ、愛称がひらがなありきという以上は現実的ではないかも。
札幌発着の速達便は盛岡、新青森、新函館北斗を通過するくらいでないと飛行機には対抗できないのでは?
そして
小樽周りの特急が新幹線として復活。
但しいつになるかはわからない。
北海には乗れなかったけど、夏期に走る臨時特急「ニセコ」には乗れたな。北海と同じ時刻だったかは知らないけど、山線を走る特急を堪能出来てよかった。
北海道新幹線の札幌開業まで走って欲しいな。
両親の実家が小樽でした。北海が登場した時に小樽に住んでいた親戚が喜んでいたのをよく覚えています。
楽しい配信ありがとうございます。40年ほど前に初めて北海道旅行した時にお世話になりました。周遊券を有効に使おうと始発で自宅を出発して急行を乗り継ぎ夜行急行の八甲田を有効期限の初日の夜に使うより半日早く青森へ着きました。0時の青函連絡船に乗って4時の北海に乗りました。確か千歳線経由の北斗もあったのですが北斗の方が出発時間が早かったため後発の北海の方がすいていたので利用しました。懐かしい思い出です。
通常旭川止まりの列車が、繁忙期中心とはいえ、網走まで延長運転するのは…今の感覚だとだいぶ行きますねーって思っちゃう。
最終日に倶知安まで乗って車内配布された乗車証明書をヤフオクで処分したら4万で落札された
特別急行おおぞらも14両編成だったことがあるのですね!13両が最高だと思っていました。勉強になります。
黒松内みたいなしょぼい駅にも停車してたんだよね、当時は今よりマシだったと思うけど。
特急「北海」カッコイイ愛称ですよね、如何にも北海道の優等列車に相応しいと思います。愛称だけでも復活しないかなあ。
北海道新幹線の最優等列車に相応しい名前だと思いますがどうなるのでしょうか
@@ウイスキーウォッカ
北海道新幹線の列車の愛称ならば、「ほっかい」ですかね。
いや相応しくない
地名じゃ固有過ぎて他地域が心情的に納得しないだろう
北海は函館から札幌まで乗車して食堂車に行った事もあります。
また昔添乗員をしていた頃、札幌から函館まで修学旅行の設定臨で82
系の乗車した事もあります。修学旅行の設定臨の頃は既に山線よ特急はありませんでした。
特急北海 一度だけ乗った事があります。
山線には急行ていねっていうのもあったよね。
ヨンサントウダイヤ改正で食堂車マシ35型が外されて気動車急行ライラックや、アカシヤが統一されてニセコになった。
82年の夏、白鳥→連絡線深夜便→北海を利用しました。但し北海の車内では寝ていたので何も覚えていない
でも、青函連絡船が午前0時頃青森発で函館到着が午前4時頃。「北海」はそれに接続しての出発だから、車内のお客さん皆睡眠時間。多客期は旭川から網走への園長運転もあったと時刻表で見覚えがある。
朝早く起きて下り北海を見に自転車を漕いだ小3の夏休み。
「ほくと」と「ほっかい」で復活しますね。単純に東京から一本で札幌に行けるようになるのってすごいですね。
「はやぶさ」と「はやて」が、引き続き北の大地を駆ける事になるでしょう(笑)
東京から札幌まで、東北+北海道新幹線を通しで乗られるのは、おそらく鉄ヲタさんくらいなものでしょうからね。
しないでしょ
新しくできる愛称は道内完結運用のみでそれもおそらく「ほくと」が引き継がれるのみ
1981年10月改正で特急北海は急行宗谷の函館~札幌間を格上げして2往復に増発され当時最新のキハ183系も加わったものの函館本線全線走破していた1往復も札幌短縮され1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で廃止されるまでこの体制だった。この時山線から定期優等列車が消滅したのは残念だが沿線各都市の人口を考えると致し方ないかも…
沿線に小樽くらいしか代表的な都市が無い山線よりも、室蘭、苫小牧、千歳と言った都市が有る海線の方が重要視されるのは当然でしょう。
宗谷の系統分割されて増発した分とPCのニセコの分は現在も長万部以南は北斗して残っている
倶知安、小樽はその当時は無視できない程、力があったんでしょう。
また一本は山線にも特急を
という政治的配慮も国鉄時代はあったのだと推察されますね
かつては、日本銀行の支店が置かれたほどに栄えていた小樽が、勢いを失ってしまいましたからね。
@@カメイドイチロー さん
小樽市は山が迫っていて広い後背地が無かったこと
また、札幌市の急速な発展が小樽の地位を奪ってしまったみたいですね。
大学も小樽商科大学と北海道大学との関係も大きく差をつけられた感がありますね。
倶知安は「支庁」あるし😉
山線ね。子供の頃C62重連に乗せて貰って良いにおいだった
不便って夢があって楽しいね♪
そうでしょう。よいことを言って下さいました。「不便」だからこそ、のりこえるたのしさ
続きです。不便やからこそ、それをのりこえる楽しさがあります。すべてが便利に出来ていたら乗り越えるおもしろさがないです。また苦心することも苦労することもない人生など楽しくない。人生は苦労があるから乗り越える為に一生懸命頑張ります。幸せというのも意外とそういうところにあるのではないかと思います。えらそうなことを言ってすみません。
贅沢だな
不便さを解消してきたからこそそんな呑気なことを言ってられる
生産活動の活発化には利便性の向上が欠かせない
交通インフラとしての鉄道の目的を違えては経済が回らないよ
新幹線が札幌延伸した際には、現在の特急北斗は札幌-長万部間に区間を短縮して運行され続けるのでしょうか?もしご存じでしたらお教えください!
2000年有珠山噴火して室蘭線が普通になった際の山線特急がありましたがあれは臨時でしたね
新幹線全通後も愛称復活はなさそう
網走まで延長運転された『北海』に乗ったことがあります。札幌まででしたが、網走発がちょうどいい時間だったので旭川のあたりで夕日が沈んでゆくのを見てましたね。
あれ北海って青函連絡船廃止まであったよねw
いや、61-11まで😉
北海道の由緒正しき名門優等列車だが、新幹線の札幌延伸で大変木になるルートやろ✋🚃🚄
一時期旭川では下り北海到着の1分後に石北線下り普通列車が出発するダイヤとなっていたが、市販時刻表の石北線のページにはわざわざ北海から接続しませんと追記されていたのを想い出す。
それだけ遅延が多かったのか、それとも札幌から先がガラガラだったのか、今をもって謎に感じている。
14両とはたまげたなぁ
「ニセコ」は現代でも、秋の観光シーズンに臨時運行されていますが、「北海」は、なかなか復活しないのが残念に思います。
北海ってネームバリューがねぇ。特急だしニセコよりふさわしいとは思うんだけどね
北海という言葉は馴染みがないからでは。
北海という海は日本にはないですし。
北海道だから北海って安直すぎるのよ
上越新幹線「とき」「たにがわ」が「にいがた」「ぐんま」だったらダサいでしょ
キハ80系かっこいい!
やっぱり同じ道内でも札幌~函館は本州では東京~大阪の感覚やね!
東京を札幌に例えると札幌~帯広は仙台、釧路は盛岡!網走は秋田!
札幌~旭川が新潟、稚内が青森というイメージかな?
方向がめちゃくちゃで申し訳ないですが・・・・。
乗車時、次の停車駅の都合で、姫川信号所で臨時停車した....😅
北海 一度乗ったコトがあります
多分こんな感じだったんかな?一コマ
登場したとき
(おおぞら)やべーよ、客がめっちゃいるわ、こりゃ困ったもんだわ!
(国鉄北海道)よし、わかった、山線を活用してみよう!
(北海)はじめまして、おおぞらさんの助っ人と山越え海越え谷越えの北海です!
(おおぞら)おぉ、よろしくな!
その後
(北海)うっほー、一杯乗ってきたわ!
(おおぞら)すげーw
(おおとり)こりや負けたわ
(北斗)そう?じゃぁ、覚悟しとけよ。クフフフフフフ(小声)
9年後
(石勝線)石勝線開通!!
(おおぞら)これで近道できたわ!
(北斗)キハ183系に変えました!これで110〜120キロ担ったよ!
(北海)嘘やろお前、
(ニセコ)いいな〜、
1986年11月
(北海)19年間ありがとうございました!今日、引退します!
(ニセコ)ワシは急行列車はなくなるが、快速列車として復活する予定やからな(山線内各駅)
(北斗)今度はこっちが動かさないとな、
(おおぞら)だね、石勝線最高!
(とかちとすずらん)今度は私の面倒をみてね!
(おおぞらと北斗)\(^o^)/
完
大学1年の夏休み、初めての北海道。
夜行の青函連絡船を降りると、北斗と北海がディーゼルエンジン音を轟かせて待ってました。
北海に乗ると間もなく、車窓にはそれまで見たことのない原生林が続きます。
その後、何度か北海道に行ってますが、北の大地を感じた最高の思い出です。
宮脇の「汽車旅12ヶ月」みたいな体験をしたのですね、なるほど。
ちなみに、私の知人で釧路出身の人が、昔、似たようなことを言っていました。
「修学旅行で京都に行ったんだけど、朝起きたら(寝台特急日本海4号で石川県付近と思われる)、景色が凄くて感動して、窓に貼りつくようにして眺めてた。これが授業で出てくる広葉樹林か、これが水田か、って」
札幌延伸したら、北海復活してほしい、停車駅
東京、上野、大宮、新青森、新函館北斗、そこから札幌まで何パータンかある
さすがに、東北随一の大都会である仙台には、全列車が停車するでしょうね。
仙台から函館や札幌を目指す方も乗られるでしょうから。
盛岡も外せないでしょう。
全部ではないとは思うけど、「こまち」との増解結のための盛岡停車は欠かせません。
上野は通過で良いのでは?
北海道内に限っては2パターンだよ
各駅停車と道内は新函館北斗のみ
それが効率的
函館支線でもできりゃ別だが
愛称が北海は北海道と紛らわしいっすよ
新函館北斗と札幌の間にノンストップ便と各駅停車以外に必要かね?
サラッと言ってたけどでキハ85で函館~網走って昼行にしては長すぎんか😅
特急「おおとり」号
1964年10月に函館〜網走・釧路間(滝川駅で分割・併合)の特急列車として登場。
1970年10月からは釧路発着編成が特急「おおぞら」号に分離されて、函館〜網走間の単独運行となった。
1988年3月のダイヤ改正で、函館〜札幌間が特急「北斗」号に、札幌〜網走間が特急「オホーツク」号にそれぞれ分割されて、「おおとり」号と言う列車名は消滅した。
なお、登場から廃止に至るまで、1日1往復体制を維持し続けた。
使用車両は、当初はキハ82系が使用され、後にキハ183系に置き換えられた。
函館〜札幌〜網走間660.8キロの走行距離を、10時間以上かけて運行されるロングラン運転で、札幌駅と遠軽駅の2か所で進行方向が変わるのも、「おおとり」号の特徴だった。
日本からロマンを無くすな!
ロマンだけで飯が食えたら誰も苦労しねえんだよ
嫌ならスーツよろしくそれ相応の対価を払え
北海、全区間乗ったな
函館〜長万部〜倶知安〜小樽〜札幌
うらやましい
@@カメイドイチローワイが乗った時は旭川行き。しかも、お盆は網走延長。ワイは札幌下車😉
新幹線はひらがな列車名という不文律があるので…「ほっかい」でも「にせこ」でも間が抜けていて嫌だな
現状存在しなくて重厚感だけで言ったら「おおとり」が妥当なような
ならば、「はやぶさ」のままでよろしいのでは…
@@カメイドイチロー あれ、これ道内完結タイプの話じゃなかったんですか?
いしかりもいいと思う
「北斗」は長万部ー東室蘭ー札幌で残るという前提でしたが、よく考えたら市名に転用された北斗市を通らなくなる在来線特急は「すずらん」に統合しちゃって、新幹線を「ほくと」でいいかもしれませんね。全く面白味はないですけどw
@@yasm3538
いや、それが正しいと思いますよ
はくたかみたいに役割がそのまま受け継がれるのがスッキリする
1:20この子って名鉄でも運用されていたあの子?
1:20
顔は似ていますが違います。名鉄のやつは名鉄オリジナル。ただ国鉄車両を雛形としたので形は似ていますね。
当時の高山本線は急行型が充当されていましたからキハ82ではなくキハ58系列が想起されている車両に近いかと。
@@user-ce4rpMOTHgj1ck なるほど、教えていただきありがとうございます。
JR化後に山線を改良しキハ283系で北海を走らせていれば、所要時間的にも北斗より速くなるかもしれないので面白かったかも。
沿線人口や旅客需要が、山線と海線とでは全く異なるので、「北海」号の運命は定まっていたのでは…
@@カメイドイチロー ご返答ありがとうございます。
たしかにそうなんですよね、だから私もいいかもではなく面白かったかもと書いたんですよ。
ただ需要的にはニセコや倶知安があるし小樽にも早く到着できそうなので、可能性は少しはあるかもと思っています、それでも厳しいとは思いますが。
山線は単線で海線は殆どが複線。山線は20‰の峠越えと急カーブが要所にあるのに対し海線は勾配もカーブも少ないです。この山線を改良するとなるとJR化直後だったとしてもそれだけで経営体力が無くなってしまったでしょう。
山線の特急は、今なら「ニセコ」の方がしっくり来るだろう。沿線が山岳地帯で実際夏に臨時特急が運転されたことがあるからだ。若い世代に「北海」と聞いたら、多くは高校野球名門校を思い浮かべるかもしれない。
列車にしろ学校にしろ「北海」という名前は、曖昧で極めてイメージ的な名づけかたで、独特の雰囲気を放っていて面白いですよね。
地名ですらないので。
ヨンサントウダイヤ改正での函館発の時刻おかしくはないですか!たしか04時50分だったと思います。ナレーションでは食堂車が1981年10月ダイヤ改正で廃止されたように言っていて後で1985年3月ダイヤ改正で廃止といっている。それと急行ニセコは実質2往復で1往復は定期列車の番号を持った臨時列車です。列車番号も8000番台です。
宗谷を忘れるな😃
そうやね…😁
北海道新幹線が札幌まで開通したら
愛称は「ほくと」になるよ
北斗星の流れも汲んでるからね
「北斗」は、海線経由の在来線特急として、北海道新幹線の札幌延伸後も運行されるでしょう。
北海道新幹線は、「はやぶさ」のままでよろしいのでは。
嘗て北海道で電車特急初のいしかりもいいと思います
日本の軸となる大幹線は最速達が特定の地域にしかゆかりのない地名では格式が感じられない
わざわざ九州ブルトレから最速の鳥を引っ張ってきたんだから「はやぶさ」でいい
北斗は在来線特急としては廃止され道内専用運用に充当、すずらんが気動車化の上代替が現実的なところだろうな
北海道新幹線東京直通列車は「ほくと」、道内区間連絡列車は「ニセコ」と予想。
「北斗」は、北海道新幹線の札幌延伸後も、海線経由の在来線特急として運行される筈です。
なので、北海道新幹線の東京直通列車は、「はやぶさ」のままで、北海道新幹線(新青森〜札幌間)内の区間列車は「はやて」のままと予想。
いしかりも候補に上がるでしょうね
東京直通は最速達のみ、「はやぶさ」がそのまま延伸
道内専用は各駅停車の「ほくと」が引き継がれる
これが今までのCOSMOS系統の新幹線列車名の規則性から予想できる
格式高い新幹線列車名には地名など具体性がありすぎるものではなく抽象名詞や自然事物(鳥名・花名、山名は含まず)であるべきだね
大阪、岡山、博多、名古屋
など
地域の都心を中心に発達した地域と違い
北海道は函館が起点であったのですね
かつての本州と北海道とのメインの連絡輸送が、東北本線・奥羽本線〜青函連絡船〜函館本線でしたからね。
特急おおぞらはこの当時12両編成で釧路行きが7両で食堂車を含む、旭川編成は5両です。おおぞらが14両になったことは一度もないです。13両が最長です。もう少し勉強しようね!
今一度特急北海復活を要望します。急行宗谷も函館と稚内の間を運転していた。再び函館本線山線を走る特急宗谷を見たいものです。特急ニセコも定期特急に格上げしてほしい。
山線の沿線人口の少なさや旅客需要を考慮すると、復活はあり得ないでしょう。
観光シーズンの臨時列車として、運行される可能性はあるでしょうか。
それに、山線は、北海道新幹線(新函館北斗〜長万部〜倶知安〜新小樽〜札幌間)の並行在来線になってしまいますからね…
経営の苦しい北海道には、利益が見込めるならともかく、ノスタルジーのためだけに列車を走らせる余力はないと思います
復活を要望するのはたやすいが、その赤字を補填するのは難しい。
無理です
私も函館本線山線に特急復活を希望します。長万部から倶知安、ニセコ、余市、小樽と人気の観光地が連なっており定期運転を期待したい。新幹線開業までの限定で運転を希望します。