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とにかく、キハ400はあの急行列車の利尻であったこともまた良かったな、と思います。真冬の札幌駅を出る時の急行利尻は暖房が効きすぎて車内は暑すぎる状態なのが、旭川に向かうに従って適温に車内の温度が下がるのも面白かった。(二層の窓になっていても窓を通じて車内が冷やされるため車内温度が下がる) 旭川の長時間停車も懐かしく思い出されます。こうして考えると、わりと良い時代の列車に乗って来た人生だったな、と思えます、はい。利尻は客車急行、キハ400系急行、キハ183系特急夜行と乗車しましたが、最後が「はなたび利尻」というわけのわからん列車になって、あれれという間に廃止になってのは残念でした。ちなみに、大学卒業後に「北斗星利尻」が運転され、私もこれに乗ろうと切符を買いました(B個室ソロ)が結局、仕事で休めなくてキャンセルをしたのが苦い思い出です…………
就職する直前に一週間北海道を列車で放浪しましたが、3日は寝台車で過ごしました😅宿代助かりました😊
2000年3月11日のJRダイヤ改正で急行利尻号が特急に格上げに伴いキハ183系500・1500番台+14系500番台寝台客車1両を連結して4両編成に置き換えられました、特急サロベツ号の間合い運用で下りは札幌運転所で上りは一度南稚内駅🚉の留置線でスハネフ14型500番台をキハ183系の中間に組み込みされました。
抜海付近から見る利尻山が良かったな。わざわざ車内放送で知らせてくれたし。ちょうど南稚内到着の前で放送で起こしてくれたなあ。懐かしいなあ。行きたいなあ、宗谷。
25年くらい前だが、岩見沢から札幌に向かう始発列車だった札幌に遊びに行ったのによく使ったなぁ
1986,87年の夏に上り利尻乗りました!札幌から直ぐに旭川に戻った記憶あります。
私の世代だと、14系客車による「道内限定ブルトレ」3本柱の1つでした。もちろん、正式には特急ではなく急行だし、寝台専用列車ではなく座席車との混結だから、ブルトレにはふくまれないのだが、オマケ扱いながらも必ずブルトレ本の中に紹介される列車でした。(他の2本は「大雪」と「まりも」。)コメで書かれている方がいらっしゃいますが、20日間有効の北海道ワイド周遊券で道内をくまなく周遊しようと思ったら、その3本柱を有効に活用しないと周りきれなかったし、正式にではないにせよ、ブルトレに乗れるという醍醐味も味わえたものです。なので個人的には、気動車でサンドイッチする形に置き換えられたときは、正直「北海道から夜行列車が消えた」と感じてしまいました。単に「夜間に走る」列車に映ったし、同時に高速化のほか、昼間の列車との兼用目的もすぐに察知できたので、JR北海道の厳しい経営状況を理解して、切なくなったものです。
現役時代に乗りたかった
1987年3月に14系客車時代の急行利尻に乗りました。途中大雪の為、3時間も立ち往生して稚内を手前に打ち切りなった思い出が有ります。
昔、北海道のグリーン車乗り放題の切符で急行宗谷が特急になる前、行き札幌から急行宗谷、帰り急行利尻のB寝台に乗りました!
札幌から主要都市に向けて自由席車がメインの夜行急行(特急)が走っていたこの頃は、ワイド周遊券ユーザーにとっては天国でしたね。上川や帯広などで折り返して札幌滞在でも宿代を浮かせたりしてお世話になりまくりました。
急行利尻号が2000年3月11日のJRダイヤ改正でキハ400系急行型気動車+スハネフ14形500番台寝台客車から特急格上げに伴いキハ183系500・1500番台3両+スハネフ14形500番台寝台客車1両の合計4両編成に置き換えられました。急行から特急格上げに伴いキハ183系とスハネフ14の車両基地がJR北海道札幌運転所の所属に変更されました。
運転区間は札幌ー稚内駅🚉間で函館本線・宗谷本線を走行していました。利尻号のイラストマークは日本最北端の地宗谷岬が描かれています。函館本線札幌ー旭川間架線下👇を気動車特急が走っていました。
夜行の急行利尻は良かったですねぇ。乗った乗った!乗りました!!大学生だったころかな。キハ400系は本当にカッコ良かった!!あのカラーリングは素晴らしいし、中間併結のスハネフ14 の500番台がまたイイ。客車の利尻も良かったけど、大学生だったころはワイド周遊券で乗りまくって、卒業後になると今度は深名線が廃止になるときいて、キハ400の急行利尻は名寄で折り返すことも出来て、確か名寄で折り返しの上り急行利尻にはカーペット車(キハ56の改造車)の併結もあってその車両で寝て深川まで乗車。1時間くらい駅前をフラフラしながらローソンに寄ったりして時間を潰して、早朝の深名線快速運転する列車に乗ったのも良い思い出。
DD51 1号機の映像に感謝「6:20」北海道へは、行く機会を創りたいです。
多客期のキハ56、54、183系中間車、キハ40お座敷なども連結したゴチャ混ぜ編成も味があって好きでしたね。
寝台車は良いけれど、前後のディーゼル車両のエンジン音で寝られるのかな。一度桜に乗ってたまたまコンプレッサーの上で、瀬のハチ間で煩くて煩くて寝そびれた事があったけど。
西村京太郎の作品では、「宗谷本線殺人事件」に連載し、登場列車は急行「利尻」でした。
特急サロベツ号から利尻号にスハネフ14形500番台1両連結する際に3号車のキハ183を一度切り離してからスハネフ14形寝台客車の前にキハ183を連結したあと2号車のキハ182形の前に3号車のスハネフ14+4号車のキハ183を推進回送して連結作業を行います。下り列車が札幌運転所で上り列車が南稚内駅🚉の留置線でスハネフ14型500番台の連結作業が行なわれていました。
就職して札幌にいた頃に利尻が気動車に変わりました。まりも、大雪、利尻、はまなす、夜行急行が札幌駅から発車していくのを寮の部屋から毎日見送ったなぁ
北海道ワイド周遊券で乗りまくった時代が懐かしいです。客車時代は下り・天北、上り・利尻の運用では下り・天北での寝台車は自由席扱いで下段は横になれ寝台の雰囲気を味わえました。キハ400・キハ480は車内が特急用の座席で通路より少し高くなっていて、よくキハ40をハイグレードに改造したものだと思いました。窓の位置と座席のピッチが合わないのはご愛敬でしたね。同時期の昼間の急行大雪はキハ40のままでしたから利尻の扱いがお気に入りの混結編成でした。
まだ、北海道フリーキップが、発売していた頃に、宗谷岬に行くために、客車急行宗谷を利用しました。
去年道東を周遊旅行するときに、札幌~釧路をどうするか悩んで「あ!北海道には寝台つきの特急があるじゃん」と思いつき我ながらナイスアイデアと喜び勇んで調べたら、とっくの昔にそんなものは全廃されてたと、そのとき初めて知ってショックだったのを思い出したしかたなく全行程レンタカーにして地道に周った
これぞ!苗穂の匠ならではの変態特急w
昭和時代の国鉄の夜行列車にはロマンがあった!寝台特急を含め次々に廃止され、旅の情緒が失われた😥
しゃかたないね。一般人に、「もし同じ値段で移動するなら夜行列車とどこでもドアどちらがいい?」って聞いたら99%以上の方はどこでもドア選ぶでしょう😉
しゃーない旅情が第一の目的ではない
それに、この区間は夜行バス🚍️ならある。つまり、需要はあるがそれはバス1~2台分しかないだけの事😵
まだ国鉄の頃、北海道ワイド周遊券で一周旅行しました😊宗谷・天北・大雪・まりもは宿泊費を浮かせるのに重宝しました。懐かしいなぁ😊
夜行トンボ返しなんてムチャなことしたけど、そんなんけちらないでYHにでも泊まって人生の経験談を聞くべきだったなぁと今からは思う。
私も国鉄最後の年にワイド周遊券で北海道中を乗りまくりました。夜は当然夜行列車で過ごしていたので、北海道滞在中は駅から外へ出たのは数えるほどでしたね😅
@@kenken-c2w 私は85年の夏に行きましたので、その翌年でしょうか?😊当時は学生だったので、学割で25000円くらいだったかな?これで東京から往復と北海道内特急含めて乗り放題はかなりお得でしたよね✨
冬が学割+冬季割引で2万円ポッキリだった記憶がありますね。八甲田、ニセコ、利尻とつないだのも良い思い出です。
「宗谷」「天北」では宿代浮かない😉
2005年秋だったと思いますが、同様の珍編成の夜行オホーツクで網走→札幌を移動しました。時刻表を見て寝台車付きのディーゼル特急ってどんな編成か興味を持ったので。このときはディーゼル特急編成の中間車として客車寝台車を1両はさみ同じ塗装に揃えた編成に衝撃を受けました。それ以前にも同じようなことをやってたんですね。
函館~稚内や、函館~釧路の夜行乗って、ゆっくり汽車旅してみたかったなぁ~。
【日本最北端@北海道周遊券】 帰りに乗り1泊浮かせた思い出。-朝から移動で到着しバスで岬へ、写真を撮って折り返しのバスで戻ってすぐに利尻に乗りました。-若いころ無理できたころのこと。
新千歳〜稚内、新千歳〜女満別、新千歳〜釧路には飛行機が飛んでいます。今夜行列車を走らせても鉄オタしか乗りません。廃止されたのは残念ですが当然です。
乗りました!稚内に早朝到着後に宗谷岬行きバスの始発を待つ間に駅の立ち食いソバで腹を満たし波防波堤?をブラブラしました。1月の寒風吹き荒ぶ中を…
気動車に客車寝台を連結した珍編成の急行利尻ものちにキハ183系に客車寝台を連結した特急利尻に発展したが多くの夜行列車がそうであるように季節列車格下げを経て廃止に至ったのは残念ですね。また、最北端の駅稚内へのルートも2つあったが天北線が平成初期に廃止され残る宗谷本線も危機的状況ですね。
20世紀最後の年に、18きっぷで鹿児島から3日がかりで北海道旭川まで行きました。やっぱり道内に限らず夜行列車に世話になりました。ミッドナイト号は宿がわりで何周も。快速海峡も懐かしい。一度急行はまなすに頼りましたが。でもこの列車に乗らなかったのは後悔します。あまり速達性ばかり求めてもいけないのかな、とか勝手に思ってしまいます。
ブルートレイン全盛期にキハ40が登場した1977年当時の人たちは、後にキハ40とブルートレインが連結されて走るなんて誰も想像しなかったでしょう...
急行ではないけど14系寝台車(客車)のスハネフ14は床下に発電用ディーゼルエンジンを積んでいたので一晩中うるさかった。似たようなもので24系25型に床下にコンプレッサーを装備しているものもあり、時々コトコトと音がしていました。
急行利尻のキハ400の間に組み込まれたキハ56に乗ったことがあるリクライニングシートより、空いてるボックスシートの2席分で横になるほうが楽だったし、DMH17Hのエンジン音が子守唄になったからね(笑)
細かくてすみません、0:48日「ソ」中立条約です。
プラレールですら再現されて阿鼻叫喚となったモノだ・・・
道内だけ走ってた、利尻、大雪、まりも、など寝台車を連結していた列車が存在してたなど鉄道ファンにはどれだけたまらない時代があったのか。整備新幹線網もいいけど、移動そのものを楽しみたいもんだ。
これらの列車の廃止は、新幹線開業による影響ではなく、高速道路網の拡充のせいでは??客が乗らない赤字列車を走らせるのは、無駄以外の何物でもありませんし
キハに挟まれた寝台車、動力無くて静かだろうとおもったら発電機搭載ななスハネフ(別名キハネフ)14だったと言うオチ。
昔仕事の関係で三年だけど札幌に住んだ経験あるので知ってます。辛うじて晩年に残ってた。乗りたいと思ったうちに無くなってた!当時の上司の往復到着時の朝飯の駅そばがうまかったとのこと・・・。
オロハネ10を札幌駅で見たことがかる。
オロハネ乗りましたよ。当時HOゲージの模型も有りました。茶色の車両を持っていて流行り始めたNゲージのキハユニ23?と交換しちゃてもったいなかたったと。
利尻懐かしい車掌さんのはからいで500円でグリーン車に乗せてくれた60キロでゆっくりと走っていたよ
かつて北海道内の夜行急行列車は、「すずらん」「狩勝」「大雪」そしてこの「利尻」と車両こそ10系寝台車とスハ45系の編成でも札幌から各方面へとそれぞれ個性があった。「利尻」に関しては夏の早朝をサロベツ原野を走るという車窓が素晴らしいという評をよく聞いた。但し自分がまだ小学生の時の話。ようやく大学生になりバイトでカネ貯めて、さあ旅行へ…という時代はバブルになって海外へ。更に東北新幹線も上野発着で、既に北海道へは飛行機の時代。「カニ族」なんて絶滅状態。今の時代のアイテムのスマホ、デジカメを持ってタイムスリップしたいくらい。
ああ、これも乗ってみたかった列車でした。オホーツクの夜行等の寝台なら利用する機会があったのですが……
周遊券と共にあった急行列車儲からない周遊券を事実上潰したら需要も消えた
主さんこんばんは!急行利尻や宗谷及びサロベツに1両ではあるが途中からキハ400系にキハ182型が連結されていたのはあまり知られていません。そして客車時代C55型が牽引していましたが、冬季には旭川稚内間がC55型重連になりました。
キハ400の一部がお座敷車両に改造されたことからその代わりにキハ182が入っていましたね。宗谷号の指定席で一度乗ったことがあります。指定券300円の追加で特急型車両だったのである意味乗り得でしたね。
キハ400のリクライニングシートより、多客期に増結されるキハ56の4人掛けボックスで横になった方が楽だったなぁ
気動車列車に組み込まれた客車と言えば北陸にいたキサハ34が…すみません何でもないです
名寄以北も路線は残るだろうけど、特急停車駅以外の駅は全滅するかもね。
間違いないですね…。
平成初期の学生時代、小樽に住んでました。利尻にも何べんお世話になったことか・・・。本当に懐かしい。
仮に、日露関係が驚異的に好転したり、樺太が日本に戻ったとしても稚内が接続口として復権するとは思えない。ロシアとしては、トウキョウかせめてオタル、空路は新千歳か羽田を希望するはずだし日本人が再入植しても同じことになるはずだ。別の観光資源か、土着産業を育てるべき。
この寝台車で、豊富まで行ったな。
07:41 2006年まで生きてたって意外と最近じゃね?
オッサンの感覚だとそうだが、動画主は確か学生。ちなみに、ワイもオッサン😁
4ヶ月早く行ってれば乗れたと思うと惜しいです。
ワイも10日間差で興浜南線乗れなかった…😵
この急行は稚内に到着後一度南稚内まで回送し、中間にある寝台車を切り離して座席車だけ昼間の運用につくと言うものでした。急行の末期にはキハ400シリーズだけでなく指定席にキハ182、増結車にキハ56という何でもありの編成でした。
はなたび利尻
6:18あっ、DD511だ😂
札幌で利尻を見たときには従来の編成+カ―ペット車と指定席車が連結されて帰りはこうかな?と自分勝手ておもってましたが、かえりは従来の編成のみだったのでがっかりりしました。
利尻よかったのに😢
今でも残っていたら某同志社大生の定宿となっていたのだろうか?
新幹線が出来る可能性がほぼない道東道北方面は、新幹線札幌延伸に合わせて新幹線の最終から乗り継げる夜行列車があっても良い気がしますね。客車サンドイッチだと最低でも6両編成になってしまうので、寝台気動車の製造は必要でしょう。黃線区活性化対策で試作1編成くらい国の補助で出来ないものか。
夜行バス🚍️でええやろ!😋
昔乗った JR今乗るのは少ないだろう レンタカーか札幌から高速バス 私もそのどちらか 高速道路まぁ無料だから高規格道路稚内迄全通したらそのうち廃線になると思うよ。現在の稚内駅は立派だけどシネコン迄ある
樺太と千島列島を取り返したい。否、取り返すべき。
条約があるから万が一取り返すとしたらどっちかじゃない?
その為には核が必要不可欠!
政府としてはまずは北方領土なんじゃない?やる気があるかは別だけと
宗谷本線は樺太から欧州に延ばせる可能性を秘めている
同感です。ウクライナとバチバチやってる間に千島列島樺太を攻めるべき。
後の特急オホーツク9号10号にも繋がる仕様。
函館本線の終電を兼ねていたのはオホーツク9号なんですけどねえ
滝川までの終電として特急利尻を何回か使ったことがありますが、寝台車が組み込まれていることは特に不思議に感じなかったのですが、言われてみれば気動車に客車寝台がサンドイッチされてた珍編成だったのね。夜行のオホーツク9号も同じだったのか
夜行列車も寝台が無ければ昼行列車と同じで良いもんね。JRになってから機関車の要らない運用に舵を切ったんですね。そこで苗穂の魔改造が本領発揮という事で。
苗穂は60系客車改造のキハ08系(旧キハ40・45)を作ってるからなぁ……
私のような九州在住者にとって、北海道は遠い存在ではありますが、雪国として憧れの地です✨そんなこともあって一度だけ北海道に行ったことがありますが、新千歳空港〜札幌〜旭川間を特急列車で移動しました❗3月下旬でしたが、飛行機や列車から見える雪原に、大変感動しました✨🥺鉄道の維持費も大変かと思いますが、やはり寝台客車列車での季節限定で復活して欲しいです❗北陸新幹線が敦賀まで開業しましたが、この際、トワイライトエクスプレスも季節限定で復活して欲しいです❗🤣
これが出てきたときには新発想だなあと思いましたし、今でも稚内まで行くとなると名寄まで高速化しているとはいえ長い時間がかかる訳で、昼行より急行利尻みたいののほうが良いんじゃないかという気もするんですけど、復活どころか廃線の危機ですもんねえ
北海道こそ旅仕様の列車が必要だと思うが、航空機との競争話ばかり、貨物併結して観光列車でも安価に抑えたりする考えが生まれないのだろうかと思う。😢
会社が違う、せめて全国1社の民営化だったら出来たかも
宗谷線はとにかくとして石北線についてはそういう列車が組めたら存続可能性がぐっと上がると思えますが、制度的に難しくなってしまっていますよねJR成立時は今のようになると政府も想像してなかったのか、もともとこうなること前提でやったのかはわかりませんが
貨物はそもそも需要が少ない。需要のある北見玉ねぎ🧅は重たくて客車増結無理そう。観光だと、土日祝の9~17時しか走らないが大丈夫?飛行機✈️は値段と所要時間が違い過ぎて競合しない。最大のライバルは夜行まである高速バス🚍️(鐵坊主さんの動画より)😉
キハ400を知りませんが400馬力以上あったのでしょうか、キハ81では8両でキサシ1両が精一杯だったことが思い浮かびます。その辺の技術的な事情がゆっくりしてほしい、、
国土防衛の重要路線だったにも関わらず単線で行き違い設備も少ないよね
いつの話?😜
10年後にはロシア領ソウヤ州になったりして
ないないてかそうはさせない😠
ソウヤ州ノシャップ郡ワッカナイ町キタミ州エンガル郡シラタキ村ネムロ州ハマナカ郡ハナサキ村ソラチ州ユウバリ郡カヱデ村どうだ いい名前だろう
積雪地域でのDC運転…というだけでアレなのに【寝台車を牽引】という罰ゲーム😩恐らくウテシ間の評判は最悪だったと思われ😮💨
樺太全島、千島全島からロシアは出て行け。そして稚泊航路復活させないとな。
あかおびんか?😜
俺は礼文島の方が好きだな。
廃止だよ、廃止。
とにかく、キハ400はあの急行列車の利尻であったこともまた良かったな、と思います。
真冬の札幌駅を出る時の急行利尻は暖房が効きすぎて車内は暑すぎる状態なのが、旭川に向かうに従って適温に車内の温度が下がるのも面白かった。(二層の窓になっていても窓を通じて車内が冷やされるため車内温度が下がる) 旭川の長時間停車も懐かしく思い出されます。
こうして考えると、わりと良い時代の列車に乗って来た人生だったな、と思えます、はい。
利尻は客車急行、キハ400系急行、キハ183系特急夜行と乗車しましたが、最後が「はなたび利尻」というわけのわからん列車になって、あれれという間に廃止になってのは残念でした。
ちなみに、大学卒業後に「北斗星利尻」が運転され、私もこれに乗ろうと切符を買いました(B個室ソロ)が結局、仕事で休めなくてキャンセルをしたのが苦い思い出です…………
就職する直前に一週間北海道を列車で放浪しましたが、3日は寝台車で過ごしました😅宿代助かりました😊
2000年3月11日のJRダイヤ改正で急行利尻号が特急に格上げに伴いキハ183系500・1500番台+14系500番台寝台客車1両を連結して4両編成に置き換えられました、特急サロベツ号の間合い運用で下りは札幌運転所で上りは一度南稚内駅🚉の留置線でスハネフ14型500番台をキハ183系の中間に組み込みされました。
抜海付近から見る利尻山が良かったな。
わざわざ車内放送で知らせてくれたし。
ちょうど南稚内到着の前で放送で起こしてくれたなあ。
懐かしいなあ。行きたいなあ、宗谷。
25年くらい前だが、岩見沢から札幌に向かう始発列車だった
札幌に遊びに行ったのによく使ったなぁ
1986,87年の夏に上り利尻乗りました!札幌から直ぐに旭川に戻った記憶あります。
私の世代だと、14系客車による「道内限定ブルトレ」3本柱の1つでした。もちろん、正式には特急ではなく急行だし、寝台専用列車ではなく座席車との混結だから、ブルトレにはふくまれないのだが、オマケ扱いながらも必ずブルトレ本の中に紹介される列車でした。(他の2本は「大雪」と「まりも」。)
コメで書かれている方がいらっしゃいますが、20日間有効の北海道ワイド周遊券で道内をくまなく周遊しようと思ったら、その3本柱を有効に活用しないと周りきれなかったし、正式にではないにせよ、ブルトレに乗れるという醍醐味も味わえたものです。
なので個人的には、気動車でサンドイッチする形に置き換えられたときは、正直「北海道から夜行列車が消えた」と感じてしまいました。単に「夜間に走る」列車に映ったし、同時に高速化のほか、昼間の列車との兼用目的もすぐに察知できたので、JR北海道の厳しい経営状況を理解して、切なくなったものです。
現役時代に乗りたかった
1987年3月に14系客車時代の急行利尻に乗りました。途中大雪の為、3時間も立ち往生して稚内を手前に打ち切りなった思い出が有ります。
昔、北海道のグリーン車乗り放題の切符で急行宗谷が特急になる前、行き札幌から急行宗谷、帰り急行利尻のB寝台に乗りました!
札幌から主要都市に向けて自由席車がメインの夜行急行(特急)が走っていたこの頃は、ワイド周遊券ユーザーにとっては天国でしたね。
上川や帯広などで折り返して札幌滞在でも宿代を浮かせたりしてお世話になりまくりました。
急行利尻号が2000年3月11日のJRダイヤ改正でキハ400系急行型気動車+スハネフ14形500番台寝台客車から特急格上げに伴いキハ183系500・1500番台3両+スハネフ14形500番台寝台客車1両の合計4両編成に置き換えられました。急行から特急格上げに伴いキハ183系とスハネフ14の車両基地がJR北海道札幌運転所の所属に変更されました。
運転区間は札幌ー稚内駅🚉間で函館本線・宗谷本線を走行していました。利尻号のイラストマークは日本最北端の地宗谷岬が描かれています。函館本線札幌ー旭川間架線下👇を気動車特急が走っていました。
夜行の急行利尻は良かったですねぇ。
乗った乗った!乗りました!!大学生だったころかな。キハ400系は本当にカッコ良かった!!
あのカラーリングは素晴らしいし、中間併結のスハネフ14 の500番台がまたイイ。客車の利尻も良かったけど、大学生だったころはワイド周遊券で乗りまくって、卒業後になると今度は深名線が廃止になるときいて、キハ400の急行利尻は名寄で折り返すことも出来て、確か名寄で折り返しの上り急行利尻にはカーペット車(キハ56の改造車)の併結もあってその車両で寝て深川まで乗車。1時間くらい駅前をフラフラしながらローソンに寄ったりして時間を潰して、早朝の深名線快速運転する列車に乗ったのも良い思い出。
DD51 1号機の映像に感謝「6:20」
北海道へは、行く機会を創りたいです。
多客期のキハ56、54、183系中間車、キハ40お座敷なども連結したゴチャ混ぜ編成も味があって好きでしたね。
寝台車は良いけれど、前後のディーゼル車両のエンジン音で寝られるのかな。一度桜に乗ってたまたまコンプレッサーの上で、瀬のハチ間で煩くて煩くて寝そびれた事があったけど。
西村京太郎の作品では、「宗谷本線殺人事件」に連載し、登場列車は急行「利尻」でした。
特急サロベツ号から利尻号にスハネフ14形500番台1両連結する際に3号車のキハ183を一度切り離してからスハネフ14形寝台客車の前にキハ183を連結したあと2号車のキハ182形の前に3号車のスハネフ14+4号車のキハ183を推進回送して連結作業を行います。下り列車が札幌運転所で上り列車が南稚内駅🚉の留置線でスハネフ14型500番台の連結作業が行なわれていました。
就職して札幌にいた頃に利尻が気動車に変わりました。
まりも、大雪、利尻、はまなす、夜行急行が札幌駅から発車していくのを寮の部屋から毎日見送ったなぁ
北海道ワイド周遊券で乗りまくった時代が懐かしいです。客車時代は下り・天北、上り・利尻の運用では下り・天北での寝台車は自由席扱いで下段は横になれ寝台の雰囲気を味わえました。
キハ400・キハ480は車内が特急用の座席で通路より少し高くなっていて、よくキハ40をハイグレードに改造したものだと思いました。窓の位置と座席のピッチが合わないのはご愛敬でしたね。同時期の昼間の急行大雪はキハ40のままでしたから利尻の扱いがお気に入りの混結編成でした。
まだ、北海道フリーキップが、発売していた頃に、宗谷岬に行くために、客車急行宗谷を利用しました。
去年道東を周遊旅行するときに、札幌~釧路をどうするか悩んで「あ!北海道には寝台つきの特急があるじゃん」と思いつき我ながらナイスアイデアと喜び勇んで調べたら、とっくの昔にそんなものは全廃されてたと、そのとき初めて知ってショックだったのを思い出した
しかたなく全行程レンタカーにして地道に周った
これぞ!苗穂の匠ならではの変態特急w
昭和時代の国鉄の夜行列車にはロマンがあった!寝台特急を含め次々に廃止され、旅の情緒が失われた😥
しゃかたないね。一般人に、「もし同じ値段で移動するなら夜行列車とどこでもドアどちらがいい?」って聞いたら99%以上の方はどこでもドア選ぶでしょう😉
しゃーない
旅情が第一の目的ではない
それに、この区間は夜行バス🚍️ならある。つまり、需要はあるがそれはバス1~2台分しかないだけの事😵
まだ国鉄の頃、北海道ワイド周遊券で一周旅行しました😊
宗谷・天北・大雪・まりもは宿泊費を浮かせるのに重宝しました。懐かしいなぁ😊
夜行トンボ返しなんてムチャなことしたけど、そんなんけちらないでYHにでも泊まって人生の経験談を聞くべきだったなぁと今からは思う。
私も国鉄最後の年にワイド周遊券で北海道中を乗りまくりました。
夜は当然夜行列車で過ごしていたので、北海道滞在中は駅から外へ出たのは数えるほどでしたね😅
@@kenken-c2w
私は85年の夏に行きましたので、その翌年でしょうか?😊
当時は学生だったので、学割で25000円くらいだったかな?これで東京から往復と北海道内特急含めて乗り放題はかなりお得でしたよね✨
冬が学割+冬季割引で2万円ポッキリだった記憶がありますね。八甲田、ニセコ、利尻とつないだのも良い思い出です。
「宗谷」「天北」では宿代浮かない😉
2005年秋だったと思いますが、同様の珍編成の夜行オホーツクで網走→札幌を移動しました。時刻表を見て寝台車付きのディーゼル特急ってどんな編成か興味を持ったので。このときはディーゼル特急編成の中間車として客車寝台車を1両はさみ同じ塗装に揃えた編成に衝撃を受けました。それ以前にも同じようなことをやってたんですね。
函館~稚内や、函館~釧路の夜行乗って、ゆっくり汽車旅してみたかったなぁ~。
【日本最北端@北海道周遊券】
帰りに乗り1泊浮かせた思い出。
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朝から移動で到着しバスで岬へ、
写真を撮って折り返しのバスで
戻ってすぐに利尻に乗りました。
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若いころ無理できたころのこと。
新千歳〜稚内、新千歳〜女満別、新千歳〜釧路には飛行機が飛んでいます。今夜行列車を走らせても鉄オタしか乗りません。
廃止されたのは残念ですが当然です。
乗りました!稚内に早朝到着後に宗谷岬行きバスの始発を待つ間に駅の立ち食いソバで腹を満たし波防波堤?をブラブラしました。1月の寒風吹き荒ぶ中を…
気動車に客車寝台を連結した珍編成の急行利尻ものちにキハ183系に客車寝台を連結した特急利尻に発展したが多くの夜行列車がそうであるように季節列車格下げを経て廃止に至ったのは残念ですね。また、最北端の駅稚内へのルートも2つあったが天北線が平成初期に廃止され残る宗谷本線も危機的状況ですね。
20世紀最後の年に、18きっぷで鹿児島から3日がかりで北海道旭川まで行きました。やっぱり道内に限らず夜行列車に世話になりました。ミッドナイト号は宿がわりで何周も。快速海峡も懐かしい。一度急行はまなすに頼りましたが。でもこの列車に乗らなかったのは後悔します。あまり速達性ばかり求めてもいけないのかな、とか勝手に思ってしまいます。
ブルートレイン全盛期にキハ40が登場した1977年当時の人たちは、後にキハ40とブルートレインが連結されて走るなんて誰も想像しなかったでしょう...
急行ではないけど14系寝台車(客車)のスハネフ14は床下に発電用ディーゼルエンジンを積んでいたので一晩中うるさかった。
似たようなもので24系25型に床下にコンプレッサーを装備しているものもあり、時々コトコトと音がしていました。
急行利尻のキハ400の間に組み込まれたキハ56に乗ったことがある
リクライニングシートより、空いてるボックスシートの2席分で横になるほうが楽だったし、DMH17Hのエンジン音が子守唄になったからね(笑)
細かくてすみません、0:48日「ソ」中立条約です。
プラレールですら再現されて阿鼻叫喚となったモノだ・・・
道内だけ走ってた、利尻、大雪、まりも、など寝台車を連結していた列車が存在してたなど鉄道ファンにはどれだけたまらない時代があったのか。
整備新幹線網もいいけど、移動そのものを楽しみたいもんだ。
これらの列車の廃止は、新幹線開業による影響ではなく、高速道路網の拡充のせいでは??
客が乗らない赤字列車を走らせるのは、無駄以外の何物でもありませんし
キハに挟まれた寝台車、動力無くて静かだろうとおもったら発電機搭載ななスハネフ(別名キハネフ)14だったと言うオチ。
昔仕事の関係で三年だけど札幌に住んだ経験あるので知ってます。辛うじて晩年に残ってた。
乗りたいと思ったうちに無くなってた!
当時の上司の往復到着時の朝飯の駅そばがうまかったとのこと・・・。
オロハネ10を札幌駅で見たことがかる。
オロハネ乗りましたよ。当時HOゲージの模型も有りました。
茶色の車両を持っていて流行り始めたNゲージのキハユニ23?と交換しちゃてもったいなかたったと。
利尻懐かしい
車掌さんのはからいで
500円でグリーン車に乗せてくれた
60キロでゆっくりと走っていたよ
かつて北海道内の夜行急行列車は、「すずらん」「狩勝」「大雪」そしてこの「利尻」と車両こそ10系寝台車とスハ45系の編成でも札幌から各方面へとそれぞれ個性があった。「利尻」に関しては夏の早朝をサロベツ原野を走るという車窓が素晴らしいという評をよく聞いた。但し自分がまだ小学生の時の話。ようやく大学生になりバイトでカネ貯めて、さあ旅行へ…という時代はバブルになって海外へ。更に東北新幹線も上野発着で、既に北海道へは飛行機の時代。「カニ族」なんて絶滅状態。今の時代のアイテムのスマホ、デジカメを持ってタイムスリップしたいくらい。
ああ、これも乗ってみたかった列車でした。オホーツクの夜行等の寝台なら利用する機会があったのですが……
周遊券と共にあった急行列車
儲からない周遊券を事実上潰したら需要も消えた
主さんこんばんは!急行利尻や宗谷及びサロベツに1両ではあるが途中からキハ400系にキハ182型が連結されていたのはあまり知られていません。そして客車時代C55型が牽引していましたが、冬季には旭川稚内間がC55型重連になりました。
キハ400の一部がお座敷車両に改造されたことからその代わりにキハ182が入っていましたね。宗谷号の指定席で一度乗ったことがあります。指定券300円の追加で特急型車両だったのである意味乗り得でしたね。
キハ400のリクライニングシートより、多客期に増結されるキハ56の4人掛けボックスで横になった方が楽だったなぁ
気動車列車に組み込まれた客車と言えば北陸にいたキサハ34が…
すみません何でもないです
名寄以北も路線は残るだろうけど、特急停車駅以外の駅は全滅するかもね。
間違いないですね…。
平成初期の学生時代、小樽に住んでました。
利尻にも何べんお世話になったことか・・・。
本当に懐かしい。
仮に、日露関係が驚異的に好転したり、樺太が日本に戻ったとしても
稚内が接続口として復権するとは思えない。
ロシアとしては、トウキョウかせめてオタル、空路は新千歳か羽田を希望するはずだし
日本人が再入植しても同じことになるはずだ。
別の観光資源か、土着産業を育てるべき。
この寝台車で、豊富まで行ったな。
07:41 2006年まで生きてたって意外と最近じゃね?
オッサンの感覚だとそうだが、動画主は確か学生。ちなみに、ワイもオッサン😁
4ヶ月早く行ってれば乗れたと思うと惜しいです。
ワイも10日間差で興浜南線乗れなかった…😵
この急行は稚内に到着後一度南稚内まで回送し、中間にある寝台車を切り離して座席車だけ昼間の運用につくと言うものでした。
急行の末期にはキハ400シリーズだけでなく指定席にキハ182、増結車にキハ56という何でもありの編成でした。
はなたび利尻
6:18
あっ、DD511だ😂
札幌で利尻を見たときには従来の編成+カ―ペット車と指定席車が連結されて帰りはこうかな?と自分勝手ておもってましたが、かえりは従来の編成のみだったのでがっかりりしました。
利尻よかったのに😢
今でも残っていたら某同志社大生の定宿となっていたのだろうか?
新幹線が出来る可能性がほぼない道東道北方面は、新幹線札幌延伸に合わせて新幹線の最終から乗り継げる夜行列車があっても良い気がしますね。客車サンドイッチだと最低でも6両編成になってしまうので、寝台気動車の製造は必要でしょう。黃線区活性化対策で試作1編成くらい国の補助で出来ないものか。
夜行バス🚍️でええやろ!😋
昔乗った JR今乗るのは少ないだろう レンタカーか札幌から高速バス 私もそのどちらか 高速道路まぁ無料だから高規格道路稚内迄全通したらそのうち廃線になると思うよ。現在の稚内駅は立派だけどシネコン迄ある
樺太と千島列島を取り返したい。否、取り返すべき。
条約があるから万が一取り返すとしたらどっちかじゃない?
その為には核が必要不可欠!
政府としてはまずは北方領土なんじゃない?
やる気があるかは別だけと
宗谷本線は樺太から欧州に延ばせる可能性を秘めている
同感です。
ウクライナとバチバチやってる間に千島列島樺太を攻めるべき。
後の特急オホーツク9号10号にも繋がる仕様。
函館本線の終電を兼ねていたのはオホーツク9号なんですけどねえ
滝川までの終電として特急利尻を何回か使ったことがありますが、寝台車が組み込まれていることは特に不思議に感じなかったのですが、言われてみれば気動車に客車寝台がサンドイッチされてた珍編成だったのね。夜行のオホーツク9号も同じだったのか
夜行列車も寝台が無ければ昼行列車と同じで良いもんね。
JRになってから機関車の要らない運用に舵を切ったんですね。
そこで苗穂の魔改造が本領発揮という事で。
苗穂は60系客車改造のキハ08系(旧キハ40・45)を作ってるからなぁ……
私のような九州在住者にとって、北海道は遠い存在ではありますが、雪国として憧れの地です✨そんなこともあって一度だけ北海道に行ったことがありますが、新千歳空港〜札幌〜旭川間を特急列車で移動しました❗3月下旬でしたが、飛行機や列車から見える雪原に、大変感動しました✨🥺
鉄道の維持費も大変かと思いますが、やはり寝台客車列車での季節限定で復活して欲しいです❗北陸新幹線が敦賀まで開業しましたが、この際、トワイライトエクスプレスも季節限定で復活して欲しいです❗🤣
これが出てきたときには新発想だなあと思いましたし、今でも稚内まで行くとなると名寄まで高速化しているとはいえ長い時間がかかる訳で、昼行より急行利尻みたいののほうが良いんじゃないかという気もするんですけど、復活どころか廃線の危機ですもんねえ
北海道こそ旅仕様の列車が必要だと思うが、航空機との競争話ばかり、貨物併結して観光列車でも安価に抑えたりする考えが生まれないのだろうかと思う。😢
会社が違う、せめて全国1社の民営化だったら出来たかも
宗谷線はとにかくとして石北線についてはそういう列車が組めたら存続可能性がぐっと上がると思えますが、制度的に難しくなってしまっていますよね
JR成立時は今のようになると政府も想像してなかったのか、もともとこうなること前提でやったのかはわかりませんが
貨物はそもそも需要が少ない。需要のある北見玉ねぎ🧅は重たくて客車増結無理そう。
観光だと、土日祝の9~17時しか走らないが大丈夫?
飛行機✈️は値段と所要時間が違い過ぎて競合しない。最大のライバルは夜行まである高速バス🚍️(鐵坊主さんの動画より)😉
キハ400を知りませんが400馬力以上あったのでしょうか、キハ81では8両でキサシ1両が精一杯だったことが思い浮かびます。その辺の技術的な事情がゆっくりしてほしい、、
国土防衛の重要路線だったにも関わらず単線で行き違い設備も少ないよね
いつの話?😜
10年後にはロシア領ソウヤ州になったりして
ないない
てかそうはさせない😠
ソウヤ州ノシャップ郡ワッカナイ町
キタミ州エンガル郡シラタキ村
ネムロ州ハマナカ郡ハナサキ村
ソラチ州ユウバリ郡カヱデ村
どうだ いい名前だろう
積雪地域でのDC運転…というだけでアレなのに【寝台車を牽引】という罰ゲーム😩
恐らくウテシ間の評判は最悪だったと思われ😮💨
樺太全島、千島全島からロシアは出て行け。そして稚泊航路復活させないとな。
あかおびんか?😜
俺は礼文島の方が好きだな。
廃止だよ、廃止。