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1982年11月改正以降も青森運転所には485系12両フル編成がいくらか残っていたため、それが充当された白鳥(大阪・青森間)と鳥海(上野・青森間)では食堂車が営業されていましたね。
鳥海は「青森いなほ」の生き残りだからスジがほぼそのまま残された。新潟には立ち寄らなかったけど長岡で新幹線と乗り換え可能(時刻表では案内していなかった)だったから、長岡〜青森間の特急料金を半額にする事が出来た。
ま、1983年の時刻表から料金をあたるとこうですけどね大宮~長岡 3300円(上越新幹線)長岡~青森 3100円(羽越本線) 乗継割引 1650円合算 4950円上野~青森 3500円指定席特急券には601キロ以上がありませんのでしかも新幹線乗っても短縮できる時間は「17分」でした上野~大宮が「新幹線リレー号」か中電使う必要あったのでなので「鳥海」が残っていたと思われます
当時の青森運転所には北海道から出戻りの1500番代全22両が集中配置されており、この列車にもよく組み込まれていた。
わずか2年半と言いますがいなほ時代から含めると昭和44年10月からですからかなり長いです。青森発着にしてもヨンナナトウダイヤ改正からですから!ちなみにこの改正で特急いなほと、白鳥の片方がボンネットスタイルでしたが、これは485系200番台が揃っていなかったためでした。ちなみに200番台の貫通扉が活かされたのはロクマルサンダイヤ改正で誕生した特急くろしおです。それまでの特急かもめと、みどりの併結は貫通扉は使われずじまいでした。その他は臨時のシュプール号で583系と異種併結です。
いや国鉄、鳥海の名称好きすぎるでしょ😅
臨時の「鳥海」には一度乗ったことがあります。その時の編成は7両編成でグリーン車が1両ありました。
庄内空港は羽田まで1日5便もある便利な空港だけど91年開業と非常に遅くてこの頃の庄内地方は陸の孤島と言われてたのよね
上野ー金沢間(上越線経由)の特急はくたか号は長岡駅🚉で金沢ー新潟間の特急北越に系統分割され上野ー長岡間が上越新幹線🚄と重複する為1982年11月15日の国鉄全国ダイヤ改正で廃止されました、特急北越は1982年11月15日の上越新幹線🚄開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で特急はくたか2往復を長岡で系統分割されて金沢ー新潟間の特急北越に格上げされて北越が1日3往復体制になりました。
手持ち84年夏時刻表を見ると「鳥海」上野1030→長岡1351/1353→新津1430/1432→秋田1830/1832→青森2113だったようでこれを新幹線使って短絡しようにも「新幹線リレー15号」「とき307号」上野1047→大宮1113/1135→長岡1315 くらいしか選択肢はなく、2回乗り換えで17分程度の短縮ならばと残された感はあります(上野~福島における「つばさ」や郡山の「あいづ」も同様の節あり)
上りに乗車しました。途中の長岡に着く頃には水タンクは空になっていました。
1:40鳥海&羽黒とか、レイテ沖海戦時の重巡コンビを彷彿とさせますなぁ…
元元は上野発いなほや出羽、急行昇格の系譜。あけぼのは羽越でなく東北、奥羽線経由。山形新幹線での改軌や統合により羽越経由となり、新潟は通らずそれより北に主眼を置いた運行であった。新津には停まるので親戚が好んで新幹線ができてもしばらくは使っていた。夜運行時は新津は新潟駅より長く開いていた(日本海も羽越直)🤖
鳥海は寝台特急のイメージが強いですが、昔の特急列車の図鑑を見たときに、鳥海が485系で走った写真を見つけたときは驚きましたね。
寝台列車も含め、鳥海は縁がありませんでした。
この当時と比較すると、庄内にも空港ができていなほ&上越新幹線ですら苦戦していること、羽後本荘辺りの需要を鉄道がようやく取り込めるか、まで厳しくなったと感じます。
山形の日本海側に企業の工場とかが多かったのでそれなりに需要があったとか。
『白山』『あさま』と並んで、山の名前を冠した特急『鳥海』特に酒田以北の乗客にとっては印象深い列車でしょうね🏔️晴れていれば海と反対側の車窓に美しくそびえ立つ姿を眺められる鳥海山、列車名が『いなほ』に変わってもその麗しき眺めは変わらない😌
新潟駅には経由しないのが意外ですね。新潟でスイッチバックになるのも面倒だったのかな
新潟を経由しないからこそ残された感もあります経由するくらいなら同駅で「あさひ」と「いなほ」を接続すればよいので
新潟経由にすると乗り継ぎ割引の悪用が可能だったからなぁ…青森〜新潟間の在来線特急券と新潟〜燕三条の新幹線特急券、及び長岡〜上野間の在来線特急券と燕三条〜長岡間の新幹線特急券を同時に購入すれば、それぞれで在来線の特急料金は乗り継ぎ割引で半額になるからね。
特急白鳥も新大阪から京都までの新幹線特急券と白鳥の京都から青森までの特急券、それに北海道内の特急を乗り継ぐと白鳥の特急料金が半額になり、さらには北海道内の特急料金も半額になった。
なるほどいなほとの競合を避けたのと、乗継割引を適用を回避するために新潟経由をしなかったのですね
別途コメントしたけど長岡では「とき307号」から乗り継ぐことはできましたしかし乗り継ぎ時間が長いので上野起算の時短はリレー号使ったら17分程度しかなかったようです繁忙期に走る「あさひ531号」の運転日なら50分くらいは短縮できたようですがこれが上野開業まで「鳥海」が残った大きい要因とは思います
新潟から普通で新津に出て、上野まで臨時鳥海に乗っていたことがあります周遊券で乗れる佐渡が廃止されてしまい、新幹線は高いので、鳥海を利用しました臨時の時代は7両だったと思います結構すいていた記憶があります
お疲れ様です。特急羽黒も見てみたいですね。
当時住んでた赤羽でも、昼行特急の鳥海は定期か臨時かいずれの時期かは定かではありませんが、それでも2回くらいしか見たことが無かった。しかも上りだけ。あの当時は、リレー号を見ると、なんだよ、リレー号か…と全く気にも留めなかったけど、それがわずかな期間だけの貴重な体験だったとww
本に載ってた内容で鳥海号の食堂車では、ワインの提供もしていたようです。ライターは最も昼からワインを呑んだらこの後仕事にならないと書いてました。
確かこのレポートって種村直樹さんのだったかな?
鉄道ジャーナルのレールウェイライター種村直樹氏の記事で間違いないと思います🍴当時の日食は豪華だったそうで…🍷🍛
鳥海という愛称は特急になってからは個性がなくなった気がする。鳥海の全盛期はヨンサントウダイヤ改正からヨンナナトウダイヤ改正までであり昼行は特急いなほが誕生したときには上野新潟間が季節列車化された。またヨンナナサンダイヤ改正では柏崎行きのよねやまが季節列車として併結されたが、ヨンナナトウダイヤ改正では直江津ヘ延長の上で新潟運転所上沼垂支区の165系で電車化され定期列車になったがこの改正で昼行鳥海は廃止されて新潟秋田間の急行羽越下り2号上り1号に変わった。なお季節列車の夜行鳥海1往復が臨時急行に格下げされて鳥海は夜行1往復になっている。
1:30 で、この2代目鳥海は結局どうなったんだよ😅そこまでは掘り下げてくれないんですか
距離も長く停車駅も少なく食堂車もありと、特急の貫録ですね^^
485系[鳥海]に乗車したが🍴営業は珍しかった.信越線の[白山]も🍴が連結されていた.(昭和58年)
白山は快挙ですよ。一度消えた食堂車復活させてるんで。
特急白山の食堂車のサシ489型の中には一旦サシ489型に改造されて秋田運転区に配属されたがふただびサシ489型に改造された車両もありこのサシ489型三度改造されてスシ24型500番台になり寝台特急北斗星に使用された経歴もいる。白山に食堂車が復活した経緯は金沢管理局からの要望があった。と何かの鉄道雑誌に載っていた。
昔の上野駅発は、北の玄関口としていろいろな電車が出てたから複雑だったろうな!逆に西と南方面の東京発は割とわかりやすかったが・・・・・。
上野の頭端式ホームの改札前に、びっしりと下がった列車名・行先の木札は、見るだけでも楽しかったしエモかったですね。信越や能登・金沢、東北の末端の地名や愛称を見ると、どの列車にも乗ってみたいと思ったものです。全てを乗り切ることはできず、表舞台から引退してしまいましたね。
鳥海というと旧い寝台車やグリーン車、客車やジュラルミン貨車まで連結したごった煮急行を真っ先に思い浮かべる。 世代だね😂
昼間の尾久へ行くとホームから一番近い留置線にその編成が止まっており、じっくり観察や撮影が可能だった。
@@steeldust-x2s 様 おおらかと言うか、大雑把な時代を経験した事は宝です。 16:30から始まる東京駅ブルートレイン発車を見たり、営業はしていなかったけど急行アルプス号のビッフェ車を間近で見たり。
@@Miku3939-Hatune さん貨車然のスニ以外は秋田持ちで、既に急行に使われる事が稀だったオハフ33や、近代化されてない茶色のスハ43とかが入っているのも見ましたね。サハシのカウンターの背後には備品を置く棚があって、営業廃止で使われなくなったそれが4段式C寝台と揶揄されていたとかw
羽越線の酒田以北、昭和の時代に比べると、優等列車がかなり少なくなり、青森、秋田、象潟⇔新潟方面の移動がかなり不便になった感がある。
需要が無いからだろう
寝台特急時代に青森→上野で乗り通したよ。鳥海って、昼行の電車特急と夜行の寝台客車特急で愛称幕が全く同じって言う珍しい例なんだってね。だからこそ、是非夜行寝台時代の写真も入れて欲しかったぜ!
鳥海の名が新幹線で復活は熱いですね!!
当時「鳥海」とほぼ同じルートの「いなほ」に乗って新潟に行ったことがあります。「いなほ」の瑠璃色車両に白線一本引けば仮想ブルトレとして臨時列車で走らせてみるのもありでは?
食堂車は昭和60年3月ダイヤ改正までは特急雷鳥やしらさぎ、白山や白鳥3号2号でも営業していた。鳥海は白鳥3号2号と共通運用だった。なお寝台特急鳥海はあけぼのに改称ざれただけで統一とは言わない。それと特急鳥海はいなほ時代から青函連絡船とはあまり便利な接続にはなっていない。
「白鳥」で食堂車を連結して大阪発着だったのは「1・4号」じゃなかったでしょうか…?在来線昼行特急の食堂車は昭和60年の2月くらいまでは普通に連結されて営業されてましたよね…3月に入る頃になると検査期限切れ等で欠車の編成も見られましたが…
特急白鳥1号4号は急行しらゆきを格上げして福井発着にした白鳥でグリーン車組込みの9両編成です。
それが北斗星やトワイライトエクスプレスのスシ24となる
スシ24型でかわった経歴を持つのがサシ489型から改造された車両でサシ489型から一度はサシ481型に改造されふただびサシ489型に改造された経歴を持つ車両もいた。基本的にスシ24型に改造された車両はサシの中でも比較的新しい車両だがサシ自体が昭和49年4月の改正で新製されたのが最後なので老朽化は否めない。
60年3月に上野→青森に乗りました。(その後は、連絡船⇒北斗)在来線電車特急最後の食堂車を楽しみにしていたのですが、1月には不連結or非営業となったことを知ったのも、懐かしい思いでです。検札で捨象さんから、「北海道連絡ですか」とコメントをいただきました。
新潟駅に立ち寄らず新津から直接羽越本線に入るルートは寝台特急あけぼのの最終ルートと同じですね。
この鳥海で583系が代走で走った事があると聞いたことがあるけど真偽は不明。
603の東北・上越新幹線の上野延伸にともなう車両の変更のためだが、実態は金沢や日根野や南福岡への転用とみてよい🚃
@@tomohikoo8949 たしか、昭和60年の6月号の鉄道ジャーナル誌に「鳥海 583系で代走」という上越線を走る583系の写真が掲載されていましたただ、車両前面に雪が こびり付いていてヘッドマークが隠れてしまっていたので表示が どうなっていたのか不明です…
ただ、その583系の代走の場合、食堂車は営業休止だったような…🍴
鳥海は寝台特急のイメージがありますね。電気機関車は64形が最初で廃止時には81形が牽引機でした。そう考えると鳥海が経由してた運行ルートをあけぼのが継承したときにの末期時に64形と81形と鳥海が走り出した頃に戻った感じになって終焉したことになりますね。
特急「鳥海」には食堂車が連結していたな
昭和57年11月に登場した特急だな。
上野口最後の昼行特急正規食堂車連結列車でした(白山はコンビニエンスカーなので) 上野➢青森 G車で旅したのもいい思い出です
特急白山は鳥海や白鳥などと同じ時期に食堂車は廃止されている白山にラウンジ&コンビニエンスカーが導入されるのはもっとあとからでJR化後だったような気がする。
@@もりわききくお様ラウンジ車の登場って、たしか1990年台に入ってからでしたよね…
だから、上野口最後の昼行特急正規食堂車連結列車 と書きましたよね・・・なんでもマウント取りたがるのはいただけませんね。
特急白山も上野発着です。廃止は鳥海と同じです。
いなほの新潟↔秋田の2往復を〝鳥海〟にすればいいのに
いいですね。でも、鳥海山は庄内地方にあるので、むしろ、酒田発着の方が適任かと思います。臨時のいなほを全席指定にして、いなほと区別するために鳥海にするとか…(最近、LED職人が減ったので、頻度の少ない列車名を嫌うようになったと聞きますが…)妄想が捗りますね(笑)
さすがに羽越新幹線は……寝台列車はあけぼのは利用できましたが、他は縁がありませんでした。🛤️
特急鳥海の上野乗り入れが廃止された後もなぜかしぶとく残った特急つばさの上野乗り入れ
ついでに特急あいづも白山も忘れてはいけまい✋🚃
昔いた会社に入社後すぐに不正行為をして、すぐに退職に追い込まれたヤツは特急懲戒と呼ばれてましたね。
北陸新幹線敦賀延伸によるサンダーバード、しらさぎの敦賀止まり問題もこれと同じようなことをやればだいぶ丸く収まったのに…例えば一往復だけ大阪、名古屋ー和倉温泉とか能登復興の支援にもなるだろうし今からでもやれないかな
仮に北陸特急を残したとて、高速走行設備が無い分JR時代より時間かかるのに、第三セクター走行の分料金まで上がるとなると運行会社側としてはそこまでして維持するメリットが無いんですよね……北陸特急は散々災害抑止や通過待ちで普通列車の運行に影響与えてきたし、やっと新幹線のおかげである程度解消出来てきたのに元に戻るのは沿線住民としては嫌ですね……
名古屋~和倉温泉って2015年に消えてるんだけど
鳥海って5回も使われたんですか…
5回 使われて内 2回は特急なんですが、昼行・夜行共に短命なんですよね…
羽越新幹線は「こよし」が有力かな?漢字の新幹線名称ないし‥‥#秋田産まれの独り言
南国版の霧島も忘れんといて下さい。これも長大急行、長大寝台電車特急、短距離電車特急になったとですたい。
今もあったらE653系が担当してそう
臨時でも良いので、今夏に運転された中央線特急アルプスのように、鳥海を運転して欲しいですね!
E657系でしょ
鳥海が設定しされたのは他でもなくいなほとのセグメント及び新潟駅のバッティングを避けるためとみてよい✋☺🚃
個人的には羽越新幹線が出来た場合は「いなほ」になると思う。
結局みんな新幹線のせい(泣)
某琴葉葵「ファッ◯ンクソ団子」
鳥海?とりうみ?
所詮はペットネームしかも帝国海軍艦艇から拝借品
@@金澤華 帝国海軍が名付けた由来は秋田・山形の県境に聳える「鳥海山」からですが、山の名前も帝国海軍からの借用と言われるのでしょうか…?
@@小早川美幸-h1e 拝借品だらけなのに何言ってんの
意味不明な返ししてんな。たまたま海軍が先だっただけじゃねえか。由来が同じなのに拝借品もくそもねえわ。
超絶新感染にて鬱之宮ツアーは楽しかったな
1982年11月改正以降も青森運転所には485系12両フル編成がいくらか残っていたため、それが充当された白鳥(大阪・青森間)と鳥海(上野・青森間)では食堂車が営業されていましたね。
鳥海は「青森いなほ」の生き残りだからスジがほぼそのまま残された。新潟には立ち寄らなかったけど長岡で新幹線と乗り換え可能(時刻表では案内していなかった)だったから、長岡〜青森間の特急料金を半額にする事が出来た。
ま、1983年の時刻表から料金をあたるとこうですけどね
大宮~長岡 3300円(上越新幹線)
長岡~青森 3100円(羽越本線) 乗継割引 1650円
合算 4950円
上野~青森 3500円
指定席特急券には601キロ以上がありませんので
しかも新幹線乗っても短縮できる時間は「17分」でした
上野~大宮が「新幹線リレー号」か中電使う必要あったので
なので「鳥海」が残っていたと思われます
当時の青森運転所には北海道から出戻りの1500番代全22両が集中配置されており、この列車にもよく組み込まれていた。
わずか2年半と言いますがいなほ時代から含めると昭和44年10月からですからかなり長いです。青森発着にしてもヨンナナトウダイヤ改正からですから!ちなみにこの改正で特急いなほと、白鳥の片方がボンネットスタイルでしたが、これは485系200番台が揃っていなかったためでした。ちなみに200番台の貫通扉が活かされたのはロクマルサンダイヤ改正で誕生した特急くろしおです。それまでの特急かもめと、みどりの併結は貫通扉は使われずじまいでした。その他は臨時のシュプール号で583系と異種併結です。
いや国鉄、鳥海の名称好きすぎるでしょ😅
臨時の「鳥海」には一度乗ったことがあります。
その時の編成は7両編成でグリーン車が1両ありました。
庄内空港は羽田まで1日5便もある便利な空港だけど91年開業と非常に遅くてこの頃の庄内地方は陸の孤島と言われてたのよね
上野ー金沢間(上越線経由)の特急はくたか号は長岡駅🚉で金沢ー新潟間の特急北越に系統分割され上野ー長岡間が上越新幹線🚄と重複する為1982年11月15日の国鉄全国ダイヤ改正で廃止されました、特急北越は1982年11月15日の上越新幹線🚄開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で特急はくたか2往復を長岡で系統分割されて金沢ー新潟間の特急北越に格上げされて北越が1日3往復体制になりました。
手持ち84年夏時刻表を見ると
「鳥海」上野1030→長岡1351/1353→新津1430/1432→秋田1830/1832→青森2113
だったようで
これを新幹線使って短絡しようにも
「新幹線リレー15号」「とき307号」上野1047→大宮1113/1135→長岡1315 くらいしか選択肢はなく、2回乗り換えで17分程度の短縮ならばと残された感はあります
(上野~福島における「つばさ」や郡山の「あいづ」も同様の節あり)
上りに乗車しました。
途中の長岡に着く頃には水タンクは空になっていました。
1:40
鳥海&羽黒とか、レイテ沖海戦時の重巡コンビを彷彿とさせますなぁ…
元元は上野発いなほや出羽、急行昇格の系譜。あけぼのは羽越でなく東北、奥羽線経由。山形新幹線での改軌や統合により羽越経由となり、新潟は通らずそれより北に主眼を置いた運行であった。新津には停まるので親戚が好んで新幹線ができてもしばらくは使っていた。夜運行時は新津は新潟駅より長く開いていた(日本海も羽越直)🤖
鳥海は寝台特急のイメージが強いですが、昔の特急列車の図鑑を見たときに、鳥海が485系で走った写真を見つけたときは驚きましたね。
寝台列車も含め、鳥海は縁がありませんでした。
この当時と比較すると、庄内にも空港ができていなほ&上越新幹線ですら苦戦していること、
羽後本荘辺りの需要を鉄道がようやく取り込めるか、まで厳しくなったと感じます。
山形の日本海側に企業の工場とかが多かったのでそれなりに需要があったとか。
『白山』『あさま』と並んで、山の名前を冠した特急『鳥海』
特に酒田以北の乗客にとっては印象深い列車でしょうね🏔️
晴れていれば海と反対側の車窓に美しくそびえ立つ姿を眺められる鳥海山、列車名が『いなほ』に変わってもその麗しき眺めは変わらない😌
新潟駅には経由しないのが意外ですね。新潟でスイッチバックになるのも面倒だったのかな
新潟を経由しないからこそ残された感もあります
経由するくらいなら同駅で「あさひ」と「いなほ」を接続すればよいので
新潟経由にすると乗り継ぎ割引の悪用が可能だったからなぁ…青森〜新潟間の在来線特急券と新潟〜燕三条の新幹線特急券、及び長岡〜上野間の在来線特急券と燕三条〜長岡間の新幹線特急券を同時に購入すれば、それぞれで在来線の特急料金は乗り継ぎ割引で半額になるからね。
特急白鳥も新大阪から京都までの新幹線特急券と白鳥の京都から青森までの特急券、それに北海道内の特急を乗り継ぐと白鳥の特急料金が半額になり、さらには北海道内の特急料金も半額になった。
なるほど
いなほとの競合を避けたのと、乗継割引を適用を回避するために新潟経由をしなかったのですね
別途コメントしたけど
長岡では「とき307号」から乗り継ぐことはできました
しかし乗り継ぎ時間が長いので上野起算の時短はリレー号使ったら17分程度しかなかったようです
繁忙期に走る「あさひ531号」の運転日なら50分くらいは短縮できたようですが
これが上野開業まで「鳥海」が残った大きい要因とは思います
新潟から普通で新津に出て、上野まで臨時鳥海に乗っていたことがあります
周遊券で乗れる佐渡が廃止されてしまい、新幹線は高いので、鳥海を利用しました
臨時の時代は7両だったと思います
結構すいていた記憶があります
お疲れ様です。特急羽黒も見てみたいですね。
当時住んでた赤羽でも、昼行特急の鳥海は定期か臨時かいずれの時期かは定かではありませんが、それでも2回くらいしか見たことが無かった。しかも上りだけ。あの当時は、リレー号を見ると、なんだよ、リレー号か…と全く気にも留めなかったけど、それがわずかな期間だけの貴重な体験だったとww
本に載ってた内容で鳥海号の食堂車では、ワインの提供もしていたようです。
ライターは最も昼からワインを呑んだらこの後仕事にならないと書いてました。
確かこのレポートって種村直樹さんのだったかな?
鉄道ジャーナルのレールウェイライター種村直樹氏の記事で間違いないと思います🍴当時の日食は豪華だったそうで…🍷🍛
鳥海という愛称は特急になってからは個性がなくなった気がする。鳥海の全盛期はヨンサントウダイヤ改正からヨンナナトウダイヤ改正までであり昼行は特急いなほが誕生したときには上野新潟間が季節列車化された。またヨンナナサンダイヤ改正では柏崎行きのよねやまが季節列車として併結されたが、ヨンナナトウダイヤ改正では直江津ヘ延長の上で新潟運転所上沼垂支区の165系で電車化され定期列車になったがこの改正で昼行鳥海は廃止されて新潟秋田間の急行羽越下り2号上り1号に変わった。なお季節列車の夜行鳥海1往復が臨時急行に格下げされて鳥海は夜行1往復になっている。
1:30 で、この2代目鳥海は結局どうなったんだよ😅そこまでは掘り下げてくれないんですか
距離も長く停車駅も少なく食堂車もありと、特急の貫録ですね^^
485系[鳥海]に乗車したが🍴営業は珍しかった.信越線の[白山]も🍴が連結されていた.
(昭和58年)
白山は快挙ですよ。一度消えた食堂車復活させてるんで。
特急白山の食堂車のサシ489型の中には一旦サシ489型に改造されて秋田運転区に配属されたがふただびサシ489型に改造された車両もありこのサシ489型三度改造されてスシ24型500番台になり寝台特急北斗星に使用された経歴もいる。白山に食堂車が復活した経緯は金沢管理局からの要望があった。と何かの鉄道雑誌に載っていた。
昔の上野駅発は、北の玄関口としていろいろな電車が出てたから複雑だったろうな!
逆に西と南方面の東京発は割とわかりやすかったが・・・・・。
上野の頭端式ホームの改札前に、びっしりと下がった列車名・行先の木札は、見るだけでも楽しかったしエモかったですね。
信越や能登・金沢、東北の末端の地名や愛称を見ると、どの列車にも乗ってみたいと思ったものです。
全てを乗り切ることはできず、表舞台から引退してしまいましたね。
鳥海というと旧い寝台車やグリーン車、客車やジュラルミン貨車まで連結したごった煮急行を真っ先に思い浮かべる。
世代だね😂
昼間の尾久へ行くとホームから一番近い留置線にその編成が止まっており、じっくり観察や撮影が可能だった。
@@steeldust-x2s 様
おおらかと言うか、大雑把な時代を経験した事は宝です。
16:30から始まる東京駅ブルートレイン発車を見たり、営業はしていなかったけど急行アルプス号のビッフェ車を間近で見たり。
@@Miku3939-Hatune さん
貨車然のスニ以外は秋田持ちで、既に急行に使われる事が稀だったオハフ33や、近代化されてない茶色のスハ43とかが入っているのも見ましたね。
サハシのカウンターの背後には備品を置く棚があって、営業廃止で使われなくなったそれが4段式C寝台と揶揄されていたとかw
羽越線の酒田以北、昭和の時代に比べると、優等列車がかなり少なくなり、青森、秋田、象潟⇔新潟方面の移動がかなり不便になった感がある。
需要が無いからだろう
寝台特急時代に青森→上野で乗り通したよ。
鳥海って、昼行の電車特急と夜行の寝台客車特急で愛称幕が全く同じって言う珍しい例なんだってね。
だからこそ、是非夜行寝台時代の写真も入れて欲しかったぜ!
鳥海の名が新幹線で復活は熱いですね!!
当時「鳥海」とほぼ同じルートの「いなほ」に乗って新潟に行ったことがあります。
「いなほ」の瑠璃色車両に白線一本引けば仮想ブルトレとして臨時列車で走らせてみるのもありでは?
食堂車は昭和60年3月ダイヤ改正までは特急雷鳥やしらさぎ、白山や白鳥3号2号でも営業していた。鳥海は白鳥3号2号と共通運用だった。なお寝台特急鳥海はあけぼのに改称ざれただけで統一とは言わない。それと特急鳥海はいなほ時代から青函連絡船とはあまり便利な接続にはなっていない。
「白鳥」で食堂車を連結して大阪発着だったのは「1・4号」じゃなかったでしょうか…?
在来線昼行特急の食堂車は昭和60年の2月くらいまでは普通に連結されて営業されてましたよね…
3月に入る頃になると検査期限切れ等で欠車の編成も見られましたが…
特急白鳥1号4号は急行しらゆきを格上げして福井発着にした白鳥でグリーン車組込みの9両編成です。
それが北斗星やトワイライトエクスプレスのスシ24となる
スシ24型でかわった経歴を持つのがサシ489型から改造された車両でサシ489型から一度はサシ481型に改造されふただびサシ489型に改造された経歴を持つ車両もいた。基本的にスシ24型に改造された車両はサシの中でも比較的新しい車両だがサシ自体が昭和49年4月の改正で新製されたのが最後なので老朽化は否めない。
60年3月に上野→青森に乗りました。(その後は、連絡船⇒北斗)
在来線電車特急最後の食堂車を楽しみにしていたのですが、1月には不連結or非営業となったことを知ったのも、懐かしい思いでです。
検札で捨象さんから、「北海道連絡ですか」とコメントをいただきました。
新潟駅に立ち寄らず新津から直接羽越本線に入るルートは寝台特急あけぼのの最終ルートと同じですね。
この鳥海で583系が代走で走った事があると聞いたことがあるけど真偽は不明。
603の東北・上越新幹線の上野延伸にともなう車両の変更のためだが、実態は金沢や日根野や南福岡への転用とみてよい🚃
@@tomohikoo8949
たしか、昭和60年の6月号の鉄道ジャーナル誌に「鳥海 583系で代走」という上越線を走る583系の写真が掲載されていました
ただ、車両前面に雪が こびり付いていてヘッドマークが隠れてしまっていたので表示が どうなっていたのか不明です…
ただ、その583系の代走の場合、食堂車は営業休止だったような…🍴
鳥海は寝台特急のイメージがありますね。
電気機関車は64形が最初で廃止時には81形が牽引機でした。
そう考えると鳥海が経由してた運行ルートをあけぼのが継承したときにの末期時に64形と81形と鳥海が走り出した頃に戻った感じになって終焉したことになりますね。
特急「鳥海」には食堂車が連結していたな
昭和57年11月に登場した特急だな。
上野口最後の昼行特急正規食堂車連結列車でした(白山はコンビニエンスカーなので) 上野➢青森 G車で旅したのもいい思い出です
特急白山は鳥海や白鳥などと同じ時期に食堂車は廃止されている白山にラウンジ&コンビニエンスカーが導入されるのはもっとあとからでJR化後だったような気がする。
@@もりわききくお様
ラウンジ車の登場って、たしか1990年台に入ってからでしたよね…
だから、上野口最後の昼行特急正規食堂車連結列車 と書きましたよね・・・なんでもマウント取りたがるのはいただけませんね。
特急白山も上野発着です。廃止は鳥海と同じです。
いなほの新潟↔秋田の2往復を〝鳥海〟にすればいいのに
いいですね。でも、鳥海山は庄内地方にあるので、むしろ、酒田発着の方が適任かと思います。臨時のいなほを全席指定にして、いなほと区別するために鳥海にするとか…(最近、LED職人が減ったので、頻度の少ない列車名を嫌うようになったと聞きますが…)妄想が捗りますね(笑)
さすがに羽越新幹線は……寝台列車はあけぼのは利用できましたが、他は縁がありませんでした。🛤️
特急鳥海の上野乗り入れが廃止された後もなぜかしぶとく残った特急つばさの上野乗り入れ
ついでに特急あいづも白山も忘れてはいけまい✋🚃
昔いた会社に入社後すぐに不正行為をして、すぐに退職に追い込まれたヤツは特急懲戒と呼ばれてましたね。
北陸新幹線敦賀延伸によるサンダーバード、しらさぎの敦賀止まり問題もこれと同じようなことをやればだいぶ丸く収まったのに…例えば一往復だけ大阪、名古屋ー和倉温泉とか
能登復興の支援にもなるだろうし今からでもやれないかな
仮に北陸特急を残したとて、高速走行設備が無い分JR時代より時間かかるのに、第三セクター走行の分料金まで上がるとなると運行会社側としてはそこまでして維持するメリットが無いんですよね……
北陸特急は散々災害抑止や通過待ちで普通列車の運行に影響与えてきたし、やっと新幹線のおかげである程度解消出来てきたのに元に戻るのは沿線住民としては嫌ですね……
名古屋~和倉温泉って2015年に消えてるんだけど
鳥海って5回も使われたんですか…
5回 使われて内 2回は特急なんですが、昼行・夜行共に短命なんですよね…
羽越新幹線は「こよし」が有力かな?
漢字の新幹線名称ないし‥‥
#秋田産まれの独り言
南国版の霧島も忘れんといて下さい。これも長大急行、長大寝台電車特急、短距離電車特急になったとですたい。
今もあったらE653系が担当してそう
臨時でも良いので、今夏に運転された中央線特急アルプスのように、鳥海を運転して欲しいですね!
E657系でしょ
鳥海が設定しされたのは他でもなくいなほとのセグメント及び新潟駅のバッティングを避けるためとみてよい✋☺🚃
個人的には羽越新幹線が出来た場合は「いなほ」になると思う。
結局みんな新幹線のせい(泣)
某琴葉葵「ファッ◯ンクソ団子」
鳥海?とりうみ?
所詮はペットネーム
しかも帝国海軍艦艇から拝借品
@@金澤華
帝国海軍が名付けた由来は秋田・山形の県境に聳える「鳥海山」からですが、山の名前も帝国海軍からの借用と言われるのでしょうか…?
@@小早川美幸-h1e
拝借品だらけなのに何言ってんの
意味不明な返ししてんな。
たまたま海軍が先だっただけじゃねえか。由来が同じなのに拝借品もくそもねえわ。
超絶新感染にて鬱之宮ツアーは楽しかったな