【ゆっくり解説】 晏嬰 孔子を退けた小さくて偉大な名宰相 【春秋戦国 斉】
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- เผยแพร่เมื่อ 18 พ.ย. 2022
- 管仲以来の春秋時代の斉の大宰相、質素で貧相で小さいおじさん晏嬰を紹介します。
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景公は晏嬰を採用して、進言に耳を傾け聞き入れただけでも有能ですね。人の上に立つ者の資質を持っている
その通りですね。
暗愚、凡愚と言われる人間は、他人からの諌言を受け入れる事が出来ないものです。
あと、この景公と晏嬰の話とはちと逸れますが……
暗君、愚君と言われる君主は傀儡で居続ける、傀儡になりきる事が出来ないんだそうです。
これは三國時代、魏の曹髦がいい例ですね。
景公は凡庸ではあったかもしれないですが、決して暗君、愚君では無かったのではないかと(๑•̀ㅂ•́)و✧
晏嬰のような有能な補佐役が居れば十分に国を治められる、人を見る目をキチンと備えた良い君主だったんだろうな〜、と(๑•̀ㅂ•́)و✧
残念ながら景公はそのような人物としては歴史には残っていない‥
人の悪口を言わない墨子さえも非難した人物です。
諡号の景は何らかの大規模な建築を行ったという意味です。
古代ではすべて粗末な道具を使って人の手で作らねばならない時代で建築をするには莫大な費用が必要でした。
それが転じて贅沢を好んだ人という意味もあります。
つねに晏子は景公の贅沢を諫めたといわれています。
景の諡号がつけられてしまうきっかけも晏子の諫める逸話からです。
@@mikionakata7921晏嬰にしょっちゅう叱られていたそうですね
@@F-tmnt555
景公は暗君であっても暴君ではなかった‥
むろん春秋という下剋上の世の中にあって君主は先制を行えるものではなかったともいえるのだが‥
晏子でも 景公の贅沢をやめさせられなかったと墨子は嘆いている‥
景という諡号は本来は国家的な建築物や土木工事などをその治世で行った君主におくられる諡号であるのだが‥
それらは現代のような工作機械がない時代であるので多くの人出がいり莫大なお金がかかった‥
そこから転じて景という諡号は景公のその以降贅沢を好んだ君主という意味にも送られるようにもなった‥
景公は器はデカイし善よりなのは確かだし、平和な時代ならボンクラだけど愛嬌はあるくらいで落ち着いたんじゃないかなって…
(面の皮が厚いだけっていうな)
晏嬰の逸話は沢山あって有名ですが、自分は彼を最後まで信じて任せた景公にも心惹かれます。
ボンクラだけど器大きくて愛嬌がありますよね
4:32 のエピソード
「私を斬る根性があれば敵に立ち向かえるでしょう!?」
「お前を斬る根性が無いから逃げようとしてるんだろうが!」
の夫婦漫才感好き……
景公が一人で何でも決められるスーパーマンだったら晏嬰が世にでることはなかったと思う
晏嬰のことを最後まで信じてあげられるってすごい!
忠臣を見つける、忠臣を使いこなす、そして1番難しいと言われる忠臣を信用する、を見事に遂げた景公が1番頭良いのかもしれませんね。
日本でも中国でも良臣、忠臣たちが悪臣にそそのかされた君主から疑われことごとく首を切られてますからね。
一番好きな宰相ですね。
無遠慮正論マシーンぽくて。
あと馬より早い君主も好き。
純粋なアホっぽくて。
晏嬰が亡くなった時のと景公のエピソードすごくいいですよね…
君臣の絆って感じがして好きです
景公と晏嬰の凸凹コンビは大好きです
どんな名君でも、忠臣を殺したりする中で、こういう関係が維持出来るのはとても二人は恵まれてたと思います
景公は墨子さえも悪口を言ったとされる暗君ですが‥
何故か残虐な行為をしたという記録はないですね‥
景の諡号どうり贅沢を好んだということだけですね。
評価が定まった現代からああすれば良かったこうすれば良かったと後出し孔明するのは簡単だけど忠心ぶった佞臣に裏切られる話もいくらでもあるのが歴史
目の前にいる臣下を本当に信じられるか君主の気持ちになって考えたら景公は精一杯やった凡人だと思う
あの時代は贅沢な王が批判されますからね。
ただ日本の大名でも江戸時代にいわれていますが、名君は、税金絞る君主がほとんどですから、名君のあとに、暗君と呼ばれる税金をとらない王がきたほうが国は安定化しますから、時代にはあった王なんですよね。国は栄えましたからね。
王が贅沢すると技術が発展する面もありますし、人間余裕が必要ですからね。
官僚の鑑ですね。
官吏は人ではなく国家に仕える存在だ、という姿勢を生涯 貫いた、という点において、晏嬰はもしかしたら歴史上はじめての近代的な官僚だったのかもしれません。
そして無味乾燥な冷血漢ではなく、景公との心温まる交流にも心打たれます。
何事にもケースバイケースである実務の世界に生き、必要とあればケインズ風の公共事業までやった晏嬰からすれば、原理原則で凝り固まった儒者は政治家としては使い物にならない、と判断したんでしょうね。
まあ、これも結果オーライということで。
楚王とのフリースタイルでのディスり合いのエピソードも面白いですね。
しかし、晏嬰の小言を長年にわたって聞き続けて、意見も聞き入れ、かつ人間的にも慕っていた景公も、ある意味 名君だったんじゃないかと思います。
‥‥
それはどうだろうか?
生涯小言を言われ続けるとは‥
箴言されればそれをを受け入れることはできるが‥
同じような失敗を繰り返し再度箴言をされることになる者は名君ではないと思います。
他者の批判を言わない墨子すら批判した唯一の人物です。
景という諡号はその治世で大規模な建築物を建てた君主におくられる諡号ですが‥
重機機械がない古代では土木工事はすべて人の手によるもので莫大な費用が必要でした。
これが転じて贅沢を好んだ君主という評価のなるのですが‥
景公の場合は後者の評価とおりに景色を楽しみたいから台(高層建築物)を作れという贅沢からのものでした。
暴君でこそないが暗君であったという評価は正しいことのようです。
景公は凡庸ではあったものの暗愚ではなかったみたいですね。
晏嬰が亡くなった時に「これでも走っているのか」と言って馬車を降りて走り出したくだりを宮城谷昌光の「晏子」で読みましたが、人間味のある景公の姿が思い浮かんで涙が出てしまいました。
晏嬰と景公のドラマはどこかで映像化して欲しいものです。
怖いけど尊敬してたし尊徳抜きで自分を守ってくれた「親の死」だもんなぁ…
晏子の胆力は男として憧れる
けど本当にすごいのは自制心と誠実さ、優しさを失わず常に持ってた所だとおもう
あと国にも王にも民にも偏りすぎず万遍なく良くして行こうという姿勢も感服する
礼儀作法はその場に合わせてやればいいと言っていた晏嬰のために最後に景公が礼儀を破って泣くのがいいですね。うるっときました。
景公は君主としては凡庸だったかもしれないけど本当に信頼しなければならない人物を信頼出来たのは凄い。
暗君と呼ばれる連中は真に信頼出来る功臣や忠臣たちを処刑してしまうのに。
諫言を1日に3度言われれば煙たがっても仕方ないのにそれでも傍に置き続けたのは本当の意味での信頼があったからでしょう。
俸禄の話や死んだ時の話を聞いても単純な主従関係の信頼以上のものを築いていたのが感じられます。
貴方は春秋という下剋上の時代を全く理解していない‥
臣下を君主が勝手気ままに処刑きる時代ではなかった‥
それは前君主の荘公が弑逆される事件からもわかる通りです。
春秋時代の君主と臣下の力関係を表すのに一つの例があります‥
君主と分家三家の有力臣下とが話し合って互いに入り組んで所有している領地を整理しあおうということになった‥
領地の半分を最も有力な分家臣下が残った半分の領地を君主と分家臣下ニ家とが均等に分け合ったというものです。
そのような世の中にあって景公は晏平仲を信頼するしかなくその信頼にこたえた晏子は傑物といってよいでしょうね。
晏子亡き後しばらくして君主は臣下に禅譲することになった‥
@@mikionakata7921 なんでそんな喧嘩腰なのw
@@Gyro615 春秋時代という下克上の時代を美談だけで語るのでは歴史を知る学ぶ意味がないからと思うからです。
@@mikionakata7921 THEEMBRYONさんは景公が人物を信用した一点に関して褒めてると思いますが、あなたはそれだけでTHEEMBRYONさんが美談だけで歴史を学んでいると判断して上から目線で非難したんですね?
短絡すぎやしません?
@@Gyro615 そもそも景公を美談の評価とすることも無理があるんですよ。
人の悪口を言わない墨子ですら景公だけは例外だった‥
景公は存命中にそう呼ばれたわけではなく諡号です。
景の諡号を与えられる君主とは‥
本来は何らかの土木建造物を建てた君主という意味ですが‥
古代のことでそれらを建てるのは莫大な費用がかかるのでそれが転じて贅沢を好んだ君主という意味合いが含まれます。
景や霊という諡号が送られる君主が出現するとほとんどの場合その後国は滅んでしまいます。
斉では国は滅びなかったが移民してきた亡命貴族に国を乗っ取られた‥
宮城谷作品の主役たちの中で一番好き
あの作品では晏嬰よりも父・晏弱が自由に書かれていて魅力的な気がします。
晏嬰だけじゃないけど1000年以上経った現代でも通じるのが凄い。宇宙に行こうが寿命が100まで延びようが人の本質は変わらんのよね…
俺は忘れない、小ボケの最中にさらっと孔子をおかくん呼ばわりしたことを…w
晏嬰は質素倹約にストイックなところはありますが、過去現在問わず世の政治家たちに見習わせるエピソードが沢山詰まっていて、菅仲とは違う格好良さがあっていいですね。君主がどちらも凡庸なのが彼らの特徴を引き出させているのもいいと思います。
自分に対してストイックするのはいいことなんだし、それを人を押し付けたりしないのもいい。
ちなみに後になって本当に官僚たちにストイックな生活を強要する明って帝国があってね。あまりにも給料が少なさすぎて汚職をしないとまともに生きていけなくなるし、まさに本末転倒だよね。
論語は孔子の言動を記録しているもので単体として聞けば立派なのですが‥
その言動をした背景を知れば老人のたわごとをそうとを知られないように弟子たちが記録した書といえます。
論語には暗に晏子を批判したものがありますが‥さすがに弟子たちにも名指しで批判することができない人物なので名前は出てきません。
孔子は斉に仕官することを望んだのに晏子に追い出されたことを生涯恨んでいたようで‥
端木賜(子貢)の今の世に賢者といわれる人物がいるかの問いに‥いないと言っている(笑)
重ねて昔にはいたかという問いに‥鄭の子皮と斉の鮑叔と答えている(笑)
端木賜(子貢)が子産と管仲ではないのはなぜという問いに‥
賢を推薦できるものこそが賢者なのだと答えている(笑)
御者ですぎないものまで才あれば推薦する晏子に対して孔子の人間の器の小ささをうかがい知れる言動ですね。
孔子は画一的に礼を定めてなるべくわかりやすく教育出来るようにし、晏子は道理の芯を掴んで適宜身を処せた。孔子が七十を超えてから出来たことを、それより早く実践出来た晏子は傑物だなぁ。
二人共間違っちゃいないんだがね
晏嬰が亡くなったときの景公の行動は泣かせますね
年齢を考えれば親子のような感情に近いものがあったのかもしれませんね
(個人主観)司馬遷の愛が凄いランキング 1位 晏嬰。
管仲には言える孔子も、就職断られたのに悪く言えるところの無い、正に完璧なる名臣。
楚での「犬の国には犬の門から入る」辺りの切り返しの速さ、絶妙さも凄い。
景公は名君ですよ。晏嬰を信頼して使った、その一点だけで十分に名君に値する。本人は凡庸でも有能な者を使えればそれでいい。
無事此名馬ならぬ、無事之名君、ですね
楽毅や李牧や呉子胥に比べたら晏嬰は君主に恵まれてると思う
暴君かつ明君ってのがあるように暗君かつ明君って感じやろか
白い糸は染められるままに何色にも変ずる
別の人物ですが、このような人物なのかもしれませんね。
優秀な君主は優秀な臣下を見抜いて使うが、そうでないものはたまたま優秀な臣下を使ったり、無能な臣下を使ったりするのかな
景公は高祖父の桓公や蜀の劉禅の様に、名宰相や賢臣に一任し、教導されれば、良い政治ができる君主の才能がある。なまじ文武に優れた資質を持っていたが、賢臣の助言を一切聴かなかった殷(商)の紂王(帝辛)より余程君主に向いている。
この時代は君主のすげ替えが多かったから、景公にとっては晏嬰を重用することが自分の安全保障につながっていた部分もあると思う。
君主とその分家の三家が入り乱れてしまった領土を整理してまとめることにした‥
分家の末席が領土の半分を残りを君主と分家二家が三等分したっていうような時代ですからね‥
君主のすげ替えどころか晏子の死後には君主の姜氏は田氏に禅譲してしまった‥
そのとうりだと思います。
晏子がなくなりほどなくして景公がなくなると‥
国の君主は姜氏が田氏に禅譲することで田氏が治めることになりました‥
君主のすげ替えどころか国そのものを乗っ取られることになってしまった‥
孔子は形を重視し、晏嬰は中身を重視した。
私が好むのは晏嬰の方ですね。
こんな人がいたとは知らなかった。
緊縮財政こそが道徳的に清廉な政策として評価されがちななかで、公共事業を中心とした積極財政でもって不況を脱するという考えはケインズに先んずること2千5百年(ぐらい)ですかね
傲慢で自信家なマナー講師に定職は与えられねーわ。
景公とのボケ&ツッコミコンビほんと好き。
晏嬰ありがとうございます。
私も宮城谷作品を最初に読んだのが晏嬰でした。これがきっかけとなって色々読みました。牛首馬肉と足掛け二年の喪に服すエピソードが印象に残ってます。
がっき
がっきもいいですね。
「小さな巨人」とはまさに晏嬰のためにある言葉。
後に劉邦にも受け継がれた君臣漫才というジャンルを確立した景公晏嬰コンビホント好き。
やっぱこの、小さい胆力覚悟ガンギマリ厳格高潔おじさんはみんな憧れるよね
あと踊り子は永遠の名曲だからな
それはそうとヨーク公顔色悪いな
@@enchopicopico ヨーク公爵式内丹術もここまでか…マヂ無理ぃ…丹薬飲も…
@@user-br5ln8wu5w 丹薬の飲み過ぎは早死にすんで
かといって顎にゴーヤ実らすんはやめてな
@@enchopicopico じゃあ仏図澄のとこに行って生き返らせてもらおう
@@user-br5ln8wu5w 仏教に力を入れてた北斉の文宣帝のところに行くのもいいかも
景公は名君でこそないが、良君。この二人だからこそ、晏嬰は力を発揮できたと思う。
いかに晏嬰が有能であろうと、司馬遷の時代に生きていれば、武帝の不興を買ってろくに出世しなかったと想像する。
晏子を信頼し使いこなす能力を持っていた一点だけで、景公は評価できる。
夏五月乙亥崔杼弑其君光
貴方はこの春秋時代を誤って解釈しています‥
まさに下克上の時代であり君主が臣下を自由にできる時代ではなかった‥
なぜなら君主より臣下のほうが領土を多く持っていたという時代であったのですから‥
臣下にとって君主は暗愚であったほうが都合がよく賢かったり君主として威厳を保とうとしたり臣下に対して強権をしようものなら殺されるのです。
本来は崔杼が殺された時点で君主は挿げ替えられるべきであったが景公はその諡号道理の人物であったためにそうされなかった‥
君主が贅沢を極めたとしても自身の財産が減るわけでもない臣下には関係がないのですから‥
景公はしっかり話を聞けるだけでも素晴らしいでしょうと思いました
こんばんは。村下さんの曲はみんないいものばかりだったけど踊り子もいい曲だったですねえ。6枚目のシングルだったかしら。懐かしいなあ。早逝されたのが今でも本当に残念だ。
晏嬰まだやってなかったんすねえ。鳥あげてもらって嬉しいなあ。大好きな人物の一人です。誰よりも小さい体に誰よりも深い知恵と大きい勇気を秘めた人間。もうそれだけで惚れる。
戦場で逃げようとするのを引き留めようとしたら邪魔だと剣を抜いた霊公にその勇気を普に向けてくださいと言ったら、霊公がお前を斬る勇気もないのだと返して逃げるの好きww
有名エピソードは枚挙にいとまがないが私はやっぱり儒教の耳に優しい数々の立派な文言の上辺だけの偽善をもう既に見抜いていたのには大変敬服するな。
まあなんだかんだで歴史上最高の凸凹コンビだよなあ。
景公は毎日どんちゃん騒ぎの生活で長生きしたんだけどね(ボソッww
儒家に対する的確な評価に痺れるねぇ〜
菅公と管仲
景公と晏嬰
劉禅と諸葛亮
やっぱこういうコンビが安定するんだよなぁ、名宰相だけでは、変に才能ある君主に嫉妬されて遠ざけられたり、最悪殺されたりするから
才能ないけど根が善良な君主と、有能で教育熱心な宰相の組み合わせが、国とっては最良
荀彧さんと陸遜さん(T△T)
晏子めっちゃ嬉しかったです
思わず本当に声が出ました
ありがとうございました!!
小国だと思っていたけれど地図で見ると莱は意外と国土が広いですね
これを先人の努力もあったとはいえ一代で吸収した晏弱の非凡さもすごいですね
晏嬰の政治センスを見るに晏弱はガチガチの軍人というより外交上手の政治家タイプだったのかもなどと考察が捗りますね
景公の愛馬を誤って死なせてしまった世話係を晏嬰が死刑から救ったエピソード好き
「ちいおじ」というワードが草を超えて大草原を超えてもはや大森林なんだが
晏嬰の質素倹約は「金は可能な限り国家のために使え」って思想から来てるけど、
孔子の質素倹約は「贅沢してると礼を忘れるからやるな」って考え方から来てる。
外面は同じでも、晏嬰は国家のため、孔子は個人の生き方のための質素倹約。
スケールが違う。
「小さな体に大きな勇気」
スズキのキャッチフレーズみたいでカッコいい。
さすが遷ちゃん
斉!第二の黄金期を築いた宰相!晏弱の子!晏嬰!梁父吟!梁父吟!才気煥発!胆力凄い!
ウッキウキで晏嬰困らせたろって謀して、見事やり返されてる楚王面白い
晏嬰待ってました、ありがとうございます。
宮殿の土台を壊していいか頼む話と、景公の馬を死なせてしまった馬丁に3つの罪を教える話が好き
0:25
地味に選びが秀逸。三大小さなオッサン。
晏嬰危篤の際の景公の行動が何とも好きになってしまった。
こういう君臣の関係も凄く素敵だと思う。
仮に孔子が彼に仕えていたとして、このような関係が築けただろうか。
小柄な体格をいじられた話は、日清戦争開戦前の小村寿太郎と李鴻章のエピソードを思い出しますね。
戦時で無くても多くの逸話が残るあたりに中国史の懐深さを感じますね。
永遠の憧れ、晏平仲。
とても真似できない…
ご厚意、まこと痛み入ります……!
語り切れないほどの逸話の数々……本当に偉大な人物ですね!
孔子の不採用通知、以前取り上げていらっしゃった漢の宣帝の「漢家自有制度、本以霸王道雜之」の話を思い出しました。晏嬰は社稷の経営と人民の利益を第一に考える実益主義であることがよく分かります。しかし礼の問答で本質を守れば形式は柔軟に運用してよいと言われ孔子は納得してしまっていますから、そこら辺で儒家も妥協できなかったのか…。晏嬰の指摘にあるとおり、妥協できない理想主義・エリート主義は儒教の桎梏になってしまっていますね。
この時代の儒家のイメージって今で言うマナー講師みたいな感じなのかな。そうならば、晏嬰が封地に反対したのも頷ける。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!!
ご厚意、大変励みになりまくりでございますッ!!
景公は偉大なる凡人、臣下の鏡である晏子を最後まで信じ切る善良さはただの凡人には真似できない
国体に合わなければ薬も毒になる。孔子が採用されなかったのはそういう事だろう。そういう多様な国体を始皇帝が最終的に一つにしたが、どれ程の葛藤と犠牲を必要としたのか想像するにあまりある。
まずは宮城谷昌光先生が晏子の存在を知らしめ、
更に古代中国に光を与えたことに感謝✨🙏✨
そして、主の動画にもまた感謝✨🙏✨
正直な話、晏子の話は後世にかなり盛られているかと思います😅
しかし晏子と景公、管仲と桓公はまるでドラえもんとのび太のように感じちゃうんですよね〜💦
景公も、決してダメ一辺倒ではなく、
晏子も、人間味がない訳じゃない。
それが、彼ら主従の魅力だと思います💖
後世の人々が彼らから多くを学んでいただきたいと感じますね〜😌
孔子をオカくん扱いは笑う
そして景公との君臣関係いいっすねぇ…
死ぬ際のエピソード泣ける
「こうして孔子に好印象」
見事な韻を踏んでおりまして。
中途半端な賢さよりも、賢臣に政治を委ねる度量こそが君主に求められるんだなぁ。
間違いなく春秋時代の最良の宰相ですねえ!管仲もそうだが晏嬰も現代にいても大政治家になれたであろうとふと思うときがあります
嬰は貝の首飾り
弱は飾り弓
でどちらも魔除けの縁起の良い漢字だそうですね
晏嬰,好きだなあ。いつも素敵な動画をありがとうございます。
劉禅は平時ならそこそこの治世出来たって言われてるけど景公はその平時に近いのかも
まさかのトンシャオピン画像に民国以降の時代解説の可能性を感じワクワクしてしまいました。
扱いが難しいと思いますが…これだけ考証がしっかりしている鳥人間さんのチャンネルでいつか近代解説も聞けたら嬉しいです。
更新ペースご無理なさらず!
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます……!!
有り難きことこの上ありませぬ……!!
晏嬰待ってた
晏嬰、大好きになりました。
持ってる書籍の中で一番高価なのが明治書院版の「晏子春秋」上下巻です(ドヤァ
晏嬰は筋の通った臨機応変こそが大切と説いているんだな。孔子がフォーク准将に見えたに違いない
いやいや、その高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変な対応こそが、フォーク准将の真骨頂でしょう
どちらかと言うと帝国のシュターデン提督かも?
長身の孔子vs.小さな巨人晏嬰。
晏嬰動画助かります!
にしても
ライトスタッフ…いい映画ですな
年末に見返えそっと
いつもご支援いただき、まっこと大感謝でございます!!
見ましょう!ぜひ!!ぜひ見ましょうッ!!!
一番好きな政治家だ。
でも誰でも出来ない。
宮城谷先生の小説で知りましたが、遷ちゃんにそこまで言わせるとか、本当に凄い人だったんだなぁと。
安子春秋。
この冬の読書に追加します。
主君とよい関係を築く名臣下惚れ惚れします。
ご支援いただき、まことにありがとうございます……!
『安子春秋』まで読んでいただけるとは、恐悦至極に存じます……!!
姜斉の景公は資質としては、高祖父の桓公と同じぐらいだったかと。ただ、名宰相管仲やその友人鮑叔のような層の厚い家臣団と、まだ晋や楚、秦といった後の強大国がまだそこまで勢力が大きくなかったことも違う点だと思う。
最近孔子(丘くん)いっぱい出てきてほんとおもろい。
これからも応援し続けます。
理想的すぎるな。臣下としても、一介の人間としても……
憧れとは、理解からもっとも離れた感情…とは言うが、それでも憧れずにはいられないモノを持っているのだろう。
それを人は『徳』と呼ぶのでしょうね。
呂母の乱の解説だったと思うけど、斉は侠客とか自立した女性など、他の地域と比べたら自由な気風があったんでしたっけ。それを考慮すると儒教は斉とは相性が悪いかもですね。晏嬰が孔子を退けたのもそういうところかなーと僕は思います。
いつも思うけど、うぷ主のセンスも凄いよ。映画を見ているような没入感があるんだよなあ
見ていて先の展開が気になるしワクワクさせられる。gj
すごい人ですね
尊敬します
晏嬰が孔子を良く思わなかったのはこの時代が専制主義だったのが大きいね。
孔子が言うのはあくまで正しいが、それはあくまですべてを横に見た場合。
でも晏嬰はあくまで政治体制を変える可能性のある孔子を嫌っただけで、あくまで臣下として上下をつけるべきだったからなぁ。
素晴らしい解説、ありがとうございました。この二人は君主と臣下なのですが、実際は安嬰が師匠で景公が弟子みたいな関係だったと感じました。安嬰から見れば景公はダメダメでしたが、安嬰が諫言をしたら、嫌な顔をしながらも安嬰の言うことを聞いていたそうです。安嬰は景公が素直だったので導きながら君主教育をしていたのでしょう。安嬰が質素な生活を送っていたのは父親安弱が将軍だったのからかもしれません。とても立派な武人で父を尊敬して、お手本にしていたのでしょう。最後は安嬰と景公は親子のような関係に昇華したのが素敵だと思いました。安嬰も景公に永遠の別れを泣く程悲しみ、惜しまれ、臣下宰相冥利に尽きたかもしれないですね。
安嬰→✕
晏嬰→◯
斉国は微妙な君主と優秀な家臣がいる時に反映するんやな…景公も暗君だけど決して晏嬰を退けたりしなかったから桓公の故事を真似るほどの才能はあったようだな。
今日は爆散せずに良かったね^^
丘くん。
孔丘(丘です……)
まってた
これだけ自分の信念に忠実に生き、そして間違わずに生き抜いた胆力の持主は人類史においてもどれほどいたであろう
晏嬰が日本にも一人欲しいところですな。
景公も君主・為政者としては凡庸でも人柄は宜しかったと云う事でしょうか。
優れた側近を大切に出来るのはトップとして優れた資質と思います。
このような人々が舵を執る団体~国であれ国際関係であれ会社であれ家庭であれサークルであれとにかく人の集まり~は穏やかに繁栄するのでしょう。
良い動画を見せて頂きました。
3:16 6尺は日本なら1尺30センチ位だから、かなり大柄。
主君が割と微妙なのも込みで管仲と被る
でも景公は聞く耳持ってたよ。
結構君主としては有能。
晏嬰すきー❤
桓公も景公も、本人の能力は凡庸だけど、臣下をよく信頼して用いる(させられる?)ことができるあたり資質は非凡に思えるわいね
晏嬰さんレスバ強すぎんよぉ
管仲や范蠡以外にも、こんな素晴らしい人物がいたとは、いつもながら大変勉強になりました!!鳥人間さん、いつもありがとうございます。(。-人-。)
多分読まれてるとは思いますが宮城谷先生の晏子を読むことをお勧めします。晏弱 晏嬰二代にわたる活躍が書かれていて面白いと思います。田氏の野望についても既に見破っていたのもさすがだと思います。
私も宮城谷先生の晏子を読んで初めて、この親子の事を知りました。古代中国は本当にドラマチックな話が多いのが魅力的です。宮城谷先生の小説を読まれた方がいらっしゃるので嬉しくてコメントしました。
@@user-vi2sd8wx3w コメントありがとうございます。三国志や孟嘗君等々面白い小説がたくさんありますよね。最近は専らユーチューブばかり見てますけど😅たまには読み返してみようかなと思っています
@@TK-rm3yj 返信ありがとうございました。私も宮城谷先生の作品は、かなり拝読しています。見習って私も読み返します。
斉の管・晏はボクの一番好きな人物です。
古今東西の政治の要諦は、全てこのお二人によって体現されていると言っても過言ではありません。(こんなに素晴らしいお手本があるのに、どの国も全く出来ていないのは何故なのか)
あと、中国史の小さな偉人と言えば「孟嘗君・田文」もそうですね。😀
昔の偉い人は言いました「普通にしろ!」
これこそ春秋時代の最高の宰相ですね
晏子春秋は興味深いけど全訳が明治書院からのそこそこ値段する書籍しかないのが残念。文庫とかで翻訳出してほしい。
私は、晏嬰のエピソードで流石と思ったのが梁父吟の「二桃を以って三勇士を殺す」ですね。
公孫接・田開疆・古冶子の三人を退けたいと思った晏嬰が、2つの桃を用意して…
晏嬰「各々方、功績の高い者から此処にある桃を食べよ」
公孫接「では、頂くとしよう」
田開疆「儂も、頂くとする」
その光景を見た古冶子は…
古冶子「私には、功績が無いとでも言うのか!」
すると、公孫接と田開疆は恥じ入り
公孫接・田開疆「己の貪りが恥ずかしい」
と自刎して果て、古冶子はというと
古冶子「二人とも死に、私だけ生き残る訳にはいかぬ」
と古冶子も自刎して果てました。
晏嬰の見事な策略を、あの諸葛亮も高く評価し梁父吟を何度も口ずさんでいたといいます。
なんか、ギリシャ神話の黄金のリンゴをめぐる三女神の諍いを思わせるね……
宮城谷昌光さんの晏子は何回も読んだなぁ。物語的には晏弱の方が面白かったけど、晏嬰も魅力的な人ですね。
晏嬰については、昔、N〇Kで放送されたアニメの「孔子」で描かれた人物像しか、知りませんでした。
孔子ほどの資料が残っていないであろうことを、残念に思います。
目から鱗が落ちる内容でした。
UP主さん、ありがとうございます。
晏嬰の父も含めて、斉国の宰相として有名です。そして何より、質素倹約を旨としていた。父の死後の祭礼も華美に行っていない。そのため、孔子の教えとは違う考え方を持っている。
いい話だな〜(;ω;)。凡庸で下手すれば暗君になっていた可能性もある景公と頑固だけど質素倹約家な晏嬰。今回紹介された逸話以外にも面白い話があると聞いてもっと知りたくなった。
37:15~37:33 今の政治家たちに一番言って欲しい言葉。