【小林康夫】「存在とは何か 〈私〉という神秘」 量子力学が切り開いた二重存在論や、複素数の「虚」の次元の拡張を受けての存在論の再構築

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  • เผยแพร่เมื่อ 19 มิ.ย. 2023
  • #哲学、#量子力学、#小林康夫、
    「存在とは何か」という問いは、哲学と呼ばれている言語活動を貫くもっとも基本的な軸であり、それについて書かれたものは無数にあって、存在論というジャンルもしっかり確立されている。しかし、それを解説してなぞるだけでは、わたしの「存在とは何か」ではなくなってしまう。
    過去から続いてきた歴史をどのように受け止めて、見通しのない森のなかを前に向かって歩いていくのか。
    「無」、言語、時間、複素数論、量子力学、四元論…etc.。20世紀に飛躍的な知の変革を遂げた自然科学に哲学的言説も応答義務がある、と感じとった哲学者・小林康夫さんが、数理的な次元と自然言語的な「意味」の次元のあいだに「橋」をかけることに挑んだのが、『存在とは何か 〈私〉という神秘』(PHP研究所)です。
    小林さんの挑戦は、あなたが、あなたの「存在とは何か」を考える際にも、きっと力になってくれるはずです。
    7/7には隣町珈琲で本書刊行記念イベントも行います。「存在」の脱構築からの再構築の営みを共に体感しましょう! ご参加お待ちしています!!
    ◆小林康夫さん著『存在とは何か 〈私〉という神秘』(PHP研究所)
    www.amazon.co.jp/dp/4569854842
    ◆7/7開催の隣町珈琲での刊行記念イベント詳細
    tonarimachicafe.jp/contents/c...

ความคิดเห็น • 5

  • @thomasaqinas2000
    @thomasaqinas2000 ปีที่แล้ว +2

    最後の辺りで小林先生が、「youtube等に上がる情報で頭をぱんぱんにして、私、自己というものを見なくなってしまうのに対して、・・・・」と仰っておられます。パスカルの気散じ、のように生きるばかりでない生き方として、究極的関心事へも目を向けられれば、ということだと思います。
     ただ、現実が与える制約、諸条件が、その主観意識にとって、「存在」の希望を与えられない事態では、どうすればいいのだろうかと、考えてもみます。多くの人が「気散じ」の世界、物語世界(ファンタジー、ゲーム、要は構築された居心地の良い、夢見る世界)に意識を投じるのは、現実逃避であっても、必要な適応機制であったりもします。
     映画『荒野の七人』の一シーンで、ブラッドが撃たれ死にゆく際、クリスに問います。「この村に来たのは、農民を助けるためだけでなく、本当は何かあるだろう?」それにこたえて「金だ、裏山に金鉱がある」と話を作り、喜ばせて死を看取ります。
     同じく映画『マトリックス』に描かれる人間意識の置かれた状況が、そうした生死という存在=現実態の与える状況の際にある時、何が正解になるのか、難しい判断になると言う気がします。知らなきゃ幸せだったものを・・、などという場合もありますし、知ってしまった者の責任は、また重いですし。
     先生方は、如何、お考えなのでしょうか?

  • @user-qo5hn6dg5x
    @user-qo5hn6dg5x 11 หลายเดือนก่อน +2

    7月7日、隣町珈琲に参加しました。
    p130「暗合化→暗号化」
    「存在のホログラフィー」

  • @thomasaqinas2000
    @thomasaqinas2000 ปีที่แล้ว +1

    ボードレールが修論だったと仰られたことに、驚き、共感しました。『悪の華』の中に、恋人が臨終の果てに蛆虫に蝕まれたとしても、「詩人たる僕こそは恋愛の本質を保存したぞと言え」という一節がありました。この普遍・永遠性を示す「本質の保存」を、理解したいと私も中2病で思いました。
     量子論から存在論への問いも、高2で、エネルギーの根源を「存在」に問い掛け、ハイデッガー、そして山田晶先生の『エッセ研究』を経由して中世のトマスへ進めました。
     複素数のイマージナリー・ナンバーは、「世界を説明表記する素数の補完」としてやはり理解しました。シュレーディンガーについても、彼の知性論がアラビアの単一知性説を採択している点で、関心を引きました。これに関しては、トマスの「個霊の救済」の問題意識と対比して、これまで論じてきました。
     さて、小林先生の著作を拝読してから問いかけるべきですが、この動画を見てつい、コメントを書き始めてしまったので、続けて記します。
     先生がここで仰られている問題意識は、顰に倣って言えば、私も同じように意識し続けてきました。その中で、トマスが中世で、同様の問題意識を持っていたのを理解したつもりでここまできました。トマスも単一知性説を乗越えながら、純粋現実態(存在そのもの)をanalogia entisで導く思考法を探求したのだと思っています。
     この現実態エネルゲイアについて、小林先生が仰られている様に、量子論、特に最近では量子情報論と言われる観点から、理解が進められる気がしています。量子には個体性を示せないとされますが、要は、スピンや振動(波動)のエネルギー状態が普遍的であり、人間の日常的マクロ視点では代替可能性を有する存在様態にある、ということだと思います。ところで、ジョン・ホイーラーは「単一電子説」を仮説提示しましたが、私は、これが、今、述べたことを表示していると考えています。さらに、そのエネルギー様態を、中世までの思想ではエネルゲイア、現実態、そしてesse存在と見ていたと思うのです。
     さらに加えると、以前、武内義範先生に伺ったところ、仏教の「空」をトマスの「存在esse」と見てよいか、との問いに、然り、とお応えいただきました。後に、山田晶先生にも、それを確認したところ、「そうか、あなたは武内さんとも知り合っていたのか、と言われ、その理解ができるでしょう」と、仰られました。
     もっと言うと、先ほどのシュレーディンガーもその立場に立つとした、単一知性説と、単一電子説は、符合するところがあるように、思われます。量子もつれの現象にも、関連を思わざるを得ません。
     小林先生が、存在論と量子論を如何に関連付けされるか、大変楽しみですが、私の問題意識にも関係するのかどうか、お教え下さると嬉しいです。
     (note 人間に流れる二つの情報系統 谷口茂)

  • @user-ve5gg6zk8f
    @user-ve5gg6zk8f ปีที่แล้ว +3

    「アンダルシアの犬」より「シュレディンガーの猫」が気になります。😂