【小林康夫】存在とは何か②。承認なくして存在は不可能か。他者と自己との関係について考える
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- เผยแพร่เมื่อ 15 ต.ค. 2024
- #小林康夫、#存在の冒険、#哲学
「存在とは何か」という問いには「他者」の存在が切り離せないものだと思います。〈わたし〉という存在は、他者の承認なしにはあり得ないのか。
傷つけ、傷つけられもする他者との関係について、哲学者の小林康夫さんにお話を伺います。
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小林先生!楽しい授業ありがとう😭
動画を拝見しました。とてもおもしろかったです。とくに個人的に心に残ったことは、「芸術家は承認の有無に関わらず創作するのではないか」ということについてでした。私は絵を描いたり教えたりしながら生きてきましたので、このような問いを自らに投げかけることがありました。
以下、私が思うことを書いてみます。
芸術家は人に認めらる認められないという承認欲求とは無縁である という一般通念について
私の経験に照らしてみると一見そういうふうに見える面もありますが、本質的にはそうではないと思います。つまり承認欲求と無関係なのではなく、むしろ、他人のせいにはできないような状態に身を置くことで承認の有無に左右されることを避けているのだと思うのです。
自分勝手なことをしてそれが他人に歓迎されることはあまりないように、自分勝手に創作したものを他人が良いと思うこともあまりないことは了承してもらえることと思います。でも勝手になにか創作することは悪いことではなく、むしろ良いこととされる常識の下で承認されるのでしょう。人々から歓迎されるものを創ることができる人はその才能を承認されそれなりの創作を続けるでしょうが、それは稀でありほとんどの芸術家はそうではないこともまた了承されることと思います。
芸術家として評価されなかったり社会的成功を得ることができなくても、不満を持つことなく誰のせいにもできない状態に身を置くこと、そのことにより自らの為してきた創作それ自体に満足せざるを得なくさせること。突き詰めて言えば、自分勝手な創作に生きることを守り切ることによって自己満足せざるを得ない場所に自らを追い込む。これはすこし苦しいことではありますが、他人のせいにするようなことを回避することができます。
さらに、他人や社会のせいにできないことによって、社会が共有する価値観などから距離を取ることができるし、自分以外の人や社会に要求を向けることを回避できます。自ら為す創作は自らに向けられた欲求であって他者へ向けられた欲求は虚しいものであるとの認識に至ることもできます。こういったことから、承認されなくとも創作を続けることができるのだと思うのです。
小林先生、やっぱり大好き。このような動画上げてくださっていつもありがとうございます^^