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昭和33年ですか。それからわずか6年後に東海道新幹線の営業運転をも実現させてるなんて…。やっぱ当時の日本人は神がかってる。
久しぶりに見ごたえのあるTH-cam動画に出会いました。ありがとうございます!
父が京都出身で東京勤務だったので幼い頃から「こだま」に乗っていましたが、幼児には非常に長く退屈な時間だった記憶が有ります。そんな私を父はよく食堂車に連れて行きアイスクリームを食べさせてくれました。其の後に乗った新幹線「ひかり号」は、まるで宇宙船みたいな感じがしました。
この動画だと、151系の高速度試験は営業運転の前に行われたような解説に見えますが、実際は151系が営業運転を開始した翌年に行われています。高速度試験の結果は後に東海道新幹線の開発に生かされました。
新幹線開業前の高速度試験の奴でしたね
線路のカーブでの脱線を防ぐ為、「カント」を付けました。
当時の特急が新幹線よりカッコ良く感じるのは年のせいか
分かる新幹線もかっこいいんだけど、それと同じぐらい特急もかっこいい
11:58 複写温度計→輻射温度計では? 金属が高温になったときに赤外線などの電磁波を発生する現象を黒体輻射と呼び、温度が上がるとともに輻射の波長が短くなり、赤外線から可視光線の暗赤色から橙、黄…と変化する訳だけど、ブレーキディスクの過熱に伴い、輻射が起こるのを測定するのではと思われるのですが。尚、「輻射」という言葉は「放射」ともいい、wikipediaでは「放射温度計」として紹介してありますね。
昔の記録映像ってBGMとか無駄に重厚感有って好きですw アナログの様々な計測器と人材総動員して取り組んでるのがいかにも"開発"って感じでこれまた好きですwww 動画ありがとうございました。
レトロティックな動画でとても楽しめました。次回作にも期待しています。
やっぱり日本の技術は凄い!ものづくり日本の真髄を見た気がします。いゃ〜ワクワクする作品でした。主様ありがとうございました。
私の生まれた年です。つまり66年前にこれだけの技術ですから驚きです。でも技術者は様々な工夫してセンサーを作っていたのが解りますね。私も技術者だから解りますが、要望を満たす為の検査ですから技術の技術ですからね。素晴らしい日本の鉄道技術です。
これはいい動画
ありがとうございます!
@@西尾治 今後も、こう言う動画が、欲しいですね!!
テスト実況の読上げのアナウンスの正確で美しいことよ
ロマンを感じる
貨物電車で130㎞/h当時の人に見せてあげたい
1435mmは標準軌でそれより広いロシアの1520mmとかが広軌ではなかったかと、確かに狭軌よりは広いけど
当時の国鉄は1067mmを標準軌、1435mmを広軌と呼んでて、後の世にそれぞれ狭軌、標準軌と呼ぶように改められたので、それに倣って1435mmを標準軌と言ってるんでしょう…と思ったけど1067mmを狭軌と言ってるのでこれはチグハグだ
@@Penntyann 国内標準軌は狭軌1067,広軌1435は国際標準軌なので何の齟齬もない。当時(1975前くらい)はそんなもの。
自分も1435mmより大きいのが広軌って認識でした。狭軌か広軌かの区別基準になるのが標準軌ですからね。
こういった先人の方たちの努力が現在の世界トップクラスと言われる日本の鉄道技術に受け継がれてるんですね。日本の鉄道が最初から標準軌を採用してたら、もっと乗り心地やスピードが活かせたのでは?とよく思ってたけど、逆に狭軌だったからこそさらなる技術に挑戦できたのかな、と思ったり😊
配信を、ありがとうございます。旧・国鉄時代の東海道本線の「 特急こだま号」は、昭和33年でしたか ?昭和35年の国鉄の時刻表は、豊橋駅から東京行きの発車時刻は15時ちょうどでした。子供の頃、東海道本線の沿線に住んでいた私は、この「 特急こだま号 」東京行きの通過を見て、おやつの時間としたものです。時計替わりになっていた。三遠南信の中心地の豊橋駅は「 特急こだま号 」の停車駅だった。
これは新幹線実現への布石です
なかなか良くまとまっています。素晴らしい👍モハ90の功績もきちんと取り上げられているのもグッド😊ただ一ヶ所新幹線は広軌ではなく標準軌。
こだま号は昭和33年登場ですが、151系のスピード試験は昭和34年7月27日〜31日に東海道本線藤枝〜金谷間で実施されましたね。このとき151系補助編成を8両→6両の2M1Tに組み替えられ163キロの新記録を達成しました。しかし空気バネ、エアコン、ペアガラスの特急電車は近鉄10000系に先を越された。国鉄の当時のPR映画ですね。
著作権法違反泥棒動画やで?
151系電車はビュフェ、パーラーカー、ビジネスデスクなどソフト面でも現代を先取りした車両でしたね。
12:06 複写温度計は 輻射温度計(放射温度計)じゃ無いかな。でもとても良い動画ですね。❤
明治時代に標準軌を採用してたらよかったのにな
それが理想ですけどお金がかかりますから、路線網の拡大はかなり遅くなったでしょうね…
@@Caradeniz まず日本の鉄道には制約が多くあるって事を覚えておかなきゃいけないね。交流電化を首都圏でも広めようとしていたみたいだけど、外国みたいに交流電化が有利な所が日本だと少なすぎる。日本の電車方式を広めて行くなら、自ずと直流電化になるのは、歴史が証明している。本来交流電化なんて新幹線だけで十分なんだが、動力分散方式で旅客列車を地方にも広めるなら交流電化は邪道なことぐらいわかる。地方にだって東京・大阪ほどではないにせよ、多く人がいる都市はあるのだから、本来そーいうのは関東関西圏と足並み合わせるのが筋。交流電化にもっと理解求めろとか言う人間いるけど、それって差別に等しいからね。地方の人間からしたら。(電化方式が違ければ、両方走れる車両が必要だが、その車両は開発費がかかるのであまりよろしくない)。標準軌もそうだけど。
電気では周波数50/60Hzも国内で分かれていますからね。これも導入当所の歴史が今も残っています。電車では更に交流/直流もあるから大変と思います。余談ですが、交流60Hz地域でも老舗企業では構内電源が50Hzがあります。創業当時の名残りが未だに残っています。
狭軌に決定した大隈重信も一生一代の不覚と悔やんでいたそうですからね
@@Caradeniz そのほうよかったのでは? 田舎の赤字路線が減っていたのではないでしょうか?
昭和33年以前にこれほどの技術力があったと思うと、日本が高度成長を果たし、他のアジアの国々より数十年早く先進国となったのも当だと思いました。逆に、現在の日本は相対的に進歩していないという印象も受けます。
記憶にある、こだまは、こうやって生まれたんですね。嬉しい気分です。(昭和30年生まれです)
ありがとうございます!続編ゼロ系新幹線をお願いします。
ありがとうございます!まさか、スーパーサンクス頂けるとは思ってなかったので大変励みになります。ちょうど今、ゼロ系新幹線で作ってるところです。今後ともよろしくお願いいたします。
@@日比野照教-d7e 0系新幹線は、昭和39年に、東京🗼から新大阪間、開通ですよ!!だけど、その当時の、動画🎦見たいですね!!
1回目は語尾の「~いた」「~だった」「~であった」が、気になって内容が入ってこなかったので2回見直しました!良い動画です👍
声がなんとなく昭和みたい
年齢的に?
@@アギトサミタ 50代から、60代の間だと、思います。
@@はひ-r7u 音質的に
@@純也多鹿
@@はひ-r7u 年齢的な声というより口調や発声法が昭和のアナウンサーみたいって事でしょ
試験は当時はなかった現・六合駅付近ですね。金谷駅付近の様子が、今とほとんど変わらないのは驚きました。
キハ40のトコトコのんきなローカル線が地元だった俺、社会人になって神戸に来てJR西の新快速に初めて乗った時・・・、驚愕&恐怖した😨😱あまりの爆速と、あまりの爆音に(モハが特にヤバかった💧💧😇👂⚡⚡⚡)今思えば、221系も、223系も、特急こだま号の子孫だったんだろうねー♪😌
旧性能車吊り掛け駆動のクモヤ93000が最高速度175kmで走行しました!
151系こだまは、僅か6年間の運用の後0系新幹線にスターの座を譲った儚さも魅力に感じます。
登場時の「こだま」151系の編成は、豪華編成でしたね。クロ、サロ、モロ、サシ、ほとんどが、グリーン車仕様であったと思います。
登場時は違います
この後踏切事故までが凄いことになる。図書館の鉄道図鑑に詳しい図解が有り、大阪方からクロ、モロ、モロ、サロ、サロ、サシ、サハシ、モハ、モハ、モハ、モハ、クハの優等車5連結ではなかったかなあ。山陽クロは一度見たけど裕福な家でも縁の無い車両でその後すぐ消滅したかと。
この、こだま、ひかり、はもうジオラマでしか走っているのを見ることしか見れないのです、
特急つばめ号、こだま号、そして今現在、東海道新幹線🚄や、山陽新幹線🚅が、開通したのですね!!やっぱり、日本🇯🇵の技術は、凄いものですね!!
十河総裁と島技士長新幹線つながる人たちですねえ。
島秀雄技師長にとって鉄道生活の中で一番嬉しかった出来事は、こだまが走り始めた時だったそうです。
黒澤明の名作「天国と地獄」に出てくる。こだまを借り切って撮影とか酒匂川の家を撮影の邪魔だと言って壊したり。
座席の窓が開かない特急こだま号はトイレの窓だけ7㎝開くとか。
これはすごい
肝心な線路の改良を全く考えていない、莫大な費用が生じるのでは無理とはなから諦めざるおえない状況は理解できるが、新幹線ではそれを見事に克服、国鉄の技術陣はよくやった。
しかし国鉄の地方蔑視はいただけなかったなぁ。地方にだって人はいるはずなのに、地方に電車はいらんとか言って客車列車を随分と遅くまで走らせていたそうだけど、地方にだって人はいる訳だから、電車に旅客車を統一すべきだったんじゃないの?って思う所は多々ある。今更動力集中方式を旅客列車に残しておく意味もないだろうに、国鉄はそれを地方だからという理由で改革せずに放置した事が許せない。地方だって利用している人間はいる訳だから、電車を地方に走らせるべきなんじゃないのかって。
何言うてんねん!田舎は今でも大概非電化だが😉
出典元の動画のナレーションをほぼなぞってるだけで、敬意を感じません。
亡くなったじいちゃんばあちゃんが、こだまで新婚旅行行ったって言ってて、年計算おかしくね?って思ったけど、この列車の存在を知ってスッキリしたんよね(*´ω`*)
面白い😊
この時代、ディスクブレーキっは凄いと思う。ヂャンルは全く違うけどル・マンでジャガーC-typeがレーシングカーで世界で初めてディスクブレーキを使ったのが、その僅か5年前の1953年だった気がした。理論上、性能的に良い事は知られてはいたが、安全面で実用上は、まだまだ海の物とも山の物ともつかない存在だった…実験検証の賜物なんだとおも。
新幹線は標準軌❤
楽しそう、喜んで仕事をしている労働者が進んで働いている、共産主義素晴らしい
つか冒頭のC62+12系めちゃめちゃはえ〜
国鉄時代の鉄臭い列車に乗りたくなる動画だね。今思えばそんなに速くなくてもいいんじゃないかと思う。売店で時刻表、プラスチックの容器に入った緑茶、冷凍みかん、ゆでたまごを買って長時間乗って楽しみたい。
高崎線の回復運転で120kmをフツーに走ってたが、今じゃ当たり前だけど、この当時は大変な技術が必要だったのね…
当時としては素晴らしかったのですが、1978年、南アフリカの機関車に245km/h出されてしまうと、もう対抗出来なかったし、同じ頃、台湾の1M4T電車の登場で、完全に色褪せてしまったのは残念。
今のJRの完璧な礎だ!
8:22 広軌1435mm× これは標準軌だよ~!
新プロジェクトXよりもおもしろい、緊迫感が伝わります。
プロジェクトXのようなナレーションですね。
新幹線は標準軌ですよね?
初代小田急ロマンスカーの最高速記録運転は、JRの線路を借りて実験したような話を聞いています。線路幅が、同じだから🎵直線路で、試してご覧よ!という感じだったのかな?☺️
その通りです。小田急線ではカーブが多く速度が出しにくいと言う理由で、国鉄東海道線金谷~藤枝間で最高速度141kmをたたき出しました。小田急では新宿~箱根湯本間を60分で結ぶ目標がありましたので、速度を出すことにも意欲的でした。ただ、小田急の目標達成が出来たのは、ここ数年の話ですが。😮
@@4126org さま。60分は新宿~小田原では?
ナレーションが久米明さんみたいでなんか笑えた、すみません
11:53 複写温度計「複写」の字は、たぶんこっちの「輻射」ではないでしょうか?輻射熱という用語があるので、非接触式、ディスクブレーキが制動をかける時、挟まれたディスクが摩擦熱で生じる熱を赤外線の形で放射するので、その赤外線を計測する温度計のことを指しているんだと思います。訂正してください。
見ていてドキドキしたぞ。
いやこれはダメだろ…元動画の完全パクリじゃん…
なるほど🧐そうだったんですね。道理で綺麗すぎる映像が流れているなぁ、と。どこでこんな映像手に入れたのか?とは思ってました。
線路にアノ紙が…。色々と大変でしょうね。
19:47 あれだけ2のことを「フタ」と読んでたのになぜかここだけ「ニ」と読んでるのが気になりました
ちなみに新幹線開業直前に事故起こり153系が変わりに走ってた😂急行形による特急運用、その後は日光特急157?が新幹線開業まで走ってたと言う点でも151系、のちの181系は伝説だな😅
線路の保守点検維持があっての実現です。だがしかしそんな地味はバエないから封印される悲しさw
川重の神戸工場で、長いことこだまが展示されてたけど…今は無いんでしょうね(^_^;)
兵庫工場の事ですかね?まだありますよ!
@@frankusendo1365 さん今でも有るんですか(゚∀゚)最近は全く通らないのですが尻池の交差点を少し下がって東向きの一通に川重の工場の西角にあったこだまを見るのが楽しみでした~(^^)/
@@水野祐樹-s2f まさにその場所です!笑
C62のコンロッド恐ろしい勢いで往復しとるなぁ。バランサシャフトがあったら振動が減ったかな?151系はT車2両外した分、M車2両足してたらもっと速かったかな?
生まれたときには既に、新幹線がなんとかありましたから…😅
電圧1600V!そりゃ速度アップ
複写じゃなく輻射ですね
狭軌で線路敷くとか狂気の沙汰だな。
語尾のクセが強いんじゃ!
これを新造のC62で行い山陰本線を走らせたい。もちろんいろんな改良を加えたうえでだ。
輻射でしょう?温度計
電車に高速化には架線の張力も大事です
新幹線の無い時代のこの記録でもっていまだに狭軌最高速200KM不可能説を唱えるのがいる。
技術的には狭軌の方が速度は上げやすいと唱える技術者もいる。車体の小さいことも前提。仮に車体の断面積が半分だと空気抵抗も約半分(前面、摩擦共)、モーターの出力は保持でき、台車躯体の重さは4割減。3.4mから2.5mにするとこのような結果を得られる。1435で350km/hなら、計算上は1067で495km/h出せることとなる。
複写は輻射
C国の皆さんに見せてあげたい…技術はこうやって一つ一つ地道に積み上げていくもの…他国に教えもらった技術を我が国の鉄道技術は世界一とかほざいてないで
プロジェクトXの発音?(笑)
た た た た
ご近所の共同開発という技術を盗むことしかできない国々に見せてあげたい。
プロジェクトX
おお、電動車率上げたのか!。ちなみにがせんは聞いた事無かったですが、普通にシンプルカテナリーとか呼んでました。
動力分散方式、蒸気機関じゃ出来ないわなw
その動力集中方式とやらを何故地方から消さなかったのかわからない。
@@asokai2346 動力源が分散する⇒その分整備費用、時間が掛かる。コストが増大する。分散するほどの高速では地方は走らない。無駄に地方の運賃上げるよりマシだな。
昭和50年代後半まで、分散・集中以前に混合列車あったが(乗ったオッサン)😉
@@psychedelicraspberry517 目的地別の2編成を機関車込みで繋いでいた、ということですか?
いや、客車+貨車😉
輻射温度計な
技術者の苦労もさることながら、鉄道員総裁後藤新平が提案した標準軌化を1919年に原敬首相が潰してから、40年後の昭和33年でもその頸木に煩わされて高速大量輸送の邪魔になっていたんだなと政治家の先見の明の有無が後世の人に与える影響を痛感した。当時標準軌化に金がかかるからそんな金があるなら新規路線拡充に使ったほうがいいという判断だったようだが、政治家の我田引鉄に翻弄されて今の赤字ローカル線を大量に生み出しただけという印象を受ける。その当時の「金はないから中断」はいいとしてもその後の経済成長で「金があってもやらなかった」のはどういうことなのか。この先、100年、200年後も狭軌のままで鉄道事業をやるつもりなのか政治家や鉄道関係者の覚悟を訊いてみたいものだ。
金があってもやらなかった⇒×。金があっても出来なかった。⇒〇。既存の路線止める気かよ?経済止まるぞ。もと考えてから書き込もうな。少なくとも当時の政治家は現実を見ようともしないアンタより賢かっただろうよ。
@@七誌権兵衛-p3f 京成電鉄は1950年代に運転を継続したまま全線を1435mmに改軌してますよ。
その通り、原敬は日本の夢の多くを潰し、軍事予算を増強して世界の敵となると共に日本の未来の指針を失いました。私は生涯をかけて原内閣の欺瞞と虚偽を暴く所存です。兵役忌避田中角栄はまさしく精神に於いて原敬の直系の卑属です。盛岡や長岡の人間がトップだと国は危ういです。
間もなくオリンピックを始める国はこの2年前の昭和31年に機関車列車が時速330キロを木の枕木の線路で出しましたね。日本の倍以上の速さ。そして現在はというと東京〜新大阪間の表定速度はたったの時速225キロですが北京〜上海間の表定速度はなんと時速305キロと圧倒的な差になっている。
機動車だけの最高速チャレンジの数字だしなぁ…東京~新大阪間は車両の性能じゃ無く、線路を引いた場所の設定で表定速度が制限されるのでもうしゃあない
静岡県がうるさいこと言わなきゃもう再逆転してましたね。地震期だし火山島だし洪積世の岩盤じゃなくて沖積世の軟弱地盤だし、今の速さで今の安全性なら文句なんかないです。早く飛び回って仕事片付けても仕事増えちゃって楽にならないって皆わかっちゃったしなぁw
まあ、日本は正面衝突なんてしないし、穴ほって埋めたりしないんでね。はずかしー😂😂
湯浅弁護士みたいな語り口w
ロコやな
聞きにくいナレーションだ。
窓か開かないから駅弁かか
川崎重工😮 玄関に飾ってる😮
床下モーター 騒音はわかるけど 揺れはなんで 軽い客車の下に重いモーターを乗せるので重心は安定するのでは? もしかしてモーター回転のジャイロ効果とかあるのかな???
軸重が増加し、当時はたくさんあったレールの継ぎ目での振動が大きいとされた
昭和33年ですか。それからわずか6年後に東海道新幹線の営業運転をも実現させてるなんて…。
やっぱ当時の日本人は神がかってる。
久しぶりに見ごたえのあるTH-cam動画に出会いました。ありがとうございます!
父が京都出身で東京勤務だったので幼い頃から「こだま」に乗っていましたが、幼児には非常に長く退屈な時間だった記憶が有ります。そんな私を父はよく食堂車に連れて行きアイスクリームを食べさせてくれました。其の後に乗った新幹線「ひかり号」は、まるで宇宙船みたいな感じがしました。
この動画だと、151系の高速度試験は営業運転の前に行われたような解説に見えますが、実際は151系が営業運転を開始した翌年に行われています。高速度試験の結果は後に東海道新幹線の開発に生かされました。
新幹線開業前の高速度試験の奴でしたね
線路のカーブでの脱線を防ぐ為、「カント」を付けました。
当時の特急が新幹線よりカッコ良く感じるのは年のせいか
分かる新幹線もかっこいいんだけど、それと同じぐらい特急もかっこいい
11:58 複写温度計→輻射温度計では? 金属が高温になったときに赤外線などの電磁波を発生する現象を黒体輻射と呼び、温度が上がるとともに輻射の波長が短くなり、赤外線から可視光線の暗赤色から橙、黄…と変化する訳だけど、ブレーキディスクの過熱に伴い、輻射が起こるのを測定するのではと思われるのですが。尚、「輻射」という言葉は「放射」ともいい、wikipediaでは「放射温度計」として紹介してありますね。
昔の記録映像ってBGMとか無駄に重厚感有って好きですw アナログの様々な計測器と人材総動員して取り組んでるのがいかにも"開発"って感じでこれまた好きですwww 動画ありがとうございました。
レトロティックな動画でとても楽しめました。次回作にも期待しています。
やっぱり日本の技術は凄い!ものづくり日本の真髄を見た気がします。いゃ〜ワクワクする作品でした。主様ありがとうございました。
私の生まれた年です。つまり66年前にこれだけの技術ですから驚きです。でも技術者は様々な工夫してセンサーを作って
いたのが解りますね。私も技術者だから解りますが、要望を満たす為の検査ですから技術の技術ですからね。
素晴らしい日本の鉄道技術です。
これはいい動画
ありがとうございます!
@@西尾治 今後も、こう言う動画が、欲しいですね!!
テスト実況の読上げのアナウンスの正確で美しいことよ
ロマンを感じる
貨物電車で130㎞/h
当時の人に見せてあげたい
1435mmは標準軌でそれより広いロシアの1520mmとかが広軌ではなかったかと、確かに狭軌よりは広いけど
当時の国鉄は1067mmを標準軌、1435mmを広軌と呼んでて、後の世にそれぞれ狭軌、標準軌と呼ぶように改められたので、それに倣って1435mmを標準軌と言ってるんでしょう
…と思ったけど1067mmを狭軌と言ってるのでこれはチグハグだ
@@Penntyann 国内標準軌は狭軌1067,広軌1435は国際標準軌なので何の齟齬もない。当時(1975前くらい)はそんなもの。
自分も1435mmより大きいのが広軌って認識でした。狭軌か広軌かの区別基準になるのが標準軌ですからね。
こういった先人の方たちの努力が現在の世界トップクラスと言われる日本の鉄道技術に受け継がれてるんですね。
日本の鉄道が最初から標準軌を採用してたら、もっと乗り心地やスピードが活かせたのでは?とよく思ってたけど、逆に狭軌だったからこそさらなる技術に挑戦できたのかな、と思ったり😊
配信を、ありがとうございます。
旧・国鉄時代の東海道本線の「 特急こだま号」は、昭和33年でしたか ?
昭和35年の国鉄の時刻表は、豊橋駅から東京行きの発車時刻は15時ちょうどでした。
子供の頃、東海道本線の沿線に住んでいた私は、この「 特急こだま号 」東京行きの通過を見て、おやつの時間としたものです。
時計替わりになっていた。
三遠南信の中心地の豊橋駅は「 特急こだま号 」の停車駅だった。
これは新幹線実現への布石です
なかなか良くまとまっています。素晴らしい👍モハ90の功績もきちんと取り上げられているのもグッド😊ただ一ヶ所新幹線は広軌ではなく標準軌。
こだま号は昭和33年登場ですが、151系のスピード試験は昭和34年7月27日〜31日に東海道本線藤枝〜金谷間で実施されましたね。
このとき151系補助編成を8両→6両の2M1Tに組み替えられ163キロの新記録を達成しました。
しかし空気バネ、エアコン、ペアガラスの特急電車は近鉄10000系に先を越された。
国鉄の当時のPR映画ですね。
著作権法違反泥棒動画やで?
151系電車はビュフェ、パーラーカー、ビジネスデスクなどソフト面でも現代を先取りした車両でしたね。
12:06 複写温度計は 輻射温度計(放射温度計)じゃ無いかな。
でもとても良い動画ですね。❤
明治時代に標準軌を採用してたらよかったのにな
それが理想ですけどお金がかかりますから、路線網の拡大はかなり遅くなったでしょうね…
@@Caradeniz まず日本の鉄道には制約が多くあるって事を覚えておかなきゃいけないね。交流電化を首都圏でも広めようとしていたみたいだけど、外国みたいに交流電化が有利な所が日本だと少なすぎる。日本の電車方式を広めて行くなら、自ずと直流電化になるのは、歴史が証明している。本来交流電化なんて新幹線だけで十分なんだが、動力分散方式で旅客列車を地方にも広めるなら交流電化は邪道なことぐらいわかる。地方にだって東京・大阪ほどではないにせよ、多く人がいる都市はあるのだから、本来そーいうのは関東関西圏と足並み合わせるのが筋。交流電化にもっと理解求めろとか言う人間いるけど、それって差別に等しいからね。地方の人間からしたら。(電化方式が違ければ、両方走れる車両が必要だが、その車両は開発費がかかるのであまりよろしくない)。標準軌もそうだけど。
電気では周波数50/60Hzも国内で分かれていますからね。
これも導入当所の歴史が今も残っています。
電車では更に交流/直流もあるから大変と思います。
余談ですが、交流60Hz地域でも老舗企業では構内電源が50Hzがあります。
創業当時の名残りが未だに残っています。
狭軌に決定した大隈重信も一生一代の不覚と悔やんでいたそうですからね
@@Caradeniz そのほうよかったのでは? 田舎の赤字路線が減っていたのではないでしょうか?
昭和33年以前にこれほどの技術力があったと思うと、日本が高度成長を果たし、他のアジアの国々より数十年早く先進国となったのも当だと思いました。
逆に、現在の日本は相対的に進歩していないという印象も受けます。
記憶にある、こだまは、こうやって生まれたんですね。嬉しい気分です。(昭和30年生まれです)
ありがとうございます!
続編ゼロ系新幹線をお願いします。
ありがとうございます!
まさか、スーパーサンクス頂けるとは思ってなかったので大変励みになります。
ちょうど今、ゼロ系新幹線で作ってるところです。
今後ともよろしくお願いいたします。
@@日比野照教-d7e 0系新幹線は、昭和39年に、東京🗼から新大阪間、開通ですよ!!だけど、その当時の、動画🎦見たいですね!!
1回目は語尾の
「~いた」「~だった」「~であった」
が、気になって内容が入ってこなかったので2回見直しました!
良い動画です👍
声がなんとなく昭和みたい
年齢的に?
@@アギトサミタ 50代から、60代の間だと、思います。
@@はひ-r7u 音質的に
@@純也多鹿
@@はひ-r7u
年齢的な声というより口調や発声法が昭和のアナウンサーみたいって事でしょ
試験は当時はなかった現・六合駅付近ですね。
金谷駅付近の様子が、今とほとんど変わらないのは驚きました。
キハ40のトコトコのんきなローカル線が地元だった俺、
社会人になって神戸に来てJR西の新快速に初めて乗った時・・・、驚愕&恐怖した😨😱
あまりの爆速と、あまりの爆音に(モハが特にヤバかった💧💧😇👂⚡⚡⚡)
今思えば、221系も、223系も、特急こだま号の子孫だったんだろうねー♪😌
旧性能車吊り掛け駆動のクモヤ93000が最高速度175kmで走行しました!
151系こだまは、僅か6年間の運用の後0系新幹線にスターの座を譲った儚さも魅力に感じます。
登場時の「こだま」151系の編成は、豪華編成でしたね。クロ、サロ、モロ、サシ、ほとんどが、グリーン車仕様であったと思います。
登場時は違います
この後踏切事故までが凄いことになる。図書館の鉄道図鑑に詳しい図解が有り、大阪方からクロ、モロ、モロ、サロ、サロ、サシ、サハシ、モハ、モハ、モハ、モハ、クハの優等車5連結ではなかったかなあ。山陽クロは一度見たけど裕福な家でも縁の無い車両でその後すぐ消滅したかと。
この、こだま、ひかり、はもうジオラマでしか走っているのを見ることしか見れないのです、
特急つばめ号、こだま号、そして今現在、東海道新幹線🚄や、山陽新幹線🚅が、開通したのですね!!やっぱり、日本🇯🇵の技術は、凄いものですね!!
十河総裁と島技士長新幹線つながる人たちですねえ。
島秀雄技師長にとって鉄道生活の中で一番嬉しかった出来事は、こだまが走り始めた時だったそうです。
黒澤明の名作「天国と地獄」に出てくる。こだまを借り切って撮影とか酒匂川の家を撮影の邪魔だと言って壊したり。
座席の窓が開かない特急こだま号はトイレの窓だけ7㎝開くとか。
これはすごい
肝心な線路の改良を全く考えていない、莫大な費用が生じるのでは無理とはなから諦めざるおえない状況は理解できるが、新幹線ではそれを見事に克服、国鉄の技術陣はよくやった。
しかし国鉄の地方蔑視はいただけなかったなぁ。地方にだって人はいるはずなのに、地方に電車はいらんとか言って客車列車を随分と遅くまで走らせていたそうだけど、地方にだって人はいる訳だから、電車に旅客車を統一すべきだったんじゃないの?って思う所は多々ある。今更動力集中方式を旅客列車に残しておく意味もないだろうに、国鉄はそれを地方だからという理由で改革せずに放置した事が許せない。地方だって利用している人間はいる訳だから、電車を地方に走らせるべきなんじゃないのかって。
何言うてんねん!田舎は今でも大概非電化だが😉
出典元の動画のナレーションをほぼなぞってるだけで、敬意を感じません。
亡くなったじいちゃんばあちゃんが、こだまで新婚旅行行ったって言ってて、年計算おかしくね?って思ったけど、この列車の存在を知ってスッキリしたんよね(*´ω`*)
面白い😊
この時代、ディスクブレーキっは凄いと思う。ヂャンルは全く違うけどル・マンでジャガーC-typeがレーシングカーで世界で初めてディスクブレーキを使ったのが、その僅か5年前の1953年だった気がした。
理論上、性能的に良い事は知られてはいたが、安全面で実用上は、まだまだ海の物とも山の物ともつかない存在だった…実験検証の賜物なんだとおも。
新幹線は標準軌❤
楽しそう、喜んで仕事をしている
労働者が進んで働いている、共産主義素晴らしい
つか冒頭のC62+12系めちゃめちゃはえ〜
国鉄時代の鉄臭い列車に乗りたくなる動画だね。今思えばそんなに速くなくてもいいんじゃないかと思う。
売店で時刻表、プラスチックの容器に入った緑茶、冷凍みかん、ゆでたまごを買って長時間乗って楽しみたい。
高崎線の回復運転で120kmをフツーに走ってたが、今じゃ当たり前だけど、この当時は大変な技術が必要だったのね…
当時としては素晴らしかったのですが、1978年、南アフリカの機関車に245km/h出されてしまうと、もう対抗出来なかったし、同じ頃、台湾の1M4T電車の登場で、完全に色褪せてしまったのは残念。
今のJRの完璧な礎だ!
8:22 広軌1435mm× これは標準軌だよ~!
新プロジェクトXよりもおもしろい、緊迫感が伝わります。
プロジェクトXのようなナレーションですね。
新幹線は標準軌ですよね?
初代小田急ロマンスカーの最高速記録運転は、JRの線路を借りて実験したような話を聞いています。線路幅が、同じだから🎵直線路で、試してご覧よ!という感じだったのかな?☺️
その通りです。小田急線ではカーブが多く速度が出しにくいと言う理由で、国鉄東海道線金谷~藤枝間で最高速度141kmをたたき出しました。
小田急では新宿~箱根湯本間を60分で結ぶ目標がありましたので、速度を出すことにも意欲的でした。
ただ、小田急の目標達成が出来たのは、ここ数年の話ですが。
😮
@@4126org さま。60分は新宿~小田原では?
ナレーションが久米明さんみたいでなんか笑えた、すみません
11:53 複写温度計
「複写」の字は、たぶんこっちの「輻射」ではないでしょうか?
輻射熱という用語があるので、非接触式、ディスクブレーキが制動をかける時、挟まれたディスクが摩擦熱で生じる熱を赤外線の形で放射するので、その赤外線を計測する温度計のことを指しているんだと思います。
訂正してください。
見ていてドキドキしたぞ。
いやこれはダメだろ…元動画の完全パクリじゃん…
なるほど🧐そうだったんですね。道理で綺麗すぎる映像が流れているなぁ、と。どこでこんな映像手に入れたのか?とは思ってました。
線路にアノ紙が…。
色々と大変でしょうね。
19:47 あれだけ2のことを「フタ」と読んでたのになぜかここだけ「ニ」と読んでるのが気になりました
ちなみに新幹線開業直前に事故起こり153系が変わりに走ってた😂
急行形による特急運用、その後は日光特急157?が新幹線開業まで走ってたと言う点でも151系、のちの181系は伝説だな😅
線路の保守点検維持があっての実現です。だがしかしそんな地味はバエないから封印される悲しさw
川重の神戸工場で、
長いことこだまが展示されてたけど…
今は無いんでしょうね(^_^;)
兵庫工場の事ですかね?まだありますよ!
@@frankusendo1365 さん
今でも有るんですか(゚∀゚)
最近は全く通らないのですが尻池の交差点を少し下がって東向きの一通に川重の工場の西角にあったこだまを見るのが楽しみでした~(^^)/
@@水野祐樹-s2f まさにその場所です!笑
C62のコンロッド恐ろしい勢いで往復しとるなぁ。
バランサシャフトがあったら振動が減ったかな?
151系はT車2両外した分、M車2両足してたらもっと速かったかな?
生まれたときには既に、新幹線がなんとかありましたから…😅
電圧1600V!そりゃ速度アップ
複写じゃなく輻射ですね
狭軌で線路敷くとか狂気の沙汰だな。
語尾のクセが強いんじゃ!
これを新造のC62で行い山陰本線を走らせたい。もちろんいろんな改良を加えたうえでだ。
輻射でしょう?温度計
電車に高速化には架線の張力も大事です
新幹線の無い時代のこの記録でもっていまだに狭軌最高速200KM不可能説を唱えるのがいる。
技術的には狭軌の方が速度は上げやすいと唱える技術者もいる。車体の小さいことも前提。仮に車体の断面積が半分だと空気抵抗も約半分(前面、摩擦共)、モーターの出力は保持でき、台車躯体の重さは4割減。3.4mから2.5mにするとこのような結果を得られる。1435で350km/hなら、計算上は1067で495km/h出せることとなる。
複写は輻射
C国の皆さんに見せてあげたい…技術はこうやって一つ一つ地道に積み上げていくもの…他国に教えもらった技術を
我が国の鉄道技術は世界一とかほざいてないで
プロジェクトXの発音?(笑)
た た た た
ご近所の共同開発という技術を盗むことしかできない国々に見せてあげたい。
プロジェクトX
おお、電動車率上げたのか!。ちなみにがせんは聞いた事無かったですが、普通にシンプルカテナリーとか呼んでました。
動力分散方式、
蒸気機関じゃ出来ないわなw
その動力集中方式とやらを何故地方から消さなかったのかわからない。
@@asokai2346
動力源が分散する⇒その分整備費用、時間が掛かる。コストが増大する。分散するほどの高速では地方は走らない。無駄に地方の運賃上げるよりマシだな。
昭和50年代後半まで、分散・集中以前に混合列車あったが(乗ったオッサン)😉
@@psychedelicraspberry517
目的地別の2編成を
機関車込みで繋いでいた、
ということですか?
いや、客車+貨車😉
輻射温度計な
技術者の苦労もさることながら、鉄道員総裁後藤新平が提案した標準軌化を1919年に原敬首相が潰してから、40年後の昭和33年でもその頸木に煩わされて高速大量輸送の邪魔になっていたんだなと政治家の先見の明の有無が後世の人に与える影響を痛感した。当時標準軌化に金がかかるからそんな金があるなら新規路線拡充に使ったほうがいいという判断だったようだが、政治家の我田引鉄に翻弄されて今の赤字ローカル線を大量に生み出しただけという印象を受ける。
その当時の「金はないから中断」はいいとしてもその後の経済成長で「金があってもやらなかった」のはどういうことなのか。この先、100年、200年後も狭軌のままで鉄道事業をやるつもりなのか政治家や鉄道関係者の覚悟を訊いてみたいものだ。
金があってもやらなかった⇒×。金があっても出来なかった。⇒〇。既存の路線止める気かよ?経済止まるぞ。もと考えてから書き込もうな。少なくとも当時の政治家は現実を見ようともしないアンタより賢かっただろうよ。
@@七誌権兵衛-p3f 京成電鉄は1950年代に運転を継続したまま全線を1435mmに改軌してますよ。
その通り、原敬は日本の夢の多くを潰し、軍事予算を増強して世界の敵となると共に日本の未来の指針を失いました。私は生涯をかけて原内閣の欺瞞と虚偽を暴く所存です。兵役忌避田中角栄はまさしく精神に於いて原敬の直系の卑属です。盛岡や長岡の人間がトップだと国は危ういです。
間もなくオリンピックを始める国はこの2年前の昭和31年に機関車列車が時速330キロを木の枕木の線路で出しましたね。日本の倍以上の速さ。
そして現在はというと東京〜新大阪間の表定速度はたったの時速225キロですが北京〜上海間の表定速度はなんと時速305キロと圧倒的な差になっている。
機動車だけの最高速チャレンジの数字だしなぁ…
東京~新大阪間は車両の性能じゃ無く、線路を引いた場所の設定で表定速度が制限されるのでもうしゃあない
静岡県がうるさいこと言わなきゃもう再逆転してましたね。
地震期だし火山島だし洪積世の岩盤じゃなくて沖積世の軟弱地盤だし、
今の速さで今の安全性なら文句なんかないです。
早く飛び回って仕事片付けても仕事増えちゃって楽にならないって皆わかっちゃったしなぁw
まあ、日本は正面衝突なんてしないし、穴ほって埋めたりしないんでね。
はずかしー😂😂
湯浅弁護士みたいな語り口w
ロコやな
聞きにくいナレーションだ。
窓か開かないから
駅弁かか
川崎重工😮 玄関に飾ってる😮
床下モーター 騒音はわかるけど 揺れはなんで 軽い客車の下に重いモーターを乗せるので重心は安定するのでは? もしかしてモーター回転のジャイロ効果とかあるのかな???
軸重が増加し、当時はたくさんあったレールの継ぎ目での振動が大きいとされた