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昔は良かった、と言うけど、現代で良かったです
ホントそうですね^^;
むしろ日本でよかっただと思うんだ😅動画内対比として挙げられてるフランスは今年のパリ五輪ではセーヌ河泳いだ選手から大腸菌感染症者が出たが東京五輪では出てないから衛生環境はだいぶまし
いい所と悪い所があると言うことだろ。
昔すぎやろ。80〜90年代ならマジ最高!
この動画くらいの昔は嫌やなでも今は今でコンプラ等うるさいし◯◯ハラ過剰だしZ世代は糞だらけだし嫌な世の中よ昭和末期から平成初期のバブル期あたりが丁度いいわ
今では外国人が1番驚くのが日本のトイレの綺麗さだと言いますが、この動画はそこまでたどり着くのに、どれだけ先人の努力があったかを知ることができる貴重な資料ですね。今の小学生とかに教材として見てほしいですね。
今の子供達に見せたら、きっと衝撃を受けると思います^^;
大変貴重な映像ありがとうございました。解説の話術に昭和感満載で秀逸!!
こちらこそ、ありがとうございました^^
頭のいい人が沢山居てくれて助かってます。
目の付け所が素晴らしい!ありがとうございます!
こちらこそ、ありがとうございます!嬉しいです^^
素晴らしいまとめ方 特番を見たかのような中身が濃くて勉強になった!
インフラを作ってくれた先人達に感謝!
それにしてもナレーション凄いなwえらい迫力だ。
子供のころ、バキュームカーが来ると飽くことなく汲み取りを眺めていた自分。大人になったら汲み取り屋になろうと本気で思った。
作業員の連携プレーは中二心をくすぐるもんがあるからねw
パヒュームをバキュームと言い間違えたら爆笑された。
希望したとおり汲み取り屋になれてよかったですね😆😆😆
自分も幼少期の頃、バキュームカーが家に来たらテンション上がって汲み取り作業見てました。平成初期だったけど、田舎なんで下水道はまだ整備されてませんでした。
@@エミール-h6m ずこずこずこ・・・「おくさ~ん、水お願いします」
一番考えたくないけど避けて通れない話ですよね。僕は昭和39年生まれで昭和40年代までは居住地には下水道がなかったので、屎尿は汲み取り屋さんが回収に来てくれて、生活排水はすべて側溝から河川へ垂れ流しでした。なので河川はいつも濁って泡が立っており、どこへ行っても便所臭がしてました。工業排水も海へ垂れ流しで公害が社会問題になっていました。昭和50年代に入り、下水道の普及が進んで街から便所臭が消えていったときはうれしかったです。
私は昭和44年生まれですが、小学生くらいまでは泡のたってる川を見かけた記憶があります。ただ(幸いというべきか?)どこへ言っても便臭がするという状況には遭遇したことがありません^^;。
普通にみんな立小便してたもんなあ・・・
だから検便(蟯虫検査)が必要だった。
昔は「便所汲み」と言っていました。給料が高いといわれており、将来は「便所汲み」になりたいと卒業文集に書く人もいました。当時は葉物野菜は必ずライポンFなどの台所洗剤で洗っていましたね。
わー懐かしい❗便所汲みというワード。
現代に生きる幸せを感じます。江戸時代の作家滝沢馬琴は日記に、口から回虫が出てくることがあると記載しているそうですが、つい数十年前までは同じような世界であったようですね。
口から回虫とは、、、想像するのがコワイです^^;。。
以前勤めていた会社は社屋内に水道はあったがトイレはなく屋外に工事現場で使われている仮設トイレで春と秋にバキュームカーに汲み取りに来てもらっていた。
台湾ではし尿を海に流しています。なので沖縄の漁師は台湾沖の魚を捕らないし食べないそうです。この現在の近代的な屎尿処理方法を台湾にも教えて頂きたいです!!
韓もね。
まさにカラーでないのが救いという貴重な映像ですね…。幼い頃には東京の隅田川沿いに汚わい船の船着き場がありました。しかし潮の流れか船が沖まで行かなかったのか、海水浴場に大量の汚わいが流れ着いてしまい一帯が遊泳禁止になったなんてニュースもあったほど…。
貴重な体験談ありがとうございます!あの頃は、水質汚染も深刻だったんですね…
NHKアーカイブ「カラーでよみがえる 日本の し尿処理の歴史」😮
みんなで遊んでるときにバキュームカーが来ると祭りのような騒ぎでしたねうんこはいつでも人気者
ワハハハハ!!! 正に、“THE昭和”!!!
「トイレット博士」とか
それわかる❕アタシも汲み取り風景を見るのが好きでした。
し尿が海中投棄されるシーンで、大量のイチジク浣腸が写っていますが、昔の人って、そんなに浣腸をしていたのでしょうか?不思議でなりません。
アレ・・・、やっぱりイチジク浣腸なんですね^^;(違うといいな~と思いながら編集してました)
以前は特に子どもの場合など具合が悪くなったらまず浣腸という流れがあって、浣腸はかなり広く使われていたようです。。
私も、幼少時代、よく便秘に苦しんでこともあったので、よく、母親に、浣腸をしていただいたことがあります。段つき和式トイレにしゃがんで、たまっていたうんこが、ぼっとん便所に落ちていくことに、恐怖感を、覚えていました。スカート男子として過ごしているいまは、洋式トイレに腰かけながら、浣腸をしています。いまも、私は、便秘症です。(24‐11‐13)
@@0922あきひろみ 一段上がっての汲み取り式和式便器ですね。その頃どういう姿勢で浣腸されていたんでしょうか? 病院へ連れて行かれてされたこともありますでしょうか?
昔は良かったと言いますが トイレに関しては今の方がいいですね😅 田舎ではまだ汲み取り式ありますよ もう絶対使いません 臭すぎる😅 島に行った時は簡易水洗でしたね たまに汲み取りしないとダメみたいですね
今やウォシュレットの無い生活なんて考えられません。
うちの斜め前にも、まだ汲み取りの家があります^^;
電車の在来線長距離列車など線路上に垂れ流しだと知っていますか?駅など停車中はトイレ禁止はこの為です この線路上の垂れ流しは2002年まであったそうです 新幹線は開通当時から尿便専用タンクがありました。
@@haremono ものすごい匂いですよね😅 当時家よりますが 下に落とす家とちり紙を別にビニール袋にいれてる家ありましたね この当時はトイレットペーパーじゃなくて ちり紙でしたね 置いあるやつでしたね 手洗いもプラスチック製で 下から押して水が出るやつもありましたね
昭和人間だが、まっ茶色になるという噂のし尿海洋投棄の映像を初めてみました。白黒だったのがあの時代を知るせめての救い。
さらに匂いが出なくてよかったね。
昭和51年生まれですが、自宅も学校も汲み取りでバキュームカーが来てましたが、あの匂いは酷かった💦💦学校では定期的にぎょう虫検査も行ってました( > < )
某政令指定都市に住んでた頃、各家庭に配られる「市政たより」に、新造大型屎尿運搬船の紹介があり、「当市から約100キロ沖合の公海上に投棄します」とあった。上空には無数の海鳥の群れとモノクロ写真には海面に帯状に広がるアレが…昭和50年代のお話。海開きの前には保健所による大腸菌検査が実施され、基準値以上だと「遊泳不適」と判断され海水浴場は閉鎖された。海水パンツは洗濯しても臭いが取れない位海は臭かった。
海パンを選択しても匂いがとれないとは、、、生々しい体験段ですね^^;
今も大腸菌検査をするのはその名残なのかな
戦時中の人手と燃料不足のため、なし崩し的に屎尿の地面浸透または河川・海洋投棄が認められる → 戦後の社会体制の混乱と人口が急増したが、復興へのリソースが屎尿対策に注ぎ込めずに放置。昭和30年代の公団団地(現UR賃貸)があこがれの住宅となるのがわかる気がします(内風呂、水洗トイレ完備)
処理方法が確立された時代で生活できることに感謝します^^;
大昔の話だが、田舎の爺さんが火葬場に行き、肥料として畑に蒔くために余ったホネをもらっとった古い火葬炉で低温で一日かけてじっくり焼くお骨は、手でパリパリと砕いていくといい骨粉肥料になるんだ。
昭和初期の衛生観念は凄かったですよ。現在のインド並みでしたね^^;;
現在のインド並みって、想像つきませんが、なんかすごそうなイメージですね^^;
バキュームカーは23区内でも早朝作業してますまだまだ現役ですよ😊知らないだけです😊😊
台東区の某所で見かけますね。
我家の斜め前の家にもたまにバキュームカーがいらっしゃいます^^
確か 工事現場の仮設便所とかビルなんかは 直接下水道に流せず1度浄化槽に受入して流すのですが年1度 浄化槽の汚泥を大抵 早朝に回収してるのを拝見した事があります。
利権がらみで水洗が遅々としてる地域あるのでしょう💦
第二次大戦時、旧米軍は空母の中でトイレットペーパー不足に陥ることがしばしばあり、食事用(コーヒー用)スプーンで、用を足した後、拭いていた(汚れを取っていた)。その後、そのスプーンを熱湯消毒で、食事に用いていたことが記録されております。平和な時代でよかったと思います。
トイレットペーパーは、無いと「マジで焦る」ものの1つですよね^^;
トイレといえば昭和時代の列車トイレ。線路に垂れ流しかつ、夏場は冷房が無い列車が多かったのでその飛沫が容赦なく全開の窓から飛び込んできました。
そのような時代の列車トイレは、段つき和式がほとんどで、しゃがんですることが、列車自身の揺れで、とても使いづらかったです。その後、汚物処理装置が普及し、JRになってからは、洋式化が進み、安心して利用できるようになりました。女子同様に、腰かけてする、スカート男子の私は、洋式化で、安心して、列車の旅が楽になりました。(24‐11‐13)
@@0922あきひろみ和式の列車トイレは男性の場合揺れで的が外れやすくどうしても不衛生になりがちですね。最近の特に特急列車のトイレは洋式で温水洗浄便座が付いているのもあってすごく快適に利用出来るようになりました。腰痛持ちの私も大助かりです。
昭和40年代 子供の頃 何で海辺に浣腸が落ちてるんだ?と思っていた こういう事だった💦
実家の前の甲子園浜にもいっぱい落ちてましたね。そういうことやったんや
やっぱり、「アレ」は浣腸だったんですね^^;(実物を見たことがないもので)
@@ななぼう-z6p 先輩! 当時の甲子園浜を知ってはるという事は、“オーバー70”の世代ですか!?( ゜o゜)
@@oimihimitasumiho こんにちは😊1965年生まれ 来年還暦です。 テトラポットつたっての探検ごっこ まだ健在だった厚生年金プール 良き思い出ですね。 あと玉葱🧅もいっぱい浜辺に打ち上げられてたのも子供心に不思議に思いましたが、あれは淡路島の🧅だと聞いて納得しました😅
@@ななぼう-z6p こりゃまた失礼! 昭和40年の巳歳🐍ですな! 当方は昭和36年🐮歳ですわ! ところで、昭和40年生まれの記憶でしたら、もう既に、甲子園浜は海水浴はでけへんようになってたんとちゃいますか!?
戦後進駐軍は野菜にウンコをぶっかけてるのに度肝を抜かれそんな野菜は絶対食えないってことで、東京府中に進駐軍専用の水耕栽培の農場を作った。味の素スタジアムがある周辺。
水洗トイレが一般家庭にいきわたるのは、やはり””バブル経済”””の恩恵があったと思います。バブルの景気の良い時代に庶民層が一斉に家の建て替えをしたからです。これは地方でも同じで、家の建て替えとともにトイレを水洗化した家が増えました。自治体でも積極的に下水道の整備と、従来の汲み取り式から⇒洋式&水洗トイレの普及を進めました。いずれも空前の景気の良さと資金の豊富さがそれを後押ししたんです。私は日本の本当の近代化は「バブルの時代」に起こった事だと思ってます。
科学技術って、素晴らしいですね。
汲み取り式の便槽に撒く殺虫剤のニオイがまだ記憶に残ってます
ウジ殺し用の白い液体でしたよね。匂い覚えてるなあ...デカいハエも結構いましたよね
10:23中国の南方の田舎では、メタンを発生させる浄化槽を普及させ、浄化槽から生成されるメタンガスをガスコンロで調理しています。浄化槽から出る汚泥は肥料となるので、一石二鳥で素晴らしいと思いました。各家庭から出るし尿をメタン発生浄化槽に集めて処理するものでした。たしか。
白黒映像でよかったとこれほど思った事はないね。
戦後、進駐軍が、日本の、農家が肥料として、農作物に人糞をかけて。いるのを見て、その後、進駐軍は、日本の、野菜を食べなく、なったそうだ!
じいちゃんがやってた畑に撒きに行ったことがある・・・
途上国の衛生水準を馬鹿にするような発言をする人達が稀にいるが、日本でさえ数十年遡れば大差なかったということを忘れるべきではない。
戦後大変な時代があったんですね。勉強になりました!
子供の頃、郊外にし尿処理工場があって肥料化してバラ肥料として販売されていた。
やはり無茶苦茶な昭和だな
貴重な映像で思わず見入ってしまいました!試行錯誤だったのですね💦
素晴らしい動画でした。これからも配信お待ちしております。
すげぇな。誰も意識すらしないと思うであろう、し尿について、ここまで細かくわかる動画ないわ🤯
平成生まれだけど、小学生の6年間、ギョウ虫検査してたな。昭和は名曲がたくさん、昭和の暮らしが懐かしいって、よくテレビでやるけど、公害や衛生、労働時間など、今では考えられない負の面もあったよな。昭和は、凄い時代やったな。
同じく平成初期(2年の生まれ)です。ギョウ虫検査ありましたね。お尻にシールみたいなの貼って検査するみたいな?
ワイも平成2年生まれ(早生まれ)やで。昔の日本人は体内に寄生虫いたんですね。
@@エミール-h6m 奇遇や!おれも平成2年早生まれ!(元年世代)今はギョウ虫検査とかないんやろか
奇遇やな。今は、全国で廃止になったよ。
不衛生な事がまかり通っていたから昭和時代までの小学校では、ぎょう虫検査(通称ポキール)が積極的に行われて且つ、陽性率も結構高かったのですね😂
小学生時代に同じクラスの友人がぎょう虫検査で引っかかってました。2~3日、なんとなくその友人と距離をとってしまう自分がいました^^;
自分のとこにセロハン貼るの嫌がりペットの肛門に貼った結果 アウトになったと言う都市伝説を聴いた覚えが!
@@yuji0026 それは、43年前にビートたけしがオールナイトニッポンで言って広まった作り話
@@75motomon クラスで一番かわいい女の子からぎょう虫が出たと噂がありショックを受けた。
人の排泄物は1日1リットル。体重測定がある職場健康診断が夜勤明けの場合は、夜の起床から翌朝の健康診断終了まで飲まず食わずを貫けばかなり体重は減らせます。
25年前までうちでは汲み取り式だったが停電などで換気扇が停止したら地獄!家じゅう糞尿の臭いで満たされてたな。
ひいいい....
昔 沼や池でバキュームカーの うがいを拝見した覚えが!
恐ろしい光景ですね^^;
@@haremono様 子供ゆえに 何故 ホースを沼や池に入れてるのか解らなかった!大人になり「ガラガラ!ペ〜っ!」をしてた事だと理解しました!
活劇風の解説が昔感を出しているので聞き入ってしまうが、過去の時代の現実ですね。今の日本の衛生感だけは世界的にもトップレベルだと思う。
屎尿処理は一般的にあまり語られないけど実は非常に大切な問題ですよね。啓発に感謝します!
そうですね!現代では当たり前に思えることも、昔は大変だったんですね!
@@haremono氏 昔、近所のバカが汲取り業者に文句を言った「臭いから今日は来るな!」と。業者は怒って今後一切アンタの汲取りはしないから。と言い渡した。数週間後バカの便槽は満タンになり、業者に丁重に詫びを入れた、なんてことがありました。
37年生まれですが海洋投棄は広島の牡蠣の養殖に撒かれていましたね、育ちが農家なのでほとんどが肥料だと思います、小学校に上がる頃にはバキュームカーが走っていましたが収集後の処理は知りませんです。家庭ごみも昭和30年頃までは随分酷かったと聞いています。
ウチの街では平成も終り頃になってもマツダk360(3輪車)のバキュームカーが走ってた。3輪でないと曲がれない入っていけない路地があったから。下水道整備が進んでようやく引退したらしい。
平成の終わり頃にオート三輪を見かけることも、かなりレアだと思いますが、バキュームカーの三輪車というのは、さらにレアですね!
おいおい! 平成の“終わり頃”という事は、ほんの七、八年前だぞ! そんな最近にマツダのK360が仕事で使われてる訳無いっての! そもそも、あんなちっちゃい車を、どうやってバキュームカーに出来るんだ? 百歩譲って、マツダのオート三輪トラックのT200だったら、まだ分からない事無いけどな! 作り話はヤメとけっての! フザケるのはハンドルネームだけにしとけっての! な! “ウンコ臭い”( ^ω^ )
@@伊藤雲黒斎 多分600ですね。360ではパワーがなくて、う◯こを吸えないと思います。
来年、還暦を迎える、1965(昭和40年)生まれの者です。私の幼少時代は、段つきの和式ぼっとん便所が普通で、洋式トイレへのあこがれが強く、いったん、浄化槽を使用して、洋式水洗化したのち、やっとのことで、公共下水道が完成して、直結工事を行いました。トイレの水洗化、洋式化が、衛生的、かつ、快適な生活がおくれるようになって、日本のトイレが、世界的に評価されるようになりました。戦後80年、トイレの進化が、生活の向上に役立つことに気付きました。(24‐11‐10)
もうバキュームカーが汲み取りに行く地域って無くなったんでしょうね
隣家に来ます(笑)
そう言えば昔は虫下しの薬があったのでは?今もあるか知りませんが
小学生時代に同じクラスの友人がぎょう虫検査で引っかかって、しばらく虫下しを飲まされてたようです。そんなこと別に大したことじゃないと思いつつも、2~3日、なんとなくその友人と距離をとってしまう自分がいました。
田舎の廃墟に、外に桶が設置してある建屋があって謎だったのですが、厠だったわけですね。生々しい。
昔、夏休みに婆ちゃん家に遊びに行った時など、ボットン便所に入るのは多少の決心が要りました(特に夜)。裏山に肥溜めもあり、動画の中で農家の方がしてたような作業を婆ちゃんがやってるのを何度か見たことがあります^^;
「し尿のゆくえ」は2回見た事がある、これで3回目
1984年3月11日。家のトイレが、水洗になった。「文明開化の日」です。
素晴らしい内容です。よくこんな古い映像が残ってましたね。自分の家も小学生高学年までは汲み取りでした。感動しながらも少し気持ち悪くなりました(笑)
イチジク浣腸の空容器が海面に漂っている?のが気になりました😅。
現代の感覚で見ると世界中みんな不潔な生活でしたね。あまり入浴しない欧米の皮膚病もやばかった。(スラム街は今でもひどい状態)
現代に生まれたことに感謝します^^;
ずっと疑問、、、海に流したら自然分解するのかな、、、
昭和時代にはし尿を満載した樽を積んだ船が船団を組んで東京湾の沖合まで行き中身をばらまいたという。人はこの船団を黄金艦隊と呼んだ。
浄化槽管理士です。バキュームの業者さん(肥桶時代から続いている老舗)から、歴史をレクチャーして貰ったのと似た内容でしたね。 先人の努力に敬意を払い、ズルをしないで丁寧に作業します!
うんこの話を15分も聞いてしまった…有意義だけど無意味な時間だった
これぞまさに「ウンチク」。
最後まで見ていただいて、ありがとうございます^^;
子供の頃畑に撒くのてつだわされてたなぁ。
子供の頃ぐんまーに住んでたから平成2年くらいまでご近所に汲み取り式の家があったからバキュームカーが来たら家から逃げてたわ風下だと特に地獄でした😂
こいつらとかほざくなどんだけ親の親の世代が休まず働いて今があるか感謝しな
線路のそばには住むな、と言われていたよなあ・・・
お腹に寄生虫がいて虫おろしを飲んでいたころは花粉症なんてなかったんだけど。
昔は不衛生だった、と言うけど、花粉症、食べ物のアレルギーなどは、衛生状態が改善するにつれて増えて来たんじゃない?と言う印象があります。
自宅の裏の畑が生肥やしを撒いていた最後が1981 年で夕方、灰色の液体をひたすらに撒いていく様を一度だけ見ました。一瞬一帯は田舎の香水が漂うものの、新鮮なものと違う耐えられるニオイで3.40分位でキレイに消えてしまい肥溜めで寝かせる意味が良く判りました。当然バキュームカーも活躍していたし近所に処理プラントも有ったので既に衛生的に処理されていた時台でしたね。
海洋投棄の船は ウンカー という。
昔の人は丈夫😢
だから今がある。そうしてくれた先人や過去に感謝はすれど否定はできない。それは天に唾吐く事と同義だよ。
震災とかでライフラインが壊れたら、いつでもボットンに逆戻りする事をお忘れなく。
産まれ育った家が結婚して出て行くまで結局ずっとポットン便所でした。トイレットペーパーなんて洒落た物もなく(流石に最後辺りはありました)ちり紙で拭いてました。新しく親が建てた家でも、数年は浄化槽だったらしく下水道は遅かったらしいです。昔、定期的に親父が肥え桶を担いで、畑に散布してました。近所の家も同じく畑に蒔いてたので、近所の重なると強烈な臭いでした😰昔は色々よかったとよく言いますが、これだけは嫌でした😱
これって過去動画をナレーション付きで投稿していたのを吹き替えしただけでしょ。。黄金バッドの紙芝居みたいww
おそらく50代までは知っていると思いますが、ぎょう虫検査というお尻の穴にテープのようなものを貼り付けてからそれを剥がして健康診断に出すことをしてましたし、虫下しを子供の頃に飲まされた記憶もあります。
やりました。59歳 笑
明治や昭和の映像をカラーで見たいと思ったがこの映像ほど白黒で良かったと安心したことはなかった。
よくあんなところで泳いでましたね。😂
昔は良かったは無知だと思ってる
30年ほど前に市役所のし尿処理担当の事務をしていましたが、平成の頭までは海洋投棄や農家還元を行ってました。私が配属される前年に処理場が出来たので廃止されましたが。海洋投棄は日本で一番最後は平成10年代まで千葉県で行われていたはずです。
この動画をカラー化して欲しい
かんべんしてください
僕も憶えています 海に浣腸の使った 容器が漂っていたの 知らなかったです
浣腸が引っかかった網を掃除する漁師さんもキツいですね^^;
8:19 モノクロ映像が現代のカラー技術で甦る‼︎
_| ̄|○、;'.・ オェェェェェこの頃に生まれなくて良かった……物心付いた時からウォシュレット使えて良かった……
下肥。食物連鎖、そのものです。
この時代に野菜サラダや漬物を食べたら一発で寄生虫にやられちゃうんだろうな。
うんこをバカにするな❗️バキュームカーに乗ってる業者さんに脱帽です🎉いつもありがとう!
検便が有りました。中には犬のを入れたやっが居た。
ぎょう虫検査で犬のフン出して、何かの「陽性」に認定されたら面白そうですね!
@@haremonoマジで実行した人が居ましたが、人間には居ない寄生虫が出て来たので大騒ぎになっていました。
@@小林カムイ おいおい!嘘つくなよ!それは、ビートたけしが今から43年前にオールナイトニッポンで広めた“作り話”のギャグだっての!((ノ∀`)
それは、それこそ“昭和に流行った”作り話 43年前、オールナイトニッポンのビートたけしの“作り話”で広まったギャグ
私は鶏糞をいれました
面白いヤバかったのはだいたい戦後〜昭和30年代くらいかAIで着色しよう
着色は勇気が要りますね^^;
べんだけに便〜
昭和40年代の初め頃まで、ウチの方では荷馬車に肥桶を乗せて各家庭の糞尿を集めて回ってた。馬のお尻のところにはバケツがぶら下がっていて馬のウンチを受け止めるようにしてあった。ところが馬の小便は垂れ流しで、一体いつ止まるんだろうと思うほど延々と垂れ流していて、当時は道路も舗装して無かったから場所によっては当分の間水溜りのようになっていた。当時は畑に肥溜めという大きなツボが埋めてあり、学校のクラスに一人か二人はそこへ落ちたというのがいた。ビートたけし、笑福亭鶴瓶も落ちた経験があるそうだ。😅
ハワイの中国人街は未だに川に流している近くの橋を渡る時臭いせっかくのバカンスが台無し
昭和は60年平成と令和足してもまだ倍の時間”昭和の~”って一括りにするのもどうかと思う
昭和は1926年から1989年だから、“足掛け”64年。
終戦直後、旧武蔵野鉄道(現西武池袋線の前身)と、旧西武鉄道(現新宿線の前身)が統合し、武蔵野を存続企業として、西武農業鉄道が発足し、都心のし尿が、郊外に輸送されていきました。現西武鉄道は、この企業が、社名変更したものです。(24‐11‐10)
江戸時代の名残が未だ残っていたんだなと、思います。
ポキール?とか言うギョウチュウ検査のフィルム状のものを小学校でもらって肛門に当てて提出していたがこういう関係で実施してたんだなと思い出しました。ところで、菌が付着してるイカやたこを刺身や寿司で知らない間に食べていたという事ですか?
し尿にこんな悲惨な歴史があったなんて😖
小学生の頃は、バキュームカーが走っていました。都市伝説ですが「久本雅美」さんは汲み取り便所に落ちた事があるらしい(笑)
昔は良かった、と言うけど、現代で良かったです
ホントそうですね^^;
むしろ日本でよかっただと思うんだ😅動画内対比として挙げられてるフランスは今年のパリ五輪ではセーヌ河泳いだ選手から大腸菌感染症者が出たが東京五輪では出てないから衛生環境はだいぶまし
いい所と悪い所があると言うことだろ。
昔すぎやろ。
80〜90年代ならマジ最高!
この動画くらいの昔は嫌やな
でも今は今でコンプラ等うるさいし◯◯ハラ過剰だしZ世代は糞だらけだし嫌な世の中よ
昭和末期から平成初期のバブル期あたりが丁度いいわ
今では外国人が1番驚くのが日本のトイレの綺麗さだと言いますが、この動画はそこまでたどり着くのに、どれだけ先人の努力があったかを知ることができる貴重な資料ですね。今の小学生とかに教材として見てほしいですね。
今の子供達に見せたら、きっと衝撃を受けると思います^^;
大変貴重な映像ありがとうございました。解説の話術に昭和感満載で秀逸!!
こちらこそ、ありがとうございました^^
頭のいい人が沢山居てくれて助かってます。
目の付け所が素晴らしい!ありがとうございます!
こちらこそ、ありがとうございます!
嬉しいです^^
素晴らしいまとめ方 特番を見たかのような中身が濃くて勉強になった!
こちらこそ、ありがとうございます!嬉しいです^^
インフラを作ってくれた先人達に感謝!
それにしてもナレーション凄いなwえらい迫力だ。
子供のころ、バキュームカーが来ると飽くことなく汲み取りを眺めていた自分。
大人になったら汲み取り屋になろうと本気で思った。
作業員の連携プレーは中二心をくすぐるもんがあるからねw
パヒュームをバキュームと言い間違えたら爆笑された。
希望したとおり汲み取り屋になれてよかったですね😆😆😆
自分も幼少期の頃、バキュームカーが家に来たらテンション上がって汲み取り作業見てました。平成初期だったけど、田舎なんで下水道はまだ整備されてませんでした。
@@エミール-h6m ずこずこずこ・・・「おくさ~ん、水お願いします」
一番考えたくないけど避けて通れない話ですよね。僕は昭和39年生まれで昭和40年代までは居住地には下水道がなかったので、屎尿は汲み取り屋さんが回収に来てくれて、生活排水はすべて側溝から河川へ垂れ流しでした。
なので河川はいつも濁って泡が立っており、どこへ行っても便所臭がしてました。
工業排水も海へ垂れ流しで公害が社会問題になっていました。
昭和50年代に入り、下水道の普及が進んで街から便所臭が消えていったときはうれしかったです。
私は昭和44年生まれですが、小学生くらいまでは泡のたってる川を見かけた記憶があります。
ただ(幸いというべきか?)どこへ言っても便臭がするという状況には遭遇したことがありません^^;。
普通にみんな立小便してたもんなあ・・・
だから検便(蟯虫検査)が必要だった。
昔は「便所汲み」と言っていました。給料が高いといわれており、将来は「便所汲み」になりたいと卒業文集に書く人もいました。当時は葉物野菜は必ずライポンFなどの台所洗剤で洗っていましたね。
わー懐かしい❗便所汲みというワード。
現代に生きる幸せを感じます。
江戸時代の作家滝沢馬琴は日記に、口から回虫が出てくることがあると記載しているそうですが、つい数十年前までは同じような世界であったようですね。
口から回虫とは、、、
想像するのがコワイです^^;。。
以前勤めていた会社は社屋内に水道はあったがトイレはなく屋外に工事現場で使われている仮設トイレで春と秋にバキュームカーに汲み取りに来てもらっていた。
台湾ではし尿を海に流しています。なので沖縄の漁師は台湾沖の魚を捕らないし食べないそうです。
この現在の近代的な屎尿処理方法を台湾にも教えて頂きたいです!!
韓もね。
まさにカラーでないのが救いという貴重な映像ですね…。幼い頃には東京の隅田川沿いに汚わい船の船着き場がありました。しかし潮の流れか船が沖まで行かなかったのか、海水浴場に大量の汚わいが流れ着いてしまい一帯が遊泳禁止になったなんてニュースもあったほど…。
貴重な体験談ありがとうございます!あの頃は、水質汚染も深刻だったんですね…
NHKアーカイブ
「カラーでよみがえる 日本の
し尿処理の歴史」😮
みんなで遊んでるときにバキュームカーが来ると祭りのような騒ぎでしたね
うんこはいつでも人気者
ワハハハハ!!!
正に、“THE昭和”!!!
「トイレット博士」とか
それわかる❕アタシも汲み取り風景を見るのが好きでした。
し尿が海中投棄されるシーンで、大量のイチジク浣腸が写っていますが、昔の人って、そんなに浣腸をしていたのでしょうか?不思議でなりません。
アレ・・・、やっぱりイチジク浣腸なんですね^^;
(違うといいな~と思いながら編集してました)
以前は特に子どもの場合など具合が悪くなったらまず浣腸という流れがあって、浣腸はかなり広く使われていたようです。。
私も、幼少時代、よく便秘に苦しんでこともあったので、よく、母親に、浣腸をしていただいたことがあります。段つき和式トイレにしゃがんで、たまっていたうんこが、ぼっとん便所に落ちていくことに、恐怖感を、覚えていました。スカート男子として過ごしているいまは、洋式トイレに腰かけながら、浣腸をしています。いまも、私は、便秘症です。(24‐11‐13)
@@0922あきひろみ 一段上がっての汲み取り式和式便器ですね。その頃どういう姿勢で浣腸されていたんでしょうか? 病院へ連れて行かれてされたこともありますでしょうか?
昔は良かったと言いますが トイレに関しては今の方がいいですね😅 田舎ではまだ汲み取り式ありますよ もう絶対使いません 臭すぎる😅 島に行った時は簡易水洗でしたね たまに汲み取りしないとダメみたいですね
今やウォシュレットの無い生活なんて考えられません。
うちの斜め前にも、まだ汲み取りの家があります^^;
電車の在来線長距離列車など線路上に垂れ流しだと知っていますか?駅など停車中はトイレ禁止はこの為です この線路上の垂れ流しは2002年まであったそうです 新幹線は開通当時から尿便専用タンクがありました。
@@haremono ものすごい匂いですよね😅 当時家よりますが 下に落とす家とちり紙を別にビニール袋にいれてる家ありましたね この当時はトイレットペーパーじゃなくて ちり紙でしたね 置いあるやつでしたね 手洗いもプラスチック製で 下から押して水が出るやつもありましたね
昭和人間だが、まっ茶色になるという噂のし尿海洋投棄の映像を初めてみました。白黒だったのがあの時代を知るせめての救い。
さらに匂いが出なくてよかったね。
昭和51年生まれですが、自宅も学校も汲み取りでバキュームカーが来てましたが、あの匂いは酷かった💦💦
学校では定期的にぎょう虫検査も行ってました( > < )
某政令指定都市に住んでた頃、各家庭に配られる「市政たより」に、新造大型屎尿運搬船の紹介があり、「当市から約100キロ沖合の公海上に投棄します」とあった。上空には無数の海鳥の群れとモノクロ写真には海面に帯状に広がるアレが…昭和50年代のお話。
海開きの前には保健所による大腸菌検査が実施され、基準値以上だと「遊泳不適」と判断され海水浴場は閉鎖された。海水パンツは洗濯しても臭いが取れない位海は臭かった。
海パンを選択しても匂いがとれないとは、、、
生々しい体験段ですね^^;
今も大腸菌検査をするのはその名残なのかな
戦時中の人手と燃料不足のため、なし崩し的に屎尿の地面浸透または河川・海洋投棄が認められる → 戦後の社会体制の混乱と人口が急増したが、復興へのリソースが屎尿対策に注ぎ込めずに放置。昭和30年代の公団団地(現UR賃貸)があこがれの住宅となるのがわかる気がします(内風呂、水洗トイレ完備)
処理方法が確立された時代で生活できることに感謝します^^;
大昔の話だが、田舎の爺さんが火葬場に行き、肥料として畑に蒔くために余ったホネをもらっとった
古い火葬炉で低温で一日かけてじっくり焼くお骨は、手でパリパリと砕いていくと
いい骨粉肥料になるんだ。
昭和初期の衛生観念は凄かったですよ。
現在のインド並みでしたね^^;;
現在のインド並みって、想像つきませんが、なんかすごそうなイメージですね^^;
バキュームカーは23区内でも早朝作業してますまだまだ現役ですよ😊知らないだけです😊😊
台東区の某所で見かけますね。
我家の斜め前の家にもたまにバキュームカーがいらっしゃいます^^
確か 工事現場の仮設便所とかビルなんかは 直接下水道に流せず1度浄化槽に受入して流すのですが
年1度 浄化槽の汚泥を大抵 早朝に回収してるのを拝見した事があります。
利権がらみで水洗が遅々としてる地域あるのでしょう💦
第二次大戦時、旧米軍は空母の中でトイレットペーパー不足に陥ることがしばしばあり、食事用(コーヒー用)スプーンで、用を足した後、拭いていた(汚れを取っていた)。その後、そのスプーンを熱湯消毒で、食事に用いていたことが記録されております。平和な時代でよかったと思います。
トイレットペーパーは、無いと「マジで焦る」ものの1つですよね^^;
トイレといえば昭和時代の列車トイレ。線路に垂れ流しかつ、夏場は冷房が無い列車が多かったのでその飛沫が容赦なく全開の窓から飛び込んできました。
そのような時代の列車トイレは、段つき和式がほとんどで、しゃがんですることが、列車自身の揺れで、とても使いづらかったです。その後、汚物処理装置が普及し、JRになってからは、洋式化が進み、安心して利用できるようになりました。女子同様に、腰かけてする、スカート男子の私は、洋式化で、安心して、列車の旅が楽になりました。(24‐11‐13)
@@0922あきひろみ和式の列車トイレは男性の場合揺れで的が外れやすくどうしても不衛生になりがちですね。最近の特に特急列車のトイレは洋式で温水洗浄便座が付いているのもあってすごく快適に利用出来るようになりました。腰痛持ちの私も大助かりです。
昭和40年代 子供の頃 何で海辺に浣腸が落ちてるんだ?と思っていた こういう事だった💦
実家の前の甲子園浜にもいっぱい落ちてましたね。そういうことやったんや
やっぱり、「アレ」は浣腸だったんですね^^;
(実物を見たことがないもので)
@@ななぼう-z6p
先輩!
当時の甲子園浜を知ってはるという事は、“オーバー70”の世代ですか!?( ゜o゜)
@@oimihimitasumiho
こんにちは😊
1965年生まれ 来年還暦です。
テトラポットつたっての探検ごっこ まだ健在だった厚生年金プール 良き思い出ですね。 あと玉葱🧅もいっぱい浜辺に打ち上げられてたのも子供心に不思議に思いましたが、あれは淡路島の🧅だと聞いて納得しました😅
@@ななぼう-z6p
こりゃまた失礼!
昭和40年の巳歳🐍ですな!
当方は昭和36年🐮歳ですわ!
ところで、昭和40年生まれの記憶でしたら、もう既に、甲子園浜は海水浴はでけへんようになってたんとちゃいますか!?
戦後進駐軍は野菜にウンコをぶっかけてるのに度肝を抜かれ
そんな野菜は絶対食えないってことで、
東京府中に進駐軍専用の水耕栽培の農場を作った。
味の素スタジアムがある周辺。
水洗トイレが一般家庭にいきわたるのは、やはり””バブル経済”””の恩恵があったと思います。バブルの景気の良い時代に庶民層が一斉に家の建て替えをしたからです。これは地方でも同じで、家の建て替えとともにトイレを水洗化した家が増えました。自治体でも積極的に下水道の整備と、従来の汲み取り式から⇒洋式&水洗トイレの普及を進めました。いずれも空前の景気の良さと資金の豊富さがそれを後押ししたんです。私は日本の本当の近代化は「バブルの時代」に起こった事だと思ってます。
科学技術って、素晴らしいですね。
汲み取り式の便槽に撒く殺虫剤のニオイがまだ記憶に残ってます
ウジ殺し用の白い液体でしたよね。匂い覚えてるなあ...デカいハエも結構いましたよね
10:23中国の南方の田舎では、メタンを発生させる浄化槽を普及させ、浄化槽から生成されるメタンガスをガスコンロで調理しています。
浄化槽から出る汚泥は肥料となるので、一石二鳥で素晴らしいと思いました。
各家庭から出るし尿をメタン発生浄化槽に集めて処理するものでした。たしか。
白黒映像でよかったとこれほど思った事はないね。
戦後、進駐軍が、日本の、農家が肥料として、農作物に人糞をかけて。いるのを見て、その後、進駐軍は、日本の、野菜を食べなく、なったそうだ!
じいちゃんがやってた畑に撒きに行ったことがある・・・
途上国の衛生水準を馬鹿にするような発言をする人達が稀にいるが、日本でさえ数十年遡れば大差なかったということを忘れるべきではない。
戦後大変な時代があったんですね。勉強になりました!
子供の頃、郊外にし尿処理工場があって肥料化してバラ肥料として販売されていた。
やはり無茶苦茶な昭和だな
貴重な映像で思わず見入ってしまいました!
試行錯誤だったのですね💦
素晴らしい動画でした。これからも配信お待ちしております。
すげぇな。誰も意識すらしないと思うであろう、し尿について、ここまで細かくわかる動画ないわ🤯
平成生まれだけど、小学生の6年間、ギョウ虫検査してたな。昭和は名曲がたくさん、昭和の暮らしが懐かしいって、よくテレビでやるけど、公害や衛生、労働時間など、今では考えられない負の面もあったよな。
昭和は、凄い時代やったな。
同じく平成初期(2年の生まれ)です。
ギョウ虫検査ありましたね。お尻にシールみたいなの貼って検査するみたいな?
ワイも平成2年生まれ(早生まれ)やで。昔の日本人は体内に寄生虫いたんですね。
@@エミール-h6m 奇遇や!
おれも平成2年早生まれ!(元年世代)
今はギョウ虫検査とかないんやろか
奇遇やな。今は、全国で廃止になったよ。
不衛生な事がまかり通っていたから昭和時代までの小学校では、ぎょう虫検査(通称ポキール)が積極的に行われて且つ、陽性率も結構高かったのですね😂
小学生時代に同じクラスの友人がぎょう虫検査で引っかかってました。
2~3日、なんとなくその友人と距離をとってしまう自分がいました^^;
自分のとこにセロハン貼るの嫌がりペットの肛門に貼った結果 アウトになったと言う都市伝説を聴いた覚えが!
@@yuji0026
それは、43年前にビートたけしがオールナイトニッポンで言って広まった作り話
@@75motomon クラスで一番かわいい女の子からぎょう虫が出たと噂がありショックを受けた。
人の排泄物は1日1リットル。体重測定がある職場健康診断が夜勤明けの場合は、夜の起床から翌朝の健康診断終了まで飲まず食わずを貫けばかなり体重は減らせます。
25年前までうちでは汲み取り式だったが停電などで換気扇が停止したら地獄!家じゅう糞尿の臭いで満たされてたな。
ひいいい....
昔 沼や池でバキュームカーの うがいを拝見した覚えが!
恐ろしい光景ですね^^;
@@haremono様 子供ゆえに 何故 ホースを沼や池に入れてるのか解らなかった!
大人になり「ガラガラ!ペ〜っ!」をしてた事だと理解しました!
活劇風の解説が昔感を出しているので聞き入ってしまうが、過去の時代の現実ですね。今の日本の衛生感だけは世界的にもトップレベルだと思う。
屎尿処理は一般的にあまり語られないけど実は非常に大切な問題ですよね。啓発に感謝します!
そうですね!現代では当たり前に思えることも、昔は大変だったんですね!
@@haremono氏 昔、近所のバカが汲取り業者に文句を言った「臭いから今日は来るな!」と。業者は怒って今後一切アンタの汲取りはしないから。と言い渡した。数週間後バカの便槽は満タンになり、業者に丁重に詫びを入れた、なんてことがありました。
37年生まれですが海洋投棄は広島の牡蠣の養殖に撒かれていましたね、育ちが農家なのでほとんどが肥料だと思います、
小学校に上がる頃にはバキュームカーが走っていましたが収集後の処理は知りませんです。
家庭ごみも昭和30年頃までは随分酷かったと聞いています。
ウチの街では平成も終り頃になってもマツダk360(3輪車)のバキュームカーが走ってた。3輪でないと曲がれない入っていけない路地があったから。下水道整備が進んでようやく引退したらしい。
平成の終わり頃にオート三輪を見かけることも、かなりレアだと思いますが、バキュームカーの三輪車というのは、さらにレアですね!
おいおい!
平成の“終わり頃”という事は、ほんの七、八年前だぞ!
そんな最近にマツダのK360が仕事で使われてる訳無いっての!
そもそも、あんなちっちゃい車を、どうやってバキュームカーに出来るんだ?
百歩譲って、マツダのオート三輪トラックのT200だったら、まだ分からない事無いけどな!
作り話はヤメとけっての!
フザケるのはハンドルネームだけにしとけっての!
な!
“ウンコ臭い”
( ^ω^ )
@@伊藤雲黒斎 多分600ですね。
360ではパワーがなくて、う◯こを吸えないと思います。
来年、還暦を迎える、1965(昭和40年)生まれの者です。私の幼少時代は、段つきの和式ぼっとん便所が普通で、洋式トイレへのあこがれが強く、いったん、浄化槽を使用して、洋式水洗化したのち、やっとのことで、公共下水道が完成して、直結工事を行いました。トイレの水洗化、洋式化が、衛生的、かつ、快適な生活がおくれるようになって、日本のトイレが、世界的に評価されるようになりました。戦後80年、トイレの進化が、生活の向上に役立つことに気付きました。(24‐11‐10)
もうバキュームカーが汲み取りに行く地域って無くなったんでしょうね
隣家に来ます(笑)
そう言えば昔は虫下しの薬があったのでは?
今もあるか知りませんが
小学生時代に同じクラスの友人がぎょう虫検査で引っかかって、しばらく虫下しを飲まされてたようです。
そんなこと別に大したことじゃないと思いつつも、2~3日、なんとなくその友人と距離をとってしまう自分がいました。
田舎の廃墟に、外に桶が設置してある建屋があって謎だったのですが、厠だったわけですね。生々しい。
昔、夏休みに婆ちゃん家に遊びに行った時など、ボットン便所に入るのは多少の決心が要りました(特に夜)。
裏山に肥溜めもあり、動画の中で農家の方がしてたような作業を婆ちゃんがやってるのを何度か見たことがあります^^;
「し尿のゆくえ」は2回見た事がある、これで3回目
1984年3月11日。家のトイレが、水洗になった。「文明開化の日」です。
素晴らしい内容です。よくこんな古い映像が残ってましたね。自分の家も小学生高学年までは汲み取りでした。感動しながらも少し気持ち悪くなりました(笑)
イチジク浣腸の空容器が海面に漂っている?のが気になりました😅。
現代の感覚で見ると世界中みんな不潔な生活でしたね。
あまり入浴しない欧米の皮膚病もやばかった。(スラム街は今でもひどい状態)
現代に生まれたことに感謝します^^;
ずっと疑問、、、海に流したら自然分解するのかな、、、
昭和時代にはし尿を満載した樽を積んだ船が船団を組んで東京湾の沖合まで行き中身をばらまいたという。人はこの船団を黄金艦隊と呼んだ。
浄化槽管理士です。バキュームの業者さん(肥桶時代から続いている老舗)から、歴史をレクチャーして貰ったのと似た内容でしたね。
先人の努力に敬意を払い、ズルをしないで丁寧に作業します!
うんこの話を15分も聞いてしまった…
有意義だけど無意味な時間だった
これぞまさに「ウンチク」。
最後まで見ていただいて、ありがとうございます^^;
子供の頃畑に撒くのてつだわされてたなぁ。
子供の頃ぐんまーに住んでたから平成2年くらいまでご近所に汲み取り式の家があったからバキュームカーが来たら家から逃げてたわ
風下だと特に地獄でした😂
こいつらとかほざくな
どんだけ親の親の世代が休まず働いて今があるか感謝しな
線路のそばには住むな、と言われていたよなあ・・・
お腹に寄生虫がいて虫おろしを飲んでいたころは花粉症なんてなかったんだけど。
昔は不衛生だった、と言うけど、花粉症、食べ物のアレルギーなどは、衛生状態が改善するにつれて増えて来たんじゃない?と言う印象があります。
自宅の裏の畑が生肥やしを撒いていた最後が1981 年で夕方、灰色の液体をひたすらに撒いていく様を一度だけ見ました。
一瞬一帯は田舎の香水が漂うものの、新鮮なものと違う耐えられるニオイで3.40分位でキレイに消えてしまい肥溜めで寝かせる意味が良く判りました。当然バキュームカーも活躍していたし近所に処理プラントも有ったので既に衛生的に処理されていた時台でしたね。
海洋投棄の船は ウンカー という。
昔の人は丈夫😢
だから今がある。そうしてくれた先人や過去に感謝はすれど否定はできない。それは天に唾吐く事と同義だよ。
震災とかでライフラインが壊れたら、いつでもボットンに逆戻りする事をお忘れなく。
産まれ育った家が結婚して出て行くまで結局ずっとポットン便所でした。
トイレットペーパーなんて洒落た物もなく(流石に最後辺りはありました)ちり紙で拭いてました。
新しく親が建てた家でも、数年は浄化槽だったらしく下水道は遅かったらしいです。
昔、定期的に親父が肥え桶を担いで、畑に散布してました。
近所の家も同じく畑に蒔いてたので、近所の重なると強烈な臭いでした😰
昔は色々よかったとよく言いますが、これだけは嫌でした😱
これって過去動画をナレーション付きで投稿していたのを吹き替えしただけでしょ。。黄金バッドの紙芝居みたいww
おそらく50代までは知っていると思いますが、ぎょう虫検査というお尻の穴にテープのようなものを貼り付けてからそれを剥がして健康診断に出すことをしてましたし、虫下しを子供の頃に飲まされた記憶もあります。
やりました。59歳 笑
明治や昭和の映像をカラーで見たいと思ったがこの映像ほど白黒で良かったと安心したことはなかった。
よくあんなところで泳いでましたね。😂
昔は良かったは無知だと思ってる
30年ほど前に市役所のし尿処理担当の事務をしていましたが、平成の頭までは海洋投棄や農家還元を行ってました。私が配属される前年に処理場が出来たので廃止されましたが。海洋投棄は日本で一番最後は平成10年代まで千葉県で行われていたはずです。
この動画をカラー化して欲しい
かんべんしてください
僕も憶えています 海に浣腸の使った 容器が漂っていたの 知らなかったです
浣腸が引っかかった網を掃除する漁師さんもキツいですね^^;
8:19 モノクロ映像が現代のカラー技術で甦る‼︎
_| ̄|○、;'.・ オェェェェェ
この頃に生まれなくて良かった……物心付いた時からウォシュレット使えて良かった……
下肥。食物連鎖、そのものです。
この時代に野菜サラダや漬物を食べたら一発で寄生虫にやられちゃうんだろうな。
うんこをバカにするな❗️
バキュームカーに乗ってる業者さんに脱帽です🎉
いつもありがとう!
検便が有りました。中には犬のを入れたやっが居た。
ぎょう虫検査で犬のフン出して、何かの「陽性」に認定されたら面白そうですね!
@@haremono
マジで実行した人が居ましたが、人間には居ない寄生虫が出て来たので大騒ぎになっていました。
@@小林カムイ
おいおい!嘘つくなよ!
それは、ビートたけしが今から43年前にオールナイトニッポンで広めた“作り話”のギャグだっての!
((ノ∀`)
それは、それこそ“昭和に流行った”作り話
43年前、オールナイトニッポンのビートたけしの“作り話”で広まったギャグ
私は鶏糞をいれました
面白い
ヤバかったのはだいたい戦後〜昭和30年代くらいか
AIで着色しよう
着色は勇気が要りますね^^;
かんべんしてください
べんだけに便〜
昭和40年代の初め頃まで、ウチの方では荷馬車に肥桶を乗せて各家庭の糞尿を集めて回ってた。
馬のお尻のところにはバケツがぶら下がっていて馬のウンチを受け止めるようにしてあった。ところが馬の小便は垂れ流しで、一体いつ止まるんだろうと思うほど延々と垂れ流していて、当時は道路も舗装して無かったから場所によっては当分の間水溜りのようになっていた。
当時は畑に肥溜めという大きなツボが埋めてあり、学校のクラスに一人か二人はそこへ落ちたというのがいた。ビートたけし、笑福亭鶴瓶も落ちた経験があるそうだ。😅
ハワイの中国人街は未だに川に流している近くの橋を渡る時臭いせっかくのバカンスが台無し
昭和は60年
平成と令和足してもまだ倍の時間
”昭和の~”って一括りにするのもどうかと思う
昭和は1926年から1989年だから、“足掛け”64年。
終戦直後、旧武蔵野鉄道(現西武池袋線の前身)と、旧西武鉄道(現新宿線の前身)が統合し、武蔵野を存続企業として、西武農業鉄道が発足し、都心のし尿が、郊外に輸送されていきました。現西武鉄道は、この企業が、社名変更したものです。(24‐11‐10)
江戸時代の名残が未だ残っていたんだなと、思います。
ポキール?とか言うギョウチュウ検査のフィルム状のものを
小学校でもらって肛門に当てて提出していたが
こういう関係で実施してたんだなと思い出しました。
ところで、菌が付着してるイカやたこを刺身や寿司で知らない間に食べていたという事ですか?
し尿にこんな悲惨な歴史があったなんて😖
小学生の頃は、バキュームカーが走っていました。都市伝説ですが「久本雅美」さんは汲み取り便所に落ちた事があるらしい(笑)