ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
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BGM音量の調整ミスっててとても聞き取りにくい動画となってますがご容赦ください…
今ならヒンシュクものですが、仙石線にアコモ車が登場した時「上は娘で、下は婆さん」と揶揄した誰かの悪口コメントが、鉄道雑誌に載っておりました。
まぁなんと汚下品なぁー🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
プッ❗😁
うまいこと言うねえ
103系3000番台に再改造されてから、川越線で撮影したことがあります。もうそれも30年近く前のこと…月日の経つのは早いものです。
2005年頃、廃車間近のコレに乗りに行ったコトあります。103系らしくないソレに違和感覚えたのが記憶あります😃
子供の頃、当時新しかった103系より旧型の方がお気に入りでした車体ど真ん中の扉の位置に支柱が立っていて、妙な安心感があったのを覚えています
@世界の天才坂口達也 はへ?
おそらく木造車体の補助という意味合いと思われますね。あの桜木町事故で木造車体の更新が始まったキッカケと聞いており、その後あの鉄棒は無くなったと聞いております😃
@@ウルトラヘブン-r7y6ドア車には付いてた
山手線へのE231系500番台投入に伴う205系の玉突転属が2004年頃から本格化していた中、秋田総合車両センターでの短編成化を経ての205系への置き換えが多分に漏れず進行していた八高南線・川越線も2005年10月、東京臨海高速鉄道から購入した70-000系を改造した209系3100番台に引導を渡される形で、遂に103系3000番台の最終編成が定期運用を離脱した。奇しくも1985年の川越線電化完成から20年のこの年、最後の103系3000番台となったハエ53編成は、前日の川越車両センターでのイベント展示を経て、翌10月2日は川越駅での電化20周年記念出発式で見送られ、終日、沿線に集まったファンから名残を惜しまれつつ、ここに遂にその数奇な歴史を、、、終えなかった。定期運用離脱からわずか10日後の10月12日に、八高南線・川越線充当車両に故障が発生し、運用に支障を来す事態が発生。急遽、代走に抜擢されたのが件のハエ53編成であり、さながらキリストの再臨である。72系からのインチキ103系への改造、本物の103系への再改造、そして有終の美を飾ったかと見せかけてのまさかの復活という、数々の伝説を作り出した103系3000番台を、私は終生忘れない。
キリストの再臨で笑いました
生命力高すぎでしょw
終えなかったは噴いた何なら101よりも長かったという…苦笑
某205系10両編成の深緑編成みたいだな🤣
地元川越在住です。この手の解説動画に有りがちな、旧型車両を「ボロ」と呼ばない進行に好感がもてます。
コメントありがとうございます!!そう言っていただけて嬉しいです!
だってコチラも年寄りのボロなんで自分を悪く言うみたいなモンでしょうよ😁
1980年頃に仙石線のアコモ改造車の撮影と乗車目的で仙台に行ってきました。当時小学生でしたが東北で103系もどきが走っているのを見て感動しました。
川越線沿線で過ごした高校時代、通学のお供はいつも103系3000代でした。年季の入った車内、非冷房時代を感じさせたAU712分散クーラー、哀愁漂うMGの音、115系のようなブレーキやドアの音、今でも忘れません。非電化時代のキハ30系の面影を残しているようにも見えました。こういうゲテモノ?車輌こそ鉄博で保存したら良かったのに。
一応103系なのですがモーターのMT55除いて廃車他車からのパーツ寄せ集めの実物大プラモデル的でマニアには興味深い車両ですね😁
鶴見線72系、懐かしいですね。ドア(車内の注意書に「開くドアーに手を挟まない様注意。」がドア脇に貼ってあった)のが開く時、開く速度が遅く、途中で止まってしまう車両が時々あり、そういう時は、乗客が押して開けていた。(手と足を使い、2箇所で押しながら開けるのがコツ。今は無いですよね、その様な車両)また座席のモケットが破れ、違う色の布で仮補修されていたりも、思い出しました。南武線に転属とはいえ、101系(オレンジ+スカイブルーとか、混合色編成があった)が入り始めた頃で、揺れが少なく羨ましかった。もう50年近く前な話になるのか。
学生時代、地元を走る八高線が念願の電化されると云う事で、どんな電車が走るのだろうと当時ワクワクした記憶があります。その時、当時最新鋭だった209系と共にやって来た103系電車。このギャップも凄い物でしたが、当時武蔵野線等で走っていた103系とも走行音や雰囲気が何処となく違い、色だけは山手線や横浜線で走っていたウグイス色なのに何だかボロッちぃなぁと思った物でした(笑)それでも、ディーゼルカー時代の頃から考えると格段の進歩でしたが。。そんな八高線を走っていた103系が、まさか東北の地を走っていた仙石線のアコモデーション車両だったとは知りませんでしたし、ある意味とても貴重な歴史の長い車両だとは思いもよりませんでした。こんな情報もネットがあるからこそ知れた事で、その情報が無ければただの垢抜けないボロい103系と云う印象で終わっていたかも知れませんネ。
BGMが大きすぎて説明がききとりにくかったけど、内容が面白かったです。
1970年代で既に魔改造やってるのが凄い技術力だなぁ103系もどきの72系が平成17年まで生き残ってたのがおそろ...いやw凄い
へぇー。あの遠くのはるかな時代。103系3000は京浜東北線や山手線で前後3両ずつの新製車に挟まれた、屋根にアスピリンがずらりと並んだ骨董品が再利用されたモノと思っていました。夏場の深夜。冷房の効く前後の車両だけが混んでいて、真ん中の車はゴーストトレインだったことを思い出すと、電車馬鹿でなくても利用者は知っていたのですね。たまに来る電車の全車が冷房付きだとほっとしました。当時住んでいたところは洋光台で、この電車しか横浜までの移動手段はなかったので。当然横浜線直通電車は避けました。あの当時先頭と後ろのクハ以外は全部アスピリンで、クハにはカマボコが付いていても役立たずの地獄電車でしたから。
子供の頃、仙石線103系の両開き扉が嫌いでした。半自動なので開ける時は手動で、子供の力では結構大変だった記憶。その点72系の片開き扉は軽く開くので好きでした。
@世界の天才坂口達也 性格悪つ!
103系1000番台を105系(4扉車)に改造した際に余剰となったモーターや台車なども使われてますね。
子供の頃こげ茶色の72系横浜線にのった事があります。原町田駅から八王子まで。仙石線の仙台駅が地上駅だった頃に仙台~石巻で72系に乗り、その数年後に姿形を変えた72系→103系川越線に乗りました。本当に息の長い優秀な電車でした。
川越線電化により晴れて103系に生まれ変わったニュースを雑誌で見た時は鳥肌が立つほど感動しました。似たような車体更新を受けたクハ66形が旧国のまま終わったことを思うと奇跡的な生まれ代わりだと思います。
魔改造と言えば東武鉄道の十八番と思いきや、国鉄にもそんな車両があったのですね!!。
仙石線の電車はこの72系アコモ改造車も103系も 潮風にやられて塗装が相当くたびれた印象がありました。103系3000番台はオイラン車として開業前の埼京線を走った事もあります。こと台枠に関しては21世紀迄生き残った旧型国電でしたね。
八高線・川越線の車両形式が103系→205系→209系→E231系と4世代変わってもいまだに「3000番台」を使っているところ、電化後に導入された103系って後継車両に影響与えてるなぁと思いました。JR東も変えるの面倒なのか謎です。
後者でしょう
多分JR東日本基準でその3000番代に準ずる改造、又は仕様で新造されて、209系3000番代の時は当時置き換え目的だった103系が3000番代だったからそのまま踏襲したと聞いたが、結局今でも続いてるというwまぁでも、仙石線向けに205系3100番代がいるけど、3000番代とほぼ同一だがトイレの有無とか耐雪仕様だから分けたんでしょうね
余談になるけど、番号や番代絡みだと、東海道山陽新幹線が東海が基本番代、西が3000番代が100系から続いてますな(その関係からかサンライズは西が基本番代、東海が3000番代)
103系風で下回りは吊り掛け電車の72970系。昭和60年に本当に103系3000番台に改造されて、足回りはカルダン勲動になった。電化開業した川越線に投入されたが、沿線人口増加で川越ー高麗川間のローカル運行に入った。冷房改造工事を受けて、またまた、人口増加で4両編成に増強されたが、205系3000番台などの進出により、平成17年に全車廃車となった。
このシリーズ面白いです。博物館で見る旧型車両も様々な運用あって興味深いですよ😳
これと似たパターンに、京阪1000系があります。昭和12年製流線型1000系の台車電気部品を流用し、昭和42年から車体を3ドア両開きの全金属車体に置き換え、700系となる。昭和52年、京阪本線1500V昇圧に伴い、700系を新製の台車電気部品に取替新性能化、同時に冷房化して新1000系となる。その後、平成の初め頃、内装を6000系と同じ暖色系に変更するなどの車体更新が行われ、現在も6編成全て現役という、複雑怪奇な車歴を持ちます。これを国鉄(JR)に当てはまると、流電モハ52の車体を、戦後103系の車体に乗せ換え、昭和末期に台車電気部品を205系のものに取替、さらに平成に40Nを受けて今も現役って感じ。あと名鉄にも、このパターンの、車体のみ新製、下回りは旧型ってのが、いっぱいいたと思います。
アコモ改造車両は個人的に好きな電車です。車体は新しいのに足回りは吊り掛け駆動方式、このアンバランスさがたまりませんでしたね。
東武5000系、名鉄瀬戸線も車体は昭和後期、モーター台車は昭和初期が走行していました。今だと広島や長崎の路面電車がそれに近いですね。
@@ゆうちゅーぷ 一応東武7800系は車体とら足回り昭和28年〜昭和36年製なんだけど同世代の国鉄新造72系より古そうな感じしたな。東武73系も車体更新後も半鋼車体だったし。東武3000系だと足回り昭和一桁から昭和20年代だけど。
東武7800系「もしかして国鉄72系全金車よりウチの方が古そうなんだが、車体も足回り台車もモーターだけ高速回転で優ってるがあああ。」
名鉄瀬戸線の6750系二次車は新性能化可能な構造になっていたそうですが結果的には瀬戸線の塗装設備廃止の関係で廃車。もったいない。今だと面白いのが嵐電で、車体は新しく台車も新品のFS93に順次交換中。しかし駆動方式は吊り掛け式のままというミスマッチが生まれてます。
鉄道ファンです。電車好きにはたまらない解説動画ですネ❗103系は大好きな電車でしたがこれは知りませんでした💦勉強になりました。ありがとうございます😊
私鉄だと小田急旧4000形がまさにこれでしたね。開業初期のつりかけ車の下回りに当時新型の5000形の車体。63系電車の割り当て車から改造された1800形と混結したら相性が悪く脱線が多発した迷なエピソード、そして2400形のパーツを移植しての新性能化。足回りがお隣相鉄と同じディスクブレーキ採用だったのが印象的でした。
小田急4000系、主さんにぜひ取り上げてもらいたいですね。台車は、むしろ東急7000系と同じパイオニア型でした。新性能化の時には他の小田急車とは違うTS型台車になったのは、きっとどこかの中古品なんでしょうね。掘り下げるとネタはいろいろありそうです。
@@kousakuguma 小田急初代4000形の新性能化改造で履いた台車は、新製されたTS台車にパイオニア台車のディスクブレーキを流用したものです。中型車の2400形で使っていたモーターが、大型車の4000形だと発電ブレーキの容量が足りなかったそうで、そういう構成になっているそうです。
おー!両方地元として体験していますよ〜。実家は小田急線沿線で、旧性能車のモーモー鳴く4000形を堪能し、成人し、社会人になって一人暮らしした所が拝島だったので、この103系3000番台によく遭遇しました。普段は青梅線を使っていましたが、わざわざ珍車を味わうためだけに八高線に乗っていましたよ。高運転台の、パッと見は山手線や京浜東北線のお古っぽく見えるけど、よく見ると青梅線で運用されていた低運転台の103系と明らかに違う佇まいに感動していました。それにコイルバネの昭和な乗り味がまた良いんですよね〜。
同じ吊り掛け式でも1800系は国鉄型で音が重厚でしたが4000系の妙に軽い?コーコー音は好きになれなかったですね😃
ちなみに関西の京阪1000系も同じですよw旧1000系→700系→新1000系というアコモルートです。そこから改造を再度加えて、番号はそのままにまだ現役で本線走ってますwww
国鉄にも改造に改造を重ね、テセウスの船のようになった車両がいたのですね。とても参考になりました。あとアイコンの女の子かわいいですね。( ;ᯅ; )
とれいんあんびしゃす!!さん!!お元気でしたか??心配してましたが、たまたま見つけた動画があなたとは!!見つけられて嬉しいです!!チャンネル登録しました!!
ありがとうございます!ゆるーくたまに動画あげる程度ですがよろしくお願いします♪
JRの他にも大手私鉄の相鉄で63系電車をベースに、同じ様に新性能電車の6000系の車体に交換した3000系(3050系)電車が1998年まで走っていましたね。しかも末期にはGTO-VVVFインバーター制御に魔改造されていました・・・(笑)(乗車経験あり)
コメントありがとうございます!そんな車両もいるんですね!
相鉄さんは10系国電ベース2000系→2100系アルミ車体化→冷房化&足回り新性能化、5000系流線形→5100系アルミ車体→5500系VVVF化、など魔改造がとても多いです、現在でも8000系以降のクルマの青色化とライト変更などを行なっています。この他東武鉄道も姿を変えて残る車が多かったです。1720系→200系、6000系→5050系、7800系→5000系
相鉄3000系は吊り掛けからVVVFに改造される前にはそのまま廃車という話もあったが、VVVF&冷房改造され、しかも車内には列車走行位置表示版まで取り付けられました。旧6000系全廃後も走っていましたが、1999年に相模大塚駅構内での脱線事故で廃車に・・・
@@国道八段 あの車両はVVVFの試作目的もあった。今の時代だったら間違えなく廃車だった。
私鉄のアコモデーション改造車両の異端児は何と言っても小田急初代4000形ですね。パイオニアP3台車が特徴で乗り心地は最高でしたが走行音は吊り掛け駆動方式で爆音を響かせていました。急行電車に充当された時は10両編成の吊り掛け爆音が私の大学のキャンパスまで聞こえてきたものです。懐かしい思い出です。
川越線が電化された頃は、3000番台も大宮まで乗り入れていた気がします。ちなみに埼京線は山手線からの転属車両で、開業当初は日中の快速は30分ヘッド。その快速が川越まで直通運転。
そだよ~😘
BGMの音量が少し大きすぎる気がする…
ご指摘ありがとうございます!!次からは気をつけますね!
別の動画でテセウスの舟みたいな8620型が紹介されていましたが、この103系3000番代もテセウスの舟なんですね。
103の皮を被った旧國ってのがたまらなくいいね〜、川越線によく乗りに行ったなぁ〜
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仙台に行った時、アコモ改造車に乗って松島まで行きました。その後、仙台に行くことはなく、それが最初で最後になりました。しかし、まさかまた川越で再会できるとは思っていませんでした。ただ、川越駅で見かけだだけで、乗るチャンスはありませんでした。
友達に当時焦げ茶色だった山手線が(今度黄色くなるぞ)と言い、翌年また(次は黄緑色だ)と言ったら本当に変わったので(お前すげぇなぁ)とウケたのだが父親が🚋電車製造の会社だった。😅
1979年時点ではまだ横浜線で72系走ってました。80年は早々に引っ越したのでわかりませんが。ちなみに自分らの間では、ウンコ電車と言われてました、色的に。
205系が故障してその後1日だけですが運用して、ホントの最期となったとさ・・・・・
アコモ改造車の現役時代を知ってる世代なんですが、当時模型ネタには丁度良い車両でした。
私は大昔の旧型国電は見た事がないのですが、103系も205系も非常に懐かしい車両達でしたね。
サハ103-3000が豊田(青梅五日市線)に居たことが全くスルーされている…
もっとスルーされているのはモハ72970な。鶴見線に投入されたたった一両のやつ。
そうでしたか。日高あたりで、かつて見た川越線ってこれだったんだと思いました。私、そんなに詳しくはないですが、豊富な写真で楽しかったです。
ちなみに、63系電車に構造的な欠陥があったのではなく、この当時に製造されていた最新の80系電車も同様の事態になれば車両火災は免れないものでした実はそうした事態が公にならないように、63系電車はやり玉にあげられたといえますそして、72系電車は国産の鉄道車両として、初めて本格的な防火対策が施された車両といえます
@@利-y8w それを構造欠陥というなら、63系に限らずその当時の鉄道車両すべてがそうでしたねちなみに、窓に関しては当時は大きめのガラスの入手が困難であったのと、窓から出入りするマナーの悪い乗客がいたからです外から入れない=中からも出られないということですまた、当時の窓は2段式でも全開にはならず、上段を下げるか下段を上げるかしかできませんでしたドアコックに関しても、いたずらで操作するマナーの悪い乗客がいたので、あえてわかりにくくしていましたつまり、脱出不可能という点ではどの車両も変わらないことになりますちなみに、貫通扉は関西圏においては競合する私鉄電車とのサービスとして通過可能になっていましたが、関東圏ではそもそもそうした運用は想定されていなかったので、扉には鍵がかけられていました
コメントありがとうございます!!そういう少し裏の話もあるんですね!旧型国電は本当に奥が深いです…
当時は今と違って防火関連の基準も事実上なかったので内装にも普通に木材などが使われていましたからね。なお、現在の車両にも装飾品やテーブルなどに木材が採用されているものがありますが、これらは木材に樹脂を染み込ませて難燃加工したものです。
八高・川越線電化の時はディーゼルがなくなるのが寂しい気がしていました。その直後に乗車した記憶がありますが、もしかしたらあの時のウグイス色の電車が72系にルーツを持っていたかもしれないとは、ちょっと驚きました。
高校の頃川越線が電化された直後に乗る機会がありましたが釣りかけ音ではないのでがっかりした記憶があります、室内はつり革をぶら下げている棒が純正103系よりも細くよそからの改造車なんだなと実感していました
現代でもしもそのような車両が登場していたらE235系の車体に205系の足回りを与えられた車両ということになるな。
仙石線からまた舞い戻る?改めて新性能化されて、クーラー迄ついて頑張りましたね。
コメントありがとうございます!!かなり波乱万丈な歩みをしていますよね笑結果的には長く活躍できたので、名車とも言えるような気がします!
面白かったです。いやー、すごい履歴の車があるもんですね。そういえば、鶴見線でもボディーは103(or101)系。足回りは72系で色はぶどー色というのが走っていたのを思い出しました。
近々これに並ぶ私鉄のとある車両を解説しますのでお楽しみに🤗
72系チョコレート色の電車に乗って通学しました.昭和53年9月に廃車されました。中はニス塗りと鉄板の薄水色との二通り有りました。編成数は、6両編成でした。走って居るとレールの繋ぎ目を、下駄を履いてる見たいな音がするからと、ゲタ電とも呼ばれて居ました!
仙石線の地上駅時代なつかしい。地下トンネルで駅裏の仙石線仙台駅まで移動したものだ。
3:50 空前絶後の大爆音に萌えたかった。
東は古いものはすぐ置き換えというが意外と大切にしてるんやなぁ…
これ私鉄だと日常茶飯事だよな(同じ流れなのは京阪1000系かと?・昭和初期の流線型ロマンスカー1000形・1100形や本邦初の連接車「號こわび」の下回りや台車を再利用して2000系同等の車体に載せ替え→電圧昇圧と冷房化のために5000系と同じ下回りに交換)
5000系はホームドアとの絡みで全車引退したけど、1000系は全車健在。なお京阪では石山坂本線の600系、700系も同様の変遷をしていて、こちらは種車の種車をたどると京阪1型まで遡るのもあるとか。
私はこういうアンバランスな車体更新車、異端車が好きで、よく16番で模型にしていました。72系970番台も。今は、箱の中で静態保存車になっています。
鉄道オタクですが、さすがに通勤用車輌の変遷迄は、ナカナカ把握してないので、勉強になりました、103系高運格好良い。最近の電車は左右非対称なのがナカナカ馴染みにくい感じです。
片町線長尾〜四条畷間の複線化完成のダイヤ改正(1979年10月)のシンボルマーク?が当時投入された関西圏初の103系高運転台車のイラストだったな。
う~む、72系偉大なり天晴じゃ。
昔、1960年代かな?常磐線の上野〜北千住間で63系か72系か?茶色の3ドアの電車に乗った記憶があります山の手線はウグイス色の103系だったと思います丸の内線の赤色に白い線の入った地下鉄が好きでした
この際だから私鉄に行った63形も扱って見たらいかがでしょう?東武7300系…東武通勤車20m化のきっかけとなる。後に7800系と同じ車体に更新。小田急1800形…後に切妻小田急顔の車体に更新 台車やブレーキにも手が加えられる。廃車後は秩鉄800系に。相鉄3000系…後に旧6000系と同じ車体に更新(3010系)更に86年に相鉄初のVVVF車となる(2代目3000系)山陽700形…後に2両が新たな4扉新造車体に載せ替え。他にも19m3扉の2700系になった物もありその中の6両は更にカルダン化され2300系となる。
南海1500形は?
東部野田線につりかけ駆動がまだいた2003年秋の思い出。野田線5070系の乗り心地を楽しみながら東葛駅伝の選手と並走。松戸駅前でゴールする選手を追いかける形で、柏駅から常磐快速線103系1000番台に乗り換えた。103系のモーターはもちろんつりかけではなかったが、もしもこれもつりかけ式だったら面白いなと感じる高速運転だった。国鉄がもし、さらにケチな発想だったならばと今なお想像してしまう。72系の車体だけを大量新製、それこそ中距離電車も身延線にいたクハ62、モハ66みたいな感じでアコモ車を大量増備、常磐線に401系より車体が新しいアコモ車の中距離電車が、民営化後もつりかけ音を高らかにずっと走り続けた姿を想像してしまう。
懐かしい!子供の頃松島に行くとき乗りました。
私も103系3000番台川越・八高線と言えば、どうしても5編成全て写真撮りたくて良く的場駅まで自家用車で行き駅の近くに有る?(今はもう無くなってしまったかもしれませんけど)の有料駐車場に止めて何日も掛けて根気良く撮影に出掛けましたけど、時には台風接近と言う大変危険な中を行ったり以外にもこの的場駅と言うのは交換駅でも有った為、必ず川越行と高麗川行もしくは八王子行が同時に並んで撮影には打ってつけでしたが、やはり駅舎には簡単な狭い待合室以外には屋根が付いておらず結構土砂降りの雨の時は身体全体が超ずぶ濡れになる思いとかもして結構大変でしたけど、もう今となっては昔持って居たデジカメで撮影した5編成全てをパソコンのファイルに移した奴を見てとても懐かしく思いますし、もうかれこれ20年以上前の話しですので自分自信も、あーあの時はまだまだ若かったなぁ😃と時代の流れもつくづく感じてしまいますよ😃
103形で冷房なし初めて見た。しかも、吊りがけで。一度乗って見たかった。
発車する時の衝撃が難点だが。味があった
新陳代謝しすぎて元のパーツはどれだけ残っていたのか…
台枠だけじゃないかと思います。
まさにテセウスの船状態ですね・・・まあ、滋賀県には台枠どころか元の車両は車籍しか残していない会社がありますけど(車両新製時に「新造」ではなく「改造」扱いにして、新製と同時に廃車になる車両の車籍を流用)
103系化後、ローカル運用に終始したが唯一サハ103-3003だけ一時期武蔵野線に運用され、地下ホームながら京葉線経由で東京まで乗り入れ果たした。
電化前の川越線のキハ35系列は、共通運用だった八高線や相模線ともども、押しボタン式の半自動扉を装備していました(今はあちこちで見る押しボタン式半自動扉と同機能で、実に先進的だった)。なので、半自動扉を装備した72系970番台の車体は、川越線にうってつけだったのです(手動式になったので、若干のサービスダウンになりましたが)。
コメントありがとうございます!改造されたとはいえ、他の103系とは違う、半自動ドアは特徴ですよね笑
見た目とアコモはともかく、電装と下回りが旧型国電そのまんまでも大した支障は(たぶん)出なかったので技術陣が優秀だったのです。馬鹿、じゃなくて意識高い方達の100万倍はSGdsだったと思います。
旧型国電が103系の車体を載せられ、下回りも103系されて戻ってくるこれもまた、鉄道界の「テセウスの船」
仙石線時代はスカイブルーですが同じスカイブルーでも京浜東北線よりくたびれてる感じが有りましたそのくたびれ具合が魅力的でした(女性はくたびれてるのは好きでは無いのに)
最初はウグイス色、後に前面はウグイス色に黄色の警戒帯が入り→スカイブルー色に変わりました。
はじめまして🙇大変参考になりました。今、LRT化されて話題になっているかつてのJR富山港線でも走っていた車両ですよね?
ですね。ただ、富山港線のやつは最終新製車か車体更新車がメインだったかと>72系
@@けん-o4y 様、教えて頂いて有難うございました。🙇自分は実際に見た訳ではないので、少し勘違いもしているようです。南正時さんの鉄道写真の本に載っていて、その時に富山港線とそこを走っている車両を知った様な記憶です。
@@秋吉冨士成さん 宮脇俊三さんのデビュー作「時刻表2万キロ」の第一章(昭和50年9月)に富山港線が出てくるんですが、乗車当時はもっと古いタイプだったらしく、執筆に合わせて再度確認の意味を含めて再訪したら「新形に変わっていた」とあったのでこの時点で先述の更新車+最終新造車に変わっていたかと?
@@けん-o4y 様、あぁそうなんですか...それで俺勘違いしていたのですね。当時は交流電化区間に直流電車がまるで離れ孤島の様に存在していたので、余計に珍しく印象に残っていたのでしょう。🙇
昭和57年に仙石線で乗った車両はずっと103系だと思ってました。73系だったとは…
その頃は両方いました😉
自分が小学6年の時、父親に連れられて何も知らずに川越から乗ったであろう八高線103系がまさか、種車が72系だったとは…おそるべし
最初にモハ72970が1両だけ出て鶴見線で最後まで働いて廃車。就役当初はオレンジだったから異彩を放っていましたね。その2年後に出たのが動画の仙石線に行った970番台と呼ばれるやつですね。
おそらくモハ72970を応用した形で製造した感じでしょうかね。
103系3000番台は川越車両センターでのさよなら撮影会の時にE993系ACトレイン並べて展示されてた。
最初の頃は大宮始発の高麗川方面の車両で走ってましたね。懐かしいです。
アコモデーション改造車・・・・・・懐かしいですね。身延線のモハ62形と並んで、見た目だけ新型。う~む。
コメントありがとうございます!!当チャンネルでも62系は紹介してるので、見ていただけると嬉しいです!
鉄道アーカイブスで73系全金車5扉片開き車体の作図があったような
そもそも日本の場合アメリカの電車みたいなAMUが使いこなせなかったし。更に許容軸重制限が厳しいし
イギリス🇬🇧「甘いな吊りかけでも高加速高減速出来る技術が無かったのか。」
今思ってみると、屋根上のクーラー配置が他の103とは異なるんですよね当時は新造車にしてはアコモが古いと思っていましたが、最近72系の改造車だと知りました
72系970番台ですが、鶴見線で8年間だけ活躍した「モハ72970」(番号そのまま)のことが欠如していますね。国鉄時代に当時は新性能車を受け入れる設備が不足していたため、鶴見線で走った試作車。オレンジ色で登場してのちに茶色に塗り替えられました。この電車の成果をみて、仙石線に導入が決まりました。仙石線を去ったあと、サハに改造されたものが青梅、五日市線に一時期おり、運用の都合で武蔵野線を走ったものもいます。これらが八高線電化の際に再び集結。廃車まで走り続けたのは記憶に新しいところです。「魔改造」という表現は好ましくないですね。 ライターをしていますが、情報誌ではこの言葉がボツになって居るのをご存知でしょうか?以降はお気をつけて。
オススメに出てきて拝見しました。エエハナシです、高評価押しときます。
1951年といえば桜木町駅の火災事故ですね。窓も開かず、他の車両にも逃げられないのではどうにもならなかったでしょうね。私も実際に覚えている電車は103系くらいからですかね……。
BGM大き過ぎて声聞こえないところが多い、、、、。
関係ないんですけど、新性能電車っていう響きが103系や113系ってカッコイイなぁって思うんですよね。今の新型電車には、国鉄の当時の新型電車の俗称である新性能電車みたいな感じのいい方ってしないんですよね。
えぇー、僕が乗ってた川越線の103系って異端車だったんや。。。
73系可部線にいました子供のよく見てました。
音声に比べてBGMの音量が大きすぎて聞きづらい
何だか違和感を感じると思ったら魔改造された車体であった訳ですね。JR電化記念 昭和63年の記念プレートが駅に置かれています。
鶴見線に居たモハ72970は憶えています
子供の頃~国鉄~常盤線~金町線から上野駅まで乗ってましたね~形式はわかりませんが~
103系3000番台はもはやテセウスの船だな
そういや、当時の鉄道雑誌に「余った中間車は関西に送る」とか書かれてたな(実際同じ時期に片町線が順次6両から7両に増結してたからな)>サハ103形3000番代
サハ103-3000番台は当初は青梅・五日市線だよ😉
03:57 北局管内だと72系廃止は赤羽線→1967年京浜東北線→1971年ガキの頃の記憶だけど山手線103系と京浜東北線72系の並走だとやっぱ103系の方が速かったような気がする。京浜東北線末期の72系は全部モセ持ちなのかな?
なんか最後、ホロリと来ました。72系、長い間お疲れ様でした。
コメントありがとうございます!!72系は、本気で語ると1時間以上になるほどドラマがあります笑
☆ タイトルとリードに軽く感じた不快感でしたが、中身を見て完全に解消しました。むかしこの車輌がアコモデーションを受け仙石線に投入された記事を当時の鉄道雑誌で読んだことを思い出しました。個人的に72系は思い入れがあり、当時のHOゲージでクモハ73とクハ79を買ってレイアウトで遊んだことを思い出します。
バックの音楽を、もうちょっと絞ってもらえると更に快適です。
すみませんでした…次に活かします!ご意見ありがとうございます!
東武3000系等、昔はこのテの魔改造車が多くいました。
BGMおおきいよー
すみません…次に活かします!
火災事故は桜木町事故だった気がする
飯田線だかで111系を始祖とする「近郊型」の車体にモデイファイされた車両もありますよね。「お隣中央本線の113系の様に裾を絞りたかったけど台枠の幅が広くて、N電みたいになっちゃった」子供の頃に「鉄道ファン」誌でそんな記事を読みました。63系の払い下げとしては地元では小田急の1800。横浜線もまだ単線に73系だったので、「新原町田」の立体交差で手を振りあってる感じでした。同じころに相鉄にも居た訳だけど、小学生にはお隣の電車って感じで形式まで知らない。例えば「あれは戦後に省電から払い下げを受けた電車だよ」とか、得たい、まぁ少なくとも興味がある情報に辿り着くまでに要する時間やリソースが、現代とはまるで違うので、まぁそんなものかしら。
身延線の62系?
@@psychedelicraspberry517 あぁ、多分それです。身延線でしたか。
全然知りませんでした。当時、半自動の103系としか思っていませんでした。
大出世した車両だね
コメントありがとうごさいます!まさか車体だけが生き残って真の103系になれたエピソードは少し感動しますね。
ご使用の写真はご自身で撮影されたものですか?出自を記載されたほうが良いですね
その通りですね💦ご指摘ありがとうございます。
BGM音量の調整ミスっててとても聞き取りにくい動画となってますがご容赦ください…
今ならヒンシュクものですが、仙石線にアコモ車が登場した時「上は娘で、下は婆さん」と揶揄した誰かの悪口コメントが、鉄道雑誌に載っておりました。
まぁなんと汚下品なぁー🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
プッ❗😁
うまいこと言うねえ
103系3000番台に再改造されてから、川越線で撮影したことがあります。もうそれも30年近く前のこと…月日の経つのは早いものです。
2005年頃、廃車間近のコレに乗りに行ったコトあります。103系らしくないソレに違和感覚えたのが記憶あります😃
子供の頃、当時新しかった103系より旧型の方がお気に入りでした
車体ど真ん中の扉の位置に支柱が立っていて、妙な安心感があったのを覚えています
@世界の天才坂口達也 はへ?
おそらく木造車体の補助という意味合いと思われますね。あの桜木町事故で木造車体の更新が始まったキッカケと聞いており、その後あの鉄棒は無くなったと聞いております😃
@@ウルトラヘブン-r7y
6ドア車には付いてた
山手線へのE231系500番台投入に伴う205系の玉突転属が2004年頃から本格化していた中、
秋田総合車両センターでの短編成化を経ての205系への置き換えが多分に漏れず進行していた
八高南線・川越線も2005年10月、東京臨海高速鉄道から購入した70-000系を改造した209系3100番台に
引導を渡される形で、遂に103系3000番台の最終編成が定期運用を離脱した。
奇しくも1985年の川越線電化完成から20年のこの年、最後の103系3000番台となったハエ53編成は、
前日の川越車両センターでのイベント展示を経て、翌10月2日は川越駅での電化20周年記念出発式で見送られ、
終日、沿線に集まったファンから名残を惜しまれつつ、ここに遂にその数奇な歴史を、、、
終えなかった。
定期運用離脱からわずか10日後の10月12日に、八高南線・川越線充当車両に故障が発生し、
運用に支障を来す事態が発生。
急遽、代走に抜擢されたのが件のハエ53編成であり、さながらキリストの再臨である。
72系からのインチキ103系への改造、本物の103系への再改造、そして有終の美を飾ったかと見せかけてのまさかの復活という、
数々の伝説を作り出した103系3000番台を、私は終生忘れない。
キリストの再臨で笑いました
生命力高すぎでしょw
終えなかったは噴いた
何なら101よりも長かったという…苦笑
某205系10両編成の深緑編成みたいだな🤣
地元川越在住です。
この手の解説動画に有りがちな、旧型車両を「ボロ」と呼ばない進行に好感がもてます。
コメントありがとうございます!!
そう言っていただけて嬉しいです!
だってコチラも年寄りのボロなんで自分を悪く言うみたいなモンでしょうよ😁
1980年頃に仙石線のアコモ改造車の撮影と乗車目的で仙台に行ってきました。
当時小学生でしたが東北で103系もどきが走っているのを見て感動しました。
川越線沿線で過ごした高校時代、通学のお供はいつも103系3000代でした。年季の入った車内、非冷房時代を感じさせたAU712分散クーラー、哀愁漂うMGの音、115系のようなブレーキやドアの音、今でも忘れません。非電化時代のキハ30系の面影を残しているようにも見えました。こういうゲテモノ?車輌こそ鉄博で保存したら良かったのに。
一応103系なのですがモーターのMT55除いて廃車他車からのパーツ寄せ集めの実物大プラモデル的でマニアには興味深い車両ですね😁
鶴見線72系、懐かしいですね。ドア(車内の注意書に「開くドアーに手を挟まない様注意。」がドア脇に貼ってあった)のが開く時、開く速度が遅く、途中で止まってしまう車両が時々あり、そういう時は、乗客が押して開けていた。(手と足を使い、2箇所で押しながら開けるのがコツ。今は無いですよね、その様な車両)また座席のモケットが破れ、違う色の布で仮補修されていたりも、思い出しました。南武線に転属とはいえ、101系(オレンジ+スカイブルーとか、混合色編成があった)が入り始めた頃で、揺れが少なく羨ましかった。もう50年近く前な話になるのか。
学生時代、地元を走る八高線が念願の電化されると云う事で、どんな電車が走るのだろうと当時ワクワクした記憶があります。その時、当時最新鋭だった209系と共にやって来た103系電車。このギャップも凄い物でしたが、当時武蔵野線等で走っていた103系とも走行音や雰囲気が何処となく違い、色だけは山手線や横浜線で走っていたウグイス色なのに何だかボロッちぃなぁと思った物でした(笑)それでも、ディーゼルカー時代の頃から考えると格段の進歩でしたが。。
そんな八高線を走っていた103系が、まさか東北の地を走っていた仙石線のアコモデーション車両だったとは知りませんでしたし、ある意味とても貴重な歴史の長い車両だとは思いもよりませんでした。
こんな情報もネットがあるからこそ知れた事で、その情報が無ければただの垢抜けないボロい103系と云う印象で終わっていたかも知れませんネ。
BGMが大きすぎて説明がききとりにくかったけど、内容が面白かったです。
1970年代で既に魔改造やってるのが凄い技術力だなぁ
103系もどきの72系が平成17年まで生き残ってたのがおそろ...いやw凄い
へぇー。あの遠くのはるかな時代。103系3000は京浜東北線や山手線で前後3両ずつの新製車に挟まれた、屋根にアスピリンがずらりと並んだ骨董品が再利用されたモノと思っていました。
夏場の深夜。冷房の効く前後の車両だけが混んでいて、真ん中の車はゴーストトレインだったことを思い出すと、電車馬鹿でなくても利用者は知っていたのですね。たまに来る電車の全車が冷房付きだとほっとしました。当時住んでいたところは洋光台で、この電車しか横浜までの移動手段はなかったので。
当然横浜線直通電車は避けました。あの当時先頭と後ろのクハ以外は全部アスピリンで、クハにはカマボコが付いていても役立たずの地獄電車でしたから。
子供の頃、仙石線103系の両開き扉が嫌いでした。半自動なので開ける時は手動で、子供の力では結構大変だった記憶。その点72系の片開き扉は軽く開くので好きでした。
@世界の天才坂口達也
性格悪つ!
103系1000番台を105系(4扉車)に改造した際に余剰となったモーターや台車なども使われてますね。
子供の頃こげ茶色の72系横浜線にのった事があります。原町田駅から八王子まで。
仙石線の仙台駅が地上駅だった頃に仙台~石巻で72系に乗り、その数年後に姿形を変えた72系→103系川越線に乗りました。
本当に息の長い優秀な電車でした。
川越線電化により晴れて103系に生まれ変わったニュースを雑誌で見た時は鳥肌が立つほど感動しました。
似たような車体更新を受けたクハ66形が旧国のまま終わったことを思うと奇跡的な生まれ代わりだと思います。
魔改造と言えば東武鉄道の十八番と思いきや、国鉄にもそんな車両があったのですね!!。
仙石線の電車はこの72系アコモ改造車も103系も 潮風にやられて塗装が相当くたびれた印象がありました。
103系3000番台はオイラン車として開業前の埼京線を走った事もあります。
こと台枠に関しては21世紀迄生き残った旧型国電でしたね。
八高線・川越線の車両形式が103系→205系→209系→E231系と4世代変わってもいまだに「3000番台」を使っているところ、電化後に導入された103系って後継車両に影響与えてるなぁと思いました。JR東も変えるの面倒なのか謎です。
後者でしょう
多分JR東日本基準でその3000番代に準ずる改造、又は仕様で新造されて、209系3000番代の時は当時置き換え目的だった103系が3000番代だったからそのまま踏襲したと聞いたが、結局今でも続いてるというw
まぁでも、仙石線向けに205系3100番代がいるけど、3000番代とほぼ同一だがトイレの有無とか耐雪仕様だから分けたんでしょうね
余談になるけど、番号や番代絡みだと、東海道山陽新幹線が東海が基本番代、西が3000番代が100系から続いてますな(その関係からかサンライズは西が基本番代、東海が3000番代)
103系風で下回りは吊り掛け電車の72970系。
昭和60年に本当に103系3000番台に改造されて、足回りはカルダン勲動になった。
電化開業した川越線に投入されたが、沿線人口増加で川越ー高麗川間のローカル運行に入った。
冷房改造工事を受けて、またまた、人口増加で4両編成に増強されたが、205系3000番台などの進出により、平成17年に全車廃車となった。
このシリーズ面白いです。博物館で見る旧型車両も様々な運用あって興味深いですよ😳
これと似たパターンに、京阪1000系があります。
昭和12年製流線型1000系の台車電気部品を流用し、昭和42年から車体を3ドア両開きの全金属車体に置き換え、700系となる。
昭和52年、京阪本線1500V昇圧に伴い、700系を新製の台車電気部品に取替新性能化、同時に冷房化して新1000系となる。
その後、平成の初め頃、内装を6000系と同じ暖色系に変更するなどの車体更新が行われ、現在も6編成全て現役という、複雑怪奇な車歴を持ちます。
これを国鉄(JR)に当てはまると、流電モハ52の車体を、戦後103系の車体に乗せ換え、昭和末期に台車電気部品を205系のものに取替、さらに平成に40Nを受けて今も現役って感じ。
あと名鉄にも、このパターンの、車体のみ新製、下回りは旧型ってのが、いっぱいいたと思います。
アコモ改造車両は個人的に好きな電車です。車体は新しいのに足回りは吊り掛け駆動方式、このアンバランスさがたまりませんでしたね。
東武5000系、
名鉄瀬戸線も車体は昭和後期、
モーター台車は昭和初期が走行していました。
今だと広島や長崎の路面電車がそれに近いですね。
@@ゆうちゅーぷ
一応東武7800系は車体とら
足回り
昭和28年〜昭和36年製なんだけど
同世代の国鉄新造72系より古そうな感じしたな。
東武73系も車体更新後も半鋼車体だったし。
東武3000系だと足回り昭和一桁から昭和20年代だけど。
東武7800系
「もしかして国鉄72系全金車よりウチの方が古そうなんだが、車体も足回り台車も
モーターだけ高速回転で優ってるがあああ。」
名鉄瀬戸線の6750系二次車は新性能化可能な構造になっていたそうですが結果的には瀬戸線の塗装設備廃止の関係で廃車。もったいない。
今だと面白いのが嵐電で、車体は新しく台車も新品のFS93に順次交換中。しかし駆動方式は吊り掛け式のままというミスマッチが生まれてます。
鉄道ファンです。電車好きにはたまらない解説動画ですネ❗
103系は大好きな電車でしたがこれは知りませんでした💦勉強になりました。ありがとうございます😊
私鉄だと小田急旧4000形がまさにこれでしたね。
開業初期のつりかけ車の下回りに当時新型の5000形の車体。
63系電車の割り当て車から改造された1800形と混結したら相性が悪く脱線が多発した迷なエピソード、
そして2400形のパーツを移植しての新性能化。
足回りがお隣相鉄と同じディスクブレーキ採用だったのが印象的でした。
小田急4000系、主さんにぜひ取り上げてもらいたいですね。
台車は、むしろ東急7000系と同じパイオニア型でした。新性能化の時には他の小田急車とは違うTS型台車になったのは、きっとどこかの中古品なんでしょうね。掘り下げるとネタはいろいろありそうです。
@@kousakuguma 小田急初代4000形の新性能化改造で履いた台車は、新製されたTS台車にパイオニア台車のディスクブレーキを流用したものです。
中型車の2400形で使っていたモーターが、大型車の4000形だと発電ブレーキの容量が足りなかったそうで、そういう構成になっているそうです。
おー!
両方地元として体験していますよ〜。
実家は小田急線沿線で、旧性能車のモーモー鳴く4000形を堪能し、成人し、社会人になって一人暮らしした所が拝島だったので、この103系3000番台によく遭遇しました。普段は青梅線を使っていましたが、わざわざ珍車を味わうためだけに八高線に乗っていましたよ。
高運転台の、パッと見は山手線や京浜東北線のお古っぽく見えるけど、よく見ると青梅線で運用されていた低運転台の103系と明らかに違う佇まいに感動していました。それにコイルバネの昭和な乗り味がまた良いんですよね〜。
同じ吊り掛け式でも1800系は国鉄型で音が重厚でしたが4000系の妙に軽い?コーコー音は好きになれなかったですね😃
ちなみに関西の京阪1000系も同じですよw
旧1000系→700系→新1000系というアコモルートです。
そこから改造を再度加えて、番号はそのままにまだ現役で本線走ってますwww
国鉄にも改造に改造を重ね、テセウスの船のようになった車両がいたのですね。
とても参考になりました。
あとアイコンの女の子かわいいですね。
( ;ᯅ; )
とれいんあんびしゃす!!さん!!お元気でしたか??心配してましたが、たまたま見つけた動画があなたとは!!見つけられて嬉しいです!!チャンネル登録しました!!
ありがとうございます!
ゆるーくたまに動画あげる程度ですがよろしくお願いします♪
JRの他にも大手私鉄の相鉄で63系電車をベースに、同じ様に新性能電車の6000系の車体に交換した
3000系(3050系)電車が1998年まで走っていましたね。
しかも末期にはGTO-VVVFインバーター制御に魔改造されていました・・・(笑)
(乗車経験あり)
コメントありがとうございます!
そんな車両もいるんですね!
相鉄さんは10系国電ベース2000系→2100系アルミ車体化→冷房化&足回り新性能化、5000系流線形→5100系アルミ車体→5500系VVVF化、など魔改造がとても多いです、現在でも8000系以降のクルマの青色化とライト変更などを行なっています。この他東武鉄道も姿を変えて残る車が多かったです。1720系→200系、6000系→5050系、7800系→5000系
相鉄3000系は吊り掛けからVVVFに改造される前にはそのまま廃車という話もあったが、VVVF&冷房改造され、しかも車内には列車走行位置表示版まで取り付けられました。
旧6000系全廃後も走っていましたが、1999年に相模大塚駅構内での脱線事故で廃車に・・・
@@国道八段 あの車両はVVVFの試作目的もあった。今の時代だったら間違えなく廃車だった。
私鉄のアコモデーション改造車両の異端児は何と言っても小田急初代4000形ですね。パイオニアP3台車が特徴で乗り心地は最高でしたが走行音は吊り掛け駆動方式で爆音を響かせていました。急行電車に充当された時は10両編成の吊り掛け爆音が私の大学のキャンパスまで聞こえてきたものです。懐かしい思い出です。
川越線が電化された頃は、3000番台も大宮まで乗り入れていた気がします。
ちなみに埼京線は山手線からの転属車両で、開業当初は日中の快速は30分ヘッド。
その快速が川越まで直通運転。
そだよ~😘
BGMの音量が少し大きすぎる気がする…
ご指摘ありがとうございます!!
次からは気をつけますね!
別の動画でテセウスの舟みたいな8620型が紹介されていましたが、この103系3000番代もテセウスの舟なんですね。
103の皮を被った旧國ってのがたまらなくいいね〜、川越線によく乗りに行ったなぁ〜
ひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべました2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓ひから91021ばすをたべました2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓ひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべました2通ローソン新井確認死刑レジな前田印鑑青山型秋山ダイソーセブン松屋コバや心臓ひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべましたひから91021ばすをたべました
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仙台に行った時、アコモ改造車に乗って松島まで行きました。
その後、仙台に行くことはなく、それが最初で最後になりました。
しかし、まさかまた川越で再会できるとは思っていませんでした。
ただ、川越駅で見かけだだけで、乗るチャンスはありませんでした。
友達に当時焦げ茶色だった山手線が(今度黄色くなるぞ)と言い、翌年また(次は黄緑色だ)と言ったら本当に変わったので(お前すげぇなぁ)とウケたのだが父親が🚋電車製造の会社だった。😅
1979年時点ではまだ横浜線で72系走ってました。80年は早々に引っ越したのでわかりませんが。ちなみに自分らの間では、ウンコ電車と言われてました、色的に。
205系が故障してその後1日だけですが運用して、ホントの最期となったとさ・・・・・
アコモ改造車の現役時代を知ってる世代なんですが、当時模型ネタには丁度良い車両でした。
私は大昔の旧型国電は見た事がないのですが、103系も205系も非常に懐かしい車両達でしたね。
サハ103-3000が豊田(青梅五日市線)に居たことが全くスルーされている…
もっとスルーされているのはモハ72970な。鶴見線に投入されたたった一両のやつ。
そうでしたか。日高あたりで、かつて見た川越線ってこれだったんだと思いました。
私、そんなに詳しくはないですが、豊富な写真で楽しかったです。
ちなみに、63系電車に構造的な欠陥があったのではなく、この当時に製造されていた最新の80系電車も同様の事態になれば車両火災は免れないものでした
実はそうした事態が公にならないように、63系電車はやり玉にあげられたといえます
そして、72系電車は国産の鉄道車両として、初めて本格的な防火対策が施された車両といえます
@@利-y8w それを構造欠陥というなら、63系に限らずその当時の鉄道車両すべてがそうでしたね
ちなみに、窓に関しては当時は大きめのガラスの入手が困難であったのと、窓から出入りするマナーの悪い乗客がいたからです
外から入れない=中からも出られないということです
また、当時の窓は2段式でも全開にはならず、上段を下げるか下段を上げるかしかできませんでした
ドアコックに関しても、いたずらで操作するマナーの悪い乗客がいたので、あえてわかりにくくしていました
つまり、脱出不可能という点ではどの車両も変わらないことになります
ちなみに、貫通扉は関西圏においては競合する私鉄電車とのサービスとして通過可能になっていましたが、関東圏ではそもそもそうした運用は想定されていなかったので、扉には鍵がかけられていました
コメントありがとうございます!!
そういう少し裏の話もあるんですね!
旧型国電は本当に奥が深いです…
当時は今と違って防火関連の基準も事実上なかったので内装にも普通に木材などが使われていましたからね。
なお、現在の車両にも装飾品やテーブルなどに木材が採用されているものがありますが、これらは木材に樹脂を染み込ませて難燃加工したものです。
八高・川越線電化の時はディーゼルがなくなるのが寂しい気がしていました。その直後に乗車した記憶がありますが、もしかしたらあの時のウグイス色の電車が72系にルーツを持っていたかもしれないとは、ちょっと驚きました。
高校の頃川越線が電化された直後に乗る機会がありましたが釣りかけ音ではないのでがっかりした記憶があります、室内はつり革をぶら下げている棒が純正103系よりも細くよそからの改造車なんだなと実感していました
現代でもしもそのような車両が登場していたらE235系の車体に205系の足回りを与えられた車両ということになるな。
仙石線からまた舞い戻る?改めて新性能化されて、クーラー迄ついて頑張りましたね。
コメントありがとうございます!!
かなり波乱万丈な歩みをしていますよね笑
結果的には長く活躍できたので、名車とも言えるような気がします!
面白かったです。
いやー、すごい履歴の車があるもんですね。
そういえば、鶴見線でもボディーは103(or101)系。足回りは72系で色はぶどー色というのが走っていたのを思い出しました。
近々これに並ぶ私鉄のとある車両を解説しますのでお楽しみに🤗
72系チョコレート色の電車に乗って通学しました.昭和53年9月に廃車されました。中はニス塗りと鉄板の薄水色との二通り有りました。編成数は、6両編成でした。走って居るとレールの繋ぎ目を、下駄を履いてる見たいな音がするからと、ゲタ電とも呼ばれて居ました!
仙石線の地上駅時代なつかしい。地下トンネルで駅裏の仙石線仙台駅まで移動したものだ。
3:50 空前絶後の大爆音に萌えたかった。
東は古いものはすぐ置き換えというが意外と大切にしてるんやなぁ…
これ私鉄だと日常茶飯事だよな(同じ流れなのは京阪1000系かと?・昭和初期の流線型ロマンスカー1000形・1100形や本邦初の連接車「號こわび」の下回りや台車を再利用して2000系同等の車体に載せ替え→電圧昇圧と冷房化のために5000系と同じ下回りに交換)
5000系はホームドアとの絡みで全車引退したけど、1000系は全車健在。
なお京阪では石山坂本線の600系、700系も同様の変遷をしていて、こちらは種車の種車をたどると京阪1型まで遡るのもあるとか。
私はこういうアンバランスな車体更新車、異端車が好きで、よく16番で模型にしていました。72系970番台も。今は、箱の中で静態保存車になっています。
鉄道オタクですが、さすがに通勤用車輌の変遷迄は、ナカナカ把握してないので、勉強になりました、103系高運格好良い。最近の電車は左右非対称なのがナカナカ馴染みにくい感じです。
片町線長尾〜四条畷間の複線化完成のダイヤ改正(1979年10月)のシンボルマーク?が当時投入された関西圏初の103系高運転台車のイラストだったな。
う~む、72系偉大なり天晴じゃ。
昔、1960年代かな?
常磐線の上野〜北千住間で63系か72系か?茶色の3ドアの電車に乗った記憶があります
山の手線はウグイス色の103系だったと思います
丸の内線の赤色に白い線の入った地下鉄が好きでした
この際だから私鉄に行った63形も扱って見たらいかがでしょう?
東武7300系…東武通勤車20m化のきっかけとなる。後に7800系と同じ車体に更新。
小田急1800形…後に切妻小田急顔の車体に更新
台車やブレーキにも手が加えられる。廃車後は秩鉄800系に。
相鉄3000系…後に旧6000系と同じ車体に更新(3010系)更に86年に相鉄初のVVVF車となる(2代目3000系)
山陽700形…後に2両が新たな4扉新造車体に載せ替え。他にも19m3扉の2700系になった物もありその中の6両は更にカルダン化され2300系となる。
南海1500形は?
東部野田線につりかけ駆動がまだいた2003年秋の思い出。野田線5070系の乗り心地を楽しみながら東葛駅伝の選手と並走。松戸駅前でゴールする選手を追いかける形で、柏駅から常磐快速線103系1000番台に乗り換えた。103系のモーターはもちろんつりかけではなかったが、もしもこれもつりかけ式だったら面白いなと感じる高速運転だった。
国鉄がもし、さらにケチな発想だったならばと今なお想像してしまう。72系の車体だけを大量新製、それこそ中距離電車も身延線にいたクハ62、モハ66みたいな感じでアコモ車を大量増備、常磐線に401系より車体が新しいアコモ車の中距離電車が、民営化後もつりかけ音を高らかにずっと走り続けた姿を想像してしまう。
懐かしい!
子供の頃松島に行くとき乗りました。
私も103系3000番台川越・八高線と言えば、どうしても5編成全て写真撮りたくて良く的場駅まで自家用車で行き駅の近くに有る?(今はもう無くなってしまったかもしれませんけど)の有料駐車場に止めて何日も掛けて根気良く撮影に出掛けましたけど、時には台風接近と言う大変危険な中を行ったり以外にもこの的場駅と言うのは交換駅でも有った為、必ず川越行と高麗川行もしくは八王子行が同時に並んで撮影には打ってつけでしたが、やはり駅舎には簡単な狭い待合室以外には屋根が付いておらず結構土砂降りの雨の時は身体全体が超ずぶ濡れになる思いとかもして結構大変でしたけど、もう今となっては昔持って居たデジカメで撮影した5編成全てをパソコンのファイルに移した奴を見てとても懐かしく思いますし、もうかれこれ20年以上前の話しですので自分自信も、あーあの時はまだまだ若かったなぁ😃と時代の流れもつくづく感じてしまいますよ😃
103形で冷房なし初めて見た。
しかも、吊りがけで。
一度乗って見たかった。
発車する時の衝撃が難点だが。味があった
新陳代謝しすぎて元のパーツはどれだけ残っていたのか…
台枠だけじゃないかと思います。
まさにテセウスの船状態ですね・・・
まあ、滋賀県には台枠どころか元の車両は車籍しか残していない会社がありますけど
(車両新製時に「新造」ではなく「改造」扱いにして、新製と同時に廃車になる車両の車籍を流用)
103系化後、ローカル運用に終始したが唯一サハ103-3003だけ一時期武蔵野線に運用され、地下ホームながら京葉線経由で東京まで乗り入れ果たした。
電化前の川越線のキハ35系列は、共通運用だった八高線や相模線ともども、押しボタン式の半自動扉を装備していました(今はあちこちで見る押しボタン式半自動扉と同機能で、実に先進的だった)。
なので、半自動扉を装備した72系970番台の車体は、川越線にうってつけだったのです(手動式になったので、若干のサービスダウンになりましたが)。
コメントありがとうございます!
改造されたとはいえ、他の103系とは違う、半自動ドアは特徴ですよね笑
見た目とアコモはともかく、電装と下回りが旧型国電そのまんま
でも大した支障は(たぶん)出なかったので技術陣が優秀だったのです。
馬鹿、じゃなくて意識高い方達の100万倍はSGdsだったと思います。
旧型国電が103系の車体を載せられ、下回りも103系されて戻ってくる
これもまた、鉄道界の「テセウスの船」
仙石線時代はスカイブルーですが
同じスカイブルーでも京浜東北線より
くたびれてる感じが有りました
そのくたびれ具合が魅力的でした
(女性はくたびれてるのは好きでは無いのに)
最初はウグイス色、
後に前面はウグイス色に黄色の警戒帯が入り→スカイブルー色に変わりました。
はじめまして🙇
大変参考になりました。
今、LRT化されて話題になっているかつてのJR富山港線でも走っていた車両ですよね?
ですね。ただ、富山港線のやつは最終新製車か車体更新車がメインだったかと>72系
@@けん-o4y 様、教えて頂いて有難うございました。🙇
自分は実際に見た訳ではないので、少し勘違いもしているようです。
南正時さんの鉄道写真の本に載っていて、その時に富山港線とそこを走っている車両を知った様な記憶です。
@@秋吉冨士成さん 宮脇俊三さんのデビュー作「時刻表2万キロ」の第一章(昭和50年9月)に富山港線が出てくるんですが、乗車当時はもっと古いタイプだったらしく、執筆に合わせて再度確認の意味を含めて再訪したら「新形に変わっていた」とあったのでこの時点で先述の更新車+最終新造車に変わっていたかと?
@@けん-o4y 様、あぁそうなんですか...それで俺勘違いしていたのですね。当時は交流電化区間に直流電車がまるで離れ孤島の様に存在していたので、余計に珍しく印象に残っていたのでしょう。🙇
昭和57年に仙石線で乗った車両はずっと103系だと思ってました。73系だったとは…
その頃は両方いました😉
自分が小学6年の時、父親に連れられて何も知らずに川越から乗ったであろう八高線103系がまさか、種車が72系だったとは…
おそるべし
最初にモハ72970が1両だけ出て鶴見線で最後まで働いて廃車。
就役当初はオレンジだったから異彩を放っていましたね。
その2年後に出たのが動画の仙石線に行った970番台と呼ばれるやつですね。
おそらくモハ72970を応用した形で製造した感じでしょうかね。
103系3000番台は川越車両センターでのさよなら撮影会の時にE993系ACトレイン並べて展示されてた。
最初の頃は大宮始発の高麗川方面の車両で走ってましたね。懐かしいです。
アコモデーション改造車・・・・・・懐かしいですね。身延線のモハ62形と並んで、見た目だけ新型。う~む。
コメントありがとうございます!!
当チャンネルでも62系は紹介してるので、見ていただけると嬉しいです!
鉄道アーカイブスで73系全金車5扉片開き車体の作図があったような
そもそも日本の場合
アメリカの電車みたいなAMUが使いこなせなかったし。
更に許容軸重制限が厳しいし
イギリス🇬🇧「甘いな吊りかけでも高加速高減速出来る技術が無かったのか。」
今思ってみると、屋根上のクーラー配置が他の103とは異なるんですよね
当時は新造車にしてはアコモが古いと思っていましたが、最近72系の改造車だと知りました
72系970番台ですが、鶴見線で8年間だけ活躍した「モハ72970」(番号そのまま)のことが欠如していますね。国鉄時代に当時は新性能車を受け入れる設備が不足していたため、鶴見線で走った試作車。オレンジ色で登場してのちに茶色に塗り替えられました。この電車の成果をみて、仙石線に導入が決まりました。
仙石線を去ったあと、サハに改造されたものが青梅、五日市線に一時期おり、運用の都合で武蔵野線を走ったものもいます。これらが八高線電化の際に再び集結。廃車まで走り続けたのは記憶に新しいところです。
「魔改造」という表現は好ましくないですね。 ライターをしていますが、情報誌ではこの言葉がボツになって居るのをご存知でしょうか?以降はお気をつけて。
オススメに出てきて拝見しました。
エエハナシです、高評価押しときます。
1951年といえば桜木町駅の火災事故ですね。窓も開かず、他の車両にも逃げられないのではどうにもならなかったでしょうね。私も実際に覚えている電車は103系くらいからですかね……。
BGM大き過ぎて声聞こえないところが多い、、、、。
関係ないんですけど、新性能電車っていう響きが103系や113系ってカッコイイなぁって思うんですよね。今の新型電車には、国鉄の当時の新型電車の俗称である新性能電車みたいな感じのいい方ってしないんですよね。
えぇー、僕が乗ってた川越線の103系って異端車だったんや。。。
73系可部線にいました子供のよく見てました。
音声に比べてBGMの音量が大きすぎて聞きづらい
何だか違和感を感じると思ったら魔改造された車体であった訳ですね。
JR電化記念 昭和63年の記念プレートが駅に置かれています。
鶴見線に居たモハ72970は憶えています
子供の頃~国鉄~常盤線~金町線から上野駅まで乗ってましたね~形式はわかりませんが~
103系3000番台はもはやテセウスの船だな
そういや、当時の鉄道雑誌に「余った中間車は関西に送る」とか書かれてたな(実際同じ時期に片町線が順次6両から7両に増結してたからな)>サハ103形3000番代
サハ103-3000番台は当初は青梅・五日市線だよ😉
03:57 北局管内だと72系廃止は
赤羽線→1967年
京浜東北線→1971年
ガキの頃の記憶だけど山手線103系と京浜東北線72系の並走だとやっぱ103系の方が速かったような気がする。
京浜東北線末期の72系は全部モセ持ちなのかな?
なんか最後、ホロリと来ました。72系、長い間お疲れ様でした。
コメントありがとうございます!!
72系は、本気で語ると1時間以上になるほどドラマがあります笑
☆ タイトルとリードに軽く感じた不快感でしたが、中身を見て完全に解消しました。むかしこの車輌がアコモデーションを受け仙石線に投入された記事を当時の鉄道雑誌で読んだことを思い出しました。個人的に72系は思い入れがあり、当時のHOゲージでクモハ73とクハ79を買ってレイアウトで遊んだことを思い出します。
バックの音楽を、もうちょっと絞ってもらえると更に快適です。
すみませんでした…次に活かします!
ご意見ありがとうございます!
東武3000系等、昔はこのテの魔改造車が多くいました。
BGMおおきいよー
すみません…次に活かします!
火災事故は桜木町事故だった気がする
飯田線だかで111系を始祖とする「近郊型」の車体にモデイファイされた車両もありますよね。
「お隣中央本線の113系の様に裾を絞りたかったけど台枠の幅が広くて、N電みたいになっちゃった」
子供の頃に「鉄道ファン」誌でそんな記事を読みました。
63系の払い下げとしては地元では小田急の1800。
横浜線もまだ単線に73系だったので、「新原町田」の立体交差で手を振りあってる感じでした。
同じころに相鉄にも居た訳だけど、小学生にはお隣の電車って感じで形式まで知らない。
例えば「あれは戦後に省電から払い下げを受けた電車だよ」とか、
得たい、まぁ少なくとも興味がある情報に辿り着くまでに要する時間やリソースが、
現代とはまるで違うので、まぁそんなものかしら。
身延線の62系?
@@psychedelicraspberry517
あぁ、多分それです。身延線でしたか。
全然知りませんでした。当時、半自動の103系としか思っていませんでした。
大出世した車両だね
コメントありがとうごさいます!
まさか車体だけが生き残って真の103系になれたエピソードは少し感動しますね。
ご使用の写真はご自身で撮影されたものですか?出自を記載されたほうが良いですね
その通りですね💦
ご指摘ありがとうございます。