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高崎に旧型客車が残ったのは、お召し列車の訓練、試運転用に必要だったからと聞いたことがあります。9:45>鋼製客車のうち20m級としては一番最初に誕生とありますが、3軸台車を履くような寝台車や展望車を始めとした特急、急行列車に使用される優等客車は31系時代にすでに20m級でした。スハ32は普通列車用の3等客車として初めての20m級客車というのが正確です。
準レギュラー:ペンシルバニア鉄道
この旧型客車は只見線でSL列車が運転された時に乗車しました。当てずっぽうで3号車を指定した所、スハフ32だったので本当にラッキーでした。これからも出来るだけ長い期間運転されて欲しいですね。
学生の頃には鈍行専用と化し、現役状態で乗ったのはそれが最後でしたね。その当時ですら結構傷んでいたし、京都の梅小路にあった保存車両ですら一昔前までボロボロでこのまま消えてしまうと思いきや、こうも復活するとは感慨深いです。ただマシとかオシといった食堂車が残っていない事が本当に惜しいですね…。
日本国内で普通客車列車が絶滅して久しいです。私が小学生の頃の昭和50年代後半でもかなり数を減らしていて、時刻表の列車番号が数字のみの普通列車を探していたのが思い出されます。
オシが残ってないのがオシい😉
走れそうな食堂車は、京都鉄道博物館のスハシ28改造のスシ38だけですか。皇族用のマロネフ49もありますよ。両者とも同じく収蔵されていた(最近まで復活走行していた)マイテ49とともに交通科学館収蔵前に火の入ったC53と本線走行した実績があるので。それも阪神間の東海道本線を。碓氷のオシ17もですが、もっと生きている客車がほしいところですね。修復できそうな保存車両がありそうな気もするのですが。国家レベルの保存施設がほしいですね。普通寝台車が特に手薄なような。オハネフ10が1両あれば夜行列車が再現できるのに。
↑スハシ28→スシ38じゃなくてスハシ38→スシ28。あとマロネフ49じゃなくてマロネフ59。
大半の旧客が新性能電車か12・14・50系客車に引導渡して廃車解体された。残ってるのは普通車とか上級車の一部だけで、食堂車などは工場の解体線で職人の手によって解体されたな。
ヨンサントオ以前の両毛線、以降も東北線に3本残された旧客普通列車、高崎行きの旧客…初めて友達と乗ったとき、ドアが手動なのにびっくり。道理で親はドア前に立たせなかったかと納得。走行中、ぎしぎしと木部がきしむ音、古めかしい鎧戸と白熱灯、冬のSGはほんとにあったかかった。
大井川のオハニ36 7は現在稼働していないので高崎の11号車は実質的に現役唯一の60系客車ですね。昔、保存活動参加で7号車の台枠を観察する機会がありましたが木造客車の台枠を切り継ぎ接合して作っているのがはっきり見て取れましたよ。
今年の4月29日にスハフ乗れたけど本当に切符争奪戦が凄かった。知り合いは取れなかったけど、俺は辛うじて取れた。スハフは本当に人気だと思う
子供の頃おばあちゃんの家群馬で、いつも車両基地に朽ち果てた状態で野ざらしだったのにまさか活躍するとは!高崎来る時の楽しみでもありました!
やはり旧客はカッコイイなぁ〜、あと高崎って凄い場所なんだよなぁ〜
あと、高崎の旧型客車ですがお召し列車の訓練用で集められたらともありますが、基本的に国鉄時代に高崎には保存を目的とした車両が各地から選定され集められていました。高崎にある客車も東北に所属していたものから西まで全国から集められたらものです。また解体されたのが惜しい70系戦災復旧車もありました。昔、同級生のお父さんがJR職員で国鉄時代から勤めていらした方がその様に話していました。また、高崎に博物館を作る計画があったともききましたが、結果的には大宮に博物館が出来、収蔵されなかった車両は碓氷峠鉄道文化村に多くが保存されています。小学生のころ、よく高崎に保存目的で留置されている色褪せた客車や電気などを見に行っていました。
碓氷にあるオシ17改造の事業用車は原型に復元して彩りとして連結してもらいたいのですがね。現存する食堂車で実際走れそうな旧型客車はあと京都鉄道博物館にあるスハシ38改造のスシ28だけですからね。交通科学館時代この車両で食事したことがありますよ。
懐かしかったです!!。子供の頃、走行時、ドアを開けてデッキのだんだんに腰掛け風をあびてたのを思い出しました。居住地のタイでは以前たまに長距離列車の乗り、扉を開けてデッキでタバコを吸ったりしています。自動扉の車両もありますが、古い乗り物のほうが好きです。動画、楽しませていただきました。ありがとう!
32系は小さな窓、塗り重ねられたニス、座席番号が「13A窓側・13B通路側」では無く「13・14」と数字だけで、灰皿も上蓋が無かったな~、連結してたら選んで乗ってました。
TR47型台車のゆったりした乗り心地とTR23型の軽快な上下動の多い乗り心地の違いを楽しめますね。ところで現役時代の昭和40年代はオハニは嫌いで避けていました。理由はどこに座っても便所が近くて臭かったからです。奥羽線にまで流れてきた32系などは便所(あえてトイレとは言いません)と客室を遮る壁板の下の方が痛んで隙間がある始末でした。旧型客車で一番印象深い映像は冬の寒い日の米坂線の蒸気牽引列車で、トンネルに入った際に床などのあらゆる隙間からブワーっと蒸気が勢いよく噴き出してきた光景でした。
旧型客車は常磐線の上野発仙台行き各駅停車に乗ったことがあります。なんと言っても旧型客車の魅力は重いところ。重いのでレールの継ぎ目の音が最高に良い。最近はロングレールが増えてしまったのでなかなか楽しめないと思うが、音が違います。当時メタルテープの音源をまだ持っています。大井川鐵道ならロングレール使ってなさそうなので楽しめそうですね。牽引はSLでなくてもいいです。当時はEF81とED75だった。もう一度乗りたいなぁ。
うちの祖母より年上だと考えるとより凄さが分かる。
トラックのドライバー不足や燃料価格高騰はまだ何年も続きそうなので、ローカル線や地域密着の私鉄では荷物車や貨客混載車をどんどん復活させるべきだと思っています。もちろん、利用に際してはスマホからアクセスできたり、駅に専用ロッカーを設けたり時代に合った工夫も加えて(昭和中期の鉄道映像でみるローカル線のいろんな貨客車をごちゃごちゃと連結したまとまりのない編成大好きマン)
長良川鉄道みたいに車内に荷物乗っけるのも手だと思います。結局北越どうなったんだろ…
今の時代、昔のチッキはシステムとして使えませんよね(経験者です)。でもいまは昔に比べて停車時間に余裕がなくなっているので、そのへんも含めて解決しなければいけない点だと思います。昔は頑丈に縛った荷物を鳶口でどんどん中へ投げ込んで、中でまた行き先別に投げて整理してましたからね。あれはいまではだめですからね。
トラックより鉄道のほうが関わる人数は圧倒的に多いぞなぜか鉄道は人不足と資材高騰とは無縁扱いされがちやな
スハフ42とオハ47は福知山線で実際に乗りましたがTR47を履いたスハフ・スハの乗り心地が良くていつもこちらに乗りました。逆にナハ・ナハフは窓が大きくて良いのですが軽い分揺れるので個人的には乗り心地は良くありませんでした。
ボロ客車フェチでした。上野発の常磐線は平以北になるとボロ客車が走行してました。子供の頃は「デッキに立つな」「最後尾に立つな」と父から言われたものです。ボロ客車を求め北海道まで行きましたが、民営化と共に鉄道マニアから足を洗う。次は、未舗装の国道や県道を求めバイクで走ってました。
はじめまして🙇良い映像を有難うございました。小学校二年生まで、山陰本線沿線に住んでおりました。ちょうどその頃新型50系PCが登場し、そちらの方に気を取られておりましたが、今から考えると、トイレの手洗いも足踏み式では無くて蛇口だったなぁとか、ボックスシートも経済性重視の50系より質の良いものだったような記憶があります。あれから40年以上の月日が流れ、新型だった50系PCも廃車となり、電車やディーゼルカーばかりになって機関車牽引の客車列車は本当に少なくなりました。またいつか客車列車に揺られて山陰本線の沿線の海岸線を旅してみたいです。
日本では相当古い部類だけど海外に目をやるともっと古い古典客車が平気な顔で本線走ってるから世界って広いよなぁ。
JR現存の旧型客車と言えばもう一つ…思い出されるのが2014年まで稼働していた、SLニセコ号用の4両の旧型客車です。車籍こそ既に失われているものの解体はされず、今でもカバーを掛けられた状態で旭川に保管されているそうです。とはいえ今のJR北海道にとっては持て余すだけの存在でしか無く、今後の処遇が非常に気になる客車と言わざるを得ません。いっそ全ての車両をJR東日本に譲渡し、部品取りとして活用するのが得策だと思うのですが…て言うかあの4両も元々は高崎のモノだった!
そういえばSLニセコ号の旧型客車のうちカフェカーのスハシ44 1(元スハフ44 2)のみJR北海道で1両現役として14系客車の中に埋め込まれて残っていますね(映像中に出てきますが)。ちなみにこの車両だけは最終配置が旭川客貨車区でした。
c62ニセコ号最後の忘れ形見が居ましたね。あれも旧客ファンには相当の注目株ではありますが、肝心のSLが動かなきゃなぁ……、何もかも虚しいですよね。
@@新田実音人 今年乗ろうとしていたのですが、SL牽引ではなく運転期間も短縮され日程が合わなかったので諦めました。釧路自体には他の目的もあったので行っています。
あらら、それはツイてませんでしたね。もしリトライされることがありましたら、次こそC11がバッチリ走ってくれると良いですね☆。
紛れもなく日本の鉄道における至宝です!
旧型客車を取り上げてくれるとなると…もうこれこうなってくると主に山口線でSLやまぐち号として活躍している新型の旧型客車こと「35系客車」も取り上げて欲しいですね客車とはいえブルーリボン賞を取ってる車両ですし自動ドアも搭載しているのでね〜…
今は定期の客車列車自体がなくなってしまった。むかしは日本中どこでも普通に走っていた旧客(旧型客車)も今や骨董品だ。壁や座席の一部などがニス塗りの木製だったし、床も木製だった。車軸発電機による蓄電池式の白熱灯照明なども少なくて車内は薄暗かった。車体はウインドシールが出っ張っているのが特徴だ。昼すぎの閑散時に駅に停車中には全く音が聞こえてこない。シーンと静まり返っていた。冬には末端の蒸気引き通し管からSG(機関車についている蒸気発生装置)の蒸気が立ち昇っていた。夏には窓もドアも連結扉も開けっ放しで走っていた。ディーゼル機関車牽引列車はのろかったから、走行中に手動ドアの手すりにつかまって、ドアを開けて箱乗りもできた。あの頃の情景はもう二度と戻ってこないであろう。長距離普通列車には客車列車が多かった。8割方そうだった。もちろんその多くは旧型客車だ。夜行列車もまたそうだった。夜行登山列車は音も静かで室内の薄暗い旧型客車が最適だった。中央線では旧型客車である山男列車(新宿を夜中に出発する登山客用の夜行列車)の存続運動まで起きた。関西では、阪和・紀勢線の夜釣り列車も寝台車付きの旧型客車列車であった。もう少し多くの旧型客車を保存車両として日本各地で保存しておけばよかったのになと思う。欧米諸国などでは各時代の主な車両を産業遺産、文化財として動態保存している例をよく見かける。
まさか群馬にこんな車両が現役でいたとは驚きですね。歴史の経緯も面白く、現代に合わせて進化してるのもまたいいですね(これは鬼滅コラボに選ばれるのも納得か?)。
非常に詳しく繊細な説明と綺麗な動画をありがとうございました😊まさに走る博物館列車の存在をご紹介頂き感銘です😍乗りたくてたまりません
SLといえばこの茶色の旧客車というイメージが強いと思われます、多分メディア的に旧客車の組み合わせの方が多く出てるからかもしれませんね。
よし今年の夏は旧型客車のりに行くぞ今年の夏旧型客車運行してない
高校生の頃山陰線の旧型客車に乗り海水浴に行った思い出がありますその頃の客車が現役でいるのが感動ですSLと共に少しでも元気にいてほしいです
私が小5の頃まで普通、急行共にED75の引く旧客でした開けっ放しの出入り口、白熱灯の灯り、暑い程の暖房、75がトップスピードの時のオハ61系のアトラクションの様な壮絶な乗り心地😅どれも懐かしい思い出😊
自分とこはDD51で客車を引っ張っていて殆どオバーランだった。
確か飯山にC11が来た時に牽引してたのが高崎の旧客でしたね。
昔金沢行くときに、急行能登号の自由席が旧型客車最後尾車両の戸袋ドア走行中デッキ座り後側線路流れる夜景風景観ながら楽しんだ思い出します旧型いいですよね。
実車の旧型客車は高崎駅の留置線の止まっているのを初めて見ました。現代のステンレス車より味がありますよね。旧客車について勉強になる動画をありがとうございます😊
俺が中学生の頃は普通に走ってたな。DD54に牽引されて茶色やら青やらの旧形客車が。
記憶に残る体験として、昭和50年前後、はっきりとした年代は覚えてませんが、赤羽から鴻巣まで客車列車に乗って出かけたことがあります。当時の記憶として、茶色い車体、茶色い車内、直角の座席、薄暗い感じの照明というのがあります。あれが唯一通常運行として乗った旧型客車でした。
昭和62年オハニ36 11は浜坂~福知山で走っていた。浜坂始発4時41分なので夜行急行で到着して待った。海産行商で段々と似ぎ合うが荷物室は解放してあり出入り自由だった。
旧型客車のドアが走行中でも開閉できる時代に乗ったことあるなぁ通学の学生が動き出した客車に飛び乗るとか普通にあった時代でしたね
スハ32のオリジナル白熱灯は優雅な円錐型。小金井公園保存のスハフ32にオリジナルの白熱灯が残ってます。できれば高崎のグローブも、あの優雅なグローブに復元して欲しいですね。LED化した今のグローブは不格好です。逆に西の新型35系はなぜかオハ35の箱型グローブではなく、スハ32タイプにしてますね。
旧型客車編成の鈍行列車牽引機はC55 D51 D60DD51 ED76達… 本当にお世話になりました!
大井川の旧客も紹介してほしいですあっちは自動で閉まるドアもない原型仕様です
大井川は大井川で原型に近い以外に癖の強い客車が多いですね・・・
@@mrkn56 私が家族で乗った時の車両が確かスハフ43だったかな?あの時は通り雨が降ってきて客車の中から雨漏り仕出して車掌さんと笑ったのを思い出します(◡ ω ◡)
大井川鐵道は今もトイレが垂れ流しですよね
子供の頃、仙台駅でよく見ましたね。牽引はED75で発車ベル、警笛の後の連結器伸びる金属的な音が前から後ろに走り、ほぼ無音でゆっくりホームを滑り出す。また見たい風景🙂ただ高崎の旧客は青い車両が無いのが不満かな🤔
個人的には青15号で窓枠がステンレスなのが好きですね。高崎の43系、窓枠のステンレスまで茶色塗装ですもんね。
青色の客車(近代化改造車?)の件、同感です。いまの塗装にしても、すこしお上品すぎるような感じがしますね。少し調べればわかるような気もするのですが。
高崎の旧型客車がまだ残っていたなんて初めて知りました、聞いた情報によればトイレは和式から洋式トイレに改造されていて客車の先頭車と最後尾の屋根に列車無線アンテナが設置されているみたいですね。
15:40昭和元年の製造当時は22350形ですね。その後昭和3年の改番で21300形になってます。その後の改造で郵便荷物車26250形のオユニ26289号へ…昭和16年の改番より前の形式(木製車はそれ以降も改番なし)は、百番台以下でも形式を刻むので4〜5桁の車番で一番若いものを形式とするのが通例です。例えば木製郵便荷物車の仲間には他にも26200形、26350形、26600形とかあります。
40年前でさえすでにノスタルジックだった、まさに汽車旅
SL伴走車オヤ12は元々はスハフ12ですから単独でも問題は無いですね…ちなみに…かつて、発電装置を搭載したスハフ12を組み込まない「オハフ13+オハ12+オハフ13」という組成で走っていた12系の編成が有りました…
それって東北の12系2000番台でしたっけ?冷房装置の電気を機関車をEGの電気でまかなっていたという話がありなすが...。
@@mi-tb9zlオハフ13に変圧器を載せてEGの電圧を変圧してサービス電源を確保してました。オハフは2両編成中に繋ぎますが1両は逆向きに連結するのが基本だったみたいです
@@fw190d9dora 逆向きハフは有名ですね!!
@@mi-tb9zl 様そうです、近郊改造の12系2000番台です…オハフは両側とも車掌室側が中間のオハ12に接するかたちで組成されていました
客車の電暖車は2000番台😉
味わいがありますね。これも貴重な鉄道文化。勉強になりました。
身近すぎて気づきませんでした。確かに滅茶苦茶貴重なんですよね。
自分はその世代ではないですが、旧客が現役時代にあこがれが強いので、今でもそれを感じられるのはほんとありがたいです!自分的に旧客といえばTR23型台車のあの現代の車両とは違う独特なジョイント音!あのジョイント音を聞きながら東北本線長距離鈍行に乗って、、、なんて妄想が尽きないですね。。。鉄道開業150thなのでイベントでそんな長距離鈍行ツアーなんて設定されたらいいなぁベタなのだと上野発青森行とかですけど、自分の心をくすぐるのは上野発一ノ関行と須賀川発青森行ですかね笑
見出しを見て内容が危なそうと思いましたが、結構充実してて安心しました。最近は耳知識だけで論じられたりして客車の実態をわからない人の空論も目立ちますので。
小僧の頃、茶色客車はこんなにピカピカしていなかった。
自分が列車通学していた頃は椅子の背もたれは布張りも在ったけどニス塗りの板だったよ。
近くに大井川鐵道があるのでついそっちに行ってしまいますが、今度は高崎の旧客にも会いに行ってみたいと思います!
今や、旧型客車は大変貴重な存在になっていますね。しかも車両によってはSLより古いものまであるぐらいですから、とても貴重でしょうね。新型客車はブルートレイン系のもので、旧型客車は35系や43系といった茶色い客車(青色もあり)はもちろん、10系客車も『旧型客車』という部類に入るそうです。今でも大井川鐵道や群馬エリアで活躍する旧型客車たちも十分貴重ですが、それより少し新しいはずの10系客車に関しては、保存数としてはかなり少ないようなので、希少価値としては10系客車の方が上といえるかもしれませんね・・・
10系客車は 軽量化をした構造でその車体の脆さが災いして 旧型客車より先に引退したのでは無いか
私がガキの頃は、スハ43系とかはさして珍しくなく、10系は北陸本線&「ながさき」しか乗ってない😉
10系はサービス装備は手動ドア空調非搭載と旧態然としていましたが、新型客車では?セミモノコック構造の車体は旧型客車とは設計思想から抜本的に異なってますし、以降登場するいわゆる新性能電車も10系の車体構造から発展させています。
私が子供の頃は既に電化がある程度進んでいましてね。中央東線のように新性能電車でバイバイ客車をした線区もあれば、50系客車に晩年置き換えられた旧客もいました。どちらが幸せかと言われれば、後者かな。前者はそもそも客車ですらない。
小学校の修学旅行で姫路から京都までEF58、京都から奈良までDD51、奈良から亀山までD51、紀勢本線はまたDD51、途中の柘植駅からは草津線のC58の客レが煙をあげ発車してた。もうあれから半世紀。私の世代がSLの最後期だった。その後も80年代まで播但線や山陰線福知山線などあちこちで見られた。客レ自体がなくなってしまうとは…。
全7両編成で運転してほしい。
通学時にたまに見てたけど、そんな貴重なものだったのか…なんかボロい電車だ…としか思ってなかった…
旧型客車が各地で復活して欲しいけど、なかなか維持費などが大変なんだろうなぁ。銀色の灰皿、乗降扉は走行中も開けっ放し、勿論、空調なし。薄暗い車内。あの雰囲気はもう味わえないのかな。窓が開いてたから駅弁買うのも容易だった。
国鉄末期だと旧客はハズレって思ってた。まだタイは日本の旧客同様大昔の日本製の客車が現役。手動ドアに下が見えるトイレも健在
スハフ32の説明で、「車体が鋼鉄で作られている鋼製客車のうち大型のもの(20m級)としては、一番最初に誕生」とありますが、オハ31系に分類される寝台車(マイネ37等)や荷物車(カニ37の初期型)はそれ以前に登場しています。Wikipediaでも20m級のものを文字色で区別して記載されています。
以前左沢線にc11と共にイベント運行時にスハフ32に乗りました特に座席指定が無かったので楽に乗車出来ました幼い頃から戦前の旧型客車が当たり前でしたが小さな窓は初経験でしたぶどう色は昔の一般的なぶどうがデラウエアだったのでぶどう表記になったのかと思いました
群馬の上毛電気鉄道があるですがたまに凸の形した奴がいますがあれも古い奴だったのかな?
私は只見線や奥羽本線での運行で何度か乗ってますがどれも個性があって良かったと記憶してます!一番のお気に入りはやっぱりスハフ32ですね~ちなみに高崎所属なのに検査は秋田の土崎まで持っていってやってます…ノウハウ的なものなんでしょうか…
津軽鉄道のもなかなかですが。鉄博の旧客はもともと津軽鉄道の芦野公園駅に留置されていたもの。
オハニ36 11というと本当(定期運用)の現役末期に山陰線の客車列車で乗ったことを今でも覚えています。当時でも旧60系改造のハニだったので人気があり好きものが第一に狙った車両でした。乗り心地は元急行用の42や47と比べて落ちるけど。そういえばもし60系が残っていたならば今大人気になったのかな?でもマジ90度直角板摺(背もたれにモケットなし)座席はみんな閉口すると思うのだが?
現在,SLやまぐち号で運行されている復古調客車の一部の車輌でも再現されているらしいです.
そういえば手動扉の時代に駅到着時に「完全にとまるまで降りないでください」と駅アナウンスしていたっけ...
夜汽車時にトラブルで照明の落ちた旧客ってむちゃくちゃ怖いな…。あの世へ御霊を運ぶ幽霊列車や魔列車みたいな
スハフ32は、一回乗れば十分だと思った。現代の大人が四人で乗ると、膝頭がごっつんこするほどに座席の間隔が狭いのだ。小中学生を連れた家族連れには、良い思い出になるかもしれない。
EF551が復活運転のために旧型客車が転属した時には驚きました。高崎には12系客車が配置されているので復活運転のように1往復だけの運用なら問題がなかったからです。EF551の復活するための整備にかなりお金使っていたので更に廃車直前の運用がなくなっている旧型客車を整備して美しい塗装されていたのには驚きましたね。SL列車が多く運転する高崎支社の立地と地方遠征で旧型客車でSL列車を運転してほしいとの要望が多いので今も古い旧型客車ですけど運用している理由だと思います
そういえばあのときは、3軸台車の救援車や、戦災復旧客車も動員されていましたね。
ブドウ色2号に関するネタでは、もともと日本には自生する山葡萄しかなかったこの山葡萄の色が伊勢海老の殻の色に似ているということから、海老茶と呼ばれるようになったちなみに、葡萄茶と書いてえびちゃと読むのはこの時の名残であるなので、この海老茶をすこし黒ずませたのがブドウ色2号というわけであるつまり、ワインとは全く関係がありません
客車の世界を掘り下げていくと面白いですね。ただし、旧客改造の事業用車や連合軍専用客車まで行くと沼ですが(笑)
2等格下げ車、3軸優等格下げ車(マハ29など)、戦災復旧車辺りもディープですね。模型マニアでも手を出す最終地点という(笑)
「一般に見れる」最古の車両……まあ、本当に一番古い車両群は某やんごとない一族の人達しか見れないワケだしなあ……。特にその中でも古いのは「神様専用車」だし……。
旧型客車、豆知識的な問題です。14:17の、オハニ36の一番左の元車掌室窓が400mmと凄く狭いのですが、何故でしょう?Nゲージより大きいスケールの荷物車キットを組んだことがある人は判るかも。正解は↓元車掌室窓の内側には仕切りがあり荷物室側に拡張した窓が開けられないのと、妻板側には乗降扉の戸袋があるためでした。旧型客車の客用扉は開き戸で妻板側に折れて開くのですが、荷物車は引き戸であり、必ず戸袋があります。映像で判るのは、扉の取っ手が妻板側にあり、車掌室側に引き戸で開くことが証明されます。通常の客車の取っ手は客室側にあり妻板側に折れて開きます。
映像中でも言われているように、現在保存されるのはどうしても人気のある機関車単体が多いのですが、牽引する客車が当時ありえない豪華装備の快適な客車だと、興ざめしてしまうのです。電車にしても客車にしてもできれば、時代背景を考えて編成単位で保存してもらいたいものです。その意味では高崎の客車群は貴重です。できれば青色の近代化改修車も入れてほしいのですが。
ここに10系軽量客車がでてないのが残念。旧型客車と区分するには10系を含むか含まないかで、客車好きでは意見が別れるとこれ。10系は一両単位で編成が組める点は旧型客車だが、車体構造は次世代の構造(のちに12系以降の車体構造の基礎)のため分類するのが難しい。ちょっとそこを追求してみて欲しい。
私も43系と10系客車の間で新旧を線引きしていました。ブルートレインに使われた20系もインターロックしかない手動ドア(登場当時は車掌補が開け閉め、後年は車掌が走って閉めた)でしたし。
旧型客車と編成を組んでいたから「同列」に語られる向きもあろうかと思いますが、構体の構造、材質等、明らかに別物だと思います。かと言って後発の12系や50系とも違う。しかし「ナ級」の重量を実現出来た点で20系ブルートレインへの試金石であったのは間違いないでしょう。
車体構造がまるで違うから10系は新型。サービス装備は時代相応だったけど10系の海外に学んだセミモノコック構造車体は後の全鉄道車両の基礎になってる。それ以前の客車の設計思想は10系の登場とともに過去のものになってる。
車体下の発電モーターは ヨにも付いていました 見たことありますよ 扉のガラスが割られてそこから入り込めましたよ ホコリとガラスの破片で汚れて 川の水位を調整の設備の建設為 ヨは解体されていました
旧型客車懐かしいです。中央線中津川~松本間でよく乗りました。🙂
乗ってみたい車両ですね。情報ありがとうございまーす😊 BGMの選曲好き。
昔の旅客列車の座席に栓抜きが付いていた事はリアルタイムで見た世代なので知っていますが、設置された理由にはちょっと笑ってしまいました。
会社員時代これにのって大阪まで通勤していたことがありますよ。関西では有名な福知山線(笑)。宝塚から阪急で30分のところ1時間以上かかってましたよ。自分に言わせると高崎のは、貫通路が封鎖されていて、走行中に乗降ドアが開かないので、もはや旧型ではないと思うんですが。転落事故は自己責任ですよ。ほんの30年ほど前の話です。そういえば車軸発電機だけでは電気が賄えないので、とこどき充電した電池と交換しているらしかったですよ。
青色のやつは「急行津軽 青森~上野 奥羽・東北本線 経由」で何度も乗った経験があります。チョコレート色のやつは、普通列車で使われていた車両ですね。 トイレはタンク色ではなく、直に排泄物を線路に垂れ流していましたねぇ。😅
私にはSLより客車のほうが貴重に思います。旧客だけでなく12系もそうですね。12系は冷房と発電機を積んでいるためそぞかしメンテにお金がかかると思います。やまぐち号の客車はよくぞ新造してくれたと思います。内装はかなり旧客にに準じていると思います。JR西さんには感謝ですね。しかしスハフ32の鎧戸は木工職人さんが作った芸術品だと思います。
14系原型車や14系ドリームカー、12系(展望車)を所有してる東武鉄道もなかなか・・・
新世代客車を叩いていた奴らは何なんだか。ハッキリ言って昭和40年代にもなって冷房搭載してない車両なんか、電車でも客車でも時代遅れ甚だしい。近鉄京都線見てみんしゃい、昭和48年登場の通勤車が、冷房付きで出ているんだぞ。
去年、SL夜汽車で乗った時は電灯が停電してしまいました。そして今年の夜汽車は、機関車はELで客車は12系という残念な結果になってしまった。
EL駒子号で上越国境越えした時も照明回路不調で、真っ暗なまま清水トンネルくぐった。
能勢電鉄1700系がこの車両と同世代なのよくよく考えたらエグい
地元の人間だからチョイチョイみるから珍しく感じなかったけど、凄い車輌なんだ・・・・・・・知識が無いと同じに見えちゃうよね。
おおー!派生シリーズだ!!調べよう調べよう思って先送りにしてたカテゴリの代名詞の客車だ!!2:59 旧型客車って既に電気取り入れてたのか…早いな
停車中も照明点いてたからバッテリーを搭載していたのかな?
車軸から発電してるんじゃなかった?
車軸発電した電気を蓄電池へ。
それでも足りないので、定期的に下ろして充電。
@@tydeentetuota5514 さま。ある一定の回転数を越えると、機械的に発電機が止まる仕組みになってるんですよ。
今は車軸で充電してないんだよねー予め充電したバッテリー使ってるから照明は半分しか使わない。夜汽車で、旧客が使われることもない。照明を全部つけるとバッテリーが切れるからドアや後部標識灯など運転に影響がでる。
一番衝撃だったのは、デンソーがかつて洗濯機の製造をやっていたこと。
原型率とか当時のようなボロさは大井川だが、活躍場所の多さを考えると高崎もなかなか
今から44年前家族で上野から乗った客車で座席が畳だったんだけど貴重だったのだろうか・・・
水上行きのスハフ32の機関車寄りに陣どれば、すぐそばで機関車の音やら煙やらを味わえるぞ!と息子にアドバイスしたら、スハフ42で近寄れなかった。と残念でした。
先ほど東武鉄道の客車が映ってましたね。この旧型客車と足回りだと今も東武特急で走ってる200系の4と5編成が同じくらいの年数です。
67年目ならの話です。
走行中の連結部に立つのが好きです
スハ32系は,1969年に当時の国鉄信越本線の普通列車で長野から直江津まで乗った記憶がある.ハーモニカ状の窓が当時でもユニークで,また,その時の同じ列車のスハ32系で断面が凸型の二重屋根と普通のアーチ状断面(丸屋根)とがあった.二重屋根の方が当然内装もより古典的で,座席の背もたれもクッションが無く傾斜の付いた板張りであり,当時の普通列車でまだ見られたオハ61の類より多少マシかと思われた程度であった.当時は小学生で客車の歴史的な知識も殆ど無く,普通の丸屋根の方を選んで乗ったが,やはり二重屋根の方に乗っておけば良かったと,50年以上経過した今でも後悔が残る.勿論直江津までは電化されていたので,当時は新しいEF62とその二重屋根のスハフ32は眺めても,また写真にしても大変に面白い取り合わせだったであろうと思われる.
旧型客車はこの動画のようなものを指すのではなく、10系以前の旧い車体構造で作られた車両、というのを聞いた事があります。その基準を使うと、50系も旧型客車になってしまうので…
一両単位で扱えるとか他系列との混結が出来るとかは、特徴ではあっても区別の基準ではありませんね。10系のセミモノコック構造からが新型客車です。以降設計される車体は電車気動車含めて10系をベースに発展します。
今思ったんだけど 京都てっぱくの旧客もやろうと思えば本線走れそうだよね、1両だけだけど
京都には、オリジナルのオハ46の他に寝台車と半室食堂車(両者ともスハ32の一族)がありますね。東海の博物館にも残っていて、大井川で本物のオハ35が現役である事を考えると、鋼製主要形式はほぼ保存されている事になりますね。戦災復旧車最後の1両は北海道で静態保存されてます。
大井川鐵道旧型客車の中には比較的若いの車両は リノリウムの床材を装備していますね
旧型客車は昭和の時代に北海道の121レ他で乗ったのが最後だなあ・・・
小金井のスハフ32も復活させて欲しいです!!
車籍復帰は無理でも、せめて大宮に入れて欲しいですね。現役車より貴重なオリジナル内装最後のハコです。
高校時代(昭和50年代前半)、磐越西線でスハフ32 2357と2146には毎週のように乗車してました。その当時の貴重な資料、かなり持ってますが、色々と事情があって、公開できないのが残念です...(;^_^A
10系の分類が曖昧なコメが散見されるので補足したい。10系は新型客車。10系の車体は技術的に先行する欧州を参考にセミモノコック構造を採用して車体強化と大幅な軽量化がされてます。以降に登場する20系ブルートレインはもちろん新性能電車も気動車も新幹線0系も10系の設計思想を基礎に発展し、旧来の客車の設計手法は過去のものとなります。1両単位に編成できるとか混結可能とか空調無しは旧型の特徴ではあっても新型旧型の分類基準にはなりませぬ。
高崎に旧型客車が残ったのは、お召し列車の訓練、試運転用に必要だったからと聞いたことがあります。
9:45>鋼製客車のうち20m級としては一番最初に誕生とありますが、3軸台車を履くような寝台車や展望車を始めとした特急、急行列車に使用される優等客車は31系時代にすでに20m級でした。スハ32は普通列車用の3等客車として初めての20m級客車というのが正確です。
準レギュラー:ペンシルバニア鉄道
この旧型客車は只見線でSL列車が運転された時に乗車しました。
当てずっぽうで3号車を指定した所、スハフ32だったので本当にラッキーでした。
これからも出来るだけ長い期間運転されて欲しいですね。
学生の頃には鈍行専用と化し、現役状態で乗ったのはそれが最後でしたね。その当時ですら結構傷んでいたし、京都の梅小路にあった保存車両ですら一昔前までボロボロでこのまま消えてしまうと思いきや、こうも復活するとは感慨深いです。ただマシとかオシといった食堂車が残っていない事が本当に惜しいですね…。
日本国内で普通客車列車が絶滅して久しいです。私が小学生の頃の昭和50年代後半でもかなり数を減らしていて、時刻表の列車番号が数字のみの普通列車を探していたのが思い出されます。
オシが残ってないのがオシい😉
走れそうな食堂車は、京都鉄道博物館のスハシ28改造のスシ38だけですか。皇族用のマロネフ49もありますよ。両者とも同じく収蔵されていた(最近まで復活走行していた)マイテ49とともに交通科学館収蔵前に火の入ったC53と本線走行した実績があるので。それも阪神間の東海道本線を。
碓氷のオシ17もですが、もっと生きている客車がほしいところですね。修復できそうな保存車両がありそうな気もするのですが。国家レベルの保存施設がほしいですね。
普通寝台車が特に手薄なような。オハネフ10が1両あれば夜行列車が再現できるのに。
↑スハシ28→スシ38じゃなくてスハシ38→スシ28。
あとマロネフ49じゃなくてマロネフ59。
大半の旧客が新性能電車か12・14・50系客車に引導渡して廃車解体された。残ってるのは普通車とか上級車の一部だけで、食堂車などは工場の解体線で職人の手によって解体されたな。
ヨンサントオ以前の両毛線、以降も東北線に3本残された旧客普通列車、高崎行きの旧客…
初めて友達と乗ったとき、ドアが手動なのにびっくり。道理で親はドア前に立たせなかったかと納得。
走行中、ぎしぎしと木部がきしむ音、古めかしい鎧戸と白熱灯、冬のSGはほんとにあったかかった。
大井川のオハニ36 7は現在稼働していないので高崎の11号車は実質的に現役唯一の60系客車ですね。
昔、保存活動参加で7号車の台枠を観察する機会がありましたが木造客車の台枠を切り継ぎ接合して作っているのがはっきり見て取れましたよ。
今年の4月29日にスハフ乗れたけど
本当に切符争奪戦が凄かった。
知り合いは取れなかったけど、俺は辛うじて取れた。スハフは本当に人気だと思う
子供の頃おばあちゃんの家群馬で、いつも車両基地に朽ち果てた状態で野ざらしだったのにまさか活躍するとは!高崎来る時の楽しみでもありました!
やはり旧客はカッコイイなぁ〜、あと高崎って凄い場所なんだよなぁ〜
あと、高崎の旧型客車ですがお召し列車の訓練用で集められたらともありますが、基本的に国鉄時代に高崎には保存を目的とした車両が各地から選定され集められていました。高崎にある客車も東北に所属していたものから西まで全国から集められたらものです。
また解体されたのが惜しい70系戦災復旧車もありました。
昔、同級生のお父さんがJR職員で国鉄時代から勤めていらした方がその様に話していました。
また、高崎に博物館を作る計画があったともききましたが、結果的には大宮に博物館が出来、収蔵されなかった車両は碓氷峠鉄道文化村に多くが保存されています。
小学生のころ、よく高崎に保存目的で留置されている色褪せた客車や電気などを見に行っていました。
碓氷にあるオシ17改造の事業用車は原型に復元して彩りとして連結してもらいたいのですがね。現存する食堂車で実際走れそうな旧型客車はあと京都鉄道博物館にあるスハシ38改造のスシ28だけですからね。交通科学館時代この車両で食事したことがありますよ。
懐かしかったです!!。子供の頃、走行時、ドアを開けてデッキのだんだんに腰掛け風をあびてたのを思い出しました。
居住地のタイでは以前たまに長距離列車の乗り、扉を開けてデッキでタバコを吸ったりしています。自動扉の車両もありますが、古い乗り物のほうが好きです。
動画、楽しませていただきました。ありがとう!
32系は小さな窓、塗り重ねられたニス、座席番号が「13A窓側・13B通路側」では無く「13・14」と数字だけで、灰皿も上蓋が無かったな~、連結してたら選んで乗ってました。
TR47型台車のゆったりした乗り心地とTR23型の軽快な上下動の多い乗り心地の違いを楽しめますね。ところで現役時代の昭和40年代はオハニは嫌いで避けていました。理由はどこに座っても便所が近くて臭かったからです。奥羽線にまで流れてきた32系などは便所(あえてトイレとは言いません)と客室を遮る壁板の下の方が痛んで隙間がある始末でした。旧型客車で一番印象深い映像は冬の寒い日の米坂線の蒸気牽引列車で、トンネルに入った際に床などのあらゆる隙間からブワーっと蒸気が勢いよく噴き出してきた光景でした。
旧型客車は常磐線の上野発仙台行き各駅停車に乗ったことがあります。なんと言っても旧型客車の魅力は重いところ。重いのでレールの継ぎ目の音が最高に良い。最近はロングレールが増えてしまったのでなかなか楽しめないと思うが、音が違います。当時メタルテープの音源をまだ持っています。大井川鐵道ならロングレール使ってなさそうなので楽しめそうですね。牽引はSLでなくてもいいです。当時はEF81とED75だった。もう一度乗りたいなぁ。
うちの祖母より年上だと考えるとより凄さが分かる。
トラックのドライバー不足や燃料価格高騰はまだ何年も続きそうなので、
ローカル線や地域密着の私鉄では荷物車や貨客混載車をどんどん復活させるべきだと思っています。
もちろん、利用に際してはスマホからアクセスできたり、駅に専用ロッカーを設けたり時代に合った工夫も加えて
(昭和中期の鉄道映像でみるローカル線のいろんな貨客車をごちゃごちゃと連結したまとまりのない編成大好きマン)
長良川鉄道みたいに車内に荷物乗っけるのも手だと思います。
結局北越どうなったんだろ…
今の時代、昔のチッキはシステムとして使えませんよね(経験者です)。でもいまは昔に比べて停車時間に余裕がなくなっているので、そのへんも含めて解決しなければいけない点だと思います。昔は頑丈に縛った荷物を鳶口でどんどん中へ投げ込んで、中でまた行き先別に投げて整理してましたからね。あれはいまではだめですからね。
トラックより鉄道のほうが関わる人数は圧倒的に多いぞ
なぜか鉄道は人不足と資材高騰とは無縁扱いされがちやな
スハフ42とオハ47は福知山線で実際に乗りましたがTR47を履いたスハフ・スハの乗り心地が良くていつもこちらに乗りました。
逆にナハ・ナハフは窓が大きくて良いのですが軽い分揺れるので個人的には乗り心地は良くありませんでした。
ボロ客車フェチでした。上野発の常磐線は平以北になるとボロ客車が走行してました。子供の頃は「デッキに立つな」「最後尾に立つな」と父から言われたものです。
ボロ客車を求め北海道まで行きましたが、民営化と共に鉄道マニアから足を洗う。
次は、未舗装の国道や県道を求めバイクで走ってました。
はじめまして🙇良い映像を有難うございました。
小学校二年生まで、山陰本線沿線に住んでおりました。ちょうどその頃新型50系PCが登場し、そちらの方に気を取られておりましたが、今から考えると、トイレの手洗いも足踏み式では無くて蛇口だったなぁとか、ボックスシートも経済性重視の50系より質の良いものだったような記憶があります。
あれから40年以上の月日が流れ、新型だった50系PCも廃車となり、電車やディーゼルカーばかりになって機関車牽引の客車列車は本当に少なくなりました。またいつか客車列車に揺られて山陰本線の沿線の海岸線を旅してみたいです。
日本では相当古い部類だけど海外に目をやるともっと古い古典客車が平気な顔で本線走ってるから世界って広いよなぁ。
JR現存の旧型客車と言えばもう一つ…思い出されるのが2014年まで稼働していた、SLニセコ号用の4両の旧型客車です。車籍こそ既に失われているものの解体はされず、今でもカバーを掛けられた状態で旭川に保管されているそうです。とはいえ今のJR北海道にとっては持て余すだけの存在でしか無く、今後の処遇が非常に気になる客車と言わざるを得ません。いっそ全ての車両をJR東日本に譲渡し、部品取りとして活用するのが得策だと思うのですが…て言うかあの4両も元々は高崎のモノだった!
そういえばSLニセコ号の旧型客車のうちカフェカーのスハシ44 1(元スハフ44 2)のみJR北海道で1両現役として14系客車の中に埋め込まれて残っていますね(映像中に出てきますが)。ちなみにこの車両だけは最終配置が旭川客貨車区でした。
c62ニセコ号最後の忘れ形見が居ましたね。あれも旧客ファンには相当の注目株ではありますが、肝心のSLが動かなきゃなぁ……、何もかも虚しいですよね。
@@新田実音人 今年乗ろうとしていたのですが、SL牽引ではなく運転期間も短縮され日程が合わなかったので諦めました。釧路自体には他の目的もあったので行っています。
あらら、それはツイてませんでしたね。もしリトライされることがありましたら、次こそC11がバッチリ走ってくれると良いですね☆。
紛れもなく日本の鉄道における至宝です!
旧型客車を取り上げてくれるとなると…
もうこれこうなってくると
主に山口線でSLやまぐち号として活躍している
新型の旧型客車こと「35系客車」も取り上げて欲しいですね
客車とはいえブルーリボン賞を取ってる車両ですし
自動ドアも搭載しているのでね〜…
今は定期の客車列車自体がなくなってしまった。むかしは日本中どこでも普通に走っていた旧客(旧型客車)も今や骨董品だ。壁や座席の一部などがニス塗りの木製だったし、床も木製だった。車軸発電機による蓄電池式の白熱灯照明なども少なくて車内は薄暗かった。車体はウインドシールが出っ張っているのが特徴だ。
昼すぎの閑散時に駅に停車中には全く音が聞こえてこない。シーンと静まり返っていた。冬には末端の蒸気引き通し管からSG(機関車についている蒸気発生装置)の蒸気が立ち昇っていた。夏には窓もドアも連結扉も開けっ放しで走っていた。ディーゼル機関車牽引列車はのろかったから、走行中に手動ドアの手すりにつかまって、ドアを開けて箱乗りもできた。あの頃の情景はもう二度と戻ってこないであろう。
長距離普通列車には客車列車が多かった。8割方そうだった。もちろんその多くは旧型客車だ。夜行列車もまたそうだった。夜行登山列車は音も静かで室内の薄暗い旧型客車が最適だった。中央線では旧型客車である山男列車(新宿を夜中に出発する登山客用の夜行列車)の存続運動まで起きた。関西では、阪和・紀勢線の夜釣り列車も寝台車付きの旧型客車列車であった。
もう少し多くの旧型客車を保存車両として日本各地で保存しておけばよかったのになと思う。欧米諸国などでは各時代の主な車両を産業遺産、文化財として動態保存している例をよく見かける。
まさか群馬にこんな車両が現役でいたとは驚きですね。
歴史の経緯も面白く、現代に合わせて進化してるのもまたいいですね(これは鬼滅コラボに選ばれるのも納得か?)。
非常に詳しく繊細な説明と綺麗な動画をありがとうございました😊まさに走る博物館列車の存在をご紹介頂き感銘です😍乗りたくてたまりません
SLといえばこの茶色の旧客車というイメージが強いと思われます、多分メディア的に旧客車の組み合わせの方が多く出てるからかもしれませんね。
よし今年の夏は旧型客車のりに行くぞ
今年の夏旧型客車運行してない
高校生の頃山陰線の旧型客車に乗り海水浴に行った思い出がありますその頃の客車が現役でいるのが感動ですSLと共に少しでも元気にいてほしいです
私が小5の頃まで普通、急行共にED75の引く旧客でした
開けっ放しの出入り口、白熱灯の灯り、暑い程の暖房、75がトップスピードの時のオハ61系のアトラクションの様な壮絶な乗り心地😅
どれも懐かしい思い出😊
自分とこはDD51で客車を引っ張っていて殆どオバーランだった。
確か飯山にC11が来た時に牽引してたのが高崎の旧客でしたね。
昔金沢行くときに、急行能登号の自由席が旧型客車
最後尾車両の戸袋ドア走行中デッキ座り後側線路流れる夜景風景
観ながら楽しんだ思い出します
旧型いいですよね。
実車の旧型客車は高崎駅の留置線の止まっているのを初めて見ました。現代のステンレス車より味がありますよね。
旧客車について勉強になる動画をありがとうございます😊
俺が中学生の頃は普通に走ってたな。
DD54に牽引されて茶色やら青やらの
旧形客車が。
記憶に残る体験として、昭和50年前後、はっきりとした年代は覚えてませんが、赤羽から鴻巣まで客車列車に乗って出かけたことがあります。当時の記憶として、茶色い車体、茶色い車内、直角の座席、薄暗い感じの照明というのがあります。あれが唯一通常運行として乗った旧型客車でした。
昭和62年オハニ36 11は浜坂~福知山で走っていた。浜坂始発4時41分なので夜行急行で到着して待った。海産行商で段々と似ぎ合うが荷物室は解放してあり出入り自由だった。
旧型客車のドアが走行中でも開閉できる時代に乗ったことあるなぁ
通学の学生が動き出した客車に飛び乗るとか普通にあった時代でしたね
スハ32のオリジナル白熱灯は優雅な円錐型。小金井公園保存のスハフ32にオリジナルの白熱灯が残ってます。できれば高崎のグローブも、あの優雅なグローブに復元して欲しいですね。LED化した今のグローブは不格好です。逆に西の新型35系はなぜかオハ35の箱型グローブではなく、スハ32タイプにしてますね。
旧型客車編成の鈍行列車
牽引機はC55 D51 D60
DD51 ED76達… 本当に
お世話になりました!
大井川の旧客も紹介してほしいです
あっちは自動で閉まるドアもない原型仕様です
大井川は大井川で原型に近い以外に癖の強い客車が多いですね・・・
@@mrkn56 私が家族で乗った時の車両が確かスハフ43だったかな?あの時は通り雨が降ってきて客車の中から雨漏り仕出して車掌さんと笑ったのを思い出します(◡ ω ◡)
大井川鐵道は今もトイレが垂れ流しですよね
子供の頃、仙台駅でよく見ましたね。牽引はED75で発車ベル、警笛の後の連結器伸びる金属的な音が前から後ろに走り、ほぼ無音でゆっくりホームを滑り出す。また見たい風景🙂
ただ高崎の旧客は青い車両が無いのが不満かな🤔
個人的には青15号で窓枠がステンレスなのが好きですね。高崎の43系、窓枠のステンレスまで茶色塗装ですもんね。
青色の客車(近代化改造車?)の件、同感です。いまの塗装にしても、すこしお上品すぎるような感じがしますね。少し調べればわかるような気もするのですが。
高崎の旧型客車がまだ残っていたなんて初めて知りました、聞いた情報によればトイレは和式から洋式トイレに改造されていて客車の先頭車と最後尾の屋根に列車無線アンテナが設置されているみたいですね。
15:40
昭和元年の製造当時は22350形ですね。
その後昭和3年の改番で21300形になってます。その後の改造で郵便荷物車26250形のオユニ26289号へ…
昭和16年の改番より前の形式(木製車はそれ以降も改番なし)は、百番台以下でも形式を刻むので4〜5桁の車番で一番若いものを形式とするのが通例です。
例えば木製郵便荷物車の仲間には他にも26200形、26350形、26600形とかあります。
40年前でさえすでにノスタルジックだった、まさに汽車旅
SL伴走車オヤ12は元々はスハフ12ですから単独でも問題は無いですね…
ちなみに…
かつて、発電装置を搭載したスハフ12を組み込まない「オハフ13+オハ12+オハフ13」という組成で走っていた12系の編成が有りました…
それって東北の12系2000番台でしたっけ?
冷房装置の電気を機関車をEGの電気でまかなっていたという話がありなすが...。
@@mi-tb9zlオハフ13に変圧器を載せてEGの電圧を変圧してサービス電源を確保してました。
オハフは2両編成中に繋ぎますが1両は逆向きに連結するのが基本だったみたいです
@@fw190d9dora 逆向きハフは有名ですね!!
@@mi-tb9zl 様
そうです、近郊改造の12系2000番台です…
オハフは両側とも車掌室側が中間のオハ12に接するかたちで組成されていました
客車の電暖車は2000番台😉
味わいがありますね。これも貴重な鉄道文化。勉強になりました。
身近すぎて気づきませんでした。
確かに滅茶苦茶貴重なんですよね。
自分はその世代ではないですが、旧客が現役時代にあこがれが強いので、今でもそれを感じられるのはほんとありがたいです!
自分的に旧客といえばTR23型台車のあの現代の車両とは違う独特なジョイント音!
あのジョイント音を聞きながら東北本線長距離鈍行に乗って、、、なんて妄想が尽きないですね。。。鉄道開業150thなのでイベントでそんな長距離鈍行ツアーなんて設定されたらいいなぁ
ベタなのだと上野発青森行とかですけど、自分の心をくすぐるのは上野発一ノ関行と須賀川発青森行ですかね笑
見出しを見て内容が危なそうと思いましたが、結構充実してて安心しました。最近は耳知識だけで論じられたりして客車の実態をわからない人の空論も目立ちますので。
小僧の頃、茶色客車はこんなにピカピカしていなかった。
自分が列車通学していた頃は椅子の背もたれは布張りも在ったけどニス塗りの板だったよ。
近くに大井川鐵道があるのでついそっちに行ってしまいますが、今度は高崎の旧客にも会いに行ってみたいと思います!
今や、旧型客車は大変貴重な存在になっていますね。しかも車両によってはSLより古いものまであるぐらいですから、とても貴重でしょうね。新型客車はブルートレイン系のもので、旧型客車は35系や43系といった茶色い客車(青色もあり)はもちろん、10系客車も『旧型客車』という部類に入るそうです。今でも大井川鐵道や群馬エリアで活躍する旧型客車たちも十分貴重ですが、それより少し新しいはずの10系客車に関しては、保存数としてはかなり少ないようなので、希少価値としては10系客車の方が上といえるかもしれませんね・・・
10系客車は 軽量化をした構造で
その車体の脆さが災いして 旧型客車より先に引退したのでは無いか
私がガキの頃は、スハ43系とかはさして珍しくなく、10系は北陸本線&「ながさき」しか乗ってない😉
10系はサービス装備は手動ドア空調非搭載と旧態然としていましたが、新型客車では?
セミモノコック構造の車体は旧型客車とは設計思想から抜本的に異なってますし、以降登場するいわゆる新性能電車も10系の車体構造から発展させています。
私が子供の頃は既に電化がある程度進んでいましてね。中央東線のように新性能電車でバイバイ客車をした線区もあれば、50系客車に晩年置き換えられた旧客もいました。どちらが幸せかと言われれば、後者かな。前者はそもそも客車ですらない。
小学校の修学旅行で姫路から京都までEF58、京都から奈良までDD51、奈良から亀山までD51、紀勢本線はまたDD51、途中の柘植駅からは草津線のC58の客レが煙をあげ発車してた。もうあれから半世紀。私の世代がSLの最後期だった。その後も80年代まで播但線や山陰線福知山線などあちこちで見られた。客レ自体がなくなってしまうとは…。
全7両編成で運転してほしい。
通学時にたまに見てたけど、そんな貴重なものだったのか…
なんかボロい電車だ…としか思ってなかった…
旧型客車が各地で復活して欲しいけど、なかなか維持費などが大変なんだろうなぁ。銀色の灰皿、乗降扉は走行中も開けっ放し、勿論、空調なし。薄暗い車内。あの雰囲気はもう味わえないのかな。窓が開いてたから駅弁買うのも容易だった。
国鉄末期だと旧客はハズレって思ってた。まだタイは日本の旧客同様大昔の日本製の客車が現役。手動ドアに下が見えるトイレも健在
スハフ32の説明で、「車体が鋼鉄で作られている鋼製客車のうち大型のもの(20m級)としては、一番最初に誕生」とありますが、オハ31系に分類される寝台車(マイネ37等)や荷物車(カニ37の初期型)はそれ以前に登場しています。Wikipediaでも20m級のものを文字色で区別して記載されています。
以前左沢線にc11と共にイベント運行時にスハフ32に乗りました
特に座席指定が無かったので楽に乗車出来ました
幼い頃から戦前の旧型客車が当たり前でしたが小さな窓は初経験でした
ぶどう色は昔の一般的なぶどうがデラウエアだったのでぶどう表記になったのかと思いました
群馬の上毛電気鉄道があるですが
たまに凸の形した奴がいますがあれも古い奴だったのかな?
私は只見線や奥羽本線での運行で何度か乗ってますがどれも個性があって良かったと記憶してます!
一番のお気に入りはやっぱりスハフ32ですね~
ちなみに高崎所属なのに検査は秋田の土崎まで持っていってやってます…ノウハウ的なものなんでしょうか…
津軽鉄道のもなかなかですが。鉄博の旧客はもともと津軽鉄道の芦野公園駅に留置されていたもの。
オハニ36 11というと本当(定期運用)の現役末期に山陰線の客車列車で乗ったことを今でも覚えています。当時でも旧60系改造のハニだったので人気があり好きものが第一に狙った車両でした。乗り心地は元急行用の42や47と比べて落ちるけど。そういえばもし60系が残っていたならば今大人気になったのかな?でもマジ90度直角板摺(背もたれにモケットなし)座席はみんな閉口すると思うのだが?
現在,SLやまぐち号で運行されている復古調客車の一部の車輌でも再現されているらしいです.
そういえば手動扉の時代に駅到着時に「完全にとまるまで降りないでください」と駅アナウンスしていたっけ...
夜汽車時にトラブルで照明の落ちた旧客ってむちゃくちゃ怖いな…。あの世へ御霊を運ぶ幽霊列車や魔列車みたいな
スハフ32は、一回乗れば十分だと思った。
現代の大人が四人で乗ると、膝頭がごっつんこするほどに座席の間隔が狭いのだ。
小中学生を連れた家族連れには、良い思い出になるかもしれない。
EF551が復活運転のために旧型客車が転属した時には驚きました。高崎には12系客車が配置されているので復活運転のように1往復だけの運用なら問題がなかったからです。EF551の復活するための整備にかなりお金使っていたので更に廃車直前の運用がなくなっている旧型客車を整備して美しい塗装されていたのには驚きましたね。SL列車が多く運転する高崎支社の立地と地方遠征で旧型客車でSL列車を運転してほしいとの要望が多いので今も古い旧型客車ですけど運用している理由だと思います
そういえばあのときは、3軸台車の救援車や、戦災復旧客車も動員されていましたね。
ブドウ色2号に関するネタでは、もともと日本には自生する山葡萄しかなかった
この山葡萄の色が伊勢海老の殻の色に似ているということから、海老茶と呼ばれるようになった
ちなみに、葡萄茶と書いてえびちゃと読むのはこの時の名残である
なので、この海老茶をすこし黒ずませたのがブドウ色2号というわけである
つまり、ワインとは全く関係がありません
客車の世界を掘り下げていくと面白いですね。
ただし、旧客改造の事業用車や連合軍専用客車まで行くと沼ですが(笑)
2等格下げ車、3軸優等格下げ車(マハ29など)、戦災復旧車辺りもディープですね。模型マニアでも手を出す最終地点という(笑)
「一般に見れる」最古の車両……
まあ、本当に一番古い車両群は某やんごとない一族の人達しか見れないワケだしなあ……。
特にその中でも古いのは「神様専用車」だし……。
旧型客車、豆知識的な問題です。
14:17の、オハニ36の一番左の元車掌室窓が400mmと凄く狭いのですが、何故でしょう?
Nゲージより大きいスケールの荷物車キットを組んだことがある人は判るかも。
正解は↓
元車掌室窓の内側には仕切りがあり荷物室側に拡張した窓が開けられないのと、
妻板側には乗降扉の戸袋があるためでした。
旧型客車の客用扉は開き戸で妻板側に折れて開くのですが、
荷物車は引き戸であり、必ず戸袋があります。
映像で判るのは、扉の取っ手が妻板側にあり、車掌室側に引き戸で開くことが証明されます。
通常の客車の取っ手は客室側にあり妻板側に折れて開きます。
映像中でも言われているように、現在保存されるのはどうしても人気のある機関車単体が多いのですが、牽引する客車が当時ありえない豪華装備の快適な客車だと、興ざめしてしまうのです。電車にしても客車にしてもできれば、時代背景を考えて編成単位で保存してもらいたいものです。その意味では高崎の客車群は貴重です。できれば青色の近代化改修車も入れてほしいのですが。
ここに10系軽量客車がでてないのが残念。
旧型客車と区分するには10系を含むか含まないかで、客車好きでは意見が別れるとこれ。
10系は一両単位で編成が組める点は旧型客車だが、車体構造は次世代の構造(のちに12系以降の車体構造の基礎)のため分類するのが難しい。ちょっとそこを追求してみて欲しい。
私も43系と10系客車の間で新旧を線引きしていました。ブルートレインに使われた20系もインターロックしかない手動ドア(登場当時は車掌補が開け閉め、後年は車掌が走って閉めた)でしたし。
旧型客車と編成を組んでいたから「同列」に語られる向きもあろうかと思いますが、構体の構造、材質等、明らかに別物だと思います。かと言って後発の12系や50系とも違う。しかし「ナ級」の重量を実現出来た点で20系ブルートレインへの試金石であったのは間違いないでしょう。
車体構造がまるで違うから10系は新型。
サービス装備は時代相応だったけど10系の海外に学んだセミモノコック構造車体は後の全鉄道車両の基礎になってる。
それ以前の客車の設計思想は10系の登場とともに過去のものになってる。
車体下の発電モーターは ヨにも付いていました 見たことありますよ 扉のガラスが割られてそこから入り込めましたよ ホコリとガラスの破片で汚れて 川の水位を調整の設備の建設為 ヨは解体されていました
旧型客車懐かしいです。中央線中津川~松本間でよく乗りました。🙂
乗ってみたい車両ですね。情報ありがとうございまーす😊 BGMの選曲好き。
昔の旅客列車の座席に栓抜きが付いていた事はリアルタイムで見た世代なので知っていますが、設置された理由にはちょっと笑ってしまいました。
会社員時代これにのって大阪まで通勤していたことがありますよ。関西では有名な福知山線(笑)。宝塚から阪急で30分のところ1時間以上かかってましたよ。自分に言わせると高崎のは、貫通路が封鎖されていて、走行中に乗降ドアが開かないので、もはや旧型ではないと思うんですが。転落事故は自己責任ですよ。ほんの30年ほど前の話です。
そういえば車軸発電機だけでは電気が賄えないので、とこどき充電した電池と交換しているらしかったですよ。
青色のやつは「急行津軽 青森~上野 奥羽・東北本線 経由」で何度も乗った経験があります。
チョコレート色のやつは、普通列車で使われていた車両ですね。 トイレはタンク色ではなく、直に排泄物を線路に垂れ流していましたねぇ。😅
私にはSLより客車のほうが貴重に思います。旧客だけでなく12系もそうですね。12系は冷房と発電機を積んでいるためそぞかしメンテにお金がかかると思います。やまぐち号の客車はよくぞ新造してくれたと思います。内装はかなり旧客にに準じていると思います。JR西さんには感謝ですね。しかしスハフ32の鎧戸は木工職人さんが作った芸術品だと思います。
14系原型車や14系ドリームカー、12系(展望車)を所有してる東武鉄道もなかなか・・・
新世代客車を叩いていた奴らは何なんだか。ハッキリ言って昭和40年代にもなって冷房搭載してない車両なんか、電車でも客車でも時代遅れ甚だしい。近鉄京都線見てみんしゃい、昭和48年登場の通勤車が、冷房付きで出ているんだぞ。
去年、SL夜汽車で乗った時は電灯が停電してしまいました。
そして今年の夜汽車は、機関車はELで客車は12系という残念な結果になってしまった。
EL駒子号で上越国境越えした時も照明回路不調で、真っ暗なまま清水トンネルくぐった。
能勢電鉄1700系がこの車両と同世代なのよくよく考えたらエグい
地元の人間だからチョイチョイみるから珍しく感じなかったけど、凄い車輌なんだ・・・・・・・知識が無いと同じに見えちゃうよね。
おおー!派生シリーズだ!!調べよう調べよう思って先送りにしてたカテゴリの代名詞の客車だ!!
2:59 旧型客車って既に電気取り入れてたのか…早いな
停車中も照明点いてたからバッテリーを搭載していたのかな?
車軸から発電してるんじゃなかった?
車軸発電した電気を蓄電池へ。
それでも足りないので、定期的に下ろして充電。
@@tydeentetuota5514 さま。ある一定の回転数を越えると、機械的に発電機が止まる仕組みになってるんですよ。
今は車軸で充電してないんだよねー
予め充電したバッテリー使ってるから照明は半分しか使わない。
夜汽車で、旧客が使われることもない。照明を全部つけるとバッテリーが切れるからドアや後部標識灯など運転に影響がでる。
一番衝撃だったのは、デンソーがかつて洗濯機の製造をやっていたこと。
原型率とか当時のようなボロさは大井川だが、活躍場所の多さを考えると高崎もなかなか
今から44年前家族で上野から乗った客車で座席が畳だったんだけど貴重だったのだろうか・・・
水上行きのスハフ32の機関車寄りに陣どれば、すぐそばで機関車の音やら煙やらを味わえるぞ!と息子にアドバイスしたら、スハフ42で近寄れなかった。と残念でした。
先ほど東武鉄道の客車が映ってましたね。
この旧型客車と足回りだと今も東武特急で走ってる200系の4と5編成が同じくらいの年数です。
67年目ならの話です。
走行中の連結部に立つのが好きです
スハ32系は,1969年に当時の国鉄信越本線の普通列車で長野から直江津まで乗った記憶がある.ハーモニカ状の窓が当時でもユニークで,また,その時の同じ列車のスハ32系で断面が凸型の二重屋根と普通のアーチ状断面(丸屋根)とがあった.二重屋根の方が当然内装もより古典的で,座席の背もたれもクッションが無く傾斜の付いた板張りであり,当時の普通列車でまだ見られたオハ61の類より多少マシかと思われた程度であった.
当時は小学生で客車の歴史的な知識も殆ど無く,普通の丸屋根の方を選んで乗ったが,やはり二重屋根の方に乗っておけば良かったと,50年以上経過した今でも後悔が残る.勿論直江津までは電化されていたので,当時は新しいEF62とその二重屋根のスハフ32は眺めても,また写真にしても大変に面白い取り合わせだったであろうと思われる.
旧型客車はこの動画のようなものを指すのではなく、10系以前の旧い車体構造で作られた車両、というのを聞いた事があります。
その基準を使うと、50系も旧型客車になってしまうので…
一両単位で扱えるとか他系列との混結が出来るとかは、特徴ではあっても区別の基準ではありませんね。
10系のセミモノコック構造からが新型客車です。以降設計される車体は電車気動車含めて10系をベースに発展します。
今思ったんだけど
京都てっぱくの旧客もやろうと思えば本線
走れそうだよね、1両だけだけど
京都には、オリジナルのオハ46の他に寝台車と半室食堂車(両者ともスハ32の一族)がありますね。東海の博物館にも残っていて、大井川で本物のオハ35が現役である事を考えると、鋼製主要形式はほぼ保存されている事になりますね。戦災復旧車最後の1両は北海道で静態保存されてます。
大井川鐵道
旧型客車の中には比較的若いの車両は リノリウムの床材を装備していますね
旧型客車は昭和の時代に北海道の121レ他で乗ったのが最後だなあ・・・
小金井のスハフ32も復活させて欲しいです!!
車籍復帰は無理でも、せめて大宮に入れて欲しいですね。現役車より貴重なオリジナル内装最後のハコです。
高校時代(昭和50年代前半)、磐越西線でスハフ32 2357と2146には毎週のように乗車してました。その当時の貴重な資料、かなり持ってますが、色々と事情があって、公開できないのが残念です...(;^_^A
10系の分類が曖昧なコメが散見されるので補足したい。10系は新型客車。
10系の車体は技術的に先行する欧州を参考にセミモノコック構造を採用して車体強化と大幅な軽量化がされてます。
以降に登場する20系ブルートレインはもちろん新性能電車も気動車も新幹線0系も10系の設計思想を基礎に発展し、旧来の客車の設計手法は過去のものとなります。
1両単位に編成できるとか混結可能とか空調無しは旧型の特徴ではあっても新型旧型の分類基準にはなりませぬ。