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空母大鳳の沈没から生還した親戚のオジサンの話を小学校の時に聞いたが、あまりの悲惨さに凄く落ち込んだ記憶がある。戦友の内臓が飛び出したり、海にバラバラにった死体が浮いているなか小さな木片につかまって救助を待っていたら、上官が近づいてきて「その木片をよこせ」といってきたがオジサンはカナヅチなので木片を手放すと自分がおぼれ死んでしまうので最後まで渡さなかったそうです。
だよな俺もそうするわ
この4ヶ月後にレイテ沖で連合艦隊は壊滅する幕末から続いてきた海軍は1944年のわずか4ヶ月で全てを失ってしまう歴史を流れでみるとなんと虚しいことか
前線の兵士には捕虜になったら自決せよ、と言っているのに連合艦隊の参謀(福留繁)が敵方のゲリラに捕まり、作戦関係の機密文書は紛失、現地部隊が交渉して無事に帰ってきた、と言う時点で疑問を持つのが普通でしょう。いくら本人が自白していないと言い張っても何らかの裏取引があったと考えてもおかしくはない。それを本人の言い分を鵜呑みにして変更せずに作戦をそのまま決行するなど頭の中がお花畑としか言い様がない。下に厳しく上に甘い海軍上層部の体質、情報に対する認識の甘さが問題。そもそも海軍乙事件の前触れとなるトラックやパラオ空襲での大損害、警戒の甘さなど「負けるべくして負けた」というのが実情でしょう。前線の兵士、指揮官は身を粉にして戦っていたにも拘わらず、虚しく命を散らした戦いだったと思います。そもそも「決戦」だったのですから、負けた後ですぐに降伏するべきでした。
日本からの降伏はアメリカが受け入れなかったと思う。完膚なきまで叩き潰す迄は。
戦後小沢治三郎が、自衛隊に招かれた時、「あの時他の戦い方はなかったんですか?」って聞かれて「それならば、どういう戦法を取ったらいいと言うのかね?」って言われて、誰も答えられなかったようですね。
連合艦隊司令長官の重職にあったのに、戦法に限定した議論にすり替えるのが、小沢の汚いところだよ。山本が「2年暴れてみせる」と言った2年は過ぎて敗戦必至なのだから、抗戦派の永野を突然刺したうえで、大元帥陛下に戦況不利のお詫びと講和を勧める遺書を書いて自決すればいい。遺書には、楠木正成が後醍醐天皇に講和を勧めた件にも触れておいて、新聞社のお涙頂戴記事を煽るのも良い。鈴木貫太郎による講話を数ヶ月早めることができただろう。
アウトレンジはもっと机上の空論だったけどね、滞空時間が多くなってパイロットは消耗し編隊はバラバラになる。攻撃している飛行機に人が載っていると計算に入れていない愚策。敵は上陸支援もしているんだから辛抱強く隙を見つけるべきだった、でも角田があれじゃね。
二年暴れてみせるなんて言わずに「戦えません」と言えばよかった
パイロットの技量に合わせて敵迄の距離を近くする。 先立つブーゲンビル島航空戦は諦めて対応しないとベテラン搭乗員が残るのでまだマシな戦いになる。
@@ShimizuNaotoOriginそのセリフは開戦前後のGF長官山本五十六海軍大将ではないですか?マリアナの時、小沢さんは第1機動艦隊司令で中将のままです。立場が違います。
元々定数2000機以上の基地航空隊で迎え撃つ計画で空母部隊はおまけだったが、基地航空隊は進出するそばから消耗してしまい。ビアク作戦に対応した移動だけで消耗してしまい、多くの搭乗員が南方の熱病にかかって戻ってこれなかった。
@@00kumakuma 元々基地航空隊が機動部隊に勝てるか?。低脳には困るな ぁ~。
圧倒的に違う物量。実戦はおろか訓練もまともにできていない搭乗員。粗悪品の部品で造られた本来のスペックからかけ離れた性能しか出せない航空機。これで勝てというほうがどうにかしてます。
この決戦こそ戦前、日本側が描いていた漸減邀撃作戦になるはずだった。しかし実際の展開を見れば、敵の出現海域は読みきれず敵の陽動に嵌り、基地航空隊で漸減するばすが逆に漸減されていたりと、広い太平洋での実現にはそもそも無理があったことを思い知らされる。またミッドウェイでの大敗後、生き残った艦戦搭乗員の多くは「い」号、「ろ」号といったソロモンでの消耗戦を避けて本土での再建を担っており、ここで再び戦場に戻って来たことが搭乗員名簿などから判明している。日本軍としては惜しみなくリソースを注ぎ込んではいた。しかし言うまでもなくレーダーとIFF、空中無線、VT信管の組み合わせによる米側の防空体制は円熟の域に達していて、新鋭グラマン450機の防空網は日本側の如何なる作戦戦術をも無為に帰してしまった。本海戦を生き延びた攻撃隊隊員によれば敵艦隊はるか手前の上空一面に、見渡す限りの敵機群が現れ、銃弾のようなその一機一機が液体かのようになりザーザーと、こちらに向かって来たという。負けるべくして負けた、司令官云々とか戦術云々の小手先ではなく、国力の圧倒的な違いを見せつけられた敗北だったと思う。
戦争で決して持ってイケナイ事は助平根性だ 最初が真珠湾攻撃では助平根性の極みだ 勝てる訳が無い。 その後の作戦を観ると助平根性の繰り返しばかり。 小沢治三郎は名将だった。😊
後から述べるのは結果論でしかないが幾つか現代にも通ずるところがある・日本は人命軽視である事・誰しも負けと分かっているのに精神論で物事の語る 令和になり流石にこれは減ったけど・物事の認識が自己都合で解釈
伊吹秀明の邀撃マリアナ沖海戦がある
勝てる筈もなし
結果は惨敗でしたが 完勝パーフェクトを狙うためには アウトレンジ戦法しかない。
1941年になっても電波探知機を全艦船に装備して居ない日本海軍に勝算は無い。 君にも解らないだろう。
中島中佐の他に同じ情報士官の実松中佐も中部太平洋が本命と主張したんよなが、軍令部の源田に押し切られて西カロリンが決戦海域にされてしまった
1943年4月、山本五十六連合艦隊司令長官が謀殺された時点で戦争の行方が決まってしまいました。ここが戦争の転換点でしたが、当時の日本としては停戦を言い出せるような状況にはなく、あとはずるずると坂道を転げ落ちるような状況でした。結局、日本中が空襲され、山本五十六が危惧し憂いたように東京は丸焼けになり、広島・長崎に原爆が投下され、それを見た旧ソ連が不可侵条約を破り満州に雪崩込み、日本はポツダム宣言を受諾して敗戦を迎えました。何も考えずに、行き掛かりで太平洋戦争突き進んだ結果がこれです。今はただただ犠牲になられた方たちの冥福を祈るばかりです。合掌。
アウトレンジ戦法に搭乗員の技量が追い付かなかっただけでしょ。
ださっ。さすが日本。神の国とか言われた割には、この見放されっぷり。
連合艦隊の最後で伊藤正徳は日本の航続距離に賭けたアウトレンジ戦法を、アメリカはレーダーによる早期発見で迎撃態勢を敷くという戦術思想で日本をアウトレンジしたのではと評した伊藤は自らそういう訳ではなかったようだと否定したが、実際は正しい分析だったのだと思う
身勝手な絶対国防圏など何の意味が在る?。
身勝手?はぁ😮?
日本軍の情報の軽視、レーダーや無線機など軍事技術の差、アメリカの物量。結局はこれに負けた。何もかも甘すぎたのだ。見通しがあまりにも甘すぎた。
馬鹿な参謀が捕虜になった時点ですんだ
しいて言うなら、囮の攻撃編隊(戦闘機だけの)を先制して送り込み待ち伏せしている追撃のアメリカ戦闘機を発見した時点で全速で引き返して敵機動部隊からできるだけ引き離させて燃料を消耗させ時間差で別の攻撃編隊で機動部隊を襲う方法なら被害が減らせたかもしれないが厳密に考えたら殆ど成功の見込みの無い作戦だったな。乙事件で敵の手に渡った機密書類も辛くも帰投した福留は紛失したの一点張りでその責務から逃れようとしている。手の内を読まれた作戦など到底成功する見込みは相当薄い。
前置きや余計な振りが多すぎるな。マリアナ沖海戦のみを詳しく解説してほしい。マリアナ研究家より。
航空機の質で劣っているのに勝てる方法なら戦艦 重巡洋艦で夜戦に持ち込むしかないんじゃない(?_?)
空母大鳳の沈没から生還した親戚のオジサンの話を小学校の時に聞いたが、あまりの悲惨さに凄く落ち込んだ記憶がある。戦友の内臓が飛び出したり、海にバラバラにった死体が浮いているなか小さな木片につかまって救助を待っていたら、上官が近づいてきて「その木片をよこせ」といってきたがオジサンはカナヅチなので木片を手放すと自分がおぼれ死んでしまうので最後まで渡さなかったそうです。
だよな俺もそうするわ
この4ヶ月後にレイテ沖で連合艦隊は壊滅する
幕末から続いてきた海軍は1944年のわずか4ヶ月で全てを失ってしまう
歴史を流れでみるとなんと虚しいことか
前線の兵士には捕虜になったら自決せよ、と言っているのに連合艦隊の参謀(福留繁)が敵方のゲリラに捕まり、作戦関係の機密文書は紛失、現地部隊が交渉して無事に帰ってきた、と言う時点で疑問を持つのが普通でしょう。いくら本人が自白していないと言い張っても何らかの裏取引があったと考えてもおかしくはない。それを本人の言い分を鵜呑みにして変更せずに作戦をそのまま決行するなど頭の中がお花畑としか言い様がない。下に厳しく上に甘い海軍上層部の体質、情報に対する認識の甘さが問題。そもそも海軍乙事件の前触れとなるトラックやパラオ空襲での大損害、警戒の甘さなど「負けるべくして負けた」というのが実情でしょう。前線の兵士、指揮官は身を粉にして戦っていたにも拘わらず、虚しく命を散らした戦いだったと思います。そもそも「決戦」だったのですから、負けた後ですぐに降伏するべきでした。
日本からの降伏はアメリカが受け入れなかったと思う。
完膚なきまで叩き潰す迄は。
戦後小沢治三郎が、自衛隊に招かれた時、「あの時他の戦い方はなかったんですか?」って聞かれて「それならば、どういう戦法を取ったらいいと言うのかね?」って言われて、誰も答えられなかったようですね。
連合艦隊司令長官の重職にあったのに、戦法に限定した議論にすり替えるのが、小沢の汚いところだよ。山本が「2年暴れてみせる」と言った2年は過ぎて敗戦必至なのだから、抗戦派の永野を突然刺したうえで、大元帥陛下に戦況不利のお詫びと講和を勧める遺書を書いて自決すればいい。遺書には、楠木正成が後醍醐天皇に講和を勧めた件にも触れておいて、新聞社のお涙頂戴記事を煽るのも良い。鈴木貫太郎による講話を数ヶ月早めることができただろう。
アウトレンジはもっと机上の空論だったけどね、滞空時間が多くなってパイロットは消耗し編隊はバラバラになる。
攻撃している飛行機に人が載っていると計算に入れていない愚策。
敵は上陸支援もしているんだから辛抱強く隙を見つけるべきだった、でも角田があれじゃね。
二年暴れてみせる
なんて言わずに「戦えません」と言えばよかった
パイロットの技量に合わせて敵迄の距離を近くする。
先立つブーゲンビル島航空戦は諦めて対応しないとベテラン搭乗員が残るのでまだマシな戦いになる。
@@ShimizuNaotoOriginそのセリフは開戦前後のGF長官山本五十六海軍大将ではないですか?マリアナの時、小沢さんは第1機動艦隊司令で中将のままです。立場が違います。
元々定数2000機以上の基地航空隊で迎え撃つ計画で空母部隊はおまけだったが、基地航空隊は進出するそばから消耗してしまい。
ビアク作戦に対応した移動だけで消耗してしまい、多くの搭乗員が南方の熱病にかかって戻ってこれなかった。
@@00kumakuma 元々基地航空隊が機動部隊に勝てるか?。低脳には困るな ぁ~。
圧倒的に違う物量。
実戦はおろか訓練もまともにできていない搭乗員。
粗悪品の部品で造られた本来のスペックからかけ離れた性能しか出せない航空機。
これで勝てというほうがどうにかしてます。
この決戦こそ戦前、日本側が描いていた漸減邀撃作戦になるはずだった。しかし実際の展開を見れば、敵の出現海域は読みきれず敵の陽動に嵌り、基地航空隊で漸減するばすが逆に漸減されていたりと、広い太平洋での実現にはそもそも無理があったことを思い知らされる。
またミッドウェイでの大敗後、生き残った艦戦搭乗員の多くは「い」号、「ろ」号といったソロモンでの消耗戦を避けて本土での再建を担っており、ここで再び戦場に戻って来たことが搭乗員名簿などから判明している。日本軍としては惜しみなくリソースを注ぎ込んではいた。
しかし言うまでもなくレーダーとIFF、空中無線、VT信管の組み合わせによる米側の防空体制は円熟の域に達していて、新鋭グラマン450機の防空網は日本側の如何なる作戦戦術をも無為に帰してしまった。本海戦を生き延びた攻撃隊隊員によれば敵艦隊はるか手前の上空一面に、見渡す限りの敵機群が現れ、銃弾のようなその一機一機が液体かのようになりザーザーと、こちらに向かって来たという。
負けるべくして負けた、司令官云々とか戦術云々の小手先ではなく、国力の圧倒的な違いを見せつけられた敗北だったと思う。
戦争で決して持ってイケナイ事は助平根性だ 最初が真珠湾攻撃では助平根性の極みだ 勝てる訳が無い。 その後の作戦を観ると助平根性の繰り返しばかり。 小沢治三郎は名将だった。😊
後から述べるのは結果論でしかないが幾つか現代にも通ずるところがある
・日本は人命軽視である事
・誰しも負けと分かっているのに精神論で物事の語る
令和になり流石にこれは減ったけど
・物事の認識が自己都合で解釈
伊吹秀明の邀撃マリアナ沖海戦がある
勝てる筈もなし
結果は惨敗でしたが 完勝パーフェクトを狙うためには アウトレンジ戦法しかない。
1941年になっても電波探知機を全艦船に装備して居ない日本海軍に勝算は無い。 君にも解らないだろう。
中島中佐の他に同じ情報士官の実松中佐も中部太平洋が本命と主張したんよな
が、軍令部の源田に押し切られて西カロリンが決戦海域にされてしまった
1943年4月、山本五十六連合艦隊司令長官が謀殺された時点で戦争の行方が決まってしまいました。ここが戦争の転換点でしたが、当時の日本としては停戦を言い出せるような状況にはなく、あとはずるずると坂道を転げ落ちるような状況でした。結局、日本中が空襲され、山本五十六が危惧し憂いたように東京は丸焼けになり、広島・長崎に原爆が投下され、それを見た旧ソ連が不可侵条約を破り満州に雪崩込み、日本はポツダム宣言を受諾して敗戦を迎えました。何も考えずに、行き掛かりで太平洋戦争突き進んだ結果がこれです。今はただただ犠牲になられた方たちの冥福を祈るばかりです。合掌。
アウトレンジ戦法に搭乗員の技量が追い付かなかっただけでしょ。
ださっ。さすが日本。
神の国とか言われた割には、この見放されっぷり。
連合艦隊の最後で伊藤正徳は日本の航続距離に賭けたアウトレンジ戦法を、アメリカはレーダーによる早期発見で迎撃態勢を敷くという戦術思想で日本をアウトレンジしたのではと評した
伊藤は自らそういう訳ではなかったようだと否定したが、実際は正しい分析だったのだと思う
身勝手な絶対国防圏など何の意味が在る?。
身勝手?
はぁ😮?
日本軍の情報の軽視、レーダーや無線機など軍事技術の差、アメリカの物量。結局はこれに負けた。何もかも甘すぎたのだ。見通しがあまりにも甘すぎた。
馬鹿な参謀が捕虜になった時点ですんだ
しいて言うなら、囮の攻撃編隊(戦闘機だけの)を先制して送り込み待ち伏せしている追撃のアメリカ戦闘機を発見した時点で全速で引き返して敵機動部隊からできるだけ引き離させて燃料を消耗させ時間差で別の攻撃編隊で機動部隊を襲う方法なら被害が減らせたかもしれないが厳密に考えたら殆ど成功の見込みの無い作戦だったな。乙事件で敵の手に渡った機密書類も辛くも帰投した福留は紛失したの一点張りでその責務から逃れようとしている。手の内を読まれた作戦など到底成功する見込みは相当薄い。
前置きや余計な振りが多すぎるな。マリアナ沖海戦のみを詳しく解説してほしい。マリアナ研究家より。
航空機の質で劣っているのに勝てる方法なら戦艦 重巡洋艦で夜戦に持ち込むしかないんじゃない(?_?)