「世界最強」と言われたゼロ戦…弱点はなぜ暴かれた?悲劇の戦闘機の真実|ABEMAドキュメンタリー
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- เผยแพร่เมื่อ 30 ก.ย. 2024
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※2021年8月18日放送にアベマで放送したものです
◆内容
悲劇の戦闘機"ゼロ戦"。1943年に入り、それまで「世界最強」と言われたゼロ戦を、米軍戦闘機が次々と撃ち落とし、戦況は一気に日本に不利な状況へと突入。
その背景にあったのは、ある島で発見された1機のゼロ戦だった。
1942年、米軍はアラスカのアリューシャン列島アクタン島で沼地にひっくり返った状態のゼロ戦を発見。
それを秘密裏に回収し修理すると、テスト飛行を繰り返し「ゼロ戦の弱点」を徹底的に暴いていったのだ。
当時を知る日米関係者や現場のアクタン島を総力取材で、"アクタン・ゼロ"の真実に迫る。
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#零戦 #太平洋戦争 #戦争 #ABEMAドキュメンタリー #アベマ #ドキュメンタリー #ニュース
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すみません。いつも思うんですが、エンディングのアナウンサー動画、もう少し落ち着いた雰囲気に出来ませんか?真剣で真面目なドキュメンタリーの後には、明るすぎてそぐわないというか、やや不謹慎な印象すら受けます。せっかく素晴らしいドキュメンタリーなのに、急に明るくなりすぎて、心に余韻が残りません。早急に変えて頂きたいです。
貴重な映像(資料)を収集された皆さまに感謝と敬意の誠を捧げます。
ゼロセン×レイセン○。正しい呼称調べた上で動画出せよ。
零戦の22型は好きだけど、最強にしてカッコイイのは西洋ドイツのフォッケウルフ君じゃないかな?
m.th-cam.com/video/oQ5hsRmDq8o/w-d-xo.html
涙が止まりません。素晴らしいドキュメンタリーをありがとうございました。
98歳!?
長生きだし、言葉しっかりしてるの凄すぎる
戦後の英雄
まだ昭和の時代、こんな話をしてくれる年寄り達がいっぱいた。
体験談を自慢したいんじゃなくて、その状況になった時、自分達が決断した方向性は間違いで、だからお前らは間違うなって意味で話してくれてると感じてました。
そんな話を戦後生まれの戦争を知らない親達がバカにしてるのを聞いて凄く憤りを感じて育った世代です。
年寄り…
言い方な
近所のお年寄りも、26歳で中国で終戦を迎えた方で、時々ニヤニヤしながら、「おかしたなぁ。頃したなぁ〜」って話してました。
自慢話に受け取る人いるのが理解不能
悲痛な叫びだろ
@@二宮金次郎-l2o
今も昔もこれからも良い人もいれば悪い人もいるってこと
@@スケキヨ-h8m
ジジイより全然いいじゃねーか
以前NHKで似た内容を見ましたが,ABEMAではゼロ戦が落ちた場所や同行機の判断,その後の米軍による分析など極めて詳しい内容になってました。
身を捧げ、死ぬ気で戦うしかなかったってとてことがとても悲しい。これから起きる戦争は、どの国も国民が自分の命を犠牲にするよう事はあってはならないと思う。
それな
スポーツか、バーチャルで争えばいいのにな
まあそんな簡単にはいかないんだけど
A.I.が殺戮するようになるよ。
スーパーで牛の肉を買っても心が痛まないでしょ?
それが戦争でも起きるようになる。人類はまだ存在するに値するか、考えているよ😊
戦争は国民全体で頑張るしかないんだよ。犠牲無くして戦争には勝てない
原田さんの「犬死にはしたくない。だから特攻には志願しなかった」ということばには凛とした強さ、信念を感じました。この当時、口に出さずともこのような考えを持つこと自体どれだけ勇気が要ったことでしょう。畏敬の念を禁じ得ません。
まあ、ヒロユキだったら行かないだろうな
真珠湾攻撃に参加しミッドウェイまで日本の快進撃を支えたエリートパイロットに特攻なんてプラインドが許さないでしょ いくら上官の指示とはいえ彼は自分で考えて批判できる余裕があった
@@だーさん-f1t 仮に今のヒロユキが当時にぶち込まれたら特攻拒否で半ば拷問受けて瀕死になるか殺されるより特攻志願するんじゃね。
@松島 極端な話です。
実際は社会的に殺されます。
禁じろ
「あなたが死んだら私はこの息子と自決します。」
戦争は体験していませんが、もし、戦時に巻き込まれ妻にこの女性のように言われたなら、私も意地でも生きて帰って来ようと思う。
この女性ほ素晴らしい妻で母ですね。
アクタンゼロでゼロ戦の弱点が把握されたのは痛手でしたが、アメリカはそれ以前に対策戦法を編み出し、新型機の開発を進めていたので大勢に与えた影響は後世、言われる程は大きくないようです。
ヨーロッパでは既に第一次世界大戦の大消耗戦により対ゼロ戦法と同様の戦法が主流になっていたのでアメリカもその流れで対策しましたが、日本軍は戦局が不利になるまで戦法を変える事が無く、この日本軍の隊長機に絶対服従という性質を見抜き、まず隊長機を狙い撃ちにして、後で残りを片付ければよいという具体的な対策をされている事すら生還率の低くなった日本軍は気が付かなかったようです。
「敵を知り、己を知る」アメリカ軍が優位に立ったのは必定と言えるでしょう。
結果論だけど仕方ないな笑笑
帝国軍は視野が狭すぎた
アクタン・ゼロは有名ですが、例え零戦が捕獲されずとも大局には影響はなく米軍は難なく勝利を手に入れたことでしょう。
あの時点では零戦は米軍にとって厄介な存在だったので、保存状態の良い機体を獲得でき、十分に調査できたのは勿論プラスになり、日本の空軍力を削ぐのに役立ったのは否めないです。
言い方を換えると、徹底的に勝利を得るためのダメ押しだと思います。
視野が狭く先見性や戦術性がない国民性は、今も昔も一切変わらず成長してませんな(^_^;)
@@gentleaviator なら、日本から出ていかれてはいかがでしょうか?
視野が広いあなたなら活躍できると思います。
視野が狭い我々日本人は自分の国が世界一素晴らしいと思っていますので笑笑
戦後日本は反省するポイントを間違えた。ただ全否定する事で反省を済ませていた気になってたが未来に生かす反省として綿密なデータを元に柔軟な対策を臨機応変に変更していく事の重要性を全く学んでいない。原発処理、コロナの問題をみても 何にも昔と変わってない事がよくわかる。
全く同感です。
どうすればいい?
戦後に限った事ではない。反省出来ない国民性。
@@shiramega 反省しなきゃいい。てか、出来ないので反省しようとするだけ無駄。
national character not suitable for democracy
Japanese cannot assert myself.Just complain about the results.
About Russia and Ukraine you are not trying to learn anything.
「戦争を知らない人間が一番勇ましいことを言う」と太平洋戦争を生き残った当時の学生兵士がドキュメントでおっしゃっていました。
ごもっともなコメントだと思いました。
ロシアの戦争でも、60以上の男女が1番好戦的な発言するもんね。解決策はあるよ。60歳以上の男女の部隊を組織して最前線に投入すれば、彼らも少しは考えるようになるだろう。
戦争を知らない人間より戦争に行かない人間がもっとも勇ましい。
生きる事に執着が薄くなった老兵が防御では一番強い。
防御に使うなら正解と言えるかも知れない。
突撃は出来ないよ。 足腰弱ってるから・・。
今の世の中なら普通の高校生として生きていけるけれども、当時は高校生もパイロット候補としていつ死ぬかわからない状況で日々を送るのは精神的にも相当なものだと思います。
この平和な世を作ってくれた先人達には感謝です。
誰でもパイロットになれるわけじゃないぞ。
そういう極端な意見も、それはそれで危険だと思うけどね。戦争ってのはこちらから仕掛けなくても向こうから仕掛けてくる可能性もあるわけだし、平時においても軍事的な備えやいざという時の戦う心構えは必要だと思う。
国を構成する国民の一人として、平和主義的になりすぎず、軍国主義的にもなりすぎず、ほどよいバランス感覚が必要だと思う。
@@jppower1129人が人でいる限り、戦争は終わらない。また過ちを繰り返すよ。
素晴らしい制作ドキュメントだと思います。
敗戦理由の本質的部分は、現政府や日本人の性質にも通じる部分があり、常に学習すべき内容だと思います。
今このアクタン島でヘリコプターのパイロットとして働いています。ここに昔から住んでいる人に零戦の墜落した日の話を聞きました。島民はこの時のパイロットさんを大変手厚く葬ったと聞きました。まさか自分の働いている島でこんな事があったとは驚きです。
士道不覚悟ですね。どれだけの犠牲が出たことか
@@二宮金次郎-l2o 士道不覚悟の意味は分かってますか? 現役の現地ヘリパイロットさんに何の責任があるのでしょう。
また、手厚く葬ったと聞いた当事者がどう受け取ったかをコメントから慮ることも出来ないのですか?
思慮深く志高い日本男児に在るまじき発想ですね。
涙がポロポロ噴き出しました……
出撃して生きて帰ってきたら生き恥と言われた戦争末期
特攻を拒否するなんて凄い勇気だったと思います
原田さんの生きて帰りたいと願う凄まじい意志を感じました
本当に生きて帰れて良かった
特攻は志願だからほとんどが志願してないだろ
@@コロハチ-z8d 徴兵
@@コロハチ-z8d
それってあなたの感想ですよね?
いや、完璧な論破w
@@kamata-sobi 徴兵で航空兵にはなれないよ?ものすごい倍率勝ち取らないと飛行機には乗れない
98歳でこんなペラペラ喋れるの凄いな
聞こえやすいし。
やっぱしごかれて体力つけたからこんなにハキハキとしてるのか?
戦争を生き抜くってすごいなぁ
敵国の文字をどこに書いとんな
@@たにたなやらま 気分を害してしまったらすまん 留学時に作ったアカウントなんだ
@@Yu-suke-america 狂ってしまったよ日本は。。。
俺を筆頭にな
@@たにたなやらま んなことはない。素晴らしい国だよ
単に物量で負けたのではなく、弱点を見抜かれて戦法まで研究された結果
対して日本は今のロシアと同じです。
兵隊は、はがき1枚分(召集令状)で補充できると思っていたのですからね
だから装甲も薄かったし、航続距離も長かった
それでも、米軍戦闘機に比べ空戦能力は以前高かったので格闘戦を避けて戦った
この戦術技術応用能力が米軍の本当の強さと言えます
日本は未だに米軍の実戦経験を教えてもらう立場で実際に戦法や兵器の研究は
米軍に劣る部分が多い
この研究量が間近に迫った対中国戦で日本と中国の大きな差になってくる
中国は米国を常に凌駕すべく、あらゆる戦術を研究しては日米の艦船・航空機に対して
その効果を調べているが、反対に日本はその研究が立ち遅れている
その一例がドローン爆撃機(旧式の戦闘機に爆弾を載せて遠隔操縦)だったり
子型ドローンによる駆逐艦へのかく乱戦術(場合によっては爆弾搭載で攻撃も可能)
対して日本はいつも後手に回っている感じが否めない
仮に、大量のドローンが飛んできて全て対空ミサイルで撃ち落としたとしたら
その分多くのミサイルを初戦で消費することになる
1週間しかない武器の残数でこの出費は痛いし、次に弾道弾ミサイルを迎撃する数を
制限される事態になる
零戦は、あの当時日本がドイツなどと比較して圧倒的に低い基礎工業力しかない中で、作ることのできた奇跡のような機体だったのだろうね。
零戦の動画を見ていると、良い意味でも悪い意味でも紙飛行機みたいな軽さや機敏さがあると思う。離陸している姿を見ると機体がちょっとしたはずみでもそのたびに揺れ繊細で脆さのようなものも感じる。いかにも鉄板という感じの米軍機ががっしりした機体をエンジンの力で強引に浮かび上がらせて飛行する姿とは正反対のイメージ。
非常に素晴らしい番組でした。ナレーションも詩的で
綺麗。
原田さんの奥様の悲壮な決意に涙が出ます。原田さんが無事天寿を全うされて良かったです。あの時代を生きてらしたすべての方々に感謝です。
世界最強(大日本帝国調べ)
まぁ名機ではある
ゼロ戦が第二次大戦中の戦闘機の中で「最強の戦闘機であった」ということは、
自らが表明したことではなく(日本人はコリ庵とは違うからな)、
戦後、アメリカの航空専門雑誌の『歴史上最強の軍用機6傑』で、
第二次大戦で活躍した戦闘機の中から、有名なムスタングやスピットファイア、フォッケウルフなど押しのけて、ゼロ戦がただ1機選ばれていることで分かる。
海外の専門家の間でも初登場から1942年までは最強の戦闘機だったというのが零戦に対する評価、ただ結局は零戦伝説も熟練操縦士の活躍によるところが大きいだろうね、戦争末期でも熟練操縦士は旧式なお爺さんになった零戦でP51やF6Fに互角以上の戦いをしてた
@@freeway104 疾風や紫電改の方が優れた機体なのになんで零戦が選ばれてるんだろ?
@@freeway104 最強だったではなく最優秀だったが世界の評価だったはず。
最強と最優秀は違う。
@@サーキターン
もう、コリ庵の寝言はいいから。
余程、日本の零戦が「最強」と言われるのが悔しいようだな。
戦後、アメリカの航空専門雑誌が「歴史上、最強の軍用機6傑」で、第二次大戦の戦闘機から、零戦をただ1機選んでいるのだよ。
防御力を犠牲にして迄の徹底的な軽量によっての高速化はやはり無理が有ったんでしょうな。
防御力っていうか機体強度だね。急降下による高速、高速からの急な引き起こしなどやると空中分解待ったなし
原田さん…すごいな…
その時の米軍機の武装はたぶん1/2inch砲弾
それを真正面から撃ち合って左腕に直撃したとか…
いや、切り返せば敵機に腹を見せる事になるからそれだけはできなくて、結果正面から撃ち合わざるを得なかったんだろうけどそれにしても凄すぎる…
そして生き残って下さった
これからも長生きしてほしい
残念ですが既に亡くなられています
原田さんは99で亡くなったんですよ…
2016年に
原田さんは格闘戦に乗ってくれない敵機をグラマンさんって呼んでたな
戦争に限らず、日本は熱意とか信条みたいなものが重視されるがあまり、状況を冷静に判断できるクレバーな人材が不足していると思う。これは個人の考える力を伸ばさない横並び教育の弊害。
いかに非常時であっても全体主義に染まらない、特攻なんて嫌だと堂々と言える原田さんのような人は貴重。
米軍は仕組み化・マニュアル化が上手いなぁ
日本は精神論ですからね。その辺から負けてます。足りぬ足りぬは工夫が足りぬという標語を作った上層部に一番工夫が足りなかった皮肉。
そこが多民族国家ならではの強み?
日本人は関心な時に目を見て会話しない経営陣ばかりだからね
前提としてそれを実現させる工業力、資源を持っていることも凄い
日本軍もやろうとした痕跡は多々あるけど金欠すぎて何もかもが上手くいかない
@@Deadstock22 日本もマニュアルはありますよ、メルカリに旧軍の武器の扱い方のマニュアルが図や写真付きで掲載されてます
99.9%死ぬと言われて自決の覚悟をしていた中で旦那さんが帰ってきた時の嬉しさって俺らが生きてる中で体験できないくらい大きかったやろうね。
戦争ってほんと誰も幸せになれねぇな…
やっぱ戦っている人はそういう違いを気づけるんやな、すげぇや
堀口二郎物語にあるが、グラム単位の軽量化、主翼捻り下げ、以外にもフラッター抑制、操作ワイヤの非線形伸びなど工夫満載だったそうな。
98歳でこんなハキハキと喋れる??
化け物過ぎる。。
当時の日本は、1000馬力のエンジンが製造が出来なかった。結果機体を軽量にする事で
零戦が誕生、大戦初期はベテランパイロットの手により欠点を克服してきた。米軍は零戦
を回収して戦法を改めが、新型機の登場、圧倒的な数に押されて、日本は搭乗員は新人、
新型開発の遅れ、物質が無い事が敗戦の要因。
実戦は、殆どが一撃離立つで行われいた。映画の様な巴戦は、訓練で行われた。
海軍と陸軍の足の引っ張り合いもあり
改良された零戦は 進化どころか退化するしで、、、
零戦が弱かったから強かったからでも戦争は勝てないと思うよ当時
物量がまず当時勝敗をつけていますから
現代も同じ政府の無能さが今も国民の苦労を物語っている。
特攻っていうのは政府の無能
政府の無能さは今も当時も同じ😢
上に行くから馬鹿になるんだよ
複葉機時代の古いエンジンを元に更に軽量化した高性能な栄エンジン。ソレに、超超ジュラルミン製の軽量で運動能力に優れた機体を組合わせて設計し、大翼面積での低翼面荷重を実現させた零式戦闘機。小半径の宙返りをすれば一度で相手の尻に付いて撃墜できるが、頭数の多い相手からはソコを複数機が攻撃出来たハズ。ソコを読まれた敵からは、複数機に狙い撃ちされて撃ち落とされてしまったと思う。一対一の武士の様な戦い方は戦争には通用しない!高性能なゼロの戦闘能力とは別次元の戦争の原理だったと思う。
美学ゆえに研ぎ澄まされて美学ゆえに敗れるのですね。
零戦なぁ、確かに欠点は多いけど美しい機体だよね。
どんな性能でも現場ができるのは自分の持っている兵器の性能を最大限引き出すだけ。現場で命を張って日本を守って下さった先人の方々には感謝しかない。
そういえば零戦の栄発動機はごく一部の個体がキャブレターの初期不良でマイナスGがかかった際に停止するものがあったそうだけど、ほとんどの物はマイナスGでも問題なく動いたそうだよ。元々全方位にGのかかる格闘戦を想定して、かなりの労力をかけてそう設計したそうだから。
日本を守る?日本は昔から島に住んでいるのは、人の世代が暮らす土地を奪うことに貪欲でなければならないからだ他の人に殴られて死ぬべきだった
キャブレタはそうかもしれないけど、結局急降下に弱いのは変わらない
これは航空力学的なお話だから設計からの問題
零戦パイロット
優秀な日本人の若者が散っていくのは悲しいです。
司令部は、戦闘機のパイロットは桜の花の様に散れと言っていたからです、
日本兵はみんな靖国神社に祀られているからです、
たった80年前なのか。そう考えると最近だよな。
戦略としては酷いし人を人と思わない外道だが、そこで散ったひとには少なくとも尊敬と感謝と哀悼の意を捧げたい。
ABEMAすばらしいやん。
別に世界最強だとは全然思って無かったですよ。ただ、データを取って対応策が出来る迄不用意に戦うなって言われてただけですよ。
戦いの中で死にたい!と命を賭けて戦って来た原田さんの言葉は重い。特攻隊に志願する人も覚悟が凄いとは思うが流石にあんなやり方では。。
海軍の陸上機,艦上機,水上機を問わず、搭乗員は落下傘を装着せず戦地に赴いたそうです。
おまけに防弾設備を、無駄と言う将官が多かったと、当時の海軍技官が語っていました。
それに対して陸軍の航空機は、防弾設備が装着されていて、性能が悪くなっても兵の命は守れと将官から言われていたそうです。
よく陸軍は悪者で海軍は善人と言う人がいますが、特攻は海軍が始めた時は、陸軍は陛下の赤子をそう簡単に殺せるものかと躊躇していました。
日本の技術力の中で他国の戦闘機を倒す力(加速や運動性)を持たせるため、
軽量化として機体の剛性や防御力、エンジンのサイズを削ったものが零戦がです。
落下傘は別として、防弾設備を追加していたら重量により他の性能が落ち、結果的により多くの命が失われていた可能性もあります。
零戦を美化する意図はありませんが、限られた技重力の中で他国の戦闘機に対抗した事は間違い無いと思います。
エンジンの息つきに関しては、確か元ゼロ戦パイロットが否定していたように思う。
そこら辺は一度墜落して壊れた機体なので修理が完璧ではなかった可能性がある。
防御を極限まで削り、パイロットの腕と命懸けの戦闘で格闘戦に活路を見出していたのがゼロ戦であり、欠点を補う対策をすればゼロ戦の利点を生かせない。連合軍機とは発想そのものが違うのだ。
若干の改良がなされた後期のゼロ戦は戦闘能力が落ちていたと元ゼロ戦のエースパイロットたちは指摘している。
また、運よく当たった時の破壊力は大きいが、命中率の低いしょうべん弾の20ミリ弾より、命懸けの戦闘をしていたパイロットからすると命中率が高く弾数の多い「7ミリ7の機銃弾」のほうが遥かに信頼度があったことが指摘され、7ミリ7弾を増やすか、20ミリ弾を13ミリくらいに替えて弾数を増やしてくれた方が安心だし戦果が上がるとされたパイロットたちからの要望は実現しなかった。
ゼロ戦の最大の利点とされていた「航続距離」は、防御を極限まで削り極限まで軽量化されていたことも大きな要因だったであろうし、ゼロ戦の設計思想自体が防御とパイロットの命を犠牲・引き換えにした戦闘・攻撃での究極系であった以上、遅かれ早かれ対策はされていただろう。
いずれにしても、戦争が長引けば資材や物量等でも劣る日本軍が劣勢になるのは必然だったはずだ。
ゼロ戦の欠点の対策がされたことだけに限らず、ゼロ戦の改悪プラス経験豊富なエースパイロットの数が徐々に減って行き、余裕のない日本軍は新人パイロットや経験の浅いパイロットの育成もままならなくなったことが劣勢になってきた大きな要因だろう。その時点で詰んでいたのだ。
それにしても、命懸けで国と私たちの未来を守ってきてくれた方々の苦悩を垣間見、目頭が熱くなりました。感謝の言葉しかありません。
坂井三郎氏は「20mmは使い物にならず、弾道が素直な7.7mmしか使えなかった。7.7mmで操縦席を集中射撃するのが、最も効果的だった」と記している。
文章力が乏しく、私にはこのような素晴らしい文章は書けませんが、全く同じように考えております。
現代風に言うと零戦は アジリティにステ全振りの紙装甲 ってやつなので、遅かれ早かれ陳腐化はしました。
改良しようにも機動性へのこだわりが抜けずどんどん中途半端になってしまった😮
ちなみに、戦闘機の航続距離の短さに困ってた同盟国のナチス・ドイツも、日本から贈呈された零戦を研究しました。
が、すでに大火力のスピットファイアとバチバチに戦っていたドイツ空軍には防御力を完全に無視した零戦のコンセプトが合わず、なんの参考にもなりませんでした😮
パイロットの池田さんのリアリティにあふれる説得力。
佐藤さんは本当に残念でした
原田さんの奥さんの言葉が原田さんを救ったんだね
心に強く感じるものがありました。ありがとうございました。
日本人→アメリカを倒すには人間もろとも突っ込めばいい!!
アメリカ→この飛行機を分析し、弱点をついていこう!!
そりゃ負けますわw
日本も鹵獲した米軍機は片っ端から分析はしてたわ。
アメリカの技術力が高すぎてどうにもできなかったけど。
戦争経験者と同時に生存者、日本の為に戦ってくれた事に感謝したい。
日本というか軍部や大富豪のため
人殺しに感謝?すごい価値観w
@@ネトウヨウヨ
違う。国民が戦争したがっていた。
日本はヨーロッパの植民地と化していたアジアの国を独立させました。
In your dream stop crying 1 Year old kid is salty
高性能すぎて、敵艦に届くから悲しい
科学技術に疎いトップが真面目で優秀な国民を苦しめているのも、今と似ている
確かに理系出身の政治家って少ないですよね
@@ルークルーク 官僚が実際そうで一定の省庁以外全て文系がトップ勤めてたりするからねぇ
@@ルークルーク 菅直人。。。
高性能じゃなくて、単に安全性を極限まで削っただけでしょ。
凄かったのは機体じゃなくてパイロット。
機体だってすごいだろうけど一番すごいって言ったらパイロットだよな よくあんな中身すっからかんの機体飛ばしてたよ
海軍の無茶苦茶な要求を達成するにはそうするしかなかったんよ
零戦はアメリカ機と違って敵弾に当たらなければどうってことないって感じのコンセプトだったからね。
持ち前の旋回性能を活かして避ければ被弾しない=防弾版などの安全性は不要
零戦からずっと続いてるかもね。今の日本車。燃費は良い軽い速い、俊敏性、けど事故したらすぐボロボロ。ちゃっちいボディー。
中国戦線も太平洋戦線も華々しいのは序盤だけなんですよねぇ……
僚機が、生存安否が不明の不時着機を破壊しなかったのは失態。おそらく泣いて銃撃できなかったのだろう。破壊しなかった僚機の搭乗員は人間的に立派だし尊敬する。
でも、おかげで後に多くの航空兵が犠牲になり、ひいては特攻を生んだ。
戦争は非情なものだよね。
元米軍関係者が本当にこんな誉めちぎってるのか怪しいので日本語音声を乗せるんじゃなくて字幕にしてほしい
装甲皆無の戦闘機で最後は特攻って、国の為に戦う兵隊の人命を最初から最後まで軽視しすぎ、上層部が悪い。今の政治も国民がNOとはっきり言わないと、いいようにされてしまそう。
勝ってればこういう話も悲劇ではなく誇らしげに話してたんやろな
勇猛果敢だったのは男たちだけでなく、
女、子ども、年寄りも覚悟を決めていた。
それを忘れてはいけない・・
もうすぐ8月になる。我々はこんな国にしてしまったことを先人になんて詫びるべきだろうか?
日本の敗因はゼロ戦を世界最強と思い込んでしまったこと。自らを最高の国と思い込んでしまった事。
自らが最高の国と思ったかどうかは別にして(日本人はコリ庵とは違うからな)、
ゼロ戦が第二次大戦中の戦闘機の中で「最強の戦闘機であった」ということは、
戦後、アメリカの航空専門雑誌の『歴史上最強の軍用機6傑』で、
有名なムスタングやスピットファイア、フォッケウルフなど押しのけて、ゼロ戦がただ1機選ばれていることで分かる。
今の 日本人の思考と変わらない悲しさ...
@@ステーキいきなり-k7u
コリ庵と日本人は違うからな。
自分や自分の国が世界最高と思うことはない。それよりも、そういう「最高の人」「最高の国」に常に「めぐり逢いたい」という願望がある。
@@freeway104 そうやって他国を引き合いに出して日本の方がすごいという相対評価をするのは見苦しい
よそのことは知らんが日本は凄い、でいいんだよ
他のコメントにもあるけど当時の軍部も零戦が最強なんか思ってないぞ
「世界最強」は神格化されすぎかな。当時、世界の列強ではあったものの、まだまだ工業後進国であった日本が生み出した「世界水準の」戦闘機くらいが妥当な評価だと思う。
当時日本より工業水準が高かったのはイギリス、ドイツ、アメリカぐらいだよ?頭大丈夫?
世界最強っていう目でみるなら、零戦より疾風、五式戦闘機、紫電改の方が近い気がしますね
@@arrow02-o2n 疾風は日本軍にしては優秀だが登場が遅くて既により優秀な機体が出揃っているから無理。五式戦も所詮はピンチヒッターに過ぎない。紫電改もやたら神格化されているがいうほど強くはない。雷電がクソ、烈風はクソな上に全然間に合ってない、零戦は古いし拡張性ないし改修も今一つなんで苦しいって状況下ではかなり使える機体ではあったが
そっか今日はこういうの上がるのか笑 何が本当だろうね?どこの国が言った歴史か誰が書いたのか刷り込みか洗脳か自国は信じられるのか刷り込まれた歴史は真実か何をもって信じているの?
ゼロ戦は、高い旋回性能と引き換えに、対被弾性能ゼロと操縦に苦行を強いる戦闘機だったのは有名な話です。
操縦席は、木製でしたから。
軽量化しすぎて、急上昇角と上昇速度。
急降下角と降下速度まで決められていました。
不時着機を分解することによって弱点が暴かれ、グラマン機等の米軍機に対抗出来ず、特攻機としてしか使えなくなった悲運の戦闘機です。
加えて、エンジンが三菱製から中島製になってからは、信頼性が落ちて一段と不利になってしまったのです。
軍部の無茶振りに、技術者は答えることができましたが、弱点に対する技術者の苦悩は亡くなるまで続いたことでしょう。
旧陸軍と旧海軍のいがみ合いと無策が、悲惨な戦争を生みだしました。
昨今のウクライナ情勢を見るにつけ、改めて戦争は起こしてはいけないと思っています。
なんでエンジンの製造元が変わったんですか?
@@蓮次郎-k5l
三菱の生産能力が低かったこと。
三菱の工場が被災したこと。
中島の生産能力が高かったこと。
旧海軍が「中島ありき」の考えで三菱を見下していたこと。
などの複合要因です。
性能自体は三菱製のほうが良く、中島製は信頼度に欠けてたそうです。
海軍の意向
設計は三菱でエンジンも三菱製のエンジン載せたかったけど海軍が中島の栄エンジンを選んだことで中島のエンジンになった
でも大戦末期になると中島製のエンジンだと製造が間に合わなかったことで三菱のエンジンが積まれるんだけどほぼ実戦に出てないみたい
鹿児島の知覧特攻平和会館に行くと、
多数の遺言書が写真と一緒に展示されているが、
見ているだけで泣けてくる。
若い頃にこれほどまで過酷な体験をして戦争が終わってそこから普通に働いてしかもこの年まで生きるってとんでもない落差のある人生やな。
どれだけ人間としてでかいんや
自分ならとてもじゃないがそんな人生精神力が持たなくて生きていけない。
アクタン・ゼロがなくとも、もうこの頃はP-38に圧倒されていたしな
翌年にはF6Fが登場するからどうにもならないよ
ゼロ(0)戦じゃない→レイ(零)戦です。ゼロは英語、日本語はレイです、ナレーションは正確に伝えないとダメ。アメリカの呼び名で呼ばないで頂きたい。
呼びにくいしダサいから
ゼロ戦でいいよ
こっちの方がかっこいいし
最後の原田さんの言葉が深く心に刺さりました。
上官からの「国のために死ねるか?」の問いの時に、生きることを選んだことは素晴らしいと思う。
今なら「生きたい」と言うかもしれないが、当時なら「国のために死ぬこと」を選ぶ人も多かったと思う。
自分が追い込まれたときに、「自分の考えを貫ける人」は本当に強い人だと思う。
日本は神国日本に敵は無しと云う理由で戦争に突入した昭和天皇が本当の現人神様で在られたら勝てた戦争だった。
零戦はパイロットを守る防弾板も搭載されてなかった戦闘機で世界の技術者にとっては人名軽視の戦闘機と言う評価だと読んだ事が有ります。ですがそれと引き換えに長距離の航続距離と軽快な空戦能力を手に入れたんですね。圧倒的な物量と豊富な資源を持つ大国と肩を並べると言うのはそう言うことなんだと思いました。
アメリカはそこらへんちゃんと考えてたようです。
いくらなんでも余裕が無いよ。パイロット育成には時間がかかる
@特務二等兵
航空機というものは脆弱なものですよ
でないと引力に逆らって飛べないしね
米軍機もあくまで燃料タンクや搭乗員の部分だけで他の部分は防御してませんというか出来ません。
逆ですよ資源がないからこそパイロットの生還を何より優先させるべきだったのですよ。
パイロット育成に最低でも2年の歳月と現在価値にして2億円の費用がかかる。
費用はともかく2年もかかってたら手練れのパイロットになる頃には終戦ですわ
防弾板よりも、燃料タンク防御が無かったのが大きいと思うんだよなぁ。人間一人より圧倒的に広い上に、当たれば引火してみるみる燃えていくのだから。
弱点が、軽量化の為に防御や安全性を犠牲にしている。
これって今の軽自動車と同じじゃないか?
走る棺桶と空飛ぶ棺桶。
安全の軽視、乗員を守るという発想が欠落している日本人。
戦前から全く進歩していない。
「走る棺桶」❢ ト◎タのパプリカが、有名でした💧 車体はブリキ板。 父親が仕事で乗っていたようです🚙当時35〜40万。 普通車ですよ。800cc? テレビコマーシャルの謳い文句が、1000ドルカー?
日中戦争で零戦が中国機を27機撃墜して味方の被害ゼロ、というのは零戦がいかに優れていたかが語られる上で必ず出てくる逸話ですが、相手の中国機って時代遅れの複葉機ですよ。速度差がありすぎて撃ち落とされる方が難しいです。
そもそも当時既にヨーロッパ戦線(特にイギリスとドイツ)では2機1組による一撃離脱が空戦の基本で、むしろ戦争経験の少ない米軍が遅れていて、零戦を相手に苦戦する中でようやくヨーロッパのレベルに追いついたわけです。
日本軍にしたって上層部もパイロットも、高速化の進む戦闘機どうしの対決に格闘戦はつらすぎるということは十分にわかっていて、軍部は三菱に高速戦闘機を要求したのです。が、金属工業がほとんど始まってもいなかった当時の日本はまだアメリカやイギリスから金属加工の技術を教わっていた段階で(開戦に伴い当然技術者は帰国)、自分たちでは金属製品を作る設計力も加工技術も機械も持ってないわけで、アメリカやイギリスが置いていった機械でプラット&ホイットニーあたりのエンジンのコピーを作ることでお茶を濁していました。しかし純正品ほどの精度を出せるほどもなく、大きさや重さの割に低出力なエンジンしか作れませんでした。そこでやたら機体の肉抜きをして最低限の剛性すら満たせなくて本来やりたかった急降下ができなくなったり、重い防弾装備を諦めざるをえなくなりました。
有名な坂井三郎氏も、戦果の多くは一撃離脱であげたものであり(といっても米海軍と一撃離脱でやり合うことのできる性能はないので、敵機を先に発見して先手必勝からのそのまま逃げ切り)、一撃離脱の重要性を説いていらっしゃいました。
つまり、日本の工業力が稚拙であったが故の苦し紛れの特徴が零戦の美点として持ち上げられすぎて、零戦そのものが妙に神格化されすぎているように思います。
よく言われる長い航続距離に至っては、空母を十分に配備できないために地上基地からはるか彼方の戦場まで飛ばさざるをえなかっただけで、そのために被弾しやすい翼の中に燃料タンクを設けたわけです(言うまでもありませんが防弾処理ゼロです)。米海軍がそんなことをしなかったのは、できなかったのではなく、する必要がなかったのと火災のリスクを避けるためです。
私の祖父は海軍兵と叔母さんや近隣の高齢者から聞かされてました。当時は訓練もままならない若い子達が不馴れな特攻機に乗り敵地に行き悉く敵に打ち落とされたと。ある高齢者の女性は「零戦は欠陥品!」と。
「一時期は最強」まさにここでしょう。今主に若者に浸透しているのはこの「最強」という部分だけ。
結局、エンジンなどのノウハウが無い日本が世界最強の物を作ってしまう事は、
ここから始まり、空母、イ400、ガラ携、FSXと今でも続いてる。
見てて涙しか出なかったです。
零戦の搭乗員の方がまだいらっしゃるんですね。
こういう方々には日本人として尊敬し感謝したいですね。
そしてあらためて太平洋戦争で命をかけて戦ってくれたすべての日本人に感謝しご冥福をお祈りします!
Perang Asia Timur Raya!
介護施設で働いていた頃、98歳で当時21歳、出撃する前日に終戦を迎えて生き残ったお爺さんがいました。
認知症で話していることもこちらの話すこともわからず…な状態でしたが、時々『あぶない!どけ!逃げろ!』と仰っていました😣
生活歴には鹿児島生まれと書いてありました。戦争や政治のことには詳しくないですが、実体験をした人の生きた声には新聞やテレビでは得られない衝撃がありました!
一応、日本が仕掛けた戦争ってわかってんだよな…?仕掛けたせいで、非戦闘員がたくさん死んだ。アジア解放は口実にすぎない。
空襲後も沖縄後も広島後も降伏をしなかった、あるいは求められても降伏しなかった。国民の命なんかそれほど大事じゃなかったってことだな当時の軍部は。
追い詰められなす術がなくなると最後の
悪足掻きで特攻して死んでこいと
人様の尊い命を軽視した日本帝国軍
決して美化してはいけない。
こうして、生かされているのは、必死で日本、日本国民、愛される方々を守り抜く為にまさに、命を懸けて護ってくれた英霊様方のおかげです。本日は、広島に原爆が落とされた…日です。英霊様方と御遺族、大東亞戦争で亡くなられた方々の御冥福を祈るとともに、敬礼。
元々弱い。別に恐れてない定期
胸に熱い物を持つ気持ちになります。戦中の米国に対する戦い日本は資源のない国降伏か日本のまもるか守るかで戦った戦争です陸軍はアメリカ合衆国との戦いは否定してました。資源を止められ大東輪戦争に突き進んだ陸軍ハワイを攻撃した海軍間違いはここから始まった。日本の誇りを賭けた戦い英霊に懺悔
機体を調べなくても上昇力や旋回性能やダイブ制限速度なんかパイロットからしてみたら数回戦えば丸わかりだよ。
フィンランドのパイロットもソ連機の情報なんか入ってくるはずもないので手探りですぐにだいたいの性能推論してた。
特に戦闘機は同じ機種でも工場や時期でころころ性能かわるからテストパイロットが調べた性能なんか参考程度だよ。
今の豊かな日本があるのは命を懸けて日本のために戦ってくれた英霊の方々のおかげだということを私たちは決して忘れてはならない
は
それは勝った側が言うセリフでは?負けてもなお日本が立ち直るために頑張った方達の事も言っているのなら分かりますが。
こういう戦争ドキュメントの時に必ず現れるステレオタイプの回答だよね。祖国を思い殉じた意志は尊重するが、実際はどっちにしろ負けて降伏したんだから今の日本とはあまり関係ないよね。むしろ生存して戦後の再建に尽力した方が良かったかもしれないしね
零戦の一番の問題である高速での運動性。スペック的には有利なはずのワイルドキャット相手に急降下されたら逃げられる。つまり追い詰めても逃げられる、不利なときに逃げられない。次世代機体の疾風や紫電改もヘルキャットやコルセアにダイブでは不利なんだろうか?
戦後高オクタンのガソリンで飛んだ紫電改はP51と互角かそれ以上だったらしいです。
アクタンゼロもいいけど、Z戦闘機計画の「富嶽」の開発物語を取材してほしかったなぁ❗️
富嶽いいよなぁ実現出るかは置いといてロマン満タンでかっこいいよなぁ
コメント欄で一部の奴は勘違いしてる スマホやPCのゲームとリアルの戦争は違うからね 何が違うかって言うとPCやスマホのゲームは死んでも復活できるけど リアルは死んだら復活できないの 分からないから そう言うコメントできるんだろうけど
私の母方の祖父は母が子供の頃に亡くなったので会った事は当然ありませんが、
戦時中は零戦乗りで教官も務めていたと亡くなった祖母から聞いた事があります。
祖父は特攻隊として部下を送り出していたそうですが、
実は何度も上層部に『代わりに自分が特攻する❗️』と進言するも、
教官という立場だったからから許可されず『申し訳ない。』と思いながら部下達を送り出していたそうです。
しかし度重なる特攻で人員も少なくなり、
いよいよ祖父にも特攻の命令が出ると言う時に終戦となった事で祖父は戦死せずに終戦を迎えたそうですが、
部下を送り出して自分だけ生き残ったと言う事が生涯心に引っかかっていたのか、
病気で他界するまで、
戦後は航空産業関連の会社から声がかかってももと零戦乗りであったにもかかわらず、
頑なに航空産業関連の仕事に就くことは断っていたそうです。
あと戦後を生き抜く為に処分してしまったそうで実物は見た事ないですが、
祖父の軍服、礼装、軍刀も昔はあったそうです。
会った事はなくても零戦乗りだった祖父を私は誇りに思っています。
An overrated fighter
本物の零戦を靖国神社で見た時は江頭が熱くなった
2:50ですか?
がっぺムカつく!
戦友の生命を案じて、墜落した僚機を破壊しなかったとのこと。戦時中の日本人は人の心を失っていなかったのだ。
Toda homenagem a esses verdadeiros heróis japoneses. Só eles podem julgar ou avaliar o porquê dos acontecimentos da época.
まさにその通りだね。
なるほど
完全に理解した
@@sashimi-yu8pbヒーローでは無いよ。軍や財閥の利益のための特攻なんだから
英雄ではない。哀しき被害者。英雄ではない。
アメリカが零戦の技能はパクったんか💢
技術論も大事だけど、戦争というマクロを見る時、零戦単体は些末な問題。
出撃して戦死する方や生還しても生き恥と言われる人もいるけど、戦死しても結局残された家族が苦労をするのは目に見えている。
生きて帰る選択をしたことは、恥では無い。
実家の祖父は、戦時中に大怪我をして生還してきました。自分がまだ小さい頃に祖父が戦時中の怪我が原因で、何度か手術をしては入退院を繰り返していました。病院に親と一緒にお見舞いに行きましたが、お見舞いに行くたびに喜んでくれたのを今でも覚えています。
だから生還することに生き恥だとは思わないし、生きて帰ることが大事だと思う。
アメリカは徹底的に研究する。日本は敗れても反省を疎かにしなぜ負けたのか研究しない。こういう点でもアメリカとは大差があった。
日本は鉄も燃料も資源が無さすぎて研究や実験をしようにもアメリカがやるようには到底できやしない。しかも、アメリカはドイツとも闘いながら対日本戦備の増産も同時に行っていた。こんなんで戦争ふっかけるのがもう愚か
典型的な自虐思想乙
零戦等は墜落時、爆発させて秘密保持をしなくてはならないのにパイロットは不時着して亡くなったのでパイロットが悪い。其れは燃料タンクの防弾処理も悪くて燃料タンクを撃たれると爆発駄目だった。
そもそもゼロ戦なんて、大戦中期から末期にかけては既に旧式化してたんで、米軍のP51には全く勝てなかったでしょう…
ドイツでさえ、P51Dに対抗するにはある程度、数が揃ったMe262、ジェット戦闘機ぐらいしかなかった。
零式で対抗なんて、話にならない。
F4ファントムも傑作機とされているが、ファントムでF22を相手させるような戦いが実際に展開されたようなものかもしれない。
もう99.9%生きて帰って来ることは無いと覚悟して出兵した原田さん。原田さんの奥さんが周囲の反対を押し切って、乳飲み子を背負いわざわざ上野まで会いに来て伝えた言葉、「貴方が死んだら私は自決します。」と言う言葉は、裏を返せば「絶対生きて帰ってきて!」と言う強い願いと、「私の心は貴方と一緒に戦場へ行きます。」と言う強い思いだったと思う。この言葉があったからこそ「犬死にだけはしたくない」と原田さんは生きて帰って来れた。
地球と言う国でみんな仲良くすればいいのになー
させてくれないクソ野郎が西と北西にいる
人間が争いをやめることは無いからなー
我々は
ホモ・サピエンス=戦う猿だ。
零戦は当時のアメリカ主力戦闘機に比べ走行距離、速度がおよそ2倍。
ある一人の天才が生み出した怪物に帝国の首脳陣は夢を見た。
悪夢の始まりを
アクタンゼロが決定打になったかもしれませんが、太平洋に限れば零戦の無敗伝説なんて最初からほぼ存在しないと思います
いっときの伝説だったのかもしれませんね、冷静にみたら情報戦で圧倒的に劣っていた日本に勝機は乏しく、最後には特攻という愚策に出るくらいですからね。
日本も一切パイロットの命(防弾)を考慮しなかったわけじゃないんだ…。一応日本にも米軍機の様な防弾性を両立させる機体案はあった。ただ少なくともそれが実用化されたのは1944年に三四一空に配備された紫電が最初。時代を見るとわかると思うが日本は判断が遅すぎた…