【合戦解説】布野の戦い 大内派国衆 vs 尼子 〜 月山富田城に攻め寄せる大内軍を返り討ちにした尼子晴久は防安備へ反転攻勢に出る 〜 <毛利⑮>
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 30 ก.ย. 2024
- <毛利シリーズ⑮話>
時は戦国時代 中期
天文10年(1541) 11月
一代で数ヶ国を領する戦国大名へとのし上がった雲州の狼こと尼子経久がこの世を去った。
安芸吉田郡山城攻めで毛利に大敗を喫した直後であったこともあり、当主 尼子晴久を見限り大内に靡く国衆が次々に現れた。
これを好機と捉えた大内義隆は 打倒尼子を掲げ挙兵。
石見 安芸 備後の大内派国衆も動員した総勢2万とも3万とも云われる大軍で出雲へ侵攻。
居城 月山富田城から出てこない尼子晴久を臆病者とあざ笑うかのように、大内軍は月山富田城から1里(約4km)の地まで迫り城を包囲 、尼子の滅亡も間近だと誰もが思った。
しかし 智将 陶隆房 毛利元就をもってしても 中国一の堅城 月山富田城を力攻めで落とすことはできず、長引く戦と度重なる敗戦は大内従軍国衆の士気を低下させ、ついには吉川興経 三刀屋久扶 三沢為国といった 元尼子派の離反を招いてしまった。
不利を悟った大内義隆は尼子との和睦に切り替え 尼子方もそれを受け入れる方向で進むかに思われたが、この時をじっと待っていた尼子晴久は、撤収支度に入った大内軍を確認するや 全軍に突撃の命を発した。
先陣を切る勇猛果敢な新宮党の奇襲を受けた大内軍は あっという間に総崩れを起こし。
大内義隆は毛利や小早川の隊が殿軍となり尼子の追撃を凌ぐ間に なんとか出雲から脱出するも、義隆の嫡男 大内晴持や 重臣 杉隆宣 沼田小早川当主 小早川正平などが命を落とす大敗北となった。
出雲を脱出した毛利元就もまた 渡辺通ら家臣を多く失いながらも、なんとか毛利領である石見 邑智郡の二ツ山城に辿り着くことができたのだった…
[ご覧になられる方へ]
※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
※合戦や物語の出来事は諸説あります
※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
※演出時に大きな音が出る場合があります
※2024年時点での歴史資料を元に作成しております
※イラスト提供:史環 殿
▼オフィシャルグッズ販売サイト▼
yukimura.thesh...
#戦国時代 #合戦 #歴史
月山富田城の敗戦から立ち直り、大内家の最大版図を築き、日明貿易を独占し、従二位に叙され公家大名となった大内義隆もまたかなりの実力者だよね
言われているようなb殿ではないのでしょうね
もちろん烙印を押される事態はこれからですが、
多くの歴史や印象などは、
『勝った側』『生き残った側』からのバイアスがかかるものですね
今川氏真も織田信雄も豊臣秀頼も、愚鈍であるとされなければならない天下人の都合を我々は見せられているのでしょう
従二位は凄すぎる
まさかの主要キャラじゃない三吉が勝鬨。
新宮党が大勝して終わりかと思ったら
油断したところへ三吉が小勢で奇襲をかけて逆転、出雲へ追い返した。
こういう結末になるとは、合戦とは面白いものですね。
それな
三吉致高、マイナー武将だけど、結構いろんな敵を跳ね除けていたりしますし、実力者だったりします。
この戦い尼子が負けた原因は慢心した為だと思う。元就は戦いに勝っても慢心しない。そして領土を拡大した人のほとんどの共通点は慢心しないこと。 「勝って兜の緒を締めよ」今の時代も昔の時代も大事だと思う。
偉そうにしてる大内家臣たちが多い中で弘中親子は長い間安芸守護代を務めてきただけあって安芸国衆のことを理解してくれてる。
これは史実を元に創作した作品ではあるけれど、現実でも現地の状況をしっかり把握できている人がスタッフに居るのと居ないのとでは対応に違いがでますね。
あえ
そんな弘中隆兼は大内への忠義ら陶側(義長側)戦い厳島散ことに・・・
戸次鑑連……
何故、その乙女要素を娘に授けなかったんですか!?
反動だろうなあ
この頃には 井上衆が完全に頭痛の種になってるね 戦術的に尼子勝利、 戦略的には大内 毛利の勝利かな?
井上衆の主君に従わない様子、陶隆房、相良武任の確執など、今後の火種が満載ですね。
気早いけど、毛利シリーズ終わったら
次はどこかな?
たわけ後北条氏2人を小田原まで
やるのか。
家康を将軍就任までやるのか。
はたまた、信長を再度やり直すのか。
ps.幸村殿、後北条氏を最後まで
やる際は明治時代まで続くこと
子孫の北条浩氏が創価学会の会長を
やっていることは絶対に話すること!
三吉の捨て身の弔い合戦の勝利は純粋な敵討ちの気持ちが天に通じたとしか思えない。謀が無い純粋な感情の果てに勝利あいた歴史を教えてくれてありがとう。
これを見ながらグーグルマップみるのがマイブーム!
お松が松姫に…
まさか元就さん、妾はいらぬと言っておきながら…
お松の強烈な寄りきりに押し倒されたんだはず😂
実は元就、長命でありながら最後までお盛んだったようで...
末の息子が孫より若かったりする。
山名理興、何気に気骨ある武将。
神辺城まで攻めて来た元就や大内の軍相手に数年籠城して耐え抜いた武将。
このチャンネルだと敗戦直後にで
政治的意欲を失い、塞ぎ込んだと
描かれてますが
実際は義隆は敗戦直後の6月2日には石州らへんに防衛ライン築いたりその他諸々即座に
動いてるんですよね、
第二次月山富田城までやるのかな🤔
宍戸隆家が陣を置いた高谷山は、三次盆地一帯を見渡せるほか、三次市が誇る観光の一つである雲海で有名ですので、秋ごろに是非訪れてみてください
「雷神」立花道雪(戸次鑑連)がなんかオネエっぽく書かれているが、これはあながちウソともいえない。
自分にも他人にも厳しいストイック武将の趣味はなんと
花の栽培
家臣にむけて
「秘蔵の種が手に入った故、育てておいてね。あ、水のやりすぎには注意だぞ」
というような内容の手紙を部下に書いているほど。
今回の合戦で個人的に好きだった上山広信が死んだの悲しいな…
それと三吉致高怒り任せに討ち死にしちゃうかと思ったらカッコよすぎるだろ
メインキャラじゃない三吉至高の悲憤の猛反撃が勝鬨を上げる事になるのが新鮮です
毛利は常勝ではなく、大内と尼子の間で生き抜いてきた歴史が面白かったです!
毛利ほど常勝で勝率が高い戦国大名など存在しないかと
むしろ毛利元就以上に戦績の良い戦国大名はいるのか
今高野山城…いよいよ地元周辺地域が来ましたか
かの地周辺、現在は世羅町中心地で平成の大合併まで旧世羅町、旧甲山町役場もありました
また今高野山からは中心市街地を一望できます、今高野山城は更に山に入った奥地だったかと
今高野山自体も桜並木(まだ小さく若い)があったり、集客施設「せら温泉」があったり…古よりの銘菓「唐(から)饅頭」も美味しいですよ(微笑
布野の戦いはさながら総崩れならぬ、双崩れですな😮😢😰😓😖
後に起こる井上一族の粛清、厳島であの末路が控えてる、弘中親子と毛利元就との関係
この時点で伏線が色々と張られてますね
三次出身だけどこんな辺境の地が舞台になって嬉しい
三吉致高の男気かっけーです!
改めて視聴しましたが、これは野球でいえば、負けは負けでも、完封負けではなく、7対0だったのを最終回に満塁ホームランを打って、最終的には7対4で試合を終えたといったところでしょうか。
ベッキーと宗麟のビジュアルとキャラが面白すぎる😂
次が神辺城の戦いならその間に両川問題も入し大内嫡子の問題も入。そうなと大寧寺の変の伏線も張らなくてはいけない。なりの大作で時間がりそうすね。
加えて正室と義母も・・・それに家督も譲ってますね
仇討の無謀な攻めが勝利を呼ぶのはこの戦ぐらいかな?
現場の判断が如何に重要かと改めて思いました
毛利元就ほどの人でも自分の策と人選で失敗はある
しかしそれを挽回するのもまた現場の人なんですね
3男徳寿丸を小早川に送るのを元就が渋ったのは
向こうから頭下げてお願いしますと言わせるための策という深読みが従来ではされてるけど
単にかわいい(正妻の)末っ子を手放したくなかっただけという説もあるらしい😅
いざとなったときに家督を継ぐのは正室の子だから、長男次男を失ったときのスペアとして手元において置きたいって感じでもあったかも
何より元就がそういう立場で家督継いだ存在だし
この戦いの失態から新宮党は下り坂になるんやな。毛利元就が陶を打ち破る時に尼子に動かれたら困ると謀略で新宮党を・・・ここから毛利元就の躍進して行く戦いを楽しみにしてます
ついに吉川元春小早川隆景誕生の気配がしてきたか
熊谷信直殿、ざんね~ん🎉
元就と穴兄弟になりたかっただけにござる。
こうやってみると元就が周辺豪族から慕われていただけではなく、元就自身も旧熊谷氏の豪族や三沢氏等、周辺豪族を高く評価していたんだな。この相互の関係が毛利一大勢力の源と言っても過言ではない、製作者のメッセージが込められている素晴らしい作品と思いました。
@@jwjpdagjegjd56823
現代でも人間関係や相互信頼は大事ですよね。そういう所はどんなに技術が進んで関わる人間が少なくなっても変わらないですね。
毛利シリーズを見てみると、大内義隆の知名度が大友義鑑、尼子晴久よりも凄いな。特に大内義隆の隆の字は後に小早川隆景と後に肥前の熊と呼ばれた龍造寺隆信も大内義隆を尊敬しているから頂いたのかな。
龍造寺隆信も、確かに隆の字ですね!
龍造寺氏は、大内義隆の、少弐攻めに協力した事で、少弐の旧臣に滅ぼされかけたものの、
隆信により、急激に勢力を拡大させます。
そうか!元就の策士ぶりを気にし過ぎたが故に、新宮党が撤退した事が後の尼子家内紛による新宮党壊滅の第一歩だったか⁉︎
あとで晴久に詰められたでしょうね
今回新宮党の命令違反が今後晴久との関係悪化に繋がるわけね。
元就の声がいつもと若干違う気がするのだが。
もう大分お年を召してるからね。
全体的に声が高くなったというか、軽くなったというか。
声が変わったのは元就ではなく、隆元では?
隆元の声も勿論変わっているが、元就の声が明らかに高い。前作までは年相応の低めの声だった様に感じた。
この翌年に川越夜戦だと思うとぐっとくるね
7000に1000で対応して出雲まで退かせたのだから、上手く行ったと言えるとは思う。人的損害も多く出たが、戦略的に目的は果たせたと思うよ。尼子からすれば、7000を掛けて毛利の拠点奪取が出来なかった訳だから、長い目で見てよろしくない。
経久→上々上々
晴久→結構結構
お!確かに!
コ結構
初めて知ったけどこの時志道広良70代だったのか…
新たな養子:晴英さんの立ち絵は今川氏真と同じか。
氏真さんのキャラが好きだったから何か嬉しい。
義隆さんや晴久さんの服装や声が変更されているのも、これからは「尼子と大内」の話ではなく「毛利家 躍進」の話であることへの準備でしょうね。
今のところ、仲が悪くなさそうな陶 隆房さんとの関係が今後どのように変化していくのかが今から楽しみです。
52:29 立花道雪(立花誾千代のパパ)が初登場。ちなみにこのシーンで使用されているBGMが気になる。
毛利シリーズでは珍しく合戦名に山が入らずサムネに毛利元就もいない稀有な回
まぁ毛利元就を語るとは中国地方の流れを語ることなのかな?と
これ以前だと三入横川合戦がそれですかね…
まだまだ元就というより
大内が中心なので
今後また元就がサムネに映らないのはありえます、(´・_・`)
三沢氏の勝鬨はちょっと胸熱だった
三吉が根性見せたなぁ〜
こんな勝ちもあるんだね
熊谷と言い三吉と言い弟亡くなりすぎ…
牛尾の弟も死んだね
経久の弟も討ち死に
@@会計士くん 後結構前だけど信長の弟の信興,藤原広就とか
1:24:44 確かに、上山広信をはじめ井上光利、粟屋元堅、粟屋元良、福原元勝、長屋吉親、荘俊正など多く毛利家臣や大内派国衆から犠牲者を出してしまっていますからね。
大河毛利元就で椋梨を演じた舟木一夫が懐かしい。
三吉の家紋(旗)は𠮷(つちくち)なのか!
今回も勉強になりました
氏真w 56:14 56:14
赤穴くんも上山くんも死んじゃった😢、通くんも・・・。いい人は早死にするよなぁ。
俺 尼子も好きだけど 山な忠興も好きなんだよねー。また出してよ お頼み申す。幸村殿。😁
夜中に見るんじゃなかった…面白すぎて寝れぬ…
なんというか布野の戦いのところの国久が元就の策だと疑いにかかってるところ既視感あるなぁと思ったら
第一次安芸銀山城の戦いで元就の夜襲策で混乱に陥った陶興房が元就の策だと混乱してたシーンに似てるからかw
元就当初の計画とは異なる展開でしたが、結果的に思惑を達成できたのは凄い。
新宮党は戦闘力こそ高いけれど、元就の立てた戦略に阻まれ、最終勝利を逃すことが多い。
勝利には戦闘だけでなく、根回しや戦略が必要だということを示す典型例ではないでしょうか?
毛利シリーズサムネの新宮党の出席率の高さよ
あと何回出席できるか……
上山広信好きだったに、、、
新宮党の失態が痛いですね
次回晴久がキレ散らか姿が
想像つくな数百の小勢に何してんだ!
とか言ってそう
ガッキーに続きベッキーがw今後、義鎮がベッキーにバチクソ叱られつつ、カトリックに沈んでいくのが観たい。
備後国衆にも魅力的な将がたくさんいるなぁ
このときでもまだ元就は安芸国衆のひとつだったんですね
一揆の契りの話は知りませんでした
このあとも国衆の寄り合いの色が濃いのか、それとも変わっていくのか楽しみです
ユキムラさんの作品を観ていつも思うのが、各所の心情描写がみごとなところですね☝️作品にいつも惹きこまれています。これからも楽しみにしています😆
北条里見の第二次国府台合戦に似てる気がします「勝って兜の緒を締めよ」 という北条氏綱の名言が響く合戦ですねー (チャンネルでの(セリフ有での)北条氏綱の最後の登場も第二次 河東一乱 の1年11か月前ですね。。) 後、毛利隆元の声変わりはびっくりしましたw
0:00 オープニング 布野の戦い(布野崩れ) =天文十三年 (1544)= [大内尼子]
2:16 シーン① 石見国 二ツ山城 ~元就の帰還~ =天文12年 (1543) 5月末=
11:56 シーン② 備後国 神辺城 ~理興の賭け~ =天文12年 (1543) 5月末=
14:33 シーン③ 出雲国 月山富田城 ~反転攻勢~ =天文12年 (1543) 6月=
20:08 シーン④ 周防国 大内館 ~新たな養子~ =天文12年 (1543) 6月=
26:04 シーン⑤ 石見侵攻 =天文12年 (1543) 6月 = [尼子大内]
30:13 シーン⑥ 安芸国 吉田郡山城 ~正念場~ =天文12年 (1543) 6月末=
34:05 シーン⑦ 椋梨平の戦い =天文12年 (1543) 7月= [備後山名大内]
52:28 シーン⑧ 豊後国 大友館 ~兄弟の絆~ =天文13年 (1544) 1月=
55:12 シーン⑨ 周防国 大内館 ~隆房の陰り~ =天文13年 (1544) 4月=
1:00:33 シーン⑩ 出雲国 月山富田城 ~打倒元就~ =天文13年 (1544) 6月=
1:03:44 シーン⑪ 安芸国 三原本陣 ~三方攻防~ =天文13年 (1544) 7月=
1:07:21 シーン⑫ 布野の戦い(布野崩れ) =天文13年 (1544) 7月中旬= [大内VS尼子]
1:24:03
安芸国衆や小早川家そして大内家が再三にわたって徳寿丸こと隆景を養子にと言ってたがずっと渋ってたんでしたっけ?
しかしまぁいろんな人物が変化を遂げてましたなぁ
お疲れ様でした。次回作も今から待ち遠しいです!
そろそろ陶隆房の絵も変えてほしいす
長慶チョイ役なのにかっこいいキャラ絵もらってるし次の主人公だったりするのかな?
1:11:00 織田裕二笑う
本当、細かい所まで凄い!
津和野領主、吉見正頼は大内義隆の義理兄になります。。年齢的には義隆が6つ年上ですが、大宮姫は義隆の4つ年上で、吉見正頼の兄の隆頼は1540年に亡くなり、その後、正頼が後夫となります。
戦国時代に珍しい高齢出産で広頼を産んでいます。大内大宮姫の38歳の時の嫡男です。😊
国久が長年に渡って元就に散々な目に合わされすぎたせいでビビりまくってるのおもろい笑
吉見正頼、見逃していたっ!!
吉見家と言えば内藤家や益田家とともに「大内道頓の乱」以降 陶家と色々と深い因縁のある家じゃねえか。
既に、いつか来る〝あの事件〝への布石が置かれ始めたという事か。
吉原次秀のアイコンが光栄ゲームのあの優秀な竹中半兵衛なの違和感がある
本城常光が尼子滅亡後明智の家臣になる
何だか、ラストは北条シリーズで見たような展開・・・
安芸・備後での作戦指揮が以前の大内の指揮下から元就メインに変わってるのが分かるのがいいね。安芸守護代が同僚感でてるし。弘中隆兼もこの後、上手いこと立ち回って入れば毛利の重臣ぐらいになれていたかなぁ。
氏真さんが😂
義隆、ちょっと声が低くなった?
本城有能過ぎるだろ笑
尼子誠久は山陰のジャイアンだけども、幸村チャンネルだとかっこよくてキャラ立ってるから絵とカード化あってもよかった😭
本城常光は後々まで元就の頭痛の種となるからね
@@MUSASI40 本城さんは中ボス感はありますよね笑
死んだ(謀殺された)後も毛利に寝返った尼子派が尼子に戻り長期化し元就を苦しめた。
義鎮様、後々「アナタハ、カミヲシンジマスカ?」になるのかww
尼子晴久の人相がまるでトカゲ🦎の様で御座いますな😂
誠久が前回まではただの有能だったのに陶隆房みたいに慢心し出している…
井上衆や大友兄弟などなど、段々と伏線が貼られていっているのが胸アツだけど少しずつ毛利シリーズの終わりが見え始めているようで悲しくもある🥲
戸次鑑連もまた濃いキャラだなw
メチャクチャ威圧的且つ無骨な見た目なのに中身はちょっと乙女…とかw
毛利元就と弘中隆兼、大友義鎮と晴英のやり取りは
未来を知っていると物悲しい気持ちになる…
吉川興経は遂に叔父や家臣からも見放されましたね…
もうすぐ「吉川元春」が生まれますね
上山広信の死はあっけなかった、油断が生じたのでしょうか
大河ドラマにも同じような描写があったなぁ
布野の戦いもだけど、九州や近畿まで含めた各勢力の駆け引きや狙いが見応えありました。
にしても釣ろうとしたら逆に釣られちゃうとか、新宮党も脳筋と思ったら意外と知恵が回るのな。
三吉致高の物語的には脇役ではあるんだけど主役レベルの活躍してみせるの好き。締めの言葉もほんとかっこいい!
いつも面白いですね!
有名どころの戦いも魅力ですが、
これまで出てきた人々が力を合わせて動く戦い、熱くこみ上げるものがありました。
長いシリーズならではの魅力を感じます!
続きが楽しみすぎる...!!
大友塩乙丸って、今川氏真と同じじゃねw
軍議での作戦会議を途中で終わらせることで、
「制作の時短」+「どのような策で戦うか想像させる」+「尺が間延びしない」が一気に解決されてる
高度すぎて尊敬します( * ॑꒳ ॑* )
新作遅いなぁぁぁ
元ネタが踊る大捜査線の一幕があったが、、、このチャンネルの視聴者はこのネタが分かるのだろうか
1:00:07
投扇興ってしあわせ家族計画という番組で出てきてた扇子投げるやつか
一説では、義隆さんは春持さんを失った一条家に気を使って 晴持の弟”チャチ若君”も養子として迎えたとか。
この説が真実ではなかったとしても、この後に生まれる実子:義尊さんと晴英さんの関係をどのように描いていくのか楽しみです。
お疲れ様です。いつも楽しく拝見しています。宍戸家ご当主のお話はとても興味深かったです。お屋敷の広さも気になりましたが長州閥の人間関係も非常に気になりました。あるのか分かりませんが第二回を楽しみにしています。大河ドラマ毛利元就で宍戸隆家役の加勢大周氏と五龍姫役の高橋由美子さんを思い出しました。
薩摩藩豆知識第2弾
島津家にとっての悲願であった薩隅日三州統一までは当主から家臣団まで一丸となっていたがその後は迷走しながら九州統一に向かった。長い間島津家と大友家は事実上の同盟関係を築いてきた。そこに大友宗麟を頼って日向の伊東義祐が豊後に身を寄せたことで旧領回復をもくろむ義祐と勢力拡張をもくろむ宗麟の利害が一致し大友家による日向侵攻が決まった。
耳川以南まで勢力範囲を拡大した島津家は大友軍の侵攻に対処すべく高城に勇将山田有信を入れ佐土原城主の末弟、中書家久とで防衛を図った。
尼子晴久の姿が大河に近づいている!😮
それと義鎮w
大内義隆が陶晴賢と仲違いしている裏での、元就が大内を見限るにいたる備後戦線が実は長いんだよね
出雲で負けた大内がすぐ内乱起こして厳島みたいに勘違いされやすいが…
おそらく元就が現場指揮官としてガチでやってたラストが備後戦線。厳島になると息子たちの後見のような立場になる。
晴久はマジで有能だからね。陶とガチで戦ったらどっちが上いくんでしょうね
尼子晴久👍❤️🫶👍立花道雪👍🫶
大友宗麟もシリーズ化して欲しい、、、
54:35皮肉にしか見えない。
元就は連敗した。
元就は謀略で小早川家と吉川家を乗っ取った。
この様な俗説と異なる描き方で嬉しかったです。
確か出羽祐盛の息子て毛利元就から養子をもらっていたよね
その毛利元就の六男である出羽元倶のお母さんは
今回の動画で最後に大活躍して勝鬨を上げてた三吉致高の娘さんであって
いろんなところで歴史はつながっているんだなと感じる次第です。
ネタバレか間違えであるなら申し訳ないけど、
確かこの後に出羽祐盛は尼子に寝返る(戻る)んですよね。
でもすぐに死んでしまう。(病死?)
そしてその後の家督を継いだ出羽元祐は尼子にはつかずに大内義隆につくんですよね。
このあたりは二大勢力に挟まれた中小国衆の苦心の生き残り策なのかな。
大寧寺の変の後は毛利元就につき元就の六男の出羽元倶が養子に入るという感じですね。
(この養子は元服後すぐに死んでしまうのですが・・・)
お疲れ様でした。今回も楽しませていただきました。ありがとうございます。今回のヒーローが意外な人物で驚きました。
椋梨は大河でよかったのでこちらでどうなるか楽しみです。