【合戦解説】三州錯乱【中編】 〜一之宮の後詰〜 松平 vs 今川 〜 今川を見限り信長と手を組む道を選んだ松平元康を倒すべく 遂に今川氏真が立ち上がる 〜

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  • เผยแพร่เมื่อ 8 ก.ย. 2024
  • 時は戦国時代 後期
    永禄3年(1560) 5月
    頭角を現しはじめた織田信長を叩くべく今川義元は尾張 大高城に入り清洲城の信長を誘い込むべく挑発するも桶狭間山で休息する時を狙われ討ち取られてしまった。
    総大将を失った今川軍は総崩れとなり 大高城に詰めていた松平元康も闇夜に紛れ三河へ落ちていった。
    信長は今川に侵食されていた尾張領土を奪うと鳴海城に重臣 佐久間信盛を入れ三河の対応を任せ清洲に戻っていった。
    一方 偉大な父を失い 今川家の行末を託された当主 氏真は 動揺する駿河や遠江の国衆らを纏めるべく政をすすめる傍ら、西の三河には 城代不在となった岡崎城に松平元康を入れ 織田や水野の押さえとさせた。
    本領 岡崎に入った元康は 一門譜代家臣を束ね 義元の仇討ちを画策するも、今川方の援軍が見込めず劣勢の状況が続き 遂には 加茂郡西部が織田信長に奪われてしまった。
    この事態により 今川氏真へ届く援軍要請は強まっていったが 越後守護 長尾景虎による関東侵攻の影響により同盟先の北条へ援軍を送らなければならない状況であり 西の三河に兵を割ける余裕は氏真には無かった。
    東三河の菅沼や西郷といった国衆らの今川離れも始まり このまま今川に従っていても領土が守れないと悟った元康は、永禄4年のはじめ 伯父である水野信元の要請に応じ 織田・水野との和睦を決め 今川と敵対する道を選択。
    元康はすぐにも隊を二手に分け 西尾城代の牧野成定 そして 牧野家の居城 牛久保城攻めを決行。
    牛久保城攻めは失敗に終わるも 西尾城を奪えた元康は 織田に庇護されていた 吉良家嫡流筋の 吉良義安を西尾城に迎え入れ義安を当主とする吉良家統合へと動いた。
    一方 牛久保城攻めに失敗した東三河では 今川派と松平派の睨み合いや小競り合いが続いていた
    そんな中 西尾城を脱出した牧野成定は 命からがら牛久保城に辿り着いた…
    [ご覧になられる方へ]
    ※個人制作となりますので誤字脱字等ありますことご了承ください
    ※通説に基づきつつも一部ユキムラ流に脚色を加えた合戦解説となります
    ※合戦や物語の出来事は諸説あります
    ※制作の都合上全ての情報や登場武将を網羅してはおりません
    ※登場人物名は改称時期に拘らずわかり易い表記で記載しております
    ※演出時に大きな音が出る場合があります
    ※2023年時点での歴史資料を元に作成しております
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