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古い翻訳ですが金谷治の孫子では『背丘には逆かうることなかれ』を「丘を背にした敵には背後の心配がなく、高みから下を攻める勢いもはげしいからである」と、つまり主のように完全に丘をおりきった後の話ではなく、丘面からの敵兵の攻撃(前部の『高陵には向かうることなかれ』が丘面への自軍の攻撃の話で攻守セットとしている)についての話と解釈して説明していますね実際用兵上有効かどうかは別にして『勢』を重要視し用兵を水に例える孫子ならまあそういう解釈(「丘の上から流れてくる水は平地を流れる水より勢いがある」的な)もまあありなのかなと・・・ 実際用兵上重要と個人的に思うのは上記説明の前半の部分『丘を背にした敵には背後の心配がない』の部分で敵側に『背後の心配がない』つまり言い換えればこちら側(自軍)が・丘の向こうの状態を知ることができない(丘の向こうに予備兵がいた場合伏兵となる※)・背面にまわりこんでの挟撃という戦術が困難になる(自軍はいったん丘を登る形になりまわりこみにくい)というあたりかと思います ※クラゼヴィッツが森林を背に防御線をひけば敵から防御線の背後の事をカムフラージュできると指摘しているのと似たような視点ですね
高陵は向かうで、丘背は逆らうなので、高所の利を活かしている敵には仕掛けるな、仕掛けられてもまともにぶつかるな、という意味と解釈してました。(個人的見解)因みに、久しぶりにこの編を更新してくださったのがうれしすぎて涙を拭っているのは内緒です。
超久しぶりのupお疲れ様でした。大河ドラマ「真田丸」最終回・大坂夏の陣で「家康の馬印が倒れた」「秀頼の馬印を持ったまま大阪城に引き返したのが豊臣兵の目に見えたのが転機だった」と語られるシーンが如何にも重要っぽく描かれていたのを思い出します。単純な兵力差では無く、馬印という指揮系統と兵の士気を左右する重要な要素が戦を勝敗を決定づけたのだという、正に今回の動画で語られていることを示していたんですね。
気がつきませんでした!アップありがとうございます😊
丘を背にするの部分に関して想像。丘が進入不可地形の場合、・動画にもあるように背水の陣になる。・丘を防御壁にすることで、防御側は300(映画)みたいに特定方向に戦力を集中できる。攻撃側は丘に阻まれ包囲(側面攻撃)、後方撹乱などが出来なくなる。丘が進入可能な場合、・丘を背にする側は容易に丘に登って高所を利用出来る。というか、後退するだけで勝手に丘に登ることになる。・丘を目くらましに伏兵、予備戦力、陣形転換が出来るため高リスク。勝っても伏兵が危険で追撃しにくい。下手すると三方ヶ原状態。全て想像でしかないですが、こんなところでしょうか。
10:30兵頭二十八の新訳孫子では、日本人がイメージする山地の事を言っているのではなく、一見平坦に見えてもなだらかな斜面になっていることがあり(もともと中原は総じて平坦)、このような地形では、馬が引く戦車では、上りと下りでえらい差がついてしまうから、地形をよく見極めねばならないということを強調しているのだと説明しています。私流にもうすこし補足すると、丘からわざわざ下りてきて仕掛けてくるということは、わずかな傾斜を見逃さないからであって、そもそもハッキリ見える山まで攻め込んでくるバカはまずいないが、見えないわずかな傾斜には、知らず知らずのうちにひっかかっていることがある。(というか、そんなわずかな斜面まで避けてたらキリがない。)だから、高地から下りてきた(ように見える)というのは、こちらを釣るエサであって、本命は最初から見えない斜面なんだ。という趣旨なのではないでしょうか。
『丘を背にしている者を攻撃してはいけない』これって丘の向こう側が見えないから戦闘を開始したとき伏兵として増援が現れる危険があるからじゃない?あとは、攻撃して敵が後退すれば敵が丘に上がり、有利になりそうモンゴル軍がエジプト方面のイスラムに敗北したときこんな感じだった気がする
一か所逃げ道を開けるのが大好きだったヤン提督
そして逃げ道を作らなかったハンニバル
@@manekineko0912最後には自軍が殲滅されたハンニバル。
やる気が朝から劣化していくってサラッと書かれてるけどこれ最近の研究で決断力や判断力は朝起きたときMAXで一日生活していくうちに沢山の判断決断をする度に減っていくって科学的に証明されたばかりの話なんだよな大昔に経験則でそれを書く孫氏はさすがだわ
おつです。信玄公が旗に風林火山書いてて、インライ書こうとしたら「あ、足りねぇ!?💦」ってなってる画を想像して萌える(*´꒳`*)旗のコピーを作る時に注意書きで信玄公「注意しないとインライ書けなくなるからねっ💦💦」とか言ってると萌え上がる◯ンダム。
めちゃくちゃ待ってました!
丘の手前にいる敵を責めてはいけないのは、丘を背にしている敵部隊の他、丘の頂上から戦地全体を一望できるようになっていることがあり、それによって自軍の状況を知られてしまうことを孫子は危惧したのかもしれません。また、敵が丘の手前にいる部隊を捨て駒として用いる場合、投石器やカタパルトの様な兵器を命中させるのに都合が良いのかもしれません。
既にコメントされてる方もいますが、丘を背にしている敵兵を攻めてはいけない理由は、伏兵などの罠を警戒しているからだと思います。つまり、丘の裏に伏兵がいる可能性があり、迎撃された時の士気の低下を恐れているのだと思います。また、ワーテルローの戦いのように、そもそも本隊を丘陵の背後に布陣する「反斜面陣地」が古代にもあったかもしれません。簡単に丘の裏の観測が出来ない事がポイントだと思います。
待ってました!
丘の裏に伏兵を置かれると怖いけど、士気の問題で考えるとよくわからない。丘は砦にしやすいから敵が組織だってる証拠になるとか?
朝が鋭って誰が決めた!午前中は寝ていたいんだよ!朝から会社いきたくねえ!!>丘を背にした敵を攻めるなかれこれはハルダウンした伏兵を警戒するってことなのかな?平らに見えるところに大量の弓兵を隠されるとか、丘の下でぶつかったところへ騎兵が駆け下りて来るとか?
丘を背にした敵は、高所から降りてきている状態。敵の矢はよく届き突進も勢いを増す一方、味方の反撃はあまり有効にはならないと思われます。位置エネルギー、運動エネルギーからして敵に分があるため、「高所の利点を活かす敵とは逆う勿れ」ということではないでしょうか。
命令はシンプルで分かりやすく
孫武「前といえば胸を、左と言えば左側、右と言えば右側、後ろと言えば背側を見よ」宮中の美女「わかりました(死亡フラグ)」
久しぶりキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!孫氏待ってました
丘を背にするに逆らうなかれ…丘の上は兵8を隠しやすくて、追い詰めると上から射撃を食らうってことかな、と推測。
包囲せずにわざと1方向空けておくそしてその方向を少し進むと断崖絶壁だったり橋が落ちた大河だったりする・・・
取り敢えず見る前にいいね
まさか、キン肉マンの風林火山にも陰雷に対応する技が・・。
ネギのくだり鍋の長ネギ想像してたからびっくりした
真田弦一郎 『風林火陰山雷』
不老不死の妹紅さんに強殖装甲ガイバーの続き描いて欲しいです
風林火山の続きの陰と雷は意図的に隠した説を聞いたことがあります、何かの歴史解説番組でこの陰と雷が語られた番組でそう解説してました。タイトルは忘れましたが有名な歴史学者が出演してる番組で有料チャンネル系か地上波だったかはちょっと思い出せないので申し訳ない。
丘背は敵が丘の上に徐々に後退できるからやばい。
丘を背にするには逆らう勿れ丘を背にして(攻め降りてくる)敵を迎え撃ってはならないってとこかな
太平御覧の兵部三十七に注釈があったので、意訳しておきます。丘を背にする者を迎え撃ってはならない。敵が背を丘の上にして陣を引いている場合、後々の危険がないのであれば、平地まで引き寄せて迎え撃ちなさい。
待っとったでぇ
確かに丘の頂上や中腹に構えているなら怖いが,背にしてるなら・・・そんなに恐れる必要もない気がする・・・しかし・・・孫子の兵法で一貫して言えるのは・・・憶病になれ!・・・最悪の事態を考えろ!!・・・自分の都合の良い状況を一切考えるな!!!・・・ではないかと思う・・・車の運転にも言えるが・・・死角ってのは恐ろしい・・・目の前の敵にばかり気を取られ・・・結果丘の死角に隠れていた敵兵が,いつの間にか自軍を包囲している・・・包囲殲滅・・・もちろんそんな事は考えにくいが・・・石橋を叩いても渡らないのが孫子の兵法・・・戦わず勝つ方法があるならそれを選べ!・・・戦わず敵と和するなら迷うな!!・・・それが孫子だと思う・・・風林火山・・・武田信玄陰雷を書かなかった理由は・・・それが最も重要であることを熟知していたからだと思う・・・風林火山は敵に知られても痛くも痒くもない・・・でも陰雷は知られたくないって事・・・陰は特に重要だっただろう・・・
某SLGシリーズの大志は何故士気低下による敗戦システムを無くしたのか。本当にもったいない
更新楽しみに待ってます。
孫子はニュートン力学並に真度が高い
「陰」は書いたら秘密の作戦がありますって言ってるようなもんだから隠したとか?
もしかして孫子の考え方では戦争しっぱなしだったナポレオンは愚将なのでしょうか?
孫子ではないですが呉子が「5回勝つ者は滅び、4回勝利した物は疲弊し、3回勝つ者は覇者となり、2回勝つ者は王、1回だけ勝つ者こそが帝となる」と言っているんですが実際には彼(呉子)の生涯スコアは【76戦64勝12引き分け】なんですよね(^_^;)
スターリングラードは逃げ道残してたらよかったのかな?四天王として疾風の仁宇、密林の摩亜屈、火炎の駄舞留精太、巨山の斎胡ってはいったから六人といわれるとうーん
ボルガ河という最大の逃げ道がソビエト軍にはあったぞ。スターリンが絶対死守だったから、どっち道逃げる選択肢はないがな。
カンネーの戦いはローマ軍が動けなかったから退路を塞いでも大丈夫だったのかな?
重装歩兵ですから密集すればするほど力を発揮できなくなるというのもありそうですね
なるほど!それもありそうですね!ほかにはカルタゴ軍(ハンニバル)がローマ軍の全滅を狙ったから多少の被害覚悟で包囲した可能性もあるかも
今思ったんですがカンナエとかトラシメヌス湖畔ではなぜ包囲されても死力を尽くして戦わなかったんでしょうか?まあローマの死者数多くしたりカルタゴの死者少なくしたのかもだが
死力を尽くして一部は突破して逃げ切ったぞ。逃げ切った中にスキピオがいるのは話を盛った可能性が高いがな。
拙速してますか?(拙速するとは言ってない)
「風林火山陰雷」だと修験か忍者のおまじないみたい
拙速でコメします('ω')ノ(一番乗り)
俺の楽しみ
待ってました。(⌒0⌒)/~~
陰雷は理解してれば良い。キャッチコピーとしては風林火山。武田信玄のコピーライターとしてのセンスかと。
【丘を背にした軍に逆らってはいけない】とは士気を考えてみると分かり易いです。ここでのポイントは「攻めてはいけない」ではなく「逆らってはいけない」ということ。なぜこちら側が逆らってはいけないのかというと既にこの状況が敵の思惑であり、逆らうのが損だからです。じゃあなぜ逆らってはいけないのかというと”相手は逃げやすい道が減っている”からです。完全包囲の状況よりはマシだけど逃げの選択肢を潰された兵は生き残るためにやる気が違いますので、反攻・突破に意識が向けられるって寸法です。背水の陣のマイルド調整って感じ。後で解説されてる敵の逃げ道を残せにも繋がりますが、中央突破にしか活路のない死に物狂いの兵隊にはわざと包囲を解いてとっとと逃げてもらった方がいいし、まぁその後で追撃しても良いんだから準備ができてる兵と戦う必要ないよねってわけ。そして孫子では戦争に勝つことを兵を殺すことではなく、富国強兵・外交での戦線選択・情報収集での戦争タイミングの選択で戦争に勝てと説いています。この事から戦場で勝ちが確定しているにも関わらず戦果に目が眩み無闇に追撃し、兵を損なう行為を将には戒めてもらう必要がある。戦争を継続すること・兵を損なわず運用することの視点での話で考えると納得がいきますね。実例だと関ヶ原の敗軍である島津義弘が捨てがまりで実行し、勝軍である徳川家康・本多忠勝・井伊直政が揃って失態を犯しているので、前に進むしかない兵には逆らうと損なのです。
「勿れシリーズ。」w
古い翻訳ですが金谷治の孫子では『背丘には逆かうることなかれ』を
「丘を背にした敵には背後の心配がなく、高みから下を攻める勢いもはげしいからである」
と、つまり主のように完全に丘をおりきった後の話ではなく、丘面からの敵兵の攻撃(前部の『高陵には向かうることなかれ』が丘面への自軍の攻撃の話で攻守セットとしている)についての話と解釈して説明していますね
実際用兵上有効かどうかは別にして『勢』を重要視し用兵を水に例える孫子ならまあそういう解釈(「丘の上から流れてくる水は平地を流れる水より勢いがある」的な)もまあありなのかなと・・・
実際用兵上重要と個人的に思うのは上記説明の前半の部分『丘を背にした敵には背後の心配がない』の部分で
敵側に『背後の心配がない』つまり言い換えればこちら側(自軍)が
・丘の向こうの状態を知ることができない(丘の向こうに予備兵がいた場合伏兵となる※)
・背面にまわりこんでの挟撃という戦術が困難になる(自軍はいったん丘を登る形になりまわりこみにくい)
というあたりかと思います
※クラゼヴィッツが森林を背に防御線をひけば敵から防御線の背後の事をカムフラージュできると指摘しているのと似たような視点ですね
高陵は向かうで、丘背は逆らうなので、高所の利を活かしている敵には仕掛けるな、仕掛けられてもまともにぶつかるな、という意味と解釈してました。(個人的見解)
因みに、久しぶりにこの編を更新してくださったのがうれしすぎて涙を拭っているのは内緒です。
超久しぶりのupお疲れ様でした。
大河ドラマ「真田丸」最終回・大坂夏の陣で「家康の馬印が倒れた」「秀頼の馬印を持ったまま大阪城に引き返したのが豊臣兵の目に見えたのが転機だった」と語られるシーンが如何にも重要っぽく描かれていたのを思い出します。
単純な兵力差では無く、馬印という指揮系統と兵の士気を左右する重要な要素が戦を勝敗を決定づけたのだという、正に今回の動画で語られていることを示していたんですね。
気がつきませんでした!アップありがとうございます😊
丘を背にするの部分に関して想像。
丘が進入不可地形の場合、
・動画にもあるように背水の陣になる。
・丘を防御壁にすることで、防御側は300(映画)みたいに特定方向に戦力を集中できる。攻撃側は丘に阻まれ包囲(側面攻撃)、後方撹乱などが出来なくなる。
丘が進入可能な場合、
・丘を背にする側は容易に丘に登って高所を利用出来る。というか、後退するだけで勝手に丘に登ることになる。
・丘を目くらましに伏兵、予備戦力、陣形転換が出来るため高リスク。勝っても伏兵が危険で追撃しにくい。下手すると三方ヶ原状態。
全て想像でしかないですが、こんなところでしょうか。
10:30
兵頭二十八の新訳孫子では、日本人がイメージする山地の事を言っているのではなく、一見平坦に見えてもなだらかな斜面になっていることがあり(もともと中原は総じて平坦)、このような地形では、馬が引く戦車では、上りと下りでえらい差がついてしまうから、地形をよく見極めねばならないということを強調しているのだと説明しています。
私流にもうすこし補足すると、丘からわざわざ下りてきて仕掛けてくるということは、わずかな傾斜を見逃さないからであって、そもそもハッキリ見える山まで攻め込んでくるバカはまずいないが、見えないわずかな傾斜には、知らず知らずのうちにひっかかっていることがある。(というか、そんなわずかな斜面まで避けてたらキリがない。)
だから、高地から下りてきた(ように見える)というのは、こちらを釣るエサであって、本命は最初から見えない斜面なんだ。
という趣旨なのではないでしょうか。
『丘を背にしている者を攻撃してはいけない』
これって
丘の向こう側が見えないから
戦闘を開始したとき
伏兵として増援が現れる危険があるからじゃない?
あとは、攻撃して敵が後退すれば
敵が丘に上がり、有利になりそう
モンゴル軍がエジプト方面のイスラムに敗北したとき
こんな感じだった気がする
一か所逃げ道を開けるのが大好きだったヤン提督
そして逃げ道を作らなかったハンニバル
@@manekineko0912
最後には自軍が殲滅されたハンニバル。
やる気が朝から劣化していくってサラッと書かれてるけど
これ最近の研究で決断力や判断力は朝起きたときMAXで
一日生活していくうちに沢山の判断決断をする度に減っていくって科学的に証明されたばかりの話なんだよな
大昔に経験則でそれを書く孫氏はさすがだわ
おつです。
信玄公が旗に風林火山書いてて、インライ書こうとしたら
「あ、足りねぇ!?💦」ってなってる画を想像して萌える(*´꒳`*)
旗のコピーを作る時に注意書きで
信玄公「注意しないとインライ書けなくなるからねっ💦💦」とか言ってると萌え上がる◯ンダム。
めちゃくちゃ待ってました!
丘の手前にいる敵を責めてはいけないのは、丘を背にしている敵部隊の他、丘の頂上から戦地全体を一望できるようになっていることがあり、それによって自軍の状況を知られてしまうことを孫子は危惧したのかもしれません。また、敵が丘の手前にいる部隊を捨て駒として用いる場合、投石器やカタパルトの様な兵器を命中させるのに都合が良いのかもしれません。
既にコメントされてる方もいますが、丘を背にしている敵兵を攻めてはいけない理由は、伏兵などの罠を警戒しているからだと思います。
つまり、丘の裏に伏兵がいる可能性があり、迎撃された時の士気の低下を恐れているのだと思います。
また、ワーテルローの戦いのように、そもそも本隊を丘陵の背後に布陣する「反斜面陣地」が古代にもあったかもしれません。
簡単に丘の裏の観測が出来ない事がポイントだと思います。
待ってました!
丘の裏に伏兵を置かれると怖いけど、士気の問題で考えるとよくわからない。丘は砦にしやすいから敵が組織だってる証拠になるとか?
朝が鋭って誰が決めた!午前中は寝ていたいんだよ!朝から会社いきたくねえ!!
>丘を背にした敵を攻めるなかれ
これはハルダウンした伏兵を警戒するってことなのかな?
平らに見えるところに大量の弓兵を隠されるとか、丘の下でぶつかったところへ騎兵が駆け下りて来るとか?
丘を背にした敵は、高所から降りてきている状態。敵の矢はよく届き突進も勢いを増す一方、味方の反撃はあまり有効にはならないと思われます。
位置エネルギー、運動エネルギーからして敵に分があるため、「高所の利点を活かす敵とは逆う勿れ」ということではないでしょうか。
命令はシンプルで分かりやすく
孫武「前といえば胸を、左と言えば左側、右と言えば右側、後ろと言えば背側を見よ」
宮中の美女「わかりました(死亡フラグ)」
久しぶりキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!孫氏待ってました
丘を背にするに逆らうなかれ…丘の上は兵8を隠しやすくて、追い詰めると上から射撃を食らうってことかな、と推測。
包囲せずにわざと1方向空けておく
そしてその方向を少し進むと断崖絶壁だったり橋が落ちた大河だったりする・・・
取り敢えず見る前にいいね
まさか、キン肉マンの風林火山にも陰雷に対応する技が・・。
ネギのくだり鍋の長ネギ想像してたからびっくりした
真田弦一郎 『風林火陰山雷』
不老不死の妹紅さんに強殖装甲ガイバーの続き描いて欲しいです
風林火山の続きの陰と雷は意図的に隠した説を聞いたことがあります、何かの歴史解説番組でこの陰と雷が語られた番組でそう解説してました。
タイトルは忘れましたが有名な歴史学者が出演してる番組で有料チャンネル系か地上波だったかはちょっと思い出せないので申し訳ない。
丘背は敵が丘の上に徐々に後退できるからやばい。
丘を背にするには逆らう勿れ
丘を背にして(攻め降りてくる)敵を迎え撃ってはならない
ってとこかな
太平御覧の兵部三十七に注釈があったので、意訳しておきます。
丘を背にする者を迎え撃ってはならない。
敵が背を丘の上にして陣を引いている場合、後々の危険がないのであれば、平地まで引き寄せて迎え撃ちなさい。
待っとったでぇ
確かに丘の頂上や中腹に構えているなら怖いが,背にしてるなら・・・そんなに恐れる必要もない気がする・・・しかし・・・孫子の兵法で一貫して言えるのは・・・憶病になれ!・・・最悪の事態を考えろ!!・・・自分の都合の良い状況を一切考えるな!!!・・・ではないかと思う・・・車の運転にも言えるが・・・死角ってのは恐ろしい・・・目の前の敵にばかり気を取られ・・・結果丘の死角に隠れていた敵兵が,いつの間にか自軍を包囲している・・・包囲殲滅・・・もちろんそんな事は考えにくいが・・・石橋を叩いても渡らないのが孫子の兵法・・・戦わず勝つ方法があるならそれを選べ!・・・戦わず敵と和するなら迷うな!!・・・それが孫子だと思う・・・
風林火山・・・武田信玄陰雷を書かなかった理由は・・・それが最も重要であることを熟知していたからだと思う・・・風林火山は敵に知られても痛くも痒くもない・・・でも陰雷は知られたくないって事・・・陰は特に重要だっただろう・・・
某SLGシリーズの大志は何故士気低下による敗戦システムを無くしたのか。本当にもったいない
更新楽しみに待ってます。
孫子はニュートン力学並に真度が高い
「陰」は書いたら秘密の作戦がありますって言ってるようなもんだから隠したとか?
もしかして孫子の考え方では戦争しっぱなしだったナポレオンは愚将なのでしょうか?
孫子ではないですが呉子が
「5回勝つ者は滅び、4回勝利した物は疲弊し、3回勝つ者は覇者となり、2回勝つ者は王、1回だけ勝つ者こそが帝となる」と言っているんですが
実際には彼(呉子)の生涯スコアは【76戦64勝12引き分け】なんですよね(^_^;)
スターリングラードは逃げ道残してたらよかったのかな?
四天王として疾風の仁宇、密林の摩亜屈、火炎の駄舞留精太、巨山の斎胡ってはいったから六人といわれるとうーん
ボルガ河という最大の逃げ道がソビエト軍にはあったぞ。スターリンが絶対死守だったから、どっち道逃げる選択肢はないがな。
カンネーの戦いはローマ軍が動けなかったから退路を塞いでも大丈夫だったのかな?
重装歩兵ですから密集すればするほど力を発揮できなくなるというのもありそうですね
なるほど!それもありそうですね!
ほかにはカルタゴ軍(ハンニバル)がローマ軍の全滅を狙ったから多少の被害覚悟で包囲した可能性もあるかも
今思ったんですがカンナエとかトラシメヌス湖畔ではなぜ包囲されても死力を尽くして戦わなかったんでしょうか?
まあローマの死者数多くしたりカルタゴの死者少なくしたのかもだが
死力を尽くして一部は突破して逃げ切ったぞ。逃げ切った中にスキピオがいるのは話を盛った可能性が高いがな。
拙速してますか?(拙速するとは言ってない)
「風林火山陰雷」だと修験か忍者のおまじないみたい
拙速でコメします('ω')ノ(一番乗り)
俺の楽しみ
待ってました。(⌒0⌒)/~~
陰雷は理解してれば良い。キャッチコピーとしては風林火山。
武田信玄のコピーライターとしてのセンスかと。
【丘を背にした軍に逆らってはいけない】とは士気を考えてみると分かり易いです。
ここでのポイントは「攻めてはいけない」ではなく「逆らってはいけない」ということ。
なぜこちら側が逆らってはいけないのかというと既にこの状況が敵の思惑であり、逆らうのが損だからです。
じゃあなぜ逆らってはいけないのかというと”相手は逃げやすい道が減っている”からです。
完全包囲の状況よりはマシだけど逃げの選択肢を潰された兵は生き残るためにやる気が違いますので、反攻・突破に意識が向けられるって寸法です。背水の陣のマイルド調整って感じ。
後で解説されてる敵の逃げ道を残せにも繋がりますが、中央突破にしか活路のない死に物狂いの兵隊にはわざと包囲を解いてとっとと逃げてもらった方がいいし、まぁその後で追撃しても良いんだから準備ができてる兵と戦う必要ないよねってわけ。
そして孫子では戦争に勝つことを兵を殺すことではなく、富国強兵・外交での戦線選択・情報収集での戦争タイミングの選択で戦争に勝てと説いています。
この事から戦場で勝ちが確定しているにも関わらず戦果に目が眩み無闇に追撃し、兵を損なう行為を将には戒めてもらう必要がある。
戦争を継続すること・兵を損なわず運用することの視点での話で考えると納得がいきますね。
実例だと関ヶ原の敗軍である島津義弘が捨てがまりで実行し、勝軍である徳川家康・本多忠勝・井伊直政が揃って失態を犯しているので、前に進むしかない兵には逆らうと損なのです。
「勿れシリーズ。」w