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やっぱり暗愚は罪なんやなぁ
献帝が即位した時点で漢王朝は実質的に終わってましたからね。後漢王朝が不安定だった理由の一つが歴代皇帝が短命だった事ですが、50才以上生きたのが初代光武帝と献帝の2人だけだったのは歴史の皮肉だと思います。
三国志の激動期を全て見届けた人だったんですね。
後漢が滅びた一番の原因である皇帝が短命という問題に対して最後の皇帝は長生きしたという皮肉
殺す必要がなかったからなw
外戚と宦官が同士討ちしたために腐敗がなくなった。董卓が傀儡にするには劉弁の方がいいのに劉協を選んだ。皇帝になる気満々だった袁紹を官渡の戦いで曹操が勝っちゃった。後漢末期皇帝になったら若死にし幼帝が立てられる中54まで生きた。皇帝になった曹丕はなぜか即位後数年40で亡くなってしまう。時代の流れには抵抗する才能はなかったけど幸運な皇帝だったと思います。
諸葛亮と同年に生まれ同年に没した、これはロマンがありますねぇ……
劉協もなんとか親政しようと奮闘していたんでしょうね。皇太子にたてた息子たちがなぜかすぐ亡くなっているのをみると、曹操と激しいつばぜり合いがあったのかなと想像してしまいます。
後漢の衰退の原因は皇帝の短命なのに最後の皇帝は長生きってのはなんともなァ…
要するに劉備に裏切られた可哀想な人ですね親戚(多分)に裏切られればもう立つ瀬もありませんね曹氏に禅譲するならもう劉氏は外戚ですねそれなのに宗室を支えないから司馬氏の跋扈を許すことになるのでしょうよ
どんな想いだったでしょうねぇ、劉協の心情は察するに余りあるものがありますが、国の衰退期の王には憐愍にも似た感情を抱きますね。幕末期の徳川慶喜然り、栄華を誇った国の幕を自分が引かなければいけないというのは…やはり断腸の思いであった事でしょう。
今回の動画も大変勉強になりました。今後も楽しみにしております。
劉協は日本でもよく知られている。込み入った話を整理し話していただき、大変参考になります。
劉協が天才的な名君だったとしても、これはどうにもならんやろ。生き残れただけでも彼はただ者じゃない。
実際曹魏最後の皇帝もかなり聡明な人物だったとか
曹節政略結婚でしかないと思うが、劉協愛していたんだな
暗愚と言われる劉弁だが逆に非常に優秀で扱いづらかったからやられたとも
献帝は賢かった。ゆえに自分の力と立場を理解しており、それ以上思い切ったことはできなかった。なので董卓も曹操もそれを利用した
末代の皇帝は悪く言われがちだけど劉協は同情の声が多く暗君という話は出てこない珍しい皇帝だね。まあ三国志演義の影響によるものが大きいとは思うけど、本人もただの操り人形に甘んずるではなく曹操に大なり小なり立ち向かった人物であることも挙げられるのかな。
在中国很多不了解三国的人把刘协当成暗君,比如毛泽东(可能因为他喜欢曹操)。
他们基于他们对末代皇帝的刻版印像想像的刘协
横山光輝の漫画版「三国志」で、霊帝亡き後の跡目争いを覚えてます。なかなかに醜い争いだったようで。
因みに献帝の子孫は魏から禅譲を受けた西晋の時代になっても山陽公として存続していたけど、献帝の玄孫である劉秋が匈奴系の漢趙国の将軍である汲桑の軍によって殺害され、爵位が断絶した。
董卓にありがとうと言える点、それが劉協をチョイスしたことではなかろか
仮に曹操の暗殺が成功したとして、劉協を正統な皇帝として認める諸侯なんていないんだから意味がないんだけどな董承、劉備では袁紹にとても勝てないし、袁紹は劉協のことを認めていないから身の安全すら怪しい
山陽公劉協となった後はどんな気持ちで生活していたのだろうねぇ。それまでは生きた心地で寝たことは無かったとは思うが、それでも曹丕にやられるかも、と思っていたのか普通の人間として余生を生きたのか
いつも楽しみに見ています。頑張って動画を作ってください。
劉協は生まれた時代が悪かったのかね霊帝より早く生まれて居たらここまて腐敗してなかったかもしれないのに生まれた時代が悪過ぎたね
献帝こと劉協、実は生没年が諸葛亮(孔明)と全く同じなんですよね。
閑職の山陽公なのに過労死マンと生没年一緒と聞くと、生き延びた感が減殺されますね。
政略結婚乙としか言いようが無い、後妻にあてがわれた曹操の娘が実家の事を顧みず献帝側の人間になっているのは素直に驚く。敵方の宗族であっても味方してしまう何かがあったのだと思う。
献帝劉協が曹丕への禅譲後に山陽公として封じられる時にも、この曹家の娘(元皇后)は夫に付き随って行ったのでしようか ?其れが事実であれば彼女は真に"淑女"と呼び得る存在だったのでしょう初代(?)光武帝を頂点として以降長期低落傾向にあった後漢朝にあって、その最后を看取ったラストエンペラー本人が妻子とともにセレブな生涯を全う出来たとするのはやはり一つの「救い」と云うべきモノだったのでしょうな・・・
@@福田英司-g6s 献帝に嫁いだ曹操の娘はその後も山陽公夫人として夫に付き従い魏が司馬氏にほぼ乗っ取られた260年に死去しています。
「即位したばかりの暗君を廃位したことで功臣と称される」という前例を前漢の霍光が作っていたので、董卓はそれに倣おうとしたのでしょうね。
この時代の皇帝は短命ではあるが、その中には毒殺された者も数名いる。
歴代中華皇帝の中でも、極めて波乱万丈な生涯を送った人物の一人であろう
劉協には双子の弟がいて、劉協が亡くなったあと弟がなり代わり,死んだはずの伏寿さんと幸せに暮らしたという内容のドラマがありました.
50回達成おめでとうございます、その記念に初期(ヒトケタ代の再アップお願いします。
この話を聞くと後漢滅亡の原因は董卓でも十常侍のでもなく董昭なのか
三国志演技とかだと大器を伺わせるような幼少期、その後パッとしない成人後という感じですが。天寿を全うできただけでも歴代の皇帝たちと比べれば幸せだったのかもしれない
実質そのための取引っぽいことを持ち込まれたようなものですからね。もっと周囲環境が整った状態で帝王学を学んでいたらすごい皇帝になってたと思う
婚姻の相手に恵まれなかったのが敗因になるでしょうか女性は見る目がないのでしょうよ
許で天子を奉戴するアイディアは董昭だったのか。曹操に智謀を褒められてるし、さりげなくすごい貢献度。
一応李傕と郭汜はヤケクソというか賈詡が王允は戦事はからっきしでお前等の剛勇なら攻め取れるぞって助言があって決断したんだよね、確かその直前までは逃げるかどうか本気で迷ってた位だし。
リクエストですが光武帝を取り上げて欲しいっす
美味しんぼの初期のステーキ回読んでっから、レアは食わないようにシテます。
大した過ちを犯さなかった亡国の君主、これぞ献帝。漢は桓霊の2代で滅亡が決定的になったので、誰が皇帝になっても結果は大きく変わらなかったでしょう。劉協は数十年にわたって宮中で静かに漢末三国の歴史を見ていたので、彼を視点キャラ(主人公)にしてその時代を観察するととても面白いですよ。実際、香港にはそのような人気テレビドラマがありました。ちなみに54歳で亡くなるというのは、古代の人物としては「若い」とも言えません。特に後漢の皇帝の中では飛び抜けて「長寿」です。後漢は光武帝、明帝、章帝の3代より後ろは幼く即位し非常に若く崩御する皇帝ばかりだったので、桓霊の暗愚な二帝以外はみんな治世が極めて短かったです。外戚と宦官が代わる代わる権力を握れたのもその事実が深く関係しています。献帝は後漢の皇帝の中では相当長く生きました。また、劉備が死ぬ前に「人生五十もあらば夭(短命)とは言えぬ」と言っていたように、後漢皇帝以外でも当時は50歳以上で亡くなる人は若死にではなかったのですよ。
へぇ王美人は王栄で伏皇后は伏寿か初めて知りました
蒼天航路の献帝好き
捕捉、日本史では田村氏、坂上氏、東漢氏は霊帝の子孫とされていますね
「禅譲」の茶番劇、あっいや、儀式3回どころか17回やって、やっと曹丕が受けたとされてるが?けど、曹丕は献帝に対して、かなり寛大な処置にしたんだよ。皇帝のみが使える「朕」という一人称を使うことを許し。山陽公と言う、日本で言えば天皇から大名か高家に格下げで済ませた。後世の禅譲では、前の皇帝は殺されたり、自殺を強要されること多かったからな。
幼少期にクーデターに遭った時に兄の劉弁と逃亡中に童卓と邂逅したときに凛然とした態度で、童卓を制したときが、劉協が一番輝いていた時だよねと思いました。
献帝といえば昔から董卓は何故兄である少帝(弁皇子、劉辯)を廃して弟である献帝(劉協)を帝位に就かせたのか分からないんだよな。傀儡にして操るつもりなら無能なほうが楽な気がするし、母である何皇后が邪魔だったのかね?あと献帝は勝手に殺したことにした上、諡号に孝愍なんてものを付けた蜀に怒って良いと思う。ちなみに魏は孝献。 『献』とは、「博聞にして多能だが道を究めるに至らない」『愍』とは、「国に政がなく、動乱が長く続く事」などの意味を持つので蜀は思いっきり貶しているような気がするのだがどういう思いで贈ったのだろう?
もっと単純に考えていいですよ献は自分に禅譲してくれた賢い皇帝愍は簒奪の憂目にあった可哀想な皇帝両者のイデオロギーがよく現れてますね
少帝の生まれ173年、献帝の生まれ181年。少帝即位189年=16~7歳。この時献帝8〜9歳。どっちが傀儡にできるかって8~9歳のガキだよね。
田広「固茹で酈食其はどうじゃ?」紂王「炮烙の刑でいつでもウエルダンに焼いてやるぞ!」
白眉の馬良の解説をお願いしたいです。探しても馬良にスポットライトを当てた動画が見あたらなかったので…。
劉備が都落ちした劉協を蜀に招き入れ皇帝の地位に据えて漢王朝健在と主張して、以降はひたすら劉協を守りながら戦ってたら後の歴史は大きく変わってただろうな。漢王朝の血脈を絶やさないのが国の存在意義なら、マジでこれを実践するべきだった。
漢王朝の血脈を絶やさない(自分が皇帝になりたい)
袁紹、袁術に敵討ちの序で燃やされたり董卓に遷都序に燃やされたり三国時代より後の未来だけど劉曜に燃やされた後に略奪三昧されるわ洛陽は何か呪われてたのだろうか・・・
献帝は平和な時代なら、治世の名君として名を残したかもしれない...運命とは本当に残酷で気まぐれなものだ...
国を魏に献上したから献帝、ひどい諡号
霊帝あたりで既に無駄に延命してしまった王朝だからねえ…
献帝劉協が聡明とされているのは、魏や晋朝視点では自分の分を弁えて禅譲したからで蜀漢視点からでは劉備を信任してたという扱いにしたいからという説を聞いて、死んでからまで操り人形とは中々難儀な話だなあと思いましたまる
孔明と同い年
献帝の存在が袁紹達の行動にも影響したんだよなぁ献帝?あんなの董卓が担いだ偽りの皇帝!私は劉虞殿を奉戴する!、彼を殺した公孫瓚許すまじ!(袁紹)or朕が皇帝になる!(袁術)曹操の保護もある意味曹操の脱袁紹を象徴するエピソードにもなるよね
まあでも曹節とは仲良く連れ添ってたみたいだし、良い余生を送れたんじゃないでしょうか。華歆は曹瞞伝の被害者ですねえ。アレだけの人物が宮中であんな無道な振舞いをするはずがない。呉に留まらず魏に行ったことに対する恨みですかねぇ。
華歆は正史だと完璧超人すぎるくらいの経歴持っていますからね。だから世説新語とかで貶められてる感じがします。
あの曹操の元、生き抜いたんだから相当なやりてでしょう
10:55 え、この手の被災地の寄付への横並び意識みたいのって、日本だけじゃなかったんだ・・・・
後漢中期ならなんとかなったかも知れんな。そして、皇帝が早くに早世と霊帝が余りにも悪すぎる。これらが宦官と家臣達と暴虐に歯止めが効かなくなったんだよな。、
晩年は、どんな思いで生きたのか知りたい!
半熟派です~🤗弁当に入れるのは向いてないらしいので、注意しないとなぁ🥺
たまに固茹で卵が食べたくなる。
最初は賢そうに思えたのになぁ〜w
今更だとは思うが、なんで董卓は暗愚と思われる劉弁を利用しなかったんだ?バカは手に負えなくなることがあるが、状況をわきまえられるくらい賢い劉協なら、大人しくしているだろうとでも考えたのか。だとしてもやっぱり賢いやつよりかはバカの方が御しやすいんじゃ…
宦官が董卓と辺境の異民族に対して、酷い扱いをしなければ劉協を支えていたかもしれないのにね……あんな扱いを受け続けたら暴君にもなるわ
迫害された側が後に狂気に走るのは現代の日本でもよくある事だからね。その個人のせいで事を片付けても何の解決にもならないのにそれが現代にまで続いてるのが悲しいな。気づかないはずないのに臭いものには蓋なんだろうな。
朝5時半からのSecret of Three Kingdomsという中国歴史ドラマで献帝の事を扱いおもしろいです。参考になりました
劉協って日本に来たってホント?
自分の権力を手放せる男なんてほぼ皆無ですから、彼がどれほど頭が良く才能があったことか。時代が時代だったら明帝として名を遺したでしょうね。曹操の娘が実家の事を顧みず献帝側の人間になった気持ちがわかります。名を捨てて実を取るなんて素敵すぎる!
足利義輝も生まれる時代を間違えたとよく言われるが献帝こそ生まれる時代が違えば正に名君と呼ばれていたに違いない。と思えるように聡明であった。一時でもあの曹孟徳に圧力をかけ焦られただけでもすごい事だ
落ち武者ってレベルじゃないな日本でもここまではないね
頭の帽子のとこに何かヒモみたいなのいっぱい垂れ下がって視界悪くてイライラしそう。
董卓にとっては暗愚な皇帝のほうが都合良さそうだけど聡明な劉協を皇帝にした理由は?..
①漢王朝を滅ぼす気が無いから、劉協を皇帝にした方が良いと思った。②暗愚の影より、賢人の後見の方がプライドを保てた。③後に皇帝の地位を禅譲させる時に、暗愚より賢人に禅譲させた方が周囲の反発が少ないと踏んだ。④劉弁派閥(何兄妹派閥)を排除する為。⑤皇帝の派閥の筆頭になる為。とか?
@@ジン仁-o9v 皇帝個人の人格や能力なんて何も期待してないから人気あった劉協を傀儡にした..自分の予想だとこうだと思う..
乱世では、無能は罪。治世であれば・・・
すりーきんぐだむずでは、最後だけ、めちゃカッコ良かった♪(≧▽≦)
いくら才能があっても傀儡にされてはどうにもならん(゜≠゜)( `〆´)
まぁ献帝や少帝は罪ない。そりゃ外戚、宦官の罪は言うまでもないが、桓帝、霊帝や董太后、何皇后は擁護できん。
日本で言えば実朝かな。暗殺されてはいないけど。劉備を漢中王と認めるエピソードもあるけどね。
でも暗愚のままなら操り易いじゃない? わざわざ聡明な劉協を皇帝にするのメリットは何だっけ?ひょっとしたら董卓は実にいいやつで、後世に汚名被るのでは?
自身皇帝であっても名のみであったのを体験してきているだけに、さっさと位を譲りたいと思っていたのではないかと思います。ただ、国政を投げ出すと言う事ではなくしっかり自分を支えるものさえいれば皇帝としての責任を果たそうと思ってもいたでしょう。退位後が一番幸せだったのか?元皇帝などが弑いされる前例などもあった為、いつ殺されるかと、心穏やかではなかったのか?は本人の知るところのみと言うところですかね。
暗殺計画以降の劉協と曹操の人間関係はそこまで悪くはなかったのかもしれない。曹操は結構本気で劉協を補佐する気でおり、劉協も曹操の偉大さを認めて全権を託し、あえて自分からは何もしなかったのではないだろうか?
勅命を使って逆賊認定してないしね。赤壁あたりで劉備を逆賊扱いすれば孫権が劉備一味の身柄を曹操に引き渡す。益州と揚州の自治を認めた上で馬超の乱を鎮圧。漢は劉協の元名宰相曹操によって立ち直りましたとさ。だったんだろうけど。
なんかもう凄い怖い話やったわ、献帝、南無
あれ、劉協って○されたんじゃなかったっけ?劉備と諸葛亮っていう胡散臭いおっさん達が言ってたんだが。
諸葛瑾と曹植と蘇則もな
皇帝の義父に敬称みたいなのあった気がしたけど思い出せない💦😓
国舅でしょうか?
@@mobu6491 さんありがとうございます😀
ボクも皇帝になれるかな
習近平じゃないんだ………
実際には聡明な人物だったかは疑問。優秀な人物なら、何かしてくるかもしれないけど、暗愚なら飾っておくには丁度いい。また董卓みたいな人物なら、皇帝の外戚の存在なんて気にもかけず、気に入らなければ殺していたと思う。そう考えたとき、献帝の方が愚か者だった可能性を感じざるを得ない
税制を みれば 国が理解できるんだ くそ人間のくそい 本当だかわからん ことはどうでもいいや
ーコメだ!
やっぱり暗愚は罪なんやなぁ
献帝が即位した時点で漢王朝は実質的に終わってましたからね。後漢王朝が不安定だった理由の一つが歴代皇帝が短命だった事ですが、50才以上生きたのが初代光武帝と献帝の2人だけだったのは歴史の皮肉だと思います。
三国志の激動期を全て見届けた人だったんですね。
後漢が滅びた一番の原因である皇帝が短命という問題に対して最後の皇帝は長生きしたという皮肉
殺す必要がなかったからなw
外戚と宦官が同士討ちしたために腐敗がなくなった。
董卓が傀儡にするには劉弁の方がいいのに劉協を選んだ。
皇帝になる気満々だった袁紹を官渡の戦いで曹操が勝っちゃった。
後漢末期皇帝になったら若死にし幼帝が立てられる中54まで生きた。
皇帝になった曹丕はなぜか即位後数年40で亡くなってしまう。
時代の流れには抵抗する才能はなかったけど幸運な皇帝だったと思います。
諸葛亮と同年に生まれ同年に没した、これはロマンがありますねぇ……
劉協もなんとか親政しようと奮闘していたんでしょうね。
皇太子にたてた息子たちがなぜかすぐ亡くなっているのをみると、曹操と激しいつばぜり合いがあったのかなと想像してしまいます。
後漢の衰退の原因は皇帝の短命なのに最後の皇帝は長生きってのはなんともなァ…
要するに劉備に裏切られた可哀想な人ですね
親戚(多分)に裏切られればもう立つ瀬もありませんね
曹氏に禅譲するならもう劉氏は外戚ですね
それなのに宗室を支えないから司馬氏の跋扈を許すことになるのでしょうよ
どんな想いだったでしょうねぇ、劉協の心情は察するに余りあるものがありますが、国の衰退期の王には憐愍にも似た感情を抱きますね。幕末期の徳川慶喜然り、栄華を誇った国の幕を自分が引かなければいけないというのは…やはり断腸の思いであった事でしょう。
今回の動画も大変勉強になりました。今後も楽しみにしております。
劉協は日本でもよく知られている。込み入った話を整理し話していただき、大変参考になります。
劉協が天才的な名君だったとしても、これはどうにもならんやろ。
生き残れただけでも彼はただ者じゃない。
実際曹魏最後の皇帝もかなり聡明な人物だったとか
曹節政略結婚でしかないと思うが、劉協愛していたんだな
暗愚と言われる劉弁だが逆に非常に優秀で扱いづらかったからやられたとも
献帝は賢かった。ゆえに自分の力と立場を理解しており、それ以上思い切ったことはできなかった。なので董卓も曹操もそれを利用した
末代の皇帝は悪く言われがちだけど劉協は同情の声が多く暗君という話は出てこない珍しい皇帝だね。まあ三国志演義の影響によるものが大きいとは思うけど、本人もただの操り人形に甘んずるではなく曹操に大なり小なり立ち向かった人物であることも挙げられるのかな。
在中国很多不了解三国的人把刘协当成暗君,比如毛泽东(可能因为他喜欢曹操)。
他们基于他们对末代皇帝的刻版印像想像的刘协
横山光輝の漫画版「三国志」で、霊帝亡き後の跡目争いを覚えてます。
なかなかに醜い争いだったようで。
因みに献帝の子孫は魏から禅譲を受けた西晋の時代になっても山陽公として存続していたけど、献帝の玄孫である劉秋が匈奴系の漢趙国の将軍である汲桑の軍によって殺害され、爵位が断絶した。
董卓にありがとうと言える点、それが劉協をチョイスしたことではなかろか
仮に曹操の暗殺が成功したとして、劉協を正統な皇帝として認める諸侯なんていないんだから意味がないんだけどな
董承、劉備では袁紹にとても勝てないし、袁紹は劉協のことを認めていないから身の安全すら怪しい
山陽公劉協となった後はどんな気持ちで生活していたのだろうねぇ。それまでは生きた心地で寝たことは無かったとは思うが、それでも曹丕にやられるかも、と思っていたのか普通の人間として余生を生きたのか
いつも楽しみに見ています。頑張って動画を作ってください。
劉協は生まれた時代が悪かったのかね霊帝より早く生まれて居たらここまて腐敗してなかったかもしれないのに生まれた時代が悪過ぎたね
献帝こと劉協、実は生没年が諸葛亮(孔明)と全く同じなんですよね。
閑職の山陽公なのに過労死マンと生没年一緒と聞くと、生き延びた感が減殺されますね。
政略結婚乙としか言いようが無い、後妻にあてがわれた曹操の娘が実家の事を顧みず献帝側の人間になっているのは素直に驚く。
敵方の宗族であっても味方してしまう何かがあったのだと思う。
献帝劉協が曹丕への禅譲後に山陽公として封じられる時にも、この曹家の娘(元皇后)は夫に付き随って行ったのでしようか ?
其れが事実であれば彼女は真に"淑女"と呼び得る存在だったのでしょう
初代(?)光武帝を頂点として以降長期低落傾向にあった後漢朝にあって、その最后を看取ったラストエンペラー本人が妻子とともにセレブな生涯を全う出来たとするのはやはり一つの「救い」と云うべきモノだったのでしょうな・・・
@@福田英司-g6s 献帝に嫁いだ曹操の娘はその後も山陽公夫人として夫に付き従い魏が司馬氏にほぼ乗っ取られた260年に死去しています。
「即位したばかりの暗君を廃位したことで功臣と称される」という前例を前漢の霍光が作っていたので、董卓はそれに倣おうとしたのでしょうね。
この時代の皇帝は短命ではあるが、その中には毒殺された者も数名いる。
歴代中華皇帝の中でも、極めて波乱万丈な生涯を送った人物の一人であろう
劉協には双子の弟がいて、劉協が亡くなったあと弟がなり代わり,死んだはずの伏寿さんと幸せに暮らしたという内容のドラマがありました.
50回達成おめでとうございます、その記念に初期(ヒトケタ代の
再アップお願いします。
この話を聞くと後漢滅亡の原因は董卓でも十常侍のでもなく董昭なのか
三国志演技とかだと大器を伺わせるような幼少期、その後パッとしない成人後という感じですが。天寿を全うできただけでも歴代の皇帝たちと比べれば幸せだったのかもしれない
実質そのための取引っぽいことを持ち込まれたようなものですからね。
もっと周囲環境が整った状態で帝王学を学んでいたらすごい皇帝になってたと思う
婚姻の相手に恵まれなかったのが
敗因になるでしょうか
女性は見る目がないのでしょうよ
許で天子を奉戴するアイディアは董昭だったのか。
曹操に智謀を褒められてるし、さりげなくすごい貢献度。
一応李傕と郭汜はヤケクソというか賈詡が王允は戦事はからっきしでお前等の剛勇なら攻め取れるぞって助言があって決断したんだよね、確かその直前までは逃げるかどうか本気で迷ってた位だし。
リクエストですが光武帝を取り上げて欲しいっす
美味しんぼの初期のステーキ回読んでっから、レアは食わないようにシテます。
大した過ちを犯さなかった亡国の君主、これぞ献帝。漢は桓霊の2代で滅亡が決定的になったので、誰が皇帝になっても結果は大きく変わらなかったでしょう。劉協は数十年にわたって宮中で静かに漢末三国の歴史を見ていたので、彼を視点キャラ(主人公)にしてその時代を観察するととても面白いですよ。実際、香港にはそのような人気テレビドラマがありました。ちなみに54歳で亡くなるというのは、古代の人物としては「若い」とも言えません。特に後漢の皇帝の中では飛び抜けて「長寿」です。後漢は光武帝、明帝、章帝の3代より後ろは幼く即位し非常に若く崩御する皇帝ばかりだったので、桓霊の暗愚な二帝以外はみんな治世が極めて短かったです。外戚と宦官が代わる代わる権力を握れたのもその事実が深く関係しています。献帝は後漢の皇帝の中では相当長く生きました。また、劉備が死ぬ前に「人生五十もあらば夭(短命)とは言えぬ」と言っていたように、後漢皇帝以外でも当時は50歳以上で亡くなる人は若死にではなかったのですよ。
へぇ王美人は王栄で伏皇后は伏寿か初めて知りました
蒼天航路の献帝好き
捕捉、日本史では田村氏、坂上氏、東漢氏は霊帝の子孫とされていますね
「禅譲」の茶番劇、あっいや、儀式
3回どころか17回やって、やっと曹丕が受けたとされてるが?
けど、曹丕は献帝に対して、かなり寛大な処置にしたんだよ。
皇帝のみが使える「朕」という一人称を使うことを許し。
山陽公と言う、日本で言えば天皇から大名か高家に格下げで済ませた。
後世の禅譲では、前の皇帝は殺されたり、自殺を強要されること多かったからな。
幼少期にクーデターに遭った時に兄の劉弁と逃亡中に童卓と邂逅したときに凛然とした態度で、童卓を制したときが、劉協が一番輝いていた時だよねと思いました。
献帝といえば昔から董卓は何故兄である少帝(弁皇子、劉辯)を廃して
弟である献帝(劉協)を帝位に就かせたのか分からないんだよな。
傀儡にして操るつもりなら無能なほうが楽な気がするし、母である何皇后が邪魔だったのかね?
あと献帝は勝手に殺したことにした上、諡号に孝愍なんてものを付けた蜀に怒って良いと思う。
ちなみに魏は孝献。 『献』とは、「博聞にして多能だが道を究めるに至らない」
『愍』とは、「国に政がなく、動乱が長く続く事」などの意味を持つので蜀は思いっきり
貶しているような気がするのだがどういう思いで贈ったのだろう?
もっと単純に考えていいですよ
献は自分に禅譲してくれた賢い皇帝
愍は簒奪の憂目にあった可哀想な皇帝
両者のイデオロギーがよく現れてますね
少帝の生まれ173年、献帝の生まれ181年。少帝即位189年=16~7歳。この時献帝8〜9歳。どっちが傀儡にできるかって8~9歳のガキだよね。
田広「固茹で酈食其はどうじゃ?」
紂王「炮烙の刑でいつでもウエルダンに焼いてやるぞ!」
白眉の馬良の解説をお願いしたいです。探しても馬良にスポットライトを当てた動画が見あたらなかったので…。
劉備が都落ちした劉協を蜀に招き入れ皇帝の地位に据えて漢王朝健在と主張して、以降はひたすら劉協を守りながら戦ってたら後の歴史は大きく変わってただろうな。
漢王朝の血脈を絶やさないのが国の存在意義なら、マジでこれを実践するべきだった。
漢王朝の血脈を絶やさない(自分が皇帝になりたい)
袁紹、袁術に敵討ちの序で燃やされたり董卓に遷都序に燃やされたり三国時代より後の未来だけど劉曜に燃やされた後に略奪三昧されるわ洛陽は何か呪われてたのだろうか・・・
献帝は平和な時代なら、治世の名君として名を残したかもしれない...運命とは本当に残酷で気まぐれなものだ...
国を魏に献上したから献帝、ひどい諡号
霊帝あたりで既に無駄に延命してしまった王朝だからねえ…
献帝劉協が聡明とされているのは、魏や晋朝視点では自分の分を弁えて禅譲したからで蜀漢視点からでは劉備を信任してたという扱いにしたいからという説を聞いて、死んでからまで操り人形とは中々難儀な話だなあと思いましたまる
孔明と同い年
献帝の存在が袁紹達の行動にも影響したんだよなぁ
献帝?あんなの董卓が担いだ偽りの皇帝!私は劉虞殿を奉戴する!、彼を殺した公孫瓚許すまじ!(袁紹)or朕が皇帝になる!(袁術)
曹操の保護もある意味曹操の脱袁紹を象徴するエピソードにもなるよね
まあでも曹節とは仲良く連れ添ってたみたいだし、良い余生を送れたんじゃないでしょうか。
華歆は曹瞞伝の被害者ですねえ。アレだけの人物が宮中であんな無道な振舞いをするはずがない。
呉に留まらず魏に行ったことに対する恨みですかねぇ。
華歆は正史だと完璧超人すぎるくらいの経歴持っていますからね。だから世説新語とかで貶められてる感じがします。
あの曹操の元、生き抜いたんだから相当なやりてでしょう
10:55 え、この手の被災地の寄付への横並び意識みたいのって、日本だけじゃなかったんだ・・・・
後漢中期ならなんとかなったかも知れんな。
そして、皇帝が早くに早世と霊帝が余りにも悪すぎる。
これらが宦官と家臣達と暴虐に歯止めが効かなくなったんだよな。、
晩年は、どんな思いで生きたのか知りたい!
半熟派です~🤗
弁当に入れるのは向いてないらしいので、注意しないとなぁ🥺
たまに固茹で卵が食べたくなる。
最初は賢そうに思えたのになぁ〜w
今更だとは思うが、なんで董卓は暗愚と思われる劉弁を利用しなかったんだ?バカは手に負えなくなることがあるが、状況をわきまえられるくらい賢い劉協なら、大人しくしているだろうとでも考えたのか。だとしてもやっぱり賢いやつよりかはバカの方が御しやすいんじゃ…
宦官が董卓と辺境の異民族に対して、酷い扱いをしなければ劉協を支えていたかもしれないのにね……
あんな扱いを受け続けたら暴君にもなるわ
迫害された側が後に狂気に走るのは現代の日本でもよくある事だからね。その個人のせいで事を片付けても何の解決にもならないのにそれが現代にまで続いてるのが悲しいな。気づかないはずないのに臭いものには蓋なんだろうな。
朝5時半からのSecret of Three Kingdomsという中国歴史ドラマで献帝の事を扱いおもしろいです。参考になりました
劉協って日本に来たってホント?
自分の権力を手放せる男なんてほぼ皆無ですから、彼がどれほど頭が良く才能があったことか。
時代が時代だったら明帝として名を遺したでしょうね。
曹操の娘が実家の事を顧みず献帝側の人間になった気持ちがわかります。
名を捨てて実を取るなんて素敵すぎる!
足利義輝も生まれる時代を間違えたとよく言われるが献帝こそ生まれる時代が違えば正に名君と呼ばれていたに違いない。と思えるように聡明であった。一時でもあの曹孟徳に圧力をかけ焦られただけでもすごい事だ
落ち武者ってレベルじゃないな
日本でもここまではないね
頭の帽子のとこに何かヒモみたいなのいっぱい垂れ下がって視界悪くてイライラしそう。
董卓にとっては暗愚な皇帝のほうが都合良さそうだけど
聡明な劉協を皇帝にした理由は?..
①漢王朝を滅ぼす気が無いから、劉協を皇帝にした方が良いと思った。
②暗愚の影より、賢人の後見の方がプライドを保てた。
③後に皇帝の地位を禅譲させる時に、暗愚より賢人に禅譲させた方が周囲の反発が少ないと踏んだ。
④劉弁派閥(何兄妹派閥)を排除する為。
⑤皇帝の派閥の筆頭になる為。
とか?
@@ジン仁-o9v 皇帝個人の人格や能力なんて何も期待してないから
人気あった劉協を傀儡にした..
自分の予想だとこうだと思う..
乱世では、無能は罪。治世であれば・・・
すりーきんぐだむずでは、最後だけ、めちゃカッコ良かった♪(≧▽≦)
いくら才能があっても傀儡にされてはどうにもならん(゜≠゜)( `〆´)
まぁ献帝や少帝は罪ない。
そりゃ外戚、宦官の罪は言うまでもないが、桓帝、霊帝や董太后、何皇后は擁護できん。
日本で言えば実朝かな。暗殺されてはいないけど。劉備を漢中王と認めるエピソードもあるけどね。
でも暗愚のままなら操り易いじゃない? わざわざ聡明な劉協を皇帝にするのメリットは何だっけ?
ひょっとしたら董卓は実にいいやつで、後世に汚名被るのでは?
自身皇帝であっても名のみであったのを体験してきているだけに、さっさと位を譲りたいと思っていたのではないかと思います。
ただ、国政を投げ出すと言う事ではなくしっかり自分を支えるものさえいれば皇帝としての責任を果たそうと思ってもいたでしょう。
退位後が一番幸せだったのか?元皇帝などが弑いされる前例などもあった為、いつ殺されるかと、心穏やかではなかったのか?は本人の知るところのみと言うところですかね。
暗殺計画以降の劉協と曹操の人間関係はそこまで悪くはなかったのかもしれない。曹操は結構本気で劉協を補佐する気でおり、劉協も曹操の偉大さを認めて全権を託し、あえて自分からは何もしなかったのではないだろうか?
勅命を使って逆賊認定してないしね。
赤壁あたりで劉備を逆賊扱いすれば孫権が劉備一味の身柄を曹操に引き渡す。
益州と揚州の自治を認めた上で馬超の乱を鎮圧。漢は劉協の元名宰相曹操によって立ち直りましたとさ。
だったんだろうけど。
なんかもう凄い怖い話やったわ、
献帝、南無
あれ、劉協って○されたんじゃなかったっけ?劉備と諸葛亮っていう胡散臭いおっさん達が言ってたんだが。
諸葛瑾と曹植と蘇則もな
皇帝の義父に敬称みたいなのあった気がしたけど思い出せない💦😓
国舅でしょうか?
@@mobu6491 さん
ありがとうございます😀
ボクも皇帝になれるかな
習近平じゃないんだ………
実際には聡明な人物だったかは疑問。
優秀な人物なら、何かしてくるかもしれないけど、暗愚なら飾っておくには丁度いい。
また董卓みたいな人物なら、皇帝の外戚の存在なんて気にもかけず、気に入らなければ殺していたと思う。
そう考えたとき、献帝の方が愚か者だった可能性を感じざるを得ない
税制を みれば 国が理解できるんだ くそ人間のくそい 本当だかわからん ことはどうでもいいや
ーコメだ!