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どの職員もプライドと確かな技術を持って仕事をしているのがよくわかります。まさにこれが国鉄ですね。車両を大切にし生まれ変わらせて使うのも今から言えばエコ。国鉄時代はよくこのような更新工事が行われていましたね。またまた貴重な映像ありがとうございます。
この時代に静電塗装してた事にビックリしました。模型を塗る時の参考にします。今まで人が吹き付け&手塗りしてるイメージでぬってました。
たしかスハ32の頃にはすでに静電塗装やってた気がします戦前の「鉄道趣味」だか「鉄道」に工場を取材した記事があったような
出来上がった当時はさぞかしきれいだったんでしょうねぇ。高砂工場、同級生のお姉さんの旦那さんが勤めてました、工場の敷地に官舎があったのを思い出しました。その工場も今は無く・・・貴重な映像資料ですね。
擬人化して説明をする手法、昔は結構あったけど今はあまり見かけませんねぇ。子どもの頃、交通博物館に行くと昭和30年代前後のこういったモノクロの映画を見ることができました。鋼体化といっても、現在から見るとあちこち木部があり、それが旧客のぬくもりだったりします。走行中は木部のあちこちがぎしぎし軋んで音を立てていました。
今だと擬人化と言っても女の子のキャラクターが多いからね。
私は”米トリ”は米子鉄道管理局 鳥取客貨車区に所属 オハ61379となった。貴重な映像ですネ。当時の国鉄の職階級性が良く判る映像です。サージ服・菜っ葉服。有り難う御座いました。
感動するフイルム映像でした。多数の人力があってこそ成り立つ工程作業。昨今では人手不足と様々な職種でいわれてる様ですが、よくわからない技術が進歩したので人手は要らないのが真実なのでしょうね。細かですけど、国鉄車輌の車番の字体。 あの素晴らしいものを今の民営の新造車に全く継承していないのが残念です。
客車視点のアナウンス 味があって良いね
ホイスト操作でも誰一人ヘルメットを被っていないことに時代を感じる。木造客車の車内を見ることができたのは貴重。
佐久間ダム建設の動画を見ると、工事初期はノーヘルの方が多かったのが、途中から皆被るようになっています。
2:34のシーン。京都鉄道博物館に静態保存されてるC621が出てる。
恐らく最初の全検ではないかと。
これは大変有難い映像てすね。感謝‼️
ハンドメイドで多くの人の手によって造られた客車。出来立ては木の香りに満ち溢れたかも。配属は今の鳥取で山陰本線や因美線などで走る回っていたでしょう。
1日早く納入する為に「夜業」・・・徹夜で作業するのは良いけれど、次の日の仕事も有るので、作業員は休みなく働きます・・・この頃、夜業明けの休みとかもらえていたのかな?
なかったと思います。当時は鉄道工場だけではなく民間工場でも徹夜勤務明けは普通に日勤勤務していたようです。私の父親もそうでした。
側構え見てるとGMキットを1/1スケールで作ってるみたいだな。
この映像の舞台が今は無き 兵庫県高砂市に在りました。旧国鉄高砂工場ですね🎵ここでは。車両の修理は勿論、車両の改造も行われました。今も現役として活動中のJTサロンカー なにわもこの高砂で改造しましたね🎵
正に現在TH-camでアップされているパキスタントラックを彷彿されるフレーム継ぎ足し作業等々ですな‼️
60系が木造車を鋼体化したことは知っていたが、その工程ははじめて見た。ほとんど新造だ。この30年後、高砂工場はサロンカーなにわを送り出し、閉鎖された。
この曲調、音楽が伊福部昭で納得。
ゴジラに似てますね。
道理で終わり方がゴジラっぽいなと思った(๑´・ω・`)
見事な職人技の集大成なのに、人類撲滅最終兵器が出来上がっているような緊迫感。
形式を手書きするのは工場によるけども、関西では70年代中ごろまではやっていました。
ここまでやると改造と言うより新造だな
客車の新造を認めなかったGHQを半ば欺く形で改造したそうです。(車両ごとに台枠の形が違うし、部材が古いので、この時代でも新造の方が良かったはず)
1パーツでもハッキリ残っていないとそれは「改造」とは認められないから…もし受け継がれたその部品が壊れてもその頃には新しい別の客車があるか、もしくはその部品が新品と交換して「テセウスの船」化するから問題ないと言う形なんでしょうね
@@稲荷恵比寿大型基本形木造車4両+潰しの中型基本形木造車1両でオハ60系鋼体化普通客車4両だな。オハ43系は急行 準急型客車だし
なるほど、そういう事情があったのですね。ところで、GHQのしばりがなかったとしても、費用的な理由で新造は難しかったかもしれないと私は思うのですが、皆さんはどう思われますか?
丁寧に解体して溶接し直す手間考えると溶かすほうが簡単@@tako--panda--jinbeezame
20:00 何気なく現れしは戦時スタイルのC11
伊福部昭のBGMが怖い。(幼少期のトラウマ) いまにもゴジラでてきて、だれかが死にそう。
本当は完全新製したいけどGHQが許可しなかったので旧式木造車の鋼体化改造って名目で誤魔化すの、家を建て替えると税金が高いのでリフォームって名目で9割くらい新建材に入れ替えちゃうみたいな…?それはともかく入れ替えのB型ピーコックや天井クレーンでスリングされるC62トップナンバーなどどこをとっても見どころだらけです。
客車鋼体化の話は読んだり聞いたりしたことはありましたが、映像として見たのは初めてです。百聞は一見にしかず、とても参考になります。本当に貴重な映像だと思います。16:29の犬を連れての夜警の見回りなんて何時頃までやっていたのでしょうか?
一見すれば犬の散歩 って言えば怒られるかな?
@@まつかぜ82 どう言えば怒られるか調べるって人としてどうなの?
🐶わんこの散歩は、赤外線センサーの普及までなのかもしれません。
1:02あたりのC56牽引の列車は小海線の小淵沢カーブのあたりかな?
現存のオハニ36も元をたどれば大正時代製ですよね。
2:40 C62 1 が宙を舞っている
ゴジラっぽいと思ったら伊福部昭だった
洗車するのも、人海戦術で、今現在は、洗車機での作業で、短時間で、綺麗になっていく時代になりました。
試運転列車の緩急車が明治生まれのヨ150?
当時GHQが車両の新製がなかなか認められなかったために窮余の策として木造車を鋼製車にしてしまおうぜと考え、GHQの関係者に映像に出てきた車両よりも更にボロボロな車両を何両も見せつけて「これで平和の時代の安全運転なんかできませんわテヘペロ」と普通に言い放ってやっと認められたもの。オハ61が有名だが優等車でスロ60やスロ50やオハニ36(スハ43系に合わせた三等荷物合造車)も若干数作られている。なおのちのオロ61→スロ62もある意味で鋼体化改造車の一族(というのもオハ61から改造された)。
17メートル級木造客車などは、複数の車輌の台枠を切り継ぎして20メートル級の客車にしたことなどが、高砂工場と思われる映像でよく分かりました。資料などの文書では知ることも、このような映画があることは知りませんでした。17メートル級客車の台枠の切り継ぎは、一両同士の1:1だったか2:1だったのか、それとも他の痛み具合で不定とか知りたいです。台車をつける部分は、想像では切り継ぎ部品にしないと思われるので。また台枠も修理が必要ある物があるかも知れないため、このへんの細かい情報ご気になるファンの、どかの人気テレビ番組の水谷豊さんのセリフの、僕の悪い癖ですね。
20:15この3両目にある三軸台車の車両は何だろな。二重屋根で魚腹台枠でTR71ぽい?マハ29かな?
木製車、良いなぁ。木製車とまでは言わないから、定期列車として旧型客車が復活しないかしら。薄暗くて汚い車内。席はボックスシートで、銀色の灰皿完備。冷暖房無しで扇風機だけ。窓は自由に開け閉め出来て、乗降扉は手動で走行中も開けっ放し。
冷房改造したスロ54やスロ62やオロ11でも耐えられるかどうか10系寝台車でもね冷房改造してるが
そしてトイレは・・・
「そして私は後に片側のデッキを埋められて洗面所と洋式便所が付けられ、内装と台車は軽量客車と同じものになり照明は蛍光灯に。更にシートは小糸製作所製の新品に・・・そうなんです!私は特別2等車になったんです。最後に電気暖房装置が搭載されて東北の急行列車に組み込まれました。それから数年後、屋根が切り取られて新しく冷房装置が付いた低い屋根が取り付けられたのです。更にそれから数年後、シートが撤去されて畳敷きになりました・・・」と物語は続くのでしょう。
さらに後世に伝えるべき貴重な記録!出来ればカラーリマスターで!
日本でも退役したキハ58でやってほしい。
2:39リフトクレーンを上昇中のC62形の1号機、現在は京都鉄道博物館にて展示中の静態保存車両🎵
戦前のオハ35系もこんな風に新造したのかな。スハ42系客車の新造風景も見てみたいが
スハ42だとまだオハ35系一族。スハ43、スハフ42でやっとこ43系一族
高砂工場がどこにあったのかという興味はコメントを読む限り感じられない()
今のサントリー高砂工場ですよね♪
@@TheShellingford3mt そういう歴史を辿るのも必要
すべて、人の手で造られていく姿が、懐かしいです。今では、ロボットアームで、車両を組み立てているのでしようね。なんとも味気のない作業としか言いようがないですね。時代の流れで、仕方のない事ですが…。
60系客車って、3000両以上もあったのですか。勝手にもっと少ないと思い込んでいました。
ものすごい手間で、新造と大差ない気がする一斉大量生産ではなく徐々に置き換える点では古い台枠を解体して屑鉄にするよりマシなのか?
高砂工場では、警備員の見廻りに犬を連れていたんですね。朝鮮戦争直後の金偏景気の影響でしょうか。
🐈何か、ゴジラ映画みたいな感じですね😅
なんだこのテセウスの船…
昭和28年 ゴジラのそして 地球防衛軍の原点
作業が危なすぎるw
七十年くらい昔ですからね 作業中の事故や怪我はやった人の不注意で片づけられていた時代と思います それだけ人の注意力重視だったんでしょう
おそらく昭和26年の横浜桜木町の火災事故を受けてのことでしょう。
自分もその背景があった為かと思っていたのですが、鋼体化は事故以前の昭和24年から計画、実施されていたのはこの動画で知りました。
イベント用に旧客を新造して欲しいな。本当はドアは手動の方が良いんだけど、安全面からすると無理かな?屋根上にクーラーを付けるとカッコ悪くなるので敢えてクーラーは付けない。その代わり窓は開くようにする。当然車内電灯は白熱球だ。LEDの電球色でも良い。
実際には新造してますね🎵JR西日本の35系4000番台です🎵再現される車両は オハ31系、スハ35系をベースに最新技術に快適な旧客車を実現しました🎵現在では山口線で運行してます🎵
35系4000番台、古い客車の新造というのが凄いと思います。(特急型電車の付随車をベースにした方がメンテナンスも楽なのに)で、くまどんさまのご要望の中で、新造車の手動式ドアは無理です。大井川鐵道の場合は手動式ドアにロックが付いています。子供の頃辛うじて旧客に乗りましたが、デッキを開け放った所に高校生が屯していたのを覚えています。
当時の工場内は戦前昭和10年代と差はそれ程無い筈だし
こうした古いコンテンツに感じるざっくりとした、しかし強い説得力をいまのTVの「立ち入り禁止場所の埠頭に無断立ち入りする釣り人」的なニュース映像には1㎜も感じない。それどころか、ウンザリした後味しかないのはなぜ?一言でいえば 愚劣・・・なんすかね
木造!(笑)
16:31夜業からの脱走防止目的の犬?
魔改造。
どの職員もプライドと確かな技術を持って仕事をしているのがよくわかります。まさにこれが国鉄ですね。車両を大切にし生まれ変わらせて使うのも今から言えばエコ。国鉄時代はよくこのような更新工事が行われていましたね。またまた貴重な映像ありがとうございます。
この時代に静電塗装してた事にビックリしました。模型を塗る時の参考にします。今まで人が吹き付け&手塗りしてるイメージでぬってました。
たしかスハ32の頃にはすでに静電塗装やってた気がします
戦前の「鉄道趣味」だか「鉄道」に工場を取材した記事があったような
出来上がった当時はさぞかしきれいだったんでしょうねぇ。
高砂工場、同級生のお姉さんの旦那さんが勤めてました、工場の敷地に官舎があったのを思い出しました。
その工場も今は無く・・・貴重な映像資料ですね。
擬人化して説明をする手法、昔は結構あったけど今はあまり見かけませんねぇ。
子どもの頃、交通博物館に行くと昭和30年代前後のこういったモノクロの映画を見ることができました。
鋼体化といっても、現在から見るとあちこち木部があり、それが旧客のぬくもりだったりします。走行中は木部のあちこちがぎしぎし軋んで音を立てていました。
今だと擬人化と言っても女の子のキャラクターが多いからね。
私は”米トリ”は米子鉄道管理局 鳥取客貨車区に所属 オハ61379となった。
貴重な映像ですネ。
当時の国鉄の職階級性が良く判る映像です。サージ服・菜っ葉服。
有り難う御座いました。
感動するフイルム映像でした。
多数の人力があってこそ成り立つ工程作業。
昨今では人手不足と様々な職種でいわれてる様ですが、よくわからない技術が進歩したので人手は要らないのが真実なのでしょうね。
細かですけど、国鉄車輌の車番の字体。 あの素晴らしいものを今の民営の新造車に全く継承していないのが残念です。
客車視点のアナウンス 味があって良いね
ホイスト操作でも誰一人ヘルメットを被っていないことに時代を感じる。
木造客車の車内を見ることができたのは貴重。
佐久間ダム建設の動画を見ると、工事初期はノーヘルの方が多かったのが、途中から皆被るようになっています。
2:34のシーン。京都鉄道博物館に静態保存されてるC621が出てる。
恐らく最初の全検ではないかと。
これは大変有難い映像てすね。
感謝‼️
ハンドメイドで多くの人の手によって造られた客車。出来立ては木の香りに満ち溢れたかも。配属は今の鳥取で山陰本線や因美線などで走る回っていたでしょう。
1日早く納入する為に「夜業」・・・
徹夜で作業するのは良いけれど、次の日の仕事も有るので、作業員は休みなく働きます・・・
この頃、夜業明けの休みとかもらえていたのかな?
なかったと思います。
当時は鉄道工場だけではなく民間工場でも徹夜勤務明けは普通に日勤勤務していたようです。
私の父親もそうでした。
側構え見てるとGMキットを1/1スケールで作ってるみたいだな。
この映像の舞台が今は無き 兵庫県高砂市に在りました。旧国鉄高砂工場ですね🎵ここでは。車両の修理は勿論、車両の改造も行われました。今も現役として活動中のJTサロンカー なにわもこの高砂で改造しましたね🎵
正に現在TH-camでアップされているパキスタントラックを彷彿されるフレーム継ぎ足し作業等々ですな‼️
60系が木造車を鋼体化したことは知っていたが、その工程ははじめて見た。ほとんど新造だ。
この30年後、高砂工場はサロンカーなにわを送り出し、閉鎖された。
この曲調、音楽が伊福部昭で納得。
ゴジラに似てますね。
道理で終わり方がゴジラっぽいなと思った(๑´・ω・`)
見事な職人技の集大成なのに、人類撲滅最終兵器が出来上がっているような緊迫感。
形式を手書きするのは工場によるけども、関西では70年代中ごろまではやっていました。
ここまでやると改造と言うより新造だな
客車の新造を認めなかったGHQを半ば欺く形で改造したそうです。
(車両ごとに台枠の形が違うし、部材が古いので、この時代でも新造の方が良かったはず)
1パーツでもハッキリ残っていないとそれは
「改造」とは認められないから…
もし受け継がれたその部品が壊れてもその頃
には新しい別の客車があるか、もしくはその
部品が新品と交換して「テセウスの船」化
するから問題ないと言う形なんでしょうね
@@稲荷恵比寿
大型基本形木造車4両+潰しの中型基本形木造車1両で
オハ60系鋼体化普通客車4両だな。
オハ43系は急行 準急型客車だし
なるほど、そういう事情があったのですね。
ところで、GHQのしばりがなかったとしても、費用的な理由で新造は難しかったかもしれないと私は思うのですが、皆さんはどう思われますか?
丁寧に解体して溶接し直す手間考えると溶かすほうが簡単@@tako--panda--jinbeezame
20:00 何気なく現れしは戦時スタイルのC11
伊福部昭のBGMが怖い。(幼少期のトラウマ) いまにもゴジラでてきて、だれかが死にそう。
本当は完全新製したいけどGHQが許可しなかったので旧式木造車の鋼体化改造って名目で誤魔化すの、
家を建て替えると税金が高いのでリフォームって名目で9割くらい新建材に入れ替えちゃうみたいな…?
それはともかく入れ替えのB型ピーコックや天井クレーンでスリングされるC62トップナンバーなど
どこをとっても見どころだらけです。
客車鋼体化の話は読んだり聞いたりしたことはありましたが、映像として見たのは初めてです。
百聞は一見にしかず、とても参考になります。本当に貴重な映像だと思います。
16:29の犬を連れての夜警の見回りなんて何時頃までやっていたのでしょうか?
一見すれば犬の散歩 って言えば怒られるかな?
@@まつかぜ82
どう言えば怒られるか調べるって人としてどうなの?
🐶わんこの散歩は、赤外線センサーの普及までなのかもしれません。
1:02あたりのC56牽引の列車は小海線の小淵沢カーブのあたりかな?
現存のオハニ36も元をたどれば大正時代製ですよね。
2:40 C62 1 が宙を舞っている
ゴジラっぽいと思ったら伊福部昭だった
洗車するのも、人海戦術で、今現在は、洗車機での作業で、短時間で、綺麗になっていく時代になりました。
試運転列車の緩急車が明治生まれのヨ150?
当時GHQが車両の新製がなかなか認められなかったために窮余の策として木造車を鋼製車にしてしまおうぜと考え、GHQの関係者に映像に出てきた車両よりも更にボロボロな車両を何両も見せつけて「これで平和の時代の安全運転なんかできませんわテヘペロ」と普通に言い放ってやっと認められたもの。オハ61が有名だが優等車でスロ60やスロ50やオハニ36(スハ43系に合わせた三等荷物合造車)も若干数作られている。なおのちのオロ61→スロ62もある意味で鋼体化改造車の一族(というのもオハ61から改造された)。
17メートル級木造客車などは、複数の車輌の台枠を切り継ぎして20メートル級の客車にしたことなどが、高砂工場と思われる映像でよく分かりました。
資料などの文書では知ることも、このような映画があることは知りませんでした。
17メートル級客車の台枠の切り継ぎは、一両同士の1:1だったか2:1だったのか、それとも他の痛み具合で不定とか知りたいです。台車をつける部分は、想像では切り継ぎ部品にしないと思われるので。また台枠も修理が必要ある物があるかも知れないため、このへんの細かい情報ご気になるファンの、どかの人気テレビ番組の水谷豊さんのセリフの、僕の悪い癖ですね。
20:15この3両目にある三軸台車の車両は何だろな。二重屋根で魚腹台枠でTR71ぽい?
マハ29かな?
木製車、良いなぁ。木製車とまでは言わないから、定期列車として旧型客車が復活しないかしら。薄暗くて汚い車内。席はボックスシートで、銀色の灰皿完備。冷暖房無しで扇風機だけ。窓は自由に開け閉め出来て、乗降扉は手動で走行中も開けっ放し。
冷房改造したスロ54やスロ62やオロ11
でも耐えられるかどうか
10系寝台車でもね冷房改造してるが
そしてトイレは・・・
「そして私は後に片側のデッキを埋められて洗面所と洋式便所が付けられ、内装と台車は軽量客車と同じものになり照明は蛍光灯に。更にシートは小糸製作所製の新品に・・・そうなんです!私は特別2等車になったんです。最後に電気暖房装置が搭載されて東北の急行列車に組み込まれました。それから数年後、屋根が切り取られて新しく冷房装置が付いた低い屋根が取り付けられたのです。更にそれから数年後、シートが撤去されて畳敷きになりました・・・」と物語は続くのでしょう。
さらに後世に伝えるべき貴重な記録!
出来ればカラーリマスターで!
日本でも退役したキハ58でやってほしい。
2:39
リフトクレーンを上昇中の
C62形の1号機、
現在は京都鉄道博物館にて展示中の
静態保存車両🎵
戦前のオハ35系もこんな風に新造したのかな。
スハ42系客車の新造風景も見てみたいが
スハ42だとまだオハ35系一族。
スハ43、スハフ42でやっとこ43系一族
高砂工場がどこにあったのかという興味は
コメントを読む限り感じられない()
今のサントリー高砂工場ですよね♪
@@TheShellingford3mt そういう歴史を辿るのも必要
すべて、人の手で造られていく姿が、懐かしいです。今では、ロボットアームで、車両を組み立てているのでしようね。なんとも味気のない作業としか言いようがないですね。時代の流れで、仕方のない事ですが…。
60系客車って、3000両以上もあったのですか。
勝手にもっと少ないと思い込んでいました。
ものすごい手間で、新造と大差ない気がする
一斉大量生産ではなく徐々に置き換える点では
古い台枠を解体して屑鉄にするよりマシなのか?
高砂工場では、警備員の見廻りに犬を連れていたんですね。
朝鮮戦争直後の金偏景気の影響でしょうか。
🐈何か、ゴジラ映画みたいな感じですね😅
なんだこのテセウスの船…
昭和28年 ゴジラのそして 地球防衛軍の原点
作業が危なすぎるw
七十年くらい昔ですからね 作業中の事故や怪我はやった人の不注意で片づけられていた時代と思います それだけ人の注意力重視だったんでしょう
おそらく昭和26年の横浜桜木町の火災事故を受けてのことでしょう。
自分もその背景があった為かと思っていたのですが、鋼体化は事故以前の昭和24年から計画、実施されていたのはこの動画で知りました。
イベント用に旧客を新造して欲しいな。
本当はドアは手動の方が良いんだけど、安全面からすると無理かな?
屋根上にクーラーを付けるとカッコ悪くなるので敢えてクーラーは付けない。
その代わり窓は開くようにする。
当然車内電灯は白熱球だ。
LEDの電球色でも良い。
実際には新造してますね🎵JR西日本の35系4000番台です🎵再現される車両は オハ31系、スハ35系をベースに最新技術に快適な旧客車を実現しました🎵現在では山口線で運行してます🎵
35系4000番台、古い客車の新造というのが凄いと思います。
(特急型電車の付随車をベースにした方がメンテナンスも楽なのに)
で、くまどんさまのご要望の中で、新造車の手動式ドアは無理です。大井川鐵道の場合は手動式ドアにロックが付いています。
子供の頃辛うじて旧客に乗りましたが、デッキを開け放った所に高校生が屯していたのを覚えています。
当時の工場内は戦前昭和10年代と差はそれ程無い筈だし
こうした古いコンテンツに感じるざっくりとした、しかし強い説得力を
いまのTVの「立ち入り禁止場所の埠頭に無断立ち入りする釣り人」的なニュース映像には1㎜も感じない。
それどころか、ウンザリした後味しかないのはなぜ?
一言でいえば 愚劣・・・なんすかね
木造!(笑)
16:31
夜業からの脱走防止目的の犬?
魔改造。