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グラフが1986年から始まっているので誤解されそうですが、山陽新幹線が計画された1960〜70年代の高度成長期、相生市は造船業の最盛期で、今ほど赤穂市と人口・工業出荷額の差はなかったのではないでしょうか。まぁ赤穂を通らなかった一番の理由は、岡山・広島・博多方面への最短ルートを選んだ結果だと思いますが。
播磨造船所、後のIHIの最盛期ですね。
姫路〜岡山の直線にぶつかるのは相生ではなく赤穂です。相生をパスして赤穂に乗り入れても距離は変わりません。
@@天王寺発阿倍野橋行きヒント:海沿いの狭隘な市街地
在来線の分岐点に作ったのは結果として正解な気がします。
塩田が汚れるから赤穂の人が鉄道を忌避した説は良く聞きますね。ただ、それで発展が遅れた赤穂の人たちは、山陽電鉄から網干〜岡山までの延伸計画が出た際、国鉄赤穂線の計画もあり、国鉄の機嫌を損ねては赤穂線が建設されなくなる可能性があると考え、山陽電鉄の延伸計画には一切協力しないと市議会で決議し、官民共同で猛烈に反対したと赤穂市史に記載されています。
赤穂が山陽本線に選ばれなかった理由は蒸気機関車のススで塩田に被害があると考える人が多かったからとどこかで見たことがあります。
よくある鉄道忌避伝説でしょうね
@@やしお-u6t 赤穂の場合はよくあるやつとはまた違うだろ。煤煙のススは火事のリスクとは性質が異なる。
赤穂って山と海に挟まれた場所です。しかも街の中心はかなり海寄りの場所にあるから距離ロスが大きい。今でも相生〜赤穂間の一般道はかなりの峠越えをしなきゃならない(船坂峠より急峻です)。以前にこのエリアを営業で回ってましたが言うて西播地域の中心ってたつのや相生なんすよ。赤穂は地理的に端に寄りすぎてる。この地域を管轄する兵庫県の西播磨県民局ってのもたつのと相生の間の山の中にあります。
高取峠やね。2国の有年あたりから千種川沿いに抜ければ峠越えなしで行けるけどちょいと遠回りか
相生市出身です。相生駅に新幹線が停まるのは、動画でも少し取り上げられていましたが、政治家の河本敏夫氏の力だと小さい頃から大人に聞かされて育ってきました。中学校の修学旅行で東京に行く際は、事前に体育館に集められて短い停車時間内に全員が新幹線に乗り込む練習をさせられたのは笑い話として良い思い出です。相生市出身者としては、新幹線で楽に帰省できるのは非常に便利です。
私も小学校で京都奈良行く時には新幹線乗降訓練していました。石川島が栄えた頃はうちの家族は石川島に働いていない家族は差別を受けてました。中学校2年の時に人員整理があり、1クラス分の生徒が転居しました。赤穂は城下町であり、赤穂人しか受け入れて貰うことが難しく龍野とは今でも仲は悪いです。
河本敏夫云々は都市伝説だからwデマを流さないないように。
河本敏夫って自民党最小派閥の三木派の人だから新幹線の駅を作るほどの政治力はなかったような気がします
もし、無理やり赤穂の北側の土地に「新赤穂駅」を作ってこだまの退避のみで誰も使わない新幹線単独駅の未来に比べれば、相生駅でも十分かと思います。
赤穂市に新幹線を通そうとしたら、播州赤穂駅乗り入れじゃなくてぜんぜん違う場所に「新赤穂駅」が出来てたかもしれんね。そうなると新尾道新岩国みたいな惨状になってたのは間違いないだろう(笑)
赤穂線は、東岡山ー相生ですが、播州赤穂で完全に系統分離されて、播州赤穂から東側はアーバンネットワークに組み込まれている感じですね。山陽本線の上郡までも直通列車がありますが、播州赤穂と比べてかなり少ないです。相生は赤穂に比べると地味ですけど交通結節点としてあの場所新幹線駅作ったのはよかったのでは?岡山ー相生は特定特急券でこだま乗るとだいぶ時短になりますし。
相生駅に各停限定の新幹線駅を作ったのは、姫路駅から岡山駅までが遠く、追い越し出来ない為😅。赤穂市からもアクセスが良く、結果は伴っていると思います。駅誘致で政治家河本敏夫さんの影響が言われますが、河本氏は田中角栄氏ほどの合点引鉄では無く、船会社を経営するなど、マトモな経済人でしたよ。自由民主党でも小派閥の為(子分が橋本龍太郎とか)主流では無かったが、地元には顔立てたから、中選挙区制では何時もトップ当選でした。播州赤穂駅は新快速の始発でもあり、名前も通っています。大型ショッピングモールが複数あるし、街は相生よりも賑わってますね。実際買い物は姫路に迄行かず、独立商圏を形成し、一部岡山県を喰ってます。書店などはギリギリ関西卸が握っているので、「週刊誌や月刊漫画等は、岡山県内で買うより2日早く買えます!ウチは東西大都市と同じ発売日、関西です」と、何処の店でも宣伝してます。アレ見たら、岡山の書店は怒るやろねぇ😊。
相生またはその周辺(赤穂や日生など)は牡蠣があるので冬にJR西日本が赤穂線で牡蠣を食べに行こうみたいなポスターが駅に貼られたりします。それを上手い事使って新幹線に乗って食べに行こうみたいなPRもすればいいかなと考えたことあります。少しは利用客増えるかもです。
播州赤穂駅に乗り入れるとすると播州赤穂駅前後で線形を相当曲げなきゃいけなくてロスが大きい、ロスを無くして赤穂市内に駅を作るとなると山側に別駅を作るしか択はないし、それなら姫路寄りに若干オフセットしてなおかつ山陽線と赤穂線の結節点である相生に駅を設置するほうが理にかなってる。
こんにちは播磨造船所(現・ジャパンマリンユナイテッドの子会社、JMUアムテック)が大きいですよ。2度の造船不況で、石川島と合併などで、山陽新幹線ができた当時からすれば、造船所の規模はだいぶ小さいのが現状ですが、最盛期は2万人が働いていたので、当時の人口4万人でした。相生はこだま停車駅ですが、石川島と合併した関係で、早朝に上りのひかり停車便が確保され、昼までに東京駅、IHI東京本社の午後の会議に間に合うようになっていました。
新赤穂駅(仮)があったとしても新尾道のように地元民ですらあまり利用しない駅になったと思われるので相生で良かったんじゃないかと思います
人口や産業についての数値・グラフを出していただきありがとうございます。今回のテーマを考えると、ルートが選定されたであろう1960年度ぐらいのものがあった方が説得力があったかと思います。
お題とは違いますが、もうすぐ10万人ですね。 頑張って下さい! 応援してます!
夜行新幹線は西明石駅の設置も同様の理由だったといわれますね(新神戸駅に設置できない待避線の代替目的もあったといいますが⋯三島駅も似たような性格ですね)赤穂線の歴史の浅さも新幹線が通らなかった理由かと思われます実現はしませんでしたが、山陽電鉄の岡山延伸計画は網干から赤穂を通る計画だったようです7:30 謎に大阪府河南町が!?
夜行新幹線を走らせつつ線路の保守整備を行えるように、と東京〜博多のほぼ中間である姫路駅には停車線が3本あるんですよね上下どちらかの線が使えなくても、列車の行き違いができるように、と
そもそも西播磨地区の中心はたつの市なのですが播磨の中心姫路市と隣接しているため鉄道に関しては赤穂よりも更に不遇という…
納得いかないのは姫路発上郡行より終電が早いこと
山陽鉄道が明治期に船坂峠越えのルートに決定した理由の一つには、八戸駅の立地と同様に軍の意向に影響された可能性もありそうです。沼津・下関、そして門司。青森・函館同様、海に突き出した立地の播州赤穂は新幹線駅誘致は不利でしょうね。しかしながら当初は在来線駅すら設置されず、その後開通した鉄道も軽便鉄道で、赤穂線全通が戦後となった播州赤穂は一層恵まれない状況でしたね。昭和末期になってから開通した山陽自動車道には幸いにも赤穂インターチェンジが設置され、ようやく高速交通体系に恵まれた感があります。
蒸気機関車のススが塩田に影響を及ぼす可能性があったから住民の反対があったのは有名な理由ですが、ただその理由だけで現在のルートになったとは考えにくく、その先の備前市以西の反対や千種川など河川の高瀬舟の邪魔になるというのも理由としてあったんじゃないのかと思います。また当時の山陽鉄道会社の社長であった中上川彦次郎氏(1854-1901)の敷設方針に、急勾配の線路を作らないことに拘りがあったこと、当時のトンネル掘削技術やその資金がまだ乏しかったために、距離を短くするルートには消極的だった、などの理由があると思います。
相生市からは自民党の河本敏夫だけでなく、社会党の後藤茂も出ています。二大政党に議員を出しているので影響は強かったかも知れません。赤穂線に鉄道が敷かれるのが遅かったのは市内の廻船業者が反対したという話もあります。塩などの特産品を神戸・大阪へ船で運んでいたのに鉄道ができると仕事を取られるということらしいです。廻船業者の子孫の方から聞きました。
夜行新幹線計画の為と、弾丸列車計画で相生付近を通るとされた為と最短ルートを選んだので播州赤穂駅を通らなかったのです。また、赤穂線の岡山県内の区間は、弾丸列車用の用地の一部を使用しています。
14:49の1951年は昭和26年、15:04の1962年は昭和37年ですね。昭和28年生まれの者としては変な感じがしましたので、老婆心ながらお伝えしておきます。
赤穂線は相生を岡山方面へ向けて出発するといきなり那波トンネル、高取トンネルといった、1000mを超すトンネルを通るのに対し、山陽線は、船坂トンネルまでない。さらに赤穂線には、播州赤穂を過ぎてからも2つの1000m超のトンネルが存在するが、山陽線はだいぶ先までトンネルがない。というわけで、山陽線のほうが山側を走行しているのに、トンネルをうまく回避できていることがわかる。
山陽本線は明治時代のトンネル技術が未熟な時期に、幹線鉄道として勾配を10‰以下になるように建設されたため、地形に沿ってカーブが多い線形なのに対し、戦後に建設された赤穂線は、山を回避せず遠慮なくトンネルを掘ったという違いがあります。
山陽鉄道が山口県内を通る区間は長州藩出身の元勲が政府の中心部に居た時には、馬関戦争の教訓から艦砲射撃の射程範囲外に鉄道を通すことを要求したといわれてます。その影響を受けたのかも。
長州出身の元勲にとって馬関戦争の海からの砲撃はトラウマなんでしょうね。
相生/岡山間のルートでは、山陽本線と赤穂線の中間の最短の線形を考慮するとやはり、新幹線停車駅は、相生が妥当と言えますね
赤穂浪士など、赤穂市は誰でも知っているような場所なのになぜ「『播州』赤穂駅」なのかと思っていましたが、現在の飯田線に既に赤穂(あかほ)駅(現・駒ヶ根駅)があったんですね。それだけ赤穂市への鉄道がなかなか進まなかった証拠でもあると思います。
そうなると今度は、播磨赤穂ではなく播州赤穂になった理由は・・・
@@西の旅人-q9c中国勝山や、中部天竜も謎だ。
明治~大正時代の鉄道建設の経緯、調べるといろいろなことがわかるので楽しいですね。山陽本線(山陽鉄道)が赤穂を通ってれば、と思います。私が住んでいる宮城県でも似たような経緯で発展が遅れた町があります。
2016年までは日中帯にも播州赤穂行の新快速が運行されてました普通電車も日中は1時間に2本ありましたが昨今では1本になりました(相生〜上郡間のシャトル電車も同じく削減)
ほとんどの時間帯が上郡からは相生乗り換え、さらに播州赤穂からくる電車で姫路乗り換え。こんなんだから、ドアツードアのマイカーに人が移るんでしょうね。
普通に赤穂-姫路と岡山-姫路をそれぞれ1本/hずつ走らせればええのに
小学校の先生に「本来は赤穂線ルートが山陽線の予定だったけど、汽車が来たら煤煙で周辺が火事になる、町が廃れる等と沿線住民が反対したから」と教えて貰いました。どう考えても赤穂 日生 長船 西大寺とそれなりの町村が有るのに、それよりも人口密度が低い地域を通るのは疑問ですから納得してました。でも最近これは俗説だとも聞いています。
周辺が火事になる、ススのおかげで農作物が採れなくなる、音に驚いて鶏が卵を産まなくなる云々…全国各地で似たような話があったようですね
@showwa149903こうした鉄道忌避伝説は、今や完全に都市伝説といえるでしょう。全国的に見れば、既に鉄道の経済的効果が明らかになっていた明治中期に、ススやら火事やら、宿泊客が減るからというのは、説得力がないでしょう。
単なる煤煙の火事といった典型的な説ではなく煤は赤穂にとって塩を汚す要因になりかねないから。他所とはまた事情が異なるのでは。
相生はやっぱり、姫路が近すぎるのと、姫路にのぞみが止まる等で、あんまり使われない印象
長浜と米原の関係に似てますね。関東でいうと黒磯と那須塩原の関係かな?
地図で見る限り昔は海運が主要ルート(瀬戸内海海運)であったことが推察され、鉄道を引く需要が見いだせなかったというところだと思います。
駅の設置場所を選定する時は、新幹線に限らず候補地同士で綱引きされた歴史がありますね。曲線半径や駅間距離、工事費用の他にも沢山の選定条件がありますが、令和の時代に敷設し直すなら駅の場所は変わったりしそうですね。そもそも、路線が着工出来ないところとかありそうですけど。
山陽鉄道は、勾配を10‰とする方針でルート設定(セノハチ超えは、短絡ルートを選んだ為に例外)したので船坂峠ルートを選んだのでしょう。
私の母方も相生出身です。ひかり号で東京から返っていたのが懐かしい。4時間以上かかってましたが、お弁当食べたり、ゲームしたり楽しかったな。造船の町なので、時代背景的にそのおかげで駅ができたと聞いています。長文失礼しました。
線形を犠牲にしてもなお赤穂ルートとする方は果たしてあったのか?という思考実験としてはとても興味深い内容
町の大きさでいえば赤穂なんですけど、赤穂回りだと遠回りになっちゃいますもんね😓
昨年96歳で他界した母親の里は有年です。母親や母方の祖父母の話で赤穂産の塩の出荷のため赤穂鉄道が開設され有年駅から荷物列車や貨物列車で各地に発送されていたそうです。有年前には倉庫も建てられていた。ただ赤穂線の開通後、赤穂線を利用して塩の発送は余り無かったようです。しかし赤穂線の貨物輸送としての役割は全く無しでは有りません。塩田跡に多くの工場が誘致され、先ず播州赤穂駅の西隣の天和駅から付近の三菱電機の工場に引込線が有り、大型の変電設備。天和駅と播州赤穂駅の中間位に住友セメントの工場が有り原料の石灰石を搬入、製品のセメントの出荷をそれぞれ行っていました。赤穂線の役割として旅客輸送もさることながら貨物輸送の役割も多々有ったと思います。現在は住友も三菱も貨車輸送は行っていないと聞きましたが。
赤穂在住です。父が天和の三菱電機に勤めてました。そこでは大型の変圧器を作っていて、輸送に今でも貨物列車を使っていると思います。道路輸送は無理かと。
新幹線建設開始する数年前に、備前福河駅付近の集落が岡山県から離脱して赤穂市に越境編入する時にかなり揉めて、結局は漁業権を放棄したとかを考えると、当時の日生町(今は備前市)は牡蠣養殖に影響が出るとか大反対しそうですね。
備前福河が、日生町から分離して赤穂市と越県合併したのは、東海道新幹線開業前年の1963年です。当時は、山陽新幹線は、構想段階でしか有りませんが。
当時から智頭線の計画もあったはずで、赤穂、山陽両線の他、智頭線沿線も視野に入れていたのでは…🧐佐用も、姫路駅より智頭線まわりの方が、新幹線駅に近く、その分、恩恵も大きいから。
智頭線の計画が、決まったのは1922年の改正鉄道敷設法公布の時です。山陽鉄道が、1886年に神戸から姫路までの建設を計画した時に鉄道建設を管轄する鉄道局より下関まで建設する様に示唆されたので、1887年公布の私設鉄道条例に基づいて神戸から下関までの免許を申請して神戸から下関までの鉄道を建設したのです。尚、1886年に、伊予鉄道が四国の最初の鉄道として開業しています。
岡山から神戸方面に行く時、相生まで新幹線に乗って、相生から新快速に乗ろう思っても接続悪いんだよな…16時台なら相生で20分ぐらい待ったら新快速に乗れるけど
@@have7790 そんなぶつ切りするから、車に乗り換えるんだよなぁ
たつの市の製造業は、素麺(揖保の糸)と革製品(ランドセル)かな
醤油を忘れてるな。ヒガシマルって知らない?
@@333redredredきつね、たぬき、月見、天ぷら、お肉、ヒガシマル、うどんうどんうどんスープ😋
あとUCCコーヒーの工場
播州赤穂って名前が好き❤️
播磨赤穂になりそうなのに、ちょっとしたこだわりを感じますね。
諸説ありかもしれませんが長野県駒ヶ根市に赤穂って所がありそこと間違わないために播州赤穂になったと言われています。
かつては姫路ー岡山の山陽本線経由の普通列車が、毎時走っていたのですが、今は相生乗換がデフォルトですね。
@@田中誠-w6p 明らかに新幹線誘導ですな。まぁ地域の方々は新幹線に誘導されるかマイカーに誘導されるか、知らないけど。
明治の「山陽鉄道」とは別会社で、現在の山陽電鉄も飾磨から岡山までの路線を計画し、敷設申請を出していましたね。国鉄赤穂線の敷設計画と重複するので許可されませんでしたが、播磨工業地帯の通勤輸送のため、網干線として開業しましたね。山陽電鉄が赤穂まで延びていたらどうなったか、とちょっと想像してしまいます。
山電網干線は、旧日本製鐵広畑製鐵所の従業員輸送を目的に建設されています。また、飾磨港線からの貨物専用線も建設されています。尚、網干線の相生駅方面の延伸には幾つかのトンネルの建設が必要ですので中小私鉄の山電には、建設する力は無かったでしょう。
@@健司高濱 様 そうですね。鉄道の建設費は、橋とトンネルに一番金がかかりますから、地形からして多くのトンネル建設を伴う赤穂延伸の建設費調達は、山陽電鉄にとっては厳しいでしょうね。実際のところ、そんな巨額の資金が調達できるなら、車両の更新や明石以東の線形改良(これも今更困難でしょうけれど)に充てたいでしょうね。
@harima-hsrwy 赤穂市付近(播州赤穂駅付近が、中心部)は、8,260万年前に活動していたカルデラ火山の中に有ります。相生湾は、そのカルデラ火山の外輪山の内側の部分となります。この為に、海岸線を通る国道250線から国道2号線の間には、道路は有りません。
あの市長のいる相生駅はもう新幹線停めなくていい
赤穂線も今は播州赤穂で系統分離かも知れませんが、昔は山陽線ともども姫路〜岡山間の運転ではなかったですか?(間違ってたら指摘して下さい、取り下げます)
国鉄の時代は、姫路駅から岡山駅行きの列車は、普通に有りましたね。
赤穂在住です。JRになってからもしばらくは姫路発岡山行きがありました。赤穂線は朝夕は京阪神直通で昼間は姫路行だったと思います。その後、一時期赤穂線が昼間は相生止になって、乗換させられてました。その後に、昼間も新快速が直通するようになり、それが姫路止になり、さらに昼間1時間に1本に減便になりました。
赤穂在住です。確かに本線が通らなくて上郡より始発が遅く終電が早いのは不遇なのかも。でも在来線だけど遠く滋賀県まで乗換なしでいけるのだからそんなに悪くもないのでは。みどりの窓口廃止は残念だけど他の駅もだし仕方ないかな。
諸説ありますが河本氏の影響もあるでしょうが数十年前の鉄道ジャーナルで姫路~岡山間での保守点検な観点と工業製品の輸送など当時の国鉄が考えていたと思われます。
町の規模だけを比較すると,相生や播州赤穂ではなく,竜野に新幹線駅を置きたいと思うのではないでしょうか。しかしながら竜野では姫路に近すぎる,播州赤穂では急カーブになる,相生なら竜野と播州赤穂の妥協点になる,という事かも知れません。ただ,大聖寺と動橋の妥協点だった加賀温泉駅が大出世したのに対し,相生駅はいまいちですが。
▼ 11:23 「有年駅」が、市町村合併とはいえ、赤穂市内... そもそも赤穂郡ですが...
▼ 7:24 洲本市...「ホテルニューアワジ」のCMか... 中京圏でも流れていたので、ビックリでした...
元々山陽本線は今の赤穂線のルートを通り、香登あたりから山陽本線へ抜ける人工密集地を通るルートが想定されていましたが、蒸気機関車が通ることへの反対運動が凄まじく、迂回せざるをえなかったと聞きます。それゆえに新幹線も南側に逸れてまで赤穂を経由せず、赤穂線との分岐点に繋ぐことになったのではないでしょうか
相生駅は地味だが、東京から乗り換えなしでいける駅である播州赤穂へも乗り換え1回でたどり着ける
新幹線駅については播州赤穂駅ではなく、新赤穂駅として市の北部に作れば、線形もそれほど無理なく路線は敷設できたはずです。
相生駅の新幹線駅舎は夜行新幹線を走らす計画があり姫路駅を起点としてもしものときの予備駅として出来た駅舎で西明石駅もそうみたいなので赤穂には出来ていないでしょうね。播州赤穂駅が山陽本線で利用客が魅力的だったら岡山駅や徳山駅のように無理でもカ―ブして寄って来てくれたかもですね。
バイパスとして運用されたわけではないですが、70年代まで赤穂線経由の急行がいくつかありましたね。播州赤穂、西大寺からの乗客を拾うため。
沼津・三島の関係と同じで、新幹線駅を作るには海に近過ぎたんだと思う。
日中は網干発着に短縮されましたが、現在でも播州赤穂発着の新快速が早朝、深夜に運転されていて、普通電車も姫路〜播州赤穂間の運転系統となっていますので、相生駅のターミナル機能が低下しつつあります。個人的には多少線形が悪かろうが、相生をパスして姫路〜岡山間の中間点として播州赤穂に山陽新幹線が乗り入れてほしかったです。むしろ相生乗り入れが若干遠回りです。
日中の新快速はほとんど姫路行です。快速が加古川行と網干行と交互です。
西暦年と和暦年(特に昭和)が合っていないのでは?
14:58 合っていませんね。1951年(昭和26年)、1962年(昭和37年)。
因为附近有地方吧,而且相生站也是山阳新干线为数不多的高普合一,并且线路比较直的车站了
相生って駅の真北に国道2号が走ってるし土地開発の余地が無いよね
網干の車両基地が相生だったらどれだけ便利だったか…
いまや「相生まで言ってくれればいいのに!」って列車が網干止まりで、恨まれそう。逆に済むなら網干駅徒歩圏は座って電車に乗りやすくていいですな。
国鉄あるあるです。中央線豊田、宇都宮線小金井、高崎線籠原等々
山側ルートが選ばれたのは、他路線でもよくある国防の観点なんですかね
新幹線駅である相生駅の境遇は両隣が姫路駅・岡山駅というターミナルであり駅勢圏人口も少なくなりがちな事情が大きいと考えます。赤穂市の新幹線アクセスの弱みである博多方面は、相生駅〜岡山駅間に「新備前駅(仮)」を整備すれば改善されると考えます。
@@ちーきチャンネル そんなんより、広島や九州へのアクセスがだいじですな。騒音対策して最高速度上げるとか。
@@ちーきチャンネル 相生駅に新幹線が乗り入れてしまった以上、新駅の必要はないと思います。
相生とかいう全部あ行の奇跡の地名ローマ字にしてもaioiとたったの4文字
粟生はaoで2文字。加古川線ほか飯井はiiで2文字。山陰本線まぁ4文字も!って意味で述べたんでしょうけど。
相生駅、岐阜県長良川鉄道にもあります。隣り駅は郡上八幡駅です。
渡良瀬線の相老駅は被らないように異字、越美南線は美濃相生でした。
相生駅は一応ターミナルですからね。山陽新幹線の開通した1975年ごろは相生市も4万人以上の人口で赤穂市とそれほど変わらずしかも当時のIHIは業績が良かった。ここを主な票田とした当時自民党の有力者であった河本敏夫の意向がかなり強かったのは事実です。
どっちも平地がないなぁ 姫路が大発展するわけですね
赤穂も相生も赤穂コールドロン(カルデラ)の中の都市ですからね。カルデラの中の土地に平地がないのは当然のこと。
山陽鉄道が海側を通すのを海軍が嫌がった新幹線は播州赤穂に止まる方が駅間距離を考えると妥当じゃないのそんな風に考えていました赤穂に山陽線の駅からの私鉄があったって聞いたことがある
一昨年にこのへんの電車に乗りましたが、行き帰りどもに姫路~岡山~の便でしたので不便ではなかったです。相生から西は山陽本線も国道も急に田舎感があり、雰囲気的には黒磯から北と同じで、違うエリアに来たと思わされます。
相生駅は河本敏夫の影響が大きかったと言われて育った元選挙区民です姫路駅と言えば使われない謎のホームは夜行新幹線計画の名残りだとも教わりました😅
母の実家が播州赤穂なので、新幹線が来ていたらと思うと非常に残念です
@@土屋知久-s6m 「ごめんなさい!私新幹線どころか赤穂線も乗らないのよね!マイカーで..」ってお母様から聴きましたが、息子には伝えないでね!と言われました。
播州赤穂って通称というか駅単独の呼称では?
むかーしは、相生まで新幹線で行き播州赤穂まで行っていましたが、のぞみが姫路に止まるようになって以降は姫路から播州赤穂へ行ってます。
播州赤穂と言えば真っ先に忠臣蔵を思い出す。赤穂線はその播州赤穂以西は単線で本数も一気に減る。山陽本線も相生以西と以東で雰囲気がガラッと変わるのも事実である。新快速が岡山まで延伸しない理由が垣間見える気がする。
新快速は、姫路駅以西ではただの普通列車となります。また、朝早い時間と夜間は、新快速は姫路駅止めとなります。車両は、227系が姫路駅に乗り入れを始めていますので新快速を岡山駅まで延伸する理由は有りません。
接続 地形など在来線は不通区間乗り換えなど運なのか?
何故に赤穂でなく相生か。IHIに尽きます。造船王国日本、隆盛を極めた名残として今でもアムテック、IHIの事業所が残存しています。身内にIHIがいますが東京からしょっちゅう相生に出張で行き来していました。ペーロン祭りも毎年行われています。駅前のビジネスホテルはけっこう繁盛しています。
相生というと、駅に近づくとかたつむりみたいなジャスコの看板を見ていたのを思い出します。
赤穂の地主が駄々をこねたと昔聞いたことがあります。昔の赤穂線は有年から周世を通っていたときいたことがありそのえいきょうがあるのかも?赤穂出身です
まさかの出来事で相生市が有名になっちゃった😅
立花孝志さんのお陰で斎藤知事当選。
山陽新幹線の駅設置の理由を現在の価値観で考察することに意味があるのだろうか。
▼ 7:24 三木市の宿泊数も結構ありますね... 以前取材された、神鉄粟生線、加古川線も含めて、再考察お願いしたいです!!
ネスタリゾート神戸がじつは三木市にありますからね
@くんやお-h9m さん そうなんだ!! ネスタリゾート目当ての宿泊は、思いもよりませんでした。 昔のアスレチックセンター、「風雲たけし城」(TBS)のようなアトラクション... 響くんでしょうなぁ... 三木市の経済に恩恵があることは、嬉しい限りですね...(ありゃ、隣の小野市は...)
新幹線が在来線の別線として作られたなか、昔は格がどうかとかこだわりでものを言っていた時代だったので、シンプルに本線上の駅を差し置いて、支線の駅に新幹線駅を併設するという発想がシンプルになかっただけだと思います。また、赤穂市に宿泊客が多いのは、御崎に温泉があるからで、都市規模とはあまり関係ないと思います。
勾配が緩やかで、長年の浸食により周辺にある程度の平地が造られた、川沿いが鉄道敷設に向いていたと思います。
ある山陽線の元・機関士さんのお話として山陽線船坂峠の連続勾配はセノハチ以上に事実上運転しづらく、赤穂線は将来の単線高速化がしやすい線形にしていたと伺いました。今でこそ相生⇔播州赤穂は新快速がぶっ飛ばす時代ですが宇野線と電化当時の赤穂線は国鉄時代において変電所の容量不足から架線電圧のドロップに泣かされたそうです。
岡山県備前市の住民は結構赤穂のイオンに遊びに行くからね。
7:53 洲本市も結構多いのはホテルニュー◯ワジの力かも。
この辺の駅の独特な存在感すこ
戦前だと赤穂市は海運のほうが早いとかあるのかもしれない
船坂峠直前まで赤穂市の市域は広がっていて、船坂峠と赤穂市の最短距離って実は300mくらいなんだよね。
赤穂在住です。上郡町も相生市の大部分も赤穂郡です。上郡と赤穂は合併の話がありましたが、赤穂市の住民投票で大差で否決されました。その後、赤穂と上郡と備前市で定住自立圏になっています。相生は元赤穂郡ですが参加してません。住民はそうでもないと思いますが、相生と赤穂、市役所同士はライバル意識がかなり強いと聞いたことがあります。昔は同じ赤穂藩でもちろん中心は赤穂だったのが、相生が造船で先に市になったけど、その後不況で落ち込んだ。その頃から逆に赤穂は元塩田跡に住友セメント等の工場を誘致して人口も増えた。下水道の普及率や公園の面積とかで、赤穂市は住みよい町にランクされたりもした。市内に大きな病院が2つもあって医療面でも周辺の市町より充実した。市民病院もあんな事件があるまでは、むしろ評判高い病院だった。中央病院は昔は古城病院といって、ベッド数の下限ギリギリくらいの規模やったけど、市内の産業医とかされて、だんだんと周辺を買収して大きくなり、伯鳳会グループになって、医療系専門学校や大阪にも進出してる。
市長が台バンしたからである。
1:58 一部のスーパーはくとは停まるらしいですね
駅前全然人いなくて草。他の方の動画でも「謎の終点駅」と言われるだけありますね。坊主様ご指摘通り播州赤穂駅に新幹線を通すには線形が悪すぎます。
@@terribleivan8771 新幹線は京阪神以東と岡山以西をいかに速く結ぶか!で、姫路〜岡山の中間駅など、ついで!でしかないしね。
播備地区に限らず瀬戸内の海岸地域は地盤が軟弱なんよ。なのでそもそも鉄道敷設には向いてないのよな。
幹線格の山陽本線🆚貧弱な赤穂線,その差は歴然。新大阪⇔博多の速達性を考慮して相生>播州赤穂になったのでは?
赤穂に新幹線が来ていたら、新快速の行き先は変わっていたでしょうね。
赤穂線全通1962年は、昭和32年ではなく昭和37年です。
赤穂の隣の坂越駅の近くに、秦氏をまつる大避神社があります。ユダヤ人伝説のある神秘的なお社です。
1:21 1:43 2:38 3:30 赤穂 4:27 6:11 9:36 理由 11:05 15:51 通勤 17:34
現在はすっかり斜陽産業になった造船業が盛んだった名残り夜行新幹線構想も後押しした今となっては山陽新幹線は過剰な設備ばかりが目立つ
乗継割引があったときは相生→岡山は便利だったな笑相生まで行くの面倒だから、そこまでケチらず新大阪から始発→岡山から四国ややくも!だったけど。青春18でどこかで時短するなら、相生→岡山新幹線でショートカットも良かった。
1962年は昭和37年では?
グラフが1986年から始まっているので誤解されそうですが、山陽新幹線が計画された1960〜70年代の高度成長期、相生市は造船業の最盛期で、今ほど赤穂市と人口・工業出荷額の差はなかったのではないでしょうか。
まぁ赤穂を通らなかった一番の理由は、岡山・広島・博多方面への最短ルートを選んだ結果だと思いますが。
播磨造船所、後のIHIの最盛期ですね。
姫路〜岡山の直線にぶつかるのは相生ではなく赤穂です。相生をパスして赤穂に乗り入れても距離は変わりません。
@@天王寺発阿倍野橋行き
ヒント:海沿いの狭隘な市街地
在来線の分岐点に作ったのは結果として正解な気がします。
塩田が汚れるから赤穂の人が鉄道を忌避した説は良く聞きますね。
ただ、それで発展が遅れた赤穂の人たちは、山陽電鉄から網干〜岡山までの延伸計画が出た際、国鉄赤穂線の計画もあり、国鉄の機嫌を損ねては赤穂線が建設されなくなる可能性があると考え、山陽電鉄の延伸計画には一切協力しないと市議会で決議し、官民共同で猛烈に反対したと赤穂市史に記載されています。
赤穂が山陽本線に選ばれなかった理由は蒸気機関車のススで塩田に被害があると考える人が多かったからとどこかで見たことがあります。
よくある鉄道忌避伝説でしょうね
@@やしお-u6t
赤穂の場合はよくあるやつとはまた違うだろ。
煤煙のススは火事のリスクとは性質が異なる。
赤穂って山と海に挟まれた場所です。しかも街の中心はかなり海寄りの場所にあるから距離ロスが大きい。今でも相生〜赤穂間の一般道はかなりの峠越えをしなきゃならない(船坂峠より急峻です)。以前にこのエリアを営業で回ってましたが言うて西播地域の中心ってたつのや相生なんすよ。赤穂は地理的に端に寄りすぎてる。この地域を管轄する兵庫県の西播磨県民局ってのもたつのと相生の間の山の中にあります。
高取峠やね。2国の有年あたりから千種川沿いに抜ければ峠越えなしで行けるけどちょいと遠回りか
相生市出身です。
相生駅に新幹線が停まるのは、動画でも少し取り上げられていましたが、政治家の河本敏夫氏の力だと小さい頃から大人に聞かされて育ってきました。
中学校の修学旅行で東京に行く際は、事前に体育館に集められて短い停車時間内に全員が新幹線に乗り込む練習をさせられたのは笑い話として良い思い出です。
相生市出身者としては、新幹線で楽に帰省できるのは非常に便利です。
私も小学校で京都奈良行く時には新幹線乗降訓練していました。
石川島が栄えた頃はうちの家族は石川島に働いていない家族は差別を受けてました。
中学校2年の時に人員整理があり、1クラス分の生徒が転居しました。
赤穂は城下町であり、赤穂人しか受け入れて貰うことが難しく龍野とは今でも仲は悪いです。
河本敏夫云々は都市伝説だからw
デマを流さないないように。
河本敏夫って自民党最小派閥の三木派の人だから新幹線の駅を作るほどの政治力はなかったような気がします
もし、無理やり赤穂の北側の土地に「新赤穂駅」を作ってこだまの退避のみで誰も使わない新幹線単独駅の未来に比べれば、相生駅でも十分かと思います。
赤穂市に新幹線を通そうとしたら、播州赤穂駅乗り入れじゃなくてぜんぜん違う場所に「新赤穂駅」が出来てたかもしれんね。
そうなると新尾道新岩国みたいな惨状になってたのは間違いないだろう(笑)
赤穂線は、東岡山ー相生ですが、播州赤穂で完全に系統分離されて、播州赤穂から東側はアーバンネットワークに組み込まれている感じですね。山陽本線の上郡までも直通列車がありますが、播州赤穂と比べてかなり少ないです。
相生は赤穂に比べると地味ですけど交通結節点としてあの場所新幹線駅作ったのはよかったのでは?岡山ー相生は特定特急券でこだま乗るとだいぶ時短になりますし。
相生駅に各停限定の新幹線駅を作ったのは、姫路駅から岡山駅までが遠く、追い越し出来ない為😅。赤穂市からもアクセスが良く、結果は伴っていると思います。駅誘致で政治家河本敏夫さんの影響が言われますが、河本氏は田中角栄氏ほどの合点引鉄では無く、船会社を経営するなど、マトモな経済人でしたよ。自由民主党でも小派閥の為(子分が橋本龍太郎とか)主流では無かったが、地元には顔立てたから、中選挙区制では何時もトップ当選でした。播州赤穂駅は新快速の始発でもあり、名前も通っています。大型ショッピングモールが複数あるし、街は相生よりも賑わってますね。実際買い物は姫路に迄行かず、独立商圏を形成し、一部岡山県を喰ってます。書店などはギリギリ関西卸が握っているので、「週刊誌や月刊漫画等は、岡山県内で買うより2日早く買えます!ウチは東西大都市と同じ発売日、関西です」と、何処の店でも宣伝してます。アレ見たら、岡山の書店は怒るやろねぇ😊。
相生またはその周辺(赤穂や日生など)は牡蠣があるので冬にJR西日本が赤穂線で牡蠣を食べに行こうみたいなポスターが駅に貼られたりします。それを上手い事使って新幹線に乗って食べに行こうみたいなPRもすればいいかなと考えたことあります。少しは利用客増えるかもです。
播州赤穂駅に乗り入れるとすると播州赤穂駅前後で線形を相当曲げなきゃいけなくてロスが大きい、ロスを無くして赤穂市内に駅を作るとなると山側に別駅を作るしか択はないし、それなら姫路寄りに若干オフセットしてなおかつ山陽線と赤穂線の結節点である相生に駅を設置するほうが理にかなってる。
こんにちは
播磨造船所(現・ジャパンマリンユナイテッドの子会社、JMUアムテック)が大きいですよ。2度の造船不況で、石川島と合併などで、山陽新幹線ができた当時からすれば、造船所の規模はだいぶ小さいのが現状ですが、最盛期は2万人が働いていたので、当時の人口4万人でした。
相生はこだま停車駅ですが、石川島と合併した関係で、早朝に上りのひかり停車便が確保され、昼までに東京駅、IHI東京本社の午後の会議に間に合うようになっていました。
新赤穂駅(仮)があったとしても新尾道のように地元民ですらあまり利用しない駅になったと思われるので
相生で良かったんじゃないかと思います
人口や産業についての数値・グラフを出していただきありがとうございます。今回のテーマを考えると、ルートが選定されたであろう1960年度ぐらいのものがあった方が説得力があったかと思います。
お題とは違いますが、もうすぐ10万人ですね。 頑張って下さい! 応援してます!
夜行新幹線は西明石駅の設置も同様の理由だったといわれますね
(新神戸駅に設置できない待避線の代替目的もあったといいますが⋯三島駅も似たような性格ですね)
赤穂線の歴史の浅さも新幹線が通らなかった理由かと思われます
実現はしませんでしたが、山陽電鉄の岡山延伸計画は網干から赤穂を通る計画だったようです
7:30 謎に大阪府河南町が!?
夜行新幹線を走らせつつ線路の保守整備を行えるように、と東京〜博多のほぼ中間である姫路駅には停車線が3本あるんですよね
上下どちらかの線が使えなくても、列車の行き違いができるように、と
そもそも西播磨地区の中心はたつの市なのですが播磨の中心姫路市と隣接しているため鉄道に関しては赤穂よりも更に不遇という…
納得いかないのは姫路発上郡行より終電が早いこと
山陽鉄道が明治期に船坂峠越えのルートに決定した理由の一つには、八戸駅の立地と同様に軍の意向に影響された可能性もありそうです。
沼津・下関、そして門司。青森・函館同様、海に突き出した立地の播州赤穂は新幹線駅誘致は不利でしょうね。
しかしながら当初は在来線駅すら設置されず、その後開通した鉄道も軽便鉄道で、赤穂線全通が戦後となった播州赤穂は一層恵まれない状況でしたね。
昭和末期になってから開通した山陽自動車道には幸いにも赤穂インターチェンジが設置され、ようやく高速交通体系に恵まれた感があります。
蒸気機関車のススが塩田に影響を及ぼす可能性があったから住民の反対があったのは有名な理由ですが、ただその理由だけで現在のルートになったとは考えにくく、その先の備前市以西の反対や千種川など河川の高瀬舟の邪魔になるというのも理由としてあったんじゃないのかと思います。
また当時の山陽鉄道会社の社長であった中上川彦次郎氏(1854-1901)の敷設方針に、急勾配の線路を作らないことに拘りがあったこと、当時のトンネル掘削技術やその資金がまだ乏しかったために、距離を短くするルートには消極的だった、などの理由があると思います。
相生市からは自民党の河本敏夫だけでなく、社会党の後藤茂も出ています。二大政党に議員を出しているので影響は強かったかも知れません。
赤穂線に鉄道が敷かれるのが遅かったのは市内の廻船業者が反対したという話もあります。塩などの特産品を神戸・大阪へ船で運んでいたのに鉄道ができると仕事を取られるということらしいです。廻船業者の子孫の方から聞きました。
夜行新幹線計画の為と、弾丸列車計画で相生付近を通るとされた為と最短ルートを選んだので播州赤穂駅を通らなかったのです。
また、赤穂線の岡山県内の区間は、弾丸列車用の用地の一部を使用しています。
14:49の1951年は昭和26年、15:04の1962年は昭和37年ですね。昭和28年生まれの者としては変な感じがしましたので、老婆心ながらお伝えしておきます。
赤穂線は相生を岡山方面へ向けて出発するといきなり那波トンネル、高取トンネルといった、1000mを超すトンネルを通るのに対し、山陽線は、船坂トンネルまでない。さらに赤穂線には、播州赤穂を過ぎてからも2つの1000m超のトンネルが存在するが、山陽線はだいぶ先までトンネルがない。というわけで、山陽線のほうが山側を走行しているのに、トンネルをうまく回避できていることがわかる。
山陽本線は明治時代のトンネル技術が未熟な時期に、幹線鉄道として勾配を10‰以下になるように建設されたため、地形に沿ってカーブが多い線形なのに対し、戦後に建設された赤穂線は、山を回避せず遠慮なくトンネルを掘ったという違いがあります。
山陽鉄道が山口県内を通る区間は長州藩出身の元勲が政府の中心部に居た時には、
馬関戦争の教訓から艦砲射撃の射程範囲外に鉄道を通すことを要求したといわれてます。
その影響を受けたのかも。
長州出身の元勲にとって
馬関戦争の海からの砲撃はトラウマなんでしょうね。
相生/岡山間のルートでは、山陽本線と赤穂線の中間の最短の線形を考慮すると
やはり、新幹線停車駅は、相生が妥当と言えますね
赤穂浪士など、赤穂市は誰でも知っているような場所なのになぜ「『播州』赤穂駅」なのかと思っていましたが、
現在の飯田線に既に赤穂(あかほ)駅(現・駒ヶ根駅)があったんですね。
それだけ赤穂市への鉄道がなかなか進まなかった証拠でもあると思います。
そうなると今度は、播磨赤穂ではなく播州赤穂になった理由は・・・
@@西の旅人-q9c
中国勝山や、中部天竜も謎だ。
明治~大正時代の鉄道建設の経緯、調べるといろいろなことがわかるので楽しいですね。山陽本線(山陽鉄道)が赤穂を通ってれば、と思います。私が住んでいる宮城県でも似たような経緯で発展が遅れた町があります。
2016年までは日中帯にも播州赤穂行の新快速が運行されてました
普通電車も日中は1時間に2本ありましたが昨今では1本になりました(相生〜上郡間のシャトル電車も同じく削減)
ほとんどの時間帯が上郡からは相生乗り換え、さらに播州赤穂からくる電車で姫路乗り換え。
こんなんだから、ドアツードアのマイカーに人が移るんでしょうね。
普通に赤穂-姫路と岡山-姫路をそれぞれ1本/hずつ走らせればええのに
小学校の先生に「本来は赤穂線ルートが山陽線の予定だったけど、汽車が来たら煤煙で周辺が火事になる、町が廃れる等と沿線住民が反対したから」と教えて貰いました。
どう考えても赤穂 日生 長船 西大寺とそれなりの町村が有るのに、それよりも人口密度が低い地域を通るのは疑問ですから納得してました。
でも最近これは俗説だとも聞いています。
周辺が火事になる、ススのおかげで農作物が採れなくなる、音に驚いて鶏が卵を産まなくなる云々…
全国各地で似たような話があったようですね
@showwa149903
こうした鉄道忌避伝説は、今や完全に都市伝説といえるでしょう。全国的に見れば、既に鉄道の経済的効果が明らかになっていた明治中期に、ススやら火事やら、宿泊客が減るからというのは、説得力がないでしょう。
単なる煤煙の火事といった典型的な説ではなく煤は赤穂にとって塩を汚す要因になりかねないから。
他所とはまた事情が異なるのでは。
相生はやっぱり、姫路が近すぎるのと、
姫路にのぞみが止まる
等で、あんまり使われない印象
長浜と米原の関係に似てますね。関東でいうと黒磯と那須塩原の関係かな?
地図で見る限り昔は海運が主要ルート(瀬戸内海海運)であったことが推察され、鉄道を引く需要が見いだせなかったというところだと思います。
駅の設置場所を選定する時は、新幹線に限らず候補地同士で綱引きされた歴史がありますね。
曲線半径や駅間距離、工事費用の他にも沢山の選定条件がありますが、令和の時代に敷設し直すなら駅の場所は変わったりしそうですね。
そもそも、路線が着工出来ないところとかありそうですけど。
山陽鉄道は、勾配を10‰とする方針でルート設定(セノハチ超えは、短絡ルートを選んだ為に例外)したので船坂峠ルートを選んだのでしょう。
私の母方も相生出身です。ひかり号で東京から返っていたのが懐かしい。4時間以上かかってましたが、お弁当食べたり、ゲームしたり楽しかったな。造船の町なので、時代背景的にそのおかげで駅ができたと聞いています。長文失礼しました。
線形を犠牲にしてもなお赤穂ルートとする方は果たしてあったのか?という思考実験としてはとても興味深い内容
町の大きさでいえば赤穂なんですけど、赤穂回りだと遠回りになっちゃいますもんね😓
昨年96歳で他界した母親の里は有年です。母親や母方の祖父母の話で赤穂産の塩の出荷のため赤穂鉄道が開設され有年駅から荷物列車や貨物列車で各地に発送されていたそうです。有年前には倉庫も建てられていた。ただ赤穂線の開通後、赤穂線を利用して塩の発送は余り無かったようです。しかし赤穂線の貨物輸送としての役割は全く無しでは有りません。塩田跡に多くの工場が誘致され、先ず播州赤穂駅の西隣の天和駅から付近の三菱電機の工場に引込線が有り、大型の変電設備。天和駅と播州赤穂駅の中間位に住友セメントの工場が有り原料の石灰石を搬入、製品のセメントの出荷をそれぞれ行っていました。赤穂線の役割として旅客輸送もさることながら貨物輸送の役割も多々有ったと思います。現在は住友も三菱も貨車輸送は行っていないと聞きましたが。
赤穂在住です。父が天和の三菱電機に勤めてました。そこでは大型の変圧器を作っていて、輸送に今でも貨物列車を使っていると思います。道路輸送は無理かと。
新幹線建設開始する数年前に、備前福河駅付近の集落が岡山県から離脱して赤穂市に越境編入する時にかなり揉めて、結局は漁業権を放棄したとかを考えると、当時の日生町(今は備前市)は牡蠣養殖に影響が出るとか大反対しそうですね。
備前福河が、日生町から分離して赤穂市と越県合併したのは、東海道新幹線開業前年の1963年です。
当時は、山陽新幹線は、構想段階でしか有りませんが。
当時から智頭線の計画もあったはずで、赤穂、山陽両線の他、智頭線沿線も視野に入れていたのでは…🧐
佐用も、姫路駅より智頭線まわりの方が、新幹線駅に近く、その分、恩恵も大きいから。
智頭線の計画が、決まったのは1922年の改正鉄道敷設法公布の時です。
山陽鉄道が、1886年に神戸から姫路までの建設を計画した時に鉄道建設を管轄する鉄道局より下関まで建設する様に示唆されたので、1887年公布の私設鉄道条例に基づいて神戸から下関までの免許を申請して神戸から下関までの鉄道を建設したのです。
尚、1886年に、伊予鉄道が四国の最初の鉄道として開業しています。
岡山から神戸方面に行く時、相生まで新幹線に乗って、相生から新快速に乗ろう思っても接続悪いんだよな…16時台なら相生で20分ぐらい待ったら新快速に乗れるけど
@@have7790
そんなぶつ切りするから、車に乗り換えるんだよなぁ
たつの市の製造業は、素麺(揖保の糸)と革製品(ランドセル)かな
醤油を忘れてるな。ヒガシマルって知らない?
@@333redredred
きつね、たぬき、月見、天ぷら、お肉、ヒガシマル、うどんうどんうどんスープ😋
あとUCCコーヒーの工場
播州赤穂って名前が好き❤️
播磨赤穂になりそうなのに、ちょっとしたこだわりを感じますね。
諸説ありかもしれませんが長野県駒ヶ根市に赤穂って所がありそこと間違わないために播州赤穂になったと言われています。
かつては姫路ー岡山の山陽本線経由の普通列車が、毎時走っていたのですが、今は相生乗換がデフォルトですね。
@@田中誠-w6p
明らかに新幹線誘導ですな。
まぁ地域の方々は新幹線に誘導されるかマイカーに誘導されるか、知らないけど。
明治の「山陽鉄道」とは別会社で、現在の山陽電鉄も飾磨から岡山までの路線を計画し、敷設申請を出していましたね。国鉄赤穂線の敷設計画と重複するので許可されませんでしたが、播磨工業地帯の通勤輸送のため、網干線として開業しましたね。山陽電鉄が赤穂まで延びていたらどうなったか、とちょっと想像してしまいます。
山電網干線は、旧日本製鐵広畑製鐵所の従業員輸送を目的に建設されています。
また、飾磨港線からの貨物専用線も建設されています。
尚、網干線の相生駅方面の延伸には幾つかのトンネルの建設が必要ですので中小私鉄の山電には、建設する力は無かったでしょう。
@@健司高濱 様 そうですね。鉄道の建設費は、橋とトンネルに一番金がかかりますから、地形からして多くのトンネル建設を伴う赤穂延伸の建設費調達は、山陽電鉄にとっては厳しいでしょうね。実際のところ、そんな巨額の資金が調達できるなら、車両の更新や明石以東の線形改良(これも今更困難でしょうけれど)に充てたいでしょうね。
@harima-hsrwy 赤穂市付近(播州赤穂駅付近が、中心部)は、8,260万年前に活動していたカルデラ火山の中に有ります。
相生湾は、そのカルデラ火山の外輪山の内側の部分となります。
この為に、海岸線を通る国道250線から国道2号線の間には、道路は有りません。
あの市長のいる相生駅はもう新幹線停めなくていい
赤穂線も今は播州赤穂で系統分離かも知れませんが、昔は山陽線ともども姫路〜岡山間の運転ではなかったですか?
(間違ってたら指摘して下さい、取り下げます)
国鉄の時代は、姫路駅から岡山駅行きの列車は、普通に有りましたね。
赤穂在住です。JRになってからもしばらくは姫路発岡山行きがありました。赤穂線は朝夕は京阪神直通で昼間は姫路行だったと思います。
その後、一時期赤穂線が昼間は相生止になって、乗換させられてました。
その後に、昼間も新快速が直通するようになり、それが姫路止になり、さらに昼間1時間に1本に減便になりました。
赤穂在住です。確かに本線が通らなくて上郡より始発が遅く終電が早いのは不遇なのかも。
でも在来線だけど遠く滋賀県まで乗換なしでいけるのだからそんなに悪くもないのでは。
みどりの窓口廃止は残念だけど他の駅もだし仕方ないかな。
諸説ありますが河本氏の影響もあるでしょうが数十年前の鉄道ジャーナルで姫路~岡山間での保守点検な観点と工業製品の輸送など当時の国鉄が考えていたと思われます。
町の規模だけを比較すると,相生や播州赤穂ではなく,
竜野に新幹線駅を置きたいと思うのではないでしょうか。
しかしながら竜野では姫路に近すぎる,播州赤穂では急カーブになる,
相生なら竜野と播州赤穂の妥協点になる,という事かも知れません。
ただ,大聖寺と動橋の妥協点だった加賀温泉駅が大出世したのに対し,
相生駅はいまいちですが。
▼
11:23
「有年駅」が、市町村合併とはいえ、赤穂市内...
そもそも赤穂郡ですが...
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7:24
洲本市...「ホテルニューアワジ」のCMか...
中京圏でも流れていたので、ビックリでした...
元々山陽本線は今の赤穂線のルートを通り、香登あたりから山陽本線へ抜ける人工密集地を通るルートが想定されていましたが、蒸気機関車が通ることへの反対運動が凄まじく、迂回せざるをえなかったと聞きます。
それゆえに新幹線も南側に逸れてまで赤穂を経由せず、赤穂線との分岐点に繋ぐことになったのではないでしょうか
相生駅は地味だが、東京から乗り換えなしでいける駅である
播州赤穂へも乗り換え1回でたどり着ける
新幹線駅については播州赤穂駅ではなく、新赤穂駅として市の北部に作れば、線形もそれほど無理なく路線は敷設できたはずです。
相生駅の新幹線駅舎は夜行新幹線を走らす計画があり姫路駅を起点としてもしものときの予備駅として出来た駅舎で西明石駅もそうみたいなので赤穂には出来ていないでしょうね。
播州赤穂駅が山陽本線で利用客が魅力的だったら岡山駅や徳山駅のように無理でもカ―ブして寄って来てくれたかもですね。
バイパスとして運用されたわけではないですが、70年代まで赤穂線経由の急行がいくつかありましたね。
播州赤穂、西大寺からの乗客を拾うため。
沼津・三島の関係と同じで、新幹線駅を作るには海に近過ぎたんだと思う。
日中は網干発着に短縮されましたが、現在でも播州赤穂発着の新快速が早朝、深夜に運転されていて、普通電車も姫路〜播州赤穂間の運転系統となっていますので、相生駅のターミナル機能が低下しつつあります。
個人的には多少線形が悪かろうが、相生をパスして姫路〜岡山間の中間点として播州赤穂に山陽新幹線が乗り入れてほしかったです。むしろ相生乗り入れが若干遠回りです。
日中の新快速はほとんど姫路行です。快速が加古川行と網干行と交互です。
西暦年と和暦年(特に昭和)が合っていないのでは?
14:58 合っていませんね。1951年(昭和26年)、1962年(昭和37年)。
因为附近有地方吧,而且相生站也是山阳新干线为数不多的高普合一,并且线路比较直的车站了
相生って駅の真北に国道2号が走ってるし土地開発の余地が無いよね
網干の車両基地が相生だったらどれだけ便利だったか…
いまや「相生まで言ってくれればいいのに!」って列車が網干止まりで、恨まれそう。
逆に済むなら網干駅徒歩圏は座って電車に乗りやすくていいですな。
国鉄あるあるです。
中央線豊田、宇都宮線小金井、高崎線籠原等々
山側ルートが選ばれたのは、他路線でもよくある国防の観点なんですかね
新幹線駅である相生駅の境遇は両隣が姫路駅・岡山駅というターミナルであり駅勢圏人口も少なくなりがちな事情が大きいと考えます。
赤穂市の新幹線アクセスの弱みである博多方面は、相生駅〜岡山駅間に「新備前駅(仮)」を整備すれば改善されると考えます。
@@ちーきチャンネル
そんなんより、広島や九州へのアクセスがだいじですな。
騒音対策して最高速度上げるとか。
@@ちーきチャンネル 相生駅に新幹線が乗り入れてしまった以上、新駅の必要はないと思います。
相生とかいう全部あ行の奇跡の地名
ローマ字にしてもaioiとたったの4文字
粟生はaoで2文字。加古川線ほか
飯井はiiで2文字。山陰本線
まぁ4文字も!って意味で述べたんでしょうけど。
相生駅、岐阜県長良川鉄道にもあります。隣り駅は郡上八幡駅です。
渡良瀬線の相老駅は被らないように異字、越美南線は美濃相生でした。
相生駅は一応ターミナルですからね。山陽新幹線の開通した1975年ごろは相生市も4万人以上の人口で赤穂市とそれほど変わらずしかも当時のIHIは業績が良かった。ここを主な票田とした当時自民党の有力者であった河本敏夫の意向がかなり強かったのは事実です。
どっちも平地がないなぁ 姫路が大発展するわけですね
赤穂も相生も赤穂コールドロン(カルデラ)の中の都市ですからね。カルデラの中の土地に平地がないのは当然のこと。
山陽鉄道が海側を通すのを海軍が嫌がった
新幹線は播州赤穂に止まる方が駅間距離を考えると妥当じゃないの
そんな風に考えていました
赤穂に山陽線の駅からの私鉄があったって聞いたことがある
一昨年にこのへんの電車に乗りましたが、行き帰りどもに姫路~岡山~の便でしたので不便ではなかったです。相生から西は山陽本線も国道も急に田舎感があり、雰囲気的には黒磯から北と同じで、違うエリアに来たと思わされます。
相生駅は河本敏夫の影響が大きかったと言われて育った元選挙区民です
姫路駅と言えば使われない謎のホームは夜行新幹線計画の名残りだとも教わりました😅
母の実家が播州赤穂なので、新幹線が来ていたらと思うと非常に残念です
@@土屋知久-s6m
「ごめんなさい!私新幹線どころか赤穂線も乗らないのよね!マイカーで..」
ってお母様から聴きましたが、息子には伝えないでね!と言われました。
播州赤穂って通称というか駅単独の呼称では?
むかーしは、相生まで新幹線で行き播州赤穂まで行っていましたが、のぞみが姫路に止まるようになって以降は姫路から播州赤穂へ行ってます。
播州赤穂と言えば真っ先に忠臣蔵を思い出す。赤穂線はその播州赤穂以西は単線で本数も一気に減る。山陽本線も相生以西と以東で雰囲気がガラッと変わるのも事実である。新快速が岡山まで延伸しない理由が垣間見える気がする。
新快速は、姫路駅以西ではただの普通列車となります。
また、朝早い時間と夜間は、新快速は姫路駅止めとなります。
車両は、227系が姫路駅に乗り入れを始めていますので新快速を岡山駅まで延伸する理由は有りません。
接続 地形など在来線は不通区間乗り換えなど運なのか?
何故に赤穂でなく相生か。IHIに尽きます。造船王国日本、隆盛を極めた名残として今でもアムテック、IHIの事業所が残存しています。身内にIHIがいますが東京からしょっちゅう相生に出張で行き来していました。ペーロン祭りも毎年行われています。駅前のビジネスホテルはけっこう繁盛しています。
相生というと、駅に近づくとかたつむりみたいなジャスコの看板を見ていたのを思い出します。
赤穂の地主が駄々をこねたと昔聞いたことがあります。昔の赤穂線は有年から周世を通っていたときいたことがありそのえいきょうがあるのかも?赤穂出身です
まさかの出来事で相生市が有名になっちゃった😅
立花孝志さんのお陰で斎藤知事当選。
山陽新幹線の駅設置の理由を現在の価値観で考察することに意味があるのだろうか。
▼
7:24
三木市の宿泊数も結構ありますね...
以前取材された、神鉄粟生線、加古川線も含めて、再考察お願いしたいです!!
ネスタリゾート神戸がじつは三木市にありますからね
@くんやお-h9m さん
そうなんだ!!
ネスタリゾート目当ての宿泊は、思いもよりませんでした。
昔のアスレチックセンター、「風雲たけし城」(TBS)のようなアトラクション... 響くんでしょうなぁ...
三木市の経済に恩恵があることは、嬉しい限りですね...(ありゃ、隣の小野市は...)
新幹線が在来線の別線として作られたなか、昔は格がどうかとかこだわりでものを言っていた時代だったので、シンプルに本線上の駅を差し置いて、支線の駅に新幹線駅を併設するという発想がシンプルになかっただけだと思います。
また、赤穂市に宿泊客が多いのは、御崎に温泉があるからで、都市規模とはあまり関係ないと思います。
勾配が緩やかで、長年の浸食により周辺にある程度の平地が造られた、川沿いが鉄道敷設に向いていたと思います。
ある山陽線の元・機関士さんのお話として山陽線船坂峠の連続勾配はセノハチ以上に事実上運転しづらく、赤穂線は将来の単線高速化がしやすい線形にしていたと伺いました。今でこそ相生⇔播州赤穂は新快速がぶっ飛ばす時代ですが宇野線と電化当時の赤穂線は国鉄時代において変電所の容量不足から架線電圧のドロップに泣かされたそうです。
岡山県備前市の住民は結構赤穂のイオンに遊びに行くからね。
7:53 洲本市も結構多いのはホテルニュー◯ワジの力かも。
この辺の駅の独特な存在感すこ
戦前だと赤穂市は海運のほうが早いとかあるのかもしれない
船坂峠直前まで赤穂市の市域は広がっていて、船坂峠と赤穂市の最短距離って実は300mくらいなんだよね。
赤穂在住です。上郡町も相生市の大部分も赤穂郡です。上郡と赤穂は合併の話がありましたが、赤穂市の住民投票で大差で否決されました。その後、赤穂と上郡と備前市で定住自立圏になっています。相生は元赤穂郡ですが参加してません。
住民はそうでもないと思いますが、相生と赤穂、市役所同士はライバル意識がかなり強いと聞いたことがあります。昔は同じ赤穂藩でもちろん中心は赤穂だったのが、相生が造船で先に市になったけど、その後不況で落ち込んだ。その頃から逆に赤穂は元塩田跡に住友セメント等の工場を誘致して人口も増えた。下水道の普及率や公園の面積とかで、赤穂市は住みよい町にランクされたりもした。市内に大きな病院が2つもあって医療面でも周辺の市町より充実した。市民病院もあんな事件があるまでは、むしろ評判高い病院だった。中央病院は昔は古城病院といって、ベッド数の下限ギリギリくらいの規模やったけど、市内の産業医とかされて、だんだんと周辺を買収して大きくなり、伯鳳会グループになって、医療系専門学校や大阪にも進出してる。
市長が台バンしたからである。
1:58 一部のスーパーはくとは停まるらしいですね
駅前全然人いなくて草。
他の方の動画でも「謎の終点駅」と言われるだけありますね。
坊主様ご指摘通り播州赤穂駅に新幹線を通すには線形が悪すぎます。
@@terribleivan8771
新幹線は京阪神以東と岡山以西をいかに速く結ぶか!で、姫路〜岡山の中間駅など、ついで!でしかないしね。
播備地区に限らず瀬戸内の海岸地域は地盤が軟弱なんよ。なのでそもそも鉄道敷設には向いてないのよな。
幹線格の山陽本線🆚貧弱な赤穂線,その差は歴然。新大阪⇔博多の速達性を考慮して相生>播州赤穂になったのでは?
赤穂に新幹線が来ていたら、新快速の行き先は変わっていたでしょうね。
赤穂線全通1962年は、昭和32年ではなく昭和37年です。
赤穂の隣の坂越駅の近くに、秦氏をまつる大避神社があります。
ユダヤ人伝説のある神秘的なお社です。
1:21 1:43 2:38 3:30 赤穂 4:27 6:11 9:36 理由 11:05 15:51 通勤 17:34
現在はすっかり斜陽産業になった造船業が盛んだった名残り
夜行新幹線構想も後押しした
今となっては山陽新幹線は過剰な設備ばかりが目立つ
乗継割引があったときは相生→岡山は便利だったな笑
相生まで行くの面倒だから、そこまでケチらず新大阪から始発→岡山から四国ややくも!だったけど。
青春18でどこかで時短するなら、相生→岡山新幹線でショートカットも良かった。
1962年は昭和37年では?