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サヤ420形は元々421系への転用が決まっていた車両でした(実際座席は既に設置されていたし、台車も電動車用のものを使用)。ただ、1年の間に423系へ製造が移行してしまったことから、転用先の421系をわざわざ追加新製することになるということに…。1966年2月に落成した、サヤ420形転用後の編成は以下の通り(電動車は既存のユニットの追番。クハ421形の車番は423系用クハ421形に割り込む形で付番)。後にあの床置き式冷房装置設置の対象に含まれました。クハ421-62 - モハ420-21(サヤ420-1) - モハ421-21 - クハ421-61クハ421-64 - モハ420-22(サヤ420-2) - モハ421-22 - クハ421-63クハ421-66 - モハ420-23(サヤ420-3) - モハ421-23 - クハ421-65※モハ420形(←サヤ420形)のみ川崎車輌。あとの3形式は日立製作所。1966年南福岡に落成配置後、1969年時点で大分に転属。
この時 必要となるモーター(MT46)は 奇しくも九州へご案内していた151系を 181系に改造した際に発生したものから調達したそうですね。
まあ、サヤは客車で無く。クヤみたいに事業用電車ですね。電化区間延長工事で増産が予定されていたのでモハだけ先行発注されました。401系から415系といえば、常磐線や日豊線で新聞輸送に使用された事がありました。
九州の415系は鋼製車が全て引退となり、ステンレス車を残すのみとなりました。新型の関門用交直流車が登場すれば、引退となるでしょうね。
『DENCHA』が投入されるという噂もありますね。
関門直通は、一時的に、電気が消えるだけでなく無音になるのが、なんとも儀式的で魅力です。
15:57ときわ2号は上野-水戸間をわずか26分で走破したのか。新幹線も真っ青だな。
すみません...編集ミスです。申し訳ないです。
鹿児島本線423系は高校時代の三年間みっちりお世話になりました。あの唸るようなモーター音好きだったなあ。
421系が九州に配置され、設定された快速電車は小倉~博多間を58分で走破。因みに特急かもめ号は小倉17:52発博多着18:55、後続の快速列車は小倉18:05発博多着19:03だから、小倉発車時点で13分の差が博多着時点で8分まで縮まる。なんと快速が特急より早く走っている結果に。
常磐線の沿線民ではなかった私。415系も485系も交直セクション通過時に室内灯が消えるのは、何度通っても苦手でした。E531やE657は消えないので、今後は交直セクションで室内灯が消えていたことすら知らない方も増えていくのでしょう…7+4+4の15両で爆走していた415系が懐かしくなりました。
E531でも稀に交直セクションで室内灯消えますよ。確か床下のバッテリーに余裕無い時など…
『サヤ420』は 1年ちょっとで本来のモハ420となって421系の編成に組み込まれ 車両としては『元のサヤ(鞘)』におさまった訳ですね。16:33 401系低窓タイプが赤電時代に『急行』幕を出して 友部や土浦・我孫子にやって来たのを何度か見た事がありましたが 時間的な問題もあったのでしょうが 何れもお客さんの乗りが悪かった印象でした。通勤電車を本当に客車化した車両は 元西武の電車を改造した 大鐵や津鉄 元京王5000系改造の わ鉄の例がありますね。
組み込んだというか、421系の他の3形式をわざわざ新製してるんですけどね。
@@takanx9801 元々421系として増備する予定の編成の内モハ420のみ先行落成させる形でサヤ420として電源車にしたもの。既に481系を投入することは既定だったのでそのあかつきにはモハ420として運用する予定でいわばショートリリーフ的な存在だった。
通勤電車を客車に改造というと、戦後混乱期の車両不足で被災車両を復旧させた一部の70系客車を思い浮かべる。そんな時代になってはいけないけど。とはいえ、最後は救援車となって80年代初めまで残ってました。
@@hisakounosuke2474 改造ではないけど、客車になった電車と言えばかなり前に三池炭鉱専用鉄道にあったサハ78形ベースの従業員輸送車を連想する。
6:28 時速130キロ運転は伊達じゃない…
でもE531系は本来E501、E231と同じ120km/h運転にする予定だったけどTXが速過ぎるせいで無理矢理130km/h出すようにしたらしいから無茶してるという…E233系3000番台はE531と似てる足回りながら設計120km/hなのはTXみたいな高速度で走るライバルがいないから本来のMT75にとって丁度良い120km/hにしたとか…
国鉄415系、九州で登場してしばらくは「淡いピンク」色だったのを思い出した。海を挟んだ本州は、お馴染みのオレンジと緑のツートン。
常磐線,高崎線に旧型客車の普通列車が走っていた時代と現在の4ドア(🍀連結)では様変わりですね.415-1600に乗車したが如何にも試作車と云う感じです.年配者は赤電🛑と呼んでいた.
常磐線の赤電は普通列車でありながら快速の上位に位置し停車駅も少なかったが万博前頃には本数が少なく取手以北はあまり便利とは言えず土浦以外はあまり減ってNもしていなかった。常磐線の遜色急行は冷房車が入ってから優先的に使われていたのでただでさえ少ない冷房車を夏に利用する事ができない状態でした。
423系が登場した後なのに421系として登場させたのは151系や161系を181系化する時に発生するMT46モーターを活用する為だったのかなぁ?同時期の新製101系にもお下がりのMT46モーターを取付けて登場した個体もあるのでは?とも思います。
JR東日本で増備した1500番台の後半は60Hz装備をしていない、実は403系だろがよ!という車両。残っているEF81も機器を取ったり配線カットしたかもね。
415乗る時は上野からだと先頭まで行って連結の組み合わせ確認しに行ったな
415は残念ながら運用離脱中。疎開地から順次廃車されています😢
客車に魔改造された電車といえば日立の工場に行った東急デハ3200やデハ6000。
415系の急行と言えば「能登路」もありましたね。
たしか能登路5号和倉温泉行でしたね
来週455系乗ってきます
鹿児島本線で乗った上り列車にモハ420-23が入っていたので車内くまなく観察したけれど…当然ながらサヤ420の面影など皆無だった(^^);もう40年前の昔話(^^);
正直401・421系列と403・423系列の違いって分からんよね415系は丸目じゃないから区別つくけど
ローズピンク時代の登場時は 正面おでこに線があるのが50Hzで 車体裾に線があるのが60Hzと分けられていましたが いつしか消されてしまいましたね。
その415系初期車もデカ目・非冷房・非ユニット窓と403,423と同一見た目だったかと、
よく分かってますね。
まさに迷列車かよ
新性能電車の近郊型の嚆矢は確かに401・421系だけどその原型は戦前のモハ51・クハ68に遡るよ。それが戦後モハ70・モハ71・クハ76・サロ46(後にサロ75)の所謂スカ型70系に繋がりそれを新性能電車に採用したのが401・421系。それが直流の111・113・115系にフィードバックされた。401・421系と403・423系の関係は丁度111系と113系の関係、451・471系と453・473系の関係と同じ。ただM車のモーターがMT-46からMT-54に代わり20%の出力UPしたもの。故にM車・M’車は形式が変わったけれどTc・Ts・T車は形式変更なしで追番となった。尚485系や457系に見られる様に、M車は周波数やモーター出力で形式が変わってもT車は共通形式となる交直両用車なのに401~423系はTc車も其々形式が違うのは搭載機器が違う為。確か其々の周波数に合わせた関係で共用出来なかったとのこと。
昭和の時代でも、415系[急行]がきたらボッタクリじゃない?平成だと、普通列車に旧グリーン車用座席車が移植された車両あったし。
サヤ420形は元々421系への転用が決まっていた車両でした(実際座席は既に設置されていたし、台車も電動車用のものを使用)。ただ、1年の間に423系へ製造が移行してしまったことから、転用先の421系をわざわざ追加新製することになるということに…。
1966年2月に落成した、サヤ420形転用後の編成は以下の通り(電動車は既存のユニットの追番。クハ421形の車番は423系用クハ421形に割り込む形で付番)。
後にあの床置き式冷房装置設置の対象に含まれました。
クハ421-62 - モハ420-21(サヤ420-1) - モハ421-21 - クハ421-61
クハ421-64 - モハ420-22(サヤ420-2) - モハ421-22 - クハ421-63
クハ421-66 - モハ420-23(サヤ420-3) - モハ421-23 - クハ421-65
※モハ420形(←サヤ420形)のみ川崎車輌。あとの3形式は日立製作所。1966年南福岡に落成配置後、1969年時点で大分に転属。
この時 必要となるモーター(MT46)は 奇しくも九州へご案内していた151系を 181系に改造した際に発生したものから調達したそうですね。
まあ、サヤは客車で無く。クヤみたいに事業用電車ですね。電化区間延長工事で増産が予定されていたのでモハだけ先行発注されました。401系から415系といえば、常磐線や日豊線で新聞輸送に使用された事がありました。
九州の415系は鋼製車が全て引退となり、ステンレス車を残すのみとなりました。
新型の関門用交直流車が登場すれば、引退となるでしょうね。
『DENCHA』が投入されるという噂もありますね。
関門直通は、一時的に、電気が消えるだけでなく無音になるのが、なんとも儀式的で魅力です。
15:57ときわ2号は上野-水戸間をわずか26分で走破したのか。
新幹線も真っ青だな。
すみません...編集ミスです。
申し訳ないです。
鹿児島本線423系は高校時代の三年間みっちりお世話になりました。あの唸るようなモーター音好きだったなあ。
421系が九州に配置され、設定された快速電車は小倉~博多間を58分で走破。
因みに特急かもめ号は小倉17:52発博多着18:55、後続の快速列車は小倉18:05発博多着19:03だから、小倉発車時点で13分の差が博多着時点で8分まで縮まる。
なんと快速が特急より早く走っている結果に。
常磐線の沿線民ではなかった私。415系も485系も交直セクション通過時に室内灯が消えるのは、何度通っても苦手でした。E531やE657は消えないので、今後は交直セクションで室内灯が消えていたことすら知らない方も増えていくのでしょう…
7+4+4の15両で爆走していた415系が懐かしくなりました。
E531でも稀に交直セクションで室内灯消えますよ。確か床下のバッテリーに余裕無い時など…
『サヤ420』は 1年ちょっとで本来のモハ420となって421系の編成に組み込まれ 車両としては『元のサヤ(鞘)』におさまった訳ですね。
16:33 401系低窓タイプが赤電時代に『急行』幕を出して 友部や土浦・我孫子にやって来たのを何度か見た事がありましたが 時間的な問題もあったのでしょうが 何れもお客さんの乗りが悪かった印象でした。
通勤電車を本当に客車化した車両は 元西武の電車を改造した 大鐵や津鉄 元京王5000系改造の わ鉄の例がありますね。
組み込んだというか、421系の他の3形式をわざわざ新製してるんですけどね。
@@takanx9801 元々421系として増備する予定の編成の内モハ420のみ先行落成させる形でサヤ420として電源車にしたもの。既に481系を投入することは既定だったのでそのあかつきにはモハ420として運用する予定でいわばショートリリーフ的な存在だった。
通勤電車を客車に改造というと、
戦後混乱期の車両不足で被災車両を復旧させた一部の70系客車を思い浮かべる。
そんな時代になってはいけないけど。
とはいえ、最後は救援車となって80年代初めまで残ってました。
@@hisakounosuke2474 改造ではないけど、客車になった電車と言えばかなり前に三池炭鉱専用鉄道にあったサハ78形ベースの従業員輸送車を連想する。
6:28 時速130キロ運転は伊達じゃない…
でもE531系は本来E501、E231と同じ120km/h運転にする予定だったけどTXが速過ぎるせいで無理矢理130km/h出すようにしたらしいから無茶してるという…
E233系3000番台はE531と似てる足回りながら設計120km/hなのはTXみたいな高速度で走るライバルがいないから本来のMT75にとって丁度良い120km/hにしたとか…
国鉄415系、九州で登場してしばらくは「淡いピンク」色だったのを思い出した。海を挟んだ本州は、お馴染みのオレンジと緑のツートン。
常磐線,高崎線に旧型客車の普通列車が走っていた時代と現在の4ドア(🍀連結)では様変わりですね.415-1600に乗車したが如何にも試作車と云う感じです.年配者は赤電🛑と呼んでいた.
常磐線の赤電は普通列車でありながら快速の上位に位置し停車駅も少なかったが万博前頃には本数が少なく取手以北はあまり便利とは言えず土浦以外はあまり減ってNもしていなかった。常磐線の遜色急行は冷房車が入ってから優先的に使われていたのでただでさえ少ない冷房車を夏に利用する事ができない状態でした。
423系が登場した後なのに421系として登場させたのは
151系や161系を181系化する時に発生するMT46モーターを活用する為だったのかなぁ?
同時期の新製101系にもお下がりのMT46モーターを取付けて登場した個体もあるのでは?とも思います。
JR東日本で増備した1500番台の後半は60Hz装備をしていない、実は403系だろがよ!という車両。
残っているEF81も機器を取ったり配線カットしたかもね。
415乗る時は上野からだと先頭まで行って連結の組み合わせ確認しに行ったな
415は残念ながら運用離脱中。疎開地から順次廃車されています😢
客車に魔改造された電車といえば日立の工場に行った東急デハ3200やデハ6000。
415系の急行と言えば「能登路」もありましたね。
たしか能登路5号和倉温泉行でしたね
来週455系乗ってきます
鹿児島本線で乗った上り列車にモハ420-23が入っていたので車内くまなく観察したけれど…当然ながらサヤ420の面影など皆無だった(^^);もう40年前の昔話(^^);
正直401・421系列と403・423系列の違いって分からんよね
415系は丸目じゃないから区別つくけど
ローズピンク時代の登場時は 正面おでこに線があるのが50Hzで 車体裾に線があるのが60Hzと分けられていましたが いつしか消されてしまいましたね。
その415系初期車もデカ目・非冷房・非ユニット窓と403,423と同一見た目だったかと、
よく分かってますね。
まさに迷列車かよ
新性能電車の近郊型の嚆矢は確かに401・421系だけどその原型は戦前のモハ51・クハ68に遡るよ。それが戦後モハ70・モハ71・クハ76・サロ46(後にサロ75)の所謂スカ型70系に繋がりそれを新性能電車に採用したのが401・421系。それが直流の111・113・115系にフィードバックされた。401・421系と403・423系の関係は丁度111系と113系の関係、451・471系と453・473系の関係と同じ。ただM車のモーターがMT-46からMT-54に代わり20%の出力UPしたもの。故にM車・M’車は形式が変わったけれどTc・Ts・T車は形式変更なしで追番となった。尚485系や457系に見られる様に、M車は周波数やモーター出力で形式が変わってもT車は共通形式となる交直両用車なのに401~423系はTc車も其々形式が違うのは搭載機器が違う為。確か其々の周波数に合わせた関係で共用出来なかったとのこと。
昭和の時代でも、415系[急行]がきたらボッタクリじゃない?平成だと、普通列車に旧グリーン車用座席車が移植された車両あったし。