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5:29に非常に珍しいオハ35が背景に使われている。ノーシルノーヘッダー仕様か!ありがとうございました🙇
米原のオハ35で北陸本線で使われてたハコですね。米原発長岡行きの長距離鈍行にも使われてました。宿泊施設だったかに引き取られたんですが、解体されて現存しないのが残念です。現役時代にジャーナルとかにも出てたと思います。
取り敢えず走れるようにしたから、定時運行の確保とかは後で技術的に解決しろよ〜…という先人の声が聞こえてきそうです😅とれいゆE3系、懐かしかったな😊
小さい頃(おおっと歳がバレる)山形新幹線が開通する前、EF71とED78の重連が50系客車を牽いて運行しているのを何度も見ていました。米沢~福島間の乗客が少ない区間で50系客車を2両だけ牽くのに、EF71とED78の重連で運用されているのを見て「何で2両だけ牽くのにこんな大がかりな重連機関車なんだろう?EF71ってかなり強力な機関車のハズなのに」と疑問に思ったのですが、単に制御が難しすぎるじゃじゃ馬だったので、仕方なくED78をお守りにつけていたのですね…
赤い機関車と客車が秀逸でしたね。
詳しい解説でやっと理解が出来ました。ありがとうございます。1974年の夏至の日の早朝に山形市内に響き渡る長い編成の走行音から深夜に雨が降ると重い20系の編成ではスリップして板谷を登れなくなると推測しました。それまでは時刻の関係でEF71牽引のあけぼの号の走行中の姿をカメラに収めるのは不可能だと思っていましたが同年の6月25日の早朝、当方の撮影スポットである市内南部のS字カーブの橋梁に行く途中であけぼの号に遭遇。翌年の夏至にS字橋梁を行く姿をカメラに収める事が出来ました。
EF71の半導体をフルに使い、モーターをED78と同じものにした機関車も見たかった。
「平坦区間を如何に高速で走るか」の様に「勾配区間を如何に定時運転するか」な課題。今は「先人が解決手段を元に、如何に運用するか」ですね。
誤字 ×サイリスタ移送制御⇒〇サイリスタ位相制御それから20系「あけぼの」が空転多発で板谷峠を単機で登れなかったのは、20系客車がトイレ改良などで新造時よりも重くなっており、これを新造時の重量で計算して編成したので、編成全体の重量がEF71の牽引定数をオーバーしていたからです。当時、旧型客車を連ねた長編成の急行「おが」が単機でラクラク峠越えしていたのに、軽量の20系客車が登れないのはおかしい、機関士の腕が悪いとまで言われていたそうです。
交流と直流の説明ありがとうございました。
板谷峠は山形新幹線開業前に485系[つばさ]で通過しました関西出身のため峠越えは生野峠(播但線)しか経験しておらず奥羽山脈の険しさを実感した次第.
未電化最後のE10もここ専用に作ったため短命だったなぁ
しばらく前になりますが利府森郷公園のED91がお亡くなりに成りました…合掌🙏
参考にさせていただいています。ありがとうございます。
1989,3,14の未明、青森発のあけぼの4号で71+78ペア列車に乗りましたね。峠区間はトンネルが多いから「タタン タタン ドオォォォ〜」ってうるさくて目が覚めちゃったんですよ。下り坂を走ってるときに窓のカーテンを少し開けたら、右カーブで列車の先頭まで望めました。おそらくは赤岩を過ぎた辺りでしょうか。側面行き先表示器の点々とした灯りの前に機関車の黒い空間があり、ハイビームに照らされた真っ白な豪雪の軌道と山の夜景が今も記憶に焼き付いています。
乗務員からは動軸が6軸のEF71の方が信頼されていたそうです。
動軸4輪のメリットって?😮
流石にEF64牽引の客車列車には乗れませんでしたが、ED78の牽く旧型客車には何度か18きっぷ利用で乗車したことを覚えています。5両だったか編成が長かったので、ゆったり乗れました。その後に50系に置き換えられて味気なくなり、更に電車化で全くあの頃の味わいは失せてしまいましたね。
71・78出た時代にVVVFがあったらどうなってだのだろうか……
昔の秋田駅。懐かし♪💕
板谷峠、ブルトレは昔から71と78の重連だったが、荷物車付き旧客時代の普通列車は71単機牽引でした。因みに山形以北は75-700牽引で78は見ても71を見ることはありませんでしたね。
本当にその重連で間違いないのかな。
20系時代はEF71単機だったと思います。24系になって牽引定数が増えて重連になりました。この改正で所要両数が増えてED7812、13が増備されました。ED78の山形以北入線は仙山線運用の為で羽前千歳までです
冬季の積雪期には空転が多発して重連運転していた様ですね
20系はナ級でも途中から循環式汚物処理装置などの取り付けでオ級に近くなって重連が必要になったと読んだ事があるので昔からでは無いですね。
71は、臨客で新庄まで入った事があります。
雪道をトルクのあるスポーツカーで走るのと同じかな?
JR最急勾配は飯田線じゃなかったかな?わずかな距離だけど!
幹線扱いでは奥羽本線ですねJR全線では飯田線の40‰が最急勾配です
ED62なら飯田線40‰単機牽引余裕でしたよ。わすかな距離だけど!
EF15を見ると、なぜか風の谷のナウシカに出てきた『オウム』を思い出します。無機質に並ぶ社窓が眼に、運転席前の飛び出た連結器部分がオウムの前足に見えるからだと思います。個人の感想です(笑)
細かい事を言うけど茂庭もにわ😅
EF71の空転対策として国鉄は重りを載せて軸重を16→16.8㌧にしたのだった。それをする前にモーターの全並列接続化や大容量サイリスタへの載せ替えを試そうと思わなかったのかな?1軸あたり0.8㌧てことは1両で4.8㌧重くできるのに。
それもはや別形式の機関車開発と同じかと。国鉄は資金尽きてましたね。
EF71を青函トンネルに転用できなかったものだろうか?EDの重連よりもEFの単機の方が良かったかと。
青函のED79って重連で使われていたのでしょうか?寝台特急もはまなすも海峡も旅客は基本的にED79単機でした。
青函トンネルは東北・北海道両方から電源を引き込んでいるため、途中で絶縁区間(交交セクション)を作らなければなりませんが、電源の分離・絶縁のためには車軸より前にパンタグラフがあってはならなかったそうです。とはいえこうした問題は運用でパンタグラフを進行方向後位限定とすれば済む話で、使用する交流電気機関車さえ決め打ちしてしまえばどうとでもなる問題でしたが(JR西日本のATS-P車上子の取付位置のJR東日本・東海との非互換性のように)、実際は『大量に余る』EF75を種車に改造を施すのが得策だと判断されたのでしょう。少数しかない電気機関車は、改造したところで運用・保守上も手を焼きますから……。
貨物はED79 0番台と100番台の重連だったはず。旅客は0番台の単機ですね。100番台だけでは青函トンネルには進入出来なかったとおもいます。
客車列車、貨物列車の減少で大量のED75 700番台の余剰が出たため。羽越本線・奥羽本線の塩害・雪対策で屋根上の交流機器を室内に移し、集電装置が先頭動輪より後位であること、経年が10年程度であることなど、青函トンネル専用機関車の種車に適していました。
5:29に非常に珍しいオハ35が背景に使われている。
ノーシルノーヘッダー仕様か!
ありがとうございました🙇
米原のオハ35で北陸本線で使われてたハコですね。米原発長岡行きの長距離鈍行にも使われてました。宿泊施設だったかに引き取られたんですが、解体されて現存しないのが残念です。現役時代にジャーナルとかにも出てたと思います。
取り敢えず走れるようにしたから、定時運行の確保とかは後で技術的に解決しろよ〜…という先人の声が聞こえてきそうです😅
とれいゆE3系、懐かしかったな😊
小さい頃(おおっと歳がバレる)山形新幹線が開通する前、EF71とED78の重連が50系客車を牽いて運行しているのを何度も見ていました。米沢~福島間の乗客が少ない区間で50系客車を2両だけ牽くのに、EF71とED78の重連で運用されているのを見て「何で2両だけ牽くのにこんな大がかりな重連機関車なんだろう?EF71ってかなり強力な機関車のハズなのに」と疑問に思ったのですが、単に制御が難しすぎるじゃじゃ馬だったので、仕方なくED78をお守りにつけていたのですね…
赤い機関車と客車が秀逸でしたね。
詳しい解説でやっと理解が出来ました。ありがとうございます。
1974年の夏至の日の早朝に山形市内に響き渡る長い編成の走行音から
深夜に雨が降ると重い20系の編成ではスリップして板谷を登れなくなると推測しました。
それまでは時刻の関係でEF71牽引のあけぼの号の走行中の姿をカメラに収めるのは不可能だと思っていましたが
同年の6月25日の早朝、当方の撮影スポットである市内南部のS字カーブの橋梁に行く途中であけぼの号に遭遇。
翌年の夏至にS字橋梁を行く姿をカメラに収める事が出来ました。
EF71の半導体をフルに使い、モーターをED78と同じものにした機関車も見たかった。
「平坦区間を如何に高速で走るか」の様に
「勾配区間を如何に定時運転するか」な課題。
今は「先人が解決手段を元に、如何に運用するか」ですね。
誤字 ×サイリスタ移送制御⇒〇サイリスタ位相制御
それから20系「あけぼの」が空転多発で板谷峠を単機で登れなかったのは、20系客車がトイレ改良などで新造時よりも重くなっており、これを新造時の重量で計算して編成したので、編成全体の重量がEF71の牽引定数をオーバーしていたからです。
当時、旧型客車を連ねた長編成の急行「おが」が単機でラクラク峠越えしていたのに、軽量の20系客車が登れないのはおかしい、機関士の腕が悪いとまで言われていたそうです。
交流と直流の説明ありがとうございました。
板谷峠は山形新幹線開業前に485系[つばさ]で通過しました関西出身のため峠越えは生野峠(播但線)しか経験しておらず奥羽山脈の険しさを実感した次第.
未電化最後のE10もここ専用に作ったため短命だったなぁ
しばらく前になりますが利府森郷公園のED91がお亡くなりに成りました…合掌🙏
参考にさせていただいています。
ありがとうございます。
1989,3,14の未明、青森発のあけぼの4号で71+78ペア列車に乗りましたね。
峠区間はトンネルが多いから「タタン タタン ドオォォォ〜」ってうるさくて目が覚めちゃったんですよ。
下り坂を走ってるときに窓のカーテンを少し開けたら、右カーブで列車の先頭まで望めました。
おそらくは赤岩を過ぎた辺りでしょうか。
側面行き先表示器の点々とした灯りの前に機関車の黒い空間があり、ハイビームに照らされた真っ白な豪雪の軌道と山の夜景が今も記憶に焼き付いています。
乗務員からは動軸が6軸のEF71の方が信頼されていたそうです。
動軸4輪のメリットって?😮
流石にEF64牽引の客車列車には乗れませんでしたが、ED78の牽く旧型客車には何度か18きっぷ利用で乗車したことを覚えています。
5両だったか編成が長かったので、ゆったり乗れました。
その後に50系に置き換えられて味気なくなり、更に電車化で全くあの頃の味わいは失せてしまいましたね。
71・78出た時代に
VVVFがあったら
どうなってだのだろうか……
昔の秋田駅。
懐かし♪💕
板谷峠、ブルトレは昔から71と78の重連だったが、荷物車付き旧客時代の普通列車は71単機牽引でした。
因みに山形以北は75-700牽引で78は見ても71を見ることはありませんでしたね。
本当にその重連で間違いないのかな。
20系時代はEF71単機だったと思います。24系になって牽引定数が増えて重連になりました。この改正で所要両数が増えてED7812、13が増備されました。ED78の山形以北入線は仙山線運用の為で羽前千歳までです
冬季の積雪期には空転が多発して重連運転していた様ですね
20系はナ級でも途中から循環式汚物処理装置などの取り付けでオ級に近くなって重連が必要になったと読んだ事があるので昔からでは無いですね。
71は、臨客で新庄まで入った事があります。
雪道をトルクのあるスポーツカーで走るのと同じかな?
JR最急勾配は飯田線じゃなかったかな?
わずかな距離だけど!
幹線扱いでは奥羽本線ですね
JR全線では飯田線の40‰が最急勾配です
ED62なら飯田線40‰単機牽引余裕でしたよ。
わすかな距離だけど!
EF15を見ると、なぜか風の谷のナウシカに出てきた『オウム』を思い出します。
無機質に並ぶ社窓が眼に、運転席前の飛び出た連結器部分がオウムの前足に見えるからだと思います。
個人の感想です(笑)
細かい事を言うけど
茂庭
もにわ😅
EF71の空転対策として国鉄は重りを載せて軸重を16→16.8㌧にしたのだった。
それをする前にモーターの全並列接続化や大容量サイリスタへの載せ替えを試そうと思わなかったのかな?
1軸あたり0.8㌧てことは1両で4.8㌧重くできるのに。
それもはや別形式の機関車開発と同じかと。国鉄は資金尽きてましたね。
EF71を青函トンネルに転用できなかったものだろうか?EDの重連よりもEFの単機の方が良かったかと。
青函のED79って重連で使われていたのでしょうか?
寝台特急もはまなすも海峡も旅客は基本的にED79単機でした。
青函トンネルは東北・北海道両方から電源を引き込んでいるため、途中で絶縁区間(交交セクション)を作らなければなりませんが、電源の分離・絶縁のためには車軸より前にパンタグラフがあってはならなかったそうです。
とはいえこうした問題は運用でパンタグラフを進行方向後位限定とすれば済む話で、使用する交流電気機関車さえ決め打ちしてしまえばどうとでもなる問題でしたが(JR西日本のATS-P車上子の取付位置のJR東日本・東海との非互換性のように)、実際は『大量に余る』EF75を種車に改造を施すのが得策だと判断されたのでしょう。
少数しかない電気機関車は、改造したところで運用・保守上も手を焼きますから……。
貨物はED79 0番台と100番台の重連だったはず。旅客は0番台の単機ですね。100番台だけでは青函トンネルには進入出来なかったとおもいます。
客車列車、貨物列車の減少で大量のED75 700番台の余剰が出たため。羽越本線・奥羽本線の塩害・雪対策で屋根上の交流機器を室内に移し、集電装置が先頭動輪より後位であること、経年が10年程度であることなど、青函トンネル専用機関車の種車に適していました。