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昭和時代に小中高と通っていた家の近所の模型店の親父さんが、元日本陸軍パイロットだった。満州で一〇〇式司令部偵察機に乗っていたらしいが、あまりその話はしたがらなかった。冬の満州はものすごく寒いから、エンジンを温めるのにエンジンの下にドラム缶を置いて、そこで火を燃やして温めたなんて言う話は、他の誰にも聞いた事が無い話で新鮮だった。
ドイツ軍が真冬のロシアだと戦車のオイルが固まるので、戦車の下で火を焚いていたらしい。焼いたレンガを置いていただったかも。
あっドラム缶で炭炊いて暖気した話じいちゃんに聞きました。中国の奥地で寒さに慣れる訓練した時にって言ってました。
ソ連の戦車兵は、冬場は、T-34の車体後方の下の地面を掘り下げて焚火したそうです。エンジンとギアが凍った状態でエンジンかけるとギア軸が折れるそうで。軽油は、焚火程度の温度では炎上しないから焚火は問題無かった。なお、ドイツの焼夷砲弾だと、軽油は炎上する。
大好きな航空機です。小学生の頃、ゼロ戦より好きでした。戦略偵察機、いい響き。究極がSR-71なわけだな。あれも好きだった。
コニカ写真機とサクラフイルムが秀逸だった。戦後の経済を支えた技術です。
旧陸軍は、大陸での対ソ戦の意識もあって、その航空隊は 航空撃滅戦を強く意識して航空装備の開発を行いました。元来、偵察機というのは他機種の流用や改造で間に合わせる運用も多い(現在でも戦闘機や攻撃機、爆撃機の偵察機バージョンが存在してる)それを 武装も廃止して、高速性能に特化して、航空優勢のない敵地奥深くに侵入して、情報を持ち帰る機体を実戦装備化したのは慧眼だと言える。まさに戦略偵察機の走りだといえる。陸軍は、他に偵察機として、軍偵察機という機種、爆撃機も直協爆撃機という、前線の戦術用途に特化した機種も開発しており航空戦の思想として一定のレベルに達してたと思う。ただ、技術的なレベルの差や、生産力の差は、やはり克服できなかったしそれに付け加えて、「情報」には、インフォメーションとインテリジェンスがある訳だが司令部偵察機などでインフォメーションを得ることが出来ても、インテリジェンスとして、有用に活用できる能力や体制構築は不十分だったと言える。そして、このインテリジェンス能力の懸念は、現在の日本にも そのまま当てはまるようにも思う。
世界初の戦略偵察機とも言われていますが、欧米では戦闘機や攻撃機を転用する事で間に合っていたのを、日本は貧弱なエンジンを最大限に生かすべく専用設計していたという事でもあるんですよね。でもドイツ製液冷エンジン双発の一〇〇式ってまさにロマン。三型に合計三千馬力となったらどれだけ出たやら…。
偵察専用機を作る必要があった理由として、戦域が欧州戦線よりはるかに広いってのがありますね。速度と航続距離を両立させるために専用設計の双発機がマストだったんではないかと。海軍も長距離偵察機として二式陸上偵察機(夜間戦闘機月光の母体)を開発してますが、欲を出して武装ありで戦闘能力も持たせた結果、速度が500km/hと遅く高空性能もイマイチで、F4FやP-40にも簡単に撃墜され、陸軍から100式を借りるきっかけになりました。
3型は1500hp×2=3000hpですよ。
@@はいじーーー 彗星の偵察型、整備スキル違うし数も足りない、前作も借りた実績から100式司偵借り受ける以外の道ありませんしね
伯父さんにひいおじいちゃんだったかひいひいおじいちゃんがその専用設計を考案し採用され東条英機から勲章をもらい都会の一等地を数億円分ほどもらったという話は効いたことある下の名前は忘れたけど十森家の人間らしい本当なのかは知らない
今、タミヤの1/48を製作中。
あ~私それ新発売の時に買って積んでますw
壊したい
ドラマ「不毛地帯」でCGで出てきた時に「おぉっ!」ってなった
時速600Kⅿ/hでる偵察機ですね。新型機登場とともに次期新型機を開発するのはこの当時当たり前でした。戦時2年、平時4年というのが、機体の通用寿命でしたからね。
今回もありがとう御座いました✨イラストはフランさんの軍服の指立てるやつが一番好きです!!😆✨
100式といえば、段無しのⅢ型が有名でしょうね。他には見ない空気抵抗を考えたキレイな形です。
ただしコクピットからの視界は歪みが酷かったらしいですこの辺は現代でも程度の差はあれF-16でも一つ一つ風防歪み測定して照準器の調整が必要なのと変わりません
段無しの方が技術的には優れていると思うけど、段有のシルエットの方が好きかな。
残念ながら段無しはメリットよりデメリットが大きかったらしく、4型では段ありに戻ってしまいましたね。
@@001lonestar7 百式司偵のプラモ1/48でⅡ型が欲しいけど無いんだよな
@@鈴木むめお 意外。格好良いと思うのに。
生産数 1700機は偵察機としては意外と多数ですね。
紫電改や雷電とかをそのくらい作ってほしかった。
RAFミュージアムで見ましたよコレ桜花、五式戦とともに展示されてました。
こんな、ロマン兵器が実在するとは、知りませんでした。ありがとうございます。
私の外祖父が、陸軍の士官をやっていたんですが、終戦の半年前に、満州から仙台に配置換えになるときに、この飛行機に乗ったらしいのですが、乗り心地は最悪だったらしく、かなり酔ったらしいです。
普段から乗っている人は凄いな。もしかすると高高度向けで、低高度だと揺れるタイプなのかな。
@@001lonestar7 終戦の半年前となると部品の劣化(使いまわしor学生工員で精度悪化)で元々良かったのが悪化してた可能性もありそう
あくまで戦闘行動用の機体ですので貨客には本来向かない作りだったのでは無いかと思います。座席は狭いだろうし高空を高速で飛ぶ事で騒音や温度変化もきついものがありそうです、振動もあると思いますがパイロットは構わずぶっ飛ばすのでしょうから長距離は大変でしょう。(二人乗りの大型バイクで後ろに乗ると生きているのか安全なのか分からなくなります。)零戦のコックピットを見ても簡素な印象を受けますし。(ただし並ぶ計器類を見るとこれを揃えるだけでも大変だっただろうと思います。)
今回もおもしろかったです。日本にもこんな凄い飛行機があったんですね。世界最速、直線番長はいつの時代も浪漫がありますね。
この機体が来るとほぼ日本軍からの攻撃が有るんで、ビルマの通り 魔、空の百合、写真屋のジョー、地獄の天使と連合国から渾名がついたもんな。
WW2の日本機で一番綺麗な機かも特に3型が好きですね。確かイギリスに現存してたんだっけ。ビルマの通り魔とか地獄の天使とか空の百合とか異名もかっこいいね。
唯一の現存機ですよ。5式戦も合わせて現存しています。
百式司偵好きだから嬉しいな~
7:40 WW2時代の日本では、理化学研究所がカメラの開発をしていました。それを工業化したのが理研光学、今のリコーです。
動画で使われているイラストは、ハセガワの1/72スケールプラモのパッケージイラストですね。現物は2001年に発売された限定キットなので貴重かも…百式司偵の弱点のひとつに主脚の弱さが挙げられますね。離着陸時によく脚を折ったらしく、百式司偵を鹵獲調査した米軍も脚が弱いと指摘しています。
その昔、造りました!懐かしい!
百式司偵って美しいよね特に三型の段なしキャノピーなんて、傑作とさえいえる
彩雲がアメリカに戦後鹵獲されてガソリンと配線変えてテストしたら750km超えたって資料有ったから、百式司偵も部材さえ有ればもっと速力上がったハズ。南方資源のゴムが不足してたのが致命的だったね…
750キロって、、急降下でもしたのでしょうか
キ46の使用要求では速度の他にバイカル湖まで飛べること、というのがあったはず。基本的に満州で使う予定だったので。海軍での使用実績はキ46IIが第202および第204海軍航空隊で、キ46III甲が第141海軍航空隊時代の偵察第102飛行隊で使われて、いずれも写真が残っていますね。
やっぱⅢ型の格好良さは最高ですね。小さいスケールのプラモ作ったな😊
おお〜。百式司偵の回ですか!楽しみ。
機会があれば海軍の艦上偵察機「彩雲」の特集もお願いします。
〇2:50 海軍に貸し出された一〇〇式司令部偵察機は、海軍のパイロットが三点着陸で教育されていた関係で脚を折ることがあった模様。〇3:30 軍用機が登場して最初の任務は偵察でした。〇7:21 ドイツのカール・ツァイスが持っていた当時世界最先端の技術は歪みの少ないレンズを量産する技術です。これをカメラ、照準器、測距儀等の光学機器に使用しています。
設計者は後に初代ランサーを作ったんだっけ?「高性能なものは美しい」=空力特性が優れている
大叔父が新司偵のパイロットだった。戦闘機ぶっちぎったって話を聞かされました。
この機体のデザインはレシプロエンジン機の1つの到達点という気がする。美しいモノは高性能なのだと。
おしゃる通りですが、360°どこから見てもブサイクなのに高性能なのがP47
@@伊藤雲黒斎 P47D型以降はコクピットまわりスッキリしててブサイクにはみえんがなぁ
@@伊藤雲黒斎 奴は文字通り力ずくで回してる機体なので・・・
戦略偵察機の嚆矢とも云える機体、まあ、海軍は艦載も考慮しなきゃならないから百式のような機体は難しかったというのもありますが。海軍で(一応)偵察専用で開発されたのは彩雲ですが、実は雷撃機としての運用もできるようにと作られていました。
がんばってフランさんのポーズ増やしてください!これかも楽しみにしています。
古書店で購入した戦後昭和の書籍だと、日本人航空研究者は日本機の評価は何でもかんでも「傑作機だ」と下すものだから、私個人的には白けてしまっていた。しかし此の機体は間違いなく日本軍用機の傑作機だと思う。カタログ値だけ見れば肝心な最高速度は米英の後期新型戦闘機に遅れをとっていたように感じられるが、実戦では単機で高高度から高速で侵入する本機は、連合国軍基地司令部が探知・発見して慌てて迎撃に戦闘機を発進させても間に合わず取り逃がすことが多いため、偵察任務を完遂し続けていた。そのため絶えず改良を施していた本機は偵察機として終戦まで十分な性能を保持していたと言える。
日本軍は司令部偵察機を作り、米軍は爆撃機に偵察カメラを搭載して偵察機にして戦後はアメリカ空軍は高高度戦略偵察機のU-2偵察機やSR-71偵察機を造ったから日本の司令部偵察機の影響は有ったと思う。
むしろ、司偵というカテゴリーを作った日本が戦略偵察機の開祖と言えるのでは?日本陸軍には司偵とは別に戦術偵察機の九八式直協機や九九式軍偵がありますしね。
現場報告を信用しない本社経営層みたいな日本の組織あるあるが産んだ傑作機
いろいろ割り切って高速偵察機を作ってから、戦闘用に無茶振りする日本。先進技術を駆使して高性能機が出来そうになると派生型の試作に躍起になってモノにできないドイツですね。
個人的には世界一美しいレシプロ機だと思うただ戦闘機動を想定した機体ではないので迎撃機への転用はかなり無理やりだったようですね
直線番長的な車にラリーをやらせるような物?
いつだったか、見た目に惚れてプラモを探したら、見事プレミアム価格ばかりで泣いた思い出…
100式小型写真機で調べてみてください。かなりの性能を持っていました。製作は六櫻社、現在のコニカミノルタです。ニコン、トプコンも軍に光学兵器を納入していました。ニコンは海軍系、トプコンは陸軍系です
100式小型写真機のフィルムはキャビネ版の127 × 178 ㎜です。一方で同時期の米軍のK18カメラは9×18in≒23×46cmのフィルムを使用していました。単純に4倍以上の解像度=データ量になります。→飛行高度も倍違いますが。
偵察機に武装がなかったりするは武装があると逃げずに戦おうとするからそうわね。偵察機の使命はあくまでも情報を持ち帰ることで戦闘ではないから
武装があると雪風みたいに自軍から死神呼ばわりされるからだめだろ
コードネーム・写真屋のジョー (*´∀`)こいつが現れると日本軍の空襲がある……米軍は身構える事になったそうな
逆に言えばコレだけの高性能機を使いながら敵を過小評価(希望的観測)して何度も自軍を全滅させた上層部が無能って訳だ。現代でも、バカな上司に優先的に高性能PCを渡して、マインスイーパーしかやってないのと同じだなw
ピーピングトムと言われないだけマシだな。バイファムなんか自軍の偵察機をそう自虐してるし
母方の祖父が百式司偵の偵察手?カメラマンをやってましたが、よほど怖い思いをしたのか戦後一切語ることはありませんでした。整備不良からのエンジントラブルで墜落事故に遭ったのだと親類からは聞きました。シベリア抑留の話は良くしてくれました。
百式司偵III型と震電は当時最強のデザインだったと思います。
わーじいちゃんがのってたっていってたやつだ( *´꒳`* )陸軍でした。じいちゃんから聞く南方の話はどうにもいまいちのほほんとしていたのはそういう訳だったのかw
百式司偵は段なしがカッコイ😊
欠点としては段なしにしたら乱反射があったらしいですよ。
一○○司偵改も好き‼️
『紺碧の艦隊』の初期電子偵察機「星電」のモデル。
ちなみにヘルキャットは空戦は抜群に強いが速度は連合軍機では劣速なお後期型100式はコルセアに普通に撃墜されてる
富嶽見たかったなぁ...離陸時すげぇ地響き立てそう
レーダーの出現と高性能化が、1つの別れ道やね。上空に来られてからおっとり刀でスクランブルしてるのと、レーダーで接近とだいたいの偵察コースを予見してお出迎えを上げておくのとではだいぶ違ってくる。
2式戦闘機 鍾馗 と5式戦の解説もお願い致します
前任の97式の民間機に神風号がありましたよね?
帝国陸海軍は情報&諜報活動はずさんな所が大きかったが偵察は綿密にしてたんだよな。
13:14スーパーチャジャーはこの時代のエンジンはみんな一段はついていて、ニ速の設定を高空寄りにするか?で高高度性能が決まるのでは?確か四型のルまで二段過給はしてないのに、欧米に負けなかったのがエライ👏
確か3型は戦後の米軍航空情報局のテストでアメリカのハイオクタン燃料とアメリカ製プラグで最高速700kmhを越えたと何かの本で読んだ記憶があります。海軍の彩雲も同等の性能でしたね。
一〇〇式司令部偵察機の登場する漫画として、こがしゅうと先生の「海のコイと空のアユ」(「まけた側の良兵器集」(イカロス出版)収録)が泣ける良作。
お疲れ様です。高評価プチットな。
コメント欄を見たら100式司偵の存在を知らなかった人が案外多くて驚いた。・100式司偵機で真に驚くべきは戦略偵察機の先駆けであった事だと思うよ(米国のU型より遥かに早かった)
まあ偵察機はゲームではあまり出番無いからね
機首形状を極限にまで流線型かした三型に対する言及が無いのが残念だ。ただこの流線型機首は、使用する曲面アクリル板の透明度が悪くて、計器板の照明が風貌に写ってしまうのが悪評だったが。そして長大な航続力を実現したのは、前部操縦席と、後部偵察員の間に設けられた巨大な燃料タンク。この距離の遠さが、乗員間の意思疎通を難しくしてしまうという問題もあった。
大学の先生だったかで、百式司偵ゆかりの人の姓+百式司偵を縮めた感じの名前の人を見かけて、名付親が百式司偵ファンだったのかな?と思ったことがあります。三型の美麗なフォルムは実用性は別にして他の高速機より魅力的です。あと排気タービン装備の四型を量産しようとしたのも地味にすごいと思っています。金星エンジン系以外で排気タービン付けて良いデータが残っている機種を知りませんし。
3型の特徴的なキャノピーは、光で真っ白になって見えなくなることがあって不評だったようですが、オンリーワンな形状は数ある航空機の中でもいちばん好きだったりします。イギリスに現物残っているんですね。見に行ってみたいものです。
この機体が当時の「日本の機体設計」のチグハグサの典型例なんだよね。尖がった思想や性能が良いのは事実だけど、双発の発動機を収めるカウリングが主翼の上面を中途半端に覆っていることが「表層流」の抵抗を招き失速性能で損をしてる。・・・雷電も同じ失敗をしてるから陸海に関係なくやらかしてる。で、実物の詳細写真を見ると、コクピット回りの「隙間」がすごいのに驚いたことを今でも覚えてる。
@@yoshikiyo608 エンジン位置を下げたくても下げられなかったのかも。機体が小さいですからね。
@@tsato4662 <レス感謝、偵察機なのに下方視界が不良になる「低翼機」を採用してるのも不思議ですよね。中翼や高翼を採用していれば翼面上の空力を最善にして、より大きいプロペラを採用できたかも、と想いを馳せられる機体です。
@@yoshikiyo608 地上偵察が主任務ですし、後席の観測員の足元にある窓からの地上の測量や撮影には支障は無かったのではないでしょうか。・・・と思って画像検索でggってみるとプラモの画像ばかりで、そのプラモも後席の足元が前席と同じ「床」になってる始末。肝心要の観測窓の画像を探すのにとても苦労しました。「かっこいい」と称賛している人々の殆どが肝心要の機能には無関心だという証左ですなw
@@yoda_dayo ,<レス感謝 RAF博物館が収蔵中の元第1野戦補充飛行隊偵察隊所属の一〇〇式司偵三型甲(キ46-III甲)、1971年当時の姿では「観測窓」が見ることが出来ますが、「レストア済みの窓」で「透明度」が現役時のモノと同一の透明度の保証はないようですね。。。。プロペラ後流とか表層流などの基本的な空力学知識、透明で面積の広いガラス類など生産など劣っていたのも事実で、「良い点」だけ取り上げるだけでなく、こう言ったチグハグさを取り扱っていないのが残念です。
皇紀2600年に採用された海軍機は零式、陸軍機は百式。西暦2000年に採用される自衛隊の装備がどう名づけられるかと思っていたら「00式」でした。
3:20 海軍は、100式司令部偵察機の先代の九七式司令部偵察機も採用していますので、すんなりいったのではないでしょうか。
九七司偵の試作2号機は朝日新聞に払い下げられ、民間機「神風号」として東京ーロンドン最速を記録していますね。朝日新聞はあと2機「雁型通信機」として運用していました。
九七の改悪版と言われた九八式陸偵はどういう評価だったねかな。
@@straker1701 それなりに良かったみたいだね。
前席と後席の間の窓がない部分には何があるんだろう?
写真屋のジョー。三船敏郎がカメラマンをやってたんだっけ。
試作型の四型は末期には台湾から東京(だったかな?)の飛行で平均速度700km/hを記録したらしい。偏西風の影響はあったものの、二番機の離陸失敗などの負の影響を与える要素も多かったらしい。
F2バッファローは、格闘戦はできない仕様。急降下からの一撃離脱ならそれなりに使える。イザとなったら頑丈さを活かした正面攻撃も可能だった。フィンランドで戦果が上がったのは、ソ連の機体は正面からだと、パワーごり押しで突っ込みをかけてくるF2に対して対抗するには、モロかったから。曲がらないならそのまま直進というのは、アメリカのウォーホークとかホークでも使える手だった。
この手の偵察機は外国は既存機からの改修が多いのに、偵察専用として製作された贅沢な機体でもあったと思う。戦略偵察機と言う概念を生み出した画期的な機体。直接的な関係は無いけどアメリカのSR-71の先祖かな。尾翼に虎のマークを描いた独立飛行第18中隊のⅢ型がカッコイイです(通称”虎部隊”)
エンジンがショボいから既存機改修では十分な速度が出せないんですよ。だから100式は諸外国の双発機に比べてかなり小さくつくってる。小さいことで速度性能を稼ぐわけ。小さく作ったから後から武装するにも搭載容量や搭載重量の余裕がなく、武装型が失敗した理由もここにある
一〇〇式司令部偵察機のコンセプトである『速く』、『高く』、『遠く』を突き詰めた機体がSR-71ですね。
この機体、東條輝夫氏(東條英機の次男に当たり戦後は久保氏と同じく三菱自動車に入社。しかもパジェロ発売時の社長でもある)が関わっていたらしいという説も聞いたことがありますね。
陸海ともに偵察機好きしかし偵察機が文字通り命がけで回収してきた情報が戦術戦略に活かされていたとは世辞にも言えないのがナントモ
新司偵といい四式重爆といい、実は三菱の軍用機は陸軍(あんまり開発に口出ししない)との方が相性が良かったのでは
戦闘機と偵察機を比べるのは無理があるよ…末期に100式司偵の防空戦闘機型も投入されたけど、直線番長でB29相手だよね…
零戦や隼が翼面積22m2程度なのに双発なのに32m2しかないですからねぇ。
貴重なゴムを使っている機体だったんだな
陸軍がロシアの奥地を知りたいのは自然か
直線で速いだけならできるんだよ。それに重い機関銃や弾丸を積んで急旋回に耐える強度を、とか言ったら波の戦闘機と同じ速度になってしまう。
武器オネは大好きなシリーズだけど…これ動画では無いよネ❤スライドショーってところだ。
仕事場「デイサービス」でゲストさんの中に川西で2式大艇を武庫川の河川敷で作ってた方が居ます。女学生でしたが学徒動員って奴です。
皇紀2600年なのに零式じゃないのは陸軍は下2桁の使っていたためかしら.海軍だったら多分「零式」?
海軍は百の位は無視したので「零」陸軍は「百」にしたんですね、次の年はどっちも「一式」
成る程👍
前任者の九七司偵も名作で海軍も簡単な改造で採用
司令部偵察=戦略偵察で、戦闘機より速いってことはSR-71みたいなもんだよな
雷電で上手く働かなかったターボが効果あったとは・・・
全て、振り切るぜ!
四式戦疾風は戦後に米軍が調査で高オクタン価ガソリンを使用して最高時速680キロを出したが100式司偵三型を高オクタン価ガソリンを使用したら最高時速はどの位出たか気に成る。
戦前に輸入した1940年代の米国規格の100オクタンです一式戦闘機や零戦に使われたのより特別な高性能燃料をあてがわれてます。
追い風に乗って低オクタン価でも700kmを出したこともあったらしい
@@マナガツオ-p6l それⅢ型のテスト飛行時だったはず。
美しい機体ですよね
海軍が「零式」、陸軍が「一○○式」ロボットアニメに出てきそうな名前だけど、どっちもカッコいいのはネーミングセンスでも張り合ってるのか?
アンノは海軍トミノは陸式
リノエアーレース無くなったけど、継続してたらある程度活躍できたかも知れない。
翼面荷重低いし6000m前後での最高速最優先の直線番長だから、低空&周回コースのリノじゃ勝負にならないでしょう。
[「星の王子さま」の作者、サン・テグジュベリの愛機がP38の偵察型、F5だな。
陸海軍が犬猿の仲って万国共通で面白いわなw
どこの国民からしてもふざけんなよこいつら!って話であるw
基本予算の取り合いの相手ですもんね。米海軍と陸軍はB-29の乗員救助用に潜水艦を出してたり、仲いいのかな?と思いきや戦後・・・。
日本と違って軍の長は陸海を統括する国防長官だったからできた事なんでしょうね。
Zガンダムのせいで「百式」と言えばモビルスーツが思い浮ぶ様になってしまったが、当然の事ながらこっちが元ネタ
差分に関してはゆうちゃんのほうがいっぱいあるよな。ゆーばーいーつバージョンとか()
空の真珠がdisられていますがいつものことで問題ありません!
さすがシャア・アズナブルことクワトロ・バジーナが乗った機体だけのことはある!(百式違い
やっぱりナガノ、百年使っても大丈夫(百式の開発主任のM・ナガノ博士)
金色に塗って「百」って書かないと・・・。
シャアが乗ったのはMe163コメート赤VERだったと思う。何せ、B17の3倍の速度で有名だからな。
お姉さん可愛いからめっちゃ好き
100式ということは、2100年製か…… (スットボケ)
高性能おねえさん
自衛隊が西暦2000年に採用する兵器が何式になるのかと思っていたら「00式」でした。
うちのじいさん、99そうけいと屠龍とこいつに乗っていました。
帰って来るまでが偵察です戦闘機より遅かったら役に立たないものね。
対空性能はよわい・・そこでシュレーゲムジークとなる当時の技術屋さんの苦悩がしのばれます
昭和時代に小中高と通っていた家の近所の模型店の親父さんが、元日本陸軍パイロットだった。
満州で一〇〇式司令部偵察機に乗っていたらしいが、あまりその話はしたがらなかった。
冬の満州はものすごく寒いから、エンジンを温めるのにエンジンの下にドラム缶を置いて、そこで火を燃やして温めたなんて言う話は、他の誰にも聞いた事が無い話で新鮮だった。
ドイツ軍が真冬のロシアだと戦車のオイルが固まるので、戦車の下で火を焚いていたらしい。焼いたレンガを置いていただったかも。
あっドラム缶で炭炊いて暖気した話じいちゃんに聞きました。中国の奥地で寒さに慣れる訓練した時にって言ってました。
ソ連の戦車兵は、冬場は、T-34の車体後方の下の地面を掘り下げて焚火したそうです。エンジンとギアが凍った状態でエンジンかけるとギア軸が折れるそうで。軽油は、焚火程度の温度では炎上しないから焚火は問題無かった。なお、ドイツの焼夷砲弾だと、軽油は炎上する。
大好きな航空機です。小学生の頃、ゼロ戦より好きでした。戦略偵察機、いい響き。究極がSR-71なわけだな。あれも好きだった。
コニカ写真機とサクラフイルムが秀逸だった。戦後の経済を支えた技術です。
旧陸軍は、大陸での対ソ戦の意識もあって、
その航空隊は 航空撃滅戦を強く意識して
航空装備の開発を行いました。
元来、偵察機というのは他機種の流用や改造で間に合わせる運用も多い
(現在でも戦闘機や攻撃機、爆撃機の偵察機バージョンが存在してる)
それを 武装も廃止して、高速性能に特化して、
航空優勢のない敵地奥深くに侵入して、情報を持ち帰る機体を実戦装備化したのは慧眼だと言える。
まさに戦略偵察機の走りだといえる。
陸軍は、他に偵察機として、軍偵察機という機種、爆撃機も直協爆撃機という、前線の戦術用途に特化した機種も開発しており
航空戦の思想として一定のレベルに達してたと思う。
ただ、技術的なレベルの差や、生産力の差は、やはり克服できなかったし
それに付け加えて、「情報」には、インフォメーションとインテリジェンスがある訳だが
司令部偵察機などでインフォメーションを得ることが出来ても、インテリジェンスとして、有用に活用できる能力や体制構築は不十分だったと言える。
そして、このインテリジェンス能力の懸念は、現在の日本にも そのまま当てはまるようにも思う。
世界初の戦略偵察機とも言われていますが、欧米では戦闘機や攻撃機を転用する事で間に合っていたのを、日本は貧弱なエンジンを最大限に生かすべく専用設計していたという事でもあるんですよね。でもドイツ製液冷エンジン双発の一〇〇式ってまさにロマン。三型に合計三千馬力となったらどれだけ出たやら…。
偵察専用機を作る必要があった理由として、戦域が欧州戦線よりはるかに広いってのがありますね。
速度と航続距離を両立させるために専用設計の双発機がマストだったんではないかと。
海軍も長距離偵察機として二式陸上偵察機(夜間戦闘機月光の母体)を開発してますが、欲を出して武装ありで戦闘能力も持たせた結果、速度が500km/hと遅く高空性能もイマイチで、F4FやP-40にも簡単に撃墜され、陸軍から100式を借りるきっかけになりました。
3型は1500hp×2=3000hpですよ。
@@はいじーーー
彗星の偵察型、整備スキル違うし数も足りない、
前作も借りた実績から100式司偵借り受ける以外の道ありませんしね
伯父さんにひいおじいちゃんだったかひいひいおじいちゃんが
その専用設計を考案し
採用され
東条英機から勲章をもらい
都会の一等地を数億円分ほど
もらったという話は
効いたことある
下の名前は忘れたけど十森家の人間らしい
本当なのかは知らない
今、タミヤの1/48を製作中。
あ~私それ新発売の時に買って積んでますw
壊したい
ドラマ「不毛地帯」でCGで出てきた時に「おぉっ!」ってなった
時速600Kⅿ/hでる偵察機ですね。新型機登場とともに次期新型機を開発するのはこの当時当たり前でした。戦時2年、平時4年というのが、機体の通用寿命でしたからね。
今回もありがとう御座いました✨
イラストはフランさんの軍服の指立てるやつが一番好きです!!😆✨
100式といえば、段無しのⅢ型が有名でしょうね。他には見ない空気抵抗を考えたキレイな形です。
ただしコクピットからの視界は歪みが酷かったらしいです
この辺は現代でも程度の差はあれF-16でも一つ一つ風防歪み測定して照準器の調整が必要なのと変わりません
段無しの方が技術的には優れていると思うけど、段有のシルエットの方が好きかな。
残念ながら段無しはメリットよりデメリットが大きかったらしく、4型では段ありに戻ってしまいましたね。
@@001lonestar7
百式司偵のプラモ1/48でⅡ型が欲しいけど無いんだよな
@@鈴木むめお 意外。格好良いと思うのに。
生産数 1700機は偵察機としては意外と多数ですね。
紫電改や雷電とかをそのくらい作ってほしかった。
RAFミュージアムで見ましたよコレ
桜花、五式戦とともに展示されてました。
こんな、ロマン兵器が実在するとは、知りませんでした。ありがとうございます。
私の外祖父が、陸軍の士官をやっていたんですが、終戦の半年前に、満州から仙台に配置換えになるときに、この飛行機に乗ったらしいのですが、乗り心地は最悪だったらしく、かなり酔ったらしいです。
普段から乗っている人は凄いな。もしかすると高高度向けで、低高度だと揺れるタイプなのかな。
@@001lonestar7
終戦の半年前となると部品の劣化(使いまわしor学生工員で精度悪化)で元々良かったのが悪化してた可能性もありそう
あくまで戦闘行動用の機体ですので貨客には本来向かない作りだったのでは無いかと思います。
座席は狭いだろうし高空を高速で飛ぶ事で騒音や温度変化もきついものがありそうです、振動もあると思いますがパイロットは構わずぶっ飛ばすのでしょうから長距離は大変でしょう。(二人乗りの大型バイクで後ろに乗ると生きているのか安全なのか分からなくなります。)
零戦のコックピットを見ても簡素な印象を受けますし。
(ただし並ぶ計器類を見るとこれを揃えるだけでも大変だっただろうと思います。)
今回もおもしろかったです。
日本にもこんな凄い飛行機があったんですね。
世界最速、直線番長はいつの時代も浪漫がありますね。
この機体が来るとほぼ日本軍からの攻撃が有るんで、ビルマの通り 魔、空の百合、写真屋のジョー、地獄の天使と連合国から渾名がついたもんな。
WW2の日本機で一番綺麗な機かも特に3型が好きですね。確かイギリスに現存してたんだっけ。ビルマの通り魔とか地獄の天使とか空の百合とか異名もかっこいいね。
唯一の現存機ですよ。5式戦も合わせて現存しています。
百式司偵好きだから嬉しいな~
7:40 WW2時代の日本では、理化学研究所がカメラの開発をしていました。それを工業化したのが理研光学、今のリコーです。
動画で使われているイラストは、ハセガワの1/72スケールプラモのパッケージイラストですね。
現物は2001年に発売された限定キットなので貴重かも…
百式司偵の弱点のひとつに主脚の弱さが挙げられますね。
離着陸時によく脚を折ったらしく、百式司偵を鹵獲調査した米軍も脚が弱いと指摘しています。
その昔、造りました!懐かしい!
百式司偵って美しいよね
特に三型の段なしキャノピーなんて、傑作とさえいえる
彩雲がアメリカに戦後鹵獲されてガソリンと配線変えてテストしたら750km超えたって資料有ったから、百式司偵も部材さえ有ればもっと速力上がったハズ。南方資源のゴムが不足してたのが致命的だったね…
750キロって、、急降下でもしたのでしょうか
キ46の使用要求では速度の他にバイカル湖まで飛べること、というのがあったはず。基本的に満州で使う予定だったので。
海軍での使用実績はキ46IIが第202および第204海軍航空隊で、キ46III甲が第141海軍航空隊時代の偵察第102飛行隊で使われて、いずれも写真が残っていますね。
やっぱⅢ型の格好良さは最高ですね。
小さいスケールのプラモ作ったな😊
おお〜。百式司偵の回ですか!
楽しみ。
機会があれば海軍の艦上偵察機「彩雲」の特集もお願いします。
〇2:50 海軍に貸し出された一〇〇式司令部偵察機は、海軍のパイロットが三点着陸で教育されていた関係で脚を折ることがあった模様。
〇3:30 軍用機が登場して最初の任務は偵察でした。
〇7:21 ドイツのカール・ツァイスが持っていた当時世界最先端の技術は歪みの少ないレンズを量産する技術です。これをカメラ、照準器、測距儀等の光学機器に使用しています。
設計者は後に初代ランサーを作ったんだっけ?
「高性能なものは美しい」
=空力特性が優れている
大叔父が新司偵のパイロットだった。戦闘機ぶっちぎったって話を聞かされました。
この機体のデザインはレシプロエンジン機の1つの到達点という気がする。美しいモノは高性能なのだと。
おしゃる通りですが、360°どこから見てもブサイクなのに高性能なのがP47
@@伊藤雲黒斎 P47D型以降はコクピットまわりスッキリしててブサイクにはみえんがなぁ
@@伊藤雲黒斎
奴は文字通り力ずくで回してる機体なので・・・
戦略偵察機の嚆矢とも云える機体、まあ、海軍は艦載も考慮しなきゃならないから百式のような機体は難しかったというのもありますが。海軍で(一応)偵察専用で開発されたのは彩雲ですが、実は雷撃機としての運用もできるようにと作られていました。
がんばってフランさんのポーズ増やしてください!
これかも楽しみにしています。
古書店で購入した戦後昭和の書籍だと、日本人航空研究者は日本機の評価は何でもかんでも「傑作機だ」と下すものだから、私個人的には白けてしまっていた。しかし此の機体は間違いなく日本軍用機の傑作機だと思う。カタログ値だけ見れば肝心な最高速度は米英の後期新型戦闘機に遅れをとっていたように感じられるが、実戦では単機で高高度から高速で侵入する本機は、連合国軍基地司令部が探知・発見して慌てて迎撃に戦闘機を発進させても間に合わず取り逃がすことが多いため、偵察任務を完遂し続けていた。そのため絶えず改良を施していた本機は偵察機として終戦まで十分な性能を保持していたと言える。
日本軍は司令部偵察機を作り、米軍は爆撃機に偵察カメラを搭載して偵察機にして戦後はアメリカ空軍は高高度戦略偵察機のU-2偵察機やSR-71偵察機を造ったから日本の司令部偵察機の影響は有ったと思う。
むしろ、司偵というカテゴリーを作った日本が戦略偵察機の開祖と言えるのでは?日本陸軍には司偵とは別に戦術偵察機の九八式直協機や九九式軍偵がありますしね。
現場報告を信用しない本社経営層みたいな日本の組織あるあるが産んだ傑作機
いろいろ割り切って高速偵察機を作ってから、戦闘用に無茶振りする日本。先進技術を駆使して高性能機が出来そうになると派生型の試作に躍起になってモノにできないドイツですね。
個人的には世界一美しいレシプロ機だと思う
ただ戦闘機動を想定した機体ではないので迎撃機への転用はかなり無理やりだったようですね
直線番長的な車にラリーをやらせるような物?
いつだったか、見た目に惚れてプラモを探したら、見事プレミアム価格ばかりで泣いた思い出…
100式小型写真機で調べてみてください。かなりの性能を持っていました。
製作は六櫻社、現在のコニカミノルタです。ニコン、トプコンも軍に光学兵器を納入していました。ニコンは海軍系、トプコンは陸軍系です
100式小型写真機のフィルムはキャビネ版の127 × 178 ㎜です。
一方で同時期の米軍のK18カメラは9×18in≒23×46cmのフィルムを使用していました。
単純に4倍以上の解像度=データ量になります。
→飛行高度も倍違いますが。
偵察機に武装がなかったりするは武装があると逃げずに戦おうとするからそうわね。偵察機の使命はあくまでも情報を持ち帰ることで戦闘ではないから
武装があると雪風みたいに自軍から死神呼ばわりされるからだめだろ
コードネーム・写真屋のジョー
(*´∀`)
こいつが現れると日本軍の空襲がある……
米軍は身構える事になったそうな
逆に言えばコレだけの高性能機を使いながら敵を過小評価(希望的観測)して何度も自軍を全滅させた上層部が無能って訳だ。
現代でも、バカな上司に優先的に高性能PCを渡して、マインスイーパーしかやってないのと同じだなw
ピーピングトムと言われないだけマシだな。バイファムなんか自軍の偵察機をそう自虐してるし
母方の祖父が百式司偵の偵察手?カメラマンをやってましたが、よほど怖い思いをしたのか戦後一切語ることはありませんでした。整備不良からのエンジントラブルで墜落事故に遭ったのだと親類からは聞きました。シベリア抑留の話は良くしてくれました。
百式司偵III型と震電は当時最強のデザインだったと思います。
わーじいちゃんがのってたっていってたやつだ( *´꒳`* )陸軍でした。
じいちゃんから聞く南方の話はどうにもいまいちのほほんとしていたのはそういう訳だったのかw
百式司偵は段なしがカッコイ😊
欠点としては段なしにしたら乱反射があったらしいですよ。
一○○司偵改も好き‼️
『紺碧の艦隊』の初期電子偵察機「星電」のモデル。
ちなみにヘルキャットは空戦は抜群に強いが速度は連合軍機では劣速
なお後期型100式はコルセアに普通に撃墜されてる
富嶽見たかったなぁ...
離陸時すげぇ地響き立てそう
レーダーの出現と高性能化が、1つの別れ道やね。
上空に来られてからおっとり刀でスクランブルしてるのと、レーダーで接近とだいたいの偵察コースを予見してお出迎えを上げておくのとではだいぶ違ってくる。
2式戦闘機 鍾馗 と5式戦の解説もお願い致します
前任の97式の民間機に神風号がありましたよね?
帝国陸海軍は情報&諜報活動はずさんな所が大きかったが偵察は綿密にしてたんだよな。
13:14スーパーチャジャーはこの時代のエンジンはみんな一段はついていて、ニ速の設定を高空寄りにするか?で高高度性能が決まるのでは?確か四型のルまで二段過給はしてないのに、欧米に負けなかったのがエライ👏
確か3型は戦後の米軍航空情報局のテストでアメリカのハイオクタン燃料とアメリカ製プラグで最高速700kmhを越えたと何かの本で読んだ記憶があります。海軍の彩雲も同等の性能でしたね。
一〇〇式司令部偵察機の登場する漫画として、こがしゅうと先生の「海のコイと空のアユ」
(「まけた側の良兵器集」(イカロス出版)収録)が泣ける良作。
お疲れ様です。
高評価プチットな。
コメント欄を見たら100式司偵の存在を知らなかった人が案外多くて驚いた。
・100式司偵機で真に驚くべきは戦略偵察機の先駆けであった事だと思うよ
(米国のU型より遥かに早かった)
まあ偵察機はゲームではあまり出番無いからね
機首形状を極限にまで流線型かした三型に対する言及が無いのが残念だ。
ただこの流線型機首は、使用する曲面アクリル板の透明度が悪くて、計器板の照明が風貌に写ってしまうのが悪評だったが。
そして長大な航続力を実現したのは、前部操縦席と、後部偵察員の間に設けられた巨大な燃料タンク。
この距離の遠さが、乗員間の意思疎通を難しくしてしまうという問題もあった。
大学の先生だったかで、百式司偵ゆかりの人の姓+百式司偵を縮めた感じの名前の人を見かけて、名付親が百式司偵ファンだったのかな?と思ったことがあります。三型の美麗なフォルムは実用性は別にして他の高速機より魅力的です。あと排気タービン装備の四型を量産しようとしたのも地味にすごいと思っています。金星エンジン系以外で排気タービン付けて良いデータが残っている機種を知りませんし。
3型の特徴的なキャノピーは、光で真っ白になって見えなくなることがあって不評だったようですが、オンリーワンな形状は数ある航空機の中でもいちばん好きだったりします。
イギリスに現物残っているんですね。
見に行ってみたいものです。
この機体が当時の「日本の機体設計」のチグハグサの典型例なんだよね。
尖がった思想や性能が良いのは事実だけど、双発の発動機を収めるカウリングが主翼の上面を中途半端に覆っていることが「表層流」の抵抗を招き失速性能で損をしてる。
・・・雷電も同じ失敗をしてるから陸海に関係なくやらかしてる。
で、実物の詳細写真を見ると、コクピット回りの「隙間」がすごいのに驚いたことを今でも覚えてる。
@@yoshikiyo608
エンジン位置を下げたくても下げられなかったのかも。
機体が小さいですからね。
@@tsato4662 <レス感謝、偵察機なのに下方視界が不良になる「低翼機」を採用してるのも不思議ですよね。中翼や高翼を採用していれば翼面上の空力を最善にして、より大きいプロペラを採用できたかも、と想いを馳せられる機体です。
@@yoshikiyo608 地上偵察が主任務ですし、後席の観測員の足元にある窓からの地上の測量や撮影には支障は無かったのではないでしょうか。
・・・と思って画像検索でggってみるとプラモの画像ばかりで、そのプラモも後席の足元が前席と同じ「床」になってる始末。肝心要の観測窓の画像を探すのにとても苦労しました。「かっこいい」と称賛している人々の殆どが肝心要の機能には無関心だという証左ですなw
@@yoda_dayo ,<レス感謝 RAF博物館が収蔵中の元第1野戦補充飛行隊偵察隊所属の一〇〇式司偵三型甲(キ46-III甲)、1971年当時の姿では「観測窓」が見ることが出来ますが、「レストア済みの窓」で「透明度」が現役時のモノと同一の透明度の保証はないようですね。
。。。プロペラ後流とか表層流などの基本的な空力学知識、透明で面積の広いガラス類など生産など劣っていたのも事実で、「良い点」だけ取り上げるだけでなく、こう言ったチグハグさを取り扱っていないのが残念です。
皇紀2600年に採用された海軍機は零式、陸軍機は百式。西暦2000年に採用される自衛隊の装備がどう名づけられるかと思っていたら「00式」でした。
3:20 海軍は、100式司令部偵察機の先代の九七式司令部偵察機も採用していますので、すんなりいったのではないでしょうか。
九七司偵の試作2号機は朝日新聞に払い下げられ、民間機「神風号」として東京ーロンドン最速を記録していますね。朝日新聞はあと2機「雁型通信機」として運用していました。
九七の改悪版と言われた九八式陸偵はどういう評価だったねかな。
@@straker1701 それなりに良かったみたいだね。
前席と後席の間の窓がない部分には何があるんだろう?
写真屋のジョー。
三船敏郎がカメラマンをやってたんだっけ。
試作型の四型は末期には台湾から東京(だったかな?)の飛行で平均速度700km/hを記録したらしい。
偏西風の影響はあったものの、二番機の離陸失敗などの負の影響を与える要素も多かったらしい。
F2バッファローは、格闘戦はできない仕様。急降下からの一撃離脱ならそれなりに使える。イザとなったら頑丈さを活かした正面攻撃も可能だった。フィンランドで戦果が上がったのは、ソ連の機体は正面からだと、パワーごり押しで突っ込みをかけてくるF2に対して対抗するには、モロかったから。曲がらないならそのまま直進というのは、アメリカのウォーホークとかホークでも使える手だった。
この手の偵察機は外国は既存機からの改修が多いのに、偵察専用として製作された贅沢な機体でもあったと思う。
戦略偵察機と言う概念を生み出した画期的な機体。直接的な関係は無いけどアメリカのSR-71の先祖かな。
尾翼に虎のマークを描いた独立飛行第18中隊のⅢ型がカッコイイです(通称”虎部隊”)
エンジンがショボいから既存機改修では十分な速度が出せないんですよ。
だから100式は諸外国の双発機に比べてかなり小さくつくってる。
小さいことで速度性能を稼ぐわけ。
小さく作ったから後から武装するにも搭載容量や搭載重量の余裕がなく、武装型が失敗した理由もここにある
一〇〇式司令部偵察機のコンセプトである『速く』、『高く』、『遠く』を突き詰めた機体がSR-71ですね。
この機体、東條輝夫氏
(東條英機の次男に当たり
戦後は久保氏と同じく三菱自動車に入社。
しかもパジェロ発売時の社長でもある)
が関わっていたらしいという説も
聞いたことがありますね。
陸海ともに偵察機好き
しかし偵察機が文字通り命がけで回収してきた情報が戦術戦略に活かされていたとは世辞にも言えないのがナントモ
新司偵といい四式重爆といい、実は三菱の軍用機は陸軍(あんまり開発に口出ししない)との方が相性が良かったのでは
戦闘機と偵察機を比べるのは無理があるよ…
末期に100式司偵の防空戦闘機型も投入されたけど、直線番長でB29相手だよね…
零戦や隼が翼面積22m2程度なのに双発なのに32m2しかないですからねぇ。
貴重なゴムを使っている機体だったんだな
陸軍がロシアの奥地を知りたいのは自然か
直線で速いだけならできるんだよ。それに重い機関銃や弾丸を積んで
急旋回に耐える強度を、とか言ったら波の戦闘機と同じ速度になってしまう。
武器オネは大好きなシリーズだけど…これ動画では無いよネ❤
スライドショーってところだ。
仕事場「デイサービス」でゲストさんの中に川西で2式大艇を武庫川の河川敷で作ってた方が居ます。女学生でしたが学徒動員って奴です。
皇紀2600年なのに零式じゃないのは陸軍は下2桁の使っていたためかしら.海軍だったら多分「零式」?
海軍は百の位は無視したので「零」陸軍は「百」にしたんですね、次の年はどっちも「一式」
成る程👍
前任者の九七司偵も名作で海軍も簡単な改造で採用
司令部偵察=戦略偵察で、戦闘機より速いってことはSR-71みたいなもんだよな
雷電で上手く働かなかったターボが効果あったとは・・・
全て、振り切るぜ!
四式戦疾風は戦後に米軍が調査で高オクタン価ガソリンを使用して最高時速680キロを出したが100式司偵三型を高オクタン価ガソリンを使用したら最高時速はどの位出たか気に成る。
戦前に輸入した1940年代の米国規格の100オクタンです
一式戦闘機や零戦に使われたのより特別な高性能燃料をあてがわれてます。
追い風に乗って低オクタン価でも700kmを出したこともあったらしい
@@マナガツオ-p6l
それⅢ型のテスト飛行時だったはず。
美しい機体ですよね
海軍が「零式」、陸軍が「一○○式」
ロボットアニメに出てきそうな名前だけど、どっちもカッコいいのはネーミングセンスでも張り合ってるのか?
アンノは海軍トミノは陸式
リノエアーレース無くなったけど、継続してたらある程度活躍できたかも知れない。
翼面荷重低いし6000m前後での最高速最優先の直線番長だから、低空&周回コースのリノじゃ勝負にならないでしょう。
[「星の王子さま」の作者、サン・テグジュベリの愛機がP38の偵察型、F5だな。
陸海軍が犬猿の仲って万国共通で面白いわなw
どこの国民からしてもふざけんなよこいつら!って話であるw
基本予算の取り合いの相手ですもんね。
米海軍と陸軍はB-29の乗員救助用に潜水艦を出してたり、仲いいのかな?と思いきや戦後・・・。
日本と違って軍の長は陸海を統括する国防長官だったからできた事なんでしょうね。
Zガンダムのせいで「百式」と言えばモビルスーツが思い浮ぶ様になってしまったが、当然の事ながらこっちが元ネタ
差分に関してはゆうちゃんのほうがいっぱいあるよな。ゆーばーいーつバージョンとか()
空の真珠がdisられていますがいつものことで問題ありません!
さすがシャア・アズナブルことクワトロ・バジーナが乗った機体だけのことはある!(百式違い
やっぱりナガノ、百年使っても大丈夫(百式の開発主任のM・ナガノ博士)
金色に塗って「百」って書かないと・・・。
シャアが乗ったのはMe163コメート赤VERだったと思う。
何せ、B17の3倍の速度で有名だからな。
お姉さん可愛いからめっちゃ好き
100式ということは、2100年製か…… (スットボケ)
高性能おねえさん
自衛隊が西暦2000年に採用する兵器が何式になるのかと思っていたら「00式」でした。
うちのじいさん、99そうけいと屠龍とこいつに乗っていました。
帰って来るまでが偵察です戦闘機より遅かったら役に立たないものね。
対空性能はよわい・・そこでシュレーゲムジークとなる当時の技術屋さんの苦悩がしのばれます