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実は、青函トンネル開通時に一番に発車した北海道直通列車(北斗星もはまなすも改正日発に対して日本海は前日発で、大阪駅でブラスバンドに見送られる出発式まで行いました)だったりします。
当日の日本海1号函館行の出発を観に行きました。鉄道唱歌の生演奏付きでの発車でした。
@@minakatamanabu7413 初めて通ったのははつかり
1989年12月2日。“寝台特急 トワイライトエクスプレス” 運行初日の食堂車に乗務しました。運行当初…深夜遅い秋田駅のあたりで “寝台特急 日本海” と上下便の行き違いの為、横並びに停車。日本海の車内からは、まだ珍しかったトワイライトエクスプレスをひとめ見ようと、寝間着の浴衣姿の乗客が大勢おられました。食堂車ではちょうどパブタイムを終える時間でした。
あの機関車の 日本海 って言うヘッドマークがカッコ良いのよ
日本海1,4号は函館乗り入れの際、食堂車を連結する事を考えてたとか。そのための食堂車も用意してたが、結局その食堂車はトワイライトに回された。
当時の時刻表の編成表では食堂車組み込み前提の欠番があったな>函館「日本海」
改造落成時、ブルトレ色だったので、当初は日本海に連結するつもりだったのでしょうね!
最終的には食堂車は連結せず、後に285系投入で弾き出されたオロネ25-300を下関から移籍してA寝台シングルDXを連結したのみですね
日本海廃止も、個室のあるJR西日本編成が最初に廃止され、プルマンタイプA寝台のあるJR東日本編成が最後まで残った。、
@@山岸克己-p5t 恐らく、線路、車両、委託使用料等の問題と寝台特急あけぼの(電源車やB寝台は共通)の関係で客車はJR東日本持ちにして、機関車と車掌をJR西日本持ちにしたと思われる
寝台特急日本海、高校の修学旅行で函館から京都まで乗ったことがあるだけに懐かしいですね、青森駅での増結停車中にジュースとかお菓子を買いに行ったりしてました。
私の場合修学旅行のは大阪始発で函館まで載りましたね。懐かしい思い出です。
30数年前、祖母の家がある北海道に行くときに大阪ー青森で乗りました。ずっと憧れていたブルートレインに初めて乗車できて、すごく興奮していたのを覚えています。今となってはもう体験できない懐かしい思い出です。
5:39 「あかつき」だけに不可能を可能に…
関西に住む親戚の所に行くのに、日本海に何度も乗りましたわ。
日本海3・2号が登場時からほば変わらない編成、そのほぼとはプルマン式のA寝台が連結されるようになったことですね。
青森まで大阪の車掌さん、その先は札幌の車掌さんが乗務されてました。また、夏休みにオートバイ輸送の車両を編成最後尾にぶら下げてたこともありました。
「モトとレール」ですね!
♪ぬ~す~ん~だば~い~く~では~し~りだ~す~!😁
@@subaski 浜松町駅始発??^^
@@437phw モトとレールは大阪発でした。浜松町発はカートレインですね。クルマの積み込みのため汐留駅亡き後スペースが確保できた浜松町が選ばれたようです。
懐かしいです。高校の修学旅行で、青森ー上野がゆうづる、大阪ー青森が日本海。😊
ゆうづる仙台=上野が常磐線経由??^^
7:27北斗星も2008年までは2往復体制でしたね。多客期に札幌まで延長運転されれば良いのにと妄想していました。
函館から乗りました。当日予約で9室のA1最後の一室でした。シャワー室完備なんですよねカードもらいましたが使いませんでした。記憶では函館で検札が出発前に来て青森近辺でまた検札が来たような気がしました。青森では連結の時間があったので立ち食いそばを買って持ち込んで食べました。北斗星のB個より贅沢な旅でした。
なぜかは分からないけど初めてハマったブルートレインが日本海だった...結局乗れたのはあけぼのの方だったけどNゲージ買ったし今でも好き
実は、松本清張の小説『ゼロの焦点』でも、カメオ出演しています。私もよく秋田に帰る時に、乗車していました。
最後の臨時の1日前の下りに乗る事が出来ました。キャンセル待ちで右下段が取れたんです。普通に帰省客が沢山乗っていて無くなるのは知らない方々が多かった様子でした。大阪着いたらエライこと(撮影者でごった返し)でしたわ。主様の分析通り需要多かったので今あってもかなり乗ってくれる列車でしょうね。余剰の681改造してイベント臨時で復活したら券取れませんね。日本海縦断夜行は移動手段としては最強のコンテンツでしょうね。
私も一度、大阪から函館まで乗りました。青森から先は通常なら4両だったのがこの日は12両でした。今から思えば修学旅行の団体が函館からあったのかも知れないですね。もうこんな旅ができないなんてさびしいです。
貧乏学生だった私にとって寝台特急日本海は手の届かない存在客車で青森まで行っていた急行きたぐにの座席車を愛用していました
夜澄んだ空気、寝床について耳をすますと当列車の継ぎ目を叩く音が聞こえていた。新潟ならつるぎ、きたぐにだが、それより北は出羽と当列車だった🤖
懐かしいですね。実家に住んでいた頃は家の2階の窓から江差線を眺めて日本海号を見ていました。また二十代後半東京に住んでいた頃は実家に帰る時青森から函館方面の海峡号、はつかり号が無い時は青森ー木古内間だけ日本海に乗車して木古内ー上磯間を普通列車に乗車して帰った事も有りました。
平成9年の暮れに直江津~函館で乗った。当方、上越線沿線の住民だったために寝台特急に縁が無く、日本海が初めて乗った寝台特急だった。新津から乗車でも良かったのだが、少しでも長く乗りたいので直江津まで出向いた。EF81牽引の日本海1号が直江津駅に入るのを見た時は感動した(笑)1号車1番上段。直江津23:52→函館11:16。この乗車券は今もとってある。
2010年代まで生き残っていたのが凄いと思います。ただ早い段階で車両が更新され個室などが付いたとしても北陸本線が四つの第三セクターに移管されてては運行の調整や保安システムの兼ね合いで早々に運行中止になっていたでしょうね。
それが一番の要員でしょう。いずれにしても新幹線開業時に廃業前提だからね。
@@hiroshia5789 恐らく信越X北陸本線が乗り入れた直江津駅[新在]分離した手前
実は寝台特急日本海は全線電化完成のときには当時新鋭だった583系電車置き換える計画もあったようです。結果的には20系から14系、更には24系と移っていき583系は定期では使用されなかったけど臨時では使用実績があった。それもサハネのサロネ化後でグリーン車を除き全車寝台車だった。向日町が殆どだったが青森でも受け持っておりこの場合A寝台車は当然なかった。
青森が08:47出発;終点函館に着いたは正午手前立ち席特急券✙運賃で乗れた;ちなみに上野23時頃で東北本線経由寝台[はくつる]との接続が約九十分ぐらい~~^^
高校の修学旅行で函館大阪で利用しました。朝の時点で洗面等の水を使い切って烏龍茶で歯を磨いたのはいい思い出です。
距離が距離だけに関西と東北間の夜行は末期でも需要高かったですよね。でも冬季ダイヤが乱れ易く代替車両もないのでやや強引に終了した印象です。函館延長当初は日本海に食堂車連結のアナウンスがありましたが、これは結局トワイライトになりましたね。
青函トンネルを最初に通過した旅客列車は日本海だったとか。青森~函館間の列車が消えると聞いてわざわざ関西経由で函館まで乗りました。北斗星など豪華寝台特急群とは全然違う時間帯に江差線走ってました。
はじめて大阪行った時トワ釜牽引の日本海を大阪駅で見たな懐かしい
EF81当時は金ツル所属;ローズピンクとトラ二色あった;トラ色24系カニが[銀河]に回されも珍しくなかった~~^^
秋田県秋田市に住んでいた時日本海1号に東能代から乗車したことが2度ありました。その当時秋田駅からだと乗車は出来たのですが寝台券購入しないと乗車できず、東能代から「ヒルネ」としての車両が発生するので前日普通列車の最終便で東能代まで行き野宿して日本海1号を待ち北海道入りしたことが思い出に蘇ります
早岐客貨車区の14系が日本海とあかつきと共通運用を組んでいた当時あかつきで来阪した14系を翌日日本海に運用する場合宮原で折り返し整備する必要がある為大阪発着としなければならずあかつきには大阪発着と新大阪発着が混在していた時期があった。あかつきが14系15形に置き換えられ広域運用が解消した後もその名残で数年間は大阪発着と新大阪発着が混在していた。
以前フジテレビの堺アナのニュース動画を見ました。既に晩年の頃ですが明朝金沢まで車内販売を行わないので、飲食物は青森で買うしかないと。朝飯の幕の内弁当がやたらおいしそうだった。昔はバリバリ食堂車もあったそうなのに・・・・・。
ヨンサントオのときの大阪駅11番ホームは、いまの11番ホームではありません。当時は環状線ホームに番号が振られてなかったので、いまの11番ホームは当時の9番ホームになります。現在の大阪駅の駐車場へと進むスロープにかつての11番ホームの痕跡を見ることができます。
1997年4月新大阪駅から函館まで日本海1号、1999年4月大阪駅から青森まで日本海3号に乗りました。もう走ることのない列車ですが、私にとっては今も大事な列車です。
東北ドライブの帰り、笹川流れ辺りで休憩中にトンネルから音がしたので追いかけっこしてみようとスタンバイ。貨物かと思いましたが大阪行きの日本海でした。けっこう長い時間追いかけっこしてましたw
北海道南部住み。“日本海”に初めて乗ったのは、高校の修学旅行。函館→青森が連絡船、青森→京都が“日本海”。その後青函トンネル開業後、北陸や関西に用事がある時に何回も乗った。函館を出発するのは夕方で、まだ座席利用の時間。同席の関西の方達(もちろん初対面)といろいろ盛り上がったのは懐かしい思い出。関西や北陸からの帰りは、函館着が午前11時頃。居合わせた人達に、函館の観光案内をした事もあった。日本海縦貫列車、もう復活する事はないのだろうか。残念。
日本海と言えば大阪行きは朝と昼前に関西着がありましたね。始発で行って朝のをよく狙っていました。日本海はローピンの81がメインでたまに入るトワイライト色が当たりでしたね。
その名のとおり日本海縦貫線を駆け抜けて青函トンネルを抜け函館まで走った歴史は消えない。北斗星やトワイライトの影に隠れているが、名前といい名列車の一つ。
いわゆる函館日本海は車両が西日本持ちだったから、トワイライトがスルーした函館をこれが代用する、「セミトワイライト」な編成にしてほしかったと思った旅行業界の人達がいたと思います。
昔急行きたぐにで大阪へ旅行に行きましたが、出発が0時過ぎ(実質始発列車?)のため日本海をよく見てました。後ろにトワイライトカニが連結されていた印象です。
大ミハ受け持った[銀河]にも何回トワ色カニあった~~^^
ローズピンクのEF81に日本海のヘッドマークA寝台車は金帯のシングルデラックスカッコよかったなぁトワイライトエクスプレスに使われた食堂車が最初は日本海で使われる予定で改造当初は青色銀帯だったんだよね急行時代にC57-1が牽引中に村上〜間島で流入土砂に突っ込んで脱線転覆してたりする
当時は白鳥のグリーン車がベストでした。
私も1度、下りで通し乗車しました。四半世紀前の話です。
日本海は青森からの帰り2度利用したことがありその内1度は函館発の列車で北海道内の集中豪雨で19時台の発車予定が大幅に遅れ翌日深夜3時台の発車になってそれまで青森駅で待たされたのを覚えています。
青森止まりか函館直通かは忘れましたが、柏崎~新発田間を越後線・白新線経由で迂回運転した事がありました。この列車は新潟駅に停車していました。新潟駅では時間帯にかかわらず利用は見込めるはずですので、廃止までこのルートを正式な運転経路にしても良かったのではないかと思います。
鉄道ジャーナルのニュースで、早岐配置の14系客車があかつきとして運転中、三宮駅付近で車輪が欠けた事故かあったというのを知りました。原因は広域運用による金属疲労という事です。日本海として青森から来た編成がその日の夜あかつきとして折り返した時の事故だそうです。幸い大事に至らなかったらしいけど、ネット検索してもウイキペディアにも出ていません。1977年の「花の車両基地、向日町運転所」特集だったと記憶しています。
その原因おかしいな!走行距離は変わらんやろ😉
@@psychedelicraspberry517 日本海とあかつき。豪雪地帯から、温暖な九州と、大きな温度差での広域運用で金属疲労が他の車両よりも早かったのでは?
青森→函館 の日本海とその後に走る 臨時の はまなす時間は1分違い何だこりゃ💧って時刻表を眺めてたあの頃
小学生の頃 夏休みに秋田のじいちゃんちに行くのに毎年乗ってたな。 懐かしい。
京都鉄道博物館に日本海のA寝台 オロネ24-4が保存されたが、JR東日本車がJR西日本の施設に保存されるという珍しいことになってる。(最末期1往復になった際、機関車はJR西日本車、客車はJR東日本車になったため)
1往復化後のダイヤもJR西日本車の旧1、4号のスジになっていましたね。
最初に新製投入されたのは向日町運転所だったからある意味里帰りしたともいえる。
ブルトレを何十年後かにSL山口号の客車みたいに再現してほしいな
北斗星やトワイライトよりも1番身近なブルートレインでしたなぜなら函館日本海を毎日のように見てましたトワイライト色のカニ24が連結されるとラッキーって思ってましたね
88年の青函トンネル開通年に八甲田で青森に行き、夏だけ限定復活した青函連絡船で函館、復路は青函トンネルで青森に行き、そこでシップホテルとなった青函連絡船に宿泊しました。その日は上野で毎日見てた583系はつかりと久しぶりに再会。青森止まりの日本海、函館行きの日本海とも出会いました。跨線橋から見た日本海は長く立派なブルトレでしたね。尾久操車場に20系が留置されてたことがあり、その時の方向幕が日本海になってたのも見たことあります。今春、35年ぶりにキュンパスで青森に行きましたが、あまりの変わりように言葉がありませんでした…
青森行きの方は使ったことあります。函館行きが時間合わなかったのもありまして。高校の修学旅行で20系の臨時列車使って青森から京都も経験しましたよ。
日本海が函館まで運転していた時、上野からはくつるで青森に行って、青森から函館まで日本海の立席特急券で乗った事があります‼️
上野はくつるは23時ごろ;日本海1号青森が08:47出発~~^^
鉄道評論家寺本光照氏の著書にはこの日本海を「良く言えば時代を超越した列車、ボロクソに言えば時代に取り残された化石のような列車、国鉄が分割民営化されたことも知らずに走り続けているのかも知れない。」と評していたが、全くそのとおりだったと思う。
トワイライトエクスプレスは下りに2回乗る機会がありましたが、日本海は乗れずじまいでした。首都圏在住なので、敢えて乗りにいかないとダメだったのです。
↑敢えて乗りに行ったオッサン(帰りに「日本海4号」→大阪→新幹線🚅→@東京23区)😁
廃止なる直前に乗車したことあります。
50年以上前の北海道から奈良・京都への高校の修学旅行の帰路に京都駅から日本海に乗りました。私立高校は飛行機使用でしたが公立高校は青函連絡船から東北線寝台特急で上野駅に。山手線で東京駅に移動でそのまま新幹線に乗ると言う東京を素通りと言うプランでした。日本海の遅れで連絡船に間に合うかギリギリのスリルの有る旅でした。
関西~青森を日本海縦貫線経由で結ぶ優等列車の元となった列車は、大正11年頃に神戸~富山で登場した急行680・681列車でした。(当時の時刻表では、神戸2120→富山835・富山2005→神戸700でした。2等寝台車連結)大正14年頃には運行区間が富山から青森に延長されました。(当時の時刻表では、神戸2150→富山800・807→青森530・青森2250→富山2046・2055→神戸710でした。急行運転区間は神戸~富山・2等寝台車連結)又列車番号も503・504列車に変更されました。大正15年頃には青森まで急行運転が行われるようになりました。(当時の時刻表では、神戸2150→富山735→青森2330・青森530→富山2130→神戸728でした。2等寝台車連結)又列車番号も505・506列車に変更されました。昭和4年頃に和食堂車の連結が開始され、翌年の昭和5年頃には運行区間が大阪~青森に変更されました。(当時の時刻表では、大阪1550→富山011・017→青森1620・青森1300→富山449・455→大阪1314でした。2等寝台車・和食堂車連結)又列車番号も501・502列車に変更されました。昭和9年頃には3等寝台車の連結も開始されました。(当時の時刻表では、大阪1000→富山1720・1725→青森725・青森2225→富山1217・1222→大阪1930でした。2・3等寝台車・和食堂車連結)その後大きな変化はありませんでしたが、昭和17年頃に3等寝台車の連結がなくなりました。(当時の時刻表では、大阪1000→富山1720・1726→青森735・青森2100→富山1217・1221→大阪1932でした。2等寝台車・和食堂車連結)そして戦局の悪化の影響で昭和19年頃に廃止されました。(廃止直前の昭和18年3月の時刻表では、大阪1000→富山1720・1726→青森735・青森2235→富山1217・1221→大阪1932でした。2等寝台車・和食堂車連結)又1990年代・2000年代初頭頃の繁忙期には寝台特急あおもり号を補完する目的で、寝台急行あおもり号や寝台急行東北夏祭り号が運行されていましたね。
関西〜山形、秋田に乗るのにはちょうどいい時間帯(3号、2号)でした。そこから先となると食堂車、ロビーカーなどがないとつらそうでした。
青森〜酒田は寝台券無しで特急料金で乗車出来ました。
日本海懐かしい。乗る機会は無かったけど、家の前が列車交換出来る場所なので、停車していた記憶が有ります。(北斗星だったかも?)
函館行き日本海のルートは現代だと敦賀~直江津と木古内~五稜郭が第三セクターか、復活は絶対ないな。
昔はオリエント急行がパリから東京迄来たのにね。イベントだけど。
最初は日本海のために牽引機はEF58型も考えられていたそうですが、実際は東京機関区のEF65型500番台P型型が使用された。ちなみにヨンナナサンダイヤ改正では下関運転所のPF型と予備で広島運転所のF型がヨンナナトウダイヤ改正まで使用されていてその後のEF58P型改造に変わった。このとき誕生した寝台特急つるぎも同じです。ちなみにつるぎは客車寝台特急では初めて食堂車を連結しながら非営業になった列車です。これは青森運転所の20系が使用されていて日本海からつるぎになっていたためだ。
函館発の日本海に乗ったがありますね青函トンネルの機関車の牽引力の関係で函館では連結せずに青森で増結する事が伝わっていなかったのか自分の乗る車両が無いと騒ぎになって居ました
EF81阪青=>ED79青函~~^^
実は青函トンネルを通過する在来線定期旅客列車で最も長編成だったのが日本海1・4号(機関車1両+電源車1両+客車12両)じゃなかったっけ。
日本海は、青森〜函館は短編成化されてたんではありませんでしたっけ?
@@sagradafamilia705 繁忙期や余程の多客期に限ってですが8両・12両(+機関車・電源車)の渡道もありましたね。ロネ300連結以降は少々あいまいですが、それ以前は機関車+客車11両+電源車+モトとレール1両ってのもあったかと。
日本海は是非復活してほしい寝台特急です。
目的地に行くことが旅行であるという定義を覆し、乗り物に乗ることも重要なアクテビティであると定義しない限り、鉄道はどんどん衰退するだろう。JR九州は多彩な観光列車を作り成功している。夜行列車も廃止一辺倒ではなく、サンライズをさらに工夫して豪華絢爛ではなくても思い出に残る夜行列車を作ってもらいたい。日本海も経路で考えると「サンライズ日本海」とかで新生デビューすれば採算の取れる人気列車になるかもしれない。現行のサンライズの老朽化が迫ってる今出雲や瀬戸だけでなく多彩な行き先を持った列車の車両を開発する時ではないか?バスや飛行機に対抗するのではなく、鉄道でしか味わうことのできない魅力を確立して、そのノウハウを末端まで浸透させれば、廃線問題にも一石を投じることが出きるのではないか?
でも、客単価¥50,000以上出すのは鉄ヲタだけっしょ!😵
大昔は食堂車がありましたよね?
20系時代にはね
ゴウマルサンダイヤ改正で早岐客貨車区の14系14型に変わり食堂車がなくなった。それまでは早岐客貨車区にもオシ14型が配置ざれていたがこの改正ですべて品川客車区へ転属して一部はオシ24型100番台に改造された。これはオシ24型が8編成必要でたらなかったためた。何故ならはやぶさと富士で3編成ずつと出雲で2編成、他に予備車も必要だった。もともと24系24型は関西地区発着の九州寝台特急に使われていて、初めて東京発着の九州寝台特急に新製車以外が使用された。ただし初期の旧型客車時代は除く。
学生時代に「トワイライトエクスプレス」の寝台券がA寝台ロイヤル、B寝台ツインシングルはもちろんBコンパートすら10時打ちしても取れず、「日本海」のB寝台で我慢したのはいまとなってはいい思い出。←
電車でGO!Finalはなぜ日本海を函館行きにしたのか
北陸本線の第三セクター化により更に復活が絶望的に…
裏街道のビッグ2と言えば「富士」と「日本海」
いや...裏日本て😅怒られない?
@@UIT-0001-ir1obポリティカルコレクトネスによる、言葉狩りですか?裏街道・裏日本・裏九州などの表現は、昔から当たり前に使われてきた普通の表現です。
藪から蛇だったぜ
即完売間違いなしなのに、採算が取れない。ブルートレインと新幹線が共存していたのが、今は昔。飛行機なんて高すぎて乗れない時代だった。でも、臨時ではあるが再び夜行列車が走り始めている。何もサンライズを作れとは言わない。既存の車両で夜行列車の復活はできないか。
それでも客単価¥30,000以上必須😁
大阪ー秋田・青森間は飛行機しかないから日本海は復活してほしいね。鉄道に乗る事が旅の目的になる昨今、需要はあると思うんやけどな。深夜帯に3セク区間全通過のダイヤを組めば何とかならんかな。
需要はあるが儲からない😵
8:50「需要が低迷」と9:19「存続できた」というのは、矛盾しており、ちょっと内容(意図)がわからないです。日本海は行き先表示では何度も見ていましたが…一度は乗ってみたかったですね。
もし残ってても三セク化と青函トンネルの問題で廃止されていたでしょう複数の三セクを通るので運賃も高額になりそう
大阪〜直江津経由で上野なんて今では信じられませんね。新幹線開業前だから需要はあったのだろうな。現在は東京乗り換えの新幹線で約六時間です😊時短が故に各地へ向かうブルートレインが廃止された事の理由のひとつです😢
@@hiroshia5789 この列車は青森編成と上野編成の双方に食堂車があり、大阪〜直江津間は食堂車2両を連結していた超豪華列車。
@@レールスターひかり 私の生まれる前です。食堂車2両に驚きです。
関西から秋田や青森へ行くには新幹線でも半日かかるので日本海は運転してほしいのだが
583系のはくつるも函館乗り入れ果たして欲しかった。
青函トンネルを通れたのかな?
@@Dobby-z6wさん改造が必要ですね。
@@By-Gaeshi 当時ATC-L搭載したのは485系1000番台盛岡函館発着したはつかり;583系全車はなかったか;一部は[青函越え]なしダイヤに~~^^
日本海側の医学部受ける流刑医学部受験生の列車
季節列車の日本海下り1号と上り2号は湖西線経由です。ゴウマルサンダイヤ改正改正で関西地区と北陸地区を結ぶ優等列車は急行きたぐにとゆのくに、それに、ゆのくにと越後の併結列車を除いて全て湖西線経由になっています。どこから米原経由だと思ったんですか?ちゃんと調べましょう。それと長岡は、深夜帯のために運転停車であって、スピードアップのためではありません。ちなみに糸魚川も機関車交換のために運転停車しています。ヨンナナトウダイヤ改正からは金沢で機関車交換しています。
てことは大阪~青森には復活する要素がそれなりににあるのか。トワイライトも2014年に消えたけど、クルーズトレインじゃなく普通に夜行バスの代替として上野・大阪~青森は論外なほかの地域よりは期待が持てる。
今は第三セクターになった部分が有るから需要発生しても復活出来ないよ😭
ワンチャンあるとすれば…JR貨物による貨客列車運転カートレインやモトトレインはガソリンを空にする必要があったから普及しなかった。法改正してガソリンを燃料タンクに積載したまま貨物列車で運べれば需要アドバンテージは取れるんじゃないかな。
@@noiseterror777 やってやれないことはないですが、やりたがりはしないでしょうなあ
@@湯之峰delta-交通研究部 やりたくない理は山程あるでしょうね。何しろ、大阪ー青森・函館間は、のぞみ+はやぶさで移動した方が遥かに速いし、日本海側の主要都市も同様。
@@竹内克-l7r そうなんですよね…鐵坊主さんが以前仰っていましたが、万一羽越に新幹線を作っても得するのは酒田と鶴岡だけというどうにもならない事実もあるので、最早どう頑張ってもいなほや並行高速バス以上の需要は引き出せないでしょう。
トワイライトエクスプレスに食堂車や個室寝台を召し上げられなければ日本海1・4号がもっとテコ入れされていた
昭和50年に設定された臨時列車も湖西線経由だったような気がするのですが、、
速達性を重視、って運転停車はするだろ…
あの時、もっと乗ってれば良かった( ˙꒳˙ )
もし韓国の主張が通っていたら2種類の特急「東海」が走ってた世界線も…ねーよ。
この次の動画はコメントが一番上なのにこっちは一番下政治性のある話題は難しいね
実は、青函トンネル開通時に一番に発車した北海道直通列車(北斗星もはまなすも改正日発に対して日本海は前日発で、大阪駅でブラスバンドに見送られる出発式まで行いました)だったりします。
当日の日本海1号函館行の出発を観に行きました。鉄道唱歌の生演奏付きでの発車でした。
@@minakatamanabu7413 初めて通ったのははつかり
1989年12月2日。“寝台特急 トワイライトエクスプレス” 運行初日の食堂車に乗務しました。運行当初…深夜遅い秋田駅のあたりで “寝台特急 日本海” と上下便の行き違いの為、横並びに停車。日本海の車内からは、まだ珍しかったトワイライトエクスプレスをひとめ見ようと、寝間着の浴衣姿の乗客が大勢おられました。食堂車ではちょうどパブタイムを終える時間でした。
あの
機関車の 日本海 って言うヘッドマークがカッコ良いのよ
日本海1,4号は函館乗り入れの際、食堂車を連結する事を考えてたとか。そのための食堂車も用意してたが、結局その食堂車はトワイライトに回された。
当時の時刻表の編成表では食堂車組み込み前提の欠番があったな>函館「日本海」
改造落成時、ブルトレ色だったので、当初は日本海に連結するつもりだったのでしょうね!
最終的には食堂車は連結せず、後に285系投入で弾き出されたオロネ25-300を下関から移籍してA寝台シングルDXを連結したのみですね
日本海廃止も、個室のあるJR西日本編成が最初に廃止され、プルマンタイプA寝台のあるJR東日本編成が最後まで残った。、
@@山岸克己-p5t
恐らく、線路、車両、委託使用料等の問題と寝台特急あけぼの(電源車やB寝台は共通)の関係で客車はJR東日本持ちにして、機関車と車掌をJR西日本持ちにしたと思われる
寝台特急日本海、高校の修学旅行で函館から京都まで乗ったことがあるだけに懐かしいですね、青森駅での増結停車中にジュースとかお菓子を買いに行ったりしてました。
私の場合修学旅行のは大阪始発で函館まで載りましたね。懐かしい思い出です。
30数年前、祖母の家がある北海道に行くときに大阪ー青森で乗りました。ずっと憧れていたブルートレインに初めて乗車できて、すごく興奮していたのを覚えています。今となってはもう体験できない懐かしい思い出です。
5:39 「あかつき」だけに不可能を可能に…
関西に住む親戚の所に行くのに、日本海に何度も乗りましたわ。
日本海3・2号が登場時からほば変わらない編成、そのほぼとはプルマン式のA寝台が連結されるようになったことですね。
青森まで大阪の車掌さん、その先は札幌の車掌さんが乗務されてました。
また、夏休みにオートバイ輸送の車両を編成最後尾にぶら下げてたこともありました。
「モトとレール」ですね!
♪ぬ~す~ん~だば~い~く~では~し~りだ~す~!😁
@@subaski 浜松町駅始発??^^
@@437phw モトとレールは大阪発でした。
浜松町発はカートレインですね。
クルマの積み込みのため汐留駅亡き後
スペースが確保できた浜松町が
選ばれたようです。
懐かしいです。高校の修学旅行で、青森ー上野がゆうづる、大阪ー青森が日本海。😊
ゆうづる仙台=上野が常磐線経由??^^
7:27
北斗星も2008年までは2往復体制でしたね。
多客期に札幌まで延長運転されれば良いのにと妄想していました。
函館から乗りました。
当日予約で9室のA1最後の一室でした。シャワー室完備なんですよね
カードもらいましたが
使いませんでした。
記憶では函館で検札が出発前に来て青森近辺でまた検札が来たような気がしました。青森では連結の時間があったので立ち食いそばを買って持ち込んで食べました。
北斗星のB個より贅沢な旅でした。
なぜかは分からないけど初めてハマったブルートレインが日本海だった...
結局乗れたのはあけぼのの方だったけどNゲージ買ったし今でも好き
実は、松本清張の小説『ゼロの焦点』でも、カメオ出演しています。
私もよく秋田に帰る時に、乗車していました。
最後の臨時の1日前の下りに乗る事が出来ました。
キャンセル待ちで右下段が取れたんです。
普通に帰省客が沢山乗っていて無くなるのは知らない方々が多かった様子でした。
大阪着いたらエライこと(撮影者でごった返し)でしたわ。
主様の分析通り需要多かったので今あってもかなり乗ってくれる列車でしょうね。
余剰の681改造してイベント臨時で復活したら券取れませんね。
日本海縦断夜行は移動手段としては最強のコンテンツでしょうね。
私も一度、大阪から函館まで乗りました。青森から先は通常なら4両だったのがこの日は12両でした。今から思えば修学旅行の団体が函館からあったのかも知れないですね。もうこんな旅ができないなんてさびしいです。
貧乏学生だった私にとって寝台特急日本海は手の届かない存在
客車で青森まで行っていた急行きたぐにの座席車を愛用していました
夜澄んだ空気、寝床について耳をすますと当列車の継ぎ目を叩く音が聞こえていた。新潟ならつるぎ、きたぐにだが、それより北は出羽と当列車だった🤖
懐かしいですね。実家に住んでいた頃は家の2階の窓から江差線を眺めて日本海号を見ていました。
また二十代後半東京に住んでいた頃は実家に帰る時青森から函館方面の海峡号、はつかり号が無い時は青森ー木古内間だけ日本海に乗車して木古内ー上磯間を普通列車に乗車して帰った事も有りました。
平成9年の暮れに直江津~函館で乗った。
当方、上越線沿線の住民だったために寝台特急に縁が無く、日本海が初めて乗った寝台特急だった。
新津から乗車でも良かったのだが、少しでも長く乗りたいので直江津まで出向いた。
EF81牽引の日本海1号が直江津駅に入るのを見た時は感動した(笑)
1号車1番上段。直江津23:52→函館11:16。
この乗車券は今もとってある。
2010年代まで生き残っていたのが凄いと思います。
ただ早い段階で車両が更新され個室などが付いたとしても北陸本線が四つの第三セクターに移管されてては運行の調整や保安システムの兼ね合いで早々に運行中止になっていたでしょうね。
それが一番の要員でしょう。いずれにしても新幹線開業時に廃業前提だからね。
@@hiroshia5789 恐らく信越X北陸本線が乗り入れた直江津駅[新在]分離した手前
実は寝台特急日本海は全線電化完成のときには当時新鋭だった583系電車置き換える計画もあったようです。結果的には20系から14系、更には24系と移っていき583系は定期では使用されなかったけど臨時では使用実績があった。それもサハネのサロネ化後でグリーン車を除き全車寝台車だった。向日町が殆どだったが青森でも受け持っておりこの場合A寝台車は当然なかった。
青森が08:47出発;終点函館に着いたは正午手前立ち席特急券✙運賃で乗れた;ちなみに上野23時頃で東北本線経由寝台[はくつる]との接続が約九十分ぐらい~~^^
高校の修学旅行で函館大阪で利用しました。
朝の時点で洗面等の水を使い切って烏龍茶で歯を磨いたのはいい思い出です。
距離が距離だけに関西と東北間の夜行は末期でも需要高かったですよね。でも冬季ダイヤが乱れ易く代替車両もないのでやや強引に終了した印象です。
函館延長当初は日本海に食堂車連結のアナウンスがありましたが、これは結局トワイライトになりましたね。
青函トンネルを最初に通過した旅客列車は日本海だったとか。
青森~函館間の列車が消えると聞いてわざわざ関西経由で函館まで乗りました。
北斗星など豪華寝台特急群とは全然違う時間帯に江差線走ってました。
はじめて大阪行った時トワ釜牽引の日本海を大阪駅で見たな懐かしい
EF81当時は金ツル所属;ローズピンクとトラ二色あった;トラ色24系カニが[銀河]に回されも珍しくなかった~~^^
秋田県秋田市に住んでいた時日本海1号に東能代から乗車したことが2度ありました。その当時秋田駅からだと乗車は出来たのですが寝台券購入しないと乗車できず、東能代から「ヒルネ」としての車両が発生するので前日普通列車の最終便で東能代まで行き野宿して日本海1号を待ち北海道入りしたことが思い出に蘇ります
早岐客貨車区の14系が日本海とあかつきと共通運用を組んでいた当時あかつきで来阪した14系を翌日日本海に運用する場合宮原で折り返し整備する必要がある為大阪発着としなければならずあかつきには大阪発着と新大阪発着が混在していた時期があった。あかつきが14系15形に置き換えられ広域運用が解消した後もその名残で数年間は大阪発着と新大阪発着が混在していた。
以前フジテレビの堺アナのニュース動画を見ました。
既に晩年の頃ですが明朝金沢まで車内販売を行わないので、飲食物は青森で買うしかないと。
朝飯の幕の内弁当がやたらおいしそうだった。
昔はバリバリ食堂車もあったそうなのに・・・・・。
ヨンサントオのときの大阪駅11番ホームは、いまの11番ホームではありません。当時は環状線ホームに番号が振られてなかったので、いまの11番ホームは当時の9番ホームになります。現在の大阪駅の駐車場へと進むスロープにかつての11番ホームの痕跡を見ることができます。
1997年4月新大阪駅から函館まで日本海1号、1999年4月大阪駅から青森まで日本海3号に乗りました。もう走ることのない列車ですが、私にとっては今も大事な列車です。
東北ドライブの帰り、笹川流れ辺りで休憩中にトンネルから音がしたので追いかけっこしてみようとスタンバイ。貨物かと思いましたが大阪行きの日本海でした。けっこう長い時間追いかけっこしてましたw
北海道南部住み。
“日本海”に初めて乗ったのは、高校の修学旅行。函館→青森が連絡船、青森→京都が“日本海”。
その後青函トンネル開業後、北陸や関西に用事がある時に何回も乗った。函館を出発するのは夕方で、まだ座席利用の時間。同席の関西の方達(もちろん初対面)といろいろ盛り上がったのは懐かしい思い出。
関西や北陸からの帰りは、函館着が午前11時頃。居合わせた人達に、函館の観光案内をした事もあった。
日本海縦貫列車、もう復活する事はないのだろうか。残念。
日本海と言えば大阪行きは朝と昼前に関西着がありましたね。始発で行って朝のをよく狙っていました。日本海はローピンの81がメインでたまに入るトワイライト色が当たりでしたね。
その名のとおり日本海縦貫線を駆け抜けて青函トンネルを抜け函館まで走った歴史は消えない。北斗星やトワイライトの影に隠れているが、名前といい名列車の一つ。
いわゆる函館日本海は車両が西日本持ちだったから、トワイライトがスルーした函館をこれが代用する、「セミトワイライト」な編成にしてほしかったと思った旅行業界の人達がいたと思います。
昔急行きたぐにで大阪へ旅行に行きましたが、出発が0時過ぎ(実質始発列車?)のため日本海をよく見てました。後ろにトワイライトカニが連結されていた印象です。
大ミハ受け持った[銀河]にも何回トワ色カニあった~~^^
ローズピンクのEF81に日本海のヘッドマーク
A寝台車は金帯のシングルデラックス
カッコよかったなぁ
トワイライトエクスプレスに使われた食堂車が最初は日本海で使われる予定で改造当初は青色銀帯だったんだよね
急行時代にC57-1が牽引中に村上〜間島で流入土砂に突っ込んで脱線転覆してたりする
当時は白鳥のグリーン車がベストでした。
私も1度、下りで通し乗車しました。四半世紀前の話です。
日本海は青森からの帰り2度利用したことがありその内1度は函館発の列車で北海道内の集中豪雨で19時台の発車予定が大幅に遅れ翌日深夜3時台の発車になってそれまで青森駅で待たされたのを覚えています。
青森止まりか函館直通かは忘れましたが、柏崎~新発田間を越後線・白新線経由で迂回運転した事がありました。この列車は新潟駅に停車していました。新潟駅では時間帯にかかわらず利用は見込めるはずですので、廃止までこのルートを正式な運転経路にしても良かったのではないかと思います。
鉄道ジャーナルのニュースで、早岐配置の14系客車があかつきとして運転中、三宮駅付近で車輪が欠けた事故かあったというのを知りました。原因は広域運用による金属疲労という事です。日本海として青森から来た編成がその日の夜あかつきとして折り返した時の事故だそうです。幸い大事に至らなかったらしいけど、ネット検索してもウイキペディアにも出ていません。1977年の「花の車両基地、向日町運転所」特集だったと記憶しています。
その原因おかしいな!走行距離は変わらんやろ😉
@@psychedelicraspberry517
日本海とあかつき。豪雪地帯から、温暖な九州と、大きな温度差での広域運用で金属疲労が他の車両よりも早かったのでは?
青森→函館 の日本海
と
その後に走る 臨時の はまなす
時間は1分違い
何だこりゃ💧って時刻表を眺めてたあの頃
小学生の頃 夏休みに秋田のじいちゃんちに行くのに毎年乗ってたな。 懐かしい。
京都鉄道博物館に日本海のA寝台 オロネ24-4が保存されたが、JR東日本車がJR西日本の施設に保存されるという珍しいことになってる。(最末期1往復になった際、機関車はJR西日本車、客車はJR東日本車になったため)
1往復化後のダイヤもJR西日本車の旧1、4号のスジになっていましたね。
最初に新製投入されたのは向日町運転所だったからある意味里帰りしたともいえる。
ブルトレを何十年後かにSL山口号の客車みたいに再現してほしいな
北斗星やトワイライトよりも
1番身近なブルートレインでした
なぜなら函館日本海を毎日のように
見てました
トワイライト色のカニ24が連結されると
ラッキーって思ってましたね
88年の青函トンネル開通年に八甲田で青森に行き、夏だけ限定復活した青函連絡船で函館、復路は青函トンネルで青森に行き、そこでシップホテルとなった青函連絡船に宿泊しました。その日は上野で毎日見てた583系はつかりと久しぶりに再会。青森止まりの日本海、函館行きの日本海とも出会いました。跨線橋から見た日本海は長く立派なブルトレでしたね。尾久操車場に20系が留置されてたことがあり、その時の方向幕が日本海になってたのも見たことあります。今春、35年ぶりにキュンパスで青森に行きましたが、あまりの変わりように言葉がありませんでした…
青森行きの方は使ったことあります。
函館行きが時間合わなかったのもありまして。
高校の修学旅行で20系の臨時列車使って青森から京都も経験しましたよ。
日本海が函館まで運転していた時、上野からはくつるで青森に行って、青森から函館まで日本海の立席特急券で乗った事があります‼️
上野はくつるは23時ごろ;日本海1号青森が08:47出発~~^^
鉄道評論家寺本光照氏の著書にはこの日本海を「良く言えば時代を超越した列車、ボロクソに言えば時代に取り残された化石のような列車、国鉄が分割民営化されたことも知らずに走り続けているのかも知れない。」と評していたが、全くそのとおりだったと思う。
トワイライトエクスプレスは下りに2回乗る機会がありましたが、日本海は乗れずじまいでした。首都圏在住なので、敢えて乗りにいかないとダメだったのです。
↑敢えて乗りに行ったオッサン(帰りに「日本海4号」→大阪→新幹線🚅→@東京23区)😁
廃止なる直前に乗車したことあります。
50年以上前の北海道から奈良・京都への高校の修学旅行の帰路に京都駅から日本海に乗りました。
私立高校は飛行機使用でしたが公立高校は青函連絡船から東北線寝台特急で上野駅に。
山手線で東京駅に移動でそのまま新幹線に乗ると言う東京を素通りと言うプランでした。
日本海の遅れで連絡船に間に合うかギリギリのスリルの有る旅でした。
関西~青森を日本海縦貫線経由で結ぶ優等列車の元となった列車は、大正11年頃に神戸~富山で登場した急行680・681列車でした。(当時の時刻表では、神戸2120→富山835・富山2005→神戸700でした。2等寝台車連結)大正14年頃には運行区間が富山から青森に延長されました。(当時の時刻表では、神戸2150→富山800・807→青森530・青森2250→富山2046・2055→神戸710でした。急行運転区間は神戸~富山・2等寝台車連結)又列車番号も503・504列車に変更されました。大正15年頃には青森まで急行運転が行われるようになりました。(当時の時刻表では、神戸2150→富山735→青森2330・青森530→富山2130→神戸728でした。2等寝台車連結)又列車番号も505・506列車に変更されました。昭和4年頃に和食堂車の連結が開始され、翌年の昭和5年頃には運行区間が大阪~青森に変更されました。(当時の時刻表では、大阪1550→富山011・017→青森1620・青森1300→富山449・455→大阪1314でした。2等寝台車・和食堂車連結)又列車番号も501・502列車に変更されました。昭和9年頃には3等寝台車の連結も開始されました。(当時の時刻表では、大阪1000→富山1720・1725→青森725・青森2225→富山1217・1222→大阪1930でした。2・3等寝台車・和食堂車連結)その後大きな変化はありませんでしたが、昭和17年頃に3等寝台車の連結がなくなりました。(当時の時刻表では、大阪1000→富山1720・1726→青森735・青森2100→富山1217・1221→大阪1932でした。2等寝台車・和食堂車連結)そして戦局の悪化の影響で昭和19年頃に廃止されました。(廃止直前の昭和18年3月の時刻表では、大阪1000→富山1720・1726→青森735・青森2235→富山1217・1221→大阪1932でした。2等寝台車・和食堂車連結)又1990年代・2000年代初頭頃の繁忙期には寝台特急あおもり号を補完する目的で、寝台急行あおもり号や寝台急行東北夏祭り号が運行されていましたね。
関西〜山形、秋田に乗るのにはちょうどいい時間帯(3号、2号)でした。そこから先となると食堂車、ロビーカーなどがないとつらそうでした。
青森〜酒田は寝台券無しで特急料金で乗車出来ました。
日本海懐かしい。乗る機会は無かったけど、家の前が列車交換出来る場所なので、停車していた記憶が有ります。(北斗星だったかも?)
函館行き日本海のルートは現代だと
敦賀~直江津と木古内~五稜郭が第三セクターか、復活は絶対ないな。
昔はオリエント急行がパリから東京迄来たのにね。
イベントだけど。
最初は日本海のために牽引機はEF58型も考えられていたそうですが、実際は東京機関区のEF65型500番台P型型が使用された。ちなみにヨンナナサンダイヤ改正では下関運転所のPF型と予備で広島運転所のF型がヨンナナトウダイヤ改正まで使用されていてその後のEF58P型改造に変わった。このとき誕生した寝台特急つるぎも同じです。ちなみにつるぎは客車寝台特急では初めて食堂車を連結しながら非営業になった列車です。これは青森運転所の20系が使用されていて日本海からつるぎになっていたためだ。
函館発の日本海に乗ったがありますね
青函トンネルの機関車の牽引力の関係で函館では連結せずに青森で増結する事が伝わっていなかったのか自分の乗る車両が無いと騒ぎになって居ました
EF81阪青=>ED79青函~~^^
実は青函トンネルを通過する在来線定期旅客列車で最も長編成だったのが日本海1・4号(機関車1両+電源車1両+客車12両)じゃなかったっけ。
日本海は、青森〜函館は短編成化されてたんではありませんでしたっけ?
@@sagradafamilia705 繁忙期や余程の多客期に限ってですが8両・12両(+機関車・電源車)の渡道もありましたね。
ロネ300連結以降は少々あいまいですが、それ以前は機関車+客車11両+電源車+モトとレール1両ってのもあったかと。
日本海は是非復活してほしい寝台特急です。
目的地に行くことが旅行であるという定義を覆し、乗り物に乗ることも重要なアクテビティであると定義しない限り、鉄道はどんどん衰退するだろう。JR九州は多彩な観光列車を作り成功している。夜行列車も廃止一辺倒ではなく、サンライズをさらに工夫して豪華絢爛ではなくても思い出に残る夜行列車を作ってもらいたい。日本海も経路で考えると「サンライズ日本海」とかで新生デビューすれば採算の取れる人気列車になるかもしれない。現行のサンライズの老朽化が迫ってる今出雲や瀬戸だけでなく多彩な行き先を持った列車の車両を開発する時ではないか?バスや飛行機に対抗するのではなく、鉄道でしか味わうことのできない魅力を確立して、そのノウハウを末端まで浸透させれば、廃線問題にも一石を投じることが出きるのではないか?
でも、客単価¥50,000以上出すのは鉄ヲタだけっしょ!😵
大昔は食堂車がありましたよね?
20系時代にはね
ゴウマルサンダイヤ改正で早岐客貨車区の14系14型に変わり食堂車がなくなった。それまでは早岐客貨車区にもオシ14型が配置ざれていたがこの改正ですべて品川客車区へ転属して一部はオシ24型100番台に改造された。これはオシ24型が8編成必要でたらなかったためた。何故ならはやぶさと富士で3編成ずつと出雲で2編成、他に予備車も必要だった。もともと24系24型は関西地区発着の九州寝台特急に使われていて、初めて東京発着の九州寝台特急に新製車以外が使用された。ただし初期の旧型客車時代は除く。
学生時代に「トワイライトエクスプレス」の寝台券がA寝台ロイヤル、B寝台ツインシングルはもちろんBコンパートすら10時打ちしても取れず、「日本海」のB寝台で我慢したのはいまとなってはいい思い出。←
電車でGO!Finalはなぜ日本海を函館行きにしたのか
北陸本線の第三セクター化により更に復活が絶望的に…
裏街道のビッグ2と言えば
「富士」と「日本海」
いや...裏日本て😅
怒られない?
@@UIT-0001-ir1ob
ポリティカルコレクトネスによる、言葉狩りですか?
裏街道・裏日本・裏九州などの表現は、昔から当たり前に使われてきた普通の表現です。
藪から蛇だったぜ
即完売間違いなしなのに、採算が取れない。
ブルートレインと新幹線が共存していたのが、今は昔。
飛行機なんて高すぎて乗れない時代だった。
でも、臨時ではあるが再び夜行列車が走り始めている。
何もサンライズを作れとは言わない。既存の車両で夜行列車の復活はできないか。
それでも客単価¥30,000以上必須😁
大阪ー秋田・青森間は飛行機しかないから日本海は復活してほしいね。
鉄道に乗る事が旅の目的になる昨今、需要はあると思うんやけどな。
深夜帯に3セク区間全通過のダイヤを組めば何とかならんかな。
需要はあるが儲からない😵
8:50「需要が低迷」と9:19「存続できた」というのは、矛盾しており、ちょっと内容(意図)がわからないです。
日本海は行き先表示では何度も見ていましたが…一度は乗ってみたかったですね。
もし残ってても三セク化と青函トンネルの問題で廃止されていたでしょう
複数の三セクを通るので運賃も高額になりそう
大阪〜直江津経由で上野なんて今では信じられませんね。新幹線開業前だから需要はあったのだろうな。
現在は東京乗り換えの新幹線で約六時間です😊
時短が故に各地へ向かうブルートレインが廃止された事の理由のひとつです😢
@@hiroshia5789
この列車は青森編成と上野編成の双方に食堂車があり、大阪〜直江津間は食堂車2両を連結していた超豪華列車。
@@レールスターひかり 私の生まれる前です。食堂車2両に驚きです。
関西から秋田や青森へ行くには新幹線でも半日かかるので
日本海は運転してほしいのだが
583系のはくつるも函館乗り入れ果たして欲しかった。
青函トンネルを通れたのかな?
@@Dobby-z6wさん
改造が必要ですね。
@@By-Gaeshi 当時ATC-L搭載したのは485系1000番台盛岡函館発着したはつかり;583系全車はなかったか;一部は[青函越え]なしダイヤに~~^^
日本海側の医学部受ける
流刑医学部受験生の列車
季節列車の日本海下り1号と上り2号は湖西線経由です。ゴウマルサンダイヤ改正改正で関西地区と北陸地区を結ぶ優等列車は急行きたぐにとゆのくに、それに、ゆのくにと越後の併結列車を除いて全て湖西線経由になっています。どこから米原経由だと思ったんですか?ちゃんと調べましょう。それと長岡は、深夜帯のために運転停車であって、スピードアップのためではありません。ちなみに糸魚川も機関車交換のために運転停車しています。ヨンナナトウダイヤ改正からは金沢で機関車交換しています。
てことは大阪~青森には復活する要素がそれなりににあるのか。トワイライトも2014年に消えたけど、クルーズトレインじゃなく普通に夜行バスの代替として上野・大阪~青森は論外なほかの地域よりは期待が持てる。
今は第三セクターになった部分が有るから需要発生しても復活出来ないよ😭
ワンチャンあるとすれば…JR貨物による貨客列車運転
カートレインやモトトレインはガソリンを空にする必要があったから普及しなかった。法改正してガソリンを燃料タンクに積載したまま貨物列車で運べれば需要アドバンテージは取れるんじゃないかな。
@@noiseterror777 やってやれないことはないですが、やりたがりはしないでしょうなあ
@@湯之峰delta-交通研究部
やりたくない理は山程あるでしょうね。
何しろ、大阪ー青森・函館間は、のぞみ+はやぶさで移動した方が遥かに速いし、日本海側の主要都市も同様。
@@竹内克-l7r そうなんですよね…鐵坊主さんが以前仰っていましたが、万一羽越に新幹線を作っても得するのは酒田と鶴岡だけというどうにもならない事実もあるので、最早どう頑張ってもいなほや並行高速バス以上の需要は引き出せないでしょう。
トワイライトエクスプレスに食堂車や個室寝台を召し上げられなければ日本海1・4号がもっとテコ入れされていた
昭和50年に設定された臨時列車も湖西線経由だったような気がするのですが、、
速達性を重視、って運転停車はするだろ…
あの時、もっと乗ってれば良かった( ˙꒳˙ )
もし韓国の主張が通っていたら2種類の特急「東海」が走ってた世界線も…ねーよ。
この次の動画はコメントが一番上なのにこっちは一番下
政治性のある話題は難しいね