ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
むかーし主治医に言われたやつだ、あなたは自分のしたいことをやったことがない、と。それから毎週やりたいこと聞かれて、次の週までにやっていくように練習した。「京都に行きたいです」「じゃあ行ってみたら?」みたいな。「ジムに行きたいです。でもお金ないです」「運動するのにお金いらないよ、その辺走ればいいんだから」みたいな。そのうち「海外旅行に行きたいです」「どこ?行ってくれば?」「すごく楽しかったから、2週間の超短期留学したいです」「いいね。いつから?」「すごく楽しかったから一年留学したいです」「それは心配。もう少し短くは?」「じゃあ3ヶ月で」「すごくよかったから1年行くことにします」「いってらっしゃい」で5年ほど海外にいました。大変だったけどそうやって回復したのを思い出しました。
とても良く分かります。従順で、小さい頃はそれが当たり前のように親の言うことや先生の言うことを真面目に受け取ってきた人間です。今思えば、主体性は無い人間ですよね、ほんとに。でも、ある程度は自分の性質上仕方無かったのかもしれないなぁと思います。不安を感じやすかったりするので。職場では、上司の言うことを素直に聞く真面目な人間と思われているようでしたが(本人は至って真面目に、そうしなければいけないものだと思っていました)、先日ハッキリと『お前は周りに良いように使われてるだけだ』と面と向かって言われて物凄くショックを受けましたが、それがきっかけで我に返ったようにもう自分を生きようと思い始めました。周りへの思いやりの気持ちは持ちつつも、自分ファーストで生きていこうと決心しました。ここから、自分の事を更に知って、自分の人生をより自分らしく生き直そうと思います。
私は大学生ですが、いい子症候群というものに近いなあと最近気づきました。他人が喜ぶ選択をし続けて生きてきたため、「自分の意見」がほとんどありません。自分自身の空っぽさや中身のなさを、以前にもまして痛感します。動画では30~40代の方に触れていましたが、より若い世代でも似たような人は多いんだろうなと推測します。
主体性を消し、いい子でいることが生きる術だったのに、主体性を身につけろって辛いな😅今までの自分を否定されてるような気持ちになる。辛いこと続きすぎる。
いいなりの人生でした。言いつけ通りにしたのに、間違っていた事がわかると母は「私は離婚しろと言ったかも知れないが、決めたのはアンタでしょ」と言われ脳裏に焼き付いています。「恥ずかしい!谷中に知られたら出歩けない」とまで。先生のお話を聞いて主体性が全くなかったのだろうと思いました。幼い頃から怒られるからする。親が言う通りにしないと放っておかれるからする。親が主体の人生でした。「君が考えている事は直ぐにわかる」と色々人に言われたけど、コレは主体性がなく扱い安いということだったのですね。バカにされて当然だと理解できました。
冒頭の言葉から。私です。良い子なのに辛い、疎外感、孤立感、ずっとずっとその状態で、つらくて結婚しました。全部わたし。会社のころもそのまんま私親の事も大切にしなきゃ。だったし、次は夫や夫の家族を大切にしなきゃで。その上主体性もあると思っていました。不安と後悔と非自己受容とプライドも私。良くなりたいと思いながら矛盾していたのも、2年前までの私。不安を感じやすかったのも。だからその日その日親、上司、夫に評価をもらえないと焦ったし。今回の離婚への挑戦は、結局はじめての自立なんだとはじめてそんな感覚を持てました。毎日ありがとうございます
自立を手放せたらいいのになと最近思いがちでした。親の代わりを求めている、変な楽観性がある、のところ、ぐさっときました。益田先生の話し方はどの回でも変わらないのに、自分にあてはまる回は、怒られているような、冷たく言われているような気持ちになってどきっとします。そういう回こそ、自己理解につながるんだろなと思い、どきどきしながらも2周目を見たところです。いつもありがとうございます。
こういった類の悩みやモヤモヤを抱えている人にとって「甘え」という言葉は結構堪えますね。図星であり、かといってどこか身を削っているような感覚もあり、それを甘えと言われると、私自身は少なからず混乱してしまいます。以前別のチャンネルでも「甘え」という言葉でコメント欄がザワザワしたのを見たことがあり、何か近い言葉はないのかな?とぼんやり考えた記憶があります。今回の話を聞いていると、抗うことへの「諦め」に近い気もしました。諦めることも甘えだと言われればそれまでですが。
結局、こういう人たちはどうやって治療していくのが良いんですか?そこが知りたいです。😢
まさに自分のことです。幼少の頃から両親の言うことを聞きながら育ち、反抗期も特にありませんでした。そして時が流れ、自分には主体性が無いことを、40歳になってようやく気が付きました。今も独身で、恋人を作ろうとするどころか、自分で動こうとすることができていないです。”この日この場所でこんなイベントがある”から動ける、という受動的な人間になっています。40歳過ぎてからでも、能動的に動ける人間になれるでしょうか。もう一歩踏み込んだ動画を、お願いしたいです。
厳しく育てられた訳ではないけど、反抗期がほぼ来なかったし、確かに今の自分には主体性がないなって気づきました。自分で選択するよりもまず親に確認するのあるあるですね😓。やりたい事を親に確認してみて、「うん、良いんじゃない?やってみれば?」って言われて初めてモチベーションが上がる。自分で決めてもあんまりモチベーションが上がらない。これは本当に気をつけないといけないなって思いました。。。
まだ20代ですが、まるで自分の話をされているかのような気がして、驚きました。そして過去に「自分がないよね」と友達に指摘されたのは、「主体性がないよね」という意味だったのでは、と気づきました。でも、いざ、自分で動いても笑ってしまうくらいに、いっつも失敗してしまうので、言われたことをやれば間違えないし、良いよな、なんて思ってしまいます…
公開される前にタイトルが気になって、初めて公開前に概要欄の文字起こしを読みました。それで「がつん」と来てたんですけど、益田Drの言葉で聴くと、さらに、途中で苦しくなるくらい、何度観ても、胸が痛いです。病院だけでなく、どこでも、私は「居場所」を探しているんだと、改めて感じました。だから、仕事でも、なにか他の人と目的が違うというか、ずれてると感じるのも、ひとつそこにあるんだろうなと思いました。「不安、後悔、プライド、自己受容、ひきこもり」まさに、私自身です。。中卒なのに、就職に失敗したことがなく、最近になって初めて面接で落ち、自分の「変な楽観性」「甘え」にようやく気付きました。本当に、毎日痛みを感じながら、自立を目指しています。今は、「母がいなくなったら何を支えに生きていけばいいんだろう」と思っていますが、自分のために、生きていけるようになりたいです。一歩踏み込んだお話、ありがとうございます。
なんだか見ていたら、当てはまりすぎて泣きました。自分のこと言われてるみたいで、、、。主体性がなく、流されるままただ目の前のことをやって生きているというか、生かされているだけという感覚で過ごしてきています。プライドだけは一丁前にあって弱みを見せられず、主治医にもいい患者を演じてしまっています。痛みを伴う治療が必要とおっしゃっていたところでガツンと来ました。でも、変化への不安と恐怖で現状を変えられる気がしません、、、😢
40代孤独女性です。自分の気持ちがわからない、自分の気持ちが薄くしか感じられないと言ったら『今まで自分で決めることが少なかったからだよ』と言われた事があります。親の言うことばっかり聞いてきたんですね。見捨てられ不安もうっすらあって、意に沿わない事をすると嫌われるかもしれない、と思っていました。でも親のせいばかりじゃないですね。今考えたら甘えもあったと思います。もうそんな監視の目がないのだから、自由なんだから、「やりたいことがない」とか言わないで、自分のしたい事を、薄い感情を、自分で感じて考えて行動に移したいと思います。なかなか難しいですけれど……今日もありがとうございました。先生、昨日はコメント読みDAYだったんですね♫沢山の(膨大な)みんなの意見が聞けて、楽しい夜だったんでしょうね🥰
うわこれだこれ考えれば考えるほど結局全部自分のせいになって永遠に辛いんですよね思考が止まらない時は無理やりyoutube見てやり過ごしてます
回避性パーソナリティの傾向のある自分がまさにこれです。失敗、恥を極端に恐れている。内向的で不安体質、親の過干渉、または放任。反抗期のない茫漠とした学生時代を過ごしてきました。主体的に動くためには失敗しても受け止めて安心できるつながりや環境が大事だと思います。あとは自分を奮起させる出会い、出来事を見つけられるようにアンテナを張るのも良いと思います。人生周回遅れですが頑張ります!💪
痛みを伴う治療ですね…私はまさに主体性がなくて、自分に責任が生じないよう行動に移さない、プライドを捨てられない、病院を自分の居場所にしたいと思ってる…当てはまりすぎて、心えぐられました。優しくしてもらうままでは済まされない…いや、問題点を突きつけてあげるのが本当の優しさなのかも…私も含め本人は本当につらいと思う。
嫌に楽観的だったり甘えだったり傷つきたくなかったりで色んなことから逃げていたことを気付かされました。そして最近読んだ辻村深月先生の「傲慢と善良」という本の主人公がまさにその通りな気がします。そこでも、ああ自分ってその傾向あるなあって思ったんですよね…。反抗期がなくて親の許可がないと行動できないまま20代前半を過ごしてきました。これから不安や迷いがあっても、自分だけで決められるように意識していこうと思います。
「甘い」、ホントそう。「被害者意識」っていうか「プライド高い」っていうか…。失敗とか人生を切り開くよりも「楽してたい」って気持ちが勝ってしまう。良くない、本当に良くない。こんな自分から変わりたい。
なんだか聞いていて不思議な気持ちでした。共感できるようでできないというか…私は、「イイコになりたいけど空気読めないうえに能力低すぎてなれない」からだなと気付きましたね…最初は正直、精神科の範囲なの?と思いましたが、10代、20代のうちに乗り越えておくべき壁に50代くらいでぶつかるのはめっちゃ苦しそうだと思いました。というか、精神科にきてようやく壁にぶつかれるということなのですね。
まさに自分です。小さい頃から空気を読み親の為に動いていて、自分の事は二の次でした。そして、自分は何がしたいのか、どうしたいのかが身に付かず流されるように生きてきました。大きな買い物?甘い?の部分をもっと詳しく教えてほしいです。
イイ子って本当に疲れやすいんですよね。私も土日に限らずよく寝ます。もうイイ子を脱線した今でも主体的になるのが苦手で他人の目が気になりますね。
これまで親に言われるがまま歩んできたけれど、自分には合わないと思いつつも、主体性がなく失敗したらと不安も強く、結局自分の進みたい道が決められず、社会に出てから困ってしまい、仕事選びも職場選びも失敗続きでした。ちょうど区切りがついた今にこの動画を見ることができてよかったです。ここからの人生はどう生きるのか、切り替えて歩んでいこうと思います。
自分に当てはまりすぎてて、観てて辛いくらいでした。これまで「いい子」として親とか世の中的な正解に沿って生きていれば怒られなかったし、むしろ評価されてきたから安全で楽でした。本当はやりたいこともあったけど、こうあるべきという、べき思考や義務感で行動してきました。だけど社会人になって主体性を求められ自分で考えなきゃいけなくなって苦労して、元々の完璧主義も相まって勝手に自分を追い詰めて適応障害に…主治医に親のような立場を求めてしまうのもすごくわかります。主治医には本音や弱い部分を話せるけど、親には言えない…。
「精神科に居場所を求めて、精神科医に親代わりを求める」鋭過ぎる見解に、思わずうなってしまいました。益田先生の表現力、さすがです👏
私も自分の人生を生きたくて、苦しんで苦しんで今の支援を受けるに至っています。自分が決めることに自信がないし、本当は失敗するのが怖いけど、もう、一回失敗しとこう!くらいの気持ちでないとチャレンジできそうにないので、ゆっくりでも実家を出る努力はしていきたいと思います。心が引き裂かれるようにつらいです。というか、不安な気持ちですね。
応援したくなる言葉がつづられてます
@@user-yhu__riko さん、いいねくださった方々、ありがとうございます🥺
私にとってピッタリの内容でした。幼い頃からいい子と言われ続けてたのですが大学の人間関係をきっかけに「あいつはずるい」という気持ちが芽生え職場でもプライベートでも人間関係で揉めることが多くなってしまいました。誰にでもいい子であろうとしていたからなのでしょうか。過去は諦めて、今は質の良い友達を作れるようコミニュティを探して人とつながりをつくったり、1人の時もやりたいことを探したり、運動したり、小さなことでも自分で決めるようにしています。こんな感じで主体性が身に付いていくのでしょうか。。辛くても信じて進んでいきたいです。いつもためになる動画ありがとうございます。
ありがとうございます。初めて投稿させていただきます。益田先生の動画はいつも拝見させていただいていますが、これほどに自分と重なる動画は初めてでしたので、インターネット上に人生初の投稿をしてしまいました。今の主治医の先生とは7年前に出会い、主治医の先生とお話しするのが楽しく週一回のペースで通院していましたが、7月下旬から3回しか行けていません。理由は先生に迷惑をかけたくないという想いと先生が居なくても生きていけるようになりたいという想いが強くなったことがとても大きく、その他には人とお話しすることに気を遣いすぎて疲弊してしまったことが大きいです。通院が安定してできなくなったのと同時にほぼ引きこもり状態です。何回か買い物には行きましたが、道中すれ違う人や車の中の人に対しても恐怖を感じるので出られないのです。自分の意見がないことも人に気を遣いすぎることも先生から指摘され続けていましたが、それを変えるための行動が引きこもることだったのは間違っているのかもしれませんが、外に出ないのでストレスがなく、心持ちは穏やかで同居している母にも寛容になれるようになったので、今の方が生きていて楽だと感じています。先生からも感情の起伏がジェットコースターだと言われていましたが、それがなくなって穏やかに過ごせている今を間違いだと思えないのですが、どうなのでしょうか?動画を見た瞬間は自分のことを全体的には不幸だと思っていましたが、今の生活になってからは幸せだと感じていることに今いま気がつきました。私は間違っているのでしょうか?
「マゾヒスティックな反抗」という言葉を目にし、これほど自分をあらわす言葉ないと思って苦笑いせずにはいられませんでした。今でも親に甘えがちで、人生全般に関して妙に楽観的なところがありますが、それでも社会人になってから少しずつ自己の発露ができつつあるようにかんじます。むかしから音楽が好きなのですが、最近音楽を聴くと体が踊るようになってきました。今はたまにクラブで夜通し踊ったりしています。そのときは無性に楽しいです。「おまえはおまえの踊りを踊れ」という言葉が絶えず頭に響いています。二十代も後半になってきたのでなんとか主体性と能動性と責任の概念を骨身にしみわたらせたいと考えています。じゃなきゃあとの世代に顔向けできません。私を含め今回の症例に当てはまる人にも間違いなく自我はありますけれどもその発現がなかなか難しいのではないかと推察します。それぞれの人の固有の力を呼び覚ますトリガーが見つかれば素晴らしいですね。私の場合藝術がそれでした。
「あなたは目標を持った方がいい」と周りに言われますが、目標を持って失敗することが怖く、能動的に目標を抱くことができません。人間関係も同様で、仲良くなりたい、の以前に嫌われたくない傷つきなくないが先に来て結果人を避けるように行動してしまいます。結果職場では部署外の人と話すこともできません。両親には大きな愛情を貰っている自覚はありますが、その大きさゆえに過干渉気味であり、両親の価値観を自分の物差しにして動いてしまっている面があるのがずっと引っかかっています。「これを買ったら親に怒られるかな」とか、そういったものです。自立したい気持ちはありますが、失敗したらどうしよう、自分で責任を負うのが怖いと思ってしまいます。人のせいにするのは楽だからだと思います。また同時に、失敗した自分を必要以上に責める癖もあり、それもやめたいです。自責と他責のバランスが取れていないのかもしれません。この動画を見て自分のことを言われているような気分になりました。しかし主治医はあまり熱心な人ではなく、相談先もわかりません。地道に自分の人生を模索したいです。良い動画をありがとうございました。
いつもためになる動画を投稿していただき、ありがとうございます。今回の動画がとても良く自分に当てはまり、雷に打たれた気分です。今まではうつ病の母親の生き甲斐となれるような立派な娘でいないといけないと、必死に生きてきました。しかし、親のために生きることで、失敗したら親のせいにできる安心感を覚えていたのも事実です。私は元々ビビりで不安を感じやすく、プライドも高いです。なおかつ、親を支えることが染み付いているので、まさに遺伝と環境の相互作用で今の自分がいるんだと思います。主体性がないという自身の欠点を一旦受け止めて、少しずつでもこれから先の「自分の人生」に責任を持って生きていきたいです。
最近、益田先生の動画に出会い、ハマっています。リクエストがあり、(かなり聞いたのですが歴史が浅くもし過去に取り上げておられたら失礼なことです)コメントしました。看護師資格があり、働いてましたが、免許とってから何度も挫折をしながらまたパートしてなど繰り返し、20年くらい経って「これ以上は耐えられない」と、看護師資格を使うことをやめました。先生の動画を見て、看護学生時代の実習時の先生からのもの凄く激怒され、パニックを起こしたトラウマが関係してるかと思いつきました。仕事する、と、思うだけで恐怖感がつきまとっています。失敗すると自分が守れない恐怖感から仕事が怖く、でも1人でいると孤独やから働きたい、の、循環の中にいます。でも、思い出したのです。パニックの後、助けようとしてくれた実習先の看護師さんがいてくれたことを。どうしてもできない時は、助けて、と、言えるし、助けてもらったから働けてるんですかね。先生に取上げていただきたいテーマは、仕事の圧とメンタルを健やかに保つ方法です。
丁度、こういう事で悩んでました。3:06 〜『主体性が欠如している』まさに。動けていない、甘え… 色々限りの有る中で、何が出来るのか、区切りを付けて自分の人生を考えないといけないです。今日も、有難うございました。
自分には先生の考え方がよく分からないです。いつもは森の外で暮らせばいいと言ってるのに、今回はみんなと同じような場所に行けるようになりなさいと言われた気がしました。たぶん自分が白黒思考だからだと思います。柔軟な考え方は難しいです。
益田先生、おつかれさまです。本来の精神科の治療からはやや外れているのでは?と思いましたが、多い症例なのですね。勉強になります。個人的には、今の40代〜50代に多い辺り、自己責任論が強く、景気が悪くて失敗したら生きていけない、という強烈な不安感が若い時から強い世代だから、守りに入るしかなかった人の副作用ではないかなと感じます。会社でも家庭でも、出る杭は打たれる、ので、ひたすら守るしか生き抜く術が無かったのだと思います。私もその気持ちはよく分かります。主体性を無くさなきゃいけないぐらい、癒着した家庭で生きてきた人が、主体性を持ってやりたいことをやろうとすると、家族との縁を切るぐらい必死で逃げなきゃいけないので、実は大変な問題だと感じています。一人で家借りて生きていくことが!もっと楽な国だと良いのですが。
先生いつもありがとうございます!今回は家族と孤独と主体性とと言うテーマですね、全部関係していますね。 孤独になると、助けてくれる人を探してしまうし、その人が何とかしてくれるとか、勝手に期待してはガッカリしたりしていた気がします。本当に承認欲求が強いのか、プライドが高いのか??まだまだこんなもんじゃないとか謎の自信があったり、しましたが今は少し現実が分かってきました。自己分析が少しだけ進みました。変化はすこーししています。ただまだまだ、色んな感情に引っ張られたりしていますが、😮今日もありがとうございました。
益田先生今日もありがとうございます😂この頃ずっと悩んでいたことに切り込んでくる内容で、自分の人生の大きな決断に失敗したことに改めて向き合い、心がズキズキしました。主体性がない自分。いつも失敗するのが怖くて決断出来なかった。縁あって結婚はしましたが、主人の人生の一部になることで居場所を得てきた自分に最近気づいてしまって後悔とこれからの不安に苛まれています。先生がよく言われるように、主人に依存するのをやめたい。もう50も半ばの私が何をどうすればいいのか。先生の動画や著書に学びながら、気づきやヒントを探しています。
自分のことだと思いました。今まで、好きなこと何?って聞かれるのがつらかったです。まずは、自分で決めてやったことなら、失敗も経験のうちだと思い続けてみます。決断と経験の優先順位を、上手くやることよりも上げようと思いました。ありがとうございました。
この動画もそうですが、ここ最近の動画で、変わりたいのに変われない、というテーマが取り上げられていて、とても勉強になります。ありがとうございます。治療も受け身ではだめという話ではっとなり、前回の心療内科での診察の時は、事前にどうして欲しいか考えてそれを伝えてみました。ヨガも始めました。変わることにコミットしてます。他の動画でもう少し詳しく、では変わるにはどうしたらいいのか具体的に説明して頂ければ嬉しいです。
ズバリ、自分のことを言い当てられていると感じました。失敗が怖い、自分で選択することが苦手。ですか、それができた時(失敗や選択ができた時)は、心の中で安心する自分もいました。
ところどころ、耳の痛いお話しでした。親が亡くなった後どうしようについては、高校生の頃から考えていました。母に許可をもらわないと安心できないんです。自分でも変なのは分かるのですが。何故か趣味はいっぱいあります。やっていることが今の自分には多すぎることも分かっているけれど、手離せないです。やめてしまったら生きてる意味ないと思ってしまいます。これも、極端な考えで良くないですよね。
細かな点がは違いますが自分はおおよそ当てはまってるなと思いながら拝見しました。何か変えなきゃなと思って転職に踏み切り、退職の話し合いが上手くいかずにボロボロになってたところだったので、考えさせられる内容でした。
家族との関わりも断っているので、家族と関わっているだけですごいと思う。仕事していても引きこもりです。だけど双極性障害は治らない。
まさに自分のことだと思いました。主体性がないまま自分のことがよくわかっていないのに30代後半で焦って結婚してしまいました。現在自分の人生を生きようとカウンセリングにかかっています。自分一人じゃ考え方を修正するのは難しいです。
以前カウンセリングで言われたことでした。途中で辞めてしまいましたが。。自分で進路を決めたことがなかった、というか、この高校に行きたいと言ったけどあなたの学力じゃ無理と言われて挑戦もさせてもらえなかった。そこから自分で決めるのをやめて、親や先生が安心しそうな喜びそうな進路を選んだ。って30歳の時に言われて衝撃を受けました。じゃあ自分のやりたいことってなんだろうと考えようとすると不思議なくらいに何も出てこないんですよね。。。いい子ちゃんで職場でいいように使われるし、確かに家庭持ちの人がずるいと思ってます😢
夫を立てて良い妻でいようとしていましたが、たいして感謝もされないし体は辛いしなんだか悲しくなるばかりでした。この動画をみて、イイ子=都合のイイ子 ということを思い出しました! 自分のやりたかった事が出来なくて、グチや文句ばかりになってしまう人生は嫌なので、あまり心配せず行動してみようと思いました。
まさに自分だなと思いました。ただ、失敗体験を積み重ねすぎて新しいことするのが怖いんです。何度も切り替えてきたと思っていたんですが、足りなかったのかなとか考えちゃいます。良い子でいれば安泰なことで成功体験しちゃうと、もうそれ以外のパターンは考えつかなくなっちゃいますね。何すると変われるのかなぁ。
個人的にずるいという感情が湧く時は自分が精一杯で心に余裕がない時だと思ってる
まだ20代ではありますが、あまりに自分のことすぎてびっくり、、、小さい頃から学校でも今なら職場でも外ではいい子で生きることはできる。ただ本当に主体性がないし休みの日はやりたいことないしどう過ごしていいのかわからなくて一日中布団て過ごしてその日が終わる。でも周りは趣味や仕事、プライベートが充実してるのを見るとずるいと思ってしまう。親がいなくなったらどうしようともほんとに思う、代わりを探しちゃうのわかる、、、主体性のある人になりたい。
管理しやすいほうがしやすくするためにさんざん羽をむしられていざとなったらハイ、飛んで行け!あの青空へ!とか言われてる感じ
「痛み」とは何なのでしょうか。自分が劣等だと思い知る、ということでしょうか。自己受容とは自分の劣等性をかみしめるということかもしれませんね。劣等にもかかわらず心の平和は達成しないといけないという矛盾。そんな心を保つ能力があれば苦労しません。動画ありがとうございます。
いつか精神科に通いたいと思っている大学生です。この「いつか」というのは親元を離れたら、という意味です。あと1年、卒業したら自立のために動きたいです。母の感情に振り回されすぎず、適切な思いやりをかけつつ…一方でぐずぐずと日々を過ごしている現実があって、先生の言葉がグサリと突き刺さりました。誰とも付き合ったことないけどそれを他のもののせいにしていたり、過去の恨み辛みや自分の置かれている息苦しい状況を何千回何万回と反芻して自分を虐めることに時間を費やす日々を過ごしていたり…本人は至って真面目で本気のつもりなんだけどやっぱり生き生きとしている人から見たらバカみたいな滑稽な姿晒してるのか、、それは嫌だな手当り次第「動こう、動こう」とすると忙しすぎて、また、華やかな人の熱意に焼かれて心が疲弊→閉じこもるという流れになってしまいます。優しくしてくれる人を探したくなります。上手いやり方を誰か教えてくれませんか。あ、これも他力本願か、、私、鬱かもと思ってるのも自分が作り出した言い訳だろうな、自己受容頑張ります。先生動画をありがとうございました。
分からないものに向かって一步先へ踏み込んでいくというのは、いつでも挑戦的で嫌な思いもするかもしれなくてとても怖いものですね。
全て自分に当てはまりすぎて、叱られているような気分になりました。自分の中で親や他人が指針で、ほとんどの決断を親、上司に伺いを立ててしまいます。このままじゃいけない、と思うものの、じゃあどうしたらいいのか?がわかりません…こうやってすぐ教えを請おうとするのも甘えなのかな。また、こう言った拗らせた事案を相談するには相談時間が長く必要だと思いますが、周りには診療時間5分とかのクリニックしかないようで、どうしたらいいか困ってしまった。やっぱり自分でどうにかするしか無いのか…その一方で、他人に決定を任せて楽に生きるのも良いじゃん、別に生まれてきた理由などないのだし…と思ってしまう自分もいます。
どんな治療法があるのか知りたいです。
情けなさもあるし辛いですが、自分も一人っ子でまさにこんな感じです。主体性が無いと思います。でも先人たちが考えて悩んできたことを学んでたりすると、やりたいことが見えてきました。
現代社会が、主体性を持つことを美徳を通り越して大前提としているため、そういう素質の少ない人が適応出来ずに苦しんでるのだと思いました。昔だったら従順で自己主張がないというのは美徳だったわけです。特に女性の場合。性質は変わってないのに、世の中が変わって適応出来なくなった悲しみが「ずるい」とかの被害者意識に繋がっているのかも知れません。
恵まれているように見えるけど、心は満たされてないんですね。痛みを伴う治療。こういう症例も治療対象になるのですね。痛みは辛く苦しくて避けたいことだけど、成長したり大きく切り替えたりするときは必要な事なんですよね。沢山の痛みを経験した方は尊いですよね、、。
親は子供が自立出来るように育てるのが仕事だと思ってましたけど。私の職場の女性の先輩は数人は独身で定年まで勤めあげ、親の面倒を見る覚悟で、凄いと思ってました。私も定年まで勤めあげるのが夢でしたが、結婚し精神疾患を発症し思いもよらない生活をしている。確かに結婚したせいで自分らしく主体性を持って生きれなくなった。結婚大失敗!子供無しだから将来老人ホームと考えているし、孤独であるのは既婚、子供有りでもあり得る。治療者に親代わりを求めているのか?男女ともこういう人が多いなら同じ境遇の人同士で出会いの場が作れるといいのにな。老人ホームでもカップルが出来るらしいし。仕事が出来ることだけでも羨ましい。未来はまだありますよ!
耳がいたいお話。けど、はっとさせられますね。本当にこういう方は多いと思います。
自分の人生を決められないのは、甘えと言うのは新しい視点だと思いました。私は恐怖や環境が主体性を消すと言う考えですこう言うのは、本来は小さく段階を踏んで、小さく自分と責任を手に入れる行動をすると良い様な気がします。「100円でも200円でも良いから、メロンパンかチョコパンどっちを買おう?」「食べた後にメロンパンは不味かったから1ヶ月後は少し高いパンを買おう」とか、「高く黒い靴と安い青い靴、どっちが良いか?今すぐ買うんじゃなくて試着してから決めよう」とかそこから少し大きくして「安くて広い部屋、高くて広い部屋。どっちに良いか?今は決められないから色々質問して納得したら住もう」とか、取り敢えず余裕を持って今すぐ決める必要がない安全さと自分で人生と居場所を決める方が助けて貰いやすいと思える状態が大切な気がしました。
なるほどと、膝を叩きたくなりました。自分が悩んでいることの根本が見えた気がしました。動画を何度も見て考えます。有り難うございました。
益田先生お疲れ様です。いつも動画ありがとうございます。まさに今悩んでいます。いいお話ありがとうございました。動画楽しみにしています。先生ありがとうございました。応援しています。
根底に「言うこと聞いていれば生存率が上がる。」って彫り込みは人間多かれ少なかれあるのかなぁと思います。私自身も「自分の意見を言うと人が離れていく」って観念が深くに潜んでいましたが意識の書き換えで自分自身も意識して随分変わりました。お医者様やカウンセラーさんは手助けは出来るけど、その先の人生を生きるのは自分なので結局、答えは自分自身で見つけるしかないんだなぁと思いました。昔の自分は「治りたくない(治ったら愛されなくなるかも、楽できなくなるかも)」が潜んで無意識的に辛い方を選んでいたなぁとふと思い出しました(苦笑)
プライドが高いのに自己受容が出来ないのは辛いでしょうね。自分のせいなのか相手のせいなのかっていうのが分からないのとしんどいかなと思いますね。
自分のことだなと思いながら視聴してましたが、精神科医から「変な楽観性がある。甘い。楽観的過ぎる。それでこういう問題が続いている。」と言われてしまうと、、、キツイです。
ありがとうございました。
こんにちは。お話を伺って、かくいう私も似たような性格の持ち主だと感じてます。私も自分のこんな性格、幼馴染みから指摘されて気付きましたが、幼馴染みから私を見たら、子供の頃から親の子供への期待値は凄く高くて、子供である私も意識的無意識的に期待に応えようと頑張って、期待通に出来る子だった。だから親は子供に更なる期待を寄せる。出来なかったら出来ないで親は不機嫌に怒るし、私自身、親の期待に添えない、出来ない自分に「罪悪感」を抱くんですね。だから、出来ません、とは口に出来ない。かといって、自分のやりたいことを口にしたら否定的な言葉が返ってくるから迂闊にくちにできないし、いつの間にか他人に承認された事ではないと自発的にやれなくなる。私自身は気付かないけど、端から見たらそんな人間だったらしいです。ここから件の幼馴染みからの受け売りで恐縮ですが、(本人は専門家ではなく、人間心理が好きで関係書物を読み回ってるらしいのですが)ところが反面、親の立場からすると、子供を独立した個性として見ることが無い。この時の親の健全な意思としては、親の描いた理想通りの子に育って欲しい。悪い思惑が支配した場合、自分が将来身体的経済的に依存するための存在にしたい、自分の掌の上で転がせる人間にしておきたい。つまり、意識的無意識的に自分の都合の良い人間を側に置きたい。そんな考え価値観で子育てしていた場合、親は子供に何をするかというと、子供自身が自発的にやりたいと思ったことを潰しに掛かる。幼い頃から始まって思春期過ぎて下手すれば成人後も否定的な干渉を投げ掛ける。「何するの、そんな事やって」とか否定的な言葉子供に浴びせて意欲を削いだり、例えば学生時代、将来の進路決める時、煽てたり叱って見せたり色んな言葉掛けてほぼ親都合の人生歩ませようとしたり。器用な子は、親から誉められるのが嬉しくて、もっと誉められたくて、自ら積極的肯定的に親の理想通りの性格、人生を生きようとするし、実現させる力を持ってる。そして自分の人生として意欲的に生きる。逆にそんな親に反発する子は何処かで反抗したり反骨精神発揮して「ぐれてやる!」とか言って親蹴散らして飛び出していく。そんなエネルギー持ってる子。悲惨なのは、そのどちらでもない子。親の期待や理想像を積極的かつ肯定的に自身の自由意思として変換する力や意思、或いは真っ向から反抗して親とマジ喧嘩して戦うエネルギーを持ち合わせて無い子。案外人が100人いたら6割位はこのタイプの人なのかな、という話に落ち着きました。そんなイイ子なのに不幸な思いを抱く人は人生のあちこちで人知れず傷付き倒れて、立ち上がって進む気力も枯れてるのかもしれません。うーん、立ち直るには、まずはやりたいことを見付ける事とそれに繋がった成功体験味わう事かなあ?なにも高額投資とか転職とかハイリスクが絡む人生掛けた大博打みたいなことやらなくていいから、自分でやってみたい小さな趣味とか興味のある特技とか見つけてモノにして見せたり、そんなちっちゃな成功体験、人知れず重ねて行って、自己肯定感高めて行くのも1つのやり方かもと思いますね。そして万が一自分を都合よく扱おうと近付いて来るような輩がいたら、上手いこと言って反論したりして距離を置くのがいいかもしれませんね。いかがでしょう?長文乱文大変失礼致しました。
自分のことをテーマにしているような内容でした。仕事で認められるために十数年生きてきてしまったなと思います。ぜひ、主体性を持つためには、というテーマの動画も見てみたいです(既にあったらごめんなさい)
自分のことか〜と思いました。職場ではいい人のふり。上司からも部下からも慕われる。家では家事や子育てで精一杯で土日は燃え尽きてしまってる。趣味とかないし。なんで生きてるのかよくわからない。双極性なんで感情の上がり下がりが激しくて辛いわ。
こういう人いますね、自分が「いい子」であることに謎のプライドを持っていて、ちょっとでも自分の基準から外れる人のことすぐ「ずるい」って言う人。モヤモヤするけど何か目立って悪いことしてるわけじゃないからこちらも怒りにくい。正体がわかるだけでもちょっとだけマシかもしれません、ありがとうございます
自分に当てはまらない部分が多すぎて想像ができません。いろいろな辛さの中で、みんなが生きているっていうことがわかりました。そういういろいろな患者さんと向き合っていて、先生は素晴らしい治療者だなと思います。
うわ……なんかめちゃくちゃ自分すぎて………姉がかなり破天荒だったので自分は絶対親に迷惑かけちゃいけないと思い、勉強部活仕事結婚出産全部それなりにしてきました。でもずっと満たされない。だからといって自分が姉のようにしたら周りにも迷惑かかるし親や先生、友人から見て良い子で居なきゃってずっと考えてました。自分存在する意味あるのかな…ってずっと頭から消えない。
先生私コレです。教えてくれて有難うございます😭
まさに自分か?と思うような感じでした。こういう自分を受け入れるにはどうしたらいいのだろう…
親が死んでしまったらどうするか?どうなるんだろう?病気の関係上、辛さがある上で人と触れ合う余裕が無かったからの、人との繋がりを極端に切ってきたのが逆に裏目に成ってますね。ダメですね、何処か早い内に修正を加えないと、運気が戻ったらボランティアに参加でもしないと、とする。一応言ってみると本人に全部問題があった訳ではなく、社会の変化の中、周りとの付き合いが昔より減ってきた傾向、核家族の弊害だとは思うけど、自身がアクションを採れなかったのも事実だがざっくり切り捨てられるのは可哀想とも思う。 益田先生の知識にこれ等の人への救済策が在りましたら動画で上げて頂きたい。よろしくお願いいたします
所々当てはまり耳に痛いですが・・・動画を見て自分に当てはめると。なぜ生まれてきたとか使命とかスピリチュアルに行きがち→障害を知ったことと年をとったこと(40代)で見方が変わる。ただ生まれてきただけ。恋愛しない→30代で頑張って無理だったので諦めがついた。なので失敗しても得るものがある。自己肯定感が低くて上手くいかないと思っていたが、それ以外でも普通のコミュニケーションが分からない、自分の感情に鈍感・感情を表に出さないも関係してそう。孤独、さみしさ→ASD特性があるので1人がラク。半年に一回くらいで友達に会う。親が死んだらと不安→猫と暮らすor海外に行く、薬で調整、今療養中だけどなんとかなってるので今後も何とかなるのだろうという楽観視。
中高年には中高年の恋活があるととおもう❤若い頃の性的な恋という感じより、新しい家族、パートナー探し、みたいな😆同じような意識の異性もいると思います
今日、はじめて動画を拝見しました。まさにわたしです。大きな負債を抱えてしまい、知人に助けてもらいながらなんとか踏ん張ってる感じです😢確かに楽観的すぎました。なんとか、前を向いてと思いますが、正直、どこに相談していいのか、相談した知人は、次々と距離をとってしまい、さらに自己否定のループに、、相談するにも人任せが過ぎるんです、それもわかってきました。ただ、どう行動したらいいのか、自分で行動してもいい方向に向かわないんじゃないかと不安が募り、動けなくなっています、、解決するべき現実の問題と、心の問題とどうすればいいのか、、
正にタイムリーで、グサッと刺さりました。アダルトチルドレンだし、カサンドラだし、色々苦しくて自分を癒やす時間が必要だった。でもいつも淋しいし、虚しい。自分を感じられない、エネルギーもない。だけど、このままではいけない気がする。
「患者のままでいたい」のかなと思う人、Twitterでよく見かける気がします。ほんとに治りたいの?助けを待ち続けてるだけでは?と思うのですが、なるほど、居場所を求めてのことなんですね…。私は昔から主体性がなく、仕事の志望動機が書けないんですが、失敗を恐れず、新しい出会いとか趣味の発掘とかをやりつづけないと、どんどん病んでいくのかもなと思いました。
親のせいっちゃ親のせいナンだけど…本人のせいでもあるんですよね?という辺り…親のせいで不幸な結果になったって言うのを自分で拡大していた様な気がします。普通に機能している家族の元で暮らしてきた人に比べると、何杯も努力しなければ普通にもなれないのは、悔しいけど、そこを乗り越えなきゃ進歩しないとなると、やるしか無いですね?似たような悩みを抱えている人がこんなにも居るんだということが原動力になれそうです…
こういう話聞くと自分も本当に生き方間違えたなぁと悔しいような苦しいような、もどかしさしか無い。扱いやすい奴だと思われると腸が煮えくりかえる思いがする。自己肯定感が低く、友人も恋人もできない。絶望しかない。もっと早く聴きたかった💧
当てはまるところあるよなあ…私だけじゃないのか…と思いながら見てしまいました
僕まさにこれでした!先生の動画はよく見てましたが、凄くビビッときた動画でした。42歳で動画の通りの環境でうつ病になり、仕事を辞め、新しい人生のスターすることにしました。
まさに私のことです。。。益田Dr.ありがとうございます。m(__)m
全部が当てはまるわけではないけれどかなりの箇所が当てはまるかなぁそれではダメだとわかっていてもどうしても依存というか甘えたくなるんだよね今はどちらかというと疲れたなぁって思うことの方が多くてほっといてほしいなぁって思うけど
病気になることで得たのが、自分が自分を生きるでした。 イイこ。優等生。どれもしっくり来なかったし。 沢山チャレンジして、失敗して、恥も沢山かいてきた事が今この年齢になり、大事な事だったと感じています。 迷惑かけるのは不本意で苦手だけど、人の目とか、よく思われたいは ほんとうになくなりました。 くだらない思い込みや、プライドは 人生の鎖にはなっても 錨にはならないから。 親も上司、家族も友達も、 尊敬がない限り 良好な人間関係は築けないと思います。
バザーのゲームで景品係をした時のことでした。ある女の子が「どれにしようかな、迷っちゃうな」と私の目をうかがっていました。私は、いっぱいあるね、どれにしようかな?とだけ言って見守っていました。やがて、〇〇ちゃんもこういうの好きだからこれにしよ!と言って意気揚々と景品を選び取りました。このちょっとした選択が彼女の人生に少しでも意味を持ってくれることを願いました。abema で「子持ち様」という言葉が出てきたのが2024年の春ころ。主に職場のリソース不足といった視点で語られていましたが、不公平感を感じる側にはこうした素地があったんだと感じました。
全部見透かされてしまった気持ちです。でも、自分を客観的に見るのが苦手なので、こういう問題を容赦なく人に指摘して貰えるのはかなり貴重だとも思いました。「いい患者でありたい」という言葉も結構刺さりました。本当、言われてみればその通りで、周りにはバレているんだなと、、こういうのを精神科医に相談したら、何か手助けして貰えるのでしょうか?自分1人だと、無自覚に甘やかし思考に陥りそうです、、
自分に該当すること、いくつもありました。やりたいことって言われて、すぐにあげられない。日々を消化するように生きてます。でも最近、好きな人ができた+大切な人との離別があったおかげか、自分でどうにかするしかない、正解はわからない状態になり、少しだけ改善の兆しが見えています。痛みを伴うとは、こういうことなのかもしれないなと思う次第です。
親の会社に勤めて、母には仕送りし、よい子どもかもしれない。そして………土日は寝てばかりで変な楽観性がある、笑
これめっちゃ自分に当てはまりそう。。
確かに分かります。主体性に欠けている人、自己責任が持てない人いますね。 近くにいますね。
今は40代独身なので、動画の内容が当てはまります。上手くいかないことが普通にあり、だからトライアンドエラーを繰り返す勇気を持ち続けたいなあと考えました。
よく「小さな成功を積み重ねろ」という人と「可能なレベルでどんどん失敗して慣れていこう」という人がいますけど、どちらが正解なのでしょうか?どちらもバランスよく取り入れるのがいちばん良いのでしょうかね...?
5:22〜 親が亡くなった後の親がわりに来てるここ私も当てはまるかもです
参考になりました!!
仕事も割り当てられて自分の時間が無かったのです😱
むかーし主治医に言われたやつだ、あなたは自分のしたいことをやったことがない、と。
それから毎週やりたいこと聞かれて、次の週までにやっていくように練習した。
「京都に行きたいです」「じゃあ行ってみたら?」みたいな。
「ジムに行きたいです。でもお金ないです」「運動するのにお金いらないよ、その辺走ればいいんだから」
みたいな。
そのうち「海外旅行に行きたいです」「どこ?行ってくれば?」
「すごく楽しかったから、2週間の超短期留学したいです」「いいね。いつから?」
「すごく楽しかったから一年留学したいです」「それは心配。もう少し短くは?」「じゃあ3ヶ月で」
「すごくよかったから1年行くことにします」「いってらっしゃい」
で5年ほど海外にいました。
大変だったけどそうやって回復したのを思い出しました。
とても良く分かります。従順で、小さい頃はそれが当たり前のように親の言うことや先生の言うことを真面目に受け取ってきた人間です。今思えば、主体性は無い人間ですよね、ほんとに。でも、ある程度は自分の性質上仕方無かったのかもしれないなぁと思います。不安を感じやすかったりするので。
職場では、上司の言うことを素直に聞く真面目な人間と思われているようでしたが(本人は至って真面目に、そうしなければいけないものだと思っていました)、先日ハッキリと『お前は周りに良いように使われてるだけだ』と面と向かって言われて物凄くショックを受けましたが、それがきっかけで我に返ったようにもう自分を生きようと思い始めました。周りへの思いやりの気持ちは持ちつつも、自分ファーストで生きていこうと決心しました。
ここから、自分の事を更に知って、自分の人生をより自分らしく生き直そうと思います。
私は大学生ですが、いい子症候群というものに近いなあと最近気づきました。
他人が喜ぶ選択をし続けて生きてきたため、「自分の意見」がほとんどありません。自分自身の空っぽさや中身のなさを、以前にもまして痛感します。
動画では30~40代の方に触れていましたが、より若い世代でも似たような人は多いんだろうなと推測します。
主体性を消し、いい子でいることが生きる術だったのに、主体性を身につけろって辛いな😅今までの自分を否定されてるような気持ちになる。辛いこと続きすぎる。
いいなりの人生でした。
言いつけ通りにしたのに、間違っていた事がわかると母は「私は離婚しろと言ったかも知れないが、決めたのはアンタでしょ」と言われ脳裏に焼き付いています。「恥ずかしい!谷中に知られたら出歩けない」とまで。先生のお話を聞いて主体性が全くなかったのだろうと思いました。
幼い頃から怒られるからする。親が言う通りにしないと放っておかれるからする。親が主体の人生でした。「君が考えている事は直ぐにわかる」と色々人に言われたけど、コレは主体性がなく扱い安いということだったのですね。バカにされて当然だと理解できました。
冒頭の言葉から。私です。良い子なのに辛い、疎外感、孤立感、ずっとずっとその状態で、つらくて結婚しました。全部わたし。
会社のころもそのまんま私
親の事も大切にしなきゃ。だったし
、次は夫や夫の家族を大切にしなきゃで。その上主体性もあると思っていました。不安と後悔と非自己受容とプライドも私。良くなりたいと思いながら矛盾していたのも、2年前までの私。
不安を感じやすかったのも。
だからその日その日親、上司、夫に評価をもらえないと焦ったし。
今回の離婚への挑戦は、結局はじめての自立なんだとはじめてそんな感覚を持てました。毎日ありがとうございます
自立を手放せたらいいのになと最近思いがちでした。親の代わりを求めている、変な楽観性がある、のところ、ぐさっときました。益田先生の話し方はどの回でも変わらないのに、自分にあてはまる回は、怒られているような、冷たく言われているような気持ちになってどきっとします。そういう回こそ、自己理解につながるんだろなと思い、どきどきしながらも2周目を見たところです。いつもありがとうございます。
こういった類の悩みやモヤモヤを抱えている人にとって「甘え」という言葉は結構堪えますね。図星であり、かといってどこか身を削っているような感覚もあり、それを甘えと言われると、私自身は少なからず混乱してしまいます。
以前別のチャンネルでも「甘え」という言葉でコメント欄がザワザワしたのを見たことがあり、何か近い言葉はないのかな?とぼんやり考えた記憶があります。今回の話を聞いていると、抗うことへの「諦め」に近い気もしました。諦めることも甘えだと言われればそれまでですが。
結局、こういう人たちはどうやって治療していくのが良いんですか?
そこが知りたいです。😢
まさに自分のことです。
幼少の頃から両親の言うことを聞きながら育ち、反抗期も特にありませんでした。
そして時が流れ、自分には主体性が無いことを、40歳になってようやく気が付きました。
今も独身で、恋人を作ろうとするどころか、自分で動こうとすることができていないです。
”この日この場所でこんなイベントがある”から動ける、という受動的な人間になっています。
40歳過ぎてからでも、能動的に動ける人間になれるでしょうか。
もう一歩踏み込んだ動画を、お願いしたいです。
厳しく育てられた訳ではないけど、反抗期がほぼ来なかったし、確かに今の自分には主体性がないなって気づきました。自分で選択するよりもまず親に確認するのあるあるですね😓。やりたい事を親に確認してみて、「うん、良いんじゃない?やってみれば?」って言われて初めてモチベーションが上がる。自分で決めてもあんまりモチベーションが上がらない。これは本当に気をつけないといけないなって思いました。。。
まだ20代ですが、まるで自分の話をされているかのような気がして、驚きました。
そして過去に「自分がないよね」と友達に指摘されたのは、「主体性がないよね」という意味だったのでは、と気づきました。
でも、いざ、自分で動いても笑ってしまうくらいに、いっつも失敗してしまうので、言われたことをやれば間違えないし、良いよな、なんて思ってしまいます…
公開される前にタイトルが気になって、初めて公開前に概要欄の文字起こしを読みました。
それで「がつん」と来てたんですけど、益田Drの言葉で聴くと、さらに、途中で苦しくなるくらい、何度観ても、胸が痛いです。
病院だけでなく、どこでも、私は「居場所」を探しているんだと、改めて感じました。
だから、仕事でも、なにか他の人と目的が違うというか、ずれてると感じるのも、ひとつそこにあるんだろうなと思いました。
「不安、後悔、プライド、自己受容、ひきこもり」まさに、私自身です。。
中卒なのに、就職に失敗したことがなく、最近になって初めて面接で落ち、自分の「変な楽観性」「甘え」にようやく気付きました。
本当に、毎日痛みを感じながら、自立を目指しています。
今は、「母がいなくなったら何を支えに生きていけばいいんだろう」と思っていますが、自分のために、生きていけるようになりたいです。
一歩踏み込んだお話、ありがとうございます。
なんだか見ていたら、当てはまりすぎて泣きました。
自分のこと言われてるみたいで、、、。
主体性がなく、流されるままただ目の前のことをやって生きているというか、生かされているだけという感覚で過ごしてきています。
プライドだけは一丁前にあって弱みを見せられず、主治医にもいい患者を演じてしまっています。
痛みを伴う治療が必要とおっしゃっていたところでガツンと来ました。でも、変化への不安と恐怖で現状を変えられる気がしません、、、😢
40代孤独女性です。自分の気持ちがわからない、自分の気持ちが薄くしか感じられないと言ったら『今まで自分で決めることが少なかったからだよ』と言われた事があります。親の言うことばっかり聞いてきたんですね。見捨てられ不安もうっすらあって、意に沿わない事をすると嫌われるかもしれない、と思っていました。
でも親のせいばかりじゃないですね。今考えたら甘えもあったと思います。もうそんな監視の目がないのだから、自由なんだから、「やりたいことがない」とか言わないで、自分のしたい事を、薄い感情を、自分で感じて考えて行動に移したいと思います。なかなか難しいですけれど……
今日もありがとうございました。
先生、昨日はコメント読みDAYだったんですね♫
沢山の(膨大な)みんなの意見が聞けて、楽しい夜だったんでしょうね🥰
うわこれだ
これ考えれば考えるほど結局全部自分のせいになって永遠に辛いんですよね
思考が止まらない時は無理やりyoutube見てやり過ごしてます
回避性パーソナリティの傾向のある自分がまさにこれです。失敗、恥を極端に恐れている。
内向的で不安体質、親の過干渉、または放任。
反抗期のない茫漠とした学生時代を過ごしてきました。
主体的に動くためには失敗しても受け止めて安心できるつながりや環境が大事だと思います。
あとは自分を奮起させる出会い、出来事を見つけられるようにアンテナを張るのも良いと思います。
人生周回遅れですが頑張ります!💪
痛みを伴う治療ですね…
私はまさに主体性がなくて、自分に責任が生じないよう行動に移さない、プライドを捨てられない、病院を自分の居場所にしたいと思ってる…
当てはまりすぎて、心えぐられました。
優しくしてもらうままでは済まされない…いや、問題点を突きつけてあげるのが本当の優しさなのかも…
私も含め本人は本当につらいと思う。
嫌に楽観的だったり甘えだったり傷つきたくなかったりで色んなことから逃げていたことを気付かされました。
そして最近読んだ辻村深月先生の「傲慢と善良」という本の主人公がまさにその通りな気がします。
そこでも、ああ自分ってその傾向あるなあって思ったんですよね…。
反抗期がなくて親の許可がないと行動できないまま20代前半を過ごしてきました。
これから不安や迷いがあっても、自分だけで決められるように意識していこうと思います。
「甘い」、ホントそう。「被害者意識」っていうか「プライド高い」っていうか…。失敗とか人生を切り開くよりも「楽してたい」って気持ちが勝ってしまう。良くない、本当に良くない。こんな自分から変わりたい。
なんだか聞いていて不思議な気持ちでした。共感できるようでできないというか…私は、「イイコになりたいけど空気読めないうえに能力低すぎてなれない」からだなと気付きましたね…
最初は正直、精神科の範囲なの?と思いましたが、10代、20代のうちに乗り越えておくべき壁に50代くらいでぶつかるのはめっちゃ苦しそうだと思いました。
というか、精神科にきてようやく壁にぶつかれるということなのですね。
まさに自分です。小さい頃から空気を読み親の為に動いていて、自分の事は二の次でした。
そして、自分は何がしたいのか、どうしたいのかが身に付かず流されるように生きてきました。
大きな買い物?甘い?の部分をもっと詳しく教えてほしいです。
イイ子って本当に疲れやすいんですよね。
私も土日に限らずよく寝ます。
もうイイ子を脱線した今でも主体的になるのが苦手で他人の目が気になりますね。
これまで親に言われるがまま歩んできたけれど、自分には合わないと思いつつも、
主体性がなく失敗したらと不安も強く、結局自分の進みたい道が決められず、
社会に出てから困ってしまい、仕事選びも職場選びも失敗続きでした。
ちょうど区切りがついた今にこの動画を見ることができてよかったです。
ここからの人生はどう生きるのか、切り替えて歩んでいこうと思います。
自分に当てはまりすぎてて、観てて辛いくらいでした。
これまで「いい子」として親とか世の中的な正解に沿って生きていれば怒られなかったし、むしろ評価されてきたから安全で楽でした。本当はやりたいこともあったけど、こうあるべきという、べき思考や義務感で行動してきました。
だけど社会人になって主体性を求められ自分で考えなきゃいけなくなって苦労して、元々の完璧主義も相まって勝手に自分を追い詰めて適応障害に…
主治医に親のような立場を求めてしまうのもすごくわかります。主治医には本音や弱い部分を話せるけど、親には言えない…。
「精神科に居場所を求めて、精神科医に親代わりを求める」
鋭過ぎる見解に、思わずうなってしまいました。
益田先生の表現力、さすがです👏
私も自分の人生を生きたくて、苦しんで苦しんで今の支援を受けるに至っています。
自分が決めることに自信がないし、本当は失敗するのが怖いけど、もう、一回失敗しとこう!くらいの気持ちでないとチャレンジできそうにないので、ゆっくりでも実家を出る努力はしていきたいと思います。
心が引き裂かれるようにつらいです。
というか、不安な気持ちですね。
応援したくなる言葉がつづられてます
@@user-yhu__riko さん、いいねくださった方々、ありがとうございます🥺
私にとってピッタリの内容でした。
幼い頃からいい子と言われ続けてたのですが大学の人間関係をきっかけに「あいつはずるい」という気持ちが芽生え職場でもプライベートでも人間関係で揉めることが多くなってしまいました。
誰にでもいい子であろうとしていたからなのでしょうか。
過去は諦めて、今は質の良い友達を作れるようコミニュティを探して人とつながりをつくったり、1人の時もやりたいことを探したり、運動したり、小さなことでも自分で決めるようにしています。
こんな感じで主体性が身に付いていくのでしょうか。。
辛くても信じて進んでいきたいです。
いつもためになる動画ありがとうございます。
ありがとうございます。
初めて投稿させていただきます。
益田先生の動画はいつも拝見させていただいていますが、これほどに自分と重なる動画は初めてでしたので、インターネット上に人生初の投稿をしてしまいました。
今の主治医の先生とは7年前に出会い、主治医の先生とお話しするのが楽しく週一回のペースで通院していましたが、7月下旬から3回しか行けていません。
理由は先生に迷惑をかけたくないという想いと先生が居なくても生きていけるようになりたいという想いが強くなったことがとても大きく、その他には人とお話しすることに気を遣いすぎて疲弊してしまったことが大きいです。
通院が安定してできなくなったのと同時にほぼ引きこもり状態です。
何回か買い物には行きましたが、道中すれ違う人や車の中の人に対しても恐怖を感じるので出られないのです。
自分の意見がないことも人に気を遣いすぎることも先生から指摘され続けていましたが、それを変えるための行動が引きこもることだったのは間違っているのかもしれませんが、外に出ないのでストレスがなく、心持ちは穏やかで同居している母にも寛容になれるようになったので、今の方が生きていて楽だと感じています。
先生からも感情の起伏がジェットコースターだと言われていましたが、それがなくなって穏やかに過ごせている今を間違いだと思えないのですが、どうなのでしょうか?
動画を見た瞬間は自分のことを全体的には不幸だと思っていましたが、今の生活になってからは幸せだと感じていることに今いま気がつきました。
私は間違っているのでしょうか?
「マゾヒスティックな反抗」という言葉を目にし、これほど自分をあらわす言葉ないと思って苦笑いせずにはいられませんでした。
今でも親に甘えがちで、人生全般に関して妙に楽観的なところがありますが、それでも社会人になってから少しずつ自己の発露ができつつあるようにかんじます。むかしから音楽が好きなのですが、最近音楽を聴くと体が踊るようになってきました。今はたまにクラブで夜通し踊ったりしています。そのときは無性に楽しいです。「おまえはおまえの踊りを踊れ」という言葉が絶えず頭に響いています。二十代も後半になってきたのでなんとか主体性と能動性と責任の概念を骨身にしみわたらせたいと考えています。じゃなきゃあとの世代に顔向けできません。
私を含め今回の症例に当てはまる人にも間違いなく自我はありますけれどもその発現がなかなか難しいのではないかと推察します。それぞれの人の固有の力を呼び覚ますトリガーが見つかれば素晴らしいですね。私の場合藝術がそれでした。
「あなたは目標を持った方がいい」と周りに言われますが、目標を持って失敗することが怖く、能動的に目標を抱くことができません。人間関係も同様で、仲良くなりたい、の以前に嫌われたくない傷つきなくないが先に来て結果人を避けるように行動してしまいます。結果職場では部署外の人と話すこともできません。
両親には大きな愛情を貰っている自覚はありますが、その大きさゆえに過干渉気味であり、両親の価値観を自分の物差しにして動いてしまっている面があるのがずっと引っかかっています。「これを買ったら親に怒られるかな」とか、そういったものです。
自立したい気持ちはありますが、失敗したらどうしよう、自分で責任を負うのが怖いと思ってしまいます。人のせいにするのは楽だからだと思います。また同時に、失敗した自分を必要以上に責める癖もあり、それもやめたいです。自責と他責のバランスが取れていないのかもしれません。
この動画を見て自分のことを言われているような気分になりました。しかし主治医はあまり熱心な人ではなく、相談先もわかりません。
地道に自分の人生を模索したいです。良い動画をありがとうございました。
いつもためになる動画を投稿していただき、ありがとうございます。
今回の動画がとても良く自分に当てはまり、雷に打たれた気分です。
今まではうつ病の母親の生き甲斐となれるような立派な娘でいないといけないと、必死に生きてきました。
しかし、親のために生きることで、失敗したら親のせいにできる安心感を覚えていたのも事実です。
私は元々ビビりで不安を感じやすく、プライドも高いです。なおかつ、親を支えることが染み付いているので、まさに遺伝と環境の相互作用で今の自分がいるんだと思います。
主体性がないという自身の欠点を一旦受け止めて、少しずつでもこれから先の「自分の人生」に責任を持って生きていきたいです。
最近、益田先生の動画に出会い、ハマっています。
リクエストがあり、(かなり聞いたのですが歴史が浅くもし過去に取り上げておられたら失礼なことです)コメントしました。
看護師資格があり、働いてましたが、免許とってから何度も挫折をしながらまたパートしてなど繰り返し、20年くらい経って「これ以上は耐えられない」と、看護師資格を使うことをやめました。
先生の動画を見て、看護学生時代の実習時の先生からのもの凄く激怒され、パニックを起こしたトラウマが関係してるかと思いつきました。
仕事する、と、思うだけで恐怖感がつきまとっています。失敗すると自分が守れない恐怖感から仕事が怖く、でも1人でいると孤独やから働きたい、の、循環の中にいます。
でも、思い出したのです。パニックの後、助けようとしてくれた実習先の看護師さんがいてくれたことを。
どうしてもできない時は、助けて、と、言えるし、助けてもらったから働けてるんですかね。
先生に取上げていただきたいテーマは、仕事の圧とメンタルを健やかに保つ方法です。
丁度、こういう事で悩んでました。
3:06 〜『主体性が欠如している』
まさに。動けていない、甘え…
色々限りの有る中で、何が出来るのか、
区切りを付けて自分の人生を考えないといけないです。
今日も、有難うございました。
自分には先生の考え方がよく分からないです。
いつもは森の外で暮らせばいいと言ってるのに、
今回はみんなと同じような場所に行けるようになりなさいと言われた気がしました。
たぶん自分が白黒思考だからだと思います。
柔軟な考え方は難しいです。
益田先生、おつかれさまです。
本来の精神科の治療からはやや外れているのでは?と思いましたが、多い症例なのですね。勉強になります。
個人的には、今の40代〜50代に多い辺り、自己責任論が強く、景気が悪くて失敗したら生きていけない、という強烈な不安感が若い時から強い世代だから、守りに入るしかなかった人の副作用ではないかなと感じます。
会社でも家庭でも、出る杭は打たれる、ので、ひたすら守るしか生き抜く術が無かったのだと思います。私もその気持ちはよく分かります。
主体性を無くさなきゃいけないぐらい、癒着した家庭で生きてきた人が、主体性を持ってやりたいことをやろうとすると、家族との縁を切るぐらい必死で逃げなきゃいけないので、実は大変な問題だと感じています。
一人で家借りて生きていくことが!もっと楽な国だと良いのですが。
先生いつもありがとうございます!
今回は家族と孤独と主体性とと言うテーマですね、全部関係していますね。 孤独になると、助けてくれる人を探してしまうし、その人が何とかしてくれるとか、勝手に期待してはガッカリしたりしていた気がします。本当に承認欲求が強いのか、プライドが高いのか??
まだまだこんなもんじゃないとか謎の自信があったり、しましたが今は少し現実が分かってきました。自己分析が少しだけ進みました。変化はすこーししています。ただまだまだ、色んな感情に引っ張られたりしていますが、😮
今日もありがとうございました。
益田先生今日もありがとうございます😂この頃ずっと悩んでいたことに切り込んでくる内容で、自分の人生の大きな決断に失敗したことに改めて向き合い、心がズキズキしました。主体性がない自分。いつも失敗するのが怖くて決断出来なかった。縁あって結婚はしましたが、主人の人生の一部になることで居場所を得てきた自分に最近気づいてしまって後悔とこれからの不安に苛まれています。先生がよく言われるように、主人に依存するのをやめたい。もう50も半ばの私が何をどうすればいいのか。先生の動画や著書に学びながら、気づきやヒントを探しています。
自分のことだと思いました。今まで、好きなこと何?って聞かれるのがつらかったです。まずは、自分で決めてやったことなら、失敗も経験のうちだと思い続けてみます。
決断と経験の優先順位を、上手くやることよりも上げようと思いました。
ありがとうございました。
この動画もそうですが、ここ最近の動画で、変わりたいのに変われない、というテーマが取り上げられていて、とても勉強になります。ありがとうございます。治療も受け身ではだめという話ではっとなり、前回の心療内科での診察の時は、事前にどうして欲しいか考えてそれを伝えてみました。ヨガも始めました。変わることにコミットしてます。
他の動画でもう少し詳しく、では変わるにはどうしたらいいのか具体的に説明して頂ければ嬉しいです。
ズバリ、自分のことを言い当てられていると感じました。
失敗が怖い、自分で選択することが苦手。ですか、それができた時(失敗や選択ができた時)は、心の中で安心する自分もいました。
ところどころ、耳の痛いお話しでした。親が亡くなった後どうしようについては、高校生の頃から考えていました。母に許可をもらわないと安心できないんです。自分でも変なのは分かるのですが。
何故か趣味はいっぱいあります。やっていることが今の自分には多すぎることも分かっているけれど、手離せないです。やめてしまったら生きてる意味ないと思ってしまいます。これも、極端な考えで良くないですよね。
細かな点がは違いますが自分はおおよそ当てはまってるなと思いながら拝見しました。何か変えなきゃなと思って転職に踏み切り、退職の話し合いが上手くいかずにボロボロになってたところだったので、考えさせられる内容でした。
家族との関わりも断っているので、家族と関わっているだけですごいと思う。仕事していても引きこもりです。だけど双極性障害は治らない。
まさに自分のことだと思いました。主体性がないまま自分のことがよくわかっていないのに30代後半で焦って結婚してしまいました。現在自分の人生を生きようとカウンセリングにかかっています。自分一人じゃ考え方を修正するのは難しいです。
以前カウンセリングで言われたことでした。途中で辞めてしまいましたが。。自分で進路を決めたことがなかった、というか、この高校に行きたいと言ったけどあなたの学力じゃ無理と言われて挑戦もさせてもらえなかった。そこから自分で決めるのをやめて、親や先生が安心しそうな喜びそうな進路を選んだ。って30歳の時に言われて衝撃を受けました。じゃあ自分のやりたいことってなんだろうと考えようとすると不思議なくらいに何も出てこないんですよね。。。いい子ちゃんで職場でいいように使われるし、確かに家庭持ちの人がずるいと思ってます😢
夫を立てて良い妻でいようとしていましたが、
たいして感謝もされないし体は辛いしなんだか悲しくなるばかりでした。
この動画をみて、イイ子=都合のイイ子 ということを思い出しました!
自分のやりたかった事が出来なくて、グチや文句ばかりになってしまう人生は嫌なので、
あまり心配せず行動してみようと思いました。
まさに自分だなと思いました。
ただ、失敗体験を積み重ねすぎて新しいことするのが怖いんです。
何度も切り替えてきたと思っていたんですが、足りなかったのかなとか考えちゃいます。
良い子でいれば安泰なことで成功体験しちゃうと、もうそれ以外のパターンは考えつかなくなっちゃいますね。
何すると変われるのかなぁ。
個人的にずるいという感情が湧く時は自分が精一杯で心に余裕がない時だと思ってる
まだ20代ではありますが、あまりに自分のことすぎてびっくり、、、
小さい頃から学校でも今なら職場でも外ではいい子で生きることはできる。ただ本当に主体性がないし休みの日はやりたいことないしどう過ごしていいのかわからなくて一日中布団て過ごしてその日が終わる。でも周りは趣味や仕事、プライベートが充実してるのを見るとずるいと思ってしまう。親がいなくなったらどうしようともほんとに思う、代わりを探しちゃうのわかる、、、主体性のある人になりたい。
管理しやすいほうがしやすく
するためにさんざん
羽をむしられて
いざとなったらハイ、飛んで行け!
あの青空へ!とか言われてる感じ
「痛み」とは何なのでしょうか。自分が劣等だと思い知る、ということでしょうか。自己受容とは自分の劣等性をかみしめるということかもしれませんね。劣等にもかかわらず心の平和は達成しないといけないという矛盾。そんな心を保つ能力があれば苦労しません。動画ありがとうございます。
いつか精神科に通いたいと思っている大学生です。この「いつか」というのは親元を離れたら、という意味です。
あと1年、卒業したら自立のために動きたいです。母の感情に振り回されすぎず、適切な思いやりをかけつつ…
一方でぐずぐずと日々を過ごしている現実があって、先生の言葉がグサリと突き刺さりました。誰とも付き合ったことないけどそれを他のもののせいにしていたり、過去の恨み辛みや自分の置かれている息苦しい状況を何千回何万回と反芻して自分を虐めることに時間を費やす日々を過ごしていたり…
本人は至って真面目で本気のつもりなんだけどやっぱり生き生きとしている人から見たらバカみたいな滑稽な姿晒してるのか、、それは嫌だな
手当り次第「動こう、動こう」とすると忙しすぎて、また、華やかな人の熱意に焼かれて心が疲弊→閉じこもる
という流れになってしまいます。
優しくしてくれる人を探したくなります。
上手いやり方を誰か教えてくれませんか。
あ、これも他力本願か、、
私、鬱かもと思ってるのも自分が作り出した言い訳だろうな、自己受容頑張ります。先生動画をありがとうございました。
分からないものに向かって一步先へ踏み込んでいくというのは、いつでも挑戦的で嫌な思いもするかもしれなくてとても怖いものですね。
全て自分に当てはまりすぎて、叱られているような気分になりました。
自分の中で親や他人が指針で、ほとんどの決断を親、上司に伺いを立ててしまいます。
このままじゃいけない、と思うものの、じゃあどうしたらいいのか?がわかりません…
こうやってすぐ教えを請おうとするのも甘えなのかな。
また、こう言った拗らせた事案を相談するには相談時間が長く必要だと思いますが、周りには診療時間5分とかのクリニックしかないようで、どうしたらいいか困ってしまった。やっぱり自分でどうにかするしか無いのか…
その一方で、他人に決定を任せて楽に生きるのも良いじゃん、別に生まれてきた理由などないのだし…と思ってしまう自分もいます。
どんな治療法があるのか知りたいです。
情けなさもあるし辛いですが、自分も一人っ子でまさにこんな感じです。主体性が無いと思います。でも先人たちが考えて悩んできたことを学んでたりすると、やりたいことが見えてきました。
現代社会が、主体性を持つことを美徳を通り越して大前提としているため、そういう素質の少ない人が適応出来ずに苦しんでるのだと思いました。
昔だったら従順で自己主張がないというのは美徳だったわけです。特に女性の場合。
性質は変わってないのに、世の中が変わって適応出来なくなった悲しみが「ずるい」とかの被害者意識に繋がっているのかも知れません。
恵まれているように見えるけど、心は満たされてないんですね。痛みを伴う治療。こういう症例も治療対象になるのですね。
痛みは辛く苦しくて避けたいことだけど、成長したり大きく切り替えたりするときは必要な事なんですよね。沢山の痛みを経験した方は尊いですよね、、。
親は子供が自立出来るように育てるのが仕事だと思ってましたけど。私の職場の女性の先輩は数人は独身で定年まで勤めあげ、親の面倒を見る覚悟で、凄いと思ってました。私も定年まで勤めあげるのが夢でしたが、結婚し精神疾患を発症し思いもよらない生活をしている。確かに結婚したせいで自分らしく主体性を持って生きれなくなった。結婚大失敗!子供無しだから将来老人ホームと考えているし、孤独であるのは既婚、子供有りでもあり得る。治療者に親代わりを求めているのか?男女ともこういう人が多いなら同じ境遇の人同士で出会いの場が作れるといいのにな。老人ホームでもカップルが出来るらしいし。
仕事が出来ることだけでも羨ましい。未来はまだありますよ!
耳がいたいお話。けど、はっとさせられますね。本当にこういう方は多いと思います。
自分の人生を決められないのは、甘えと言うのは新しい視点だと思いました。私は恐怖や環境が主体性を消すと言う考えです
こう言うのは、本来は小さく段階を踏んで、小さく自分と責任を手に入れる行動をすると良い様な気がします。「100円でも200円でも良いから、メロンパンかチョコパンどっちを買おう?」「食べた後にメロンパンは不味かったから1ヶ月後は少し高いパンを買おう」とか、「高く黒い靴と安い青い靴、どっちが良いか?今すぐ買うんじゃなくて試着してから決めよう」とかそこから少し大きくして「安くて広い部屋、高くて広い部屋。どっちに良いか?今は決められないから色々質問して納得したら住もう」とか、取り敢えず余裕を持って今すぐ決める必要がない安全さと自分で人生と居場所を決める方が助けて貰いやすいと思える状態が大切な気がしました。
なるほどと、膝を叩きたくなりました。自分が悩んでいることの根本が見えた気がしました。動画を何度も見て考えます。有り難うございました。
益田先生お疲れ様です。いつも動画ありがとうございます。まさに今悩んでいます。いいお話ありがとうございました。動画楽しみにしています。先生ありがとうございました。応援しています。
根底に「言うこと聞いていれば生存率が上がる。」って彫り込みは人間多かれ少なかれあるのかなぁと思います。私自身も「自分の意見を言うと人が離れていく」って観念が深くに潜んでいましたが
意識の書き換えで自分自身も意識して随分変わりました。お医者様やカウンセラーさんは手助けは出来るけど、その先の人生を生きるのは自分なので結局、答えは自分自身で見つけるしかないんだなぁと思いました。
昔の自分は「治りたくない(治ったら愛されなくなるかも、楽できなくなるかも)」が潜んで無意識的に辛い方を選んでいたなぁとふと思い出しました(苦笑)
プライドが高いのに自己受容が出来ないのは辛いでしょうね。自分のせいなのか相手のせいなのかっていうのが分からないのとしんどいかなと思いますね。
自分のことだなと思いながら視聴してましたが、精神科医から「変な楽観性がある。甘い。楽観的過ぎる。それでこういう問題が続いている。」と言われてしまうと、、、キツイです。
ありがとうございました。
こんにちは。お話を伺って、かくいう私も似たような性格の持ち主だと感じてます。
私も自分のこんな性格、幼馴染みから指摘されて気付きましたが、幼馴染みから私を見たら、子供の頃から親の子供への期待値は凄く高くて、子供である私も意識的無意識的に期待に応えようと頑張って、期待通に出来る子だった。だから親は子供に更なる期待を寄せる。出来なかったら出来ないで親は不機嫌に怒るし、私自身、親の期待に添えない、出来ない自分に「罪悪感」を抱くんですね。だから、出来ません、とは口に出来ない。かといって、自分のやりたいことを口にしたら否定的な言葉が返ってくるから迂闊にくちにできないし、いつの間にか他人に承認された事ではないと自発的にやれなくなる。
私自身は気付かないけど、端から見たらそんな人間だったらしいです。
ここから件の幼馴染みからの受け売りで恐縮ですが、(本人は専門家ではなく、人間心理が好きで関係書物を読み回ってるらしいのですが)
ところが反面、親の立場からすると、子供を独立した個性として見ることが無い。
この時の親の健全な意思としては、親の描いた理想通りの子に育って欲しい。悪い思惑が支配した場合、自分が将来身体的経済的に依存するための存在にしたい、自分の掌の上で転がせる人間にしておきたい。つまり、意識的無意識的に自分の都合の良い人間を側に置きたい。
そんな考え価値観で子育てしていた場合、親は子供に何をするかというと、子供自身が自発的にやりたいと思ったことを潰しに掛かる。幼い頃から始まって思春期過ぎて下手すれば成人後も否定的な干渉を投げ掛ける。
「何するの、そんな事やって」とか否定的な言葉子供に浴びせて意欲を削いだり、例えば学生時代、将来の進路決める時、煽てたり叱って見せたり色んな言葉掛けてほぼ親都合の人生歩ませようとしたり。
器用な子は、親から誉められるのが嬉しくて、もっと誉められたくて、自ら積極的肯定的に親の理想通りの性格、人生を生きようとするし、実現させる力を持ってる。
そして自分の人生として意欲的に生きる。
逆にそんな親に反発する子は何処かで反抗したり反骨精神発揮して「ぐれてやる!」とか言って親蹴散らして飛び出していく。
そんなエネルギー持ってる子。
悲惨なのは、そのどちらでもない子。
親の期待や理想像を積極的かつ肯定的に自身の自由意思として変換する力や意思、或いは真っ向から反抗して親とマジ喧嘩して戦うエネルギーを持ち合わせて無い子。
案外人が100人いたら6割位はこのタイプの人なのかな、という話に落ち着きました。
そんなイイ子なのに不幸な思いを抱く人は人生のあちこちで人知れず傷付き倒れて、立ち上がって進む気力も枯れてるのかもしれません。うーん、立ち直るには、まずはやりたいことを見付ける事とそれに繋がった成功体験味わう事かなあ?なにも高額投資とか転職とかハイリスクが絡む人生掛けた大博打みたいなことやらなくていいから、自分でやってみたい小さな趣味とか興味のある特技とか見つけてモノにして見せたり、そんなちっちゃな成功体験、人知れず重ねて行って、自己肯定感高めて行くのも1つのやり方かもと思いますね。
そして万が一自分を都合よく扱おうと近付いて来るような輩がいたら、上手いこと言って反論したりして距離を置くのがいいかもしれませんね。いかがでしょう?
長文乱文大変失礼致しました。
自分のことをテーマにしているような内容でした。仕事で認められるために十数年生きてきてしまったなと思います。
ぜひ、主体性を持つためには、というテーマの動画も見てみたいです(既にあったらごめんなさい)
自分のことか〜と思いました。職場ではいい人のふり。上司からも部下からも慕われる。家では家事や子育てで精一杯で土日は燃え尽きてしまってる。趣味とかないし。なんで生きてるのかよくわからない。双極性なんで感情の上がり下がりが激しくて辛いわ。
こういう人いますね、自分が「いい子」であることに謎のプライドを持っていて、ちょっとでも自分の基準から外れる人のことすぐ「ずるい」って言う人。モヤモヤするけど何か目立って悪いことしてるわけじゃないからこちらも怒りにくい。正体がわかるだけでもちょっとだけマシかもしれません、ありがとうございます
自分に当てはまらない部分が多すぎて想像ができません。
いろいろな辛さの中で、みんなが生きているっていうことがわかりました。
そういういろいろな患者さんと向き合っていて、先生は素晴らしい治療者だなと思います。
うわ……なんかめちゃくちゃ自分すぎて………
姉がかなり破天荒だったので自分は絶対親に迷惑かけちゃいけないと思い、勉強部活仕事結婚出産
全部それなりにしてきました。でもずっと満たされない。だからといって自分が姉のようにしたら周りにも迷惑かかるし親や先生、友人から見て良い子で居なきゃってずっと考えてました。自分存在する意味あるのかな…ってずっと頭から消えない。
先生私コレです。教えてくれて有難うございます😭
まさに自分か?と思うような感じでした。
こういう自分を受け入れるにはどうしたらいいのだろう…
親が死んでしまったらどうするか?どうなるんだろう?
病気の関係上、辛さがある上で人と触れ合う余裕が無かったからの、人との繋がりを極端に切ってきたのが逆に裏目に成ってますね。ダメですね、何処か早い内に修正を加えないと、運気が戻ったらボランティアに参加でもしないと、とする。一応言ってみると本人に全部問題があった訳ではなく、社会の変化の中、周りとの付き合いが昔より減ってきた傾向、核家族の弊害だとは思う
けど、自身がアクションを採れなかったのも事実だがざっくり切り捨てられるのは可哀想とも思う。
益田先生の知識にこれ等の人への救済策が在りましたら動画で上げて頂きたい。よろしくお願いいたします
所々当てはまり耳に痛いですが・・・動画を見て自分に当てはめると。
なぜ生まれてきたとか使命とかスピリチュアルに行きがち→障害を知ったことと年をとったこと(40代)で見方が変わる。ただ生まれてきただけ。
恋愛しない→30代で頑張って無理だったので諦めがついた。なので失敗しても得るものがある。自己肯定感が低くて上手くいかないと思っていたが、それ以外でも普通のコミュニケーションが分からない、自分の感情に鈍感・感情を表に出さないも関係してそう。
孤独、さみしさ→ASD特性があるので1人がラク。半年に一回くらいで友達に会う。
親が死んだらと不安→猫と暮らすor海外に行く、薬で調整、今療養中だけどなんとかなってるので今後も何とかなるのだろうという楽観視。
中高年には中高年の恋活が
あるととおもう❤
若い頃の性的な恋という感じより、新しい家族、パートナー探し、みたいな😆
同じような意識の異性もいると思います
今日、はじめて動画を拝見しました。まさにわたしです。
大きな負債を抱えてしまい、知人に助けてもらいながらなんとか踏ん張ってる感じです😢
確かに楽観的すぎました。なんとか、前を向いてと思いますが、正直、どこに相談していいのか、相談した知人は、次々と距離をとってしまい、さらに自己否定のループに、、
相談するにも人任せが過ぎるんです、それもわかってきました。
ただ、どう行動したらいいのか、自分で行動してもいい方向に向かわないんじゃないかと不安が募り、動けなくなっています、、
解決するべき現実の問題と、心の問題とどうすればいいのか、、
正にタイムリーで、
グサッと刺さりました。
アダルトチルドレンだし、カサンドラだし、色々苦しくて自分を癒やす時間が必要だった。
でもいつも淋しいし、虚しい。
自分を感じられない、エネルギーもない。
だけど、このままではいけない気がする。
「患者のままでいたい」のかなと思う人、Twitterでよく見かける気がします。
ほんとに治りたいの?
助けを待ち続けてるだけでは?
と思うのですが、なるほど、居場所を求めてのことなんですね…。
私は昔から主体性がなく、仕事の志望動機が書けないんですが、失敗を恐れず、新しい出会いとか趣味の発掘とかをやりつづけないと、どんどん病んでいくのかもなと思いました。
親のせいっちゃ親のせいナンだけど…
本人のせいでもあるんですよね?
という辺り…
親のせいで不幸な結果になったって言うのを自分で拡大していた様な気がします。
普通に機能している家族の元で暮らしてきた人に比べると、何杯も努力しなければ普通にもなれないのは、悔しいけど、そこを乗り越えなきゃ進歩しないとなると、やるしか無いですね?
似たような悩みを抱えている人がこんなにも居るんだということが原動力になれそうです…
こういう話聞くと自分も本当に生き方間違えたなぁと悔しいような苦しいような、もどかしさしか無い。扱いやすい奴だと思われると腸が煮えくりかえる思いがする。自己肯定感が低く、友人も恋人もできない。絶望しかない。もっと早く聴きたかった💧
当てはまるところあるよなあ…私だけじゃないのか…と思いながら見てしまいました
僕まさにこれでした!
先生の動画はよく見てましたが、凄くビビッときた動画でした。
42歳で動画の通りの環境でうつ病になり、仕事を辞め、新しい人生のスターすることにしました。
まさに私のことです。。。
益田Dr.ありがとうございます。m(__)m
全部が当てはまるわけではないけれど
かなりの箇所が当てはまるかなぁ
それではダメだとわかっていても
どうしても依存というか甘えたくなるんだよね
今はどちらかというと疲れたなぁって思うことの方が多くてほっといてほしいなぁって思うけど
病気になることで得たのが、自分が自分を生きるでした。
イイこ。優等生。どれもしっくり来なかったし。
沢山チャレンジして、失敗して、恥も沢山かいてきた事が今この年齢になり、大事な事だったと感じています。
迷惑かけるのは不本意で苦手だけど、人の目とか、よく思われたいは ほんとうになくなりました。
くだらない思い込みや、プライドは 人生の鎖にはなっても 錨にはならないから。
親も上司、家族も友達も、
尊敬がない限り 良好な人間関係は築けないと思います。
バザーのゲームで景品係をした時のことでした。
ある女の子が「どれにしようかな、迷っちゃうな」と私の目をうかがっていました。私は、いっぱいあるね、どれにしようかな?とだけ言って見守っていました。
やがて、〇〇ちゃんもこういうの好きだからこれにしよ!と言って意気揚々と景品を選び取りました。
このちょっとした選択が彼女の人生に少しでも意味を持ってくれることを願いました。
abema で「子持ち様」という言葉が出てきたのが2024年の春ころ。
主に職場のリソース不足といった視点で語られていましたが、不公平感を感じる側にはこうした素地があったんだと感じました。
全部見透かされてしまった気持ちです。
でも、自分を客観的に見るのが苦手なので、こういう問題を容赦なく人に指摘して貰えるのはかなり貴重だとも思いました。
「いい患者でありたい」という言葉も結構刺さりました。
本当、言われてみればその通りで、周りにはバレているんだなと、、
こういうのを精神科医に相談したら、何か手助けして貰えるのでしょうか?
自分1人だと、無自覚に甘やかし思考に陥りそうです、、
自分に該当すること、いくつもありました。
やりたいことって言われて、すぐにあげられない。日々を消化するように生きてます。
でも最近、好きな人ができた+大切な人との離別があったおかげか、自分でどうにかするしかない、正解はわからない状態になり、少しだけ改善の兆しが見えています。
痛みを伴うとは、こういうことなのかもしれないなと思う次第です。
親の会社に勤めて、母には仕送りし、よい子どもかもしれない。そして………土日は寝てばかりで変な楽観性がある、笑
これめっちゃ自分に当てはまりそう。。
確かに分かります。
主体性に欠けている人、自己責任が持てない人いますね。
近くにいますね。
今は40代独身なので、動画の内容が当てはまります。
上手くいかないことが普通にあり、
だからトライアンドエラーを繰り返す勇気を持ち続けたいなあと考えました。
よく「小さな成功を積み重ねろ」という人と「可能なレベルでどんどん失敗して慣れていこう」という人がいますけど、どちらが正解なのでしょうか?
どちらもバランスよく取り入れるのがいちばん良いのでしょうかね...?
5:22〜 親が亡くなった後の親がわりに来てる
ここ私も当てはまるかもです
参考になりました!!
仕事も割り当てられて自分の時間が無かったのです😱