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世の中の安全性に頭では納得するのに、心は1ミリも納得しない。
4年前、だんだんメンタルが悪くなっていった時、会えるだけ多くの友達に話して、心療内科も行って、親にも相談して、どうにか自分を変えなきゃって努力をした。けれど、アドバイスとしてもらったものを聞き入れるだけの「感動」ができず、自分の柔軟性が足りず、結局アドバイスを聞くだけ取り入れない状態になり、自分の考え方を変えることができなかった。最終的に、体調を崩し判断をし社会的に孤立した後、やっとあの時もらったアドバイスはこういうことだったのだと、自分はこう変わればよかったのだと、実感して、自分の考え方のクセを認識し調節できるようになった。それでも、失った時間やモノや人を取り返すことは本当に難しい。だから、本当に悪いことが起きる前に、この抵抗を和らげる訓練や経験が必要だなと感じる。それを助ける、信頼に基づいたエキスパートも必要だと思う。このような動画が、本当に悪いことが起きる前で悩んでいる人たちにも届き、彼らが変わる経験をすることができて、大きな傷と犠牲の予防ができたらいいなと強く願う。益田先生、ありがとうございます。
元気になったらその分の責任を負わないといけない、ちゃんとしないといけない、健常者としてしっかりしないと…っていうプレッシャーがイヤで言い方悪いですが病気や障害に逃げている部分は自分自身で感じます(他の人に言ってるわけではないです)
私が、発症したときは、1月平均150時間の残業をしていました。主治医に「残業をやめて、定時で帰ってください。それ一つだけ守ってください。」と言われました。定時で帰るのを続けると、非難する人もいたし、認めてくれる人もいました。行動することでしんどいことがあったなと思い出します。でも、退職まで守りました。守ることができたのは、定時になるたびに、主治医の厳しく真剣な眼差しを思い出したからです。だから、益田先生の仰っている意味がよくわかります。そう、「・・・しなよ」と毅然と言うことの大切さがよくわかります。退職後は、定時がないので、研究や庭の世話をずうっとやっていてもいいので、開放感があっていいものです。
変わりたいと思う一方で、「今までの自分を否定すること」になるのが怖いという気持ちが強いから、なかなか変われないのかもしれません。難しい。辛い。けれど、動画見て伴走してくれる先生がいると思うと、取り敢えず明日は頑張ろうかな…って思えます。いつもありがとうございます
「拒む」を突き詰めると結局「怖い」んだと思う。そして全てのメンタルイシューはそこから発生する。この「怖がり」な人にどうやって「怖くないよ」を感じてもらえるか、本当に難しい。ナウシカみたいな特殊能力が必要。
良くなりたいと思えなかったんだけど、それは辛いことがあって人を信じられなくなっちゃったから自分を守るためにこうなっちゃってて、安全に思える今の生活から抜け出すのが怖いのかも。なのに通院し始めたのは、今のままじゃダメだと思ったからっていうのもあります。自分って矛盾してるなぁと最近よく思います。
世界は悪意に満ちている、と思って生きてきました。子どもの頃はまわりの人が私に怒っている、と思っていて怖かった。機能不全家庭で誰も助けてくれない、小、中、高校でイジメにあう。私はこの世に存在していてはいけない、その傷がまだ癒えません。益田先生が世界は安全だ、優しい人も多い、とおっしゃっていたことを少しづつ受け入れ消化しています。ありがとうございます。
虐待を受け続けたわんちゃん見ると私と似てるなと感じる。でもわんちゃんの凄いとこは私より早く心開いて懐くこと。
12:05 『世の中は安全なんだよという最低限のリテラシーを手に入れる』世界(観)や自分を含めた人に対して、私はそもそも安全だとは思っていないし、ほぼほぼ奥底では誰も信用してないのです。あと、その先の知る痛みも見えているので回避してます。(透けて見えてるけれど。。)"と言いつつ“、信用している面も有るのです。でないとここに主観など書けないですから。恨み憎しみ不信感が自分を奮い立たせて生きてきた面とそうでない部分の愛情も有ったという統合していく作業が今は必要なのでしょう。洗脳ではなく。色んな愛情が有った事、現在進行形なものもカウントしてみましょう。(自分に言ってます。)認める、肯定する事より抵抗の方が全然楽ですけど。。今日も有難うございました。追記 と同時に『心底、傷付いている』自分も感じています。
60年このままきたので治るより(変化するより)も平静でいたい。刺激されたくないです。刺激は辛いです。
「変わって良くなる」という感覚がないのです。ただしんどいだけで損をするだけにしか見えないです。
生きてることが苦しくてたまらなかったとき自分のことも大嫌いで、だから変わりたいのになかなか変われなくてそんな自分を責めていたときがありました。後になって本当は変わるのが怖かったんだと気付いたときは衝撃だったなぁでも変わるのが怖いって思ってたのも自然なことだったんですね
父親がぶん殴ってくるのを客観的に見ると、自分がダメな奴じゃなくて父親がダメな奴なのに、私がどう変化すりゃいいの?って困っちゃう。
安心できないと変化できない、という言葉に深く頷きます。このままでは健康になれないと思い、かなり無理をして虐待されてきた親元から車で5時間の距離に引越しました。借金まみれだけど、やっと心の治療が進められそうです。
「抵抗があるから精神疾患なんだ。」という言葉納得できます。いいことを長期記憶に変えてゆくことが私には必要だと思いました。私の中の「自分はダメだ。」という考え方が以前は強かったですが、今は少しずつ変わっていっているように思います。今変化が少しずつ起きているように思います。今回のお話、今私が通っている地域活動支援センターでの他の人との付き合い方の参考にしたいと思います。
いやあ、だって学校や家では劣っていればバカにされたし弱みを見せれば付け込まれたしなぁ。それ以外のやり方をどこで学んだらいいんだろ。動画ありがとうございます。
2年前ぐらいには、通院していて矛盾しているけど、積極的に良くなろうとする気持ちになれなくて、抵抗。今は、やれば良いと分かっていても行動できない抵抗。自分でもなぜ出来ないのか分かりません。健康な人は抵抗がないとは、驚きでした。
知る痛みというのはとても納得できるところがありました。以前は、まだ10代の幼い時期だったこともあり、知ることに抵抗がなかった、むしろ知識欲は周りよりも高かった記憶があります。しかし今は、知らなかった方が良かった、知らない方がいいんじゃないかと思うことが増えて、自分のことや病気のことでないことでさえ、知ることを拒んでしまう気持ちが強くなっていると思います。
安全な環境で、信頼できる相談相手がいればと言うけど、現実にはそんなものはないから、結局変われない。変われる人は本当に奇跡的に運が良いのだろう。
絶対によくないことと分かっていても握りしめてしまう、わかっていても絶対に変われない自分のことを本当にダメなやつだと思っていましたが、『抵抗』があるから患者さんという言葉を聞いて、ちょっと気が楽になりました。
変化を拒んでしまっている自覚はある。変わりたいのに、変わる為に動けない自分を責めてしまう。主観を少しずつ良い方向に持っていけるようにしていきたい。
変化する事に対して抵抗してしまう、というところが ギクってなりました💦よく周りから「そう思い込んでいるだけなんじゃない」って言われていたのも思い出しました。いつも為になる動画をありがとうございます❗️
世の中には「できて分かること」と「わかってからできること」の2種類があるんだよ。といわれた時から少し生きやすくなりました。そんな話なのかな~と思って聞きました。
前に通ってた精神科では治す気がないなら別の病院に言ってくれって本当に辛かった時に言われてそれから不信感に溢れてしまってそこの病院はダメになりました…抵抗という言葉が知れて良かった😢
抵抗があるから、患者さんである。なぜに客観的に世界を見れないのか、のベースに安全基地がない。すごく納得しました。安全基地を探し求めた人生…その為だけで、半世紀費やしました。虚しく往きて実ちて帰る。
すごく勉強になります。面白いです。過去の私や、私の周りを見ると、客観的に見たら、自分は悪くないかもしれないと気づくことを知っているから客観的に見ないという人もいます。自分は悪いと暗示をかける事で謙虚(臆病)にさせて失敗をさせないようにしていました。さらに周りは全員悪い人間だ、信用してはいけないと偏った見方を脳に擦り込むことで、これ以上傷つかないようにしていました。抵抗についても、変化が怖いんだと思います。つまり、偏った見方が自分を苦しめながらも守っていたんですね😢
ちょうど最近社会復帰したいのか、自分が甘えてるだけなのか…と悩んでいたので、抵抗があることを知れて、またそれがあるから病気なんだってことがわかって少しすっきりしました。
私もずっと抵抗してます。うつになって2年経ちだいぶ良くなってるのを感じますが自分の考えを変える事できません。誰かに相談して解決もしないし、前を向くよう励ましも受け入れられず、そう言われるだろうと予想して話すことも避けてます。益田先生の動画を見て母が意味不明な行動をするのは発達障害だろうと理解はできました。でも頑張ってきた自分は、なんだったのかと思って、前向きにはなれません。とりあえず動いてみるようにしてたので、それでいいかと思って、やってこうと思います。
拒食→過食→拒食→過食→(いま)過食嘔吐5ヶ月目です。変わりたくない理由:①食べる時の幸せな感覚と安心感を手放せない。②自分を傷つけてきた両親の願い(ちゃんと自立した自制できる立派な大人、良い娘でいる)を叶えてしまう=両親の言いなりになってしまう、のが絶対嫌
ほんと、社会が悪い!私は不幸で良いんだ!って言ってる人間を見捨てずによく頑張ってるなと思います。愛、伝わってますよ。
1:47甘えてる訳でもふざけてる訳でもない3:16記憶を強化したり、変える事で、脳の配線を変えて治療していく4:03 4:43 4:55記憶は日々更新されつつ保持しているから、自己理解を変える事で自己受容ダメなやつ、劣っているという認識を変えていくダメなやつじゃない、いい奴なんだ、と自己理解していく事が治療になる社会の中で自分自身は劣っている、社会はひどいもんだ、と他人は攻撃ばかり、傷つけているばかりと感じてばかりいるから、そこを変えていく事が治療になる8:28 8:34記憶の変化、意味付けを変えていく作業はとても大切悪いと思っているから認知が歪む、だからそれを治していく互いに話を聞いて 自己理解や他者理解を増やして、認知の歪みを治す9:46主観で生きていくので、医師の治療で客観に置き換え、ポジティブな意味に捉え直していく11:43 11:49 12:34安全な場所なのか安全な場所は確保されているのか安全な場所じゃなければ変わろうとしない信頼関係がなければ患者は変わろうとしない 勿論中々信頼できない 信頼できない人に信頼してもらう訳だから時間がかかる14:33 16:38 17:20あなたはこう考えているけど…自己理解、認知の歪みを治すいつも怒ってる、感じてる、味わってるのってアレじゃん、と急激にメタ認知能力が上がるどうやって感動して、認知の歪みを治すか深ければ深いほど訳が分からないし、相手との信頼関係が必要だし過去の出来事とか人間関係を再現しがち(診察室は一つの演劇空間)知る痛み、現実を直視するのが難しい自己理解や認知の歪みを正し、無意識を解釈する
抵抗するから患者さんになる。自分が気持ちよく過ごせないことは、神様がそうさせている、という人が身近にいます。自分のせいではないと完全に思い込んでいて、しきりに神様にお祈りしています。本当の自分を見ることを抵抗していることで、自分を守っているのだと思います。抵抗が強ければ強いほど、患者さんになりやすいんですね。そういう人を相手にしている先生には、本当に頭が上がらない思いです。
躁鬱病で20年余り、同じ医師に診て頂いています。先生の医師側に立った考えに関する動画は、患者側にとってとても有益です。信頼関係は大事ですね。私はそう意味において、良い医師に巡り会えたと感謝しています。精神科の医師との巡り合いはなかなかに難しいと思います。また、今回のような配信を楽しみにしています。
不安の塊だったが復職して同じ職場に戻った。病休前とヘアサロンを変え、眉毛も整えた。休職中の無精ひげは、5ミリ残した。朝は瞑想しながらの必ずコーヒータイム。退勤は仕事や締切があっても定時プラスαに。隙間時間には苦手な片付けまでしてる。行動を変えるのも勇気がいるよな。管理職は再発だけはさせたくない模様だし。益田先生の動画、毎日観ることで行動が変わったから凄い。
言ってることは分かるんですけど、心と頭の奥が理解してくれないで拒絶してしまうので、「抵抗」という概念をより深く理解するだけで終わりそうです。
5年前の発病した時の感覚に、最近似ています。残業、休日出勤、もう何を減らせばよいのかわからない。勤務状況が管理されても、上司が指示するわけでもない。このままでは再発してしまう。コメントに、「毎日定時退勤した」人がいましたね。私もチャレンジしてみようと思いました。
最後に例として断酒の話が出た時に、「抵抗」する自分がいてハッとしました(笑)やめてみて、良かったのか悪かったのか考えるっていいですね。コメントを見て「やめて良かった」っていう人がいること、しかも益田Drのおかげでやめた方がそうおっしゃっていることは力強いですね。毎日のビール1本を心のガソリンにして走っていましたが、月に一度のご褒美1本に変えてみようと思います。
愛されて生まれ、愛されて育てば、全て安全地帯です。
変わることが怖いというのもありますが変わったことによって周囲から「何かあったの?」という反応があったりしたのが怖い。ちょっとオシャレとかしたら「急に色気付いたな」とか…本人は笑いながら冗談で言ってるんでしょうがとにかく多くて…それで変化が苦手です。
抵抗、今の自分にあると思います。例えば、薬を減らすと言われると、あの苦しさがまた襲ってくるから減らさないで…と思ったり、再就職も面接まで話を進めた事があったけど、すごい動悸が止まらなくて吐きそうになったので取り止めたり、また、職場のあの人間の中に入ることがすごいムリです。確かに歪みが酷い自覚はあります。治る自信はありません。もし歪みを治すことが出来るものなら、鬱から脱出できると思います。
17:47 いい言葉聞きました。脳裏に焼き付けておきます。ありがとうございました。
クリニックで診断を受けてから4ヶ月が経ちます。診断を受ける前、もうダメかもと思った時たまたま出会った先生の動画に、今日も新しい気づきをもらい励まされています。毎日のアップありがとうございます😊
あああもう最初から最後までドンピシャに刺さる内容でした😭益田先生のおかげで、変化を拒み続ける夫のことでなにかあってもまず「こういうものなんだ」と客観視するところから考察を進めることが出来るようになりました。最近はだいぶ穏やかです(私の気持ちが)まだまだ私も含め家族のメンタル面で課題は山積みですが益田先生の動画で学習して行きたいと思っています。いつもありがとうございます😊
最近ずっと自分を治すために調べまくってやっていることだ。抵抗以外のことはほぼ知ってたけど、治したいのに過去を悶々と考える自分が丁度嫌になってたから納得しました。病院行けるまで時間かかるから一人でやってるけど、安心できる場所の作り方が分からなくてずっと困ってる…笑
主観2.0がわからなくて、ぐぐった事があります。益田先生が考えられたことばなのですね( ´∀`)行動を変えるのはなかなか難しいですね。私はお酒もやめてから体調がよくなりました。毎日こつこつがいつのまにか意識しなくなり普通になって楽に。朝散歩も体が軽快だし。人の意見を聞ける余裕も必要ですね♪解説、ありがとうございます。
患者の立場から見ると、変化を安全なものだと認知できるように導くという、そんな難しいことに先生たちは挑んでくれていたのかと、ありがたい気持ちになりました。一方で周りにいる精神疾患に苦しむ人に対して、私も何かしたいと思いながらもそれは難しいことなんだなとも気付かされました。抵抗かぁ、、、。私が罹患して寛解状態にある統合失調症の経験は、うつ病の人を前にしたときには大した役に立っていないなとも思ったりしますし、難しいですね。
今日一番考えてたテーマが動画になってるー!ありがとうございます。
ずっとみております・家族がメンタル疾患になりまして先生の動画で本当に勉強になっております。田舎なもので医療や福祉のソース事態が全く追いついていないなかで先生の取り組みが本当にありがたく感じております。改めて見直しましたが、本当にうなずいてばかりです。もし先生が近場であれば迷わず受診だったのですが、遠方でかないません。福祉制度や医療、行政のかかわり法的な整備いろいろとありますが、実際に当事者関係者になって身に染みて思えるのが制度自体がまだまだザルで全く追いついていないし、相談箇所は多いが本当に勉強されてる施設は地方にはまだまだ未整備とか。くわえて地方は心療内科医自体減少しすぎて気軽に寄ることすらできないなどなど、知れば知るほど、問題が多岐にあって某福祉事務所の担当の方が勉強になるという状態です。ある政党が一生懸命障碍者を前面に選挙活動をしていますが、もうおそらく狙いは本来の政治とはおそらく相当ちがいがあります。真っ当に健常者であろうがある種障害を持っていても、しっかりと疾患を持ってしまったかた、その家族、それをきちんと診断し治療するかた、支援する設備や人的ソース、それをふまえて企業で働く一般労働者、周囲の人たち全部良くなっていくはずなのに必ず落とし穴がある。もし自分が政治家になったら真っ先に指摘改善させますけどね。本当に困ったことがないからわからないのでしょうね。構造的な問題、やればできるのにやらないのは悪い日本です。これからも一生懸命家族のために勉強して少しでも家族の症状が良くなるよう頑張ります。
群れの理解、白黒じゃない、ってところからは何度でも聞きたい。大事だなー自分にとって
とても勉強になる動画をありがとうございます!OCD(主に確認、加害)で治療中ですが、「理屈は要らんからやめろ!」という言葉に少し勇気が出ました。自分の中でも、主治医の先生とも、「でももしこんなことが起こったら〜??」と理屈を考えてしまうんですが、これを続けてばかりでは、良くなれないなと思います。怖くても、よくわからなくても確認しないですごすということを、少しずつ挑戦してみようと思いました。
変化をもつことも必要で、治ることを拒むことで抵抗することは怖いです。記憶を変化することで理解を深めていって治っていくことも必要なんですね。
動画、めちゃくちゃ面白かったです!!すごい腑に落ちました!私もいっつも同じことを繰り返してつまづいているので、いいからやめろ😠ですね。お話もすっごく面白くて、本当にびっくりしました❤
私は客観的にみることができないところや認知の歪みを持っていました。主治医の先生にお世話になっているのももちろんですが、益田先生が毎日色んな角度から楽になれる考えを説明してくださり、自分のこんがらがった思考と感情がほぐれてきました。体も動かしたりして少しずつ健康的な思考になってきました☺️🎶いつもありがとうございます🙏✨
知りたかったことを教えていただけて本当に本当に感謝です!兄妹に楽になってほしいと思い、他の捉え方を自分の体験として話してみたり、何より専門の信頼できる先生のカウンセリングを受けてみるのはどうかと提案しても、自分でやる、と。それはまさに抵抗なんですね。私のできる範囲で、対話を続けてみます。認知の歪みを指摘することで傷つけないかが心配ですが・・・。
認知を修正したいのに、しようとすると心の奥から「嫌だ!」と湧きあがりなかなか歩みが進まない事に自分で気づいたのですがそれをどうすれば良いか分かりませんでした。先生のお話の中で、安全な場所、それから人を信頼できない、その辺りにピンと来たので、その辺りから取り組める事を探してみようと思います。確かに人を信頼できない性質で、人間が怖いと思っている所が確かにあります。実際ボコボコな育ちなんで仕方ないですが、人を信じられる様になりたいので頑張ります。
先生いつもありがとうございます!主観2.0の意味を知ったかぶりしていました!😮この動画で分かりました!!客観視してポジティブ思考へと行くって事ですね😮なるほど、考え事ぐるぐるネガティブな思考の癖をやめていく事が先決ですね!何か集中出来る趣味など見つけて、マインドフルネス状態になって、今ここに集中する、ヨガやストレッチが私には向いている様な気がしました。マインドフルネスの呼吸法だけではまだ邪念が浮かび上がります😢 子供がいると自分の事を後回しにしてしまっててなかなか自分の時間が取れないのも、症状が悪化する原因だと考えられます。
病気をしたことは貴重な体験だ、病気を直すようにくだらない暇な時間を元通りに戻すよう前向きに生きていくのが大事だ、賽は投げられた、と言う言葉を信じて普通の人に憧れて元気だったころを思いだし楽しい人生を作ることが必要。
最近動画を色々見て勉強させていただいています。今回の動画以外だけではありませんが、私は益田先生で沢山の気づきをいただきましたが先生の感覚の外側にいるような気がするのでコメントを残させていただきます。切替えが下手な患者さんの所では、私の場合は自分の気持ちを切り替えていいと知りませんでした。自分の気持ちにやっと素直になった身なのでそれをあっさり切り替えて、またあの人達に軽くあしらわれるのが怖いのです。私は多分放置子でした。正直大人になって気づいた時にとても恥ずかしく思いました。傷ついたとか信頼できないではなく、ただ恥ずかしいのです。怒りとしてしか伝えられませんが、底には大切にしてもらえていない自分を認めないといけない。恥ずかしい!人様につまびらかにする勇気があるかないか…と言う気持ちがある事も1つ理屈抜きでわかっていただけると嬉しいです。
休職5ヶ月めの者です。半年ぶりにリアル書店に入ることができて(鬱がひどくて無理だった)、「わたしに必要な本だ!」と認知行動療法の書籍を買ったけど、読むことさえ出来ずにリビングテーブルに置いてます。これも「抵抗」なんでしょうね。世界(職場)が変わってくれれば復職できるのに、という想いが強い。世界より自分の方が変えやすいのはわかっているのに……まずはベッドサイドにその本を置くところから始めようと思いつつ、今日もできません。触るだけ、とかハードル下げてちょっとずつやっていこう…
有益なお話をありがとうございました。安心した環境や信頼関係ができれば根本的な変化への抵抗感がなくなるということでしょうか。抵抗感は腫瘍のような、持っている自分は嫌いなのに、無視することも不安というところがあり、お話を真剣に聞いてしまいました。自分は真面目に服薬し、覚醒時は仕事もし、病気について勉強し、自分への客観はある程度できているつもりではいます。でも主観2.0の自分は見えてきません。この動画を観る前、ある人から謝りたいと電話がきました。おそらく相手もカウンセリングの必要な人で、それを私に投影していると私は考えています。相手の弱さと幻想による私への仕打ちについて謝罪されたかどうかはどうでも良く、相手の根本的な問題が放置されることに不安と苛立ちを感じます。つまりストレス源が解決されていないことで、同じようにまた傷付いた人から不当な扱いを受けることが嫌で、立ち止まっているのだと思います。相手も治療を受ければ良いでしょうが、それは私の強制できる範囲ではありません。忘れていることでしか対処できません。◆このコメントをした後、私は相手を許すこと自体に抵抗しているな、相手を問題がある人だと責めることにこだわろうとしているなと気付きました。◆電話の後、先生のお話を聞いている内に、相手との関係を客観で見ると同時に、他の誰かとの信頼関係を築き、生きるのに必要な最低限の楽観性を身に付け「傷付けてくる人もいるだろうけど大丈夫、立ち直れる」という境地に至ることが必要なのかなと考えました。自分も1人で考えるだけでなく、カウンセリングに行って他人からの影響を受ける時期なのかもしれません。下の動画をより深く納得するにも役立ちました:th-cam.com/video/hacIf8znwfY/w-d-xo.html
先生に論破して欲しいのに、「患者さんはずっと考えてるから討論になったら負ける」という一言で納得出来ました。論破してくれないと、いつまでも変われない気がする。
世の中の安全性…怪我をしてから失っていた気がします…。未だに周囲の人間不信も強いです。
私は、本当は変わりたくてたまりません。その為には、客観的に自分を見るとか、行動を変える(例えば、過食をやめる)とかが必要なんですね。それと、益田先生の本音を垣間見た気がします。先生はなかなか変わろうとしない患者にいら立っているのでしょう。私は益田先生と直接お会いして、診断を受けたことはありませんが、益田先生の期待に少しずつでも応えていきたいです。もっと頭を柔軟にしていきたいです。
先生の言葉で、とてもわかりやすく、私には伝わりましたよ😊プルーニング出来れば、本当幸せになります🎉その為に私の中の誉めてくれる小さな私と、辛い記憶と闘って生きて行きまーす😊1日一個でもポジティブな気持ちを大切にしてまーす😽
益田先生にTH-camで出会うまで、料理しながら飲酒・TH-cam観ながら飲酒、、、仕事以外は飲酒メインの生活でした。断酒して、以前よりは抵抗なく他者(社会)を受け入れられるようになった気がします。、、、というか、断酒した時点で『抵抗』を少しは克服してるんですよね?
私は「普通の人になりたい」気持ちのほうが強いので、落ち込んだままでいいやとは思わないし、早く復職して周りに追いつきたいし、追い抜きたいですが、客観的に見れてるかは自分ではわからないので、自分で自分を洗脳してるのでは?という気もします。危ないのかな。ただ、昔の親の態度はもしかしたら…の話は、確かに似たような気づきがあったので、このまま進めてみようと思ってます(作文)
益田先生こんにちは、いつも動画をありがとうございます、、。私は頻繁にこのチャンネルを見ていて、時々コメントを投稿させて頂いているものです。私はASD傾向があるかもしれないと就労移行支援施設の方に言われ、「確かになるほど」と私自身感じて、それを2人の精神科医(精神分析的精神療法の医師と投薬療法の医師の2人です)にそのことを告げると、ようやく医師も2人とも私自身の発達障害的傾向に気付いたというのが今の段階です。現在、精神分析的精神療法の医師との信頼関係が危機的な状況で大変悩んでいます。投薬の医師との関係は良好です。私自身の職業は理工系の技術者で、6年前に前職の大手技術系製造業の会社を深刻な経営危機で退職せざるを得なくなり、3年前に現在の組織に、「ほぼ同じ分野」の技術者として再雇用して頂いて、う~ん、なんとか定着できるかもしれないとの状態になりつつあります(多少具体的な技術的成果が出つつあるので定着できるかもということを感じることができるようになりました)。今日の先生のお話は、いわば古くて新しい論点であり、おそらくは??フロイトの時代の古くから繰り返し述べられて、そして議論されてきた問題だと私は認識しております。その上で、私が私なりに感じることは、この「客観性」という論点は、いわゆる能力の凸凹による「置かれた状況」というものを、うまく理論的にも臨床の場の実践的にも、うまく取り扱えていないのではないか?と私は感じております。言うまでもなく発達障害傾向のある私のような人間は、おそらくは能力の凸凹がかなり激しいです。ですから生きるなかで、ごく自然にその「能力の凸凹に合わせた生き方」になります。さらには能力に凸凹があったり、良い意味でも良くない意味でも興味関心が「偏れば(この表現が適切かどうかはわかりませんが)」、周囲に普段からいる人達、それが友人であれ同僚であれ、「ある種の偏り」が、ごく自然に出てきます。それは、ある場合には、「周囲にいるのは純粋で純情な人ばかり」という「良い状態」であることもあれば、あるいは逆に「人と感じ方が異なったり、人より特に特定の能力が低い、人より特に特定の能力が高い」などの理由で、バカにされたり、嫉妬ややっかみの対象になって、激しいイジメの被害にあったりも、私自身、それら両方の事柄を経験しながら、生きてきました。すなわち、いわゆる発達障害傾向がある人間は、「生きるための前提条件が、いわゆる定型発達の人達とは著しく異なる」という事実を、まず考えなければならないと、私は50年以上生きてきて、感じております。すなわち「砂漠の国」と「温帯の国」、「熱帯の国」では、それぞれ「生き抜くための条件」が異なるのと全く同じように、発達障害傾向者が「生きていける条件」も、いわゆる定型発達の方の条件とは、基本的に著しく異なっていると私自身感じております。これがまさに「環境調整の必要性」の概念で、いわば、環境調整に成功すれば、長所や能力の凸の部分を活かせて、充実した職業生活が得られるのと同時に、不適切な環境では、「最も社会に不適応な人間」になってしまうのが、発達障害傾向者のおそらく事実で、そのいみにおいては、そもそも「いわゆる普通の概念」が全く通用しない世界に生きている、そしてそうした方が社会生活がうまくいく、だから、「普通になることを強く恐れる」、そしてそうやって何とか生きのびているのが多くの発達障害者ではないかと思うのです。世界は概ね平和ではないか、確かにその通りでしょうね、。あくまで一般論としては、そうは言えるでしょうね。だから「心で戦う必要はない」、これもあくまで一般論としてはその通りでしょうね、、。でもこれをウクライナ国民やゼレンスキー大統領に言って、何らかの説得力を持つでしょうか?多分持たないでしょうね、、。ウクライナ国民もゼレンスキー大統領も落命を覚悟して必死に真正面からロシア軍と戦っています。何としてでも、どんなことがあろうとも、決して退かない、断固として戦い抜く。領土的妥協をすることもなく、侵略者に部分的に服従することも決してなく、自分達が殺されれば殺されるほどに、勇気を振り絞り、銃を取り、大砲を放って、そして徹底的に戦い抜く。追い詰められれば追い詰められるほどに、最後まで戦い抜く勇気を、命を落とす恐怖心の中で、何とか振り絞り、占領された地域の市民も、料理用のナイフを使ってでも戦い抜く。たとえ虐殺されて何百人も何千人も殺されようとも、占領された地域の市民は、ゲリラ戦を戦い抜く。本当に命を落とそうとも、、。これはベトナム戦争でも全く同じですよね。あるいは(私は決してタリバン支持ではありませんが)、侵攻してきた超巨大なソ連軍も、同じく侵攻してきた超巨大なアメリカ軍も、まさに非常に小さな軍事力で「力ずくで武力で追い出したアフガニスタン」も全く同じですよね、、。これができるからこそ、ベトナムもウクライナもアフガニスタンも弱小国でありながらも、超大国に支配されず、むしろ超軍事大国を武力撃破できた、これはまさに人類歴史の真実です。多少視点はことなるものの、絶対王政の時代に王政を武力破壊したフランス革命もまさに同じだと思います。フランス革命を行ったフランス国民だからこそ、後の世に、侵略してきたナチスドイツにレジスタンス活動を強行し、そしてそのことがノルマンディー上陸作戦につながった、この歴史の事実、このことはとても大切な人類の歴史の真実だと私は思うのです。以上はもちろん国家レベルの話ですが、そのことを「比喩的に」個人レベルに落としこめば、それはそのまま、発達障害傾向者が、「どうやってこの世で生きているか」についての、比喩表現に、ほぼなるのではないか、と私は感じてもいます。すなわちいくら「世界は概ね平和だ」と「平均的事実」をウクライナ国民やゼレンスキー大統領に説いても、非常に強い反発と激しい怒りを呼び起こすだけだと私は思います。そしてまさにこのことを個人レベルに落としこんだのが、精神医療現場での「非常に強い転移」であり、「激しい抵抗」なのだと私は感じています。「世界は概ね平和だ」と言ってもウクライナ国民やゼレンスキー大統領の激しい反発を買うのと全く同じように、「人間は概ね良い人が多い。良い面が多い」と言っても、発達障害傾向のある人の心には全く響きません。その理由は「世界は平和だ」という説教がゼレンスキー大統領を激しく怒らせるだろう理由と全く同じです。できることも、できないことも、「いわゆる普通」からかなりかけはなれている多くの発達障害者は、自らに合った生き方をこれまで必死に試行錯誤しながら生きてきた結果として、「いわゆる標準的な生き方」をしていません。独自の生き方がうまくいけば、「周囲は善人で純粋な人ばかり」という状況も「事実としてある」と同時に、逆に「集団イジメに合っている」という場合も当然あるでしょう。「普通の平和な国」の論理を、必死に侵略者と戦っている、戦ってきた国の人に、説いても、全く心に響かないのです。生まれながらの能力の激しい凸凹により、小さい頃からずっと「普通ではない実経験」を積み重ねてきて、そしてその中で、「その人なりの独自の生きる道」を模索してきたのが、多くの発達障害者なのだと私は思います。ウクライナ国民もゼレンスキー大統領もおそらく今後「条件付き停戦」ということはしないと思います。なぜならば彼らはまさに生存をかけて命懸けて戦っているからです。ウクライナが国境線までロシア軍を追い返すまでおそらく戦争は終わらないと思います。別の可能性としてはウクライナ民族滅亡、国家滅亡しか戦争終結はないと推察します。なぜならば彼らは本当に必死で命懸けで戦っているからです。ベトナム戦争も米ソ超大国による2度のアフガニスタン戦争も「妥協的停戦」にはなりませんでした。そしてそれは「弱者が強者と力ずくで戦う時」の基本的法則なのだと私は思うのです。国家レベルにおいても、個人レベルにおいても、、。
今回の動画は前回のと繋がっていると感じました。楽観的な常識を拒まず体得できるヒントがあった気がします。自分を変える行動をこつこつと行っていこうと思います。
今本当に『抵抗』中だと思います結婚して、新居に引っ越したばかりで安全とも思えません夫も意識障害で、夜中に奇行が多くて悩んでます主治医もやっと信頼出来る主治医に出会えたのに、次回から主治医が変わります💦仕事探さなきゃと思ってるのに空回りして、お金が限界😢派遣会社からも完全に切られましたカウンセリングとか何年も通院してるけど、一度もしてません
益田先生 毎日お疲れ様です🙇♀️ここ数日 台風を伝える番組が多いですね。😢 私が8才の時 目前5メートル位の所で自宅が濁流に呑み込まれて行きました😢その時点でも何も音が聞こえなかったし 私は無言で立ち尽くしていたし周りには誰もいませんでした と記憶しているのですが 誰もいないはずはない!と思うようになったのは父母 兄も亡くなってからです。 あれからお風呂も怖いままです。 いろんな事がある昨今なので情報を知りたいからテレビはつけていますが スマホかiPadを観ています😢 聴こえてくる災害 火災 虐待、、いろんな事が怖くて息苦しくなります😢どうやって抵抗を取っていくか、、正直わかりません😢 大震災の時も これで人生終わりだなと思ったけど不思議と助かりました、、生きている! それが現実!今日暴風域に入ります😢 また助かって生かせてもらえるのかな? 怖いけど、、その怖さに抵抗するしかない!今はまだそんなかとしか考えられない😢 益田先生の話の論点からズレてる😅🙇♀️
担当医への信頼って難しいですよね💦特に春先に異動されてしまってまた新しく信頼関係を築くつまた1から辛い話もしなきゃならないしって思いながら見てました
ありがとうございます。先生のお話は、共感できます。勉強になります。😊
私は知る痛みが辛いタイプです。卑屈なまま生きると周りの人にも迷惑だろうなと頭ではわかるのですが…あと、割と無鉄砲に行動してきた部分もあって、それでもダメだった、やっぱり安全じゃないと引っ込んだ過去もあります(友人からしたらまだまだだろ、と言われます笑)
今回のテーマは、精神科医療だけでなく、ソーシャルワーカー的な視点でも勉強になります。最近、認定精神保健福祉士研修を受講しました。そこでは、PSWの専門性として、クライエントとの流動的な関係を利用した支援が大事だそうです。クライエントの考え、想いを汲み、支援者が一度自分の支援への考えを捨てて、共に支援の流れを決めるそうです。私は精神保健福祉士は、病院🏥勤務が主流で、私は地域の施設が多いので引け目がありました。研修のグループワークでは、病院🏥勤務の方が大半でした。私の実践を皆さんは興味深く聞いてくれました。マイナスな信頼関係から始まる治療ですが、信頼関係を築く営みは、ワーカーもドクターも同じなんですね。ワーカーがいる病院は、主治医に伝えにくい内容を共に考えてくれることもするらしいです。長いコメントですみません。次回も楽しみにしています。
診察室は演劇空間って名言だなと思いました。確かに、その人の平生のコミュニケーションの取り方や考え方がモロに伝わる場所だからそうかもしれませんね。
私は客観を通過することがなかなかできないですね。安心できる場所は欲しいですね。
「知らない仏より知ってる鬼」とはまさに。慣れてることから外れるのって、本当に嫌ですよね。
久しぶりに観ました。さすが益田先生😄わかりやすい。ありがとうございます💕
冒頭のセリフ、ほんとそれ思ってた!家族間の過去の確執について、対して悪くなかった母が、別に悪くないって何回言ってもしつこく悪かったと言ってくる、責めてもないのに勝手に被害妄想に陥られる、いつまでも家族のいい距離感を取ろうとしないで、必要以上に嫌悪してみたり、必要以上に尽くしてみたりしてボロボロになっている姿を見せ続けられる。もうそろそろ冷静な視点を持つように努力してほしいし、今の距離感でそれが無理なら無理矢理にでも離れていったん頭冷やしてほしいし、私に対して悪かったと思うなら、当事者でもある娘の私を、自分の罪悪感や憎しみのゴミ箱にするというクソな甘えはいい加減やめてほしい。というか恥じろ??と思ってます〜
アドバイスを聞けないのは、自分を否定されるのが嫌なんだと思っていましたが、抵抗なんですね。とても勉強になりました。
とっても勉強になりました!ありがとうございます😊✨️
環境を変えることで、自身も変わるけど、環境を変えられない方がほとんどで。自身を変えられるほど、今までの環境に恵まれていないし、今後も望みがない方は多いですよね😢ただ、同じ悩みは大小あれ、みな気持ちは分かり合えるものでもあることもある😂それは小さな希望というものですが、あるものと祈りたいですね🙏
凄く勉強になりました。変わらないのは抵抗という症状であると学べて、自身の中の差別意識がまた少し変わりました。精神疾患の人とても苦手なのですが、こうやって少しずつ理解していきたいと思います。
社会がにいい側面と悪い側面があるのに何も異論はありませんが、その良いところに自分を混ぜる想像をしてみたときの違和感は凄まじいものがあり、またきれいな水の中にインクを一滴落として全体が濁ってしまうような感じもしています。良いところにいる人達は今の自分が抱えているような気持ちは持っていないはずで、そこにいることができている自分もまたそうだとすると、それは自分の顔をした偽物だとしか思えない、というところです。その自分を期待されているというのは、社会は私に自己否定を求めている理屈に思えるけどな、と時々考えています。現在の精神医学のパワーがどういうものなのか知らないのですが、この観念が死ぬまでに改まるというと、洗脳以外の何物でもないのではないかという感覚です。
私も変化を拒んでいます😰
動画拝見させていただきました。来週病院行くときにWordか何かで現状のことまとめて持っていく予定なので、そのためのメモも兼ねてコメントさせてください。序盤あまり楽しい話じゃないから閲覧注意ですけど、わたしなりに「こういうやり方なら変われるかも」と思えたという内容を書いています。わたしの場合、変わろうとしてみんなに合わせて必死にがんばったことはすべて「できて当然」とされ、それができなくなってからもせめて自分にできることだけは、と必死に取り組んだら「足りない、甘えだ」と言われ、わたしに寄り添ってくれる人がいると「そんな友人も頭がおかしいんじゃないのか?」と責められ、何もがんばれなくなってしまったら「異常者だ、お前のせいで周りが大変な思いをしてる」と責められ、そもそも自己肯定感足りなすぎると思ったからまずは最低限の自己愛構築とか考えたら「甘え、幼稚、そんな歳にもなって」なんというか、わりと常に健常者の人達と同じように振舞おうと努力していたけれど全否定され続けた結果、つらい思いをしてまで何とかしようとすることに疲れてしまい、この動画で説明されているような「抵抗」のようなことが起こっているのかな、と感じました。出来が悪くネガティブなわたしを認めたうえで前に進むことは許されないんだな、わたしがいなくなるくらいもっと必死にみんなに合わせなくちゃ変わらなくちゃ許して貰えないんだな、と思うと、とてもじゃないけどこれ以上はがんばれないんです。人生で1度でいいから「無理に変わろうとしなくても責められない自分」というものを経験してみたいです。こう感じてしまうのも変化への抵抗であり、変わることができないわたしのせいだってまた周りに責められてしまうのでしょうか…難しい……。「もう自責で暴走したくないからほんとに責められるべき内容以外では責めないで」と周りに配慮をお願いするのは、これは変わろうとしないわたしが周りにわがまま言ってることになりますか?わたしはわたしなりに、自責による暴走が起こる原因を考えて自分の現在の限界を知った上で配慮がどうしても必要だと考えたので周りに助けを求めたのですが…。なんとかみんなの言う通り前向きにいつもニコニコ明るい人間にならねば、と思いつつも、やっぱりこわいです。またわたしだけ悪者にされたり謝罪したことを「自分に酔ってるだけ」と言われてしまう。ここまで書いて、動画内に出てきた「トラウマへの意味づけ」みたいな話がわたしにとっては大事なのかな、となんとなく思いました。これわたし、過去に両親に言われたこと全部全部引きずっている…現在そこから抜け出すための治療中なんですけど、その方向性って完全に正しかったんですね、よかった。そしておそらく、今は両親以外のために変えられところは脱出しようとしてるから、なんか対象が変わったからいけそうな気がしてきた。個人的な感想ですが、例えば自分のこころを脅かしてきた両親のために変わるとかは確かに無理だったんだな、と。だってやる意味ないし、他者に異常者と言えるような人達の意見が必ずしも正しいとは思えないんです。大好きな人達としあわせに過ごすために(とりあえず今はほんとに何もがんばりたくないので休憩させてほしいけど)自分自身を失わない程度に変わっていきたいですね。書いてるうちに思考回路整理できたから序盤の悩みターン消そうかと思ったけど、これ残しておけば「当事者なりにこういう流れで変化を受け入れようという結論に至ることもあるんだな」とポジティブな意味で伝わったらうれしいなと思ったので、あえてこのまま投稿します。
益田先生こんにちは。質問があります。最近の動画で先生が仰っている「世の中は明るく安全であることを知る」というような内容は、発達障害で悩む人間にも言えることでしょうか。というのも、発達障害当事者の自分からすると、世の中が安全で楽観的な人が多数派なことは分かっている。が、その世の中にいつも違和感があり、飛び込んでも別に攻撃はされないが居心地も悪い、という経験が幼少期からあるため、「世の中」というのを、有るのは知ってるけど自分がその内部にいるとは感じられないもの、攻撃はされないが歓迎もされないところ、という感触があります。例えるなら、薄い繋がりの友人の結婚式に一人で来てしまったような感情です。周りはみな楽しそうにしているのが分かりますが、自分は何となくきまりがわるく、ああ早く帰りたいな…というような気分です。なので、それを知ることで救われるような要素には思えないのです。「世の中」が自分に敵意を向けてくるような存在だと現状感じていない、という時点で自分にはこのトピックは関係ないと考えてよいのでしょうか。また他の様々な動画を拝見するなかでも、この動画は後天的にうつなどの病気になった人、将来的に治る見込みのある人に対してなのかな?いや、先天的に障害の人でも、改善する上では考え方は同じなのかな?と迷うことがままあります。どこかの動画で、その違いに近いことを先生が言及されていたような気もするのですが、思い出せません…もし、こういう動画はこういう人向けであってこういう人には当てはまらないことが多い、というような目安があれば、解説して頂けると幸いです。(これも発達障害ゆえの気質かもしれませんが、自分に響かなかった内容の動画でも、これはまだ自分が勉強不足だから理解できないのか…??と考え続けてしまうのです)
安全や知る痛みは私に当てはまるなと思いました。認知の歪みはカウンセリングで直している途中なので、あとはとりあえず動くようにしてみます。
1年前の動画に出会いましたいつもありがとうございます病院を治したいなら、自分が変わらないといけない。その通りだと思い聞いてました。認知の歪みが変わらないなら、行動を変えてみませんか。それもそうだと思います。ばちこいの先生たちの動画、たまに拝見します。精神科医の言葉とは少し違うので難しいと感じることがありますが、今日のお話しの行動療法を以前学びました。結論、いつもお聞きしてる認知行動療法の認知と行動に分けていると気付くと、馴染んたお話しに聞こえる。人の脳って、そんなもんなんだと感じ、難しく考え過ぎずシンプルに聞けるようになりました。認知の歪みは相手がいないとわからないことも、行動を変えることは自分の努力出できる。そして無理はしない。体調の悪い日はお休みをする。それでも、まだ自分は仕事に戻れる状態には戻ってませんが、少しずつ楽になっているのを感じます。苦痛の根元だった人間関係も、家族の補助を借りながらでも本音を冷静に第三者に伝えることが出来て来ます。そして、これまでは伝えたい事が伝わらないから、怒りの感情も出る事があった歪みも同時に発見してます。自分に無理のないところから、第一歩を進めるのがコツだと、当事者として思います。いつもありがとうございます🍀
世の中が安全だって思えるその意識の切り替えが起きる時、脳はどんなふうになってるのかな。
この動画を見て、本当に良かったです。分かりたかったことが、取り敢えず全部わかりました。ありがとうございます。登録はしてたけど、ベルマークも全部通知オンにしました。
すごくしっくりきた事と、やっぱり動いてみるか。そう改めて思いました。できない。最後のパーティー(100000回目くらい)の開催。もういいでしょう、やってみなけりゃ分からない。もう薄々自分でも分かっているし、多少の痛みがあることも理解できる。主治医とは今もう9年目になります。信頼感は主治医のおかげで、最強です。(私がそう思っているだけかもしれないですが💦)安全基地あり!ラポールあり!いざ、出陣‼️と思いました。
私は病気改善のため変化を歓迎して意識的に変化を求めて日常を過ごしていたのですが、なんか色々と酷い目にあってしまい、昔は多少でもヒントやキッカケがあったのですが、今現在はどうして良いかわからない状態に陥ってしまいました。難しいです…。
ダメな奴だと思っているをダメじゃない奴なんだと思うように変えるには、ひとつ上の階層でその事を捉えて納得する必要があるんだと思うな。安全って他人から言われても納得できないよなぁ。
トラウマ体験を心理職の方に開示するには、その方との信頼関係が必要と考えます。現在心理での治療中の者です。🍀
弱い自分を見たくなくてその視点を排斥していたのですが、それにより他責ばかりになったり誇大妄想に陥り続けるなどしていました。自分の痛い事も含めて過去のことを考えることができた時から色々好転していきました。そうなるまでにかなり疲れてしまい日常生活を普通に行える程の認知機能も残っておらず、病院で薬を貰って飲み始めました。それから2~3年経って現在になります。元気、認知機能、心が健康時の1/4くらいには戻ってきたかなという感じです。もう抱えていた重荷はないので適当に過ごしていけるし、おいしいご飯が食べれたらかなりいい一日だったなという感じなので、こんなのでもまあいいだろうという気持ちです。
人は怖い、と認識しているので人間関係が上手くいきません。どこにいっても馴染めず、この記憶、認識を修正することができるのか、不安でたまりません。もっと数こなせばいいんだろうけど、できないと思い込んでいるのが"抵抗"でしょうか。。
大丈夫です傷だらけでも血だるまでもここ迄回復しました躁鬱病を抱えて自己調整しながらこれからも生き抜いて生きます❤先生ひと時の夢と安寧な気持ちを下さりありがとうございました
動画ありがとうございます。主治医から「だからあなたはダメなんだよ」とか「そんなことを聞いているんじゃない!」と叱責されたり睨まれます。虐待育ちなんですが傷つきます。そう言う治療では良くならないんですよね。きっと。
世の中の安全性に頭では納得するのに、心は1ミリも納得しない。
4年前、だんだんメンタルが悪くなっていった時、会えるだけ多くの友達に話して、心療内科も行って、親にも相談して、どうにか自分を変えなきゃって努力をした。けれど、アドバイスとしてもらったものを聞き入れるだけの「感動」ができず、自分の柔軟性が足りず、結局アドバイスを聞くだけ取り入れない状態になり、自分の考え方を変えることができなかった。最終的に、体調を崩し判断をし社会的に孤立した後、やっとあの時もらったアドバイスはこういうことだったのだと、自分はこう変わればよかったのだと、実感して、自分の考え方のクセを認識し調節できるようになった。それでも、失った時間やモノや人を取り返すことは本当に難しい。だから、本当に悪いことが起きる前に、この抵抗を和らげる訓練や経験が必要だなと感じる。それを助ける、信頼に基づいたエキスパートも必要だと思う。
このような動画が、本当に悪いことが起きる前で悩んでいる人たちにも届き、彼らが変わる経験をすることができて、大きな傷と犠牲の予防ができたらいいなと強く願う。益田先生、ありがとうございます。
元気になったらその分の責任を負わないといけない、ちゃんとしないといけない、健常者としてしっかりしないと…っていうプレッシャーがイヤで言い方悪いですが病気や障害に逃げている部分は自分自身で感じます(他の人に言ってるわけではないです)
私が、発症したときは、1月平均150時間の残業をしていました。
主治医に「残業をやめて、定時で帰ってください。それ一つだけ守ってください。」と言われました。
定時で帰るのを続けると、非難する人もいたし、認めてくれる人もいました。
行動することでしんどいことがあったなと思い出します。
でも、退職まで守りました。
守ることができたのは、定時になるたびに、主治医の厳しく真剣な眼差しを思い出したからです。
だから、益田先生の仰っている意味がよくわかります。
そう、「・・・しなよ」と毅然と言うことの大切さがよくわかります。
退職後は、定時がないので、研究や庭の世話をずうっとやっていてもいいので、開放感があっていいものです。
変わりたいと思う一方で、「今までの自分を否定すること」になるのが怖いという気持ちが強いから、なかなか変われないのかもしれません。
難しい。辛い。けれど、動画見て伴走してくれる先生がいると思うと、取り敢えず明日は頑張ろうかな…って思えます。
いつもありがとうございます
「拒む」を突き詰めると結局「怖い」んだと思う。そして全てのメンタルイシューはそこから発生する。
この「怖がり」な人にどうやって「怖くないよ」を感じてもらえるか、本当に難しい。ナウシカみたいな特殊能力が必要。
良くなりたいと思えなかったんだけど、それは辛いことがあって人を信じられなくなっちゃったから自分を守るためにこうなっちゃってて、安全に思える今の生活から抜け出すのが怖いのかも。
なのに通院し始めたのは、今のままじゃダメだと思ったからっていうのもあります。
自分って矛盾してるなぁと最近よく思います。
世界は悪意に満ちている、と思って生きてきました。
子どもの頃はまわりの人が私に怒っている、と思っていて怖かった。
機能不全家庭で誰も助けてくれない、小、中、高校でイジメにあう。
私はこの世に存在していてはいけない、その傷がまだ癒えません。
益田先生が世界は安全だ、優しい人も多い、とおっしゃっていたことを少しづつ受け入れ消化しています。ありがとうございます。
虐待を受け続けたわんちゃん見ると私と似てるなと感じる。でもわんちゃんの凄いとこは私より早く心開いて懐くこと。
12:05 『世の中は安全なんだよという最低限のリテラシーを手に入れる』
世界(観)や自分を含めた人に対して、私はそもそも安全だとは思っていないし、ほぼほぼ奥底では誰も信用してないのです。
あと、その先の知る痛みも見えているので回避してます。(透けて見えてるけれど。。)
"と言いつつ“、信用している面も有るのです。
でないとここに主観など書けないですから。
恨み憎しみ不信感が自分を奮い立たせて生きてきた面とそうでない部分の愛情も有ったという統合していく作業が今は必要なのでしょう。洗脳ではなく。
色んな愛情が有った事、現在進行形なものもカウントしてみましょう。(自分に言ってます。)
認める、肯定する事より抵抗の方が全然楽ですけど。。
今日も有難うございました。
追記 と同時に『心底、傷付いている』自分も感じています。
60年このままきたので治るより(変化するより)も平静でいたい。
刺激されたくないです。刺激は辛いです。
「変わって良くなる」という感覚がないのです。ただしんどいだけで損をするだけにしか見えないです。
生きてることが苦しくてたまらなかったとき自分のことも大嫌いで、だから変わりたいのになかなか変われなくてそんな自分を責めていたときがありました。後になって本当は変わるのが怖かったんだと気付いたときは衝撃だったなぁ
でも変わるのが怖いって思ってたのも自然なことだったんですね
父親がぶん殴ってくるのを客観的に見ると、自分がダメな奴じゃなくて父親がダメな奴なのに、私がどう変化すりゃいいの?って困っちゃう。
安心できないと変化できない、という言葉に深く頷きます。
このままでは健康になれないと思い、かなり無理をして虐待されてきた親元から車で5時間の距離に引越しました。借金まみれだけど、やっと心の治療が進められそうです。
「抵抗があるから精神疾患なんだ。」という言葉納得できます。いいことを長期記憶に変えてゆくことが私には必要だと思いました。私の中の「自分はダメだ。」という考え方が以前は強かったですが、今は少しずつ変わっていっているように思います。今変化が少しずつ起きているように思います。今回のお話、今私が通っている地域活動支援センターでの他の人との付き合い方の参考にしたいと思います。
いやあ、だって学校や家では劣っていればバカにされたし弱みを見せれば付け込まれたしなぁ。それ以外のやり方をどこで学んだらいいんだろ。動画ありがとうございます。
2年前ぐらいには、通院していて矛盾しているけど、積極的に良くなろうとする気持ちになれなくて、抵抗。今は、やれば良いと分かっていても行動できない抵抗。自分でもなぜ出来ないのか分かりません。
健康な人は抵抗がないとは、驚きでした。
知る痛みというのはとても納得できるところがありました。以前は、まだ10代の幼い時期だったこともあり、知ることに抵抗がなかった、むしろ知識欲は周りよりも高かった記憶があります。しかし今は、知らなかった方が良かった、知らない方がいいんじゃないかと思うことが増えて、自分のことや病気のことでないことでさえ、知ることを拒んでしまう気持ちが強くなっていると思います。
安全な環境で、信頼できる相談相手がいればと言うけど、現実にはそんなものはないから、結局変われない。
変われる人は本当に奇跡的に運が良いのだろう。
絶対によくないことと分かっていても握りしめてしまう、わかっていても絶対に変われない自分のことを本当にダメなやつだと思っていましたが、『抵抗』があるから患者さんという言葉を聞いて、ちょっと気が楽になりました。
変化を拒んでしまっている自覚はある。変わりたいのに、変わる為に動けない自分を責めてしまう。
主観を少しずつ良い方向に持っていけるようにしていきたい。
変化する事に対して抵抗してしまう、というところが ギクってなりました💦
よく周りから「そう思い込んでいるだけなんじゃない」って言われていたのも思い出しました。
いつも為になる動画をありがとうございます❗️
世の中には「できて分かること」と「わかってからできること」の2種類があるんだよ。といわれた時から少し生きやすくなりました。そんな話なのかな~と思って聞きました。
前に通ってた精神科では治す気がないなら別の病院に言ってくれって本当に辛かった時に言われてそれから不信感に溢れてしまってそこの病院はダメになりました…
抵抗という言葉が知れて良かった😢
抵抗があるから、患者さんである。なぜに客観的に世界を見れないのか、のベースに安全基地がない。
すごく納得しました。
安全基地を探し求めた人生…
その為だけで、半世紀費やしました。虚しく往きて実ちて帰る。
すごく勉強になります。面白いです。
過去の私や、私の周りを見ると、
客観的に見たら、自分は悪くないかもしれないと気づくことを知っているから客観的に見ないという人もいます。
自分は悪いと暗示をかける事で謙虚(臆病)にさせて失敗をさせないようにしていました。
さらに
周りは全員悪い人間だ、信用してはいけないと偏った見方を脳に擦り込むことで、
これ以上傷つかないようにしていました。
抵抗についても、変化が怖いんだと思います。
つまり、偏った見方が自分を苦しめながらも守っていたんですね😢
ちょうど最近社会復帰したいのか、自分が甘えてるだけなのか…と悩んでいたので、抵抗があることを知れて、またそれがあるから病気なんだってことがわかって少しすっきりしました。
私もずっと抵抗してます。うつになって2年経ちだいぶ良くなってるのを感じますが自分の考えを変える事できません。誰かに相談して解決もしないし、前を向くよう励ましも受け入れられず、そう言われるだろうと予想して話すことも避けてます。益田先生の動画を見て母が意味不明な行動をするのは発達障害だろうと理解はできました。でも頑張ってきた自分は、なんだったのかと思って、前向きにはなれません。とりあえず動いてみるようにしてたので、それでいいかと思って、やってこうと思います。
拒食→過食→拒食→過食→(いま)過食嘔吐5ヶ月目です。
変わりたくない理由:
①食べる時の幸せな感覚と安心感を手放せない。
②自分を傷つけてきた両親の願い(ちゃんと自立した自制できる立派な大人、良い娘でいる)を叶えてしまう=両親の言いなりになってしまう、のが絶対嫌
ほんと、社会が悪い!私は不幸で良いんだ!って言ってる人間を見捨てずによく頑張ってるなと思います。
愛、伝わってますよ。
1:47
甘えてる訳でもふざけてる訳でもない
3:16
記憶を強化したり、変える事で、脳の配線を変えて治療していく
4:03 4:43 4:55
記憶は日々更新されつつ保持しているから、自己理解を変える事で自己受容
ダメなやつ、劣っているという認識を変えていくダメなやつじゃない、いい奴なんだ、と自己理解していく事が治療になる
社会の中で自分自身は劣っている、社会はひどいもんだ、と
他人は攻撃ばかり、傷つけているばかりと感じてばかりいるから、そこを変えていく事が治療になる
8:28 8:34
記憶の変化、意味付けを変えていく作業はとても大切
悪いと思っているから認知が歪む、だからそれを治していく
互いに話を聞いて 自己理解や他者理解を増やして、認知の歪みを治す
9:46
主観で生きていくので、医師の治療で客観に置き換え、ポジティブな意味に捉え直していく
11:43 11:49 12:34
安全な場所なのか
安全な場所は確保されているのか
安全な場所じゃなければ変わろうとしない
信頼関係がなければ患者は変わろうとしない 勿論中々信頼できない 信頼できない人に信頼してもらう訳だから時間がかかる
14:33 16:38 17:20
あなたはこう考えているけど…
自己理解、認知の歪みを治す
いつも怒ってる、感じてる、味わってるのってアレじゃん、と急激にメタ認知能力が上がる
どうやって感動して、認知の歪みを治すか
深ければ深いほど訳が分からないし、相手との信頼関係が必要だし
過去の出来事とか人間関係を再現しがち(診察室は一つの演劇空間)
知る痛み、現実を直視するのが難しい
自己理解や認知の歪みを正し、無意識を解釈する
抵抗するから患者さんになる。自分が気持ちよく過ごせないことは、神様がそうさせている、という人が身近にいます。自分のせいではないと完全に思い込んでいて、しきりに神様にお祈りしています。
本当の自分を見ることを抵抗していることで、自分を守っているのだと思います。抵抗が強ければ強いほど、患者さんになりやすいんですね。そういう人を相手にしている先生には、本当に頭が上がらない思いです。
躁鬱病で20年余り、同じ医師に診て頂いています。
先生の医師側に立った考えに関する動画は、患者側にとってとても有益です。
信頼関係は大事ですね。私はそう意味において、良い医師に巡り会えたと感謝しています。精神科の医師との巡り合いはなかなかに難しいと思います。
また、今回のような配信を楽しみにしています。
不安の塊だったが復職して同じ職場に戻った。病休前とヘアサロンを変え、眉毛も整えた。休職中の無精ひげは、5ミリ残した。朝は瞑想しながらの必ずコーヒータイム。退勤は仕事や締切があっても定時プラスαに。隙間時間には苦手な片付けまでしてる。行動を変えるのも勇気がいるよな。管理職は再発だけはさせたくない模様だし。益田先生の動画、毎日観ることで行動が変わったから凄い。
言ってることは分かるんですけど、心と頭の奥が理解してくれないで拒絶してしまうので、「抵抗」という概念をより深く理解するだけで終わりそうです。
5年前の発病した時の感覚に、最近似ています。残業、休日出勤、もう何を減らせばよいのかわからない。
勤務状況が管理されても、上司が指示するわけでもない。
このままでは再発してしまう。
コメントに、「毎日定時退勤した」人がいましたね。私もチャレンジしてみようと思いました。
最後に例として断酒の話が出た時に、「抵抗」する自分がいてハッとしました(笑)
やめてみて、良かったのか悪かったのか考えるっていいですね。
コメントを見て「やめて良かった」っていう人がいること、しかも益田Drのおかげでやめた方がそうおっしゃっていることは力強いですね。
毎日のビール1本を心のガソリンにして走っていましたが、月に一度のご褒美1本に変えてみようと思います。
愛されて生まれ、愛されて育てば、全て安全地帯です。
変わることが怖いというのもありますが変わったことによって周囲から「何かあったの?」という反応があったりしたのが怖い。
ちょっとオシャレとかしたら「急に色気付いたな」とか…
本人は笑いながら冗談で言ってるんでしょうがとにかく多くて…それで変化が苦手です。
抵抗、今の自分にあると思います。
例えば、薬を減らすと言われると、あの苦しさがまた襲ってくるから減らさないで…
と思ったり、再就職も面接まで話を進めた事があったけど、すごい動悸が止まらなくて吐きそうになったので取り止めたり、また、職場のあの人間の中に入ることがすごいムリです。
確かに歪みが酷い自覚はあります。治る自信はありません。
もし歪みを治すことが出来るものなら、鬱から脱出できると思います。
17:47 いい言葉聞きました。脳裏に焼き付けておきます。ありがとうございました。
クリニックで診断を受けてから4ヶ月が経ちます。診断を受ける前、もうダメかもと思った時たまたま出会った先生の動画に、今日も新しい気づきをもらい励まされています。毎日のアップありがとうございます😊
あああもう最初から最後までドンピシャに刺さる内容でした😭益田先生のおかげで、変化を拒み続ける夫のことでなにかあってもまず「こういうものなんだ」と客観視するところから考察を進めることが出来るようになりました。最近はだいぶ穏やかです(私の気持ちが)
まだまだ私も含め家族のメンタル面で課題は山積みですが益田先生の動画で学習して行きたいと思っています。いつもありがとうございます😊
最近ずっと自分を治すために調べまくってやっていることだ。抵抗以外のことはほぼ知ってたけど、治したいのに過去を悶々と考える自分が丁度嫌になってたから納得しました。
病院行けるまで時間かかるから一人でやってるけど、安心できる場所の作り方が分からなくてずっと困ってる…笑
主観2.0がわからなくて、ぐぐった事があります。
益田先生が考えられたことばなのですね( ´∀`)
行動を変えるのはなかなか難しいですね。
私はお酒もやめてから体調がよくなりました。毎日こつこつがいつのまにか意識しなくなり普通になって楽に。朝散歩も体が軽快だし。
人の意見を聞ける余裕も必要ですね♪解説、ありがとうございます。
患者の立場から見ると、変化を安全なものだと認知できるように導くという、そんな難しいことに先生たちは挑んでくれていたのかと、ありがたい気持ちになりました。
一方で周りにいる精神疾患に苦しむ人に対して、私も何かしたいと思いながらもそれは難しいことなんだなとも気付かされました。抵抗かぁ、、、。
私が罹患して寛解状態にある統合失調症の経験は、うつ病の人を前にしたときには大した役に立っていないなとも思ったりしますし、難しいですね。
今日一番考えてたテーマが動画になってるー!ありがとうございます。
ずっとみております・家族がメンタル疾患になりまして先生の動画で本当に勉強になっております。田舎なもので医療や福祉のソース事態が全く追いついていないなかで先生の取り組みが本当にありがたく感じております。改めて見直しましたが、本当にうなずいてばかりです。
もし先生が近場であれば迷わず受診だったのですが、遠方でかないません。
福祉制度や医療、行政のかかわり法的な整備いろいろとありますが、実際に当事者関係者になって身に染みて思えるのが
制度自体がまだまだザルで全く追いついていないし、相談箇所は多いが本当に勉強されてる施設は地方にはまだまだ未整備とか。くわえて地方は心療内科医自体減少しすぎて気軽に寄ることすらできないなどなど、知れば知るほど、問題が多岐にあって某福祉事務所の担当の方が勉強になるという状態です。
ある政党が一生懸命障碍者を前面に選挙活動をしていますが、もうおそらく狙いは本来の政治とはおそらく相当ちがいがあります。
真っ当に健常者であろうがある種障害を持っていても、しっかりと疾患を持ってしまったかた、その家族、それをきちんと診断し治療するかた、支援する設備や人的ソース、それをふまえて企業で働く一般労働者、周囲の人たち全部良くなっていくはずなのに必ず落とし穴がある。もし自分が政治家になったら真っ先に指摘改善させますけどね。
本当に困ったことがないからわからないのでしょうね。構造的な問題、やればできるのにやらないのは悪い日本です。
これからも一生懸命家族のために勉強して少しでも家族の症状が良くなるよう頑張ります。
群れの理解、白黒じゃない、ってところからは何度でも聞きたい。大事だなー自分にとって
とても勉強になる動画をありがとうございます!
OCD(主に確認、加害)で治療中ですが、「理屈は要らんからやめろ!」という言葉に少し勇気が出ました。
自分の中でも、主治医の先生とも、「でももしこんなことが起こったら〜??」と理屈を考えてしまうんですが、これを続けてばかりでは、良くなれないなと思います。
怖くても、よくわからなくても確認しないですごすということを、少しずつ挑戦してみようと思いました。
変化をもつことも必要で、治ることを拒むことで抵抗することは怖いです。記憶を変化することで理解を深めていって治っていくことも必要なんですね。
動画、めちゃくちゃ面白かったです!!
すごい腑に落ちました!
私もいっつも同じことを繰り返してつまづいているので、
いいからやめろ😠ですね。
お話もすっごく面白くて、本当にびっくりしました❤
私は客観的にみることができないところや認知の歪みを持っていました。
主治医の先生にお世話になっているのももちろんですが、
益田先生が毎日色んな角度から楽になれる考えを説明してくださり、自分のこんがらがった思考と感情がほぐれてきました。
体も動かしたりして少しずつ健康的な思考になってきました☺️🎶
いつもありがとうございます🙏✨
知りたかったことを教えていただけて本当に本当に感謝です!
兄妹に楽になってほしいと思い、他の捉え方を自分の体験として話してみたり、何より
専門の信頼できる先生のカウンセリングを受けてみるのはどうかと提案しても、
自分でやる、と。それはまさに抵抗なんですね。私のできる範囲で、対話を続けてみます。
認知の歪みを指摘することで傷つけないかが心配ですが・・・。
認知を修正したいのに、しようとすると心の奥から「嫌だ!」と湧きあがりなかなか歩みが進まない事に自分で気づいたのですがそれをどうすれば良いか分かりませんでした。
先生のお話の中で、安全な場所、それから人を信頼できない、その辺りにピンと来たので、その辺りから取り組める事を探してみようと思います。確かに人を信頼できない性質で、人間が怖いと思っている所が確かにあります。実際ボコボコな育ちなんで仕方ないですが、人を信じられる様になりたいので頑張ります。
先生いつもありがとうございます!
主観2.0の意味を知ったかぶりしていました!😮この動画で分かりました!!
客観視してポジティブ思考へと行くって事ですね😮なるほど、考え事ぐるぐるネガティブな思考の癖をやめていく事が先決ですね!何か集中出来る趣味など見つけて、マインドフルネス状態になって、今ここに集中する、ヨガやストレッチが私には向いている様な気がしました。マインドフルネスの呼吸法だけではまだ邪念が浮かび上がります😢 子供がいると自分の事を後回しにしてしまっててなかなか自分の時間が取れないのも、症状が悪化する原因だと考えられます。
病気をしたことは貴重な体験だ、病気を直すようにくだらない暇な時間を元通りに戻すよう前向きに生きていくのが大事だ、賽は投げられた、と言う言葉を信じて普通の人に憧れて元気だったころを思いだし楽しい人生を作ることが必要。
最近動画を色々見て勉強させていただいています。
今回の動画以外だけではありませんが、私は益田先生で沢山の気づきをいただきましたが先生の感覚の外側にいるような気がするのでコメントを残させていただきます。
切替えが下手な患者さんの所では、私の場合は自分の気持ちを切り替えていいと知りませんでした。
自分の気持ちにやっと素直になった身なのでそれをあっさり切り替えて、またあの人達に軽くあしらわれるのが怖いのです。
私は多分放置子でした。
正直大人になって気づいた時にとても恥ずかしく思いました。
傷ついたとか信頼できないではなく、ただ恥ずかしいのです。
怒りとしてしか伝えられませんが、底には大切にしてもらえていない自分を認めないといけない。恥ずかしい!人様につまびらかにする勇気があるかないか…と言う気持ちがある事も1つ理屈抜きでわかっていただけると嬉しいです。
休職5ヶ月めの者です。半年ぶりにリアル書店に入ることができて(鬱がひどくて無理だった)、「わたしに必要な本だ!」と認知行動療法の書籍を買ったけど、読むことさえ出来ずにリビングテーブルに置いてます。これも「抵抗」なんでしょうね。
世界(職場)が変わってくれれば復職できるのに、という想いが強い。世界より自分の方が変えやすいのはわかっているのに……まずはベッドサイドにその本を置くところから始めようと思いつつ、今日もできません。触るだけ、とかハードル下げてちょっとずつやっていこう…
有益なお話をありがとうございました。安心した環境や信頼関係ができれば根本的な変化への抵抗感がなくなるということでしょうか。
抵抗感は腫瘍のような、持っている自分は嫌いなのに、無視することも不安というところがあり、お話を真剣に聞いてしまいました。
自分は真面目に服薬し、覚醒時は仕事もし、病気について勉強し、自分への客観はある程度できているつもりではいます。でも主観2.0の自分は見えてきません。
この動画を観る前、ある人から謝りたいと電話がきました。おそらく相手もカウンセリングの必要な人で、それを私に投影していると私は考えています。相手の弱さと幻想による私への仕打ちについて謝罪されたかどうかはどうでも良く、相手の根本的な問題が放置されることに不安と苛立ちを感じます。
つまりストレス源が解決されていないことで、同じようにまた傷付いた人から不当な扱いを受けることが嫌で、立ち止まっているのだと思います。
相手も治療を受ければ良いでしょうが、それは私の強制できる範囲ではありません。忘れていることでしか対処できません。
◆このコメントをした後、私は相手を許すこと自体に抵抗しているな、相手を問題がある人だと責めることにこだわろうとしているなと気付きました。◆
電話の後、先生のお話を聞いている内に、相手との関係を客観で見ると同時に、他の誰かとの信頼関係を築き、生きるのに必要な最低限の楽観性を身に付け「傷付けてくる人もいるだろうけど大丈夫、立ち直れる」という境地に至ることが必要なのかなと考えました。
自分も1人で考えるだけでなく、カウンセリングに行って他人からの影響を受ける時期なのかもしれません。
下の動画をより深く納得するにも役立ちました:
th-cam.com/video/hacIf8znwfY/w-d-xo.html
先生に論破して欲しいのに、「患者さんはずっと考えてるから討論になったら負ける」という一言で納得出来ました。論破してくれないと、いつまでも変われない気がする。
世の中の安全性…怪我をしてから失っていた気がします…。未だに周囲の人間不信も強いです。
私は、本当は変わりたくてたまりません。その為には、客観的に自分を見るとか、行動を変える(例えば、過食をやめる)とかが必要なんですね。
それと、益田先生の本音を垣間見た気がします。先生はなかなか変わろうとしない患者にいら立っているのでしょう。
私は益田先生と直接お会いして、診断を受けたことはありませんが、益田先生の期待に少しずつでも応えていきたいです。もっと頭を柔軟にしていきたいです。
先生の言葉で、とてもわかりやすく、私には伝わりましたよ😊
プルーニング出来れば、本当幸せになります🎉
その為に私の中の誉めてくれる小さな私と、辛い記憶と闘って生きて行きまーす😊
1日一個でもポジティブな気持ちを大切にしてまーす😽
益田先生にTH-camで出会うまで、料理しながら飲酒・TH-cam観ながら飲酒、、、仕事以外は飲酒メインの生活でした。
断酒して、以前よりは抵抗なく他者(社会)を受け入れられるようになった気がします。
、、、というか、断酒した時点で『抵抗』を少しは克服してるんですよね?
私は「普通の人になりたい」気持ちのほうが強いので、落ち込んだままでいいやとは思わないし、早く復職して周りに追いつきたいし、追い抜きたいですが、
客観的に見れてるかは自分ではわからないので、自分で自分を洗脳してるのでは?という気もします。危ないのかな。
ただ、昔の親の態度はもしかしたら…の話は、確かに似たような気づきがあったので、このまま進めてみようと思ってます(作文)
益田先生こんにちは、いつも動画をありがとうございます、、。
私は頻繁にこのチャンネルを見ていて、時々コメントを投稿させて頂いているものです。
私はASD傾向があるかもしれないと就労移行支援施設の方に言われ、「確かになるほど」と私自身感じて、それを2人の精神科医(精神分析的精神療法の医師と投薬療法の医師の2人です)にそのことを告げると、ようやく医師も2人とも私自身の発達障害的傾向に気付いたというのが今の段階です。現在、精神分析的精神療法の医師との信頼関係が危機的な状況で大変悩んでいます。投薬の医師との関係は良好です。
私自身の職業は理工系の技術者で、6年前に前職の大手技術系製造業の会社を深刻な経営危機で退職せざるを得なくなり、3年前に現在の組織に、「ほぼ同じ分野」の技術者として再雇用して頂いて、う~ん、なんとか定着できるかもしれないとの状態になりつつあります(多少具体的な技術的成果が出つつあるので定着できるかもということを感じることができるようになりました)。
今日の先生のお話は、いわば古くて新しい論点であり、おそらくは??フロイトの時代の古くから繰り返し述べられて、そして議論されてきた問題だと私は認識しております。
その上で、私が私なりに感じることは、この「客観性」という論点は、いわゆる能力の凸凹による「置かれた状況」というものを、うまく理論的にも臨床の場の実践的にも、うまく取り扱えていないのではないか?と私は感じております。
言うまでもなく発達障害傾向のある私のような人間は、おそらくは能力の凸凹がかなり激しいです。
ですから生きるなかで、ごく自然にその「能力の凸凹に合わせた生き方」になります。さらには能力に凸凹があったり、良い意味でも良くない意味でも興味関心が「偏れば(この表現が適切かどうかはわかりませんが)」、周囲に普段からいる人達、それが友人であれ同僚であれ、「ある種の偏り」が、ごく自然に出てきます。
それは、ある場合には、「周囲にいるのは純粋で純情な人ばかり」という「良い状態」であることもあれば、
あるいは逆に「人と感じ方が異なったり、人より特に特定の能力が低い、人より特に特定の能力が高い」などの理由で、バカにされたり、嫉妬ややっかみの対象になって、激しいイジメの被害にあったりも、私自身、それら両方の事柄を経験しながら、生きてきました。
すなわち、いわゆる発達障害傾向がある人間は、「生きるための前提条件が、いわゆる定型発達の人達とは著しく異なる」という事実を、まず考えなければならないと、私は50年以上生きてきて、感じております。
すなわち「砂漠の国」と「温帯の国」、「熱帯の国」では、それぞれ「生き抜くための条件」が異なるのと全く同じように、発達障害傾向者が「生きていける条件」も、いわゆる定型発達の方の条件とは、基本的に著しく異なっていると私自身感じております。
これがまさに「環境調整の必要性」の概念で、いわば、環境調整に成功すれば、長所や能力の凸の部分を活かせて、充実した職業生活が得られるのと同時に、不適切な環境では、「最も社会に不適応な人間」になってしまうのが、発達障害傾向者のおそらく事実で、そのいみにおいては、そもそも「いわゆる普通の概念」が全く通用しない世界に生きている、そしてそうした方が社会生活がうまくいく、だから、「普通になることを強く恐れる」、そしてそうやって何とか生きのびているのが多くの発達障害者ではないかと思うのです。
世界は概ね平和ではないか、確かにその通りでしょうね、。あくまで一般論としては、そうは言えるでしょうね。だから「心で戦う必要はない」、これもあくまで一般論としてはその通りでしょうね、、。
でもこれをウクライナ国民やゼレンスキー大統領に言って、何らかの説得力を持つでしょうか?多分持たないでしょうね、、。
ウクライナ国民もゼレンスキー大統領も落命を覚悟して必死に真正面からロシア軍と戦っています。何としてでも、どんなことがあろうとも、決して退かない、断固として戦い抜く。領土的妥協をすることもなく、侵略者に部分的に服従することも決してなく、自分達が殺されれば殺されるほどに、勇気を振り絞り、銃を取り、大砲を放って、そして徹底的に戦い抜く。
追い詰められれば追い詰められるほどに、最後まで戦い抜く勇気を、命を落とす恐怖心の中で、何とか振り絞り、占領された地域の市民も、料理用のナイフを使ってでも戦い抜く。たとえ虐殺されて何百人も何千人も殺されようとも、占領された地域の市民は、ゲリラ戦を戦い抜く。本当に命を落とそうとも、、。
これはベトナム戦争でも全く同じですよね。
あるいは(私は決してタリバン支持ではありませんが)、侵攻してきた超巨大なソ連軍も、同じく侵攻してきた超巨大なアメリカ軍も、まさに非常に小さな軍事力で「力ずくで武力で追い出したアフガニスタン」も全く同じですよね、、。
これができるからこそ、ベトナムもウクライナもアフガニスタンも弱小国でありながらも、超大国に支配されず、むしろ超軍事大国を武力撃破できた、これはまさに人類歴史の真実です。
多少視点はことなるものの、絶対王政の時代に王政を武力破壊したフランス革命もまさに同じだと思います。フランス革命を行ったフランス国民だからこそ、後の世に、侵略してきたナチスドイツにレジスタンス活動を強行し、そしてそのことがノルマンディー上陸作戦につながった、この歴史の事実、このことはとても大切な人類の歴史の真実だと私は思うのです。
以上はもちろん国家レベルの話ですが、そのことを「比喩的に」個人レベルに落としこめば、それはそのまま、発達障害傾向者が、「どうやってこの世で生きているか」についての、比喩表現に、ほぼなるのではないか、と私は感じてもいます。
すなわちいくら「世界は概ね平和だ」と「平均的事実」をウクライナ国民やゼレンスキー大統領に説いても、非常に強い反発と激しい怒りを呼び起こすだけだと私は思います。
そしてまさにこのことを個人レベルに落としこんだのが、精神医療現場での「非常に強い転移」であり、「激しい抵抗」なのだと私は感じています。
「世界は概ね平和だ」と言ってもウクライナ国民やゼレンスキー大統領の激しい反発を買うのと全く同じように、
「人間は概ね良い人が多い。良い面が多い」と言っても、発達障害傾向のある人の心には全く響きません。
その理由は「世界は平和だ」という説教がゼレンスキー大統領を激しく怒らせるだろう理由と全く同じです。
できることも、できないことも、「いわゆる普通」からかなりかけはなれている多くの発達障害者は、自らに合った生き方をこれまで必死に試行錯誤しながら生きてきた結果として、
「いわゆる標準的な生き方」をしていません。独自の生き方がうまくいけば、「周囲は善人で純粋な人ばかり」という状況も「事実としてある」と同時に、逆に「集団イジメに合っている」という場合も当然あるでしょう。
「普通の平和な国」の論理を、必死に侵略者と戦っている、戦ってきた国の人に、説いても、全く心に響かないのです。
生まれながらの能力の激しい凸凹により、小さい頃からずっと「普通ではない実経験」を積み重ねてきて、そしてその中で、「その人なりの独自の生きる道」を模索してきたのが、多くの発達障害者なのだと私は思います。
ウクライナ国民もゼレンスキー大統領もおそらく今後「条件付き停戦」ということはしないと思います。なぜならば彼らはまさに生存をかけて命懸けて戦っているからです。ウクライナが国境線までロシア軍を追い返すまでおそらく戦争は終わらないと思います。別の可能性としてはウクライナ民族滅亡、国家滅亡しか戦争終結はないと推察します。なぜならば彼らは本当に必死で命懸けで戦っているからです。
ベトナム戦争も米ソ超大国による2度のアフガニスタン戦争も「妥協的停戦」にはなりませんでした。
そしてそれは「弱者が強者と力ずくで戦う時」の基本的法則なのだと私は思うのです。
国家レベルにおいても、個人レベルにおいても、、。
今回の動画は前回のと繋がっていると感じました。楽観的な常識を拒まず体得できるヒントがあった気がします。自分を変える行動をこつこつと行っていこうと思います。
今本当に『抵抗』中だと思います
結婚して、新居に引っ越したばかりで安全とも思えません
夫も意識障害で、夜中に奇行が多くて悩んでます
主治医もやっと信頼出来る主治医に出会えたのに、次回から主治医が変わります💦
仕事探さなきゃと思ってるのに空回りして、お金が限界😢
派遣会社からも完全に切られました
カウンセリングとか何年も通院してるけど、一度もしてません
益田先生 毎日お疲れ様です🙇♀️
ここ数日 台風を伝える番組が多いですね。😢
私が8才の時 目前5メートル位の所で自宅が濁流に呑み込まれて行きました😢
その時点でも何も音が聞こえなかったし 私は無言で立ち尽くしていたし周りには誰もいませんでした と記憶しているのですが 誰もいないはずはない!と思うようになったのは父母 兄も亡くなってからです。
あれからお風呂も怖いままです。 いろんな事がある昨今なので情報を知りたいからテレビはつけていますが スマホかiPadを観ています😢 聴こえてくる災害 火災 虐待、、いろんな事が怖くて息苦しくなります😢
どうやって抵抗を取っていくか、、正直わかりません😢
大震災の時も これで人生終わりだなと思ったけど不思議と助かりました、、生きている! それが現実!
今日暴風域に入ります😢 また助かって生かせてもらえるのかな? 怖いけど、、その怖さに抵抗するしかない!
今はまだそんなかとしか考えられない😢
益田先生の話の論点からズレてる😅🙇♀️
担当医への信頼って難しいですよね💦
特に春先に異動されてしまって
また新しく信頼関係を築くつまた1から辛い話もしなきゃならないし
って思いながら見てました
ありがとうございます。先生のお話は、共感できます。勉強になります。😊
私は知る痛みが辛いタイプです。卑屈なまま生きると周りの人にも迷惑だろうなと頭ではわかるのですが…
あと、割と無鉄砲に行動してきた部分もあって、それでもダメだった、やっぱり安全じゃないと引っ込んだ過去もあります(友人からしたらまだまだだろ、と言われます笑)
今回のテーマは、精神科医療だけでなく、ソーシャルワーカー的な視点でも勉強になります。
最近、認定精神保健福祉士研修を受講しました。
そこでは、PSWの専門性として、
クライエントとの流動的な関係を利用した支援が大事だそうです。
クライエントの考え、想いを汲み、
支援者が一度自分の支援への考えを捨てて、共に支援の流れを決めるそうです。
私は精神保健福祉士は、病院🏥勤務が主流で、私は地域の施設が多いので引け目がありました。
研修のグループワークでは、病院🏥勤務の方が大半でした。
私の実践を皆さんは興味深く聞いてくれました。
マイナスな信頼関係から始まる治療ですが、信頼関係を築く営みは、
ワーカーもドクターも同じなんですね。
ワーカーがいる病院は、主治医に伝えにくい内容を共に考えてくれることもするらしいです。
長いコメントですみません。
次回も楽しみにしています。
診察室は演劇空間って名言だなと思いました。確かに、その人の平生のコミュニケーションの取り方や考え方がモロに伝わる場所だからそうかもしれませんね。
私は客観を通過することがなかなかできないですね。安心できる場所は欲しいですね。
「知らない仏より知ってる鬼」とはまさに。
慣れてることから外れるのって、本当に嫌ですよね。
久しぶりに観ました。さすが益田先生😄わかりやすい。ありがとうございます💕
冒頭のセリフ、ほんとそれ思ってた!
家族間の過去の確執について、対して悪くなかった母が、別に悪くないって何回言ってもしつこく悪かったと言ってくる、
責めてもないのに勝手に被害妄想に陥られる、
いつまでも家族のいい距離感を取ろうとしないで、必要以上に嫌悪してみたり、必要以上に尽くしてみたりしてボロボロになっている姿を見せ続けられる。
もうそろそろ冷静な視点を持つように努力してほしいし、今の距離感でそれが無理なら無理矢理にでも離れていったん頭冷やしてほしいし、
私に対して悪かったと思うなら、当事者でもある娘の私を、自分の罪悪感や憎しみのゴミ箱にするというクソな甘えはいい加減やめてほしい。
というか恥じろ??
と思ってます〜
アドバイスを聞けないのは、自分を否定されるのが嫌なんだと思っていましたが、抵抗なんですね。とても勉強になりました。
とっても勉強になりました!
ありがとうございます😊✨️
環境を変えることで、自身も変わるけど、環境を変えられない方がほとんどで。自身を変えられるほど、今までの環境に恵まれていないし、今後も望みがない方は多いですよね😢ただ、同じ悩みは大小あれ、みな気持ちは分かり合えるものでもあることもある😂それは小さな希望というものですが、あるものと祈りたいですね🙏
凄く勉強になりました。変わらないのは抵抗という症状であると学べて、自身の中の差別意識がまた少し変わりました。精神疾患の人とても苦手なのですが、こうやって少しずつ理解していきたいと思います。
社会がにいい側面と悪い側面があるのに何も異論はありませんが、その良いところに自分を混ぜる想像をしてみたときの違和感は凄まじいものがあり、またきれいな水の中にインクを一滴落として全体が濁ってしまうような感じもしています。
良いところにいる人達は今の自分が抱えているような気持ちは持っていないはずで、そこにいることができている自分もまたそうだとすると、それは自分の顔をした偽物だとしか思えない、というところです。その自分を期待されているというのは、社会は私に自己否定を求めている理屈に思えるけどな、と時々考えています。
現在の精神医学のパワーがどういうものなのか知らないのですが、この観念が死ぬまでに改まるというと、洗脳以外の何物でもないのではないかという感覚です。
私も変化を拒んでいます😰
動画拝見させていただきました。
来週病院行くときにWordか何かで現状のことまとめて持っていく予定なので、そのためのメモも兼ねてコメントさせてください。
序盤あまり楽しい話じゃないから閲覧注意ですけど、わたしなりに「こういうやり方なら変われるかも」と思えたという内容を書いています。
わたしの場合、変わろうとしてみんなに合わせて必死にがんばったことはすべて「できて当然」とされ、それができなくなってからもせめて自分にできることだけは、と必死に取り組んだら「足りない、甘えだ」と言われ、
わたしに寄り添ってくれる人がいると「そんな友人も頭がおかしいんじゃないのか?」と責められ、何もがんばれなくなってしまったら「異常者だ、お前のせいで周りが大変な思いをしてる」と責められ、そもそも自己肯定感足りなすぎると思ったからまずは最低限の自己愛構築とか考えたら「甘え、幼稚、そんな歳にもなって」
なんというか、わりと常に健常者の人達と同じように振舞おうと努力していたけれど全否定され続けた結果、つらい思いをしてまで何とかしようとすることに疲れてしまい、この動画で説明されているような「抵抗」のようなことが起こっているのかな、と感じました。
出来が悪くネガティブなわたしを認めたうえで前に進むことは許されないんだな、わたしがいなくなるくらいもっと必死にみんなに合わせなくちゃ変わらなくちゃ許して貰えないんだな、と思うと、とてもじゃないけどこれ以上はがんばれないんです。
人生で1度でいいから「無理に変わろうとしなくても責められない自分」というものを経験してみたいです。
こう感じてしまうのも変化への抵抗であり、変わることができないわたしのせいだってまた周りに責められてしまうのでしょうか…難しい……。
「もう自責で暴走したくないからほんとに責められるべき内容以外では責めないで」と周りに配慮をお願いするのは、これは変わろうとしないわたしが周りにわがまま言ってることになりますか?
わたしはわたしなりに、自責による暴走が起こる原因を考えて自分の現在の限界を知った上で配慮がどうしても必要だと考えたので周りに助けを求めたのですが…。
なんとかみんなの言う通り前向きにいつもニコニコ明るい人間にならねば、と思いつつも、やっぱりこわいです。またわたしだけ悪者にされたり謝罪したことを「自分に酔ってるだけ」と言われてしまう。
ここまで書いて、動画内に出てきた「トラウマへの意味づけ」みたいな話がわたしにとっては大事なのかな、となんとなく思いました。
これわたし、過去に両親に言われたこと全部全部引きずっている…現在そこから抜け出すための治療中なんですけど、その方向性って完全に正しかったんですね、よかった。
そしておそらく、今は両親以外のために変えられところは脱出しようとしてるから、なんか対象が変わったからいけそうな気がしてきた。
個人的な感想ですが、例えば自分のこころを脅かしてきた両親のために変わるとかは確かに無理だったんだな、と。だってやる意味ないし、他者に異常者と言えるような人達の意見が必ずしも正しいとは思えないんです。
大好きな人達としあわせに過ごすために(とりあえず今はほんとに何もがんばりたくないので休憩させてほしいけど)自分自身を失わない程度に変わっていきたいですね。
書いてるうちに思考回路整理できたから序盤の悩みターン消そうかと思ったけど、これ残しておけば「当事者なりにこういう流れで変化を受け入れようという結論に至ることもあるんだな」とポジティブな意味で伝わったらうれしいなと思ったので、あえてこのまま投稿します。
益田先生こんにちは。質問があります。
最近の動画で先生が仰っている「世の中は明るく安全であることを知る」というような内容は、発達障害で悩む人間にも言えることでしょうか。
というのも、発達障害当事者の自分からすると、世の中が安全で楽観的な人が多数派なことは分かっている。が、その世の中にいつも違和感があり、飛び込んでも別に攻撃はされないが居心地も悪い、という経験が幼少期からあるため、「世の中」というのを、有るのは知ってるけど自分がその内部にいるとは感じられないもの、攻撃はされないが歓迎もされないところ、という感触があります。
例えるなら、薄い繋がりの友人の結婚式に一人で来てしまったような感情です。周りはみな楽しそうにしているのが分かりますが、自分は何となくきまりがわるく、ああ早く帰りたいな…というような気分です。
なので、それを知ることで救われるような要素には思えないのです。
「世の中」が自分に敵意を向けてくるような存在だと現状感じていない、という時点で自分にはこのトピックは関係ないと考えてよいのでしょうか。
また他の様々な動画を拝見するなかでも、この動画は後天的にうつなどの病気になった人、将来的に治る見込みのある人に対してなのかな?いや、先天的に障害の人でも、改善する上では考え方は同じなのかな?と迷うことがままあります。
どこかの動画で、その違いに近いことを先生が言及されていたような気もするのですが、思い出せません…
もし、こういう動画はこういう人向けであってこういう人には当てはまらないことが多い、というような目安があれば、解説して頂けると幸いです。(これも発達障害ゆえの気質かもしれませんが、自分に響かなかった内容の動画でも、これはまだ自分が勉強不足だから理解できないのか…??と考え続けてしまうのです)
安全や知る痛みは私に当てはまるなと思いました。
認知の歪みはカウンセリングで直している途中なので、あとはとりあえず動くようにしてみます。
1年前の動画に出会いました
いつもありがとうございます
病院を治したいなら、自分が変わらないといけない。その通りだと思い聞いてました。認知の歪みが変わらないなら、行動を変えてみませんか。それもそうだと思います。
ばちこいの先生たちの動画、たまに拝見します。
精神科医の言葉とは少し違うので難しいと感じることがありますが、今日のお話しの行動療法を以前学びました。結論、いつもお聞きしてる認知行動療法の認知と行動に分けていると気付くと、馴染んたお話しに聞こえる。人の脳って、そんなもんなんだと感じ、難しく考え過ぎずシンプルに聞けるようになりました。
認知の歪みは相手がいないとわからないことも、行動を変えることは自分の努力出できる。そして無理はしない。体調の悪い日はお休みをする。
それでも、まだ自分は仕事に戻れる状態には戻ってませんが、少しずつ楽になっているのを感じます。苦痛の根元だった人間関係も、家族の補助を借りながらでも本音を冷静に第三者に伝えることが出来て来ます。そして、これまでは伝えたい事が伝わらないから、怒りの感情も出る事があった歪みも同時に発見してます。自分に無理のないところから、第一歩を進めるのがコツだと、当事者として思います。いつもありがとうございます🍀
世の中が安全だって思えるその意識の切り替えが起きる時、脳はどんなふうになってるのかな。
この動画を見て、本当に良かったです。分かりたかったことが、取り敢えず全部わかりました。ありがとうございます。登録はしてたけど、ベルマークも全部通知オンにしました。
すごくしっくりきた事と、やっぱり動いてみるか。そう改めて思いました。できない。最後のパーティー(100000回目くらい)の開催。もういいでしょう、やってみなけりゃ分からない。もう薄々自分でも分かっているし、多少の痛みがあることも理解できる。
主治医とは今もう9年目になります。
信頼感は主治医のおかげで、最強です。(私がそう思っているだけかもしれないですが💦)
安全基地あり!ラポールあり!
いざ、出陣‼️と思いました。
私は病気改善のため変化を歓迎して意識的に変化を求めて日常を過ごしていたのですが、なんか色々と酷い目にあってしまい、昔は多少でもヒントやキッカケがあったのですが、今現在はどうして良いかわからない状態に陥ってしまいました。
難しいです…。
ダメな奴だと思っているをダメじゃない奴なんだと思うように変えるには、ひとつ上の階層でその事を捉えて納得する必要があるんだと思うな。
安全って他人から言われても納得できないよなぁ。
トラウマ体験を心理職の方に開示するには、その方との信頼関係が必要と考えます。現在心理での治療中の者です。🍀
弱い自分を見たくなくてその視点を排斥していたのですが、それにより他責ばかりになったり誇大妄想に陥り続けるなどしていました。
自分の痛い事も含めて過去のことを考えることができた時から色々好転していきました。
そうなるまでにかなり疲れてしまい日常生活を普通に行える程の認知機能も残っておらず、病院で薬を貰って飲み始めました。それから2~3年経って現在になります。元気、認知機能、心が健康時の1/4くらいには戻ってきたかなという感じです。
もう抱えていた重荷はないので適当に過ごしていけるし、おいしいご飯が食べれたらかなりいい一日だったなという感じなので、こんなのでもまあいいだろうという気持ちです。
人は怖い、と認識しているので人間関係が上手くいきません。
どこにいっても馴染めず、この記憶、認識を修正することができるのか、不安でたまりません。
もっと数こなせばいいんだろうけど、
できないと思い込んでいるのが"抵抗"でしょうか。。
大丈夫です傷だらけでも血だるまでもここ迄回復しました躁鬱病を抱えて自己調整しながらこれからも生き抜いて生きます❤
先生ひと時の夢と安寧な気持ちを下さりありがとうございました
動画ありがとうございます。主治医から「だからあなたはダメなんだよ」とか「そんなことを聞いているんじゃない!」と叱責されたり睨まれます。虐待育ちなんですが傷つきます。そう言う治療では良くならないんですよね。きっと。