ドゥルーズ哲学は分人主義なのか──le dividuelを検討する──(内藤慧)

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  • เผยแพร่เมื่อ 29 ม.ค. 2025

ความคิดเห็น • 4

  • @小林三太
    @小林三太 19 วันที่ผ่านมา

    懐かしく刺激的に拝見しました。私は80年代終盤~90年代初頭の劣等哲学徒の一人でした。財津先生には、まだ翻訳の無い『シネマ』原文をテキストに厳しくご指導を頂きました。「分人」の概念について、正直当時の私は全く理解できていませんでした(今も理解できているか疑問ですが)。その後、長い年月を経て現在は高齢者施設のケアマネジャーをしております。施設には、ご家族の前と職員の前で違う姿を見せられる利用者さんが珍しくありません。あるご家族とあるご家族、ある職員とある職員の間でも違います。例えば、それぞれの前で「あなたが一番。あなたの考えに完全に同意」と言ってしまいます。葛藤の代理戦争が起こります。ケアの方針を決定する時には、これらを統合する必要があります。そのために私が心がけているのは、普段からの情報の共有です。なかなか上手くも出来ていませんが、利用者さん本人との面接だけでなく、ご家族・職員との間での情報共有に努めています。利用者さんやご家族、同僚、各関係者の皆さんに支えられて、どうにかやっています。仕事柄、倫理学について学び直す必要があり、和辻哲郎の『間柄的存在』の概念に影響を受けました。社会経験と読書経験を経て、今やっとドゥルーズに帰ってきています。

  • @齋藤雅晴-p9f
    @齋藤雅晴-p9f 9 หลายเดือนก่อน

    分人主義を精神疾患の観点から再考すべき
    つまり、健常者と精神患者との差異は何か?

  • @121ponta121
    @121ponta121 3 หลายเดือนก่อน +2

    平野? あぁ、アンチ参政党のアイツか

  • @うぶ毛-c5y
    @うぶ毛-c5y 2 ปีที่แล้ว

    シネマ2、偽と信、人民を「仮構」する?!総体→全体→間隙からの「外」→褶曲。ギャロップとリトルネロ。