哲学対話 PARA SHIF 「中動態」:國分功一郎

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  • เผยแพร่เมื่อ 26 ส.ค. 2024
  • <レクチャー>
    00:00 0. イントロダクション
    05:13 1. 中動態とは?
    10:13 2. 中動態消滅の意味
    20:35 3. 選択と同意
    25:02 4. 使用の問題──中動態応用編
    <哲学対話>
    29:54  ペア対話
    30:31 自分が「産む/産まない」を決めるのは難しい
    33:20 非自発的同意の状態には「意志」がない?
    35:10 「意志」の中に「私」という主体が消え去られている
    37:44 コミュニケーションのためのツールとしての「意志」
    38:33 「意志」は指示や命令をしやすくするための装置?
    39:41 責任のない、やりがいのある仕事に就きたい学生/超優秀な上司に命令されたい会社員
    40:57 テクノロジーの進化によって自分の「意志」や「選択」はどうなるか?
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    【テーマ】中動態
    【開催日】2019年2月2日(土)19:30~21:30
    【会場】Snow Shoveling BOOKS & GALLERY
    【出演】國分功一郎(哲学者)、パラシフ[中動態]参加者の皆さん
    【撮影・構成・編集】三行英登
    【主催】公益財団法人せたがや文化財団 生活工房
    【後援】世田谷区、世田谷区教育委員会
    【公式サイト】 www.setagaya-l...
    【引用/参照文献】
     1. É・バンヴェニスト『一般言語学の諸問題』(岸本通夫監訳 みすず書房 1983年)
     2. G・アガンベン『 身体の使用』(上村忠男訳 みすず書房 2016年)
    【参考テキスト】
     1. 『精神看護』2019年1月発行 (通常号) ( Vol.22 No.1 )
      「特集 オープンダイアローグと中動態の世界」
       <1中動態/意志/責任をめぐって 國分功一郎>
    2. 國分功一郎『中動態の世界 意志と責任の考古学』(医学書院 2017年)
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    「哲学対話 PARA SHIF パラシフ」
    世界の捉え方はいつだって更新していける
    PARADIGM SHIFT(パラダイム・シフト)、それは当たり前と思っている考え方がガラリと劇的に変わる体験のこと。
    本企画は、哲学者との対話から、日々の生活にPARA SHIF(パラシフ)を起こすことを目指す、大人のための哲学ゼミナールです。
    古くから哲学者たちは、社会の問題や構造を見つめ、人々の“当り前”を塗り替える新たな概念(ものの見方)を提示してきました。
    概念を学ぶことは、日常の中に新たな視野を獲得することであり〈既知〉を〈喜知〉へと変えてゆく力を身に着けることでもあります。
    PARA SHIFで自分の世界観をアップデートし、あなたの中に“日常事変”を起こしてみませんか。
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    [中動態]
    自分で何かをするのが「能動態」。誰かに何かをされるのが「受動態」。私たちは身の回りに起こることを、どちらかに振り分けます。ところが古代の言語には、そのどちらとも異なる「中動態」がありました。中動態の概念によって、「する」/「される」とは違った別の世界が開けます。その時、私たちの考え方はどう変わるでしょうか?
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    <PARA SHIF(パラシフ)に寄せて>
    大昔、古代ギリシアの哲学者は「哲学の始まりは驚きだ!」と言いました。
    驚くというのは、自分が目撃したものを「当たり前」と思って片付けることができない時に現れる心の状態です。哲学の始まりが驚きならば、哲学者とは驚くことの専門家なのだ、とも言えるかもしれません。でも、誰にでも驚くことがあるのではないでしょうか? そう、誰でも驚きます。ということは誰でも哲学の始まりには触れることができるのです。
    哲学者と呼ばれてきた人たちに何か違いがあるとしたら、それは彼らが驚きをずっと維持して、「うーん」と悩み続けたことです。実に長い間驚きを維持することで、哲学者たちは様々な概念を生み出してきました。哲学者は概念を生み、そして概念によってその驚きがもたらした問題に答えようとするのです。
    すると概念には、「当たり前」と言って片付けられてしまうものを、当たり前でなくする力があることになります。
    それは驚きを何らかの形にしたものなのですから。
    このゼミナールは講師の案内のもと、そんな概念の生き生きとした姿に触れながら、
    日常の様々な問題について考える手がかりを得るための場です。
    國分功一郎
    #國分功一郎
    #哲学
    #東京大学

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