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ソクラテス、プラント、アリストテレスの西洋論理学で言語の技術、伝え方納得してもらう。話し会いをよく行う。現代社会の人間関係で使える技術ですね!もう一度学びたいです。ありがとうございます。
論理学とは何か知りたくて、ここにたどり着いたんです。先生の説明でよくわかりました。ありがとうございます。
最近、アリストテレスの師匠プラトンのプロタゴラスを読みましたが、快苦を善悪に置き換えて言い直してみるとあれよあれよと全ては知恵に関係すると導いていた様子に感動しましたが、非常に数学的だなと思いました。
哲学者、宗教家、心理学者など現代は道に迷います。今の世の中難しいです。必要ですね!ありがとうございます。
4:20logic(論理・論理学)18:00ロギケー24:30レトリケーとディアレクティケー39:28まとめ
O l mm ,nö to e Re up ,
いわゆる俗に 知識人といわれる人達 学者とか 科学者とか 有識者とか その道の権威とかに対して お前らは ほんとに知っているのか お前らは ほんとに識る者なのか お前らの知識は ほんとに正しいといえるのかと ソクラテスのように 反論反駁すると 殺されるぞと 権威や権力には 素直に従わないと 殺されるぞと 社会システムに 従順に 飼い慣らされたフリしておかないと 殺されるぞと そういう教訓が 哲学なんですね なるほど 素晴らしい😊
他のコメントも見たけど哲学嫌いみたいだね、哲学書を読んでみて、あまり理解できなかった感じ?根気よく何度も繰り返し読むと、感動する時が来るよ。🙂↕️
理学部数学科出身ですが、計算力より推理力、論理学の方が大事だと思う場面が多かったです。
文化ごとに会社ごとにライングループごとに固有の論理があると考えるのも面白いですね (多分インフォーマルな論理)
非論理 論理を話す時相手を選ぶ様にしています。後々大変な事にならない様 これからも気を付け無ければと思います。
■【19:36】→リーマン幾何学では、三角形の内角の和が常に180度とは限らない。180度になるのは、極めて特殊な場合の1点に過ぎない。(※例:平面) リーマン幾何学では、三角形の内角の和は、180度以上540度以下にもなり得ます。何故なら、面が平面とは限らない。曲面もあり得る。 例えば、地球表面を考える時、極地から赤道に対して垂線を2本下すと、三角形ができる。この三角形の内角の和は、180度以上である。 勿論、三角形の内、極地側では、限りなく0度に近い場合から限りなく360度に近い場合が有り、約360度の幅がある。 よって、180度+360度=540度という事になる。※参考:ロバチェフスキー、ポアンカレイ
現代ほど“哲学”の重要性が増した時代が有っただろうか?それ程までに現代は、一般大衆の哲学的思考が試される時代に突入している様に思えてならない。
どうしてそう思うのですか?
@@watarutokuni2271 情報量の爆発的増大と多軸構造社会だから。しかも、人・物・金・情報が、地球を猛スピードで駆け巡り、グローバル化した点でしょうかねぇ…。局所的な出来事として、無視する訳にはいかなくなった事でしょうか…。結果的に社会システムにフリーライドしてる人は、意識していようといまいと関係なく、あまり深く考えなくても生きられるかも知れませんが、そうはいかない人々もいるでしょう。その人達にとっては、過去に要請された世界観では物足りず、新たな世界観を構築する必要に迫られているでしょうね。たぶん。だから、哲学の重要性が増していると言えるのではないでしょうか…。ただし、一部がそう思っているだけで、今も昔も哲学の要請度合いは、実は、あまり変わらないのかもしれない。んん…ん。
@@watarutokuni2271 もう一つは、前述にも繋がりますが、ソ連崩壊による冷戦構造の解消や社会主義体制の崩壊が、即、資本主義の勝利へと単純に言い切れない状態である事が、明白になったからでしょうね。冷戦体制においては、東西両陣営で対立構造が明確であった為に、比較的に思考も行動もそう複雑でなくても経済活動を通じて自己実現がし易かった様に感じます。この視点が、ここ30年間において、現在と大きく違う点でしょうね。
@@masai8301 クロノセントリズム
@@なんて言ってる ???
論理学とは、頭脳明晰で有る、神様の、総合的思考力の事です。
違いましゅ
論理学というのは、あくまでも人間がなんとか,神のような判断能力を持てないかと考えだした学問というふうに考えると分かりやすいかもしれません?
しかも、かつて、こだいぎりしゃでの哲学がメインだった時代から、コンピュータ時代に入ると、、論理学というと,数学的な論理学のことを指すことが多くなった、、と納富先生は仰ってられたような気がします。。これは、、アナログがデジタルつまり、、二元論理化という言葉で、京大医学部教授で医学概論を昭和時代に教鞭をとられつづけてられた、品川嘉也先生がテーマにされてて「意識と脳」というほか、コンピュータ時代の基礎知識ほか、京大コンピュータセンター長として、脳生理学上の解明で、基本、品川先生ご自身は、神が創造した人間の脳とデジタル二元論でのコンピュータ脳とは大きく根本的な違いがあるという証明をされ続けられてます。。でもね、、違う,という証明は、、実際に実在して初めて,違うことが証明を立証できるわけで、、できる前の未来のプログラムに対して、証明はできず、、でも,,数学的に証明不能でも、人間脳なら、無理なこと,非効率(プログラムやコンピュータ機械を開発するための投資資本に対し、社会正義のみの限定利用では、投資家が黙っていませんので、、転用普及させる悪用が横行するという摂理が政治家や教授クラスの研究家、企業重役ならわかってるはずですが)だと経験的にわかることですが。。
Wittgenstein saidThe subject can't be objectified
全ての元
サタニズムを教えているのですねw
私みたいなアホにも分かりやすい
ソクラテス,プラトン的にいうと、、分かった!と合点してしまうことの恐ろしさです。。本当に理解できてるのかな?と絶えず,気にしてると、思慮深くなる,ただ、、絶えず,問い続けなさい!ということと。。間違ってたら恥ずかしいからと、黙ってるとまずい!ということです。反対に、、かつて、住友銀行頭取の堀田正三さんだったかが、どこか移動する時、新入社員を車に乗せ、話しを聞くことにしてるって仰ってられました。立場や利害で、生の情報が偉くなるほど、見えにくく、声も届きにくいということを意識されてらした。。大阪船場の旦那,もしくは隠居は、普段着で巷に紛れ、世の中を見る,,という習慣。。これは京都でも広島先生というお茶道具の先生が、お家元に米寿の貢献に受賞されたお祝いで、加賀井楼でお茶会をされた時に、歴史的なお道具をお借りした先生ですが、当日、私なんかは振袖を着てますが、普段着でふらっと入ってこられ、ビックリしました。。こういう方が昭和期に江戸時代からの文化を裏方で支えてらしたんだと,頭では理解してますが,まだ、すっきり見えないことが多くて気になり続けています。。
うーん、なんだか哲学や論理学に抱いていた憧れが全部霧のように消えていった講義だった内容に自己批判性が一切見られないというか普段日常的に自分に甘い人の話を聞いてるようにしか聞こえない
あくまで、この方のレンズを通した哲学や論理学であって、むしろ哲学をやっている人は自分を含む徹底的な懐疑論者であることが多いかと思われるがね。
論理とは「女を論ずる」という意味であり、「仕事」という意味でもあります。今のままでは子供達を東大に預けるわけにはいきません。
こんな内容ばかりしか東大が提供出来ないから世界的ランキングが落ちまくったのだろうと思います。
公開講座なんだから一般ピーポーでもわかるレベルにしてるんやろ。
世界ランキングって、、、売れ筋?という視点なら、一種のファッション? ファッションって,ファッショに由来した言葉だと聞いたことがあります。。 大きな流れに乗ることの安楽さと社会的な危険性を思うべきでは? ?
安っぽい視点も感じます。。ゴメン
氏の著作は面白く読ませていただいてますが、喋りはあまり上手くないのですね。えーとか、あーとか余計な間が多くてこれでは聞く側が疲れてしまいます。
そうかあ…? 考えながら話し合うことに慣れていないデジタル情報化社会での世代の感性って、、見た目、ぱっと見,パッと聞きで心地よければ条件反射的に脳が開かれ、つまり、、条件反射で動物的に脳が理解や思考の門戸をコントロールされてる,,ってことなのかなあ。。 生理学的にそうなってしまってる、、、というよりもそういう若者を大量生産することで資本主義社会でヒット商品を開発する時にアイデアが限られてるから出しやすい?
もっと卓越した例を東大は提示すべきと思います。人間が動物か否かの例だけではね……
類と種差による定義を説明するのに一番伝統的な例だし、媒概念二義の虚偽って形式的な誤謬を説明したいだけだから、例に君の求めるような具体性は要らないよ。
@@matthewi8706 例に具体性を求めたわけではない。論理学に魅力を持たせるような卓越した例を東大は随所に提示できた方が良いと思うという個人視聴者の感想だから君なんかはでしゃばるべきではない。
@@tom.o.5488 畑の人間からすれば野暮な要求だよってことは言っとくわ。
@@matthewi8706 生意気言うな!
@@tom.o.5488 ごめんなさい
いらん
ソクラテス、プラント、アリストテレスの西洋論理学で言語の技術、伝え方納得してもらう。話し会いをよく行う。現代社会の人間関係で使える技術ですね!もう一度学びたいです。ありがとうございます。
論理学とは何か知りたくて、ここにたどり着いたんです。先生の説明でよくわかりました。ありがとうございます。
最近、アリストテレスの師匠プラトンのプロタゴラスを読みましたが、快苦を善悪に置き換えて言い直してみるとあれよあれよと全ては知恵に関係すると導いていた様子に感動しましたが、非常に数学的だなと思いました。
哲学者、宗教家、心理学者など現代は道に迷います。今の世の中難しいです。必要ですね!ありがとうございます。
4:20logic(論理・論理学)
18:00ロギケー
24:30レトリケーとディアレクティケー
39:28まとめ
O l mm ,nö to e
Re up ,
いわゆる俗に 知識人といわれる人達 学者とか 科学者とか 有識者とか その道の権威とかに対して お前らは ほんとに知っているのか お前らは ほんとに識る者なのか お前らの知識は ほんとに正しいといえるのかと ソクラテスのように 反論反駁すると 殺されるぞと 権威や権力には 素直に従わないと 殺されるぞと 社会システムに 従順に 飼い慣らされたフリしておかないと 殺されるぞと そういう教訓が 哲学なんですね なるほど 素晴らしい😊
他のコメントも見たけど哲学嫌いみたいだね、哲学書を読んでみて、あまり理解できなかった感じ?根気よく何度も繰り返し読むと、感動する時が来るよ。🙂↕️
理学部数学科出身ですが、計算力より推理力、論理学の方が大事だと思う場面が多かったです。
文化ごとに会社ごとにライングループごとに固有の論理があると考えるのも面白いですね (多分インフォーマルな論理)
非論理 論理を話す時相手を選ぶ様にしています。
後々大変な事にならない様 これからも気を付け無ければと思います。
■【19:36】→リーマン幾何学では、三角形の内角の和が常に180度とは限らない。180度になるのは、極めて特殊な場合の1点に過ぎない。(※例:平面)
リーマン幾何学では、三角形の内角の和は、180度以上540度以下にもなり得ます。何故なら、面が平面とは限らない。
曲面もあり得る。 例えば、地球表面を考える時、極地から赤道に対して垂線を2本下すと、三角形ができる。この三角形の内角の和は、180度以上である。
勿論、三角形の内、極地側では、限りなく0度に近い場合から限りなく360度に近い場合が有り、約360度の幅がある。
よって、180度+360度=540度という事になる。
※参考:ロバチェフスキー、ポアンカレイ
現代ほど“哲学”の重要性が増した時代が有っただろうか?
それ程までに現代は、一般大衆の哲学的思考が試される時代に突入している様に思えてならない。
どうしてそう思うのですか?
@@watarutokuni2271
情報量の爆発的増大と多軸構造社会だから。
しかも、人・物・金・情報が、地球を猛スピードで駆け巡り、グローバル化した点でしょうかねぇ…。局所的な出来事として、無視する訳にはいかなくなった事でしょうか…。
結果的に社会システムにフリーライドしてる人は、意識していようといまいと関係なく、あまり深く考えなくても生きられるかも知れませんが、そうはいかない人々もいるでしょう。
その人達にとっては、過去に要請された世界観では物足りず、新たな世界観を構築する必要に迫られているでしょうね。たぶん。
だから、哲学の重要性が増していると言えるのではないでしょうか…。
ただし、一部がそう思っているだけで、今も昔も哲学の要請度合いは、実は、あまり変わらないのかもしれない。んん…ん。
@@watarutokuni2271
もう一つは、前述にも繋がりますが、ソ連崩壊による冷戦構造の解消や社会主義体制の崩壊が、即、資本主義の勝利へと単純に言い切れない状態である事が、明白になったからでしょうね。
冷戦体制においては、東西両陣営で対立構造が明確であった為に、比較的に思考も行動もそう複雑でなくても経済活動を通じて自己実現がし易かった様に感じます。
この視点が、ここ30年間において、現在と大きく違う点でしょうね。
@@masai8301 クロノセントリズム
@@なんて言ってる
???
論理学とは、頭脳明晰で有る、神様の、総合的思考力の事です。
違いましゅ
論理学というのは、あくまでも人間がなんとか,神のような判断能力を持てないかと考えだした学問というふうに考えると分かりやすいかもしれません?
しかも、かつて、こだいぎりしゃでの哲学がメインだった時代から、コンピュータ時代に入ると、、論理学というと,数学的な論理学のことを指すことが多くなった、、と納富先生は仰ってられたような気がします。。
これは、、アナログがデジタルつまり、、二元論理化という言葉で、京大医学部教授で医学概論を昭和時代に教鞭をとられつづけてられた、品川嘉也先生がテーマにされてて「意識と脳」というほか、コンピュータ時代の基礎知識ほか、京大コンピュータセンター長として、脳生理学上の解明で、基本、品川先生ご自身は、神が創造した人間の脳とデジタル二元論でのコンピュータ脳とは大きく根本的な違いがあるという証明をされ続けられてます。。でもね、、違う,という証明は、、実際に実在して初めて,違うことが証明を立証できるわけで、、できる前の未来のプログラムに対して、証明はできず、、でも,,数学的に証明不能でも、人間脳なら、無理なこと,非効率(プログラムやコンピュータ機械を開発するための投資資本に対し、社会正義のみの限定利用では、投資家が黙っていませんので、、転用普及させる悪用が横行するという摂理が政治家や教授クラスの研究家、企業重役ならわかってるはずですが)だと経験的にわかることですが。。
Wittgenstein said
The subject can't be objectified
全ての元
サタニズムを教えているのですねw
私みたいなアホにも分かりやすい
ソクラテス,プラトン的にいうと、、分かった!と合点してしまうことの恐ろしさです。。
本当に理解できてるのかな?と絶えず,気にしてると、思慮深くなる,ただ、、絶えず,問い続けなさい!ということと。。
間違ってたら恥ずかしいからと、黙ってるとまずい!ということです。反対に、、かつて、住友銀行頭取の堀田正三さんだったかが、どこか移動する時、新入社員を車に乗せ、話しを聞くことにしてるって仰ってられました。
立場や利害で、生の情報が偉くなるほど、見えにくく、声も届きにくいということを意識されてらした。。
大阪船場の旦那,もしくは隠居は、普段着で巷に紛れ、世の中を見る,,という習慣。。
これは京都でも広島先生というお茶道具の先生が、お家元に米寿の貢献に受賞されたお祝いで、加賀井楼でお茶会をされた時に、歴史的なお道具をお借りした先生ですが、当日、私なんかは振袖を着てますが、普段着でふらっと入ってこられ、ビックリしました。。こういう方が昭和期に江戸時代からの文化を裏方で支えてらしたんだと,頭では理解してますが,まだ、すっきり見えないことが多くて気になり続けています。。
うーん、なんだか哲学や論理学に抱いていた憧れが全部霧のように消えていった講義だった
内容に自己批判性が一切見られないというか普段日常的に自分に甘い人の話を聞いてるようにしか聞こえない
あくまで、この方のレンズを通した哲学や論理学であって、むしろ哲学をやっている人は自分を含む徹底的な懐疑論者であることが多いかと思われるがね。
論理とは「女を論ずる」という意味であり、「仕事」という意味でもあります。
今のままでは子供達を東大に預けるわけにはいきません。
こんな内容ばかりしか東大が提供出来ないから世界的ランキングが落ちまくったのだろうと思います。
公開講座なんだから一般ピーポーでもわかるレベルにしてるんやろ。
世界ランキングって、、、売れ筋?という視点なら、一種のファッション? ファッションって,ファッショに由来した言葉だと聞いたことがあります。。 大きな流れに乗ることの安楽さと社会的な危険性を思うべきでは? ?
安っぽい視点も感じます。。ゴメン
氏の著作は面白く読ませていただいてますが、喋りはあまり上手くないのですね。えーとか、あーとか余計な間が多くてこれでは聞く側が疲れてしまいます。
そうかあ…? 考えながら話し合うことに慣れていないデジタル情報化社会での世代の感性って、、見た目、ぱっと見,パッと聞きで心地よければ条件反射的に脳が開かれ、つまり、、条件反射で動物的に脳が理解や思考の門戸をコントロールされてる,,ってことなのかなあ。。 生理学的にそうなってしまってる、、、というよりもそういう若者を大量生産することで資本主義社会でヒット商品を開発する時にアイデアが限られてるから出しやすい?
もっと卓越した例を東大は提示すべきと思います。人間が動物か否かの例だけではね……
類と種差による定義を説明するのに一番伝統的な例だし、媒概念二義の虚偽って形式的な誤謬を説明したいだけだから、例に君の求めるような具体性は要らないよ。
@@matthewi8706
例に具体性を求めたわけではない。
論理学に魅力を持たせるような卓越した例を東大は随所に提示できた方が良いと思うという個人視聴者の感想だから君なんかはでしゃばるべきではない。
@@tom.o.5488 畑の人間からすれば野暮な要求だよってことは言っとくわ。
@@matthewi8706
生意気言うな!
@@tom.o.5488 ごめんなさい
いらん