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室町時代や戦国時代に平時は5合、戦時は1升食べていたという話について補足ですが平時には健康に良い玄米を5合食べ、戦時には「即効性のエネルギー食」として白米を1升支給されていたようです。
いつも図書館で本を借りて参考文献のあるしっかりした情報を提供してくれてありがとうございます地位が地位なら論文とか出せちゃうレベルだと思いますよ
一つでもいいから広告つければいいのに。このクオリティは資本だと思う。
んだな。でも他で高確率で出てくる、妙にムカつくキャラの怪しいゲームのはNG。
食事の解説を聞くと、その時代のことが身近に感じるから不思議
武士は江戸時代の将軍よりも、室町、戦国の大名の方が質、量とも豪華なのではないか。
利休以前以後で茶の湯が大きく変化していますが、そこらも非常に興味深いですね。屋村要さんのチャンネルは解説に加え独特の深い考察が面白いです。Wikiをなぞっただけの解説動画が増えている中、書籍を読み込み考察を加えてこその面白さであり価値でしょうね。
千利休のお師匠様が武野紹鴎さんで、鞣し革の卸し問屋さんが、職業だったとか。
@@菅沼域雄 知らなかった( ˙◊˙ )
千利休さん単独ではなく、連綿と続いていますから、奥深い。 元々は、鎌倉時代の栄西禅師がお茶を中国(その頃は宋)から伝え、三代将軍・源 実朝の二日酔いを治したのが根付く切っ掛けのようです。室町時代になる頃には、闘茶という賭博性がある遊芸や婆娑羅大名・佐々木道誉を生み→足利八代将軍の東山文化による、華美とは別次元の静寂と、侘び・寂びといった日本独自の美意識を形成→村田珠光→武野紹鴎(千利休の師匠)→千利休→弟子で一際有名な古田織部と細川忠興(三斎)や小堀遠州→表千家裏千家、武者小路千家など家格の成立へと繋がっていく。
庶民にもハレの日などはお祝いに良い食事を・・・・・・という概念が産まれてくる時代市場や商店が産まれ、産地からそれらの扱う運送業が生まれていく商業が発達し江戸時代に繋がっていく
奥村要さんは、知性高めなのに知性を振り撒こうとしないから好き
甘いがウマいと読むの初めて知りました。確かに魚の脂を甘いって表現しますね。
先生、こんばんは。関西では餅が入ってうどんをカチンうどんと呼びますが、うどんの名称の事など全く気にしなかったのですが、先生のお話で知ることが出来ました。米などの品質改良も室町時代からや、今の流通の元となる卸売から小売りの商売をされてた事も凄く勉強になりました。ありがとうございました!
私は室町時代まってましたよ篭城したときの食事とかやってほしい
出来ればの話だけど、古代文明の食事の解説の一環として古代中国の時代の食事の解説や三国志の時代の食事の解説もやってほしいです。
1:40 話がずれるけど、当時は40まで生きればもうだいぶ長生きなんじゃないかな。今も夜盗や山賊が街中を歩いて、薬や医療を全て無くしたらだいぶ短くなりそう。
室町時代、待っていました。最近この時代がブームになってきていますが、あまり知られていない時代でもありますね。あとこの時代が地味に重要だなと思うのは、日本の人口が倍以上増えた時代なんですよね(鎌倉時代は約800万人と言われていますが(時期によって数は変わっていると思いますが)、2000万人ぐらいまで増加したと言われていますね)。それだけ食糧事情の好転や産業の発達など、大きな社会変化があったことを伺わせているんですよね。
いつも楽しみに見ています。すごく丁寧に調べあげていて、とても勉強になります。
味噌を醸造すると、上澄み液が出てくる😲溜まってくる液体だから「たまり」、そこから醤油に発展していったのでしょう😔
このシリーズ好き
島津は、源頼朝の分家ですから鎌倉時代の後だと聞きました。その証拠に、江戸時代に頼朝の墓を再建した島津の石碑が鎌倉にあります。
前回の鎌倉もですがこの辺りから再現できそうな食事が多いですね。
確か三島由紀夫さんの小説のなかに、おかちんが登場してましたね。
だよね。毎回、ありがとうございます。50年以上前に郷里で似た様な食事をしてた。語源についても語ってください。ご本は拝読しますね。
10:12 そうね(無慈悲)
三毛作のお話を聞いて所謂肥溜めを思い出しました。同じ土地で連続して耕作すると どうしても土地が痩せます。そこで大事になるのが肥料ですが化学肥料が無い当時 肥料の原料は人糞になりますが これは発酵させる必要があります。私も子供の頃に肥溜めを見た事があります(本当に古いな)。機会があればご研究下さい。
室町時代戦国時代安土桃山時代重なってしまって曖昧な時代区分動画の作り分けが難しそう
姫飯(今と同じ炊き方)に出汁かけて食ってた室町殿居た気がするな
義政ですね。
8:40 だからお菓子が止まらないのか。俺がデブなのは俺がグルメだって証拠なんだな。
闘茶は婆娑羅大名の佐々木道誉が普及させたとされてますから、派手派手だったんでしょうねぇ
鯉の刺身に山葵酢というのは四条流の包丁にありますね
段々と食事だけでなく文化面でも今の日本的なものが登場する室町時代その中で食事の事を詳細に語っている動画は珍しい楽しませてもらいましたただ、最後に紹介されてた方のことですけど、あの方の動画には極論すぎたり一方的なものも少なくないですので、鵜呑みにせずに少し距離をとって見といた方がいいと思います他のコメント主にもそんな感じのこと書いてる人もいます様に、ちょっと客観的に考えてみたり、立ち位置を変えてみたら、彼の言ってることが極論すぎてしまう様に思える事がありましたのでまあ解説動画というのは大なり小なりそういう面があるものなのでしょうが...
室町時代編、待っていました!!「湯漬け」の話ですが、湯漬けにもピンキリがあって足利将軍クラスの権力者になると、鎌倉時代編で紹介された「昆布と椎茸の出汁」を塩や酒で味付けした現代の料亭で出されるような「お茶漬け」に近い贅沢なものを食べていたようです。大河ドラマ『太平記』でも、出陣中の足利尊氏(真田広之)が湯漬けらしきものを旨そうに食べていたシーンが印象的でしたw「東山文化」と「応仁の乱」で知られる足利義政は、本膳料理のような宴会用の料理は食傷気味だったらしく、禅寺を参詣した際に振る舞われる「繊細で健康的」な精進料理を好み、そうした食生活が幸いしたのか、足利将軍の中では長命(享年56歳)でしたw もっとも息子の義尚は両親や家臣達との「軋轢」が災いしたのか、20代前半でアル中になり、夭折しましたが(~_~;)同じく夭折した足利義量は「10代」でアル中だったとも言われていますΣ(゚Д゚)次に「豆腐」の話ですが、「あん豆腐」ような豆腐料理が将軍のような権力者にも好んで食べられる一方で、少し後世の話になりますが、大河ドラマ『秀吉』の秀吉が出世する前のエピソードで、今は亡き市原悦子さん演じる秀吉の母親らが豆腐を「ご馳走」として食べているシーンが印象深く、鎌倉~戦国期にかけて、「栄養があって食べ応えがある」豆腐が様々な身分の人々の食生活を豊かにした事を実感します。今でも「永平寺」のような名刹で修行する雲水の人々にとって、がんもどきや揚げ出し豆腐は「ささやかな楽しみ」だそうです(^▽^) 室町期、それまでの時代と違い「美食を求める」風潮が生まれたのは、やはり「食生活」を重んじる禅宗の影響が大きいようです。
砂糖は薬扱いっていうか、あんなもんヤクブツだよなぁ…そういう意見も存在してるし、砂糖のなかった時代だとなおさら中毒性とか即効性ヤバいと思うわ
確かに、かちん=餅は今でも使いますよね~。かっちんうどんってここからきてたのか…
応仁の乱から食事が3食朝昼夕になったんだ、それ以前朝夕のみ
焼き餅を入れたうどんのことを、「かちんうどん」と呼んでます。関西オンリーかも知れませんが。時に、「へばな」と仰ることは、もしかして津軽もしくは北秋田に縁ある方?
待ってました、室町時代❗本膳料理の確立した時代だ。酒礼・饗膳・酒宴の三部からなる本格的な料理。我々がイメージする日本料理を形作った形式だ。別のサイトで改めて確認した次第で、室町時代と安土桃山時代と別々になって入ってきて嬉しいです。 北陸の小京都、本膳式が正式だが、会席式に献立は変遷し、①先付、鰯小糠漬けと卸大根と針茗荷②差味、車鯛昆布〆と甘海老と白鬚大根とワサビ、紫蘇③吸い物、柚餅子と白山ナメコ④盛合せ、バイ貝と鰌の蒲焼きと紅白蒲鉾、胡桃豆腐、枝豆。⑤焼物、鯛の唐蒸し、⑥煮物、治部煮。⑦酢の物、ナマコ。⑧止椀、清汁に蓮根つくねと青味⑨蓮飯と成る。 甘味の代表・饅頭や羊羹。室町時代まで、塩飴や野菜餡、肉餡を詰めていたが、芋や小豆餡に変わり根付き始めたこと。砂糖の国産化が進むまで、甘いことは贅沢だ、と言うことが分かります。 特に、足利将軍家は徳川将軍家とは別の意味で影響を及ぼしました。色濃く残るのが、能楽や連歌、茶道や華道、書院造の邸宅と枯山水の庭園、雪舟の水墨画など。書院造は、禅宗寺院の書斎の形式を取り入れたもので、今日の日本風住宅の原型となったものです♥ ちなみに、一休禅師や雪舟禅師、狩野派が活躍した時代でもあります。
にっぽん歴史探検にまた丸パクリされています。どうして人様のものをこうも恥ずかしげもなくパクれるのでしょうか?こんな嫌がらせに負けずに動画制作頑張ってください。応援しています。
図書館の本って、連続では借りられないもんね、なんか身につまされる。「農業生産力」って日本史にはあまり出てこない用語だと思う。世界史だと史的唯物論的発想があるけど、日本史には、だれが、何したとかいう出来事ばかりで、表面的な事象しか取り上げないように思う。ところで、ヒエ粥ってどうやって作るのでしょうか?調理方法も紹介してください。
素晴らしい動画 ありがとー😆💕✨食べ物は 人間生活の基本です室町時代の前期と後期ではまったく別物だと 思います?
昭和39年代の食事について、の解説お願いします。
かちん=餅は蕎麦屋を回ってるとたまに見かける
とんでもねぇ待ってたんだ‼︎
お茶漬け、今は抹茶を使うこともあるのに、当時はなかったのかー
狂言にある「ぶす」の中で、「黒う どんみりとして、うまそうなもの」という表現があります。これが当時の砂糖なら、粉状になる前の黒蜜の様な形状だったのでしょうかね?おいしそうですけど。😋
黒糖だったのかな
足利義政の湯漬けは柔らかい姫飯を冷ましたのを水で洗ってぬめりを落とし昆布と椎茸で取った出汁をかけて食べてたみたいですね。
こっち↓の動画で詳しくやってたから見たけど姫飯だったのか…一晩寝かせた出汁に塩と酒で味付けした汁にご飯を浸して食べるという、一見簡素な料理に結構な手間をかけた贅沢さがあるとかさすが文化人である義政だけにセンスいいなと思いましたwth-cam.com/video/iplk0UlNDi8/w-d-xo.html
@@snd00261jp さんリンク貼って教えてくれてありがとう!!面白かったです。花緑懐かし過ぎてめっちゃ楽しめました♡
一休さんの生きていた時代
0:20_人人人人人人_ >あっプシュ!!!<  ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
日本の食事が1日3食になったのは江戸時代からだと思っていたので勉強になりました。武士は遅かったみたいですがそれでも19世紀になるまで1日2食だったヨーロッパよりは早かったでしょうね。あと屋村要さんのチャンネル紹介も出て来てびっくりしました。大体いつも見させて頂いておりますが、あの方のチャンネルはコメ欄もレベル高い方が多くて面白いですね
お前のレベルが低いんだろ
@@ALLOFALL いきなりこんなコメント返してきてお前もかなりレベル低いなw
もののけ姫はこの時代らしいな
紹介される前にどっちの実況も知ってたwお茶も作法やら器の鑑賞がマナーになってて面倒くさい。利休の理念と離れてるんじゃないかな。人を不快にさせないマナーは大事だけど、意味もわからないただの手順は嫌じゃ。
塩抜き1週間やらされたけど死ななかったぞ
1週間だけで終わったからじゃない?動画では2週間やったら死ぬって言ってるし
これはうっかりしていってねでしたわw
病気で入院中は普通のご飯が食べれ無くて、お粥ばかり食べてたな。昔から湯漬けやお粥が好きだったから、普通のご飯を食べろって言われても食べなかったなぁ。今もお粥が日常食だよ。
食事=財力になっていく感じかな?
室町時代の食文化がそのまま受け継がれていたら和食は基本味気ないという私が評価が変わっていたかもしれない…。そう言えば私も人並み以上に大食漢な所があるが、それはある意味ご先祖様が武家の末裔だからというのが関係しているんだろうか…?
???「蘭丸ーーーーー‼俺にも湯漬けを持ていッ はーーーいいないよミャー知ってまーーーす」
あー屋村さんの影響受けてる人ね。言われるとなんとなく似てる雰囲気ありますね。あの人も悪くないんだけど考え方が独特すぎて着いていけなくなって登録外したんですよね。面白くて楽しみにしてた時期もあってんですけどね。地政学って良くも悪くも政治思想混じるんでなんかやっぱりどっちかに寄るんですよね。あんま偏ったもんばっか見てるとアレな人になるんで外の空気入れたほうが良いっすよ。
あれだけ独特だと「どっちか」の2極で語るのは無理でしょ
1番!
うーん、上流階級の食事はかなり美味そうになってきたわけですが庶民はどんな物を食べていたのでしょうか。冷害があったりしたら飢え死にするしかなかったんでしょうかね。
毎回思うのだが、チャンネル登録とグッドボタンを「それぞれ2回ずつ」押したら、どちらも元に戻るような気が・・・
カワウソを食べてたのか
チャンネル登録ボタンもグッドボタンも2度押したらキャンセルになるんじゃね?
室町時代や戦国時代に平時は5合、戦時は1升食べていたという話について補足ですが
平時には健康に良い玄米を5合食べ、戦時には「即効性のエネルギー食」として白米を1升支給されていたようです。
いつも図書館で本を借りて参考文献のあるしっかりした情報を提供してくれてありがとうございます
地位が地位なら論文とか出せちゃうレベルだと思いますよ
一つでもいいから広告つければいいのに。このクオリティは資本だと思う。
んだな。でも他で高確率で出てくる、妙にムカつくキャラの怪しいゲームのはNG。
食事の解説を聞くと、その時代のことが身近に感じるから不思議
武士は江戸時代の将軍よりも、
室町、戦国の大名の方が質、量とも
豪華なのではないか。
利休以前以後で茶の湯が大きく変化していますが、そこらも非常に興味深いですね。屋村要さんのチャンネルは解説に加え独特の深い考察が面白いです。Wikiをなぞっただけの解説動画が増えている中、書籍を読み込み考察を加えてこその面白さであり価値でしょうね。
千利休のお師匠様が武野紹鴎さんで、
鞣し革の卸し問屋さんが、職業だったとか。
@@菅沼域雄 知らなかった( ˙◊˙ )
千利休さん単独ではなく、連綿と続いていますから、奥深い。
元々は、鎌倉時代の栄西禅師がお茶を中国(その頃は宋)から伝え、三代将軍・源 実朝の二日酔いを治したのが根付く切っ掛けのようです。室町時代になる頃には、闘茶という賭博性がある遊芸や婆娑羅大名・佐々木道誉を生み→足利八代将軍の東山文化による、華美とは別次元の静寂と、侘び・寂びといった日本独自の美意識を形成→村田珠光→武野紹鴎(千利休の師匠)→千利休→弟子で一際有名な古田織部と細川忠興(三斎)や小堀遠州→表千家裏千家、武者小路千家など家格の成立へと繋がっていく。
庶民にもハレの日などはお祝いに良い食事を・・・・・・という概念が産まれてくる時代
市場や商店が産まれ、産地からそれらの扱う運送業が生まれていく
商業が発達し江戸時代に繋がっていく
奥村要さんは、知性高めなのに知性を振り撒こうとしないから好き
甘いがウマいと読むの初めて知りました。確かに魚の脂を甘いって表現しますね。
先生、こんばんは。
関西では餅が入ってうどんをカチンうどんと呼びますが、うどんの名称の事など全く気にしなかったのですが、先生のお話で知ることが出来ました。米などの品質改良も室町時代からや、
今の流通の元となる卸売から小売りの商売をされてた事も凄く勉強になりました。
ありがとうございました!
私は室町時代まってましたよ
篭城したときの食事とかやってほしい
出来ればの話だけど、古代文明の食事の解説の一環として古代中国の時代の食事の解説や三国志の時代の食事の解説もやってほしいです。
1:40 話がずれるけど、当時は40まで生きればもうだいぶ長生きなんじゃないかな。今も夜盗や山賊が街中を歩いて、薬や医療を全て無くしたらだいぶ短くなりそう。
室町時代、待っていました。
最近この時代がブームになってきていますが、あまり知られていない時代でもありますね。
あとこの時代が地味に重要だなと思うのは、日本の人口が倍以上増えた時代なんですよね(鎌倉時代は約800万人と言われていますが(時期によって数は変わっていると思いますが)、2000万人ぐらいまで増加したと言われていますね)。
それだけ食糧事情の好転や産業の発達など、大きな社会変化があったことを伺わせているんですよね。
いつも楽しみに見ています。
すごく丁寧に調べあげていて、とても勉強になります。
味噌を醸造すると、上澄み液が出てくる😲
溜まってくる液体だから「たまり」、そこから醤油に発展していったのでしょう😔
このシリーズ好き
島津は、源頼朝の分家ですから鎌倉時代の後だと聞きました。その証拠に、江戸時代に頼朝の墓を再建した島津の石碑が鎌倉にあります。
前回の鎌倉もですがこの辺りから再現できそうな食事が多いですね。
確か三島由紀夫さんの小説のなかに、おかちんが登場してましたね。
だよね。毎回、ありがとうございます。
50年以上前に郷里で似た様な食事をしてた。
語源についても語ってください。
ご本は拝読しますね。
10:12 そうね(無慈悲)
三毛作のお話を聞いて所謂肥溜めを思い出しました。
同じ土地で連続して耕作すると どうしても土地が痩せます。
そこで大事になるのが肥料ですが化学肥料が無い当時 肥料の原料は人糞になりますが これは発酵させる必要があります。
私も子供の頃に肥溜めを見た事があります(本当に古いな)。
機会があればご研究下さい。
室町時代
戦国時代
安土桃山時代
重なってしまって曖昧な時代区分
動画の作り分けが難しそう
姫飯(今と同じ炊き方)に出汁かけて食ってた室町殿居た気がするな
義政ですね。
8:40 だからお菓子が止まらないのか。俺がデブなのは俺がグルメだって証拠なんだな。
闘茶は婆娑羅大名の佐々木道誉が普及させたとされてますから、派手派手だったんでしょうねぇ
鯉の刺身に山葵酢というのは四条流の包丁にありますね
段々と食事だけでなく文化面でも今の日本的なものが登場する室町時代
その中で食事の事を詳細に語っている動画は珍しい
楽しませてもらいました
ただ、最後に紹介されてた方のことですけど、あの方の動画には極論すぎたり一方的なものも少なくないですので、鵜呑みにせずに少し距離をとって見といた方がいいと思います
他のコメント主にもそんな感じのこと書いてる人もいます様に、ちょっと客観的に考えてみたり、立ち位置を変えてみたら、彼の言ってることが極論すぎてしまう様に思える事がありましたので
まあ解説動画というのは大なり小なりそういう面があるものなのでしょうが...
室町時代編、待っていました!!「湯漬け」の話ですが、湯漬けにもピンキリがあって足利将軍クラスの権力者になると、鎌倉時代編で紹介された「昆布と椎茸の出汁」を塩や酒で味付けした現代の料亭で出されるような「お茶漬け」に近い贅沢なものを食べていたようです。大河ドラマ『太平記』でも、出陣中の足利尊氏(真田広之)が湯漬けらしきものを旨そうに食べていたシーンが印象的でしたw
「東山文化」と「応仁の乱」で知られる足利義政は、本膳料理のような宴会用の料理は食傷気味だったらしく、禅寺を参詣した際に振る舞われる「繊細で健康的」な精進料理を好み、そうした食生活が幸いしたのか、足利将軍の中では長命(享年56歳)でしたw もっとも息子の義尚は両親や家臣達との「軋轢」が災いしたのか、20代前半でアル中になり、夭折しましたが(~_~;)同じく夭折した足利義量は「10代」でアル中だったとも言われていますΣ(゚Д゚)
次に「豆腐」の話ですが、「あん豆腐」ような豆腐料理が将軍のような権力者にも好んで食べられる一方で、少し後世の話になりますが、大河ドラマ『秀吉』の秀吉が出世する前のエピソードで、今は亡き市原悦子さん演じる秀吉の母親らが豆腐を「ご馳走」として食べているシーンが印象深く、鎌倉~戦国期にかけて、「栄養があって食べ応えがある」豆腐が様々な身分の人々の食生活を豊かにした事を実感します。
今でも「永平寺」のような名刹で修行する雲水の人々にとって、がんもどきや揚げ出し豆腐は「ささやかな楽しみ」だそうです(^▽^) 室町期、それまでの時代と違い「美食を求める」風潮が生まれたのは、やはり「食生活」を重んじる禅宗の影響が大きいようです。
砂糖は薬扱いっていうか、あんなもんヤクブツだよなぁ…そういう意見も存在してるし、砂糖のなかった時代だとなおさら中毒性とか即効性ヤバいと思うわ
確かに、かちん=餅は今でも使いますよね~。かっちんうどんってここからきてたのか…
応仁の乱から食事が3食朝昼夕になったんだ、それ以前朝夕のみ
焼き餅を入れたうどんのことを、「かちんうどん」と呼んでます。関西オンリーかも知れませんが。
時に、「へばな」と仰ることは、もしかして津軽もしくは北秋田に縁ある方?
待ってました、室町時代❗本膳料理の確立した時代だ。酒礼・饗膳・酒宴の三部からなる本格的な料理。我々がイメージする日本料理を形作った形式だ。別のサイトで改めて確認した次第で、室町時代と安土桃山時代と別々になって入ってきて嬉しいです。
北陸の小京都、本膳式が正式だが、会席式に献立は変遷し、①先付、鰯小糠漬けと卸大根と針茗荷②差味、車鯛昆布〆と甘海老と白鬚大根とワサビ、紫蘇③吸い物、柚餅子と白山ナメコ④盛合せ、バイ貝と鰌の蒲焼きと紅白蒲鉾、胡桃豆腐、枝豆。⑤焼物、鯛の唐蒸し、⑥煮物、治部煮。⑦酢の物、ナマコ。⑧止椀、清汁に蓮根つくねと青味⑨蓮飯と成る。
甘味の代表・饅頭や羊羹。室町時代まで、塩飴や野菜餡、肉餡を詰めていたが、芋や小豆餡に変わり根付き始めたこと。砂糖の国産化が進むまで、甘いことは贅沢だ、と言うことが分かります。
特に、足利将軍家は徳川将軍家とは別の意味で影響を及ぼしました。色濃く残るのが、能楽や連歌、茶道や華道、書院造の邸宅と枯山水の庭園、雪舟の水墨画など。書院造は、禅宗寺院の書斎の形式を取り入れたもので、今日の日本風住宅の原型となったものです♥
ちなみに、一休禅師や雪舟禅師、狩野派が活躍した時代でもあります。
にっぽん歴史探検にまた丸パクリされています。
どうして人様のものをこうも恥ずかしげもなくパクれるのでしょうか?
こんな嫌がらせに負けずに動画制作頑張ってください。応援しています。
図書館の本って、連続では借りられないもんね、なんか身につまされる。「農業生産力」って日本史にはあまり出てこない用語だと思う。世界史だと史的唯物論的発想があるけど、日本史には、だれが、何したとかいう出来事ばかりで、表面的な事象しか取り上げないように思う。ところで、ヒエ粥ってどうやって作るのでしょうか?調理方法も紹介してください。
素晴らしい動画 ありがとー😆💕✨
食べ物は 人間生活の基本です
室町時代の前期と後期では
まったく別物だと 思います?
昭和39年代の食事について、の解説お願いします。
かちん=餅は蕎麦屋を回ってるとたまに見かける
とんでもねぇ待ってたんだ‼︎
お茶漬け、今は抹茶を使うこともあるのに、当時はなかったのかー
狂言にある「ぶす」の中で、「黒う どんみりとして、うまそうなもの」という表現があります。これが当時の砂糖なら、粉状になる前の黒蜜の様な形状だったのでしょうかね?おいしそうですけど。😋
黒糖だったのかな
足利義政の湯漬けは柔らかい姫飯を冷ましたのを水で洗ってぬめりを落とし昆布と椎茸で取った出汁をかけて食べてたみたいですね。
こっち↓の動画で詳しくやってたから見たけど姫飯だったのか…一晩寝かせた出汁に塩と酒で味付けした汁にご飯を浸して食べるという、一見簡素な料理に結構な手間をかけた贅沢さがあるとかさすが文化人である義政だけにセンスいいなと思いましたw
th-cam.com/video/iplk0UlNDi8/w-d-xo.html
@@snd00261jp さん
リンク貼って教えてくれてありがとう!!
面白かったです。
花緑懐かし過ぎてめっちゃ楽しめました♡
一休さんの生きていた時代
0:20
_人人人人人人_
>あっプシュ!!!<
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
日本の食事が1日3食になったのは江戸時代からだと思っていたので勉強になりました。武士は遅かったみたいですがそれでも19世紀になるまで1日2食だったヨーロッパよりは早かったでしょうね。あと屋村要さんのチャンネル紹介も出て来てびっくりしました。大体いつも見させて頂いておりますが、あの方のチャンネルはコメ欄もレベル高い方が多くて面白いですね
お前のレベルが低いんだろ
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お茶も作法やら器の鑑賞がマナーになってて面倒くさい。利休の理念と離れてるんじゃないかな。
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1週間だけで終わったからじゃない?動画では2週間やったら死ぬって言ってるし
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病気で入院中は普通のご飯が食べれ無くて、お粥ばかり食べてたな。昔から湯漬けやお粥が好きだったから、普通のご飯を食べろって言われても食べなかったなぁ。今もお粥が日常食だよ。
食事=財力になっていく感じかな?
室町時代の食文化がそのまま受け継がれていたら和食は基本味気ないという私が評価が変わっていたかもしれない…。
そう言えば私も人並み以上に大食漢な所があるが、それはある意味ご先祖様が武家の末裔だからというのが関係しているんだろうか…?
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あー屋村さんの影響受けてる人ね。言われるとなんとなく似てる雰囲気ありますね。
あの人も悪くないんだけど考え方が独特すぎて着いていけなくなって登録外したんですよね。
面白くて楽しみにしてた時期もあってんですけどね。
地政学って良くも悪くも政治思想混じるんでなんかやっぱりどっちかに寄るんですよね。
あんま偏ったもんばっか見てるとアレな人になるんで外の空気入れたほうが良いっすよ。
あれだけ独特だと「どっちか」の2極で語るのは無理でしょ
1番!
うーん、上流階級の食事はかなり美味そうになってきたわけですが庶民はどんな物を食べていたのでしょうか。冷害があったりしたら飢え死にするしかなかったんでしょうかね。
毎回思うのだが、チャンネル登録とグッドボタンを「それぞれ2回ずつ」押したら、どちらも元に戻るような気が・・・
カワウソを食べてたのか
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