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7:42 千代田線乗り入れ(複々線化前)までは南柏駅には中線があって、折り返し運転に利用されてた。
新性能車が後天的改造を受けない登場時の姿!当たり前ですが、登場時が一番美しい。ATCクハ103や、シールドビームクハ111は美形とは言い難いですね。四隅にRのある客窓も、どことなく優しげな表情で好きです。海水浴臨電も、良き思い出です。
古き良き時代の記録です。あの頃は何やかやといっても,活気がありました。相当数の旧性能電車も残っていました。京浜東北線の新性能化が,遅れたようなイメージがありました。今ある臨時列車も、もうこの当時には走っていたのですね。吊り掛け車は、ギア部分にオイルを注すので、少し油っぽい臭いがしました。出っ張ったウインドシール、リベットを打った車体、プレス跡のある片引きドア、屋根上のヘッドライト、前面にぶら下がるパン上げワイヤー、ワックスがけの木造の床やニス塗の木造の壁。これに対しカルダン車は基本的には今の車両と変わらず、そのスムーズな加速性能には、雲泥の差がありました。新性能車(113系、115系、153系、165系など)の定期列車に、荷物車や郵便車の旧性能車(クモユニ74、クモユニ82,クモ二83)が併結されて走っている列車もありました。旧性能車の荷物車などの音が異様に大きかったので、まるで新性能車を引っ張る機関車のようにも見えました。一瞬の錯覚です。やがて旧性能車は、身延線や飯田線、大糸線などに集結して、その余生を送っていました。周囲の山々にその吊り掛け音がこだましていました。二度と戻らない、いにしえの記憶です。
小学生時代に当時を知る世代として大変興味深く、また懐かしく拝見しました。0:59の所で登場する101系の試作車、1966年当時は固定ガラスがHゴム支持に変えられた車輌もあった一方でもまだ画像のような、量産車と比べてスマートな外観を保っていた車輌も残っていましたね。当時1~2回乗った記憶があり、内装にも量産車と差異があったので50年以上経過した今なお特に印象に残っています。この画像に写っている鉄道博物館の保存車は後年、外観も量産車と同様になりましたが車内は往時の面影を残していますね。また8:47で登場するサロ75の姿写真も珍しいですし、10:26でクハ86022の横に写っているナハ11 11も旧型客車ファン、とりわけ車輌ナンバーに関心のある人には興味深いと思います。スト権闘争の張り紙だらけの電車も、今となれば当時の世相を伝える貴重な記録と言えるでしょう。UPに感謝申し上げます。
大船開業は1973年では?
近い親戚が三鷹に住んでいましたので、お茶の水から乗る私としては特快に乗り合わせると中野から先ノンストップでラッキーな気分でしたね学校がある四ツ谷から帰りに乗る総武線は、茶色い車両が片開きの扉の中央に手すりが立っていました黄色い新しい車両より油っぽい匂いがしていた記憶があります
こんばんは、総武線緩行の中央色乗務しましたね。チャの駅で旅客より黄色じゃないよと言わたことを思いだしますね、まだ総武線は、冷房車が少なく中央や京浜のお古がきて対応してました。201系、カノ持ち103系が津田沼持ちで運転してました。大変いい思いで写真ありがとうございます。
赤羽線に101が入る前は7両で、古めかしいサハが入っていたのを覚えています。京浜東北線の桜木町方にクハ55の編成があり、これまた車内がひと時代古い感じでした。73系がかなり遅くまで走っていたので、田端からの並走区間では、新性能とのブレーキ能力と加速性能の違いを見せつけられました。
1964年生まれ川崎出身。小学生の時にこっそり一人で中央線総武線山手線あたりに乗る事が遊び場でした(笑)当時子供料金一駅が¥10(川崎~尻手)だったので、それを買って一切改札を出ずに乗って乗って乗りまくって最後に尻手で降りる事をしてたのを思い出しました( ノД`)…小学生時代の思い出深い車輌です。ホーム路線は東海道線なのでオレンジ&緑の昔の車輌が動画に出た時にじ~んと感じちゃいました・゜・(つД`)・゜・
前面に大幅賃上、側面に国鉄運賃値上げ反対とはこれ如何に
7:42 千代田線乗り入れ(複々線化前)までは南柏駅には中線があって、折り返し運転に利用されてた。
新性能車が後天的改造を受けない登場時の姿!当たり前ですが、登場時が一番美しい。ATCクハ103や、シールドビームクハ111は美形とは言い難いですね。四隅にRのある客窓も、どことなく優しげな表情で好きです。海水浴臨電も、良き思い出です。
古き良き時代の記録です。あの頃は何やかやといっても,活気がありました。
相当数の旧性能電車も残っていました。京浜東北線の新性能化が,遅れたようなイメージがありました。
今ある臨時列車も、もうこの当時には走っていたのですね。
吊り掛け車は、ギア部分にオイルを注すので、少し油っぽい臭いがしました。出っ張ったウインドシール、リベットを打った車体、プレス跡のある片引きドア、屋根上のヘッドライト、前面にぶら下がるパン上げワイヤー、ワックスがけの木造の床やニス塗の木造の壁。
これに対しカルダン車は基本的には今の車両と変わらず、そのスムーズな加速性能には、雲泥の差がありました。
新性能車(113系、115系、153系、165系など)の定期列車に、荷物車や郵便車の旧性能車(クモユニ74、クモユニ82,クモ二83)が併結されて走っている列車もありました。旧性能車の荷物車などの音が異様に大きかったので、まるで新性能車を引っ張る機関車のようにも見えました。一瞬の錯覚です。
やがて旧性能車は、身延線や飯田線、大糸線などに集結して、その余生を送っていました。周囲の山々にその吊り掛け音がこだましていました。二度と戻らない、いにしえの記憶です。
小学生時代に当時を知る世代として大変興味深く、また懐かしく拝見しました。0:59の所で登場する101系の試作車、1966年当時は固定ガラスがHゴム支持に変えられた車輌もあった一方でもまだ画像のような、量産車と比べてスマートな外観を保っていた車輌も残っていましたね。当時1~2回乗った記憶があり、内装にも量産車と差異があったので50年以上経過した今なお特に印象に残っています。この画像に写っている鉄道博物館の保存車は後年、外観も量産車と同様になりましたが車内は往時の面影を残していますね。
また8:47で登場するサロ75の姿写真も珍しいですし、10:26でクハ86022の横に写っているナハ11 11も旧型客車ファン、とりわけ車輌ナンバーに関心のある人には興味深いと思います。
スト権闘争の張り紙だらけの電車も、今となれば当時の世相を伝える貴重な記録と言えるでしょう。
UPに感謝申し上げます。
大船開業は1973年では?
近い親戚が三鷹に住んでいましたので、お茶の水から乗る私としては特快に乗り合わせると中野から先ノンストップでラッキーな気分でしたね
学校がある四ツ谷から帰りに乗る総武線は、茶色い車両が片開きの扉の中央に手すりが立っていました
黄色い新しい車両より油っぽい匂いがしていた記憶があります
こんばんは、総武線緩行の中央色乗務しましたね。チャの駅で旅客より黄色じゃないよと言わたことを思いだしますね、まだ総武線は、冷房車が少なく中央や京浜のお古がきて対応してました。201系、カノ持ち
103系が津田沼持ちで運転してました。大変いい思いで写真ありがとうございます。
赤羽線に101が入る前は7両で、古めかしいサハが入っていたのを覚えています。
京浜東北線の桜木町方にクハ55の編成があり、これまた車内がひと時代古い感じでした。73系がかなり遅くまで走っていたので、田端からの並走区間では、新性能とのブレーキ能力と加速性能の違いを見せつけられました。
1964年生まれ川崎出身。小学生の時にこっそり一人で中央線総武線山手線あたりに乗る事が遊び場でした(笑)当時子供料金一駅が¥10(川崎~尻手)だったので、それを買って一切改札を出ずに乗って乗って乗りまくって最後に尻手で降りる事をしてたのを思い出しました( ノД`)…小学生時代の思い出深い車輌です。ホーム路線は東海道線なのでオレンジ&緑の昔の車輌が動画に出た時にじ~んと感じちゃいました・゜・(つД`)・゜・
前面に大幅賃上、側面に国鉄運賃値上げ反対とはこれ如何に