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素敵な動画ありがとうございます。この頃はまだ生まれてないので快速せたな号は初めて聞きましたが、映像とナレーションで雰囲気とか光景がすごく分かりやすかったです
それは、よかったですね。御視聴ありがとうございます。
いやぁ、、、 懐かしい 1980年小学生の頃、父の遠縁の親戚を訪ね東京から行った時の事を思い出します、、 札幌から移動し長万部で乗り換え、今は無き瀬棚駅、、 帰りは快速で函館まで行きました、私がオイシイオイシイ言ったので親戚のおばさんが駅まで甘納豆の赤飯をホームまで持ってきてくれたのも懐かしい、、 動画ありがとうございます!!
いろんな人が色んな思い出があって、それがよみがえるのですね。
こんにちは。乗りたかったです。こんなのんびり風景、今ではなかなかお目にかかれないですね。乗ったことがないのに、懐かしさと寂しさでちょっと涙が・・。
私も、北海道のこの列車は、これが最初で最後でした。でも、今思えば、何もかもが最初で最後なのだなって感じるのです。
函館に住む者として、この映像には胸を熱くさせるものがありました。私は社会人になるまで北海道では函館と札幌くらいしか知りませんでしたが、仕事を通じて周辺自治体に住み込みで働く経験がありました。八雲、せたな、森、実際に住んでみましたが、寂れていく一方です。(蛇足ですが、函館の人口は2016年の1年間で3000人減です。その半数以上が仕事を求めて出て行ってしまった人たちです。)新幹線が新八雲まで開通すると、函館~八雲間の函館本線は第三セクターになってしまうでしょう。貨物列車が走っている手前、なくなることはないと思いますが。
メッセージありがとうございます。私の住んでいるところもそうですが、地方はみな、車社会で鉄道は、利用しないです。と言うのは、駅からバスに乗って家まで帰らないと行けないような場所に住宅地が出来、その住宅地にバスが1日に数本しかない。これじゃーみんな車に乗るでしょう。北海道は、まだ駅近くに家が集中しているので、そんなことはないと思いますが、とにかく 地方鉄道は、長距離移動の人しか利用しないようになってきているのではないでしょうか。 仕事が無い。それも地方の抱える問題ですね。利用者の減少は、人口の減少とも関係があるようで、第三セクターになったら、もっと便利になれば良いと思うのですが難しいですね。
両親が函館出身で、私も長く本籍が函館でした。東高校が道立から市立になったり、GLAYのメンバーの母校でもある稜北高校まで来春統合と聞いてますが、隔世の感がありますね。従前から函館駅や五稜郭駅で乗降する高校生の数が激減して、以前なら制服姿で溢れかえっていた両駅も朝晩とて観光客が殆どになってしまいました。20時頃の普通列車に急ぐ部活、塾、遊び帰りの学生さんたちは、卒業後は札幌や東京に出てしまって、戻るにも戻る職が無いのでしょうね・・・。><
初めまして。当時のDMH17のエンジン音と金属バネ台車が懐かしいですね。私は福島県会津に居たので当時は国鉄時代の磐越西線と只見線マニアでした。特に急行列車が大好きで58系気動車では、磐越西線のいいで号(上野ー新潟)、あがの号(仙台ー新潟)、只見線では東北地区で最後まで残っていた奥只見号(会津若松ー浦佐)。455系電車急行は、ばんだい号(上野ー喜多方)に、よく乗車していました。東北と上越新幹線開通前は旧客も含め、国鉄車両だらけでしたよね。あの時代が懐かしいです。ホームには沢山の色分けされた急行、特急乗車口プレート、銀色の熱いお湯が入った台車を運ぶ弁当屋さんなど。薄いビニールパックに入った熱いお茶や冷凍みかん。話せばきりが無いですね。この動画を見て色々思い出します。
メッセージありがとうございます。福島県におられたそうで、私は学生時代もう40年前になりますが、奥羽本線の山形から先が電化される前に撮り鉄に行きました。夏だったのですが、磐越西線にも乗りました。急行にも乗ったのですが、郡山から川桁までの上り勾配が、急行のキハ58の方が、旧客の普通列車よりも遅いのです。そんな思い出があります。その後、再び磐越西線を訪れましたが、もう走る列車もすっかり変わってしまっていました。新幹線が走り、便利になったはずなのに、何か昔の方が良かったなって感じました。
国鉄時代の鉄道ファン こちらこそご返信いただきありがとうございます。本当に思います。国鉄時代の良さを。また、動画を思い出のように視聴させていただきます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
こちらこそ、よろしくお願いします。
素晴らしいですね!往年の長万部、国縫駅の賑わいが見れて最高です!今の長万部駅の静けさ、無人の国縫駅・・・みんな遠い記憶になってしまいそうですね・・・。
今は、そんなに寂れたのですか?長万部は、特急おおとりを撮影したので、思い出深い駅です。また、少し国道を函館方面に行ったところに「浜ちゃんぽん」と言うラーメン屋があって、ラーメンを食べました。
@@HobbyVideos さん、返信ありがとうございます。長万部駅前をウロウロする様になったのは最近でして、往年の賑わいというのは実感したことがありません・・・。ただ、C62重連時代も含め、山線側のホームには「そばスタンド」もあり、ご存知「かにめし」の立ち売りは列車到着時は常に立っていた様です。最近は色んな当時の写真や映像が世に出てきて、ワクワクしながら見ております。^^私的なお話を申し上げると、祖父の姉がお店をやっていた様ですが、ご存知の通り、かつては長万部といえば山線はC62、室蘭本線もD52という機関車の集う要衝でした。大伯母のお店も、昼は食事、夜は飲み屋、当時からして「24時間営業」だったそうです。(とうの昔に閉店)乗務を終えて、機関区や駅構内の職員氏が集まるお店だったようで。その場にいたら、神の如き強者が集っていたのに・・・と、残念仕切りです。国縫駅は瀬棚線の分岐駅でもあり、かつては「急行ニセコ」も止まる駅でした。今も立派な駅舎は残っているものの、全てに鍵が掛かっており、保線の方が時々使う程度の様です。当然無人駅です。そんな名門の駅までが、人っ子一人いない無人駅になり、普通列車に乗っても「乗降客1人居ない」様子を見ると、大変寂しい思いになるものです・・・。
なるほど、夜は飲み屋って、昔は良かったですね。仕事を終わって、機関士たちがいつもの飲み屋で一杯・・・・なんちゃって。これから乗務する人はどうなったのでしょうか。まあ、一杯くらいは良いじゃないか・・・・なんちゃって(笑)・・・・・やば!
@@HobbyVideos さん。当然、勤務終了後、です。蒸気機関車は全てがマニュアルですから、生半可な事は出来ません。何より、小樽築港機関区は名うての腕利き揃いで、しかも難所続きの超難航区間でしたから、相当意識高い系が多かった様です。このあたりは、ネコパブリッシングから発刊された「甲組の肖像」に詳しいです。大変僭越な事を云わせて頂ければ、自動運転、電気信号、レバーだけでブレーキが掛かる現代の電車運転士には、想像もつかない過酷な職場だったと思いますね。^^
@@HobbyVideos 浜ちゃんぽん、まだありますよ
運転士(長万部~国縫~瀬棚~函館間)は万運区、車掌は瀬棚~国縫間が万車区で、長万部~函館間が函車区。懐かしいですね。
メッセージありがとうございます国鉄の内部の事は全然分かりませんが、懐かしく見ていただいてありがとうございます。
乗ってみたかったなあ~
メッセージありがとうございます。せめて、この映像で楽しんでください。
懐かしいですね!この当時16才ですがこの列車で長万部から函館に遊びに行くのがほんと楽しみだった中学、高校時代でした!
なるほど、良い思い出ですね。今は、何で函館に行く事が出来るのかな?
@@HobbyVideos 今は快速はなくなって朝6時半くらいに出発の普通列車に乗ると同じくらいの時間帯に函館に着きます。もしくは特急ですね。今は函館住みなので乗ることはありませんが(^^;)
もっと前は、急行せたな号でしたね。乗ってみたかった。
もっと前は、私も分かりません。急行だったのですね。
最初のナレーションが良い雰囲気を出してますね。昔話が始まる様な感じで、昔の世界に引き込まれていく感じがしました。
メッセージありがとうございます。いつも、思いつくままに喋っているので何を喋ったか、聞きなおしました。まあ、昔の映像なので、こんなオープニングになってしまうのかな(笑)
1990年代生まれの僕からすると、とても素晴らしい時代だなあと思いました。今後、新幹線が伸びたら存続自体厳しくなってきますね・・・昔を知る動画、ありがたいです。
メッセージありがとうございます。「今後、新幹線が伸びたら存続自体厳しくなってきますね・・・」その通り!今でも、線路は特急のために有るようなもので、少ないローカル列車の本数では地元の人はみなマイカーを利用します。
現状はJR北海道自体がもう赤字でもう新幹線どうこうではないです‼JR東に吸収されるのもそう遅くはないと感じます
@@HobbyVideos 新幹線がそもそもこれ以上伸びなくても良かったようなネットワークを考えると盛岡以北は無駄です
割りとアクロバティックな運用が快速になっても残っていたとは。そういえば、「せたな」の車両は客車列車の後ろにぶら下がって熱郛まで回送されていたような。あと、快速に格下げされてからキハ27が充当されるようになったとはなんとも皮肉... (初コメなのに長々すみません😣💦⤵️)
客車の後ろのぶら下がって熱郛まで回送ですか?色んな運用があったのですね。
懐かしいですね。瀬棚線は1987年の最終日に乗り、超満員だったのを覚えています。すれ違う旧型客車やキハ82北斗もいいですね。運転士の服装は今の方がおしゃれですね。
メッセージありがとうございます。みんな、おかしいですよね。廃止になると言うと、一杯乗るのだから。私は、特急「おおとり」ばかりを追いかけていて、まさかこんなに一杯廃止になる線路があったなんて、想像もしませんでした。今の運転士の服装はどんなファッションなのか、分かりませんが、当時は地味だったのかな?帽子も北海道は丸帽を使っていたみたいですね。
ボックスシートに灰皿が設置されているのが懐かしい。
メッセージありがとうございます。昔は、それが当たり前の時代なのです。「タバコは、100害有って利益なし」って言われてますが、でも、大人は煙草を吸う人が多かった、それが普通だったと言う感じですね。それが、嫌煙権とか、副流煙が吸っている人よりも近くにいる人の方が健康被害が大きいなどと言われ始め、今に至っているようです。でも、私鉄などは、昔から禁煙だったように思います。子どものころ、近鉄の電車に乗ったら、禁煙のプレートが張ってあり、車内アナウンスでも放送してました。 これも、時代の流れ何でしょうね。
ああ、癒やされる
今は、そんな感じなのかな?
私の所持してる一番古い時刻表(1978年6月号)では車両運用は一緒ですが急行せたな になってますね
なるほど!急行券を採って少しでも儲けようと言う事か!
発車時に警笛鳴らすのがいいですよね。本当は現在でもやってほしいです。
メッセージありがとうございます。そうですね。JRになってから、色々と変わりましたね。発車時に警笛を鳴らさなくなったのも、その1つですね。
快速せたな号かぁ。。。国縫~函館間の停車駅は特急の停車駅と同じだったことを記憶しています😉
メッセージありがとうございます。特急の停車駅と同じですか。私は、そんなことも考えず、多分、この時が、初めて北海道の函館本線の列車に乗った時でした。
その後に名残りで快速アイリスが走ってました。
13:16 の目覚めのシーン拝見しました。若き日の国鉄時代の鉄道ファンさんのお姿を拝見できました。いつもビデオカメラを持って乗られていたのですか?
メッセージありがとうございます。もう、この当時は移動はほとんどマイカーでの移動で、この時の乗車は、撮影のために乗車したので、ビデオカメラを持っていました。昔のビデオって大きくて、デッキとカメラは電線で繋がっていて、バッテリーは1本1KGで約20分しか使えない機材でした。ですから、マイカーでバッテリーを充電しながらでないと、なかなかビデオの撮影は、難しかったのです。
急行と快速「せたな」と快速「アイリス」は乗ったことがありませんけど、もちろん存在は知ってます。80年代の時刻表を見ると、上りは瀬棚発と熱郛発または長万部発が国縫で併結されるようですが、下り「せたな」は長万部に行ってから、国縫へ戻り瀬棚へ行くダイヤなんですね。当時を知ってる人なら何を今更でしょうけど、函館方面から瀬棚へ行く人はどうなっていたのか気になります。
そこまでは、私も知らなかったです。何しろ、北海道へは2回目の旅でとにかく、函館まで行くのに乗ったくらいなのです。でも、昔のダイヤって色々と楽しいことがありましたね。
NHKのナレーションみたいないい声やな
そうですか?これ、自声なのです。
快速瀬棚号良いですね。キハ24は1967年、4月に出来た車両ですね。もう、全車有りませんが、模型では現役です。
メッセージありがとうございます。そうですね。私も、今キハ22を作ろうと思っています。キットを少しづつ作っています。ただ、2重窓の部分をどうするか、悩んでいます。
国鉄時代の鉄道ファン さん、こば沙汰してます。tomixの二重窓は裏から印刷着けてますね。0.2ミリのプラ板で二重窓製作してみては。
1985年だともう遮光幕を開放してたんだな。
メッセージありがとうございます。あまり、気にしていなかったですが、解放していましたね。
国縫、熱郛。北海道の難読地名で、特に私ら大阪人には絶対に読めない?!地名ですが、北海道の鉄道が大好きな私には当然のように「読め」て、自慢したものです。今でも北海道へは年に2度は訪ねますが、訪ねる毎に廃線や廃駅になるという寂しさ。そんな北海道の鉄道が「健在」だった若かりし頃は、遠路遥々大阪から幾度となく北海道乗り鉄の旅を重ねたものです。函館本線は今だ「健在」ですが、昔のような華々しさは……。長万部から小樽へ。赤い車体のキハ22は何度か乗りましたが、当時撮った写真や8ミリを何度かの引っ越しで行方不明に。この動画を拝見し、昔を思い出しています。いつも乍に、優しい語りとBGMに癒されています。ありがとうございます
私も、大阪に友達がいて、今度一緒に乗鞍のゲストロッジ梵に行くのですが、ボケたり突っ込んだり・・・・ゲストロッジ梵での運転会でスターフの駅名が読めなくなって・・・・宗谷本線の「和寒」に近づいたころ「え~これなんて読むんや!・・・わかん?」梵のオーナー「ちゃうやろ~ わっさむ とちゃうか?」「わっさむ って発音するんか? そんなん全然 わかん ないわ」梵のオーナー「そのシャレ わっさむ」「どっちが寒いねん!」なんて、まあ、北海道の運転会は、こんな感じでめちゃくちゃで、やっています。
@@HobbyVideos わざわざ、ご返信ありがとうございます。和寒ねぇ…確かに「わっさむ」とは読めませんねぇ~。札幌にある発寒も月寒もそうですね。普通は読めないでしょう。はっさむ、げっさむ、とは…。我が大阪にも、放出…はなてん。徳庵…とくわん。まいかた…と読んで枚方。十三と書いて「じゅうそう」。杭全と書いて「くまた」とか、結構ありますよ。難読地名に駅名。しかし、やっぱり北海道ですかね。難読地名に駅名が多いのは。やはり開拓の歴史とアイヌ文化の影響でしょうか…。間違い易いのが「納沙布」と「野寒布」ですね。「ノシャップ」と「ノサップ」ご年配が「北海道へ行って来ましてね、の~なんやら岬に行きましたわ」私が…野寒布?納沙布?と問いかけたら…「どっちも一緒ちゃうん?」発音次第で北海道の知名が???状態に(笑)宗谷本線の最北の駅は?の問いに「わっかんない」わかんない…って、お前は関東人か?!大阪人は分からんやろ!あぁ~百済らん。杭全った事や!因みに…くだらん、決まった事や…のオチ。百済は大阪にある貨物線のタ―ミナル。
そう言えば、大阪も言われてみればそうかもしれませんね。じゅうそう なんて、普通に読んでいましたし、ただ、なにわ と なんば は、どっちも正しいのかな?いずみ も わいずみ って書きますね。 北陸では、動くと言う字が、へんな読み方をします。動橋でいぶりばし でしょう、石動でいするぎ動って「いぶり」って読めたっけ? 「るぎ」って読めたっけ?私が、最初北陸に来た時はさっぱり分かりませんでした。話せばきりがないですが、金沢市内にも読みずらい地名があります。バスの行先に有るのですが。
快速になる前は急行「せたな」だったはずだよ。記憶にあるのは瀬棚行きが昔に走っていた函館発札幌行きの急行「すずらん3号」の後ろで引っ張られる様に繋がれて急行「せたな」が2・3両で長万部まで走っていたと記憶が有ります。長万部からは普通列車だったど思います。記憶違いで無ければだけどね!
そうなんですか!私は昔の北海道は、良く分からず、この時代に初めて北海道へ行って初めて北海道の列車を撮影し始めたのです。
瀬棚線が廃止になって、この快速はその後、快速『アイリス』に改名になったと記憶している。
なるほど、この快速のせたなと言うのは、この線の瀬棚線から付けられた名前だったのですね。愛称名くらは、残しても良かったと思います。
なるほど、快速アイリスは元快速せたなだったのですね。確かに時間帯は似ています。そのアイリスも今はなくなってしまった。快速せたな号は、函館バスとして今も走っていますが。
bolaurel1 せたな は急行の時代もあったんだよな…
長万部町の町花が、あやめ =アイリス ですね。
わたしも、同じ時期に北海道行ってました
メッセージありがとうございます。どうでした?当時の北海道は。今から思えば、みな昔話なのですが、この当時は、これが当たり前だったから、あまり何も思わず旅をしていました。
せたな号一見、地味な存在でしたけど、急行時代は連絡船の接続対象列車だったんですよね。
急行と特急が、連絡船の接続対象列車だったのでしょうね。
1985年、私36歳でした。札幌~函館の夜行どん行列車にかなりの乗客が乗ってますね。北海道の列車は何故にこうも乗客が減りましたかね。飛行機運賃が下がったからですかね。私が2年前に乗った「急行はまなす」のカーペット車両は満席どころかプレミアムチケットでした、自由席や指定席はガラガラ。JTBに新幹線のグランクラスより先にカーペット車両の上の段を取ってとお願いしましたがダメでした。乗る人の考え方や経済の違いなんでしょうか。またもJR北海道は駅を削減するそうです、1日の乗降客が1~2名では当然ですが。何度も申しますが、10年後20年後の北海道の鉄道が心配で成りません。個人の北海道旅行は飛行機に観光バス、レンタカーなんて時代が来るかも知れません。列車は人間を運ぶ為だけではありません、万が一の災害の際に燃料なども大量に運べるのに。北海道大好き人間の心配ごとです。毎度つまらんコメント(に成ってないかな)です。返信なくても結構ですよ
メッセージありがとうございます。別のメッセージにも書きましたが、今の鉄道は、今の時代にそぐわないの一言だと思います。大阪に、線路にうるさい友達がいるのですが、なぜ乗らないか?と言う事ですね。今の時代、当然自動車の方が、早くて便利だからの一言になると言う事です。そもそも、日本が鉄道をイギリスに買いに行った時に、狭軌の鉄道を買ってきて、時速35km/hくらいしか出ない陸蒸気を走らせた事に始めると言うのです。日本がイギリスに鉄道を買いに行った当時、イギリスでは、標準軌の鉄道で130km/hで走れる蒸気機関車が有ったそうです。もし、その標準軌の130km/hで走れる鉄道を買って帰って、全国に当時130km/hで走れる線路を伸ばしていたら、やがて電化され、速度が150km/h、200km/hと、走れる鉄道になったかもしれないと言うのです。もし、北海道の今、廃止されてしまった、多くの線路、池北線、天北線、を含む、多くの線路が明治時代の鉄道敷設当時から標準軌で130km/hで走れてたら、今は、どうなっていたでしょうか。当然、技術は進歩するので、もっと早く走れる線路として、利用客も残ったと思います。自動車に乗る人も増えたでしょうけど、それでも、鉄道を利用する人が残ったと思います。 ですから、北海道は一般道でも、信号が無くある程度の時間で移動できる時代、高速道路がどんどん出来、自動車も100km/hで走れる時代、車の免許を取り、マイカーを持っている人は、1日に数本しか走っていない、鉄道にだれも乗らないのは、当然だと思います。 つまり、日本は、狭軌の陸蒸気を買ってきて、鉄道と言うのは、この程度のスピードで走るものだ!と全国にカーブの多いスピードの出せない鉄道を広げてしまったのが、今の時代にそぐわ無くなった始まりなのでしょう。 この狭軌の鉄道を買って帰った、これは、鉄道模型の世界にまで影響をしているのです。標準軌の鉄道を日本に広めていれば、鉄道模型も87分の1のHOゲージが出来たのに、狭軌の鉄道のため、80分の1の日本独特のJゲージてな、スケールが出来てしまったのです。
この国鉄時代の北海道の雰囲気って今では味わえないものですか?
メッセージありがとうございます。今の、北海道の状況は良く分かりませんが、この当時よりも普通列車の本数は少ないです。どんな車両が走っているのかは、分かりませんが、普通列車に乗ったら、味わえるかもしれません。周りの風景で変わった所と言えば、地図を見る限りですが、高速道路が出来ているみたいです。
国鉄時代の鉄道ファン ありがとうございます。このような快速や、普通列車が減ってるので、少し不便になっていると思いますが、機会があれば18きっぷで行ってみたいです。
私も、行ってみたい。
北海道にも快速があったんですね 現在は狩勝としれことです 江差線は第3セクターへ以降しました 又北海道の特急の映像も投稿してください(特にキハ183系のおおぞらと北海)お願いします
メッセージありがとうございます。特急ですね。まあ、模型も作りながらなので、徐々にアップしますね。
タツヒトミナミ
なんか昔がいいよなー。鉄道に限って。高速道路が今ほどの道路網ではなく、高速バスが勝る前の時代。
メッセージありがとうございます。高速道路の話が出てきましたが、この函館本線って車が発達していない蒸気機関車の時代に作られた線路で、スピードもさほど出せない線路、1067mmゲージの狭軌なのです。同じく、道路も、カーブか多く、そんなにスピードも出せない道路でした。でも、車の普及によって、道路は次第に整備され、バイパスが出来、急なカーブは、スピードを落とさなくても走れるような線形改良がされ、そして、今は高速道路が作られ、道路はどんどんスピードアップ出来るように、変わって来ている。それに対して、鉄道は、今も、蒸気機関車時代に敷かれた1067mmゲージの狭軌のまま。これじゃー、全然時代について行ってませんよね。お客が乗らないのは、不便で乗れないのですよね。
キハ22や、24型キハ56ですね。
メッセージありがとうございます。そうですね。北海道仕様の二重窓の車両です。
変速よし!油圧よし!っていう喚呼の字幕がありましたが、どういう意味なんですか?
メッセージありがとうございます。この手の、気動車(キハ20,25,26,30,35,52,55,56,57,58,65,82)等では、速度が0km/hから50km/hまでは、変速レバーが、手前から「変速」「中立」「直結」となっていて、停車中は「中立」にしておいて、発車の時に「変速」に切り替えます。その時に運転席のランプなどを確認する時の喚呼です。速度が50km/hになったら、レバーを直結に入れ、「直結よし」「油圧よし」と喚呼するそうです。まあ、一言でいうと、運転操作を確認していると言う事ですね。
国鉄時代の鉄道ファン 今じゃもう聞けないですよね
まだ、走っているところないかな?そうそう、地元石川県の、七尾線、城端線、氷見線なんか、走ってないかな。七尾線の花嫁のれん号が、キハ47だったと思います。これは、聞けるのでは?
国鉄時代の鉄道ファン でも最近の運転士はあまり喚呼せずに指差しで終わるんですよね
それは、知りませんでした。時代もかわったのかな!鉄道は、ヒューマンエラーをやっても、事故にならない設備で固められてきているので、昔と違うのか。
31年後の今年3月26日、北海道新幹線の新函館(渡島今別)から新青森間が開業 その4年後新函館から札幌まで開業計画 今年開業したばかりの新幹線に道民は一人も乗っていません 乗っていないのに札幌まで開業しても無駄なことなのに
メッセージありがとうございます。道民は、スーパー北斗に乗っているのではないでしょうか?札幌まで開業したら、スーパー北斗に乗っていた道民が乗るのではないかと思うのですが。
映像が昭和の西村京太郎サスペンスみたいですね
メッセージありがとうございます。それって、映画ですか?
+国鉄時代の鉄道ファン 鉄道を舞台にした推理小説です サスペンスドラマとしてテレ朝の土曜ワイド劇場や日テレの火曜サスペンス劇場でもやっていました
テレビのドラマなんですね。私、テレビのドラマは、最近見ないので良く分かりませんが、何となくありそうなカットですね。前面展望のカットは、映画「約束」って言うのでも、ありましたね。あれは、北陸本線、信越本線ですが。
古くても暖房は効き過ぎなのが北海道の車両それに比べて内地のは寒い
なにしろ、北海道の車輛は二重窓ですからね。暑いくらいですね。
快速なのに一両編成
特に、列車種別=○○編成と言うのは、決まっていないようです。根室本線のさいはては、快速で1両編成が普通に走っています。
投稿お疲れ様です。現在より国鉄時代の北海道の在来線のほうがいいですね。新幹線が札幌まで延伸したら函館~小樽間は第3セクターとして経営分離されるのではないでしょうか。(小樽~札幌間はJRが離さないと思います)
北海道の札幌と函館は、どのようなルートで出来るのか、良く分かりませんが、並行在来線の区間は、長万部から函館ですね。小樽のほうは、並行在来線になっていないのではないかと思います。もし、小樽と札幌間も、新幹線が平行に出来て、並行在来線になるのならば、整備新幹線の規則により、第三セクターにならざるを得ないでしょうね。
周辺自治体が金を出し合い第三セクター化するほどの価値があるか、でしょうね。新幹線の札幌延伸は、本州からの貨物列車が途絶える可能性があります。函館、長万部から小樽へ至る山線、小樽から札幌まで全てが第三セクターになるわけですから。確かに昔の方が旅情があり、私は好きですが、存続ということを考えると、客のニーズに応えるようにしていかなければ生き残れないです。伝統は常に新しいことにチャレンジして生き残っていくものです。
素敵な動画ありがとうございます。
この頃はまだ生まれてないので快速せたな号は初めて聞きましたが、映像とナレーションで雰囲気とか光景がすごく分かりやすかったです
それは、よかったですね。
御視聴ありがとうございます。
いやぁ、、、 懐かしい 1980年小学生の頃、父の遠縁の親戚を訪ね東京から行った時の事を思い出します、、 札幌から移動し長万部で乗り換え、今は無き瀬棚駅、、 帰りは快速で函館まで行きました、私がオイシイオイシイ言ったので親戚のおばさんが駅まで甘納豆の赤飯をホームまで持ってきてくれたのも懐かしい、、 動画ありがとうございます!!
いろんな人が色んな思い出があって、それがよみがえるのですね。
こんにちは。乗りたかったです。こんなのんびり風景、今ではなかなかお目にかかれないですね。乗ったことがないのに、懐かしさと寂しさでちょっと涙が・・。
私も、北海道のこの列車は、これが最初で最後でした。でも、今思えば、何もかもが最初で最後なのだなって感じるのです。
函館に住む者として、この映像には胸を熱くさせるものがありました。私は社会人になるまで北海道では函館と札幌くらいしか知りませんでしたが、仕事を通じて周辺自治体に住み込みで働く経験がありました。八雲、せたな、森、実際に住んでみましたが、寂れていく一方です。(蛇足ですが、函館の人口は2016年の1年間で3000人減です。その半数以上が仕事を求めて出て行ってしまった人たちです。)新幹線が新八雲まで開通すると、函館~八雲間の函館本線は第三セクターになってしまうでしょう。貨物列車が走っている手前、なくなることはないと思いますが。
メッセージありがとうございます。
私の住んでいるところもそうですが、地方はみな、車社会で鉄道は、利用しないです。
と言うのは、駅からバスに乗って家まで帰らないと行けないような場所に住宅地が出来、その住宅地にバスが1日に数本しかない。これじゃーみんな車に乗るでしょう。
北海道は、まだ駅近くに家が集中しているので、そんなことはないと思いますが、とにかく 地方鉄道は、長距離移動の人しか利用しないようになってきているのではないでしょうか。
仕事が無い。それも地方の抱える問題ですね。利用者の減少は、人口の減少とも関係があるようで、第三セクターになったら、もっと便利になれば良いと思うのですが難しいですね。
両親が函館出身で、私も長く本籍が函館でした。
東高校が道立から市立になったり、GLAYのメンバーの母校でもある稜北高校まで来春統合と聞いてますが、隔世の感がありますね。
従前から函館駅や五稜郭駅で乗降する高校生の数が激減して、以前なら制服姿で溢れかえっていた両駅も朝晩とて観光客が殆どになってしまいました。
20時頃の普通列車に急ぐ部活、塾、遊び帰りの学生さんたちは、卒業後は札幌や東京に出てしまって、戻るにも戻る職が無いのでしょうね・・・。><
初めまして。当時のDMH17のエンジン音と金属バネ台車が懐かしいですね。私は福島県会津に居たので当時は国鉄時代の磐越西線と只見線マニアでした。特に急行列車が大好きで58系気動車では、磐越西線のいいで号(上野ー新潟)、あがの号(仙台ー新潟)、只見線では東北地区で最後まで残っていた奥只見号(会津若松ー浦佐)。455系電車急行は、ばんだい号(上野ー喜多方)に、よく乗車していました。東北と上越新幹線開通前は旧客も含め、国鉄車両だらけでしたよね。あの時代が懐かしいです。ホームには沢山の色分けされた急行、特急乗車口プレート、銀色の熱いお湯が入った台車を運ぶ弁当屋さんなど。薄いビニールパックに入った熱いお茶や冷凍みかん。話せばきりが無いですね。この動画を見て色々思い出します。
メッセージありがとうございます。
福島県におられたそうで、私は学生時代もう40年前になりますが、奥羽本線の山形から先が電化される前に撮り鉄に行きました。
夏だったのですが、磐越西線にも乗りました。急行にも乗ったのですが、郡山から川桁までの上り勾配が、急行のキハ58の方が、旧客の普通列車よりも遅いのです。そんな思い出があります。
その後、再び磐越西線を訪れましたが、もう走る列車もすっかり変わってしまっていました。
新幹線が走り、便利になったはずなのに、何か昔の方が良かったなって感じました。
国鉄時代の鉄道ファン こちらこそご返信いただきありがとうございます。本当に思います。国鉄時代の良さを。また、動画を思い出のように視聴させていただきます。今後ともよろしくお願い申し上げます。
こちらこそ、よろしくお願いします。
素晴らしいですね!往年の長万部、国縫駅の賑わいが見れて最高です!
今の長万部駅の静けさ、無人の国縫駅・・・みんな遠い記憶になってしまいそうですね・・・。
今は、そんなに寂れたのですか?
長万部は、特急おおとりを撮影したので、思い出深い駅です。
また、少し国道を函館方面に行ったところに「浜ちゃんぽん」と言うラーメン屋があって、ラーメンを食べました。
@@HobbyVideos さん、返信ありがとうございます。
長万部駅前をウロウロする様になったのは最近でして、往年の賑わいというのは実感したことがありません・・・。
ただ、C62重連時代も含め、山線側のホームには「そばスタンド」もあり、ご存知「かにめし」の立ち売りは列車到着時は常に立っていた様です。
最近は色んな当時の写真や映像が世に出てきて、ワクワクしながら見ております。^^
私的なお話を申し上げると、祖父の姉がお店をやっていた様ですが、ご存知の通り、かつては長万部といえば山線はC62、室蘭本線もD52という機関車の集う要衝でした。
大伯母のお店も、昼は食事、夜は飲み屋、当時からして「24時間営業」だったそうです。(とうの昔に閉店)
乗務を終えて、機関区や駅構内の職員氏が集まるお店だったようで。
その場にいたら、神の如き強者が集っていたのに・・・と、残念仕切りです。
国縫駅は瀬棚線の分岐駅でもあり、かつては「急行ニセコ」も止まる駅でした。
今も立派な駅舎は残っているものの、全てに鍵が掛かっており、保線の方が時々使う程度の様です。当然無人駅です。
そんな名門の駅までが、人っ子一人いない無人駅になり、普通列車に乗っても「乗降客1人居ない」様子を見ると、大変寂しい思いになるものです・・・。
なるほど、夜は飲み屋って、昔は良かったですね。
仕事を終わって、機関士たちがいつもの飲み屋で一杯・・・・なんちゃって。
これから乗務する人はどうなったのでしょうか。
まあ、一杯くらいは良いじゃないか・・・・なんちゃって(笑)・・・・・やば!
@@HobbyVideos さん。
当然、勤務終了後、です。
蒸気機関車は全てがマニュアルですから、生半可な事は出来ません。
何より、小樽築港機関区は名うての腕利き揃いで、しかも難所続きの超難航区間でしたから、相当意識高い系が多かった様です。
このあたりは、ネコパブリッシングから発刊された「甲組の肖像」に詳しいです。
大変僭越な事を云わせて頂ければ、自動運転、電気信号、レバーだけでブレーキが掛かる現代の電車運転士には、想像もつかない過酷な職場だったと思いますね。^^
@@HobbyVideos 浜ちゃんぽん、まだありますよ
運転士(長万部~国縫~瀬棚~函館間)は万運区、車掌は瀬棚~国縫間が万車区で、長万部~函館間が函車区。懐かしいですね。
メッセージありがとうございます
国鉄の内部の事は全然分かりませんが、懐かしく見ていただいてありがとうございます。
乗ってみたかったなあ~
メッセージありがとうございます。
せめて、この映像で楽しんでください。
懐かしいですね!この当時16才ですがこの列車で長万部から函館に遊びに行くのがほんと楽しみだった中学、高校時代でした!
なるほど、良い思い出ですね。
今は、何で函館に行く事が出来るのかな?
@@HobbyVideos 今は快速はなくなって朝6時半くらいに出発の普通列車に乗ると同じくらいの時間帯に函館に着きます。もしくは特急ですね。今は函館住みなので乗ることはありませんが(^^;)
もっと前は、急行せたな号でしたね。乗ってみたかった。
もっと前は、私も分かりません。急行だったのですね。
最初のナレーションが良い雰囲気を出してますね。
昔話が始まる様な感じで、昔の世界に引き込まれていく感じがしました。
メッセージありがとうございます。
いつも、思いつくままに喋っているので何を喋ったか、聞きなおしました。
まあ、昔の映像なので、こんなオープニングになってしまうのかな(笑)
1990年代生まれの僕からすると、とても素晴らしい時代だなあと思いました。
今後、新幹線が伸びたら存続自体厳しくなってきますね・・・
昔を知る動画、ありがたいです。
メッセージありがとうございます。
「今後、新幹線が伸びたら存続自体厳しくなってきますね・・・」その通り!
今でも、線路は特急のために有るようなもので、少ないローカル列車の本数では地元の人はみなマイカーを利用します。
現状はJR北海道自体がもう赤字でもう新幹線どうこうではないです‼
JR東に吸収されるのもそう遅くはないと感じます
@@HobbyVideos 新幹線がそもそもこれ以上
伸びなくても良かったようなネットワークを考えると盛岡以北は無駄です
割りとアクロバティックな運用が快速になっても残っていたとは。そういえば、「せたな」の車両は客車列車の後ろにぶら下がって熱郛まで回送されていたような。あと、快速に格下げされてからキハ27が充当されるようになったとはなんとも皮肉... (初コメなのに長々すみません😣💦⤵️)
客車の後ろのぶら下がって熱郛まで回送ですか?色んな運用があったのですね。
懐かしいですね。
瀬棚線は1987年の最終日に乗り、超満員だったのを覚えています。
すれ違う旧型客車やキハ82北斗もいいですね。
運転士の服装は今の方がおしゃれですね。
メッセージありがとうございます。
みんな、おかしいですよね。
廃止になると言うと、一杯乗るのだから。
私は、特急「おおとり」ばかりを追いかけていて、まさかこんなに一杯廃止になる線路があったなんて、想像もしませんでした。
今の運転士の服装はどんなファッションなのか、分かりませんが、当時は地味だったのかな?帽子も北海道は丸帽を使っていたみたいですね。
ボックスシートに灰皿が設置されているのが懐かしい。
メッセージありがとうございます。
昔は、それが当たり前の時代なのです。
「タバコは、100害有って利益なし」
って言われてますが、でも、大人は煙草を吸う人が多かった、それが普通だったと言う感じですね。
それが、嫌煙権とか、副流煙が吸っている人よりも近くにいる人の方が健康被害が大きいなどと言われ始め、今に至っているようです。
でも、私鉄などは、昔から禁煙だったように思います。子どものころ、近鉄の電車に乗ったら、禁煙のプレートが張ってあり、車内アナウンスでも放送してました。
これも、時代の流れ何でしょうね。
ああ、癒やされる
今は、そんな感じなのかな?
私の所持してる一番古い時刻表(1978年6月号)では車両運用は一緒ですが急行せたな になってますね
なるほど!急行券を採って少しでも儲けようと言う事か!
発車時に警笛鳴らすのがいいですよね。本当は現在でもやってほしいです。
メッセージありがとうございます。
そうですね。
JRになってから、色々と変わりましたね。
発車時に警笛を鳴らさなくなったのも、その1つですね。
快速せたな号かぁ。。。国縫~函館間の停車駅は特急の停車駅と同じだったことを記憶しています😉
メッセージありがとうございます。
特急の停車駅と同じですか。
私は、そんなことも考えず、多分、この時が、初めて北海道の函館本線の列車に乗った時でした。
その後に名残りで快速アイリスが走ってました。
13:16 の目覚めのシーン拝見しました。若き日の国鉄時代の鉄道ファンさんのお姿を拝見できました。いつもビデオカメラを持って乗られていたのですか?
メッセージありがとうございます。
もう、この当時は移動はほとんどマイカーでの移動で、この時の乗車は、撮影のために乗車したので、ビデオカメラを持っていました。
昔のビデオって大きくて、デッキとカメラは電線で繋がっていて、バッテリーは1本1KGで約20分しか使えない機材でした。
ですから、マイカーでバッテリーを充電しながらでないと、なかなかビデオの撮影は、難しかったのです。
急行と快速「せたな」と快速「アイリス」は乗ったことがありませんけど、
もちろん存在は知ってます。80年代の時刻表を見ると、上りは瀬棚発と熱郛発または長万部発が国縫で併結されるようですが、下り「せたな」は長万部に行ってから、国縫へ戻り瀬棚へ行くダイヤなんですね。当時を知ってる人なら何を今更でしょうけど、
函館方面から瀬棚へ行く人はどうなっていたのか気になります。
そこまでは、私も知らなかったです。何しろ、北海道へは2回目の旅でとにかく、函館まで行くのに乗ったくらいなのです。
でも、昔のダイヤって色々と楽しいことがありましたね。
NHKのナレーションみたいないい声やな
そうですか?これ、自声なのです。
快速瀬棚号良いですね。キハ24は1967年、4月に出来た車両ですね。もう、全車有りませんが、模型では現役です。
メッセージありがとうございます。
そうですね。私も、今キハ22を作ろうと思っています。キットを少しづつ作っています。
ただ、2重窓の部分をどうするか、悩んでいます。
国鉄時代の鉄道ファン さん、こば沙汰してます。tomixの二重窓は裏から印刷着けてますね。0.2ミリのプラ板で二重窓製作してみては。
1985年だともう遮光幕を開放してたんだな。
メッセージありがとうございます。
あまり、気にしていなかったですが、解放していましたね。
国縫、熱郛。
北海道の難読地名で、特に私ら大阪人には絶対に読めない?!地名ですが、北海道の鉄道が大好きな私には当然のように「読め」て、自慢したものです。
今でも北海道へは年に2度は訪ねますが、訪ねる毎に廃線や廃駅になるという寂しさ。そんな北海道の鉄道が「健在」だった若かりし頃は、遠路遥々大阪から幾度となく北海道乗り鉄の旅を重ねたものです。函館本線は今だ「健在」ですが、昔のような華々しさは……。
長万部から小樽へ。赤い車体のキハ22は何度か乗りましたが、当時撮った写真や8ミリを何度かの引っ越しで行方不明に。
この動画を拝見し、昔を思い出しています。いつも乍に、優しい語りとBGMに癒されています。ありがとうございます
私も、大阪に友達がいて、今度一緒に乗鞍のゲストロッジ梵に行くのですが、ボケたり突っ込んだり・・・・
ゲストロッジ梵での運転会でスターフの駅名が読めなくなって・・・・
宗谷本線の「和寒」に近づいたころ
「え~これなんて読むんや!・・・わかん?」
梵のオーナー「ちゃうやろ~ わっさむ とちゃうか?」
「わっさむ って発音するんか? そんなん全然 わかん ないわ」
梵のオーナー「そのシャレ わっさむ」
「どっちが寒いねん!」
なんて、まあ、北海道の運転会は、こんな感じでめちゃくちゃで、やっています。
@@HobbyVideos
わざわざ、ご返信ありがとうございます。和寒ねぇ…確かに「わっさむ」とは読めませんねぇ~。
札幌にある発寒も月寒もそうですね。普通は読めないでしょう。はっさむ、げっさむ、とは…。
我が大阪にも、放出…はなてん。徳庵…とくわん。まいかた…と読んで枚方。十三と書いて「じゅうそう」。杭全と書いて「くまた」とか、結構ありますよ。難読地名に駅名。
しかし、やっぱり北海道ですかね。難読地名に駅名が多いのは。やはり開拓の歴史とアイヌ文化の影響でしょうか…。
間違い易いのが「納沙布」と「野寒布」ですね。
「ノシャップ」と「ノサップ」
ご年配が「北海道へ行って来ましてね、の~なんやら岬に行きましたわ」
私が…野寒布?納沙布?と問いかけたら…「どっちも一緒ちゃうん?」
発音次第で北海道の知名が???状態に(笑)
宗谷本線の最北の駅は?
の問いに「わっかんない」
わかんない…って、お前は関東人か?!
大阪人は分からんやろ!
あぁ~百済らん。杭全った事や!
因みに…くだらん、決まった事や…のオチ。
百済は大阪にある貨物線のタ―ミナル。
そう言えば、大阪も言われてみればそうかもしれませんね。
じゅうそう なんて、普通に読んでいましたし、ただ、なにわ と なんば は、どっちも正しいのかな?
いずみ も わいずみ って書きますね。
北陸では、動くと言う字が、へんな読み方をします。
動橋でいぶりばし でしょう、石動でいするぎ
動って「いぶり」って読めたっけ? 「るぎ」って読めたっけ?
私が、最初北陸に来た時はさっぱり分かりませんでした。
話せばきりがないですが、金沢市内にも読みずらい地名があります。バスの行先に有るのですが。
快速になる前は急行「せたな」だったはずだよ。記憶にあるのは瀬棚行きが昔に走っていた函館発札幌行きの急行「すずらん3号」の後ろで引っ張られる様に繋がれて急行「せたな」が2・3両で長万部まで走っていたと記憶が有ります。長万部からは普通列車だったど思います。記憶違いで無ければだけどね!
そうなんですか!私は昔の北海道は、良く分からず、この時代に初めて北海道へ行って初めて北海道の列車を撮影し始めたのです。
瀬棚線が廃止になって、この快速はその後、快速『アイリス』に改名になったと記憶している。
なるほど、この快速のせたなと言うのは、この線の瀬棚線から付けられた名前だったのですね。
愛称名くらは、残しても良かったと思います。
なるほど、快速アイリスは元快速せたなだったのですね。確かに時間帯は似ています。そのアイリスも今はなくなってしまった。快速せたな号は、函館バスとして今も走っていますが。
bolaurel1
せたな は急行の時代もあったんだよな…
長万部町の町花が、あやめ =アイリス ですね。
わたしも、同じ時期に北海道行ってました
メッセージありがとうございます。
どうでした?当時の北海道は。
今から思えば、みな昔話なのですが、この当時は、これが当たり前だったから、あまり何も思わず旅をしていました。
せたな号
一見、地味な存在でしたけど、急行時代は連絡船の接続対象列車だったんですよね。
急行と特急が、連絡船の接続対象列車だったのでしょうね。
1985年、私36歳でした。札幌~函館の夜行どん行列車にかなりの乗客が乗ってますね。北海道の列車は何故にこうも乗客が減りましたかね。飛行機運賃が下がったからですかね。私が2年前に乗った「急行はまなす」のカーペット車両は満席どころかプレミアムチケットでした、自由席や指定席はガラガラ。JTBに新幹線のグランクラスより先にカーペット車両の上の段を取ってとお願いしましたがダメでした。乗る人の考え方や経済の違いなんでしょうか。またもJR北海道は駅を削減するそうです、1日の乗降客が1~2名では当然ですが。何度も申しますが、10年後20年後の北海道の鉄道が心配で成りません。個人の北海道旅行は飛行機に観光バス、レンタカーなんて時代が来るかも知れません。列車は人間を運ぶ為だけではありません、万が一の災害の際に燃料なども大量に運べるのに。北海道大好き人間の心配ごとです。毎度つまらんコメント(に成ってないかな)です。返信なくても結構ですよ
メッセージありがとうございます。
別のメッセージにも書きましたが、今の鉄道は、今の時代にそぐわないの一言だと思います。
大阪に、線路にうるさい友達がいるのですが、なぜ乗らないか?
と言う事ですね。
今の時代、当然自動車の方が、早くて便利だからの一言になると言う事です。
そもそも、日本が鉄道をイギリスに買いに行った時に、狭軌の鉄道を買ってきて、時速35km/hくらいしか出ない陸蒸気を走らせた事に始めると言うのです。
日本がイギリスに鉄道を買いに行った当時、イギリスでは、標準軌の鉄道で130km/hで走れる蒸気機関車が有ったそうです。
もし、その標準軌の130km/hで走れる鉄道を買って帰って、全国に当時130km/hで走れる線路を伸ばしていたら、やがて電化され、速度が150km/h、200km/hと、走れる鉄道になったかもしれないと言うのです。
もし、北海道の今、廃止されてしまった、多くの線路、池北線、天北線、を含む、多くの線路が明治時代の鉄道敷設当時から標準軌で130km/hで走れてたら、今は、どうなっていたでしょうか。
当然、技術は進歩するので、もっと早く走れる線路として、利用客も残ったと思います。自動車に乗る人も増えたでしょうけど、それでも、鉄道を利用する人が残ったと思います。
ですから、北海道は一般道でも、信号が無くある程度の時間で移動できる時代、高速道路がどんどん出来、自動車も100km/hで走れる時代、車の免許を取り、マイカーを持っている人は、1日に数本しか走っていない、鉄道にだれも乗らないのは、当然だと思います。
つまり、日本は、狭軌の陸蒸気を買ってきて、鉄道と言うのは、この程度のスピードで走るものだ!と全国にカーブの多いスピードの出せない鉄道を広げてしまったのが、今の時代にそぐわ無くなった始まりなのでしょう。
この狭軌の鉄道を買って帰った、これは、鉄道模型の世界にまで影響をしているのです。標準軌の鉄道を日本に広めていれば、鉄道模型も87分の1のHOゲージが出来たのに、狭軌の鉄道のため、80分の1の日本独特のJゲージてな、スケールが出来てしまったのです。
この国鉄時代の北海道の雰囲気って今では味わえないものですか?
メッセージありがとうございます。
今の、北海道の状況は良く分かりませんが、この当時よりも普通列車の本数は少ないです。どんな車両が走っているのかは、分かりませんが、普通列車に乗ったら、味わえるかもしれません。
周りの風景で変わった所と言えば、地図を見る限りですが、高速道路が出来ているみたいです。
国鉄時代の鉄道ファン ありがとうございます。このような快速や、普通列車が減ってるので、少し不便になっていると思いますが、機会があれば18きっぷで行ってみたいです。
私も、行ってみたい。
北海道にも快速があったんですね 現在は狩勝としれことです 江差線は第3セクターへ以降しました 又北海道の特急の映像も投稿してください(特にキハ183系のおおぞらと北海)お願いします
メッセージありがとうございます。
特急ですね。
まあ、模型も作りながらなので、徐々にアップしますね。
タツヒトミナミ
タツヒトミナミ
なんか昔がいいよなー。鉄道に限って。高速道路が今ほどの道路網ではなく、高速バスが勝る前の時代。
メッセージありがとうございます。
高速道路の話が出てきましたが、この函館本線って車が発達していない蒸気機関車の時代に作られた線路で、スピードもさほど出せない線路、1067mmゲージの狭軌なのです。
同じく、道路も、カーブか多く、そんなにスピードも出せない道路でした。
でも、車の普及によって、道路は次第に整備され、バイパスが出来、急なカーブは、スピードを落とさなくても走れるような線形改良がされ、そして、今は高速道路が作られ、道路はどんどんスピードアップ出来るように、変わって来ている。
それに対して、鉄道は、今も、蒸気機関車時代に敷かれた1067mmゲージの狭軌のまま。これじゃー、全然時代について行ってませんよね。
お客が乗らないのは、不便で乗れないのですよね。
キハ22や、24型キハ56ですね。
メッセージありがとうございます。
そうですね。北海道仕様の二重窓の車両です。
変速よし!油圧よし!っていう喚呼の字幕がありましたが、どういう意味なんですか?
メッセージありがとうございます。
この手の、気動車(キハ20,25,26,30,35,52,55,56,57,58,65,82)等では、速度が0km/hから50km/hまでは、変速レバーが、手前から「変速」「中立」「直結」となっていて、停車中は「中立」にしておいて、発車の時に「変速」に切り替えます。その時に運転席のランプなどを確認する時の喚呼です。速度が50km/hになったら、レバーを直結に入れ、「直結よし」「油圧よし」と喚呼するそうです。
まあ、一言でいうと、運転操作を確認していると言う事ですね。
国鉄時代の鉄道ファン 今じゃもう聞けないですよね
まだ、走っているところないかな?
そうそう、地元石川県の、七尾線、城端線、氷見線なんか、走ってないかな。七尾線の花嫁のれん号が、キハ47だったと思います。これは、聞けるのでは?
国鉄時代の鉄道ファン でも最近の運転士はあまり喚呼せずに指差しで終わるんですよね
それは、知りませんでした。時代もかわったのかな!
鉄道は、ヒューマンエラーをやっても、事故にならない設備で固められてきているので、昔と違うのか。
31年後の今年3月26日、北海道新幹線の新函館(渡島今別)から新青森間が開業 その4年後新函館から札幌まで開業計画 今年開業したばかりの新幹線に道民は一人も乗っていません 乗っていないのに札幌まで開業しても無駄なことなのに
メッセージありがとうございます。
道民は、スーパー北斗に乗っているのではないでしょうか?
札幌まで開業したら、スーパー北斗に乗っていた道民が乗るのではないかと思うのですが。
映像が昭和の西村京太郎サスペンスみたいですね
メッセージありがとうございます。
それって、映画ですか?
+国鉄時代の鉄道ファン 鉄道を舞台にした推理小説です サスペンスドラマとしてテレ朝の土曜ワイド劇場や日テレの火曜サスペンス劇場でもやっていました
テレビのドラマなんですね。
私、テレビのドラマは、最近見ないので良く分かりませんが、何となくありそうなカットですね。
前面展望のカットは、映画「約束」って言うのでも、ありましたね。あれは、北陸本線、信越本線ですが。
古くても
暖房は効き過ぎなのが
北海道の車両
それに比べて内地のは
寒い
なにしろ、北海道の車輛は二重窓ですからね。
暑いくらいですね。
快速なのに一両編成
特に、列車種別=○○編成と言うのは、決まっていないようです。
根室本線のさいはては、快速で1両編成が普通に走っています。
投稿お疲れ様です。
現在より国鉄時代の北海道の在来線のほうがいいですね。
新幹線が札幌まで延伸したら函館~小樽間は第3セクターとして経営分離されるのではないでしょうか。(小樽~札幌間はJRが離さないと思います)
北海道の札幌と函館は、どのようなルートで出来るのか、良く分かりませんが、並行在来線の区間は、長万部から函館ですね。小樽のほうは、並行在来線になっていないのではないかと思います。
もし、小樽と札幌間も、新幹線が平行に出来て、並行在来線になるのならば、整備新幹線の規則により、第三セクターにならざるを得ないでしょうね。
周辺自治体が金を出し合い第三セクター化するほどの価値があるか、でしょうね。
新幹線の札幌延伸は、本州からの貨物列車が途絶える可能性があります。函館、長万部から小樽へ至る山線、小樽から札幌まで全てが第三セクターになるわけですから。
確かに昔の方が旅情があり、私は好きですが、存続ということを考えると、客のニーズに応えるようにしていかなければ生き残れないです。伝統は常に新しいことにチャレンジして生き残っていくものです。