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函館から稚内へ。急行宗谷は9時間半をかけてはしりました。国鉄時代の、古き佳き急行。現在ではあり得ない北海道の鉄路に涙💧
石勝線開業も見えていた頃、北海道の鉄道が今のような姿になろうとは夢にも思いまsんでした。
態度が悪いだの何かと批判を浴びることの多かった国鉄職員ですが、車掌業務に誇りと自負を持ち、鉄道を愛し、渾身に働いていた方も多くいました。ほんと、各駅ごとのアナウンスに心がこもってます。
こういう放送は録音当時でも嬉しくなったものでした。40年の時を経て、多くの方に聴いていただける機会を得て、嬉しく思います。
態度が悪かったのは都市部の職員でした、地方ローカル部の職員は気さくでとてもフレンドリーでした。
優等列車に反抗的な社員は配置されなかったのでは。車体にアジ文句を書くのも、特急車両は少なかったと言われるし。そもそも地方だとそれほど過密ダイヤでないから労務上の不満も少なかったかもしれないな。
窓も開かないし😤列車の匂いしないし😤 スピード😤速いけど🤣なんの情緒もない😓こんなのんびり時代戻りたい🚃🚃🚃🚃
めちゃくちゃ良いこと言うな
今では考えられない壮大な急行だ。とても丁寧な車掌の放送も良い。
正午前頃に函館を出て、その日のうちに稚内に着くなんて意外と速い
函館~稚内まで約12時間。こんな長い時間、キハ56に乗れるって今思えば夢のよう。
今にして思えばその通りですね。宗谷は大好きな列車でしたが、全区間を通して乗ったことはありませんでした。
今思えばもう一度乗りたいと思うけど、旭川から先、稚内や網走、釧路からさらに根室まで乗るとなると、最後の方はうんざりしたものです。
修学旅行の集約臨で、自分のクラスだけキハ48でしたが、エアサスの乗り心地がキハ56より良く、非鉄からは評判良かったです。
最近見た動画で一番心が揺さぶられました。私が産まれる前ですが北海道の賑わいを感じました。たくさんの廃線、あさひがわ、手稲から琴似まで駅が無い、急行なのに停車駅は特急並み、、とても新鮮な気持ちで発見があり、想像しながら旅行することができました。この動画より前の時代ですが、私の祖父はかつて旭川駅で駅長をしていました。次に会うときはこの動画を観ながら昔話を聞いてみたいと思います。ありがとうございました。
TH-camにには数多くの鉄道系動画が公開されていますが、その中から嬉しい評価をありがとうございます。音声に苦肉の策の時刻表加工画面を付けた、言ってみれば「安っぽい画面」ですが、反響の多さに驚いています。
気動車の轟音、線路の継ぎ目の快いリズム、車内オルゴール「アルプスの牧場」、そして車内放送……車両の案内、途中停車駅と到着時刻、乗り換え案内。乗り換えの待ち合わせ時間が1時間以上は当たり前。昭和の鉄道旅行の、時間の流れと音が懐かしいです。加えて、時刻表と地図までアップいただき、感謝です。
音声に見合う動画がなく、苦し紛れに時刻表を加工したスライドショーですが、楽しんで頂けましたら何よりです。
出来る事なら、こういう列車が日本のどこかに走ってるような時代がまた来て欲しい。この動画は『旅情とは』をそのまま物語ってると思います。ゆっくりと落ち着くトーンでアナウンスしてる車掌さん。僕がこの列車に乗ってたなら、間違いなくこれは生涯忘れることの無い旅になってたと思います。
こんな列車にまた乗ってみたい・・・同じ気持ちですね。
こんな急行列車、乗ってみたかったなあ。それにしても、すごく聞きやすい車内放送の録音、また 放送と共に、当時の時刻表を見せてきただき、とてもわかりやすかったです。up主のお心使い、感動しました。
心遣いというより、付けるべき動画も写真もなく、苦し紛れの時刻表加工画像ですが、放送を楽しんでいただければ何よりです。
@@急行-宗谷 今振り返ると 昭和時代のほうが北海道には多くの路線が存在していましたね
そのうちに路線も廃止され、たどることもできなくなりますね。
まさに昭和55年8月~9月の夏、北海道ワイド周遊券で20日間、大学鉄研の北海道合宿をしていました。大雪、利尻、からまつなど、夜行列車を宿代わりに14車中泊をしての全線乗り潰しをしていました。石勝線はまだ無くて、白糠線も廃線前、美幸線、士幌線(十勝三股代行バス)、万字線、夕張線登川支線などはまだ健在でした。懐かしさに、感涙です。ありがとうございました。
音声を聴いて、遠い昔の旅を思い起こして頂けたのでしたら幸いです。
現代のマニュアル的な車内放送と違い 車掌さんにより個性があり良い時代だったと思いますこんな車内放送を聞いたら 旅路の雰囲気が盛り上げます!!
現在は自動放送がほとんどですが、これも時代の流れですね。外国語の案内が流れるようになった時には、すごいものだと思いました。
@@急行-宗谷 北海道のほとんどの駅にもう汽車は来ません、とりあえず今日は来ません、今日の予定は終わりました・・・となるでしょう。
今JRは切符の対面販売をなくそうとしています。でもこの頃はアナログな時代だったので駅のみどりの窓口で行き先を告げてどの列車に乗ったらいいかなど相談したもんです。デジタル化が悪いとは言いませんが人間味がなくなったのは昭和生まれとして何か悲しいものがあります。
あの時代にタイムスリップして旅をしている気分にさせていただきました。本当に貴重な車内放送をありがとうございました。
コメントありがとうございます。旅気分を感じていただけて何よりです。
すごいの一言です。昭和40年代にカニ族として、夏も冬も旅をしたものです。10歳代の思い出ポロポロです。本当にありがとうございます。何度も宗谷や利尻に乗車しました。まだ特急がない時代でした。
昔の旅を思い出して頂けて何よりです。宗谷本線は急行が頑張っていましたね。
急行宗谷。急行利尻(夜行列車)、急行天北(天北線経由)が宗谷本線を走っていました。何度も利尻に乗りました。特に思い出深いのは、普通列車(5~6両の客車編成)のSLのC55が旭川と稚内間を往復していました。小生は、上りの稚内から終点の旭川まで乗車しました。スポーク動輪の美しい汽車でした。
車掌さんの肉声放送に感動。涙💧今の自動放送に旅情は感じられませんが、国鉄時代の車掌さんの肉声放送は、否が応でもでも旅情が掻き立てられます。
自動放送がすっかり定着してしまいました。さびしいことですが、これも時代の流れですね。
アナウンスに合わせた時刻表、非常に楽しい感じです。この頃は鉄道が一番盛り上がっていた時代なんだなあと感じます。今は旅に出られないですが、おかげさまで旅をしている気分になれました。ありがとうございます!
音声に合わせた動画はなく、時刻表加工の質素な画面ですが、わずかでも旅気分を感じて頂けたら幸いです。
素晴らしい。懐かしい。昭和50年の3月、北海道均一周遊券を使って初めて北海道旅行をしたとき急行宗谷に乗りました。前日の19時頃、上野を急行八甲田で出発し青森に早朝到着、青函連絡船に乗り次いで函館に昼前に到着、函館駅のカーブを描いた長いホームで待ち受ける急行宗谷に乗り継ぎ札幌には16時半に到着、実に22時間近く固い座席(連絡船はカーペット敷きの広間)に揺られて、2週間(均一周遊券の有効期間)におよぶ北海道旅行が始まりました。均一周遊券では特急には乗れないため、この乗り継ぎが金のない学生旅行の定番でした。そしてユースホステルも。40年以上前の思い出がはっきりと蘇ってきました。ありがとうございます。
思い出深い列車ばかりではなく、周遊券という魅力的な切符も無くなってしまいました。時代の流れですね。
何時も楽しく聞かせて頂いております。国鉄時代の壮大な急行宗谷の、旅路を車窓と共に遙か稚内に想いを馳せています。これからも、貴重な車内放送や構内放送、列車の音など楽しみにしております。昔は良かったですね。
有難うございます。遠い昔の汽車旅に思いを巡らせて頂けましたら嬉しいです。
大変音質がいいのでずっと聞いてます。ありがとうございます。長距離列車の放送旅情があっていいですね。「待合室でお休みください」「飲料水はホーム中央にあります」がツボでした。
2分弱の停車しかない長万部で、飲料水の案内をして大丈夫かな…とも思いますが、窓を開けて駅弁を買う人も多くいましたからね……
この車掌さんの車内放送、すごく丁寧ですね!!内容がわかりやすく、話すスピードとかも、誰もが聞きやすいように理解しやすいようにという感じで、車掌さん自身の親切なお人柄さえ感じられます!
自動放送も悪くはないですが、人の声による放送は温かみがありましたね。合理化か近代化か、だんだん聞けなくなってきました。時代の流れですね。
宗谷、山線経由だけど早いんだよね。函館札幌は4時間40分、海線のすずらんより15分くらいしか違わない。山線特急の北海がすずらんと同じ4時間25分だから、早いな。
いい日旅立ち!北海道の鉄道もまだまだ元気のあった良い時代でした。
懐かしい、とにかく懐かしいです、旅してる気分になります。旧国鉄の車掌さんは本当に車内放送が上手でした。でも、この車掌さん絶品です。こんな音源があったとは・・、有難うございました。
今は普通列車の大部分がワンマンで、特急は自動放送。こういう案内放送もだんだん過去のものになりつつあるのですね。
鉄道ジャーナル1981年4月号の「宗谷」列車追跡は、シリーズ随一の名作だと思います。C62ニセコの思い出、老骨にムチ打って走るキハ56、自然災害との闘い、氷雪の原野で見る哀しい幻影・・・冬が今よりずっと厳しかった頃の北海道は、乗り鉄するだけで大冒険だったと感じさせてくれます。機会がありましたら是非。
大変貴重な音源、ありがとうございます。当時、大学入学で渡道したばかり、このような道内の長距離急行列車が当たり前の存在でした。今となっては、本当に懐かしく、二度と乗ることが出来ない列車の重要文化財級の記録です。
コメントありがとうございます。重要文化財級……とはまた大変な評価。恐縮しつつとても嬉しく思います。もっといい画像を付けられると良かったのですが……
@@急行-宗谷 返信いただきありがとうございます。お世辞では決してありません。その当時あのシーンは二度と戻らないのですから。
この頃、東北夜行から青函連絡線乗り継ぎで函館では2本の特急を見送り、直後に発車のこの宗谷に札幌まで乗ったのを思い出しました。アナウンスも細かく、乗り継ぎ時間が長い時は待合室でお待ちくださいは良く印象に残っています。当時使用したコンパス時刻表(¥300)も所有しています。懐かしく拝見させていただきました。
函館から稚内まで走りきるのかぁ…道内縦断急行、乗ってみたかったなぁ…
40年前の音声をこんなにも高音質で聞けるなんてすごい!貴重な音源ありがとうございます!紋別やはぼろなど、現在は廃線になってしまった路線を走行する列車も結構走っていたんですね。
普通のカセットテープも意外と耐久性があることを知りました。公開して多数の方に聴いて頂けて良かったです。
すごい! まさに北海道縦断急行。こんな素晴らしい急行があったなんて。しかしよく録音してましたね。公開ありがとうございます!
我ながら、よくこんな録音をしたものだと思います。古い録音なので公開に踏み切るのは、恐る恐るでした。
函館から稚内。10時間を超える急行の旅。乗り鉄にはたまらないですよねぇ~。この長距離急行「宗谷」には、私は乗った事がありませんでしたが、函館から網走への特別急行「おおとり」には2度ほど乗った事があります。こちらも10時間超えの長い旅でした。キハ80系の「鼓動」が、今でも忘れられません。この時代の車掌さんの、肉声の車内放送はホント、良かった。旅を演出してくる情緒がありました。今は味気のない自動放送ばかりで、列車は旅ではなく、ただの移動手段に過ぎなくなってしまいました。そう言う意味からも、この動画は本当に貴重です。アップ、有り難うございます
網走までの『おおとり』も長かったことと思います。わたくしは『急行宗谷』のファンでしたが、恥ずかしながら、函館から稚内まで乗り通したことがありませんでした。
47年以上生きている道産子ですが、恥ずかしながら函館発稚内行の急行があったこと自体知りませんでした。主様のご厚意なければ、このような素晴らしい資料を体験することができませんでした。他の方々が仰る通りの重要文化財級の内容に感服と畏敬申し上げます。
昔を知っていて、懐かしんでくださる方のコメントも嬉しいですが、「初めて知った・・・」というコメントも同じくらい嬉しいです。40年前の録音も『資料』と感じて下さる方がたくさんいらっしゃるのですね。嬉しい評価、ありがとうございます。
素晴らしい動画です、「日本遺産」と言っても良いのではないでしょうか。貴重な当時の時刻表のキャプションなど織り交ぜて、視聴者に分かりやすよう伝わりやすいよう編集してくださっている主様のその姿勢に、ただひたすら敬服する次第です。
音声はありのままでいいとしても、画像作りは困りました。同じ画面が長時間続かないように、とにかく色々なものを織り交ぜて、なるべく画面がこまめに変わるようにしたつもりです。スタンプその他、必ずしも同一年代ではありませんが、おおむね昭和末期のイメージということでご容赦願います。
@@急行-宗谷 さまご丁寧に返信ありがとうございます。主様のその視聴者第一目線の編集に、ただただ敬意を表します。
@@hanagatamitsuru_hokkaido 様 視聴者第一目線とはお恥ずかしい。わたくし自身が楽しんで作っております。
すばらしく懐かしい音源のアップ、ありがとうございます。私が宗谷に乗車したのは、この4年後。確か、この頃は宗谷が札幌で系統分割され、札幌~稚内になってました。「おおぞら」も函館~釧路間、今では考えられないスケールの列車でしたね。この時代、北海道は乗り継ぎ列車との接続が悪くて、「時間がございます。待合室でお待ち下さい。」は車掌さんの決まり文句でしたね。多層階列車の案内放送も涙が出るほど懐かしいです。北海道ならではの「~行き特別急行・〇〇号」は、特急の格式を感じさせる言い方でした。
北海道を縦断していた『急行宗谷』は大好きな列車でした。初代南極観測船の『宗谷』ともイメージがダブり、大切な任務を背負って最果ての地を目指す・・・そんな頼もしさを感じました。
函館~稚内?信じられない距離です。昔の車掌さんの案内は、今と違って温かみがありますね。貴重な音声、ありがとうございます。
いぶし銀のような放送も可、女性アテンダントの放送も可、自動放送も可、要するに乗るのが好きなのですが、コロナで旅行自粛中です。
東京からだとどこまで行っちゃうんだろう札幌ー網走が東京ー大阪とほぼ同じくらいって聞いたことあるけど
当時の特急おおぞらは函館〜釧路。しかも滝川・富良野経由でした。
当時の営業距離で確か623キロだったかな?
小学生の頃乗った急行列車で「切符を拝見しま~す。切符を拝見しま~す。」とだけ言ってた車掌を思い出しました。この車掌さんは親切そうですね。
昭和の良き鉄道遺産『急行 宗谷』真面目で丁寧な車掌さんのアナウンスが、広い北の大地の旅情をそそる実に良い時代の思い出が鮮明に甦る
いい時代だったなぁ・・・と思います。でも今の時代だって捨てたものではありません。コロナが収束したら、また新鮮な気持ちで旅に出たいと思います。
国鉄時代、愛想のないひどい対応の駅員・車掌も少なくなかっただろうが、この車掌氏は素晴らしい。何と言っても発音にくせがなく、きれい。
亡父が倶知安の出身、母は函館の出身で毎年夏は家族全員で帰省していました。上野から青森、そこから青函連絡船で函館に到着した後、翌日に倶知安へ鉄道移動の一大旅行でした。貴重な音声を拝聴しながら50年前の記憶が甦りました。ありがとうございました。
楽しかった思い出ですね。昔の歌謡曲を聴いて、その時代を思い出すように、この音声から遠い昔の記憶が甦ってこられたのなら幸いです。
急行列車全盛期の車内放送は凄く丁寧で乗りたくなりますね❗
この車掌さんの放送は非常に理解しやすく、どこか昭和の時代を思い起こさせる話し方ですね。とても心地よいです。
昔は日常的に聞くことができた案内放送ですが、今では自動化が主流で人による案内放送も少なくなってしまいましたね。
急行宗谷、函館から稚内まで乗ってみたかった列車の一つでした。でも41年前私が中学生の夏休みに岩見沢の叔父宅から帯広の母方の祖父、祖母に会いに行く為、釧路行きの急行狩勝に岩見沢から帯広まで乗りました。キハ56にキハ22を増結し堂々の10両編成!車内もかなりの乗車率で自由席の通路側の空席になんとか座れ帯広まで4時間の鉄旅の思い出がよみがえりました。ありがとうございます!今の廃れた北海道の鉄路を見る度に寂しさを感じます。新幹線延伸、合理化より北斗星やトワイライト、不定期でも良いのでこういう特急、急行列車をリバイバル運転させる方がJR北海道の将来性があると個人的に思いますが。
昔は列車に乗る人も多く、いい時間帯に走る急行列車の自由席は混んだものでした。およそ快適とは言えませんでしたが、それはそれで印象深い旅でした。JR北海道ももう少しうまくやれないのかなぁ・・・などと思ったりもしますが、何しろ人口減少、地方の過疎化、車社会、等々で乗る人が少ないのですね。
大切な記録と記憶を残してくださり感謝です。ありがとうございます。久しぶりに汽車旅を堪能させていただきました。小樽発追分行や、小樽発歌志内行があったとは驚きました。
汽車旅の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。昔は結構変わった行先の列車がありましたね。長万部発深川行普通列車なんていうのも今では考えられないですね。
1970年頃「宗谷」で長万部-札幌間を利用しました。室蘭・千歳線経由が距離が長くても時間が短いので、急ぐ人はこの列車の少し前に出る「おおとり」で札幌に向かっていましたね。函館山線経由がものすごく遅く感じたものです。冬でしたので、札幌についたころは暗くなっていました。この先、さらに旭川や稚内まで行くのがすごいなと感じたものです。
当時、函館から稚内までの長距離直通急行があったことは驚きです。しかも函館本線の山線経由とは。当時の時刻表、路線図、駅弁なども同時に編集いただき、当時の北海道の鉄道旅行の記憶をたどることができました。貴重な音源を提供いただきありがとうございました。
北海道への旅客が鉄道から飛行機に移りつつあった時代、青函連絡船に接続して、函館から釧路へ、網走へ、稚内へと列車を走らせていたのは、広域輸送を担う国鉄の最後の意地のようでした。ほどなく函館中心の列車網が札幌中心に変わっていったのも時の流れですね。それにしても山線も廃止が決定になってしまうとは・・・
懐かしい車内放送でした。当方実家が伊達紋別駅の近くだったので、いつも見ることはできませんでした。しかし父の実家である八雲では函館から来る親戚がこの列車を利用していたので、八雲駅で迎えに行くときによく見ていました。
懐かしく拝聴致しました。現代の機械的な車内放送とは違って人の温もりが伝わる味わい深い放送です。各案内も懇切丁寧、気遣いが随所に感じられます。放送に併せて時刻表等を表示するup主様の構成も大変分かり易く、臨場感も大幅に増しております。貴重な記録をupして戴きありがとうございました。
多くの方から「貴重な」というコメントが寄せられ嬉しく思います。こんなに多くの方々がご覧になるとは思わず、今にしてみると、もっと丁寧な画像を作れば良かった・・・と思います。
旅情をかきたてる素晴らしい車内放送です。まさに質実剛健!
本当に懐かしいです。心に永遠に残る列車です。ありがとうございます。
急行宗谷は、個人的に大好きな列車でしたが、多くの人の心に残っていて嬉しいです。
私の学生時代、上野から札幌まで 急行八甲田〜宗谷の乗り継ぎは、テッパンのルートでした。周遊券だけで行ける最速列車でしたから、おもひでぽろぽろです❗️貴重な画像ありがとうございます😊
コメントありがとうございます。函館で先発する『おおぞら』にも『おおとり』にも乗らず、悠々『宗谷』に乗るのは周遊券ならではでした。
テッパンと言うのは関西方言だぜ。首都圏じゃ何言ってるんだこいつと思われるだけ
関東圏では漢字で『鉄板』。私も八甲田組ですけど、北海道ワイド周遊券だと、道内は特別急行の自由席に乗れませんでしたか?
凄く丁寧なアナウンスですね今はもう乗れないのが悔やまれる
同じ列車はありませんが、幸いにも線路はまだあります。路線が廃止にならないうちに乗って楽しみたいものですね。
とても懐かしい動画でした。私も18歳のときに鳥取から網走に赴任したとき函館から乗車しました。大沼公園に差し掛かった時に目に飛び込んできたのが雄大な駒ヶ岳でした。初めて目にする景色に感動したのを今でもはっきり覚えています。もう54年も前のことです。
函館から北海道に入って、すぐに出会える大沼公園の景色はひときわ印象的ですね。千歳空港から入るのとは違いましたね。
懐かしいです~、学生時代の夏は毎年北海道へ。朝10時の大阪発特急白鳥に乗り青森着が24時、青函連絡船で函館着が早朝5時、札幌に着くのが昼過ぎでした。
懐かしい音声、有り難うございます。私は大学2年の時、友人と逆ルートの稚内から函館に向かいました。長距離なので思いきってグリーン車を利用しました。朝7時頃稚内を出発し、夕方6時過ぎに函館に着き、青函連絡船に乗りました。長万部でかにめし弁当を買い、とても美味しかったのを今でも鮮明に覚えています。素敵な夢を見せていただき感謝いたします。
『宗谷』は上りの方が、景色を見ることができましたね。稚内から函館まで乗り通したとはさすがですね。グリーン車にしたのは大正解だと思います。
1980年、まだ鉄道ファンになる前。貴重な音源ありがとうございました。
私にとっても、まさに若かりし頃の夏休みの思い出です。函館駅で乗る時に風景を先読みして、進行方向のどちら側に座るか迷うのさえも楽しかった。大きな駅に着くと駅弁売りの声が響いていたのもこの時代。風情のあった鉄道風景を思い出しながら缶ビールで乾杯!
コメントありがとうございます。放送を聴きながら旅の思い出に浸っていただけたら幸いです。美味しく飲んでください。
こんな素晴らしい貴重な音声を聞かせていただけるなんて感謝です
古いテープからの再生ですが、思ったよりも劣化が少なく、たくさんの方から「貴重な・・・」とコメントを頂戴し、嬉しいです。
素晴らしい!この録音が残っていたこと、そしてIT技術によって広く聞けるという感動。うp主に感謝。
コロナによる外出自粛を機会に身辺整理し、古いカセットの音をパソコンに取り込み、思いつきで作ったスライドショーです。単に自分の「お遊び」のつもりでしたが、公開してみれば、意外や意外。多くの方から暖かいコメントを頂戴し、大変嬉しいです。
@@急行-宗谷 この動画は画面センスも非常に良い。切符や駅舎、時刻表など映像だけでもお宝ものであり、合わせ方も芸術的である。コロナもあり常に車移動なので音声を運転時にかけると、自家用車でも旅情が感じられるという贅沢もできる。この時代に生きて路線に乗れた方々はなんと幸せなのだろう、羨ましい。
@@ぴんくぴょん 様。嬉しいコメントをありがとうございます。車を運転中に音声をかけて、速度感覚が狂わないようにお気をつけ下さいませ。
素晴らしい動画ですね!ありがとうございました!感動しました!
コメントありがとうございます。『動画』と呼ぶには適当なイメージ画像ばかりですが、音声だけよりは楽しめるように…と思いまして。
キリリとした車掌さん😀その姿が浮かびます🎵かっこいいなぁと子供のとき憧れたものです🌈
問い合わせや困りごとの相談にも対応していて、熟練の車掌さん、貫禄ありましたね。
初めまして!40年以上前の貴重な音源がキレイに再生されて素晴らしいです!列車に揺られている気分に浸らせていただきました。1981年に私が乗った急行宗谷は札幌始発で稚内に23時前に到着しましたが、アナウンスを聞くと函館発のダイヤを札幌からそのまま引き継いだようです。それにしてもロングランでしたね〜。ありがとうございました
嬉しい評価をありがとうございます。系統分離で函館~札幌間が『北海』に格上げされた時は残念に思いました。しかも特急に格上げされた区間の列車の方が先に廃止になってしまうなんて思いもよりませんでした。
自分の祖父は元国鉄マンで車掌として実際車内のアナウンスをしていたそうです。最近はバスのように録音のアナウンスも増えてきましたが、やはりこの調子は温かみがあっていいですね。祖父は他界しましたが、存命中に祖父の調子が聞きたかったなあと思いました。アップありがとうございます。
御祖父様のことを思い出されて良かったです。なんだか、わたくしも心が温まる思いです。
おはようございます。何度聞いても北海道の旅をした気分になります。若い時の記憶は鮮明で今でも昭和40年代を思い起こしています。録音の音声が素晴らしく、感謝の気持ちです。本当に貴重な音源を有難うございます。車掌さんのまじめな?(当たり前ですが)放送は良いですね・・・
何回か繰り返しご視聴いただいているのですね。有難うございます。遠い昔の旅の記憶がよみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
山線と急行列車が元気だった時代、「くるまは~」「橋を渡りまして、待合室でお休みください」「気動車」等々、当時の車掌さんの言い回しが懐かしいです。多層階急行や「長万部発深川行」「小樽発追分行」など、今では考えられない行き先ですね。「あさひがわ」と濁って読んでいたのはいつまでだったのでしょう。
最初は函館発車後放送だけをUPしようと思ったのですが、乗り換え案内も捨てがたく、長くなってしまいました。小樽発追分行は時刻表では客車列車ですが、放送では気動車と言っていますね。
味のある車掌さんのアナウンスでした。駅に着く度に「長らくの御乗車お疲れ様でした」「長時間の待ち合わせは待合室でお待ちください」と、乗客を気遣う放送はは、長距離列車ならではの放送ですね。また、道内各地へ向かう列車の種類が豊富であったことも知ることが出来ました。
「待合室でお待ちください」は当時必ずありましたね。ホームで撮影したり、録音したい身には不自由でしたが・・・
叔母がいる稚内まで上野からゆうづる、青函連絡船、そしてこの急行宗谷に乗って行ったこと思い出しました。時間の節約ばかりでなく、こういう時間の使い方ができる選択肢が復活してくれればと願います。
函館から稚内まで乗り通すのは、乗ること自体を楽しむ鉄道ファンばかりと思っていましたが、実際に稚内に行く目的があって乗車されていたのですね。急行宗谷が本来の使命を果たしていたようで嬉しいです。それにしても長時間の乗車お疲れ様です。
@@急行-宗谷 小学生の私に取ってはかなり苦痛だった思い出ですが、見知らぬ車窓をずっと眺めてました。
@@shingo4785 様。私も幼いころから乗り物に乗ると、ずっと外ばかり眺めていました。退屈しないのが親にとっては助かったようですね。
紛れもなく1億国民の足だった頃の「国鉄」の息吹😭派手な車内演出は一切無く、ともすればボックスクロスシートの窮屈極まりない車内だったはずですが、それを余り感じさせない旅の雰囲気。乗客専務の赤い腕章を巻いたカレチの案内放送が目に浮かびます。世の中はどんどん「国鉄」を全く知らない世代が増えてきている中、国鉄ってこうだったんだよと後世に伝える貴重極まりない1級品の資料ですよ❗️アップありがとうございました。
様々な情景を思い起こして頂けたら何よりです。嬉しい評価をありがとうございます。
函館から来た宗谷に札幌から乗車して、音威子府まで行った事を思い出しました。グリーン車で贅沢させて貰いましたが、旭川発車後、バスガールみたいな帽子をちょこんと被ったおばさんが車内のゴミ集めや簡易清掃をしてくれていたのが印象的でした。優等列車の特別感みたいなの、車掌さんのきれいな日本語の車内放送と共に古き佳き思い出です。
そういえば、長距離列車の走行中に、車内の清掃って、結構ありましたね。忘れていた記憶が甦えるコメントをありがとうございます。
北海道へは蒸気機関車時代から20回以上旅行して、宗谷も走っていたが、函館から稚内までこの列車に通しで乗るのは、自分の行動パターンから無駄になるので怖くて乗れなかった。今から思うと乗りつぶしてもよいか?と。昔の路線図、時刻表を画像に加えていること、録音の質が高いこと、良い動画をありがとうございます。
北海道を縦断していた急行宗谷は大好きな列車でしたが、わたくしも全区間を乗り通したことはありませんでした。下りの場合は宗谷本線が夜になってしまい、景色が見えなかったからですね。列車に乗っていると写真は撮らないもので、当時の時刻表を加工するくらいしか画面の作りようがありませんでした。
@@急行-宗谷 さんご丁寧なお返事をどうもありがとうございました。急行宗谷で稚内に到着した場合に夜遅く宿屋さんを利用できたら、南稚内て朝のC55列車を撮ることになるが、私はオロハネ10に乗るため急行利尻で行きました。札幌駅で手書きの硬券寝台券でした。真ん中のデッキからハネでしたが、今思うことは、何度か乗ってロネも乗りたかったです。昔も今もロネは夢です。その日、南稚内は吹雪で白黒写真は、C55と旧型客車は黒い影になり吹雪が凄い写真になってしまいました。宗谷本線や天北線は良かったです。宗谷本線方面は、音威子府、名寄を宿地にしていました。北海道旅行は、いつも道内時刻表利用で、バスも良く記載されていて、国道のバスも多数利用しました。これからも動画を楽しみにいたします。敬具
SLの撮影も大変だったことと思います。苦労して撮った1枚はひときわ思い出深いことでしょうね。わたくしは自分では撮れないので、利尻島をバックにしたC55の写真などを出版物で見るだけです。
なんだこれ!!何もかもが今では考えられない!今では廃止された路線もそうだし、3種類の急行が連結して走ってるし、札幌圏が全て気動車だし、札沼線にも1時間に1本本数あるし…そして丁寧だけど丁寧すぎて不快にもならないこの車掌さん!まだ生まれていなかったので仕方ないですが、鉄道マニアにも注目されずに当たり前のように所要時間11時間の列車が走っていたなんて夢のようですね。音声だけでなく時刻表も全てが貴重なものですね!良いもの見せてもらってありがとうございます!!
音声に見合う動画もなく、苦し紛れの時刻表加工に切符とスタンプなどを加えたスライドショーですが、当時の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
@@急行-宗谷 全然!時刻表だけで大満足です!チャンネル登録しましたので時間ある時に順次見ていきたいと思います!
古き良き鉄道の旅を感じさせてくれる動画です。本当にありがとうございます。大沼、小沼、蓴菜沼の観光案内までしていたのですね。寝台特急北斗星でも、車窓から見えますとは案内があったような気がしますがここまで詳しくがなかったように思います。長い無聊な時間を癒そうという心意気が車掌さんから感じられます。
当時の国鉄は、結構、観光案内をしていたように思います。高校の修学旅行で乗った山陰本線の特急では、車内放送で安来節(だと思いますが)を唄ってくれたのを記憶しています。
子どもの頃倶知安に住んでたので、函館に行く時、札幌に行く時に何度か乗りました。一度でいいから全区間乗り通して見たかったですね。
グリーン車ならいいですが、普通車で全区間乗り通すのは結構大変だったろうと思います。稚内行きの場合は後半戦は夜で景色も見えないですし。
味わいのある車掌さんの名調子に、旅の楽しみが増すというものです。車掌さんの名調子もそうですが、国鉄時代の昔。駅の放送にも旅の楽しみが膨らみました。例えば長万部の駅の放送は「おしゃまんべ〜い。おしゃまんべ〜い」「れんらくぅ〜、瀬棚線は1時間の待ち合わせ。室蘭方面は1時間半の待ち合わせ。それぞれ時間がございます〜。橋を渡って待合室にてお待ち合くださぁ〜い」情緒がありましたよね。
「人」が放送する案内もめっきり減って、車内、駅とも自動放送が主流になってしまいました。情緒は失われてしまいましたが、外国語の案内も流せるようになって、利点はあるようですが。
この車のオルゴールは、スタートをあわせて、途中でもう一度ゼンマイを巻き直すときれいにワンフレーズ流れるのですよね。懐かしい。。。それにしても旅情溢れる素晴らしい放送ですね✨
旅情を感じて頂けたら何よりです。当時、特急以外の気動車のオルゴールを完全な形で聴くことはまずありませんでしたね。
懐かしい、全てが懐かしい。列車の走行音、車掌のアナウンス、弘済会の時刻表、スハフ32、もう涙が出そうなくらい懐かしい。「適当なイメージ画像」とんでもない、昭和っぽい編集加工、あの時代にタイムスリップですよ。素敵な動画、気持ちだけでもあの時代に帰る事が出来ました。
これほどまでに高評価をして下さる方も珍しく、感激しております。動画が手軽に撮影できる時代ではなく、記録と言えば、写真と録音ぐらいでした。どちらも素人で、低品質ですが、40年という歳月が風合いを醸し、懐かしさを感じて頂ければ幸いです。現代的な動画は作りようもなく、苦肉の策のスライドショーですが、『昭和っぽい編集加工』と評価していただき、これまた感激しています。有難うございます。
改めて見ましたが、素晴らしい動画ですね❗旅がしたい…。(泣)
有難うございます。初期の作でもあり、お見苦しい箇所が多々あろうかと思いますが、多くの方にご視聴頂いており、嬉しい限りです。
@@急行-宗谷 この先の路線は、北は旭川、東は帯広あたりまで短縮されるのですかね…。(泣)
時刻表と路線図で分かりやすい動画、ありがとうございます。上野からの寝台、連絡船で翌朝函館から稚内まで行ってた人いたんでしょうね。みがき鰊弁当とか買い込んでのんびり急行列車の旅も楽しそう。
稚内まで乗り通す人は少なかったと思いますが、何人かはいたことと思います。のんびりと列車の旅はいいものですが、後半は夜になって景色が見えないのが残念です。わたしは札幌で下車しました。
初めまして。今では長距離急行もなく特急に輸送が変わり時代を感じます。函館~稚内間の急行宗谷は今となっては貴重な列車だと思いますまた車内放送の車掌さんも音声が素敵で観光案内(大沼)や当時活躍した瀬棚線や胆振線などの乗り換え案内も貴重な放送ですね楽しく聞かせていただきましたので私も旅行気分になりました。貴重な動画ありがとうございます。
数多くのTH-cam作品に比べて、音質も画像も見劣りして、UPする際には、数日で撤去することも考えつつ、恐る恐るの公開でした。今では大勢の方から「貴重な」とコメントを頂戴しており、嬉しさでいっぱいです。ありがとうございます。
2:44~ この頃、「旭川」駅は「あさひがわ」(「か」に濁点あり)って読んでたんですよね。国鉄からJRになった次の年の1988年3月ダイヤ改正から「あさひかわ」(「か」に濁点なし)に変わりました。面白いことに、1898年の開業当初は数年間、「あさひかわ」(「か」に濁点なし)と言ってたそうで、読み方が2回変わったのです。
「あさしがわ」と聞こえます
とてもとても丁寧な放送に感動しました。乗りたかったです。また時刻表もはりつけていただき、旅気分が一気に高まりました。有難うございます。
こちらこそご視聴とコメント有難うございます。この列車はなくなってしまいましたが、路線はまだあるので長万部~小樽間が廃止にならないうちに乗っておきたいですね。
下手な観光列車走らせるより、昔の車両、名前で様々な列車を期間限定で走らせた方がいいような気がした郷愁ある動画でした。
稚内出身です。確か昭和55年ごろに札幌発に変わりましたので、それ以前の録音かと思います。40年前。本当に懐かしい。ありがとうございます。
稚内出身の方からコメントを頂けるなんて嬉しいです。札幌発着になったのは、昭和56年の10月でしたから、この録音の翌年ですね。この録音もひとつの記録になったかと思います。函館から稚内まで北海道を縦断する雄大さが好きでしたので、当時は残念に思いました。函館~札幌間は「特急北海」に格上げされましたが、北海の方が先に廃止になってしまいましたね。
当時の気動車急行の最長距離列車この車掌さんの車内放送サ―ビス満点最高に聴きやすいし連絡待ち停車時間も詳しく説明してくれる関西圏のキハ58だいせん丹波 但馬 みまさか号たくさん乗ったけれどこんなに上手い車内放送聴いたことがない⁉️録音も凄い良くミニ旅行気分になりますね‼️
嬉しい評価を頂き有難うございます。北海道を縦断する急行宗谷は大好きな列車でした。でも宗谷本線区間が夜になってしまうので稚内まで乗り通したことはありませんでした。
ぶっちゃけ今より乗り換えの案内親切だなとも
乗り換える支線も多かったですね。
懐かしい録音と映像は大変貴重ですね。昭和40年代前半頃ですか、小学館から刊行されました『日本の旅北海道』(当時としては非常に貴重なカラー写真の豪華書籍でした。グラビア写真のアート紙の臭いは今も忘れる事はありません。その中に『急行宗谷は駒ケ岳につかず離れず原野や沼の中を走り続ける。』の著述がありました。蝦夷駒ケ岳を背景に大沼をバックに8輌編成の急行宗谷が走りぬける写真は永久に忘れられないですね。思えば昭和52年は北海道を旅行する本州からのカニ族が多数押し寄せた時代でした。『森』駅の駅弁『いか飯』は、シンプルですが何度も駅弁市で買って食べた事があります。思えば長万部~札幌間にはC62牽引の急行ニセコが走っておりました。(待ち合わせ時間も平均1~2時間が当たり前であったのですが誰もそれを気にはしませんでした。むしろ貴重な命の洗濯の時間でした)夕闇迫る小樽駅からの飲み屋街の情景、平面交差であった札幌駅・・・本州人からみましても当時の北海道は函館駅に降り立った時から異国でした。特急『はつかり』も上野ー青森間(東北本線経由)特急『鳥海』も同じく上野ー青森間(高崎・上越・羽越・奥羽本線経由)日本の中の異国へ行く銀河鉄道の雰囲気がありましたね。
貴重な音声、ありがとございます。今では廃線になった区間や普段は使われないルートで楽しめました。長万部から深川行き鈍行ってと思いました。
長万部~小樽は、ローカル線のようになってしまいましたが、昔の山線は元気でしたね。
貴重音声と画像ありがとうございます。当時小学校1年生7歳でした。小樽市内山線単線沿線に住んでいました。北海道鉄道100周年が懐かしい。手宮で絵葉書をかってもらいました。懐かしい。
古い録音を聴いて、小学校の頃の良い思い出が、記憶の中から甦ったのでしたら何よりです。
何度か乗りました。とても懐かしくついつい聞き入ってました。この列車、函館発11:50でしたね。40分に特急おおぞら、45分に特急おおとり、そしてこの宗谷でした。子どもの頃長万部駅の改札口で放送を聴くのが楽しみでした。また長万部からは室蘭本線と分岐していきますから駅を発車した列車を、おおぞら、おおとりが室蘭本線へ、宗谷は山線の函館本線へと別れていくのも随分と見ました。宗谷は急行とはいえ、特急並の駅通過。時間はかかりましたが札幌まで楽しかった。車内放送もきれいですね。そんな中、廃線になった瀬棚線、胆振線などこちらも懐かしかったです。昔を思い出させていただきありがとうございました❗
放送を懐かしんでいただけて何よりです。長万部駅は主要な本線の分岐駅で、独特の雰囲気がありましたね。「おしゃまんべ」というアイヌ語由来の音の響きも北海道らしいですし、ホームでかにめしの立ち売りも旅情がありました。
懐かしい列車ですね。私が乗ったのは昭和52年の夏休みでした。このときは「おおぞら」「おおとり」そしてこの「宗谷」と3本立ての時代で、ワイド周遊券ではまだ特急列車には乗ることができませんでした。この「宗谷」で函館から稚内まで乗りとおす人などいるのだろうかと思ったものでした。ちなみにこのころの長距離急行に、上り「ニセコ2号」(根室~函館)がありましたね。私は釧路から札幌まで乗りました。
自分が一歳の時の、大変貴重な放送とそして当時の資料。ありがとうございます。
40年前の録音ですが、『資料』と感じて頂けて嬉しいです。
周遊券を持って北海道を旅していたことを思い出しますその当時の音源を、このように立体的に見せていただいて本当に感謝しますありがとうございます。
周遊券をはじめ、魅力的な切符がほとんど廃止になってしまいましたね。もう戻らない時代を思い出し、懐かしさを感じて頂けたら幸いです。
この画像を観た瞬間昔の列車内の匂いがしてきた。宗谷には乗ったことはないが小学生の夏休み特急おおとりに乗って遠軽方面に行ったのを思い出しました。
良く残ってたな~ありがとうございます。
急行宗谷はキハ56ですかね。ギリギリ乗れた世代です。キハ56はローカル運用にもありましたね。高校2年のとき、臨時急行すずらん(札幌→函館)に乗りました。函館には夜遅くに着き、青函連絡船は夜行便でした。青森からはいなほ4号で上野まで帰りましたよ。
この当時、北海道最南端の松前線松前駅を8時台に出発して函館で乗り換えて急行宗谷で最北端の稚内に行きたかった。実現できませんでしたが、当時を思い出すことができました。ただボックスシートはお尻が痛くてね・・いい思い出です。
確かに長時間のボックスシートはきつかったですね。車内がガラガラならまだいいのですが、当時はそこそこ乗っている人がいましたからね。あと煙草の煙もきつかった記憶があります。
懐かしいな〜!国鉄チャイムに車掌さんの肉声車内放送。函館から山線経由で最北の町、稚内迄の長い旅。
40年も前の音声で高級機材を使用した録音ではありませんが、当時の雰囲気を感じて頂けましたら何よりです。
この 線区も 後数年で 廃止になります
急行宗谷には乗りそびれた。函館と稚内を結ぶ急行列車は憧れの的でした。
画面がこれでもかっていうくらい丁寧で感激です
同じ画面が長時間続かないように、入れられるものは何でも入れてみました。スタンプや切符類など必ずしも同年代ではありませんが、おおむね昭和末期のイメージ画像のつもりです。
凄い動画。夢の中にいるようです😭
有難うございます。かなり適当な画面ではありますが、遠い昔を想像して頂けましたら嬉しいです。
素晴らしい車掌さんの案内ですね~とってもレトロで良いですね~有難う?この時代に戻ってほしいですね~優しくていいですね~
なんだか淀川長治さんの映画解説みたいですね。こんなスライドショーでも映画監督の気分です。楽しんで頂けたのでしたら何よりです。
本当に貴重な資料。タイムスリップして旅している様な気持ちになりますね!
高齢になると遠い過去のことも最近のように感じます。気が付けばもう40年前の録音になってしまいましたが、タイムスリップ感覚になるなんて不思議な気がしています。
貴重な音声をありがとうございます。大沼公園のアナウンスがとても丁寧ですね。旭川をあさひがわと言ったり、岩見沢をいわみさわということろも面白かったです。函館から山線で稚内駅直通、存在していたことが想像ができません。
山線もすっかり淋しくなってしまいましたね。新幹線ができたらどうなってしまうのでしょう。乗るのは今のうち・・・と思っても、コロナで旅行自粛中です。
初見です。この貴重なテープをよく残してましたね…あと、温かい放送ですね。
引っ越しの際にテープを捨てなくて良かったです。
函館から稚内へ。
急行宗谷は9時間半をかけてはしりました。
国鉄時代の、古き佳き急行。
現在ではあり得ない北海道の鉄路に涙💧
石勝線開業も見えていた頃、北海道の鉄道が今のような姿になろうとは夢にも思いまsんでした。
態度が悪いだの何かと批判を浴びることの多かった国鉄職員ですが、車掌業務に誇りと自負を持ち、鉄道を愛し、渾身に働いていた方も多くいました。ほんと、各駅ごとのアナウンスに心がこもってます。
こういう放送は録音当時でも嬉しくなったものでした。40年の時を経て、多くの方に聴いていただける機会を得て、嬉しく思います。
態度が悪かったのは都市部の職員でした、地方ローカル部の職員は気さくでとてもフレンドリーでした。
優等列車に反抗的な社員は配置されなかったのでは。車体にアジ文句を書くのも、特急車両は少なかったと言われるし。そもそも地方だとそれほど過密ダイヤでないから労務上の不満も少なかったかもしれないな。
窓も開かないし😤列車の匂いしないし😤 スピード😤速いけど🤣なんの情緒もない😓こんなのんびり時代戻りたい🚃🚃🚃🚃
めちゃくちゃ良いこと言うな
今では考えられない壮大な急行だ。とても丁寧な車掌の放送も良い。
正午前頃に函館を出て、その日のうちに稚内に着くなんて意外と速い
函館~稚内まで約12時間。こんな長い時間、キハ56に乗れるって今思えば夢のよう。
今にして思えばその通りですね。宗谷は大好きな列車でしたが、全区間を通して乗ったことはありませんでした。
今思えばもう一度乗りたいと思うけど、旭川から先、稚内や網走、釧路からさらに根室まで乗るとなると、最後の方はうんざりしたものです。
修学旅行の集約臨で、自分のクラスだけキハ48でしたが、エアサスの乗り心地がキハ56より良く、非鉄からは評判良かったです。
最近見た動画で一番心が揺さぶられました。私が産まれる前ですが北海道の賑わいを感じました。
たくさんの廃線、あさひがわ、手稲から琴似まで駅が無い、急行なのに停車駅は特急並み、、とても新鮮な気持ちで発見があり、想像しながら旅行することができました。この動画より前の時代ですが、私の祖父はかつて旭川駅で駅長をしていました。次に会うときはこの動画を観ながら昔話を聞いてみたいと思います。ありがとうございました。
TH-camにには数多くの鉄道系動画が公開されていますが、その中から嬉しい評価をありがとうございます。
音声に苦肉の策の時刻表加工画面を付けた、言ってみれば「安っぽい画面」ですが、反響の多さに驚いています。
気動車の轟音、線路の継ぎ目の快いリズム、車内オルゴール「アルプスの牧場」、そして車内放送……車両の案内、途中停車駅と到着時刻、乗り換え案内。乗り換えの待ち合わせ時間が1時間以上は当たり前。昭和の鉄道旅行の、時間の流れと音が懐かしいです。加えて、時刻表と地図までアップいただき、感謝です。
音声に見合う動画がなく、苦し紛れに時刻表を加工したスライドショーですが、楽しんで頂けましたら何よりです。
出来る事なら、こういう列車が日本のどこかに走ってるような時代がまた来て欲しい。
この動画は『旅情とは』をそのまま物語ってると思います。
ゆっくりと落ち着くトーンでアナウンスしてる車掌さん。僕がこの列車に乗ってたなら、間違いなくこれは生涯忘れることの無い旅になってたと思います。
こんな列車にまた乗ってみたい・・・同じ気持ちですね。
こんな急行列車、乗ってみたかったなあ。それにしても、すごく聞きやすい車内放送の録音、また 放送と共に、当時の時刻表を見せてきただき、とてもわかりやすかったです。up主のお心使い、感動しました。
心遣いというより、付けるべき動画も写真もなく、苦し紛れの時刻表加工画像ですが、放送を楽しんでいただければ何よりです。
@@急行-宗谷 今振り返ると 昭和時代のほうが北海道には多くの路線が存在していましたね
そのうちに路線も廃止され、たどることもできなくなりますね。
まさに昭和55年8月~9月の夏、北海道ワイド周遊券で20日間、大学鉄研の北海道合宿をしていました。
大雪、利尻、からまつなど、夜行列車を宿代わりに14車中泊をしての全線乗り潰しをしていました。
石勝線はまだ無くて、白糠線も廃線前、美幸線、士幌線(十勝三股代行バス)、万字線、夕張線登川支線などは
まだ健在でした。懐かしさに、感涙です。ありがとうございました。
音声を聴いて、遠い昔の旅を思い起こして頂けたのでしたら幸いです。
現代のマニュアル的な車内放送と違い 車掌さんにより個性があり良い時代だったと思います
こんな車内放送を聞いたら 旅路の雰囲気が盛り上げます!!
現在は自動放送がほとんどですが、これも時代の流れですね。
外国語の案内が流れるようになった時には、すごいものだと思いました。
@@急行-宗谷 北海道のほとんどの駅にもう汽車は来ません、とりあえず今日は来ません、今日の予定は終わりました・・・となるでしょう。
今JRは切符の対面販売をなくそうとしています。
でもこの頃はアナログな時代だったので駅のみどりの窓口で行き先を告げてどの列車に乗ったらいいかなど相談したもんです。
デジタル化が悪いとは言いませんが人間味がなくなったのは昭和生まれとして何か悲しいものがあります。
あの時代にタイムスリップして旅をしている気分にさせていただきました。
本当に貴重な車内放送をありがとうございました。
コメントありがとうございます。旅気分を感じていただけて何よりです。
すごいの一言です。昭和40年代にカニ族として、夏も冬も旅をしたものです。10歳代の思い出ポロポロです。本当にありがとうございます。何度も宗谷や利尻に乗車しました。まだ特急がない時代でした。
昔の旅を思い出して頂けて何よりです。宗谷本線は急行が頑張っていましたね。
急行宗谷。急行利尻(夜行列車)、急行天北(天北線経由)が宗谷本線を走っていました。何度も利尻に乗りました。特に思い出深いのは、普通列車(5~6両の客車編成)のSLのC55が旭川と稚内間を往復していました。小生は、上りの稚内から終点の旭川まで乗車しました。スポーク動輪の美しい汽車でした。
車掌さんの肉声放送に感動。
涙💧
今の自動放送に旅情は感じられませんが、国鉄時代の車掌さんの肉声放送は、否が応でもでも旅情が掻き立てられます。
自動放送がすっかり定着してしまいました。さびしいことですが、これも時代の流れですね。
アナウンスに合わせた時刻表、非常に楽しい感じです。
この頃は鉄道が一番盛り上がっていた時代なんだなあと感じます。
今は旅に出られないですが、おかげさまで旅をしている気分になれました。
ありがとうございます!
音声に合わせた動画はなく、時刻表加工の質素な画面ですが、わずかでも旅気分を感じて頂けたら幸いです。
素晴らしい。懐かしい。
昭和50年の3月、北海道均一周遊券を使って初めて北海道旅行をしたとき急行宗谷に乗りました。
前日の19時頃、上野を急行八甲田で出発し青森に早朝到着、青函連絡船に乗り次いで函館に昼前に到着、函館駅のカーブを描いた長いホームで待ち受ける急行宗谷に乗り継ぎ札幌には16時半に到着、実に22時間近く固い座席(連絡船はカーペット敷きの広間)に揺られて、2週間(均一周遊券の有効期間)におよぶ北海道旅行が始まりました。
均一周遊券では特急には乗れないため、この乗り継ぎが金のない学生旅行の定番でした。そしてユースホステルも。
40年以上前の思い出がはっきりと蘇ってきました。ありがとうございます。
思い出深い列車ばかりではなく、周遊券という魅力的な切符も無くなってしまいました。時代の流れですね。
何時も楽しく聞かせて頂いております。
国鉄時代の壮大な急行宗谷の、旅路を車窓と共に遙か稚内に想いを馳せています。
これからも、貴重な車内放送や構内放送、列車の音など楽しみにしております。
昔は良かったですね。
有難うございます。遠い昔の汽車旅に思いを巡らせて頂けましたら嬉しいです。
大変音質がいいのでずっと聞いてます。ありがとうございます。長距離列車の放送旅情があっていいですね。
「待合室でお休みください」「飲料水はホーム中央にあります」がツボでした。
2分弱の停車しかない長万部で、飲料水の案内をして大丈夫かな…とも思いますが、窓を開けて駅弁を買う人も多くいましたからね……
この車掌さんの車内放送、すごく丁寧ですね!!内容がわかりやすく、話すスピードとかも、誰もが聞きやすいように理解しやすいようにという感じで、車掌さん自身の親切なお人柄さえ感じられます!
自動放送も悪くはないですが、人の声による放送は温かみがありましたね。合理化か近代化か、だんだん聞けなくなってきました。時代の流れですね。
宗谷、山線経由だけど早いんだよね。函館札幌は4時間40分、海線のすずらんより15分くらいしか違わない。山線特急の北海がすずらんと同じ4時間25分だから、早いな。
いい日旅立ち!
北海道の鉄道もまだまだ元気のあった良い時代でした。
懐かしい、とにかく懐かしいです、旅してる気分になります。旧国鉄の車掌さんは本当に車内放送が上手でした。でも、この車掌さん絶品です。こんな音源があったとは・・、有難うございました。
今は普通列車の大部分がワンマンで、特急は自動放送。こういう案内放送もだんだん過去のものになりつつあるのですね。
鉄道ジャーナル1981年4月号の「宗谷」列車追跡は、シリーズ随一の名作だと思います。
C62ニセコの思い出、老骨にムチ打って走るキハ56、自然災害との闘い、氷雪の原野で見る哀しい幻影・・・
冬が今よりずっと厳しかった頃の北海道は、乗り鉄するだけで大冒険だったと感じさせてくれます。
機会がありましたら是非。
大変貴重な音源、ありがとうございます。当時、大学入学で渡道したばかり、このような道内の長距離急行列車が当たり前の存在でした。今となっては、本当に懐かしく、二度と乗ることが出来ない列車の重要文化財級の記録です。
コメントありがとうございます。重要文化財級……とはまた大変な評価。恐縮しつつとても嬉しく思います。もっといい画像を付けられると良かったのですが……
@@急行-宗谷 返信いただきありがとうございます。お世辞では決してありません。その当時あのシーンは二度と戻らないのですから。
この頃、東北夜行から青函連絡線乗り継ぎで函館では2本の特急を見送り、直後に発車のこの宗谷に札幌まで乗ったのを思い出しました。
アナウンスも細かく、乗り継ぎ時間が長い時は待合室でお待ちくださいは良く印象に残っています。当時使用したコンパス時刻表(¥300)も所有しています。懐かしく拝見させていただきました。
函館から稚内まで走りきるのかぁ…
道内縦断急行、乗ってみたかったなぁ…
40年前の音声をこんなにも高音質で聞けるなんてすごい!貴重な音源ありがとうございます!紋別やはぼろなど、現在は廃線になってしまった路線を走行する列車も結構走っていたんですね。
普通のカセットテープも意外と耐久性があることを知りました。公開して多数の方に聴いて頂けて良かったです。
すごい! まさに北海道縦断急行。
こんな素晴らしい急行があったなんて。
しかしよく録音してましたね。
公開ありがとうございます!
我ながら、よくこんな録音をしたものだと思います。古い録音なので公開に踏み切るのは、恐る恐るでした。
函館から稚内。10時間を超える急行の旅。乗り鉄にはたまらないですよねぇ~。
この長距離急行「宗谷」には、私は乗った事がありませんでしたが、函館から網走への特別急行「おおとり」には2度ほど乗った事があります。
こちらも10時間超えの長い旅でした。
キハ80系の「鼓動」が、今でも忘れられません。
この時代の車掌さんの、肉声の車内放送はホント、良かった。旅を演出してくる情緒がありました。
今は味気のない自動放送ばかりで、列車は旅ではなく、ただの移動手段に過ぎなくなってしまいました。
そう言う意味からも、この動画は本当に貴重です。
アップ、有り難うございます
網走までの『おおとり』も長かったことと思います。
わたくしは『急行宗谷』のファンでしたが、恥ずかしながら、函館から稚内まで乗り通したことがありませんでした。
47年以上生きている道産子ですが、恥ずかしながら函館発稚内行の急行があったこと自体知りませんでした。主様のご厚意なければ、このような素晴らしい資料を体験することができませんでした。他の方々が仰る通りの重要文化財級の内容に感服と畏敬申し上げます。
昔を知っていて、懐かしんでくださる方のコメントも嬉しいですが、「初めて知った・・・」というコメントも同じくらい嬉しいです。40年前の録音も『資料』と感じて下さる方がたくさんいらっしゃるのですね。
嬉しい評価、ありがとうございます。
素晴らしい動画です、「日本遺産」と言っても良いのではないでしょうか。
貴重な当時の時刻表のキャプションなど織り交ぜて、視聴者に分かりやすよう伝わりやすいよう編集してくださっている主様のその姿勢に、ただひたすら敬服する次第です。
音声はありのままでいいとしても、画像作りは困りました。
同じ画面が長時間続かないように、とにかく色々なものを織り交ぜて、なるべく画面がこまめに変わるようにしたつもりです。
スタンプその他、必ずしも同一年代ではありませんが、おおむね昭和末期のイメージということでご容赦願います。
@@急行-宗谷 さま
ご丁寧に返信ありがとうございます。
主様のその視聴者第一目線の編集に、ただただ敬意を表します。
@@hanagatamitsuru_hokkaido 様 視聴者第一目線とはお恥ずかしい。わたくし自身が楽しんで作っております。
すばらしく懐かしい音源のアップ、ありがとうございます。
私が宗谷に乗車したのは、この4年後。確か、この頃は宗谷が札幌で系統分割され、札幌~稚内になってました。「おおぞら」も函館~釧路間、今では考えられないスケールの列車でしたね。
この時代、北海道は乗り継ぎ列車との接続が悪くて、「時間がございます。待合室でお待ち下さい。」は車掌さんの決まり文句でしたね。多層階列車の案内放送も涙が出るほど懐かしいです。
北海道ならではの「~行き特別急行・〇〇号」は、特急の格式を感じさせる言い方でした。
北海道を縦断していた『急行宗谷』は大好きな列車でした。初代南極観測船の『宗谷』ともイメージがダブり、大切な任務を背負って最果ての地を目指す・・・そんな頼もしさを感じました。
函館~稚内?信じられない距離です。
昔の車掌さんの案内は、今と違って温かみがありますね。貴重な音声、ありがとうございます。
いぶし銀のような放送も可、女性アテンダントの放送も可、自動放送も可、要するに乗るのが好きなのですが、コロナで旅行自粛中です。
東京からだとどこまで行っちゃうんだろう
札幌ー網走が東京ー大阪とほぼ同じくらいって聞いたことあるけど
当時の特急おおぞらは函館〜釧路。
しかも滝川・富良野経由でした。
当時の営業距離で確か623キロだったかな?
小学生の頃乗った急行列車で「切符を拝見しま~す。切符を拝見しま~す。」とだけ言ってた車掌を思い出しました。この車掌さんは親切そうですね。
昭和の良き鉄道遺産『急行 宗谷』
真面目で丁寧な車掌さんのアナウンスが、広い北の大地の旅情をそそる
実に良い時代の思い出が鮮明に甦る
いい時代だったなぁ・・・と思います。でも今の時代だって捨てたものではありません。
コロナが収束したら、また新鮮な気持ちで旅に出たいと思います。
国鉄時代、愛想のないひどい対応の駅員・車掌も少なくなかっただろうが、この車掌氏は素晴らしい。何と言っても発音にくせがなく、きれい。
亡父が倶知安の出身、母は函館の出身で毎年夏は家族全員で帰省していました。
上野から青森、そこから青函連絡船で函館に到着した後、翌日に倶知安へ鉄道移動の一大旅行でした。
貴重な音声を拝聴しながら50年前の記憶が甦りました。
ありがとうございました。
楽しかった思い出ですね。昔の歌謡曲を聴いて、その時代を思い出すように、この音声から遠い昔の記憶が甦ってこられたのなら幸いです。
急行列車全盛期の車内放送は凄く丁寧で乗りたくなりますね❗
この車掌さんの放送は非常に理解しやすく、どこか昭和の時代を思い起こさせる話し方ですね。とても心地よいです。
昔は日常的に聞くことができた案内放送ですが、今では自動化が主流で人による案内放送も少なくなってしまいましたね。
急行宗谷、函館から稚内まで乗ってみたかった列車の一つでした。でも41年前私が中学生の夏休みに岩見沢の叔父宅から帯広の母方の祖父、祖母に会いに行く為、釧路行きの急行狩勝に岩見沢から帯広まで乗りました。キハ56にキハ22を増結し堂々の10両編成!車内もかなりの乗車率で自由席の通路側の空席になんとか座れ帯広まで4時間の鉄旅の思い出がよみがえりました。ありがとうございます!
今の廃れた北海道の鉄路を見る度に寂しさを感じます。
新幹線延伸、合理化より北斗星やトワイライト、不定期でも良いのでこういう特急、急行列車をリバイバル運転させる方がJR北海道の将来性があると個人的に思いますが。
昔は列車に乗る人も多く、いい時間帯に走る急行列車の自由席は混んだものでした。
およそ快適とは言えませんでしたが、それはそれで印象深い旅でした。
JR北海道ももう少しうまくやれないのかなぁ・・・などと思ったりもしますが、何しろ人口減少、地方の過疎化、車社会、等々で乗る人が少ないのですね。
大切な記録と記憶を残してくださり感謝です。ありがとうございます。
久しぶりに汽車旅を堪能させていただきました。
小樽発追分行や、小樽発歌志内行があったとは驚きました。
汽車旅の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
昔は結構変わった行先の列車がありましたね。
長万部発深川行普通列車なんていうのも今では考えられないですね。
1970年頃「宗谷」で長万部-札幌間を利用しました。室蘭・千歳線経由が距離が長くても時間が短いので、急ぐ人はこの列車の少し前に出る「おおとり」で札幌に向かっていましたね。函館山線経由がものすごく遅く感じたものです。冬でしたので、札幌についたころは暗くなっていました。この先、さらに旭川や稚内まで行くのがすごいなと感じたものです。
当時、函館から稚内までの長距離直通急行があったことは驚きです。しかも函館本線の山線経由とは。当時の時刻表、路線図、駅弁なども同時に編集いただき、当時の北海道の鉄道旅行の記憶をたどることができました。貴重な音源を提供いただきありがとうございました。
北海道への旅客が鉄道から飛行機に移りつつあった時代、青函連絡船に接続して、函館から釧路へ、網走へ、稚内へと列車を走らせていたのは、広域輸送を担う国鉄の最後の意地のようでした。ほどなく函館中心の列車網が札幌中心に変わっていったのも時の流れですね。それにしても山線も廃止が決定になってしまうとは・・・
懐かしい車内放送でした。当方実家が伊達紋別駅の近くだったので、いつも見ることはできませんでした。しかし父の実家である八雲では函館から来る親戚がこの列車を利用していたので、八雲駅で迎えに行くときによく見ていました。
懐かしく拝聴致しました。
現代の機械的な車内放送とは違って人の温もりが伝わる味わい深い放送です。
各案内も懇切丁寧、気遣いが随所に感じられます。
放送に併せて時刻表等を表示するup主様の構成も大変分かり易く、臨場感も大幅に増しております。
貴重な記録をupして戴きありがとうございました。
多くの方から「貴重な」というコメントが寄せられ嬉しく思います。こんなに多くの方々がご覧になるとは思わず、今にしてみると、もっと丁寧な画像を作れば良かった・・・と思います。
旅情をかきたてる素晴らしい車内放送です。まさに質実剛健!
本当に懐かしいです。心に永遠に残る列車です。ありがとうございます。
急行宗谷は、個人的に大好きな列車でしたが、多くの人の心に残っていて嬉しいです。
私の学生時代、上野から札幌まで 急行八甲田〜宗谷の乗り継ぎは、テッパンのルートでした。周遊券だけで行ける最速列車でしたから、おもひでぽろぽろです❗️
貴重な画像ありがとうございます😊
コメントありがとうございます。函館で先発する『おおぞら』にも『おおとり』にも乗らず、悠々『宗谷』に乗るのは周遊券ならではでした。
テッパンと言うのは関西方言だぜ。首都圏じゃ何言ってるんだこいつと思われるだけ
関東圏では漢字で『鉄板』。
私も八甲田組ですけど、北海道ワイド周遊券だと、道内は特別急行の自由席に乗れませんでしたか?
凄く丁寧なアナウンスですね
今はもう乗れないのが悔やまれる
同じ列車はありませんが、幸いにも線路はまだあります。
路線が廃止にならないうちに乗って楽しみたいものですね。
とても懐かしい動画でした。私も18歳のときに鳥取から網走に赴任したとき函館から乗車しました。大沼公園に差し掛かった時に目に飛び込んできたのが雄大な駒ヶ岳でした。初めて目にする景色に感動したのを今でもはっきり覚えています。もう54年も前のことです。
函館から北海道に入って、すぐに出会える大沼公園の景色はひときわ印象的ですね。千歳空港から入るのとは違いましたね。
懐かしいです~、学生時代の夏は毎年北海道へ。朝10時の大阪発特急白鳥に乗り青森着が24時、青函連絡船で函館着が早朝5時、札幌に着くのが昼過ぎでした。
懐かしい音声、有り難うございます。私は大学2年の時、友人と逆ルートの稚内から函館に向かいました。長距離なので思いきってグリーン車を利用しました。朝7時頃稚内を出発し、夕方6時過ぎに函館に着き、青函連絡船に乗りました。長万部でかにめし弁当を買い、とても美味しかったのを今でも鮮明に覚えています。素敵な夢を見せていただき感謝いたします。
『宗谷』は上りの方が、景色を見ることができましたね。
稚内から函館まで乗り通したとはさすがですね。グリーン車にしたのは大正解だと思います。
1980年、まだ鉄道ファンになる前。貴重な音源ありがとうございました。
私にとっても、まさに若かりし頃の夏休みの思い出です。
函館駅で乗る時に風景を先読みして、進行方向のどちら側に座るか迷うのさえも楽しかった。
大きな駅に着くと駅弁売りの声が響いていたのもこの時代。
風情のあった鉄道風景を思い出しながら缶ビールで乾杯!
コメントありがとうございます。放送を聴きながら旅の思い出に浸っていただけたら幸いです。美味しく飲んでください。
こんな素晴らしい貴重な音声を聞かせていただけるなんて感謝です
古いテープからの再生ですが、思ったよりも劣化が少なく、たくさんの方から「貴重な・・・」とコメントを頂戴し、嬉しいです。
素晴らしい!この録音が残っていたこと、そしてIT技術によって広く聞けるという感動。うp主に感謝。
コロナによる外出自粛を機会に身辺整理し、古いカセットの音をパソコンに取り込み、思いつきで作ったスライドショーです。単に自分の「お遊び」のつもりでしたが、公開してみれば、意外や意外。多くの方から暖かいコメントを頂戴し、大変嬉しいです。
@@急行-宗谷 この動画は画面センスも非常に良い。切符や駅舎、時刻表など映像だけでもお宝ものであり、合わせ方も芸術的である。
コロナもあり常に車移動なので音声を運転時にかけると、自家用車でも旅情が感じられるという贅沢もできる。
この時代に生きて路線に乗れた方々はなんと幸せなのだろう、羨ましい。
@@ぴんくぴょん 様。嬉しいコメントをありがとうございます。
車を運転中に音声をかけて、速度感覚が狂わないようにお気をつけ下さいませ。
素晴らしい動画ですね!
ありがとうございました!
感動しました!
コメントありがとうございます。『動画』と呼ぶには適当なイメージ画像ばかりですが、音声だけよりは楽しめるように…と思いまして。
キリリとした車掌さん😀その姿が浮かびます🎵かっこいいなぁと子供のとき憧れたものです🌈
問い合わせや困りごとの相談にも対応していて、熟練の車掌さん、貫禄ありましたね。
初めまして!40年以上前の貴重な音源がキレイに再生されて素晴らしいです!列車に揺られている気分に浸らせていただきました。1981年に私が乗った急行宗谷は札幌始発で稚内に23時前に到着しましたが、アナウンスを聞くと函館発のダイヤを札幌からそのまま引き継いだようです。それにしてもロングランでしたね〜。ありがとうございました
嬉しい評価をありがとうございます。系統分離で函館~札幌間が『北海』に格上げされた時は残念に思いました。しかも特急に格上げされた区間の列車の方が先に廃止になってしまうなんて思いもよりませんでした。
自分の祖父は元国鉄マンで車掌として実際車内のアナウンスをしていたそうです。最近はバスのように録音のアナウンスも増えてきましたが、やはりこの調子は温かみがあっていいですね。
祖父は他界しましたが、存命中に祖父の調子が聞きたかったなあと思いました。
アップありがとうございます。
御祖父様のことを思い出されて良かったです。なんだか、わたくしも心が温まる思いです。
おはようございます。何度聞いても北海道の旅をした気分になります。
若い時の記憶は鮮明で今でも昭和40年代を思い起こしています。録音の音声が素晴らしく、感謝の気持ちです。本当に貴重な音源を有難うございます。車掌さんのまじめな?(当たり前ですが)放送は良いですね・・・
何回か繰り返しご視聴いただいているのですね。有難うございます。
遠い昔の旅の記憶がよみがえり、懐かしさを感じて頂けましたら嬉しいです。
山線と急行列車が元気だった時代、「くるまは~」「橋を渡りまして、待合室でお休みください」「気動車」等々、当時の車掌さんの言い回しが懐かしいです。
多層階急行や「長万部発深川行」「小樽発追分行」など、今では考えられない行き先ですね。「あさひがわ」と濁って読んでいたのはいつまでだったのでしょう。
最初は函館発車後放送だけをUPしようと思ったのですが、乗り換え案内も捨てがたく、長くなってしまいました。
小樽発追分行は時刻表では客車列車ですが、放送では気動車と言っていますね。
味のある車掌さんのアナウンスでした。
駅に着く度に「長らくの御乗車お疲れ様でした」「長時間の待ち合わせは待合室でお待ちください」と、乗客を気遣う放送はは、長距離列車ならではの放送ですね。
また、道内各地へ向かう列車の種類が豊富であったことも知ることが出来ました。
「待合室でお待ちください」は当時必ずありましたね。ホームで撮影したり、録音したい身には不自由でしたが・・・
叔母がいる稚内まで上野からゆうづる、青函連絡船、そしてこの急行宗谷に乗って行ったこと思い出しました。
時間の節約ばかりでなく、こういう時間の使い方ができる選択肢が復活してくれればと願います。
函館から稚内まで乗り通すのは、乗ること自体を楽しむ鉄道ファンばかりと思っていましたが、実際に稚内に行く目的があって乗車されていたのですね。急行宗谷が本来の使命を果たしていたようで嬉しいです。
それにしても長時間の乗車お疲れ様です。
@@急行-宗谷 小学生の私に取ってはかなり苦痛だった思い出ですが、見知らぬ車窓をずっと眺めてました。
@@shingo4785 様。私も幼いころから乗り物に乗ると、ずっと外ばかり眺めていました。退屈しないのが親にとっては助かったようですね。
紛れもなく1億国民の足だった頃の「国鉄」の息吹😭
派手な車内演出は一切無く、ともすればボックスクロスシートの窮屈極まりない車内だったはずですが、それを余り感じさせない旅の雰囲気。乗客専務の赤い腕章を巻いたカレチの案内放送が目に浮かびます。世の中はどんどん「国鉄」を全く知らない世代が増えてきている中、国鉄ってこうだったんだよと後世に伝える貴重極まりない1級品の資料ですよ❗️アップありがとうございました。
様々な情景を思い起こして頂けたら何よりです。嬉しい評価をありがとうございます。
函館から来た宗谷に札幌から乗車して、音威子府まで行った事を思い出しました。グリーン車で贅沢させて貰いましたが、旭川発車後、バスガールみたいな帽子をちょこんと被ったおばさんが車内のゴミ集めや簡易清掃をしてくれていたのが印象的でした。優等列車の特別感みたいなの、車掌さんのきれいな日本語の車内放送と共に古き佳き思い出です。
そういえば、長距離列車の走行中に、車内の清掃って、結構ありましたね。
忘れていた記憶が甦えるコメントをありがとうございます。
北海道へは蒸気機関車時代から20回以上旅行して、宗谷も走っていたが、函館から稚内までこの列車に通しで乗るのは、自分の行動パターンから無駄になるので怖くて乗れなかった。今から思うと乗りつぶしてもよいか?と。
昔の路線図、時刻表を画像に加えていること、録音の質が高いこと、良い動画をありがとうございます。
北海道を縦断していた急行宗谷は大好きな列車でしたが、わたくしも全区間を乗り通したことはありませんでした。下りの場合は宗谷本線が夜になってしまい、景色が見えなかったからですね。
列車に乗っていると写真は撮らないもので、当時の時刻表を加工するくらいしか画面の作りようがありませんでした。
@@急行-宗谷 さんご丁寧なお返事をどうもありがとうございました。
急行宗谷で稚内に到着した場合に夜遅く宿屋さんを利用できたら、南稚内て朝のC55列車を撮ることになるが、私はオロハネ10に乗るため急行利尻で行きました。札幌駅で手書きの硬券寝台券でした。
真ん中のデッキからハネでしたが、今思うことは、何度か乗ってロネも乗りたかったです。昔も今もロネは夢です。
その日、南稚内は吹雪で白黒写真は、C55と旧型客車は黒い影になり吹雪が凄い写真になってしまいました。宗谷本線や天北線は良かったです。宗谷本線方面は、音威子府、名寄を宿地にしていました。
北海道旅行は、いつも道内時刻表利用で、バスも良く記載されていて、国道のバスも多数利用しました。
これからも動画を楽しみにいたします。敬具
SLの撮影も大変だったことと思います。苦労して撮った1枚はひときわ思い出深いことでしょうね。
わたくしは自分では撮れないので、利尻島をバックにしたC55の写真などを出版物で見るだけです。
なんだこれ!!何もかもが今では考えられない!今では廃止された路線もそうだし、3種類の急行が連結して走ってるし、札幌圏が全て気動車だし、札沼線にも1時間に1本本数あるし…
そして丁寧だけど丁寧すぎて不快にもならないこの車掌さん!まだ生まれていなかったので仕方ないですが、鉄道マニアにも注目されずに当たり前のように所要時間11時間の列車が走っていたなんて夢のようですね。音声だけでなく時刻表も全てが貴重なものですね!良いもの見せてもらってありがとうございます!!
音声に見合う動画もなく、苦し紛れの時刻表加工に切符とスタンプなどを加えたスライドショーですが、当時の雰囲気を感じて頂けましたら嬉しいです。
@@急行-宗谷
全然!時刻表だけで大満足です!チャンネル登録しましたので時間ある時に順次見ていきたいと思います!
古き良き鉄道の旅を感じさせてくれる動画です。本当にありがとうございます。
大沼、小沼、蓴菜沼の観光案内までしていたのですね。
寝台特急北斗星でも、車窓から見えますとは案内があったような気がしますがここまで詳しくがなかったように思います。長い無聊な時間を癒そうという心意気が車掌さんから感じられます。
当時の国鉄は、結構、観光案内をしていたように思います。
高校の修学旅行で乗った山陰本線の特急では、車内放送で安来節(だと思いますが)を唄ってくれたのを記憶しています。
子どもの頃倶知安に住んでたので、函館に行く時、札幌に行く時に何度か乗りました。一度でいいから全区間乗り通して見たかったですね。
グリーン車ならいいですが、普通車で全区間乗り通すのは結構大変だったろうと思います。
稚内行きの場合は後半戦は夜で景色も見えないですし。
味わいのある車掌さんの名調子に、旅の楽しみが増すというものです。
車掌さんの名調子もそうですが、国鉄時代の昔。
駅の放送にも旅の楽しみが膨らみました。例えば長万部の駅の放送は「おしゃまんべ〜い。おしゃまんべ〜い」
「れんらくぅ〜、瀬棚線は1時間の待ち合わせ。室蘭方面は1時間半の待ち合わせ。それぞれ時間がございます〜。橋を渡って待合室にてお待ち合くださぁ〜い」情緒がありましたよね。
「人」が放送する案内もめっきり減って、車内、駅とも自動放送が主流になってしまいました。
情緒は失われてしまいましたが、外国語の案内も流せるようになって、利点はあるようですが。
この車のオルゴールは、スタートをあわせて、途中でもう一度ゼンマイを巻き直すときれいにワンフレーズ流れるのですよね。懐かしい。。。
それにしても旅情溢れる素晴らしい放送ですね✨
旅情を感じて頂けたら何よりです。当時、特急以外の気動車のオルゴールを完全な形で聴くことはまずありませんでしたね。
懐かしい、全てが懐かしい。
列車の走行音、車掌のアナウンス、弘済会の時刻表、スハフ32、もう涙が出そうなくらい懐かしい。
「適当なイメージ画像」とんでもない、昭和っぽい編集加工、あの時代にタイムスリップですよ。
素敵な動画、気持ちだけでもあの時代に帰る事が出来ました。
これほどまでに高評価をして下さる方も珍しく、感激しております。
動画が手軽に撮影できる時代ではなく、記録と言えば、写真と録音ぐらいでした。
どちらも素人で、低品質ですが、40年という歳月が風合いを醸し、懐かしさを感じて頂ければ幸いです。
現代的な動画は作りようもなく、苦肉の策のスライドショーですが、『昭和っぽい編集加工』と評価していただき、これまた感激しています。有難うございます。
改めて見ましたが、素晴らしい動画ですね❗
旅がしたい…。(泣)
有難うございます。初期の作でもあり、お見苦しい箇所が多々あろうかと思いますが、多くの方にご視聴頂いており、嬉しい限りです。
@@急行-宗谷
この先の路線は、北は旭川、東は帯広あたりまで短縮されるのですかね…。(泣)
時刻表と路線図で分かりやすい動画、ありがとうございます。
上野からの寝台、連絡船で翌朝函館から稚内まで行ってた人いたんでしょうね。
みがき鰊弁当とか買い込んでのんびり急行列車の旅も楽しそう。
稚内まで乗り通す人は少なかったと思いますが、何人かはいたことと思います。
のんびりと列車の旅はいいものですが、後半は夜になって景色が見えないのが残念です。わたしは札幌で下車しました。
初めまして。今では長距離急行もなく特急に輸送が変わり時代を感じます。
函館~稚内間の急行宗谷は今となっては貴重な列車だと思います
また車内放送の車掌さんも音声が素敵で観光案内(大沼)や
当時活躍した瀬棚線や胆振線などの乗り換え案内も貴重な放送ですね
楽しく聞かせていただきましたので私も旅行気分になりました。貴重な動画ありがとうございます。
数多くのTH-cam作品に比べて、音質も画像も見劣りして、UPする際には、数日で撤去することも考えつつ、恐る恐るの公開でした。
今では大勢の方から「貴重な」とコメントを頂戴しており、嬉しさでいっぱいです。ありがとうございます。
2:44~ この頃、「旭川」駅は「あさひがわ」(「か」に濁点あり)って読んでたんですよね。国鉄からJRになった次の年の1988年3月ダイヤ改正から「あさひかわ」(「か」に濁点なし)に変わりました。面白いことに、1898年の開業当初は数年間、「あさひかわ」(「か」に濁点なし)と言ってたそうで、読み方が2回変わったのです。
「あさしがわ」と聞こえます
とてもとても丁寧な放送に感動しました。乗りたかったです。また時刻表もはりつけていただき、旅気分が一気に高まりました。有難うございます。
こちらこそご視聴とコメント有難うございます。この列車はなくなってしまいましたが、路線はまだあるので長万部~小樽間が廃止にならないうちに乗っておきたいですね。
下手な観光列車走らせるより、昔の車両、名前で様々な列車を期間限定で走らせた方がいいような気がした郷愁ある動画でした。
稚内出身です。確か昭和55年ごろに札幌発に変わりましたので、それ以前の録音かと思います。40年前。本当に懐かしい。ありがとうございます。
稚内出身の方からコメントを頂けるなんて嬉しいです。
札幌発着になったのは、昭和56年の10月でしたから、この録音の翌年ですね。この録音もひとつの記録になったかと思います。
函館から稚内まで北海道を縦断する雄大さが好きでしたので、当時は残念に思いました。
函館~札幌間は「特急北海」に格上げされましたが、北海の方が先に廃止になってしまいましたね。
当時の気動車急行の
最長距離列車
この車掌さんの
車内放送サ―ビス満点
最高に聴きやすいし
連絡待ち停車時間も
詳しく説明してくれる
関西圏のキハ58だいせん
丹波 但馬 みまさか号
たくさん乗ったけれど
こんなに上手い車内放送
聴いたことがない⁉️
録音も凄い良く
ミニ旅行気分になりますね‼️
嬉しい評価を頂き有難うございます。
北海道を縦断する急行宗谷は大好きな列車でした。でも宗谷本線区間が夜になってしまうので稚内まで乗り通したことはありませんでした。
ぶっちゃけ今より乗り換えの案内親切だなとも
乗り換える支線も多かったですね。
懐かしい録音と映像は大変貴重ですね。昭和40年代前半頃ですか、小学館から刊行されました『日本の旅北海道』(当時としては非常に貴重なカラー写真の豪華書籍でした。グラビア写真のアート紙の臭いは今も忘れる事はありません。その中に『急行宗谷は駒ケ岳につかず離れず原野や沼の中を走り続ける。』の著述がありました。蝦夷駒ケ岳を背景に大沼をバックに8輌編成の急行宗谷が走りぬける写真は永久に忘れられないですね。思えば昭和52年は北海道を旅行する本州からのカニ族が多数押し寄せた時代でした。『森』駅の駅弁『いか飯』は、シンプルですが何度も駅弁市で買って食べた事があります。思えば長万部~札幌間にはC62牽引の急行ニセコが走っておりました。(待ち合わせ時間も平均1~2時間が当たり前であったのですが誰もそれを気にはしませんでした。むしろ貴重な命の洗濯の時間でした)夕闇迫る小樽駅からの飲み屋街の情景、平面交差であった札幌駅・・・本州人からみましても当時の北海道は函館駅に降り立った時から異国でした。特急『はつかり』
も上野ー青森間(東北本線経由)特急『鳥海』も同じく上野ー青森間(高崎・上越・羽越・奥羽本線経由)日本の中の異国へ行く銀河鉄道の雰囲気がありましたね。
貴重な音声、ありがとございます。
今では廃線になった区間や普段は使われないルートで楽しめました。
長万部から深川行き鈍行ってと思いました。
長万部~小樽は、ローカル線のようになってしまいましたが、昔の山線は元気でしたね。
貴重音声と画像ありがとうございます。当時小学校1年生7歳でした。小樽市内山線単線沿線に住んでいました。北海道鉄道100周年が懐かしい。手宮で絵葉書をかってもらいました。懐かしい。
古い録音を聴いて、小学校の頃の良い思い出が、記憶の中から甦ったのでしたら何よりです。
何度か乗りました。とても懐かしくついつい聞き入ってました。この列車、函館発11:50でしたね。40分に特急おおぞら、45分に特急おおとり、そしてこの宗谷でした。子どもの頃長万部駅の改札口で放送を聴くのが楽しみでした。また長万部からは室蘭本線と分岐していきますから駅を発車した列車を、おおぞら、おおとりが室蘭本線へ、宗谷は山線の函館本線へと別れていくのも随分と見ました。宗谷は急行とはいえ、特急並の駅通過。時間はかかりましたが札幌まで楽しかった。車内放送もきれいですね。そんな中、廃線になった瀬棚線、胆振線などこちらも懐かしかったです。
昔を思い出させていただきありがとうございました❗
放送を懐かしんでいただけて何よりです。
長万部駅は主要な本線の分岐駅で、独特の雰囲気がありましたね。「おしゃまんべ」というアイヌ語由来の音の響きも北海道らしいですし、ホームでかにめしの立ち売りも旅情がありました。
懐かしい列車ですね。私が乗ったのは昭和52年の夏休みでした。このときは「おおぞら」「おおとり」そしてこの「宗谷」と3本立ての時代で、ワイド周遊券ではまだ特急列車には乗ることができませんでした。
この「宗谷」で函館から稚内まで乗りとおす人などいるのだろうかと思ったものでした。ちなみにこのころの長距離急行に、上り「ニセコ2号」(根室~函館)がありましたね。私は釧路から札幌まで乗りました。
自分が一歳の時の、大変貴重な放送とそして当時の資料。
ありがとうございます。
40年前の録音ですが、『資料』と感じて頂けて嬉しいです。
周遊券を持って北海道を旅していたことを思い出しますその当時の音源を、このように立体的に見せていただいて本当に感謝しますありがとうございます。
周遊券をはじめ、魅力的な切符がほとんど廃止になってしまいましたね。もう戻らない時代を思い出し、懐かしさを感じて頂けたら幸いです。
この画像を観た瞬間昔の列車内の匂いがしてきた。
宗谷には乗ったことはないが小学生の夏休み特急おおとりに乗って遠軽方面に行った
のを思い出しました。
良く残ってたな~
ありがとうございます。
急行宗谷はキハ56ですかね。ギリギリ乗れた世代です。キハ56はローカル運用にもありましたね。高校2年のとき、臨時急行すずらん(札幌→函館)に乗りました。函館には夜遅くに着き、青函連絡船は夜行便でした。青森からはいなほ4号で上野まで帰りましたよ。
この当時、北海道最南端の松前線松前駅を8時台に出発して
函館で乗り換えて急行宗谷で最北端の稚内に行きたかった。
実現できませんでしたが、当時を思い出すことができました。
ただボックスシートはお尻が痛くてね・・
いい思い出です。
確かに長時間のボックスシートはきつかったですね。車内がガラガラならまだいいのですが、当時はそこそこ乗っている人がいましたからね。あと煙草の煙もきつかった記憶があります。
懐かしいな〜!国鉄チャイムに車掌さんの肉声車内放送。函館から山線経由で最北の町、稚内迄の長い旅。
40年も前の音声で高級機材を使用した録音ではありませんが、当時の雰囲気を感じて頂けましたら何よりです。
この 線区も 後数年で 廃止に
なります
急行宗谷には乗りそびれた。函館と稚内を結ぶ急行列車は憧れの的でした。
画面がこれでもかっていうくらい丁寧で感激です
同じ画面が長時間続かないように、入れられるものは何でも入れてみました。
スタンプや切符類など必ずしも同年代ではありませんが、おおむね昭和末期のイメージ画像のつもりです。
凄い動画。夢の中にいるようです😭
有難うございます。かなり適当な画面ではありますが、遠い昔を想像して頂けましたら嬉しいです。
素晴らしい車掌さんの案内ですね~とってもレトロで良いですね~有難う?この時代に戻ってほしいですね~優しくていいですね~
なんだか淀川長治さんの映画解説みたいですね。こんなスライドショーでも映画監督の気分です。楽しんで頂けたのでしたら何よりです。
本当に貴重な資料。タイムスリップして旅している様な気持ちになりますね!
高齢になると遠い過去のことも最近のように感じます。気が付けばもう40年前の録音になってしまいましたが、タイムスリップ感覚になるなんて不思議な気がしています。
貴重な音声をありがとうございます。
大沼公園のアナウンスがとても丁寧ですね。
旭川をあさひがわと言ったり、岩見沢をいわみさわということろも面白かったです。
函館から山線で稚内駅直通、存在していたことが想像ができません。
山線もすっかり淋しくなってしまいましたね。新幹線ができたらどうなってしまうのでしょう。
乗るのは今のうち・・・と思っても、コロナで旅行自粛中です。
初見です。
この貴重なテープをよく残してましたね…
あと、温かい放送ですね。
引っ越しの際にテープを捨てなくて良かったです。