ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
良く、こんな画像残してくれててありがとうございます!
まあ、色々と映像に残すのが趣味なので、一度しかない今を残したりしています。
昭和51年(1976年)7月に名古屋からサロベツ原生花園を目的地として男一人旅をしました。上野から寝台列車に乗り、朝早く青森着、そして乗ったのがこの「青函連絡船」。船名までは覚えていません。船室は覗いてみたものの、そこで休むことはありませんでした。ズーと外を眺めていたような。函館は小雨で、市電に乗り函館山ロープウェイに乗りました。周りは真っ白。帰りも又、青函連絡船です。今度は深夜に函館に着き、深夜の連絡船。カーペット敷きの所で寝た記憶があります。「旅」がいい! 若かったなぁ。もう一度行きたい!
また行けばいいさ。青函連絡船は、無いけど、私は船の旅って好きですね。
青森から函館に着く頃、「はるばる来たぜ函館」と勝手に口ずさむ自分がいた。
そうなんですか?私は、「海峡」か、「津軽海峡冬景色」かな?ちょうど、冬だったし。
@@HobbyVideos そうですね。あの頃は夏しか行けませんでした。だからかな。
45年前くらいに北海道ワイド周遊券を使って、大阪駅から『急行きたぐに』に乗車して翌日青函連絡船に乗って函館から急行を乗り継いで釧路へ旅行した記憶があります。しんどかったけれど楽しかった。
そりゃー楽しかったでしょう!私は東北ワイド周遊券で大阪から急行きたぐにで青森まで行く予定が、大舘付近で災害のため秋田で運転取りやめになり、仙台へ行き、急行八甲田で青森へ行った思い出があり、急行きたぐには、終点まで乗り通せませんでした。
私も青函連絡船にはお世話になった1人です。中学時代の十和田湖へ修学旅行に行ったとき、高校時代の修学旅行での移動の時も利用したりした他に就職で上京したあとバイクで実家の在る札幌迄帰省ツーリングしたときにも利用したりしていましたよ。懐かしい思い出でしたねぇ。特に摩周丸は良く揺れて、船酔いしていましたよ。大変でしたが、十和田丸、八甲田丸にも乗りましたなあ〜!👋🤓
と言う事は、今は東京にお住まいなのかな?東京都札幌を行き来するのに、鉄道と連絡船を良く使われてたのですね。私は、東日本フェリーには、乗りましたが国鉄の青函連絡船はこれが、最初で最後でした。摩周丸が良く揺れたと言うのは、たまたま海が荒れていたのでしょう。
お勧めに出てきて、耳当て付帽子の子供さんから純と蛍ちゃんが乗っていそうな青函連絡船で北の国からを思い出しました。
そうですか、昔は鉄道はつながっていなかったですからね。この船に乗って北海道へ行っていた時代でした。
初めて乗ったのは、いまから55年ぐい前確か十和田丸だった、京都から高校の修学旅行です。ほんとうにたのしかった。船の中で飲んだガラナジュースが爽快。思い出したら涙が出そう・・・
そうですか。私も、これっきりでしたね。北海道ってなかなか行けるところではないしね。でも、今は新幹線で行けるのですね。
青森と函館の街は青函連絡船が似合うですよね☺️
それって、演歌の世界化も。
情緒があって良いですね。
そうですね。船と言うのも良いもんです。
青函連絡船、確かに時間はかかる⌛️でもそれを補って余りあるだけの価値が有る👍️「旅行」している感の価値が🍀新幹線だと、旅行じゃなくただの「移動」だからね☺️
なるほど、ただの移動ですか!これからどんどんただの移動が増えてきますね。船の旅も良いですね。船ってあまり乗る機会がないから余計そう感じます。
けだし名言。
僕も連絡船廃止直前の昭和63年2/25日、高崎線上尾〜青春18キップにて東北本線を乗り継ぎ(僕は当時高校1年で、丁度県立高校入試のため学校が休みでした)青森発深夜便(十和田丸)にて函館まで渡りました。深夜なので龍飛崎や函館山などの風景は見えませんでしたが、漁り火なんかは見えましたし、ゴザ席の知らんオヤジどもと一緒になったり(今ではそんなの敬遠されますよね)、何より初めての北海道だったのでなんとも言えない高揚感がありました。もう一度、お金では買えないあの旅情、あの高揚感を味わいたいです。北海道新幹線や飛行機じゃ、なんか味気ないですね。
「もう一度、お金では買えないあの旅情、あの高揚感を味わいたい」私もいつもそう思うのです。でも、今と言う日はもう二度と来ないし、この撮影をした日も、もう二度と北海道には行かないかも知れないと思って、せめてビデオの世界でもバーチャル空間ででも、あの旅情を味わえたらと思い、いつもビデオを撮影するのです。つまらないビデオだったこともあります。あれを撮影しておいたらよかったのにと後悔する時もあります。ですから、私は、どうでも良いようなビデオをいつも撮影しています。
時間ばかりを追い求めた結果、日本の鉄道の旅は味気なくなりましたね。
そうですね。
いつも楽しみにしてますよ😃語り口も映像も味があるんですよ。あと音も。ありがとうございます🍀
どういたしまして!こんな古い映像ばかりなので、あまり人気が無いチャンネルですがよろしくお願いします。
今は東日本海フェリーとかで新幹線代を少しでも節約するための手段として使えるね。
なるほど、そういう手もありますね。
懐かしいですね。ドラの音・・・。その昔、18時半頃上野駅13番線から急行八甲田自由席、青函連絡船に乗ってはるばる函館に着いた頃には翌日10時過ぎ。確かホームにはキハ82特急おおぞら、おおとりがいましたっけ。私は20日間有効の北海道ワイド周遊券だったので、後発客車急行ニセコかすずらんに揺られて札幌入り。上野を出て23時間後だったですかね。青函連絡船のグリーン券にもかなりお世話になりました。新幹線で時短も悪くはないのですが、ゆったり時間が流れていたあの頃がいとおしいです。でも稚内まで足を延ばすと到着はさらに札幌から夜行急行利尻を使って翌々日の朝6時頃だったと記憶しております。
+ぼろりぁびゅう~train window view~ さん メッセージありがとうございます。ワイド周遊券は、私は学生時代に東北旅行に使いました。当時奥羽本線が電化されるとの事でキハ181系のつばさの撮影をメイン目的で同時に他のひばり、やまびこ、はつかり、やまばとなどの列車を撮影しました。国鉄青函連絡船は、このビデオ撮影が最初で最後でしたね。夜行急行利尻って昔は旧型客車だったのでしょうね。ニセコもC62が牽引してましたっけ?もうDD51になってしまったのかな?みなさんそれぞれ青函連絡船の思い出があるのですね。この映像で少しでも思い出してもらえたのなら良かったです。そうそう、稚内の駅も新しくなってしまいましたね。
+国鉄時代の鉄道ファン 残念ながらニセコのC62は運用終了していました。確か急行利尻、大雪は旧客でしたし夜行鈍行からまつも旧客でしたね。宿代を浮かしたかった身には重宝な列車でした。当時は夏休みや冬休みに渡道することが多く、多客期のため青函連絡船で居場所を確保するのが大変でした。このところ函館で公開されている摩周丸には渡るたびに訪ねていますが、新幹線が伸びてさらに北を目指す私は函館へ寄る機会が減りそうです。
+ぼろりぁびゅう~train window view~ さん メッセージありがとうございます。私は、2,3年前、北海道へ行ったのですが、マイカーに乗って行って、マイカーで寝泊まりして撮り鉄していたので、いつもフェリーなのです。そのため、苫小牧から北海道へ入るため函館には全然行けないですね。やっぱり北海道へ行ったら北を目指したいので(笑)リクライニングの14系座席車も良いけど、旧客の方が、落ち着くのは私だけかもしれませんね。
+国鉄時代の鉄道ファン 私も同じですよ。わざわざ旧客に乗りたくて水上まで行ったりします。長距離乗車はご遠慮いたしますが(笑)鉄道で北海道を目指した者にとって切っても切れない青函連絡船なので、人それぞれに思い入れがあるのでしょう。船旅も晴海から釧路を経験していますが、東京湾を出るのに時間がかかってうんざり(笑)今は大洗になりましたね。1970年代後半の学生には飛行機という選択肢はなく、今のようにLCCで早く安く行ける場所ではなかったです。
+ぼろりぁびゅう~train window view~ さん メッセージありがとうございます。東京湾を出るのに時間がかかるのですか?結構大きい湾ですからね。新潟だとすぐに日本海です。ただ、私は冬に行ったので、波が大きく、船はアップダウンを繰り返し、船酔いしそうになって、ベットで横になりました。北海道は今は鉄道でつながって鉄道旅行をする人はもう海外旅行ではなくなってしまいましたが、私はフェリーでマイカーを持っていくのでやはり船に乗っての海外旅行になります(笑)今はLCCですか?私も一度乗ってみたいですね。そんなに安いのだったら。新幹線で金沢から東京へ行くより安いですよね(笑)
昔の青函連絡船は凄く良かった、旅行をしたという思い出は何十年も心の残っています。新幹線では思い出なんてものは残らないでしょう。北海道へ旅行するなら今でもフェリーを使います、新幹線には全く興味なし。ビジネスで札幌へ行くなら、絶対に飛行機、もし多くの人が僕と同じような考えならば、北海道新幹線が仮に札幌まで開通しても恐らく非常に経営が難しいことになると思います。
+Syd Moto さん メッセージありがとうございます。私も、この青函連絡船や、普通列車での旅行は何十年も心の中に残っています。新幹線は、速い代わりに、トンネルが多く景色なんかを楽しむのは、半減しますね。私も、北海道へ行く時はマイカーをフェリーに積んで行きます。まあ、撮影機材が一杯あるのでどうしてもマイカーになってしまいます。新幹線の良い所は、飛行機の便が悪い町から町への高速移動に威力を発揮すると思います。東京から札幌までビジネスで行くなら、やはり飛行機になると思います。もう一つ、思うのは、函館と言う町が夜景など観光名称も一杯ある街だと思いますが、今まで特急白鳥に乗ったら乗り換えなしに行けた場所が、青森から函館まで白鳥よりも時間がかかりさらに2回も乗り換えをしなくては行けなくなるのは、函館の観光産業にとってもどうかと思います。
今、職場の老人施設に八甲田丸と十勝丸に航海士としてブリッジに乗務されていた方がいます。自分の蔵書の連絡船関係本に目を輝かせて読破されています。
メッセージありがとうございます。へ~そんな方が近くにいらっしゃるのですね。その時代その時代、みんな輝いていた人たちですね。
青函連絡船空襲 洞爺丸台風を生き残ったそうで、これから興味深いお話が聞ければと思います。蔵書にサインをもらったら元八甲田丸と入れてくれました。
うわ~すごいですね。やったー
青函連絡船は良く使いました。新幹線の盛岡開業の時は上野14時の新幹線~はつかり~連絡船~41レとか。通常運航の最終便函館発の羊蹄丸に乗り、青函博での臨時運航の最終便にも青森発の羊蹄丸に乗りました。通常運航最終便の乗船名簿を貰う為に前日朝から函館駅に並び、その時に駅の方から振る舞われた暖かいお茶や味噌汁は忘れられませんただ、船内では残念な光景を目撃してしまい、それだけが本当に嫌な思い出になってしまいましたが
そんなに良く乗られていたのですね。私は、この時1回だけなんです。でも、何とか思い出を残そうと撮影したのがこの映像でした。最終便に駅からお茶や味噌汁が振舞われたとは、良かったですね。これも、時代の流れですね。青函トンネルと引き換えに。
津軽丸型はDML64ZAエンジンを8台搭載したマルチプル機関であり、それぞれが分散して2軸のプロペラを回していました。動画の中でも「ドドドド…」という感じの中速型のディーゼルエンジンの音がするのはこのためです。
詳しい情報をありがとうございます。乗っているだけで、そのような事は何も知りませんでした。
懐かしい映像をありがとうございます。羊蹄丸…、本当に懐かしいです。幼い頃から学生時代まで何度か乗りました。市電も古い500形が多い時代でした。夜の西部地区に響く汽笛の音色も懐かしいです。羊蹄丸は内装のデザインが他の船と少し違っていた記憶があります。船の科学館が維持できなくなり、解体されたのが残念です。
メッセージありがとうございます。私は、1回しか乗ったことが無く、何回も乗られていた方にとっては、本当に懐かしいと思います。当時、北海道と言うと、今もそうですが、なかなか行けるところではなく、地元に住んでおられる方にとっては、懐かしい映像だったのですね。
I'm never ride to seikan ferry.because i was kit.It's pity.
I'm never ride too.But It was only this time.
今年の夏、所用で札幌から東京に行かねばならなかったのですが、ダイヤの都合上新幹線が使えなかったので、特急北斗で五稜郭まで行き、いさ鉄に乗り換えて七重浜からフェリーに。そして、早朝青森入港して新青森まで徒歩で乗り継ぎました(笑)私は平成生まれで青函連絡船は乗ったことがありませんが、その時の移動で「あぁ、連絡船時代はこんな感じなのかな」って思いました。飛行機の味気ない移動よりやっぱりこうした移動の方がすきですね!長文失礼しました。
メッセージありがとうございますまあ、仕事で時間に追われている人は、飛行機になるのでしょうね。札幌と東京を移動する時、目的は東京での用事がある人。そんな人でも、東京の用事しか必要のない時間と思うか、それとも、移動する時間すべてを必要な時間として楽しむか、人それぞれなのでしょうね。
北海道の行きと帰りに、連絡船で撮った記念写真を見ると、帰りはすごい痩せてるんですよ、若いし高揚してたから気づかなかったけど、夜汽車連泊って、体の負担が大きかったんだなあ
+o kz さん メッセージありがとうございます。つまり、北海道旅行に行って夜汽車ばかりでダイエット出来たって事かな?私は、学生時代、東北旅行で夜汽車ばかりで旅行してましたが、行きと帰りの写真を撮影してませんでしたので、やせたのかどうかは分かりません。でも駅の立ち食いソバなんかばかり食べてたもので、多分やせたかもね。
なつかしいです 廃止の直前に87年か88年ころに青函連絡船で北海道渡りました 寝台特急ゆうづるで青森行ってそこから3時間50分かけて函館渡りました。もう30年近く経ってしまったんですね。
+takeda さん メッセージありがとうございます。そうですか、青函連絡船に乗ったことがある方なのですね。私も、この映像が最初で最後でした。帰りは千歳から飛行機だったのです。ほんとうに、なつかしいですね。
国鉄時代の鉄道ファン 年月の経つのが早いです、この前青函トンネル開通して北斗星が走り始めて豪華寝台列車の時代が来たなって喜んでたらもうその時代も終わってしまいましたし。
深夜便のグリーン寝台に1度だけ乗船しましたが、熟睡の最中に函館到着でこれならタオルケット持参で普通桟敷席の方が諦めつくとなりました。船内グリル製造のサケ弁当とみそ汁がもう一度味わいたいです。揺れるとトイレが当時は洋式も無くて大変でした。
メッセージありがとうございます。私は、国鉄青函連絡船は、この映像の時に乗っただけなので、あまりウロウロしませんでしたが、レストランとか、色々あったのですね。
乗船口正面に売店とよつ葉牛乳などの自販機が。コカ・コーラ製品は北海道独自のサイズで北海道を感じました。売店の奥にレストラン海峡がありました。船内グリル製造の弁当が大好きで1回くらいしか入りませんでしたが、海峡ラーメンが名物で今もJR桑園駅近くの店でだしています。乗船口右手と右奥にも桟敷席がありましたが、繁忙期のみ解放で普段は閉鎖されていました。昭和50年代後半から右奥は喫煙もできるサロンに改装されていていました。
海峡ラーメンってなんかおいしそうですね。加園駅近くの店ですね。行く機会があれば行ってみたいです。
羊蹄丸、解体されてしまいましたね、自分が最後に乗ったのがこの船でした、時代の流れ、仕方ないですね
メッセージありがとうございます。解体されてしまったのですか?でも、思い出は永遠に心に刻み込まれている事だと思います。
懐かしいです。リアルで連絡船乗りました。今はすっかり年老いて撮り鉄にも行けなくなりましたが・・・
メッセージありがとうございます。懐かしいですね。この連絡船がなくなる時も、港は大騒ぎだったのでしょうね。
旭川ー東京の移動で幼少の頃に何度か乗ったので断片的に色々思い出しました。初めて乗ったのは津軽丸。シンバル?の音がオドロオドロしかったこと。「蛍の光」。別れの紙テープの掃除が大変そうだと思ったこと。青森での早朝の乗り換え。畳の部屋での雑魚寝。函館で汽車に乗り換えた後も体が揺れてる感じ。その頃の印象からか、北海道は海外よりも遠い感じがしてます。
メッセージありがとうございます。そんな子どもの頃に青函連絡船にのって北海道へ行っていたのですね。私は、本当に大人になってからしか乗っていないのです。まあ、海外は船で行く人は少ないでしょうし、ほとんどは飛行機だから早く行けますよね。北海道も飛行機と言う行き方が有ったのでしょうけど、私は個人的に船で行くのが好きです。海外よりも遠い所へ旅をして、でも言葉は通じるのでラッキーって感じかな。でも、青森では、言葉通じなかった(涙)
今どきと違う、旅路。今は便利すぎて旅路とはならないなあ。
なるほど、そう言う事も言えますね。
懐かしい映像ありがとうございます。函館には、親の実家があったのでよく利用してました。連絡線の食堂で食べた、海峡ラーメンの味は今でも忘れられないです。今でも、函館朝市の中にある食堂で、この海峡ラーメンが食べられるそうです。食堂の名前は、ちょっと忘れちゃいましたが・・・
+ケロケロ鎮守府(ケロちゃん) さん メッセージありがとうございます。連絡船の食堂って有ったのは知りませんでした。海峡ラーメン食べてみたいですね。そんなに良く利用していたなんで羨ましいです。私は、北海道に行くにも、撮り鉄で行くため、マイカーに撮影機材を積んでフェリーで行くのが多かったのです。
+ケロケロ鎮守府(ケロちゃん) 他にもいかづくし定食や三平汁定食もありましたよ
駅から直接乗船出来て、駅で下船出来る、鉄道連絡船だから当たり前ですが、今思えば、最高に利用しやすい航路でしたね。
メッセージありがとうございます。そうですね。長距離特急と連絡していて、北海道に行っても、また北海道から本州に行っても、乗り継ぎの列車が連絡してましたからね。
お久しぶりです(といってもかなりなので覚えてらっしゃらないかも…)。こういう映像は久しぶりに見ました。まだ15歳なのですが見ているとなぜか懐かしさを感じます(もしかしたら前世は旅人だったのかも…)。船は羊蹄丸(?)と放送していましたね。今はないはずですが確か東京の船の博物館に保存されていた船だったような気がします。値段がグリーン利用で¥1100とは驚きですね。当時の物価から見れば高いのか安いのか分かりませんが…僕は列車でしか津軽海峡を渡ったことがありませんが旅情たっぷりそして3時間超ののんびりとした船旅もしてみたかったですね…
+HOKSOfanno Kappa さん メッセージありがとうございます。たぶん、グリーン料金は安かったと思います。今は、旅情とか、車窓風景と引き換えに、時間の短縮になっている時代ですね。ビジネスで移動する人にとっては、これは大きなメリットでしょう。そして、移動する時間は、無駄な時間で、現地で遊ぶ時間を一杯欲しいを考える旅行者も大きなメリットでしょう。 でも、やはり移動する時間は、飛行機でもたとえリニアモーターカーが出来ても、かかるものはかかるのだし、その時間も大切に有意義に過ごしたいですよね。
自分も まだ国鉄時代のころ 2回くらい 北海道へ 行ったころ 連絡船を 使いました ほんと ビデオを 見ると 思い出しますね ~~
メッセージありがとうございます私は、国鉄選管連絡船は、これ1回だけなんです。後は、マイカーを持って行ったので、東日本フェリーや、新潟から乗った新日本海フェリーばかりなのです。
懐かしい映像をいつもありがとうございますアスパムが出来ているから昭和61年以降の映像でしょうが、懐かしさに酔いしれてしまいました。
+西山宏治 さん メッセージありがとうございます。わ~おアスパム????って何か調べてみたら、三角の建物の事ですね。1985年なので、昭和60年12月・・・・昭和61年で正解ですね。この当時は、青函連絡船が廃止になるなんて事は考えもしていませんでしたからそんなに気合を入れて撮影していなかったのが残念です。少しでも当時の雰囲気が感じられたらと思いました。
空知丸にJNRマークあるのでそうみたいですね
青函連絡船の記述は鉄道ライターの故宮脇俊三氏の作品にも良く出てきますよね宮脇氏は何十回も乗って記事を書いていますが印象にあるのは食堂の生ぬるくて非常に不味い海峡ラーメンという記述が面白かったですなんか食堂のコメントばかりですみません
なるほど。海峡ラーメンって食べた事がないので分かりませんが、そんな感じなんですね。私は、北海道へは、マイカーで行くため、フェリーを使うため、青函連絡船は、この時が最初で最後でした。この後、トンネルが開通して、廃止になってしまったのですね。乗った時に、船内をもっと散策すれば良かったと思います。
乗ったことはないですが内装は特急指定席みたいな雰囲気なんですね
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。このビデオで写っているのはグリーン船室なので、そんな内装になっています。普通船室は、どうだったのか、分かりません。今は函館に青函連絡船が展示してあるようで、また函館に行ってみたいです。今度は、新幹線で行くかな?やっぱ、撮影機材持ってマイカーでフェリーになるかもね。
青函トンネルは今度JR 東日本が制作するクルージングトレインは通る見たいですねカシオペアの客車は東日本管内のクルージング列車になるみたいで 別に北海道乗り入れ対応のクルージングトレインを新作するみたいです 各社とも やはり ななつ星に感化されたみたいですね
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。ななつ星ってもしかして、大富豪しか乗れない列車でしたっけ。私のような貧乏人には縁がないか(笑)まあ、北海道新幹線が青春18きっぷで乗れるらしいから、私はそれで良いかも。
一部屋代135万とか
新幹線ないのはJR 四国だけになりましたね
青森から函館までだと新幹線開業前の方が早く行けたのですね
+Takaken さん メッセージありがとうございます。ああ!最後の字幕ですね。あれは、よく似た時間帯での列車をピックアップしての比較だったのですが、他の時間帯では、どうかわかりませんよ。とにかく、乗り換えの待ち合わせ時間が折角の新幹線の時間短縮を食いつぶしてしまっているようですね。それと、仙台や盛岡から来る人は良いかもしれませんが、青森から函館に行く人は、在来線の白鳥なら乗り換えなしだったのに、新幹線では、2回も乗り換えてさらに時間が余計かかると言う不便な状態になったみたいですね。 ま、新青森駅に無料駐車場が設置され、青森市民は新青森駅までマイカーで行くことが出来るのなら、良いですがね。
出航時の蛍の光、今になってよくよく思い出すと昔神田にあった交通博物館の閉館時に流れていた音源と同じものに聞こえます。両方国鉄の物でしたから当たり前といえば当たり前ですけれど…
国鉄だからと言って、特別に演奏して録音したりは、しないと思うのです。多分、おなじレコードを使っているのではないでしょうか。蛍の光のレコードってそんなに多くのバリエーションで発売されてないと思うのです。想像ですがね。ちなみに、今日の新日本海フェリーの出港時の蛍の光も似たように聞こえます。まあ、雑音の中での音なので、厳密には違うのか、同じなのかは分かりませんが。
前にも書き込みさせていただきました。私は西日本ですので、青函連絡船はたった一往復しか経験がありません。あの時は足元に頭があったり、頭に足元があったり。でも面白かったなぁ。北海道や東日本の方にはもっと思い出があるのでしょう。ちょっと前のCMで石川さゆりさんもブラタモリでもタモリさんおもおっしゃっていましたが個人的には船のほうがいいですね。宇高航路も(当然JRというか国鉄はのぞきますが)瀬戸大橋の料金値下げで24時間が終了して何年でしょうか?オートバイで四国へ行く機会がすっかり減りました。さらに最近の若い人は国鉄を知らない・・・。
メッセージありがとうございます。そか!船の方がいい!私も、北海道へはなかなか行けないですが、行く時はいつも船なのです。マイカーを乗せて、新潟や敦賀から苫小牧へって言うのが、最近の私の旅です。最近の若い人は国鉄を知らない・・・・もう、そんな時代なんですね。時の流れは速いものです。
あとカシオベアも北海道新幹線対策するみたいですね
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。青函トンネルは、3線式で狭軌の列車も走るのですね。通常の値段で乗れれば一度くらいは乗ってみたいですね。
貨物列車がありますからね
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。貨物列車は狭軌だから3線式になっているのですね。結構めずらしい区間ですね。だから走らすつもりなら狭軌の列車も走らすことができるのですね。北斗星やカシオペアなど廃止しなくても良かったのにね。架線電圧はどうなのかな?
新幹線在来線対応の機関車使うみたいですよ
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。そんな機関車を作ったのですか?もう何でもありですね。
何年前の映像ですか?
+TSUBASA SHINNKANNSENN さん メッセージありがとうございます。え~っと、2016-1985=31年前ですね。10年ひとむかし って言うから3昔ってことですね。
本当に懐かしいですね。でもやっと開業した北海道新幹線、ただでさえ閑古鳥なのに札幌延伸の経済効果は本当に得られるのだろうか不安です。
+oer3209 さん メッセージありがとうございます。北海道新幹線ですが、この前も鉄道好きな人と話してたのですが、札幌からこれまでだったらはまなすに乗って青森から朝の新幹線に乗れたのに、そんな列車が廃止され、札幌から朝の北斗に乗って函館北斗まで来て新幹線にのって東京に行くのは、不便で、せめて、夜行列車のはまなすを札幌から函館まで残すべきだと言ってました。たしかに考えたらそうですね。それと、もう一つは、札幌から函館まで先に新幹線を開通させてそれから青函を繋ぐべきだったのではないかと言ってました。 今の状態では、北海道にも標準軌の鉄道が繋がったって言うだけで、だから便利になったか、と言うとはまなすが廃止になった分不便になったらしいですね。
この連絡船は何丸号かな 八甲田丸 摩周丸かな
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。船の放送では、羊蹄丸って言ってました。八甲田丸や摩周丸、それぞれ形や船内の様子が違うのかな。青函連絡船もはまると大変かも(笑)
良く、こんな画像残してくれててありがとうございます!
まあ、色々と映像に残すのが趣味なので、一度しかない今を残したりしています。
昭和51年(1976年)7月に
名古屋からサロベツ原生花園を目的地として男一人旅をしました。
上野から寝台列車に乗り、朝早く青森着、そして乗ったのがこの「青函連絡船」。船名までは覚えていません。
船室は覗いてみたものの、そこで休むことはありませんでした。ズーと外を眺めていたような。
函館は小雨で、市電に乗り函館山ロープウェイに乗りました。周りは真っ白。
帰りも又、青函連絡船です。今度は深夜に函館に着き、深夜の連絡船。カーペット敷きの所で寝た記憶があります。
「旅」がいい! 若かったなぁ。もう一度行きたい!
また行けばいいさ。青函連絡船は、無いけど、私は船の旅って好きですね。
青森から函館に着く頃、「はるばる来たぜ函館」と勝手に口ずさむ自分がいた。
そうなんですか?
私は、「海峡」か、「津軽海峡冬景色」かな?ちょうど、冬だったし。
@@HobbyVideos そうですね。あの頃は夏しか行けませんでした。だからかな。
45年前くらいに北海道ワイド周遊券を使って、大阪駅から『急行きたぐに』に乗車して翌日青函連絡船に乗って函館から急行を乗り継いで釧路へ旅行した記憶があります。しんどかったけれど楽しかった。
そりゃー楽しかったでしょう!
私は東北ワイド周遊券で大阪から急行きたぐにで青森まで行く予定が、大舘付近で災害のため秋田で運転取りやめになり、仙台へ行き、急行八甲田で青森へ行った思い出があり、急行きたぐには、終点まで乗り通せませんでした。
私も青函連絡船にはお世話になった1人です。中学時代の十和田湖へ修学旅行に行ったとき、高校時代の修学旅行での移動の時も利用したりした他に就職で上京したあとバイクで実家の在る札幌迄帰省ツーリングしたときにも利用したりしていましたよ。懐かしい思い出でしたねぇ。特に摩周丸は良く揺れて、船酔いしていましたよ。大変でしたが、十和田丸、八甲田丸にも乗りましたなあ〜!👋🤓
と言う事は、今は東京にお住まいなのかな?
東京都札幌を行き来するのに、鉄道と連絡船を良く使われてたのですね。
私は、東日本フェリーには、乗りましたが国鉄の青函連絡船はこれが、最初で最後でした。
摩周丸が良く揺れたと言うのは、たまたま海が荒れていたのでしょう。
お勧めに出てきて、耳当て付帽子の子供さんから
純と蛍ちゃんが乗っていそうな青函連絡船で北の国からを思い出しました。
そうですか、昔は鉄道はつながっていなかったですからね。
この船に乗って北海道へ行っていた時代でした。
初めて乗ったのは、いまから55年ぐい前確か十和田丸だった、京都から高校の修学旅行です。ほんとうにたのしかった。船の中で飲んだガラナジュースが爽快。思い出したら涙が出そう・・・
そうですか。私も、これっきりでしたね。北海道ってなかなか行けるところではないしね。
でも、今は新幹線で行けるのですね。
青森と函館の街は青函連絡船が似合うですよね☺️
それって、演歌の世界化も。
情緒があって良いですね。
そうですね。船と言うのも良いもんです。
青函連絡船、確かに時間はかかる⌛️
でもそれを補って余りあるだけの価値が有る👍️
「旅行」している感の価値が🍀
新幹線だと、旅行じゃなくただの「移動」だからね☺️
なるほど、ただの移動ですか!
これからどんどんただの移動が増えてきますね。
船の旅も良いですね。
船ってあまり乗る機会がないから余計そう感じます。
けだし名言。
僕も連絡船廃止直前の昭和63年2/25日、高崎線上尾〜青春18キップにて東北本線を乗り継ぎ(僕は当時高校1年で、丁度県立高校入試のため学校が休みでした)青森発深夜便(十和田丸)にて函館まで渡りました。
深夜なので龍飛崎や函館山などの風景は見えませんでしたが、漁り火なんかは見えましたし、ゴザ席の知らんオヤジどもと一緒になったり(今ではそんなの敬遠されますよね)、何より初めての北海道だったのでなんとも言えない高揚感がありました。
もう一度、お金では買えないあの旅情、あの高揚感を味わいたいです。
北海道新幹線や飛行機じゃ、なんか味気ないですね。
「もう一度、お金では買えないあの旅情、あの高揚感を味わいたい」
私もいつもそう思うのです。でも、今と言う日はもう二度と来ないし、この撮影をした日も、もう二度と北海道には行かないかも知れないと思って、せめてビデオの世界でもバーチャル空間ででも、あの旅情を味わえたらと思い、いつもビデオを撮影するのです。つまらないビデオだったこともあります。あれを撮影しておいたらよかったのにと後悔する時もあります。ですから、私は、どうでも良いようなビデオをいつも撮影しています。
時間ばかりを追い求めた結果、日本の鉄道の旅は味気なくなりましたね。
そうですね。
いつも楽しみにしてますよ😃語り口も映像も味があるんですよ。あと音も。ありがとうございます🍀
どういたしまして!
こんな古い映像ばかりなので、あまり人気が無いチャンネルですがよろしくお願いします。
今は東日本海フェリーとかで新幹線代を少しでも節約するための手段として使えるね。
なるほど、そういう手もありますね。
懐かしいですね。ドラの音・・・。
その昔、18時半頃上野駅13番線から急行八甲田自由席、青函連絡船に乗ってはるばる函館に着いた頃には翌日10時過ぎ。確かホームにはキハ82特急おおぞら、おおとりがいましたっけ。私は20日間有効の北海道ワイド周遊券だったので、後発客車急行ニセコかすずらんに揺られて札幌入り。上野を出て23時間後だったですかね。青函連絡船のグリーン券にもかなりお世話になりました。
新幹線で時短も悪くはないのですが、ゆったり時間が流れていたあの頃がいとおしいです。
でも稚内まで足を延ばすと到着はさらに札幌から夜行急行利尻を使って翌々日の朝6時頃だったと記憶しております。
+ぼろりぁびゅう~train window view~ さん メッセージありがとうございます。
ワイド周遊券は、私は学生時代に東北旅行に使いました。当時奥羽本線が電化されるとの事でキハ181系のつばさの撮影をメイン目的で同時に他のひばり、やまびこ、はつかり、やまばとなどの列車を撮影しました。
国鉄青函連絡船は、このビデオ撮影が最初で最後でしたね。夜行急行利尻って昔は旧型客車だったのでしょうね。ニセコもC62が牽引してましたっけ?もうDD51になってしまったのかな?
みなさんそれぞれ青函連絡船の思い出があるのですね。
この映像で少しでも思い出してもらえたのなら良かったです。
そうそう、稚内の駅も新しくなってしまいましたね。
+国鉄時代の鉄道ファン
残念ながらニセコのC62は運用終了していました。
確か急行利尻、大雪は旧客でしたし夜行鈍行からまつも旧客でしたね。宿代を浮かしたかった身には重宝な列車でした。
当時は夏休みや冬休みに渡道することが多く、多客期のため青函連絡船で居場所を確保するのが大変でした。
このところ函館で公開されている摩周丸には渡るたびに訪ねていますが、新幹線が伸びてさらに北を目指す私は函館へ寄る機会が減りそうです。
+ぼろりぁびゅう~train window view~ さん メッセージありがとうございます。
私は、2,3年前、北海道へ行ったのですが、マイカーに乗って行って、マイカーで寝泊まりして撮り鉄していたので、いつもフェリーなのです。
そのため、苫小牧から北海道へ入るため函館には全然行けないですね。
やっぱり北海道へ行ったら北を目指したいので(笑)
リクライニングの14系座席車も良いけど、旧客の方が、落ち着くのは私だけかもしれませんね。
+国鉄時代の鉄道ファン
私も同じですよ。わざわざ旧客に乗りたくて水上まで行ったりします。長距離乗車はご遠慮いたしますが(笑)
鉄道で北海道を目指した者にとって切っても切れない青函連絡船なので、人それぞれに思い入れがあるのでしょう。
船旅も晴海から釧路を経験していますが、東京湾を出るのに時間がかかってうんざり(笑)今は大洗になりましたね。
1970年代後半の学生には飛行機という選択肢はなく、今のようにLCCで早く安く行ける場所ではなかったです。
+ぼろりぁびゅう~train window view~ さん メッセージありがとうございます。
東京湾を出るのに時間がかかるのですか?
結構大きい湾ですからね。
新潟だとすぐに日本海です。
ただ、私は冬に行ったので、波が大きく、船はアップダウンを繰り返し、船酔いしそうになって、ベットで横になりました。
北海道は今は鉄道でつながって鉄道旅行をする人はもう海外旅行ではなくなってしまいましたが、私はフェリーでマイカーを持っていくのでやはり船に乗っての海外旅行になります(笑)
今はLCCですか?
私も一度乗ってみたいですね。そんなに安いのだったら。
新幹線で金沢から東京へ行くより安いですよね(笑)
昔の青函連絡船は凄く良かった、旅行をしたという思い出は何十年も心の残っています。
新幹線では思い出なんてものは残らないでしょう。
北海道へ旅行するなら今でもフェリーを使います、新幹線には全く興味なし。
ビジネスで札幌へ行くなら、絶対に飛行機、もし多くの人が僕と同じような考えならば、北海道新幹線が仮に札幌まで開通しても恐らく非常に経営が
難しいことになると思います。
+Syd Moto さん メッセージありがとうございます。
私も、この青函連絡船や、普通列車での旅行は何十年も心の中に残っています。
新幹線は、速い代わりに、トンネルが多く景色なんかを楽しむのは、半減しますね。
私も、北海道へ行く時はマイカーをフェリーに積んで行きます。まあ、撮影機材が一杯あるのでどうしてもマイカーになってしまいます。
新幹線の良い所は、飛行機の便が悪い町から町への高速移動に威力を発揮すると思います。
東京から札幌までビジネスで行くなら、やはり飛行機になると思います。
もう一つ、思うのは、函館と言う町が夜景など観光名称も一杯ある街だと思いますが、今まで特急白鳥に乗ったら乗り換えなしに行けた場所が、青森から函館まで白鳥よりも時間がかかりさらに2回も乗り換えをしなくては行けなくなるのは、函館の観光産業にとってもどうかと思います。
今、職場の老人施設に八甲田丸と十勝丸に航海士としてブリッジに乗務されていた方がいます。自分の蔵書の連絡船関係本に目を輝かせて読破されています。
メッセージありがとうございます。
へ~そんな方が近くにいらっしゃるのですね。その時代その時代、みんな輝いていた人たちですね。
青函連絡船空襲 洞爺丸台風を生き残ったそうで、これから興味深いお話が聞ければと思います。蔵書にサインをもらったら元八甲田丸と入れてくれました。
うわ~すごいですね。やったー
青函連絡船は良く使いました。新幹線の盛岡開業の時は上野14時の新幹線~はつかり~連絡船~41レとか。
通常運航の最終便函館発の羊蹄丸に乗り、青函博での臨時運航の最終便にも青森発の羊蹄丸に乗りました。通常運航最終便の乗船名簿を貰う為に前日朝から函館駅に並び、その時に駅の方から振る舞われた暖かいお茶や味噌汁は忘れられません
ただ、船内では残念な光景を目撃してしまい、それだけが本当に嫌な思い出になってしまいましたが
そんなに良く乗られていたのですね。
私は、この時1回だけなんです。
でも、何とか思い出を残そうと撮影したのがこの映像でした。
最終便に駅からお茶や味噌汁が振舞われたとは、良かったですね。
これも、時代の流れですね。
青函トンネルと引き換えに。
津軽丸型はDML64ZAエンジンを8台搭載したマルチプル機関であり、それぞれが分散して2軸のプロペラを回していました。
動画の中でも「ドドドド…」という感じの中速型のディーゼルエンジンの音がするのはこのためです。
詳しい情報をありがとうございます。
乗っているだけで、そのような事は何も知りませんでした。
懐かしい映像をありがとうございます。羊蹄丸…、本当に懐かしいです。幼い頃から学生時代まで何度か乗りました。市電も古い500形が多い時代でした。夜の西部地区に響く汽笛の音色も懐かしいです。羊蹄丸は内装のデザインが他の船と少し違っていた記憶があります。船の科学館が維持できなくなり、解体されたのが残念です。
メッセージありがとうございます。
私は、1回しか乗ったことが無く、何回も乗られていた方にとっては、本当に懐かしいと思います。当時、北海道と言うと、今もそうですが、なかなか行けるところではなく、地元に住んでおられる方にとっては、懐かしい映像だったのですね。
I'm never ride to seikan ferry.because i was kit.It's pity.
I'm never ride too.
But It was only this time.
今年の夏、所用で札幌から東京に行かねばならなかったのですが、ダイヤの都合上新幹線が使えなかったので、特急北斗で五稜郭まで行き、いさ鉄に乗り換えて七重浜からフェリーに。
そして、早朝青森入港して新青森まで徒歩で乗り継ぎました(笑)
私は平成生まれで青函連絡船は乗ったことがありませんが、その時の移動で「あぁ、連絡船時代はこんな感じなのかな」って思いました。飛行機の味気ない移動よりやっぱりこうした移動の方がすきですね!
長文失礼しました。
メッセージありがとうございます
まあ、仕事で時間に追われている人は、飛行機になるのでしょうね。
札幌と東京を移動する時、目的は東京での用事がある人。
そんな人でも、東京の用事しか必要のない時間と思うか、それとも、移動する時間すべてを必要な時間として楽しむか、人それぞれなのでしょうね。
北海道の行きと帰りに、連絡船で撮った記念写真を見ると、帰りはすごい痩せてるんですよ、若いし高揚してたから気づかなかったけど、夜汽車連泊って、体の負担が大きかったんだなあ
+o kz さん メッセージありがとうございます。
つまり、北海道旅行に行って夜汽車ばかりでダイエット出来たって事かな?
私は、学生時代、東北旅行で夜汽車ばかりで旅行してましたが、行きと帰りの写真を撮影してませんでしたので、やせたのかどうかは分かりません。
でも駅の立ち食いソバなんかばかり食べてたもので、多分やせたかもね。
なつかしいです 廃止の直前に87年か88年ころに青函連絡船で北海道渡りました 寝台特急ゆうづるで青森行ってそこから3時間50分かけて函館渡りました。もう30年近く経ってしまったんですね。
+takeda さん メッセージありがとうございます。
そうですか、青函連絡船に乗ったことがある方なのですね。
私も、この映像が最初で最後でした。
帰りは千歳から飛行機だったのです。
ほんとうに、なつかしいですね。
国鉄時代の鉄道ファン 年月の経つのが早いです、この前青函トンネル開通して北斗星が走り始めて豪華寝台列車の時代が来たなって喜んでたらもうその時代も終わってしまいましたし。
深夜便のグリーン寝台に1度だけ乗船しましたが、熟睡の最中に函館到着でこれならタオルケット持参で普通桟敷席の方が諦めつくとなりました。船内グリル製造のサケ弁当とみそ汁がもう一度味わいたいです。揺れるとトイレが当時は洋式も無くて大変でした。
メッセージありがとうございます。
私は、国鉄青函連絡船は、この映像の時に乗っただけなので、あまりウロウロしませんでしたが、レストランとか、色々あったのですね。
乗船口正面に売店とよつ葉牛乳などの自販機が。コカ・コーラ製品は北海道独自のサイズで北海道を感じました。売店の奥にレストラン海峡がありました。船内グリル製造の弁当が大好きで1回くらいしか入りませんでしたが、海峡ラーメンが名物で今もJR桑園駅近くの店でだしています。乗船口右手と右奥にも桟敷席がありましたが、繁忙期のみ解放で普段は閉鎖されていました。昭和50年代後半から右奥は喫煙もできるサロンに改装されていていました。
海峡ラーメンってなんかおいしそうですね。加園駅近くの店ですね。行く機会があれば行ってみたいです。
羊蹄丸、解体されてしまいましたね、自分が最後に乗ったのがこの船でした、時代の流れ、仕方ないですね
メッセージありがとうございます。
解体されてしまったのですか?
でも、思い出は永遠に心に刻み込まれている事だと思います。
懐かしいです。
リアルで連絡船乗りました。
今はすっかり年老いて撮り鉄にも行けなくなりましたが・・・
メッセージありがとうございます。
懐かしいですね。
この連絡船がなくなる時も、港は大騒ぎだったのでしょうね。
旭川ー東京の移動で幼少の頃に何度か乗ったので断片的に色々思い出しました。初めて乗ったのは津軽丸。シンバル?の音がオドロオドロしかったこと。「蛍の光」。別れの紙テープの掃除が大変そうだと思ったこと。青森での早朝の乗り換え。畳の部屋での雑魚寝。函館で汽車に乗り換えた後も体が揺れてる感じ。その頃の印象からか、北海道は海外よりも遠い感じがしてます。
メッセージありがとうございます。
そんな子どもの頃に青函連絡船にのって北海道へ行っていたのですね。
私は、本当に大人になってからしか乗っていないのです。
まあ、海外は船で行く人は少ないでしょうし、ほとんどは飛行機だから早く行けますよね。
北海道も飛行機と言う行き方が有ったのでしょうけど、私は個人的に船で行くのが好きです。
海外よりも遠い所へ旅をして、でも言葉は通じるのでラッキーって感じかな。
でも、青森では、言葉通じなかった(涙)
今どきと違う、旅路。今は便利すぎて旅路とはならないなあ。
なるほど、そう言う事も言えますね。
懐かしい映像ありがとうございます。
函館には、親の実家があったのでよく利用してました。
連絡線の食堂で食べた、海峡ラーメンの味は今でも忘れられないです。
今でも、函館朝市の中にある食堂で、この海峡ラーメンが食べられるそうです。
食堂の名前は、ちょっと忘れちゃいましたが・・・
+ケロケロ鎮守府(ケロちゃん) さん メッセージありがとうございます。
連絡船の食堂って有ったのは知りませんでした。
海峡ラーメン食べてみたいですね。
そんなに良く利用していたなんで羨ましいです。
私は、北海道に行くにも、撮り鉄で行くため、マイカーに撮影機材を積んでフェリーで行くのが多かったのです。
+ケロケロ鎮守府(ケロちゃん) 他にもいかづくし定食や三平汁定食もありましたよ
駅から直接乗船出来て、
駅で下船出来る、
鉄道連絡船だから当たり前ですが、
今思えば、最高に利用しやすい航路でしたね。
メッセージありがとうございます。
そうですね。長距離特急と連絡していて、北海道に行っても、また北海道から本州に行っても、乗り継ぎの列車が連絡してましたからね。
お久しぶりです(といってもかなりなので覚えてらっしゃらないかも…)。こういう映像は久しぶりに見ました。まだ15歳なのですが見ているとなぜか懐かしさを感じます(もしかしたら前世は旅人だったのかも…)。
船は羊蹄丸(?)と放送していましたね。今はないはずですが確か東京の船の博物館に保存されていた船だったような気がします。値段がグリーン利用で¥1100とは驚きですね。当時の物価から見れば高いのか安いのか分かりませんが…
僕は列車でしか津軽海峡を渡ったことがありませんが旅情たっぷりそして3時間超ののんびりとした船旅もしてみたかったですね…
+HOKSOfanno Kappa さん メッセージありがとうございます。
たぶん、グリーン料金は安かったと思います。
今は、旅情とか、車窓風景と引き換えに、時間の短縮になっている時代ですね。
ビジネスで移動する人にとっては、これは大きなメリットでしょう。
そして、移動する時間は、無駄な時間で、現地で遊ぶ時間を一杯欲しいを考える旅行者も大きなメリットでしょう。
でも、やはり移動する時間は、飛行機でもたとえリニアモーターカーが出来ても、かかるものはかかるのだし、その時間も大切に有意義に過ごしたいですよね。
自分も まだ国鉄時代のころ 2回くらい 北海道へ 行ったころ 連絡船を 使いました ほんと ビデオを 見ると 思い出しますね ~~
メッセージありがとうございます
私は、国鉄選管連絡船は、これ1回だけなんです。
後は、マイカーを持って行ったので、東日本フェリーや、新潟から乗った新日本海フェリーばかりなのです。
懐かしい映像をいつもありがとうございます
アスパムが出来ているから昭和61年以降の映像でしょうが、懐かしさに酔いしれてしまいました。
+西山宏治 さん メッセージありがとうございます。
わ~お
アスパム????
って何か調べてみたら、三角の建物の事ですね。
1985年なので、昭和60年12月・・・・昭和61年で正解ですね。
この当時は、青函連絡船が廃止になるなんて事は考えもしていませんでしたからそんなに気合を入れて撮影していなかったのが残念です。
少しでも当時の雰囲気が感じられたらと思いました。
空知丸にJNRマークあるのでそうみたいですね
青函連絡船の記述は鉄道ライターの故宮脇俊三氏の作品にも良く出てきますよね
宮脇氏は何十回も乗って記事を書いていますが印象にあるのは食堂の生ぬるくて非常に不味い海峡ラーメンという記述が面白かったです
なんか食堂のコメントばかりですみません
なるほど。海峡ラーメンって食べた事がないので分かりませんが、そんな感じなんですね。
私は、北海道へは、マイカーで行くため、フェリーを使うため、青函連絡船は、この時が最初で最後でした。
この後、トンネルが開通して、廃止になってしまったのですね。
乗った時に、船内をもっと散策すれば良かったと思います。
乗ったことはないですが内装は特急指定席みたいな雰囲気なんですね
+ほばらたかし さん メッセージありがとうございます。
このビデオで写っているのはグリーン船室なので、そんな内装になっています。
普通船室は、どうだったのか、分かりません。
今は函館に青函連絡船が展示してあるようで、また函館に行ってみたいです。
今度は、新幹線で行くかな?
やっぱ、撮影機材持ってマイカーでフェリーになるかもね。
青函トンネルは今度JR 東日本が制作するクルージングトレインは通る見たいですねカシオペアの客車は東日本管内のクルージング列車になるみたいで 別に北海道乗り入れ対応のクルージングトレインを新作するみたいです 各社とも やはり ななつ星に感化されたみたいですね
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。
ななつ星ってもしかして、大富豪しか乗れない列車でしたっけ。
私のような貧乏人には縁がないか(笑)
まあ、北海道新幹線が青春18きっぷで乗れるらしいから、私はそれで良いかも。
一部屋代135万とか
新幹線ないのはJR 四国だけになりましたね
青森から函館までだと新幹線開業前の方が早く行けたのですね
+Takaken さん メッセージありがとうございます。
ああ!最後の字幕ですね。
あれは、よく似た時間帯での列車をピックアップしての比較だったのですが、他の時間帯では、どうかわかりませんよ。
とにかく、乗り換えの待ち合わせ時間が折角の新幹線の時間短縮を食いつぶしてしまっているようですね。
それと、仙台や盛岡から来る人は良いかもしれませんが、青森から函館に行く人は、在来線の白鳥なら乗り換えなしだったのに、新幹線では、2回も乗り換えてさらに時間が余計かかると言う不便な状態になったみたいですね。
ま、新青森駅に無料駐車場が設置され、青森市民は新青森駅までマイカーで行くことが出来るのなら、良いですがね。
出航時の蛍の光、今になってよくよく思い出すと昔神田にあった交通博物館の閉館時に流れていた音源と同じものに聞こえます。両方国鉄の物でしたから当たり前といえば当たり前ですけれど…
国鉄だからと言って、特別に演奏して録音したりは、しないと思うのです。
多分、おなじレコードを使っているのではないでしょうか。
蛍の光のレコードってそんなに多くのバリエーションで発売されてないと思うのです。
想像ですがね。
ちなみに、今日の新日本海フェリーの出港時の蛍の光も似たように聞こえます。
まあ、雑音の中での音なので、厳密には違うのか、同じなのかは分かりませんが。
前にも書き込みさせていただきました。私は西日本ですので、青函連絡船はたった一往復しか経験がありません。あの時は足元に頭があったり、頭に足元があったり。でも面白かったなぁ。北海道や東日本の方にはもっと思い出があるのでしょう。ちょっと前のCMで石川さゆりさんもブラタモリでもタモリさんおもおっしゃっていましたが個人的には船のほうがいいですね。宇高航路も(当然JRというか国鉄はのぞきますが)瀬戸大橋の料金値下げで24時間が終了して何年でしょうか?オートバイで四国へ行く機会がすっかり減りました。さらに最近の若い人は国鉄を知らない・・・。
メッセージありがとうございます。
そか!船の方がいい!
私も、北海道へはなかなか行けないですが、行く時はいつも船なのです。
マイカーを乗せて、新潟や敦賀から苫小牧へって言うのが、最近の私の旅です。
最近の若い人は国鉄を知らない・・・・もう、そんな時代なんですね。
時の流れは速いものです。
あとカシオベアも北海道新幹線対策するみたいですね
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。
青函トンネルは、3線式で狭軌の列車も走るのですね。
通常の値段で乗れれば一度くらいは乗ってみたいですね。
貨物列車がありますからね
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。
貨物列車は狭軌だから3線式になっているのですね。
結構めずらしい区間ですね。だから走らすつもりなら狭軌の列車も走らすことができるのですね。
北斗星やカシオペアなど廃止しなくても良かったのにね。
架線電圧はどうなのかな?
新幹線在来線対応の機関車使うみたいですよ
+ホバラタカシ さん メッセージありがとうございます。
そんな機関車を作ったのですか?
もう何でもありですね。
何年前の映像ですか?
+TSUBASA SHINNKANNSENN さん メッセージありがとうございます。
え~っと、2016-1985=31年前ですね。
10年ひとむかし って言うから3昔ってことですね。
本当に懐かしいですね。でもやっと開業した北海道新幹線、ただでさえ閑古鳥なのに札幌延伸の経済効果は本当に得られるのだろうか不安です。
+oer3209 さん メッセージありがとうございます。
北海道新幹線ですが、この前も鉄道好きな人と話してたのですが、札幌からこれまでだったらはまなすに乗って青森から朝の新幹線に乗れたのに、そんな列車が廃止され、札幌から朝の北斗に乗って函館北斗まで来て新幹線にのって東京に行くのは、不便で、せめて、夜行列車のはまなすを札幌から函館まで残すべきだと言ってました。
たしかに考えたらそうですね。
それと、もう一つは、札幌から函館まで先に新幹線を開通させてそれから青函を繋ぐべきだったのではないかと言ってました。
今の状態では、北海道にも標準軌の鉄道が繋がったって言うだけで、だから便利になったか、と言うとはまなすが廃止になった分不便になったらしいですね。
この連絡船は何丸号かな 八甲田丸 摩周丸かな
+タツヒトミナミ さん メッセージありがとうございます。
船の放送では、羊蹄丸って言ってました。
八甲田丸や摩周丸、それぞれ形や船内の様子が違うのかな。
青函連絡船もはまると大変かも(笑)