[ゆっくり解説]『石城日記』から見る江戸時代の武士の食事
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- เผยแพร่เมื่อ 29 ส.ค. 2024
- 他にも石城さんはこんな物も食べていたみたいですよ。
ここでご紹介するのは1861年の夏の食事です。
7月1日
朝:茄子の煮付け
昼:そうめん、からし菜の種をすった物(?)
夕:なまり節(カツオを煮たり蒸したりした料理)、茄子、ささき(これは恐らくささげ?)の煮付け
7月3日
夜:茶碗蒸し、なまずの煮付け、玉子焼き
7月4日
時間帯不明:しじみ汁、煮豆腐
8月2日
時間帯不明:うどん
8月5日
夜:油揚げ
以上、夏も全く食に執着のない石城さんでした。
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参考文献
・江戸の食生活
この石城さん、実は元々禄高100石の中級武士で、武士飯で良く比較される紀州藩の酒井伴四郎が禄高30石に対して、3倍以上でした
それが政治思想を咎められて降格、禄は約1/5くらいまで減ってますが、妻子のない身で伴四郎の2/3と思えばそれほど困窮もしていません
また、絵や詩が上手い人でそれでお金を稼いだり、数百冊もあった蔵書を売ったりしています
食事内容が酒を好んだり魚介が多かったり、下級武士にしては贅沢に見えるのも、元の食生活がまだ抜けきれていないのかも
量、頻度はともかく、とても食に関心の薄い人のメニューには思えないし、
そもそも普通の人達も記録しなかった食事内容をそういう人がイラストまでつけて後世に残すなんて不自然ですよね。
自分はこんなにいけてる食通な遊び人なのに、
上役の意地悪のせいでこんなに困窮してる。
でも俺良い奴だし友達一杯だからみんなご馳走してくれる、
てなインスタ上のアピールなのかな、と思いました。
食い意地も飲み意地も張った私には信じられません。
記録してないだけで自分ちでもめっちゃ食べてるはず。
魚が好きなんでしょうかね 肉と野菜が殆ど無い
経済的にギリギリの暮らしをしているのに食費を削ってでも酒を飲んじゃうって人が現代でもいるし、好きなものはやめられないんでしょうね。それでもたまに良いものを食べているし、武士の暮らし向きって本当に様々です。
酒!飲まずにはいられないっ!
ストレス社会に、
バンザーイ🙌
石城さんは本当に、食べること以外は何もしていない様子ですね。きっと世が明治に移ったとき、働かなくても食えたあの頃の方がよかった、と懐かしんだことでしょう。
この石城さんてひと、もし現代に生きてたら、
カップ麺ばかり食べてそうw
地味に待ってた!!
なんか質素で満腹とは程遠いけど武士は食わねど高楊枝を体現してて好き
プライドとかもあったのかもなー
まぁ長生きは出来ないんだけど
かれは
色々な、複雑な気持ちがあったのかもしせません。
ですが、時に孤独に時に仲間と
食を交わう記録に、寂しさと、
友情を感じさせて頂きました。
明治政府に出仕したとはいえ、
無名の孤高の戦士が、今甦る。
我が街に、成田さん意外に
いてくれて
ありがとうございます🙇
江戸時代の酒呑みのおじさんの食事まとめただけの日記がなんでこんなにおもろいんや
徳島のちらし寿司に金時豆が入っているのは、ご馳走だった名残なんだろなぁ。
江戸時代の人は現代人より、かなりの量の白米を食べていたと聞きます。この武士も1食辺りの白米の量が多かったのでは?
今の時代と食事の内容が全然違い、栄養失調に近い状態だったのですね。お酒は毎日呑めていたんです。
食事の文献が少ないなか、いい内容の録画でした。‼️
1日1食はさすがに栄養に偏りがありますね。
ボラの刺身を食べられていたとは。
江戸時代の食についてのお話を
楽しく視聴させて頂きました。
ありがとうございます!
我が街な行田で
ボラ食われたのかー
しかも
刺身かー
と
驚愕なんですが、
江戸時代にカンパーイ🍸️✨🍸️
五目寿司、実際ごちそうだったな。昭和42年生まれだけど、握り寿司食べるようになったのは小僧寿しのようなチェーン店でもまだ高くて、回転寿司が登場した80年代半ばかな。
埼玉の行田市でボラの刺し身が食べられた事が驚き
僕は行田に住んでます
高崎で ボラが取れた 記録が有ります、 今は栗橋まで ボラが来るみたいだね‼️
ちらし寿司は倹約令が出てもハレの日なら黙認して貰えた模様。※あんまり締め付けすぎると農民とかが一揆を起こしかねない
当時としては混ぜご飯は贅沢になるようなので、今ならちらし寿司の素とかで簡単に作れるが、具材の煮しめから作り始めたら
結構手間がかかる。山岳地ではうどんが祝いの時に出されたりするので、地方ごとにご馳走が違うのも興味深い
地方だと蕎麦の所もあります
福島とか
埼玉の行田市でボラの刺身ってことは、荒川や利根川を遡ってきた魚を取って食べていたって事かな?
昔は、堰とかなかっただろうから、ボラやシーバスなどの遡上するタイプの魚はかなり上流でも捕れただろうし、
今ではドブ水のせいで臭い魚も、当時は水が綺麗で刺身で美味しく食べられたかもしれませんね。
正解by釣り師
じゅんさいは三杯酢で食べれば、呑兵衛のツマミになるな
鍋も美味しいけど。
昔、魚市場の寿司屋で赤だしを頼んだら、魚のアラと一緒にじゅんさいが入っていて非常に美味しかった記憶があります
石城日記を実写でドラマ化してくれないかなぁ・・・ 尾崎石城役には松重豊で。
それ超みたい!
江戸時代バージョンの孤独のグルメやないかい!でも見たい
待ってました!第三弾、嬉しいです。
待ってました。
現代だと「お通し、先付け、口取」ってほぼ同じ意味合いで使われている気がします。前菜だと「3、5、7品一緒盛り」
口取は小鉢より少ない量で 会席料理やちょっと気取った店舗(客単価5千円↑)だと「口取」なんて書いたりしますかね
同業さんの意見も聞きたいです。
待ってました!
BGM
がちょっぴりさわがしいかな
石城さん度々お呼ばれで飯食ってるけど「あいつ普段ほとんど食ってないみたいだからなぁ~」とか周りから心配されてそう
同じく藩政に意見があった友人とか・・・
内容が良いのだからBGM控えめのほうが好いかな…
注:個人の感想です
石城日記なしでは生きられない体になってしまいました
ジュンサイの酢の物や澄まし汁はご飯に合ってすごくおいしいですよ。
石城さんって貝類も好きだよね🦪
待ってました!!!!!!!!!!!!
江戸時代の頃って今と比べてもっとウナギが手に入りやすかったとかですかね?
江戸湾を「ボラの沸く海」というほどボラが取れてたらしいですし
相変わらず量は少ないですが、たんぱく質系よく食べてますね。
お酒と肴でカロリー摂ってる印象さえあります。
今回も楽しく観させていただきました、次回も楽しみにしています。
今度は上級武士や殿様、将軍様の食事を解説お願いします
さすがにほぼ毎日夕飯一食は極端なので、居候だから朝ご飯は毎日茶漬で同じなので記載してないとか考えられませんか?
この動画を待ってた!
冒頭のコメント、すごく良いです!!
毎回お酒を飲む。
ふと、ムツゴロウさんのエッセイで、お酒が好きで好きでたまらない人が、戦時中の配給に「米はいらない、自分は酒で生きている」って、役所だか軍部だかに日参して御願いして、お米の代わりにお酒の配給をされた人がいたと言うのを思い出した。
本当にお酒が好きな人は、そう言う物かも知れない。
武士の家計簿のように小説化
「NHK教育から映画化」
そして印税、自分の小説の書籍化とPV制作
がんばれー
石城さんシリーズめっちゃ好き( •̤ᴗ•̤ )♡
続編希望ですよね~🎵
@@lmzk さん
前回 行田里帰り中に
石城さん最新動画を
観れたので
今年のSummerに期待に
候う🙇
このチャンネルでは織田信長並の知名度になったアル中石城さん
大根おろしは醤油をかければ
とりあえずご飯は食える
消化酵素アミラーゼのおかげで
玄米をたらふく食べても大丈夫
大根おろしは馬鹿にできない
おろして、すぐに食べないと、どんどんビタミンC壊れるけど。江戸時代の寺院て、タニシは生臭とか、殺生じゃなかったの?
夕食大根おろし。
石城さぁん。
妹夫婦に邪険にされてなかったらいいんだけど。
妹の旦那と晩酌とかしててほしいな。
蓴菜については漫画「美味しんぼ」の「呪われた結婚!?〈後編〉」に詳細がでてますね。
じゅんさいは美味しんぼに載ってたなー実物は見たことないけど
豪勢なものを食べているときがあれば粗食のときもあるし栄養バランスかなり偏るな。それでいて大酒飲みだし。
うん、今ではちらし寿司はご馳走ではないな・・・
余った野菜とか使って簡単にできるしな。
でも昭和生まれの私にはちらし寿司と言えばご馳走のイメージだよw
1956年、長野県の某市の生まれのあたしは、ラーメンとうどんは、お客さんが来た時にとる物。カレー、ちらし寿司は、誕生日、巻き寿司←かんぴょう、おいなりさんは行楽、運動会、お祭り用だった(^^;;
戦後生まれの母の話では、遠足・運動会のときに巻き寿司か、稲荷寿司を母親が作ってくれるのが一番の楽しみだったそうです。
私も子供の頃は親が煮しめから手作りでちらし寿司を作ってくれたりしたんで、喜んで食べましたねーw
この一連の動画を見て幕末下級武士の絵日記と言う本を買って読み始めたところです
動画の内容は興味深いものなのですが、もうすこし緩急ゆったりしたBGMですと、聞いていてすっと耳に入ってくるのではと思いましたが、いかがでしょうか。一視聴者の反応と言うことでご参考まで。
オッサンが子供の頃は、お誕生日にちらし寿司食べたもんよ。
ウチもお寿司と言えばちらし寿司で誕生日に小僧寿しを買ってもらってた友人がうらやましかった。
笹寿司だった私
サバ缶とゼンマイ、クルミ、田麩は家では使わなかった
俺達の時間を一秒でも多く奪うために編集で沢山の時間を奪われてんじゃねぇか(笑)
サンキューな!
新潟市内に「じゅんさい池公園」ってあるけど名物だったのかな?
尾崎石城という人を初めて知りましたが、ウィキによれば無事維新を超えて暮らす事ができたようでほっとしました
幕末は割と魚も食えてたのだろうか。江戸時代だと裕福な家庭でも魚は月に5回も無いくらいって言うけど江戸時代が250年位続いてるからなんとも言えないな
じゅんさいはうめーぞお
1袋400円くらいする
お寺でタニシが出てくるとはビックリ❗😱
タニシと言うと魯山人
@@user-ik3ec5xg3b 様
いろいろ知らなくて、お恥ずかしい。
教えて頂き、ありがとうございます。m(__)m
「石城日記シリーズ」として再アップされてはいかがでしょうか?
る~パン
(三世)賛成🙌
埼玉だけに(笑)
※解説
ルーぱん
埼玉にある
フランチャイズのお店です。
だけに
埼玉と、いうわけです。
じゅんさいは出汁の薄い味付けで食べるもんでないかな?
食禄は少なくても友達には恵まれててちょっと安心できました
でも食禄戻してあげてほしいって相変わらず思ってしまう(;_;)
石城やりますね!
コレは初めてだった。
だって予告名と全然違うし分からんしw
これって日記にはその日食べたおかずだけ記したるんやない?
白飯と汁は基本だから書いてないだけで、ただお茶漬けやちらし寿司は白飯でないから記載したとか。白飯におかずがちらし寿司てなことはないだろうし(笑)
興味深い
ジュンサイは、美味しんぼでも出てきてたでしょ
コンビニ スーパー等ない時代 この時代の方が美味しそうに見えるんですよね。ある意味粗末な物を食べてるんですかね現代人
現代ほど物がない分ひとつひとつに手間がかかるから美味しそうに見えるんだろうね
度々ごめんなさい🙏
先程、縄文時代の食事編で縄文クッキーが登場したので、コメントさせてください。
小学生時代の校外授業で何処ぞの大学教授?と当時のやり方を再現しつつ、拵え食したことがあるのを思い出しました。これヤバいーーー!まじびみしい!!(美味しい)ってわけじゃないけど…まあ、普通に美味しいレベルでした。
この時代タニシは田園では普通に食べられていたけどボラの刺身と言うのは信じがたいな生物では無く〆鯖等と同様加工品かな。
汚くない海では臭みも気にならないぐらい少ないのではないでしょうか。実際ボラはイタリアなんかでもわりと食べられる食材みたいです(特にカラスミは珍味として有名)。
質素過ぎる程質素、栄養面も最悪ですし…。一方で、
贅沢三昧な日々を送り、肥満気味や
現在でいう、生活習慣病に悩まされている武士もいたそうですし、落差ありますね
通知のタイトルを見て成城石井がどうした?ってなった
画家のポントルモの日記とか思い出すけど、あの人も粗食だったような。
不精飯だったということですね(うまいことを言ったつもり)。
米はどのくらい食べてるのでしょうね?昔は1食当たり1合、1日3合食べた・・と言うような話を聞いた事がありますが。
今のように主食以外で、腹を膨らませる程の生産力が無いので、米はしっかり大量に食べてると思うのですが・・。
汁物が無いのも疑問ですね、米も玄米だと、食べるのに欲しいと思うのですが・・。もっとも汁物は書かない可能性がありますね。
確か一人あたり年間1石食べるのが前提だったかな。これが少ないのか多いのか。
@@prc148mbitr そうなんですよ、1年で1石=10斗=100升=1000合ですから、1日に2合以上、3合の飯を食う計算です。
石城さんはあの程度のおかずで、3合のご飯を食べたとは思えないので、とは言え1食1合ぐらいは食べたのでしょう。
江戸では白米でしょうが、今の埼玉県行田(忍城)あたりでも玄米だったと思うと、1合の玄米を食べるのにおかずの少なすぎると思うし、汁物が無いと食べられないとも思うのです。
@@user-bm8qv2in8f
自分は単身赴任していて家から米送ってもらっています(田圃貸しているので米で貸し賃もらってる)が半年で半俵食べてない事に気がついた。私事です。
この人、大酒家だったのかな?呑んで胃を荒らせば食べたくなくなるし。長生きしていないのも酒が絡んでいそうな気がする。
ウチの叔父も酒飲むとご飯食べないし、つまみもあまり食べないし、米のジュースは栄養あるからと言ってたな(^^;;肝臓はボロボロだったが七十位まで生きたよ
白米は食ってても記していないだけじゃないの?
うぽつ〜
経済的な事と居候なのでそこら辺は気を使い😅(そう思いたい)
あの、BGMのタイトルはなんですか?
尾崎さんの食卓かぁー。
吞兵衛の食生活って感じです・・・
しかしながら恵まれてるわな
この時代だと小作農なんか奴隷以下やで
寺で食べるは多分下級武士は今で言うバイトしまくりだから、寺子屋の観点から考えたらその報酬がご飯じゃない?
鯰とかタニシって美味しいのかなあ?鯰は、意外に美味しいって聞いたことあるけど。タニシは、見た目的になんか嫌だなぁ。
今後、
グルメ武将 伊達政宗公様の登場予定はありますか?
1秒だけじゃなく、霊夢と魔理沙のために時間を奪われてもいいようずっと時間を空けときますてよ❤(´Oノ`*)
食事の絶対量が少ないのにアルコールはしっかり摂取する・・これじゃあ長生き出来ないわ。体に絶対良くない
下級武士って事は足軽とかかな?
?うなぎの蒲焼きって当時は下魚よ?
価格もどぜうのほうがたかかったはず、
もちろん今でゆう「朝からステーキ」みたいなもんですが…
ボラも食べてたのかぁ
釣り好きの知人は見向きもしなかった感じだったけど・・・
ボラはカラスミの材料ですよね
ああ、なるほど、カラスミってそうだったんですね
本来は鰆だったらしい
鯛の子漬けが鱈だったり鯖だったりするのはよくある事
ボラは川が綺麗なら上流近く迄遡上します。
江戸時代の鰻って写真みたいな蒲焼の技術がまだ無かったからぶつ切りにして塩焼きにしてたんじゃなかったけ?
幕末ごろだと普通の蒲焼きで食べていたようですよ。
自由に出歩いてる見たいなんだけどこの人本当に蟄居中なの?
ボラの刺し身か。
今でこそボラって汚い海や河川で泳いでる魚だが、江戸時代なら美味いかも。
地方へ行けばきれいな海で泳いでるから刺身や唐墨にして食べてますよ。
th-cam.com/video/YFMQJHpIyeI/w-d-xo.html
↑の動画にパクられているかと思います。
必要な酒を買ったら飯を買う金が無くなったでござるよ。
せめてプロテインが有れば…。