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十返舎一九の辞世の句がカッコ良すぎる。はいさようなら、の”はい”は、”灰”とかけているのですね。
最近、このチャンネルが好きになり今日も観ていました。ホーリーさんの知識とトーク力と、更に動画編集の素晴らしさですね!江戸を描いた当時の絵を見せ、ホーリーさんの飽きさせない解説がしっかり間を繋ぐ。素晴らしい!これ、自分が知っているTH-cam動画の更に上を行ってます。テレビ局が真面目に作るクオリティです。これからもホーリーさんとチャンネル応援していきます!
面白いのでチェックしています。頑張ってくださいね。
メッセージ遅くなりすみません!スーパーサンクスありがとうございます、励みになります スタッフ一同
大正生まれの祖母が言ってましたが祖母がすごく小さな時、喪服は白かったと言ってました。(因みに祖母は東京の人です)一説には喪服が黒くなったのは第二次世界大戦の影響だとも言われてます、戦後物が不足していて喪服もレンタル品で賄っており使い回ししているウチに白い喪服が煤汚れたので黒に変えたと言う説があります。
全国民が見るべきチャンネル😊
😼ホーリーの姐御〜、やっぱ江戸っ子の気楽な結婚が惹かれるね〜。それから火葬もちゃんとあったんだね〜。火の取り扱いは🔥相当気をつけたんだろうね〜。今回も興味深け〜話あんがとよ〜😼
時代劇よりも、人々の生活の事に興味がある人が大多数です。ありがとうございます✨
深いですね。ちょっと感動してしまいました。
死光初めて知りましたがいい言葉ですね
知りたい情報がコンパクトに、ふんだんに詰まっておりました❤
江戸の冠婚葬祭を通して、改めていろいろと気づかされることがありました。【死光】という言葉や意味も知れて大変良かったです😆😮
偶然よそう感じが、なんやかんや恋愛結婚憧れてたんだなー
私の父と母は親同士が決めた結婚ですが、結婚式当日に初めて会ったそうです。父は当時の男子としては相当な高身長180cm、鼻筋の通った男前で、母は見た瞬間「大当たり!と思ったそうです。
江戸時代の薬とか民間療法とか湯治とかに興味あります。ぜひよろしくお願いします😊
さようならは江戸時代でも使っていたんですね江戸時代の時々の挨拶言葉ってどんなだったんでしょう?
今晩は!ホーリーさん独身男性が江戸で結婚するのは大変だったんでしょうね。「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」何て言うタイプはまずアウトですかね。十返舎一九さんは辞世の句までユーモアたっぷりで、ある意味凄い人物で花火の逸話も本当であって欲しいね。昔は結婚時や死亡時の入籍や離籍はどうしてたんですかね、やはり人別帳や過去帳なんかで判る様になってたんでしょうか、だとすると誰がいつまでに何処に届けるとか決まりは有ったんですかね。
楽しく拝見してます。リクエストします、江戸時代の富くじなどを、取り上げて貰えると、ありがたいです。
ほーりーさん、博学、美人、凄いな 🐧(笑 バックの東京節もいいね 🐧(笑
家と家との結びつきー、というのは、程度の差はあれ、現在も同じですよね。うちは結納や結婚式はしませんでしたが、義父を交えて三人で「名字はどちらにするか」を決めましたよ。義父が「うちは婿取りするような家柄ではないので、うちの娘を改姓させるのが結婚を認める唯一の条件だ」と言っていました。恋愛結婚でしたが、まだまだ「家意識」は強いですよネ
江戸は圧倒的に男子の数が多かったと思うので、高家のお見合いでも女性の家側にも結構イニシアティブが有った、ということは無かったのかな?庶民は恋愛結婚だったのでしょうが、やっぱり女性を巡る競争率はかなり高かったのでしょうね。
やったーチャンスあり😊💕
「死光(しにびかり)」という言葉は初めて知りました。「死」に関してもやたらと恐れることなく受け入れ、風流に捉える考え方があったのかもしれませんね。結婚に関しても、「かくあるべし」がなく、それぞれに応じて最適のことをすればいいという風潮。一億総中流化があってからの日本は、あらゆる点で「かくあるべし」という同調圧力が強く、かえって暮らしづらくなっているのかもしれません。タイの田舎で葬式に出ましたが、野焼きでしたね。一晩かけて火葬していました。都会(バンコク)では、お寺の中に火葬場があり、バーナーで一気に焼いてしまえるようです。日本では土葬がメインだったので、今あるような墓はなかったようですね。裕福な家は祀り墓という埋めたところとは別に墓標を置いたのだとか。土葬だと、その後で沈んでしまうので、埋めた上に墓石は置けず、場所を示す石などを置いただけだったとか。土葬だからリンが燃えることがあり、昔はヒトダマ(火の玉)を見たなんて話をよく聞きました。
円楽師匠落語演目たらちね🤣おもいだした😂米朝師匠の演目らくだ🤣ほーり今度朗読してあげて影の軍団では忍者は火葬だったみたいね
コロナ+不景気で結婚式やんなくてもいいよね!というご時世だけど、やっぱセレモニー的なものはやったほうがいい。弟の俺が姉の結婚を知らなかった。知ってても印象薄くて忘れてた。式をあげないと、まわりがついてこれないってのがある。葬式で姉に久々に再開して、姉が結婚したと実感。実家暮らし時代よく食ってた食品や必ず使う日用品等をダンボールに詰め込んだら、喜んでくれた。
記録に残ってるのか、それなりの家なだけで長屋の職人の娘とかは残ってるかなとだからそれを全体にするのはみたいなのが武家と商家はそもそも最初から候補が決まってるしそうでないから記録に残ってるみたいなのが
甘い物食べてください。
渋谷が湿地帯で、大久保や日暮里が郊外の寂しい場所だった江戸時代、庶民はお葬式をあげられたのでしょうか?供養はどうしていたのでしょうか?
江戸時代の葬儀には古代神道の潜在的意識が残っていますよ😅😅😅😅死を神への昇華とする神道の潜在的意識から仕掛けをしたり、個人の葬送希望を取り入れていたのだと思いますよ😅😅😅😅😅
結婚大事だね
江戸時代のお見合いは、その場で結納なの?? ゆっくり考えたいw
いいなぁそれ🎇👻(^^)/~~~ おれもやる✌
でも、ホーリーさんは引く手あまたでしょう。余裕ですね。
陽だまりの樹で読んだな
結婚相談所が仲人協会に加盟とか…そんな時代もあったけど今はどうだろう。日本国憲法は個人の権利に全振りだから、家族の概念が崩壊してお友達な親が殆ど。教科書にもある通り、組織の最大単位は国で最小単位は家族。時すでに遅しだが、家族概念の崩壊は国の崩壊となる。
The ending of the family is the collapse of society. This happening everywhere in the world. 😢
女大学の作者いいひとそう☺️
喪服って、「白」なんですよね~黒い着物が、喪と言っていますけど黒が喪となったのは、意外と新しいんですよね~後、結婚の時の結納金や葬儀の時のお布施はその人の身の丈に合わせた金額だったんですよね現代だと、いくらと確定的に決まってますけどそこは、江戸時代のように、この金額と決めないほうがよいと思います。
お歯黒の歴史を知りたい。
そもそも男女の平均結婚年齢っていくつ位だったんだろう。そんなデータないよね。
あったんでない?ほーりーさんは語ってなかったけど。相当若かったはず。
大正期の童謡「赤とんぼ」に♪十五でねえやは嫁に行き♪というくだりがあるのでだいたいその位じゃなかったかと思います。明治45年生まれのうちの祖母も16で結婚してますし。あと、江戸時代では二十代になると年増と呼ばれてましたのでそういう意味でもね。
座棺は縄文時代からの甕棺時代と単に掘るスペースの問題で火葬は仏陀の香木で火葬だよね予算です
仲人は職業で報酬が発生するから、仲人口というのがあった訳ですね。ずうっと、なんで仲人口なんて酷いことができるのかと不思議でした。
お江戸の時代は死人が多いと分かりやすかったかもですね。今は大災害以上に多いのにテレビで言わないから何にも知らない人がほとんどだろうね。喪服が白から黒に変えられたのは誰のどーいう意図なんだろー。誰か知ってたら教えてー。
明治維新後、海外の喪服の黒にあわせたのがきっかけのようです。ただその頃は上流階級だけで、庶民は白の喪服だったとのこと。他のコメントにもありますが、庶民に黒が浸透したのは第二次世界大戦の時で、レンタルで喪服を借りる人が急増するなか、貸衣装屋さんが汚れやすい白よりも、汚れが目立たず手入れしやすい黒の喪服を揃えるようなったためのようです。詳しい話は葬儀屋さんのHPとかに結構載っていたので、そちらを参考されるのが一番わかりやすいかもしれません。
結婚願望は??
何だ経験無いんだ。可愛そうだ。一生に一回は経験しなさい。
十返舎一九の辞世の句がカッコ良すぎる。はいさようなら、の”はい”は、”灰”とかけているのですね。
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大正生まれの祖母が言ってましたが祖母がすごく小さな時、喪服は白かったと言ってました。(因みに祖母は東京の人です)
一説には喪服が黒くなったのは第二次世界大戦の影響だとも言われてます、戦後物が不足していて喪服もレンタル品で賄っており使い回ししているウチに白い喪服が煤汚れたので黒に変えたと言う説があります。
全国民が見るべきチャンネル😊
😼ホーリーの姐御〜、やっぱ江戸っ子の気楽な結婚が惹かれるね〜。それから火葬もちゃんとあったんだね〜。火の取り扱いは🔥相当気をつけたんだろうね〜。今回も興味深け〜話あんがとよ〜😼
時代劇よりも、人々の生活の事に興味がある人が大多数です。
ありがとうございます✨
深いですね。
ちょっと感動してしまいました。
死光
初めて知りましたがいい言葉ですね
知りたい情報がコンパクトに、ふんだんに詰まっておりました❤
江戸の冠婚葬祭を通して、改めていろいろと気づかされることがありました。【死光】という言葉や意味も知れて大変良かったです😆😮
偶然よそう感じが、なんやかんや恋愛結婚憧れてたんだなー
私の父と母は親同士が決めた結婚ですが、結婚式当日に初めて会ったそうです。父は当時の男子としては相当な高身長180cm、鼻筋の通った男前で、母は見た瞬間「大当たり!と思ったそうです。
江戸時代の薬とか民間療法とか湯治とかに興味あります。
ぜひよろしくお願いします😊
さようならは江戸時代でも使っていたんですね
江戸時代の時々の挨拶言葉ってどんなだったんでしょう?
今晩は!ホーリーさん
独身男性が江戸で結婚するのは大変だったんでしょうね。「江戸っ子は宵越しの銭は持たねぇ」何て言うタイプはまずアウトですかね。
十返舎一九さんは辞世の句までユーモアたっぷりで、ある意味凄い人物で花火の逸話も本当であって欲しいね。
昔は結婚時や死亡時の入籍や離籍はどうしてたんですかね、やはり人別帳や過去帳なんかで判る様になってたんでしょうか、だとすると誰がいつまでに何処に届けるとか決まりは有ったんですかね。
楽しく拝見してます。リクエストします、江戸時代の富くじなどを、取り上げて貰えると、ありがたいです。
ほーりーさん、博学、美人、凄いな 🐧(笑 バックの東京節もいいね 🐧(笑
家と家との結びつきー、というのは、程度の差はあれ、現在も同じですよね。うちは結納や結婚式はしませんでしたが、義父を交えて三人で「名字はどちらにするか」を決めましたよ。義父が「うちは婿取りするような家柄ではないので、うちの娘を改姓させるのが結婚を認める唯一の条件だ」と言っていました。恋愛結婚でしたが、まだまだ「家意識」は強いですよネ
江戸は圧倒的に男子の数が多かったと思うので、高家のお見合いでも女性の家側にも結構イニシアティブが有った、ということは無かったのかな?
庶民は恋愛結婚だったのでしょうが、やっぱり女性を巡る競争率はかなり高かったのでしょうね。
やったーチャンスあり😊💕
「死光(しにびかり)」という言葉は初めて知りました。「死」に関してもやたらと恐れることなく受け入れ、風流に捉える考え方があったのかもしれませんね。
結婚に関しても、「かくあるべし」がなく、それぞれに応じて最適のことをすればいいという風潮。一億総中流化があってからの日本は、あらゆる点で「かくあるべし」という同調圧力が強く、かえって暮らしづらくなっているのかもしれません。
タイの田舎で葬式に出ましたが、野焼きでしたね。一晩かけて火葬していました。
都会(バンコク)では、お寺の中に火葬場があり、バーナーで一気に焼いてしまえるようです。
日本では土葬がメインだったので、今あるような墓はなかったようですね。裕福な家は祀り墓という埋めたところとは別に墓標を置いたのだとか。土葬だと、その後で沈んでしまうので、埋めた上に墓石は置けず、場所を示す石などを置いただけだったとか。土葬だからリンが燃えることがあり、昔はヒトダマ(火の玉)を見たなんて話をよく聞きました。
円楽師匠落語演目たらちね🤣おもいだした😂米朝師匠の演目らくだ🤣ほーり今度朗読してあげて影の軍団では忍者は火葬だったみたいね
コロナ+不景気で結婚式やんなくてもいいよね!というご時世だけど、やっぱセレモニー的なものはやったほうがいい。
弟の俺が姉の結婚を知らなかった。知ってても印象薄くて忘れてた。
式をあげないと、まわりがついてこれないってのがある。葬式で姉に久々に再開して、姉が結婚したと実感。実家暮らし時代よく食ってた食品や必ず使う日用品等をダンボールに詰め込んだら、喜んでくれた。
記録に残ってるのか、それなりの家なだけで
長屋の職人の娘とかは残ってるかなと
だからそれを全体にするのはみたいなのが
武家と商家はそもそも最初から候補が決まってるし
そうでないから記録に残ってるみたいなのが
甘い物食べてください。
渋谷が湿地帯で、大久保や日暮里が郊外の寂しい場所だった江戸時代、庶民はお葬式をあげられたのでしょうか?供養はどうしていたのでしょうか?
江戸時代の葬儀には古代神道の潜在的意識が残っていますよ😅😅😅😅
死を神への昇華とする神道の潜在的意識から仕掛けをしたり、個人の葬送希望を取り入れていたのだと思いますよ😅😅😅😅😅
結婚大事だね
江戸時代のお見合いは、その場で結納なの?? ゆっくり考えたいw
いいなぁそれ🎇👻(^^)/~~~ おれもやる✌
でも、ホーリーさんは引く手あまたでしょう。
余裕ですね。
陽だまりの樹で読んだな
結婚相談所が仲人協会に加盟とか…そんな時代もあったけど今はどうだろう。
日本国憲法は個人の権利に全振りだから、家族の概念が崩壊してお友達な親が殆ど。教科書にもある通り、組織の最大単位は国で最小単位は家族。時すでに遅しだが、家族概念の崩壊は国の崩壊となる。
The ending of the family is the collapse of society. This happening everywhere in the world. 😢
女大学の作者いいひとそう☺️
喪服って、「白」なんですよね~
黒い着物が、喪と言っていますけど
黒が喪となったのは、意外と新しいんですよね~
後、結婚の時の結納金や葬儀の時のお布施は
その人の身の丈に合わせた金額だったんですよね
現代だと、いくらと確定的に決まってますけど
そこは、江戸時代のように、この金額と決めないほうがよいと思います。
お歯黒の歴史を知りたい。
そもそも男女の平均結婚年齢っていくつ位だったんだろう。そんなデータないよね。
あったんでない?ほーりーさんは語ってなかったけど。相当若かったはず。
大正期の童謡「赤とんぼ」に♪十五でねえやは嫁に行き♪というくだりがあるので
だいたいその位じゃなかったかと思います。
明治45年生まれのうちの祖母も16で結婚してますし。
あと、江戸時代では二十代になると年増と呼ばれてましたのでそういう意味でもね。
座棺は縄文時代からの甕棺時代と
単に掘るスペースの問題で
火葬は仏陀の香木で火葬だよね
予算です
仲人は職業で報酬が発生するから、仲人口というのがあった訳ですね。ずうっと、なんで仲人口なんて酷いことができるのかと不思議でした。
お江戸の時代は死人が多いと分かりやすかったかもですね。
今は大災害以上に多いのにテレビで言わないから何にも知らない人がほとんどだろうね。
喪服が白から黒に変えられたのは誰のどーいう意図なんだろー。
誰か知ってたら教えてー。
明治維新後、海外の喪服の黒にあわせたのがきっかけのようです。
ただその頃は上流階級だけで、庶民は白の喪服だったとのこと。
他のコメントにもありますが、庶民に黒が浸透したのは第二次世界大戦の時で、
レンタルで喪服を借りる人が急増するなか、貸衣装屋さんが汚れやすい白よりも、
汚れが目立たず手入れしやすい黒の喪服を揃えるようなったためのようです。
詳しい話は葬儀屋さんのHPとかに結構載っていたので、
そちらを参考されるのが一番わかりやすいかもしれません。
結婚願望は??
何だ経験無いんだ。可愛そうだ。一生に一回は経験しなさい。